柏原簡易裁判所 平成11年(ろ)5号 判決 2001年12月07日
主文
被告人は無罪。
理由
1 本件公訴事実は,「被告人は,平成10年11月24日午後零時10分ころ,兵庫県氷上郡a町b番地所在のA方において,土地の境界問題から口論となって立腹し,ツルハシで同人方出窓アルミサッシ枠を叩いて損壊(損害額33万9900円相当)し,もって,同人所有の器物を損壊したものである」というのである。
2 そこで検討するに,A及び被告人の当公判廷における供述によれば,次の事実が認められる。
(1) 被告人とAとは隣家に居住する住民同士であった。そうしたところ,平成8年頃,被告人宅から公道に通じる通路に沿って流れていた水路を,Aが建設業者に依頼して付け替えたため,被告人の玄関前の水田に引水できなくなった。この水路の付け替えは被告人の承諾を得ないでAが工事を強行したものであったため,被告人は大いに立腹した。また,Aが被告人の承諾なしに被告人所有の山林にシシ垣を作り,被告人の立腹を誘ったこともあった。このようなことから,被告人とAとの間には常日頃から諍いが絶えなかった。
(2) 平成10年11月24日午後零時過ぎ頃,Aが設置した水路(U字溝)を固定してあるセメントを被告人がツルハシでコンコンとつついているのをAの妻Bが同人宅出窓から発見し,室内にいたAに告げた。
(3) Aは,出窓の窓を約30センチメートルほど引いて開け,外を見て,被告人に対し,大声で,セメントを壊さないでほしいと叫んだ。被告人は,Aの声を聞くと,ツルハシを手に持ったまま,A方出窓の側までやってきた。
(4) Aが被告人に叫び,被告人が側までやってきた出窓は,A所有の木造2階建住宅の1階北東側の出窓である。この出窓は,アルミ製の窓枠に,アルミ製の枠がついた網戸と,アルミ製の枠がついたガラス窓とがはめ込まれた構造である。室内側にはカーテンがある。
3 以降のやりとりにつき,Aは,当公判廷において次のように供述する。
(1) 出窓の側までツルハシを持ってやってきた被告人は,Aと向かい合うやいきなりツルハシの金属部分の先端で,網戸の縦枠を1回,出窓下側の横枠を1回叩いた。どちらが先だったかははっきりしない。
(2) Aが「やめてくれ」と叫ぶと,被告人は,網戸とガラス窓の隙間から,ツルハシの金属部分の先端をAに向けて突いてきた。Aは,危ないと思ってツルハシの金属部分の先端を掴んで押し返した。これに対し,被告人は中に入れようとして押し合いになった。結局,Aはツルハシを外に押し返して窓を閉め,室内から施錠した。
(3) すると,被告人は,室内から見て左側,外から見て右側の出窓縦枠をツルハシで叩いた。Aは,その音を聞いた。
(4) その後,被告人はA宅の玄関側へ回ってきた。
4 一方,被告人は,当公判廷において次のように供述する。
(1) 被告人がAと話そうとして出窓の側まで来たところ,Aは窓を閉めてしまった。
(2) 被告人は左手で窓を開けようとしたところ,Aは室内から開けさせまいとした。咄嗟に,被告人は同人の肩幅くらいに開いた窓の隙間から,右手に持っていたツルハシの柄を約30センチメートル差し込んだ。
(3) ところが,Aは被告人が窓から差し込んだツルハシを室内に取り込んだ。被告人は取り返そうとして引っ張り,Aはそうさせまいとして引っ張り,ツルハシの取り合いになった。その最中,Aが被告人を追い払うように横に振ったツルハシの金属部分の先端が被告人の喉の左側に当たった。結局,被告人はツルハシを取り返したが,ツルハシの取り合いをしていたときに,被告人とAの双方の力でツルハシの金属部分の後部(ハンマー部)が出窓下側の横枠にコツンと当たった。
(4) Aがいう網戸縦枠と出窓右側縦枠の傷については全く心当たりがない。
(5) 被告人は,A宅の玄関へ回った。
(6) 被告人は当時83才で,身長は160センチメートルであった。
5 このように,Aの当公判廷における供述と被告人の当公判廷における供述には大幅な食い違いがある。そこでまず,客観的事実として,被告人が用いたツルハシ及びAが供述するところの網戸縦枠1箇所の傷及び出窓枠2箇所の傷の性状等について検討するに,H科学捜査研究所技術吏員M作成の鑑定書,司法警察員S作成の平成10年12月1日付実況見分調書,司法警察員S作成の平成10年11月29日付捜査復命書及び司法警察員T作成の平成11年6月7日付写真撮影報告書によれば次の事実が認められる。
(1) ツルハシの重量は約2.9キログラムである。柄は木製であり,柄の部分の長さは約76センチメートルである。金属部分の長さは約37センチメートルである。金属部分の先端もハンマー部も摩耗により丸みを帯びている。
(2) 網戸縦枠の傷(鑑定書記載番号3の傷)は,連続した二筋の右下がりの斜めの傷と連続した水平方向の傷の二つの傷の総称である。右下がりの二筋の斜めの傷の左端は網戸縦枠の左端に位置している。これらの傷は地表から約1.15メートルの高さのところにある。周囲に凹損がある。また,右下がりの二筋の斜めの傷の方にはアルファベットの「C」字状の痕跡が多く見られる。さらに,鑑定書には記載がないが,二筋の斜めの傷の上に一筋,下に三筋の細い同一方向の傷が見られる。なお,網戸縦枠の傷の左端に相応する窓枠の部分には傷が付いていない(写真撮影報告書添付写真8)。
(3) 出窓下側横枠の傷(鑑定書記載番号2の傷)は,左上,中央部,右下にあるそれぞれ団子状の三つの傷の総称である。地表から約0.97メートルの高さのところにある。周囲に凹損がある。このうち,中央部の傷は,表面が削れて,アルミの地肌が出ており,削られたアルミが下部にたまっているから,右上から左下方向に付いた傷と考えられる。右下の傷についてもその形状からして右上から左下方向に付いた傷と考えられる(鑑定書添付の写真13)。
(4) 出窓右側縦枠の傷(鑑定書記載番号1の傷)は,中央部付近の散乱した10ないし15の小さい傷の集合とそのやや左下の散乱した一塊りの小さい傷の集合の総称である。地表から約1.12メートルの高さのところにある。周囲に凹損がある。これらの二つの傷の集合の近辺にも散乱した小さい傷が見られる。
(5) 網戸縦枠や出窓枠はアルミ製であるから,アルミより固いものによる衝撃を受けなければ,上記のような傷はできない。
6 まず,網戸縦枠の傷について検討する。
(1) 前示のとおり,網戸縦枠の傷は,連続した二筋の右下がりの斜めの傷と連続した水平方向の傷の二つの傷であるが,さらに,右下がりの二筋の斜めの傷の上に一筋,下に三筋の傷が見られる。これらの傷は,太さは異なっているが,同一方向を向いた直線状の傷であるから,これら右下がりの合計6本の傷は同一の時期に付いたものと考えられる。そして,これら6本の傷の幅員はツルハシの金属部分の先端より広いことがうかがえる上に,傷は直線状であるから,ツルハシの金属部分の先端による打突の結果とするには無理があり,Aの供述と一致しない。これらの傷は,同一方向を向いていることと二筋の右下がりの斜めの傷にアルファベットの「C」字状の痕跡が多く見られることと相まち,ツルハシの金属部の先端より幅広いと思われる物体が斜めに移動した結果と考えられる。また,網戸縦枠には,右下がりの傷のほかに水平方向の傷も付いているから,Aが供述するところの1回の打突によりこれらの傷が付いたとは到底考えられない。
(2) また,Aは,同人が窓を開けて被告人に声をかけたところ,そこへ被告人がやってきてAと向かい合ったという。したがって,その段階では,網戸と窓は開いていたはずである。Aは,その状態において,被告人がいきなりツルハシを振りかぶって網戸縦枠(及び出窓下側横枠)をツルハシの金属部分の先端で叩いたと供述する。しかし,閉じていたのであればともかく,開いている網戸の縦枠をツルハシの金属部分の先端でもって,年齢83才,身長160センチメートルの被告人が運良く2回にわたり叩くことができたというのは,経験則上いささか疑問がある。もっとも,Aは,被告人が網戸縦枠を叩いたときに網戸は開いていたと供述した後,検察官の質問に対しては,傷の箇所からいうと網戸は閉まっていたことになるとか,網戸がどの時点で開いていたのかをよく覚えていないとかの修正供述をしている。しかし,前示鑑定書及び写真撮影報告書によれば,網戸縦枠の傷の左端は網戸縦枠の左端にあり,かつ,窓枠に接する部分にも回り込んで付いている事実がうかがわれ,また,網戸縦枠の左端の高さの出窓枠の部分には傷が付いていない事実からすれば,傷が付いた時点で網戸は開いていたと考えるのが自然である。網戸が閉じていたとのAの修正供述は信用できない。
(3) したがって,網戸縦枠の傷が被告人のツルハシの金属部分の先端による打突の結果であるとするには疑問があり,被告人とAのツルハシの取り合いの際に付いたか,風雨にさらされている間に何かの衝撃によって付いたとの合理的な疑いを払拭できない。
7 出窓下側横枠の傷について検討する。
(1) Aは,被告人が出窓に駆け寄るといきなり,ツルハシを振りかぶって網戸縦枠を1回,出窓下側横枠を1回,金属部分の先端で叩いたと供述する。しかし,出窓下側横枠の傷は3個の団子状の傷であって,1回の打突の結果とは到底考えられず,Aの供述と合致しない。
(2) 被告人は,出窓下側横枠の傷は故意による打突の結果ではなく,Aとツルハシの取り合いをしているときにツルハシの金属部分のハンマー部が出窓に当たって付いたに過ぎないと供述するので検討するに,被告人とAとが,被告人が室内に差し込んだツルハシをめぐってもみ合った事実は両名の供述によって明らかである。
もっとも,被告人はツルハシの柄の方を差し込んだと供述するのに対し,Aは,被告人はツルハシの金属部分の方を差し込んだと供述するところ,もし,Aの供述のとおり被告人がツルハシの金属部分の方を室内に差し込んだとすれば上記被告人の弁解は通用しない。しかし,被告人とAとが窓の開閉をめぐってもみ合っていた事実からすれば,被告人がツルハシを室内に差し込んだ目的は,威嚇や打突のためではなくAに窓を閉めさせないためであったと考えられ,そうだとすれば,被告人は重くて約37センチメートルの長さのある金属部分ではなく,軽い柄の方を咄嗟に室内に差し込んだと考えるのが自然である。また,被告人は公判廷のみならず捜査段階においてもツルハシの柄の方を室内に差し込み,Aが横に払ったツルハシの金属部で喉を怪我した事実を供述し,被告人の妻Cもこれを裏付ける供述をしていることからすれば,被告人が差し込んだのはツルハシの柄の方であったというべきである。
しかるところ,被告人とAとがツルハシの取り合いをしてもみ合ったことからすれば,両名の力によってツルハシの金属部分が(先端部分かハンマー部分かは確定できない)上下左右の方向に動いたと考えられ,また,出窓下側横枠の傷が3カ所にわたっていることからすれば,被告人の弁解には合理性があり,検察官主張のようにそれが不自然不合理であるとはいえない。
(3) また,被告人が窓のガラスや網戸の網そのものの打突を避け,わざわざ網戸縦枠と出窓下側横枠をねらって前者を2回,後者を3回叩いたという犯行態様は奇妙に冷静に過ぎ,被告人が血相を変えて出窓にやってきたというAが供述するところの被告人の犯行前の行動とも様相が異なる。
(4) したがって,出窓下側の傷についても,被告人の弁解のとおり,被告人とAとがツルハシの取り合いをしたときに,金属部分が当たったために付いたものではないかとの合理的な疑いを払拭できない。
8 出窓右側縦枠の傷について検討する。
(1) 被告人が出窓右側縦枠をツルハシで叩いて損壊したとの事実を裏付ける証拠は,打突の音を聞いたとのA及びBの供述及び出窓右側縦枠に傷が付いているという事実以外にない。
(2) しかし,前示のとおり,出窓右側縦枠の傷は,中央部付近の散乱した10ないし15の小さい傷の集合とそのやや左下の散乱した一塊りの小さい傷の集合であって,経験則上,これがツルハシの金属部分の先端で叩くことによってできた傷とは考えられない。検察官は,「被告人が本件直前に本件ツルハシでコンクリートを叩いていたことからすれば,本件ツルハシ金属部分先端部にコンクリートの細かな粒が付着して凹凸を生じており,これで出窓窓枠を叩いた際,コンクリート粒が付着して出っ張りが生じている部分にだけ細かな傷が生じたものである可能性が存する」と主張するが,鑑定書添付の写真12によれば,細かな傷は,ツルハシの金属部分の先端でまかなえる範囲を越えて散乱して付着している事実が認められるから,検察官の主張は失当である。
(3) したがって,出窓右側縦枠の傷についても,被告人の故意による損壊の結果ではなく,風雨にさらされている間に何かの衝撃によって付いたものではないのではないかとの合理的な疑いを払拭できない。
9 Aの妻Bは,当公判廷において,検察官の主尋問においては,Aの供述と同様,被告人が網戸縦枠と出窓下側横枠をツルハシの金属部分で叩き,ツルハシの金属部分を家の中に突っ込み,Aが押し返して出窓を閉め,その後被告人は室内から見て左の方に歩いていき,その後ガチャンという音がしたと供述するものの,弁護人の反対尋問に対しては,自分のいた位置はAの斜め後ろであり,網戸縦枠を被告人が叩くところはAの後にいたのでよく見えなかった旨供述し,また,出窓下側横枠を叩くところもはっきりとは見ませんでしたと供述して,主尋問における供述を後退させている。したがって,Bの供述をもってしては被告人が公訴事実記載の犯行を犯したと認めるには十分ではない。
10 以上のとおりであって,公訴事実に副うAの供述は,客観的事実と齟齬しており信用できないし,Bの供述は正確な目撃情報を述べたものとは言い難い。また,司法警察員U作成の捜査報告書には,無線指令によりV巡査部長が現場に赴いたところ,被告人は,「わしの土地に家を建てとんや」,「家を壊してやる」と興奮していたものの,窓枠の損傷については「ツルハシでたたいて傷つけた」と素直に認めたとの記載があるが,Vからの伝聞に過ぎず,これをもって被告人の犯行を認めるには十分ではない。本件現場に臨場した司法警察員Vの当公判廷における供述中には,被告人に,「やったのか」と質問したところ,被告人は,「やった」と答えたと供述するが,被告人がそう答えたとしても,ツルハシの取り合いの際に窓枠を傷つけたことをもって被告人が「やった」と答えたのか,それとも故意に傷つけたことをもって「やった」と言ったのかが明確ではない。なお,司法警察員Sは,当公判廷において,被告人が実況見分の現場で犯行を自供した旨供述するが,Sが供述する被告人の犯行の結果は前示のとおり網戸や出窓に付いた傷の態様と一致しないし,被告人の当公判廷における供述に照らして信用できない。
11 もっとも,被告人は,捜査段階においては,犯行を認める旨の供述をしているのでこの点について検討する。すなわち,被告人は,捜査段階においては,Aとツルハシを取り合いしてもみ合った後にAが窓を閉めたが,腹の虫がおさまらなかったので,網戸縦枠と出窓下側横枠とを金属部分の先端で叩き,さらに出窓右側縦枠を叩いたと供述している(被告人の司法警察員Uに対する平成10年12月12日付供述調書)。もっとも,被告人は,これらの傷を付けたのはツルハシを出窓から屋内に差し込む前であったか後であったかはかなり興奮していたので前回の供述は思い違いかもしれないとの修正供述をしているが(被告人の司法警察員Uに対する平成10年12月14日付供述調書),その後,検察官に対しては,司法警察員に対する当初の供述のとおり,Aにツルハシを押し返されて窓を閉められてしまった後に,腹いせにツルハシで窓枠を叩いて損壊したと供述している(被告人の検察官に対する平成11年3月4日付供述調書)。
しかし,被告人が犯行を自供した司法警察員Uに対する平成10年12月12日付供述調書は,司法警察員Uにおいて予めワープロで作成しておいたものを被告人に示して尋問するという(Uの当公判廷における供述)奇異な作成経過のものであって,被告人の供述した内容が調書に正確に記載されているのかどうかの点に疑問がある上に,どの傷をどのようにして付けたのかという細部の点に関する具体的な供述がない。その上,窓を閉められてしまった後に,腹いせにやったという事実が付け足したように述べられているのみである。しかも,被告人の上記供述は,3箇所の傷を付けた時期はAとツルハシの取り合いをしてAが窓を閉めてしまった後であったというものであって,Aの当公判廷における供述とも異なっている。被告人の上記供述が,前示認定にかかる客観的事実と齟齬していることはいうまでもない。
それではなぜ,被告人が捜査段階においてこのような供述をしたのかにつき,被告人は,平成10年11月28日の実況見分の現場では司法警察員Uから「留置場に入れる」云々との話を聞き,同年12月12日のc駐在所での取り調べは,妻Cが同伴していたが,被告人が弁解を口にすると司法警察員Sが「黙れ」と一喝し,妻が逆らわない方がよい旨のサインを送ったので司法警察員の言うままに調書に署名捺印したと供述する。検察官は,長年教職にいて分別もある被告人にしてそのような理由で嘘の自白をすることは信じられない旨主張するが,農村部における警察官の権威を考えると被告人の弁解をあり得ないこととして否定することもできないし,何よりも,被告人の自白内容は客観的真実に反している。以上のとおりであるから,被告人の捜査段階における供述は信用できない。
また,A及びBの供述によれば,被告人は妻と共に翌日A方に謝罪に訪れた事実が認められる。しかし,その前日,被告人とAとがけんかをしたことや,ツルハシの取り合いをした最中に金属部分でもって出窓下側横枠を傷つけたことに対する謝罪であったとも考えられるのであるから,被告人が謝罪に訪れたことをもって被告人が本件犯行を認めたことにはならない。
12 よって,被告人が公訴事実記載の犯行を犯した事実を認定するに足りる証拠がなく,公訴事実について犯罪の証明がないことに帰するから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言い渡しをする。
(裁判官 細見利明)