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栃木簡易裁判所 平成13年(ろ)48号 判決 2003年3月26日

主文

被告人は無罪。

理由

第1事案の概要

1  本件公訴事実(以下「本件」という。)は,「被告人は,平成13年12月15日午後6時45分ころ,栃木県栃木市a町b丁目c番d号所在のホームセンターのモーターオイルコーナーにおいて,同店店長A管理にかかるモーターオイル1本(価格258円相当)を窃取したものである」というのである。

2  関係各証拠によれば,本件において,以下の事実が認められ,この点については,当事者間に特段の争いはない。

被告人は,上記日時に上記ホームセンター(以下「本件店舗」という。)に赴き,店内を回った後,一旦店舗区画外に出て,再び入店したものの間もなく店舗区画外に出て,そのまま同店舗南側駐車場に停めてあった普通貨物自動車(以下「本件トラック」という。)に乗車した。

本件店舗に派遣されていた保安員であるBは,1度目に入店した際の被告人の行動から被告人を万引き犯人と判断し,被告人が2度目に店舗区画外に出て本件トラックに乗車した際に,被告人に声を掛けたが,被告人はBを無視して同駐車場を出た。

被告人は,本件トラックに乗り,勤務先の有限会社Cに戻ったところ,Bの110番通報に基づき,同会社に急行した警察官から,栃木警察署まで任意同行を求められ,同署において,窃盗罪により緊急逮捕された。

なお,被害品とされるモーターオイル「カストロールGTX」1本(以下「本件モーターオイル」という。)は,本件トラックから発見されていない。

第2Bの供述内容及びその信用性

検察官は,保安員であるBの当公判廷における供述について「被告人の犯行を目撃するに至る経緯,目撃状況及び犯行後の状況についてありのままに供述した内容となっており,実際に体験した者でなくては供述できない内容である上,他の証拠とも整合しており,極めて信用性が高い」旨主張し,他方,弁護人は「合理性を欠き信用性がない」旨主張するので,以下,この点について検討する。

1  Bは,当公判廷において,以下のとおり供述する。

(1)  本件当日午前11時から,本件店舗において保安員として,店内の巡回勤務に従事した。服装は,保安員であることが分からないよう,一般の買い物客を装っていた。

(2)  同日午後6時40分ころ,電化コーナー西側通路に来たとき,被告人がカー用品陳列棚西側通路のモーターオイルコーナーの前で,種類の異なるモーターオイルを両手に1本ずつ持って立っているのを発見した。この時,被告人との距離は,約10メートル位だった。

被告人が周囲を見渡すような警戒する素振りをしていたので,モーターオイルを万引きされるかもしれないと考えた。

(3)  被告人が,モーターオイルを手に持ったまま南に移動し,カー用品陳列棚の南端に回ったので,自分は出来るだけ近くから確認するためにカー用品陳列棚東側通路に回った。この時,被告人との距離は約2メートルから2.5メートル位だった。

カー用品陳列棚東側通路から被告人を見たとき,既に被告人はジャンパーのチャックを下げて,キャップの色がグリーンで,胴体の色が白のモーターオイル1本を懐に半分まで突っ込んだ状態であった。入れる動作を全部見ている訳ではなく,半分まで入れたところから見ている。

被告人は,商品を懐に入れた後,すぐにチャックを上げ,万引きした商品が落ちないようにジャンパーのポケットに両手を入れた。

なお,持っていた筈のもう1つのモーターオイルがどうなったかは見ていないので分からない。

(4)  被告人が店舗区画外へ出たら声を掛けようと思って,4ないし5メートル位の間隔をとって追跡するうちに,被告人は店舗建物正面出入口を出て,さらに屋外園芸コーナーを通って,駐車場へ出ようとした。

(5)  被告人が屋外園芸コーナー(店舗区画内)から出ようとするときに振り返ったので,自分は自分の左に積んであったレンガに隠れた。

自分がレンガから再び顔を出すと,被告人は店舗建物の方へ向かって歩いてくるところだった。この時に被告人のジャンパーのチャックが下がっていたので,本件モーターオイルは既に同ジャンパー内にないと思った。

自分は被告人とすれ違わないようにレンガの後ろ側を通って,被告人の追跡を続けた。

(6)  被告人は再度,店舗建物内に入って行き,電化製品を見るなどしてから,店舗区画外に出て,駐車場にエンジンをかけたまま駐車してあった本件トラックに乗り込んだ。自分が助手席側から「お客さん,お話があるんですけど」と言っても,被告人は全然反応を示さないので,さらに助手席ドアをどんどんと叩き「品物だけでも返しなさい」と大声で叫ぶと,被告人は自分を睨んで発進してしまった。

逃がすまいと本件トラックの10メートル位前に立ちはだかったが,本件トラックがそのまま前進してきたため避難した。身の危険を感じたので,店長に報告することなく,110番通報をして,本件トラックのナンバーなどを告げた。

(7)  110番通報をした後,すぐに本件店舗建物に戻って,モータオイルの陳列棚を確認すると,商品の列の前の方がへこんでいた。

本件店舗区画内はもとより,駐車場内も被告人が本件トラックを駐車していた地点の中間まで探したが,本件モーターオイルはなかった。

2  以上が,Bの当公判廷における供述の概要であるが,同供述は,終始一貫している訳でない。

すなわち,

(1)  Bは,本件店舗の間取りについて,相当混乱した供述をしており,あたかも屋外園芸コーナーが店舗建物内に存するかのように誤解した供述をしている。

かかる供述の混乱については,次のような事情が認められる。すなわち,Bは,当初「レンガというのは,店舗建物の外に積んであるレンガである」,「被告人は店舗建物外へ出た」旨客観的状況に合致する内容の供述をしていたものであるが,弁護人から「店舗建物外へ出れば,声を掛けるのが保安員の行動ではないか」と追及されるや「レンガは店舗出入口の1つ目の扉と2つ目の扉との間に積んである。被告人が振り返ったとき,そのレンガの後ろに身を隠した」と,あたかも屋外園芸コーナーが店舗建物内に存するかのような供述をするに至ったものである。

この点を措くとしても(なお,かかるBの供述の客観的な誤りについては,尋問当時,検察官及び弁護人も気付くことがなく,後に裁判所の釈明により,屋外園芸コーナーの位置を明らかにする実況見分調書が作成されたという経緯がある。),前記第2の1(4)の場面において,被告人が実際に屋外園芸コーナーから駐車場へ出たところを目撃したのかどうかについて「被告人は,表側のドア(屋外園芸コーナーと駐車場の境界を指すものと思料される。)を通って,表側の駐車場の方へ出た」と供述する傍ら,「被告人が店外(本件店舗区画外,すなわち駐車場を指すものと思料される。)へ出たところは見ていない」とも供述しており,一貫性がない。

(2)  また,Bは,前記第2の1(5)の場面におけるレンガに隠れた時間の長さについて「数秒です,見失ってはいけないので。そして,パッと顔を出した」と供述する傍ら,「警察の方には数秒と言ったが,時間的には分からない。もしかして1分かもしれないし,記憶では30秒くらいだと思う」とも供述しており,曖昧であり,かつ,一貫性がない。

(3)  さらに,Bは,上記第2の1(5)の場面において,Bがレンガから顔を出したときの被告人の体の向きについて「店外へ向かっている。私から見れば被告人の背中が見える状態です」と供述する傍ら,「被告人はこっち(店舗)へ向かって歩いて来ていた」とも供述しており,この点でも一貫性に欠ける。

3  ところで,Bの供述によれば,同人は,保安員として店舗に迷惑がかからないよう,店舗区画(本件においては屋外園芸コーナーを含む)の外で犯人に声を掛けるよう留意していたというのであり,被告人が店舗区画から出たのかどうかは,極めて重要な点であるにもかかわらず,Bは,上記2(2)のとおり,まさに店舗区画から出ようとする被告人が振り返ったという理由だけで,被告人から数秒間ないし約1分間にわたり視線を逸らし,実際に被告人が店舗区画から出たか否かの確認を怠るなど,保安員として到底考えられないような不自然な行動に及んでいる。

この点を付言するに,関係各証拠を総合すれば,被告人は店舗を出た際,一旦本件トラックまで戻ったという事実を認定できるが,仮に被告人が再入店しなければ,被告人はBから声を掛けられることもなく,容易に逃走することができたものであって,Bの行動は,万引き犯人と思しき被告人の逃走を容易にする不可解なものといわなければならない。

4  これに対し,検察官は「Bは,被告人が2度目に店外に出て本件トラックに乗車し,万引きが確実となった時点で,被告人に声を掛けており,何ら不自然な状況はない。すなわち,窃盗を裏付ける決め手となる本件モーターオイルを被告人が所持していない時点では声を掛けず,被告人が本件トラックに戻った際,おそらく本件トラック内に窃取品があると判断して,その時点で被告人に声を掛けたのは,合理的な行動であり,Bの供述の信用性には何ら疑問を差し挟む余地はない」旨主張する。

しかしながら,検察官の上記主張は,被告人が再入店してから本件トラックに乗り込むまでの間,Bが被告人に声を掛けるのを控えていたことの理由にはなり得ても,Bが1度目に店舗区画外から出ようとしていた被告人から視線を逸らし,その結果声を掛ける機会を逸したことの合理的理由となり得るものではない。

実際,Bは,当公判廷において「犯人が商品を取るところ,入れるところ,店外へ出るまでの間,目を切らないというのが万引き検挙の基本であり,それだけは気をつけている。灰色の場合,例えば,もしかして万引きしたかもしれないが確信がない時は,声を掛けない」旨供述しているところ,本件において,Bが,被告人が本件モーターオイルを陳列棚から手にしたところ及び店外へ出たところのいずれの場面も目撃していないことはB自身が当公判廷において供述するとおりであり,かつ,上記3のとおり被告人が1度目に店舗区画外に出る際,声を掛けていないことからすると,Bとしては,その時点までの目撃のみからは,被告人が万引きしたとの確信を得ることができず,その後,偶然にも被告人が再入店したため,それ以降の状況を観察するうち,その疑念が高まってゆき,検挙に踏み切ったのではないかという疑いを抱かざるを得ない。

5  そうすると,Bの供述は,同人がベテランの保安員であり,前記第2の1(3)のとおり被告人が本件モーターオイルをジャンパー内に差し入れるという犯行の核心部分を目撃したとの点については,明確で,かつ一貫性のある供述をしていることを考慮しても,同人のこの部分の供述(以下,Bが目撃した被告人の犯行状況を「本件不審行動」という。)のみでは,被告人が本件モーターオイルを窃取したとの事実を認めるには足りないというべきである。

したがって,本件が合理的な疑いを差し挟む余地のない程度にまで立証されているか否かは,Bの目撃供述と他の証拠との整合性や目撃時の客観的条件(第3),その他の状況証拠の有無,程度(第4)についての検討を経たうえで,総合的に判断する必要がある。

第3Bの供述と他の証拠との整合性等

1  陳列棚の状況との整合性

(1)  Bは,前記第2の1(3)のとおり「被告人は両手に1本ずつ種類の異なるモーターオイルを持っており,うち1本をジャンパー内に入れるところを目撃したが,もう1本をどうしたかは確認できなかった」旨供述している。

ところで,Bが確認できなかったとするもう1本のモーターオイルについては,Bの供述を前提にする限り(Bは,被告人がモーターオイルコーナーから南に移動したので,自分も移動したと供述しているところ,被告人が陳列棚に戻したと解するのは些か無理がある。),被告人がBに目撃される前に既にジャンパー内に入れていると考えざるを得ない(Bの警察官に対する供述調書にも,同旨の記載がある。)。

(2)  そこで,Bの上記供述内容と本件不審行動後の陳列棚の状況との整合性について検討する。

この点,本件店舗店長であるAの供述によれば,Aは,Bから万引き被害発生の報告を受け,即座にモーターオイルコーナーの陳列棚に向かったこと,その結果,モーターオイル等の商品は,整然と陳列されていたが,カストロールGTXの部分だけが1本へこんだ状態になっていたことが認められる(Aの警察官及び検察官に対する各供述調書にも,同旨の記載があり,その信用性は高いと認められる。)。

ところが,Bの上記(1)の供述内容を前提とすれば,さらにもう1本別の種類のモーターオイルが1本分へこんでいなければならない筈であり,同供述は客観的な事実に反するものといわざるを得ない。

2  目撃時の客観的条件

(1)  Bは,本件目撃当時,万引き検挙などを主目的とした保安業務に従事していたものであり,かつ,目撃場所もホームセンター店舗内という十分な照明の下で,距離約2.6メートルという至近距離から,被告人が本件モーターオイルをジャンパー内に差し入れる様子を観察したものであるから,その信用性に疑いを差し挟む余地はないようにも思える。

(2)  しかしながら,Bは,被告人の本件不審行動を,カー用品売場東側及び南側にT字に設置された陳列棚を隔てて目撃したものであるところ,本件当日撮影された写真によれば,Bと被告人との間を隔てる陳列棚には商品が隙間なく陳列されていることが認められるのであり,いわば陳列棚の隙間越しに目撃したものであるから,必ずしも良好に目撃しうる条件が備わっていたとは言い難い面がある。なお,本件事件から約1年後に撮影された写真は,本件当日の陳列棚の状況と明らかに異なっており,同写真をもって,Bの目撃時の客観的条件が良好であると認めることはできない。

また,Bの前記第2の1(3)の供述に加え,目撃時のBの姿勢をも考慮すれば,Bは,被告人が本件モーターオイルをジャンパー内に差し入れる状況を終始観察していたものではなく,電化コーナー西側通路からカー用品陳列棚東側通路の目撃位置まで移動の後,腰をかがめるなどして初めて,既に半分までジャンパー内に差し入れられていた本件モーターオイルが完全にしまいこまれるまでという瞬間的な場面を観察したに過ぎないから,目撃時間の継続性,目撃対象の可動性という観点に限れば,目撃時の客観的条件は良好でなかったといわざるを得ない。

(3)  この点,本件当日,本件店舗の実況見分調書を作成した警察官Dは,当公判廷において「Bの目撃状況の真偽を確認するため私自身もBが目撃した目線から見通し状況を確認した。実際に警察官を被告人に見立て,犯行状況を再現して見通し状況を確認したところ,Bが言うとおり,被告人の顔,胴体及びモーターオイルが良く見通せた」旨供述しているが,Dは,Bの目撃状況の裏付けという観点から,Bの指示説明に基づき同僚警察官扮する模擬被告人を配置するなどして,予め予測される情景を,写真撮影などと併行しながら十分な時間をかけ慎重に観察したものと推認されるから,Dの上記供述をもって,上記(2)記載の難点を完全に補うことはできない。

(4)  以上のとおり,目撃時の客観的条件に照らし,Bの目撃供述の正確性には,疑問を差し挟む余地があるというべきである。

3  その他

Bは,当公判廷において「被告人は,本件モーターオイルをジャンパー内に入れるやジャンパーのチャックをすぐに上げ,本件モーターオイルが落ちないように,両手をジャンパーのポケットに突っ込んだ」旨供述するが,防犯用ビデオテープに録画された映像(なお,同ビデオテープは再生に特殊の装置を要するところから,検証を実施した。以下「本件ビデオテープの検証結果」という。)によれば,被告人が当初ズボンのポケットに入れていた両手を,その後ジャンパーのポケットに入れ直した状況を認めることができるのであって,Bの目撃供述は,かかる客観的事実とも矛盾している。

第4状況証拠の検討

1  陳列棚の状況等について

(1)  検察官は,被告人の本件不審行動前後のモーターオイルコーナー陳列棚(以下「本件陳列棚」という。)の状況を,被告人が本件モーターオイルを窃取した事実の状況証拠として主張する。

(2)  そこで検討するに,Bは,被告人の本件不審行動を目撃後,一旦店舗区画を出たり,再入店したりする被告人の付近を被告人に気付かれないように追跡していることが認められるが,他方,その間その機会が多々ありながら,かつ,万引き犯人として検挙する上で重要であるにもかかわらず,110番通報やAへの報告を済ませた後に至るまで,本件陳列棚の状況を確認していないことが認められるのであって,Bが被告人の本件不審行動を目撃した直後に2列あるカストロールGTXの1列のうち最前部の1本がへこんだ状態にあった事実が立証されているわけではない。

(3)  もっとも,Aの供述によれば,同人が,Bから「万引きを目撃した。既に110番通報をした」旨の報告を受け,本件陳列棚に行くと,整然と陳列されている商品のうち,2列あるカストロールGTXの1列のうち最前部の1本がへこんだ状態になっており,その時点での同商品の本数が10本であったことを確認したこと,Aがコンピュータで同商品の販売実績を確認した結果,本件当日及びその前日の2日間に同商品が販売されていなかったことが認められる。

なお,Bが被告人の本件不審行動を目撃した時刻は本件当日午後6時39分ころ,Bによる110番通報時刻が同日午後6時49分と認められるから,Aが本件陳列棚の状況を確認した時刻は,早くても同日午後6時50分ころと合理的に推認できる。

(4)  したがって,上記(2)のとおり被告人の本件不審行動の直後ではないとしても,上記(3)のとおり約11分後という比較的短時間のうちに,本件陳列棚の2列あるカストロールGTXの1列のうち最前部の1本がへこんだ状態になっていた事実は認められ,同事実は被告人が本件モーターオイルを窃取した事実を認定する上で,最低限の状況証拠であるということができる。

(5)  ただし,被告人が本件モーターオイルを窃取した事実の状況証拠として本件陳列棚の状況を用いるためには,上記(3)の事実に加え,被告人の本件不審行動よりも前の出来る限り近接した時刻に,本件陳列棚にカストロールGTXが11本存在したこと,あるいは,本数が判明していない場合でも,2列とも最前部まで並べられていた状態にあったこと(いわゆる「前出し」がなされた状態にあったこと)が立証されなければならない。

そこで,この点を検討するに,Aの供述によれば,本件店舗では現実の在庫数を確認するシステムは取られておらず,本件当日にカストロールGTXが11本存在した事実は立証されていない。

次に,カストロールGTXが2列とも最前部まで並べられていた状態にあったといえるかにつき検討するに,Bでさえ,当公判廷において「保安員である自分も店舗に対してのサービスとして,1日に数回前出し作業を行っているが,本件当日の何時ころに行ったのかについては記憶がない」旨供述しているに過ぎず,Aに至っては,当公判廷において「モーターオイル担当の店員Eに前出し作業の実施状況を確認したところ,Eから『犯行前日,閉店時間後に前出しをした』旨の報告を受けた」旨供述しているところであり,いずれにせよ被告人の本件不審行動よりも前の近接した時刻に2列とも最前部まで並べられていた状態にあったという事実の立証は相当不十分なものといわざるを得ない。

(6)  以上に加え①本件当日万引き検挙に当たっていた保安員はB1名のみであったこと,②本件店舗は相当広い売り場面積を有する大手ホームセンターであること,③被告人の本件不審行動後の約8分間,電化コーナー付近に限っても,被告人以外に5名の客の存在が確認でき,本件店舗全体で考えれば相当多数の客が来店していると推認できること(本件ビデオテープの検証結果),④検察官が論告において「一般にカー用品コーナーは特に万引きが多い場所である」旨主張していることを考慮すれば,Bが最後に前出し確認をしてからAが本件陳列棚を確認するまでの間に(なお,Bは,本件当日午前11時から午後7時までの勤務についていたものであり,例えば始業時のほかに3回前出し作業を行ったと仮定すれば,この間隔は約2時間という相当長時間になる。),被告人以外の第三者が本件モーターオイルを窃取したのではないかとの合理的な疑いを払拭することはできない。

(7)  したがって,上記(3)のとおり,被告人の本件不審行動から比較的短時間のうちに,本件陳列棚の本件モーターオイル1本分がへこんでいる状況が確認され,かつ,本件当日に同商品が販売された事実がないといっても,同事実のみで被告人が本件モーターオイルを窃取した犯人であると認定するには,なお根拠が薄弱であるといわざるを得ない。

2  被告人の本件不審行動後の行動等について

(1)  検察官は「Bは,駐車場で本件トラックに乗った被告人に対し,『お客さん,お話があります』,『品物だけでも返しなさい』などと声を掛けており,このように声を掛けられれば,誰であっても店の保安員あるいは従業員から万引きの疑いをかけられていることは分かるのであり,被告人も,その当時,自らが万引きの疑いを掛けられたことは十分承知していたと認められ,仮に被告人が万引きをしていないなら敢えて保安員を無視して,駐車場から本件トラックを急発進させて逃げる必要性は全くなく,常識的に考えれば,自らの身の潔白を晴らすため保安員に抗議してしかるべきであるのに,保安員を無視して逃走した状況をみても,被告人が本件モーターオイルを窃取したことは明らかである」旨主張しているところ,かかる被告人の行動は万引き犯人にありがちな行動として,被告人が本件モーターオイルを窃取した事実を窺わせるものである。

(2)  この点,被告人は「平成13年4月ないし5月ころ,初めて会ったFという女性と男女関係を持ったが,その後トラブルになり,同女から執拗に電話がかかってきていたほか,同女の兄と称する人物からも金を要求されていたところ,本件トラックの助手席ドアを叩くなどした女性がFに似ていたため,逃げることにした。同女は何か話し掛けてきたが,エンジンの音で聞こえなかった」旨供述している。

(3)  そこで検討するに,被告人が,BをFと誤認したという点はいかにも被告人に都合が良く俄に信用し難い面はあるが,他方で①被告人が当時,女性との間でトラブルを起こし,金を要求されていたとの点は,有限会社C代表取締役であるG及び同社における被告人の同僚Hの当公判廷における各供述により部分的に裏付けられていること,②Bが声を掛けた際,本件トラックのエンジンがかかっていた点及び助手席窓ガラスが閉まっていた点は,Bの当公判廷における供述により裏付けられていること,③Bが私服で保安業務に従事していたことなどの事情からすれば,上記(2)の被告人の弁解は一概に否定しきれるものではない。

(4)  ところで,Bの供述を前提とすれば,窃盗犯人である被告人が,窃取した本件モーターオイルを,一旦本件トラックまで置きに戻った後,再入店し,同店舗内を見て回ったということになるが,被告人としては,Bが被告人から視線を逸らし続けていたという事実を知りようがない以上,再入店している間に,窃取した本件モーターオイルを保安員や店員に発見され犯人として検挙される危険を覚悟しなければならず,にもかかわらず再入店するというのは,窃盗犯人の犯行後の行動として,不自然であるといわなければならない。

これに対し,Bは,被告人が再入店した理由について「被告人は,自分が盗んだところを見られていないかどうか確認するために戻ってきたものと思った」旨供述するが,保安員が万引き犯人の犯行を現認すれば,遅くとも車に戻るまでに声を掛けるのが経験則上通常といえるから,被告人が万引きを行った後,保安員に声を掛けられることもなく,無事,本件トラックまで戻ることができた以上,さらに保安員に目撃されているかを確認するために店内に戻るという危険な行動を取るのは無用のことであり,Bの上記推測は不合理というほかない。

また,検察官は「本件トラックのエンジンがかかったままの状態であったことからすれば,被告人は不測の事態が生じた場合,すぐに逃走できるようにした上で,何か別の物を盗む目的で再入店したものにほかならない」旨主張するが,実際に被告人が再入店した際の行動を目撃していたBによっても被告人が万引きないし万引きの素振りを示したことは窺えず,経験則上も本件モーターオイル程度の大きさの商品を万引きしたに過ぎない被告人が,さらに別の商品を万引きする準備として同商品を駐車場に停めた本件トラックまで一旦置きに戻ることが自然であるとは言い難い。

(5)  そうすると,被告人の本件不審行動後の行動は,被告人が本件モーターオイルを窃取した事実を認定する状況証拠として,なお薄弱であるというべきである。

3  防犯用ビデオテープについて

(1)  検察官は,本件ビデオテープに録画されている映像について「被告人が本件不審行動後,店舗内を徘徊している場面では,ジャンパーの腹部分が膨らんでいるが,これは,被告人が,本件モーターオイルを隠しているためである。また,2度目に入店した場面では,ジャンパーのチャックが下がっていて腹部分の膨らみがなくなっているが,これは,被告人が一旦店外に出て本件トラックに戻った際,本件モーターオイルを置いてきたものである」旨主張する。

(2)  しかし,検察官の上記主張の根拠は,上記映像を見た検察官の印象の域を出るものではない。

そして,当公判廷においても,本件ビデオテープの検証に加え,被告人が本件時に着用していたジャンパーを同人に着用させた上で,本件モーターオイルと同一商品を同ジャンパー内に入れた状況等の検証を実施しているところ,弁護人は「本件店舗内の天井付近に設置された監視カメラの映像は不鮮明であり,被撮影者の位置,体の角度によっても映像の結果に差異を生じている」,「実際に本件モーターオイルと同一商品を入れた場合でも,入れない場合と比較してジャンパーの膨らみに大きな違いは生じておらず,本件ビデオテープにより映された膨らみから,被告人がジャンパー内に本件モーターオイルを隠していたと断定することはできない」旨主張し,被告人は「防犯ビデオテープの映像では胸部から腹部にかけて膨らんでいるところ,本件モータオイルを入れても腹部しか膨らんでおらず,膨らみ方に明らかな差がある」旨供述しているところであり,いずれも検察官の上記印象とは相容れない内容である。

(3)  そこで検討するに,本件ビデオテープの映像は相当不鮮明である上,腹部の膨らみの有無を最も判別しやすい被告人を横方向から映した映像を比較しても,1度目の入店時と再入店時とで顕著な差違を見出し難い。

結局,同映像は,被告人が1度目に本件店舗から出るまでの間,そのジャンパー内に本件モーターオイルが入っていたという事実の立証に用いるには不十分であり,せいぜい被告人が1度目に本件店舗から出るまでの間はジャンパーのチャックを上げており,再入店した際には同チャックが下げられていたとの事実を立証するに過ぎない。

ところで,被告人は,当公判廷において「仕事でかいた汗が冷えて寒く感じたので,タオルを首に巻いて,チャックを上げて,入店した。財布を忘れたので,一旦店外に出て本件トラックに戻った際,店内で体を動かし温まったので,タオルを助手席に置いて,チャックを真ん中位まで下げた」旨供述しており,捜査段階でも同趣旨の供述をしている。

かかる被告人の供述内容は,不自然,不合理であるとはいえず,虚偽の弁解として排斥する根拠もない。

(4)  そうすると,本件ビデオテープの映像も,被告人が本件モーターオイルを万引きしたと認定する状況証拠として,なお薄弱であるというべきである。

4  被告人の犯行動機等について

(1)  検察官は「①被告人がスズキアルトをGから譲り受ける際,『エンジンオイルを交換したほうがいいんじゃないか』と勧められていること,②Hが,被告人から『エンジンオイルを交換するのにどこかいいところあるかな』と尋ねられた旨証言していることなどを理由に,被告人には本件前,エンジンオイルを交換するためモーターオイルを必要としていた動機がある」旨主張する。

(2)  この点,被告人自身が,当公判廷において「エンジンオイルを交換しようと思っており,H及び同じく被告人の同僚であるIに『どこかいいところ,ありませんか』と尋ねたことはある」旨供述しているところであるが,怨恨に基づく殺人事件などと対比してみれば明らかなように,モーターオイルの万引きという一般的にまま起こり得る事件において(検察官自身が論告において「一般にカー用品コーナーは特に万引きが多い場所である」旨主張していることは前記のとおりである。),被告人に犯行動機があったからといって,本件の犯人が被告人であるとする根拠としては甚だ薄弱であり,犯行動機が有罪立証に寄与する程度は小さいというべきである。

(3)  ところで,検察官は,上記(1)①,②に加え,③H及びIがそれぞれ,当公判廷において「被告人から『エンジンオイルを交換した』旨聞いた」と供述していること,④被告人が「平成13年11月ころからアルトをIに貸していた」旨供述していることなどを根拠に,「被告人は,アルトを安全に走行させるためには,早期にエンジンオイルを交換する必要があった上,その事実をGや同僚らが知っていたことから,同人らに対する体面上も,エンジンオイルを交換すべき必要性に迫られていた。被告人が,H及びIに対し,本件犯行の前,『エンジンオイルを交換した』旨述べたのは,被告人が,Gからエンジンオイルを交換したほうが良い旨言われて,そのことを気にしていた状況にあったと見られ,ただ,被告人は,Iにアルトを貸していたので,被告人自らの負担でエンジンオイルを交換するのも割が合わないと考え,エンジンオイル代を浮かすため本件犯行を計画的に実行しようとしたものである」旨主張している。

しかしながら,上記③に関し,被告人とH及びIとの会話はいずれも雑談の域を出ないものであり,被告人が事実の経過を正確に説明しなければならない性質のものではなく,現にH及びIの各供述には,被告人からエンジンオイルを交換したと聞いた時期について大幅な食い違いがあることが認められる。そして,仮にIが供述するように,本件の1か月近く前(Iが被告人から聞いたとする時期には幅があるが,その供述の趣旨からすれば1か月近く前である可能性も否定できない。)に,被告人が「エンジンオイルを交換してきた」と告げていると仮定すれば,被告人は,価格258円のモーターオイル1本を窃取するために,1か月近く前から計画を練ってきたということになるが,これは前記有限会社Cのトラック運転手として毎月手取り28万円ないし30万円程度の収入を得ていた被告人の行動として甚だ不合理といわざるを得ない。

(4)  そうすると,被告人の犯行動機等もまた,被告人が本件モーターオイルを窃取した事実を認定する状況証拠として,薄弱であるというべきである。

5  上記1ないし4に検討したとおり,検察官が主張する本件の状況証拠はいずれも薄弱であり,個々的にはもとよりその積み重ねをもってしても,前述のとおり信用性に疑いが残るBの目撃供述を補って,被告人が本件モーターオイルを窃取した事実を推認させるには至らないというべきである。

第5小括

以上を総合すれば,本件公訴事実の直接証拠たるBの供述については,その内容自体一貫性を欠くばかりか不可解な点があり(第2),さらに客観的証拠と矛盾する点がある上,目撃時の客観的条件にも難点があること(第3),その他の状況証拠については,これらを積み重ねても被告人が本件モーターオイルを窃取したとまでは断定するに至らないこと(第4)から,結局本件公訴事実については,「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い,犯罪の証明がないことに帰着するものというべきである。

第6被告人の弁解内容について

1  被告人は,当公判廷において次のとおり供述をする。

(1)  延長コードを確認・購入しようと仕事帰りに本件店舗に立ち寄り,南側駐車場に本件トラックを停めた。仕事で汗をかいていたので,表に出ても寒くないようにタオルを首に巻いた。

(2)  本件店舗に入り,モーターオイルコーナーの向かい側の陳列棚でインバーターを手に取ったりした後,電化コーナーに向かい,延長コードを手に取ったりしたが,財布を忘れたことに気付き,一旦本件トラックに取りに戻った。

(3)  本件トラックに戻った際,体を動かし温まったので,タオルを本件トラックに置くとともに,ジャンパーのチャックを下げた。

(4)  再入店し,電化コーナーで延長コードを見てまわった。再入店する際,入口で,40歳代の女性が目に入り,以前一夜限りの交際をしたFという女性に似ていたので気になっていたが,電化コーナーでもその女性と行き会った。その女性は自分から逃げるように携帯電話を持ってしゃべり始めた。

(5)  本件店舗を出て,本件トラックに乗り込むと,先程の女性が助手席外で手をあげる仕草をしているのに気付いた。話し掛けられたが,エンジン音で聞き取れなかった。

Fからしつこく電話をかけられていたほか,同女の兄と称するヤクザ者からも手切れ金を要求され10万円を支払ったことがあったところ,追い掛けてきた女性をFだと思い,怖くなって逃げた。

なお,本件トラックを発進させると,その女性は追い掛けてきたが,本件トラックの前に立ちはだかるようなことはなかった。

2  上記被告人の供述は,その内容自体が不合理といえない上,被告人は捜査段階から一貫して上記内容と同趣旨の供述をしている。

また,被告人の供述内容は,被告人の本件不審行動やBが本件トラックの前に立ちはだかったとする点に関するBの供述部分を別とすれば,関係証拠と矛盾する点は少ない。例えば,被告人が確認・購入しようとしたとする延長コードは,本件店舗電化コーナー28番通路の陳列棚において販売されているところ,本件ビデオテープの検証結果によれば,再入店した被告人は同陳列棚近辺を中心に見て回っている事実が認められる。

3  検察官は「通常買い物をするのに財布をトラックの中に置き忘れてくるというのは不合理である」などと被告人の捜査段階,当公判廷における供述について,矛盾が多く不合理で信用し難い旨主張するが,被告人の供述には,上記2のとおり,その信用性を担保する事情もまた存在するのであって,排斥するにたる客観的な根拠に乏しい本件においては,一概に虚偽ということはできない。

第7結論

以上のとおりであって,本件公訴事実については犯罪の証明がないことから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 安田大二郎)

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