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横浜地方裁判所 平成元年(モ)1198号 判決 1991年8月01日

債権者

林俊徳

右訴訟代理人弁護士

宇野峰雪

鵜飼良昭

野村和造

福田護

岡部玲子

債務者

右代表者法務大臣

佐藤恵

右指定代理人

堀内明

井上邦夫

添田稔

越智敏夫

毛利深雪

西尾光行

板井敦雄

山田喜隆

石渡正次郎

福田忠雄

後藤登

主文

一  債権者と債務者との間の当庁昭和六一年ヨ第五七二号地位保全等仮処分申請事件について、当裁判所が昭和六二年一月五日にした仮処分決定の主文第一項及び第三項の裁判並びに昭和六三年ヨ第五五〇号賃金仮払仮処分申請事件について、当裁判所が平成元年一月二七日にした仮処分決定の主文第一項及び第三項の裁判は、いずれもこれを取り消す。

二  右取消しにかかる部分の仮処分申請を却下する。

三  訴訟費用は債権者の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

当事者の求めた裁判

一  債権者

1  債権者と債務者との間の横浜地方裁判所昭和六一年ヨ第五七二号地位保全等仮処分申請事件について、同裁判所が昭和六二年一月五日にした仮処分決定の主文第一項及び第三項の裁判並びに昭和六三年ヨ五五〇号賃金仮払仮処分申請事件について、同裁判所が平成元年一月二七日にした仮処分決定の主文第一項及び第三項の裁判は、いずれもこれを認可する。

2  訴訟費用は債務者の負担とする。

二  債務者

主文同旨

当事者の主張

第一申請の理由

一 債務者は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定に従い、日本国とアメリカ合衆国の間の基本労務契約(以下「MLC」という。)によって労働者を雇用し、その労働者を米軍施設等に提供している。

2 債権者は、昭和五六年八月三日、債務者に雇用され、当初米海軍横須賀基地施設本部(以下「PWC」という。)に配属されたが、昭和五八年三月一日横須賀米海軍基地艦船修理廠(以下「SRF」という。)に移り、以後ここに在籍してきた。

3(一) 債権者は、昭和六一年一月一四日、債務者の代理者である横須賀渉外労務管理事務所長からMLC第一〇章3dの規定により不適格解雇の通知を受けた。

解雇の理由は概ね次のとおりである。過去四年三か月に、債権者は、職場、工場及びその他の職場の監督者や従業員によりたびたび忠告、助言を受けたにもかかわらず、最小限度の作業上の必要条件に見合うだけの作業成績を満足に達成することができず、また、債権者に割り当てられたすべての仕事に債権者の能力及び潜在的能力を発揮できなかった。債権者の継続した勤務は、作業能率と同僚の士気に重大な悪影響を与えるものである。さらに債権者の能力、知識及び技能に相応する職務は当海軍基地では皆無である。

(二) しかし、右解雇は、解雇理由を欠くものであって無効である。債権者は、監督者に不当な差別を受け、解雇に追い込まれたものである。

4 債権者の賃金は解雇当時一か月当り二三万三七〇六円であり、その支給日は翌月の一〇日であった。

5 債権者の受けるべき基本給は、昭和六一年一月から同年九月までは一九万一八〇〇円、同年一〇月から同年一二月までは一九万九六〇〇円、昭和六二年一月から同年九月までは二〇万四二〇〇円、同年一〇月からは二一万二〇〇〇円であり、扶養手当は毎月一万三二〇〇円、調整手当は基本給に扶養手当を加えた額の〇・〇九倍であり、年度末手当、夏季手当、年末手当は基本給に調整手当及び扶養手当を加えた額のそれぞれ〇・五倍、一・九倍、二・五倍である。したがって、昭和六一年三月から昭和六三年六月までに支給されるべき年度末手当、夏期手当、年末手当は、昭和六一年三月の年度末手当が一一万一七二五円、昭和六一年六月の夏期手当が四二万四五五五円、昭和六一年一二月の年末手当が五七万九八八〇円、昭和六二年三月の年度末手当が一一万八四八三円、昭和六二年六月の夏期手当が四五万〇二三五円、昭和六二年一二月の年末手当が六一万三六七〇円、昭和六三年三月の年度末手当が一二万二七三四円、昭和六三年六月の夏期手当が四六万六三八九円であり、その合計は二八八万七六七一円である。

二 債権者は、妻と二人で生活しており、その生活は債務者から支給される賃金によって支えられているので、仮処分により賃金の仮払を受ける必要がある。さらに、債権者の一か月の生活費は三〇万円を要し、仮払の賃金だけでは生活費を賄うに足りず、預金はなく、借金は限度にきていることから、昭和六一年三月から昭和六三年六月までに支給されるべき年度末手当、夏期手当、年末手当の仮払を受ける必要がある。

三  したがって、本件仮処分決定は正当なのでその認可を求める。

第二申請の理由に対する認否

一 申請の理由一の1、2、3(一)、4記載の各事実、5記載の事実中年度末手当、夏期手当、年末手当が基本給に調整手当及び扶養手当を加えた額のそれぞれ〇・五倍、一・九倍、二・五倍であることは認め、その余は否認する。

二 同二記載の事実は知らない。

第三抗弁

一 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第一二条第四項によれば、「現地の労務に対する合衆国軍隊及び第十五条に定める諸機関の需要は、日本国の当局の援助を得て充足される」こととされており、これを受けて日本国とアメリカ合衆国の間でMLCが締結され、右MLC主文第八条a(1)で、MLCに基づいてアメリカ合衆国軍隊に提供される従業員については、日本国政府が雇用主として人事措置を実施する旨定められている。

右従業員の勤務条件は、日本国との平和条約の効力の発生及び日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の実施等に伴い国家公務員法等の一部を改正する等の法律第九条により、防衛施設庁長官が定めるものとされ、これを受けて、同長官は、勤務条件をMLCの勤務条件に関する部分によると定めて、これを就業規則として届け出ている。債権者は、これらの規定に基づいて債務者に雇用されていた者である。

二1 MLCは、第二章1kにおいて雇用の終了理由として不適格を規定した上、第一〇章3dにおいて「不適格な従業員の雇用は、その者が不適格であると決定された場合に、米国側の要求に基づいて解除されるものとする。」との規定を置いている。そして、MLC第一〇章4aは、常用従業員が最小限度の職務上の要求を満たさないため不適格であると認められた場合の解雇の予備措置として、米国側がその従業員に忠告し、その者の成績を向上させるため援助を与える計画を立てること、この計画を実行した後もなおその者が十分に職務を遂行できない場合において、同国側がその者の能力に相応する職務が得られるか否かを確認し、得られる場合には、その者の同意を得た上その職務に配置すること、配置したにもかかわらず、従業員が十分にその職務を遂行することができず、かつ、その能力に相応した職務が得られない場合には不適格解雇の手続を進めることができることを規定している。

2 米海軍横須賀基地では、職務は職種により詳細に分類され、等級が付けられている。従業員はそれぞれの職位ごとにその職務をなすものとして採用され、一旦採用された者は、原則として、他の職位に再度応募し、採用されない限り、他の職務を行うことはできない。逆に言えば、従業員は、採用された職位の職務内容を遂行できる能力が要求されている。したがって、採用された職位において不適格と認められた場合には、MLC第一〇章4aに規定された不適格解雇の予備措置がとられ、所定の結果が得られない場合には、不適格解雇がなされることになる。

三 債権者は、昭和五六年八月三日、PWC技術部電気課にエンジニアリング専門職(電気、六等級)として採用された。PWC技術部電気課の任務は、日本国内にあるすべての米海軍基地内施設の電気工事の設計及び製図である。債権者のように六等級の場合、通常の困難性を伴う種々の工学技術的作業を単独及び技術補佐として行い、以前に行われた類似の設計を採用または準用して遂行することのできる能力が求められる。また、電気課での仕事は、技術部内の他の課ばかりでなく、発注者である他の部隊の業務に支障をきたさないようにするため、完成予定時間を厳守することが要求されている。そして、当然のことながら勤務時間中人並みに意欲をもって勤務に専念する態度が要請される。ところが、債権者は、電気に関する基礎的知識の不足、仕事に対する理解力や事務処理能力の欠如、予定完成期間及び予定完成時間に対する無頓着の故に、技術的に低い等級に該当する簡単な仕事でも予定完成期間ないし予定完成時間を超過しなければ完成できず、しかも完成した仕事には誤りが極めて多かった。また、自分のわからない点について上司の指導や同僚の助言を仰ごうとせず、勤務への意欲を欠き、さらには、洗面所で長時間手や髪を洗っていたり、自分の席で天井や自分の指を見つめたまま仕事をせずに長時間過ごすなど、勤務に専念する態度に欠けていた。そこで、債権者は、六等級の仕事を遂行する能力、完成予定時間内に仕事を完了し得る能力、勤務意欲及び勤務専念態度のいずれの点でも職務上の最小限度の要求を満たさず、PWC技術部電気課のエンジニアリング専門職(電気、六等級)として不適格であると判断された。

昭和五七年四月頃、債権者の監督者は、MLC第一〇章4aに定められた解雇の予備措置の一環として、不適格と認められた従業員に忠告しその者の成績を向上させるための援助を与える計画を実行するため、債権者に対して、技術部長が債権者の仕事ぶりについて不満を抱いている旨を伝え、もっと机に向かって仕事をするよう忠告するとともに、設計事務所が作成した図面を修正する作業を与えた。これは、監督者がブループリント上の誤りの箇所を赤ペンで訂正し、それに従って債権者が図面を修正する作業であり、それまでとは異なり細かな指示を受けることなくこの仕事をすることによって、債権者が努力し、勉強し、仕事に興味をもつようになることが目標とされた。しかし、債権者はこの作業に余り興味をもたず、監督者の目標は達成できなかった。その後も、債権者には一向に進歩がみられなかった。

債権者の成績を向上させるため援助を与える計画を実行した後もなお債権者が十分に職務を遂行できなかったので、債権者の監督者は、MLC第一〇章4aの解雇の予備措置の一環として、債権者の能力に相応する職務が得られるか否かを確認し、得られる場合には、債権者の同意を得た上債権者をその職務に配置することにした。

そして、債権者の能力に相応すると思われる五等級の職種がSRF企画見積部工事企画課電気工事企画係の生産専門職に得られたので、昭和五八年三月一日、債権者の任意の同意を得た上で債権者をその職種に配置する措置をとった。

四 SRF企画見積部工事企画課電気工事企画係の生産専門職(電気、五等級)には、電気工事に関し、繰り返し行われる定型的な仕事及び大型プロジェクトの部分を含む仕事の作業計画を立案し、作業指示書、作業見積、材料注文に関する書類等の作成を行う能力が要求される。また、PWCにおけると同様に、完成予定時間を厳守すること、勤務時間中人並みに意欲をもって勤務に専念することが要求される。ところが、債権者は、PWCにおけると同様に、技術的に低い等級に該当する簡単な仕事でも予定完成期間ないし予定完成時間を超過しなければ完成できず、完成した仕事には誤りが極めて多く、勤務への積極的意欲に乏しく、勤務に専念する態度にも欠けていた。そこで、債権者は、SRF企画見積部工事企画課電気工事企画係の生産専門職としても不適格であるとされた。

昭和五九年五月、債権者は研修のため電気工事(X―五一)に派遣されたが、仕事に対しては消極的で、同僚との協調性に欠け、研修の成果が上がらないとされ、同工場の研修は同年一〇月で終了した。

同年一一月、債権者は動力工場(X―九九)に研修のために派遣されたが、ここでも研修の成果は上がらず、債権者が同月二六日から同月二九日まで及び同年一二月四日から同月二六日まで、下顎骨切除手術のために病気休暇をとったので、X―九九工場の研修は同月終了することになり、債権者は電気工事企画係に戻った。

五 債権者の監督者は、最終的に債権者の能力に相応した職務が得られるかどうかを確かめるために、昭和六〇年四月、債権者をSRF設計部ウオーターフロントセクションに配属した。ここでの職務は、鑑船の修理工事中に設計変更の必要が生じたときに解決方法を決定し、処理するものであって、各工学分野について専門家レベルのことは必要とされていないが、現場の作業が遅れることのないよう、迅速、正確に作業を行うことが要求される。債権者にはごく小さな初歩的な仕事が与えられ、設計の変更方法、部品の材質等について細かい指示が与えられた。しかし、債権者は、仕事に時間がかかり期限に間に合わないことがたびたびあり、しかも仕事に誤りが多く、自らの専門である電気の分野の仕事ですら満足にできなかった。債権者に対しては、再三改善のための指導、助言がなされたが、効果がなかった。

六 以上の過程を経て、米国側は、米海軍横須賀基地内に債権者の能力に相応する職務は得られないと判断した。そして、債権者は、MLC第一〇章3dの不適格従業員とされ、債務者の代理者である神奈川県横須賀渉外労務管理事務所長は、昭和六一年一月一四日、MLC第一〇章4所定の手続を経て債権者を解雇した。

第四抗弁に対する認否

一 抗弁一記載の事実は認める。

二 1 同二1記載の事実のうち、MLCが、第二章1kにおいて雇用の終了理由として不適格を規定した上、第一〇章3dにおいて「不適格な従業員の雇用はその者が不適格であると決定された場合に、米国側の要求に基づいて解除されるものとする。」との規定を置いていることは認め、その余は否認する。

MLC第一〇章4aは、常用従業員が最小限度の職務上の要求を満たさないため不適格であると認められた場合に、米国側がその従業員に忠告し、その者の成績を向上させるため援助を与える計画を立て、この計画を実行した後もなおその者が十分に職務を遂行できない場合において、同国側がその者の能力に相応する職務が得られるか否かを確認し、得られる場合に、その者の同意を得た上その者を職務に配置したときには、それ以上解雇の手続をとらない趣旨である。したがって、不適格を理由とする解雇が有効か否かを判断するに当っては、従業員が最後に配置された職務において不適格かどうか、その者の成績を向上させるため援助を与える計画を実行した後もなおその者が十分に職務を遂行できないか及びその者の能力に相応する職務が他に得られなかったかを判断すべきである。

2 同二2記載の事実は認める。

三 同三記載の事実のうち、債権者が昭和五六年八月三日PWC技術部電気課にエンジニアリング専門職(電気、六等級)として採用されたこと、PWC技術部電気課の任務は、日本国内にあるすべての米海軍基地内施設の電気工事の設計及び製図であること、昭和五八年三月一日、債権者はSRF企画見積部工事企画課電気工事企画係の生産専門職(五等級)に採用されたことは認め、その余は否認する。

四 同四記載の事実のうち、SRF企画見積部工事企画課電気工事企画係の仕事に作業指示書の作成があること、昭和五九年五月から一〇月まで債権者が研修のため電気工場(X―五一)に派遣されたこと、同年一一月債権者が動力工場(X―九九)に研修のために派遣されたことは認め、その余は否認する。

五 同五記載の事実のうち、昭和六〇年四月債権者がSRF設計部ウオーターフロントセクションに配属されたことは認め、その余は否認する。

六 同六記載の事実のうち、債権者が昭和六一年一月一四日解雇の通知を受けたことは認め、その余は否認する。

証拠関係

本件訴訟記録中の書証目録の記載を引用する(略)。

理由

一  申請の理由一の1、2、3の(一)記載の事実は当事者間に争いがなく、抗弁一記載の事実、MLCが、第二章1kにおいて雇用の終了理由として不適格を規定した上、第一〇章3dにおいて「不適格な従業員の雇用はその者が不適格であると決定された場合に、米国側の要求に基づいて解除されるものとする。」との規定を置いていること及び抗弁二2記載の事実も当事者間に争いがない。

二  いずれも成立に争いのない(証拠略)よれば、以下の事実が一応認められる。

(PWC技術部電気課在職時の勤務状況)

1  PWC技術部電気課の技術者の仕事は、日本国内にあるすべての米海軍基地内施設の電気工事の設計及びその製図である。設計図及び書類はすべて英語で作成し、電気設備に関する規則や規格等は米国及び米海軍の方式に従っている。電気設備の設計は、単純なものから複雑なものまである。

PWC技術部の仕事の流れは、PWC技術部管理課が、日本国内にある米海軍基地内の各部隊付技術士官から業務要求を受けて、技術部内の関係各課の技術者の現在進行中の業務及び予定表等を検討し、担当課及び関係各課名、それぞれにおける担当者、業務の開始予定月日、業務の完成予定月日、各担当者の作業予定時間等を記載した部内指令書(オーダー)を作成して、それを担当課長に回付し、それが担当課長から関係各課長に回付される。電気課が担当課または関係課である場合、電気課長がオーダーを受領し、管理課から指名を受けた電気課所属の技術者に、オーダーに従って仕事を遂行するよう指示し、当該技術者が仕事を完成して電気課長に提出する。

債権者のような六等級のエンジニアリング専門職に職業上要求される能力は、MLC附表Ⅰ職務定義書記載の内容をPWC技術部電気課について具体化したMLC/IHA POSITION DE-SCRIPTION(諸機関労務協約職務記述書)の項目9により、単独あるいは技術補佐として、独創を要しないが通常の困難性を伴う種々の工学技術的作業を、先例となる作業を参考にして完成することのできる能力が求められる。MLC/IHA POSITION DE-SCRIPTION(諸機関労務協約職務記述書)に記載されている四等級、五等級の各職務に要求される能力と比較すると、その違いは明らかである。すなわち、四等級の場合は、補助職として、基本原則と実務上の慣行を適用すれば直ちに解決できる簡単な技術的作業を行い得る能力が、五等級の場合は、専門職ではあっても、困難なまたは例外的特徴を含まない種々の技術作業を行い得る能力がそれぞれ要求されるに留まるものだが、六等級の場合は、一人前の技師として、非定型的な困難性を有する仕事は除かれるものの、定型的で通常の困難性を有する技術的作業を遂行し得る能力が求められる。

ところで、PWC技術部電気課における仕事は、発注者である各部隊の施設利用計画に重大なる支障を与えないためにも、また技術部全体の仕事のローテーションを狂わせないようにするためにも、完成予定時間内に仕事を完了し得ることが、この職務に最小限要求される。PWC技術部電気課における仕事の完成期限としては、発注者である各部隊からの業務要求書に記載された完成予定日と、オーダー所定の完成予定期間及び完成予定時間がある。そして、作業担当者がオーダー内容を変更しなければならないことがあり、また、特に急ぐ仕事が割り込んでくる場合があるので、ゆとりを持たせるために、オーダー所定の完成予定期間は、業務要求書に記載された完成予定日よりも若干早めてある。作業の完成予定期日及び時間は、作業の優先順位(緊急度)に基づき、次のように決められる。すなわち、発注者である各部隊からの業務要求にはプロジェクトの優先順位(緊急度)が示されており、技術部が受理した業務要求は、当該要求に示された優先順位に基づいて作業の完成期日が設定される。

優先順位にはいくつかの段階があり、優先順位「A」は直ちに応答を要する最も緊急度の高いもので、優先順位「4」は完成期日を特に急ぐことを要しない緊急度の低いものである(ただし、優先順位「4」においても完成予定期日は一応定められていた。)。債権者がPWC在籍当時、優先順位「4」の作業は、技術部が業務要求を受理した後、通常二、三ケ月以内に作業を完成させていた。発注者の各部隊は、優先順位「4」を付した業務要求は、比較的スローテンポで進められることを承知しており、発注者自身が優先順位をコントロールしていた。

所定の期限に間に合わない、いわゆる「遅延作業」は、次のような問題とその影響を惹起する。すなわち、発注者である各部隊からの業務要求に係る完成予定日内に完成することができないと、当該部隊の施設利用計画に重大な障害を与え、ひいては米軍の任務にも悪影響を与えかねず、作業遅延が頻発すれば、技術部はもとよりPWC全体に対する信頼を失墜することにもなる。また、仮に業務要求書に記載された完成予定日内に仕事を完成させたとしても、オーダー所定の完成予定期間及び完成予定時間内に完成することができないと、オーダーが関係各課にまたがって出されている場合には他の関係課に迷惑を掛けることになるし、技術部管理課がオーダーを作成するときには、電気課の他の技術者の仕事を勘案して仕事を割り当てているので、ある技術者が仕事を遅滞していると、その他の仕事は他の技術者に割り当てざるを得ないことになるが、他の技術者の支援にはおのずから限界があるので、全体として仕事の停滞を招き、技術部全体の仕事のローテーションを狂わせることになりかねない。したがって、オーダー所定の完成予定期日及び完成予定時間は厳守することが要求される。

2  債権者は、昭和五六年七月頃、PWC技術部電気課が募集していたエンジニアリング専門職(電気)に応募し、当時の技術部士官ニールセンと技術部電気課長宮内富久麿が面接の上、債権者の採用を決定した。募集広告には、職務として、単独あるいは技術補佐として、独創を要しないのが通常の困難性を伴う種々の工学技術的作業を、先例となる作業を参考にして完成することのできる能力が求められていることが記載されており、そのような能力を必要とすることを採用時の面接の際にも債権者に話したので、このことは債権者も承知していたし、規則や規格書が英語で記述されていることも採用時の面接の際に話したので、それについても債権者は承知していた。電気課での仕事は電気に関する基礎的知識や理解能力があればでき、また設計図や図面等は英語で作成する上、電気設備の規則や規格等は米国や米海軍の方式に従って行われるので、英語が少しできると上達が早いのであるが、債権者は、大学の理学部電気工学科卒業であり、英語を読んだり話したりすることが少しできたので、普通の新規採用者よりも仕事を習得する上で進歩が早いと考えられ、エンジニアリング専門職(電気)の六等級として採用された。

3  債権者は、昭和五六年八月三日から電気課で勤務を始めた。当初二か月間は、米国及び米海軍の電気施設に関する規則や規格を仕事に使えるようにし、職場環境に早く慣れるために、仕事に直結した職場内訓練として、製図文字の練習や線引き等の技術養成の範囲に留まる、四等級程度で作業時間が八時間から一六時間の簡単な技術的作業を与えられた。作業を始めるに当っては、宮内課長が債権者に対し、オーダー記載事項の読み方、作業内容、作業期間、作業時間などについて説明し、具体的な作業内容についても、規格書の該当部分の記述内容を説明し、必要な手続事項を教え、スケッチなども作成して債権者に与え、完成した図面については、内容を検討し、誤りの箇所を訂正させ、先輩が完成したものを参考として提示した。

しかし、債権者は、初歩から教育、指導したにもかかわらず、ごく簡単な作業にもかなりの時間がかかり、成果はなかなか上がらなかった。

4  債権者は、採用後二か月の訓練終了後も依然として六等級の職務を満足に遂行できない状態であった。そこで、低い等級(三等級ないし四等級)の職務に相当する簡単な仕事を、比較的少なく与えざるを得なかった。

訓練終了後も、宮内課長は、債権者が具体的な仕事をするに当って、技術に関する指導はもちろん、仕事に関係する規則や規格書を与えて必要事項の記入箇所を示す、あるいは、既存の図面で参考になるものを指摘する等の指導をした。また、電気課の仕事においては図面が非常に重要な位置を占めるが、必要な図面は、青図や原図を保管する図面管理者に申し出れば直ちに見ることができ、しかも、図面管理者は、電気課の建物から一〇メートル程の距離にある建物に勤務していたのであるから、債権者は、必要な図面があれば直ちにそれを見ることができたはずで、この点でも、債権者は、仕事をする意欲さえあれば、かえって仕事をしやすい環境にあったということができる。しかし、債権者は仕事に時間がかかり、完成した仕事には誤りが多かった。

5  PWC在籍中債権者に割り当てられた作業件数及びその仕事内容は、別紙表一(略)のとおりである。同表は、債権者の全就業期間を昭和五六年八月から昭和五七年一月までの六か月間(以下「就業前期」という。)とその後の同年二月から同年一一月までの一〇か月間(以下「就業後期」という。)とに分け、債権者に割り当てられた仕事件数を債権者が実際に行った仕事内容の種類に従って、基本計画書作成、工事業者入札用設計図面作成、技術報告書作成、工事見積書作成等の設計業務に関する作業(以下「設計作業」という。)、他の技術者の業務を補佐する補佐業務に関する作業(以下「補佐作業」という。)、設計図書の検査変更、設計変更図書の作成及び工事完成図面による原図訂正等の図面変更に関する作業(以下「図面変更」という。)、訓練としての訓練雑務作業(以下「訓練雑用」という。)の四種類に分類して表示したものである。

別紙表一(略)によって作業件数を分析した結果は次のとおりである。すなわち、同表の設計業務に関する作業件数は総件数一九件であるが、同表(注1)及び(注2)で指摘した諸々の事情等で債権者が着手または完成しなかった作業が八件あるので、債権者が実際に完成した設計業務に関する作業は一一件である。しかも、これら一一件の作業は、いずれも予定完成時間が八時間から二四時間までの簡単な作業であるにもかかわらず、一件(昭和五七年一一月に割り当てたオーダー番号八六五二一には予定完成時間の記載はない。)を除き、すべて予定完成時間を超えて完成している。前記一一件のうち六件は予定完成時間を大幅に超過し、この六件のうちの三件は割り当てられた月に完成できず、翌月に繰り越し、またもう一件は再度翌月に繰り越し、通算三か月かけて完成している。前掲の各作業の種類別件数を合計し、就業前期及び就業後期のそれぞれの合計件数を各月数で割ると、就業前期の作業割当件数は月平均四・二件であり、就業後期では月平均三・五件である。なお、これらの総件数の中には、前記のとおり他の技術者に移された作業や途中で中止となった作業の件数も含まれているので、完成までに実質的な労働を要した作業の月平均割当件数は、右の件数を下回っている。

したがって、債権者に対する作業割当件数は少ないものであり、月平均作業割当件数からみて、債権者への作業割当件数は、漸次減少傾向にあった。

次に、就業前期と就業後期における作業割当件数を前記種類別に分類比較すると次のとおりである。すなわち、設計業務作業については、就業前期の一〇件(実質的には五件)が、就業後期には九件(実質的には六件)となり、これらを該当する期間の月数で割ると、月平均作業件数は就業前期では一・六件(実質的には〇・八件)、就業後期では〇・九件(実質的には〇・六件)と減少している。補佐業務作業については、就業前期の七件が就業後期には六件(ただし、同一作業が八月から一〇月まで三ケ月間継続して行われている。)となっている。図面変更作業(この作業は指示されたとおりに図面の変更や訂正等を行う技術的には簡単な、等級で言えば三等級のドラフトマンの職務に相当する。)は就業前期に一件から就業後期には一〇件(ただし、同一作業が八月から一〇月まで三か月間継続して行われている。)に急増し、訓練雑務作業も就業前期の七件から就業後期には一〇件に増加した。設計業務作業は、就業前期の六か月間に合計一〇件が割り当てられているが、前記のとおり中止になった作業が四件、途中で他の技術者に移された作業が一件あり、この五件を差し引くと実質的には五件に過ぎず、就業前期の月平均作業割当件数を算出すると、一件にも満たない。就業後期の一〇月間では設計業務作業は合計九件が割り当てられているが、前記のとおり途中で中止になった作業が一件、手付かずの作業が一件あるので、これら三件を差し引くと実質的には六件となり、就業後期の月平均作業割当件数は〇・六件にしか過ぎない。なお、債権者が途中で中止となった作業や他の技術者に移された作業に従事した実働時間の合計は就業前期では二五時間、就業後期では三一時間で、実働日数(一日実働八時間)に換算すると、就業前期では三・一日、就業後期では三・九日である。仕事に直結した職場内訓練として、就業前期には、他の技術者の業務を補佐する作業が七件、訓練雑用作業が七件割り当てられた。図面変更作業は、就業前期の一件から就業後期には一〇件に増加しているが、これは債権者の勤務ぶりを改善するためにとられた措置である。

このように、PWC技術部電気課に在籍した期間全体を通じて、債権者には、低い等級の職務に相当する簡単な仕事が割り当てられていた。もっとも、債権者がPWC技術部電気課に在籍した時点でも定員割れの状態が続いていたところ、定員割れの状態のときには、課に割り当てられた作業を所定の期限までに完成するために、高い等級の技術者に低い等級の職務に相当する簡単な仕事を割り当てることはある。しかし、債権者に低い等級に相当する仕事を割り当てたのは、右のような理由によるのではなく、債権者が六等級の仕事を満足に遂行することができないため、やむを得ず低い等級の職務に相当する簡単な仕事を割り当てたものである。

6  前述のように、PWC技術部電気課における仕事は、完成予定時間内に仕事を完了し得ることが要求される。ところが、債権者は、六等級の職位にありながら本来の職務を満足に遂行できず、低い等級の職務に相当する仕事すら予定時間内に完成できなかったので、電気課の職務の遂行を遅らせ、技術部の他の関係各課の作業計画に大きな影響を及ぼした。PWC技術部電気課において債権者が完成予定時間内に完了しなかった遅延作業は、別紙表二(略)に掲記したように一一件あったが、そのうち、作業の遅延が他の課に重大な影響を及ぼした具体例として次の二件の作業がある。

オーダー番号一〇四一七の作業は、建物A―四七の換気設備の改修工事に関する技術報告書(A四サイズ)の作成である。主担当課は機械科で、他に電気課と見積課が当該作業を分担した。予定完成期間は、機械課も電気課も昭和五六年九月一日から同月一〇日まで、予定完成時間は機械課が四〇時間で電気課は一六時間、見積課の予定完成期間は同月一日から同月一四日まで、予定完成時間は八時間であった。機械課と電気課は同月三日に作業に着手し、主担当課の機械課は予定より一日早い同月九日に二八時間で作業を完成したが、債権者が担当した電気課の作業は予定時間を八〇時間超過する九六時間かかり同月二二日に完成した。主担当課の機械課は、同課が完成した当該作業の関係書類のコピーを見積課に送付し、機械課が担当する分野の作業の見積を依頼したが、電気課が作成する当該作業の関係書類の原本及び見積課が作製(ママ)する電気担当分野の作業見積が機械課に提出されるまで、機械課は主担当課としての当該作業のまとめ作業ができず、また、見積課も、電気課から関係書類のコピーが到着するまで見積作業ができず、当初の予定完成期間最終日である同月一四日までに完成することはできなかった。

オーダー番号一〇四四五の作業は、建物A―四六の屋内天井取替工事に伴う屋内配線改修の基本計画書の作成作業である。建築課が主担当課で、他には電気課、機械課及び見積課が当該作業を分担した。建築課と電気課の予定完成期間は、いずれも昭和五六年一〇月八日から同月二〇日まで、見積課は同月八日から同月二三日までの期間で、予定完成時間は建築課が四〇時間であり、電気課と見積課はいずれも八時間であった。機械課による作業は、当初の作業計画には含まれていなかったが、現場調査の結果、同課も必要であることがわかり、当該作業を分担することになった。機械課は同月一三日に作業に着手し、同月二二日に作業を完成し、建築課は同月一五日に作業に着手し、同月二〇日に予定作業時間で作業を完成した。

債権者は別の同月一日に割り当てられていた設計作業(オーダー番号〇六三七一)に時間がかかり過ぎ、その作業(オーダー番号一〇四四五)には一一月二日に着手し、同月二四日に予定作業時間(八時間)を一五・五倍も超過して完成した。電気課担当分野の作業完成が大幅に遅れたため、主担当課である建築課は前記同様、債権者が作成した当該作業の関係書類の原本及び見積課から当該作業における電気課担当分野の見積が到着するまで、主担当課としての当該作業のまとめ作業を行うことができず、作業進渉計画に大きな狂いが生じた。電気課の作業遅延は連鎖的に見積課にも影響し、同課も一〇月二三日の予定完成日に間に合わず、一か月遅れの一一月二七日に当該作業の見積を完成した。

7  別紙表二(略)に掲記した一一件の遅延作業中、債務者が予定作業時間を大幅に超過して完成した六件の設計業務作業は、いずれも所与の予定作業時間が八時間から二四時間までの小規模な作業であり、また六件のうちの四件は基本設計書ないしは技術報告書の作成業務であるにもかかわらず、所与の予定作業期間及び予定作業時間を異常に超過した。これは、債権者が六等級の仕事をする能力を満たしていないこと、債権者が予定完成期間及び予定完成時間についての理解を欠いていたことによる。

8  このように、債権者の仕事は著しく遅滞していたが、PWC技術本部電気課在籍中には、宮内課長が債権者の能力や勤務態度を考慮して、債権者には優先順位「4」の仕事しか割り当てなかったので、仕事が所定の完成予定期間内に完成しなくても、技術本部内の他の課に迷惑がかかるとしても、かろうじて、発注者である他の部隊との間には深刻な問題は生じなかった。

9  債権者が割り当てられた仕事の完成に時間がかかり過ぎたのは、技術的事項についての知識や理解力の欠如に起因するほか、債権者の集中力を欠いた勤務態度によった。すなわち、債権者は、何をするにつけても行動が遅く、電気課全体がいかに忙しくても、速く行動しようとせず、まして自ら進んで仕事を引き受けようとすることはなかった。与えられた仕事を時間内に完成させようという責任感、あるいは、積極的に技術を身につけようという意欲をまわりに感じさせるような態度ではなかった。自分の席に居ても仕事をしないで天井や自分の指を眺めて長時間過ごすことがあり、また、しばしば長時間にわたって席を空けることがあった。PWC技術部はPWCの建物の二階にあり、技術部の職員は二階の便所を使用していたが、債権者はわざわざ一階の便所を使用し、便所では、手足に湿疹の薬を塗ることもあったが、それだけではなく、時間をかけて手を洗い、等身大の鏡の前に長時間立っていた。債権者が一階の便所に居る時間の長いことは米軍士官の間で話題になり、宮内課長は、ニールセン技術部長からそのことを言われたので、債務者に、便所に行ったときできるだけ早く席に戻るように注意した。債権者は、昭和五六年一〇月頃からしばしば休暇をとり、病欠は毎月のようにあった。そこで、仕事が多忙で一年に一、二回程度しか病欠をしない同僚らから顰蹙を買っていた。

10  宮内課長は、昭和五七年三月末頃、その上司であるニールセン技術部長に対し、これまでの債権者の仕事ぶり、すなわち、六等級の初歩的業務はおろか四等級程度の仕事すら宮内課長の指導なくして満足に遂行できない上、予定完成時間内に完了しない仕事も多く、勤務意欲にも欠けていたことについて相談した。さらに、宮内課長、ニールセン技術部長、マックスウェル・フミオ・タカキ技術補佐官の間で、債権者への忠告及び同人の成績を向上させるため援助を与える計画について話合いがもたれた。そこでは、債権者の能率を向上させる具体的方法として、債権者に仕事を与えるときは、以前に行った類似の仕事(図面等)を参考に見せるとか、宮内課長自身がその仕事についてより詳細に技術面での援助を行うなどといったことが話題にのぼった。しかし、宮内課長は、これらのことは既に実施していることであり、これ以上細目にわたり指示することは六等級の技術者に対して行われるべきではなく、三等級または四等級のドラフトマン(製図者)に対して行うものであって相当でないと説明した。宮内課長は、後日、この話合いの結果をふまえて、債権者に対し、ニールセン技術部長が債権者の仕事ぶりについて不満を抱いている旨を伝え、もっと机に向かって仕事をするようにと忠告したが、債権者はそのとき「ハイ」と小さな声で返事をしていた。

その後、同年四月中旬頃、宮内課長はニールセン技術部長と債権者の業績について話し合った。席上、宮内課長は、債権者の成績を向上させるため援助を与える計画として現在債権者に与えている仕事の結果を見届けたい旨話した。その仕事は、設計事務所が作成した図面の修正作業で、内容は一次側六・六KV配電線路改修設計図であり、宮内課長がこのブループリント上の誤りの箇所を赤ペンで訂正し、それに従って債権者が原図を修正する作業であった。宮内課長は、この仕事の完成予定期間を同月五日から同年六月一日までと定めたが、作業時間はあえて定めなかった。これまでとは異なり、細かな指示を与えることなく仕事をすることによって、債権者が努力し、勉強し、仕事に興味をもってくれることを期待していたからである。しかし、債権者は、この作業に余り興味をもたず、宮内課長の目的は達成できなかった。そこで宮内課長は債権者に対し、設計業務は債権者に適していないことを話し、別の仕事を探したほうがよいのではないかと助言したが、債権者は、設計は好きであり、もっと良い仕事をするよう努力すると答えた。そこで宮内課長はこのことをニールセン技術部長に報告した。

11  しかし、その後も、債権者は、電気技術者としてもドラフトマンとしても一向に進歩がみられなかった。

昭和五七年九月頃、宮内課長は、債権者の不適格のことに関して再び債権者と話し合い、その際、債権者に対し、設計の仕事は債権者に適していないこと、世の中には自分に適した仕事が必ずあり、それを見つけることが人生の幸せに繋がることなどを話した。その結果、債権者自身も技術部以外に仕事を求める気になった。

債権者は、当初、米海軍横須賀基地外に仕事を求めることにしていたが、同基地の統合人事部(CCPO)日本人雇用課の武林課長から、基地内の数カ所に空席があるので面接試験に応募したらどうかとの打診があったので、それに応募することにした。そして、債権者は、宮内課長に対して、応募の結果が決まるまで電気課に籍を置くことを望み、宮内課長がそのことをニールセン技術部長に話したところ、同技術部長が承諾したので、債権者はしばらくはそのまま電気課に籍を置くことになった。

宮内課長は、同年一一月五日までの債権者の仕事の分析表を作成し、タカキ技術補佐官とニールセン技術部長に提出し、債権者が電気設備設計業務に不適であること、債権者に別な仕事の斡旋紹介をすることなどについて話し合った。

昭和五八年一月下旬、債権者から宮内課長にSRFに五等級で転任が決まりそうだという話があった。そして、同月二四日、債権者は、不利益な人事措置に関する同意書に、宮内課長の面前で署名した。その際、宮内課長は、人事措置が発動される理由が「不適格」とされていること、職位が六等級から五等級に下がることを説明した。債権者は、右同意書を読んだ上で署名をした。

(SRF企画見積部在職時の勤務状況)

1  債権者は、SRF企画見積部工事企画課電気工事企画係に応募していた。債権者は、CCPOで中級英語(中学二・三年から高校一年程度)の試験を受けていたが、その得点は六五点で、成績はあまり上の方ではなかった。また電気工事企画係の採用面接の際のかなり初歩的な電気関係の筆記試験も、できは極めて悪かった。しかし、電気工事企画係員は、電気関係の基礎的な能力、知識があれば、仕事をしていくうちに実力がついてくるものであり、債権者は大学の電気工学科卒業であるので、試験の成績がよくなくても、基礎的な能力、知識は備わっており、いずれ実力が付いてくるだろうと、将来を期待された。

債権者の電気工事企画係への採用を決定する際、PWCから企画見積部へは、債権者についての資料は送られてなく、PWCの設計の仕事には向かないようであるといった程度の情報しか与えられていなかった。安藤電気工事企画係長の調査によっても、PWCでの評判は余りよくなかったという程度のことしかわからず、それ以上の具体的な欠陥については指摘を得ることができなかった。企画見積部では、PWCで少々の問題があったとしても、職場が変われば環境も変わるので、やる気さえあれば将来は実力を付けることができ、電気工事企画係に貢献することになるだろうと期待し、採用を決定した。

2  SRFの任務は、米海軍鑑船に対する緊急修理及び関連工事の遂行等であり、SRF企画見積部工事企画課電気工事企画係に属する生産専門職(電気、五等級)の職務に最小限要求される能力は、鑑船に関する電気工事に関し、繰り返し行われる定型的な仕事及び大型プロジェクトの部分を含む仕事等の作業計画を立案し、作業指示書、作業見積、材料注文に関する書類等の作成を行うこと、仕事の完成予定日を原則的に厳守することである。そして当然のことながら、人並みの勤労意欲及び勤務専念態度も要求される。

3  債権者は、昭和五八年三月一日からSRF企画見積部工事企画課電気工事企画係に勤務するようになった。

最初の二か月間は、債権者に対し、新入企画員への教育が行われた。全般的な教育としては、SRF企画見積部の日本人従業員の最高位にある川崎チーフプランナーが、時間のとれるときに一回当たり二ないし四時間の講義を数回にわたって行った。ここでは、米海軍の機構及び機能、SRFの組織及び機能、艦船の分類、艦船についての常識的知識、船体の構造、艦船の構成部分及び構造物の名称、艦船の修理の方針等SRF企画見積部工事企画課員として仕事に必要な事項について教授した。専門的分野の教育としては、債権者の属する電気工事企画係で、実務を通じての職場内研修が行われた。

その研修では、見積の仕方や作業指示書の作成方法の習得、標準工事作業仕様書の翻訳などが行われた。この標準工事作業仕様書は、例えば、モーターの修理やオーバーホールの手順、コントローラーのオーバーホールのやり方、電線の規格、テストのやり方等企画見積部工事企画課員としての仕事に必要な最も基本的な事項が書かれており、ここに書かれていることはあらゆる工事に引用されるので、すべての工事企画課員が知っていなければならず、したがって、どの係の工事企画課員も最初にこれを勉強するものであった。標準工事作業仕様書の翻訳は、翻訳業務に精通することが目的ではなく、債権者が艦船修理や造船関係についてまったくの素人であること、債権者についてぼんやりしている時間が多いとの報告があったが、安藤係長が債権者につききりで面倒を見るわけにいかないこと、債権者は電気について知識があるはずであり、PWCでも二年余りの経験があって英語の読解力もある程度もっていることなどの事情を考慮し、翻訳を通じて、標準工事作業仕様書の内容や見積の仕事を理解するのが目的であった。

電気工事企画係に就職した当時、債権者は電気工事企画係の作業について全くわからなかったので、安藤係長は、債権者が作業をするに当たって、具体的にその方法を説明し、あるいはサンプルを与えるなりして、他の新入企画員と同様に指導した。しかし、安藤係長は多忙だったので、指導の一部を、先輩係員三名に依頼した。安藤係長は、その三名のうち一人の門間係員に、債権者を現場に連れて行って艦上検査等の実地作業を指導するように指示した。この指導に従って門間係員は機会をみては債権者を現場に連れて行った。

ある時、門間係員が債権者の担当作業である小型ポートの電気系統の修理工事の件で債権者を連れてボートを見に行ったところ、債権者の担当作業であるから本来ならば債権者が率先して艦上検査を行い、わからない場合は先輩に聞くなどして修理箇所の検査に努めなければならないのに、門間係員がそのように仕向けても債権者が一向に検査を行わないため、結果的に門間係員が検査を行い、債権者はボートの下でポケットに手を入れて見ていただけだったということがあり、安藤係長は門間係員から、債権者を指導する甲斐がないという報告を受けた。

安藤係長は、債権者の力量はそれほど高くないと判断したので、債権者には、重要度が低く、標準的な内容の作業仕様書作成作業を割り当てた。そして、当初の二ないし三か月くらいは、債権者に割り当てた作業仕様書作成作業のうちの多くを安藤係長が代行し、タイプデスクに提出した。係長が作業を代行することは他の新入企画課員についてもあったが、債権者についての代行作業件数は、他の新入企画課員よりもはるかに多かった。安藤係長が債権者の作業の多くを代行した理由は、債権者は現場の経験が全く無く、艦船に装着されている電気装置機器については、見るのも触れるのも初めてであり、その上債権者は電気に関する基本的知識や理解力がほとんどなかったので、実際上債権者には仕事ができなかったこと、係長が作成した作業仕様書を参考にして努力を重ね、債権者に早く仕事を覚えてほしいという教育上の配慮があったことによる。

作業を代行する場合は、安藤係長は、事前または事後に債権者にその旨伝えていた。また、作成された作業指示書が生産部門すなわち工場に送られると、その内容について通常担当者に問合わせが来るので、安藤係長は、債権者名で代行した作業について債権者が問合わせにすべて答えるのは難しいだろうから、問合わせがあったときには連絡するよう債権者に言っていた。安藤係長は、債権者が問合わせに対応できるように、また、以後の作業の参考になるようにという教育的配慮から、債権者のために代行した作業指示書の写しはすべて債権者に渡していた。

4  債権者に最初の六か月間に割り当てられた作業は、ほとんどが、ベテランの企画課員であれば三分程度ででき上がる標準的な作業指示書作成作業であった。しかも、新人ということで、仕事量は他の企画課員よりも少なめに与えていた。それにもかかわらず、債権者は作業に非常に時間がかかる上、作業の結果は、できが悪く、全く使いものにならなかった。そこで、安藤係長は、六か月を経過したころから、債権者をこのまま教育してもものにならないのではないかと思うようになった。

5  電気工事企画係の作業遅延は、他の担当工事企画係あるいは電気工事係全体に迷惑を掛け、米海軍横須賀基地に入港する各部隊の艦船等の運用計画に重大な支障を与え、ひいては米海軍艦船の任務にも悪影響を及ぼすことに繋がりかねない。そこで、安藤係長は、係員に作業を割り当てる際、完成予定日を必ず連絡用紙(赤紙)に書いて係員に渡し、右予定日を予め知らせていた。安藤係長が債権者に作業の完成予定日を尋ねると、債権者は、「その作業はもらっていません。」と答えることがあった。安藤係長は、先ず自分のログ・シートに記録をしてから係員に赤紙の付いた工事要求書を渡して作業の指示をしていたので、記録をしていながら債権者にだけ赤紙の付いた工事要求書を渡さないことなどあり得ず、その旨債権者に言うと、債権者は、紙屑で雑然とした自分の机の上をかきまわした上でやっと工事要求書を捜し出して「ありました。」という場合もあり、「どこにもありません。」と言ってきた場合もあり、時には、渡した、渡さないの水掛け論で結論がでないこともあった。このような場合は、安藤係長がタイプデスクに工事要求書の再発行を依頼することでことを収めていた。

作業を指示された場合、普通の係員であれば、作業完成予定日に注意し、後から割り当てられた作業でも、完成予定日の早い緊急の作業は先に処理する等の配慮をする。ところが債権者は、与えられた作業書類を来た順に重ねているようであり、完成予定日には全く関心がないようであった。

安藤係長は、始終、記録簿を見ながら債権者に作業完成予定日を注意していたが、債権者は、「もう少し待ってください。」という弁解をする場合が多く、また、「はい。わかりました。」という返事をしておきながら、完成予定日までに作業ができ上がっていないという場合もあった。作業が遅れて完成期限に間に合いそうもないときでも、これを上司に報告しなかった。

債権者は他の係員に比べて作業が非常に遅く、仕事上疑問や不明な点があっても、上司や同僚に質問することも少なく、自分から積極的に勉強しようという態度に欠けていたので、安藤係長は債権者に対し、常々、仕事には生活がかかっているのだから、与えられた仕事はきちんと片づけていかなければならないと言って聞かせた。債権者は、そのようなときは、「はい。わかりました。」と返事をしたが、その後少しも改善されなかった。

6  債権者は、いつも自分の机の上に、書類のみならず、手を拭いたあとのペーパータオル等を丸めた紙屑を散乱させていた。また、便所に行くと、湿疹の薬を手足に塗ることもあったが、その他に、長い時間をかけて手を洗ったり、頭髪を撫でたり、爪を磨いたりしており、いつも三〇分以上しないと戻ってこなかった。そして、このような債権者の性癖は、奇異なものとして同僚の間でも話題になっていた。安藤係長は、債権者に対して、皆が債権者のことを気にしているので便所に行っても早く戻ってくるようにと何度も注意した。

これに対して債権者は、手に湿疹ができるので手をよく洗わなければならないと弁解したり、わかりましたと返事をしたりしていたが、その後も債権者の態度は改善されなかった。工事企画課及びその周辺には、工事区画課内に一か所、工事企画課の建物の二階から連絡通路でつながっている隣の建物に一か所、工事企画課と同じ建物の一階に一か所の計三か所の便所があり、工事企画課の係員は通常は工事企画課内の便所を使用しており、債権者も最初はそこを使用していたが、安藤係長から注意された後は、安藤係長や同僚を気にしてか、次には隣の建物の便所、最後には工事企画課と同じ建物の一階の便所を使用するようになったが、便所で長時間過ごす性癖は変わらなかったので、この性癖は一階の事務所の人々の注意も引き、それらの人々の噂にもなっていた。

7  債権者の教育期間終了後の勤務状況については、毎週の監督者会議で、安藤係長から川崎チーフプランナーに報告された。そこでは、債権者には簡単な作業指示書を作成させ仕事量も他の係員より少なめであったにもかかわらず、仕事に非常に時間がかかる上、使いものにならない作業指示書を作成したこと、そのため、期限に間に合わせるために、他の係員に債権者の仕事を回したり、係長自ら債権者の仕事を手直しすることがしばしばあったこと、債権者の作業指示書に誤りが多いのは、債権者が電気関係の事項につき理解力がないことによるのみならず、債権者が仕事を安易に済まそうとして資料の調査や艦船現場確認作業(シップチェック)をおざなりにすることによること、債権者は自分の机で仕事をせずにぼんやりしていることが多いこと等が報告された。当初、川崎チーフプランナーは、安藤係長が債権者のことについて感情的になりすぎているのではなかろうかと疑い、もしそうであれば、債権者がきちんとやっていればいつかわかるだろうと思ったこともあった。しかし、川崎チーフプランナーは、債権者の同僚からも、債権者の仕事が極度に遅く、やる気があるかどうか疑わしいということを聞き、また、債権者について、机で何もしないでぼんやりしている時間が多い、便所に行っている時間が極端に長い等の噂を聞いた。そこで、川崎チーフプランナーも債権者の言動が気になり、機会があるごとに債権者の行動に注意するようになった。

その後、川崎チーフプランナーは課長らと何回も債権者の改善について話し合い、債権者自身に対しても、債権者は大学卒でもあるし将来はリーダーにもなってもらわなければならないから、人よりも努力して早くそのようになってほしいと言ったこともあった。しかし、債権者の態度は全く変らず、監督者会議でも、債権者については、企画課員としてやっていく意欲はないとか、意欲がないのだから、これ以上指導しても無駄ではないかという意見も出た。

8  企画見積部では、残業は、その要否を係長が係員の仕事の緊急度及び仕事量を斟酌して決め、課長を経由してチーフプランナーの承認をとることになっていた。安藤係長は、債権者は仕事をする能力が劣っていたので、債権者には残業を認めていなかった。しかし債権者は、昭和五八年五月ころから安藤係長や隣席の斉藤係員に、しきりに残業したい旨申し述べたので、安藤係長と斉藤係員は、債権者の残業を認めるべきか否かについて川崎チーフプランナーに相談した。川崎チーフプランナーは、残業することによって債権者の仕事に対する意欲がわくかもしれないと考え、債権者の残業を認めることにし、同年六月末から債権者の残業は認められるようになった。しかし、債権者は、安藤係長から残業を命じられても、早く帰ったり、土曜日に出てこなかったりした。それで、その後、安藤係長から川崎チーフプランナーに対して、債権者に残業をさせてもあてにならないという報告がされた。

9  出張をどの係員にさせるかは、仕事の性質と係員の能力を考慮して管理職が決めるところ、電気工事企画係に昭和五八年五月二〇日に就業した藤木係員、同年七月一日に就業した能美山係員は、いずれも技術に関する基礎知識、語学力、実務に関する知識や経験の点で一定の水準に達しており、すぐに仕事のできる人材だったので、両名については、電気工事企画係長と工事企画課長の意見により、就業後間もなく米国への出張が認められた。債権者には、その能力の欠如、非能率な勤務態度から、重要な海外出張を任せることはなかった。

10  昭和五八年一二月に安藤係長は退職したが、川崎チーフプランナーに、債権者は絶対ものにならないと言い残していった。債権者の面倒を見ていた斉藤係員も、一年近く指導してきたが効果がないと言って、川崎チーフプランナーに債権者の指導の辞退を申し出てきた。

11  安藤係長の後任の深沢係長も、安藤前係長と同様、債権者に対し、標準的な内容の、あるいは債権者が何度も経験したことのある作業指示書作成の仕事を、比較的少なく割り当てた。しかし、債権者はそれまでと同様に、仕事が遅く、完成予定日に間に合わなくなっても自分から申し出ることもなく、作成した作業指示書も間違いが非常に多かった。それ故、債権者についての風評は依然として変わらず、深沢係長から川崎チーフプランナーに対しては、安藤前係長が行ったのと同じような内容の報告がなされていた。

12  債権者は、昭和五八年一二月から昭和五九年四月まで、米海軍横須賀基地内の技術英語執筆訓練コースに出席していた。右訓練は、火曜日と木曜日の午後二時一五分から午後四時四五分まで行われ、債権者は、勤務時間中に、合計三三回、延べ八二・五時間、一労働日を八労働時間とすると一〇・三労働日これに出席していた。

13  債権者が机の上に紙屑を散らかしていることについては、まわりの人からきれいにすべきだという意見が出ており、また、机の上に書類を乱雑に置いておくと作業能率を低下させることになるので、昭和五九年一月、川崎チーフプランナーは、机の上を整理するように注意するメモを債権者の机の上に置いた。

同年三月八日から一〇日にかけての三日間、桑原工事企画課長が公用で出張したので、その間川崎チーフプランナーが同課長の席で職務の代行を行い、その際、債権者の仕事ぶりを見る機会があった。

債権者の机の上には紙の山が積み重ねてあり、債権者は、仕事に関係ない書類を取り出して眺めてはそれを再び差し込み、また別の書類を取り出して眺め、人が回りを歩くとそちらに目をやり、自分に割り当てられた仕事のリストを机の引出しから取り出して色でマークしてまた引出しに入れ、材料注文の伝票のコピーが配られるとそれを数分間じっと見つめ、再び紙の山から別の紙を取り出して眺めまた差し込むという動作を一日中繰り返しており、その間長時間席を外すこともあった。債権者は、一つのことに長い間精神を集中させることができない様子であった。これを見て、川崎チーフプランナーは、債権者について安藤前係長、深沢係長及び斉藤係員の言ったこと、企画見積部内外で噂になっていることが本当であることを確認した。

14  昭和五九年三月ころのある日、川崎チーフプランナーは、債権者の仕事の所要時間及びでき具合を確かめようとして、深沢係長の同意を得たうえ、午前九時ころ、債権者の手持ちの作業指示書作成作業のうちの一つを債権者に命じた。川崎チーフプランナーが債権者にいつまでにできるか聞くと、債権者は、今日中にできると答えた。

その日の昼少し前、その仕事はキャンセルになった。午後二時ころ、川崎チーフプランナーが債権者にどの程度仕事ができたか聞くと、債権者は、その仕事はキャンセルになったと答えた。しかし、その時に債権者はなおその仕事に関する書類を見てきたこと、当初から、従業員が本当にその日中に仕事を完成するか試す目的があったこと、一つの仕事をまとめる能力を育てる必要もあること、作業指示書の作成は、一度キャンセルされても、その船の次の入港時に再び要求されることが往々にしてあり、一度完成しておけば次の機会に使えることなどの理由から、川崎チーフプランナーは債権者に対し、あと一、二時間でまとまるものなら今日一杯でその仕事をまとめるように言い、債権者も残業することなくその日中に仕事を完成した。しかし、でき上がった作業指示書は、貧弱な内容のものであった。

15  債権者は、SRFに来てから一年もしないうちに、米海軍横須賀基地内の他の部署の空席へ応募し始めていた。川崎チーフプランナーは、応募の書類にサインをしていたが、債権者の電気工事企画課在籍中の最後の二回の応募については、サインをしなかった。サインは上司の推薦の意味をもつが、電気工事企画課における債権者の状態からして、川崎チーフプランナーは、債権者について責任をもてないと感じたからである。

16  昭和五九年三月、川崎チーフプランナーは、債権者がSRFに来て一年以上たっても仕事の上で進歩が全然見られないこと、債権者の独特な性癖に基づく行動に対する非難が企画見積部内外で高まっていたこと、同月八日から一〇日にかけての三日間に債権者の勤務態度を見て、債権者の非能率的な勤務態度や独特な性癖を実際に確かめたことから、公式に適切な措置を取って債権者自身による改善を期待する他ないと考えた。そこで、川崎チーフプランナーは、桑原課長、深沢係長、斉藤係員、CCPOの武林課長を交えて債権者と話合いの場を設け、そこにおいて、債権者に対し、既に一〇回以上債権者を呼び出して意見し注意したにもかかわらず債権者には一向に改善の跡が見られないこと、係長が変わっても債権者の作業態度が全く改まらないこと、債権者には仕事に対する意欲が見られず、相変わらず生産性が低いこと、これらの事実は企画見積部の作業能率と同僚の士気に重大な影響を与えるので、もはや大目に見ることはできないこと、債権者は非生産的で電気工事企画係の即戦力として活用できないので、今のままでは企画見積部に向かないことを伝えた。その際、武林課長は、債権者に対し、今言われたことはPWCに居たときに指摘されたことと全く同じではないか、今までたびたび注意されていたようであるが、どうして直すことができないのかと言った。これを聞いて、川崎チーフプランナーは、武林課長にPWCでそのような問題があったのならばどうしてそれをSRFに転籍するときに言ってくれなかったのかと詰問した。この話合いの際、債権者は、自分が失敗や非能率的なことをしたことはないと反論した。話合いの後、川崎チーフプランナーは、武林課長に、とにかく適切な人事措置をとるよう依頼した。

17  右の話合いの後、川崎チーフプランナーは、債権者が仕事をまとめられないのは現場の経験がないからかもしれず、現場工場で実際の経験を積めば企画見積の仕事も速くできるかもしれないと考え、電気工場(X―五一)で現場の仕事を経験させようとして、池田電気工場グループマスターに受入れ体制について意見を求め、承諾を受けた。そこで川崎チーフプランナーは、桑原課長、深沢課長にその旨を伝え、現場研修の訓練計画要求を企画見積士官経由で正式に教育訓練課に提出し、許可を受けた上、昭和五九年五月から二か月間の予定で債権者の電気工場研修を始めた。

X―五一工場では、債権者は手が汚れることを極度に嫌い、物品を運ぶときには、すぐに物には手を出さず、できるだけ汚れの少ない物を探すために周囲を見回してから時間をかけて物を運び、一回運び終えるごとに手を洗いに便所に行っていた。また、二、三人のグループで作業を行うとき、債権者は作業場所から離れた所に行ってしまい、同僚の仕事を手伝おうとしなかった。

債権者が工場研修に行って約一週間後、池田グループマスターから川崎チーフプランナーに対して、債権者について、英語の教育を受けるなど何かと用件を言って現場を離れるので、このような状態が続くと仕事も覚えず何にもならないから、X―九九工場に配属したほうがよいという報告が届いた。その後も、池田グループマスターから川崎チーフプランナーに対しては、債権者について、手の汚れを気にする、意欲が感じられない、債権者は生産工場には向かないのでこれ以上居ても何もならない、他の工場に回すか引き取ってくれという報告が届いた。川崎チーフプランナーは、少なくとも六か月あれば種々の工事に接して経験を重ねることができるので、そのように工場で配置してくれるよう池田グループマスターに頼み、桑原課長、深沢課長の同意も得て、教育訓練課の許可を受けて債権者のX―五一工場での工場研修の期間を六か月に延長した。そして、結局同年一〇月いっぱいでX―五一工場での工場研修は終了することになった。

18  昭和五九年一〇月、川崎チーフプランナー、桑原課長、深沢課長は、債権者のその後のことについて相談したが、電気工事企画係では債権者が職場に復帰することを歓迎しない意見が強く、債権者が帰ってくるとチームワークが崩れ士気の低下を招くおそれがあるので、債権者が電気工事企画係に復帰するのは無理と判断した。

動力工場(X―九九)の電気班では艦船への電源供給や各工場への電源サービスなどの電気関係の仕事があるので、川崎チーフプランナーは、X―九九工場の船殻/サービス担当の苑田グループマスターと打ち合わせ、同工場の鈴木工場長の内諾も得て正式な訓練実施の手続をし、同年一一月から債権者をX―九九工場に派遣することに決定した。

X―九九工場では、一週間で作業の手順などを教えた後、班長が債権者を、陸電(ショアーパワー)を艦船側に結線する作業につかせた。この作業は、直径三インチの陸電ケーブルと艦船側ケーブルを結合する作業であり、作業員が二人一組となって、一人がケーブルを抱え、もう一人が結合部分にテープを巻く作業である。作業工程はそれほど難しくなく、誰でも数回やれば、次に何をすべきかおよその検討(ママ)がつくが、債権者の場合は、自発的に次の作業に移らず、その都度指示を与えなければならなかった。それで、債権者と組んだ相手の作業員は、債権者にいちいち作業を指示するのが面倒らしく、一人でケーブルを抱えながら結合部にテープを巻いていた。

このような状態で、債権者と組んだ作業員から班長に苦情が来るので、班長が直接債権者に業務を教えた。債権者は、同僚の仕事を手伝おうとしなかったので、同僚に溶け込めなかった。

債権者がX―九九工場に行って一か月後、X―九九工場側から川崎チーフプランナーのもとへ、債権者について、手が汚れることばかり気にしている、現場作業での動作が緩慢で危なくて見ていられない、皆と一緒に作業ができない、現場では使えないといった報告があった。

19  昭和五九年一一月、債権者はSRF企画見積部のC―213のタイプデスク補佐の職位に応募した。しかし、以前、企画見積部工事企画課電気工事係で債権者の作業指示書の作成が遅れ、そのためタイプデスクに問題を生じたことがあったので、タイプデスクは債権者を採用しなかった。

20  昭和五九年一一月二六日から同月二九日まで及び同年一二月四日から同月二六日まで、債権者は下顎骨切除手術のため、病気休暇をとった。そしてX―九九工場の研修は同月終了することになり、債権者は電気工事企画係に戻ることになった。

同月二九日、川崎チーフプランナーは、深沢係長、桑原課長の後任の小野工事企画課長の立会いのもと、債権者に対し、X―九九工場における評価も大変低かったことを告げ、現場にも事務にも向かないということで、米海軍横須賀基地ではできる仕事がなさそうであるから、他に仕事を探したほうがよいという趣旨の話をした。そして、川崎チーフプランナーとしては、これまでの評価をもとに不適格解雇の勧告手続を進めるが、債権者が自分から退職すれば、不適格解雇によって経歴に傷くこともなく、退職金ももらえるので債権者にとって都合がいいということも言った。これに対して債権者は、米海軍横須賀基地以外に仕事を探す旨の返答をしていた。

21  昭和五九年末に債権者は米海軍横須賀基地外に仕事を探す旨述べていたのであるが、実際には退職せず、昭和六〇年一月七日から出勤した。深沢係長は、債権者が退職するかもしれないと思い、債権者に仕事を割り当てるのを躊躇していた。しかし、川崎チーフプランナーから、電気工事企画係に勤めている以上仕事をさせなければいけないと言われ、同月一八日、深沢係長は、債権者がX―五一工場及びX―九九工場で受けた研修の成果を見るため、債権者に作業指示書作成作業を課した。債権者には当該作業が研修結果を見るための訓練であることは事前に伝えていなかった。深沢係長は、片山係員に対し、債権者に与えた作業と同一のものを与え、担当工場に実際に配布する正式の作業指示書作成を指示したが、同人はこれをきちんと完成した。これに対し、債権者の行った作業は誤りが多く、工場研修後の時点においてすら、債権者は、標準工事仕様書にどのような作業要領が記載されているのか、また作業指示書がどのような目的で作成されているのか、さらに実際の作業指示書に必要事項をどのように記入するか等について全く理解していなかった。

22  昭和六〇年一月、川崎チーフプランナーは、SRFの上層部に対して、債権者に関する不適格解雇の勧告を書面で提出した。

同年二月六日と七日、債権者はCCPOに呼ばれ、解雇になる前に自分から退職届を出すように勧められた。しかし、債権者は承服しなかった。同月八日、債権者は川崎チーフプランナーの部屋へ呼び出され、川崎チーフプランナーやCCPOの職員の居るところで退職届を出すように勧められたが、やはり承服しなかった。

CCPOでは、この時点で債権者を解雇することも検討されたが、退職を望まない債権者の意向も考慮し、直ちに解雇せず、さらに転任等を考えることにした。

23  退職勧告を受けて、債権者は、神奈川県横須賀労働センターに相談に行った。そして、昭和六〇年二月二〇日、神奈川県横須賀労働センター所長宛に経過報告書を提出した。その後、債権者がウオーターフロントセクションに配置されるまで、債権者に対し退職の勧告がなされることはなかった。

24  債権者が電気工事企画係に在籍中、債権者に割り当てられた作業の総件数のうち、代行作業を除く作業から作業要求書の受理日と完成予定日が不明の作業(一件)を除いた三四八件の作業を作業内容別(すなわち、作業指示書原本作成作業、見積書作成作業、作業指示書改定作業、資材調査及び注文書作成作業)に分類し、その作業件数をさらに、安藤係長在職時の昭和五八年三月から同年一二月までの期間(以下「就業前期」という。)、深沢係長が就任した昭和五九年一月から債権者が工場研修に派遣される五月までの期間(以下「就業中期」という。)及び債権者が下顎骨切除の手術後電気工事企画係に復帰した昭和六〇年一月から設計部ウオーターフロントセクションに転任した同年四月七日までの期間(以下「就業後期」という)の三期間に分け、前記作業件数を作業の種類別及び前記期間別に表示したのが別紙表三である。この表に基づいて債権者の作業遂行状況を検討すると以下のようになる。すなわち、この表に基づき債権者に割り当てられた作業の月平均作業割り当て件数を算出すると、就業前期は二二・三件、就業中期は二一・八件、就業後期(実質三・三か月)は一一・五件である。ただし債権者が電気工事企画係に転任した当初の二、三か月間は、債権者に割り当てられた作業のうち、かなりの数の作業を安藤係長が代行したが、ログ・シートには債権者の名前で記録されていることから、就業前期の実質月間平均件数は、前記件数をかなり下回る。

作業指示書原本作成作業及び見積書作成作業の合計二九六件を期間別、グループ別(標準見積あるいは標準作業指示書に従って作成できる作業をグループ1、標準工事仕様書を利用して作成できる作業をグループ2、債権者が幾度か作成した経験がある作業をグループ3、債権者が初めて経験する作業をグループ4とする。)に分類した上、作業指示書改定作業の四三件及び材料調査及び注文書作成作業の九件を併記し、さらに右の各作業種類に該当する作業の内遅延作業件数を付記したのが別紙表四1であり、全期間について各作業別の割当件数及び遅延件数を記載したのが別紙表四2である。別紙表四1及び同2によると、前述のように、作業指示書原本作成作業及び見積書作成作業の合計は二九六件であり、このうち二一五件がグループ1、グループ2、グループ3で占められており、グループ4は八一件に過ぎない。グループ4は就業中期では一四件であり、就業後期においてもわずか五件に過ぎない。ここから、債権者については、定型的、反復的または標準的な作業内容で技術的困難性を伴わない比較的簡単な作業が全作業件数の三分の二以上を占めていたことがわかる。これは、係長が、債権者の能力を勘案して作業を割り当てた結果である。ところが、同表によると、遅延件数は、合計一三八件あり、その内訳は、グループ1ないし3で八六件、グループ4で二六件、作業指示書改定作業と材料調査及び注文書作成作業で二六件である。

25  債権者がSRF企画見積部工事企画課電気工事企画係に在籍中に仕事または訓練として作成した作業指示書等の内容には多数の不備がある。例えば、シップチェックを怠った結果、作業工数が少ないとか必要な作業工数が漏れている等適切な見積がなされていない例、作業指示書に作業の対象機器が特定されていないばかりか許可された作業の項に誤った作業対象が表示されており、さらに材料注文の必要数量を表示すべきであるのに別のものを表示している例、念入りにシップチェックをしなかったか、調査しても現場でする仕事の手順がわからず、どこの職場の人員が必要であるか確実にわからないまま工場名及び工数を書き入れたため、後日実際に仕事をした作業工場の係員から作業指示書の工場名及び工数が不足しているのを指摘され、それらをその後債権者が記入した例、作業要求書の内容をよく読まずに作業指示書を作成したため、無駄な作業を指示している例、作業指示書の作業要求項目欄に適切なデーターを全く記入することなく該当欄を抹消してしまい、またSRF設計部図書室に資料があるかどうかを調査せずにそこにない資料を表示し、さらにシップチェックを怠って必要でない作業を指示してしまった例、他の係の補佐が必要なのにそれを要しない内容の作業指示書を作成し、監督者からその旨の指摘を受けて再提出したものの、艦船の要求限度を超える作業を指示していたり、材料注文が必要であるのにこれを欠いたりしている例、艦船に複数の電動発電機が搭載されているのにそのうちの修理を要する機器の特定がなされていないばかりか、必要でない工場及びその作業工程時間数まで見積に入れている例、作業指示書に修理が必要な電動機についてのデーターが記入されていない例があった。

26  債権者が電気工事企画係に在籍していた期間(昭和五八年三月一日から昭和六〇年四月七日まで)における作業遅延率(完成予定時間を超過して完成した作業数を同期間に完成した全作業数で除した割合)を算出して、これを同期間に在籍した同係のすべての係員の作業遅延数と比較した結果が別紙表五であるが、同表からもわかるように、債権者の作業遅延率は他の係員と比較して著しく高いものであった。そして、債権者が電気工事企画係に転任した当初の二、三か月位は、債権者に割り当てられた作業指示書作成作業のうち、かなりの数を安藤係長が債権者の名前で代行したが、安藤係長は有能なベテランの職員であるから、安藤係長が代行した作業が完成予定期限を超過することは通常あり得ない。またタイプデスクによって未完のまま引き上げられた作業が遅延作業に含まれていない。したがって、もし安藤係長による作業の代行がなく、またタイプデスクによって未完のまま引き上げられた作業が遅延作業に含まれていれば、その遅延率はさらに上昇していたはずである。

27  債権者の仕事の遅延は、同僚の片山係員と比較しても顕著である。

債権者と片山係員は、年齢、学歴、職歴等が極めて類似していて、SRF企画見積部工事企画課電気工事企画係で就業した時期もさほど変わらない。すなわち、債権者が昭和二二年一二月二七日出生であるのに対し、片山係員は昭和二四年五月一〇日出生であり、両者の年齢差は一年五ケ月弱に過ぎない。債権者は日本大学理工学部電気工学科卒業、片山係員は明治大学理工学部電気工学科卒業で両者は学歴において同等である。債権者はPWC技術部に就業する前に、民間企業で約三年の勤務経験があり、片山係員は米海軍横須賀基地指令部安全課に就業する前に民間企業で約三年の勤務経験がある。債権者は昭和五六年八月から昭和五八年二月まで一九ケ月間PWC技術部に在籍し、片山係員は昭和五八年九月から昭和五九年二月まで六か月間米海軍横須賀基地指令部安全課に在籍し、両者ともSRFに転任する前に米海軍横須賀基地内においてSRF以外の米海軍部隊に勤務していた経験がある。そして、電気工事企画係に転入したのが債権者は昭和五八年三月一日、片山係員は昭和五九年三月一日であることから、電気工事企画係では債権者が片山係員より一年先輩である。ところが、在籍期間月数及び作業総数を債権者と片山係員とで比較すると、債権者の作業総数は在籍期間月数一七か月(二五か月から工場研修の八ケ月を除く一七か月)間で三四九件であるのに対し、片山係員は在籍期間月数一三か月間で三五二件であり、月間平均作業件数は、債権者が二〇・五件、片山係員が二七・一件であって、債権者より後輩の片山係員の方が六・六件多い。作業遅延件数と遅延率は、債権者が作業遅延件数一三八件、遅延率三九・五パーセントであるのに対し、片山係員は作業遅延件数三五件、遅延率九・九パーセントであり、債権者の遅延率は、片山係員よりも四倍程度高い。したがって、債権者が勤務時間中に受講した合計一〇・三労働日に相当する技術英語の訓練の事実を斟酌しても、債権者は、作業能力において、後輩の片山係員よりもはるかに劣っていたのであり、しかも片山係員がとびぬけて優秀であったわけではないから、債権者の作業能力は、極めて低かったものといえる。

28  債権者の作業遅延の原因を、作業の割当件数、債権者にとって未経験な作業の割当件数、工事優先順位及び完成予定期限の観点から検討すると以下のとおりである。

まず作業割当件数についてみると、債権者が電気工事企画係において昭和五八年三月から昭和六〇年四月までに行った作業のうち、債権者が他の係員の作業を代行した三件、他の係員が債権者の作業を代行した作業四七件、債権者が予定完成日を大幅に超過したため債権者に割り当てられた作業が未完のまま引き揚げられた作業一二件及び受理日と完成予定日が不明の一件を除く合計三四八件の作業を、月別に示したのが別紙表六である。この表から月平均割当作業件数を算出すると一九・三件であり、一か月の平均労働日を二〇日とすると、債権者が割り当てられた作業を遅滞なく完成するには、一日一件の割合で作業を完成すべきであったことになる。そして、これらの作業は比較的簡単なものが多かったのであるから、債権者の作業遅延は作業割当件数の過大によるものではない。同表によると、昭和五八年三月及び四月の二か月間の割当作業三三件中、遅延作業は四月に三件あるに過ぎないが、同年五月には、割当作業三〇件中遅延作業は七件と、四月に比べて倍増し、五月以降は作業遅滞が恒常化している。債権者が転入した当初の二か月に作業遅延が少なく、五月以降作業遅延が恒常化しているのは、前述のように、当初の二か月は安藤係長が債権者に割り当てられた作業を代行し、債権者の名で作業指示書を作成していたことによる。

債権者が電気工事企画係に在籍中、債権者に割り当てられた作業指示書作成及び見積書作成にかかわる総作業数二九六件のうち、債権者にとって未経験な作業は八一件に過ぎず、残り二一五件は、標準作業指示書や標準作業仕様書を利用して作成できるもの、あるいは債権者が何度か作成した経験のある作業であった。債権者にとって未経験な作業八一件の月別割当件数は、別紙表七のとおりである。したがって、債権者の作業遅延の原因は、債権者にとって未経験な作業が割り当てられたことにあるのではない。

作業の優先順位とは、仕事の緊急度をいい、「2」、「3」、「4」、「6」、「11」の五種類があり、番号が若い程緊急度は高くなる。優先順位「3」は、所与の任務を遂行できない艦船に対して行われる短期修理及び機器装置等を修理施設で修理完成する緊急修理をいう。債権者に割り当てられた総作業件数のうち、優先順位が「3」の作業は二三件、優先順位「4」の作業は八九件、優先順位「6」の作業は一六七件、優先順位「11」の作業は八件であった。債権者に割り当てられた優先順位「3」の作業の月別作業件数及びその内の遅延件数を示したのが別紙表八である。優先順位が「3」の作業中に占める遅延件数の割合は三〇・四パーセントであり、これは作業全体の遅延率三九・四パーセントよりむしろ低いことから、債権者の作業遅延は工事優先順位の高い作業の割当に起因するものでないことがわかる。

完成予定期限についてみると、昭和五九年一月から同年四月末までの期間に債権者に割り当てられた八七件の作業のうち、作業期間が一〇日以上の作業は四〇件(四五・九パーセント)ある。これは、債権者の作業遅延を最小限に抑えるため、深沢係長が債権者に作業期間の長い仕事を割り当てたことによる。そして、作業期間が一〇日以上二〇日未満の作業二一件中遅延作業は一一件、作業期間が二〇日以上の作業一九件中遅延作業は七件である。このことから、債権者の作業遅延の原因は、債権者に完成予定期限の短い仕事を多量に割り当てたことによるものではないことがわかる。

29  債権者は、昭和六〇年四月五日、SRF司令官の命令により、SRF設計部ウオーターフロントセクションに配属された。ウオーターフロントセクションの任務は、艦船の修理工事中に設計変更の必要が生じたときに、現場からの要求に基づいて解決方法を決定、処理することである。ウオーターフロントセクションに所属してその任務を遂行する者、すなわちウオーターフロントコーディネーターには、現場の作業工程が設計の問題により遅れることのないよう、迅速に解決方法を見いだすことが要求されるが、高度な技術を要する問題や長時間を要する問題は各技術課に依頼し、それ以外の比較的簡単な事例のみウオーターフロントコーディネーターが設計変更するので、各工学分野について専門家レベルのことは必要とされず基礎的知識さえあれば足りるとされている。

30  債権者がウオーターフロントセクションに配属されて最初の一か月は、他の二人の新入従業員とともに訓練を受けた。まず、ウオーターフロントセクションの塚本係長からウオーターフロントコーディネーターの目的、義務、使用する書式、参考書類等について説明を受け、DLM(設計連絡メモ)作成のための図形や文字の練習をした。この課程で、塚本係長は債権者の動作が他の二人に比べて非常に遅いことに気づいた。債権者は図形や文字を書くのが遅く、またコピーについても、他の二人が五分くらいでできる量を三〇分くらいかかって行い、時間がかかった理由を聞くと他の人がコピーの機械を使っていたとか、コピーの機械が故障していたなどという弁解ばかりしていた。

訓練は、次に、実際に仕事をしながらのオン・ザ・ジョブ・トレーニングに移った。そこではパイプを通そうとしたら障害物があったので位置をずらせるとか、電気配線を変更する等のごく小さな初歩的な仕事が債権者に与えられた。債権者は、変更方法、材質等について細かい指示を受けていたので、債権者が実際にした作業は、変更個所を艦船の現場に赴き確認して図面を書く、作業工程、材料の説明書を作成するといった程度であり、債権者が自分で決定する箇所はほとんど無かった。しかしその程度の仕事でも誤りが多かった。債権者は現場確認をしないで仕事をするので、たとえばパイプを通す位置を変更する作業の場合、債権者の作成した図面と現場が食い違っており、債権者の作成した図面通りにするとパイプの位置がずれてつながらなかったり、障害物のあるところにパイプを通すことになったりする誤りが目立っていた。

債権者は、仕事に取りかかるまで大方三〇分から四〇分かかり、自分の席で机の上や自分の手を見たまま長時間何もしないでいることがしばしばあった。また、塚本係長が債権者とトイレで一緒になり、しばらくしてほかの用事で再びトイレの前を通ると債権者がまだトイレに居て、髪をなでつけたり手を洗ったりしていることが何回もあった。

債権者は、文字を一字一字レタリングでもするかのように書いて仕事が遅かったことから、昭和六〇年五月ころ、塚本係長は債権者に対し、正確に速く書くことが大事なので汚くてもよいから速く書くようにと何度も注意したが、一向に速くならないので、手本を見せて説明したりした。しかしなお改善されなかったので、後述の同年六月一八日の会議の際に、速くならない理由を債権者に改めて聞くと、債権者は、自分の最初の仕事なので綺麗に書いておきたかったという返答をし、塚本係長が五月にした注意は全く無視されていた。

DLMには、特定のために一つ一つ違った番号がつけられており、ウオーターフロントセクションの部屋には、DLMの番号とそのDLMに関連する事項を記入するリストがあって、ウオーターフロントコーディネーターの誰もが閲覧、記入できるようになっていた。

ある時、債権者は、既に他のウオーターフロントコーディネーターが使用してリスト上に載っているDLMの番号を、リスト上に記載された、そのDLMの関連事項を消して、自分のDLMの番号として使ってしまった。これを放置すると、同じ番号のDLMが二つできてしまうことになり、現場の混乱を招くことは必定であったので、塚本係長は、既に他の課に回ってしまった債権者作成のDLMを他の課まで出向いて捜し出し、その番号を訂正しなければならなかった。

塚本係長が債権者に、どうしてこのようなことをしたのか聞くと、債権者は、既に他のウオーターフロントコーディネーターが作成したDLMの方の番号をまた変えればよいと思ったと答え、自己の行ったことの重大性を全く意識していない様子であった。

ある時、債権者が間違った電気部品を選択していたので、塚本係長が部品リストのことを教えようとすると、債権者は、そのリストのことは知っていたが、似たような図面の中に同じような物があったのでそれを使った旨答えた。そこで塚本係長が、きちんと確かめなければならない旨注意すると、債権者は、後で誰かがチェックするからよいと思ったという無責任な返答をした。

債権者は、その専門分野である電気についても極めて貧弱な知識しか持ち合わせていなかった。塚本係長は、一度、債権者に、電気関係の設計変更の仕事を、細かな指示を与えないで債権者自身の判断で行わせたことがあったが、債権者一人では完成させることができなかった。

31  このような状態であったから、他の二人の新入従業員をウオーターフロントコーディネーターの補佐として現場に出した後も、塚本係長は、債権者を現場に出すのを躊躇していた。しかし、その後、塚本係長は、設計部技術監督者のオーエンスから、債権者を他の二人の新入従業員と同様に現場に配置するように言われ、債権者をウオーターフロントコーディネーターの補佐として米軍艦ブルーリッジの現場事務所に送った。

ブルーリッジの現場事務所での債権者の仕事は、それまでと同様に初歩的なものであった。しかし、ブルーリッジの現場事務所担当のダージェンから塚本係長に、債権者について、仕事が遅く、不正確である等の苦情があった。

32  塚本係長は、債権者を、自分のもとでもっと基本的なトレーニングに戻そうと考えていた。塚本係長がそのことを艦船支援課のヤング課長に話すと、ヤング課長は、会議を開いて債権者に状況を説明し、ウオーターフロントセクションの機能について理解してもらう必要があると言った。そこで、昭和六〇年六月一八日、第一回目の会議が開かれ、塚本係長、ヤング課長、オーエンスと債権者が参加した。

そこでは、債権者に対して、債権者の仕事は遅すぎること、ウオーターフロントコーディネーターにとっては正確さと速さが重要であり、綺麗に書く必要はないこと、DLMは現場の仕事を援助するためのものであるから、情報を正確に速く伝えるものでなければならないこと、不明な点があった場合には自分から監督者に質問しなければならないこと、六か月後に、債権者をウオーターフロントセクションの常用職位に採用するかどうかをコード二四〇(設計部)に報告しなければならず、債権者は、その仕事がウオーターフロントセクションに有益なものとなるよう改善する必要があることなどを説明した。ヤング課長が、仕事の量が多すぎないかと聞くと、債権者は、そういうことはないと答え、また、ヤング課長が、債権者の置かれた状況を認識しているか聞くと、債権者は、分かっている旨返事をした。

33  昭和六〇年六月二四日、債権者に、完成までに四時間を要すると推定される製図の仕事が与えられたが、債権者は完成に八時間以上かかった。その遅延の理由について、債権者は、十分な情報がなかったためであると言った。しかし、実際には、債権者は、必要な情報を与えてくれる人と連絡をとろうとしなかったし、監督者に対して、仕事に債権者にとって難しい問題点のあること、仕事の完成が遅れそうなことを知らせなかった。

同月二六日、債権者に製図の仕事が与えられ、完成期日が同日と決められたが、債権者はそれを翌二七日完成した。債権者には、完成予定日が余りにも厳しい場合にはその事を監督者に通知するよう注意がなされた。

同月二七日、債権者に対して構造作業の仕事が与えられ、完成期日が同日とされたが、債権者はその仕事を翌日完成した。その遅延の理由について、債権者は、仕事をチェックしてもらう人がつかまらなかったからであると述べた。

同月二八日、債権者に対し、艦首旗竿に関する構造作業の仕事が割り当てられ、完成期限は七月二日一二時とされたが、七月二日には完成しなかった。

34  昭和六〇年七月二日、債権者の改善を話し合うため、第二回目の会議が開かれた。そこでは、債権者に対し繰り返して、仕事は速く、正確に、柔軟性を持って行わなければならないことが説かれた。

債権者に、上司との間の意思伝達にうまくいかなかった点があったか尋ねると、債権者は、無かったと答えた。仕事が少なすぎるかという問いに対し、債権者は、そうは思わないと答えた。仕事が遅いという指摘に対して、債権者から、ダージェンより十分な情報が得られなかったこと、自分が図面を仕上げてもダージェンに見てもらえなかったことなどの弁解がなされた。ヤング課長は、債権者の仕事を再点検してもらうためにダージェンが確実につかまるようにするが、完成予定日に間に合うようにチェックを受ける義務は債権者にあること、完成予定日までに仕事が終了しない場合は監督者に報告しなければならないことを債権者に伝えた。しかし、その後も債権者に改善は見られなかった。

同月三日、債権者に設計図の仕事が割り当てられ、債権者はその仕事を決められた時間内に仕上げたと言った。実際は債権者に割り当てられた後に寸法の若干の変更があったが、債権者はその変更を考慮していなかった。その理由について、債権者は、変更を再確認しようとしたがチェックする人をつかまえることができなかったと言った。そこで、債権者に対し、再び、仕事を完成するということは、仕事を再確認し、少なくともダージェンの署名を得ることである旨注意がなされた。

同日、債権者に、数時間でできると思われる構造基礎に関する仕事が割り当てられたが、実際は、七、八時間を費やし、同月五日に完成した。

同月五日、債権者に換気装置に関する仕事が与えられ、期限はその日の終業時刻までであること、その仕事には艦上検査と最終署名が必要であることが告げられた。仕事の期限がそれでよいか尋ねられ、債権者は、それでよいと答えた。しかし、実際にその仕事が完成したのは同月八日であった。

同月八日、債権者に対し、電気関係の無電源電話機に関する製図の仕事が割り当てられ、予定完成日は、同月一〇日の終業時とされた。債権者にその仕事を与えた上司は、まず参考図面を探す必要があると債権者に助言した。債権者は三時間半かかってもその図面を見つけることができなかったが、他の係員は一五分で見つけた。そこで、債権者に対して、わからないときに人に聞くことは債権者の責任であると再び注意した。その仕事が実際に完成したのは、同月一一日の午前一一時だった。

35  昭和六〇年七月一六日、第三回目の会議が開かれ、債権者が進歩したか否かを確かめるため、債権者にDLM作成の仕事を与えることが決められた。その仕事は、債権者の言うところの仕事を遅らせる原因を除去し、債権者の真の能力を見るため、最初に与えられた情報だけで、他の人との連絡なしに仕事が進むように題材を簡素化し、また、塚本係長のチェックをいつでも受けられるようにした。そして、完成予定日時も、経験豊富な従業員の完成日時、新入従業員の完成日時、債権者が推定した完成予定日時が各仕事について予め調査された。この仕事は、実際は既に完成されており、債権者の進歩を確かめるために課せられたものだったが、そのことは債権者には知らされなかった。この仕事は四つあり、同月一六日から八月二日まで行われた。しかし、どれも、経験豊富な従業員または新入従業員に期待される時間よりもかなり多くの時間を要し、債権者自身が推定した完成予定日時にも間に合わなかった。

その後、債権者は、自分はウオーターフロントセクションの仕事に向いていないかもしれないが、だからといってそれは自分がSRFを辞めなければならない理由にはならないと言っていた。

36  昭和六〇年七月二三日と八月二日に、設計部の監督者、CCPO及び債権者の間で、債権者の業務を検討するための会議が開かれた。

八月二日の会議が終わった時点で、CCPOは、解雇措置を進める十分な証拠があるが、横須賀渉外労務管理事務所で検討するための文書を翻訳させるのに時間を要するということについて、SRFの合意を得た。そして、設計部の監督者は、債権者にこれ以上オン・ザ・ジョブ・トレーニングを施すことは人員、時間、金銭の浪費であるから、横須賀渉外労務管理事務所が債権者の解雇を検討することができるようになるまで、債権者を、艦船の行動予定に影響を与えるような生産的な仕事から外し、もっと重要性の少ない仕事につかせることに決めた。

債権者には、大規模な再編成を行っていたファイル部門の索引を作る作業や文書のコピーを作成する作業が与えられた。しかしこれらの簡単な作業でも債権者はうまく処理することができなかった。あるとき、技術支援監督者が五ページの文書のコピー一部を作成するよう債権者に依頼したところ、債権者は、一枚は空白、一枚は上下逆、もう一枚は裏返しのものを綴じたコピーを渡した。

債権者が生産的な仕事から外されてから、債権者と同僚の関係はかえって良くなった。債権者が生産的な仕事に従事していたときは、塚本係長は、債権者の同僚から、債権者の仕事が余りにも遅く、そのため同僚の仕事も遅らせなければならないという苦情を聞かされたが、そのようなことがなくなった。

37  昭和六〇年一一月一八日、SRFは横須賀渉外労務管理事務所に覚書を送り、債権者の解雇を正式に終結するよう要求した。

一二月一八日、横須賀渉外労務管理事務所長は、債権者に対し、解雇を予告するとともに、解雇に不服がある場合はその旨を記載した回答書を提出するよう通知し、同月二五日、債権者は、同事務所長に対し、解雇に不服がある旨の回答書を提出した。

その後、前記のとおり、昭和六一年一月一四日、同事務所長から債権者に対して、不適格解雇の通知がなされた。

以上の事実が一応認められ、債権者作成の(証拠略)の右認定に反する部分は信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  以上に詳細に認定したとおり、債権者は、PWC技術部電気課にエンジニアリング専門職(電気、六等級)として採用されたが、その事務を処理する能力を有しないから、就業規則に当たるMLC第一〇章3dに定める不適格者に該当し、同章4aの定めるところにより、不適格者に対する解雇の予備措置として、成績向上のための忠告を受けた上、一段階低い能力をもって遂行できるものとして配属されたSRF企画見積部工事企画課電気工事企画係の生産専門職(五等級)の事務についても、その職務を遂行することができず、最終的に債権者の能力に相応した職務が得られるかどうかを確かめるために配属されたSRF設計部ウオーターフロント課における事務についても、その職務を遂行することができなかったために、同章4所定の手続を経て解雇されたものと認められるから、本件解雇は有効になされたものというべきである。

債権者は、監督者に不当な差別を受け、解雇に追い込まれたと主張するが、本件解雇の理由は以上のとおりであるから、債権者の右主張は理由がない。

四  以上の次第で、債権者の各仮処分申請は、被保全権利の疎明を欠くものであり、保証をもってその疎明に代えるのは相当でないから、これを却下すべきである。

よって、前記各仮処分決定中の右仮処分申請を認容した部分を取り消して、右取消しにかかる部分の仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林亘 裁判官 櫻井登美雄 裁判官 中平健)

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