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横浜地方裁判所 平成元年(ワ)1037号 判決 1991年9月25日

原告

川上誠

川上聡子

右両名訴訟代理人弁護士

佐々木実

被告

沼田登紀

小澤清子

右両名訴訟代理人弁護士

児玉康夫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告川上誠に対し、各自金一六三七万五九八〇円及び内金一四二三万〇九八〇円について、被告沼田登紀は平成元年六月二五日から支払い済みまで、被告小澤清子は同月二三日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告川上聡子に対し、各自金一一九三万円及びこれについて被告沼田登紀は平成元年六月二五日から支払い済みまで、被告小澤清子は同月二三日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告小澤清子は、太陽の園神奈川保育園の園長で、同保育園を経営する者、被告沼田登紀は、同保育園に雇われている保母である。

原告川上誠は、訴外川上綾香(以下「綾香」という。)の父親であり、原告川上聡子は、綾香の母親である。

2  原告川上聡子は、昭和六三年四月一四日午前七時三〇分ころ、太陽の園神奈川保育園に赴き、長女綾香(昭和六二年一〇月一四日生まれ、当時生後六か月)を被告沼田登紀に預けた。

被告沼田登紀は、綾香を預かると同女をうつ伏せに寝かせようとしたので、原告川上聡子は、被告沼田登紀に「うちの子は、うつ伏せに寝かせると上手に顔を上げられないので、うつ伏せに寝かせないようにして下さい。」と注意した。

被告沼田登紀は、それにも拘らず、右保育園一階の保育室に同女をうつ伏せに寝かせたまま、そのそばを離れた。同日午前八時三〇分ころ、被告沼田登紀が綾香のもとに戻ったとき、綾香は、うつ伏せの状態で顔色が真っ青になり、意識がなくなっていた。

3  被告沼田登紀は、綾香の異常に気づき、あわてて同女を抱き上げ、近くの横浜逓信病院に運んだ。綾香は、顔面蒼白、チアノーゼ、呼吸停止、心音不聴、四肢冷感、瞳孔散大という状態だったが、医師が心外マッサージ、人工呼吸及び輸液の処置をした結果、同日午前九時一五分ころ、心音聴取可能となり、心電図の正常リズムも回復し、不規則ながら自発的な呼吸が認められるようになった。

同日午前一一時二五分ころ、綾香は、意識不明のまま神奈川県立こども医療センターに転送され、同医療センターに入院した。同医療センターにおいては、人工呼吸器による管理及びミルクの胃内注入が行われたが効を奏せず、綾香は、平成元年二月一〇日死亡した。

4  被告沼田登紀は、綾香を預った保母として、綾香の動静に十分注意し、これを観察すべき注意義務があるのにこれを怠り、同女をうつ伏せに寝かせ放置した過失により、同女を鼻口圧迫により窒息させた。これにより綾香の心肺機能が停止し、体の各器官に酸素補給が十分にできなくなったため、同女は、低酸素血症(ないし低酸素性脳障害)により死亡するに至ったものである。

5  被告小澤清子は、太陽の園神奈川保育園の経営者として被告沼田登紀を使用する者であるところ、被告沼田登紀の前記行為は、右保育園の職務の執行としてなされたものである。

6  綾香の死亡により原告両名が被った損害は、以下のとおりである。

(一) 逸失利益 原告両名につき各金七九三万円

綾香は、昭和六二年一〇月一四日生まれの健康な女児であり、その稼働可能年数は、満一八歳から満六七歳までの四九年である。女子労働者の平均賃金は、年額一三三万七三〇〇円であり、右金額から生活費三〇パーセントを差し引くと九三万六一一〇円となる。これに年五分の率によるホフマン式計算方法による単利年金現価係数16.9455を乗じた一五八六万円(一万円未満切り捨て)が、綾香の逸失利益である。原告らは、綾香の両親であり、綾香の死亡によりそれぞれ右金額の二分の一である金七九三万円を相続した。

(二) 葬儀費用 原告川上誠につき金五〇万円

原告川上誠は、綾香の葬儀費用として金五〇万円を支出した。

(三) 原告両名の慰謝料 原告両名につき各金二七五万円

原告らは、長女綾香の突然の死亡により多大な精神的苦痛を被った。原告両名の被った精神的苦痛に対する慰謝料は、各自金二七五万円が相当である。

(四) 死亡者本人の慰謝料 原告両名につき各金一二五万円

死亡した綾香が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、金二五〇万円が相当である。原告らは、綾香の死亡によりそれぞれ右金額の二分の一である金一二五万円を相続した。

(五) 死亡に至るまでの医療費原告川上誠につき金一八〇万〇九八〇円

綾香は、窒息し意識不明になったことにより、昭和六三年四月一四日から平成元年二月一〇日まで入院治療を受け、原告川上誠は、右入院治療費として金一八〇万〇九八〇円を支払った。

(六) 弁護士費用 原告川上誠につき金二一四万五〇〇〇円

原告川上誠は、本件訴訟追行を委任した原告訴訟代理人に対し、着手金五〇万円を支払い、右訴訟代理人との間で訴訟終了後の報酬金として弁護士会規定の標準報酬額金一六四万五〇〇〇円を支払うことを約した。

7  よって、原告川上誠は、被告沼田登紀に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一六三七万五九八〇円及び弁護士費用を除く内金一四二三万〇九八〇円に対する平成元年六月二五日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被告小澤清子に対し、使用者責任に基づき、金一六三七万五九八〇円及び内金一四二三万〇九八〇円に対する平成元年六月二三日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求め、原告川上聡子は、被告沼田登紀に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一一九三万円及びこれに対する平成元年六月二五日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被告小澤清子に対し、使用者責任に基づき、金一一九三万円及びこれに対する平成元年六月二三日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、被告沼田登紀が綾香をうつ伏せに寝かせようとしたので、原告川上聡子が被告沼田登紀に「うちの子は、うつ伏せに寝かせると上手に顔を上げられないので、うつ伏せに寝かせないようにして下さい。」と注意したことは否認し、その余は認める。ただし、被告沼田登紀が綾香のそばから離れていた時間は約五分位であり、同被告が戻ってきたとき、綾香は、両手を頭の上方に置き、左頬を布団につけ、右方向を向いて布団上にうつ伏せの姿勢で寝ていた。

3  同3の事実のうち、横浜逓信病院における事実の経過、綾香が県立こども医療センターに転送され、同医療センターに入院したこと及び綾香が平成元年二月一〇日死亡したことは認めるが、同医療センターにおける処置の内容は不知。

4  同4の事実のうち、綾香が低酸素性脳障害により死亡するに至ったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。綾香の心肺停止は、乳幼児突然死症候群によるものであり、被告沼田登紀に過失はない。

5  同5の事実のうち、被告小澤清子が太陽の園神奈川保育園の経営者として被告沼田登紀を使用する者であることは認めるが、その余は否認する。本件は、乳幼児突然死症候群によるものであり、被告小澤清子に責任はない。

6  同6の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実、同2の事実のうち、原告川上聡子が、昭和六三年四月一四日午前七時三〇分ころ、太陽の園神奈川保育園に赴き、長女綾香を被告沼田登紀に預けたこと、被告沼田登紀が綾香を預かった後、右保育園一階の保育室に同女をうつ伏せに寝かせたまま、そのそばを離れたこと、被告沼田登紀が綾香のそばに戻ったとき、同女はうつ伏せの状態で、顔色が真っ青になり意識がなくなっていたこと、同3の事実のうち、横浜逓信病院における事実の経過、綾香が県立こども医療センターに転送され、同医療センターに入院したこと及び綾香が平成元年二月一〇日死亡したこと、同4の事実のうち、綾香が低酸素性脳障害により死亡したこと並びに同5の事実のうち、被告小澤清子が被告沼田登紀を使用する者であることについては、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、被告沼田登紀が綾香をうつ伏せに寝かせ、鼻口圧迫によって窒息させたか否かについて検討する。

1  証人神崎豊巳の証言によれば、昭和六三年七月一四日、綾香が最初に運び込まれた横浜逓信病院において、同女の気管は非常にきれいな状態であり、気管に異物等を吸入した様子はなかったこと、同女の心肺停止の原因について、はっきりしたことはわからなかったことが認められる。

2  また、証人津田征郎は、鼻口部圧迫による窒息の場合、鼻と口のところに圧迫痕が残る旨述べているところ、証人成相昭吉の証言によれば、綾香が神奈川県立こども医療センターに転送された当時、同女の鼻口部等に圧迫痕はなかったことが認められる。

3  さらに、綾香が太陽の園神奈川保育園に預けられた当時、生後六か月であったこと及び同保育園においてうつ伏せに寝かされたことについては、当事者間に争いがないが、<書証番号略>には、六か月の乳児は、うつ伏せ位で両腕を伸ばして顔を挙げ、両手で体重を支えることができる旨、また、<書証番号略>には、通常生後六か月の乳児は、うつ伏せになった場合も寝返りが可能であり、鼻口部圧迫により窒息死する確立は極めて低い旨、<書証番号略>には、正常な乳児なら生後五か月以上経てば、うつ伏せになり寝具で鼻口が圧迫されても、それだけで窒息することは考えられない旨それぞれ記載されており、証人津田征郎も同趣旨の証言をしているほか、<書証番号略>によれば、昭和六三年九月四日、県立こども医療センター医師も、健康な子供ならうつ伏せによって窒息することはない旨説明していることが認められる。

<書証番号略>及び証人津田征郎の証言中には、布団が極めて柔らかい等の悪条件が加わって寝返りが妨げられたような場合は、鼻口部圧迫による窒息の可能性があるとする部分がみられるが、当時の寝具が寝返りをうつことを困難とするようなものであったと認定するに足りる証拠はない。

4 <書証番号略>によると、乳幼児の死亡のうちには、決めてとなる死因を確定できない乳幼児突然死症候群(乳幼児急死症候群等の呼び方もあるが、以下「乳幼児突然死症候群」という。)のあることが指摘されており、<書証番号略>並びに証人成相昭吉の証言によると、綾香の呼吸停止は、乳幼児突然死症候群による疑いがあるとされている。この点につき、原告らは、乳幼児突然死症候群の場合は、過敏でよく泣く、咳、鼻をすする、かぜ症状、異常な嗜眠、食事をとらないなどの非特異的な前駆症状が認められることが多いが、綾香にはこのような非特異的な前駆症状はなかったから、綾香の呼吸停止は、乳幼児突然死症候群によるものでないと主張する。しかし、<書証番号略>及び証人成相昭吉の証言によれば、乳幼児突然死症候群の場合も、右のような前駆症状を伴わないことがあるとされており、右のような症状がないことから直ちに綾香の呼吸停止が乳幼児突然死症候群によるものでないということはできない。

5 結局、被告沼田登紀が綾香をうつ伏せに寝かせ、鼻口圧迫によって窒息させた事実を認めることはできず、他に請求原因4の事実を認めるに足りる証拠はない。

三よって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐久間重吉 裁判官辻次郎 裁判官伊藤敏孝)

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