横浜地方裁判所 平成10年(わ)556号 判決 2001年6月11日
主文
被告人池田弘一を懲役二年に、被告人新井竹男を懲役八月に処する。
被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間それぞれその刑の執行を猶予する。
理由
(犯罪事実)
第一 被告人両名は、尾崎俊一、松原稔留こと松原稔と共謀の上、平塚市真土二五〇番地一に本店を置き、液化石油ガスの販売等を目的とする相模イケダ株式会社について、代表取締役下塩渉、取締役田中幸雄、同山鹿一彦、同次原国俊、同水上袈裟壽、同本間敏治、同増田正彦、同斉田勝行及び監査役佐藤武が解任された事実がなく、かつ、被告人池田弘一、右尾崎俊一、被告人新井竹男が取締役に、加山忠成が監査役に就任した事実がないのに、これらの事実があった旨の不実の株式会社変更登記をしようと企て、平成八年二月一三日、同市浅間町一〇番二二号横浜地方法務局平塚主張所において、同月六日開催の同社臨時株主総会で、前記下塩渉ら九名が解任され、被告人池田弘一らが取締役等に選任されて就任を承諾し、同日開催の取締役会において被告人池田弘一が代表取締役に選任されて就任を承諾した旨の内容虚偽の臨時株主総会議事録及び取締役会議事録等を添付した株式会社変更登記申請書を提出して変更登記を申請し、よって同月一三日、同出張所登記官をして、同所備え付けの商業登記簿の原本にその旨の不実の記載をさせた上、即時同所にこれを備え付けさせてこれを行使し、
第二 被告人池田弘一は、尾崎俊一、山本三雄、松原稔留こと松原稔と共謀の上、相模イケダ株式会社がトップウィング株式会社に対して金銭債務を負担していることを承認しこれを弁済する旨の内容虚偽の債務承認及び弁済契約の成立を公正証書原本に記載させることなどを企て、同年三月六日、東京都豊島区南大塚三丁目九番一四号大塚公証役場において、情を知らない公証人近藤和義に対し、債務者相模イケダ株式会社が同年二月二三日付け金銭消費貸借契約に基づき債権者トップウィング株式会社から弁済期を同月二九日とし、利息を年八パーセントとする約定で金九〇〇〇万円の借受債務を負担していることを承認し、約定どおり弁済することを約し、トップウィング株式会社はこれを承諾した旨の虚偽の申立てをし、よってそのころ、同所において、同公証人をして、公正証書原本にその旨の不実の記載をさせた上、これを同所に備え付けさせてこれを行使し、
第三 被告人池田弘一は、松原稔留こと松原稔と共謀の上、同年三月下旬ころ、横浜市戸塚区小雀町一九七五番地相模イケダ株式会社事務所において、行使の目的をもって、ほしいままに、被告人池田弘一、尾崎俊一、新井竹男の三名が山梨池田興産株式会社の真正な株主であることを確認する旨を記載した昭和五九年四月一一日付け同会社の臨時発起人総会議事録の発起人欄に、「松本誠一郎」、「能登谷俊英」、「山口明」、「岡元工」の各氏名を冒書し、その各名下に「松本誠一郎」、「能登谷」、「山口明」、「岡元工印」と各刻した有り合わせ印を冒捺するなどし、もって右松本ほか三名作成名義の同会社臨時発起人総会議事録を偽造し、平成八年七月九日、小田原市本町一丁目七番九号横浜地方裁判所小田原支部において、同支部に対し、情を知らない弁護士池田直樹らを介し、右偽造に係る臨時発起人総会議事録の複写物を真正に成立した原本の複写物のように装って、同支部平成八年(モ)第二六二号保全異議申立事件の書証として提出して行使し、
第四 被告人池田弘一は、同年九月ころ、東京都豊島区巣鴨三丁目二五番一〇-六〇一号松原稔方等において、行使の目的をもって、ほしいままに、領収証用紙の二枚の宛名欄にそれぞれ「尾崎俊一」、「新井竹男」、日付欄にいずれも「昭和五九・四・一一」、金額欄にいずれも「金一〇〇、〇〇〇」、但書欄にいずれも「二株代金」と各記入した上、作成者欄にいずれも「山梨池田興産株式会社代理人岡元工」と冒書し、その名下にいずれも「岡元工印」と刻した有り合わせ印を冒捺し、もって岡元工作成名義の領収証二通を偽造し、同年一一月七日、前記横浜地方裁判所小田原支部において、同支部に対し、情を知らない前記池田直樹らを介し、右偽造にかかる領収証二通の各複写物を真正に成立した原本の複写物のように装って、前記保全異議申立事件の書証として提出して行使し、
第五 被告人両名は、山本三雄、松原稔留こと松原稔、柏木芳之と共謀の上、池田興産株式会社及び株式会社山梨県農芸化学研究所がトップウィング株式会社に対して金銭債務を負担していることを承認しこれを弁済する旨の内容虚偽の弁済契約の成立を公正証書原本に記載させることなどを企て、同年一一月一日、東京都豊島区南大塚三丁目三四番七号大塚公証役場において、情を知らない公証人近藤和義に対し、連帯債務者池田興産株式会社及び株式会社山梨県農芸化学研究所が平成七年七月三一日、債権者トップウィング株式会社から弁済期を平成八年五月三一日とし、利息を年六パーセント、遅延損害金を年一二パーセントとする約定で金六〇〇〇万円の借受債務を負担していることを承認し、約定どおり弁済することを約し、トップウィング株式会社はこれを承諾した旨の虚偽の申立てをし、よってそのころ、同所において、同公証人をして、公正証書原本にその旨の不実の記載をさせた上、これを同所に備え付けさせてこれを行使した。
(証拠)省略
(補足説明)
一 争点
被告人両名は、判示第一の事実について、平成八年二月六日当時、相模イケダ株式会社の株式は、池田興産株式会社(以下「池田興産」という)が三光産業株式会社(以下「三光産業」という)から借り入れていた六億三〇〇〇万円の担保として、三光産業に提供されていたものであり、株主の共益権は、依然、被告人池田弘一(以下「被告人池田」という)に帰属していたのであって、同日開催の臨時株主総会における役員変更決議は被告人池田がその権限に基づいて行ったものであるから有効であり、これに基づいてなされた本件役員変更登記は不実のものではない旨述べ、弁護人もこれに沿った主張をし(争点<1>)、さらに三光産業は、相模イケダにおいて、池田興産の燃料販売業務を相模イケダが承継した旨の通知文書を顧客宛てに発送したほか、池田興産名義の電話加入権の移転手続をとるなど担保権の範囲を超えた行為を行っており、かかる背信行為によって担保権は消滅したものとも評価できると主張して(争点<2>)、被告人両名の無罪を主張しているので、検討を加える。
二 本件に至る経緯及び事案の概要
まず、関係各証拠によれば、以下の事実が認められ、これらについては当事者間にほぼ争いがない。
1 被告人池田は、昭和四四年二月に池田興産を設立してその代表取締役となり、同社でプロパンガス・石油類の販売業を営んでいた。
三光産業は、池田興産が設立されて間もなくのころから同社に石油製品を供給し、昭和五〇年代初めころ以降は、同社で販売するプロパンガス及び灯油等の六割ないし八割を供給して、同社を大口の取引先としていた。
2 池田興産の燃料事業は順調に営業成績を上げていたが、被告人池田が新規事業として始めたホテル、パチンコ店の経営事業が十分な収益を上げられず、池田興産は、平成四年ころから、銀行やノンバンクからの借入金の金利の支払等に追われるようになり、資金繰りに窮するに至った。
そこで、被告人池田は、三光産業に支援を求めることとし、池田興産の事務取締役であった増田正彦(以下「増田」という)に命じて、三光産業との交渉に当たらせた。その結果、同年四月三〇日、被告人池田が発行済み株式全部を所有し、ガソリンスタンド営業及びLPガス販売を行っていた山梨池田興産株式会社(以下「山梨池田興産」という)の営業設備及び営業権を三光産業の子会社である三光石油サービス株式会社に代金一億五〇〇〇万円で売却する旨の契約が成立した。
これにより、山梨池田興産は、休眠会社となり、被告人池田は、その商号を「相模イケダ株式会社」(以下「相模イケダ」という)に変更し、本店を池田興産の平塚営業所の所在地である平塚市真土に移し、代表取締役を被告人池田から水上袈裟壽に変更した。
3 しかし、池田興産の資金繰りは、その後も好転せず、被告人池田は、同年九月ころ、増田に命じ、三光産業に対し、池田興産の営業権の一部を担保に一億三〇〇〇万円の融資を依頼させ、同年九月二一日、池田興産のプロパンガス顧客三五〇〇軒分の液化石油ガス販売施設及び営業権を担保として、一億三〇〇〇万円を借り入れる旨の「買戻約款付売買契約書」を交わした。
この一億三〇〇〇万円については、当初、同五年一月三一日が返済期限とされていたが、池田興産では返済資金の準備ができず、三光産業との交渉で、支払期限を同年三月二五日まで延長してもらい、さらに、その延長後の期限において、いったん池田興産から三光産業に一億三〇〇〇万円を返済し、再度同額を借り受ける形で、その返済期限を同六年三月二五日まで延長してもらったが、池田興産の資金繰りはなおも好転しなかった。
4 そこで、被告人池田は、三光産業に対し、さらに五億円の融資を依頼し、増田や池田興産の当時の常務取締役であり、ガス事業の責任者であった本間敏治(以下「本間」ともいう)に指示して、三光産業の代表取締役であった武田嘉市(以下「武田」ともいう)や同社燃料部の契約関係を担当していた田中幸雄(以下「田中」ともいう)と交渉させた。
池田興産は、同五年四月一二日ころ、取り急ぎ一億円の資金繰りを行う必要があったことから、右上積み分五億円から一億円を先渡ししてもらうため、三光産業に対し、一億円の融資依頼を行い、同月二四日ころ、池田興産と三光産業との間で、同年五月三一日までに被告人池田が相模イケダの全株式を三光産業に譲渡すること及び池田興産の液化石油ガス販売に関する営業権を相模イケダに譲渡することなどを前提として、池田興産のプロパンガス顧客九〇〇〇軒分の液化石油ガス販売施設及び営業権を買戻し特約付きで三光産業に譲渡することなどを内容とした「買戻約款付売買契約書」を交わし、同年四月二六日、右一億円を借り入れた。
5 そして、同年五月三一日、債権者を三光産業、債務者を相模イケダ、連帯保証人を池田興産及び被告人池田とする六億三〇〇〇万円の金銭消費貸借契約並びに抵当権設定契約書、譲渡人を池田興産、譲受人を相模イケダとする池田興産の燃料部門の営業権についての営業譲渡契約書、被告人池田が相模イケダの株式六〇株を三光産業に代金一〇〇〇万円で譲渡するとの内容の株式譲渡証、池田興産を賃貸人とし、相模イケダを賃借人とする池田興産の事務所等の賃貸借契約書、従業員の移籍に関する覚書がそれぞれ交わされ、相模イケダは三光産業から新たに融資を受けた四億円を池田興産に支払うとともに、同社の三光産業に対する借入金債務二億三〇〇〇万円を承継した。
6 相模イケダの役員については、被告人池田及びその親族らが取締役を辞任し、三光産業から、代表取締役として下塩渉(以下「下塩」ともいう)が、次原国俊、斉田勝行及び田中が取締役として、佐藤武が監査役として、それぞれ派遣されたほか、相模イケダが譲渡を受けた燃料部門の営業を円滑に行うため、池田興産の役員のうち、水上袈裟寿、増田及び本間の三名が取締役に留任又は新任された。
7 右営業譲渡契約に従って池田興産から相模イケダに名義変更がなされるべき池田興産の営業所には、平塚、上溝、小雀、旭、下九沢の各営業所があったが、そのうち、平塚営業所については、同五年五月一九日に同所を本店とする相模イケダの液化石油ガス販売事業許可申請がなされ、同年六月八日に右許可が下りたものの、他の営業所については、同六年一一月になっても、営業許可名義の変更に至らなかったため、三光産業は、池田興産に対し、同社の各営業所についての営業許可名義の変更を早急に行うよう要望した。
8 しかし、被告人池田は、これに応ぜず、同六年一一月二五日、いずれも振出人を池田興産とし、支払期日を同七年二月二八日とする額面一億円の約束手形二通、支払期日を同年三月二五日とする額面一億円の約束手形三通、支払期日同日の額面一億三〇〇〇万円の約束手形一通を振り出し、あくまで六億三〇〇〇万円を返す姿勢を示した。
しかし、結局、池田興産は、右手形金を支払えなかった。
9 そこで、被告人池田及び池田興産と三光産業は、同七年三月二五日、債権者三光産業、債務者相模イケダ、連帯保証人池田興産及び被告人池田とし、池田興産が同年一二月二五日までに営業許可名義の変更など営業譲渡手続を誠実に履行することを条件として、六億三〇〇〇万円の返済期限を同日まで猶予する旨の確認合意書を取り交わした。
その後、右上溝営業所については、同七年五月二日、これを相模イケダの営業所とする営業許可名義の変更申請がなされ、同年六月一九日付けで右変更の許可が下り、池田興産の小雀、旭、下九沢の各営業所についても、同年七月六日に営業許可名義の変更申請がなされ、同年八月一日付けで右変更の許可が下りた。
10 こうしたなか、池田興産は、同年四月二七日ころ、下塩に対し、三光産業からさらに三億七〇〇〇万円を融資して欲しい旨依頼した(なお、増田は、第六回公判において、同年七月四日に、被告人池田が三億円と言うのを自分が三億七〇〇〇万円と言って追加融資の話をしたところ、武田に言下に否定された旨供述するが、下塩作成のメモ(弁三添付資料13)等によれば、同年四月二七日ころ、既に三億七〇〇〇万円の追加融資の申し入れがあったことが認められる)。
11 被告人池田は、同七年五月ころ、当時経営の悪化により発券業務が停止されていた東京観光株式会社(以下「東京観光」という)を池田興産振出の額面合計三億五〇〇〇万円の手形で買収した上、元横浜銀行の行員であり、高校時代の先輩であった尾崎俊一(以下「尾崎」ともいう)を同社の財務部長に就任させたが、発券業務を再開するにはさらに相当額の資金援助が必要であり、東京観光も同年六月でたちまち資金繰りに窮した。
12 池田興産は、同年七月末に支払期日が到来する手形の決済資金を調達できる見込みが立たなくなり、同年八月一七日、横浜地方裁判所に和議の申請をするに至り、同月中に、二度の手形不渡りを出して銀行取引停止処分を受け、同年一一月、整理委員から和議開始不相当との報告がなされたことから、右和議申請を取り下げた。
13 その後、被告人池田は、知人の加山忠成を介して新たな融資先を求めるなどし、三光産業を訪ねて、武田に対し、六億三〇〇〇万円を返せば燃料部門の営業権を返すことを内容とする書面を作成して欲しい旨申し入れたが、武田が右書面の作成に応じる姿勢を見せなかったことから、次第に実力で三光産業から相模イケダを取り戻そうと考えるようになり、右加山から、永谷公道の紹介を受け、さらに同人から登記手続等に詳しい者として松原稔(以下「松原」ともいう)を紹介されて、同人を池田興産の相談役にするなどした。
14 被告人池田は、松原に勧められて、相模イケダの現役員を全員解任して同被告人が同社代表取締役に就任したとする役員変更登記を行って同社を取り戻そうと考えるに至り、同八年二月六日ころ、都内のホテル「吉晁」において、右加山、右永谷、尾崎及び松原に対し、相模イケダの現役員を解任して、被告人池田が代表取締役に、尾崎及び池田興産の古くからの従業員である被告人新井竹男(以下「被告人新井」という)が取締役に、それぞれ就任したとする役員変更登記を行う旨話し、尾崎らはこれを承諾した。
松原は、同日ころ、都内の自宅において、相模イケダの現役員全員を解任するとともに、被告人池田らを取締役又は監査役に選任する旨の同社臨時株主総会議事録、被告人池田を代表取締役に選任する旨の同社取締役会議事録及び株式会社変更登記申請書を作成した。
被告人新井は、同月七日ころ、被告人池田から、電話で、印鑑登録証明書を取り寄せるよう指示され、翌日ころ、これを被告人池田に渡し、同月九日ころ、右臨時株主総会議事録及び右取締役会議事録に署名捺印した。
被告人池田は、同月一三日、尾崎及び松原とともに、横浜地方法務局平塚出張所に出掛け、同所登記官に対し、相模イケダについて、代表取締役下塩渉、取締役田中幸雄、同山鹿一彦、同次原国俊、同水上袈裟壽、同本間敏治、同増田正彦、同斉田勝行及び監査役佐藤武がいずれも解任され、被告人両名及び尾崎が取締役に、右加藤が監査役に、それぞれ選任されて各就任を承諾し、被告人池田が同社取締役会において代表取締役に選任された旨の株式会社変更登記申請書を提出して変更登記の申請をし、同日、登記官をして、同所備え付けの商業登記簿の原本にその旨の記載をさせ、即時同所にこれを備え付けさせた。
15 被告人池田は、同日、相模イケダの登録済み印鑑の変更登録を行ったほか、松原の勧めにより、同月二六日、三光産業に対して前記株式譲渡代金一〇〇〇万円の返還を申し出たが同社から受領を拒絶されたとして右金員の供託手続を行った。
16 被告人池田は、同月二七日から二八日にかけて、役員変更を内容とする前記登記簿謄本を手に、十数名を引き連れて相模イケダの事務所に押し掛け、下塩らを実力で排除して同事務所を占拠した。
17 三光産業は、このような被告人池田の行動に対し、横浜地方裁判所小田原支部に被告人池田らの職務執行停止、職務代行者選任の仮処分を申し立て、同年三月一二日、同支部から右命令が発せられた上、職務代行者は池田らに対し事務所明け渡し断行の仮処分等を申し立て、同年四月二二日ないし二四日にはこれが執行された。
また、三光産業は、相模イケダの職務代行者を相手として相模イケダの株主総会決議不存在の訴えを提起し、被告人池田は、弁護士池田直樹を訴訟代理人としてこれに補助参加し、さらに、三光産業、相模イケダに対し、自らの代表取締役地位確認の訴え、同五年五月三一日の営業譲渡契約無効確認の訴えを提起した。
三 争点<1>について
本件において被告人池田に相模イケダの株主権(共益権)が帰属していたか否かは、結局、前記二の5記載の三光産業と池田興産及び被告人池田との間で交わされた平成五年五月三一日の契約(以下全体をまとめて「本件契約」という)をどのような性質、内容のものと捉えるかに関わっている。以下順次検討を加える。
1 売買目的か担保目的か
この点について、検察官は、本間、田中及び武田の各公判供述や尾崎の検察官調書などから、本件契約において、三光産業は、増田の申し出により、池田興産の営業権の受け皿会社として、新たな子会社の設立に代え、相模イケダを買収することになった経緯があること、武田は、本件契約に当たり、三光産業が池田興産の燃料部門の経営・営業を完全に支配できるということでなければ金は出せないとの趣旨を被告人池田に告げていたこと、被告人池田は、自らが相模イケダの代表取締役を退き、下塩らが同社の役員となることについて、三光産業に対し、抗議や苦情を申し立てたことがなかったこと、被告人池田は、和議申請後の池田興産の朝礼において、同社社員らに対し、同社の和議再建案を述べるとともに「皆様は相模イケダの下塩社長を中心とし、がんばって業績を上げて下さい」と述べていたこと、東京観光の顧問弁護士から、相模イケダが三光産業の一〇〇パーセント子会社であることを前提として、手形訴訟で負けたのは、相模イケダとその親会社である三光産業の責任であるとして、三光産業に損害賠償を請求し、相模イケダから三光産業の口座に振り込まれる金を押さえて取ってやるとの話を持ち掛けられた際にも、被告人池田は、これを承諾していたことなどの事実が認められるとして、これらの事情を根拠に、本件契約が売買目的のものであったと主張する。
しかしながら、弁護人の指摘するとおり、本間、下塩、田中及び武田の各公判供述と弁護人作成の資料整理報告書等によれば、まず、池田興産と三光産業との交渉の過程で、池田興産の営業権の評価について詳細に検討された形跡はなく、六億三〇〇〇万円という金額は、むしろ池田興産がそれまでに三光産業から借り入れていた一億三〇〇〇万円に加え、新たに五億円の融資を依頼したことに対応して決められていること、相模イケダの株式の譲渡価格も池田興産から三光産業への営業権の売買を前提として決められてはいないことが認められる。
この営業権の評価について、増田は、第六回公判において、平成五年当時の池田興産のプロパンガス営業権の価格は、顧客一軒当たり一〇万円程度であり、本件契約における一軒当たり五万円という価格は東京ガスの補償金を基準として決めたもので、売買の価格として合理性がないわけではない旨供述している。しかし、弁護人作成の資料整理報告書(七)添付資料27によると、平成五年六月に株式会社トーエルから一軒当たり二〇万円での購入申し入れがあったこと、池田興産の社内資料に基づいてプロパンガスの顧客一軒を新規に開拓するためにかかる平均的費用は二〇万四〇〇〇円と算出されていたこと、さらに松本誠一郎の検察官調書(甲三五)によれば、一般的には営業権の評価は顧客を獲得するために要した営業経費をもとに算出されていたことなどの事情が認められる。また、山梨池田興産の一億五〇〇〇万円での譲渡の場合と比較しても、池田興産の燃料事業は、売上や顧客数において、山梨池田興産の少なくとも二〇倍はあったというのであるから、池田興産の当時の営業権の価格は、六億三〇〇〇万円を相当上回るものであったことは明らかであり、池田興産が当時資金繰りに苦しんでおり、そのために買い叩かれることがあったのだとしても、六億三〇〇〇万円という金額は売買の価格としてはやはり低額であると言うべきである。
さらに、本件契約の当初から被告人池田が三光産業から相模イケダの株式を買い戻す権利が認められていたこと、前記二8記載のとおり本件契約後被告人池田は三光産業に対し総額六億三〇〇〇万円の手形を振り出し、三光産業はこれを相模イケダに裏書させた上で受け取っていること、前記二10記載のとおり、本件契約後、池田興産から三光産業に対し、六億三〇〇〇万円に上乗せする形で、さらに三億七〇〇〇万円の追加融資の申し込みがなされ、三光産業側でもこれが検討されていることなどの事実が認められる。
以上からすれば、本件契約は、実質的には池田興産が、三光産業から六億三〇〇〇万円を借り入れるに当たり、池田興産の燃料事業の営業権を担保に供することを目的とするものであったと認められる。
2 営業譲渡契約と株式譲渡契約との関係
右のとおり本件契約は、全体として、三光産業から池田興産への融資金を担保する目的のものであったと認められるが、前記二2ないし4に認定したような本件契約に至るまでの経緯、前記二6記載のとおり、本件契約後、相模イケダの経営陣から、被告人池田及びその親族らが外され、三光産業から、代表取締役として下塩が、取締役として次原国俊、斉田勝行及び田中が、監査役として佐藤武が、それぞれ派遣されていること、被告人池田に残された権利はあくまで相模イケダの株式の買戻権であること、平成四年九月二一日の契約の場合と異なり、三光産業は、本件契約後、被告人池田に対し、池田興産の各営業所についての営業許可名義の変更を早急に行うよう要望しており、被告人池田も結局、同七年三月二五日の確認合意書において、池田興産が同年一二月二五日までに営業許可名義の変更などの営業譲渡手続を誠実に履行することを約束していることなどからすれば、本件契約は、三光産業が、池田興産からの度重なる融資依頼に対し、同社の営業権を担保として同社にさらに融資するに当たり、前記二3でしたような債権的な効力しか持たない同四年九月二一日の契約では不十分であり、相模イケダを営業譲渡の受け皿会社として利用することにより、池田興産の営業権をより確実な担保として掌握するために結ばれたものであったと認められ、少なくとも池田興産から相模イケダへの営業譲渡契約については、単なる形式的なものではなく、これを現実のものとして手続が進められていたものと認めることができる。
この点、弁護人は、本件契約後においても、相模イケダの営業状況等が本間から被告人池田に報告されていたこと、本間は、相模イケダの収支決算等についても依然として被告人池田の判断を仰いでいたこと、その他建物、営業設備等の確保の不十分さや従業員の移籍の遅滞などを指摘して、営業譲渡契約も単なる担保契約であったと主張している。
しかし、本間は、当時池田興産にも籍を置き、むしろ池田興産の再建に努めていたものであるし、また、相模イケダと池田興産との間では、営業許可名義の変更等が完了するまでは、池田興産の名義で諸取引を行い、経理処理についても池田興産が立替払いするものとされていた(甲五五<15>)のであるから、本間が池田興産の社長である被告人池田に、池田興産の利益にも関わる相模イケダの営業に関する報告をし、その経理処理に関する判断を頼りにしていたことは、池田興産から相模イケダへの営業権の譲渡を前提としても全く不自然なこととは言い難い。また、営業設備の賃貸借契約書は、本件契約後それほど間がないうちに作成されており(本間七回交替後六九頁、甲五五<13>、弁二<47>)、従業員の移籍は、権かに現実的には同七年八月二五日ころに各従業員から相模イケダへの誓約書が提出され、同月分の給料まで池田興産が負担するものとされてはいる(弁四<9>)が、移籍の覚書自体は本件契約と同時に交わされている(甲五五<14>)のであって、本件契約が池田興産からの差し迫った融資依頼に対応するために取り急ぎ締結されたという経緯からすれば、その内容が営業譲渡契約としていささか不十分なものであったとしても、そのことから直ちに本件の営業譲渡契約が単なる担保契約であったと見ることはできない。
そもそも池田興産の営業権が相模イケダに移らなければ、わざわざ相模イケダを受け皿会社として使用する意味自体がないことになるのであって、本件契約が、全体として融資金の担保としての手段である以上、三光産業が融資金の返済を期待していたことは否定できないものの、本件契約中の池田興産から相模イケダへの営業譲渡契約は現実のものとして、その手続が漸次進められていたものと見るべきである。
なお、弁護人は、本件営業譲渡についての池田興産における株主総会の手続的瑕疵を指摘している。しかし、池田興産が実質的に被告人池田の一人会社であることからすると、その瑕疵は他の株主への招集通知を欠いている点で単なる取消事由にとどまるものと解され、既に商法二四八条一項の出訴期間を経過し、またこれが決議に影響を及ぼさないことも明らかである。また、たとえその瑕疵が株主総会の決議不存在にあたるとしても、少なくとも契約当事者である被告人池田自身が営業譲渡の効力を否定するためにこれを主張することは信義則上許されないと言うべきである。
以上からすると、結局、本件契約は、池田興産から相模イケダに現実に営業権を譲渡し、被告人池田がこのような相模イケダの株式を三光産業に担保に供する形で、三光産業から池田興産への融資金を担保しようとしたものと解することができる。
3 本件契約の性質及び相模イケダの株主権(共益権)の帰属
(一) この点について、検察官は、本件契約は、いわゆる再売買の予約契約であって、売主である被告人池田には株主の共益権は残されない旨主張し、弁護人は、本件契約は、いわゆる譲渡担保契約であって、株主の共益権は担保権設定者である被告人池田にある旨主張している。
しかしながら、株主権帰属の問題は、本件契約の性質論に関連はするものの、それ自体から直ちに結論が導かれる問題ではなく、さらに本件契約の具体的内容如何にも関わる問題である。そこで、以下ではこれらを分けて検討を加える。
(二) まず、本件契約の性質について検討するに、増田及び本間の各公判供述、田中幸雄のメモ(弁二添付資料10)並びに被告人池田作成の覚書(弁二添付資料40)によれば、本件契約以前から被告人池田に相模イケダの株式買戻権を認める旨の合意が成立していた事実が認められる。また、三光産業の提出命令に対する回答書(弁二二)によれば、その旨の念書が平成五年五月三一日に作成され、池田興産に交付されていた事実が認められる。これに対し、増田、本間らは、公判において、同五年五月三一日には念書が交わされなかった旨の供述をしていたが、客観的証拠に矛盾し、到底信用できない。
さらに、同七年三月二五日の確認合意書においても、被告人池田に相模イケダの株式買戻権のあることが明確に意識され、買戻の価格も額面金額とされていること(弁三添付資料10)、本件契約を全体として見れば、三光産業は依然として池田興産に債権を有していること、前記のとおり、本件契約における営業権の売買代金額は、実際の価格に比べて相当低額であり、これを担保に供した被告人池田に単なる債権的な再売買の予約完結権しか認められないとすれば、利益考量上も著しく不均衡であることなどの事情が認められる。
これらの事情からすれば、本件契約の性質は、株式の再売買の予約契約ではなく、譲渡担保契約と見るべきであり、担保権設定者である被告人池田には、本件契約後においても依然として物権的な買戻権に準ずる権利が残されていたものと解するのが相当である。
(三) それでは、株主権(共益権)の帰属については、いかに解するべきか。
確かに、弁護人の主張するとおり、一般に株式が譲渡担保に供された場合の株主の共益権は設定者にとどまるものと解されている。しかし、この点は要するに契約当事者の合理的意思解釈の問題であって、一般的には株式の交換価値や株主の自益権に担保価値が置かれることから、共益権については設定者にとどまるものと解されているにすぎず、具体的事案においては、なおその契約内容に応じてこれを合理的に解釈してその帰属が決せられるべきである。
そこで、本件契約について見るに、前記のとおり、三光産業は、池田興産の営業権をより確実な担保として掌握するため、相模イケダを池田興産の営業権の受け皿会社として利用することにした上、相模イケダの経営陣から、被告人池田及びその親族らを外し、三光産業から、下塩、田中、次原国俊、斉田勝行及び佐藤武を派遣して、相模イケダを実質的に管理しようとしていたものであること、三光産業が本件契約に応じた一つの理由は、池田興産が三光産業以外の業者に営業権を譲渡するなどして取引先を失うことを避けることにあったのであり、相模イケダの株式が他の業者の手に渡れば、結局三光産業としては取引先を失うことになるのであって、三光産業にとつて、相模イケダの株式は、誰にでも自由に譲渡処分できるものではなく、本件契約は、少なくとも三光産業にとって、株式の交換価値の支配を目的とするものとは認められないこと、三光産業は、本件契約後においても、従来どおり池田興産に商品を卸し、同社がこれを相模イケダに転売するという商流を設定し、商品販売による利益の多くを池田興産に帰属させるなどの優遇措置を講じており、相模イケダの収益を二の次にして池田興産の再建を支援していたのであって、三光産業には相模イケダ株式の自益権を行使してこれによる利益を得ようとしていたものとも認められないこと、被告人池田自身、松原から本件役員変更登記を勧められるまで共益権の行使など考えておらず、松原からこれを勧められた際も、三光産業が同じことをやり返してくることを懸念していたというのであり、しかも変更登記を申請するに当たっては尾崎及び新井を相模イケダの株主に仕立てる方法を講じるなど、本件における議決権の行使が正当な権利に基づくものとは考えていなかった様子がうかがわれることなどの事情が認められる。
以上からすれば、本件契約において、三光産業と被告人池田との間には、設定者である被告人池田に相模イケダの株主共益権を留保する意思があったとは認められないと言うべきである。
四 争点<2>について
関係証拠によれば、弁護人の指摘するとおり、池田興産が同七年八月一七日に和議申請をする直前に、相模イケダにおいて、池田興産の燃料販売業務を相模イケダが承継した旨の通知文書を顧客宛てに発送したこと、顧客から振替入金される預金口座の名義を池田興産から相模イケダに変更したこと、和議申請の直後に、各従業員から相模イケダに入社して、その社命に従う旨の誓約書を提出させていること、事務所の看板を掛け替えたこと、それまで池田興産を介して行っていた商品の仕入れを三光産業から直接に行うようにしたこと、池田興産の相模イケダに対する賃料債権を相模イケダの池田興産に対する債権と相殺したこと、エッソ石油株式会社との販売代理店契約を承継したこと、営業用動産のリース契約の切り替えを行ったこと、池田興産名義の電話加入権を相模イケダに移転する手続をとったこと、池田興産が灯油の巡回販売の際に流していたコマーシャルソングの歌詞を池田興産から相模イケダに変更して使用を続けたことなどの事実は認められる。
しかし、前記のとおり、本件契約中の池田興産から相模イケダへの営業譲渡契約は、単なる担保契約ではなく、現実にその手続きが進められていたものと認められるのであって、顧客宛の通知文書の発送、振替入金用口座の名義の変更、従業員の移籍、看板の掛け替え等は、営業譲渡手続の履行と評価できないものではないし、商品仕入れルートの変更や相殺、取引先との契約の切り替えも、池田興産の倒産に対応した行為として理解できないものではない。
確かに、三光産業が、相模イケダを介して、電話加入権の移転手続等のその余の行為を被告人池田に無断で行ったことは、電話加入権が営業譲渡契約においてことさらに除外されていたことなどからすれば、営業譲渡契約の履行としての範囲を逸脱する行為とも言いうる。しかし、三光産業が池田興産及び被告人池田に精算義務や損害賠償義務を負うことはともかく、少なくともこれらの行為が三光産業の担保権を消失させるほどの背信行為であったとは認められない(弁護人がその主張の根拠とする民法二九八条三項も、あくまで債務者の担保権消滅請求を規定するにとどまるものである)。
五 結論
以上検討したとおり、本件当時、被告人池田に相模イケダの株主共益権が帰属していたとは認められず、三光産業の担保権が消滅したものとも言えない以上、被告人両名の本件行為は、公正証書原本不実記載、同行使に該当し、同罪による処罰を免れない。
(適用法令)
罰条
第一、第二、第五の各所為中
各公正証書原本不実記載の点
刑法六〇条、一五七条一項
各不実公正証書原本行使の点
同法六〇条、一五八条一項、一五七条一項
第三の所為中
有印私文書偽造の点
同法六〇条、一五九条一項
偽造有印私文書行使の点
同法六〇条、一六一条一項、一五九条一項
第四の所為中
有印私文書偽造の点
同法一五九条一項
偽造有印私文書行使の点
同法一六一条一項、一五九条一項
科刑上一罪の処理(第一ないし第五)
同法五四条一項後段、一〇条(第一、第二、第五については、犯情の重い各不実公正証書原本行使罪で、第三、第四については、犯情の重い偽造有印私文書行使罪で各処断)
刑種の選択
第一、第二、第五の各罪につき
各所定刑中懲役刑選択
併合罪の処理 同法四五条前段、四七条本文、一〇条(被告人池田について、刑及び犯情の最も重い第四の罪の刑に、被告人新井について、犯情の重い第五の罪の刑に、それぞれ法定の加重)
執行猶予 同法二五条一項
訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書
(量刑理由)
本件は、被告人池田が、松原稔、尾崎俊一、被告人新井らと共謀の上、登記官に相模イケダ株式会社の役員が変更された旨の内容虚偽の登記申請書を提出して商業登記簿の原本に不実の記載をさせた上、これを法務局に備え付けさせて行使し(判示第一)、松原、尾崎らと共謀の上、公証人に相模イケダが池田興産の子会社であるトップウィング株式会社に九〇〇〇万円の債務を負担していることを承認したことなどを内容とする虚偽の申立てをして公正証書原本に不実の記載をさせた上、これを公証役場に備え付けさせて行使し(判示第二)、松原と共謀の上、尾崎及び被告人新井が相模イケダの株主であるように装うため、その前身である山梨池田興産株式会社の臨時発起人総会議事録を偽造した上、これを保全異議事件の書証として裁判所に提出して行使し(判示第三)、尾崎及び被告人新井が株式代金として金一〇万円を山梨池田興産に支払った旨の領収書を偽造した上、これを前同様に書証として裁判所に提出して行使し(判示第四)、さらに被告人新井らと共謀の上、公証人に池田興産及びその子会社である株式会社山梨県農芸科学研究所がトップウィングに六〇〇〇万円の借入金債務を負担していることを承認したことなどを内容とする虚偽の申立てをして公正証書原本に不実の記載をさせた上、これを公証役場に備え付けさせて行使した(判示第五)という事案である。
第一、第二、第五の各犯行は、会社事務所を実力で占拠したり、会社の預金を引き出したり、あるいは債権者からの差押えの対抗手段として、公的信用性が高い登記制度や公正証書制度を悪用したものであって、その態様は悪質と言わなければならない。
また、第三、第四の犯行も、証明力の高い有印私文書を偽造した上、これを書証として裁判所に提出したものであり、その態様は、誠に大胆で悪質である。
被告人池田は、前記のとおり担保に供した会社を実力で取り戻して強引にその経営を開始しようとして各犯行に及んだものであり、そのために多くの関係者を犯行に巻き込み、社会的にも大きな混乱を生じさせているのであって、その責任は重いと言うべきである。
また、被告人新井も、被告人池田に言われるまま誠に安易に各犯行に加担したものであって、その責任を軽視することはできない。
しかし、一方、各犯行の発端となった判示第一の犯行について、その重要な証拠となる平成五年の株式買戻の念書の存在が三光産業側において否定されたため、検察官においても事件の筋をやや見誤った点も見受けられ、このために徒に審理が長期化した面のあることは否定できないこと、池田興産が和議申請をした後の三光産業側の担保権の実行やその後の対応にやや独善的で強引な点や不誠実な点も見受けられること、被告人池田については、右のような三光産業の対応に対し、苦労して育てた会社を何とか取り戻したいと考えた心情自体には、幾分同情の余地もあること、養うべき未だ幼い長男がいること、これまで罰金前科が二犯あるにとどまること、被告人新井については、いずれの犯行においても従属的な立場にとどまること、妻が今後の監督を誓っていること、これまで罰金前科が一犯あるにとどまることなど、被告人両名のためにそれぞれ酌むべき事情も認められる。
そこで、以上の諸事情を総合考慮の上、被告人両名をそれぞれ主文の刑に処した上、その刑の執行を猶予することとしたものである。
(検察官村岡正三、私選弁護人橋本吉行各出席)
(求刑 被告人池田につき懲役二年六月、被告人新井につき懲役一〇月)