横浜地方裁判所 平成10年(ワ)742号 判決 2001年12月26日
原告
甲野一郎
外3名
前記4名訴訟代理人弁護士
白上孝千代
被告
藤沢市
同代表者市長
山本捷雄
同訴訟代理人弁護士
南出行生
同
北澤龍也
主文
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告は、原告甲野一郎に対し金3240万6768円、同甲野二郎、同甲野三郎及び同甲野春子に対しそれぞれ金991万3828円ならびにこれらの各金員に対する平成9年7月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2 事案の概要
亡甲野花子(以下「花子」という。)は、平成7年12月28日、被告の設立する藤沢市民病院で診療を受け子宮筋腫であると診断されたが、手術の必要はないとして、以後、経過観察を受けていた。経過観察中の平成8年12月25日の診察において子宮腫脹が増大していたため、平成9年3月19日、子宮全摘出手術を受け、その後放射線治療を受けてきたが、平成9年7月28日、子宮肉腫の転移により死亡した。花子の遺族である原告らは、医師の診断及び治療方法の選択に過失があったとして、医師の使用者である被告に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償を請求した。
1 争いのない事実及び前提事実等(証拠により認定した事実については末尾に認定に供した証拠を摘示する。)
(1) 当事者
ア 原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、花子の夫である。
原告甲野二郎(以下「原告二郎」という。)は原告一郎の長男であり、原告甲野三郎(以下「原告三郎」という。)は、原告一郎の二男であって、いずれも花子の養子である。
原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は、花子の長女である。
花子は、昭和9年11月17日生まれで、死亡当時62才であった(甲16ないし20)。
イ 被告は、神奈川県藤沢市藤沢<番地略>に藤沢市民病院(以下「被告病院」という。)を設置し、医師を雇用して医療を行っているものである。
(2) 診療経過
花子は、昭和55年8月以降、おおむね毎月1回、被告病院に通院し、循環器科(以下、診療科目のみを摘示した場合は被告病院の診療科を指すものとする。)において高脂血症及び高血圧症の治療を受けていた。平成6年4月、入浴後に倒れ救急車で被告病院に搬送され精査目的で入院し、一過性脳虚血発作と診断された。以後も、花子は、被告病院に通院し、循環器科及び眼科等で治療を受けた(乙2)。
花子は、平成7年12月6日に循環器科で、同月8日には泌尿器科でそれぞれ診察を受け、同月14日には、泌尿器科的病変の有無を確認するためエコー検査を受けた。その結果、子宮が7.3センチメートル×6.4センチメートル×8.7センチメートルほどの大きさになっていることが確認された。そのため、同月28日、花子は産婦人科で診察を受けたが、産婦人科の乙川太郎医師(以下「乙川医師」という。)は、子宮筋腫と診断し、その時点での子宮全摘出手術を見送り経過観察をすることにした。
乙川医師は、平成8年4月9日及び同年9月11日、花子の経過を診察した。
同年12月25日、循環器科で診察を受けた際、花子が下腹部が異常に張ると訴えたことからエコー検査が行われ、子宮が直径10センチメートル以上に増大していることが確認された。平成9年1月8日、再びエコー検査を行ったがよく見えないところがあったため、同年2月20日、CT検査を行ったところ、骨盤腔内に大きな腫瘍があることが判明したため、同年3月4日、花子は被告病院に入院した。同月7日、MRI検査が行われ、子宮の平滑筋肉腫と考えられたため、同月19日、子宮全摘出手術が行われ、腫瘍が子宮肉腫であることが確認された。その後、放射線治療がなされたが効果がなく、同年7月28日、花子は子宮肉腫の転移により死亡した。
2 争点
(1) 被告病院医師の過失の有無
(2) 損害額
3 争点(1)についての当事者の主張
(1) 原告らの主張
被告病院の産婦人科で花子の担当医師として診察・治療にあたった乙川医師には次のような過失があるから、被告はその使用者として債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償の義務を負う。
ア 過失1(平成7年12月28日の診察時の過失)
(ア) 事実経過
平成7年12月6日、花子が、循環器科で診療を受けた際、便秘、頻尿、右下腹部痛、腹部腫瘤感、腹背部痛を訴えたところ、担当した臼井医師は、右下腹部痛及び右腎背部叩打痛を認めたため、同月8日、泌尿器科に対し花子の診察を依頼した。
平成7年12月14日、泌尿器科において下腹部のエコー検査を受けた結果、花子の子宮は、7.3センチメートル×6.4センチメートル×8.7センチメートル(手拳大)の大きさになっており、子宮筋腫であると診断された。泌尿器科の広川医師は、同月25日、この検査結果を花子に告げた。
平成7年12月26日、花子が、毎年検査を受けていた宮川産婦人科医院に上記エコー検査の写真のコピーを持参し診察を受けたところ、宮川医師から、「手拳大以上の子宮筋腫であり、直ちに摘出すべきである。」との診断を受けた。翌27日、花子と原告一郎は、宮川医師から、「子宮筋腫が大きくなりすぎている。私が横浜中央病院を借りて子宮全摘出手術を行う。」との申出を受けたが、花子は、慣れない病院で老開業医の手術を受けるより、10年以上通院している被告病院で手術を受ける方が安心だと考えこの申出を断った。
花子は、平成7年12月28日、産婦人科で乙川医師の診察を受けた際、便秘、頻尿、右下腹部痛、腹背部痛、腰部痛を訴えた上で、直ちに子宮全摘出手術を行うべきであるとの宮川医師の診察意見を伝え、手術を被告病院で行って欲しい旨を申し出た。
乙川医師は、エコー検査結果を見た上で、「年齢的に見て手術する必要はない。放っておけばそのうち小さくなる。」等と述べ、内診及び細胞診のみを行い、閉経後であるから筋腫は次第に小さくなると考え、良性の子宮筋腫と判断して経過観察を行うことを勧め、3か月後に性器出血がなければ6か月ごとの診察を行うこととした。
(イ) 平成7年12月28日の診察時の花子の状態
花子は、約10年以上にわたり高血圧症であったので子宮悪性腫瘍が発生しやすく、また、37才の時卵巣のう腫により右側卵巣を切除しており、子宮筋腫の発生・成長を促すエストロゲンの作用が通常人より劣っていたと考えられる。
子宮の腫脹は、花子が49才で閉経して12年を経過した後に発生したものであり、エストロゲンの作用はさらに衰えていたと考えられるにもかかわらず子宮が急激に腫脹し既に手拳大以上の大きさになっていたことや、便秘、頻尿、下腹部疼痛、腹背部痛、腰部痛の生活障害を訴えていたことから見て、担当医師としては当然子宮肉腫その他の悪性腫瘍の存在を疑うべき状態であった。
また、花子は、身長が155センチメートルであるのに体重が61キログラムもあって腹腔内の脂肪は厚く、エコー検査では子宮の背部側の状態が不明確であった。
(ウ) 乙川医師の過失
上記のような状態にある場合には、担当医として診断にあたった乙川医師は、子宮肉腫の存在を疑い、CT検査及びMRI検査等を行って腫脹がいかなるものであるかを確認し、子宮肉腫である場合には、直ちに子宮全摘出手術を行うべき注意義務があった。にもかかわらず、乙川医師は、平滑筋肉腫のような悪性腫瘍の発見には全く効果のない内診及び細胞診を行ったのみで、CT検査、MRI検査及び血清LDHによる検査を行わず、閉経後であるから子宮筋腫は次第に小さくなるだろうと考え、子宮肉腫であったにもかかわらず他に悪性腫瘍を否定する資料がないのに単純に良性の子宮筋腫と判断して経過観察とし、子宮全摘出手術を行わなかったために、花子の死の結果を招いたものであるから、同医師には過失がある。
なお、仮に平成7年12月28日の時点では良性の子宮筋腫であったとしても、上記(ア)、(イ)の事情が認められ、かつ、花子は子宮全摘出手術を望んでいたことからすると、将来子宮が増大し生活障害が大きくなる可能性があり、さらに子宮筋腫の変容もあり得るのであるから、乙川医師には、この時点において子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったものであり、同医師がこれを行えば花子の死の結果は避けられたのであるから、同医師に過失があることにかわりはない。
イ 過失2(平成8年4月9日の診察時の過失)
(ア) 事実経過
花子は、平成8年4月9日の経過診察の際、便秘、頻尿、右下腹部疼痛、腹背部痛、腰部痛が前回診察時以来継続していることを訴えたが、乙川医師は、単に内診及び細胞診を行ったのみであった。
(イ) 乙川医師の過失
花子は、身長155センチメートルであるのに体重が61キログラムもあり腹腔内の脂肪が厚く、前回のエコー検査では子宮の背部側の状態が不明確であったうえ、上記のような訴えもあったのであるから、乙川医師としては、改めてエコー検査を行うほか、CT検査及びMRI検査を行い、かつ、血清LDHによる検査を行うことによって、子宮の腫脹がいかなるものであるかを確認し、子宮全摘出手術を行うべき注意義務があった。にもかかわらず、乙川医師は、これらの検査を行うことなく放置したため、子宮肉腫を発見できず、子宮全摘出手術も行わなかったために花子の死の結果を招いたものであるから、同医師には過失がある。
なお、仮に平成8年4月9日の時点では良性の子宮筋腫であったとしても、子宮筋腫は既に手拳大以上の大きさになっており、かつ、花子の便秘、頻尿、右下腹部疼痛、腹背部痛、腰部痛の生活障害は、平成7年12月28日時点より順次増大してきたのであるから、乙川医師には、この時点において子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったものであり、同医師がこれを行えば花子の死の結果は避けられたのであるから、同医師に過失があることにかわりはない。
ウ 過失3(平成8年9月11日の診察時の過失)
(ア) 事実経過
花子は、平成8年9月11日の診察の際、同年4月9日よりさらに右下腹部疼痛、腹背部痛、腰部痛が増大したことを訴えたが、乙川医師は、内診及び細胞診を行ったのみであった。
(イ) 乙川医師の過失
花子の下腹部は、平成8年4月9日の時点よりかなり膨張していたのであるから、乙川医師はその異常に気付き、エコー、CT及びMRIの各検査を行い、かつ血清LDHによる検査を行うことによって、子宮の腫脹がいかなるものであるかを確認し、子宮全摘出手術を行うべき注意義務があった。にもかかわらず、乙川医師は、花子の下腹部が膨張していたことに気付かず、これらの検査を行うことなく、内診及び細胞診のみを行ったため、子宮肉腫を発見できず、子宮全摘出手術も行わなかったために花子の死の結果を招いたものであるから、同医師には過失がある。
なお、仮に平成8年9月11日の時点では良性の子宮筋腫であったとしても、子宮筋腫は既に手拳大以上の大きさになっており、かつ、花子の便秘、頻尿、右下腹部疼痛、腹背部痛、腰部痛の生活障害は、平成7年12月28日時点より順次増大してきたのであるから、乙川医師には、この時点において子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったものであり、同医師がこれを行えば花子の死の結果は避けられたのであるから、同医師に過失があることにかわりはない。
エ 過失4(平成9年1月8日の診察時の過失)
(ア) 事実経過
平成9年1月8日、乙川医師は、循環器科の八鍬医師からエコー撮影の結果花子の子宮筋腫がさらに膨張して小児頭大となっている旨の連絡を受け、同日、花子を内診した上で子宮が小児頭大の大きさになっていることを確認し、同年2月20日にCT検査の院内予約を行った。同年2月20日、消化器内科の斉藤医師がCT検査を行い、花子の腫瘍が子宮肉腫であると診断し、同年3月7日、乙川医師がMRI検査を行って子宮肉腫であることを認めたため、乙川医師らは、同年3月19日、子宮全摘出手術を行った。
(イ) 乙川医師の過失
乙川医師は、循環器科の八鍬医師から花子の子宮筋腫が小児頭大となっている旨の連絡を受けた平成9年1月8日の時点において子宮肉腫を疑い、直ちにCT及びMRIの各検査並びに血清LDHによる検査を行った上で子宮全摘出手術を行うべき注意義務があった。にもかかわらず、乙川医師は、平成9年2月20日にはじめてCT検査を、同年3月7日にはじめてMRI検査を行っており検査時期が異常に遅く、そのため子宮全摘出手術も同年3月19日まで行われなかった。乙川医師が、平成9年1月8日の時点で直ちに上記のような検査を行って子宮肉腫を発見し、子宮全摘出手術を行っていれば、花子の死の結果は避けられたものであるから、同医師には過失がある。
(2) 被告の主張
ア 過失1(平成7年12月28日の診察時の過失)について
平成7年12月28日、乙川医師が花子を診察した際、直前に実施されたエコー検査の結果から異常所見は認められず、問診・内診・ゾンデ(聴音)診を行った結果、子宮自体には圧痛はなく、子宮硬度も硬く悪性腫瘍を疑わせるような所見は認められず、さらに子宮頸管及び内膜の細胞診を実施した結果もクラスⅠで異常がなく、閉経後の女性の子宮の悪性腫瘍のひとつの重要な徴候である不正性器出血も認められなかった。
このような所見から悪性子宮疾患ではないものと診断し、さらに、花子は既に閉経しており、閉経後の女性は子宮が増大することがないのが一般的で場合によっては縮小することもあること、花子は長期間にわたり高血圧で投薬治療を継続しており、また、平常時に一過性脳虚血発作を起こしたことがあり全身麻酔手術を行うにはリスクがあること、手術時に深部静脈血栓症の可能性があることから子宮全摘出手術は行わず、定期の外来受診による経過観察とした乙川医師の診療及び判断に誤りはない。
イ 過失2(平成8年4月9日の診察時の過失)について
子宮筋腫との診断後に経過観察を行う場合には、子宮悪性疾患の典型症状としての不正性器出血の有無、急激な子宮増大の有無、子宮自体の圧痛の有無、症状の変化等を内診によって確認することが重要なポイントになる。
乙川医師が平成8年4月9日の診察で、問診、内診、細胞診を実施し、子宮自体に圧痛がないこと、子宮硬度も硬く悪性腫瘍を疑わせるような所見はないこと、筋腫子宮の大きさにも変化が認められないこと、細胞診の結果も初診時と同様クラスⅠであり異常がないこと、不正性器出血が認められないことから悪性疾患はないものと判断したことは相当であり、初診時から3か月程度しか経過しておらず、状態の変化も認められなかったのであるから、この時点においてエコー、CT、MRI、血清LDHによる検査を実施しなければならない義務も子宮全摘出手術を行うべき義務も認められず、同医師に過失はない。
ウ 過失3(平成8年9月11日の診察時の過失)について
乙川医師が、平成8年9月11日の診察においても、問診、内診、細胞診を実施し、子宮自体に圧痛がないこと、子宮硬度も硬く悪性腫瘍を疑わせるような所見はないこと、筋腫子宮の大きさにも変化が認められないこと、細胞診の結果も初診時と同様クラスⅠであり異常がないこと、不正性器出血が認められないことから悪性疾患はないものと判断したことは相当であり、初診時から状態の変化が認められなかったのであるから、この時点においてエコー、CT、MRI、血清LDHによる検査を実施しなければならない義務も子宮全摘出手術を行うべき義務も認められず、同医師に過失はない。
エ 過失4(平成9年1月8日の診察時の過失)について
乙川医師は、平成9年1月8日の内診所見において筋腫子宮が大きくなっていることを確認したが、子宮が後方から押し上げられているような所見にとどまっており、花子には卵巣のう腫の既往もあり残存卵巣の変化も考えられたため、CT検査で確認するために放射線科へ依頼し、同年2月20日にCT検査を実施した。その結果、消化器内科の斉藤医師(産婦人科医ではない)は、骨盤腔内に大きな腫瘤があり周囲の臓器を圧迫していることを確認したため、花子は、同年3月4日、精査加療目的で入院した。その際、乙川医師は、CTレポートには「卵巣癌、腹膜偽粘液腫等が考えられる」との記載があったが、CT画像が複雑な画像であったため子宮肉腫を含め可能性のある病名を挙げて説明を行った。同年3月7日、MRI検査を実施し、子宮の平滑筋肉腫であることが考えられたため、その旨の説明を行った上、同年3月19日、乙川医師は子宮全摘出手術を行った。摘出した子宮の病理診断の結果、平滑筋肉腫であったことが判明した。
平成9年1月8日の外来受診時に筋腫子宮の増大が認められたため、乙川医師は即座にCT検査の予約を行ったが、検査の日程調整上同年2月20日の実施となってしまったもので、設備の数と利用頻度、利用者数等が前提となる体制上の限界がある中で可能な範囲での日程調整の結果であり、検査の実施が遅れた過失はない。
仮に子宮増大の発覚から検査、手術に至るまでの期間が多少長かったとしても、子宮肉腫の性格上、このわずかな期間が予後に大きな変化をもたらすものではなく、結果発生との関係で相当因果関係を欠くといわざるをえない。
4 争点(2)についての当事者の主張
(1) 原告らの主張
ア 花子の損害(合計4208万0266円)
(ア) 逸失利益 2159万3098円
花子は、家事従業者として、平成7年度の女子労働者学歴計の年収296万6900円を以後9年間得ることができたはずであるから、この年収額に対し新ホフマン係数7.278を乗じた2159万3098円を喪失したことになる。
(イ) 慰謝料 2000万0000円
花子が受けた精神的損害は2000万円を下らない。
(ウ) 治療費用 44万0328円
花子は、平成8年1月以降、治療費として44万0328円を支出した。
(エ) 通院交通費 4万6840円
花子は、平成8年4月以降、通院交通費として4万6840円を支出した。
イ 原告一郎の損害(合計3240万5418円)
(ア) 葬儀費用 376万5285円
(イ) 慰謝料 500万0000円
原告一郎が受けた精神的損害は500万円を下らない。
(ウ) 弁護士費用 260万0000円
(エ) 花子の損害賠償請求権の法定相続分 2104万0133円
ウ 原告二郎、同三郎及び同春子の損害(合計各991万3377円)
(ア) 慰謝料 各200万0000円
原告二郎、同三郎及び同春子の受けた精神的損害はそれぞれ200万円を下らない。
(イ) 弁護士費用 各90万0000円
(ウ) 花子の損害賠償請求権の法定相続分 各701万3377円
(2) 被告の主張
原告ら主張の損害についてはいずれも争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(被告病院医師の過失の有無)について
(1) 過失1(平成7年12月28日の診察時の過失)について
ア 診療経過
証拠(甲1、7ないし11、27ないし29、乙1、2、5、6、16、証人乙川太郎の証言及び原告一郎本人尋問の結果)によれば以下の事実が認められる。
(ア)a 花子は、昭和55年以降被告病院に定期的に通院し、循環器科及び眼科等で治療を受けていた。昭和60年11月21日には、被告病院で人間ドックを受診し、高血圧症、高脂血症、肥満などが認められたが、産婦人科的な病変はなく、子宮の大きさについての記録もない。平成4年ころ、産婦人科で検査を受けたが、子宮の大きさについては測定できなかった。平成5年ないし7年にも社会保険の関係で検査を受けているが子宮の大きさについては記録がない。
b 平成7年12月6日、高血圧の経過観察中であった花子は、頻尿及び右下腹部の痛み等を訴え循環器科で診察を受けた。その結果右下腹部及び右腎部に叩打痛のような痛みが認められ、尿検査で赤血球値が高かったため、泌尿器科で診察を受け、同月14日エコー検査をおこなったところ、泌尿器科的な病変は認められなかったが、子宮の大きさが7.3センチメートル×6.4センチメートル×8.7センチメートルであることが確認されたため、産婦人科で専門的に診察するよう説明を受けた。
c そのため、平成7年12月26日、花子は、2、3年前まで毎年子宮癌の検査等を受けていた宮川産婦人科医院にエコー検査等の結果を持参して診察を受けたところ、悪性腫瘍ではないが手拳大以上の子宮筋腫があるのですぐに子宮全摘出手術をすべきであると告げられた。そこで、翌27日、花子は原告一郎とともに同医院に行き、宮川医師から、「すぐに子宮全摘出手術を行う必要がある。横浜中央病院の設備や看護婦を借りて私が手術する。」旨の申出を受けたが、初めての病院で老開業医の手術を受けるよりは10年以上診察を受けている被告病院で手術を受ける方が安心と考え、原告一郎との話し合いの結果、宮川医師の申出を断った。
(イ) 平成7年12月28日の診察
そこで、平成7年12月28日、花子は、産婦人科で乙川医師の診察を受けた。その際、宮川医師の診察の結果、子宮全摘出手術を受けるつもりであること、1年以上前より右の下腹部が重苦しく下腹部を押さえると疼痛があることを告げた。
診察を受ける前に、花子は産婦人科外来予診カードに症状や年齢、37才の時に右卵巣のう腫切除手術をしたこと、49才位で閉経したこと等を記載し、この内容を確認するような形で乙川医師は問診を行った。その際、循環器科や泌尿器科のカルテ、エコー検査の結果等も確認した。
問診に加え内診、ゾンデ(聴音)診を行った結果、①子宮は前右に傾いていること、②大きさは下小児頭大(下両手拳大)と大きいものであること、③子宮硬度は硬く子宮筋腫の子宮の硬さくらいであること、③子宮の動きは余りよくないが完全に癒着している状態ではないこと、⑤不正性器出血がないこと、⑥子宮に触れたり動かしたりしても子宮自体には痛みは認められず、花子の訴える症状は子宮とは直接の関連性がないことが認められた。
同日子宮頸管及び子宮内膜の細胞診が行われ、結果はクラスⅠであり異常は認められなかった。
平成8年1月10日、乙川医師は、上記の診察結果から子宮の腫瘍は子宮肉腫等の悪性腫瘍ではなく子宮筋腫であると判断し、さらに、閉経後で女性ホルモンの分泌がないことから子宮筋腫が増大することはなく、子宮筋腫を直接の原因とする症状が認められないこと及び高血圧症で長年服薬していることや術後の静脈血栓症等手術に伴うリスクが大きいこと等を総合的に判断して、子宮全摘出手術は行わず3か月後に外来受診により再検査し経過を観察していくことにした。
(ウ) 1回目の経過観察
平成8年4月9日、乙川医師が問診及び内診を行った結果、不正性器出血は認められず、子宮の大きさ及び硬度等も前回の所見から変化はなかった。同日子宮頸管の細胞診が行われ、結果は前回同様クラスⅠであり異常は認められなかった。
同月24日、乙川医師は、上記診察結果から不正性器出血がなければ以後は6か月ごとに再検査をすることにした。
(エ) 2回目の経過観察
平成8年9月11日、乙川医師が問診及び内診を行った結果、不正性器出血は認められず、子宮の大きさ及び硬度等も前回の所見から変化は認められなかった。その際、花子は尿が溜まると右下腹部が痛くなると訴えたが、乙川医師は子宮が右に傾いているからだろうと述べ、子宮の動きが認められたため癒着があっても子宮そのものに影響はないだろうと判断した。同日子宮頸管の細胞診が行われ、結果は前回同様クラスⅠであり異常は認められなかった。
同月18日、乙川医師は、上記診察結果から不正性器出血がなければ6か月ごとに再検査をすればよいと判断した。
(オ) 子宮増大の発覚とその後の経過
平成8年12月25日、循環器科で高血圧症についての定期診察を受けた際、花子は下腹部が異常に張ることを訴えたことから、翌26日にエコー検査が行われ、その結果、子宮が直径10センチメートル以上に増大しているように認められた。そのため、平成9年1月6日、循環器科の医師から産婦人科で診察を受けるよう指示された。
平成9年1月8日、産婦人科の乙川医師は花子を診察した。問診及び内診の結果、帯下は少量認められたが不正性器出血は認められず、硬度も硬かったものの、子宮の大きさが小児頭大に増大していることが認められ、卵巣や卵管等の識別が困難な状態で、子宮が背方側から押し上げられているような所見であった。右卵巣のう腫の既往があり残存している左卵巣の変化も考えられたが、循環器科から送られてきたエコー検査の画像では子宮の背方側がよく見えなかったため乙川医師は改めてエコー検査を行った。しかし、内診のため排尿しており腸管ガス像を排除できない等検査条件が悪かったことから、鮮明な画像を得るため同年2月20日にCT検査を予約した。
同年2月19日、花子は、循環器科での診察において腹部の膨満、便秘及び食欲不振等を訴えたことから、同日消化器内科(斉藤医師)で診察、レントゲン検査を受け、骨盤腔腫瘤が確認された。
翌20日、花子は予約してあった腹部・骨盤部のCT検査を受け、その結果、腫瘤が骨盤内に充満しており周囲の臓器を圧迫していることが確認された。同月26日、消化器内科の斉藤医師は、CT検査の結果に基づき、卵巣癌、腹膜偽粘液腫又は子宮肉腫であることが考えられる旨を花子に対し説明し、家族と相談するように告げた。
翌27日、花子は原告一郎とともに来院して斉藤医師と話し合い、斉藤医師を主治医として精査加療目的で入院することを決め、同年3月4日、被告病院(消化器内科)に入院し、同年3月7日、腹部・下腹部MRI検査を行った。
MRI検査の結果、子宮が増大し輪郭がなくなっており悪性腫瘍である子宮肉腫と考えられる旨が花子及び原告一郎に対して説明され、同月14日、産婦人科へ転科した上で、同月19日、子宮全摘出手術が行われた。摘出した子宮は頸部を残し他の部分はほとんど壊死・変性しており、肉腫の一部は骨盤腔内蔵器に癒着して腸管にもからまり、腹壁背部側は剥離できない状態であった。摘出した病理組織を診断した結果、平滑筋肉腫であったことが判明した。
その後、花子に対しては放射線治療等がなされたが効果はなく、花子は平成9年7月28日、子宮平滑筋肉腫の転移により死亡した。
イ 子宮筋腫及び子宮肉腫についての医学的知見
証拠(甲2ないし6、12、21ないし23、乙8、10、11、13、14、17ないし19、鑑定人正岡直樹の鑑定結果及び書面尋問に対する回答書)によれば以下の事実が認められる。
(ア) 子宮筋腫は、40歳以上の女性の35ないし40パーセントに見られる極めて頻度の高い疾患である。子宮筋腫は、子宮筋層の平滑筋より発生する良性腫瘍であり、治療法としては手術療法(子宮全摘出手術等)、薬物療法(偽閉経療法等)、経過を観察する待機療法等がある。
いかなる治療方法をとるべきかについては絶対的な基準は存在せず、患者の年齢、腫瘍の大きさ、発生部位、症状の有無及び程度、合併症の有無、出産希望の有無等を総合的に考慮して決めるべきである。
(イ) 子宮筋腫の症状としては、過多月経、月経困難症などの月経時のものが主体であり、その他として圧迫症状、不妊、流早産などが挙げられる。
しかし、子宮筋腫は子宮平滑筋組織に発生する良性の腫瘍であり、女性ホルモンであるエストロゲンに依存して発育するため、卵巣由来の女性ホルモンが枯渇する閉経期においてはその発育は停止し、さらには縮小することが多いため、閉経後に子宮筋腫が発見された場合は閉経前とは異なった配慮が必要となる。
すなわち、月経がない以上、症状としては閉経前から存在する子宮筋腫による圧迫症状の継続、筋腫変性による疼痛などに限られることになる。そのため、子宮全摘出手術の適応は明らかに子宮筋腫によると考えられる臨床症状が存在する場合、合併子宮悪性腫瘍が存在する場合(または疑われる場合)などと考えられ、患者の自覚症状をもとに、内診、画像診断、細胞診、組織診を根拠に手術をすべきか判断することになる。
(ウ) 他方、子宮肉腫は、極めて稀な腫瘍で、子宮の悪性腫瘍のうちでも1ないし5パーセントを占めるにすぎず(0.3パーセントとする文献もある。)、平滑筋肉腫や内膜間質肉腫等に分類される。症状としては、不正性器出血、下腹部痛・腰痛等が主なものである。子宮肉腫は術前診断が困難であり、急速に発育及び転移し、また各種治療に抵抗するため予後は極めて不良である。
なお、花子に生じたような平滑筋肉腫が最初から肉腫として発生するのか、子宮筋腫から2次的に発生するのかについては、現在も明らかになっておらず、子宮筋腫の悪性化によって子宮肉腫が生じるとしても、各種の報告例によると子宮筋腫全体に対する筋腫由来の肉腫(続発性肉腫)の頻度(悪性化の頻度)は、著しく低く、文献でも0.005パーセント程度とか0.29パーセント程度であるとされている。
(エ) 子宮悪性腫瘍のうち子宮頸癌、子宮体癌は細胞診、組織診で確定診断が可能であり、また、子宮肉腫のうちhigh gradeの子宮内膜間質肉腫は、不正性器出血の存在下での内膜組織診で確定診断が可能である。しかし、子宮平滑筋肉腫(本件の術後病理診断結果)及びlow gradeの子宮内膜間質肉腫は子宮筋層内に存在しており、病理学的に術前に確定診断することは困難なことが圧倒的に多い。そのため、臨床症状、内診、画像診断によって子宮肉腫の疑いがある場合には子宮全摘出手術を行うべきである。
具体的には、子宮が閉経後に(急速に)増大するもの、新生児頭大以上の巨大なもの、エコー検査で高輝度の腫瘤像が認められるもの、MRIのT2強調画像で腫瘤がひまん性に高信号を示すもの、血中LDHが高値なものなどが子宮肉腫の疑いがある場合にあたる。
子宮肉腫の症状としては前述のように不正性器出血、下腹部痛・腰痛が代表的なものであるが、これらは子宮肉腫特有の症状ではない。
内診所見としては、腫大した子宮が充実性で弾性硬の腫瘤である場合は子宮筋腫が疑われるが、子宮肉腫の場合には、やや軟(脳様軟)に触知されることが多い。
画像診断によっても、子宮筋腫と子宮肉腫とりわけその初期のものを識別することは困難であることが圧倒的に多く、エコー検査及びMRI検査では、子宮肉腫について上記のように一定の兆候が現れることがあるが、その有用性は限られている。また、このような鑑別という点ではCT検査の有用性は低く、一般的な検査法ではない。閉経後に増大しているもの、急速に増大しているもの、不正性器出血または下腹部痛があるもの、内診で子宮の大きさが新生児頭大以上のもの等についてはMRI検査の適応があるといえるが、MRI検査についても、変性子宮筋腫と子宮肉腫とを正確に鑑別するという点では有用性に限界があることは上記の通りである。
また、子宮肉腫では血清LDHが上昇する場合があるが、LDHは特異性が低く、子宮肉腫に対する有用な腫瘍マーカーではない。
(オ) 以上のような子宮筋腫及び子宮肉腫に関する医学的知見から、子宮の腫脹の経過観察中は、3ないし6か月ごとに検診して双合診及び細胞診を行い、腫脹の異常発育や合併症の有無を診断する。そして、腫脹の増大が認められた場合には、子宮肉腫の疑いが強いため、MRI検査及び血清LDHの測定などがなされるべきである。また、不正性器出血があった場合には、子宮内膜細胞診等を行い悪性病変の存在を否定する必要がある。
ウ 平成7年12月28日の診察時の過失について
(ア) 原告らは、乙川医師が平成7年12月28日の診察の際に花子の子宮肉腫の存在を疑い、CT検査、MRI検査及び血清LDHによる検査等を行って腫脹がいかなるものであるかを確認し、子宮肉腫である場合には、直ちに子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったのにこれを怠った過失があると主張する。
(イ) しかし、上記認定のとおり、①乙川医師が、平成7年12月28日の診察において問診、内診及びゾンデ診を行った結果、子宮の大きさは下小児頭大と大きなものではあったが、診察時点以前の子宮の大きさを調査する資料がなく、子宮が閉経後に増大したものかは不明であったこと、②子宮硬度が硬く、通常の子宮筋腫の硬さであり、子宮肉腫の場合の軟性の触知はなかったこと、③子宮肉腫の症状の1つである不正性器出血が認められなかったこと、④子宮に触れたり動かしてみたりしても子宮自体には痛みは認められず、花子の訴える下腹部痛等の症状は子宮と直接の関連性がないと判断されたこと、⑤更に、子宮筋腫と悪性腫瘍の合併の有無を確認するため子宮頸管及び子宮内膜の細胞診も行ったが異常は認められなかったこと、⑥原告主張のCT検査、MRI検査及び血清LDHによる検査等は、子宮筋腫と子宮肉腫を鑑別し、子宮肉腫を発見する上での有用性は限られていること、⑦子宮肉腫は極めて稀な疾患であり、子宮の悪性腫瘍のうちでも1ないし5パーセント程度かそれ以下を占めるにすぎないものであることに照らすと、乙川医師がこの診察の時点で上記の措置以上に、花子の子宮肉腫の存在を疑ってCT検査、MRI検査及び血清LDHによる検査等を行ったり、子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったものということはできない。
また、そもそも、上記認定のとおり、子宮肉腫は急速に発育及び転移するものであるが、経過観察中の診察では子宮の大きさ、硬度等に変化は認められなかったこと、子宮の増大が発見されたのが平成8年12月であることからすると、花子が子宮肉腫に罹患したのは2回目の経過観察が行われた平成8年9月以降と推認される(鑑定人正岡直樹の書面尋問に対する回答書)のであって、平成7年12月28日の時点で原告ら主張のような検査を行ったとしても、格別の意味を有しなかったこととなる。
(ウ) また、原告らは、仮に平成7年12月28日の時点では良性の子宮筋腫であったとしても、花子の子宮の状態や将来の子宮肉腫への変容の可能性等も考慮してこの時点で子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったと主張するが、上記(イ)に見たとおりの花子の子宮筋腫の状態に加え、閉経後の子宮筋腫は増大することがなく、むしろ縮小することが多いこと、子宮筋腫が悪性化して子宮肉腫を生じることがあり得るとしてもその頻度は0.005パーセントとか0.29パーセントというような極めて低い頻度にすぎないことも上記イに認定のとおりであることに照らすと、原告の主張を採用することはできない。
(2) 過失2(平成8年4月9日の診察時の過失)及び過失3(平成8年9月11日の診察時の過失)について
ア 平成8年4月9日及び同年9月11日の経過観察中の診察において、乙川医師は問診及び内診を行い、その結果、不正性器出血が認められなかったこと、子宮の大きさ及び硬度等はそれぞれ前回の所見と変化がなかったこと、それぞれ細胞診が行われその結果に異常がなかったことは前記(1)のアに認定のとおりであり、これを前記(1)のイで認定した経過観察中の診療方法についての医学的知見に照らせば、乙川医師に原告ら主張のような検査や子宮全摘出手術を怠った過失があったものということはできない。
また、これらの診察の時点では、花子はまだ子宮肉腫には罹患しておらず、原告ら主張のような検査を行ったとしても、格別の意味を有しなかったと見られることは上記(1)に見たとおりである。
イ 原告らは、仮にこれらの時点で良性の子宮筋腫であったとしても、花子の子宮筋腫の増大や、花子の訴えた症状や生活障害の程度の増大等も考慮してこの時点で子宮全摘出手術を行うべき注意義務が乙川医師にあったと主張する。しかし、これらの時点で子宮筋腫が増大したり、子宮筋腫によるものと見られる生活障害が増大していたものと認めるに足りる証拠はななく、また、上記の通り、閉経後の子宮筋腫は増大することはなく、仮に子宮筋腫が悪性化して子宮肉腫を生じ得るとしてもその頻度は著しく低いものであることに照らすと、これらの時点で子宮全摘出手術を行うべき注意義務があったものということはできない。
(3) 過失4(平成9年1月8日の診察時の過失)について
ア 平成9年1月8日の診察の結果、花子の子宮の大きさが小児頭大(直径10センチメートル以上)に増大していることが確認され、このことは乙川医師も認識していたこと、循環器科で行ったエコー検査の画像では不鮮明な部分があったこと、乙川医師は改めてエコー検査を行ったが、撮影条件が悪かったこと、鮮明な画像で判断するため同年2月20日にCT検査を予約し同日CT検査を行ったこと、消化器内科において同年2月19日にレントゲン検査が、同年3月7日にMRI検査がそれぞれ行われたことは前記(1)のアに認定のとおりである。
イ これを前記(1)のイに認定の経過観察中の診療方法についての医学的知見に照らせば、閉経後の子宮の腫脹が増大することは、子宮肉腫を含む悪性の腫瘍を強く疑わせるものであり、また、子宮肉腫は急速に発育及び転移し予後が極めて不良な悪性の疾患であるから、平成9年1月8日に子宮の腫脹の増大が確認された時点で、子宮肉腫等を疑って早急にMRI検査及び血清LDHによる検査等がなされるべきであったにもかかわらず、乙川医師は、子宮の増大を確認した約40日後にあたる同年2月20日にCT検査の予約をしたのみで、MRI検査や血清LDHによる検査等を行っていない(MRI検査が実施されたのは同年3月7日のことである。)のであるから、同医師を含む被告病院の対応が相当な限度を超えて遅延したことは否めず、この点につき過失があると認められる。
ウ 被告は、設備の数と利用頻度、利用者数等が前提となる体制上の限界であって可能な限り早い時期に検査した以上過失はないと主張するが、子宮肉腫の悪性、緊急性からすると、比較的緊急性の高くない他の検査に優先させても早期に検査できるよう配慮すべきであり、体制上の限界だけを理由に被告病院の過失を否定することはできない。
エ しかし、子宮肉腫は一旦発生すると急速に発育及び転移し、また、各種治療に抵抗するため、予後が極めて悪い疾患であり、子宮増大確認後、早期にCT検査やMRI検査等を行い手術を行っていたとしても、予後に大きな変化はなかったと考えられるのであるから(鑑定人正岡直樹の書面尋問に対する回答書)、乙川医師が子宮筋腫の増大を確認した後、早急に各種の検査や子宮全摘出手術を行っていたとしても、花子が平成9年7月28日の時点でなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性を認めることはできない。
したがって、被告病院の過失と花子の死亡との間に相当因果関係は認められず、この過失によって花子の死がもたらされたとの原告らの主張を採用することはできない。
2 そうすると、その余の点を判断するまでもなく原告らの請求には理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、65条1項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・西村則夫、裁判官・長尾美夏子、裁判官・坂本康博)