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横浜地方裁判所 平成11年(わ)2220号 判決 2000年3月09日

主文

被告人Aを懲役五年六月に、同Bを懲役二年に、同Cを懲役三年にそれぞれ処する。

各未決勾留日数中、被告人Aに対して三二〇日を、同B及び同Cに対していずれも一五〇日をそれぞれの刑に算入する。

訴訟費用は、被告人らの連帯負担とする。

理由

(被告人らの身上経歴等)

(以下、括弧内の甲・乙及び漢数字は、公判調書中の検察官請求証拠等関係カード記載の甲・乙及び請求番号を示す。)

一  被告人Aは、韓国ソウル市で生まれ、横浜市内の中学校を卒業後、昭和二七年に同市内の銀食器・宝飾品等の販売店のココ山岡宝飾店(以下「ココ山岡」という。)に就職し、昭和四二年に同店が有限会社になると、その専務取締役に就任し、同社が更に株式会社に組織変更された後の平成元年、その代表取締役社長に就任し、平成五年に社長を辞任して代表取締役副会長になったが、その後も同社に対する実質的な経営権を保有していた。

二  被告人Bは、京都市で生まれ、高校を卒業後、東京都内の私立大学に進み、昭和五四年三月に同大学を中退してココ山岡に就職し、渋谷一〇九店の店長代理、京都店店長代理、大阪心斎橋パルコ店部長などを経て、昭和五七年三月に業務本部商品部次長に、昭和六〇年八月に業務本部総務部長に、平成元年一月に取締役総務部長に、平成五年一月に専務取締役総務部長に就いた後、平成五年六月、被告人Aに替わって代表取締役社長に就任し、平成八年一一月、代表取締役を辞任して相談役になった。

三  被告人Cは、東京都で生まれ、山梨県内の高校を卒業後、上京して紙卸業会社に就職し、昭和四〇年ころ、宝石卸業会社に就職し、昭和四八年一月ころ、新宿区内で宝石と貴金属の卸売りを主目的とする株式会社ジュリー(以下「ジュリー」という。)を設立して独立した。

その間、勤務先で、取引先の担当者として被告人Aと知り合い、右独立後も、ココ山岡に出入りして取引を続けることになった。

被告人Cは、被告人Aの経営手腕を評価し、次第に、自社の取引相手をココ山岡に絞り、その取引を拡大していった。

また、昭和五三年に宝石小売業の株式会社サロンドジュリー(以下「サロンドジュリー」という。)を設立し、昭和五七年に宝石の鑑定を目的とした株式会社全日本宝石研究所を設立し、同社でココ山岡の宝石の鑑定業務を行うようになった。

そして、後記のように、昭和五八年二月、被告人Aらと共にジャパンジュエリー(以下「旧JJ」という。)を設立してその代表取締役に就任し、同社の資産が増えると、平成二年九月に株式会社A野、有限会社C商事、有限会社Cを同時に設立して各代表取締役に就任し、その三社に互いの株式を持たせたうえ、旧JJを新会社(新JJ)に移行させてその代表取締役に就任した(甲八)。

(各犯行に至る経緯)

一  ココ山岡の経営の概要と実態

ココ山岡は、昭和二六年にT個人によって開業されたものであり、前記のように、その後、組織変更されて株式会社となった。

被告人Aは、前記のように、ココ山岡に、創業の翌年に就職し、その後、次第に右Tに才覚を認められて仕事を任されるようになり、やがて、同人に勧めて同店を組織化させ、これが株式会社となった昭和四八年ころには、その専務取締役として、社長の右Tから業務の全般を任せられるようになっていた。

ココ山岡は、株式会社となった当時は、数店舗を有したにすぎなかったが、被告人Aの方針に沿って昭和五〇年代から店舗を増やして売上げを伸ばし、やがて、全国各地に一三〇余りの店舗を設けて、平成四年三月の決算期には、年間の売上げが約六三〇億円となるに至った(甲六六・二九二等)。

そして、その関連会社として、昭和四九年五月に株式会社山岡宝飾(以下「山岡宝飾」という。)が、昭和五〇年八月に株式会社山岡商事(以下「山岡商事」という。)が設立された。

しかし、山岡宝飾と山岡商事は、いずれも、本店所在地や役員をココ山岡と同じくし、独自の従業員も事務所も持たない、いわゆるペーパー会社であり、山岡宝飾は、ココ山岡が宝飾品を卸売業者から仕入れる際に、その取引きの中間で五パーセントの手数料を取得し、山岡商事は、ココ山岡が業者から備品、消耗品を購入する際に、やはり、その中間で五〇パーセントの手数料を得ていた。

ココ山岡は、本店に、社内通達等を発したり、消費者センター等に対処する総務部、商品の仕入れや、各店舗への配給等の物流を管理する商品部と経理部を置き、複数の営業本部を設けて、これに全国の店舗を統轄させていた。(甲五五・二六一・乙二九等)

被告人Aは、右のように、自らの力で同社を発展させたことから、同社の人事や経営の実権を全て掌握し、右の各部、各営業本部からのその業務内容を逐一報告させ、取締役会や株主総会は開かず、他の取締役に対しては、対外的な肩書きを与えたにすぎないような扱い方をしていた。(甲六六・二九二・二九四等)

二  ココ山岡の経営の推移

1  当初の経営

ココ山岡では、昭和五〇年ころまでは、比較的裕福で宝飾品に興味がある中年女性を主な客層として、ダイヤモンドのほか、いわぐる色石と呼ばれる宝石類も多く販売していた。

2  経営方針の転換

昭和五一年ころから従業員を多く採用して店舗を拡大し、販売の主力を高額のダイヤモンド商品に向け、客層を若い男女に拡大した。

そして、営業本部制を導入し、ココ山岡の各店舗を複数あるいずれかの営業本部に所属させたうえ、各営業本部間で売り上げを伸ばすことを競わせるようになった(甲二六一・一〇一等)。

被告人Aは、「幹部職員に述べてきたこと」と題する冊子を男性従業員に配布するなどして自らの考えを徹底させることに努めた。

右冊子には、「顧客ターゲットとしては、二〇~六〇才くらいまでの男女を問わず、全てのお客様を対象とし、それぞれのニーズに合ったものを勧めていく。需要を創造せよ。消費者が不必要と思う品も販売する努力によって、需要が生まれる。目的買いのみでは当社の存在理由がない。販売員は女子一般職を主力とする。本来、客などというものはこの世に存在しないと思わねばならず、通行人を客に変化させなければならない。そのためのディスプレイ、セールストークである。お客は創造するものであり、待っていれば客が来るという考えは誤りである。」などと記されていた(乙九九等)。

3  ローン販売の増加

ココ山岡では、高額商品の販売を促進するために、信販会社と加盟店契約を結び、ローンによる販売と、その割合が増加した。

すなわち、昭和五一年八月ころに日本信販株式会社と(甲二一〇)、昭和五三年一二月ころに株式会社オリエントファイナンス(後にオリエントコーポレーションに商号変更)と(甲二〇九)、昭和五四年七月ころに株式会社ライフ(甲二一一)、平成七年三月ころに東京総合信用株式会社(以下、「東総信」という。)と(甲二〇八)それぞれ加盟店契約を結び、経済力のない若い顧客らには、右信販会社と代金の立替払い契約を締結させてその信販会社から自社に代金を支払わせ、その立替金を信販会社に分割して返済させる方法を採り入れた(甲二六一等)。

具体的には、①商品の購入を申込んだ客が立替払い契約の利用を希望したときは、②その顧客に、申込用紙に必要事項を記入させて信販会社に取り次ぎ、③信販会社がその申し込みに応じて顧客との間に立替払い契約が成立した後に、その顧客に商品を引渡し、④信販会社からその代金(但し、加盟店手数料を控除されたもの)の一括支払いを受け、⑤顧客がその信販会社に対して同代金に手数料を加えた金員を分割して返済していた(甲二〇八ないし二一〇)。

右の顧客が負担する手数料は支払い回数によって異なり、例えば、東総信の場合、購入(立替)代金の一・七四パーセント(三回払い)から最高三四・八パーセント(六〇回払い)とされていた。(甲二〇八等)。

ココ山岡の各店舗では、顧客に右申込書を書かせると、これを信販会社へファックスで送って、与信の可否の審査を依頼し、概ね一五ないし二〇分程度でその審査結果の通知を受けていた(甲二〇八等)。

4  五年後買取制度の導入

ココ山岡では、昭和五六年一月ころ、被告人Aの提唱で、顧客に対して、商品を、その購入から五年を経過した後は買取請求に応ずること(以下「五年後買取制度」という。)を約束した特約を付して販売する方法を採り入れた。

そして、当初は、その対象商品をダイヤモンド一個(石)付きの指輪に限り、販売価格が三〇万円以上の商品については、販売から五年を経過した後(以下、単に「五年後」という。)の買取請求に対して、販売価格と同じ価格で、一〇年を経過した後の買取請求に対して、販売価格の五割増しの価格で応ずることを約束し、その後、右制度を変えることを重ね、平成元年四月ころ以降は、その対象をダイヤモンド一個付きの商品とし、販売から五年後の買取請求に対して、販売価格が九〇万円以上の商品については、その販売価格と同じ価格で、販売価格が三〇万円以上九〇万円未満の商品については、販売価格の七割の価格で応ずることを約束することになった(甲二六一・乙八九等)。

5  強引な販売方法

ココ山岡では、被告人Aの前記のような方針に従い、次第に、商品を高額化し、従業員に意欲を高揚させつつ、販売を督励し、若い独身男性を狙って強引な、キャッチセールスと呼ばれる販売を行わせるようになっていった。

すなわち、

昭和六〇年代に入ると、主として若い男性を顧客の対象とし、各店舗では、予め、販売のための二人ないし三人の組を編成し、通行人に声をかける役、店内に呼び入れた客に商品の購入を勧める役、最後に契約を取り纏める役などと、各自の役割を定めて、互いに連携、協力しながら販売にあたるようになり、女性販売員が店外の通行人に声をかけて店内に呼び入れ、長時間にわたって相手に高額のダイヤモンド商品の購入を勧めて離さず、五年後買取制度を強調し、「ダイヤモンドは値上がりするから、今買わないと、五年後にはこの値段では買えない。」、「このダイヤモンドを貴方だけに特別に値下げしてあげる。」、「五年後買取りの特約が付いているので、五年経ったら現金が戻ってくるのだから、月々のローンの支払いは貯金と同じである。」、「ローンの利息はダイヤモンドを五年間自由に使える使用料みたいなもの」などと申し向けて購買意欲をそそらせ、煽って販売することが常態化し(甲一〇九ないし一九九等)、そのような販売を二人組で行うことを「ペア販売」、三組で行うことを「トリプル販売」と呼ぶようになった(甲二六一等)。

そして、右の通行人を店内に呼び入れるために「アンケートを取らせて下さい。」などと声をかける方法も広く行われるようになり、後記のように、その強引な販売方法に対する顧客側からの苦情が増え、消費者センターからも注意を受けるようになり、社内では、これを受けて、右のような呼びかけや、「貯金と同じである。」とか、「ローンの利息はダイヤモンドの使用料。」などの言葉を勧誘に使うことを禁止する旨の通達が出されたが、その後も、相変わらず、通行人に「キャンペーンに協力して下さい。」などと声をかけて店内に呼び入れ、キャンペーン用紙と称するアンケート用紙に住所、氏名、職業等を記入させ、その記入内容を基に信販会社に与信の審査を依頼し、それに適う旨の回答を得た顧客に対しては更に商品の売り込みに力を入れる方法が行われ(甲二〇八・二〇九等)、右通達に違反した従業員が罰せられるようなことはなく過ぎていた(乙一〇一等)。

そして、商品の販売方法についてのマニュアルを作って各店舗に備付けたり、男性従業員の幹部会や、店長クラスの女性従業員の懇談会では、各店舗における販売の成功事例を報告させるなどして、若い男女を対象とした販売を全国規模で展開した。

その間、昭和六一年ころには、「キャラ石キャンペーン」などと称して、一カラット以上のダイヤモンドが付いた指輪やネックレスの販売促進キャンペーンを展開したり、そのような高額なダイヤモンド商品の売り上げの多い女性販売員に多額の歩合給を支給し、男性幹部に対しても、担当する店舗が本部から割り当てた目標を上回る売上げを達成したときには、ボーナスを支給し、更に、「ヘルプサインポイント」なるボーナス制度も設け、前記の組を作って行う販売を促進するために応援を頼んだ従業員に努力点を与え、これに応じたボーナスを支給するようにもなった(乙九九等)。

右のような状況下で、一部の店舗では、若い男性を惹きつけるために、女性店員が意識的にミニスカートなどで派手な服装をしたり、店内に呼び入れた顧客を長時間拘束して購入の勧誘をしたり、他店と一緒に入っているビルの中でも店外に出て通行人に声をかけるなどもし、デベロッパーや他店と紛争を生ずる店も少なくなく、そのことが原因でビルから退く店もあった。

6  売上げの拡大

ココ山岡は、前記のような強引な販売方法を行った結果、実売上げ高(総売上げ額からキャンセル(購入の取り消し)による返品額と五年後買取制度による買取額を除いたもの)が以下のように増加し、昭和六〇年三月期には二〇〇億円台に、昭和六三年三月期には三〇〇億円台になり、平成二年三月期には五〇〇億円を越え、平成四年三月期には六三〇億円余りに達した。

決算期 実売上高

昭和五八年三月 約一五四億四〇〇〇万円

五九年三月 約一九八億四〇〇〇万円

六〇年三月 約二二八億五〇〇〇万円

六一年三月 約一九七億九〇〇〇万円

六二年三月 約二四八億一〇〇〇万円

六三年三月 約三三一億八〇〇〇万円

平成元年三月 約三九四億四〇〇〇万円

二年三月 約五〇六億三〇〇〇万円

三年三月 約五八七億九〇〇〇万円

四年三月 約六三〇億六〇〇〇万円

その間、被告人Bが社長に就任した平成五年ころには、五年後買取制度による販売価格と同じ価格での買取りを約束して販売した商品の売上げが全売上げの約七ないし八割程度を占め、販売価格の七割の価格で買取ることを約束して販売した商品の売上げ分も含めると、買取り特約を付した商品の売上げが全売上げの約九割以上を占めるようになった(乙九九)。

7  苦情申立ての増加とココ山岡の対応

しかし、前記のようなココ山岡の強引な販売方法については、次第に各地で顧客側から消費者センターに寄せられる苦情申立てが増え、同社では、平成二年ころから、被告人Aの指示により、顧客が一定の手数料を支払うときは購入の取消し(キャンセル)に応じ、その返品額を当該年度の売上から控除することにして対処したが、その後も苦情の申立てが増え、平成三年ころには、年間約四〇〇から五〇〇件の申し立てを受け、平成八年度にはその数が一万三〇〇〇件余りに達した(甲五二〇)。

そして、その間の昭和六三年、被告人Aを初めとするココ山岡の役員が東京都の消費者センターに呼び出され、同社の、若い客を捉えて五年後買取制度を強調し、考える余裕も与えずに煽り立てて高額な商品を売りつけることの問題性を指摘されるとともに、返品についての明確な定めを作り、顧客のための相談室を設けるよう指導されることになった(甲二九七)。

ココ山岡では、これを受けて(乙九九)、そのころ、総務部に、顧客からの相談や苦情に対処するお客様相談室を設け、その担当者に、当初は、一件当たり五〇〇円の手当てを支給することにしたが、その後、苦情の件数が増加し、担当者の負担が増えると、平成五年ころには、その手当てを一件当たり一〇〇〇円とし、平成八年ころには、賞与を支給する際に、これを三〇〇万円を限度として支給するようになった(甲二七〇)。

被告人Bは、消費者センターから注意を受ける都度、前記のように、苦情を受けた勧誘の言葉(セールストーク)の使用を禁止する通達を出したり、そのセールストークに替えて使うことのできる「使用しても良いセールストーク」を通達で出したりしたものの、前記のように、それが徹底されることはなく、しかも、その通達に違反した従業員が罰せられるようなことはなく過ぎていた(乙九九等)。

三  五年後買取制度の問題点

前記のように、ココ山岡が行った五年後買取制による販売は、商品を販売してから五年以降に顧客からその商品の買取りを求められたときには、これに応ずる義務を伴うものであった。

しかも、同社においては、その特約付きの販売による売上げが大部分を占めるようになっていった。

したがって、同社の経営を存続するためには、五年後買取制による販売については、五年後の買取請求(買戻し)に応じうる資金を備えておくことが求められていた。

また、右の買取りに応ずることとなった場合は、①その間に自らに収めていた販売代金を活用したことによる利益や、②商品(ダイヤ)の高騰した場合に得られる利益は格別として、例えば、販売価格で買い取るときには、その商品を販売しなかった状態に戻るうえ、その間の商品の消耗や、その販売に費やした信販会社への自社の手数料を含む諸経費分が損失に帰する宿命を持ったものでもあり、販売価格の七割の価格で買い取る場合でも、その買取り代金の支出のほかに同様の損失を負うことを免れえないものであった。

なお、右②のような商品(ダイヤ)の高騰は、予測しえない偶然のものであり、そのような高騰が生じた場合に買取り請求が行われることは想像しえない筈のものでもあった。

右のように、五年後買取制度による販売は、その後に顧客からの買取請求に応ずるときは、その代金の支出を必要とするうえ、その間に費やした諸経費等を損失化させるものであり、また、その支出や損失は、売上げの増加に伴って多額化することが予想されるものであった。

したがって、その販売の促進は、右の将来の買取りに備えた資金を確保し、その買取りに伴って生じる損失を上回る利潤を上げえないときは、経営を圧迫し、延ては、経営の破綻に繋がりかねないものであった。

しかるところ、同社は、前記のように、五年後買取制度による販売によって売上げを飛躍的に拡大し、やがて、この特約付きの販売による売上げが全売上げの九割以上を占めるようになっていった。

四  計画性に乏しい経営

1  ココ山岡は、前記のように、将来の顧客からの買取請求に対する備えを必要とする五年後買取制度による販売を、顧客に対しては、その備えを充分にしている旨を説明した「五年後買戻約定付販売について」と題するココ山岡の「店主」名義、平成三年一月付の書面を配布するなどしながら拡大し、しかし、実際には、その備えをせずに過ごした。

右書面には、「当社の現在の売上規模なら、年間に五〇億円以上ぐらいの広告宣伝費を支出できますが、その分、お客様サービスで、いざという時現金になる特約を付けさせて頂くことにしました。」などと記載されていた。

そして、その間の昭和六三年春ころ、商法特例法上の大会社になったことから、山岡宝飾の顧問のJ公認会計士に監査を依頼し、同人から、五年後買取制度による販売について、将来の買い取り額を予測した経営を行う必要がある旨の指摘も受けたが、何らの措置を講ずることもしなかった。

また、右公認会計士から平成元年ころと平成六年三月期の監査を受けた際、経理部長のDは、同人から、同社の五年後買取制度による販売の全売上げに占める割合や、現実の買取りに要した全額の程に関する資料を見せるよう求められ、その旨を被告人Aに伝えたが、同被告人は、これに応じようとしなかった(甲二八二・三〇五)。

2  その一方で、ココ山岡は、販売の拡大によって得た資金を、店舗の増設や従業員の増加に注ぎ込んで経費を増やし、更に、不動産(社宅)の購入に多く費やすようになっていった。

しかも、以下のように、昭和六三年三月期から平成四年三月期にかけての、いわゆるバブル経済の全盛期には、銀行から融資まで受けて銀座本店用の土地を購入したうえ、社宅用の土地を次々に購入し、平成二年以降、その購入総額が二〇〇億円を超え、借入金(長期借入金+短期借入金+一年以内返済の長期借入金+社債)の残高が四〇〇億円を超えるに至った(甲三〇四)。

決算期 土地購入の積算高 借入金の残高

昭和六二年三月期 約一億円 約四二億六〇〇〇万円

六三年三月期 約八九億円 約一七二億九〇〇〇万円

平成元年三月期 約二五四億六〇〇〇万円 約四二一億一〇〇〇万円

二年三月期 約二三四億一〇〇〇万円 約四四〇億四〇〇〇万円

三年三月期 約二九一億九〇〇〇万円 約四九九億五〇〇〇万円

四年三月期 約二九七億九〇〇〇万円 約五三七億七〇〇〇万円

五年三月期 約二九九億四〇〇〇万円 約五一六億四〇〇〇万円

六年三月期 約二九九億四〇〇〇万円 約四五九億二〇〇〇万円

七年三月期 約二九九億四〇〇〇万円 約四三四億七〇〇〇万円

八年三月期 約二九九億四〇〇〇万円 約四一一億三〇〇〇万円

その間、男性幹部に対して、価額一億円以上一億二〇〇〇万円までの土地・建物を探してきたときは、これを買い上げ、その者の社宅として使用することを認め、家賃についても、毎月二〇万円までは会社が負担する旨の通達を出してその物件を購入することも続けた(甲二六〇)。

五  脱税と資金の流失

1  ココ山岡では、前記のように、売上げが次第に増加し、これに伴って法人税も増えることになったが、被告人Aは、棚卸し資産を隠匿することによる節税(正確には脱税)を図り、昭和五五年ころから、同社の取締役で実弟のEと経理部長のDに指示して、期末に各店舗から上がってくる棚卸し明細書の一部を破棄させ、棚卸資産を帳簿や資産表から除外するなどして法人税額を過少申告するようになり、その除外額が五億円を超えるに至った(甲一〇六等)。

2  被告人Aは、右のような棚卸し資産の除外による節税の方法には自ら限界があったことから、更に、ココ山岡の資産を隠匿して節税(正確には脱税)を図るとともに、これを私的に流用することを考え、被告人Cや自社の被告人Bらに指示して旧JJを設立させ、同被告人らとともに、ココ山岡とJJとの間の契約を装うことによってその考えを実行に移し、後記(罪となるべき事実)第一の背任行為に及んだ。

その経過と概要は以下のとおりである。

(一) 旧JJの設立及び同社とココ山岡との取引きの偽装

被告人Cは、昭和五七年夏ころ、ココ山岡の在庫商品を安く買って利益を得ようと考え、被告人Aや、当時のココ山岡の商品部長であったFにその旨を申し出た。

被告人Aは、回答を留保し、Fとも協議するなどした後、遅くとも昭和五八年初めころには、被告人Cに対して、同被告人を代表取締役とする新会社を設立し、ココ山岡が同社に商品を仕入れ価格の一〇分の一(又は五分の一、但し、昭和五八年中に一〇分の一に統一(被告人Aの一三回公判供述))の廉価で売却し、しかし、その商品を同社からの販売委託商品のようにして、そのままココ山岡に留め、ココ山岡がその商品を顧客に販売した際に、前記山岡宝飾を介して元の仕入れ価格で買戻すことを内容とする取引(以下「本件取引」という。)を行うことを持ちかけ、被告人Cは、これを了承した。

被告人Aは、その一方で、昭和五八年一月ころ、ココ山岡の本部があった横浜市中区の関内パークビルに、当時の商品部長のF、経理部長のD、営業部長のG、高知店部長のH、商品部次長の被告人Bや実弟のEらを集め、同人らに対して、右新会社の設立や本件取引きの概要を伝えるとともに、その新会社の株主になるよう持ちかけ、同人らは、いずれもこれを了承し、被告人Bを除く七人が同社の発起人となり、被告人Bが募集株主となった。

そして、被告人Cは、昭和五八年二月、被告人Aの意向に沿い、資本金五三〇万円で右新会社である旧JJを設立して、その代表取締役に就任し、F、H、Bも同社の取締役に就任した。

右旧JJは、設立時に額面五万円の株式一〇六株を発行し、当初は、被告人Aが四〇株、その弟のEが三〇株、被告人Cが一一株、DとGが各六株、Fが五株、Hと被告人Bが各四株をそれぞれ保有したが(乙四三)、昭和五九年ころ、被告人AとEは、その保有の合計七〇株を被告人Cに額面の一株五万円で譲渡し、これにより、被告人Cが同社の全株式の三分の二以上を保有する筆頭株主となった。

(二) 本件取引きの内容

右のようにして、旧JJが設立され、その後、ココ山岡と旧JJの両社及び山岡宝飾において、それぞれ、本件取引きの内容に沿った伝票や帳簿の作成、その対象商品のココ山岡内での保管替え、支払手形や小切手の振出しと決済等が行われた。

すなわち、

(1) ①ココ山岡は、自社の商品を旧JJに仕入れ値の概ね一〇分の一の廉価で販売し、②旧JJは、その代金の支払をココ山岡宛に先日付けの小切手を振り出して行い、③ココ山岡は、その商品を、同社から販売委託を受けたものとして、そのまま自らに留めて販売し、④ココ山岡がその商品を販売したときは、山岡宝飾を介して旧JJからこれを元の仕入値で買戻し、⑤その代金の決済を毎月末日締めで、翌々月の一〇日に山岡宝飾を介して行い、⑥ココ山岡が山岡宝飾に対して、その商品の元の仕入値(買戻し額)に五パーセント分を上乗せした支払金額の約束手形を振り出し、山岡宝飾が右仕入値の支払金額の約束手形を旧JJに対して振り出してそれぞれ決済した(甲一・八・五八等)。

(2) 本件取引きの対象とする商品の特定については、Fが、被告人Aの指示を受け、ココ山岡の各店舗宛に、各店舗に置かれている商品のうち、特定の時期以前に仕入れたものを、仕入伝票とともに商品部へ送付することを指示する通達を行うとともに、ココ山岡が五年後買取請求に応じて顧客から買い取った商品や、顧客が返品してきた商品を商品部へその仕入れ伝票とともに送付することを指示する通達を起案し、これを総務部長(昭和六〇年八月から平成五年六月までは被告人B)が管理本部長名義で清書し、各店舗に送付してこれに従わせて行っていた(甲九四)。

(3) 右商品部は、右のように、各店舗から本件取引きの対象とする商品と仕入伝票の送付を受けると、その仕入伝票をその事務を委託した株式会社ワイエフシーへ送付し、同社は、コンピュターに必要事項を入力したうえで、ココ山岡からJJ宛の請求書一枚と納品書二枚が三枚綴りになったものを作成して右商品部に届けた。

右商品部は、右のワイエフシーから送付された綴りの中の納品書一枚を手許に保管し、その内容を消化仕入品台帳と称する帳簿に記入する一方、請求書と納品書の各一通を旧JJに送付するなどして、その商品を旧JJに販売したうえで同社から販売委託を受けたことに相応した伝票の作成や帳簿への記入を行っていた(甲五五・五六)。

(4) 各店舗では、本件取引きの対象となった商品を顧客に販売したときは、その旨を「消化仕入台帳」なる帳簿に記入するとともに、「移動仕入明細台帳」と称する書類を商品部に送付してその販売を報告し、商品部は、これを右株式会社ワイエフシーへ送付し(甲五五)、同社では、コンピューターによりココ山岡が山岡宝飾を介して旧JJから当該商品を仕入れたことを示す四枚綴りの「納品書」、「請求明細書」、「仕入明細台帳」及び「納品通知書」を作成して商品部へ送付し(甲五九)、商品部は、その「納品書」と「請求明細書」を旧JJへ送付し、「仕入明細台帳」は自ら保管し、「納品通知書」は経理部へ回していた(甲五五)。

(三) 本件取引きの実体

しかし、本件取引きは、後述するように、元々、ココ山岡にとって不要の、全て被告人Aらココ山岡側の意向と計算の下に行われた、商取引きとしての実体を全く有しない架空のものであり、前記のように、旧JJの代表取締役印は、被告人Aが保管して使用し、右の伝票の作成や記帳は、その契約の存在を偽装するために行われたものにすぎなかった。

(四) 本件取引きに付随した取引き

(1) 修理加工

被告人Cは、昭和五九年ころ、前記J公認会計士から本件取引きの実体を指摘され、税務署から問題視されるおそれがある旨の忠告を受けると(甲八〇・乙五〇)、旧JJがココ山岡から廉価で買い受けた商品を前記サロンドジュリーを介して、宝石の卸・修理加工業者の株式会社コミヤ(以下「コミヤ」という。)へ修理加工に出したような形式を整えるようになったが、その実体は、ココ山岡と右コミヤの直接取引であり、サロンドジュリーは、その仲介手数料を徴収するのみで、自らは何ら実質的な取引を行わず、それ故、旧JJが負担したとされた修理・加工費が、本件取引きに基づくココ山岡の同社からの買戻し価格に反映することはなかった(甲八三・五一三ないし五一五)。

(2) 宝石の再鑑定

被告人Cは、昭和五七年ころ、Fがココ山岡で扱う商品についての鑑定会社の鑑定に不満を持っていたことを知ると、同人と被告人Aに、鑑定を請け負う会社を作りたい旨を申し出るとともに、ココ山岡からの受注を期待して株式会社全日本宝石研究所(以下「全日本宝石研究所」という。)を設立した(乙五一)。

そして、右全日本宝石研究所においてココ山岡へ納品する業者の商品の鑑定を一手に引き受けるようになり、ココ山岡の商品部は、各店舗から送付されてきた商品について、その鑑定書が他の業者の作成のものである場合には、これを右全日本宝石研究所へ送付して再鑑定をさせるようになった(甲五五)。

また、ココ山岡は、右コミヤに商品の修理加工や枠替えをさせていたが、その商品についても、右全日本宝石研究所に鑑定をさせるようになった(被告人Cの第一三回公判供述)。

Fは、平成三年ころ、被告人Cに対し、全日本宝石研究所の鑑定が他の同業者に比して厳しい旨を伝え、その鑑定の基準を見直して甘くするように指示し、同被告人もこれに従うこととなった(甲五一八)。

その結果、例えば、ココ山岡が平成八年一月から一一月までの間に有限会社カトレアに返品した後に再び納入した商品の六二九個についてみると、約七九パーセントに当たる四九七個が、全日本宝石研究所の鑑定によってカラー、クラリティー及びカットグレードの全部または一部がグレードアップされていた(甲五一七)。

(五) 新JJの設立

前記のように、昭和五八年以降、ココ山岡と旧JJとの間で本件取引きが行われ、これにより、毎年、ココ山岡から旧JJへ、多いときには三〇億円以上の、少ないときでも二億円位の金員が移行して蓄積されることになった(甲八等)。

その結果、旧JJの株式の価格が高騰すると、被告人Aは、その株式の大半を所有していた被告人Cの死亡時の相続税が多額化する事態を慮ってココ山岡の取引先の株式会社住友銀行新宿東口支店長に相談し、同人から紹介された公認会計士(R)の助言を得て被告人Cに伝え、同被告人は、これを受けて、自らの旧JJの持ち株を前記の自らの関連会社に譲渡したうえで、その一社に旧JJの営業を譲渡させることにより、実質的には旧JJの経営を受け継いだ新会社である新JJを設立することとなった(甲五四等)。すなわち、被告人Cは、平成二年一〇月、前記株式会社A野の商号を旧JJと相互に交換した後、株式会社A野(元旧JJ)の営業をその新JJ(元株式会社A野)に譲渡し、翌平成三年一月、その新JJから旧JJの全役員の被告人Bを含む六名に対して旧JJの株式の譲渡代金として、一株当たり一五〇〇万円の、合計一五億八五二三万円(被告人C自身には一一億八一四五万円余り、被告人Bには七五〇〇万円)を支払い、同年七月、新JJに、株式会社A野、すなわち旧JJを吸収して合併させるとともに、株式会社A野を解散した(甲八)。

なお、被告人Cらは、右の一連の手続を行うに当たって、それに必要な取締役会や株主総会を開くことなどをしなかった(乙四三)。

六  経営状態の悪化

1  本件取引きによる利益(資金)の流失(甲三)

(一) 本件取引は、前記のように、昭和五八年ころから始まり、その後、ココ山岡が旧JJに八万六一四五個の商品を廉価で売却したものとされ、ココ山岡は、新JJが設立された平成二年一〇月までの間に、自らの店頭で右商品のうちの四万四四三四個を顧客に販売し、これに伴って、その商品を旧JJから高値で買い戻し(再仕入れし)たものとされ、旧JJは、残りの四万一七一一個の商品を新JJに引き継いだものとされた(甲三)。

更に、その後の平成二年一〇月四日から平成五年三月二二日にかけて、ココ山岡が四万八三九二個の商品を新JJにやはり廉価で売却したものとされた。

右のココ山岡から新JJへ廉価売却されたものして扱われた商品のうち、仕入れの実体が判明する二万六五一八個についてみると、ココ山岡は、これを約一八四億三八〇〇万円で仕入れ、新JJに一三億四九〇〇万円で売却したことになる(以上甲三)。

なお、ココ山岡が新JJに売却したとされる商品の仕入れ先については、その資料が一部存しないものの、概ね、その商品の約六割相当分が顧客からの買取請求に応じたものであり、残りの四割相当分が業者から仕入れたものであるものと推定される。

そして、最終的には、ココ山岡が旧JJに売却したものとされた商品のうち、新JJに引き継がれたものの約五三パーセントに相当する二万二二四九個が、新JJに売却したものとされる商品については、その約七五パーセントに相当する三万六一七七個がそれぞれココ山岡の店頭で販売され、同社に高値で買い戻(再仕入れ)されたものとして扱われている。

なお、ココ山岡が本件取引きにかかる商品を仕入れてからJJに廉価売却するまでの期間は、商品部或いは各店舗が業者から仕入れた商品については、概ね一年六月以内であり、顧客からの買取り・返品等による商品については、六割以上のものがその当日中であり、八割から九割のものが半月以内にJJに売却されていた(以上甲三等)。

また、ココ山岡が本件取引きの商品をJJに売却してから、その商品を顧客に販売し、同社から買い戻すまでの期間は、その約八割が二年以内で、そのうちの殆どのものが三一日から二七三日で、平均すると、四六〇日であった(甲五五八等)。

(二) 新JJの経理内容

一方、新JJでは、仕入先がココ山岡一社のみであり、同社が設立されて旧JJから商品等の譲渡を受けた後の平成二年一〇月以降、本件取引きによる仕入れは計上していたものの、その代金を支払うための小切手は振り出しておらず、平成三年九月に纏めて決済されたことになっている(甲八)。

新JJの右の期間の商品売上総額(商品売買のみで駐車場代を除く)は約一四三億円であり、これに対し、ココ山岡からの商品の仕入れ総額が約二六億円(売上高の約一八パーセント)、サロンドジュリーを介してコミヤに依頼した修理加工代金の総額が約八億九〇〇〇万円(売上高の約六パーセント)で、本件取引きのココ山岡との商品売買による粗利益が約一〇八億円に達していた(甲八)。

新JJは、平成六年四月から平成八年一二月にかけて、本件取引きによって山岡宝飾から振出しを受けた右買戻し代金の合計約一四三億円の支払いのための約束手形を昭和信金新宿支店で現金化している(甲九)。

そして、右期間中に九名の関係者に対して、総額約三億円(うち被告人Cには約八五〇〇万円)の給与を支払い、被告人CとR公認会計士以外の者に対しては、被告人Aからの要請に従って支払われていた(甲八)。

また、右期間中に、有限会社Cと有限会社C商事に対しては、合計五四〇〇万円の配当金が支払われている(甲八)。

なお、被告人Aは、新JJ設立後も、平成八年一一月まで同社の代表取締役印を自ら管理していた(乙五三等)。

2  五年後買取制度の販売による買取り請求と返品の増加

(一) ココ山岡では、五年後買取制度による販売にかかる商品の顧客からの買取額が総売上げに占める割合は、平成二年三月期から翌平成四年三月期までは、一パーセント前後に止まっていたが、平成五年三月期には約六パーセント、平成六年三月期には約一六パーセント、平成七年三月期には約二三パーセント、平成八年三月期には約二五パーセント、その後の破産期には約三三パーセントと、増加の一途を辿った(甲三一八)。

(二) また、平成四年三月期から顧客からの返品に応じていたが、その返品率が、以下のように、平成五年三月期には総売上げの一〇パーセントを超え、平成八年三月期には約三四パーセントと急増していった。

決算期 返品額 当期総売上に占める割合

平成四年三月期 六五億五八六二万円 九・〇一パーセント

五年三月期 九四億六三五四万円 一四・四六パーセント

六年三月期 八五億八〇五七万円 一六・六六パーセント

七年三月期 七三億九八〇四万円 一三・九パーセント

八年三月期 二三五億二八〇三万円 三三・九九パーセント

九年一月まで 一八六億二七五三万円 三八・一九パーセント

(三) そして、顧客からの買取額及び返品額の合計の総売上げに対する割合が、以下のように平成二年三月期までは一パーセント未満に止まっていたが、平成三年三月期には一パーセントを超え、その後の平成四年三月期には約一一パーセント、平成五年三月期には約二〇パーセント、平成六年三月期には約三三パーセント、平成七年三月期には約三七パーセント、平成八年三月期には約五九パーセント、平成九年の破産期には約七一パーセントに達していた。

決算期 買取額 当期総売上(消費税・物品税を含む)に占める割合(括弧内は買取額に返品額を合算した場合の割合)

昭和六三年三月期 一億二一六七万円 〇・三七パーセント(〇・三七)

平成元年三月期 二億四一三三万円 〇・六一パーセント(〇・六一)

二年三月期 四億七九二七万円 〇・九四パーセント(〇・九四)

三年三月期 一〇億二八九二万円 一・七二パーセント(一・七二)

四年三月期 一二億二九五四万円 一・六八パーセント(一〇・七)

五年三月期 三六億一六九三万円 五・五二パーセント(一九・九九)

六年三月期 八三億三七四九万円 一六・一八パーセント(三二・八五)

七年三月期 一二三億二四七一万円 二三・一五パーセント(三七・〇六)

八年三月期 一七〇億八七五五万円 二四・六八パーセント(五八・六七)

九年一月まで 一六二億一六〇四万円 三三・二四パーセント(七一・四四)

3  実質売上げの減少

また、総売上高から五年後買取制度による買取り額とキャンセルによる返品額を控除した実質的な売上高(実売上げ)をみると、平成四年三月期に約六三一億円と最高額を記録したが、平成五年三月期には約五〇八億円、平成六年三月期には約三三五億円、平成七年三月期には約三二三億円、平成八年三月期には約二七五億円、平成九年の破産時には約一三五億円と減少の一途を辿っていった(甲三一八)。

決算期 実売上高(消費税・物品税抜き)

昭和六二年三月期 二四八億〇五八九万円

六三年三月期 三三一億七九〇六万円

平成元年三月期 三九四億四二三六万円

二年三月期 五〇六億二八一九万円

三年三月期 五八七億九四一八万円

四年三月期 六三〇億六四一一万円

五年三月期 五〇七億八三九四万円

六年三月期 三三四億六九九七万円

七年三月期 三二二億五四六三万円

八年三月期 二七五億一九二三万円

九年一月まで 一三五億二三〇五万円

4  資金繰りの困窮化(流動資産と受融の減少・担保物件の減少)

ココ山岡では、決算書上の経常利益が、以下のように、平成五年三月期に前期の約二八億円から約一四億円に半減し、以後、平成八年三月期まで約一〇億円程度の経常利益を上げるに止まっていた(甲三二八)。

決算期 経常利益

平成四年三月期 約二七億九〇〇〇万円

五年三月期 約一三億九四〇〇万円

六年三月期 約一四億四八〇〇万円

七年三月期 約一七億八一〇〇万円

八年三月期 約一〇億七五〇〇万円

同年九月末まで マイナス約八〇〇万円

そして、これに伴って、その経営の実態が悪化し、特に、資金繰りが急速に悪化していった。

すなわち、平成五年三月期における資金収支は、以下に示すとおり、営業収支が四七億八四〇〇万円の赤字(五二二億六五〇〇万―五七〇億四九〇〇万円)となり、事業活動に伴う収支を合わせると、九二億四七〇〇万円の赤字(六三五億二〇〇〇万円―五四二億七三〇〇万円)となり、更に、資金調達活動に伴う収支も合わせると、一一三億二七〇〇万円の赤字となるに至っている。

そして、それに伴い、預金残高も平成四年三月期の三〇四億円から平成五年三月期には一九一億円に落ち込んでいる。

平成六年三月期においても、営業収支が四七億五四〇〇万円の赤字(三三五億七八〇〇万円―三八三億三二〇〇万円)となり、事業活動に伴う収支を合計すると、四五億四三〇〇万円の赤字(三七八億九五〇〇万円―四二四億三八〇〇万円)となり、資金調達活動に伴う収支も合わせると、一〇二億六六〇〇万円の赤字となっている。

また、預金残高も一九一億円から八八億円に落ち込んでいる。

このように、二期連続して一〇〇億円以上もの資金不足の状態に陥っていた。

【平成五年三月期の資金収支について】(甲二八三)

① 事業活動に伴う収支

営業収入 五二二億六五〇〇万円

(売上高五〇七億八四〇〇万円+売上債権減少高一四億八一〇〇万円)

営業外収入 一五億五三〇〇万円

(受取利息、配当金一〇億八五〇〇万円+その他四億六八〇〇万円)

有形固定資産売却収入 四億五五〇〇万円

収入合計=五四二億七三〇〇万円

営業支出A(仕入れ)三三三億七九〇〇万円

(売上原価 二二八億二〇〇〇万円+商品増加額一六億四二〇〇万円+仕入れ債務減少額八九億一七〇〇万円)

営業支出B(人件費)

一一九億六八〇〇万円

(人件費一二二億二三〇〇万円―引当金増加額二億五五〇〇万円)

営業支出C(その他)

一一七億二〇〇万円

(販売費及び管理費二四四億四八〇〇万円―人件費一二二億二三〇〇万円―その他減価償却費等)

営業支出合計=五七〇億四九〇〇万円

営業外支出(決算支出など)六四億七一〇〇万円

支出合計=六三五億二〇〇〇万円

② 資金調達活動に伴う収支

短期借入金の増加額 二〇億八八〇〇万円

長期借入金の減少額 四一億六八〇〇万円

資金調達収支=マイナス二〇億八八〇〇万円

【平成六年三月期の資金収支について】

①  事業活動に伴う収支

営業収入 三三五億七八〇〇万円

営業外収入 一〇億五六〇〇万円

有形固定資産売却収入 三二億六一〇〇万円

収入合計=三七八億九五〇〇万円

営業支出A(仕入れ)一九三億九七〇〇万円

営業支出B(人件費)九五億八六〇〇万円

営業支出C(その他)九三億四九〇〇万円

営業支出合計=三八三億三二〇〇万円

営業外支出四一億六〇〇万円

支出合計=四二四億三八〇〇万円

②  資金調達活動に伴う収支

短期借入金の減少額 三五億六〇〇〇万円

長期借入金の減少額 二一億三八〇〇万円

その他 二五〇〇万円

資金調達収支=マイナス五七億二三〇〇万円

また、流動資産と流動負債の比率(乙八一等)も、平成五年三月期には、流動資産の総額が約四〇九億円に対して、流動負債が約四四四億円となり、流動負債が流動資産を上回り、資金調達が困難な状態にも陥っていた(乙八一)。

各期末の現金と預金の保有高の経緯は以下のとおりであり、売上と同様、平成四年三月期(二五期)の三〇四億円を頂点として、翌平成五年三月期には一九一億円と激減し、平成六年三月期には一〇〇億円を下回り、平成七年三月期には若干、増加したものの、その後減少していった(甲三一八)。

決算期 預金保有高

昭和六二年三月期 二〇億五九一八万円

六三年三月期 七五億九三六六万円

平成元年三月期 一四二億七一〇八万円

二年三月期 二四四億五四一八万円

三年三月期 二二七億六二四三万円

四年三月期 三〇四億一二九二万円

五年三月期 一九一億〇四五六万円

六年三月期 八八億三〇七一万円

七年三月期 一二三億二三五三万円

八年三月期 九一億九八五四万円

九年一月 四八億一九八六万円

また、土地の含み損も増大し、以下のように、簿価五億円以上の土地についてみると、平成四年三月期には一三七億二〇〇〇万円、平成七年三月期には一九一億五〇〇〇万円、平成八年三月期には一九八億三〇〇〇万円の含み損が発生していた(甲二八三)。

そして、破産時の平成九年一月に有していた土地についてみると、簿価が約三〇〇億円であったのに対し、時価は約六〇億円程度となり、約二四〇億円の含み損を抱えた状態に陥っていた(甲三二二)。

決算期 路線価 簿価 含み損

平成四年三月期 九九億八〇〇〇万円 二三七億円 一三七億二〇〇〇万円

七年三月期 四五億五〇〇〇万円 二三七億円 一九一億五〇〇〇万円

八年三月期 三八億七〇〇〇万円 二三七億円 一九八億三〇〇〇万円

(簿価五億円以上の土地について比較したもの)

5 経営悪化を裏付ける状況

ココ山岡では、平成五年ころから、実際に販売した金額よりも、返品や買取で顧客に支払った金額の方が多い店舗がみられるようになった(甲二九七)。

しかし、被告人Aは、平成五、六年ころから、各店が作成する売上一覧表を基に、店毎の売上予算(予定)と実売上高を一覧にした予算達成率一覧表を作成させながらも、その実売上高欄の数字がマイナスになるような場合には、その数字を乗せないように指示した(乙九八)。

そのような中で、信販会社の「ライフ」は、平成五年二月ころ、ココ山岡とのクレジット加盟契約を打ち切り、株式会社オリエントコーポレーションや日本信販株式会社も、特に五年後買取制度に基づくダイヤモンド販売について信用供与を与えることについて慎重な態度を取るようになった。

被告人Aは、五年後買取制度の販売による商品の買取請求額について、三菱信託銀行横浜支店からの問い合わせに対し、Dに指示して、平成四年六月分以降、過少にした虚偽報告を行っていた(甲三〇三・二八四)。

また、平成五年四月ころには、住友銀行の担当者に対し、売上金が減少していることなどを理由に、同銀行からの長期借入金の毎月の返済額の減額を求めて承諾を得ており、平成五年九月ころには、同銀行からココ山岡の実地調査を実施され、不動産の含み損の状況や、五年後買取制度による買取額などを調査された際、Dに指示して、五年後買取請求に関する資料の一部を隠匿させることなどもした(甲三〇三・二八六・乙八三)。

更に、平成六年ころから七年ころにかけて、三菱銀行横浜支店の担当者がDや、当時の経理部長であったI、被告人B、被告人Aらと数回にわたり面接し、JJとココ山岡の関係や、五年後買取制度の概要、保有不動産の含み損の状況等を聞き取り調査を行った際、被告人Aは、右買取請求額について、実際の約四分の一にした虚偽の説明を行っていた(甲七〇・三〇三)。

6 ココ山岡における被告人Aや同Bら関係者の対処

被告人Aや同Bらは、ココ山岡の経営状態が右のように悪化する中で、その回復のために、以下のような措置を講じた。

(一)  平成五年三月二二日ころ、本件取引きのココ山岡から新JJへの廉価販売を打ち切り、その後もJJに売却したものとされている商品を顧客に販売した場合の同社からの買戻しを行ったが、同年六月一五日以降、その買戻しの価格を従前の二分の一に減額した(乙八一・九八等)。

(二)  平成五年五月ころ、住友銀行と交渉して長期借入金の毎月の元利返済金を半額にした(乙八一)。

(三)  被告人Bが代表取締役に就任した後は、平成五年七月に従業員に対する賞与を、その基準を変更して減額し(甲三〇三・乙八一)、平成七年二月に営業本部を三つに絞り(乙八一等)、同年末ころ、横浜銀行に対して、返済額を軽減求めた交渉をし、その結果、平成八年夏ころ、同銀行から五億円の融資を受けた(乙九八等)。

(四)  同年四月から五月にかけて、ココ山岡の監査人であったJが経営者となっている保険会社(ウエストビル)との商品保険契約を打ち切り、Eが経営する株式会社ヴィバロックとの契約も打ち切った(乙八一等)。

(五)  その他、従業員、店舗、役員賞与等を削減するなどの措置も講じた(乙九八・被告人Bの第一一回公判供述等)。

しかし、右のような努力にもかかわらず、ココ山岡の経営状態は悪化の一途を辿った。

7 悪化した経理の実態

前記のように、ココ山岡の五年後買取制度による販売にかかる商品の顧客からの買取額は、五年前の売上高に比例して年々増加し、各月の買取額が、平成七年は一五億円台に止まっていたが、翌平成八年になると、一五億円を超え、最高時には二二億円にまで達した(甲三一八)。

決算期 各月の買戻し額

七年四月 約一一億四一〇〇万円

五月 約一二億三五〇〇万円

六月 約一三億三六〇〇万円

七月 約一一億九九〇〇万円

八月 約一五億七二〇〇万円

九月 約一四億七九〇〇万円

一〇月 約一五億五五〇〇万円

一一月 約一二億九〇〇〇万円

一二月 約一四億八一〇〇万円

八年一月 約一二億三〇〇〇万円

二月 約一七億九八〇〇万円

三月 約一七億七二〇〇万円

四月 約一五億二四〇〇万円

五月 約一七億一四〇〇万円

六月 約一三億九三〇〇万円

七月 約一九億五七〇〇万円

八月 約一七億五六〇〇万円

九月 約一六億八八〇〇万円

一〇月 約二二億七六〇〇万円

一一月 約一八億二〇〇万円

一二月 約一七億五一〇〇万円

ココ山岡における入出金の状況(キャッシュフロー)は、以下のように、平成八年三月期(以下「二九期」という。)は、入金総額の約四四四億二八〇〇万円に対し、出金総額が約四七五億八三〇〇万円、同年四月から翌平成九年一月まで(以下「三〇期」という。)の入金総額の約三四八億六一〇〇万円に対し、出金総額が約三九二億四〇〇〇万円と、いずれも赤字となっており、現預金残高も平成七年四月一日現在の約一二三億円から倒産時の約四八億円と約七五億円減少している(甲三一九)。

(二九期)

預金前記繰越残高 約一二三億五四〇〇万円

入金総額 約四四四億二八〇〇万円

出金総額 約四七五億八三〇〇万円

期間中の赤字額 約三一億五六〇〇万円

預金残高 約九一億九九〇〇万円

(三〇期)

入金総額 約三四八億六一〇〇万円

出金総額 約三九二億四〇〇〇万円

期間中の赤字額 約四三億七九〇〇万円

預金残高 約四八億二〇〇〇万円

また、その間の各月の現預金残高の推移をみると、平成七年一〇月までは一一〇億から一二〇億円台で推移していたが(甲三一八・三一九)、同年一二月には一〇〇億円を下回り、平成八年三月以降は、更に徐々に減少し、平成九年一月の倒産時には約四八億円となっていた。

更に、現預金のうちの定期預金残高の推移をみると、以下のように、平成七年三月末時点の約一一五億円の定期預金が、その後、少しずつ取り崩されて支払いに充てられ、倒産時には約三五億円になっていた(以上甲三一九)。

決算期 現預金残高 内定期預金残高

平成七年三月末 約一二三億円 約一一五億円

四月 約一二七億円 約一〇三億円

五月 約一一七億円 約一〇三億円

六月 約一二〇億円 約一〇六億円

七月 約一一五億円 約一〇〇億円

八月 約一一四億円 約九五億円

九月 約一二〇億円 約一〇六億円

一〇月 約一一七億円 約九九億円

一一月 約一〇八億円 約七一億円

一二月 約九九億円 約七五億円

八年一月 約一〇四億円 約七二億円

二月 約一〇三億円 約八〇億円

三月 約九二億円 約八〇億円

四月 約八二億円 約五八億円

五月 約九四億円 約六七億円

六月 約九五億円 約七二億円

七月 約八四億円 約六三億円

八月 約八四億円 約六二億円

九月 約七五億円 約五九億円

一〇月 約六八億円 約五四億円

一一月 約五九億円 約三八億円

一二月 約六四億円 約三六億円

九年一月 約四八億円 約三五億円

そして、ココ山岡の経営を売上金によって賄うことができたか否かについて検討するに、各決算期における売上入金に対する五年後買取制度による買取り金、キャンセルに伴う返金、諸経費の支払い(仕入代金・人件費・販売管理費)の割合をみると、以下のように、二九期は売上入金の九二パーセントにとどまっているが、三〇期には売上入金の一一二パーセントと赤字になり、三〇期に入ると、殆どの月が一〇〇パーセントを超える出金をしており、売上収入だけは経営を賄うことはできない状況に陥っていた(甲三一九)。

(二九期)

売上入金総額 約四三一億九九〇〇万円

支払総額 約四〇一億三一〇〇万円(約九二パーセント)

五年買取返金総額 約一七六億二九〇〇万円

キャンセル返金総額 約一億四〇〇〇万円

経費支払い総額 約二二三億六三〇〇万円

(三〇期)

売上入金総額 約三〇四億八三〇〇万円

支払総額 約三四二億八二〇〇万円(約一一二パーセント)

五年買取返金総額 約一六五億三二〇〇万円

キャンセル返金総額 約一一億一〇〇万円

経費支払い総額 約一六六億四九〇〇万円

決算期 (三〇期売上入金 支払総額

平成八年四月 約三二億九二〇〇万円 約三一億七六〇〇万円

五月 約三六億四一〇〇万円 約三六億七一〇〇万円

六月 約三三億七五〇〇万円 約二八億四二〇〇万円

七月 約三三億五七〇〇万円 約四二億九八〇〇万円

八月 約三三億八五〇〇万円 約三五億四四〇〇万円

九月 約三一億九〇〇〇万円 約三六億一九〇〇万円

一〇月 約三三億七六〇〇万円 約三九億三三〇〇万円

一一月 約二七億八四〇〇万円 約三一億五八〇〇万円

一二月 約三五億九九〇〇万円 約四一億円

九年一月 約四億八六〇〇万円 約一九億四二〇〇万円

しかも、ココ山岡では、前記のように、昭和六三年三月期ころから不動産を購入し、その資金を長期借入金で賄ったが、その後、その実勢価格が下落して、多額の含み損を抱える状態になっていた。

そして、以下のように、平成四年三月期には、長期借入金の残高が最高の約三〇三億円に達し、その後、順次これを返済してその残高を減らしたものの(倒産時は約二一二億円)、短期の借入金については、平成七年三月期(残高約一七四億円)以降、殆ど返済できずに過ごすこととなった(甲三一八)。

決算期 長期借入金 短期借入金

昭和六二年三月期 約七億円 約三五億円

六三年三月期 約六四億円 約一〇九億円

平成元年三月期 約二六五億円 約一三三億円

二年三月期 約二二二億円 約一七二億円

三年三月期 約二八〇億円 約一八九億円

四年三月期 約三〇三億円 約一八八億円

五年三月期 約二六七億円 約二〇九億円

六年三月期 約二五〇億円 約一七四億円

七年三月期 約二二九億円 約一七二億円

八年三月期 約二一一億円 約一七〇億円

九年一月 約二一二億円 約一七二億円

また、ココ山岡における各年度の新たな借入額の推移をみると、以下のように、平成元年三月期の約二八九億円を頂点として平成四年三月期には約九一億円に減少し、平成七年三月期には約一四億五〇〇〇万円に、更に、平成八年三月期(二九期)には約三億八〇〇〇万円に減少していた。

そして、三〇期には約一八億三〇〇〇万円の借り入れはしているものの、そのうちの一〇億円は山岡宝飾からの借入れであり、しかも、その余のうちの五億円は横浜銀行に対する借入金の返済額の軽減に代わるもので、本来の借入ではなかった(甲三一八)。

決算期 新規借入額

昭和六二年三月期 約一八億円

六三年三月期 約一三八億円

平成元年三月期 約二八九億円

二年三月期 約二五一億円

三年三月期 約二七〇億円

四年三月期 約九一億円

五年三月期 約八九億円

六年三月期 約五九億円

七年三月期 約一四億五〇〇〇万円

八年三月期 約三億八〇〇〇万円

九年一月 約一八億三〇〇〇万円

このように、ココ山岡は、平成八年三月には、①五年後買取制度による買取りの増加や、返品の増加によって資金が不足する状態に陥り、定期預金を取り崩すなどして支払いに充てたものの、短期借入金の返済にまでは資金が回らない状態となり、①不動産に多額の含み損が生じてこれを換価したり、担保にした融資を得ることができず、経営の悪化に伴って金融機関からの借入も先細りとなり、資金調達がままならない状態に陥り(被告人Bの一三回公判供述等)、③五年後買取制度による買取り請求額が五年前の売上高に比例して増加しており、その後も更に増加するものと予想される状態に陥った。

そして、ココ山岡の経営は、以下のように、平成八年六月三〇日の決算から赤字の状態が続くことになった(乙八一添付の資料)。

決算期 赤字額

平成八年六月三〇日現在(七月三一日作成) 約三億九〇〇〇万円

七月三一日現在(八月二〇日作成) 約七億四〇〇〇万円

八月三一日現在(九月一七日作成) 約二〇〇〇万円

九月三〇日現在(一〇月一三日作成) 約一億九〇〇〇万円

一〇月三一日現在(一一月二一日作成) 約三億八〇〇〇万円

その結果、その間に特段の経営上の予測外の事態が発生することはなかったのにもかかわらず、同年暮れには資金繰りに行き詰まり、翌平成九年一月九日には、山岡宝飾及び山岡商事とともに破産の申し立てを行い、翌日、その宣告を受けるに至り、その際、二九九億円余りの負債超過で、その返済が不能な状態にあるものと認定された(甲三一六ないし三二四、乙九八、被告人Bの一三回公判供述等)。

8 以上のように、ココ山岡は、遅くとも、平成八年初めころには、近く(遅くとも五年以内には)倒産し、五年後買取制度によって顧客に販売した商品の買取りには応じられなくなることが予想される経営状態に陥っていた。

そして、被告人Aや被告人Bは、当時、その経営者として、同社のそのような状態を認識していた。

しかし、右被告人両名は、その後も、関係者に対して右の経営の実情を秘し、同社の各店舗において、相変わらず、そのような事情を知らない店員らを介して、顧客に対して、前記の「五年後買戻約定付販売について」と題する書面を見せるなどして、五年後買取制度による販売商品をその約定どおりに買取るための資金を準備しているかのように振舞い、顧客を欺きながら商品を販売することを続けて後記(罪となるべき事実)第二の詐欺の犯行に及んだ。

(罪となるべき事実)

第一  被告人Aは、平成元年から平成五年六月までココ山岡の代表取締役として、その後は同社の代表取締役副会長として、その業務全般を掌握して統括し、被告人Bは、平成元年に同社の取締役に就任し、平成五年六月以降は同社の代表取締役として、その業務全般を掌握して統括し、いずれも、同社の取締役として同社のために忠実にその職務を遂行すべき任務を負っていた者であり、被告人Cは、昭和五八年以降、被告人Aの意向によって設立された旧JJの、平成二年一〇月以降は旧JJを継承した新JJの各代表取締役に就任していた者であるが、右被告人ら三名は、被告人A及び同Bのココ山岡に対する右取締役としての任務に背き、自らと新JJの利益を図る目的でココ山岡の資金を新JJに流失させて蓄積することを企て、共謀のうえ、両社やココ山岡の関連会社の山岡宝飾の帳簿や伝票類を操作するなどして、平成二年一〇月四日ころから平成五年三月二二日ころにかけて、別紙犯罪事実一覧表(一)記載のとおり、三六四八回にわたり、ココ山岡がJJに五二八六点の商品を、その販売権をココ山岡に留めて、ココ山岡がこれを顧客に販売したときは、同社の関連会社の山岡宝飾を介してJJから買い戻すことができる旨の特約の下に、仕入れ価格の約一割相当の合計二億五三六万三六六七円の廉価で売却したかのように偽装した後、同表記載のとおり、平成五年一二月一〇日ころから平成八年一二月一〇日ころにかけて、三七回にわたり、ココ山岡が右商品を右特約に基づいて新JJから山岡宝飾を介して合計九億一二八一万七〇五〇円で買戻したかのように再び偽装し、その買戻し代金の支払のためとして、山岡から新JJ宛に右買戻し代金を支払金額とする各約束手形を、更に、ココ山岡から山岡宝飾宛に右買戻し代金に五パーセントを加えた支払い金額(合計九億五八四五万七九〇〇円)の各約束手形をそれぞれ振り出させて、いずれも、そのころ、その決済をさせ、よって、ココ山岡に、右の当初の新JJへの売却金と買戻し時の山岡宝飾の新JJへの支払金の差額の七億七四五万三三八三円の損害を与え、

第二  被告人A及び同Bは、前記のように、ココ山岡の各店舗において、顧客に対して、ダイヤモンド商品を、販売時から五年以降に、販売価格と同額ないしその七〇パーセントの代金での買取り請求に応ずる旨の特約を付して販売させていたが(五年後買取制度)、遅くとも平成八年三月ころには、同社が、経営が行き詰まり、五年以内の倒産と、それにより、右特約に基づく買取りに応ずることができなくなることが予想される状態に陥ったのに、その事態を知りながら、顧客に対して、そのことを秘し、右の特約付きの商品の販売を続けてその代金を騙取することを企て、共謀のうえ、同年四月二四日ころから一二月一五日ころにかけて、別紙犯罪事実一覧表(二)記載のとおり、八九回にわたり、横浜市西区《番地省略》所在の株式会社マイカル横浜ビブレ店一階のココ山岡横浜ビブレ店など同社の一八店舗において、右の事情を知らない店員らを介して、Uら合計八九名の顧客に対し、同社が右特約に基づく買取請求に確実に応ずる能力があるかのように装ってその商品の購入を勧め、右顧客らを欺いてその旨誤信させ、よって、いずれも、そのころ、同所において、同人らに、同表記載の各商品を同表記載の販売価格で購入させるとともに、同社が加盟していた信販会社の東京総合信用株式会社及び株式会社オリエントコーポレーションとの間に右購入代金の立替払いの委託契約を締結させ、同表記載のとおり、同年五月一五日ころから平成九年一月六日ころにかけて、八九回にわたり、右信販会社から、東京都新宿区《番地省略》所在の株式会社住友銀行北新宿支店のココ山岡の普通預金口座に、右購入代金(立替金)から手数料を控除した合計一億二九二〇万六五八円の振込み送金を受け、もって、それぞれ、人を欺いて財物を交付させた。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

第一前記(罪となるべき事実)第一の背任について

一  本件取引きの実体に関する主張について

弁護人は、本件取引きが実体のあるものであることを前提にして、種々主張している。

しかしながら、本件取引きは、以下に述べるように、偽装された架空のものというべきである。すなわち、

関係証拠によると、以下の事実が認められる。

1 被告人三名ら関係者が旧JJを設立し、本件取引きを始めるに至った経過は前記(各犯行に至る経緯)のとおりであり、被告人Aらは、それ以前から、いわゆる棚卸し資産の除外による脱税を続け、その方法に限界があったことから右の旧JJの設立と本件取引きを始めるに至っており、旧JJの設立は被告人Aの意向に従い、その指示の下に行われ、現に、その発起人の選任についても、ココ山岡のFの方から同社の関係者で占める旨の案が出されて、被告人Cがこれに従い(被告人Cの第一三回公判供述)、同社が設立されると、被告人Aがその代表取締役の印鑑を保管して使用している。

2 そして、当時、ココ山岡の売上げが順調に伸びており、資金に不足するような事態が生じた形跡がないことを考えると、同社が、自社の商品をそのような廉価で売却してまでも資金調達を行わなければならないような必要性は存しなかったものというべきである。

3 仮に、当時のココ山岡に右のような方法による資金調達の必要が生じていたとすれば、被告人Aらは、その経営者として、当然、その目的に適う取引先を求めたものと想像されるところ、そのような努力をした形跡は全くなく、当初から、本件取引きを行う相手を旧JJと定め、わざわざその設立に力を貸し、被告人Cをその代表者に就かせることまでして本件取引きを始めるに至っている。

4 被告人Cは、前記のように、自ら宝石を扱う会社を経営しており、また、ココ山岡に対して商品の買取りを求めたこともあり、ココ山岡において、仮に、同被告人ないしその経営する会社の力を評価して本件取引きを行おうとするならば、敢えて同被告人を代表者とする新会社を設立する必要はなかった。

5 しかし、被告人Cが当公判廷において述べるように、同被告人や同被告人が経営する会社のいずれも、本件取引きにおけるような、廉価とはいえ、多額の商品を買い入れる程の資力はなく、右のように、被告人Aらの意向と力によって旧JJが設立されることとなり、しかも、同社の資本金は前記のように限られたものであり、同社には、当初から本件取引きのような多額の商品を買い入れる資力はなかった。

6 それ故、本件取引きに基づく当初の旧JJのココ山岡からの買い入れ商品の代金については、これが直ちに支払われることはなく、その後、ココ山岡がその商品を顧客に販売し、同社から旧JJに対する当該商品の買戻しとその代金の決済が前記(罪となるべき事実)第一のようにして行われ、旧JJがその代金を受領して資金を得た後に初めて、右の支払いが行われるに至っている。

このように、本件取引きは、少なくとも、ココ山岡の資金調達に何ら資するものではなく、単に、廉価販売による資産の減少を生ずるものでしかなく、一方、JJにとっては、何らの資金準備なくして始めることができたうえ、自らはなんら労することも、危険を負担することもなく、ココ山岡の多額の商品を廉価で買取り、その後、同社にこれを高値で売却してその差額をそのまま自らに収めることのできる、JJでなくとも、誰でもその当事者になりうる、このうえなく恵まれたものであった。

それ故、前記のように、ココ山岡は、平成五年に入り、将来の資金繰りが苦しくなることが予想される状況に至ると、本件取引きによる新JJへの廉価売却を打ち切り、更に、同社からの買戻し価格を当初の半額にするに至っている。

7 本件取引きの内容については、その当事者であるココ山岡と旧JJないし新JJとの間で実質的な交渉が行われたことは全くなく、したがって、両社の間に契約書など、その内容を定めた文書は存せず、全て被告人Aないしココ山岡の関係者によって一方的に決められていた。すなわち、

(一) その取引き対象の商品の種類、量、その商品のココ山岡からJJへの売却価格と同社からの買戻し価格等は、すべてココ山岡側で決定されていた。

しかも、右の売却価格を決めるに当たって、その廉価の程をどのような検討をして決めたのか、被告人A自身、当公判廷においても、遂にその根拠を明らかにしえずに終わっている。

(二) ココ山岡は、平成五年三月に入ると、被告人Cと交渉することもせずに専ら自らの都合で新JJに対して本件取引きによる商品の廉価販売を一方的に打ち切り(乙五三)、更に、同年六月、Fから被告人Cに対し、再び、自らの都合で一方的に、本件取引きによる新JJからの商品の買戻し価格を当初の半額とする旨の「覚書」を示して同被告人に了承させている(乙五三)。

8 その間、ココ山岡が本件取引きの対象とする商品については、商品部から各店舗に対して、仕切品台帳、或いは消化品台帳の番号を指示して、その該当商品を商品部に戻すように求めた通達を行うことによってその特定がなされ、その際、その商品の選別は、単に、仕入れ時期だけを基準にして画一的に行われたにすぎなかった。

それ故、右の商品は、前記のように、必ずしも、長期間の在庫品や販売までに長期間が見込まれるようなものに限られず、仕入れてから日が浅いものが大量にその対象となり、ココ山岡がJJに売却後、比較的短期間のうちに多量の商品が顧客に販売されていた。

本件取引きは、右の点からも、その不要、不合理性を知りうるものである。

9 旧JJの設立や本件取引きの実体は、以上のようなものであり、その設立や、本件取引きを始めるに当たり、両社のいずれにおいても、取締役会が開かれたことはなく、被告人Aは、昭和五八年四月ころ、経理部長のDに命じて、ココ山岡の取締役会が本件取引きを承認した旨の虚偽の取締役会議事録を作成させていた(甲一〇六)。

10 本件契約によると、ココ山岡が自社の商品を旧JJないし新JJに売却した後も、これを自らの許に留めて顧客に販売できるものとされているが、その商品の所有権はJJに移転する筈のものであるところ、その商品について、ココ山岡は、独自の判断で修理・加工や枠替え等を行い、一方、JJは、ココ山岡に対しては、その所有者としての何らの実質的な支配力も認められておらず、したがって、右のような独自の決定権はなく、なお、前記のように、本件取引きに伴って、JJがその商品をサロンドジュリーを介してコミヤへ修理加工等に出した形式を整えるようにはしたものの、これによって旧JJが負担したとされることとなった修理・加工費が本件取引きに基づくココ山岡の同社からの買戻し価格に反映されることはなかった(甲八三・五一三ないし五一五)。

11 本件取引きの、右のココ山岡が自らの商品をJJに売却した後も、自らの許に留めて顧客に販売することができる内容について、関係者の間では、JJからの販売委託と呼ばれていたが、その実体は、それとは全く異なるものであり、ココ山岡は、顧客に対してその商品を自らが自由に決める代金で販売することができ、販売したときも、JJにその販売代金をJJに収めて手数料を得るのではなく、前記のように、同社からその商品を元の売却価格で買い戻し、販売代金との差額は自らに収めることのできるものであり、一方、JJは、その商品の所有者となった筈でありながら、本件契約においては、ココ山岡への販売委託の期間や同社の買戻し期限のような約定は何ら存せず、ココ山岡が長期間、その商品を顧客に販売できずに経過しても、これを引き揚げて他の販売方法を試みることは許されず、ひたすら、ココ山岡による販売を待つほかないものであった。

12 しかるところ、JJは、被告人Cがそれまでに経営していた前記の会社と同じ場所に本店を置き、その経営の実体は、固有の事務所等の設備や従業員は持たず、本件取引き以外の取引きはなく、その仕事の内容も、被告人Cがココ山岡側からの一方的な指示を受けながら、その商品部で、ココ山岡がJJに売却する商品の納品書と委託伝票をもらい、その支払いのための小切手を作成し、その商品がココ山岡の顧客に販売されると、同社の経理部で山岡宝飾振出しの、これに相応した前記の支払い(約束)手形を受け取るという、いわば伝票上の操作事務をしていたにすぎなかった(乙五〇)。

13 そして、前記のように、旧JJが設立され、被告人Cがその代表取締役に就いた後も、被告人Aは、同社の代表者印を保管、使用し、同被告人やココ山岡の関係者は、同社の経営について、被告人Cに対して強い発言力を保有していた。例えば、

(一) 被告人Cは、昭和五九年五月の旧JJにおける配当金について、利益処分案を作成する際、配当率の程をココ山岡のDを介して被告人Aに聞いて決めていた(甲一〇六)。

(二) また、右配当金を、平成七年三月期までの六〇〇万円から平成八年三月期以後の三〇〇〇万円に増額するに際しても、被告人Aの了解を得て行っていた(乙五三等)。

(三) 平成六年春、JJの口座取引き先を住友銀行から昭和信用金庫に変更するに際しても、同被告人の了解を得ていた(乙五三等)

(四) 被告人Aは、平成五年六月に被告人Bにココ山岡の社長に就任することを依頼した際、「ココ山岡は公表している利益は三〇億円程度だが、他に隠された八〇億円の利益もあって、いい会社なんだよ。」などと、暗に、新JJの資産をココ山岡のために使えるもののような発言をしている(乙九五・九六)。

(五) ココ山岡のDは、平成六年七月ころ、取引先の三菱銀行に同社の決算に関する説明をした際、同社と新JJとの関係についての説明を求められると、新JJの印鑑はココ山岡が保有し、新JJが実質的にココ山岡の管理下にある旨の説明をし(甲六九)、被告人Aも、平成七年一月ころに右銀行を訪ねて同様の説明をしていた(被告人Bの第一一回公判供述)。

(六) 被告人Aは、新JJの設立に際しても、ココ山岡の取引先の住友銀行新宿東口支店の支店長からR公認会計士の紹介を得て、同人に相談している(甲一〇一・五四)。

(七) なお、被告人Aは、被告人Bがココ山岡の社長に就任してからも、新JJの代表印を保管所持していた(被告人Aの一三回公判供述)。

(八) 被告人Cは、平成七年ころから新JJが公社債投信などの金融商品を買うことについて、逐一、被告人Aに報告していた。

14 かくして、本件取引きによってJJに蓄積された資金については、被告人Cは、その中から、自らは平成二年から九年にかけて、役員報酬として一億八五〇〇万円を受け取ったが、他方、被告人Aから求められるまま、以下のように、同被告人や被告人Bを初めとするココ山岡の幹部役員やその関係者の私的な用途のための資金や物品を提供していた(乙五三添付の資料8等)。

(一) 昭和五八年一〇月から平成一〇年四月にかけて、被告人Aの親戚のKとLの両名に対して、JJからの給料名目で合計約一億二八〇〇万円を振込み送金し、

(二) 平成八年四月ころから平成九年の一〇月ころにかけて女性従業員の一人(M子)に対して、合計約一三〇〇万円を送金し、

(三) 昭和六二年ころから平成二年ころにかけて、被告人AがJJの役員として指名したF、被告人B、D、Gらに対して、役員報酬として合計約三五〇〇万円を支払い、

(四) 昭和六二年ころから平成元年ころにかけて、JJの経費でD、被告人B、Fが使用するための各新車を購入して提供し、また、平成二年ころ、被告人Bからの連絡を受けて、被告人Aのために外車を購入し、これらに約一九〇〇万円を費したうえ、右の各車両の保険料やガソリン代等も負担し、

(五) 被告人BやFに対しては、その後に、更にその使用車両を買い替えて与えて、その資金をJJが負担し(乙二七)、

(六) 平成三年五月から平成八年一〇月まで、毎年二回、JJの資金でココ山岡の役員や幹部らを、宿泊付きのゴルフで接待し、総額約一五〇〇万円を費やし、その他にもJJの資金でゴルフ接待をして総計約五七六万円を費やし(乙四七)、

(七) 平成七年春ころから平成九年三月ころにかけて、JJからFの妻に対する給料として同女の預金口座に合計約二三〇〇万円を振り込んで支払い(乙五三)、

(八) 平成九年一月から平成一〇年九月ころまで、ココ山岡の商品部の次長であったNに対し、JJからの給料として合計約六〇〇万円を支払い(乙五三)、

(九) 平成三年一月、前記の旧JJの前記株式譲渡が行われた際には、その代金として、被告人Cは、約一一億円の、F以下の被告人B(旧JJ設立時の出資金二〇万円に対して七五〇〇万円)を含む五名のココ山岡の関係者は、合計約四億九〇〇〇万円の支払いを受け(乙五三等)、

(一〇) ココ山岡は、平成九年一月に破産の申し立てを行うに至ったが、被告人Aは、その後、同社の社員会から本件取引きについての追及を受けると、同社員会の活動家の二名(OとP)に対して口封じのための金員を贈ることを企てて被告人Cにその支払いを求め、同被告人は、これに応じ、新JJから両名に対し、給料名目で毎月、約八〇万円、合計約一一〇〇万円をその預金口座に振込んで支払った(乙五三等)。

15 被告人Cは、その他にも、被告人Aからの求めに応じて、

(一) 昭和六二年ころから平成九年一一月にかけて、同被告人が親しくする女性(Q子)に対して、当初は、前記J公認会計士が代表取締役を務める株式会社ウエストビルから、その後は有限会社C商事からの給料の名目で合計約四二〇〇万円を送金して支払い、

(二) 平成八年六月ころから被告人Aの実弟のEに対して、有限会社Cと有限会社C商事からの役員報酬の名目で毎月約一〇〇万円。合計約四六〇〇万円を支払った(乙五三)。

関係証拠によると、以上のような事実が認められる。

そして、以上の各事実に、同各事実に符合して矛盾しない被告人らの捜査官に対する本件取引きの目的に関する各供述及び当公判廷における各供述を総合すると、本件取引きは、前記(罪となるべき事実)第一のように、架空のものであり、被告人らが、ココ山岡において、それまでに行っていた棚卸し資産(の一〇〇パーセント)を除外する方法に替えて、JJへの商品の廉価売却(実質的には、棚卸し資産の八割ないし九割相当分の除外)を偽装することによって、ココ山岡に課せられる法人税を軽減して免れる(節税と称する脱税)とともに、その後、その商品の高値の買戻しを偽装することによって、その廉価売却額と高値の買戻し額との差額の金員をJJに流失、蓄積させて、被告人Aらココ山岡の役員やその関係者及びその協力者の被告人Cのために私的に費消することを図って行った、被告人A及び同Bのココ山岡の取締役としての同社への忠実義務に背いて同社に徒らな損失を与えるものであったと認めるのが相当である。

右認定に反する、被告人らの捜査段階及び公判廷における、本件取引きを契約としての実体があるかのような各供述は、前記認定の各事実に照らすと、措信しえないもの、ないし独自の見解を述べたにすぎないものであり、これをもって右認定を左右しうるものではなく、他に、右認定に合理的な疑いを抱かせる資料はない。

二  本件取引きに関するその余の主張について

各被告人の弁護人は、本件取引きについて、それがココ山岡にとって、①資金調達のために、②長期滞留商品を売却して在庫負担を軽減するために、③節税のために必要かつ有効であった旨主張している。

しかしながら、右の各主張は、いずれも、本件取引きが実体のあるものであることを前提としたものであり、これが前記のように、架空のものと認めるべきものである以上、その前提を欠くものとして失当といわなければならない。

付言するに、前記のように、本件取引きについては、その開始当時に右①②のような必要性や有効性及び③のような必要性が存しなかったことが、その架空性が認定される所以となっているものであり、なお、右③の節税の有効性の主張が、本件契約が架空のものである場合も含むものとすれば、その主張自体、脱税を肯定するものとして失当といわなければならない。

三  被告人A及び同Cの犯意に関する主張について

同被告人らの弁護人は、被告人A及び同Cは、いずれも、本件取引きがココ山岡の資金調達や節税に資するものと考えてこれを行っていた旨、したがって、両被告人には、これがココ山岡に損害を与えるものとの認識がなく、それ故、本件取引きについて、同社に対する取締役としての背任の認識が認められない旨主張する。

1 そして、当公判廷において右両被告人は、いずれも、右主張に沿った供述をし、被告人Cは、JJを設立後、J公認会計士に対して本件取引のココ山岡にとっての利益(メリット)の如何について尋ね、同人からの説明によって、本件取引きが同社の長期滞留商品の処分や節税に資するものであると理解した旨述べている。

2 しかしながら、前記の(各犯行に至る経緯)や、一に認定の事実に照らすと、右両被告人は、本件取引きに直接的に携わったものとして、当然、本件取引きについての前記の架空性にかかわる事実、すなわち、本件取引きが、ココ山岡にその必要がないのに始められたものであること、その内容が当事者双方の交渉によるものではなく、全て、被告人Aないしその指示を受けたココ山岡側の関係者の一方的な計算と判断によって決めたものであったこと、JJがその当初に必要な筈の資金を全て相手方のココ山岡に依存し、同社から商品を廉価で買い入れながら、その支払いを、その後のココ山岡の高値の買戻しによって得られる代金によって賄うものであったこと、JJは何ら労せずして、その差額の代金を自らに収めうるものであったこと、その対象の商品については、JJがココ山岡からこれを買い入れ、その所有者となった筈でありながら、何らこれを支配しえず、これをココ山岡に留めたまま、その買戻しを待つほかないものにすぎなかったこと、結局、その取引きが、これに沿った伝票や帳簿上の操作が行われるにすぎない、経済的な取引きとしての実体を何ら有しないものであることの各事実をよく認識していたものと、また、右のように、本件契約が、これにより、被告人CらJJが労せずして利益を得ることができ、そのことが、そのまま、ココ山岡に損失を生じさせるものであったことや、そのような取引きがココ山岡の経営に携わる取締役としての被告人Aや同Bらに許される筈がないものであることも当然認識していたものと、それ故に、被告人Aが被告人Cや旧JJに対して支配力を有し、被告人Cがココ山岡の関係者に前記のような種々の利便を提供していたものと容易に推認しうるものである。

3 現に、被告人Aは、捜査官に対して以下のように述べている(乙一七)。

昭和五六年ころから、Dに指示して、ココ山岡の期末棚卸し資産を除外する方法で脱税を行っていた。

昭和五七年末ころ、被告人Cがココ山岡の在庫商品を安く売って欲しい旨の話を持ち込んできた。

この時、ココ山岡の商品を不良在庫処分という名目で同被告人に売った形にして、ココ山岡の店頭で販売し、売れた段階で元の仕入れ値で清算する取引、すなわち本件取引きを思い立った。

Fと具体的な方法を相談したうえ、被告人Cに対して、新会社を作り、その会社にココ山岡の商品を仕入れ値の一割で売却し、その販売をココ山岡に委託し、顧客に販売した段階で元の仕入れ値で買い戻すという取引をすること、同被告人にその新しい会社の社長になってもらうこと、しかし、その代表者印はココ山岡で預かること、新しい会社の社長報酬は被告人Cが自由に決めても良いこと、ジュリーとの取引を拡大すること等を伝え、同被告人は、これを承諾した。

Fから新会社のJJの株式の過半数をココ山岡で持った方が良いとの趣旨の提案があり、JJの発起人を誰にするかを人選し、F、D、G、E、H、被告人Bにすることにした。

昭和五八年ころ、右の者らを集め、同人らに対して「今度JJという会社を作る。この会社にココ山岡の長期在庫商品を仕入れ値の一割で販売し、その商品を全てココ山岡への販売委託商品としてココ山岡で預かって店頭で販売する。そうすることでココ山岡の在庫を減らし、節税を図る。JJの社長には被告人Cになってもらう。」などと持ちかけてその了解を得た。

この時、オーナーのTには内緒にするように指示した。

本件取引きを正当な取引であるように取り繕うためにDに指示して、ココ山岡の取締役会の承認決議があった旨の虚偽の議事録を作成させた。

昭和六三年四月ころ、被告人CにJJの株式を譲渡したが、これは、同人が信頼できること、自分がJJの筆頭株主でいることがJJを利用して私服を肥やしていると怪しまれる元になると思ったこと、代表者印がこちらにあれば大丈夫と思ったことなどから行ったものである。

被告人Cに、もしものことがあった場合、相続税で約七割近くの税金が課せられることを慮り、住友銀行新宿東口支店の支店長に相談し、同人から紹介されたR公認会計士に会い、その結果、新JJを設立することになった。

平成五年三月、ココ山岡の経営状態を考えて、独自の判断で、JJへの廉価販売を打ち切り、同年六月、やはり自らの判断で、JJからの商品の買戻し価格を半額に引き下げた。

JJの代表者印は、同社が設立されて以降、自分が持っていた。

そして、ココ山岡が倒産する直前の平成八年一二月に被告人Cに渡した。

右倒産後に、自分が右の印を持っていることが知られると、自分とJJとの関係が疑われ、JJの資金が自分のものであることも分かってしまうことを惧れたからである。

逮捕される前、被告人Cとの間で、右の印をもっと早い時期に同被告人に返還したことにする旨の口裏合わせをした。

被告人Aは、捜査官に対して以上のように述べている。

また、被告人Cは、捜査官に対して以下のように述べている(乙四九・五二)。

昭和五七年夏ころ、被告人Aにココ山岡の長期滞留商品を安く売ってくれるよう持ちかけた。(乙五二)

その後、同被告人からFと相談するように言われ、Fからは、ココ山岡からはJJに廉価で商品を出すので、その商品を全て販売委託ということでココ山岡に預けるように言われて承諾した。

Fから、ココ山岡からJJに商品を卸すときの価格を、仕入価格の一〇分の一または五分の一程度とすることや、ココ山岡がその後にその商品を顧客に販売した時点で改めて山岡宝飾を通じて仕入価格と同額で仕入れる旨の説明を受けた。

被告人Aに対して、本件取引きを行うために新会社を設立する会社の株の半分以上をココ山岡側で持つことや、その役員にココ山岡側の者が加わることを了承した。

被告人Aは、新会社の発起人として、同被告人自身とその他にE、D、G、F、Hを指名した。

また、同被告人が新会社の設立時の引受株の数を決め、前記のようにその関係者がその株を引き受けることになった。

被告人Aからは、新会社の役員をF、H、被告人Bにするように指示された。

旧JJを設立後間もなく、その代表者印を被告人Aへ届けた。

同被告人に信用してもらい、永続的にこの取引を継続してもらうためだった。

旧JJを設立する少し前に、Fから第一回のその取引の伝票を見せられたが、ココ山岡からの商品の買い入れ価額は数千万円の単位であり、当時、自分にそのような大金を支払う資金はなかった。

Fにその旨を伝えると、同人は、その支払いは、ココ山岡がその商品を顧客に販売するまで猶予する旨、その販売後の清算時にすれば足りる旨の説明をした。

JJが設立されて本件取引が始まり、ココ山岡でその商品が顧客に販売され、同社からその買取り金が入ってくると、間もなく、被告人Aから、その親戚のKや、Lの面倒をJJでみるよう求められて応ずることとなった。

そして、その後も、同被告人の要請を受けて、その関係者にJJないし自らの関係会社からの給料の名目で資金援助をしたり、JJの資金でココ山岡の役員に車を購入することなどをした。

JJの株主に配当金を出す時にも、同被告人の了解を得ていた。

本件取引が始まって二年ほどした時点でJ公認会計士に「どうしてココ山岡はこんなにJJに儲けさせてくれるんですかね。」と尋ねたが、同人は、節税だとか在庫商品の現金化といった目的が考えられる旨話してくれたが、合理的な説明は得られなかった(乙四九・五二)。

平成二年ころ、R公認会計士に相談して、自らに万一のことがあった場合の相続税の問題を解決するため、三つの新会社を設立し、そのうちの一つがJJの資産等を全て譲り受け、また、それに伴い、JJを一旦清算するため、その株を資産等を譲り受けた新会社(新JJ)が買い取り、更に、その新会社と残りの二つの新会社がそれぞれ株を持ち合うことにして、自ら個人がその株を持つという形にはしないようにし、被告人Aにも了解してもらった(乙五三)。

平成五年三月ころ、突然に、本件取引きによるココ山岡からJJへの商品の売却が打ち切られた。

そして、同年六月ころ、ココ山岡へ出向くと、Fから、今後はココ山岡からJJに対して支払う本件商品の買戻し価格を当初の約束の半分にする旨を申し渡され、これを了承した(乙五三)。

被告人Cは、捜査官に対して以上のように述べている。

被告人Aと同Cの右各供述は、いずれも、前記認定の(各犯行に至る経緯)や、一の客観的事実とよく符合して矛盾するところがなく、内容自体も自然で、これに信ぴょう性を認めうるものである。

4 そして、前記認定の各事実に3の被告人A及び同Cの各供述を併せると、両被告人は、いずれも、2で述べたように、本件取引きがココ山岡に徒らな損失をもたらすものであることを、したがって、その取締役である被告人Aの同社に対する経営者としての忠実義務に背反するものであることを充分に認識しつつこれを継続していたものと認めるのが相当である。

右認定に反する1の右被告人両名の当公判廷における各供述はいずれも、前記認定の各事実や、これと異なる自らの捜査段階における各供述に照らして措信しえず、他に、右認定に合理的な疑いを抱かせる資料はない。

なお、本件契約が右のように架空のものである以上、前記のように、これによる減税が許されるものではなく、被告人らが述べる節税は脱税をいうものにほかならず、そのような誤った認識は、右の被告人両名の本件取引きの背任性の認識、すなわち、本件背任の犯行における故意についての認定を何ら左右しうるものではない。

四  被告人Bの犯意及び実行行為に関する主張について

同被告人の弁護人は、①被告人Bは、平成二年一〇月四日ころから平成五年三月二二日ころまでの間は本件取引きに関与したことがない旨、②同被告人には、被告人Aや同Cとの共謀が認められない旨、③同被告人は、ココ山岡の代表取締役に就任後の平成五年六月ころに前記J公認会計士から、本件取引がココ山岡にとって有用なものであるとの説明を受けており、同被告人には、ココ山岡の取締役としての背任の故意も、図利目的も、同社に対する加害目的も認められない旨主張している。

そして、同被告人も、当公判廷において、右弁護人の各主張に沿った供述をしている。

そこで、右の点について、前記の認定をした理由を補足して説明する。

1 旧JJが設立されて本件取引きが始まることとなった経緯は、前記(犯行に至る経緯)に認定したとおりであり、被告人Bらココ山岡の関係者は、その後、前記一に認定したように、JJから種々の利便を与えられて享受しており、また、関係証拠によると、被告人Bは、少なくとも、ココ山岡の社長に就任した後、同社が本件取引きによってJJに売却した商品を顧客に販売した際に、JJからこれを買い戻すための前記の支払手形の振出しに、ためらわずに関与した事実も認められる。

2 しかるところ、被告人Bは、捜査官に対して以下のように述べている(乙二七・二九・三二)。

昭和五八年の一月か二月ころ、被告人Aから呼ばれて、ココ山岡の本部にFと一緒に赴いた。

そこには、すでに、被告人A、その実弟のE、D、G、H、Fらが集まっており、同被告人から、JJという会社を創ること、ココ山岡の長期滞留商品を同社へ売却すること、同社の社長を被告人Cにすること、同所に集まった自らを含む者らを同社の取締役にすることなどを言い渡された。

旧JJが設立された後、約半年間、F部長の指示を受けて、前記の本件取引きに伴う旧JJからの委託伝票の作成に関与した。

その作業に従事する中で、本件取引きが、ココ山岡が旧JJに対して売却する商品を各店舗からの送付を受けて取り寄せ、これを、その仕入価格の一割ないし二割相当の廉価でJJに売却した後、自らの許に留め、JJから販売委託を受けたことにするものであることが分かった(乙二七)。

JJ関係の委託伝票を作成する作業は、ココ山岡の商品部の女子従業員が退社した後の残業時間に行った(乙三二)。

ココ山岡が顧客に商品を販売した際のJJからの買戻し価格は、ココ山岡がその商品を仕入れた際の価格と同額のものであった(乙二七)。

商品部次長当時、本件取引きについては、何か、うさん臭いものと思っていた。

昭和六〇年八月からココ山岡の総務部長になったが、その後、総務部長時代は、各営業本部から回ってくるメモに基づいて、通達をワープロで清書して各店舗に送付し、その際に、右通達の原案の誤字や脱字を点検したり、強調すべき箇所の段落を変えたり、文字の大きさを変えたりする作業も行った(乙二九)。

旧JJの取締役に就任したが、同社の仕事をしたことがないのに、前記のように、同社からは、毎月、役員報酬の名目で約三〇万円の振り込みを受け、ボーナスなどの支給も受けていた。

被告人Bは、捜査官に対して以上のように述べ、当公判廷においても、これに沿った供述をし、少なくとも、ココ山岡の社長になってからは、新JJが旧JJを受け継いだ会社であることは認識していた旨述べている。

右の被告人Bの供述は、前記認定の各事実によく符合して矛盾するところがなく、これに信ぴょう性を認めうるものである。

3 そして、前記1の各事実に2の被告人Bの供述を併せると、同被告人は、本件取引きについて、当初から前記のような実体の概要を知りながら前記のような伝票の作成や通達の清書等の作業に従事していたものと、遅くとも、自らがココ山岡の代表取締役に就任した後の平成五年一二月以降は、前記(罪となるべき事実)第一のように、本件取引きが伝票等の操作のみによって行われる、本来不要で、また実体のない架空のものであることを、これによって、JJには不当な利益が、ココ山岡にはその分の損失が生じるものであることを知りながら、前記のココ山岡ないし山岡宝飾からの前記の各支払手形の振出し等に関与していたものと、また、本件取引きが右のようなものであるが故に、JJの代表者としての被告人Cから、自らを含むココ山岡の関係者に対して前記のような種々の多大な利便が提供されるものと理解し、それ故に、その利便を前記のように享受して憚らなかったものと、したがって、本件取引きについての前記の架空性と背任性を知りながら、その準備行為としての右の伝票等の作成に、自らがココ山岡の社長に就任した後は、同社の代表者として、その犯行の実行行為としての、本件契約に沿った、ココ山岡から新JJに対する商品買戻し金の支払いに携わっていたものと認めるのが相当である。

右認定に反する同被告人の前記公判供述は、前記認定の各事実に照らして措信し難く、他に、右認定に合理的な疑いを抱かせる資料はない。

五  公訴時効に関する主張について

弁護人は、本件公訴事実にかかる、被告人らが行った本件取引きが背任行為に該るとしても、これによるココ山岡からJJへの廉価売却行為は平成五年三月二二日ころまでに終了しており、本件公訴については、その後、右犯行の公訴時効期間の五年を経過した後に提起されたものとして、免訴の判決が言い渡されるべきである旨主張する。

しかしながら、本件取引きによるココ山岡の商品のJJへの廉価売却と、同社からの高値の買戻しは、前記のように、被告人らが自らとJJの利益を図り、ココ山岡の資金を秘かにJJに流失させて蓄財するための、いわば、贈与を隠蔽するための偽装として行った実体のない架空のものであり、それ故、その廉価売却行為は、単に伝票や帳簿上で行われるもので、これによって、その商品の所有権がJJに移転したり、ココ山岡がJJに対してその商品についての買戻し義務を負うに至るようなものではなく、その後に被告人らが行う、右贈与自体の実行を同様に隠蔽するための買戻しの偽装に備えたものにすぎず、被告人らがその後に行っていた、ココ山岡のJJからの商品の買戻しの偽装と、その代金支払いのためとして行った前記の支払手形の振出し及びその授受並びにその決済こそが本件背任の実行行為であり、これによると、その実行行為については、本件公訴が提起されるまでに、未だ、その公訴時効期間の五年が経過していなかったことが明らかである。

第二前記(罪となるべき事実)第二の詐欺について

一  当時のココ山岡の経営状態に関する主張について

被告人A及び同Bの弁護人は、当時、ココ山岡が未だ五年以内に倒産することが予想されるような状態には陥ってはいなかった旨主張する。

しかしながら、関係証拠によると、前記(各犯行に至る経緯)のように、ココ山岡では、①平成八年五月までは決算書上は利益が出ていたものの、そのころは、年毎に減少し(見方によっては赤字となり)、②所有の土地に含み損が生じて債務超過の状態になり、③資金の収支が赤字となって資金繰が苦しくなり、④金融機関からの借り入れや、所有物件の換金による資金調達も困難となり、⑤実質売上げは減少の一途を辿っており、⑥その後の回復を期待しうるものは何ら存せず、⑦しかも、五年後買取制度によって顧客に販売した商品の買取り請求が更に増加することが予想される状況にあり、⑧その資金源を失った状態にあったこと、また、⑨同社がその後一年も経ずに、その間に不測の事態が生じたのでもないのに現実に倒産するに至ったことの各事実が認められ、これらの事実によると、ココ山岡は、遅くとも平成八年三月には、客観的に、五年以内に倒産することを予想しうる経営状態に陥っていたものと認めるのが相当である。

そして、右の各事実に照らすと、他に、右認定に合理的な疑いを抱かせる資料、すなわち、弁護人の主張を裏付けるような資料は何ら存しない。

二  被告人A及び同Bの犯意に関する主張について

被告人A及び同Bの弁護人は、同被告人らが、当時、ココ山岡の五年以内の倒産は予想しておらず、したがって、本件の犯意は認められない旨主張し、両被告人とも、当公判廷において右主張に沿った供述もしている。

1 しかしながら、ココ山岡が当時、客観的に、五年以内の倒産が予想される経営状態に陥っていたことは前記のとおりである。

2 そして、被告人Aと同Bは、当時、ココ山岡の経営者(代表者)として、以下のように、同社の右のような状態を認識しうる立場にあった。

すなわち、関係証拠によると、以下の事実が認められる。

(一) 右被告人両名は、当時、ココ山岡において、前記のような決算書類は勿論、経理部が作成する、一か月毎の同社の「試算表」を、平成八年春以降は、月毎の「貸借対照表」、「損益計算書」、買取り額を記載した一覧表や、取引銀行における預金残高及び借入金の額を毎日集計した「日計表」、総務部が月三回各営業本部から上がる数字を元に作成した、店舗毎の実売上高を取りまとめた「売上速報」、店舗毎の売上予定と実売上高を一覧表にした「予算達成率一覧表」などの資料の提出を受けてこれに目を通していた(乙九八・被告人Aの第一三回公判供述等)。

また、営業本部長会議、幹部会、店長会、女性懇談会等に出席して、成功事例の報告を受けたり、総務部からは、苦情や返品の増加に関する報告も受けていた。

(二) そして、被告人Bは、平成八年一〇月一三日ころ、同年九月三〇日時の決算書類を見てココ山岡の経営に行き詰まりを知り、翌一〇月下旬ころ、被告人Aに社長の辞任を申し出た。

被告人Aは、被告人Bを慰留して翻意を促したものの適わず、結局、副社長のSを社長に就けることになった。

しかし、その後間もない同年一一月二〇日ころには、顧問弁護士を訪ねてココ山岡の破産手続きについて相談するに至った。

更に、その後間もない、同月二八日ころ、J公認会計士からの紹介を受けた弁護士とも相談し、右倒産手続きの打ち合わせを行った。

ココ山岡は、翌一二月初旬ころ、住友銀行から、八億円の定期預金の取崩を拒絶されたうえ、翌平成九年一月一六日までの担保預金の積み増しを要求されるに至った。

被告人Aは、右弁護士から、ココ山岡の破産手続きを決めた以上、五年後買取制度による商品販売を中止すべきであるとの忠告を受け、同年一二月一六日付で右の販売を廃止した。

被告人Aと同Bは、同月一五日、T会長にココ山岡が破産する旨報告した。

そして、ココ山岡は、平成九年一月九日、横浜地方裁判所に破産の申し立てを行い、翌一〇日に破産宣告を受けるに至った(以上、甲三二一ないし三二四・乙九八)。

関係証拠によると、以上の事実が認められる。

(三) なお、関係証拠によると、被告人Aは、平成五年一月ころ、すでに、ココ山岡のその後の経営破綻を危惧し、T会長に対して取引き銀行の預金を下ろして隠すよう勧めることもしていた事実も認められる(乙八〇・八一・甲二七八)。

3 しかるところ、

(一) 被告人Aは、捜査官に対して以下のように述べている。

平成五年に入るころには、毎月の売上速報などにより、平成四年三月期を最後に売上が減少していることを知り、深刻に受け止めるようになった(乙八〇)。

平成四年三月期に計上した約六三〇億円の売上も、その殆どが五年後買取制度のものと認識していたので、平成八年から九年ころにその買取り請求が大きな山を迎え、売上を伸ばさないと会社を持ちこたえることができないと思った(乙八〇)。

平成五年一月二〇日ころ、T会長に、個人預金を降ろして他の銀行に預けて株を買うよう忠言した(乙八〇)。

そして、同年三月にはJJへの廉価売却をやめ、同年六月にはJJからの買戻額をそれまでの半額にした(乙八一)。

また、同年五月ころ、住友銀行と交渉して、長期借入金の毎月の元利返済金を半額にしてもらった(乙八一)。

同年六月ころ、Bに対し「頼む、社長を引き受けてくれ。君が引き受けてくれれば、今夜からぐっすり眠れるんだ。」などと言って頼んだ。

ココ山岡における五年後買取制度による顧客からの現実の買取り額を取引銀行に伝えると、同社の経営を不安視されて貸付金の早期回収を求められることになるものと考え、経理部長のDなどに対して、銀行には実際の買取り額より少ない数字を答えるよう指示した(乙八三)。

被告人Aは、捜査官に対して以上のように述べている。

(二) 被告人Bは、捜査官に対して以下のように述べている。

昭和六三年ころ、Gと一緒に被告人Aに対して、五年後買取制度の見直しを進言したことがあった(証拠)。

平成五年一月初旬ころ、被告人Aに、ライフから五年後買取制度による販売の中止を通告してきたことを報告すると、同被告人からは「会社は未来永劫続くわけではないからな。」などと言われた(乙九五)。

その後、不安を覚えて同被告人の自宅に電話をかけ、「会社は私の定年まで持つのでしょうか。」などと尋ねたが、同被告人からは「難しいな。」などと言われ、「何時までもつのですか。」と質したが、はっきりとした返事は得られなかった(乙九五)。

その時も五年後買取制度の見直しを同被告人に進言した。

平成五年六月に被告人Aからココ山岡の社長就任を打診され、思い悩んだ末、同被告人を見捨てることはできないものと考えて承諾した。

その後間もなく、ココ山岡の決算書類、毎月の五年後買取制度による買取額を報告する文書を見て、ココ山岡の借入額が予想を上回って五〇〇億円以上に達し、更に、買取高も予想以上に多額に上っていることを知った。

平成七年、被告人Aにココ山岡の社長の退任を申し出て、慰留されたころ、同被告人から「昨日のことは考えない。明日のことも考えない。ただ、今日のことのみを考えるしかないんだ。」などと言われた(以上乙九八)。

被告人Bは、捜査官に対して以上のように述べ、当公判廷においても以下のように述べている。(一三回)

平成五年六月にAからココ山岡の社長就任を要請された時点で、会社の行く末が危ういとの認識があった。

それ故、右要請を敗戦処理投手の気持ちで引き受けた。

平成八年春ころ、ココ山岡がこのまま推移する限り、長くは持たないだろうと思った。

平成八年一〇月半ば、同社の中間決算で同社の経営が赤字になったことを知ったころには、その経営破綻が殆ど避けられないものと思った。

被告人Bは、当公判廷において以上のように述べている。

右の被告人A及び同Bの各供述は、いずれも、前記認定の当時のココ山岡の経営状態や関係者の供述ともよく符合して矛盾するところがなく、これに信ぴょう性を認めうるものである。

4 そして、右1、2の各事実に3の被告人A及び同Bの各供述等を併せると、被告人A及び同Bは、いずれも、遅くとも、平成八年三月ころには、前記(罪となるべき事実)第二のように、ココ山岡が五年以内に倒産に至ることを認識しつつ、顧客への五年後買取制度による商品の販売を続けていたものと認めるのが相当である。

なお、同被告人らには、平成八年五月ころ、ビバロックやウエストビルとの契約を解除するなどのリストラ策を講じていた事実も認められるが、右の程度の措置はココ山岡の経営を抜本的に改革するものでなく、倒産の時期を一時的に遅らせる延命工作程度にしか評価しえないものであり、これをもって右の認定を左右しうるものではない。

冒頭の被告人両名の公判供述は、前記認定の各事実や、これに符合する関係者及び自らの前記の供述に照らして措信し難く、他に、右認定に合理的な疑いを抱かせる資料はない。

以上の次第で、弁護人らの主張はいずれも理由を認めることができない。

(法令の適用)

本件第一の被告人三名の各行為は、いずれも、包括して刑法六〇条、平成九年法律第一〇七条による改正前の商法四八六条一項に、被告人Cについては、更に刑法六五条一項に、第二の被告人A及び同Bの各行為は、いずれも、別紙犯罪事実一覧表(二)の各欄毎に刑法六〇条、二四六条一項にそれぞれ該当するところ、第一の被告人Cの罪については、同被告人に商法四八六条一項所定の身分がないので、刑法六五条二項によって同法二四七条の刑を科し、第一の被告人らの各罪については、いずれも懲役刑を選択し、被告人A及び同Bについては、いずれも、第一及び第二の各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、刑及び犯情の最も重い第二の別紙犯罪事実一覧表(二)の三番に記載の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で、被告人Cについては、第一の罪の所定刑期の範囲内でそれぞれ処断し、被告人Aを懲役五年六月に、同Bを懲役二年に、被告人Cを懲役三年にそれぞれ処し、同法二一条により、各未決勾留日数中、被告人Aに対して三二〇日を、同B及び同Cに対していずれも一五〇日をそれぞれその刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、被告人三名に連帯して負担させることとする。

(量刑の事情)

本件第一の被告人三名のココ山岡に対する背任の犯行は、同社が五年後買取制度と、これをうたい文句(キャッチフレーズ)にした強引な勧誘によって商品の売上げを急激に伸ばす中で、被告人A及び同Bは、同社の経営者としての責務を忘れ、右のような販売の仕方からは当然に予想すべき、その後の顧客からの商品の買取請求に対する備えを怠ったうえ、同社への忠実義務に背いてその犯行に及び、被告人Cは、被告人Aからの誘いを受けると、安易に多額の利益に預かるべく、これに応じてその企てに加わり、被告人Aらの指示を受けてJJを設立し、その代表者となってその犯行に及んだものである。

しかも、右犯行は、被告人らが、平成五年、ココ山岡の経営の先行きが危ぶまれるような状況になった後に続けていたものである。

このように、右犯行は、その経過や動機が悪質で、これに酌量の余地がない。

また、被告人らの犯意がいずれも強く、計画性も認められるものであり、なお、被告人らは、昭和五八年ころから同様のことを重ねて右犯行に至っている。

これにより、被告人らは、ココ山岡からJJへ多額の資金を流失させて、ココ山岡に相応の損害を与え(本件はそのうちの約七億円余り)、その経営を悪化させて倒産に至らせる要因を作り、その一方で、それぞれ、JJに蓄積された資金の中から、種々、多額の不当な利益を貪ることを重ねており、被告人Aは、被告人Cに指示して、自らの関係者へのものも含めて多額の金員を支払わせ、被告人Cは、JJから多額の役員報酬を受け取り、被告人Cと同Bは、右のようにして旧JJに多額の資金が蓄積されたことから著しく高騰した同社の株式を他へ譲渡し、それぞれ、一一億八〇〇〇万円余り、及び約七五〇〇万円を自らに収めることもしている。

第二の被告人A及び同Bのココ山岡の顧客を欺いて商品を販売して代金を騙取した犯行も、前記のように、同被告人らが、長い間、ココ山岡の経営を無計画に続けて行き詰まらせた末、その倒産を近くに予想しながら、その直前に至るまで、その犯行を続けてやめなかったものであり、やはり、その経過や動機に酌量に値するものがない。

その犯意も強く、全国各地の店舗で、事情を知らない店員を介して、顧客に対し、ココ山岡が販売した商品を五年以降に買取る資金を充分に準備している旨を記載した書面を手渡すなどして欺きながら、組織的に犯行を続けている。

その犯行が多数回にわたり、多数の顧客から多額の販売代金を騙取している。

なお、被告人らがそれまでココ山岡において行っていた同様の販売方法と無計画な経営の仕方をみると、実質的には、更に多数の顧客が同様の損害を被ったものとも考えられる。

以上のように、本件の各犯行は、いずれも、反社会性が強く、これによる被害が多額なものである。

そして、本件に、被告人Aについては、本件各犯行を自ら企て、共犯者を巻き込み、各犯行にかかわる五年後買取制度の問題性を周囲から指摘されながら、強引にこれを進めてその犯行に及んだことや、ココ山岡の倒産後、その社員会で第一の特別背任にかかわる追及を受けると、その活動家を買収して口を封ずることを図ったことなどを、被告人Cについては、右のように、その犯行によって莫大な利益を収めたことなどを、被告人Bについても、安易に被告人Aに追従し、自らも、種々、多額な利益を収めていることなどをそれぞれ併せ考えると、本件各犯行は、いずれも、被告人らの規範意識に希薄で無責任、身勝手な生活態度を窺わせるものとしても真に悪質で、その罪責は重く、また、この種の犯行が社会に及ぼす悪影響の程も軽視しえない。

他方、本件各犯行については、被告人らがココ山岡に関係する公認会計士に第一の犯行にかかるJJとの取引きや、五年後買取制度による商品の販売を知られながら、適切な指導を受けえずに過ごした経過も存すること、第一の犯行については、被告人Aや同Bは、平成五年に入ると、ココ山岡の経営の悪化を予想し、本件取引きによるJJへの新たな商品の廉価売却を打ち切り、JJからの商品の買戻し価格を半額にすることなどのそれなりの努力もしたこと、被告人Aについては、これによって自らに収めた利益が他の被告人に比して少ないこと、第二の犯行については、被告人A及び同Bらは、ココ山岡が倒産の危機に陥りながらも、徒らに延命を図り、それまでと同様の販売を続けてその売上金を顧客からの買取請求への資金に充てる、いわば自転車操業に陥ったままその犯行を続けることになったものでもあり、これによって自らが利益を得たものではなかったこと、被害者の顧客らについてみると、五年後買取制度の特約を信じたが故に商品を購入して代金を騙取されることになったとはいえ、その商品自体は自らのものとしえたこと(もっとも、その後にその商品の換金化を試み、それが購入価格の一割に未たなかった事例が数件認められる。)、被告人B及び同Cの各犯行は、いずれも、被告人Aに追従したものであったこと、被告人Bについては、被告人Aに対して、五年後買取制の問題性を訴え、中止を促すこともしていたこと、平成五年六月に被告人Aからの懇請を受けてココ山岡や山岡宝飾の代表取締役社長に就任し、しかし、同社における経営の実権や影響力の多くがそれまでと変わらずに被告人Aに残り、同被告人の社長時代に行われたJJとの本件の架空取引きによる商品の買戻しを打ち切ることができずに過ごし、結局、前記のような経営を存続させることに耐ええずに社長を辞するに至った経過も存すること、ココ山岡の倒産後、その破産手続きが開始されると、管財人に協力してその調査事務を援け、結果的には、自らの本件各犯行を明らかにすることにもなったこと、被告人らは、いずれも、本件により、長期間の身柄拘束と審理を受け、その間、広く報道されるなどの社会的な制裁も受け、それなりに、自らが犯した罪の程を知り、反省の機会を得た様子が窺われること、その他、各被告人の年齢・実庭状況・健康の程等、斟酌すべき点も存する。

これらの事情を総合考慮した。

(求刑 被告人Aに対して懲役七年、被告人Bに対して懲役四年、被告人Cに対して懲役三年)

(裁判長裁判官 岩垂正起 裁判官 佐々木直人 潮海二郎)

<以下省略>

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