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横浜地方裁判所 平成11年(ワ)1641号 判決 2001年7月13日

原告

甲野花子

同訴訟代理人弁護士

影山秀人

海野宏行

被告

社団法人全国社会保険協会連合会

同代表者理事

永野健

同訴訟代理人弁護士

加藤済仁

松本みどり

桑原博道

岡田隆志

上記加藤済仁訴訟復代理人

蒔田覚

主文

1  被告は、原告に対し、金306万1317円及びこれに対する平成11年5月18日から支払済みに至るまで年5分の割合の金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを5分し、その1を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

4  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

被告は、原告に対し、金1570万8584円及びこれに対する平成11年5月18日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は、原告が、被告の経営する病院において、腹腔鏡下胆嚢摘出術を受けたところ、執刀医の過失により十二指腸に穿孔が生じた等と主張して、被告に対し診療契約の債務不履行による損害賠償を求めた事案である。

1  争いのない事実等(証拠を掲げた箇所以外は当事者間に争いがない。)

(1) 原告は、昭和10年7月1日生まれの女性であり、昭和44年ころから平成9年10月ころまでの間、横浜市内の××公園内で売店を経営していた(甲第3、第6号証、原告本人尋問の結果)。

被告は、社会保険事業の円滑な運営を図るため必要とする病院の経営並びに整備等の事業を行うことを目的とする社団法人であり、横浜市中区山下町<番地略>に社会保険横浜中央病院(以下「被告病院」という。)を開設している。

(2) 原告は、平成9年10月4日、上腹部痛を訴え、救急車で被告病院に搬送され、被告との間で、同日、原告の胆石症の治療及びこれに付帯する医療処置を目的とする診療契約を締結し、そのまま被告病院に入院した(甲第12号証、弁論の全趣旨)。

そして、原告は、同年11月6日、被告病院において、腹腔鏡下胆嚢摘出術(以下「本件胆摘手術」という。)を受けた。本件胆摘手術の執刀医は、乙野太郎医師(以下「乙野医師」という。)であり、これに丙野次郎医師(以下「丙野医師」という。)及び丁野三郎医師(以下「丁野医師」という。)が助手として立ち会った(以下、これら3名の医師を合わせて「担当医ら」という。)。

翌7日、原告に胆汁性腹膜炎の所見が認められたので、担当医らは、緊急開腹手術(穿孔部縫合閉鎖、胃屡造設、腹膜炎手術)(以下「本件開腹手術」という。)を実施したところ、原告の腹腔内に胆汁性腸液の貯留があり、十二指腸球部前壁に微小穿孔(以下「本件穿孔」という。)が認められたため、その穿孔部を縫合閉鎖した。本件開腹手術の執刀医は、丁野医師であり、これに丙野医師及び乙野医師が助手として立ち会った。

その後、原告は、創部感染を併発し、発熱や創部の化膿が継続したため、入院の継続を余儀なくされた。そして、原告は、平成10年1月16日、被告病院において、感染創部(右季肋部)の縫合術(創傷清拭及び創縫合術)を受け、同月30日、退院したが、大腸に腸癒着の後遺症が残った(甲第10、第15号証、弁論の全趣旨)。

2  争点

(1) 担当医らの過失の有無

ア 本件胆摘手術により十二指腸に穿孔を生じさせた過失

イ 本件胆摘手術から開腹胆嚢摘出術に切り替えなかった過失

ウ 本件開腹手術により創感染等を併発させた過失

(2) 損害の有無、金額

3  争点に関する当事者の主張

(1) 争点(1)ア(本件胆摘手術により十二指腸に穿孔を生じさせた過失の有無)について

(原告)

乙野医師は、本件胆摘手術の胆嚢剥離操作に際し、不用意に高周波電気メス(以下「電気メス」という。)を腸管に接触させたり、電気メスで必要以上に腸管に近いところを剥離して深達度の深い熱損傷を生じさせて術後に穿孔を生じさせることのないよう、細心の注意を払うべき注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠って原告の十二指腸に穿孔を生じさせた過失がある。

(被告)

乙野医師は、細心の注意を払って胆嚢剥離操作を行っており、本件穿孔の発生は、胆嚢と十二指腸の強固な癒着という患者側の要因によるものである。

(2) 争点(1)イ(本件胆摘手術から開腹胆嚢摘出術に切り替えなかった過失の有無)について

(原告)

仮に、乙野医師が注意義務を尽くしても、上記穿孔の発生を回避することが不可能な程に強固な癒着が胆嚢と十二指腸にあったのであるならば、担当医らは、合併症回避のため、腹腔鏡下胆嚢摘出術から開腹胆嚢摘出術に切り替えるべき注意義務を負っていた。それにもかかわらず、担当医らには、開腹胆嚢摘出術へ切り替えずに腹腔鏡下胆嚢摘出術を続行したものであり、上記注意義務を怠った過失がある。

(被告)

直視できない臓器の裏側は内視鏡下の方が確認しやすいし、また、細かい部分は直視下よりも拡大してモニターに映し出すことのできる内視鏡下の方が術野の確保としてはより優れているから、担当医らに開腹術へ切り替えるべき注意義務はなかった。

(3) 争点(1)ウ(本件開腹手術により創感染等を併発させた過失の有無)について

(原告)

仮に、上記の胆嚢摘出術の施行に過失がなかったとしても、担当医らは、原告に対し、本件開腹手術に際し、創部の洗浄、消毒を十分に行い、また、抗生剤を投与するなど細心の注意を払って創部感染を防止すべき注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠って原告に創感染を併発させた過失がある。

(被告)

被告病院の医師は、原告に対し、術中、術後にわたって、創部の洗浄、消毒を十分に行っており、また、抗生剤の投与を行っており、創感染等がないように殺菌等に細心の注意を払って開腹穿孔部閉鎖術を行っている。

(4) 争点(2)(損害の有無、金額)について

(原告)

原告は、本件開腹手術後、創部感染を併発し、発熱や創部の化膿が継続したため、入院の継続を余儀なくされ、平成10年1月16日、被告病院において、感染創部(右季肋部)の縫合術(創傷清拭及び創縫合術)を受け、同月30日、退院した。

また、原告は、胆汁性腸液の漏出を主たる原因とする腹膜炎により大腸に腸癒着の後遺症(平成10年1月30日症状固定)が残り、退院後から現在に至るまで、腹部に強い重苦しさを感じ、長時間の立ち作業が不可能となり、入院前の仕事(売店経営)が退院後は全くできなくなってしまった。これは腹部臓器の機能障害であり、服することができる労務が相当な程度に制限されるものとして、9級11号の後遺障害に該当する。

以上により原告に生じた損害は、合計1570万8584円で、その内訳は次のとおりである。

ア 治療費 89万4430円

(ア) 被告病院における入院治療費 87万5300円

(イ) 被告病院における通院治療費 9160円

(ウ) ○○クリニックにおける通院治療費 9970円

イ 入院雑費 11万1800円

1日当たり1300円の86日間分

ウ 通院交通費 8800円

1日当たり往復1100円の8日間分

エ 休業損害 70万9653円

平成8年女子労働者学歴計平均賃金年間301万1900円(賃金センサス平成8年第1巻第1表学歴計)の86日分(1円未満切捨て)

オ 後遺症逸失利益 456万3901円

前記平成8年女子労働者学歴計平均賃金年間301万1900円に、後遺障害9級の労働能力喪失率35パーセント及び稼働年数5年間のライプニッツ係数を乗じた金額

カ 傷害慰藉料 160万円

入院2か月分

キ 後遺症慰藉料 640万円

後遺障害9級

ク 弁護士費用 142万円

(被告)

原告主張の損害額は争う。

原告の大腸の癒着は、本件開腹手術によって、出血と炎症が起こり、繊維素が析出して漿膜間に癒合が発生したものであり、十二指腸の穿孔と因果関係はない。また、大腸の癒着は、臨床的な問題は生じない。さらに、大腸の癒着は、愁訴の原因とはなり得ない。原告が訴えている症状は多分に心因的な要素によるものであり、本件手術に起因するものではない。

原告は、横浜市A区から高額医療費として合計88万0314円を受領しているから、これを治療費から控除すべきである。

第3  争点に対する当裁判所の判断

1  診療の経過

証拠(甲第1、第2、第6、第10ないし第16号証、第31、乙第1、第3号証、証人某及び同乙野太郎の各証言、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1) 原告は、平成9年2月26日、被告病院で成人病検診を受けて、腹部エコー検査により、胆石症であることが判明した。そして、原告は、同年3月17日、精査のため、被告病院の内科外来で受診し、同月31日腹部CT検査を受け、これによっても胆石が確認された。

その後、同年10月4日、原告は、心窩部痛を訴えて、救急車で被告病院に搬送され、そのまま入院した。

そして、同月6日、原告に対する腹部エコー検査及び腹部CT検査が実施されて、胆嚢体部に直径約1.8センチメートル大及び胆嚢頸部に直径約1.9センチメートル大の合計2個の結石が認められ、さらに、同月14日に胆道造影検査が施行され、総胆管には結石がないことも判明した。そこで、担当医らは、原告の胆嚢症は腹腔鏡下胆嚢摘出術の適応と判断し、原告に対し、同年11月6日に同手術を施行することとし、同年10月30日、原告は、同手術を実施する被告病院外科へ転科した。

(2) 手術の前日である平成9年11月5日、丙野医師は、原告及び原告の娘春子に対し、腹腔鏡下胆嚢摘出術が開腹手術に比べ侵襲が少なく早期退院が可能であること、胆嚢と多臓器との癒着が強く剥離が困難な場合には開腹手術に切り替えることがあることなどを説明し、原告は、同手術を受けることを承諾した。

(3) 平成9年11月6日午後1時35分ころ、担当医らは、本件胆摘手術を開始した。

まず、担当医らは、原告に全身麻酔を施し仰臥位とした上、気腹(腹腔内に気腹針を刺入して、気腹装置から腹腔内に炭酸ガスを送気し、腹腔に内圧をかける。)を開始し、臍下部にトロカール(体腔や管腔臓器を穿刺しカニューレやチューブを挿入するための器具)を穿刺し、そこから腹腔鏡を挿入して腹腔内を観察しながら、剣状突起下、右肋骨弓下中鎖骨線及び右肋骨弓下前腋窩線にそれぞれ鉗子等手術器具用のトロカールを刺入した。

そして、乙野医師は、内視鏡で、腹腔内の胆嚢が炎症によって緊満しているのを認め、23Gカテラン針で胆嚢を穿刺して膿性胆汁約20ミリリットルを吸引し、さらに、胆嚢と大網が癒着しているのを認め、把持鉗子で胆嚢を牽引挙上しながら剥離鉗子で胆嚢と大網との癒着を剥離した。次に、乙野医師は、胆嚢の体部から頸部にかけての部分と十二指腸球部前壁が癒着していることを認め、剥離鉗子で癒着している胆嚢と十二指腸の剥離を試みたが、剥離鉗子のみによる剥離が困難であったため、電気メスを胆嚢の筋層から入れ、その漿膜側を剥ぐようにして十二指腸との癒着を剥離した。

そして、さらに、乙野医師は、主として剥離鉗子で胆嚢周囲やキャロー3角部の癒着を剥離し、胆嚢管及び胆嚢動脈が露出すると、これらをクリップした上で切離した後、電気メスで胆嚢を胆嚢頸部から底部に向かって胆嚢床から剥離し、これにより腹腔内に遊離した胆嚢をサージカルポートで体外に摘出した。

その後、担当医らは、約4リットルの温生食水で腹腔内を4回くらい繰り返し洗浄し、出血、胆汁、腸液等の漏出がないことを確認した上、ペンローズドレーンを肝下面に留置し、腹壁を閉鎖し、同日午後2時50分ころ、手術を終了した。

(4) 上記ペンローズドレーンから、同日午後6時ころに黄血性の、同日午後8時ころ、翌7日午前0時ころ及び同日午後2時ころに、それぞれ胆汁様の漏出物があったが、特に担当医らには報告されないまま経過したところ、平成9年11月7日朝に至り、担当医らは、ペンローズドレーンからの胆汁性腸液の漏出に気づき、さらに、原告に右側腹部の圧痛、筋性防御、発熱、白血球数増多、CRP上昇等の各所見も認められたため、腹部エコー検査及びCT検査を実施し、その結果から胆汁性腹膜炎と診断し、これが進行すれば敗血症に陥り、多臓器不全を来すおそれがあることから、緊急開腹手術を施行する必要があるものと判断し、原告に対し、同手術の必要性を説明し、原告から、同手術に対する承諾を得た。

(5) 同日午後3時10分頃、本件開腹手術が開始された。

丁野医師は、原告の右季肋部を横切開すると、腹腔内に腸液の貯留が認められたので、腸管の穿孔と判断した。そこで、丁野医師は、腹腔内の検索を行い、十二指腸球部前壁の前記癒着部分に微小穿孔を発見したため、その穿孔部を縫合閉鎖し、減圧目的で胃屡を増設し、減圧チューブを十二指腸に留置した後、腹腔内を温生食水約10リットルで洗浄し、複数ドレーンを留置し、腹壁をイソジンソープ液と温生食水で消毒、洗浄して縫合閉鎖し、同日午後4時20分ころ、手術を終了した。

(6) 原告は、本件開腹手術後、創部感染を併発し、発熱や創部の化膿が継続したため、入院の継続を余儀なくされた。そして、原告は、平成10年1月16日、被告病院において、感染創部(右季肋部)の縫合術(創傷清拭及び創縫合術)を受け、同月30日、退院した。

(7) 原告は、胆汁性腸液の漏出を主たる原因とする腹膜炎により大腸に腸癒着の後遺症が残り、また、退院後から現在に至るまで、腹部に強い重苦しさを感じるようになった。

2  医学的知見

証拠(甲第4、第5、第18ないし第30号証、第36号証、乙第2ないし第6号証、証人甲野太郎の証言)及び弁論の全趣旨によれば、腹腔鏡下胆嚢摘出術に関し、次のような医学的知見があることが認められる。

(1) 侵襲の比較的少ない腹腔鏡下胆嚢摘出術は、技術の習熟がある現在、胆嚢摘出術の第1選択とされており、胆嚢摘出術の適応と考えられる症例は、すべて、まず腹腔鏡下手術を試み、これが無理な場合に従来の開腹手術に移行するのが一般である。

(2) 腹腔鏡下胆嚢摘出術は、全身麻酔下で気腹を行い、トロカールを刺入し、腹腔鏡を挿入してテレビのモニター画像を見ながら、遠隔操作で、キャロー3角部を剥離し、胆嚢管、胆嚢動脈を露出してクリッピングを行い、これを切除した上で、胆嚢を剥離摘出する方法であるが、胆嚢周囲に大網や腸管が癒着している場合には、これを剥離して行うことになる。

(3) ところで、腹腔鏡下胆嚢摘出術はモニターを見ながら行われるため、距離感がつかみにくく、意に反して隣接臓器を損傷してしまうことがある。また、術中は、すべての処置具がモニターされているとは限らず、画面に見えないところで鉗子や鈎類を動かすと、思わぬ臓器損傷を起こすことがある。

(4) しかも、腹腔鏡下胆嚢摘出術に用いられる器具類はトロカールを通す必要から、細長く、先端は比較的シャープであり、本来臓器を損傷しやすい形状をしているが、殊に、電気メスは、電極が他臓器に接触するだけで損傷を与えることになるから、臓器の位置関係を正しく把握し、隣接臓器を十分に圧排して、電極が誤って接触することがないように注意しながら使用する必要があり、さらに、フック型電気メスでは、組織を先端に引っ掛けて切離するため、切離の瞬間に、反動で電極が他臓器に接触するおそれがあり、細心の注意を払う必要がある。

(5) そこで、前記の胆嚢と大網や腸管との癒着剥離は、原則として鈍的に行い、癒着が強固な場合には、無理に腹腔鏡下で電気メス等を使用して胆嚢摘出を図らず、開腹手術に切替えることが必要になる。

(6) なお、電気メスにより腸管等に穿孔が生じても、腹腔鏡下胆嚢摘出術の術中は腹腔内が高圧状態にあるため、胆汁漏出が顕在化せず、術後、ドレーンの排液に胆汁の漏出を認めて、穿孔が判明することがある。

また、穿孔に至らない管腔臓器の熱損傷は、術中は見逃されることが多いが、深達度の深い広範な腸管壁の熱損傷は、壊死組織脱落により、術後4ないし10日して穿孔性腹膜炎の症状が出現することもある。

(7) 十二指腸に穿孔が生ずると、胆汁性腸液が腹腔内に漏出して、腹膜炎が生じ、開腹手術が必要になるが、腹膜炎による開腹手術は、大抵創部感染を併発し、また、炎症性の腸管癒着を併発する場合も多い。

ただ、腸管の癒着は、小腸で生じると通過障害を来すことがあるが、大腸では、癒着によって臨床上の問題が生ずることは少ない。

3  争点(1)ア(十二指腸に穿孔を生じさせた過失の有無)及び同イ(本件胆摘手術から開腹胆嚢摘出術に切り替えなかった過失の有無)について

(1) 前記認定の医学的知見等によれば、担当医らは、胆嚢と腸管との癒着を剥離する際、その癒着が強固で、腹腔鏡下での剥離を強行すると穿孔が生ずるおそれがある場合には、開腹手術に切替えるべき注意義務があるというべきである。そして、癒着剥離がそこまで困難ではなく、腹腔鏡下で剥離を進めることができる場合にも、電気メスを使用して剥離操作を行うときには、電極が腸管に接触して穿孔を生じさせることのないよう細心の注意を払う義務があることは勿論、腸管壁の熱損傷により、術後に穿孔を生じさせることがないよう、腸管壁から安全な距離を保って剥離すべき注意義務が存するものといえる。

被告は、本件における穿孔の発生は、胆嚢と十二指腸の強固な癒着という患者側の要因によるものであり、不可抗力であった旨主張するのであるが、前記のとおり、腹腔鏡下胆嚢摘出術は、胆嚢摘出術の第1選択として、まず試みられ、これが無理な場合には従来の開腹手術に移行するのが一般であるから、上記のような強固な癒着があれば、開腹手術に移行するのが順当であって、これによって直ちに穿孔を不可抗力とすることはできない。

(2) 次に、それでは、本件胆摘手術の際、原告の胆嚢と十二指腸に強固な癒着が生じていたか否かであるが、まず、前記のとおり、本件胆摘手術の際、原告の胆嚢の体部から頸部にかけての部分と十二指腸球部前壁の癒着が生じていたことは、これを認定することができる。もっとも、腹腔鏡下胆嚢摘出術の際の診療録等に上記癒着があったことを示す記載はなく、また、丙野医師は、原告の娘春子に対し、本件胆摘手術後、癒着が無かった旨説明しているのであるが、原告の胆石症は、平成9年2月26日の成人病検診の際には既に発症していて、本件胆摘手術の段階では、発症から相当長い期間が経過しており、本件胆摘手術の際、胆嚢は炎症によって緊満していて、相当量の膿性胆汁が穿刺吸引されており、上記のような癒着が生じていても不思議ではない状態にあり、上記診療録等の記載の不存在や丙野医師の説明は、後記のとおり癒着が特筆に値する程のものではなかったことによるものと理解できるのであるから、乙第3号証の記載や証人乙野医師の証言に基づき、上記のとおり癒着の存在を認定するのが相当である。

ただ、その癒着の程度については、前記のとおり、それが剥離鉗子のみによる剥離が困難な程度のものであったことは認められるのであるが、これを電気メスで剥離するについては、胆嚢の筋層から入り漿膜側を剥ぐようにして剥離したという以上に乙野医師が難渋したような形跡はない。そして、手術時間も午後1時35分ころから同日午後2時50分ころまで約1時間15分で終了しているのであるが、甲第36号証によれば、これは熟練した医師が円滑に腹腔鏡下胆嚢摘出術を終えた場合の所要時間であることが認められ、さらに、本件胆摘手術の診療録等に特に癒着があったことを示すような記載はなされておらず、甲第31号証及び証人某の証言によれば、丙野医師に至っては、原告の娘春子に対し、本件胆摘手術後、癒着が無かった旨説明していることが認められ、これらの諸点に照らせば、上記胆嚢と十二指腸の癒着剥離は、腹腔鏡下で電気メスを使用して行うものとしては、特段困難を伴うものではなかったものと考えることができる。

(3)  ところで、前記認定事実によれば、本件胆摘手術の約5時間後には、原告の肝下面に留置したペンローズドレーンから胆汁様の漏出物が確認されたことが認められ、これによれば、本件穿孔は、本件胆摘手術中又はその直後に発生したものと推認することができる。そして、この事実に、前記のとおり、本件穿孔部が胆嚢と十二指腸球部前壁の癒着部分と一致していること、乙野医師が本件胆摘手術の際、同癒着部分につき電気メスによる剥離操作を行ったことを併せ考えると、乙野医師は、胆嚢と十二指腸球部前壁との癒着部分を剥離するに際し、電気メスを腸管に接触させて術中に十二指腸球部に穿孔を生じさせたか、又は、電気メスで腸管壁に近いところを剥離して十二指腸球部に熱損傷を生じさせ、本件胆摘手術の直後に同部分に穿孔を生じさせたかのいずれかであると推認することができる。

なお、被告は、担当医らが、約4リットルの温生食水で腹腔内を4回くらい繰り返し洗浄して出血、胆汁、腸液等の漏出がないことを確認しており、本件穿孔は術中には発生していなかった旨主張するが、術中は高い腹腔内圧のため明らかでなかった出血や胆汁漏出が術後に顕在化することがあることは前記医学的知見のとおりであるから、同主張事実は、上記推認を妨げるものではない。

(4)  そうすると、乙野医師は、本件胆摘手術において、腹腔鏡下で電気メスを使用して胆嚢と十二指腸との癒着剥離を行うにつき、電極が腸管に接触して穿孔を生じさせることのないよう細心の注意を払うべき義務があるのに、これを怠り、術中に電極を腸管に接触させて穿孔を生じさせたか、又は、腸管壁の熱損傷により、術後に穿孔を生じさせることのないよう、腸管壁から安全な距離を保って剥離すべき注意義務があるのに、これを怠り、腸管壁の近くを剥離してこれに熱損傷を与え、術後に穿孔を生じさせたか、いずれかの過失があるものというべきである。

4  争点(2)(損害の有無、金額)について

前記のとおり、原告は、本件開腹手術後、創部感染を併発し、発熱や創部の化膿が継続して、入院の継続を余儀なくされ、平成10年1月16日被告病院において感染創部の縫合術を受け、同月30日退院したこと、また、原告は、大腸に腸癒着の後遺症が残り、退院後から現在に至るまで、腹部に強い重苦しさを感じ、入院前に行っていた売店経営の仕事を行っていないことを認めることができる。

なお、被告は、原告の大腸の癒着は、本件開腹手術によって、出血と炎症が起こり、繊維素が析出して漿膜間に癒合が発生したものであり、十二指腸の穿孔と因果関係はないと主張するが、前記医学的知見によれば、十二指腸に穿孔が生ずると、胆汁性腸液が腹腔内に漏出して、腹膜炎が生じ、開腹手術が必要となるが、腹膜炎による開腹手術は、炎症性の腸管癒着を併発する場合が多いとの医学的知見があり、これと前記認定の診療経過を併せ考えると、本件胆摘手術による十二指腸の穿孔と原告の大腸の癒着との間には、相当因果関係があると認めるのが相当である。

そして、本件穿孔により原告に生じたと認められる損害は次のとおり合計306万1317円である。

(1) 治療費 89万4430円

ア 被告病院における入院院治療費 87万5300円(甲第32号証の1ないし3)

イ 被告病院における通院治療費 9160円(甲第33号証の1ないし9)

ウ ○○クリニックにおける通院治療費 9970円(甲第34号証の1ないし12)

(2) 入院雑費 10万2700円

本件穿孔が生じない場合でも、本件胆摘手術のため少なくとも術後7日間の入院が必要であったことに照らすと、原告の全入院期間のうち平成9年1月13日から平成10年1月30日までの79日間の入院のみが、前記医療上の過失と相当因果関係のある入院と認められ、また、入院雑費は、1日当たり1300円と認めるのが相当であるから、この間の入院雑費は、合計10万2700円となる。

(3) 通院交通費 8800円

原告の年齢、症状等によれば、被告病院への通院(8日間)につきタクシー利用(1日当たり往復1100円)が相当であると認められるから、通院交通費は8800円となる。

(4) 休業損害 63万5701円

前記のとおり、医療上の過失がなかった場合でも、本件胆摘手術のため少なくとも術後7日間の入院が必要であったから、前記過失と相当因果関係のある休業と認められるのは、平成9年11月13日から平成10年1月30日までの79日間であるところ、平成9年女子労働者学歴計平均賃金(年収)293万7100円(賃金センサス平成9年第1巻第1表学歴計)を基礎とすると、その間の休業損害は63万5701円となる。なお、原告は、被告病院に入院するまで××公園内で売店を経営していたものであるが、上記年収を超える収入があったと認めるに足りる的確な証拠はない。

293万7100円÷365日×79日間=63万5701円(1円未満切捨て)

(5) 慰謝料 200万円

原告は、乙野医師の前記過失により、本件開腹術を受けることを余儀なくされ、手術後、創感染を併発し発熱や創部の化膿が継続して長期間にわたる苦痛を受け、また、長期間の入院及び通院を余儀なくされ、さらに、退院後から現在に至るまで、腹部に強い重苦しさを感じており、これらにより多大な精神苦痛を被ったことが明らかであり、これらの医師の過失の内容、原告の年齢、性別、治療の経過、後遺障害の内容、程度等を総合すると、本件医療上の過失により原告が被った精神的損害は、入通院によるものが150万円、後遺障害によるものが50万円、合計200万円と認めるのが相当である。

なお、原告は、大腸の癒着を後遺障害として、その逸失利益の賠償も請求しているが、前記医学的知見によれば、大腸の癒着によって通過障害等の臨床上の問題が生ずることは少ないというのであり、原告に労働能力の制限されるような大腸の機能障害があるものと考えることはできず、これについての逸失利益の賠償は認められない。しかし、前記認定の診療経過からみて、前記過失に起因するものと認められる腰部の重苦しさによる精神的苦痛の賠償を否定する理由はないから、これを後遺症慰謝料として慰謝料額の中で考量することとした。

(6) 損益相殺

原告は、横浜市A区から高額医療費として合計88万0314円を受領しているから、これを上記損害額から控除すべきである。そうすると、原告の残損害額は、合計276万1317円となる。

(7) 弁護士費用 30万円

弁護士費用は、本件事案の難易、審理経過、認容額、その他諸般の事情を斟酌すると、30万円が相当である。

そうすると、被告は、診療契約の債務不履行による損害賠償として、原告に対し損害金合計306万1317円及び訴状送達の日の翌日である平成11年5月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

5  以上のとおりであり、原告の本訴請求は、前記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は、理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官・川添利賢、裁判官・堀田 匡 裁判長裁判官・市川賴明は転任につき署名、押印することができない。裁判官・川添利賢)

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