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横浜地方裁判所 平成11年(ワ)1785号 判決 2001年1月25日

原告

金子恒夫

同訴訟代理人弁護士

堤浩一郎

被告

板橋商事株式会社

同代表者代表取締役

板橋克巳

同訴訟代理人弁護士

岡昭吉

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一本件請求

1  被告は、原告に対し、金一〇五二万三〇八六円及びこれに対する平成一一年五月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

第二事案の概要

1  被告の元従業員である原告は、被告に対し、<1>被告との間で、原告の年収を毎年五〇万円昇給させるとの約定があったにもかかわらず、在職中年収を据え置かれたとして、未払賃金五〇〇万円を、<2>被告が原告を非管理職扱いした組織表等を作成し、回覧文書の氏名欄を下位の者と逆転させ、賃金支払を複数回にわたり意図的に遅延させ、原告宛の郵便物を隠匿、破棄する等の様々な嫌がらせを行い、これが不法行為であるとして、慰謝料五〇〇万円及び弁護士費用五〇万円を、<3>原告の退職後に支払われるべき賃金、賞与の一部の支払を怠ったとして、未払賃金計二万三〇八六円をそれぞれ支払うよう求めている。

2  争いのない事実等

(1)  被告は、運送業等を営む株式会社で、資本金一五〇〇万円、従業員約七〇名(内運転手三六名)の規模であり、本社のほか本牧、常盤台等に営業所を有する。平成六年一二月当時、被告には、神奈川労働組合板橋商事支部(組合員三二名前後、以下「神交運」という)、全日本港湾労働組合関東地方横浜支部板橋分会(組合員約一〇名、以下「全港湾」という)の二労組が存在した。

原告は、昭和一四年三月二五日生れであり、平成六年四月一一日、被告本社総務部付として管理職扱いの処遇で採用され、同年一一月三〇日までは本牧営業所において、同年一二月一日からは被告本社において勤務し、平成一一年三月、被告を六〇歳で定年退職した(退職日については争いがある)。

(2)  原告は、平成六年三月ころ、賃金コンサルタント滝沢算織(以下「滝沢」という)から労務担当の従業員を探していた被告を紹介され、同月一四日及び同月二四日、被告代表者板橋克己(以下「被告代表者」という)と面接した。同月二四日の面接の際、被告代表者は、原告に対し、年収を五〇〇万円とするとの提示をしたが、原告は、被告代表者に対し、年収六〇〇万円以上との希望を伝えた。

同日以降、年収について、滝沢、原告、被告代表者の三者で電話等を通じて交渉し、結局入社時の年収を五五〇万円とすることで合意に至った(交渉の経緯については争いがある)。そして、原告の賃金は、被告入社当時、年額五五〇万二〇〇〇円(月額三九万三〇〇〇円で、賞与は夏冬各一月分。通勤手当は別途支給)とされ、退職するまで同額であった。

被告における賃金は、毎月二〇日締めの同月末日払いである。

(3)  被告では、いかなる部課、経営組織を有するかを図示するため組織図を作成していたが、平成八年九月二一日及び平成九年七月一日当時の組織図に従業員の氏名を記載する際、原告の氏名を津澤寿子(以下「寿子」という)より下に記し、また、職制上原告より下位の係長よりも下に記した。そして、平成八年四月一日当時の従業員一覧表では、原告の区分を管理職ではなく、職員とした。

(4)ア  被告は、原告に対する平成六年一二月の年末調整の際、同年二月一〇日までの原告の前勤務先での徴収税額を考慮して税額を算出しなければならないところ、これを考慮しないまま、同年一二月分の給与を過少支給したが、平成七年一月に年末調整の修正を行い、正しい金額を支給した。

イ  被告は、平成八年四月三〇日、原告の四月分給与支払の際、同年三月二一日から同月三一日までの勤務に対する賃金を考慮しなかったため、原告に対し、給与を支給しなかったが、原告の妻からの問合せ後の同年五月一日、修正した正しい金額を送金した。なお、原告は、入院のため、同年四月一日から同月三日まで年次有給休暇を取得し、同月四日から同月二〇日までは病気欠勤した。

ウ  原告は、平成九年四月一一日、被告に対し、通院のため、年次有給休暇の取得を申し出て欠勤したが、被告は、同月分賃金支給にあたり、これを欠勤扱いとし、一日分につき欠勤控除した。これに対し、原告は、被告に抗議し、同年五月一五日、被告から同控除分の支払を受けた。

エ  原告は、同年一一月二一日夜から同月三〇日までの間入院し、その間五出勤日があったが、被告の職員給与規定によれば、所定出勤日が二三日であるから、基準内賃金の二三分の四・五、通勤手当の二三分の四が欠勤控除されるに止まるべきところ、同年一二月分賃金支給時、基準内賃金、通勤手当のいずれも二三分の五を控除して支払った。しかし、被告は、翌平成一〇年一月の賃金支給時、原告に対し、差額を支給した。

(5)  被告は、原告に対し、平成一一年四月分給与として労働日数三日分の賃金五万一二六一円を支給し、同年夏期賞与として二七万円を支給した。

被告における同年夏期賞与の支給対象期間は、平成一〇年一一月二一日から平成一一年五月二〇日までであるが、同期間内における原告の所定労働日数は、一三一日である。

第三争点及び争点に関する当事者の主張

1  原告の被告入社時、原被告間に、平成七年度以降原告の年収を毎年五〇万円昇給させるとの合意があったか。

(原告の主張)

平成六年三月二八日の滝沢から原告への電話で、「原告が年収六〇〇万円に固執していると話がまとまらない。採用時の年収を五五〇万円でスタートさせるということでよいか」との申入れがあったため、原告は滝沢に一任する旨伝えた。その後、同月三一日、滝沢から原告への電話で、被告の回答として、「平成六年度は年収五五〇万円でスタートする。その後は毎年度年収を五〇万円ずつアップさせていく」旨聞いたため、原告は被告会社への入社を了解した。そして、そのころ原告は、被告に電話し、被告代表者に対し、「滝沢先生から言われたとおりの条件で、被告にお世話になりたい」旨伝えたところ、被告代表者がこれを了承した。原・被告間においては、少なくとも、平成七年度以降は年収を六〇〇万円とする旨の合意があった。

しかし、平成七年五月二五日、原告と被告代表者との間で話合いを持った際、同人は、原告に対し、「被告の業績は不振だから、原告と約束した同年度の年収アップ五〇万円は実施できない」旨申し入れ、以後原告が定年退職するまでの間、年収五五〇万円に据え置いた。

(被告の主張)

平成六年三月二七日ころ、滝沢からの連絡を受けた被告代表者は、被告提示額五〇〇万円の一割増額について了解する旨回答したが、その前後を含めて、被告代表者と滝沢との間に、翌年度五〇万円増額するとか、以後毎年度五〇万円ずつ増額するという話は全く交わされなかった。被告代表者と原告との間においても、同様であり、また、原告は、入社前後を問わず、毎年度五〇万円昇給するとの件につき、被告に確認の申入れ、あるいは文書化を要求したことはなかった。

平成七年五月二五日ころ、原告が被告代表者に対し、給料を上げて欲しいと要請したことはあるが、金額の明示はなく、しかも被告代表者は、原告に対し、会社の業績不振と原告の能力不足により応じられないと拒否した。

運送業の経験がない原告に対し、採用前から昇給を保証するなどきわめて不自然であり、原告の五〇万円昇給合意の主張は、架空かつ虚偽である。

2  被告における原告に対する嫌がらせ行為の有無、違法性

原告の被告に対する慰謝料請求の当否については、以下の四点に争いがある。

(1)  被告の従業員が原告を非管理職扱いとした組織図等を作成し、社内の回覧文書の氏名順を逆転させ、原告の机の位置を変えたことが違法か。

(原告の主張)

被告は、入社時から原告を管理職として処遇してきたにもかかわらず、非管理職扱いとし、寿子や係長より下に氏名を記した組織図、従業員一覧表を作成するなどして原告に対する嫌がらせを継続した。

寿子は、平成八年一二月二七日付けで作成した回覧文書の経理・総務の氏名欄のトップを寿子とし、その次を原告として総務・経理部門に回覧した。その後も同様の回覧文書が回覧されていたが、寿子は、平成九年四月二四日の回覧文書において、寿子の次に同月一日に入社したばかりの二〇歳の八鍬由希の氏名欄を設け、その次を原告とした。また、寿子は、同年一二月二四日付けの回覧文書では、新入社員で四三歳の鈴木保弘の次に原告の氏名欄を設けるといった嫌がらせをした。

被告は、平成一〇年二月ころ、原告の机を一番末席に配置する嫌がらせを行い、同年九月九日、総務・経理に配属された三九歳の菱沼利之を従前空席となっていた、原告より上位の席に配置した。

これらの嫌がらせは、原告の人格権を侵害した違法な行為である。

(被告の主張)

被告における管理職は、課長職以上の者に限られていたが、原告を管理職扱いとしたのは、団体交渉に組合執行部が出席することとの対比で収まりがよいとの理由からであって、特典、実利はなかった。

組織図は被告の経営組織を図示するものであり、その役職名の記載の有無、記載内容は、被告がどの範囲の者を管理職と扱うかとは別問題である。記載順は、役職者は役職の順位に従い、その他の者は勤続年数を考慮して配置し、最後に嘱託職員を配置した。組織図の作成には一定の法則はなく、原告の入社以前から類似した扱いをしていた。従業員一覧表は、被告の株主に対する従業員構成説明のための基礎資料として作成されたものであり、処遇上の区分とは無関係である。

被告は、回覧文書の氏名欄について特定の書式を指定したことはなく、回覧発信者が任意に作成している。総務部長の次に原告が配置された回覧表もある。被告においては、経理・総務担当者の氏名順を偉い人の順にすべきという認識はない。被告のような中小企業の事業所では、適宜に回覧順を銘々で決めさせたところで非難される筋合いはない。

机の配置順は、平井が原告を、津澤博彦(以下「博彦」という)が菱沼をそれぞれ実務指導する立場にあったから、自ずと席順が決まったのであり、業務遂行のための合理的な配置である。

原告は、不満であったならば、上司に申し出て解決策を模索すべきであったのに、在職中上記いずれの点についても指摘したことはない。

(2)  被告が、原告に対し、意図的に賃金等の支払を遅延させたか。

(原告の主張)

平成六年の年末調整の件は、年末年始の生活設計に大きな影響があったため、即時博彦に修正を求めた際、多忙のため、確認の時間がないとして拒否され、平成七年一月まで修正されなかった。

原告の妻が、平成八年四月三〇日、被告に対し、給与振込がないと電話した際、寿子は、同月の賃金は本来マイナスであると回答し、原告の入院治療費支払のためには健康保険での貸付けを利用したらどうかと発言した。これは、原告の稼働状況からみて明らかに故意的な発言であった上に、間違いに気付いた後も同日中に振り込まなかったのは、意図的な怠慢による。

平成九年四月一日時点で原告は八日間の有給休暇を繰り越しており、同月分の出勤簿には同月一一日欄に「有休」と記載したにもかかわらず、被告は欠勤控除する嫌がらせをし、原告が、被告作成の「新たに入社した者の年次有給休暇の付与日数について」という文書をもとに、同日当時なお有休の残存日数があると抗議しても、同年五月一五日まで是正措置を執らなかった。

その後も、被告は、平成九年一一月に欠勤控除を違算し、退職金についても勤続年数の算定を間違えて過少支給するなどして原告の賃金等について、複数回にわたり過少支給をしたのであり、原告に対する執拗な嫌がらせであたというべきである。

(被告の主張)

平成六年年末調整の件、平成八年四月の給与の件、平成九年一一月の欠勤控除の件、退職金の勤続年数算定間違えの件については、いずれも被告の経理、給与関係の担当者である博彦のコンピュータ入力ミスによるものである。博彦は、経理、給与、被告の請求書、外注先の支払関係を全て一人で担当していたため、月末と月始は繁忙を極めたが、いずれの場合においても、間違いを認めて遅滞なく正しい金額に修正して支払ったのであり、原告に対する悪意はなかった。

平成九年四月一一日の件については、同日の時点で原告には有給休暇の残存日数がなかったため、欠勤控除したに過ぎず、労働基準法に則った正当な措置である。原告指摘の書面は、従業員にも配布されなかった未公表のものであって、何ら効力がない。しかし、被告は、原告が被告に対して執拗に抗議するので、根負けして同月一日に遡って八日間の年休を付与するという異例の措置を執った。

(3)  寿子が原告宛の郵便物を隠匿あるいは破棄したか。

(原告の主張)

被告宛の郵便物については、普通郵便物は郵便受けに、特殊郵便物は直接総務・経理部門近くのカウンターに置かれる仕組みになっていたところ、寿子は、郵便受けを開錠して社内に郵便物を配布する作業を担当していた。

そして、平成九年五月の連休明けころ、中小企業退職金共済事業団(以下「中退金」という)から原告宛に郵送されたはずの退職金に関する最新の資料が原告の手許に届かなかった。同年六月二日、山手交通安全協会からの原告宛の特殊郵便物がカウンター上に置かれていたところ、その後も原告の元には配布されなかった。同年八月二五日ころ、被告の求人広告が掲載された同日付けの朝日新聞が原告宛に速達で郵送されたにもかかわらず、原告には届かなかった。平成一〇年六月一五日ころ、自動車安全センター神奈川支所から原告宛に郵送された証明申請書用紙が入った郵便物及び追加の必要書類が入った郵便物の二通がいずれも原告の手許には届かなかった。そのため、節約できたはずの手数料を出捐せざるを得なくなった。

前記の状況に鑑みると、これらの郵便物については、寿子が隠匿あるいは破棄したとしか考えられない。

(被告の主張)

原告の主張は否認する。寿子が原告主張の行為をしたところで、損害を被るのは被告ないし寿子の父あるいは夫であるから、そのような行為をするはずがない。

なお、中退金からの郵便物は私的文書ではなく、関係資料に編綴されていたとのことであるから、原告の上司である平井が開披した可能性があり、何ら非難されることではない。

(4)  原告の損害

(原告の主張) 金五五〇万円

上記のとおり、原告は、被告在職中の長期にわたり、執拗かつ継続的な嫌がらせを受け続け、筆舌に尽くし難い精神的苦痛を受けてきたのであって、これを慰謝するには金五〇〇万円が相当である。また、本訴提起に伴う弁護士費用としては金五〇万円が相当である。

(被告の主張)

原告の主張は争う。

3  原告の退職日はいつか。そして、被告の原告に対する平成一一年夏期賞与支給の際に不足額があったか。

(原告の主張)

原告の退職日は、平成一一年三月二六日であるから、同年四月分の賃金は、労働日数を四日として算出すべきである。

また、同年夏期賞与金額は、基準支給額を賞与期間内の所定労働日数で除し、欠勤日数を乗じて得た額を基準支給額から控除するから、同年三月二七日から同年五月二〇日までの三九日間を欠勤控除して、三九三・〇〇〇×(一三一-三九)÷一三一=二七万六〇〇〇円とすべきであった。

(被告の主張)

原告の退職日は、平成一一年三月二五日であるから、同年四月分の賃金は、労働日数を三日として算出すれば足りる。

被告における賞与計算は、在職中の者と退職後の者とでは異なり、基準支給額を賞与計算期間内の所定労働日数で除し、これに就労日数を乗じて得た額となるから、三九三・〇〇〇×九〇÷一三一=二七万円となり、支給額は正しい。

第四争点に対する判断

1  争点1(原告の被告入社時、原被告間に、平成七年度以降原告の年収を毎年五〇万円昇給させるとの合意があったか)について

(1)  前記争いのない事実等及び後掲の証拠によれば、次の事実が認められる。

ア 原告は、昭和三八年四月から昭和五二年一二月までサンウェーブ工業株式会社に勤務し、その後、東洋ブリッツエアーフレイト株式会社及び株式会社東和エンジニアリングを経て、平成五年三月から平成六年二月まで株式会社田中通商にそれぞれ勤務した。原告は、これらの会社では、総務部、人事部、管理部、業務部等に配属され、特に、株式会社田中通商では、人事部副部長として、同社の賃金制度を確立する業務を担当し、賃金コンサルタントである滝沢の指導を受けていた。しかし、同社の業績が急激に悪化したため、原告は、一年間の契約期間満了により同社を退職した。(証拠略)

イ 被告代表者は、平成五年一二月に開催された滝沢を主賓とする懇親会に出席した際、滝沢に対し、年齢五〇歳くらい、健康で、労務担当の経験を持つ適当な人物がいたら紹介して欲しい旨依頼し、年収は能力によっても異なるが、五〇〇万円ないし六〇〇万円を考えていると述べた。(被告代表者)

他方、原告は、平成六年一月末ころ、株式会社田中通商を退職する前に滝沢の事務所を訪れ、退職後の就職のあっせんを依頼した。(原告本人)

滝沢は、原告及び被告に双方相手方を紹介し、同年三月一四日、原告と被告代表者および平井の三名で面接したが、その際は、年収の話は出なかった。同月二四日、再度面接した際、原告は、年収六〇〇万円以上を希望したが、被告は、原告が運送業を全く知らないこと、原告の人物及び能力につき十分評価できない段階にあることから、年収五〇〇万円の提示をした。そして、被告代表者は、同月二五日、滝沢に対し、同面接の結果を報告し、その際、年収につき、紹介者である滝沢の顔を立てて一〇%程度の増額ならば了承できると伝えた。滝沢は、同月二八日、原告に対し、原告が年収六〇〇万円に固執すると話がまとまらないこと、原告が年収五五〇万円で良いならば被告に話をすることを電話で伝え、原告がこれを了承すると、被告代表者にその旨を伝えた。被告代表者は、滝沢に対し、同月二九日の被告の役員会での検討後に被告としての回答を知らせる旨話した。(証拠略)

被告代表者は、同月三一日ころ、滝沢に対し、被告の役員会での検討結果を伝えるとともに、入社時の年収を五五〇万円とすること、入社後、原告に対し、立派な人物であるとの評価に値する結果が出れば、六〇〇万円を限度に昇給させることもあり得ると伝えた。(証拠略)

滝沢は、同月三一日、原告に対し、被告の回答を伝え、その際、入社時の年収は五五〇万円とすること、勤務内容によっては翌年の年収を六〇〇万円まで昇給させることを被告が考えている旨話した。原告はその内容を了承し、手帳に「今年五五〇万、来年六〇〇万でOK」と記載した。(書証略)

原告は、同日、被告代表者に架電し、被告に就職する意思を述べたが、その際、賃金その他の条件について確認したことはなく、出勤開始日その他の諸手続について言及があったに過ぎない。(証拠略)

そして、原告は、同年四月一一日に初出社したが、被告代表者に対し、年収について改めて話しをすることもなく、雇用契約書も作成しなかった(証拠略)

ウ 被告は、原告に対し、平井依一の跡を継ぐ労務担当者として期待をかけ、労務管理の業務を担当させることとし、被告入社後まず現場の運転手やその家族関係等を把握させるべく現場である本牧営業所の配属とし、春闘から団交にも出席させた。しかし、原告は、書記役として出席したにもかかわらず、団交の場における態度に落着きがなく、議事録の作成も不正確であった。特に、平成六年一二月五日の一時金に関する団交では、少数組合である全港湾との間で妥結に至りそうな状況であったところ、原告は、多数組合である神交運との団交担当者から連絡を受けて神交運が妥結したことを知らされると、勝手に組合員達の前で「神交運は全港湾に提示した金額で妥結しました」と発表した。そのため、交渉責任者であった平井は、全港湾の幹部らから、他の組合の結論をもとに全港湾の態度決定を求めるのは、労働組合の本質をわきまえない偏見であるなどと強く抗議された。また、原告は、根本昭明所長代理が行っていた被告の社内報の作成を勧められても、原告は、後込みして積極的に行わなかった。その後、本牧営業所内でも原告の業務姿勢を批判する声が出たため、被告は、平成六年一二月、原告を本社勤務に人事異動した。しかし、その後も原告の業務態度に変化は見られず、仕事に間違いが多かった。平成九年三月ころ、被告の関連会社から春闘に関する情報を提供して欲しいとの申し出があった際、平井が原告に対し、春闘要求書等のファックス送信を指示したところ、原告は、送信先のファックス番号を間違い、全く関係ない他社に送付してしまった。同社から連絡があり、驚いた平井が同社に謝り、原告に注意し、再度送信させたところ、また同じ間違いを繰り返した。原告の団交出席回数は、平成七年には一七回あったが、原告には団交担当は不向きであるとの判断からできるだけ団交要員から外すようになり、翌年には三回で、以後は年一回に止まった。しかも、その業務内容は全て書記役であり、交渉責任者となったことはなかった。なお、原告は、平成九年四月以降、平井とともに社内報発行の業務に従事した。(証拠略)

エ 原告は、平成七年五月二五日朝、被告代表者に面接を申し出て、本社の応接間で話合いを持った。その際、原告は、金額を明示せず、「私の昇給はどうなっているのでしょうか」と質問したが、被告代表者は、原告の業務態度に関して社内で批判が出ていること、被告の経営状況が苦しいことを挙げて、原告の給与を三年間凍結する旨述べ、昇給を峻拒した。また、原告は、平成八年七月ころ、同年四月から長期入院した後の最初の出勤日に被告代表者に経過報告をするとともに、同人に対し、昇給の件はどうなっているかと再び質問した。同人は、原告には身体が一番大事ではないか、長期病欠している身であるから、被告を辞めてもう少し体が楽なところで働いたらどうだと話し、昇給の話には応じなかった。(証拠略)

(2)ア  前記イの認定に反し、原告は、平成六年三月三一日の滝沢からの電話の際、被告の回答として二年目以降は毎年五〇万円昇給するとの条件を伝えられたと主張し、原告の供述はこれに沿う。しかし、<1>原告の勤務内容について全く未知数の採用前の段階で、滝沢の紹介だからといって、次年度以降の年収を無条件に昇給させるとの契約が締結されることは社会通念上考え難いこと、<2>原被告間における原告の年収についての話合いは、当初から五〇〇万円ないし六〇〇万円との前提で交渉が続けられていたところ、原告主張の契約内容は二年目で原告の当初からの希望どおりの金額に達するのみならず、三年目以降はこれを上回るという要求以上の内容となり、被告がそのような条件を示すことはおよそ考えられないこと、<3>原告には被告入社前に運送業の経験がなく、被告はその点を危惧して当初年収五〇〇万円の提示に止めていたところ、契約内容について回答するまでの原告の業務における力量を示す特段の事実が伝えられるなどといった状況の変化がなかったこと、<4>原告が昇給合意を裏付けるとして提出した原告の手帳(書証略)によっても、「来年六〇〇万でOK」と記載されたに止まり、三年目以降五〇万円昇給するとの内容は全く記載されていないこと、<5>他方、入社後の貢献度、社内評価によっては原告の希望額である六〇〇万円までの昇給があり得るとの話をしたとの被告代表者の供述は、極めて合理的であり、社会通念上十分あり得るところ、「来年六〇〇万でOK」との前記手帳の記載は、被告の回答を伝える滝沢の言葉を原告が早合点し、二年目の昇給が確実だと思い込んだためにされたと考えるのが合理的であること、<6>被告代表者の原告との交渉経緯メモ(書証略)にも五五〇万円という以外昇給について一切記載がないことを総合すると、原告の前記供述は到底信用に値せず、原告の主張には理由がない。

イ  また、原告は、本人尋問において、同年四月一一日の出社の際、被告代表者と二年目以降毎年五〇万円昇給するとの内容を確認したと供述し、さらに、平成七年五月二五日、被告代表者との話合いで、同人が、原告に対し、被告の業績不振のため、以前約束していた昇給が実施できないとの申入れをしたと主張し、原告の供述はこれに沿う。しかし、前判断のとおり滝沢との間で毎年五〇万円昇給するとの会話があったとは認められない上、仮に原被告間での直接の内容確認があったり、被告代表者が昇給の約束を認めたとすれば、それまで他社で労務管理、人事を担当する業務に従事していた原告としては、そのような破格の昇給の約束について書面を求める等何らかの証拠化を求めて然るべきところ、これが全くなされていないことは不自然であり、原告の上記いずれの供述も疎信し難く、原告の上記主張には理由がない。

ウ  さらに、原告は、平成七年五月二五日、平成八年七月の二回にわたり原告と被告代表者との間で昇給に関する話合いがもたれ、被告から業績悪化のため昇給が実施できないとの回答があったことが、平成六年当時の合意の存在を推認させると主張するが、前認定のとおり、平成七年五月の話合いにおいても、被告が、原告との昇給合意の存在を前提として、その合意内容を実行することができないと断ったわけではなく、被告は、原告の昇給要求を、当時の原告に対する社内評価及び被告の業績内容を根拠に峻拒したのである。よって、原告の上記主張はその前提に誤りがあり、理由がない。

(3)  これまでに認定した事実を総合すると、被告が滝沢を通じて原告に提示した条件は、平成六年三月三一日ころに示した、入社時の年収を五五〇万円、入社後社内で立派な人物であるとの評価が出れば、次年度以降六〇〇万円を上限として昇給することもあり得るという内容であり、これを滝沢が同日原告に伝え、原告が了承したという経過である。そうすると、原・被告間の雇用契約において、賃金に関しては、入社時の年収を五五〇万円とすることが約束されたにとどまり、人事考課による昇給の可能性は一般論を述べたものに過ぎず、契約の内容となっていないものというべきである。

仮に、人事考課による昇給の可能性が原・被告間の雇用契約の内容となっているとしても、その内容は、原告の入社後、社内で立派な人物であるとの評価を得ることが昇給の条件であり、その場合の昇給額は、次年度は年収六〇〇万円を上限として(すなわち、昇給分とすると、年五〇万円を限度として)被告において決定するとの内容である。したがって、原告主張の次年度以降無条件に毎年五〇万円の昇給を行うとの合意がなかったことは明白である。そして、被告が原告のために人事考課を行い、昇給額を決定したことについては、主張も立証もない。

なお、前認定のとおり、被告代表者は、原告に対し、二度にわたり昇給できない旨伝えているところ、その相当性について、念のため検討する。前認定のとおり、原告は、平井の跡を継ぐ労務担当として期待されて被告に入社したにもかかわらず、原告には前職までに運送業に従事した経験がなかったこと、労務担当として団交に出席したことすらなかったこと、被告では当初から書記役として団交に出席したが、少数の組合の団交においては禁忌とされる多数派組合の動向につき、自らの判断で団交の席上で発表し、議事を混乱させる等の失敗をし、その他仕事について消極的な対応を見せ、本牧営業所における上司から被告代表者に対して原告に対する苦情が寄せられるなど被告内での原告の仕事上の評価は期待を裏切るものであったことは明らかである。そうすると、原告が昇給の条件を成就した客観的状況にあったとは到底認めることができず、被告代表者が原告の昇給につき否定的見解を示したことは正当である。

(4)  よって、原告の被告に対する原被告間の昇給合意に基づく未払賃金請求には理由がない。そして、少なくとも平成七年度以降の年収が六〇〇万円であったとして、または何らかの昇給があったはずであるとして、支給額との差額を求めることもできないといわなければならない。

2  争点2(被告における原告に対する嫌がらせ行為の有無、違法性)について

(1)  これまで認定した事実に後掲の証拠を総合すると、次のとおり認められる。

ア 博彦は、被告の株主である三井倉庫株式会社に人員数の報告をするため、その資料として、平成八年四月一日現在における従業員一覧表(書証略)を作成した。同表は左端に上から管理職、職員、嘱託職員、運転職、その他の区分が記載され、その右側に役職名、氏名が記載されているところ、管理職の区分には各営業所長の他、部課長、部長代理までの役職名が記載され、職員の区分には営業所職員のほか、係長、課長代理も含まれ、原告は総務部付として職員の区分中に記載されている。各区分の中の記載順位は、同区分内では男性がまず記載され、性別毎に入社年月日の早い順に記載されている。(証拠略)

被告が作成した平成八年九月二一日付けの組織図(書証略)では、各部と各営業所が横並びに位置し、それぞれ部長、所長が一番上に記載され、以下各部、各営業所における職制順に上から記載されている。そして、原告は、他の部所における課長代理、係長が記載されている高さより下の位置で、寿子の直ぐ下に寿子と同様に役職名の記載なく名前のみ記載されている。他の部署でも、原告らと同じ高さには役職名のない者が記載されている。(証拠略)

被告が作成した平成九年七月一日付けの組織図(書証略)には、各部所毎の縦割りで、横軸は職制順に名前が記載され、担当役員から係長までの役職名のある者がまず記載され、その下に課員として、職員、嘱託の区別なく各部所毎に複数人記載されている。原告も課員に含まれ、総務部の二番目、寿子の下に記載され、前総務部長で顧問の平井は、一番下に記載されている。営業部については、管理職扱いで営業部付の今井常治は同部の課員の一番下に位置している。(証拠略)

なお、被告は、少なくとも平成七年九月三〇日から平成九年一〇月一日にかけて作成した管理職一覧表に、原告を管理職として掲載した。(書証略)

平成八年九月二一日当時、被告代表者の妻は代表取締役副社長であり、被告代表者の娘寿子の夫である博彦は常務取締役経理部長であり、被告代表者の妻の妹の夫である平井は常務取締役総務部長であった。(証拠略)

イ 被告における回覧文書は、従前は文書に回覧の印を押し、下部余白に印を押すに過ぎなかったが、平成八年ころから表紙に回覧表が付けられるようになった。回覧表には様々な書式があり、当初は原告が作成した、役員欄の下は複数の升目があるだけの書式であったが、そのうち従業員の名前が記載されるようになった。しかし、被告が指定した特定の書式はない。文書を回覧しようとする者は、自ら文書に回覧表を付けていたが、職員の異動があると、ワープロに保存されている従来の書式を一部変更して新たな表を作成していた。作成した回覧表の用紙は、他の従業員が使用できるように、複写してまとめて置いていた。(証拠略)

平成九年三月二四日付け、同年四月二五日付けの回覧表には、経理・総務欄の一番上に寿子が記載され、その下に原告の名が記載されていた。そして、同月二四日付けの回覧表には、経理・総務欄の一番上に寿子、次に八鍬由希、その下に原告の名前がある。八鍬は、同月一日に入社した当時二〇歳の従業員である。同年一二月二六日ころ回覧された文書の回覧表には、経理・総務部については、上から平井、寿子、鈴木保弘、原告の順に記載されている。鈴木は、同年一〇月一日に入社した当時四三歳の従業員であった。同年一一月から平成一〇年二月までは、平井、寿子、原告、その他の者の順に記載された回覧表(書証略)が用いられたことがある。(証拠略)

しかし、平成一〇年四月二日付けの回覧表には、平井と原告の欄が経理・総務欄の上部に位置づけられ、寿子の欄はその下にある。同回覧表は、少なくとも同年一〇月二八日まで複数回使用されている。同回覧表の書式は、同期間中変わっていない。(証拠略)

上記各回覧表のうち、平成一〇年四月二日から同年一〇月二八日までの回覧表の書式は寿子が作成し、平成九年三月二四日から同年一二月二六日までの各回覧表(書証略)は、他の従業員である篠崎あるいは鈴木が作成した。(書証略)の回覧表の書式は、(書証略)の回覧表の書式と一致しているが、従業員の氏名及びその位置に相違がある。(人証略)

ウ 被告本社の事業所内の経理・総務部における机の配置は、平成一〇年二月以降、七つの机がコの字形に一団になっており、六つの机が一列三個で二列対面で並べられ、その前に、常務取締役で部長の博彦の机が他の机を見渡せる横向きの位置に置かれていた。博彦から見て右側手前の机は、OA専用で常用者はおらず、その隣には平井が座り、その隣に原告が座った。平井の対面には寿子が座り、博彦の左側手前の机は当時空席であった。そして、同年一二月当時、平成九年九月に入社した菱沼を同空席に配置した。(証拠略)

博彦と原告とは、博彦が経理専任であったときは仕事上の接点は全くなく、総務部を兼務するようになって若干仕事の打合せをするようになった程度である。平井と原告とは、社内報の作成のほか仕事上の接点が多く、平井が原告を指導する立場にあった。他方、博彦は、菱沼を仕事上直接指導する立場にあった。(証拠略)

エ(ア) 博彦は、当初経理部長であったが、平井の取締役退任後は、総務部長も兼務した。博彦は、被告における経理を主に一人で担当し、他にパソコン操作ができる人材がいなかったため、コンピュータ処理を要する業務、請求書の発行、下請業者への支払明細発行のほか、年末調整を含む従業員の給与計算のほとんどにつき、入力業務から計算処理業務まで担当していた。それゆえ、博彦には、月末と月始は特に業務が集中し、繁忙を極めた。寿子は、経理部兼務であり、従業員の給料のうち保険料や財形貯蓄など天引きで控除する金額の集計を担当していた。(証拠略)

(イ) 第二の2(4)アに摘示の原告の平成六年度の年末調整額の違算は、前勤務先における源泉徴収税額を控除することを忘れたという博彦の単純、基本的なミスによるものである。同年の年末調整明細書は、同年一二月二九日に各従業員に交付され、同日中に原告から過少支給の指摘があった。しかし、博彦は、同月三〇日の仕事納めを控え、業務は繁忙を極めていたことから、原告に対し、ミスを認めて謝ったものの、同年中の確認、修正は時間的に不可能であると回答し、原告が概算金額の仮払いを求めても取り合わなかった。(証拠略)

同イに摘示の平成八年四月分の給与の不支給は、原告が同月一日から約一か月の長期入院に入り、四月は全部欠勤するとの休暇届が出されたため、同月分の給与期間は全部欠勤として扱われ、同日から三日間の有給休暇分を算定すれば足りると誤認して生じた違算によるものである。同月三〇日に原告の妻が被告に問い合わせた際、寿子は、原告の妻に対し、ミスした計算結果を基に給与不支給の理由を説明し、入院費用の手当として健康保険での貸付けを案内したが、同人からミスを指摘され、これに気付いた。(証拠略)

同エに摘示の平成九年一一月の五出勤日を欠勤控除した違算は、職員給与規定に則った方式をとらなかったために生じたものである。しかし、欠勤控除金額が増えた場合、その金額は、健康保険の傷病手当金から支給されることとなっていた。被告は、原告の指摘を受けて、原告に対し、同控除差額を返還した。その結果、同傷病手当金は正当な金額が支払われた。(証拠略)

(ウ) 原告は、平成六年一〇月に一〇日間の年次有給休暇を付与され、平成七年九月末までに全部使用し、同年一〇月には一一日間の年次有給休暇を付与され、平成八年九月末までに七日間使用した。その後、原告は、同年一一月二一日、同年一二月六日、平成九年二月二一日、同月二八日に年次有給休暇を使用した。原告は、平成七年一〇月一日から平成八年九月三〇日までの間、入院期間等があり、八割以上の出勤率を維持できなかった。(証拠略)

被告は、「新たに入社した者の年次有給休暇の付与の日数について」と題する文書(書証略)を作成した。これによれば、年次有給休暇の付与日を毎年四月一日または一〇月一日に統一するため、同各日に就業期間が一か月以上七か月未満の場合には、その期間に応じて二日間ないし一〇日間が付与され、その次の統一日にはさらに一〇日間付与され、その後一年ごとに法定日数が付与されることになる。しかし、被告は、同文書を従業員に配布したことはなく、博彦も内容を知らず、団交の対象にもなっていない。(証拠略)

原告は、平成九年四月ころ、平井に対し、(書証略)の付与方法に基づき、平成六年一〇月一日に付与されるはずであった八日間の有給休暇が付与されていないとして、八日間の有給休暇の付与を迫った。平井は、原告の同要求を理由のないものと断っていたが、再三の抗議を受け、平成九年五月ころ、同年四月に遡って、八日間の年次有給休暇を付与した。(証拠略)

なお、被告の就業規則には次の規定がある。(書証略)

二五条 従業員の勤続年数に応じ、一年間の全労働日の八割以上出勤した者に対し、次のとおり一〇日ないし二〇日の年次有給休暇を与える。ただし、総日数は二〇日を限度とする。

勤続年数 一年 二年 三年……

有給休暇日数 一〇日 一一日 一二日……

(その余は省略)

オ 被告宛の郵便物は、郵便受けに配達されるものと直接カウンターに配達されるものがあるが、郵便受けの鍵は寿子が管理し、同人が開錠して中の郵便物を社内に配布し、カウンターに配達されたものも通常寿子が配布していた。ただし、カウンターに配達されるもののうち名宛人が明示されたものについては、他の従業員が名宛人の机の上に置くこともあった。(人証略)

平成九年五月の連休明けころ、原告が平井の指示により中退金に送付を求め、原告宛に郵送されるはずであった資料は、原告の手許に届かず、原告が気づかないうちに原告作成のファイルに編綴されていた。同年六月二日、山手交通安全協会から原告宛に郵送された大型封筒は、カウンターの上に配達されていたことを原告が確認したにもかかわらず、その後原告のもとに配布されなかった。同年八月二五日ころ、被告の求人広告が掲載された同日付けの新聞は、原告宛に速達で郵送されるはずなのに、原告の手許に届かなかった。平成一〇年六月一五日ころ、自動車安全センター神奈川支所から原告宛に郵送された二通の郵便物は、いずれも原告の元に届かなかった。そのため、原告は、節約できたはずの手数料を出損せざるを得なくなった。(証拠略)

カ 原告が本社勤務となった以降、同じ総務部に属する寿子と原告との間は、事務的に処理すべきこと以外は関わり合いをもたず、傍目から見て仲が悪いと感じるような関係にあった。(証拠略)

イの認定に反し、原告は、(書証略)の回覧表を作成したのは、寿子であったと主張し、原告本人の供述はこれに沿う。しかし、<1>原告は、寿子が原告に対して悪心を抱いているとの認識を前提として、寿子が作成したに違いないと決めつけるだけで、寿子が作成したことを直接裏付ける証拠を提出しないこと、<2>(人証略)によれば、同回覧表を作成したワープロは他の従業員と共用になっていたと認められること、<3>(証拠略)によれば、(書証略)の回覧表が付けられた回覧文書には寿子の印があり、寿子が回覧を担当した文書であると認められること、<4>これに対し、(書証略)の文書については、寿子が被回覧者として押印しており、その発信者が寿子でないことは明らかであることを総合すると、寿子は(書証略)を作成したが、(書証略)の作成者は知らないとの(人証略)は合理的であるから、寿子が(書証略)の回覧表を作成したと認めるには足りない。また、(書証略)の回覧表についても、(書証略)の回覧表の書式と同一であることから、寿子がこれらを作成したとも認め難い。よって、原告の上記供述は採用できず、原告の上記主張には理由がない。

エの認定に反し、原告は、(書証略)による有給休暇付与は、長年被告において実施され、定着していたと主張し、原告の供述、(書証略)(原告が平成七年四月ころ作成した文書)はこれに沿う。しかし、被告内の組合との団交の対象となっていないこと(労働基準法三九条に反する内容であり、労働組合の了承ないままの実施は現実的に不可能である)、常務取締役である博彦も同書面の存在すら知らなかったこと、原告の年次有給休暇台帳(書証略)によれば、(書証略)による運用がされていないことが明らかであること(この点、原告は、書証略が誤記載であると供述するが、(書証略)は、被告における有給付与の運用を示すものであるから、上記供述は原告の誤った認識に基づく意見であり、採用できない)、(書証略)による運用は、就業規則、労働協約上の定めとなっていないこと、原告の作成したメモ(書証略)は、原告の意見を記載したものであって、何ら被告の運用を裏付けるものではないことからすれば、総務部職員の原告が平井との間で、有給休暇の付与条件につき検討し、(書証略)のような案が出されたことがあることは窺えるが、それは被告従業員に対して何らかの効力を有する規定として運用されるには至っていなかったというべきであって、(書証略)が有効であることを前提とする原告の供述は採用できず、原告の上記主張は理由がない。

(2)  前記争いのない事実等及びこれまで認定、判断した事実をもとに、原告が指摘する被告による各種の嫌がらせ行為の有無、不法行為該当性を検討する。

ア 従業員一覧表(書証略)は、被告の株主である三井倉庫株式会社に対し、従業員数等を報告する際の一資料であり、従業員の所属等を把握させるための文書ではない。すると、原告が、同社の元従業員であったなど同社との間に特別な関係を有し、管理職でない立場にいると認識された場合には差し支えが生じるなどといった事情があれば格別、前職までに同社と全く関係を有せず、被告入社後も特に三井倉庫関係の仕事を担当する立場になかった原告にとっては、上記目的で作成された従業員一覧表のどこに自己の氏名が記載されたとしても、その書面の性質上、原告の人格権を侵害するおそれはないと解すべきである。

イ また、組織図(書証略)は、被告の経営組織を図示してあって、指令系統を明確にするために作成されたものであり、寿子及び原告が平井の指揮監督下にあることが示されているところ、総務部内でみれば、総務部長平井が原告に対して指揮監督する立場にあったことは明らかである。そして、寿子と原告の関係は、原告が管理職扱いで寿子が一般職員というものであるが、原告は寿子の人事査定を行う立場にはなく、直接的な指揮監督関係はないことも窺われる。そうだとすれば、ことさら寿子が原告に対して指示命令する立場にあるかのように記載されているならば格別、同列に記載されている限り、指令系統を明確にするとの観点からは、上下の順は特に問題とならない。さらに、組織図(書証略)については、横軸は役職毎に欄を設けているところ、原告が当てはまるラインとしての役職はないから課員欄にまとめて記載されているに過ぎない。課員欄には、営業部では営業部付で管理職扱いであった今井が一番下に配置されており、総務部には、前総務部長で、当時顧問となっていた平井が課員として原告より下の位置に配置されている。しかし、前認定のとおり、原告は、平井が顧問となってからも実務上の指導を受けていたことが認められる。これらの事実に照らせば、被告は、組織図を作成するに当たり、区分上同位置に配する際は掲載漏れのない、正確な組織図を作成するため、ラインに重点を置いて作成し、スタッフ的な職員を課員欄にまとめて記載したことが窺える。すると、(書証略)の組織図は、同目的に適った図であり、同組織図上の記載をもって、被告が原告に対する嫌がらせの意図からわざわざ配置順を逆転させ、非管理職扱いしたと認めることはできない。かえって、管理職のみを示した管理職一覧表(書証略)には、原告在職中の長期間にわたり、被告が原告を管理職として位置づけていたことが明らかである。

ウ よって、前認定の従業員一覧表及び各組織図における原告の氏名掲載方法が、管理職扱いとして処遇されている原告の評価を低下させるものと言うことはできず、原告の人格権侵害の違法は認められない。

(3)  次に、前検討のとおり、(書証略)の回覧表は、寿子が作成したものとは認められず、他の従業員である篠崎あるいは鈴木が作成したものと推認されるところ、本件全証拠によっても、同人らが、原告と仲違いし、あるいは対立関係にあったことは認められないから、同人らが原告への嫌がらせを目的として、原告と寿子の升目をことさらに逆転させ、寿子を上に配置した回覧表を作成するとは考え難い。すると、篠崎、鈴木らは、寿子と原告の位置関係を逆転させた書式を作成した後、従業員の変動がある度に、それまでの書式を一部変更して新たな書式を作っていたところ、その際、特に序列を気にすることなく、安易に新採用、異動者を原告より上の升目に記載したと推認できる。

他方、原告は、上記のような入社順、職制順にそぐわない形態の回覧表が自己に廻ってきた時に、回覧に供した従業員に対し、回覧表の訂正を求めたり、上司に相談して解決策を探ることができたにもかかわらず、原告は、在職中一度も回覧表への不満を披瀝したことはないのである。このように、原告は、在職中に原告の立場で取りうる手段を何ら取らずに、回覧表の記載を逐一複写して証拠化し、退職後、回覧表の記載により実は傷ついていたとの訴えを起こすことは何とも不自然である。そうした事情に照らせば、被告内で回覧に供される回覧表の一部に、原告と寿子との、あるいは原告と新入社員との位置関係が職制順と異なるものがあったとしても、同回覧表の回覧行為が原告の人格権を侵害する違法な行為であったとは到底認められない。

(4)  原告の社内における座席配置は、総務兼経理部長博彦から最も遠い席であったが、平井の隣であり、博彦と原告とは若干仕事上の打合せをもつことがある程度であるのに対し、原告と平井とは仕事上の接点が多く、平井が原告を指導する立場にあったことを考えれば、業務遂行上合理的な座席配置であった。そして、菱沼が総務部に配属してからは、主に博彦が菱沼を指導する立場にあったから、菱沼に対して空席であった博彦の左手前の席を割り当てることも合理的である。原告は、入社当時本牧営業所で所長、所長代理と並んで机を配置されたことがあったことを根拠に本社でも菱沼が座った席に座るべきであったと供述するが、本牧営業所時代も所長代理である根本が原告を直接指導する立場にあったことを考えれば、座席配置決定の基準として業務遂行の効率性を考慮することは極めて合理的と解されるのであって、原告に対し特別な理由がないのにひとり離れ小島で執務させ、あるいは殊更机を執務環境の悪い場所に移動したなど差別的な待遇をした場合であれば格別、上記の座席配置は、原告の業務遂行を円滑にするものであり、何ら違法の問題を生じない。

(5)  原告は、(1)エ(ウ)認定のとおり、被告入社後六か月経過前の平成六年一〇月一日に一〇日間、その一年後に一一日間の年休を付与されたものの、平成七年一〇月一日以降平成八年九月三〇日までは八割以上の出勤率を維持できなかったため、同年一〇月一日に新たな年休を付与されることはなく、平成九年二月二八日までに繰越日数四日間を全て消化したから、同年四月一一日時点では有給休暇の残存日数はなかったところ、これらの有給休暇の付与は労働基準法三九条及び被告における従来からの運用に則るものである。(書証略)による有給休暇付与は、いまだ被告における効力を有する取扱いとはなっておらず、これに基づく、有給休暇日数の算定は誤りとなる。

すると、被告が同日の原告の欠勤につき、当初病気欠勤として扱い、欠勤控除したとしても、適正な給与計算であったというべきである。

よって、この点に関する不法行為の主張は、前提を欠く。

(6)  第二の2(4)に摘示のとおり、被告は、原告に対し、少なくとも三回にわたり賃金を過少支給したところ、(1)エ(イ)に認定のとおり、これらはいずれも基本的な事項についての過誤の結果である。しかしながら、上記のとおり、過誤の原因が明確であり、殊に平成六年度年末調整及び平成八年四月分賃金については、ややもするとミスが生じ勝ちな事項であり、それ自体理解できないわけではない。しかも、被告においては、博彦が約七〇名の従業員の給与計算を一手に引き受け、その他に請求書の発行、下請業者への支払明細発行業務を担当していたから、そうした業務体制を採っていたことについての是否はともかく、その体制を前提とすれば、月末と月始には業務が集中し、過少支給の発覚後即座に対応できる体制になかったとしても、やむを得ないというべきである。そして、博彦は、前記三事例について原告の指摘を受けると直ちに過誤を認め、いずれも即日対応はできなかったものの、翌日あるいは翌月中には不足額を支給しているのである。

雇用契約上雇い主が過失により各種控除金額を間違えて、賃金等を過少支給してしまうことは、社会通念上あり得なくはないこと、金銭債務の不履行に基づく損害の賠償は、遅延損害金(民法四一九条一項)の限度に止まることからすれば、賃金不払により債権者が何らかの精神的損害を被ったとして、その損害賠償が認容されるには、不払の故意に止まらず、さらに債権者に対する害意等の特別事情が必要と解すべきである。しかしながら、前認定の賃金過誤の原因及びその後の博彦の対応といった経緯に照らせば、博彦が、原告に対する嫌がらせなどの目的から、害意をもって違算して賃金の過少支給をしたとは認めることができないから、上記の特別事情は認められないというべきである。

よって、前記の数回の賃金過少支給をもって原告に対する不法行為が成立するということはできない。

(7)  (1)オに摘示のとおり、被告社内で原告宛の郵便物が数回紛失しているが、そのような場合、まず、通常、会社に届いたかどうかを確認し、その確認が取れれば、社内での誤配、紛失を疑い、郵便物の発見に務めるべきである。しかるに、原告は、上記のうち一度も上司、同僚に紛失の事実を申し出たり、協力を求めて郵便物の発見に務めることもないまま、郵便担当者である寿子が破棄、隠匿したと決めつけているのであり、論理の飛躍も甚だしい。特に、届かなかった郵便物が原告宛の私信ではなく、職務上の文書である以上、郵便物の隠匿、破棄が業務の遅滞を招くことは明らかであること、寿子は郵便担当者であるから、郵便物を破棄、隠匿などすれば、原告から真っ先に疑われるという大きな危険を冒すことになることなどに鑑みると、寿子が破棄等を行ったとは直ちに考え難い。また、実際、中退金に対する請求文書は、原告以外の者の手によって正しく編綴処理されていたのであり、破棄、隠匿がなかったことが明らかである。そうだとすれば、寿子が破棄、隠匿したことを裏付ける証拠も一切なく、傍目から見て寿子と原告との仲が悪かったことを考慮しても、本件証拠上、寿子の破棄、隠匿行為を推認するに足りない。

なお、(証拠略)によれば、被告においては平成七年度管理職を含む従業員の賃金ベースアップが実施されたが、原告については適用されなかったことが認められる。しかし、2(2)に説示のとおり、原告は、被告との間で、他の従業員の給与水準とは異なり、年収五五〇万円との個別契約を締結し、かつ、昇給の条件が合意されていたとしても、その条件を満たさなかったのであるから、原告に対してベースアップが行われなかったこと自体が原告に対する嫌がらせ行為あるいはその一環として行われたと認めることはできない。

(8)  以上、被告従業員または被告が原告に対する違法な嫌がらせ行為を行ったと認めることはできず、原告の被告に対する不法行為に基づく慰謝料等の請求には理由がない。

3  争点3(原告の退職日はいつか。そして、被告の原告に対する平成一一年夏期賞与支給の際に不足額があったか)について

(1)  後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

ア 被告の就業規則には、次のような規定がある。(書証略)

一四条 従業員の定年は満六〇才とし、定年に達した翌日をもって自然退職とする。(以下省略)

一六条 従業員が次の各号の一に該当する場合は従業員としての身分を失う。

3. 定年に達したとき。(その余は省略)

イ 被告は、昭和五二年一二月一九日、全港湾との間で、一時金の支給条件につき、次のような協定を締結した。(書証略、必要部分以外省略)

2  支給対象者

(1)  支給対象期間末日に在籍の者とする。

(2)  支給対象期間内に自己都合により退職する者で勤続二年以上の者、もしくは次の各号のひとつに該当するものについては、支給期間内における就労日数を当該期間における所定労働日数で除した額に協定に基づく支給額を乗じて得た額を支給する。

1. 定年退職者

算定方式 協定支給額×就労日数/所定労働日数=支給額

ウ 被告は、イの協定書に基づく支給条件については、同年以降、非組合員に対して準用してきた。(書証略)

被告においては、土曜日はAB両班の二交替制で休日としていたところ、平成一一年夏期一時金支給対象期間内の所定労働日数は、A班一三〇日、B班一三一日であったが、被告では両班で差が生じた場合には、一律に長い方の日数を基準とする扱いがされていた。原告はA班であった。同期間内における原告の就労日数は、平成一一年三月二五日を退職日とすると九〇日である。(証拠略)

(2) これまで認定した事実に、(1)の事実を総合して検討するに、被告の就業規則一四条と一六条を併せて考えれば、従業員は、満六〇歳の定年に達したときに従業員としての身分を喪失し、定年に達した翌日をもって自然退職となるから、六〇歳の誕生日に定年に達し、同日の経過時に自然退職となると解すべきである。すると、原告の場合、平成一一年三月二五日をもって六〇歳定年に達し、同日経過時をもって退職し、その翌日である同月二六日から被告の従業員としての身分を失う。

よって、原告の退職日は、平成一一年三月二五日である。

そうすると、被告が、同月二六日には原告が被告に在籍していないことを前提として同年四月分の賃金を支給したことは正当であり、不足額はない。

(3)  被告においては、慣行上、非組合員に対しても、全港湾と被告との協定に基づき、定年退職者の賞与算定方式は、賞与支給期間内の就労日数を当該期間における所定労働日数で除した額に協定に基づく支給額を乗じて得た額を支給する方式(積上げ法式)を採っている。原告の場合、平成一〇年一一月二一日から退職日である平成一一年三月二五日までの間の就労日数が九〇日、賞与支給期間内の所定労働日数は一三一日であるから、協定による支給額三九万三〇〇〇円に九〇/一三一を乗じた金額が賞与支給額であり、二七万円となる。

よって、被告の原告に対する平成一一年夏期賞与支給額に不足はない。

(4)  以上、原告の被告に対する退職後に支給されるべき未払賃金、一時金請求は、いずれも理由がない。

第五結論

以上によれば、本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 南敏文 裁判官 矢澤敬幸 裁判官 藤澤裕介)

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