横浜地方裁判所 平成11年(ワ)3183号 判決 2001年4月26日
原告
甲野太郎
原告兼原告甲野太郎法定代理人親権者父
甲野次郎
原告兼原告甲野太郎法定代理人親権者母
甲野花子
原告ら訴訟代理人弁護士
髙岡香
同
谷村朋子
被告
乙野春子
同訴訟代理人弁護士
赤松俊武
主文
1 被告は、原告甲野太郎に対し、金一億一二七八万四八二三円及びこれに対する平成一〇年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告甲野次郎及び原告甲野花子に対し、各金二二〇万円及びこれに対する平成一〇年七月九日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
3 原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
5 この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告は、原告甲野太郎に対し、金一億二三一九万二四九六円及びこれに対する平成一〇年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告甲野次郎及び原告甲野花子に対し、各金二八六万円及びこれらに対する平成一〇年七月九日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)が、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)を新生児仮死の状態で出産し、原告太郎が重大な後遺障害を残すに至ったのは、助産婦である被告が妊娠中の原告花子に対し外回転術を施行し、これにより原告花子が常位胎盤早期剥離を発症したからであると主張して、原告らが、被告に対し、不法行為による損害賠償を求めた事案である。
1 争いのない事実等(証拠を掲げた箇所以外は当事者間に争いがない。)
(1) 原告太郎(平成一〇年七月九日生)は、原告甲野次郎(以下「原告次郎」という。)と原告花子(昭和三八年五月二日生)との間の長男である。
被告は、横浜市鶴見区鶴見中央<番地略>において「乙野助産院」を開設している助産婦である。
(2) 原告花子は、平成一〇年一月六日、横浜市港北区綱島西<番地略>所在の訴外石田産婦人科病院(以下「石田病院」という。)において、診察を受け、その結果、妊娠していることが判明し、出産予定日を同年八月一七日と告げられた。
原告花子は、同年六月一〇日(妊娠週数三〇週二日)、石田病院において、定期検診を受けたところ、胎児(原告太郎)が骨盤位(逆子)であることを知らされた。
さらに、原告花子は、同月二四日、石田病院において、定期検診を受けたが、依然として胎児が骨盤位であることを告げられ、同病院の医師から、このままの状態であれば、帝王切開術を行わなければならない旨の説明を受けた。
(3) 原告花子は、できれば帝王切開ではなく、経膣分娩で出産することを希望し、胎児を正常の位置に矯正したいと考え、助産婦会神奈川県支部を通じて、乙野助産院を紹介され、同年七月一日、同助産院を訪れた。
被告は、原告花子が胎児の体位の変換を求めて来院したものと考え、原告花子に対し、同日、胎児を正常位(頭位)にするための外回転術を試みたが、同原告が疼痛を訴えたため、これを中止した。
原告花子は、同月三日、再び乙野助産院を訪れ、被告から、外回転術を受け、それによって、胎児が頭位に変換された。
(4) 原告花子は、同月七日、帝王切開になる場合に備えて、横浜市神奈川区富塚町所在の訴外社会福祉法人恩賜財団済生会神奈川県病院(以下「済生会病院」という。)を訪れて診察を受けたところ、胎児が再び骨盤位に戻っていることが確認された。
そこで、原告花子は、被告に対し、同日、胎児が骨盤位に戻っていることを報告し、被告の勧めにより、翌八日(妊娠週数三四週二日)、被告から、三度目の外回転術(以下これを「本件外回転術」という。)を受け、これによって胎児は頭位に変換された。
(5) しかし、原告花子は、帰宅後、性器出血が発現し、その後、腹部痛が加わったので、翌九日朝、済生会病院において、診察を受けた。その結果、原告花子は、常位胎盤早期剥離と診断された(甲第3、第14号証)。
原告花子は、直ちに入院措置となり、腹式帝王切開術により、同日午前一一時二五分、原告太郎を娩出した。しかし、原告太郎は、新生児仮死の状態にあった(甲第2ないし第4、第14号証)。
原告太郎は、済生会病院の医師により蘇生措置を施されたものの、自発呼吸をすることができず、同日午後一時四〇分、訴外聖マリアンナ医科大学東横病院(以下「東横病院」という。)へ搬送され、同病院の新生児集中治療施設において治療を受けたが、結局、脳性痳痺の後遺障害が残った(甲第2ないし第5号証)。
2 争点
(1) 被告の過失の有無
ア 外回転術の性器出血の発現に際し適切な指示をしなかった過失
イ 外回転術の前後に必要な検査を行わず、母体が痛みを感ずるような方法で外回転術を行った過失
ウ 外回転術の施行前にその危険性を説明しなかった過失
(2) 常位胎盤早期剥離の発症原因、原告太郎の後遺障害との因果関係
(3) 損害額
3 原告らの主張
(1)ア 被告は、妊娠に対し、外回転術を施行した場合に胎盤早期剥離が生ずる危険性があることを認識した上でその発症を予見し、原告花子に対し、外回転術の施行に際し、性器出血又は腹痛などの緊急事態が生じた場合は、胎盤早期剥離の危険があるから、直ちに、これに対する処置が可能な病院で診察を受けるよう適切な指示をすべき注意義務を負っていた。
ところが、被告は、原告花子に対し、外回転術の施行に際し、上記指示を全くせず、そればかりか、原告花子から、本件外回転術の約三時間後に電話で性器出血があった旨の報告を受けその指示を求められたにもかかわらず、腹帯を緩めるよう指示しただけであった。
そのため、原告花子は、被告の外回転術により早期胎盤剥離を生じていたのに、済生会病院において、緊急に、適切な処置を受けることができず、その結果、原告太郎を新生児仮死の状態で分娩し、原告太郎は、新生児仮死に伴う低酸素性虚血性脳症及び仮死に引き続き生じた頭蓋内出血とその合併症である急性閉塞性水頭症を発症するに至った。
イ 被告は、原告花子に対し、外回転術を施すに際し、術前に、内診をして子宮口の開大度、児頭の下降度を診察した上、胎児心拍数を検査し、超音波検査により羊水量が十分にあることを確認すべきであり、また、術中には、母体が痛みを訴えたときには手技を中断し、さらに、術後、三〇分間は分娩監視装置で胎児心拍数や子宮収縮を観察すべき注意義務を負っていた。
ところが、被告は、本件外回転術に際し、術前術後に上記各検査及び観察を行わず、また、術中に原告花子が痛みを感ずるような方法で外回転術を施行した。
その結果、原告花子は、胎盤早期剥離を発症し、上記のような仮死状態で原告太郎を分娩した。
ウ 被告は、原告花子に対し、本件外回転術の施行に先立って、施術に伴う危険性を説明し、施術後も再び胎児が骨盤位に戻る可能性のあることを十分に説明すべき注意義務を負っていた。
ところが、被告は、原告花子に対し、上記説明を何らしなかった。そのため、原告花子は、外回転術の危険性を術前に認識することができず、施術を受けた結果、胎盤早期剥離及び異常分娩に至ったものである。
(2) 原告花子の常位胎盤早期剥離の発症原因は、被告が平成一〇年七月八日に施行した本件外回転術の施行にあり、これによって、原告太郎は、仮死状態で出生したものであるから、被告の上記過失と原告太郎の後遺障害との間には相当因果関係がある。
(3) 原告らは、被告の上記各過失により、次のとおりの損害を被った。
ア 原告太郎
一億二三一九万二四九六円
(ア)逸失利益 四三四一万五六六四円、(イ)介護費用 四二七七万六八三二円、(ウ)慰謝料 二六〇〇万円、(エ)弁護士費用 一一〇〇万円
イ 原告次郎及び同花子
各二八六万円
(ア)慰謝料 各二六〇万円、(イ)弁護士費用 各二六万円
4 被告の主張
(1)ア 被告は、原告花子に対し、何か異常があればすぐに被告に連絡するか済生会病院を受診するよう指示している。
イ 一般に、外回転術を行うに際し、胎児心拍数や児頭の下降度はドップラー検査機器や触診で判断するものであり、内診で子宮口の開大度を診察したり羊水の量を確認することはない。また、外回転術の後は安静にして胎児心拍数等を確認するのが通常である。
被告は、約五〇年の助産婦経験があり、長年にわたり多数の外回転術の施行を経験しており、外回転術中に妊婦が強い疼痛を訴えた場合には、無理をせず、施術を中止することとしており、実際、原告花子は、本件外回転術に際し、強い疼痛を訴えていなかった。
ウ 原告花子は、帝王切開術によらず、経膣分娩による出産を強く望んでいたものであるから、仮に、被告から外回転術の危険性を説明されたとしても、これを取り止めることはなかったはずである。
(2) 常位胎盤早期剥離は、種々の原因で発症するものであるところ、原告花子の性器出血は、分娩開始の際のいわゆる「おしるし」であり、また、腹部痛も陣痛であった可能性があるから、原告花子の常位胎盤早期剥離の発症原因が、被告の施行した外回転術であると断定することはできない。
また、一般に胎盤早期剥離が発現したとしても、それに対する処置が適時に実施されていれば、胎児に不可逆的な障害が生ずることはないところ、原告花子が、被告の前記(1)アの指示に従い、適時に被告に連絡を入れ又は済生会病院の診察を受けていれば、胎盤早期剥離を早い段階で診断でき、これに対する処置が適時に実施され、原告太郎が低酸素脳症に陥り後遺障害を残すようなことはなかった。
(3) 損害額については争う。
第3 争点に対する当裁判所の判断
1 証拠(甲第2ないし第7号証、第12、第14号証、乙第1、第4号証、原告花子、被告各本人尋問)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。
(1) 原告花子は、平成一〇年七月一日、乙野助産院を訪れ、被告に対し、骨盤位であっても経膣分娩が可能であるかどうかを尋ねた。これに対し、被告は、可能である旨答えた。また、原告花子は、被告に対し、乙野助産院で分娩を介助してもらえるかどうかを尋ね、被告は、普通分娩であれば介助する旨の答えをした。
さらに、原告花子は、被告に対し、出産中に異常事態が発生した場合、どこの病院へ搬送されることになるのかを尋ねた。これに対し、被告は、川崎市立病院へ搬送することになる旨の回答をしたが、原告花子が済生会病院への搬送を希望したことから、そうであれば同病院であらかじめカルテを作っておいた方がよい旨の説明をした。
被告は、帝王切開術による分娩を拒否し経膣分娩を行うため外回転術による胎児の体位の変換を目的として助産院を訪れる妊婦が増加していたこと、原告花子が強く経膣分娩を希望していたことから、原告花子が、外回転術による胎児の体位の変換を目的として乙野助産院を訪れたものと判断し、同原告に対し、外回転術を施行することとした。しかし、被告は、原告花子に対し、施術に先立ち、常位胎盤剥離等の危険があることを説明することをしなかった。
被告は、原告花子に対し、診察台の上に仰向けになるように指示し、触診及び聴診によって、胎児が骨盤位であること、胎児心音が正常であることを確認した上、胎児の体位を変換するための外回転術を始めた。しかし、被告は、児頭の部位に手を置く度に原告花子が疼痛を訴えたため、外回転術を継続することは困難と判断し、同術の施行を中止した。そして、被告は、原告花子に対し、胎児の体位の変換を希望するのであれば、同月三日に再び来院するよう述べた。
その後、原告花子は、被告の許可を得て、助産院内を見学した。
(2) 原告花子は、同月三日、胎児の体位の変換を希望し、再び乙野助産院を訪れた。
被告は、研修に来ていた看護学校の学生三名に外回転術の説明をしたり処置を手伝わせたりしながら、原告花子に対し、外回転術を施行した。しかし、被告は、原告花子に対し、同施行に先立ち、同術に常位胎盤剥離等の危険があることを説明することはしなかった。
被告は、児頭の部位に手を置く度に原告花子が疼痛を訴えたが、疼痛の程度は特に強いものではなく、外回転術に伴う痛みとしては普通のものと判断し、呼吸法を教示した上で、手技を継続し、胎児の体位の変換に成功した。
その後、被告は、超音波検査で胎児が頭位に変換されたことを確認し、胎児心音を聴取して異常がないことを確認した上、原告花子を診察用ベッドに寝かせ安静を保持した。そして、被告は、原告花子に対し、分娩中に危険な状態になった場合に備えて、来週中に済生会病院で診察を受け、カルテを作っておくように指示した。
(3) 原告花子は、胎児が再び骨盤位に戻ってしまった感じがしたため、同月七日、済生会病院を訪れ、診察を受けた。その結果、胎児が骨盤位に戻っていることが確認された。そこで、原告花子は、被告に対し、同日、胎児が骨盤位に戻っていることを報告し、再び体位の変換が可能であるかを尋ねた。これに対し、被告は、再度外回転術を試みることを勧め、原告花子もこれに同意した。
(4) 原告花子は、同月八日、胎児の体位の変換を希望して、再度乙野助産院を訪れた。被告は、原告花子に対し、同日午後一時一〇分ころ、外回転術を施行した。その結果、前回と比較して短時間で胎児の体位の変換に成功した。なお、原告花子は、施術中、腹部に疼痛を感じたが、そのことを被告に訴えはしなかった。
被告は、原告花子を診察用ベッドに寝かせて安静を保持した後、胎児が再び骨盤位に戻るのを防ぐため、胎児の位置を固定すべく、同原告の腹部に腹帯を巻いた。なお、原告花子は、腹部に施術後から継続して違和感を感じていたが、これを被告に告げなかった。
原告花子は、同日午後四時ころ、自宅において、性器から出血していることに気が付き、直ちに、被告に対し、生理のときのような性器出血があったことを電話で説明し、その指示を仰いだ。これを受けて、被告は、胎児の体位を保つため腹帯を着用させていたので、原告花子に対し、腹帯を緩めれば出血は止まるかもしれない旨説明し、何かあったら連絡するよう指示した。
原告花子が被告の指示にしたがって腹帯を緩めると、そのころ、性器出血は、殆ど止まった。しかし、原告花子は、同日夜二、三分おきの周期的な腹痛が発現したため、被告に対し、翌九日午前七時三〇分ころ、再び電話をかけ、腹痛が発現したことを説明した。
すると、被告は、原告花子に対し、早産の可能性があることを告げ、原告花子から、助産院と病院のどちらへ行った方がよいかと尋ねられたのに対し、「あなたの行きたい方へ」と答え、早めに受診するようにと付け加えた。
(5) そこで、原告花子は、済生会病院へ電話をしたところ、朝一番に来るようにと指示され、同日午前九時前に同病院へ赴き、午前九時一〇分ころ、医師の診察を受けた。
その結果、胎児は臀位であり、子宮口は閉じていること、胎盤は子宮底前壁に位置していること、分泌物は血液性であって凝血が混じり、その量は中等度であること、胎児に一過性徐脈が発現していること等が判明し、済生会病院の医師は、常位胎盤早期剥離と診断した。
原告花子は、直ちに入院措置となり、同日午前一一時二五分、腹式帝王切開術により、原告太郎を娩出した。しかし、原告太郎は、新生児仮死の状態にあった。また、娩出された胎盤は、凝血で覆われ、裂傷が確認された。原告太郎は、直ちに気管内挿管などの蘇生措置を受けたが、自発呼吸がなく、同日午後一時四〇分、済生会病院から東横病院の新生児集中治療施設へ搬送され、同病院で治療を受けた。
しかし、原告太郎は、新生児仮死に伴う低酸素性虚血性脳症及び同仮死に引き続いて生じたと考えられる頭蓋内出血とその合併症である急性閉塞性水頭症を発症し、これらを原因として、脳性痳痺を発症した。なお、水頭症については、現在、脳室腹腔シャントを留置している。
(6) 原告太郎は、低酸素性虚血性脳症による脳障害の後遺症が残り、今後も、種々の神経学的症状が出現することが予想されるが、改善の見込みはなく、生涯にわたり常に介護が必要な状態にある。また、原告太郎は、同年一〇月八日、一旦、東横病院を退院したが、その後、リハビリテーション及び急性閉塞性水頭症の治療のため、入退院を繰り返し、今後も、重度の重複障害があるため、入退院を繰り返すことが予想される。
2 証拠(甲第8、第9号証、第10、第11号証の各1、2、第13、第17、第20号証、乙第2号証)及び弁論の全趣旨によれば、骨盤位分娩、外回転術、胎盤早期剥離等に関する医学的知見は、次のとおりであることが認められる。
(1) 骨盤位とは、胎児の縦軸と子宮の縦軸とが平行する縦位のうち、胎児の骨盤が下方にあるものをいう。骨盤位の頻度は妊娠週数の増加に反比例し、妊娠中期の骨盤位の多くは妊娠三四週くらいまでに自然回転する。
骨盤位分娩はリスクが高いとされるが、その最大の理由は、胎児の身体部分で最も径の大きい児頭が、分娩最後の段階で産道を通過し臍帯を圧迫するためである。骨盤位分娩は、臍帯圧迫による胎児仮死に加え、上腕骨、鎖骨骨折や腕神経叢損傷が生じやすいため、周産期死亡率は頭位分娩に比較し五倍程度となる。
(2)ア 外回転術とは、横位から縦位へ、又は骨盤位から頭位への矯正を行うため、外手によって腹壁上から胎児の位置を回転させ、分娩時に好都合な体位に変換する操作である。
イ 外回転術は、その副作用として、早産を誘発することがあり、さらに発生頻度は0.6パーセント程度と少ないものの、臍帯異常による胎児仮死や胎児死亡、常位胎盤早期剥離などが発生して、そのまま緊急帝王切開に移行する危険性があるので、分娩開始前の妊娠三七週以後に妊婦を入院させて実施するのが一般的である。
ウ 外回転術は、その実施にあたって、①外回転術に熟練した医師が行うこと、②リアルタイム超音波断層法を用いて、胎児・胎盤の位置及び胎児心拍数の変動を十分に観察しながら行うこと、③臍帯血流の遮断、胎盤早期剥離等による胎児仮死の発生などの合併症を熟知していることが条件となる。
外回転術を施行する前には、妊婦と家族に外回転術を行う利益と副作用、さらに外回転後再び元の骨盤位に戻ることがあること、分娩経過中にも骨盤位に自然回転する可能性があることなどを十分に説明して同意を得るものとされている。
エ 外回転術は強引には行わず、したがって、少なくとも初回には麻酔も鎮痛剤投与も行わない。外回転術によって母体が痛みを訴えたり、胎児心拍数に持続する一過性徐脈が発生すれば、一時手技を中断する。臍帯圧迫や児頭圧迫による短時間の一過性除脈は、手技を中断すれば回復することが多い。胎児が回転しない場合には五分間以上手技を継続しても意義はないので、一〜二分間休止して手技を続けるか、あるいは中止するかの判断を行う。
オ 外回転術終了後の妊婦には、腹痛、性器出血、破水、規則正しい子宮収縮、胎動の減少などの症状があれば、直ちに病院に連絡するよう指示して、以後は外来で妊婦検診を行う。
(3)ア 常位胎盤早期剥離とは、胎児の娩出に先立って、正常位置に着床発育した胎盤が一部又は全部にわたって子宮壁より剥離するものであり、性器出血を主徴とする。常位胎盤早期剥離が起きると、子宮を流れる母体血液中の酸素が胎盤を経て胎児に供給されるルートが阻害され、時間の経過により、胎児は低酸素性虚血性脳障害を起こし、出産時に重症新生児仮死を来すことがある。
イ 常位胎盤早期剥離に対する対応・処置が遅れると、ときに母体側の播種性血管内凝固症候群(DIC)、ショック、急性腎不全、多臓器不全、母体死亡の原因となり、また、胎児側の周産期死亡の原因になるなど、予後を極めて悪くする。そのため、常位胎盤早期剥離は、早期診断、早期治療が特に必要とされる疾患である。
ウ 常位胎盤早期剥離の症状は、下腹痛又は性器出血で始まることが多い。早期剥離の下腹痛は軽度の局所的圧痛や間欠期のない持続性の腹部緊満で始まり、時間経過とともに重症化していくことが通常である。また、早期剥離の性器出血は、暗赤色、非凝固性であり、初期は少量のこともあるが、母体の重篤さに比し、外出血が少ないのが特徴とされる。なお、外出血が見られても、その後、出血が凝血となり、体外に流失しない場合もある。
常位胎盤早期剥離の進行が進めば胎児仮死をきたし、胎児心拍パターンでは遅発一過性徐脈を主とする形で表われることが多い。
エ 常位胎盤早期剥離に対しては、原則として、急速遂娩術が施行される。経膣分娩の適応となるのは、子宮口全開大で、早期剥離の程度が軽症又は中等症までの限られた場合であり、多くは帝王切開が適応となる。分娩までに二ないし三時間以上かかることが予想されれば、通常は、帝王切開を選択する。
一般に、常位胎盤早期剥離が発現したとしても、それに対する処置が適時に実施されていれば、胎児に不可逆的な障害が生ずることはない。
(4) 分娩開始の際のいわゆる「おしるし」は、分娩が開始し、子宮口の開口期初期に陣痛が規則正しく反復し、胎児の下向部が骨盤腔に陥入して、多くの場合血液の混じった粘液を出す産徴すなわち血性分泌であり、これは、子宮頸管の開大に従って卵膜の下極が子宮壁から剥離し、脱落膜血管が破れることによる出血と、その時期まで子宮頸管に閉じられていた粘液が共に排出されることによるものである。妊娠末期における分娩開始前の異常出血は、上記「おしるし」ではなく、常位胎盤早期剥離、前置胎盤に基づくことが多く、中等症程度の常位胎盤早期剥離は、中等量の出血、腹部の緊張、児心音の乱れ等の症状を示すが、児心音が正常であることもあり、妊娠末期における異常出血は、看過できない異常事態であって早期に適切かつ迅速な措置を講ずる必要がある。
(5) 新生児仮死とは、原因の如何を問わず出生時において呼吸循環障害をきたす症候群である。新生児仮死は、出生直後の様々な急性期合併症を誘発するのみならず、低酸素や虚血による中枢神経系の重篤な後遣症を引き起こすため臨床的には重要である。
新生児仮死に対する基本的対策としては、出生後速やかに低酸素、循環不全から児を離脱させ、その後に生ずる合併症を予防、治療することである。新生児仮死の治療は、分娩直後の蘇生と蘇生後の合併症に対する治療の二つに分けられる。
3 争点(1)ア(適切な指示をしなかった過失)について
(1) 原告らは、被告が、平成一〇年七月八日午後四時ころ、原告花子から、性器出血があった旨の報告を受けたにもかかわらず、緊急に、胎盤早期剥離に対する処置が可能な病院において、診療を受けるよう指示しなかった過失があった旨主張する。
(2) 前記認定の医学的知見等によれば、胎児の体位の変換を目的とする妊婦に対する外回転術は、胎盤早期剥離等の危険を伴う処置であるところ、胎盤早期剥離は、母体及び胎児の死亡の原因となり、早期診断、早期治療が特に必要とされる疾患であるから、外回転術の施術者は、外回転術の終了後、妊婦に性器出血、腹痛等の症状が生じた場合は、早期胎盤剥離などが発生して緊急帝王切開に移行する可能性があることを予見し、妊婦に対し、直ちに、胎盤早期剥離に対する処置が可能な病院で診療を受けるよう指示すべき注意義務を負っているものと解するのが相当である。
したがって、被告は、原告花子に対し、外回転術の終了後、もし性器出血、腹痛等の症状が生じた場合は、緊急に、胎盤早期剥離に対処し得る病院で診療を受けるよう指示すべきであり、また、原告花子から、外回転術の終了後に性器出血があった旨の報告を受けた場合には、直ちに、同様の指示をすべき注意義務があった。
ところが、前記認定事実によれば、被告は、外回転術の施行によって胎盤剥離が生ずる危険性があるとの医学的知見を十分に理解していなかったため、その危険を予見することができず、原告花子に対し、本件外回転術の終了後に上記のような指示を行わなかった上、原告花子から、施術の約三時間後に、生理様の性器出血があった旨の報告を受け、その指示を求められたにもかかわらず、同原告に対し、腹帯を緩めれば出血は止まるかもしれないなどと説明し、何かあったら連絡するよう指示しただけで、緊急に病院の診療を受けるようにとの上記指示を行わなかったことがそれぞれ認められる。したがって、被告には、上記の適切な指示をすべき注意義務を怠った過失がある。
4 争点(2)(常位胎盤早期剥離の発症原因、因果関係)について
(1) 原告らは、原告花子の常位胎盤早期剥離は、本件外回転術の施行によって発症したものであり、これによって原告太郎が仮死状態で娩出されたものであって、上記の被告の過失と原告太郎の後遺障害との間には相当因果関係がある旨主張し、被告は、これを否定する。
(2) 前記医学的知見によれば、外回転術には、胎盤早期剥離を生ずる危険性があること、胎盤早期剥離は、下腹痛又は性器出血で始まることが多く、下腹痛は、軽度の局所的圧痛や間欠期のない持続性の腹部緊満で始まるのが通常であることが認められるところ、前記認定事実によれば、原告花子は、平成一〇年七月八日の本件外回転術施行直後から腹部に継続して違和感を感じているが、これは上記間欠期のない持続性の腹部緊満であったと考えられる。さらに、前記認定事実によれば、本件外回転術施行の約三時間後に性器出血が発現していたこと、当日夜には腹部痛が発現したこと、翌九日午前九時一〇分ころ、済生会病院において、常位胎盤早期剥離と診断されたことが認められ、これらの認定、判断を総合考慮すれば、原告花子の常位胎盤早期剥離の発症原因は、被告が行った本件外回転術であったと認めることができる。
なお、前記認定事実によれば、原告花子が腹帯を緩めた後、一旦、性器出血は止まっているが、前記医学的知見のとおり、常位胎盤早期剥離においては、外出血が見られても、その後、出血が凝血となり、体外に流失しない場合もあることに照らすと、上記の出血停止の事実は、上記判断を妨げるものではない。
また、前記のとおり、いわゆる「おしるし」は、子宮頸管の開大に従って卵膜の下極が子宮壁から剥離し、脱落膜血管が破れることによる出血と、その時期まで子宮頸管に閉じられていた粘液が共に排出されることによるものであるところ、前記認定事実によれば、原告花子の出血が鮮血であったこと、済生会病院の医師による診察の結果、原告花子の子宮口は九日午前九時一〇分ころの時点で閉じていたことが認められるから、原告花子の性器出血は、いわゆる「おしるし」であったと考えることはできない。また、原告花子の腹痛も周期的なものではあるが、性器出血が、いわゆる「おしるし」でなかったと考えられることに照らすと、八日夜の時点ですでに陣痛が始まっていたと考えることはできない。
(3) そして、前記認定事実及び弁論の全趣旨によれば、原告花子は、性器出血が発現した平成一〇年七月八日午後四時ころの時点において、被告から、病院で診療を受けるよう適切な指示を受けていれば、直ちに、済生会病院又は最寄りの病院の診察を受け、緊急帝王切開術を受けることができたものであり、そうしていれば、原告太郎は、新生児仮死に陥ることがなく、それに伴う低酸素性虚血性脳症及び仮死に引き続き生じた頭蓋内出血とその合併症である急性閉塞性水頭症を発症することもなく、これらを原因として、脳性痳痺の後遺障害を発症することもなかったということができる。
したがって、被告の前記過失と原告太郎の前記後遺障害との間には相当因果関係があるというべきである。
5 争点(3)(損害額)について
(1) 原告太郎の損害
前記認定事実によれば、原告太郎は、低酸素性虚血性脳症等による脳性痳痺の後遺障害が残り、今後、改善の見込みはなく、生涯にわたり常に近親者等による介護が必要な状態にあることが認められ、これは、神経系統の機能に著しい障害を残し、常に介護を要するものとして、後遺障害別等級表第一級三に該当する。
ア 逸失利益
四三〇〇万七九九一円
原告太郎が満一八歳から六七歳まで稼働するとして、平成一〇年男子労働者学歴計平均賃金(年収)五六九万六八〇〇円(賃金センサス平成一〇年第一巻第一表産業計)を基礎とし、労働能力喪失率を一〇〇パーセントとして、ライプニッツ計算方式により年五分の中間利息を控除すると、その逸失利益額は四三〇〇万七九九一円となる。
569万6800円×100パーセント×7.5495(=19.2390(67年の係数)−11.6895(18年の係数))=4300万7991円
イ 介護費用
四二七七万六八三二円
前記のとおり、原告太郎は、生涯にわたり常に近親者等による介護が必要な状態にあるところ、近親者等による介護費用については、一日当たり六〇〇〇円とするのが相当であるから、原告太郎が、〇歳の男子の平均余命七七歳まで生存するとして、上記六〇〇〇円を基礎とし、中間利息を年五分のライプニッツ方式で控除すると、その介護費用は四二七七万六八三二円となる。
6000円×365日×19.5328(77年の係数)=4277万6832円
ウ 慰謝料 二〇〇〇万円
前記のとおり、原告太郎の後遺障害は重大なものであって、その精神的苦痛は極めて大きいこと、原告花子が被告の下で外回転術を受けるに至った経緯、被告の過失の態様等を考慮すると、これに対する慰謝料額は、二〇〇〇万円が相当である。
エ 弁護士費用 七〇〇万円
弁護士費用は、本件事案の難易、審理経過、認容額、その他諸般の事情を斟酌し、七〇〇万円が相当である。
(2) 原告次郎及び同花子の損害
ア 慰謝料 各二〇〇万円
原告次郎及び同花子は、前記重大な後遺障害に苦しむ原告太郎を生涯介護し続けなければならず、いずれも死亡に比肩するような精神的苦痛を受けたことが明らかであり、これに対する慰謝料額は、各二〇〇万円とするのが相当である。
イ 弁護士費用 各二〇万円
弁護士費用は、本件事案の難易、審理経過、認容額、その他諸般の事情を斟酌し、各二〇万円が相当である。
(3) そうすると、被告は、不法行為による損害賠償として、原告太郎に対し損害金合計一億一二七八万四八二三円、原告次郎及び同花子に対しそれぞれ損害金合計二二〇万円並びにこれらに対する不法行為の後であって原告太郎が出生した日である平成一〇年七月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務がある。
6 以上のとおりであり、原告らの本訴各請求は、いずれも前記の限度で理由があるからこれを認容し、その余の各請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・市川賴明、裁判官・志田博文、裁判官・堀田匡)