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横浜地方裁判所 平成12年(わ)1868号 判決 2002年6月03日

主文

被告人を懲役20年に処する。

未決勾留日数中400日をその刑に算入する。

訴訟費用中、別紙記載の分については被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、大和市a○丁目○番○号bビル○号室において、無認可保育施設Bを経営していたものであるが、

第1  平成11年6月6日午前9時ころから同日午後7時ころまでの間に、同施設内において、通園児童であったC(当時1歳)に対し、その右上腕部に対し、後方から前方へ向かう強い外力を加えるなどの暴行を加え、よって、同児に全治までに約50日間を要する右上腕顆上骨折の傷害を負わせ、

第2  同月28日午後5時ころから同月29日午前零時ころまでの間に、同施設内において、通園児童であったD(当時1歳)に対し、その右前腕部に対し、後方から前方へ向かう強い外力を加えるなどの暴行を加え、よって、同児に加療約50日間を要する右前腕両骨骨折の傷害を負わせ、

第3  同年8月23日午後5時ころから同月24日午前零時ころまでの間に、同施設内において、前記Dに対し、その右上腕部に対し、横方向又は上下双方向から強い外力を加えるなどの暴行を加え、よって、同児に加療約50日間を要する右上腕骨骨折の傷害を負わせ、

第4  同月29日午前7時30分ころから同日午後6時30分ころまでの間に、同施設内において、通園児童であったE(当時零歳8か月)に対し、その左大腿部を踏み付けるなどの暴行を加え、よって、同児に全治までに約6か月間を要する左大腿骨骨折の傷害を負わせ、

第5  同年9月11日午前8時25分ころから同日午後6時ころまでの間、同施設内またはその周辺地において、通園児童であったF(当時2歳)に対し、その右腕を捻るなどの暴行を加え、よって、同児に全治までに約5か月間を要する右上腕骨骨折の傷害を負わせ、

第6  同12年2月4日午前9時ころから同日午後4時ころまでの間、同施設内において、通園児童であったG(当時1歳)の頭部を平面様の鈍体に数回打ち付けるなどの暴行を加え、よって、同児に頭部打撲の傷害を負わせ、同日午後6時45分ころ、同市c○丁目○番○号H病院において、同児を上記傷害に基づくびまん性脳損傷により死亡させ、

第7  同月18日午前7時35分ころ、同施設内において、通園児童であったI(当時2歳)に対し、その後頭部を床面に打ち付けるなどの暴行を加え、よって、同児に頭蓋骨骨折を伴う頭部打撲傷等の傷害を負わせ、同日午後7時52分ころ、相模原市d○丁目○番○号J病院において、同児を上記傷害に基づく頭蓋内損傷により死亡させた。

(証拠)

<省略>

(事実認定の補足説明)

1  犯行に至る経緯等

被告人がBを開園するに至る経緯、各事件前後の状況等について、関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

(1)被告人は、平成3年4月、相模原市内の建設会社に就職し、稼働し始めたが、その後、同僚の男性と交際するようになり、同人の子供を妊娠した。しかし、同人には妻子があったため、周囲から子供を出産することに反対されたが、被告人は出産することを決め、同9年5月、長男を出産をした。

その後、被告人は、交際相手であった上記男性との関係が悪化したことなどから、上記建設会社を退社し、実家で長男を育てていたが、長男を保育施設に預けてアルバイトに行った際、その対応に不満を持つとともに、「自分で保育施設を開設すれば、子供と一緒にいながら収入を得ることができる」と考えるようになった。そして、被告人は、独力で保育施設を開設する準備を進め、同11年2月、無認可保育施設Bを開設した。

しかし、Bの経営状況は苦しく、また、保育士が思うように確保できないことなどから、被告人は疲労を募らせていき、次第に園児に対して暴力を振るうようになっていった。

(2)ところで、同年5月ころ、神奈川県児童福祉課は、Bを無認可の保育施設として認知したが、同年7月中旬ころ、Bで園児に対し虐待が行われているらしい旨の報告を受けた。県はこれを受けて虐待の実態等について調査を行うため、同月19日にBに対し立ち入り調査を行った。その結果、Bが無認可保育施設としての基準を満たしていないことが判明したことから、複数の保育士を確保できるような勤務態勢をとることといった事項につき行政指導を行ったが、園児に対する虐待の事実については確認することができなかった。

その後、同年10月中旬ころ、本件被害者の1人であるFの母親は、BにFを預けていた間にFが骨折をしたことにつき児童相談所に相談を行った。これを受けて県は同月26日、2度目の立ち入り調査を行い、Fの件については十分話し合って解決するように指導するとともに、短期間の間に多くの問題が起きていることなどからBを休園するよう指導した。これに対して被告人は翌27日、当面休園するとの連絡を県にしてきたが、同年12月3日にはBの継続の意向を県に伝え、以後も経営を継続した。

(3)被告人は、その後Bの経営を行っていた間も、園児に対する暴行をしばしば行っており、翌12年2月29日には3回目の立ち入り調査が行われたが、状況は改善されず、県は、同年6月9日には、園児が死亡した事実を把握したことから、4回目の立ち入り調査を行い、被告人にBの休園を促したものの、被告人はこれに従わずBの経営を継続し、その後、同月27日、被告人はIに対する傷害致死被疑事件で通常逮捕された。

2  各事件前後の経過等

次に、各事件前後の事実経過として、関係各証拠によれば、それぞれ以下の事実を認めることができる。

(1)判示第1の事実(Cに対する傷害事件)について

被害者であるCは、同11年6月3日から、Bに定期的に預けられることとなり、同月6日も、午前9時ころ、母親によってBに預けられた。その際、Cが手を骨折しているような様子はなかった。

同日午後7時ころ、Cの母親はBにCを迎えに行き、Cを連れて帰ったが、自宅に戻り風呂に入れたところ、Cは大声で泣いた。Cの母親は、その泣き方が異常であったため、Cの体の様子を確認をしたものの傷などはなかったが、同日、Cは、寝かそうとしてもぐずってなかなか寝なかった。

翌7日も、CはBに預けられ、家に帰ってから風呂に入れられたが、前日と同様に大声で泣き、寝るときもぐずって寝ようとしなかった。そこで、母親が再び調べてみると、右肘から上の部分がわずかに腫れており、母親がCの右腕に触るとCは痛みを訴えた。

そこで、母親は翌8日、Cを病院へ連れて行ったところ、脱臼と診断され、すぐに直ると言われたため、その後もCをBに預けていた。しかし、1週間ほどしてもCの右腕はよくならず、日増しに腫れてくる様子であったため、Cの母親は同月14日にCを別の病院に連れて行って診察を受けさせたところ、Cの右腕が骨折していることが判明した。

なお、同月6日午前9時ころから午後7時ころまでの間、Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

(2)判示第2、第3の事実(Dに対する各傷害事件)について

ア 被害者であるDは、同年5月20日ころから、定期的にBに預けられるようになり、同月28日も、午後5時ころ、母親によりBに預けられた。なお、同日Bに預ける前に入浴をさせた際、母親はDの体に異常を認めなかった。

翌29日午前零時ころ、Dの母親がBにDを迎えに行ったところ、Dは眠っており、母親はDを寝かせたまま家に帰った。

同日朝、目を覚ましたDは機嫌が悪く、泣いたりしており、また、いつもと異なって、ほ乳瓶をしっかり持つことができないなど、右手が上手く使えない様子であった。その後もDは右手を使おうとしなかったため、母親はおかしいと思い、Dの手を見てみると、右手首付近に痣のようなものがあって全体的に腫れており、肩や腕のあたりにも、紫色の発疹のようなものがあることに気が付いた。そこで、母親はDを近くの病院へ連れて行って検査を受けさせたところ、医師からK病院を紹介された。

翌30日、母親はDをK病院へ連れて行き受診させたところ、Dの右手首が骨折していたことが判明した。

なお、同月28日午後5時ころから翌29日午前零時ころまでの間、Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

イ その後、Dは治療を受け、同年8月中旬には上記骨折は完治し、Bへも継続して預けられていたところ、同月23日、Dは、午後5時ころからBに預けられた。なお、同日の昼食時に、Dはほ乳瓶を持つことができ、家を出る前に入浴させたときも、Dの母はDの体に異常を感じなかった。

翌24日午前零時ころ、母親はDをBに迎えにいくと、Dは眠っていたため、母はDを起こさないように家に連れて帰った。

同日朝、母親が眠っているDの様子を見た際、右腕の肘から上の部分がわずかに腫れているように見えたため、Dを起こして右腕をよく見てみたところ、上記骨折をした時と同じ痣のようなものが、右腕の肘と肩の中間あたりにあるのを確認した。目を覚ましたDは泣きぐずり不機嫌だったため、母親はDがまた骨折しているのではないかと思い、整形外科に連れて行き受診させたところ、Dの右上腕骨が骨折していることが判明した。

なお、同月23日午後5時ころから翌24日午前零時ころまでの間、Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

(3)判示第4の事実(Eに対する傷害事件)について

被害者であるEは、同年5月から、両親の仕事等の都合上やむを得ないときにBに預けられるようになり、同年8月29日は午前7時30分ころBに預けられた。なお、同日朝、母親がEのおむつを替えたとき、Eはこれを嫌がる様子は全くなく、足を触っても、泣いたりすることはなかった。

同日午後6時30分ころ、母親はBにEを迎えに行き、連れて帰るため寝ていたEを抱こうとしたが、そのとたん、Eは泣き出し、帰り道も体が動いたりすると急に泣き声をあげた。

自宅に戻ってから、母親はEのおむつを替えたが、そのときにもEは嫌がって泣いており、その後もはいはいをしたり、寝返りを打ったりせず、元気のない様子であった。そこで、母はEを病院へ連れて行くことを考えたが、翌30日は仕事の都合がつかなかったため、翌々日病院に連れて行くことにした。

同月31日朝、母親は、病院に連れて行く前にEを入浴させようと思い服を脱がせると、Eの左足の膝から上の部分が赤くなり、大きく腫れていることを確認した。母親はEを整形外科に連れて行き受診させたところ、Eの左大腿骨が骨折していることが判明した。

なお、同月29日午前7時30分ころから午後6時30分ころまでの間、Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

(4)判示第5の事実(Fに対する傷害事件)について

被害者であるFは、同年9月8日からBに定期的に預けられるようになり、同月11日は、午前8時25分ころ、母親によりBに預けられた。同日朝、Fはマグカップで牛乳を飲み、ゴミ捨て場の扉を両手で開けるなど、右手をかばったり痛がったりしていた様子はなく、Bへ向かう道中でも機嫌の良い様子であった。

同日午後6時ころ、被告人からFの母親に電話があり、Fが熱を出しているので早く迎えにくるよう連絡を受けた。そこで、同日午後7時ころ、母親はBへFを迎えに行くと、眠っていたFは目を覚まし、帰りたがるそぶりを見せた。しかし、靴を履こうとしたところで、Fは痛いと言って泣き出し、その際、母親はFの右腕が赤紫色になり、熱を持って太く腫れていることに気が付いた。

そこで、母親はFを直ちに病院に連れて行き診察を受けさせたところ、Fの右上腕骨が骨折していることが判明した。

なお、同月11日午前8時25分ころから午後7時ころまでの間、Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

(5)判示第6の事実(Gに対する傷害致死事件)について

被害者であるGは、同年12月1日からBに定期的に預けられるようになり、同12年2月4日は午前9時ころ、母親によりBに預けられた。なお、同日朝、母親はGの口臭を少し感じたものの、Gは普段と変わらない様子であり、Bへ向かう車内では、歌を歌ったりしており元気な様子であった。

同日午後4時ころ、被告人から母親に電話があり、Gが吐いたような下痢をし、熱が35度であるなどと連絡を受けた。そこで、同日午後5時40分ころ、母親がGをBへ迎えに行くと、Gは毛布を掛けて寝かされており、母親が声を掛けても反応せず、薄目を開けたまま全く身動きをしなかった。被告人は、検温をしたところGの体温が32度だったと母親に告げ、Gにジュースを飲ませてよいか尋ねた上、これを飲ませるような仕草をした。

その後、何度呼びかけてもGが反応しないため、母親はGを病院に連れて行くこととし、Gを抱き上げたところ、頭ががくんと後ろに倒れ、Gの体から力が抜けたようになった。母親は、Gを自動車に乗せてBを出発したが、病院に向かう途中からはGの呼吸音も聞こえなくなっていた。

病院に着いた際、Gは既に心肺停止状態であり、その後、救命措置が講じられたが効を奏せず、同日午後6時45分、Gの死亡が確認された。

なお、同月4日午前9時ころから午後5時40分ころまでの間、Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

(6)判示第7の事実(Iに対する傷害致死事件)について

被害者であるIは、同年1月3日からBに定期的に預けられるようになり、同年2月18日は午前7時30分ころ、母親によってBに預けられたが、その際、Iの体調に変わったところはなかった。

母親がBにIを預けてから数分したところで、被告人から携帯電話に、Iが引きつけを起こしているのですぐ来て欲しいとの連絡を受けた。そこで、母親が慌ててBに戻ると、Iは床の上に寝かされており、Iのもとに近づき、名前を呼びかけても、Iは答えることなく、目の焦点が定まらないという状態であった。被告人は、母親に「吐いたので寝かした。救急車は必要ない」旨言い、近くの小児科へ行ってみると言ってBを一度は出て行ったが、医師がいなかったとしてすぐに戻ってきた。

母親は自ら119番通報し、Iは救急車で病院に搬送されたが、既に自発呼吸のない状態であり、治療を受けるも頭蓋骨骨折等の重傷を負っていたため快方に向かわず、午後7時52分、死亡が確認された。

なお、同日Bで保育を担当していたのは被告人だけであった。

3  当裁判所の判断

(1)判示第1の事実(Cに対する傷害事件)について

ア 前記認定のとおり、事件前後の経過として、平成11年6月6日、CがBに預けられる前、右腕を骨折しているような様子のなかったこと、同日Bから戻った後、Cはいつもと異なる大声で泣き、その後もCが痛みを訴えるような状態が続き骨折が判明したという事実を認めることができる。

また、証人Lの供述によれば、Cの負った骨折は、右上腕顆上骨折であり、当時1歳であったCが自転倒などの事故で本件骨折を負うことは考え難く、同日Bにいた他の園児によって生じる可能性もないものであることが認められるところ、同人の供述は専門的な知識、経験に基づいてなされているものであり、高い信用性を有するものといえる。

そして、上記事実等に加え、同日Bで保育を担当した保育者が被告人だけであること、前記経緯で見たように、Bにおいて、被告人が園児にしばしば暴行を加えていたことなどからすれば、被告人が、同日CがBに預けられていた間に、Cの右上腕部に外力を加えて、本件骨折を負わせたことを認めることができ、本件骨折が生じるためには、強力な外力が加わることが必要で、事故的に生じるものではないというのであるから、被告人がCの右上腕部に外力を加えた際、少なくとも暴行の故意を有していたことも認めることができる。

イ 被告人は、Cの本件骨折に具体的な心当たりはなく、Cがブランコから落ちたときに骨折した可能性はあると思うなどとして、暴行の事実を否定しているが、上記認定によれば、被告人による暴行によって本件骨折が生じたことは明らかというべきであり、Cがブランコから落ちたなどとする被告人の供述も、「時期は忘れてしまったが自分の頭の中にそのような映像がある」といった趣旨の不明瞭なもので、到底信用できず、上記認定を覆すものではない。

ウ なお、弁護人は、Cの母親が、同日Bから家に戻った際、Cの体に異常を認めておらず、その翌日もBに登園させており、手の腫れに気付いたのはその後のことであったことなどから、Cが翌日である同月7日以降に受傷した可能性を否定できないと主張する。

しかし、前認定のとおり、同月6日、母親はBからの帰宅後、Cを風呂に入れたところ、Cは大声で泣き、その泣き方が異常であったためCの体を調べるまでしたというのであり、証人Lの供述によっても、受傷の翌日になって腫れが生じることも本件骨折の態様と矛盾しないというのであるから、Cが同月6日に帰宅後入浴した時点で、既に本件骨折が生じていたことを合理的に推認することができる。弁護人の主張は理由がない。

(2)判示第2、第3の事実(Dに対する各傷害事件)について

ア 前記認定のとおり、各事件前後の経過として、同年6月28日の夕方、DがBに預けられる前、Dの体に受傷しているような様子のなかったこと、翌29日朝、Dの右手首に腫れや痣が認められ、その後医師の診察を受け本件骨折が判明したこと、また、同年8月23日夕方、DがBに預けられる前、Dの手に受傷したような様子のなかったこと、翌24日朝、Dの腕が腫れている様子であり、医師の診察を受けさせたところ、本件骨折が発覚したことの各事実を認めることができる。

また、前記証人Lの供述によれば、本件各骨折は右前腕両骨骨折及び右上腕骨骨折であり、いずれも強力な外力が加わらなければ生じないもので、当時1歳であったDに事故的に生じる可能性は極めて低いことが認められる。

さらに、各事件当夜、DがBに預けられていた間、保育を担当した保育者は被告人だけであること、前記経緯で見たように、Bにおいて、被告人が園児にしばしば暴行を加えていたことなどからすれば、被告人が、Dの右前腕及び右上腕に外力を加え、本件各骨折を負わせたことを認めることができ、本件各骨折が生じるためには強力な外力を加える必要があることからすれば、その際、いずれも被告人が暴行の故意を有していたことを認めることができる。

イ 被告人は、Dの本件各骨折には具体的な心当たりがないとして、暴行の事実を否定しているが、上記認定によれば、被告人の暴行により各骨折が生じたことは明らかというべきであるし、Dが激しい痛みをともなうような骨折をしながら、その原因となった事象に全く気がつかないというのは不自然であり、到底信用できない。

(3)判示第4の事実(Eに対する傷害事件)について

被告人は、Eに本件骨折を負わせたこと自体は認めているものの、その際の暴行の態様について、うつぶせに寝ていたEの足を引き上げ、Eのつま先が背中につくように上から覆い被さるようにしたのであって、Eの足を踏みつけてはいない旨の供述をしている。

しかし、その述べるような暴行の態様自体、体勢的に不自然である上、前記Lの供述にれば、本件骨折は、左大腿部に対し、外側から内側へ向かう強い外力が瞬間的に加わったことにより生じたもので、被告人が供述するような暴行態様で本件骨折が生じることは不自然であるというのであり、Eに暴行を加えた当時は、自分が2人いるような状況であったといった被告人の供述内容などからすれば、暴行態様に関する被告人の供述はこれを信用することはできない。むしろ、Eを診察治療した医師Mの供述などによれば、Eの左大腿部に皮下出血がなかったことから、本件骨折を生じさせる暴行としては、左大腿部を踏みつけるなどの態様が考えられるというのであるから、本件暴行態様としては、検察官の主張するとおり、踏みつけるなどの暴行を加えたものと認定することができる。

(4)判示第5の事実(Fに対する傷害事件)について

ア 前記認定のとおり、事件前後の経過として、同年9月11日、FがBに預けられる前、右腕を受傷していたような様子のなかったこと、同日夕方、母親がFをBに迎えに行った際、Fの右腕が太く腫れており、直ちに病院で診察を受け本件骨折が判明したことが認められる。

また、前記証人L、同様に高い信用性の認められる証人Nの供述によれば、本件骨折は右上腕骨のらせん骨折であり、大人である第三者により捻られなければ通常起こらないものであり、当時2歳であったFに事故的に生じるものではないことが認められる。

さらに、同日、Bで保育を担当していた保母が被告人だけであったこと、前記経緯で見たように、Bにおいて、被告人が園児にしばしば暴行を加えていたことからすれば、被告人がFの右上腕を捻るなどの暴行を加え、本件骨折を負わせた事実を認めることができる。

イ 被告人は、同日公園に行く際、自動車の後部座席に乗せたFの手を引っ張ったことがあり、その時に本件骨折の生じた可能性がある旨供述し、暴行の事実を否定している。しかし、そうであれば、被告人が、Fの手を引っ張った際、Fが泣いておらず、その後も公園の吊り橋のようなもので遊んでいたと供述していることが本件骨折の状況からして不自然であるし、証人L、同Nの供述に照らしても、被告人の供述するような行為により、本件骨折が生じるとは考え難い。その上、上記態様に関する被告人の供述は、「頭の中にそのような絵がある」といった不明瞭・不自然なものであることからすれば、上記被告人の供述を信用することはできない。

(5)判示第6の事実(Gに対する傷害致死事件)について

ア 前記認定のとおり、事件前後の経過として、同12年2月4日、GがBに預けられる前、Gの体調に大きな異常はなく元気な様子であったこと、母親がBにGを迎えに行った際、すでにGは母の呼びかけに答えられない状態であり、その後病院に運ばれたが、治療の甲斐なく死亡したことといった事実が認められる。

また、証人Oの供述及び同人作成の鑑定書によれば、Gの後頭部には広汎な皮下出血があり、かかる皮下出血の状況等から、Gの頭部が、平面用の鈍体に複数回打ち付けられたと考えられることが認められる。

さらに、上記皮下出血は、Gの死亡時より1ないし2日以内に生じたものであるといえること、同日、Bで保育を担当していた保育者は被告人だけであること、前記経緯のとおり、Bで被告人が園児にしばしば暴行を加えていたことからすれば、被告人が、同日GがBに預けられていた間に、Gの頭部を平面様の鈍体に数回打ち付けるという暴行を加えたことを認めることができる。

被告人は、Gの頭部打撲については心当たりがないとして、暴行の事実を否定するが、Gの負傷状況と矛盾する上、他方で、「鑑定書が提出されるまでは、Gの死の原因については黙秘する」「その理由は、まず法医学の勉強をしてから話をしようと思ったためである」などと、不自然・不可解な供述をしていたことからして、到底その弁解を信用することはできない。

イ そして、証人Oの供述及び鑑定書によれば、被告人の上記暴行により、Gはびまん性脳損傷の傷害を負い、これにより死亡したことを認めることができる。

弁護人は、鑑定の経過や、Gの脳に生じていた出血は、それ自体では死因となるようなものではないことなどから、びまん性脳損傷を死因と判断したOの鑑定の結論は合理性がなく信用できず、被告人の暴行とGが死亡したこととの間に因果関係が存しない旨主張する。

しかし、本件鑑定の経過は、当初解剖及び組織検査を行うも、死因の特定ができなかったため鑑定を継続したところ、脳梁等の組織に出血を認め、これにより頭部打撲による脳損傷が死因であると判断し、その後も必要な検査等を行った上、びまん性脳損傷を死因とする最終的な判断を行い、鑑定書を作成したといったものであり、その経過が特段不自然というものではない。また、弁護人の指摘する、Oが当初、Gに対し救命措置を行ったP医師に対し、「脳は問題なく、死因ではない」と説明していたとする点も、Pの供述及び診療録の記載内容からすれば、Oの上記説明は、当初の肉眼所見による判断を述べたものであると認められるので、Oが当初そのように説明をしていたことも、鑑定結果の信用性に影響を及ぼすような事情とは言いがたい。

確かに、Gの脳梁等の組織に発生していた出血は、それ自体が死因となりうる様な重篤なものではないというのであり、Oの判断は、消去法的な判断であることは否定できない。しかし、Oは、他の臓器等についても十分検討した上、脳以外の臓器等には死因となるようなものは認められず、脳梁等に出血が生じていたことは、脳全体に致死的な力が加わった痕跡であり、Gの死因となりうるものは唯一この点だけであることから、専門的見地から自己の解釈を加え、びまん性脳損傷を死因と判断しているのであり、上記判断には、十分合理性を認めることができる。被告人の暴行とGの死亡との間の因果関係が存することに合理的な疑いは生じないというべきである。

(6)判示第7の事実(Iに対する傷害致死事件)について

ア 被告人は、Iの肩を付き押して後頭部を床に打ち付けたことを自認しているところ、前記認定のとおり、同年2月18日、Bに預けられる前、Iに変わった様子がなく、IがBに預けられた直後に異常が発生したことが認められ、さらに、Iは頭蓋骨骨折をともなう頭部打撲という重傷を負い、死亡していること、同日、Bには被告人しかいなかったことといった事実からすれば、被告人による暴行の結果、Iが死亡したことは明らかというべきである。

イ 被告人は、捜査段階において、Iを座らせようとして肩を付き押したところ、Iが倒れ、床に後頭部を打ち付けた旨供述し、弁護人もこれに沿って、被告人は暴行の故意を有していなかった旨の主張をしているが、Iの負った傷害の程度からして、被告人がIを付き押した際、強力な力を加えていることは明らかであり、その際に暴行の故意がなかったとは到底考えられない。

また、弁護人は、被告人が犯行後小児科を訪れており、かかる被告人の行動に照らせば、被告人が暴行の故意を有していたとは考えられない旨主張するが、仮に被告人が小児科を訪れていたとしても、それ故に暴行を加えた際の故意がなかったことを裏付けるとはいえず、弁護人の主張は理由がないというべきである。

4  なお、被告人は公判廷において、各事実について前記のような弁解をするとともに、本件審理の終盤になって捜査段階における供述の一部については、脅迫や侮辱をともなう不当な取調べが行われた結果であるなどというような供述をしている。しかし、証人Qの供述からすれば、そのような不当な取調べがあったとは認められず、捜査段階においてもほぼ公判廷におけるのと同じような弁解をしていたのであるし、そもそも被告人は、自身の記憶が本当の記憶なのか取調べの過程で作られた記憶なのか分からない旨の不合理な供述をしているのであって、上記供述についてもやはり信用できない。

5  以上検討したように、いずれの事実についても、被告人による判示の暴行の結果、各被害者が傷害を負い、あるいは死亡したことを認めることができる。

(法令の適用)

<省略>

(量刑理由)

本件は、保育施設を経営していた被告人が、8か月余りの間に、預かり保育していた乳幼児6名に対し暴行を加え、うち4名に対しのべ5回にわたり骨折の傷害を負わせ、2名を死亡させたという事案である。

被告人は、保育施設を経営し、本来であれば、同施設で預かり保育していた乳幼児に対し愛情を持って接し、またその安全に対して十分な配慮をすべき法的義務を負う立場にありながら、被害児らに対して暴行を加えるという本件各犯行に及んでおり、強い道義的、社会的非難に値する。各犯行は、いずれも保育者が被告人1人の時に、抵抗できず、また、暴行を受けたことについて保護者に訴えることも十分にできない乳幼児に対して行われたものであり、極めて卑劣な犯行でもある。さらに、被告人は保育施設を経営していたおよそ1年の間、預かり保育していた子供達に対し、継続的に虐待を加えており、途中で自らの行為を省みて、虐待を止める機会はあったにもかかわらず、虐待を継続した結果、最終的に2名の幼い命を奪う結果に至っていて、この点からも犯情が悪質である。

被害児らに落ち度があるはずもなく、前途ある未来を突然奪われた傷害致死事件の被害児の無念さは計り知れない。傷害事件の被害児も、いわれなく暴行を受けたことによる肉体的な苦痛、幼心に受けた恐怖心は甚大であると思われ、虐待を受けたことによる精神的ショックの後遺症も懸念されるところである。被害児の遺族、保護者の受けた悲しみも誠に大きく、Bに我が子を預けたことによる煩悶から、家族生活にも支障を生じるようになった者もいるなど、犯行がもたらした結果は極めて深刻なものがある。

本件各犯行の動機や詳しい態様は、被告人により供述がなされていないため必ずしも明らかとなっておらず、犯行の遠因として、長男の育児や保育施設の経営により、被告人が犯行当時相当程度のストレスを有していたことなどが想像できるところであるが、いかなる事情があったとしても、対価を受けて預かり保育しておきながら、無防備の乳幼児に暴行を加えるといった本件各犯行を許容するような理由があったとは全く考えられず、各犯行に酌量の余地は皆無である。

被告人は、各犯行に関し、一部を除いては具体的な心当たりがないなどとして暴行の事実を否定している上、公判廷で「女性が被害者に暴行を加えている映像は頭の中にある」「捜査機関は真実を追究する意思が感じられない」といった人を食った意味不明ないし無責任な供述をするなど、真実を知りたいと願う被害児の保護者や遺族らの心情を逆なでする言動をとり続けており、真摯な反省の情は全く窺えず、保護者、遺族の処罰感情も甚だ厳しい。

以上からすれば、被告人の刑事責任は極めて重大である。

そうすると、これまで前科前歴のないこと、被告人を必要とする家族のあることなどといった被告人に有利な事情を十分考慮しても、本件各犯行の悪質さ、結果の重大さなどに鑑みれば、なお、処断刑の最高限度である求刑どおりの刑に処するのが相当である。

(検察官中村融、粟田知穂、片野真紀、国選弁護人西田勇人(主任)、池田哲也各出席)

(求刑-懲役20年)

(裁判長裁判官 矢村宏 裁判官 柳澤直人 裁判官 石井芳明)

別紙<省略>

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