横浜地方裁判所 平成12年(わ)693号 判決 2001年10月31日
主文
被告人を懲役3年に処する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,平成11年2月26日午後7時30分ころ,神奈川県相模原市ab丁目c番I株式会社dアパートe号棟f号室被告人方居室において,養女であるA(当時9歳)が親の問い詰めに対し素直に答えず反抗的な素振りを示すなどとして立腹し,同児に対し,手けんでその頭部を2,3回殴打した上,両手で同児を被告人の上腹部ないし胸部付近まで水平に持ち上げて両手を離して落下させ,その頭部を畳に打ちつけさせるなどの暴行を加え,よって,同月27日午後2時55分ころ,同市g丁目h番i号D大学病院救急救命センターにおいて,同児を頭蓋内損傷(急性脳硬膜下血腫,脳挫傷,くも膜下出血,びまん性脳腫脹,脳びまん性軸索損傷)により死亡させたものである。
(事実認定の補足説明)
1 弁護人は,被告人がAの顔面を手けんで2,3回殴打したことやAを抱え上げたことは認めるが,①殴打行為は,親の懲戒権の行為として違法性が阻却されるか,仮に違法性が阻却されないとしても,可罰的違法性はないので,暴行罪は成立しない,②抱え上げたのは約90センチメートルの高さであり,故意に手を離してAを落下させその頭部を畳に打ちつけたのではなく,Aが手足をばたつかせたので,被告人の手から滑り落ちるように落ちたに過ぎず,打ち付ける行為はなく,抱え上げ行為も暴行に該当しないか,仮に有形力の行使に当たるとしても可罰的違法性がなく,したがって抱え上げを認識していたことをもって暴行の故意を認定できず,しかも,不法な有形力の行使との認識は全くなく,違法性の意識も存しなかった,③さらに,被告人の殴打行為ないしAの落下行為とその死亡との間の因果関係が合理的な疑いを容れない程度に立証されておらず,因果関係が認められない旨主張し,被告人も,捜査,公判を通じ,その内容を変遷させながらも,これに沿う供述をするので検討する(以下「センチメートル」を「センチ」と略記する。また,以下の数値はいずれも約である。)。
2 本件の経緯,概要
前掲証拠によれば,本件の経緯等について,次の事実が認められる。
① 被告人は,平成10年8月から,配置換えにより神奈川県相模原市のI株式会社相模原製作所に勤務し,判示被告人方で生活していた。
② 被告人は,以前に離婚して単身であったところ,平成10年9月中旬ころから,元上司の妻であったB及び同人らの特別養子でBが親権者となったC(本件当時10歳)及びAと被告人方で同居して生活するようになり,同年11月,Bと婚姻するとともに,Aらを自らの養子としたが,日頃から,Aらが正直に話をしなかったり,互いに親の愛情を巡って嫉妬して反目し合うなどすることからBともどもその養育に困難を感じており,同年12月ないし平成11年1月ころからは,Aを叱るときなどに,しつけとして,その頭部や顔面部を手けんや平手で殴打し,腹部をつねるなどの体罰を加えるようになった。
③ 被告人は,平成11年2月13日から同月30日まで海外出張をしていたが,その間もBからファックスや電話などでAの素行についての悩みなどを聞いていた。被告人は,2月初めころ,Bから妊娠したことを教えられ,産むよう勧めたが,Bは,現状では育て上げる自信がないとして中絶することを主張し,その後病院に中絶予約をするまでになっていた。結局,Bは,本件事件後の3月16日中絶した。
④ 被告人やBは,Cが良い子ぶっていることに気づかず良い子になるように見えたのに対しAが益々悪くなっているように受け取っていたことから,BはAに対し,体罰として,その頭部を木の棒で叩いたりしたほか,本件の1週間前位から,Aが転げ落ちるのも構わず,丸椅子に立たせたりし,2月25日にも,木の棒でその頭を叩く暴行を加えていた。
被告人も,これを知っても制止することがなかっただけでなく,その供述によれば(乙2,6),海外出張から2月20日帰国後,Aに対し,2月22日か23日ないしはその両日かには,その頭部を手けんで殴り,口辺りをつねり,24日は,Aの体を正面から押して床の上に転倒させ,体を押して壁にぶつけさせたり,頭部を手けんで叩いたり,頭突きをしたりし,25日は,頭部を手けんで殴打し,体を押して壁にぶつけたりする体罰を加えている。この週は,手けんによる殴打は1度に殴るのは2,3回位で合計10回位,体を押して壁にぶつけたり,床に倒したりしたのが10回位,頭突きも10回位あり,その他つねったりしたこともあった。
なお,Cは,この間,子供部屋で,着衣の上から,ハサミの刃で,Aの足や腕や腹部を多数回刺し,弁当箱の入った袋で,Aの顔面部を1回思い切り叩き,本の背表紙でAの頭部等を殴打した旨述べている(甲12)。
⑤ Cは,2月26日午後3時ころ,Aとともに小学校まで迎えに来たBと歩いて帰宅した後,学級担任が,保護者との間の連絡帳に,その朝ご飯を食べていないと嘘をついて授業をさぼったことや友人と喧嘩をしたことなどが書いてあるのではないかと思い,当日分のページを破って隠したが,両親を独占したいという気持ちなどから,Bに殺すと言われたなどと嘘を言い,さらに,渡された連絡帳が破られていることに気づいたBに「Aがやったんじゃないの。」などと嘘を言った。
そのため,Aは,Bに丸椅子の上に立たされて簀の子の上に落下したほか,BからCの連絡帳のページを隠したのではないかと疑われ,追及され,「知らない。」などと答えていたが,なおも問い質されたことに困惑し,仕方なく隠したことを認めたものの,隠し場所を答えることができず,最終的に小学校の砂場などに隠したと嘘をつかざるを得なかった。
そこで,Bは,同日午後4時30分ころまでには,連絡帳のページを捜そうと,A及びCを連れ,約230メートルくらい離れた小学校まで歩いて行ったが,隠したという場所を探しても連絡帳のページを見つけることができなかったので,隠した場所を言わせるため,BやCが順次伴走しながら,喘息がちで走ることも嫌いだったAを走らせ,一周150メートルの内側トラックを10周くらいさせたが,この伴走中,AがCから頭部を手けんで叩かれたほか,石でも1回叩かれたため,そのことをBに訴えたが,取り上げてもらえなかった。
被告人は,仕事を終え帰宅したが,誰もいなかったため午後6時過ぎころ小学校に行ってみたところ,Aが校庭のトラックを走らされていたことから,悪さをしたのではないかと察したが,BからはAに聞くよう言われたため,さらにAに伴走し,走らせたり歩いたりしながら話をした。
この間に,B及びCが一足先に自宅に帰り,被告人とAは,その10分前後後の午後7時過ぎころ帰宅した。
⑥ 帰宅後,被告人は,寝室に居たBに顛末を話したが,Bは納得しなかったことから,Bとともに,再度,Aに連絡帳のページを隠した場所を問い質すことにし,子供部屋に行き,Aに対し,その所在を追及し,どこへやったんだなどと怒鳴りつけるなどしたところ,Aは身振り手振りで示すなどしたことから,室内を探すうち,BがAの食べ残した白菜を見つけて立腹し,これを歯を食いしばるなどして抵抗するAの口を開けさせ無理矢理押し込むなどした。その後,被告人は,さらにAに連絡帳の件を強く追及したが,Aは,明確な返答をせず,反抗的な目つきをしたので,立腹し,Aの頭部を手けんで2,3回殴打したが,それでもなおAが連絡帳のページの所在を言わなかったため,激高し,両手を使い怒鳴りながらAをほぼ水平に持ち上げた。
直後,Aは,ドンないしドスンという音を立てて畳上に仰向けにほぼ水平に落下し,突然,意識をなくし,顔色を真っ青にして,白目を向き,歯をガクガクさせて食いしばり,しゃっくりしたように息をするとしばらく息をしなくなり,右足をガクガクと震えさせるようになったため,BがCを促すなどして119番通報し,駆けつけた救急隊員によりAはD大学病院救命救急センターに搬送され,同病院で治療を受けていたが,同月27日午後2時55分ころ,判示原因により死亡した。
⑦ 被告人の身長は177センチであり,Aは,身長109センチ,体重21・5キログラムであった。
なお,被告人は,公判で,⑥に関して,興奮していたことについて,Bが余りにヒステリックになっていて,教育の仕方と言う面でAが何で怒られているか分からなくなってしまうというBに対する興奮と,校庭から始まっている件をAがごめんなさいということで終わらせたいとの興奮というか焦りみたいなものはあった旨弁解する。
しかしながら,被告人がBに対し怒ったり注意したりしておらず,専らAに対してのみ怒っている。しかも,被告人は,その供述によれば,校庭で話した際Aが「ごめんなさい,もうしません。」と言ったので連絡帳のことは片が付いたと思っていたが,帰宅後Bが再度連絡帳のことを持ち出したので再び問い詰めた旨供述しているが,一旦片がついたと思っているにしては,その後の子供部屋での追及が執拗に過ぎて不自然である。
ちなみに,被告人は,⑤の校庭でのAとの会話内容について,捜査段階から,一貫して,Aからは「Cを困らせたいから,Cの連絡帳を破って捨てた。」などと聞き,Aが捨てたという場所を捜したが,見つからなかったので,無くなってしまったのだと思った旨供述している。しかし他方において,濡れ衣を着せられているAが,被告人に助けを求めず,濡れ衣の内容を真実であるかのように自ら告げることは考えにくいし,Bは,捜査(甲14),公判を通じ,被告人は校庭から帰ってきた時連絡帳の件は知らなかった趣旨の供述をしている。さらに,当夜,被告人方に救急で駆けつけた際,被告人に事情を聞いた救急隊員のFは,被告人からは,白菜を食べなかったことと,しつけか何かで落とした旨聞いている旨供述していることや前記の一旦片がついたにしては執拗な追及や怒り方をしていることからすると,連絡帳の件は帰宅後にBから聞いて知った疑いも否定できず,いずれかは断定できない。
いずれにせよ,被告人自身興奮していたことを否定していないだけでなく,捜査段階では怒鳴りつけたとか怒鳴りながらAを抱き上げた旨供述しているし(乙5),Bも捜査段階で同旨の供述をしているほか(甲14),公判でも,強く問い質すとか叱る声であった旨供述しており,なお,Cも被告人がとても怒っている声を聞いた旨述べている(甲11)。のみならず,喘息がちの9歳のAに校庭を10周以上走らせて帰宅しながら,程なく再度連絡帳のことを持ち出して問い詰め,怒鳴りつけ,自らの手が痛かったというほど手けんで殴打し,挙げ句体を持ち上げていることからみて,Aに対し強い怒りの感情を有していたことは明らかである。
3 そこで,前記2⑥の被告人がAを抱き上げた後これを落下させた行為が故意に基づくものか否かについて,抱き上げた高さを含めて検討する。
(1) 関係証拠によれば,
① 本件犯行直後急報を受けて被告人方に駆けつけた救急隊員のEが被告人及びBに「どこから落としたんですか。落ちたときに,どこか頭をぶつけましたか。」などと尋ねたが,両名は当初押し黙ったまま答えず,「こういう怪我の状態になったのは,どうしてですか。」と尋ねたところ,ようやくBが,「父親が抱き上げて落とした。」と答えている。また,前記Fが救急措置等の必要から被告人に被害状況を確認したところ,被告人は,冷静に比較的淡々とした口調で,「頭を叩いたのと,落としました。」と答え,どうして落としたのかの問いには,白菜を食べないので,教育のためとか,しつけのために落としたというように答え,続いてなされた落とし方の問いには,両手を水平に出し,Aの体を下から抱えて,水平に持ち上げて落としたといった説明をしている。さらに,Fは,高さと衝撃の強さを知るため,まず,肩辺りまで上げた両手でAの体を水平に持っている動作をし,これをいったん頭の上まで持ち上げて,下に叩きつけるような動作をしてみせたところ,被告人から「違う。」と言われたため,次に,同様両腕を肩辺りまで水平に持ち上げた後,両手を左右に開くような動作をしてみせたところ,被告人は,「そうです。」と答え,これを肯定しており,このやり取りを通じ,Fは,心中ひどいなと思い,また,わざとやったと受け取っており,Aが暴れたため落ちたようなニュアンスを聞いても感じていない。
弁護人は,F供述の信用性を問題としているが,その公判供述中の被告人とのやり取りの若干の混乱は弁護人の誤導尋問に影響されたものに過ぎないし,Fは,Aの受傷状況に応じた応急処置を採る必要から,衝撃の強さ,どの程度の高さから落ちたかということなどを意識して確認しているだけでなく,その供述内容も具体的かつ明確で,Fが経験しないと話せない白菜の件なども含まれており,被告人がそのことを話したとしても不自然ではない状況もある。さらに,Bとの会話と混同していないことを,その具体的理由も挙げて明確に供述しており,弁護人の反対尋問に対しても,基本的部分につき一貫した供述をしている。これらのことに,公判供述時点で記憶が曖昧な部分についてはその旨隠し立てすることなく素直に認めており,供述態度も誠実であることなどからみて,その供述は信用性が高い。
なお,被告人は,Fに対し,白菜を食べないので教育のためとかしつけのために落としたというようなことは絶対に言っていない,FはBが白菜のことについて言ったことを誤解しているのではないかなどと公判供述するが,Fは,上記のとおり,Bの話と区別し,被告人から聞いたと記憶している旨明確に公判供述しているほか,救急病院の入院診療録(弁護人請求証拠5番)にも,父親が白菜の話をしたこと記載されていることからみて,F供述の信用性に欠けるところはなく,他方,後記指摘の被告人の供述内容に照らし,被告人の上記弁解は採用しがたい。
② また,被告人は,本件犯行の翌日,Aを持ち上げた様子を判示犯行場所で再現したが(甲19),これによれば,被告人は立ち上がってほぼ背筋を伸ばした状態で,腕を曲げ,少なくとも上腹部ないし胸付近に手を持ってきていることは明らかであるし,その後の取調べにおいても,手が滑ったと言いながらも持ち上げた高さについては,胸の辺りまで引っ張り上げた旨供述している(乙3,4)。
もっとも,その後,持ち上げたのは,お腹辺りまで1メートル位であるとか(乙5),腰から胸の辺りとか,腰の辺りで,結局90センチ位である旨(公判供述)徐々に低くなる供述しているが,他方において,ジェスチャーで肩の辺りを示したり(第6回公判),Fに対して腰の辺りの高さと言わなかったのは動揺していたとしか言いようがないなどと言うのみで,合理的な説明ができていなかったりしており(同公判),その変遷に合理性が認められない。さらに,そもそも,腰の高さと言いながら,そのいわんとするところが上記再現写真のとおりであることを認めてもいる。
また,抱え上げた状況についても,捜査段階では,甲19の再現写真のほかには,具体的な態様を供述しておらず,公判でも,当初中腰様の仕草をし,Aの体を持って一気に立ち上がり,甲19の再現写真のような姿勢になり,Aの顔を正面に見て,「どこにやったか言いなさい。」と問いかけたが,Aが手足をバタつかせてするっと滑り落ちた旨供述し(第5回公判),抱き上げて問いかける状況があった趣旨の供述をしていたのに,その後は,本当のことを言いなさいということでとっさに抱え上げた,ぱっと立ったとたんに手足をばたつかせたので,そのまますとんと落ちてしまった,とか,立ち上がり始めてから,落ちてしまうまではほんの数秒だったと思うなどと公判供述し(第6回公判),また,一旦は,Aが落ちた時点では被告人は立ち上がる途中のどこかであったと供述したが(第8回公判),後,私の姿勢が安定していなかったという意味で,途中というふうに答えた(第9回公判)などと抱え上げた途端に落とした趣旨の供述に変わっており,不自然である。
以上の点からみて,肩付近の高さまで抱え上げた可能性があるが,少なくとも上記再現写真で指示した高さがあったことには疑いがない。
③ さらに,Aが落下して音を立てた直後,側にいたBは,Aと大きい声で言って取り乱しているのに,被告人は,Bに対して,大丈夫だなどといい,誤って落としたなどということは全く弁解しておらず,Aの気道確保等を行い,救急隊員が駆けつけた後も冷静にその対応を見守っている。
また,救急隊員の問いにも前記のとおり,すぐに答えず,しばし時間をおいて,Bが,被告人がAを抱き上げて「落とした。」と答えており,その際,Bも被告人も手を滑らせたなどという過失による旨の訴えを全くしていない。
以上のとおり,この間の被告人の言動には,誤って落としたとすれば当然なされるべき弁解や取り乱した様子が全く窺われない。
もっとも,前記救急病院の入院診療録には,被告人の話として,被告人が畳の上に落とそうとする真似をしたら手が滑って背中から叩きつけられた旨の記載があり,また,被告人は,捜査,公判を通じ,つかみ方が不十分であったとかバランスを崩したとか,Aが暴れたあるいは手足をバタバタさせたため滑って落としたなどと主張,供述し,Bも,被告人はAを故意に落としたものではなく事故である旨供述している。
しかしながら,Bの供述については,Bは,被告人,Aと同じ4畳半の子供部屋にいて,被告人の仕打ちを目の前にしており,当然落下の経緯を目撃していて然るべき状況にありながら,下を向いていたとか,涙で目がかすんで余り良くみえなかったので,落下したところは見ていないとしながら,しかし,事故であることを強調しており,不自然さを免れず,また,前記救急隊員に対してなした言動と対比しても不自然であり信用できない。
また,被告人の供述についても,捜査,公判を通じ,若干の変遷はあるものの,要するに,右手でAの左脇の下を,左手で臀部付近の服をつかんで引っ張り上げたが,持ち方が不十分だったこととAが手足をばたつかせたことから手が外れ,あるいは滑って,落下したというもので,故意に落下させたものではない,というにある。
しかしながら,Aは高く抱え上げられることに恐怖感を持っていたことは被告人も認めるところである。そのようなAが,怖がって手足をばたつかせたとしても,また,校庭を走らされ疲れていたとしても,抱え上げられたことに恐怖感を抱けば何らかの防御態勢を取るのが自然であるが,Aは,仰向けでほぼ水平に畳上に落下している。これはAが被告人に掴まるなどの防御態勢を取るいとまがなく,また,被告人も両手が同時的に滑るか,外れるかしないと生じ得ないと思われるが,過失の場合にそのような偶然が重なる可能性はかなり乏しい。
また,被告人とAとの間には,前記⑦の体格差がある。被告人は,これまでしつけ以外の理由でAを抱え上げて遊んだことがあり,また,その際Aが怖がって手足をバタつかせて暴れたこともあることを知っていたというのである。それなのに,今回,被告人が,前記状態でAを簡単に畳上に落下させてしまうということも不自然である。
加えて,この点に関し,被告人は,捜査段階では,Aは,手足をバタつかせる(乙3),手足をバタつかせて暴れ出した(乙5。6同旨前提)旨供述し,公判でも,Aが恐怖心の余り暴れ,手足をばたつかせたことによって,被告人の手を切ってしまうような状況の中でほぼ同時に支えきれなくなって,落ちてしまったと供述し(第5,6回公判),いかにも自己のつかみ方の悪さやバランスを崩したことのほか,Aが暴れたことも大きいような供述をしていたのに,その後は,Aが被告人の手を叩いたわけではない(第6回公判),Aのバタバタについては,魚を捕まえたときに逃げようとしてもがくような感じではなく,本当に1,2回というか,体が揺れた,手足をばたつかせたという程度のものである(第8回公判),ほんの一瞬だったので,ほぼ同時に振り解こうとしていたと思う(第9回公判)旨,余り暴れた訳ではない趣旨の供述に変わっており,不自然な変遷を示している。
Bも,公判ではもちろん,A落下直前の状況をある程度具体的に供述していた捜査段階においても,1,2度揺さぶったことはいうものの,暴れたようなことを具体的に供述していない。
さらに,被告人は,本件より以前に,Aを叱る手段として,Aの体を持ち上げたことはなかった旨公判供述するが,本件に限ってAの体を持ち上げたという理由については合理的な説明をしておらず,不自然である。
この点,Cは,本件以前から,CとAが被告人から叱られるときに,本件と同じように体を持ち上げられたことが何十回もあり,わざと落とされたり,暴れたために落ちたりしたこともあるとか,本件犯行時Aをとても怒っている被告人の声が聞こえた旨供述しているところ,Cの前記供述は,本件の経過に良く符合し,内容も具体的であるだけでなく,Cが供述した後は,被告人やBも,怒鳴ったことや叱る手段としてか否かはともかく,Aらを持ち上げたことを認めるに至っていることなどからすると,Cの上記供述も根拠のないものではなく,むしろ,これまでしつけとして,Aの体を持ち上げたことはないなどとする被告人の供述は信用できないと言うべきである。
これらからすると,持ち上げられたAが落下した態様に関する被告人の公判供述は信用性することができない。そして,被告人やBの供述するAの落下時の姿勢や救急隊員に対する被告人,Bの発言の状況,内容等に徴すると,誤って落下したにしては不自然な点が多過ぎ,Aを持ち上げた両手を意図的に外して同児を落下させたとみて自然な状況がある。
④ 加えて,被告人は,Aの反抗的な素振り等に対し相当激しく怒っており,頭部を殴打しただけでは足りず,さらに持ち上げたものである。しかも,頭部殴打は体で痛みを分からせるしかないというものである。もっとも,持ち上げたのは,高さで怖がらせようとしたものであるとはいうものの(乙3),そこには落としても不自然ではない動機がある。
4 以上指摘の点を総合考慮すれば,被告人が両手でAの体を少なくとも上腹部ないし胸の辺りまで持ち上げた上,その手を意図的に放してAを落下させたとの事実を優に認定することができるのであり,弁護人の主張は採用できない。
5 なお,弁護人は被告人の行為は懲戒行為に該当する旨主張し,被告人も,いい子になって貰いたい一心で一所懸命やってきたつもりである旨述べ(乙3など),またFも被告人が教育ないししつけであった旨供述するのを聞いている。
しかしながら,本件暴行に至る経緯,動機,暴行の態様,程度等に照らせば,これが親権者による懲戒権の行使として社会的に相当と認められる範囲を逸脱していることは明らかであるから,上記主張も理由がない。
さらに,弁護人は,種々法的主張をしているが,前記認定事実に照らし,採用できない。
6 次に,本件行為と被疑者の死亡との因果関係の有無について検討する。
(1) まず,関係証拠,殊に,D大学医学部教授を務める医師G外1名作成の鑑定書,上記G医師の検察官調書及び同医師に対する受命裁判官の証人尋問調書(以下総称して「G鑑定」という。)によれば,本件の死因は判示のとおりと認められるところ,同鑑定によれば,これらの頭蓋内損傷の急性硬膜下出血等{急性脳硬膜下血腫-左頭頂弓隆部を中心に前後経5.0センチ,左右4.0センチ大の厚さ0.7センチ大の左急性硬膜下血腫5グラム,右頭頂弓隆部を中心に前後径3.0センチ,左右径2.0センチ大以下の,いずれも厚さ0.5センチ以下の右急性硬膜下血腫数個3グラム(鑑定書第1章第4節Aの【10】),脳挫傷-大脳左半球後頭葉(外側後頭回)に前後径0.5センチ,上下経0.7センチ大の,大脳右半球(外側後頭回)に前後径1・2センチ,上下径1.5センチ大の,各脳挫傷1個,いずれの脳挫傷部分にも極めて薄層ないし薄層のくも膜下出血数個(同鑑定書【11】),くも膜下出血-大脳左半球頭頂部に前後経3.0センチ,左右経3.0センチ大の,大脳右半球頭頂部に前後経3.0センチ,左右経2.0センチ大の,各極めて薄層のくも膜下出血(同鑑定書【12】),びまん性脳腫脹-大脳は高度に腫脹し,脳室は狭小化し,中等度の左右テント切痕(鈎)ヘルニア及びやや高度の左右の小脳扁桃ヘルニア(同鑑定書第1章第2節【12】),びまん性軸索損傷-脳梁や内包の一部に軸索の蛇行,腫大,大小不同,断裂などの著明な軸索変性像,なお,脳梁の下部にやや時間の経過した軸索変性像(同鑑定書第1章第5節(2))}はいずれも外因性のものであり,かつ,いずれも一つのみでは死因となりうるほど重篤なものではなく,これらが共合して死因になったものとされている。
しかして,Aの身体には,生前に,かつ,通常の治療で生成されたものではないもので,いずれも鈍器ないし鈍体で擦過,擦過打撲,打撲ないし圧迫されることによって生じた新旧混在する多数の創傷が認められ,そのうち,本件死因となる頭蓋内損傷に関係する可能性のある頭部・顔面部には,①前頭部のやや陳旧な打撲傷ないし圧迫傷:極めて軽傷(鑑定書第1章第4節Aの創傷の【1】),②頭頂部のやや陳旧な擦過打撲傷:軽傷(鑑定書前同【2】),③右頭頂部の擦過打撲傷(鑑定書前同【3】),④後頭部左側のやや陳旧な擦過打撲傷:軽傷(鑑定書前同【4】),⑤頭頂側頭部左側の打撲傷ないし圧迫傷(鑑定書前同【5】),⑥前額部左側の打撲傷ないし圧迫傷(鑑定書前同【6】),⑦前額部右側の打撲傷ないし圧迫傷(鑑定書前同【7】),⑧右外眼角部から右頬部外側にかけてのやや陳旧な擦過傷:極めて軽傷(鑑定書前同【8】),⑨下顎縁部左側の打撲傷ないし圧迫傷(鑑定書前同【9】)の創傷が認められる。
G鑑定は,捜査段階では,死因の頭蓋内損傷が,上記①ないし⑨の創傷のうちのどの損傷ができたときの外力が原因となって生じたのかについては特定できず,また,死因の頭蓋内損傷は,頭部や顔面部に損傷が残らない程度の弱い外力が加わった場合にもでき得る傷害であるから,上記①ないし⑨の創傷の原因となった外力以外の外力,すなわち,創傷ができなかった外力が原因になって生じている可能性もないではないとしていたが(甲6,7),鑑定書においては,そのうち③,⑤ないし⑦,⑨の全部またはそのどれかが致命傷である頭蓋内損傷を生じさせたと記載し,さらに,証人尋問においては,その供述内容を一部変遷させながら,頭皮表面に明らかな外傷がなくとも致命的な頭蓋内損傷が起きることはあり,因果関係を確定する上では,意識障害の程度というのがキーポイントになるとし,結局捜査段階の供述と同趣旨と思われる供述をしているが,いずれにせよ,死因については,ほぼ一貫しており,上記認定のとおり認められ,弁護人も争っていない。
(2) しかして,Aは,前記認定のとおり,判示の落下直前まではその様子に意識の障害等不自然さを窺わせるところがなかったことは,被告人やBも捜査,公判を通じて認めているところであり,このことは,Aが被告人やBの詰問や執拗な問い詰め等に反抗的な素振りをし,Bの白菜の無理強い等に抵抗を示すなど事態に即応した対応をしていることや,被告人やBらもAに不自然さを感じさせるところがなかったからこそ,前示のような言動をしていると見られることからも明らかである。
弁護人は,本件犯行前に前記のとおりBやCの暴行があり,殊に校庭で暴行を受けた際には,Aは気持が悪いと言ってしばらく泣いていたとか,その後,被告人と小学校から帰宅する途中に,Aはかなり疲れているようで,ぜいぜい言ったり,被告人の後方1メートルくらいをゆっくりした速度でついてくるのがやっとで,10メートルくらい歩いては少し休むという状態があり,これは意識障害の始まりの徴候と考えられる旨主張する。
しかしながら,運動の苦手で時にBにおぶさって登下校することもある喘息気味の9歳の児童が,濡れ衣を着せられたまま,晴らすすべもなく,校庭を無理矢理何周も走らされ,挙げ句頭を殴られ,これを訴えても相手にされなければ,気持ち悪くなったり,泣くのは当たり前である。このことは伴走していたBですら途中でぐったりしていたことからも明らかである。また,さらにその後も被告人が伴走したりして走らされ,一家を挙げて責められれば,疲れたりぜいぜいするのも,また,自室に戻り呆然自失するのも極めて当然のことであり,前記のような本件犯行直前のAの意識状態と対比しても,これをもって意識障害の徴候などとみることはできない。
しかして,Aが前記認定の高さからほぼ水平に落下させられれば,下が畳であったにしても,相当な衝撃を受けることは自明の理であって,(1)の頭蓋内損傷を惹起するに十分な外力であり,かつ,Aは落下した直後突如前記のとおり異常な状態を呈しているのであるから,これがAに対し,意識障害等の症状を惹起したとみるのが自然であるし,医学的にも不自然な点がなく,十分説明がつく。
若干ふえんすれば,医学的な点につき,G鑑定は,前記頭蓋内損傷は,頭部,顔面部にある外力を受けたときに,頭蓋骨の中で脳と硬膜が激しく振盪することによって同時に起き得る可能性があり,これらが別々に発生して共合したということは余り経験がない,本件では,脳全体の激しい脳震盪みたいなものが起きている可能性があるので,受傷直後から激しい重度の意識障害になったものと考えられる,Aの落下直後の症状は,上記頭蓋内損傷が生じたことにより始まった意識障害と考えると合理的に説明ができるものであり,被告人が,Aの頭頂部か,前頭部の辺りを手けんで2,3回殴打したことか,自分の胸辺りの高さまでAの体を持ち上げて,畳の上に落下させてしまったことのどちらかか,その両方が原因で,上記頭蓋内損傷が生じたものであると考える,もっとも,頭蓋内損傷の内の一つか二つは最初の外傷でできて,残りが後の外傷でできとのかということを考えようと思えば考えられるが,それも限られた時間内であり,その間の本人の状態がどうであったかが問題になる,しかし,それまで多少ふらふらするようなことがあったとしても,急激に意識を失うというような症状が起きるには,何かそこに別な力が加えられなければ駄目だったと思うし,これがその後の重篤な意識障害に影響を与えた可能性がないということはない,としている。
また,D大学医学部助教授・同大学病院救急救命センター副部長を務める医師Hも,証人として,解剖所見からは,Aには,急性硬膜下血腫,脳挫傷,びまん性軸索損傷というようなかなり重篤な脳損傷が認められ,かかる頭蓋内損傷形態では,基本的には受傷直後から意識障害が発現するという経過をとることが圧倒的に多く,これら重篤な脳損傷があったにもかかわらず,意識が清明な期間が数時間以上あったと考えるのは極めて不自然であり,他方,落下直後からAに急激に症状が出ていることからみて,本件の落下行為が今回の重篤な損傷を引き起こした基本的な原因と判断する,その前からの小さな損傷が寄せ集まったというより,ドンと落としたときに複合的に脳腫脹が生ずる原因が生じた可能性でおかしくない,外表面の損傷の部位,損傷の形態,程度と頭蓋内の損傷の程度というのは比例するものではなく,外見上打撲部位がはっきり分からなくても大きな頭蓋内損傷が生じているケースはあっておかしくないし,良く見ることはある,また,頭部の後ろを打って,左右に硬膜下血腫なり脳挫傷が生じるというのはおかしなことではない,と供述している。
G鑑定も,H証言も,多数の司法解剖あるいは臨床経験等に基づく豊富な知識や経験を踏まえたものであり,G鑑定には変遷もみられるが,いずれも全体として率直なものと認められる。
弁護人は,H証人は同病院での救急治療に過誤があった可能性を指摘される立場にあるので,保身のために被告人の行為に死因があると断ずることによって自らの責任を回避しようとすることは十分にあり得えるから,その供述の信用性は低いなどと主張する。
しかしながら,Aに対する治療には同証人以外にも複数の医師が関与しているし,その供述内容をみても意図的に供述を枉げているような形跡も窺われない。
以上のような点に鑑みれば,(1)に指摘のG鑑定の変遷を踏まえても,また,Aの頭部の創傷の全てが本件犯行によって生じたものではないとしても,被告人の判示行為が判示傷害を招来したことを優に認めることができるし,仮に被告人の行為以外の他の暴行が影響している可能性が全くないとはいえなくとも,Aの意識喪失等の経緯からみて,被告人の行為が相当程度関係していることは明らかであり,因果関係を否定する余地はない。
弁護人は,G鑑定は,複数回の外力により初めてAの死因となった頭蓋内損傷が生じて,それらが複合してようやく死因となった可能性を否定していないところ,本件落下行為以前に前記のとおりBあるいはCがAに対して加えた外力によって,既にAには死因となる頭蓋内損傷が生じており,少しずつ意識障害が重くなり,たまたま落下した直後に,意識障害の極限である意識喪失状態に陥ったという時間的な偶然の一致も可能性としてはあり得え,落下行為が死の結果には何ら影響を及ぼしていない可能性が存する以上,被告人の行為と死亡との間の因果関係は合理的な疑いを容れない程度に立証されたとは言えない旨主張するが,本件ではそのような全くの偶然の一致を考える余地がなく,因果関係の説明も十分であることは前記説示のとおりである。
弁護人の主張は採用し難い。
8 その他,弁護人の主張する点を検討しても,判示事実を左右する点は認められず,被告人に傷害致死罪が成立することは明らかである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法205条に該当するので,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件は,被告人が養子である被害者を被告人の上腹部ないし胸部付近まで持ち上げて落下させ,その頭部を畳に打ちつけさせるなどの暴行を加えて死亡するに至らしめたという傷害致死の事案である。
犯行に至る経緯は判示のとおりであり,Cの言を信じたBから連絡帳のページについて問い質され,困惑し,曖昧な返事をするしかなかった被害者をさらに詰問した挙げ句,判示の暴行に及んでいるが,他にとるべき方途があったことは明らかであり,その経緯には酌量すべき事情に乏しく,動機は分別を欠いた短絡的なものであり,斟酌の余地はない。態様は,体格において格段に劣る当時9歳の被害者の頭部を手けんで2,3回殴打した上,被告人の上腹部ないし胸部付近まで持ち上げて落下させるなどした粗暴かつ危険なもので悪質であり,親権者の行う懲戒権の範囲を逸脱していることは明らかである。被害者の生命が失われた結果の重大性については言うまでもない。親の愛を求めながら,養親とはいえ,その親からあらぬ疑いをかけられ執拗な追及にとまどいながら,なすすべもなく,被告人から理不尽な暴行を受け,わずか9歳で薄幸の人生を終えざるを得なかった被害者の末路は誠に哀れというほかなく,そのやるせなさ,無念さは察するに余りある。被告人は,しつけとはいえ,日頃から被害者に対して体罰を加えていたことも窺われ,本件は決してこれと無縁なものではない。
以上からすると,被告人の刑事責任は重大である。
そうしてみると,被告人は,故意については否認するものの,被害者の死亡に関係したこと自体については深く後悔し,苦悩していること,一時の感情に流された犯行であり,計画性は認められないこと,落下直後に被害者が異常な様子を呈してからは,救命のための努力をしていること,被害者らに対し被告人なりに愛情を示そうと努力したことは認められること,前科前歴がなく,これまで仕事に励み真面目に社会生活を営んできたこと,有罪となった場合失職せざるを得ない事情があること,健康状態など,被告人のために酌むべき事情も認められるが,これらの事情を十分に考慮しても,前記犯情に照らせば,主文の刑はやむを得ない。
よって,主文のとおり判決する。
(検察官橋本千惠子,弁護人岩城正光(主任),同木下淳博,同川村百合各公判出席)
(求刑 懲役4年)
(裁判長裁判官 田中亮一 裁判官 前澤久美子 裁判官 竹林俊憲)