横浜地方裁判所 平成12年(ワ)2100号 判決 2004年2月13日
原告
甲野花子
同訴訟代理人弁護士
新美隆
同
森田明
被告
横浜市学校保健会
同代表者会長
内藤哲夫
同訴訟代理人弁護士
金子泰輔
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 原告が被告に対し,労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は,原告に対し,3458万0050円及びこれに対する平成12年6月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は原告に対し,同月2日から本判決確定に至るまで毎月5日限り月額38万2100円の割合による金員及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,小学校の歯科巡回指導を行う歯科衛生士として被告に雇用された原告が,頸椎症性脊髄症による長期間の休業の後,職務の遂行に支障があり又はこれに堪えないとしてされた解雇を違法無効であるとして,被告を相手方として,労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めた事案である。
1 争いのない事実等
(1) 被告は,横浜市立学校における学校保健の向上に資することを目的として昭和32年に設立された団体であり,横浜市教育委員会から委託を受け,学校歯科保健事業を行っている。同事業の主な内容は,虫歯及び歯周疾患の抑制を図り歯磨き習慣の形成を行うことにより,児童の歯科保健向上を目指すことを目的として,横浜市立の小中学校のうち希望する学校に対して,被告が雇用する歯科衛生士を巡回させて行う歯科巡回指導である。
(2) 歯科巡回指導は,対象となる横浜市立の小中学校の各児童について,逐一,その歯口及び口腔内の清掃状況を検査し,その状態を当該児童に知らせ,歯口清掃,咀嚼,間食等の指導に当たることを内容とする歯口清掃検査と歯科保健指導とから成っている。
(3) 原告は,昭和42年4月1日上記の歯科巡回指導を行う歯科衛生士として被告に雇用された者である。
(4) 原告は,頸椎症性脊髄症に罹患したため,昭和63年12月23日私傷病職免(被告の職員が私傷病を理由に勤務することができない場合,1年間に90日を限度として与えられる職務専念義務の免除)の適用を受けて以降平成4年4月25日まで,私傷病職免,年次有給休暇(年休),有給休職及び無給休職の各制度を利用しながら休業し,さらに,同月26日から平成7年1月19日まで欠勤して休業した。
(5) 被告は,平成6年12月20日原告に対し,「被告職員の任免・給与・勤務時間その他の勤務条件に関する規程(以下「勤務条件規程」という。)3条3項2号により,平成7年1月19日をもって免職する」旨,予告解雇の通知(以下「本件解雇」という。)をした。
(6) 勤務条件規程には,以下の定めがある(甲1)。
(職員の定義)
2条 この規程による職員とは,横浜市学校保健会所属の事務職員及び歯科衛生士をいう。
(任免)
3条 職員の任用・休職・復職・免職・退職及び懲戒処分は会長が行う。
3 職員が,次の各号の一に該当する場合は,その意に反してこれを免職することができる。
(2) 心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合
2 争点
(1) 本件解雇の適否
(2) 未払賃金額
3 当事者の主張の骨子
(1) 争点(1)(本件解雇の適否)について
(被告)
ア 歯科巡回指導の内容
(ア) 歯科巡回指導を行う被告の歯科衛生士は,通常,巡回先の小学校に朝第1校時開始前に到着し,保健室で歯口清掃検査の準備を行い,午前中に歯口清掃検査を行い,引き続き,午後,歯科保健指導,検査結果の集計,まとめ,養護教諭との打合せ等を行って1日の予定を終了する。
(イ) 歯口清掃検査は,児童を一人ずつ順番に歯科衛生士の前に立たせた状態で,児童に対面した歯科衛生士が児童の口腔内の状態を検査する方法で行うが,このとき,歯科衛生士は児童の身長に応じて立ったり座ったり中腰になるなどして児童の口腔内を見る必要があり,また,児童の歯の状態を見るため,左手の親指と人差し指で児童のあごを支えながら右手に持った綿棒を使って児童の唇をめくり,上下左右の歯の表面及び裏面に順次綿棒を当ててその表面をぬぐい,歯の状態を確認し,口腔内が清潔であるか,歯肉の状況等を確認し,児童が十分に食物を咀嚼しているか,間食をするなど食生活ないし栄養状態に問題がないかを把握し,その上で,その場で,当該児童に対し,歯磨き方法,咀嚼方法,食生活等に関して口頭で助言し指導するなどする。また,以上のような検査結果に基づき,歯科衛生士が児童の口腔内の状態を,清潔度について「よく磨けている」から「たくさん磨き残しがある」まで4段階に分類し,その他「歯石が付いている」「色素が付いている」等の指摘項目を設け,児童に結果を告げる。
歯科衛生士は,大勢の児童の検査を決められた時間内に行わなければならないため,以上のような歯口清掃検査を児童一人につき数十秒ないし1分程度で行うことが必要であり,休む暇もなく連続して行わざるを得ないことも多い。
(ウ) 歯科保健指導のうち個別指導は,歯口清掃検査の結果,特に歯口清掃状態が良くない児童や歯石沈着のある児童,歯周疾患の疑いのある児童等に対して,歯科衛生士が個別に改善のための指導を行うものであり,通常は,対象となる児童のみを保健室や相談室に集合させ,1単位時間に4ないし5名に対して個別に行う。
歯科保健指導のうち集団指導は,学級単位で行われる学級活動の一助として,通常はクラスの教室で行い,担当の歯科衛生士が各教室に赴き,学校の指導目標に基づき1単位時間の指導を児童に対して行う。歯科衛生士は教壇に立ち,当該クラスの全員に対して,歯の磨き方等を,口腔や歯ブラシの模型等を使用して模範を示すなどして指導するほか,児童らに実際に歯磨きを行わせ,児童の席の間を移動し個別に児童に対して手を添えるなどして指導する。
イ 本件解雇の解雇理由の存在
(ア) 原告は,平成5年8月の時点では,介助者が押す車いすを使用しなければ移動することができず,また,左手が全く動かない状態であり,本件解雇当時も,左上下肢に麻痺があり,自力で移動することができず,介助者が常時必要であった。
被告に雇用される歯科衛生士が行うべき歯科巡回指導の内容は,上記アのとおりであるから,原告にこれを遂行することができないことは明らかであり,勤務条件規程3条3項2号「心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合」に該当する。
(イ) 原告は,被告において行われている現実の業務を行うことができないことについては認めた上で,職場環境を工夫することによって原職復帰が可能である旨主張する。
しかし,本件解雇当時,原告は何ら具体的な工夫について主張及び説明をしなかった。
また,原告は,現在,① 児童を座らせ,自分も座って検査する方法,② 児童の座るいすを二つ用意し,交互に検査する方法,③ 児童を寝かせ,上からのぞくようにして検査する方法,④ 原告が座り,児童の頭を原告の膝の位置に固定し検査する方法等を主張しているが,いずれの方法も,児童一人につきある程度の時間をかけることが必要となるが,実際には児童一人にかけられる時間が極めて限られていることは上記ア(イ)のとおりであり,原告主張の方法を採用した場合には時間が足りず,歯口清掃検査を日程どおりに実施することが不可能になる。
また,歯口清掃検査では,個別の児童の状況に応じ,両手指を使用して児童の口腔内の状況を見,その指を消毒し,更に,姿勢を変えて児童の口腔内の様子を見ることのできる位置を確保しなければならないが,原告にはこれは不可能であり,検査手順をいかに工夫しても,この問題を解消することはできない。
③及び④の方法は,そのような姿勢を取らなければならない児童の心情を全く考慮しておらず,教育的配慮から採用することはできない。
さらに,原告は,介助者を含めた原職復帰を主張するが,学校教育現場における歯科に関する保健検査という,児童のプライバシー保護の要請が極めて強い場に第三者である介助者を関与させることは,被告として認められるものではない。
以上のとおり,原告の主張する工夫とは,被告における実際の職務内容や,それが教育現場における学校保健教育の一環であるという視点を欠き,採用することができないものである。
ウ 本件解雇に至る経緯
原告は,平成5年8月当時,介助者が押す車いすを使用しなければ移動することができず,また,左手が全く動かない状態であり,被告における職務遂行に堪えられない状態であることが明らかであったが,被告は,最終判断に慎重を期するため,原告に対し,診断書の提出及び被告の指定する医療機関での受診を求めた。しかし,原告は被告のこれら要望を合理的な理由もなしに何度も拒否した。
被告は,同年12月27日原告に対し,改めて診断書の提出を求めたところ,原告は内科的健康診断の結果を記載した診断書を提出しただけで,歯科衛生士としての具体的な被告の業務に従事することが可能であるかどうかを明らかにしなかった。
そこで,被告は,原告の身体の状況を直接原告から確認するため平成6年3月17日原告に対する弁明の機会を設けようとしたが,原告がこれを拒否したため実施することができず,やむを得ず,かかりつけ医ないし公的医療機関において整形外科医による診断を受け,被告における勤務が可能であるかどうかについての診断書を提出するよう再度依頼したところ,原告は,同月31日主治医の診断書を提出したが,それによれば,原告には左上下肢の麻痺があり,移動,通勤に補助があり,左上肢に負担を掛けなければ勤務は可能であるとのことであって,左上肢に負担を掛けざるを得ない被告の業務には堪えられないものであることが判明した。
被告は,その後原告に対し弁明の機会を与えた上で,諸事情を勘案して本件解雇を行ったものである。
(原告)
ア 本件解雇の解雇理由の不存在
事業主は,障害者の雇用及び雇用継続のために労働環境を整備するべきことが,各種条約,法律,指針等で求められており,障害者を解雇するに当たっては,原職復帰可能性について,身体状況の正確な把握,職場の改善,補助器具の利用等の可能性も含めて具体的に十分な調査・検討を加えた上で職務遂行可能性を検討しなければならない。
原告は,被告の主張する「現状の巡回指導」を行うことはできない状況であったが,以下のとおりの工夫等により通勤及び職務を行うことができるのであるから,勤務条件規程3条3項2号には該当しない。
(ア) 原告の身体の状況
平成6年3月28日当時,原告の左上下肢には麻痺があったが,これは完全麻痺ではなく,左手を動かすことは可能であり,原告の主治医は勤務が可能であると判断していた。
それにもかかわらず,被告は,上記主治医の診断書を無視して勤務不可能と判断しており,原告の身体状況を正確に把握しようとする努力を行わず,原告の左手は全く動かないという誤った前提の下で本件解雇を決定した。
(イ) 通勤
原告は車いすを使用しているが,今日,公共交通機関,学校等の場において車いす利用者のための設備の整備が進められており,通勤は十分可能である。
(ウ) 就労環境の整備
学校巡回指導のやり方は多様であり,歯科衛生士の状況に応じて工夫されてよいものであるし,補助具の使用も検討されるべきであって,被告のように,そもそも車いすで学校内に入ること自体容認しないという発想は根本的に誤っている。
歯口清掃検査については,原告も検査を受ける児童もいすに座って行うことが可能であり,より迅速に行おうと思えば,児童の座るいすを二つ用意して交互に検査すればよい。より適切な方法としては,児童を原告の前に寝かせ,原告が上からのぞき込むように検査することが考えられ,児童を寝かせるための台等は簡単に用意することができる。
歯科保健指導のうち,個別指導については,幾らでも方法を工夫することができ,集団指導についても,原告の身体を持ち上げることのできるいすないし車いすを使用すれば歯口の模型をクラス全員に示すことができるし,歯磨きの模範指導を歯科衛生士が自ら行うことや,児童の机の間を巡回することは必須ではなく,他の方法で工夫が可能である。
その他,荷物の運搬等について問題が生じる可能性もあるが,いずれも,介助者を付けたり,周囲の者の協力を得ることで解決することができる。
イ 憲法14条1項,労働基準法3条違反
原告の歯科衛生士としての能力には何ら問題はなく,本件解雇は,単に原告に身体障害が存在することを理由とするものである。
障害者の職業,リハビリテーション及び雇用に関する条約,障害者基本法,身体障害者福祉法,障害者の雇用の促進等に関する法律等において,障害者に自立可能な積極的援助を与えつつ,すべての分野でその権利を保障することが確立した法規範として示されており,この理念は公序であるだけでなく憲法秩序としても認められなければならないものであり,障害者という社会的地位は,差別的取扱いが禁止される社会的身分であると解される。
原告が被告に求めた介助者付きの勤務は,障害者の労働の権利を保障する必要から当然のことであって,自力通勤,自力勤務を絶対視する思想は障害者差別であって,このような差別的理由に基づく本件解雇は,憲法14条1項,労働基準法3条に違反し無効である。
ウ 解雇権の濫用
被告は,原告に対する本件解雇を検討するに当たり,被告のいう現行の職務内容を全く変えないことを前提として原告に職務が不可能であるとしている上,原告に対する弁明の機会も,原告を解雇するとの結論を出した上での形式的なものにすぎず,原告が職場環境の改善を提案しようとしても聞こうとさえしなかった。
被告は,原告のニーズに対する配慮を尽くして被告の職員としての業務を可能にする具体的な検討,努力を行うことなくあえて本件解雇を行ったものであり,解雇権の濫用であって無効である。
特に,原告の従事していた業務が,学校の教育行政に組み込まれていることからすれば,車いすにより巡回指導業務を可能にする条件整備のコストは,原告の業務遂行の姿勢を示すことにより児童生徒に与える教育効果に比すべくもない。
また,原告が障害者になったのは,被告職員としての過重な勤務に基づくものであり,その原告を解雇することは,権利濫用である。
(2) 争点(2)(未払賃金額)について
(原告)
原告の本件解雇当時の月額の賃金は,38万2100円(扶養手当及び住宅手当を含む。)であり,毎月5日払いであった。
また,本件解雇の日の翌日である平成7年1月20日から本訴訟提起までの未払賃金の総額は,上記月額賃金90.5か月分に,毎年夏期(6月),年末及び年度末の各期末手当5.3か月分を加えた合計3458万0050円である。
よって,原告は被告に対し,平成7年1月20日から本訴訟提起までの未払賃金合計3458万0050円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成12年6月24日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金並びに本判決確定に至るまで毎月5日限り月額賃金38万2100円の割合による金員及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで前同年5分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
第3 当裁判所の判断
1 事実経過
争いのない事実等,証拠(甲1,2,甲4ないし7,甲29,32,39,甲51ないし55,甲57,58,甲59の1ないし3,甲60,61,63,乙1ないし37,乙39ないし44,乙57ないし65,乙67,68,証人長島清,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 被告の組織等
ア 被告には,会長1名,副会長若干名(平成6年当時3名),理事(常務理事を含む。)若干名,監事若干名の役員が置かれ,横浜市教育委員会事務局に事務局が置かれている。常務理事には上記委員会事務局学校保健課(以下「学校保健課」という。)の課長が就任することとされ,同課の係長1名も理事に就任し,被告の事務を執り行うこととされている。
イ 被告には,学校医部会,学校眼科医部会,学校耳鼻咽喉科医部会,学校歯科医部会,学校薬剤師部会,校長部会,養護教諭部会及びPTA部会が置かれ,各部会長には医師の資格を持つ者が就任している。被告が重要な決定を行う場合には,会長,副会長及び部会長をもって構成される部会長会の検討を経ることを例としている。
ウ 被告の職員は歯科衛生士と事務職員との2種類の職種に分かれているが,このうち歯科衛生士は,歯科衛生士法に基づき厚生労働大臣(平成11年法律第160号による同法改正前 厚生大臣)の免許を受けた歯科衛生士の資格を有する者であることが要件とされている。一方,事務職員の業務については,上記委員会所属の職員に対する嘱託によって賄っている。
(2) 歯科巡回指導の内容
ア 歯科巡回指導は,虫歯及び歯周疾患の抑制を図り,歯磨き習慣の形成を行うことにより,児童の歯科保健向上を目指すことを目的として,横浜市立の小中学校のうち希望する学校に対して,被告が雇用する歯科衛生士を巡回させて行う歯科巡回指導である。
イ 歯科巡回指導は歯口清掃検査と歯科保健指導とから成っているが,上記目的の下で,歯科巡回指導における中心的かつ不可欠の要素となっているのは歯口清掃検査であり,業務量からいっても,歯口清掃検査が歯科巡回指導の業務の大部分を占めている。
ウ 歯口清掃検査は,歯科巡回指導の対象となる学校の全児童について,逐一,その歯口及び口腔内の清掃状況を検査し,その状態を当該児童に知らせ,歯口清掃,咀嚼,間食等の指導に当たることを内容とするものである。歯科保健指導は,歯科衛生士が1集団(通常は1クラス)の児童に対し,一括して,歯磨き等基本的な生活習慣の育成を目的として歯科保健を正しく理解させることを内容とする集団指導と,歯口清掃検査の結果,特に指導を要するものと認められた児童に対して個別に指導を行い,歯科保健の重要性を理解させることを内容とする個別指導とから成っている。なお,集団指導は,当該学校の事情により行われないこともある。
エ(ア) 昭和57年度以降,被告に対して歯科巡回指導の希望があり,これが実施された実績があるのは,小学校のみである。このうち,被告が,平成4年度ないし平成7年度に歯科巡回指導を実施した小学校数,対象児童数は以下のとおりであり,これを担当した被告の歯科衛生士数(実働)はいずれの年度も7名である。
平成4年度
対象校数314校
対象児童人数19万6658名(延べ人数33万7384名)
平成5年度
対象校数317校
対象児童人数19万3043名(延べ人数34万8644名)
平成6年度
対象校数319校
対象児童人数18万6032名(延べ人数34万589名)
平成7年度
対象校数323校
対象児童人数18万2964名(延べ人数33万9571名)
(イ) 被告においては,毎年の年度始めに,どの歯科衛生士がどの小学校をいつ巡回するかの日程を決定し,各歯科衛生士はこの日程に従い,各小学校ごとに一人で歯科巡回指導を行うものとされている。歯科衛生士の勤務日は,毎週月曜日ないし金曜日であるが,歯科衛生士は,このうち4日は原則として歯科巡回指導を行い,残りの1日は被告事務所で事務処理を行っている。
オ 被告の歯科衛生士が小学校へ歯科巡回指導に赴く場合の1日のタイムスケジュールは,おおむね以下のようになることが多い。
① 歯科衛生士は,被告事務所に立ち寄ることなく,必要な機材を持って自宅から直接巡回先の小学校へ向かい,午前8時20分ないし30分ころ到着し,保健室において,当該学校の養護教諭と協力しながら,歯口清掃検査を行うための会場設営,床の清掃,検査前に行う事前説明用の資料の掲示,検査に使用する消毒用薬液等の用意を行い,午前8時45分第1校時開始と同時に1クラス単位で歯口清掃検査を行う。
② 歯口清掃検査は,昼食前に行わなければ児童の口腔内の状態が変わってしまうため,その日に検査を行うことになっている児童の歯口清掃検査は,すべて第1校時開始から第4校時終了までの約180分間(休憩時間を除く。)に行う必要がある。検査の対象児童数は小学校ごとに異なるが,児童数が多い学校は800人を超えるものもある。
③ 午後0時10分から午後1時35分までは昼休みであり,この間,歯科衛生士は,昼食をとったり休憩したりするほか,午後に歯科保健指導が予定されている場合にはその準備も行う。
④ 第5校時は午後1時35分から始まり,歯科保健指導,検査データの集計,当該学校の教諭への報告等を行い,業務が終了すると被告事務所へ戻り,事務整理等を行う。
カ 歯科衛生士は,歯口清掃検査の実施に当たり,児童に対面し,児童に口を開けさせて口腔内を見,歯,歯茎等口腔内の状態を検査する。現状では,児童は歯科衛生士の前に立って口を開け,歯科衛生士が児童の身長に応じて立ったり座ったり中腰になるなどして口腔内が見える位置を確保するようにしている。歯科衛生士は,児童の歯を覆っている唇をめくり,あるいは押し下げるなどして児童の歯をむき出しにさせなければならないが,原告が巡回指導に従事していた当時は,歯科衛生士は指にサックを付け,両手の指を使って児童の唇に直接触れてこれを押し広げて歯の状態を見,一人の児童の検査が終わると,近くの台上に用意したアルコールを含ませた綿で指先をぬぐって消毒し,すぐに次の児童の検査に取り掛かっていたものである。現在では,歯科衛生士は左手の親指と人差し指で児童のあごを支えながら右手に持った綿棒を使って児童の唇をめくり,上下左右の歯の表面及び裏面に順次綿棒を当ててその表面をぬぐい,歯の状態を確認することとしており,児童一人の検査が終わるごとに使用した綿棒を廃棄し,次の児童に対しては新しい綿棒を使用している。
歯口清掃検査の際,特に歯磨き方法等について指導が必要であると認められた児童に対しては,歯科衛生士が,その場でどの部分が磨けていないかを示したり,どのように歯磨きをすればその部分を十分磨くことができるか等を実演して見せたりしなければならないこともある。
キ 集団指導において,歯科衛生士は,歯の磨き方等を,口腔や歯ブラシの大きな模型等を使用して模範を示すなどして指導するほか,児童らに実際に歯磨きを行わせた後磨き残し部分を染色剤で染色させ手鏡を用いてチェックさせるなどの方法を採ることもあり,この場合,教壇でクラスの全員に対して説明を行い,児童の間を見回って,磨き残しがないかどうか,正しい方法で歯磨きができているかどうかなどを確認し,不適切な方法で磨いている児童があれば,実際に手を添えて正しい方法を指導する必要がある。個別指導においても,歯科衛生士が実演をすることが必要な場合が多い。
(3) 本件解雇に至る経緯
ア 原告は,昭和42年4月1日,被告に横浜市立の小中学校の児童に対する歯科巡回指導を行う歯科衛生士として,職種及び業務内容を定めて雇用された。
イ 原告は,昭和63年12月19日,横浜市立大学医学部病院医師から頸椎症性脊髄症であり休業を要するとの診断を受けたため,同月20日被告に対し,頸椎症性脊髄症を理由に私傷病職免及び年休の取得を申し出,同月23日から私傷病職免の適用を受けて,同月28日,国家公務員等共済組合連合会横浜南共済病院に入院し,平成元年1月20日頸椎固定の手術を受けた。
その後,原告は,私傷病職免及び年休を組み合わせて同病院への入院を続けたが,私傷病職免及び年休の所定の枠をすべて消化し終えた同年4月25日時点においても入院が必要であり,被告の業務に従事することができない状態であったことから,被告に対し,「病名 頸椎症 63年12月28日入院,平成元年1月20日手術,現在リハビリテーション中。上記疾病により4月26日より7月25日まで向こう3か月間通院及び入院加療,休業を要するものと診断いたします。」旨記載された同病院医師作成の同年4月20日付け診断書及び休職願を提出し,同月26日から有給休職の適用を受けた。その後,原告は,3か月ごとに,頸椎症性脊髄症及び腰椎椎間板ヘルニアにより入院加療中であり休業が必要である旨の同病院医師作成の診断書を添えて休職期間の更新を申し出,休職を続けた。
原告は,平成2年4月ないし7月ころ同病院を退院し,引き続き休職のまま同病院に通院して治療を受けるようになり,同年9月,横浜市総合リハビリテーションセンターにおいてリハビリテーション訓練を受けるようになった。このころ,原告は,補助具を用いることによって介助者を付けることなく歩行することが可能になっていたが,休業が必要であるとして被告に対して休職願を提出し,同年10月25日有給休職の期間満了後,同月26日から無給休職の適用を受けた。その後,原告は,3か月ごとに,頸椎症性脊髄症であり休業が必要である旨の同病院医師作成の診断書を添えて休職期間の更新を申し出,休職を続けた。
ウ 原告は,平成3年2月下旬,両足がつるなどして補助具を用いても歩行することができず,車いすを使用し,かつ,介助者の介助を受けなければ外出することも日常生活を送ることもできない状態となり,上記センターでのリハビリテーション訓練も中断された。
また,原告は,同年7月ころ,上記センターの医師に対し,左上肢を上げ続けることができず,震え等の不随意運動が起きる旨訴えた。
エ 原告は,このころから武蔵野赤十字病院医師杉井吉彦(以下「杉井医師」という。)の診察を受けるようになり,同医師も,原告の症状を頸椎症性脊髄症であり,加療及び休業が必要である旨診断し,その後も原告の主治医として原告の診察を続けた。
オ 原告の休職期間は,平成4年4月25日までであり,同日を経過してもなお業務に従事しない場合は,休職と認められず欠勤となることになっていた。このため,原告は,従前に比べ特段身体の運動機能が改善したわけではなかったが,同年2月4日被告の担当者に対し,介助者を付けた状態で歯科巡回指導業務に復帰させてほしい旨原職復帰の希望を口頭で申し入れ,さらに,同年3月25日被告に対し,介護者付きの原職復帰及び養護学校への歯科巡回指導を担当させることを求める書面を差し入れた。被告は,原告に対し,原職復帰ができるかどうか検討するので,至急診断書を提出するよう求めたが,原告はこれに応じなかった。
原告は,同年4月10日被告に対し,休職期間も残り少ないので,これまでの業務形態を変え,原告の現状でも従事することができる仕事を用意してほしい旨記載した「原職復帰願」及び「病名 頸椎症性脊髄症 上記により通院中であるが,現在の状態で単独の就業は困難と考える。」旨記載された杉井医師作成の同月8日付け診断書(なお,同医師は,当時既に診療所「本町クリニック」に移籍していた。以下「杉井診断書①」という。)を提出した。これに対し,被告は,同月18日,杉井診断書①の内容から見て養護学校の歯科巡回指導を含めて復帰は困難であり,介助者付きの身体障害者雇用は行っていない旨の回答をした。
カ 原告及び被告は,同月21日話合いを行った。その際,被告は,原職復帰には自力通勤及び自力勤務ができることが必要であるとして,介助者付きの原職復帰に難色を示し,原告に対し,被告の指定する医師の診断を受け,原告の身体の現状を客観的に明らかにすることを求めたが,原告の無給休職期間が同月25日で終了することについては,原職復帰の可否を判断している途中であることにかんがみ,同月26日以降欠勤扱いとしつつ,欠勤を理由に解雇することはしないこととした。被告は原告に対し,同年5月1日にも被告が指定する医療機関の整形外科において診察を受けるよう求めたが,原告は被告からのいずれの求めにも応じなかった。
キ 原告は,平成5年3月,再び被告に対し,原職復帰を求める交渉を申し入れ,同月10日,同年4月30日,同年8月23日及び同年12月17日,被告の担当者と直接あるいは電話で交渉し,介助者付きの原職復帰を求めた。これに対し,被告は,巡回する学校までの距離を考えると車いすでの移動は困難であると思われる,検査のためには児童の口を両手で開ける必要があるが,原告の現状ではその動作は無理である,検査するべき児童数が多いので原告には無理である等,被告の考えを説明した。
ク 被告は,同月27日臨時部会長会を開催して原告の原職復帰の申し出について協議を行い,復帰の可否を決定するためには専門家である医師の診断が不可欠であるとして,原告に再度診断書の提出を求めることとした。
ケ 原告は,平成6年1月4日学校保健課の事務所を訪れ,同課の職員に対して原職復帰を求める旨の要請行動をした。これに対し,当時被告の理事を兼ねていた同課課長佐藤寿及び同係長長島清は,原告の要請行動に応接するとともに,改めて原告に診断書の提出を求めた。
なお,原告は,同日以降同年6月13日まで,平日は毎日のように同課を訪れ,同課にある来客用テーブル等で何時間も過ごすようになったが,この間,原告は常に介助者に車いすを押してもらっており,自分で車いすを動かすことはなかった。また,原告は,左上肢にはいつも膝掛けを掛けてこれをかばうようにしており,左上肢に動きがあるようには見えなかった。
コ 原告は,同年2月23日被告に対し,「内科的健康診断の結果,エックス線写真(胸部),心電図,異常所見なし。血圧126/80,検血,腎肝機能検査,コレステロール,貧血,糖尿病の検査も異常なし。検尿異常なし。よって勤務に差し支えないものと認めます。」旨,専ら内科的所見が記載された村市医院医師村市徹郎作成の同月8日付け診断書(以下「村市診断書」という。)を提出した。
被告は,同年3月8日臨時部会長会を開催して上記診断書の内容を検討したが,原告の原職復帰の可否を判断するためには,左上肢が支障なく動くか等,身体の運動機能の現状を知る必要があったのに対し,村市診断書ではこれが全く不明であったため,原職復帰の可否について判断することができなかった。そこで,同会では,原告に直接事情を聞くための弁明の機会を与えることを決め,被告の担当者は,同月14日原告に対し,同月17日に30分ほど話を聞きたいので出頭するよう通知した。
しかし,原告は,この通知に当たって被告が付した,テープレコーダー等による記録は禁止する,介助者の同席は一人のみとし,労働組合関係者の同席を認めない旨の条件に反発し,同月15日その条件は受け入れられないとして出頭を拒否したため,同月17日弁明の聴取は行われなかった。
サ 被告は,同日臨時役員会を開いて今後の対応を協議し,原告に対し,診断書の提出を再度求めることとし,同月22日原告に対し,書面で,歯科衛生士としての勤務ができるかどうか判断することができるよう,かかりつけの本町クリニック又は公的医療機関において整形外科医による診断を受け,同月31日午後4時までに被告に対してその診断書を提出するよう求めた。
これに対し,原告は被告に対し,同月25日いったんは原職復帰を前提としない診断書を提出する意思はない旨の書面を提出したが,同月31日「病名 頸椎症性脊髄症 左上・下肢の麻痺による。移動,通勤に補助があり(車いすその他),左上肢に負担をかけなければ勤務は可能と考える。」旨記載された杉井医師作成の同月28日付け診断書(以下「杉井診断書②」という。)を提出した。
被告は,これを受けて,同年4月6日臨時役員会を開催し,杉井診断書②を資料として原告の原職復帰の可否について検討したが,結論を出す前に改めて原告の弁明を聞く機会を設けることにして,同月18日原告に対し,同月25日弁明の機会を設けるので出頭するよう通知した。
シ 被告は,同日,原告,原告の介助者1名,被告会長,同副会長3名,同理事4名の出席を得て,原告の弁明を聞く会合を開いた。原告は,理事からの「歯口清掃検査を行う場合,児童の背の高さに合わせて原告の視線の高さを合わせることができるか。」との質問に対して,これまでのように立った状態で歯口清掃検査を行うことはできない旨答えたほか,左手が震えてしまい,仕事をするにも力が不足しており,児童の唇を指で押し広げることもできない旨述べた。
ス 被告は,再度原告の弁明を聞く機会を設けることとし,同年5月24日原告に対し,同月30日に再度弁明の機会を設けるので出頭するよう通知した。原告は,同月27日,弁明などする必要はない,原職復帰を前提とした話合いならば行う等と返答したが,同月30日の会合には出席した。
この会合には,被告側からは,被告会長,同副会長3名,同理事4名が出席していたが,原告は,席上,弁明に来たのではなく被告からの質問を聞きにきたので,被告側出席者からの質問はすべて録音する,自分の身分にかかわることは労働組合の担当者の立会いがなければ聞く積もりはない等と繰り返し,弁明を行わないで退席した。
セ 被告は,同年8月4日臨時部会長会を開催し,杉井診断書①,同②,同年4月25日原告が行った弁明等により知ることができた原告の身体,特に左上肢の機能の制限に関する知見に基づいて原告の処遇について検討を行った結果,原告には,被告の就業規則に当たる勤務条件規程の3条3項2号にいう「心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合」に該当する事由がある旨判断した。
ソ 以上により,被告は,同年12月20日原告に対し,勤務条件規程3条3項2号に該当するので平成7年1月19日付けで解雇する旨,予告解雇の通知をした(本件解雇)。
タ 本件解雇当時,原告は,左上肢を一時的に上げることはできるものの,左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であるばかりか,左上肢を上げ下げする動作を繰り返していると左手に震え等の不随意運動が生じてしまうという状態にあった。また,左手の握力は9ないし12キログラムと,小学校低学年の女子程度のレベルしかなく,特に左手母指の筋力が著しく弱い状態にあった。そして,原告の左上肢における以上のような機能の制限状況は,平成14年10月31日(原告本人尋問期日)当時も改善されていない。
なお,本件解雇当時,原告は,補助具を用いても自力で立つことができず,常時車いすを使用する必要のある状態にあった。現在では,ある程度車いすでの自力走行が可能な状態になっているが,補助具を用いても自力で立つことができない状態にあることには変わりがない。
2 争点(1)(本件解雇の適否)について
被告は,本件解雇当時,原告が勤務条件規程3条3項2号「心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合」に該当した旨主張するので,以下検討することとする。この場合,原告は,小中学校の児童に対する歯科巡回指導を行う歯科衛生士として,あらかじめ職種及び業務内容を特定して被告に雇用されたのであるから,特定されたこの職種及び業務内容との関係でその職務遂行に支障があり又はこれに堪えないかどうかが,専ら検討対象となるものである。
(1) 原告は,昭和63年12月以降頸椎症性脊髄症のため就業することができず,平成4年2月に原職復帰を申し入れるまでは一度も原職復帰を申し入れず療養に専念していたこと,原告は同月25日以降被告に対して原職復帰を申し入れるようになったが,それ以前に比べ上肢の運動機能が改善したことを示す事情はなかったこと,原告の主治医である杉井医師は,同年4月8日,原告の現状では単独の就業は困難である旨の診断書(杉井診断書①)を,平成6年3月28日,原告の左上下肢に麻痺がある旨の診断書(杉井診断書②)を作成していること,原告は,同年4月25日,「歯口清掃検査を行う場合,児童の背の高さに合わせて原告の視線の高さを合わせることができるか。」との質問に対して,これまでのように立った状態で歯口清掃検査を行うことはできない旨答えたほか,左手が震えてしまい,仕事をするにも力が不足しており,児童の唇を指で押し広げることもできない旨述べていること,本件解雇当時,原告は,左上肢を一時的に上げることはできるものの,左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であるばかりか,左上肢を上げ下げするなどの動作を繰り返していると左手に震え等の不随意運動が生じてしまうという状態にあり,左手の握力は9ないし12キログラムと,小学校低学年の女子程度のレベルしかなく,特に左手母指の筋力が著しく弱い状態にあったこと,原告の左上肢における以上のような機能の制限状況は,平成14年10月31日(原告本人尋問期日)当時も改善されていないこと,本件解雇当時,原告は,補助具を用いても自力で立つことができない状態にあったが,この点は現在でも変わりがないこと,以上の事実は,上記1(3)認定のとおりである。
以上によれば,原告の身体,特に左上肢には麻痺(不完全麻痺)があり,左上肢の上下動等の動作自体は可能であったものの,左上肢,中でも左手の動きを自己の意思で確実にコントロールすることは困難な状態にあり,左手で微細な動作を的確に行うことはできなかったこと,このような左上肢の機能の制限状況は,平成14年10月31日当時まで変わりがなかったものと認めることができる。
(2)ア 被告において,歯科衛生士が行う歯科巡回指導の中心的かつ不可欠の要素となっているものは歯口清掃検査であり,業務量からいっても,歯口清掃検査が歯科巡回指導の業務の大部分を占めていること,昭和57年以降被告が行う歯科巡回指導の実績は小学校のみに限られていることは上記1(2)エ(ア)認定のとおりである。
イ そこで,歯口清掃検査について見てみると,上記1(2)カ認定のとおり,歯科衛生士がこの検査を行うに当たっては,検査対象児童の歯,歯茎等,口腔内の状態を正確に把握することが必要であるところ,そのためには,① 歯科衛生士が,検査対象児童の口腔内をのぞき込むことができる適切な視線の位置(高さ)を確保する,② 歯を覆っている唇あるいは口付近の肉を検査の邪魔にならないよう押し広げるなどし,歯をむき出しにする,以上の2点が最低限必要である。
ウ このうち,上記イ①については,多くの児童を短時間に検査する必要性もあり,本件解雇当時から現在に至るまで,歯科衛生士及び検査対象児童が起立した状態で向かい合い,背の低い児童に合わせて歯科衛生士が中腰になるなどして,最も口腔内を見やすい位置を確保していることは,上記1(2)カで認定したとおりであり,上記(1)のような身体状況にあった原告がこの方法による検査を行うことができないことは明らかである。
しかし,証拠(甲32,51,61,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,適切な視線の位置の確保のためには歯科衛生士及び検査対象児童が起立することが不可欠というわけではなく,歯科衛生士が着席した姿勢であっても,検査対象児童をいすに座らせ,場合によっては児童に指示して,児童自身に頭の位置を動かすようにさせるなどすることで適切な位置を確保することができ,児童が着席に要する時間を短縮する必要があれば,児童が座るいすを複数用意し,次に検査を受ける児童をあらかじめ座らせて待機させること等によって対応できるものと認められ,このような方法を採ることにより,検査対象児童に対し看過し難い悪影響を与える,あるいは歯口清掃検査が著しく停滞するなどの事情は認められないから,車いすを使用する原告であってもこのような方法で検査を行うことができるのではないかと思われるところである。
エ 他方,同②については,上記1(2)認定の事実によると,被告の歯科衛生士は,歯口清掃検査のために,歯を覆っている唇をめくったり押し下げたりし,口の周りの肉を押し広げるなどして歯をむき出しにした上で,歯,歯茎等,口腔内の状況をチェックし,その際,原告が巡回指導に従事していた当時は,歯科衛生士が指にサックを付け,一人検査するごとに,付近に置いたアルコール綿で指先を消毒しながら直接検査対象児童の唇に触れており,現在では,綿棒を用いて唇を持ち上げるなどし,歯の表面をぬぐって歯の状態を検査しているというのである。
このような作業内容にかんがみると,児童の口唇部分は柔らかく傷つきやすいものと考えられるから,検査に当たる歯科衛生士は,児童の口唇に傷を付けたり,児童に不必要な痛みを与えたりしないことが強く求められるほか,唇という部位の性質上,これを触れられる当該児童ができる限り不快感を覚えないように配慮することも当然のこととして求められるところである。さらに,歯科衛生士が児童の唇等に直接触れる場合,歯科衛生士の指先に児童の唾液が付着することは避けられないところ,衛生上の観点から,指先を確実に消毒してから次の児童の検査に着手することが不可欠であるし,綿棒を使用する場合には,細く軽い綿棒を確実に持って動かし,必要な位置にこれを動かすことができなければならないことは当然である。
以上のような要請を満たす検査を行うには,歯科衛生士は,自分の両上肢の動きを自己の意思で完全にコントロールし,手指を用いて細かな作業を行うことができなければならないというべきであるところ,上記(1)のような原告の左上肢の状況にかんがみると,原告の左上肢は,このような作業を行うには堪えられなかったことは明らかであり,結局,原告は,本件解雇当時,歯口清掃検査を行うことができない状態にあったというべきである。
(3) そして,被告において歯科衛生士が行う歯科巡回指導の中心的かつ不可欠の要素となっているものは歯口清掃検査であり,業務量からいっても,歯口清掃検査が歯科巡回指導の業務の大部分を占めていることは上記(2)ア判示のとおりであることからすると,原告はこのように被告の業務中最も重要な意味を有することが明らかな歯口清掃検査そのものを行うことができないのであるから,本件解雇当時,原告が勤務条件規程3条3項2号「心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合」に該当していたものといわざるを得ないところである(なお,原告の身体状況,特に左上肢の機能の制限状況が,本件解雇時から7年以上経過した後の平成14年10月30日当時まで変わりがなかったことは,上記(1)判示のとおりである。)。
(4) 原告は,本件解雇は,単に原告に身体障害が存在することを理由とするものであるから,介助者付きの原職復帰を認めずにした本件解雇は憲法14条1項,労働基準法3条違反である旨主張するが,上記左上肢の機能の制限は,歯科衛生士としての資格を持つ原告自身が行わなければならない事柄に関する問題であって,介助者の有無によって結論に差異をもたらすものではないから,原告の主張は前提を欠いている。
(5) また,被告が原告に対し,平成4年2月以降,原告の身体状況を客観的に把握するため再三にわたって診断書の提出を求め,3度にわたって弁明の機会を与えた上で,諸事情を検討の上本件解雇を行ったことは上記1(3)認定のとおりであり,本件解雇が解雇権の濫用に当たると認めるに足りる事情を認めることはできない。このほか,原告は,原告が障害者となったのは,被告職員としての過重な勤務に基づくものであり,そのような関係にある原告を解雇することは権利の濫用である旨主張するが,この主張に沿う事実を認めるに足りる証拠は見当たらない。
(6) 以上によれば,本件解雇は適法と認められる。そうすると,原被告間の雇用関係は,本件解雇の効力が発生する平成7年1月19日限り終了したこととなるものである。
3 結論
以上の次第であるから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求にはいずれも理由がない。
(裁判長裁判官・福岡右武,裁判官・脇博人,裁判官・藤原典子)