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横浜地方裁判所 平成12年(ワ)335号 判決 2001年1月23日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

川瀬冨士子

被告

平川稔裕

右訴訟代理人弁護士

高江満

阿部一夫

佐々木龍太

安田信彦

主文

一  被告は、原告に対し、金四三八万四〇九八円及びこれに対する平成一一年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、金六一〇万二二二〇円及びこれに対する平成一一年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行宣言を求める。

第二  事案の概要

一  事案の概要

本件は、被告の飼い犬に吠えられたため、転倒して傷害を負った原告が、被告に対し、民法七一八条(動物占有者の責任)に基づき、その損害賠償残金六一〇万二二二〇円及びこれに対する不法行為の日以降の日である平成一一年四月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  当事者間に争いがない事実等(当事者間に争いがない事実以外の認定事実については、当該認定事実の末尾に認定に供した証拠を摘示する。)

1  原告は、平成一一年四月一日午後六時四〇分ころ、神奈川県鎌倉市台<番地略>の自宅前道路角で佇立していた。被告は、その飼い犬(犬種ラブラドールレトリバー、年齢一歳五ヵ月、雌、大型犬。以下「本件犬」という。)にリードを付けて散歩に連れ出し、原告方前方道路にさしかかった。すると、突然、本件犬が原告に向かって吠えかかったことから、原告は、驚愕のあまり歩行の安定を失って、その場で転倒し、左下腿骨骨折(両骨幹部)の傷害を受けた(以下「本件事故」という。)。

2  原告は、本件事故により、平成一一年四月一日から同年一一月一七日まで、大船接骨院において、通院治療を受けた(甲二、三、一五、乙五)。

3  被告は、平成一一年一一月一七日、原告に対し、治療費として二一万六七五〇円を支払った。

三  争点

1  本件犬が吠えたことと原告の受傷との間に相当因果関係があるか。

【被告】

本件犬の行為としては、単に一回吠えたというにすぎず、原告に有形力を加えたとか、飛び掛かろうとした事実は認められない。本件は、通常人であれば、決して転倒・受傷することはなかったケースである。したがって、本件犬の行為と被告の受傷との間には、相当因果関係がない。

【原告】

争う。被告はもちろん、被告が加入している日産火災海上保険株式会社の事故担当者も、因果関係を認め、損害額の査定を行い、原告との交渉を続けてきたものである。

2  被告の本件犬の保管に過失がなかったか。

【被告】

(一) 被告は、本件犬に綱と首輪をきちんと装着して散歩をしており、「動物ノ種類及ヒ性質ニ従ヒ相当ノ注意ヲ以テ保管」(民法七一八条一項但書)を行っていたものであり、被告に保管上の過失はない。

(二) また、飼い犬を散歩に連れ出す際、飼い犬が吠えないようにする注意義務は、社会通念上、動物の占有者に課されてはいない。「神奈川県動物保護管理条例」も散歩において、犬が吠えることを禁じていないし、また、この制御を飼育者に要求することは甚だ酷と言わなくてはならない。

(三) 「神奈川県動物保護管理条例」一八条は、「飼い犬の係留」を定めているが、第三項に例外規定を設け、「飼い犬を制御できる者が、飼い犬を丈夫な綱、鎖等でつないで運動させるとき」には係留しないでも良いとしている。そして、この規定から、散歩の際の飼育者の注意義務は、制御能力があれば、基本的には、丈夫な綱、鎖等でつなぐことで充足されるものと解される。

【原告】

争う。本件事故は、次のような状況下において発生したものであり、被告の過失は免れない。

(一) 本件犬は、ラブラドールレトリバーという犬種であり、年齢一歳五ヵ月の雌であって、立ち上がると一五〇cmもの高さになる大型犬であるが、人間に例えれば子供の段階であった。

(二) 被告は、知人がマンション住まいをするに際し、本件犬を譲り受けたものであり、被告が本件犬を飼育した期間は短期間であった。

(三) 被告は、本件犬を飼うようになってから、その散歩は、女、子供では困難であるということで、被告が勤めから帰宅した後である夕方、夜間に行っていた。

(四) 原告と被告は、数件離れたところに居住しているが、近所の婦人の中では、本件犬が大きくて、吠えるので怖いと評判になっていた。

(五) 被告は、保健所に対して飼い主としての所定の届出をしていない。

3  原告に生じた損害は、特別の事情により生じた損害といえるか。

【被告】

原告は、もともと足が悪く、本件犬に吠えられる前に、ポールに掴まっていたが、本件犬が吠えたため、びっくりしてポールから手を離したため、転倒したものであり、通常人なら、たとえポールから手を離したとしても、それだけで転倒することはなかったであろうし、さらに、大腿骨骨折という傷害を負うこともなかったと思われる。原告の受傷は、「特別の事情」によって生じた損害といえる。

4  3が肯定された場合、被告が、特別事情を予見することができたか。

【被告】

被告は、特別事情を予見することは到底不可能であった。

5  原告の受けた損害はいくらか。

【原告】

原告の受けた損害は、次のとおり、合計六三一万八九七〇円である。

(一) 治療費 二一万六七五〇円

(二) 交通費 一万三一八〇円

(三) 雑費 三万三〇四〇円

(四) 診断書料 六〇〇〇円

(五) 付添看護料

五四万〇〇〇〇円

一日当たり、三〇〇〇円の一八〇日分である。

(六) 休業損害

二九六万〇〇〇〇円

月額三七万円の八ヵ月分である。

(七) 慰謝料

二〇〇万〇〇〇〇円

八ヵ月間の治療を受け、現在も歩行困難の症状があることや重症事故としての加算を考慮すれば、慰謝料として二〇〇万円が相当である。

(八) 弁護士費用

原告は、原告訴訟代理人に対し、本件損害賠償請求手続を依頼し、その弁護士費用として、右損害額の約一割に相当する五五万円を支払う旨約した。

【被告】

(一) 治療費は、長洲クリニック分四七七〇円、大船接骨院分一七万〇六〇〇円、同院薬局分一万円の合計一八万五三七〇円である。

(二) 交通費及び雑費の金額は認める。

(三) 診断書料は争う。

(四) 付添看護料は認めるべきではない。すなわち、原告主張の付添看護料の支払先は、原告の夫である吉見郁夫であるところ、原告は、本件事故により大腿骨骨折の傷害を受けたのに、入院せず、通院している。このような受傷の場合、相当な物的、人的施設を備えた整形外科病院であれば、必要かつ相当な範囲で完全看護がなされたであろうことが容易に推認できるのであって、その限りで原告における付添看護料の支出は不要であったと考えられる。

仮に、そうでないとしても、一八〇日間の付添期間は長すぎる。原告は、平成一一年六月初旬ころには、松葉杖による室内歩行が可能な状態にあったのであるから、遅くとも、この段階では付添看護は不要になった。

(五) 休業損害についても問題がある。先ず、基礎収入につき、原告の性別及び年齢等諸般の事情を考慮すると、明らかに過大である。なお、原告は、身体障害者等級表四級の認定(左下肢五センチメートル以上短縮による五級及び左下肢股関節の著しい機能障害による五級の併合級)を受けているが、これは、自動車賠償責任保険の後遺障害等級表の第五級に相当し、その労働能力の喪失率は七九%である。このことからしても、原告の基礎収入は過大である。また、休業期間についても、八ヵ月は長きに失する。通常、受傷から一二週間程度で骨は癒合し、一四週間程度で機能が回復する。原告の骨癒合は、順調に推移し、平成一一年六月末には、骨癒合も完了したと考えられるから、休業期間は、本件事故時から同月末日まで、長くとも、同年七月末日までと考えるのが相当である。

(六) 慰謝料及び弁護士費用は争う。

6  原告に過失があるか。あるとすれば、その過失割合はどうか。

【被告】

次のような事情によれば、原告には過失があり、その過失割合は四割とするのが相当である。すなわち、原告は、自分が転倒した場合には重大な結果に至ることを認識しつつ、公道に立っていたのであり、その意味で、自らリスクに接近したということができる。原告が転倒した道路は、公道であり、相当台数の自動車も走行し、当然ながら、野良犬も含め、犬が通る場所である。

(一) 原告は、身体障害者等級表四級の認定(左下肢五センチメートル以上短縮による五級及び左下肢股関節の著しい機能障害による五級の併合級)を受けている。

(二) 原告は、原告が通院していた大船接骨院からも、くれぐれも転倒しないようにとの注意を受けていた。

(三) 原告の夫である吉見郁夫も、原告に対し、常日頃から、自宅から出るな等と言っていた。

(四) それにもかかわらず、原告は、単独で外出し、本件事故により受傷したものである。

【原告】

被告の主張は、身体障害者はどこにも出るなという主張にほかならず、到底納得しうるものではない。

7  原告の身体的特徴が原告の損害を増大させたといえるか。その場合に、民法七二二条二項の類推により、原告の損害額の減額ができるか。できるとしたら、その減額の割合はいくらか。

【被告】

原告は、上述のように身体障害者等級表四級の認定を受けているが、これは、いわば原告の疾病に基づくものと言えるところ、原告は、転倒などにより、重大な障害を被りかねないことから、日常生活において、通常人に比べてより慎重な行動をとることが求められているのに、その配慮を欠いたものであり、民法七二二条二項の類推により、原告の損害額の四割の減額が認められるべきである。

【原告】

争う。

8  被告の既払額はいくらか。

【被告】

被告は、原告に対し、既に被告主張の治療費一八万五三七〇円と原告主張の交通費及び雑費の合計額である二三万一五九〇円を支払っている。

【原告】

原告は、平成一一年一一月一七日、治療費として二一万六七五〇円の支払を受けた。

第三  当裁判所の判断

一  上記当事者間に争いがない事実及び証拠(認定事実の末尾に摘示する。)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告には、先天性の左股関節脱臼があり、左足が右足に比べ約五センチメートル短く、そのため、杖を用いなければ歩けない状況であり、大船接骨院において肢体や腰痛の治療を受けていた。また、原告の右手の人指し指と中指の第一間接は欠損している(甲二、原告本人尋問の結果)。

2  原告は、昭和四六年以降、夫甲野太郎の経営する税理士事務所において、掃除、お茶汲み、電話の応対、客との応対、帳簿整理等の仕事をし、専従者給与を受けていた。この給与は、名目的なものではなく、たまに遅滞があるものの、実際に税引後の額の現金が交付されていた。なお、原告の通常の一日は、朝食の支度やその後始末をした後、夫とともに税理士事務所に出勤し、午後三時の大船接骨院の開院に間に合うように、事務所を出て、大船接骨院に治療に赴き、そのまま、自宅に帰るというものであった(証人甲野太郎の証言、原告本人尋問の結果)。

3  原告の平成一一年当時の月収は、三七万円であり、例年八月には、一ヵ月分の賞与が支給されることとなっていた(甲九、証人甲野太郎の証言、原告本人尋問の結果)。

4  原告は、本件事故時ころ、外気を吸うため、家から自宅前の道路に出て、右手に杖を持ち、左手で道路上のミラーポールを掴み佇立していた(甲一、一五、原告本人尋問の結果)。

他方、被告は、会社から帰宅し、本件犬に長さ約1.4メートルのリードを付けて散歩に出た。本件犬が先に行き、被告は、その後からついて行った。犬が路地を抜け、ブロック塀を左側に曲がり、被告が未だ路地にいたときに、本件犬が「ワァン」と一声吠えた。原告は、本件犬の存在に気がつかなかったため、本件犬が吠えたことに驚愕し、左手をミラーポールから離したことにより安定を欠き、その場で仰向けの状態で倒れた(甲一五、乙七、原告及び被告の各本人尋問の結果)。

5  被告は、路地を曲がって、原告が倒れていることを発見し、一旦本件犬を自宅に連れ戻ってから、被告の妻とともに原告のところに戻り、原告を原告宅に運んだ。被告は、原告が掛かりつけの大船接骨院に行くことを希望したため、原告を大船接骨院に連れて行き、そこで、原告が左下腿骨を骨折していることが判明した(甲一五、乙七、原告及び被告各本人尋問の結果)。

6  大船接骨院では、原告に入院の指示をしなかったため、原告は、自宅で療養することとなったが、本件事故から約一二日間は、痛みのためほとんど眠れない状態であった。その後、原告は、左足にギブス固定を受け、全く体を動かせない状態が約五〇日間続いた。その間、原告は、大船接骨院の院長である佐藤医師の往診を受け、その往診は、平成一一年七月二九日まで続いた。その後、原告は、通院することとなり、同年一一月一七日まで通院し、完治するに至った。この間の実質治療回数は八〇回を越していた。(甲二、一五、原告本人尋問の結果)。

7  原告の夫である甲野太郎は、原告の看病に励み、本件事故直後から、原告の下の世話などをし、原告が通院できるようになった後も、平成一一年九月末ころまでの間は、通院の介護を行っていた。

二  争点に対する判断

1  争点1(本件犬が吠えたことと原告の受傷との間に相当因果関係があるか。)について

被告は、本件犬の行為と原告の受傷との間には、相当因果関係がないと主張する。そして、前認定によれば、本件犬の行為としては、単に一回、原告に対し、吠えたというにすぎず、原告に飛び掛かろうとしたことはない。しかしながら、本件犬が原告に向かって吠えたことは、原告に対する一種の有形力の行使であるといわざるを得ず、犬の吠え声により、驚愕し、転倒することは、通常ありえないわけではないから、本件犬が吠えたことと原告の転倒、ひいては、原告の受傷との間には、相当因果関係があるというべきであり、被告のこの主張は採用できない。

2  争点2(被告の本件犬の保管に過失がなかったか。)について

被告は、「飼い犬を散歩に連れ出す際、飼い犬が吠えないようにする注意義務は、社会通念上、動物の占有者に課されてはおらず、神奈川県動物保護管理条例も散歩において、犬が吠えることを禁じていないし、また、この制御を飼育者に要求することは甚だ酷と言わなくてはならない。」から、本件犬の保管に過失はないと主張する。

なるほど、犬は、本来、吠えるものであるが、そうだからといって、これを放置し、吠えることを容認することは、犬好きを除く一般人にとっては耐えがたいものであって、社会通念上許されるものではなく、犬の飼い主には、犬がみだりに吠えないように犬を調教すべき注意義務があるというべきである。特に、犬を散歩に連れ出す場合には、飼い主は、公道を歩行し、あるいは、佇立している人に対し、犬がみだりに吠えることがないように、飼い犬を調教すべき義務を負っているものと解するのが相当である。そうとすると、被告の飼い犬である本件犬が原告に対し吠えたことは、被告がこの義務に違背したものといわざるを得ない。被告の本件犬の保管には過失がある。

なお、私法上の不法行為の過失の有無の判断は、神奈川県動物保護管理条例に拘束されるものでないから、被告が右条例を遵守したとしても、これをもって、被告に本件犬の保管に過失がないということもできない。さらに、被告は、犬が吠えることの制御をその飼い主に求めるのは甚だ酷である旨主張するが、動物を飼っている者は、その飼育から生ずる一切の責任を負担すべきであり、また、犬を調教することによって、これを達成することも可能であるから、酷であるとも言い難い。いずれにせよ、被告のこの主張も採用できない。

3  争点3(原告に生じた損害は、特別の事情により生じた損害といえるか。)について

被告は、原告の受傷は、原告の身体的特徴に基づく「特別の事情」によって生じた損害といえると主張する。前認定によれば、確かに、原告には先天性の股関節脱臼が存在し、歩行が困難であり、本件犬に吠えられる前に、ポールに掴まっていたが、本件犬が吠えたため、びっくりしてポールから手を離したことにより、身体の安定を欠き、転倒したものである。しかしながら、通常人であったとしても、犬の吠え声により、驚愕し、身体の安定を損ない転倒することは、通常ありえないわけではなく、また、転倒すると、老人などでは骨折する可能性が高いことが予見できるのであるから、原告の転倒や原告の受傷が特別事情であるということはできず、被告の上記主張は採用できない。

4  争点5(被告の受けた損害はいくらか。)について

(一) 治療費として一七万八八四〇円が掛かっていることが認められるが(甲四、一二)、これ以上に治療費が掛かっていることを認めるに足りる証拠はない。

(二) 交通費が一万三一八〇円、雑費が三万三〇四〇円であることは当事者間に争いがない。

(三) 診断書料は、六〇〇〇円である(甲一二)。

(四) 付添看護料

原告の介護がいつまで必要であったかについて、これを認めるに足りる的確な証拠はない。しかしながら、前認定によれば、原告への往診が終了したのは、平成一一年七月二九日であり、その後は、原告は、大船接骨院に通院することが可能であったと解される。そうとすると、原告の骨折した骨の癒合もそのころであったと推認することができ、それまでは、原告には介護が必要であったというべきである。そうとすると、本件事故日である平成一一年四月一日から同年七月二九日までの一二〇日間については、原告への付添看護料を認めるべきであり、その額は一日三〇〇〇円とするのが相当である。そうすると、付添看護料は三六万円である。

もっとも、被告は、「原告は、本件事故により大腿骨骨折の傷害を受けたのに、入院せず、通院している。このような受傷の場合、相当な物的、人的施設を備えた整形外科病院であれば、必要かつ相当な範囲で完全看護がなされたであろうことが容易に推認できるのであって、その限りで原告における付添看護料の支出は不要であった。」と主張する。しかしながら、前認定によれば、原告が最初大船接骨院に行ったのは、従来からの掛かりつけの医院であったためであり、大船接骨院からの指示がなかったため、通院を選んだにすぎないから、、原告が本件事故により入院すべきであったとまではいえず、被告のこの主張は採用できない。

また、被告は、原告は、平成一一年六月初旬ころには、松葉杖による室内歩行が可能な状態にあったと主張するが、この事実を認めるに足りる証拠はない。なお、被告は、株式会社損害保険リサーチから日産火災海上保険株式会社へ充てた報告書(乙五)を基に、上記事実を認定できるかのように主張するが、その報告書の内容は、平成一一年五月二二日に調査員の面接を受けた大船接骨院の佐藤医師の将来予測であるにすぎず、この記載から、上記被告主張事実を認めることもできず、被告のこの主張も採用できない。

(五) 休業損害

原告は、本件事故により、左大腿骨骨折の傷害を受け、そのため、原告の夫の経営する税理士事務所に出勤することができず、平成一一年四月から同年一〇月までの七ヵ月間欠勤したことが認められる(甲一四ないし一六、証人吉見郁夫の証言、原告本人尋問の結果)。

そうとすると、原告が受けた休業損害額は、月収三七万円に対し、八月に支払われる賞与一ヵ月分を加えた八ヵ月分を乗じた二九六万円である。

もっとも、被告は、原告の性別及び年齢等諸般の事情を考慮すると、原告の基礎収入は明らかに過大である旨主張する。確かに、専従者給与というものは、名目的に支給される場合が多く、損害額の算定の際に、その根拠とならない場合が多いことは否定できないが、本件の場合には、原告は、事故前には、税込み月額三七万円を現実に受領していたのであるから、この金額を基礎収入とすることは、当然であり、被告の主張は採用できない。

次に、被告は、「原告は、身体障害者等級表四級の認定(左下肢五センチメートル以上短縮による五級及び左下肢股関節の著しい機能障害による五級の併合級)を受けているが、これは、自動車賠償責任保険の後遺障害等級表の第五級に該当し、その労働能力の喪失率は七九%である。このことからしても、原告の基礎収入は過大である。」と主張するが、七九%の労働能力を喪失した労働に対して、月額三七万円が支払われているのであるから、被告のこの主張も採用できない。

さらに、被告は、休業期間についても、八ヵ月は長きに失すると主張する。しかしながら、前認定のとおり、原告の骨癒合は、平成一一年七月末ころであったと推認できるところ、骨癒合ができたとしても、勤務に復帰するためには、その後の機能回復に要する時間を経る必要があり、原告は、同年九月三〇日までは患部に副子固定をしていることが認められるのであって(甲三)、その固定を終えてから機能回復が行われたことが推認され、同年一〇月いっぱいは、勤務ができなかったこともあながち不自然とはいい難い。被告のこの主張も採用できない。

(六) 前認定によれば、原告は、本件事故により、左大腿骨骨折の傷害を受け、当初の約一二日間は、苦痛のため眠ることもできず、また、その後の約五〇日間は、全く体を動かすことができない状態であり、完治までは、平成一一年四月一日から同年一一月一七日までの二三一日間が必要とされ、その間の実通院日数も八〇日を越えるものであった。そうとすると、そのような原告の精神的苦痛を慰謝するためには、金一七〇万円を被告に支払わせるのが相当である。

(七) 以上のとおり、弁護士費用を除く原告の被った損害額の合計は、五二五万一〇六〇円である。

5  争点6(原告に過失があるか。あるとすれば、その過失割合はどうか。)について

被告は、「原告は、自分が転倒した場合には重大な結果に至ることを認識しつつ、公道に立っていたのであり、その意味で、自らリスクに接近したということができるから、原告には過失があり、その過失割合は四割とするのが相当である。」と主張する。

しかしながら、原告が先天的股関節脱臼により、歩行が困難であるとしても、公道に出て外気を吸うことは、人間としての自由権の範囲内にあり、しかも、原告は、ミラーポールを握り、杖をついていたのであるから、原告が公道に佇立していたことが過失となるとはいえない。原告の過失を肯定することは、身体障害者に対し、外出を禁ずることにもなりかねず、社会通念上相当とはいえない。

6  争点7(原告の身体的特徴が原告の損害を増大させたといえるか。その場合に、民法七二二条二項の類推により、原告の損害額の減額ができるか。できるとしたら、その減額の割合はいくらか。)について

前認定によれば、原告は、先天的股関節脱臼により、左足が右足より短いため、佇立した場合の安定感が損なわれており、本件犬が吠えたことにより、驚愕して、左手をミラーポールから離したため、右手に持っていた杖だけでは、身体の安定を保つことができず、転倒し、本件受傷に至ったものである。そうとすると、原告は、先天的股関節脱臼という疾病に基づく身体的特徴により、原告の損害を拡大させたということができる。そうすると、右損害の認定に当たっては、民法七二二条二項の類推により、原告の損害額を減額すべきであり、その割合は、二割とするのが相当である。

7  以上によれば、原告は、被告に対し、不法行為に基づき、四二〇万〇八四八円の損害賠償を求めることができるところ、弁論の全趣旨によれば、原告は、原告代理人に対し、本訴の遂行を依頼したことが認められるから、その報酬として、認容額の約一割である四〇万円を弁護士費用とすべきである。

よって、原告は、被告に対し、四六〇万〇八四八円を請求することができる。

8  争点8(被告の既払額はいくらか。)について

被告の原告に対する既払額は、二一万六七五〇円であり(甲一二)、これを越えて被告が原告に支払ったことを認めるに足りる証拠はない。

三  まとめ

以上によれば、被告は、原告に対し、四三八万四〇九八円を支払うべきである。

第四  結論

よって、原告の本訴請求は、主文掲記の限度でその理由があるが、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六一条、六四条本文を、仮執行の宣言につき、同法二五九条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官・末永進)

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