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横浜地方裁判所 平成13年(わ)3096号 判決 2004年5月18日

主文

被告人は無罪。

理由

1  本件公訴事実は、

「被告人は、

第1  平成10年12月31日午前1時5分ころ、横浜市港北区新吉田町<番地略>先駐車場において、業務として同駐車場に駐車中の普通乗用自動車を運転して道路に向けて左折発進するに当たり、自車進行方向である左前方の安全を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、先に飲んだ酒の酔いの影響等により注意力散漫となり、同方向の安全を全く確認せずに漫然左折発進した過失により、自車左前方に横臥していた甲野次郎(当時32年)に気付かないまま、同人を自車車底部に巻き込んで引きずるとともに、同人を自車車輪で轢過するなどして、同人に肝臓挫滅兼骨盤骨骨折等の傷害を負わせ、よって、そのころ、同所付近において、同人を上記傷害に基づく失血により死亡させた

第2  酒気を帯び、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、上記日時ころ、上記駐車場敷地内から同区新吉田町<番地略>先X株式会社駐車場前道路に至るまでの間、上記普通乗用自動車を運転した」

というものである。

2  弁護人は、本件事故当時、公訴事実記載の普通乗用自動車(以下「本件車両」という。)には被告人とA(以下「A」という。)だけが乗っていたところ、これを運転していたのは被告人ではなく、Aであり、被告人は本件車両の後部座席で酔って寝ていたにすぎないので無罪である旨主張し、被告人も捜査段階から公判に至るまでこれに沿う供述をしている。他方、検察官は、本件事故当時、本件車両を運転していたのは被告人であり、Aは、その際、助手席に乗車していただけで、本件事故後、被告人と運転を交代した旨主張し、Aの供述のほかこれを裏付けるとする証拠を提出している。

3  本件事故の経緯等

関係証拠によれば、被告人及びAの供述が一致ないしは符合し、客観的証拠等によって認定できる事実は以下のとおりである。その記述に当たり、平成11年の表記は原則として省略する。

(注)括弧内の甲、乙に続く数字は証拠等関係カードにおける検察官請求証拠の番号、同弁に続く数字は同カードにおける弁護人請求証拠の番号を、日付は当該供述調書の作成日付をそれぞれ示す。公判廷における供述については、その供述者、公判回数、頁数を掲記する。

(1) 被告人は、本件当時、家庭用プロパンガスのボンベ配送等を業とする有限会社W商会の従業員であったが、平成10年12月30日、同社従業員甲野次郎(以下「甲野」又は「被害者」という。)とともに、その元請会社(株式会社X)が共通の下請会社従業員間で行われた忘年会に午後6時ころ参加した。その参加者中には、有限会社Yの専務取締役(父が同社代表取締役)であるA、同社従業員B(以下「B」という。)、有限会社Z従業員C(以下「C」という。)、同社従業員D(以下「D」という。)ほか数名がいた。一次会は同日午後5時過ぎころから午後9時過ぎころまで横浜市港北区高田町所在洋風居酒屋「TomaToma」(以下「トマトマ」という。)において行われ、引き続き二次会が同日午後9時15分ころから翌31日午前0時30分ころまで同区綱島西1丁目所在パブ「ナース・コール」(以下「ナースコール」という。)で行われた。

(2) ナースコールを出た後、甲野が酩酊して嘔吐したため、同日午前0時49分ころ、CとBがコンビニエンスストアで水を買って甲野に飲ませた。そのころ出会ったX関係のEほか2名を伴って、三次会として同区綱島西4丁目所在ジャングルパブ「レッドムーン」(以下「レッドムーン」という。)に行くこととなり、Cが運転する車両(登録番号横浜73せ○○○○号、トヨタ・タウンエース・ノア、以下「C車両」あるいは「ノア」という。)に、C、A、B、甲野が乗り、被告人や他の者は徒歩でナースコールを後にした。途中、C車両が徒歩のグループに追いついて停車した際、被告人がC車両に乗り込んだ。

(3) C車両は、被告人らの元請会社の駐車場である横浜市港北区新吉田町<番地略>先駐車場(以下「本件駐車場」という。)に向かい、同駐車場において、甲野、被告人、AがC車両から降りた。Aは、隣の畑に行って小便をした。C車両が先に同駐車場を出発して同区新吉田町<番地略>当時の被告人方(以下「被告人宅」という。)に向かい、それに続いて、被告人とAの2人だけが乗った本件車両(普通乗用自動車。登録番号横浜34む××××号、ニッサン・セドリック・シーマ、昭和63年初年度登録。以下「シーマ」ということもある。)も同駐車場を被告人宅に向けて出発した。

(4) その際、本件公訴事実第1記載のとおり、本件車両が、同日午前1時5分ころ、本件駐車場において、被害者を、その車底部に巻き込んで引きずるとともに轢過し、そのころ、本件駐車場付近で死亡させた。被害者は、身長約175センチメートルのがっしりした体格(体格大、栄養可良。同年10月15日の体重87キログラム)で、本件駐車場にうつぶせ状態でほぼ身体を伸ばして横臥していたところ、本件車両が、その足の方から跨ぐようにその身体の上を通過したため、その車底部で圧迫されるとともに、その進行方向に引きずられたうえ、本件車両が左折する際にその車輪で轢過され、本件車両後部のマフラー付近に引っかかるなどして車底部には密着せずに引きずられたもので、本件駐車場前の道路(以下「本件道路」という。)に約12.9メートル余りにわたって引きずられた痕跡や遺留品が点在し、被害者の着衣はぼろぼろになり、右耳が削ぎ取られるように擦過されていた。本件道路はほぼ南北に走る幅員約3.1メートルのコンクリート舗装されたもので、道路の東側には北から南に2つの駐車場が接し、本件駐車場はその北側に位置し、その北側及び本件道路西側は畑である。本件駐車場は、本件道路から約0.35メートル高く、未舗装で砂利が敷かれ、間口約7メートルの出入口に向けてなだらかな勾配となり、出入口付近には、轍のような凹凸があった(甲5ないし30、32、34、35、61、67)。

(5) 本件車両は、本件事故当時被告人の所有であり、車幅1.77メートル、長さ4.89メートル、タイヤ及びアルミホイールが取り替えられ、フロントパネルに白いムートンが貼られるなどしているが、構造上の改造は施されておらず、左右前バンパーの擦過、右前フェンダー凹損、右前ボンネット凹損、ボンネット前後泥払痕、左後ドア凹損、左後フェンダー凹損、右前後ドアモール擦過、左後バンパーの凹損があるが、いずれも大きな損傷ではなく、本件事故の痕跡としては、車底部に血痕や擦過痕、繊維屑の付着があったが、路上に停止した状態では車底部を覗き込むようにしないと確認は困難であった(甲16、17、43)。

(6) 本件車両は、同区新吉田町<番地略>先X株式会社駐車場前道路上(以下「X前」という。)で一旦停止した後、同日午前1時10分ころ被告人宅に到着したが、その到着時に本件車両を運転していたのはAであり、被告人は本件車両の後部座席で横になっていた。Aは、被告人方駐車場に本件車両を駐車して降車し、被告人宅の窓を叩いて被告人の妻を呼んだ。被告人の妻が玄関に出てきたところ、被告人は本件車両の後部座席から降りて被告人の妻と口論した後、二人とも家の中に入った。

(7) 被告人宅と本件事故現場である本件駐車場、Aが被告人と運転を交代したとされるX前との位置関係は、本件駐車場の停止位置から発進左折して本件道路に出て(この間約13.8メートル)、本件道路(幅員約3.1メートル)を約88.3メートル直進して丁字路交差点を右折した道路(幅員約4.8メートルで両側に約0.6メートルの路側帯がある。)を約693.4メートル(X前から約625.8メートル)直進した右側に被告人宅があり、X前は前記右折後約67.6メートル進行した地点(運転開始地点から169.7メートル)の位置にある(甲35、36、59)。

(8) Aは、被告人宅近くに停車してAを待っていたC車両に乗り込んで、レッドムーンに向かい、同日午前1時15分ころから同店にいたDら徒歩の者と合流したが、同店の閉店が間近なため、Aらは、同日午前1時25分ころ同店を後にし、同区高田町所在ミュージックパブ「KYOYAⅡ」(以下「キョーヤ」という。)に行き、同日午前1時30分ころから同日午前2時30分ころまで飲酒し、その後同区内のラーメン屋で飲食するなどした後、C車両で本件駐車場に向かった。同日午前3時45分ころ、Aらは、本件道路上に甲野が血だらけで横臥しているのを発見して119番通報し、同日午前4時39分、甲野は搬送先病院で死亡が確認された(甲1ないし5)。

(9) 被告人の携帯電話に、同日午前1時19分ころにDから、同46分ころにAから電話が入っている(甲58)。

(10)  被告人は、本件事故の約5時間後の飲酒検知結果で呼気1リットル中0.1ミリグラムのアルコールを保有しており、事件発生時には、0.42ないし0.61ミリグラムの保有が推計されている(甲41、42)。

4  本件の争点及び特徴

前述のように、検察官主張の運転交代の事実が認められれば、本件事故時の運転者は被告人となり、これがなければその運転者はAとなるので、この運転交代の有無が本件の争点となる。前記のように、本件事故の約5分後、約800メートル先で被告人が本件車両の後部座席に横になっていたという事実は、被告人の供述を裏付けるものといえるが、他方、本件車両は被告人の所有であり、Aの供述に符合しあるいはこれを裏付けると主張される複数人の供述もある。

加えて、関係証拠によれば、本件が起訴されるまでの経過には以下のような特異な事情がある。すなわち、本件事故当日から本件事故現場、本件車両等の捜査や被告人、A及びその他の関係者に対する取調べが行われ、平成11年2月3日、司法警察員から検察官に被告人を被疑者として事件送致がなされ、その後、検察官においても、被告人、Aのほか関係者らの取調べ等を行ったが、平成12年1月27日被告人を不起訴処分とした。一方、甲野の父甲野太郎は、平成11年中に、被告人及び被告人が本件車両について加入している損害保険会社等を被告として、本件事故に関し損害賠償請求訴訟を提起し、平成13年2月ころ、原告の請求を一部認める旨の判決があり、その理由中で本件事故当時、本件車両を運転していたのは被告人であるとの判断がなされたものの、同判決は控訴されて現在東京高等裁判所に係属中である。Aはこの民事訴訟の第1審で証言し、その後訴訟参加している。また、甲野太郎らは、同年4月19日、本件につき、横浜検察審査会に審査申立てをした。その後被告人、Aのほか関係者の取調べ等の再捜査が行われた結果、同年12月14日、被告人に対し前記公訴事実による公訴提起がなされた。このため、再捜査によってAの供述を裏付ける供述証拠が得られているが、これらは本件事故(平成10年12月31日)から相当期間経過後(平成13年)になされた供述を中心とするものであり、運転交代に関する物的証拠等は結局発見されていない。

以上のとおり、本件においては、被告人及びAはそのいずれかが択一的に本件事故の犯人となるという対立した利害関係にあること、関係者として供述している者らも双方と知人、職場の同僚ないし上司、部下等の関係にあることなどから、各供述の信用性判断には、とりわけ慎重さが要求される。そこで、当裁判所としては、関係者を証人尋問するのはもちろん、その捜査段階の供述調書等についてもできる限り取り調べてその供述経過を含めて検討を加え、さらに、本件事故当夜の状況に近い条件下において、ほぼ同時刻の深夜、本件事故現場(本件駐車場)における目撃状況の検証を実施するなどして、慎重に証拠を評価検討した。その結果、被告人を有罪とするには、合理的な疑いが残るとの結論に到達した。以下、その認定判断の理由を説明する。

5 Aの供述について

Aの供述の要旨は、ナースコールから本件駐車場に向かう途中、C車両の中で、Cに対し被告人に付いて行くので被告人の家の前で待っていてほしいと言って、本件駐車場でC車両を降り、小便をした後、C車両に先に行くように合図してから、本件車両の運転席に向かい、被告人が運転席に座っているのを確認した後、本件車両の前方を回って同車助手席のドアを開けて座った。当初は、被告人に代わって運転する意思はなく、被告人の運転で発進後しばらくして、その運転があまりに危険だったため、やむを得ずX前で停車させて運転を交代した後被告人宅まで運転したというもので、捜査段階から公判に至るまでほぼ一貫している。そして、Aの供述は、本件事故当時、被告人が本件車両を運転していたことを直接目撃したという唯一の供述であるが、同時にAが本件事故時の運転者であるという自己への嫌疑を否定するもので、Aとしては虚偽の供述をする強い動機もある。Aの供述を子細に検討すると、前記のような本件の経過から、取調べや尋問が相当長期間にわたり、断続的に多数回、多様な場面で繰り返されており、時間の経過による記憶の自然な変容などの可能性があることを考慮しても、以下に説明するとおり、その供述には不合理な変遷や不審な内容が少なからず見られ、運転交代をしたという供述の信用性には疑問があるといわざるを得ない。

(1)  Aが本件事故に気付かず、かつ、停止地点直前まで被告人に停止を求めず、声も掛けていないという点について

ア Aは、本件事故の際の状況について、本件駐車場を出る前に上下左右に揺れたが、それは轍等の路面の凹凸、地盤の悪さのためであり、乗り上げたような揺れが一度あったが、慣れない人がよくやるように駐車場出入口左側のブロックに左後輪が乗り上げたと思った、本件車両は車高が落ちており凹凸を拾いやすい、普段と同じ揺れだと思った、被告人には何も話しかけなかったなどというが(7回20頁以下、8回103頁以下)、本件道路に出ても前記のように10メートル以上被害者を引きずっていることから生じるであろう不自然な振動等についての説明は全くなく、かえって、助手席にいたが物音はしなかったなどと述べたり(7回62頁)、揺れは上下でひどく、明らかに普通ではないとの感覚を持ったとも述べている(9回1頁以下)のである。

本件事故の際、本件車両は前記3(4)のように体格の良い被害者を車底部に巻き込んで引きずり、轢過したうえ、駐車場から出た路上でも10メートル以上もその身体を引きずっているのであるから、それほど酒に酔っておらずに助手席に乗り込み、その程度はともかく運転の安全性にも気を配っていたことを自認するAが、この被害者の巻き込み、轢過、引きずり等による衝撃、揺れなどを事故であると全く気付かないのみならず、異常すらも感じず、運転している被告人に声さえかけなかったということは、甚だ不可解であるといわざるを得ない。Aは、職業的に自動車の運転をしているうえ、日常的に本件駐車場を利用しその路面の凹凸等についてもよく知っていたというのであるからなおさらである。確かに本件駐車場出入口は未舗装で轍のような凹凸は認められるものの(甲14・写真3等)、エアロパーツを付け車体下部が低くこすりやすいノアを当日運転していたCもガタガタ激しく揺れる所ではないと述べ(11回68頁)、被告人もシーマでも本件駐車場を5ないし10回は利用したことがあり、砂利道なのでゆっくり走るが、凸凹を気にしたり、車底部をこすったことはない、狭いので習慣的に右側に寄せて左折すると述べており(乙5、6)、それほど段差等があるとまでは認められない。また、本件車両は改造されたり、車高が下げられていたことはなく(甲16、17、乙11。被告人17回11頁)、この点もAの説明とは整合しない。

また、この点に関するAの供述経過をみると、本件事故当日の上申書では、砂利道でがたがたした、出入口左を大回りの感じで道路に出た直後何かに乗り上げた感じでがくんと大きなショックがあった、ブロックか石に乗り上げたと思った(甲83)、駐車場を出る時に縁石に乗り上げ道が悪いせいか車がバウンドしていた(甲84)と述べ、その後の取調べで、駐車場の出口辺りで突き上げられたサスが車体に当たる様なゴツンゴツンとくる感じのショックで体が前後左右に振られた、沈み込んでから浮き上がる感じで、それが何回も続いた、轍とサスペンションの改造のせいだと思った、左折して道路に出る途中で何かに乗り上げたような大きなショックを感じ、車の左側が浮き上がった、強いて言えば後輪だと思う、入口角のブロックに乗り上げたと思った(1月5日・甲74。1月9日・甲78では乗り上げたのは右後輪と述べる。)などと述べ(なお、1月10日・甲79では猫を轢いたこともないので人を轢いたショックだとは思わなかった旨述べている。)、検察官には、駐車場の出入口付近で何かに乗り上げたような感じがあり、ブロックの縁石に乗り上げたと思った旨述べ(9月22日・甲82)、平成12年9月22日の民事裁判における証言(以下「民事証言」という。)では、その冒頭では、がたがた道があるとだけ述べ、後に警察で言った「ゴトゴトした」というのは普段と違う意味はなく、縁石に乗り上げた感じはしたと述べ(弁1・16頁以下、35頁以下、44頁以下)、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書(甲46)では、本件車両が発進し時速約10キロメートルくらいで走行中、本件駐車場の出口付近で本件車両の車底部からガタガタと下から突き上げてくるような激しい揺れを5ないし10メートルくらいの間感じ、体が前後左右に揺れた、自車の場合と比べても明らかに普通ではない感覚を懐いたが本件車両の車高の低さと轍のせいだと思った、駐車場を出るため左折した際、左後輪が何かに乗り上げタイヤが落ちる感覚がしたが、ブロックに乗り上げたと思った、道路に出てからは普通の走行時と異なる揺れはなかった旨述べており、変遷もみられる。

イ また、本件車両にはカセットが挿入され音楽が流れる状態であったが、その音量が特に大きく設定されていたわけではなく(弁10、乙5、6)、前記のように被害者を巻き込んで轢き、引きずった物音等が聞こえないような状況ではなかったのに、これに気付かなかったことも不自然というほかない。この点、Aは、公判では、助手席にいたが物音はしなかった(9回62頁)、本件車両には音楽がかかっていた(8回111頁等)とも述べるが、本件駐車場で運転席脇から助手席に回る間、静かなため何も音はしていなかったとも述べており(7回10頁)、公判供述自体に矛盾があるうえ、捜査段階では、運転席の前ではエンジン音だけを聞いたと一旦述べながら、発進後の状況を尋ねられる中で卒然と大音量の音楽がかかり余程大きな音でないと外の音は聞こえない、言い忘れたが車外でも音楽らしい音は聞こえたなどと述べるが(甲74)、民事証言では、轢いた物音がするはずだが自分は感じなかったと、轢いた音が聞こえることを前提として否定する供述をし(弁1・55頁)、音に関する供述も、不自然に変遷しており、前記公判供述は信用し難い。

ウ 加えて、ブロック等への乗り上げであると思ったとはいえ、激しい揺れに気付いていたというAが、すぐに停止を求めないのみならず、X前で本件車両を停止させた際にも、後述のように運転交代を急いだだけで車両の損傷の有無等を全く確認していないというのも不自然である。

エ また、再度本件駐車場にC車両で戻り、本件駐車場の手前で道を塞ぐように倒れている被害者の遺体を発見した際、助手席に乗っていたAが運転していたCより先に何か落ちているのに気付き、ライトをハイビームにするようにCに指示して白い毛布のようなものを発見した旨述べているが(7回60頁、9回61頁以下)、運転者よりも先にAがこのように発見できたということは、Aが本件駐車場を出発した際の異常に気付いていたことを窺わせる事情にもなり得るのであり、それにもかかわらず、Aはその理由について何の説明もしないばかりか、その際、轢いたのは本件車両だと思わず、他の車だと思った、助手席にいて物音がしなかったからなどと述べており(9回62頁。なお、甲77、46では、引きずられた跡などを見てDらと会社の車だといいながら、どの車かは考えず、本件車両とは夢にも思わなかったとも述べている。)、この点にも疑問の余地がある。

(2)  Aが当初助手席に乗車した理由について

前記のとおり、本件駐車場から被告人方までは800メートル程度で通常に走行すれば1、2分程度で到着できるところ、その到着時、本件車両はAが運転し、被告人は後部座席で横になっていたのであるから、特段の事情がなければ、当初からAが運転していたものと窺えるところ、

ア Aは、運転を代わるつもりもないのに本件車両に同乗して本件駐車場からわずかな距離の被告人宅まで付いて行った理由として、①好意を抱いている被告人の妻と会って話したかった、②酔った被告人を連れて帰って、被告人の妻のAに対する評価を上げたかった、③Aが付いて行けば被告人の帰宅が遅いことについて被告人の妻が怒っても、とりなしができ被告人も言い訳しやすくなる、④被告人が酔っているので運転を監視して居眠り運転を防止するなどの理由を挙げているが、いずれが主たる理由かについては、公判(6回30頁、8回47頁以下)では、被告人はさほど酔っておらず①ないし③が主たる理由であるとする一方、車を電柱にこすると被告人の妻のAに対する株が下がるのに気にしなかったのかと追及された際には奥さんのことまではその場では考えていないとも答えているところ(8回118頁)、本件事故当日の上申書(甲83、84)では、被告人は酔っぱらっていた、ナースコールで酔いつぶれて寝ていたとして、④の理由のみのようであるが、1月3日付け司法警察員調書(甲72)では、本件駐車場に向かう車内でCに「Gも帰るってよ」と告げたとしながら、本件駐車場に着いてからのことについては、もう一度思い返してみたいと供述を留保し、同月4日の司法警察員調書(甲73)では、距離も短く、被告人がそれほど酔っていないと思われたので、①ないし③が主たる理由であるとし、11月10日付け司法警察員調書(甲79)では、被告人はさほど酔っておらず、酔っていたとしても以前にも飲酒運転しており、車を大事にしていて他人に運転させたがらないと述べ、民事証言では、被告人が酔っぱらっていたのでAが付いて行けば事故もないだろう、付いて行けば居眠り運転しても起こせると思った、かなり酔っぱらっているなと思った、などと述べ(弁1・12頁以下、33頁以下、39頁)、再度④を主たる理由とし、再捜査の際の平成13年11月24日付け及び同月25日付け各検察官調書(甲45、46)では被告人はさほど酔っておらず①ないし③が主たる理由であるとし、変遷している。

この点、①ないし③の被告人の妻と話したい、良く思われたいという理由であれば、単に同乗して付いて行くよりも自ら運転をして送り届けた方がより効果的であることは明らかである。④についても、自分はほとんど酔っていなかったというのであるから(8回51頁)、自ら運転した方が安全かつ効果的と思う方が自然であり、いずれもAが被告人と同行する理由とはなり得るものの、運転せずに同乗したとする理由としては説得力のあるものとはいい難い。また、Aは、被告人やその妻とは従前から家族ぐるみの付き合いで、被告人が飲酒運転を繰り返していることを知っているし、もっと酔って運転していたことがあるが、これまで一度も同乗して付いて行ったことはなく、付いて行こうと思ったこともない(9回47頁)というのであるから、この時だけなぜ付いて行ったのか不可解である。このようにAの供述は、被告人運転車両に同乗する以上、被告人の酔いの程度には強い関心をもつのが当然であるのに、この点についての供述は変遷し、それに伴って被告人に付いて行った理由も変遷し、しかもその変遷について合理的な説明はなく不自然である。

イ また、本件車両を最初運転しなかった理由として、公判では、以前親戚が交通事故を起こしたことがあり飲酒運転をしたくなかったこと、親からも飲酒運転するなと厳しく言われていたこと(6回31頁以下)、飲酒しているのに他人の車を運転したくなかったこと(8回51頁以下)、被告人はもっと酔った状態でも運転していたこと(同49頁)を挙げるが、民事証言では、まっとうに運転できる状態ではなかったが被告人の車であり尋ねたら被告人が大丈夫と言ったこと(弁1・39頁、54頁)なども挙げて変遷している。しかし、飲酒運転しない意思であったという点は、交代後の運転を自認していることからも、危険性や必要を感じた場合にも運転しないというほどの強固な決意・態度とは思われない。また、危険回避のためであれば本件車両を停止させるだけで十分であり、停止地点から目的地までは625メートルほどに過ぎず、Cらへの連絡も携帯電話等で容易にでき、自らが運転を代わる必要はない。現に、Aは本件駐車場で被告人が大丈夫ではないと言えば、同乗せずに自分は妻を呼ぶなり歩くなりしたと公判で述べている(8回92頁)。加えて、本件の忘年会の際、実家から100メートルほどしかないトマトマにも、自己の車を運転して赴いており(8回94頁)、酒を少し飲んでも運転して帰るつもりもあった、トマトマで飲酒後いったん自己の車を本件駐車場に置くために運転した旨述べ(8回9頁以下。もっとも公判では後者の記憶はないとも述べるが、理由を説明して明確に述べた本件事故直後の供述(1月3日付け司法警察員調書・甲72)を否定する合理的説明はない。)、飲酒運転は本件事故前にも何度かしたことがあり、本件の忘年会の際も飲酒運転する意思があったこと(8回16頁以下)、他の従業員らが日常的に飲酒運転しているのを注意したこともない(8回17頁)、もともと飲まないつもりで参加し、トマトマではウーロンハイ1杯飲んでしまったが酒に強いから帰れると思った(9回89頁以下)などと述べており、実際には被告人の飲酒運転を容認するのはもちろん、A自身も飲酒運転する意思を有していたことを認めている点でも矛盾をはらんでおり、飲酒運転しない強い決意があったとは認められない。被告人との飲酒運転についての供述経過をみても、1月10日付け司法警察員調書(甲79)では、本件事故のおよそ3年前にAが生ビール中ジョッキ4杯、被告人が8杯くらい飲酒してAが自分のグロリアを運転して、被告人運転の車両に後ろから付いて帰ったことがある旨述べ、平成13年11月22日付け検察官調書では付添いのような形で被告人に付いて帰ったことは一度もないと述べて(甲44)、変遷が見られる。

さらに、前述のAの供述によれば、飲酒運転や交通事故には特に気を付けているのに、単に被告人の妻に会いたいというだけの理由で、出入口に乗り上げてしまうようなブロックや轍があり、道幅も3メートルほどの狭い道を酔っている被告人に運転させ、代わりに運転する意思もないのに本件車両に同乗して付いて行ったということになり、不合理な供述といわざるを得ない。

(3)  運転交代の経緯について

Aは、最初被告人が運転する本件車両の助手席にいたが、被告人の運転があまりに危険だったので、X前で停止させてやむを得ず運転を交代したと述べ、この点についての供述は一貫している。しかしながら、

ア Aは、被告人の運転が危険であると感じた場面及び状況について、(a)本件駐車場出入口を出た直後の道路で、急に車が振られた感じで左に寄ったこと、(b)十字路交差点を一時停止も減速もせず通過したこと、(c)その後左に寄って走行したため道の左側にある電柱や左路肩に駐車されていたバイクに擦りそうになったこと、(d)本件駐車場出入口付近でブロックに乗り上げたこともあって不安を感じていたこと、(e)丁字路交差点を徐行したが一時停止することなく大回りで右折したため左前角がブロック塀にぶつかりそうに感じたこと、(f)以前仕事仲間が自損事故を起こしたことを思い出したことをその供述の中で挙げているところ、第7回公判では(c)(e)(f)を理由に挙げ(7回33頁以下)、第8回公判では(a)について本件車両が左によれ、U字溝にタイヤがこすったような感じがしたこと(ハンドルが戻ったとも述べる)、(b)の一時不停止、(c)(e)を挙げ(8回111頁以下)、第9回公判では(a)から(d)までの事実はあったが危ないと思わず、(e)で危ないと思っただけだとしながら、(f)と丁字路交差点から先は交通量が多いことを付加しており(9回2頁以下)、公判供述自体が変遷している。その供述経過をみても、本件事故当日の上申書(甲83)では、(e)と(f)のみを挙げ、1月6日付け司法警察員調書(甲75)では、(a)ないし(f)のすべてを挙げ(甲78では(b)が抜ける以外は同旨)、9月22日付け検察官調書(甲82)では、(d)のブロック乗り上げと思われる点だけを挙げ、被告人の運転が危なかったとだけ述べているが、民事証言では、(a)(b)(e)で危ないと思って交代を決意した、途中、タイヤがすったような感じがした、壁にこすったかどうかは分からないと述べ(弁1・17頁以下、36頁以下、48頁以下)、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書(甲46)では、(a)(d)(e)(f)について危ないと感じたから交代を決意したと述べており、危険を感じた場面及び交代を決意したきっかけについて変遷を重ねている。上記供述変遷の理由について、Aは、自分の言葉が足りなかった、緊張してパニックになっていたなどと述べる。しかし、Aの供述態度をみると、捜査官に反論する場面などが当初から多数録取され、1月7日段階(甲76)ですら、それまでの供述内容を確認し訂正したり、具体的場面で細かい供述が変遷する可能性がある旨述べており、ましてやそれ以降、公判における応答状況を含めパニック状態にあったとは思われず、合理的な説明があるとはいえない。前記(a)ないし(f)が100メートル程度の短距離を走行する短時間の出来事であることを考慮しても、本件轢過事故の際及びその直後の状況に関することであり、かつ、飲酒して他人の自動車を運転したくなかったと述べるAが、翻って運転を交代しようと考えるに至るきっかけであるから、本来であれば最も良く記憶しているはずの場面であり、不自然さを免れない。

イ 加えて、丁字路交差点までの道路は、幅約3.1メートルで本件車両が少しよれたら接触するほどの狭い道であるのに対し、丁字路交差点右折後は幅約5メートル弱の道路(交代場所付近の道路幅は約4.8メートルで両側に約0.6メートルの路側帯がある。甲35)を直進するのみで(甲14、32、35、弁11、15)、当時は深夜で交通量も少なかったのであるから、被告人が丁字路交差点までの狭い道路をまがりなりにも走行できたのであれば、その後運転交代するまでもないのではないかとの疑問も生ずる。この点についてAは、この道路の交通量が多くて危ないと強調するが(9回7頁等)、その場を通りかかったHは、この道路をよく通るが夜間の交通量は少なく、Aを見た際にも車1台のヘッドライトを見ただけであった旨述べ(13回36頁)、A自身も当時トラック1台しか見かけず、本件車両の停止位置は他の車両の通行を妨げていなかったと述べ(9回23頁、40頁)、同じ道路を通り被告人宅前の道路にノアを停車したCも通行車両は少ないと述べており(C11回68頁以下)、ほぼ同時刻の再現の実況見分時の通行量も20ないし30分間の通過車両は二、三台に過ぎない(猪股5回25頁・甲34)のであって不自然である。

ウ また、Aは、公判で、丁字路交差点に至るまでの間、左によれてタイヤがU字溝に擦るなど何度か危険を感じたものの、「危ない」とか「徐行しろ」などと声をかけて注意することもせず、丁字路交差点右折後、突然止まれと言うまで被告人に一言も話しかけていないと述べるが(8回109頁以下)、同乗していた者の対応として不自然といわざるを得ない。Aは、黙っていた理由について、疲れていた、音楽がかかっていた、別に話すことはなかった、人通りもない道だった、ぶつかっても被告人の車だ、敢えていうほどの距離ではない、事故をしても、かする程度だろう、被告人もいつもそれで乗っている、本当にひどければ助手席からハンドルに手を出す(8回110頁以下)などと説明するが、Aが被告人は車を大事にしていて他人に貸すのも嫌がっているとも述べている(7回38頁等)ことと整合せず、不自然である。

(4)  交代の際の行動等について

ア Aは、2回止まれと強く言ったところ停車したので、X前で停止した本件車両の助手席から降り、手に持っていたサンダルを道ばたに投げて履き、本件車両の前方を回って運転席の方に行き(その間に前の路地から出て左折して行ったトラックを見た)、運転席ドアを開けて(被告人かAかは不明)、被告人の腕、右肩辺りを引っ張り、被告人はふてくされたような顔をし無言であったが、Aからも声はかけず、運転席側から左手を差し入れて後部ドアのロックを外そうとしたときバキッという音がして壊したと思ったがかまわずに開け、被告人を引っ張り出して後部座席に押すような感じで乗せた、この時、被告人が履き物をどうしたか、靴を履いていたかどうかはわからないが、被告人は後部座席で助手席の方に頭を向けて仰向けに横たわっていたので、Aはサンダルを履いたまま運転席に乗り込み運転を始めた(7回33頁以下、9回9頁以下)と述べ、言葉も交わさずにこのような運転交代をした理由については、交通量も多く、慌てていた、言葉が下手だ、三次会で待っている人がいるなどと述べるが(9回14頁、33頁以下)、交通量については既に指摘したとおり合理的とはいえず、それほど慌てる理由は見出せない(Aは「人も通るかもしれない」などともいうが(9回19頁)、やましいことをしているのでもなければ、車両を停止し運転交代をする際、人の通行は支障とはならない。)。全般的に知り合い同士が運転交代する態様として違和感があり、しかも、運転交代後、シートの下げ方、被告人方の車庫入れの向きについて確認の会話をした(7回41頁、9回42頁)というのであるから運転交代の場面で全く言葉を交わさないのは不自然である。

イ 運転交代の際に被告人が助手席に移動せずAがいわば無理矢理に後部座席に移動させた理由についても合理的説明がない(9回21頁では、すぐそばで、交通量が多く後部座席を開けた方が早いというが、交通量は前記のとおり多いとはいえないうえ、通行車両を気にするのであればむしろ被告人を助手席へ移動させた方が安全である。)。

ウ ドアロックの操作の誤りについても、自ら助手席のドアを開けて降りたのであれば、操作を誤ることは考えにくく、被告人の車(Aは被告人は他人に運転させないくらい車を大事にしていたと述べる。)なのに、破損の有無を確認せず、被告人にその事実を断りもしないのも不自然である。

エ 本件車両を全席土足厳禁の扱いで使用していた被告人が(A7回9頁、被告人16回9頁)、履き物を履いた様子もなく運転席から後部座席に移動したというのに(9回14頁)、そのまま下車した時に履き物を履いていた(被告人17回31頁)のも不可解である。この点に関するAの供述経過をみると、1月6日付け司法警察員調書(甲75)では、被告人が自分で身をかがめるようにして後部座席に入って行き、入り終わったところでAがドアを閉めたとし、1月22日付け司法警察員調書(甲81)ではロックを外そうとしたのは右手だったかもしれないとも述べ、9月22日付け検察官調書(甲82)では、運転席後部のドアを開けると被告人が自分で頭から乗り込んだが、そのドアを誰が閉めたか覚えていないとも述べ、変遷が見られる。

オ Aは、運転交代後の被告人の後部座席での姿勢について詳述するが(7回41頁以下)、この点については、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書(甲46)で初めて録取されたものであって、供述経過上不自然であるうえ、そのように観察していたにもかかわらず、被告人がへそくりを隠すところを見ていない(7回50頁)のも不自然である。

カ また、Aは、運転交代の際に通りかかったHのバイクには気付かなかったが、X前にいた時の目撃者が見つかったと聞いた時にも被告人の工作かと思い、止まっていたところを見ただけでは不安がある、Hに言われた時にも聞きたくないので警察に言ってくれと言ったなどと述べるが(9回24頁以下)、運転交代の裏付けともなり得る目撃供述を確認しようとしない点などで不自然である(甲46は公判とほぼ同様に供述しているが、甲81では、目撃者がいると言われて、誰かを気にしながら、覚えていないと述べている。)。いずれにせよ供述全般からこの停止地点でAが相当慌てていたことが窺えるが、その合理的説明はなされていない。

(5)  被告人に付いて行くことを伝えた経過について

Aは、公判では、C車両が本件駐車場に着く直前くらいにCに、被告人が帰るが、Aが被告人に付いて行くので被告人の家の前で待っていてくれと言ったがCからの返事はあったどうかも分からない、Bにも聞こえていると思うと述べる(6回33頁以下、8回36頁以下)。この点の供述経過をみると、本件事故当日の上申書(甲83)では、Bに被告人に付いて行くからと言い、Cに被告人の家の前で待っていてくれと言った、1月4日付け及び同月6日付け各司法警察員調書(甲73、75)では、Bに向かって話した旨述べ、再捜査時の平成13年11月24日付け検察官調書(甲45)では、Cに言うと、Cは「分かりました」などと言った、Bは眠っているのか車内で静かにしていた旨述べ、変遷している。この点についてBは、公判(15回8頁)で酔って寝ていてほとんど記憶がなく捜査段階の初めの供述は誘導されて捜査官に迎合したもので記憶によるものではないと言い、Aの前記公判供述や再捜査後の供述(甲45)と整合し、再捜査後にもほぼ公判と同様に供述している(甲50)。しかしながら、Bの供述経過をみると、本件事故当日の事情聴取では、宴会をした店名、出席した関係者の氏名などについて、その記憶の不正確な点を指摘しつつ、飲食の内容、飲酒の種類・量などを具体的かつ詳細に供述するとともに、被告人が酔って運転できる状態ではなかったこと、Aが、被告人の車を運転して被告人を送っていくと言っていたことを明確に供述し(甲100)、翌日の聴取では、前記店名や関係者の氏名等が補正され、被告人の酔いの程度がそれほどではないとされるなど一部変更されたものの、Aが被告人の車を運転して被告人を送っていくと言っていたとの供述を繰り返し(甲101)ていたのであって、記憶に基づいて供述していたことが窺えるうえ、本件事故当日Bの事情聴取をした警察官が誘導や聴取中の居眠りの事実を明確に否定していること(庄野18回21頁、27頁)、本件事故直後の各供述調書の記載内容、捜査経過からみて警察側にもいまだ正確な情報が十分には得られていない状況下での事情聴取であったと窺えること、Bは、その事情聴取時、捜査官から本件駐車場から被告人宅に行く間に被害者が轢かれ、被告人とAのいずれかが犯人であることが問題となっていると知らされていたこと(B15回48頁)、8月25日付け検察官調書においても、Aが被告人にノアの車内で、Aが被告人の車を運転して被告人宅まで送って行くという話をしていたと重ねて述べており、Bの勤務する会社の社長の息子で、かつ、上司(専務取締役)であるAに関する供述であることなどに照らすと、捜査官に覚えていないことを誘導で言わされたというBの説明は容易に信用し難く、Bの公判供述はAの公判供述を裏付けるものとはいえない。また、この点について、Cは、公判でAが「俺も被告人と一緒に行くから、……被告人の家で待っていてくれ」と言った旨述べるが(10回18頁以下、11回25頁以下)、その供述経過をみると、本件事故当日付け司法警察員調書(甲86)では、ほぼ同旨の供述であるものの、翌日付けの司法警察員調書(甲87)では、ノアの車内でAが被告人に「大丈夫か、運転できるか」と言い、Cには「一緒に行くから先に被告人の家に行っていろ」と言ったと述べ、8月24日付け検察官調書(甲88)では、ノアが一時停車して被告人を乗せて発進後、AがCに被告人は「危ないからとりあえず、俺、被告人と一緒に行くから」と述べ、再捜査時の平成13年11月13日付け検察官調書(甲49)では、ノアの中でAが「俺は被告人と一緒に付いて行くから」と言ったと述べて、微妙に変遷しており、AがCに対し「被告人に付いて行く」と述べたことをもって、Aが自ら運転する意思に乏しかったことを裏付けることは困難というべきである。

(6)  運転交代の事実をDに話したという点について

Aは、キョーヤでDに、被告人宅に向かう途中で運転交代を話した旨供述するが(7回57頁以下、9回50頁以下)、その供述経過をみると、そのやりとりはいずれも当初の捜査段階の供述調書にはなく、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書(甲46、51)において初めて録取されている。この点についてAは、当初の取調べの際からその話をしていたが録取されなかったと述べる(7回59頁、9回56頁、86頁)。しかし、Aが当初からそのような供述をしていたとすれば、それは被告人の運転を裏付ける重要な事実であるといえ、前記のように被告人も容疑者の一人として捜査し、結局、被告人を被疑者として送致している捜査機関において、そのような供述を調書に記載しないのは不自然というほかない。

ア Dは、公判ではAとの会話自体記憶がないと述べるが(12回12頁)、再捜査時の平成13年11月24日付け検察官調書(甲51)において、キョーヤかその後に行ったラーメン屋又は移動中のノアの中で、Aから、被告人の運転が危ないので会社の前で被告人と運転を代わったと聞いた旨述べている。しかしながら、この点の供述経過をみると、Dは、それ以前にはこの点に全く触れていなかったのである。すなわち、本件事故当日付け司法警察員調書(甲97)では、一次会、二次会の宴会の出席者、飲酒状況、一次会の代金の支払、関係者の移動状況、被害者の発見状況など、知っていることを述べたとし、1月9日付けの司法警察員調書(甲98)では、前回の供述を一部補正したほか、三次会以降で被告人の携帯電話に電話をかけていないが、誰にも自分の携帯電話を貸したことはないと述べ、最後に本件車両に「衣類の痕跡や血痕が付着しているが、事件後に知り得た轢き逃げのことで参考になるようなことはないか」と尋ねられて、被害者の轢き逃げは本件車両に間違いなく、運転したのが被告人かAのどちらかで調べられていると仲間内で話している、自分はその場にはいなかった、みんな酒を飲んでいて結構酔っていたことぐらいしか知らないとしか述べず、最後に被告人かAのどちらかが犯人だが双方とも違ってほしい気持ちで一杯であると心境を訴えている。また、前記検察官調書(甲51)とほぼ同時期作成(20日付けであるが、昨日検察官に説明したとの記載から25日の誤記と思われる。)の民事控訴事件の陳述書(甲99)では、後述するCの目撃供述について記載しているが、この運転交代の話には全く触れていない。Dは、供述変遷の理由として、Aが当初から警察に話しているはずで、特に重要な話だと思わなかった、その後、検察官から事故を起こしたのが本件車両であると分かる前のAとの会話が重要であると言われて話した旨説明し、平成11年の段階から運転交代の話を聞いていたといえる根拠として、本件事故当日の取調べ直後にX本社の役員室で運転交代の話をした記憶があることを挙げる(甲51、12回19頁以下)。しかしながら、Xの社長はこの話を聴いた時期、相手は不明と述べており(甲52)、十分な裏付けがあるとはいえないところ、その役員室におけるDの話で、それまでAが被告人を車で送ったことになっていたのが一変して被告人が轢いたという話になって、Aの父が呼ばれたり、被告人が受刑する場合、その妻の面倒を見なければなどという話まで出たというのであるから(12回22頁以下)、その時点でDがAから運転交代の話を聞いたという自分の体験の重要さを理解できないというのは不自然というほかなく、その9日後の取調べ(1月9日付け司法警察員調書。甲98)でも、前記のような受け答えをしているのも不可解である。なお、Dが、公判(12回27頁)や再捜査時の検察官調書(甲51)で、当初の取調べ時、本件車両が加害車両であると聞いたとき、被告人が犯人であると思ったと述べる部分も当初の捜査時の前記各供述調書(甲97、98)の内容と整合しない。この点に関するDの供述を信用することはできず、これがAの供述を裏付けるものとはいえない。

イ また、前記のような運転交代の会話が出る経緯としてAは、公判で、キョーヤでDから、帰りが遅いのをAのせいにして被告人が妻に電話していたと聞いたのをきっかけに、Aが被告人と運転を交代した旨述べたところ、Dが怒って被告人の携帯電話に電話し、その10分くらい後にAも被告人の妻に釈明したくて、被告人の携帯電話に電話し、被告人を誘って飲ましたのはAではない旨被告人の妻に話した旨述べる(9回50頁以下、7回57頁以下)。しかし、この点について、Aの1月8日付け司法警察員調書(甲77)には、キョーヤでのDとの会話として帰宅が遅いのをAのせいにして被告人が妻に電話していたと聞いて誤解を解こうとAが電話したという点のみが記載されているのに対し、前記検察官調書では、そのやりとりの後に前記の運転交代の会話に関するやりとりが付け加えられて記載されているのであって、この点にも不自然さがある。加えて、被告人の携帯電話の着信履歴(甲58)を見ると、Dから被告人の携帯電話に着信があったのは、本件事故当日の午前1時19分であり、Dがキョーヤに入る前、レッドムーンにいた時間帯である(甲2)。また、Aは、Dの電話から約10分後くらいにA自身が電話したと供述するが(7回58頁、9回52頁)、Aからの着信は同日午前1時46分で、キョーヤ入店後ではあるが、Dの電話から約30分後であり、この点も整合しない。さらに、電話を受けた被告人の妻は、Aからは「被告人は大丈夫か」と極短く言われただけで前記の被告人の帰宅が遅い理由についてのAの言い訳はなかった旨述べており(F14回13頁)、この点も整合しない。

ウ Aの供述によれば、それだけ被告人の意に反して運転を交代したというのであるから、運転交代の点は非常に強く印象に残ってよいはずで、運転終了直後に会った被告人の妻(評価を上げたかったというならなおさらである。)やその直後乗り込んだC車両にいたCなどに話す方が自然である。しかし、後述するように、そのことを誰にも話さず、キョーヤでDだけに話したということ自体、違和感がある。

(7)  その余の供述の問題点

ア Aは、本件駐車場で、運転する意思がないのに、まず本件車両の運転席に向かった点について、公判では、被告人が運転席にいるかを確認し、助手席に座ってよいか尋ねるためであったが、運転席ドアに手を掛けたり、ノックはしておらず、寒かったし、被告人の妻が座る助手席に乗ってみたいと思ったので、結局、被告人には何も聞かずに助手席に乗り込んだと述べ(8回82頁以下、6回6頁)、その際の様子について、前照灯は点いていない、車内灯の点灯については覚えていない、スモールランプは点いていない、他に灯りがあったかは覚えていない、エンジンの音はしていた、被告人が運転席に座りドアの方に斜めにのけぞるようにしているのをフロントガラスから見たが、その時の被告人の手や腕の様子は見ていない、ハンドルに手は掛かっていなかった、ナビは点いていなかったなどと詳細に確認したように述べているが(8回74頁以下、7回6頁、11頁)、この点の供述経過をみると、1月4日付け司法警察員調書(甲73)では、運転席の方に行ったのは被告人にどこに乗ったらよいか聞くためであり、このことはこの取調べの際に初めて思い出したが、結局寒かったので聞くまでもないと思ったと述べ、1月9日付け司法警察員調書(甲78)では、何時エンジンを掛けたか気付かなかったので運転席側に近付き、フロントガラス越しに覗いた、座っている被告人を見てどこに乗ったらよいか聞こうかと思ったが聞かず助手席に乗ったと述べ、9月22日付け検察官調書(甲82)では、前照灯が点いていたかどうかは覚えていない旨述べ、民事証言では、被告人とAのどちらが先に本件車両に乗ったか覚えていないと供述して具体的な運転席の状況等は全く述べておらず(弁1・34頁)、変遷がみられる。この変遷理由としては、緊張していたからとの説明しかない(8回81頁以下)。また、夜間の再現実況見分(甲34)によれば、本件車両のエンジン始動状態では、車内の各種照明により運転席にいる者の上半身が浮かび上がり容易に確認できるのであるから、エンジンがかかっている状況で被告人が運転席に乗っているかどうかの確認のため運転席を覗き込んだという供述はそれ自体不合理であり、運転する意思がないのに運転席に向かったことは不自然の感を免れない。

イ C車両内での被告人の状況について、Aは、公判では、被告人が乗り込んだ後、被告人を三次会にしつこく誘い、普通に会話はできていたが、被告人には、理由は分からないが、付いて行くとは言っていない、車内が暗いので被告人が起きていたかどうかの確認はとれていないなどと述べるが(8回40頁以下、9回76頁以下)、事前に、被告人との間で付いて行く話ができていなければ、Aが本件車両の助手席に無断で乗り込んだのに被告人から何も聞かれない(8回44頁)のは不自然である。この点の供述経過をみると、民事証言では、C車両内での被告人の様子について最初はしゃべって、それから寝たりして後は暗くて分からないと述べ(弁1・28頁)、1月3日付け司法警察員調書(甲72)では、被告人がC車両に乗り込んで間もなく帰ると言ったのでCに「Gも帰るってよ」と言ったと述べ、同月4日付け司法警察員調書(甲73)では、本件駐車場に着いたときか、その近くで本当に三次会に行かないのかと確認したことしか車内の会話は覚えていないと述べ、再捜査時の平成13年11月24日付け検察官調書(甲45)では、三次会に誘い断られたのは被告人が乗り込んですぐのことであり、本件駐車場の近くでの話であるというのは誤りである旨述べ、変遷している。この点でもその変遷の合理的な説明はない。

ウ C車両を降りた時の本件車両との位置関係について、公判では、本件車両の右横少し斜め、降りたとき目の前(1メートル前後)に本件車両が止まっていた(8回58頁以下、9回78頁以下)、小便した後C車両は、本件車両の前辺りに移動していたので行っていいと合図をしたと述べるが(7回4頁以下、8回70頁以下)、この点の供述経過をみると、1月4日付け司法警察員調書(甲73)ではほぼ同旨の供述をしながら、再捜査時の平成13年11月24日付け検察官調書(甲45)では、C車両の左前角が本件車両の右前角の方向にあった可能性が高く、降りた際、本件車両の運転席は視界に直接入らず、すぐ目の前にあるという位置関係にはなかった旨述べて変遷しており、この点も不自然である。

エ 被告人が先に本件車両の運転席に座っていたとすれば、Aが被告人に付いて行くつもりであることを被告人が知らない場合、Aを置いていく可能性もあるのに、Aは、付いて行くことを被告人に伝えていない(公判8回61頁)。AはC車両降車後、小便に行っているのであって、被告人が本件車両をとても運転できるような状態ではないか、あるいは運転する様子が全くなかったというのでもない限り、本件車両に同乗することを被告人に告げていない点も不自然である。

オ Aは、公判で、被告人が運転する本件車両が本件駐車場を出た後、左によれたときタイヤがU字溝に擦ったが、そう思ったのは「ハンドル的に戻った」からであると述べる(8回114頁)が、運転しておらずハンドルを握っていなかった者の供述として不自然である。

カ Aの取調べに対する態度についても、公判では、本件事故当日に上申書(甲84)を書いたものの、最初は1枚(10行)の簡単なものしか書かず、捜査官に詳しく書けと言われて詳細なもの(6枚約119行。甲85)に書き直したと述べ(8回6頁)、この点、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書(甲47)では、本件車両が被害者を轢いたと警察に言われ、本件駐車場を出る際のショックなどがその轢いた時のものかもしれないと初めて思い至り、そのことを警察官に話したところ、できるだけ詳しく思い出して書けと言われ上申書2通を作成したと経過を説明しているが、本件事故後当初の取調べである1月3日には、本件駐車場に入ってからのことについて、今一度思い返してみたいと供述を拒み(甲72)、翌日は、本件車両に乗り込むところまで供述して、体調が悪いとして、本件車両の発進以降のことについては供述しておらず(甲73)、結局、本件事故の5日後になって初めて事件の核心部分について詳細な供述が録取されている。このような対応は、身に覚えのないことで疑いを掛けられそれを晴らしたいと強く思う者の態度としては不自然である。現にAは、1月9日付け司法警察員調書(甲78)ではこのままでは犯人にされてしまうと強く訴えている。

(8)  検察官指摘の点について

検察官がAの供述の信用性が高いといえる根拠であるとして指摘するほとんどの点については、既に検討を加えたが、Aの供述が運転状況等について具体的で迫真性に富んでいるとの指摘は、Aが本件事故現場及びその周辺の状況を知悉していることが窺えること、運転状況については、Aが助手席に同乗せず、自ら運転した場合にも、ほとんど共通した認識を持ち得るのであるから、その供述の信用性を高めるものとはいえない。本件車両の後部座席のドアのノブ外枠がやや緩んでいたことがAの供述と符合するとの指摘については、この事実はAがそのノブに手をかけようとしたという供述を裏付けるものといえるが、その行為が行われた時期、地点を明らかにするものではない。そして、被告人は本件駐車場で本件車両に乗り込む際、後部座席ドアをAが開けた可能性を認めているのであるから、後部座席ドアを開けたのが本件駐車場であったとすれば被告人の供述と整合するともいえるのである。この事実は、その緩みが運転交代時に生じたことを明らかにできなければ、Aの供述の裏付けとはならないところ、その点の証拠は、結局、Aの供述しかないので、Aの供述の信用性を高めるものとはいえない。その余の検察官指摘の諸点を逐一検討しても、前記信用性判断を揺るがすものとはいえない。なお、C及びHの各目撃供述、被告人宅に送り届けた後の行動から、Aが本件事故を当時認識していなかったことが窺えるとの点については、後述する。

6 Cの目撃供述について

Cは、公判でナースコールを出て本件駐車場に到着した後、C車両を降りた被告人が本件車両の運転席に座っているのを見たと述べ、Dも、Cから、被告人が本件車両の運転席に座っているのを見たことを話すべきかどうかにつき相談を受け、それをAに相談した旨述べ、これらの供述が信用できれば、Aの供述を裏付けるのみならず、被告人が当初運転していたことを窺わせる重要な供述となり得るものであるが、以下に述べるように、いずれも信用し難い。

(1)  Cは、公判で、本件駐車場でC車両を後ろ向きに本件車両の斜め前に停車させていた間、運転席からときどきC車両の後部を見ていたところ、左後部のスライドドアの開いたところから、被告人が本件車両に向かって歩いてるところと本件車両の運転席に座っているところをそれぞれ見たが、そのとき本件車両のエンジンはかかっていなかったと供述している(10回21頁、25頁、40頁、11回42頁以下、64頁、95頁)。

Cの供述は、公判でも主尋問と反対尋問でやや変遷を見せているが、その供述経過をみると、本件事故当日には、本件駐車場において、A、被害者、被告人の3人がC車両から降りたが、被害者は多少ふらつき、Aはかなりしっかりし、被告人の様子は見ていない、3人が何か話していたのを見たが内容はわからない(甲86)と述べ、翌日は、本件車両前で一人を二人が抱えるような感じで立っていた、どれが誰かまでは見えなかったが、Aと被告人が残っているから大丈夫だと思った(甲87)とだけ述べ、8月24日には、C車両を本件車両の前に止めた、A、被告人、被害者を降ろすとすぐ被告人宅へ向かった、本件駐車場を出るとき、本件車両の右前のタイヤ付近で被告人とAが甲野を抱えるようなかっこうで並んでいるのが見えた、その後3人がどうしたかは知らない(甲88)と述べ、公判供述とは相反する内容であったところ、再捜査時の平成13年11月13日付け検察官調書において初めて、被告人がC車両から降りて本件車両の運転席ドアを開けて運転席に乗り込みエンジンをかけたのを見た旨(甲49)述べ、民事控訴事件に提出した同月14日付け陳述書で、被告人が本件車両の運転席に乗ったのが見え、エンジンをかけた音が聞こえたと述べており(甲89)、目撃したという供述でも公判供述とは、エンジンをかけたか否か、一連の動作を見たのかどうかという重要な部分が変遷している。

(2)  また、Cは、公判で、本件事故から約1か月後に、Dに事故直前に被告人が本件車両の運転席にいたのを見た旨話して相談したところ、DはAに伝えておいてやると述べ、その2、3日後にAは気にするなと言っていた旨伝えてきたので、いまさら警察に話す必要もないだろうと考えて話さなかったが、合計3回検察庁(平成11年8月、平成13年8月と11月)に呼ばれ、何度も呼ばれるということは検察官がまだ本当のことを話していないと疑っていると考え、また隠し続けるのは良心に反するので話すことにした、平成11年の甲野が二人に抱えられていたとの供述は、当時甲野の死により動揺していたところ、同じ部屋で取調べを受けていたBがそのように述べていたから引きずられたと説明する(10回37頁以下、11回61頁以下)。

(3)  しかしながら、上記のとおり、Cの目撃証言は、本件事故直後の取調べ(甲86ないし88)においては一切語られず、1月17日の実況見分の際(甲93)も現場では目撃した旨の指示説明をせず、本件が一旦不起訴となり、本件事故後3年近く経過し、記憶も薄れつつあると思われる平成13年に再捜査されたときに初めて語られたものである点で、それ自体相当不自然である。

このように供述が変遷した理由について、Cは、公判では、本件事故当日及び翌日(甲86、87)は、良くしてもらっていた甲野の死んだ姿を見たショックと最後まで面倒を見なかった後悔で何を聞かれ何を答えたか記憶がない状態であった(10回33頁以下)、1月1日にはまだ思い出しておらず、1月17日かその後ころ、被告人が運転席にいたのを見たことを思い出した(11回55頁以下、89頁)、8月の検事調べの際(甲88)もすべてではないが何を答えたかわからないところがあった、捜査の最初のときに言わなかったので言いづらかった、運転席に乗っただけで本件車両を動かしたのを見たわけではなく、発進態勢ではなかったから言わなかった、隠していることがあると疑われ、もうこれ以上呼び出されたくないと考えてすべて供述することとした、運転席に座っているところを見ただけで運転しているところを見たわけではないから話した(10回35頁以下)、言うのが怖かったのは、なぜ黙っていたのかと怒られることと、それでA、被告人のどちらが運転していたかが決まってしまうかもしれないからである(11回59頁、94頁以下)などと述べるが、再捜査時の平成13年11月13日付け検察官調書(甲49)では、前記ショックに加えて、重要なことだと思わなかった、話せば爆弾発言になるだろうと分かっていたのでそれがプレッシャーになり、聞かれもしないことをわざわざ言う必要はないと考えて話さなかったと述べ、民事控訴事件の陳述書(甲89)では交通事故のショックと寝不足で頭がぼーっとしていたため話していないとしており、話さなかった理由付けに関する供述自体も変遷し、相互に整合しない点すらある。とりわけ目撃の記憶がいつからあったか、弁護人の追及を受けて供述が変遷しているうえ、その記憶喚起のきっかけすら示していない点からすると、事故直後目撃の記憶がなかったとする点は不自然で信用し難い。8月の検察官による取調べは、事故後半年以上経過後のもので、目撃の記憶はあり、甲野死亡のショックも直後に比べれば相当和らいでいるはずである。また、本件事故当日の調書について、事件直後で未だ十分な捜査情報もなく、誘導的な取調べを行ったことはない、Cは添付図面の作成も含め素直に供述していた印象であるとの取調べ警察官の供述(松井18回13頁以下)並びに当日及び翌日の調書の各記載内容に照らすと、これらの供述調書が記憶の不明確なところも含めて、供述したとおり録取されていることが窺える。本件事故直後から運転者は誰かが問題となっており、Cもその調書(甲86、87)で自車のノアは轢いていないと答えているのであって、前記目撃の重要性をCが分からなかったというのは不自然というほかない。さらに、前記各取調べ当時、警察・検察から何か特に隠していると疑われていた事情は窺われず、C自身他の関係者に比べて特別多数回呼び出されていたのではないことは知っていた(11回9頁、62頁以下)というのである。結局、前記供述変遷について納得のいく説明はない。

(4)  前記目撃の状況について、Cは、公判で、運転席に座り顔をときどき左後ろに動かして、C車両の左後部横のスライドドアの開いた部分から、本件車両の運転席を見ていたが、当時本件車両の室内灯はたぶん点いていなかった、10秒、20秒とか、ずっと目を凝らして見ていたわけではなく、ちらちら瞬時見た、C車両と本件車両との位置関係については、本件事故当時から、近くという程度の記憶しかなく、その角度や距離を特定することはできない、実況見分等でCの指示が一定しないのもそのためである(11回22頁、36頁、37頁、43頁)と述べている。また、平成15年12月6日、本件事故当時とほぼ類似の条件下において実施した夜間検証で、C車両想定車の運転席から本件車両想定車の運転席に座っている被告人を確認できるのは、両車を60度の角度で駐車させて、本件車両想定車の室内灯及びカーナビゲーションを点けた場合のみであり、同様の状況で室内灯を点けない場合の視認状況は人が乗っているという程度までは判別できるが、具体的にそれが誰だとまでは、はっきりは確認できず、時間をかけて注視すれば、A、被告人の両名を知っている者なら顔の輪郭、体型等から識別は可能であるという程度であったのであり(受命裁判官による検証調書)、Cの述べる目撃が状況的に不可能であるとまではいえないものの、その供述の信用性を増強する状況があったとはいえない。Cは、上記検証に立ち会い、前記運転席からの視認を試みたが、前記60度に駐車した場合でも、本件事故当時と比べて両車の遠近・角度、見えたという被告人の状況、印象等のいずれについても、よく分からない、はっきりしないという指示説明に終始した。前述のように、本件事故の約3年後の平成13年11月に、陳述書を作成するとともに検察官に具体的な目撃供述をし、平成15年5月及び6月に前記のような公判供述をした者が、その半年ほど後、本件駐車場で記憶喚起しやすいと思われる状況下でこのような指示説明しかできなかったことは不可解というほかなく、前記公判供述の信用性を大幅に減殺するものといわざるを得ない。以上の諸点に照らし、Cの公判供述は到底信用できない。

(5)  Dは、再捜査時の平成13年11月24日付け検察官調書(甲51)で、本件事故のことは極力話さないようにしていたが、本件事故から数か月後、Cから、本件駐車場で本件車両のエンジンがかかる音を聞いたことを聞かされたが、被告人が本件車両の運転席に乗るところを見たと聞いたかどうかははっきりしない、会社の人等と本件事故につきいろいろと憶測話をして混乱しており、Cから、警察で事実と異なることを述べたことについてAに伝えてほしいと言われたかどうかは記憶がないと述べ、公判では上記検察官調書の供述が正しい旨述べているところ(12回31頁以下)、民事控訴事件に提出された平成13年11月20日付け陳述書(甲99)では、平成11年ころ、Cから本件駐車場で被告人がワゴン車から降りてエンジンをかけるのを見たというような話を聞いたと陳述書作成の前日検察官に事情を聞かれた際に検察官に説明した旨述べている。また、Aは、本件事故から1月半か2月後のころ、職場に復帰すると、DからCが「被告人が運転席に乗ってエンジン掛けていたのを見たが警察に言えなかった」と言っていたと聞かされたが、その場ではあまり気にしていなかったので「ああ、いいよ」と言った、Aと被告人の裁判のために呼ばれるのも嫌だし、かわいそうだと思った、自分が警察に最初からずっと話していたことだったので、もうあまり気に留めていなかった、もう終わっていると思ったから、警察に話してくれとは言わなかったなどと述べ(7回63頁以下)、供述調書においては、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書(甲48)で初めて、DからCが「被告人が運転席に乗ったのを見た」が警察には話していないと相談されたが、Cの性格に同情し、気にするなと伝えてくれるようにと言い、警察に話してくれとは言わなかったし、その後Cに確認したこともない旨述べている。

しかし、これらの供述は、いずれも民事控訴事件で提出されたCの前記陳述書作成以降卒然となされたものである点で不自然さを否めない。また、Aは、このDの話を聞いた後であるはずの9月22日付け検察官調書(甲82)において、運転交代時ドアロックを外す際バキッと音がしたことや被告人からエンジンキーを受け取ったことはないなどと自己の主張を述べながら、Cの目撃の話については全く触れておらず、この点も不自然といわざるを得ない。しかも、Aが公判で気にしなくてよいと言ったとする理由のうち、裁判に呼ばれるということと、本件はもう終わっていると思ったということは矛盾するものといわざるを得ず、現にD、Cは後に民事控訴事件に陳述書(甲89、99)を提出している。また、被告人の書類送検(2月3日)後である9月22日にもAに対する検察官の取調べは行われており(甲82)、被告人が一旦不起訴となったのは平成12年1月27日であり、平成11年中には本件事故について被告人等を被告とする民事訴訟が起こされ、Aも後に訴訟参加しているのであるから、Aが本件はもう終わっていると考えて放置したという説明自体不自然というほかない。さらに、Aとしては、被告人が運転していたのではないということになれば、自動的に自己が運転していたということになるのであって、平成11年の段階でも、何とか自分が運転していなかったことを証明したいと必死になっていたはずであるのに、DやCに、被告人が本件車両の運転席に座っていたことを言わなくてもよいと述べること自体が不自然である。これらの供述は信用し難く、Cの供述を裏付けるものとはいえない。

(6)  なお、CやDは民事事件では当事者等になっておらず、Aは民事事件では訴訟参加しているものの、Cらの取調べの経過については同人らから聞くほかないところ、Cが話を聞きたいと東京に呼ばれて検察官以外の人と話をし(11回9頁以下)、平成13年11月13日に検察官の面前で初めて前記目撃状況を語り、その翌14日付けで民事事件の陳述書が作成され、それがDの前記陳述書(甲99)と共に戊号証として民事控訴事件で提出されている点も、AとC、Dの間で、いずれもが否定している打合せ等がなければ、不自然である。

7 被告人の供述について

(1)  被告人は、公判において、本件駐車場に到着した際、C車両の2列目のシートを倒して降車し、本件車両を運転するつもりで20ないし30歩、本件車両の運転席に向かって歩いたところで、自己の右前の1、2メートル先に立っていた人から、運転してやると言われ、ロングコートのポケットから鍵を出したが、渡したかどうかは覚えておらず、本件車両の後部座席に、そのドアを誰が開けたかは分からないが、サンダルを履いたまま靴入れのケースに両足を入れて乗って横になり、へそくり6000円を後部座席運転席側の足下マット下に隠し、本件車両の発進後1度本件車両の左側が乗り上げたような衝撃を感じ、「何かゴーみたいな感じの音」を聞いて「何だ?」と思って我に返ったが、まあいいやと思ってそのまま寝てしまい、自宅到着後下車したところ、Aが立っていた、妻と口論になったがそのまま家に入って着替えもせず寝てしまった、それ以上のことは記憶にないと供述し、これまでに飲酒運転の経験はあるが、どこをどう運転したか忘れることはあっても、運転したこと自体の記憶がなくなることはなく、今回も本件駐車場から出るときに本件車両を運転したという記憶が全くないので、運転はしていないと断言できると述べるところ(乙1、3、4、7ないし10、12、17、19、公判16ないし19回、21回)、その供述は、捜査段階から公判廷に至るまで、上記内容でほぼ一貫している。

もっとも、捜査段階の一部の供述調書等には100パーセント運転していないとまでは言えない旨の記載があるが(乙1、3、4、7ないし10)、それ以外は運転していないと断言し(乙12、17、公判16ないし19回、21回)、供述が変遷したのは、捜査官の理詰めの追及を受けて否定できなかったり、都合のよいことばかり覚えているなどと責められていたため、供述を控えてしまったためである旨説明するところ(被告人16回15頁、23頁)、公判で、本件車両内にへそくりを隠した場所について具体的かつ明確に指示している(18回2頁)うえ、上記説明は、記憶がない事実について捜査官の取調べを受けた者の対応として、あながち不自然ともいえない。

(2)  以上の供述のうち、マット下に隠したという同額の現金が、実際にその場所から発見されており(弁10)、C車両を降りた後20ないし30歩歩いたことについても、平成11年当時の実況見分の際(甲93)に、CやBが本件駐車場におけるC車両と本件車両との距離を約3ないし4メートルと指示したのに対し、被告人は8ないし12メートルと指示し、距離が比較的離れていた点において整合しており、被告人宅到着後の状況については、被告人の妻の供述によって裏付けられている。すなわち、被告人の妻であるFは、公判において、本件車両が被告人宅に到着してしばらく後、Aが窓を叩き、被告人が「こんなだから自分が運転してきた」と言うので見ると、本件車両の後部座席のドアが開いており、被告人の下半身の下の方が見え寝転がっているようで、Aが後部座席の方に行って起こすか何かしているようだったので窓を閉め玄関から出たら、Aが被告人の肩に手を回して抱えるようにして立っていた旨述べており(14回8頁以下)、具体的かつ詳細で不自然な点はないうえ、同女の本件事故当日の供述(甲104)と対比しても矛盾はない。また、被告人が本件車両から降りていない時点でAが窓を叩いて被告人の妻に知らせたというAの後記公判供述とも整合し、当時、付近に停車してAを待っていたCの述べる本件車両到着後の経過等(10回28頁、11回68頁以下)とも整合的であり、身内の供述であることを考慮しても、その信用性は否定し難い。この点の被告人の公判供述は、被告人宅前に到着時本件車両から降りた際の状況については必ずしも判然としないところがあり、再捜査時の平成13年12月7日付け検察官調書(乙12)では、ドアを開けて一人で降りたと述べているが、本件事故当日及び1月2日には、寝ていて起こされた旨述べ(乙19、1)、その後は自分で降りたか、抱え出されたか覚えていない旨述べて(乙3、4、5、7、17)、Fの供述と整合するか、少なくとも矛盾はないのであり、もっとも記憶が薄れていると思われる再捜査時の検察官調書の供述のみが相反しているが、同供述は、その記憶喚起、供述変更の理由も示されていないもので信用性は乏しく、Fの供述の信用性を揺るがすものとはいえない。この点についてAは、公判では、本件車両を停めて被告人の妻を呼んだが、被告人は運転席側の後部ドアを自ら開けて降りてきて玄関に行こうとし、出てきた妻と口論となり、玄関に入った、被告人は降りたときポケットに手を突っ込んで威張った感じであり、Aは抱きかかえたりしたことはない旨述べるが(7回52頁以下)、民事証言では、着いたとき被告人は後部座席で寝ていた、自分で降りてきて家に入って行けない状態だったと思う旨述べ(弁1・42頁以下)、再捜査時の平成13年11月25日付け検察官調書でも被告人の後ろを歩いてAが背中を押したかもしれないとも述べている(甲46)。この供述変遷も不自然であり、自分で降りて威張った感じであったという点は、運転交代を余儀なくされたほど酔っていたというそれまでのAの説明との整合性にも欠ける。この点のAの公判供述も信用し難い。

(3)  被告人の述べる、衝撃や音は感じたが後部座席で酔って横になってほとんど寝ていたので、まあいいやと思って放置してしまった(16回10頁以下、17回2頁)という状況は、帰宅後そのまま寝てしまったという状況とも相俟ってあながち信用できないものではない。寝てしまったとの点は、前記Fの供述(14回11頁、32頁)のほか、帰宅後まもなくかけられたD及びAの電話に被告人が出なかったことによっても裏付けられている(甲58、A7回58頁、9回58頁)。

(4)  被告人の供述は、前記のように基本的には記憶がないというもので、運転していたがその記憶が欠落しただけではないかとの疑問も生じないわけでもない。しかしながら、本件事故当時、被告人はナースコールにいるときやC車両での移動中など居眠りしてしまっている時間帯も多く、相当程度飲酒していたこと、前記呼気検査結果(甲41、42)等に照らせば、記憶が断片的であることが直ちに不自然であるとはいえず、意識的に行う運転行為自体については記憶に残っているはずだという主張にも合理性がないとはいえない。そして、被告人の供述の信用性を減殺する客観的証拠はない。

8 Hの目撃供述について

本件車両が本件事故後X前に停車し、Aが本件車両の助手席側からその前の方向に歩いていた旨のHの公判供述は、本件駐車場から被告人宅への到着までが5分程度と通常の所要時間(2、3分)よりも余分にかかっていること、その目撃状況に関する供述内容も自然であることから、その信用性を肯認することができ、Aの供述と整合するものといえる。しかし、同時に、この供述は被告人の供述と矛盾するものであるともいえない。

すなわち、被告人の供述を前提とすれば、本件車両は本件駐車場発進時からAが運転していたことになるが、そうするとAは、前記のように被害者の巻き込み、轢過、引きずり等による衝撃や音を聞いて異常を感じたはずであり、一時停車して本件車両の車体の点検、確認をすることは自然な行為であるといえるところ、前記X前は、本件駐車場前の狭い本件道路から広い直線道路に出て70メートル足らず先(本件駐車場から150メートル余り)の位置にあり、Aが勝手を知っている場所で、道路向かい側の街路灯及び門灯は点灯していたのであるから(甲39)、Aがここで一旦停止して本件車両の異常や車体の損傷状況等を確認することは決して不自然な行為ではない。また、Aは、本件車両の左後輪、車体左側が浮き上がったと感じたというのであるから、Aが本件車両を停車して下車後、本件車両の左側に回ってその状況を確認することも不自然であるとはいえない。さらに、このような事実を前提とすれば、Aの供述に対する疑問点として指摘したバイクを運転して通りかかったHの挨拶にAが気付かなかったとか、理由はともかく慌てていたといったX前でのAの不自然と思われる行動の理解も容易となる。さらに、本件車両の状況(前記3(5)。甲16、17)からすれば、夜間、車体の外観を側面から一瞥した程度では、本件事故を起こしたことまでは気付かなくても不合理ではないから、被告人を送り届けた後、検察官が指摘するように、被告人宅から三次会に赴くなど、遺体発見までのAの行動に格別変化が見られなかったことなどは、Aが本件事故当時の運転者であったことと矛盾するものともいえず、この点もAの供述の信用性を高めるものとは言い切れず、また、被告人の供述の信用性を直ちに減殺する事情ともいえない。

9 以上検討したところを総合すれば、本件事故当時、被告人が本件車両を運転していたと認定するには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。そうすると、本件公訴事実第1の業務上過失致死のみならず、第2の酒酔い運転についても、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官・廣瀬健二、裁判官・片山隆夫 裁判官・村上誠子は転官のため署名押印できない。裁判長裁判官・廣瀬健二)

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