横浜地方裁判所 平成13年(ワ)2420号 判決 2005年9月14日
原告 X1
他1名
同両名訴訟代理人弁護士 谷直樹
同 山口紀洋
被告 神奈川県
同代表者病院事業管理者 堺秀人
同訴訟代理人弁護士 庄司道弘
同 中原都実子
同指定代理人 遠山愼一
他3名
主文
一 被告は、原告らに対し、各一四六八万五六六七円及び各内金五〇〇万円に対する平成一三年七月一二日から、各内金九六八万五六六七円に対する平成一六年一〇月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを九分し、その四を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
ただし、被告が原告らに対しそれぞれ一〇〇〇万円の担保を供するときは、その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告らに対し、各三四〇三万七九八〇円及びこれらに対する平成一三年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(附帯請求の始期は、訴状送達の日の翌日である。)。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、平成七年三月から平成一〇年六月までの間、被告の設置運営する神奈川県立循環器呼吸器病センター(以下「被告センター」という。)に入通院して診療を受けていたA(以下「A」という。)が、肝細胞がん発症の疑いが生じて神奈川県立がんセンター(以下「県立がんセンター」という。)に転院したところ、転院後一七日目に食道静脈瘤破裂により死亡したことに関し、Aの相続人である原告らが、被告に対し、①被告センター医師らがAのC型肝炎ウイルス感染の事実を見落とし、適切な専門医への転医を勧告すべき義務を怠ったことによりAの死亡の結果が生じたものであり、②仮にAの死亡の結果と上記の転医勧告義務違反との間に因果関係が認められないとしても、Aはその死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性を侵害された旨主張して、債務不履行責任に基づき損害賠償を請求した事案である。
一 前提となる事実(証拠の引用のないものは当事者間に争いがない。)
(1) 当事者等
ア Aは昭和一六年八月二九日生まれの男性であり、平成七年三月二八日の被告センター初診時は五三歳であった。
原告X1(以下「原告X1」という。)はA死亡時の同人の妻であり、原告X2(以下「原告X2」という。)はAの長男である。
Aは平成一〇年六月一九日に五六歳で死亡し、原告らがAを相続した。
イ 被告は、横浜市<以下省略>において、被告センターを、横浜市<以下省略>において県立がんセンターを各設置運営する地方公共団体である。
B(以下「B医師」という。)は、平成七年ないし平成一〇年当時、被告センター呼吸器科に勤務し、同科部長及び被告センター副院長を務めていた。
(2) 診療経過
ア Aは、平成七年三月に肩部痛のため社会保険横浜中央病院(以下「横浜中央病院」という。)内科を受診し、同月二〇日に同病院整形外科に入院したところ、胸部レントゲン写真上肺に異常影がみられ、肺がんが疑われた。Aは同病院の紹介により同年三月二八日に被告センター呼吸器科を受診し、同年四月五日に被告センターに入院した。
イ 被告センターでは、肺がんの有無の精査のため気管支鏡検査の実施に先立ち、Aに対し、感染症があった場合に他患者への感染防止対策を取る目的からHCV(C型肝炎ウイルス)抗体反応検査を実施した。同月七日の上記検査結果報告によりAがC型肝炎ウイルスに感染していることが判明し、その旨がAの診療録に複数箇所にわたって記載された。
その後、被告センターでは気管支鏡検査等を行ったが、肺がんを疑わせる所見は得られなかった。そのため、被告センター医師らは、肺の異常影は慢性炎症によるものであった可能性が高いとして、同月二七日にAを一旦退院させ、以後、定期的に外来を受診するように指示した。
ウ Aは、その後、定期的に被告センターを受診してB医師の診察を受け、B医師は、肺の経過観察を行うとともに、Aに対し血液検査、臨床化学検査及び尿検査を実施し、平成七年五月ころからは糖尿病及び肝障害等の薬剤を処方した。
なお、B医師は、AがC型肝炎ウイルスに感染していることを認識していなかった。
エ 平成一〇年五月ころ、Aに下肢浮腫、腹部膨満(腹水)、肝臓硬化、眼球亜黄疸化等の症状が現れ、CT検査などを行った結果、肝細胞がんの発症が強く疑われたため、B医師は同年六月二日にAを県立がんセンター消化器内科に紹介して転医させた。
オ 県立がんセンターの医師であるC(以下「C医師」という。)は、Aについて肝右葉にびまん型腫瘍があること、門脈が塞栓していること及び食道に発達した静脈瘤があることを確認し、肝細胞がんの末期状態であって生命予後が期待できない状態であると診断した。
同月一八日、Aは食道静脈瘤破裂により大量に出血し、輸血及び食道静脈瘤結紮術を受けたが、同月一九日午前一時一一分に死亡した。
二 争点
(1) 被告センター医師らは、AのC型肝炎ウイルス抗体陽性の事実に気付いてAをC型肝炎の治療に適した医療機関に転医させるべき診療契約上の義務を怠ったか。
(2) 被告の上記(1)の債務不履行とAの死亡との間に相当因果関係はあるか。
(3) 上記(1)による損害額
(4) ((2)において相当因果関係が認められない場合)被告の上記(1)の債務不履行がなければ、Aがその死亡当時においてなお生存していた相当程度の可能性があるか。
(5) 上記(4)の可能性を侵害されたことによる損害額
三 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)について
(原告ら)
ア 被告は、平成七年三月二八日、Aとの間で、Aの疾病について専門家として要求される高度の知識及び技術を駆使して的確に診断を行い、疾病の重篤化を予防し、疾病を治癒させ、合併症発症を予防し、又は合併症発症を早期に診断して治療を行うため適切な診療行為を給付することを内容とする診療契約を締結した。上記診療契約により行うべき診療行為は包括的なものであって、ある疾患について十分な診療を行い得ない場合に適切な医療機関へ転科転医させるべき義務を包含している。
イ C型肝炎は、軽度又は中等度の炎症が持続することにより段階的に増悪してC型肝硬変へ進展し、高率に肝細胞がんを合併する悪性度の高い疾病であるから、C型肝炎患者に対しては、腹腔鏡検査などにより病態の正確な把握及び肝硬変への移行の有無の鑑別を行い、病態に即した適切な治療を受けさせる必要がある。他方、ウイルス感染を伴わないアルコール性肝炎は、肝細胞がんを合併する可能性が著しく低く、かつ特段の治療を行わなくとも禁酒すれば症状が劇的に改善するものであるから、専門医による特段の検査及び治療を要することはない。これは、平成七年当時、通常の医師であれば誰もが認識していた一般的知見である。
ウ 被告センターにおいては、平成七年四月五日にAに対しHCVウイルス抗体検査を実施し、同月七日に上記検査の結果報告を受け、その結果、AがC型肝炎に罹患していることが確認されていた。また、被告センターは肝臓専門医ではなく、C型肝炎に対する適切な精密検査及び治療を行う能力を有しなかった。
エ よって、被告センター医師らは、被告の履行補助者として、同日以降、Aに対し、検査の必要性及び検査内容等について十分に説明を行い、肝臓専門医への転医を勧告する義務を負担していた。
オ にもかかわらず、被告センターのB医師は、Aのカルテに記載された上記ウの検査結果に気付かず、アルコール性肝障害の診断基準に沿った検討もしないままに、Aは専らアルコールに起因する肝障害であるとの誤った診断をして、平成一〇年六月一日までAに対し転医勧告を行わなかった。
なお、B医師は平成一〇年六月二日にAを県立がんセンターに転医させているが、同日時点においてAは既に肝細胞がんの末期段階に至っており治療を行う余地のない状態であったから、上記時点での転医勧告は著しく遅れており、上記エの債務の本旨履行には当たらない。
カ よって被告センター医師らは上記エの転医勧告義務を怠ったものであり、これは被告の債務不履行に当たる。
(被告)
ア 原告らの主張を否認する。
イ 被告センターは、呼吸器及び循環器科を標榜科目とする医療機関であり、Aは平成七年四月当時胸部の痛みを訴え、肺がんの否定確定診断を依頼する紹介状を持参して被告センターを受診したのであるから、Aとの間の診療契約は肺がんの否定確定診断をすることを中心として締結されたものである。このように明確な目的を有して転医してきた患者について、被告センターに、標榜科目外の疾患である肝障害についてまで専門医として要求される高度の知識及び技術を駆使して診断すべき義務を診療契約上課すのは契約の解釈として合理性を欠き、失当である。
ウ また、Aは、被告センター初診時に、アルコール性肝炎であるとの診断を四〇歳ころに受けていること及び日本酒に換算して平均四合のアルコールを毎日継続して飲んでいることを説明しているのであって、B医師が上記の説明に基づいてAにアルコール性肝障害(肝炎のみならず肝硬変も含む。)の既往症があると認識したとしても、あながち不合理なものと断定することはできない。
エ 加えて、被告センター医師らは、平成一〇年五月ころにAについて肝細胞がんが発生している疑いが生じたことから、同年六月一日、県立がんセンターに同人を転院させているのであって、転医勧告義務を履行している。
オ よって、被告センター医師らに、AのC型肝炎感染の事実に気付いて転医を勧告すべき義務はなく、またそうでないとしても被告センター医師らはこれを履行しているから、被告に転医勧告義務を怠った債務不履行はない。
(2) 争点(2)について
(原告ら)
ア Aは、平成七年四月当時C型重度慢性肝炎の状態であったところ、被告センター医師らの前記(1)の義務違反により、肝臓専門医に転医して診療を受ける機会を失った。これにより、AはC型肝炎に対する適切な検査及び治療を全く受けることができないままにC型肝炎が増悪してC型肝硬変の状態に至り、さらに肝機能障害が進行し、門脈圧亢進症及び肝細胞がんを合併した。Aは肝細胞がんの有無を調べる検査も全く受けられなかったため、上記の肝細胞がんは発見されないままに末期状態まで進行し、かつ、がん細胞が門脈に浸潤して門脈腫瘍塞栓が起こり、従前の門脈圧亢進症が悪化して食道静脈瘤が生じた。Aに肝細胞がんが発見された時点では、Aの肝細胞がん及び食道静脈瘤は治療の適応がない状態であり、Aは、何ら有効な治療を受けられないままに、平成一〇年六月一八日の食道静脈瘤破裂に至り、同月一九日に死亡した。
なお、被告はAのC型肝炎が平成七年四月当時既にC型肝硬変の段階に達していたと主張するが否認する。Aは肝生検による組織検査を受けていないから、Aが上記時点で肝硬変に移行していたと断定するに足りる証拠はない。また、慢性肝炎の進展度の診断は血小板数により推定し得るところ、Aの血小板数は平成七年三月二八日の検査において一九万八〇〇〇μl、同年四月五日の検査において一五万二〇〇〇μl、同月一〇日の検査において一六万四〇〇〇μl、同月二〇日の検査において一四万九〇〇〇μlであり、いずれも基準値である一三万μlないし三五万μlの範囲内にとどまっていたのであって、これらのデータはAが肝硬変段階に至っていたことを示さない。また、被告がAがC型肝硬変状態にあったと主張する根拠として挙げるデータのうち、血小板数以外のものについては、すべてAがC型慢性肝炎の状態にあったとしても説明し得るものである。
イ 被告センター医師らが適切な時期にAに対し肝臓専門医への転医勧告を行っていた場合、Aはしかるべき肝臓専門医を受診し、インターフェロン(IFN)療法の実施を受けてC型肝炎又はC型肝硬変を治癒させることができ、また、インターフェロン療法が著効せずC型肝炎ウイルスを除去するに至らなかったとしても、適切な禁酒指示が行われることにより飲酒を中止した上、インターフェロンの長期投与、強力ネオミノファーゲンシー(SNMC)注射などの肝庇護療法及び瀉血療法などを受けることによりC型肝炎及びC型肝硬変の増悪を抑え、肝細胞がんの発症を予防するか、発症時期を遅らせることができた。加えて、C型肝炎に対する治療の最終手段として生体肝移植が挙げられるところ、Aには生体肝移植を受け得る金銭的能力があったから、これによってC型肝炎を完治させることも可能であった。また、肝臓専門医であればC型肝炎が進行した患者に対して定期的に腫瘍マーカー検査及び画像検査を実施するところ、もしAが肝細胞がんを発症した場合であっても、上記検査によって早期にこれを発見することができたのであって、外科的切除、肝動脈塞栓(TAE)療法又はエタノール注入療法などの治療法を実施することにより、これを治癒させることができた。なお、被告はAに発見されたがんがびまん型を示していたことから、びまん型肝細胞がんの早期発見は極めて困難であって種々の検査によってもこれを早期発見できた可能性はほとんどないと主張するが、びまん型肝細胞がんは、当初結節型であったがんが進行するにつれてびまん型に移行したものにすぎないから、上記検査によって早期(結節型の段階)に発見することは容易であったものである。また、もしAにがんが発見された段階でAのがんがびまん型を示していたとしても、早期段階であればリザーバー留置による抗がん剤持続動注療法などの治療を行い、これを治癒させることができた。さらには、肝臓専門医であれば、肝硬変に伴う門脈圧亢進又はがん細胞の門脈浸潤により食道静脈瘤が合併することを予見して定期的に内視鏡検査又は経皮経肝門脈造影(PTP)を実施し、早期に食道静脈瘤を発見して、内視鏡的硬化療法(EIS)、内視鏡的結紮術(EVL)又は硬化療法・結紮術同時併用療法(EISL)などの術式による待機的予防的治療を実施し、食道静脈瘤の破裂を予防することができた。
ウ なお、B医師はAに対しグリチロン錠などの肝庇護剤を投与しているが、これはC型肝炎及びC型肝硬変に対する治療として著しく不十分なものであり、実際に、上記薬剤投与によっても、Aについて、肝細胞の変性及び壊死の程度を示す値であるGOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ。ASTともいう。)及びGPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ。ALTともいう。)の値が持続して低値を示すに至っていないことから、SNMCなどの効力の強い薬剤を投与し、単独投与で効果が得られない場合は複数の薬剤を併用投与する(「多剤併用療法」)などした場合と比べてAの予後が同じであったとは到底いえるものではない。
エ 本件は実施されるべき診療行為が実施されなかった不作為型の医療過誤訴訟であるところ、この場合、実際の経過と異なる適切な診療による、ほかのあり得た通常の経過を探るという、予測を含む思考実験を必要とするのであって、なすべき検査が不十分であるために患者の病態把握ができないのであるから、適切な診療内容の検討は一般論的なものにならざるを得ない。したがって、原告らが適切な診療の内容、有効性に関する一般的な知見を証明すれば、被告側で治療の実際や患者の病状からして本件において具体的に救命の可能性が低いことや当該診療を行い得ないことなどの特別事情を証明しない限り、帰責相当性としての因果関係が肯認されてしかるべきである。そして、本件において上記イの各治療法の一般的な有効性は証明されている。
オ 以上に照らせば、本件において被告センター医師らが早期に転医勧告義務を履行していれば、Aの平成一〇年六月一九日時点における死亡の結果を避け得た高度の蓋然性があることは明らかである。よって被告の上記(1)の債務不履行とAの死亡との間には相当因果関係が存在する。
(被告)
ア 原告らの主張を否認する。
イ Aの病態は、平成七年四月当時、既にC型慢性肝炎からC型肝硬変に移行していた。これは、平成七年四月時点において①GPTの数値がGOTの数値に比べて高値であり、同様の状態が平成一〇年六月まで継続していること、②ZTT(硫酸亜鉛混濁試験。肝細胞の障害度を調べる。長期に継続した肝障害で高値となる。)及びTTT(チモール混濁試験。膠質反応を調べる。肝細胞の障害度を示す。)の数値が正常値の三ないし八倍と高い状態を示していること、③総コレステロール値が低下していること、④血小板数が大幅に揺れ動き、一〇万を切るなど低い数値を示していること、⑤プロトロンビンテストのPT値が低いことに加え、平成七年一〇月二〇日、同年一一月一七日及び平成八年五月二四日の検査結果上、アルブミン値が低値を示していることから明らかである。
ウ また、B医師は、Aのアルコール性肝障害に対する治療として、慢性肝疾患における肝機能異常の改善に適応があるとされるグリチロン錠及びタチオン錠等を処方しているところ、これらの肝庇護療法の有効性はC型肝炎及びC型肝硬変における場合と変わるところはないのであって、AのC型肝炎又はC型肝硬変に対して一応の治療はされているから、Aに対して原告らの列挙する種々の治療法を実施したとしても、Aの予後に明らかな違いが生じたとは考えられない。
エ また、原告らの列挙する種々の治療法等のうち、①肝臓専門医から適切な禁酒指導がされ、Aが禁酒したはずであるとの点は首肯できない。Aは、四〇歳ころに勤務先の健康診断でアルコール性肝炎との診断を受けているのであるから、医師からアルコールの多量摂取が肝臓に悪影響を与えることについて説明を受けた上で禁酒を指示されていたものと思われる上、アルコール性肝炎でありながら飲酒習慣を改善することなく長期にわたり多量の飲酒を継続すれば、肝臓の炎症が悪化し、肝硬変や肝細胞がんになる可能性が高いことについては、マスコミ報道等から日常の医学的知識として容易に知ることができたものと思われる。にもかかわらず、Aは禁酒に至らなかったばかりか、大量(日本酒に換算して一日四合程度)のアルコールを摂取し続けた。なお、被告センター受診後は、B医師がその診療期間を通じて禁酒が最も重要である旨Aに対し繰り返し説明し、原告X1に対しても同様の説明をしていたものであるが、これにもかかわらずA及びその家族が禁酒のために十分な努力をした形跡はない。よってAにつき多量の飲酒が習慣化していたことやアルコールへの依存度が高かったことが強くうかがわれるのであって、肝臓専門医が発がんの可能性を説明したところAが必ず禁酒できたと断定することは到底できないものである。
また、②インターフェロン療法が実施されてC型肝炎ウイルスが除去され、又は肝炎の増悪が抑えられたはずであるとの点に関しても否認する。上記イのとおりAは被告センター初診時に既に肝硬変の段階に至っていたのであって、肝硬変患者に対してはインターフェロン療法の保険適用がなく、かつ平成七年ないし平成一〇年当時C型肝硬変患者に対しインターフェロン療法の実施は推奨されておらず保険適用外でインターフェロンを投与することも考え難かったのであって、そもそもAに対しインターフェロン療法が実施されたことを因果関係の判断の前提とすることができない。また、インターフェロン療法の著効率はC型肝炎ウイルスの遺伝子型及びウイルス量により予測可能であり、著効が予想されない限りインターフェロン療法は実施されない可能性が高いところ、日本人C型肝炎感染者の約七割のウイルスがインターフェロン療法の著効しない遺伝子型であること及びAのC型肝炎が進行しておりウイルス量が多かったと予想されることから、この点でもAにインターフェロン療法が実施された可能性は低いものである。また、もしAにインターフェロン療法が実施されたとしても、インターフェロン療法はそもそも著効率の低い治療法であるから、特段の事情がない限り、これが著効してウイルスが除去できたとか、肝炎の増悪が抑えられたなどと認めることはできない。さらに、Aは上記①のとおり飲酒を継続したものと考えられるところ、インターフェロン療法は飲酒によりその効果がなくなるから、Aの飲酒継続の事実がある以上、インターフェロン療法によってAの予後が異なる可能性はない。
また、③強力ネオミノファーゲンシーなどの薬剤を投与する肝庇護療法や④瀉血療法により肝障害の増悪が抑えられ、発がんリスクが下がったはずであるとの点に関しても否認する。Aのトランスアミナーゼ値(GOT及びGPT値)は、被告センター受診後まもなく基準値を大幅に上回る数値となっているから、これらの治療法が実施されたとしてもこれが奏功して発がんリスクが著しく下がったと推測することはできない。また、肝庇護療法は上記②のインターフェロン療法と同様に飲酒によってその効果がなくなるものであり、Aが飲酒を継続したと考えられる以上、肝庇護療法の実施によってAの予後が異なる可能性はない。さらに瀉血療法については、一部の病院で実施されているもののまれな治療法であって、これが転医先の医療機関で実施されたことを因果関係の判断の前提とすることはできない。
よって、Aが肝臓専門医に転医していたとしてもAの肝細胞がんの発症リスクは変わらず、同じ時期に肝細胞がんを発症していた可能性が高い。
オ さらに、本件においてAはびまん型肝細胞がんを発症していたものであるところ、これは肝臓全体が無数の小腫瘍結節により置き換えられた形態のがんであり、肝硬変に伴う再生結節(非腫瘍部)との区別が困難であって、早期段階での発見は極めて困難であるから、定期的に画像検査等を実施していたとしてもがんを早期に発見できたとは考えられない。また、本件において肝細胞がんを平成一〇年六月より早期に発見できていたとしても、びまん型肝細胞がんは発症後急速に増悪し、治療が奏功し難く、切除しても必ず再発する極めて悪性度の高い形態のがんであり、これを発症した場合、がん発見後平均生存日数は一〇三日、発見後一年の生存率は七・二パーセントであるとされているから、どのような治療法を実施しても予後に影響がなかった可能性が高い。
カ また、本件において食道静脈瘤はがん細胞が門脈に浸潤して短期かつ急激に生じたものであり、これはAが重篤な肝不全に陥った末期がんの状態にあることを示しているのであって、このような状態に至れば、発生した食道静脈瘤に対して内視鏡的硬化術や内視鏡的結紮術を施行したとしても確実に静脈瘤が再発するのであるから、いずれにしても食道静脈瘤の破裂は防ぎ得ず、死亡の結果は避けられない。
キ 以上のとおり、原告らの列挙する診療行為はAに対する具体的な有効性を認め難いものであるところ、因果関係は、適切な診療の内容を特定した上で、その診療の有効性にもかかわらずこれが施されなかったことが結果を招来したといえる場合に認められるべきものであって、原告らの主張はこの点を看過している。
ク よって、被告に前記(1)の債務不履行がなかったとしても、Aの平成一〇年六月一九日の死亡の結果を避け得た高度の蓋然性はないものである。
(3) 争点(3)について
(原告ら)
ア Aの逸失利益 四〇〇七万五九六〇円
Aの平成九年当時の年収は九〇四万三四三〇円であり、Aは死亡当時五六歳であって、五六歳男子の平均余命は平成一〇年簡易生命表によれば二四・二九歳であったから、なお一二年間は稼働して上記程度の収入を得ることが可能であった。よって上記の年収を基準として、ライプニッツ係数を八・八六三とし、生活費控除率を五〇パーセントとすると、次の計算式のとおり、Aの死亡逸失利益は四〇〇七万五九六〇円となる。
九〇四万三四三〇円×〇・五×八・八六三=四〇〇七万五九六〇円
なお、平成七年当時、AはC型肝炎に罹患していたが、C型肝炎に対する治療法は同年以降急速に発展しており、近年もリバビリンとペグインターフェロンの併用療法によりC型肝炎ウイルスの除去率が大幅に上昇したのであって、Aが平成一〇年六月一九日に死亡することなく延命していた場合、新たに開発された治療法を受けることにより予後をさらに延ばせた可能性は高い。そして、ある者が平均余命まで生存し得たか否かは具体的な立証を要する事項ではなく、平均余命まで生存し得ない特段の事情が立証されない限り、一般的な統計データに従って平均余命まで生存したことを前提として損害額を算定すべきものであるから、Aについても平均余命まで生存し得たことを前提として上記の計算式のとおり逸失利益を算定するべきである。
イ 慰謝料 二八〇〇万円
B医師は、Aの診療録上に「HCV+」の記載があったにもかかわらず、診療録すら見ず、肝炎の治療ができるかのように装ってAの診療に漫然と当たっていたのであって、信頼していた医師の上記のような初歩的な過誤により死亡するに至ったAの無念さを考慮すると、慰謝料としては二八〇〇万円が相当である。
ウ 上記ア及びイの合計額は六八〇七万五九六〇円であり、原告らは、各自、上記ア及びイのAの損害賠償請求権の二分の一ずつを相続したから、それぞれ三四〇三万七九八〇円の損害賠償請求権を有している。
(被告)
ア 原告らの主張は争う。
イ 逸失利益について
Aが肝臓がんの中でも特に悪性度の高いびまん型肝細胞がんに罹患していたこと、びまん型肝細胞がんを回避し得る措置はいまだ確立されていないこと、被告センター初診時に既に肝硬変の状態に至っていたことなどにかんがみると、Aが肝臓専門医に転医して死期を遅らせることができたとしても、その予後は不良であって、平均余命まで延命し得たとは考え難い。
ウ 慰謝料について
Aは、肺がんの否定確定診断のために被告センターを受診し、B医師は上記の診断を目的とした診療を継続したものであって、Aが被告センター受診前にアルコール性肝炎との診断を受けながら多量の飲酒を継続したことにも照らし、B医師が転医を勧告しなかったことが取り立てて悪質であると断定できるものではない。
(4) 争点(4)について
(原告ら)
本件において、被告の前記(1)の債務不履行とAの死亡との間に相当因果関係が認められないとしても、Aが早期に転医勧告を受け、肝臓専門医による適切な治療を受けていれば、AのC型慢性肝炎が治癒した可能性、C型慢性肝炎のC型肝硬変への進展及び肝細胞がんの合併を予防できた可能性並びに肝細胞がんを早期に発見し治療できた可能性はそれぞれ相当程度あるから、Aがその死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性がある。
(被告)
原告らの主張は否認する。
(5) 争点(5)について
(原告ら)
本件において、Aがその死亡時においてなお生存していた可能性は相当程度あるから、Aが上記の可能性を侵害された慰謝料としては四七六五万三一七二円が相当であり、原告らは上記慰謝料請求権の二分の一ずつを相続したから、原告らは、それぞれ二三八二万六五八六円の損害賠償請求権を有している。
(被告)
原告らの主張は争う。
なお、Aがその死亡時において生存し得た相当程度の可能性があるとしても、Aの肝障害が相当進行していたこと及びAの発症したがんがびまん型肝細胞がんであったことからすれば、ごく短期間の延命しか図れなかったものと考えられ、従前の裁判例にも照らし、慰謝料は数百万円程度にとどまるものである。
第三当裁判所の判断
一 Aの病態・診療経過等
(1) <証拠省略>によれば、以下の事実が認められる。
ア 被告センター受診までのAの病態
Aは、二〇歳ころから飲酒し始め、次第に飲酒量が増えて一日当たり日本酒に換算して四合程度のアルコールを飲むようになり、四〇歳ころに勤務先の健康診断で肝炎であると指摘されて肝機能改善薬等の売薬を服用するようになった。また、五二歳ころ、糖尿病も指摘されたが、これについては特に治療などは行わなかった。
イ 被告センター受診に至る経緯
Aは、平成七年三月一〇日ころから左肩部に痛みを感じ、同月一三日には四〇度台の発熱があったため、同日、横浜中央病院内科を受診した。同病院ではAに対し抗生物質を内服投与し、同月一五日からは同病院整形外科で抗生剤を点滴投与したが、Aの症状に軽減はみられず、かえって左前胸部にゴルフボール大の発赤膨隆がみられるようになった。そこで同病院整形外科では、同月二〇日に化膿性肩関節炎を疑ってAを入院させ、精査を行うこととした。
同月二二日、同科で胸部レントゲン写真を撮影したところ、左上肺野に異常影がみられたため、同科はAを同病院内科に転科させた。同科の加藤医師は、上記の影が肺がんの場合に見られる影とよく似ていたことから、上記の異常影は肺がんであって、肩部痛は肺がんの骨転移が原因ではないかと疑い、Aに被告センター又は県立がんセンターを受診するように勧めた。Aは被告センター呼吸器科を選択し、加藤医師は、B医師あてに「肺がんの骨転移を疑っています。確定診断、転移の検索等につきよろしくお願いいたします。」などと記載した紹介状を作成して、上記レントゲン写真のコピーとともにAに交付した。
ウ 被告センターにおける入院診療経過
(ア) 平成七年三月二八日、Aは上記の紹介状及び胸部レントゲン写真コピーを持参して被告センター呼吸器科を受診し、B医師の診察を受けた。B医師は、Aから、横浜中央病院において肺がんの疑いがあると告げられていること、アルコールを清酒に換算して一日当たり四合程度摂取していること、四〇歳ころから肝炎の既往があること等を聴取し、Aに「太鼓のばち指」(指の末端が太鼓のばちのように太くなり、爪が丸みを帯びた状態。肝硬変患者にみられることがあるほか、肺がんなどの肺疾患でもみられることがある。)があるが黄疸はないことを確認してその旨カルテに記載した。また、上記の胸部レントゲン写真上、左上肺野に異常影があることを確認し、肺がんが疑われるので確定診断のため精査をした方がよいと考え、その旨Aに説明した。
同日、Aに対し尿検査、臨床化学検査及び血液検査等が実施され、各検査結果(抜粋)は別紙検査データ一覧表(循環器呼吸器病センター・抜粋)の同日欄記載のとおりであって、GOT、GPT、γ―GTP(ガンマグルタミルトランスペプチダーゼ。胆汁のうっ滞を示す。特にアルコール性肝障害で高値を呈する。)AL―P(アルカリフォスファターゼ。γ―GTPの上昇を伴って高値となる場合、胆汁のうっ滞を示す。))Ch―E(コリンエステラーゼ。肝細胞の機能障害の指標として用いられる。)、TTT及び総コレステロール(肝硬変や重症肝炎の場合低下する。なお、ほかの肝機能が低下しているにもかかわらずコレステロール値が異常高値を示す場合には、肝細胞がんの合併が疑われる。)がいずれも基準値外の数値を示していることが確認された。
(イ) 同月三〇日、Aは再度被告センターを受診して横浜中央病院からの転医を希望し、同年四月五日に被告センター呼吸器科に入院した。転医に当たり、横浜中央病院整形外科福嶋一雅医師から「診療情報提供書」が、同病院看護師から「看護経過要約」が提供され、Aの診療録に編綴された。上記「看護経過要約」の「アレルギー」欄には、「HCV(+)」と記載されていた。
(ウ) 被告センターでは、部長職にある職員は入院患者の診療を直接担当せず、外来診療及び部長総回診(一週間ごとに入院患者に対する担当医の報告及び治療方針を聞き、これをチェックすること。)を担当するのみとされていたため、Aの入院主治医は呼吸器科部長であったB医師ではなく、D医師が務めることとなった。D医師及び被告センター看護師が既往歴等をAに聞いたところ、Aはアルコール性肝炎の既往があると述べたので、D医師らは診療録の複数箇所にわたってその旨記載した。
(エ) 同日、D医師は、気管支鏡検査に先立って他患者への感染防止目的でAに対しHCV抗体反応検査を実施し、同月七日にウイルス肝炎検査報告書を受け取った。上記報告書によれば、Aは基準値〇・九以下(一・〇をカットオフ値として、同値以上を陽性とする。)のところが一二であって、C型肝炎ウイルスに感染していることが確認された。
そこで、同日、被告センター看護師は、上記報告書を見て、Aの気管支鏡検査前チェックリスト「感染症」欄に「HCV(+)」と記載した。また、D医師は、同日にAに対し気管支擦過及び気管支洗浄を行い、これらにより採取した検体を材料として細胞診検査を依頼する際、「細胞診検査(報告)」中の「感染症」欄にいずれも「HCVfile_4.jpg」と記載した。
さらに、D医師は、同月一八日に気管支擦過及び気管支洗浄を行って採取した検体及び喀痰を材料として細胞診検査を依頼する際や、同月二六日に胸部にCT下で肺生検を実施して採取した検体を材料として細胞診検査を依頼する際にも、同様に「細胞診検査(報告)」中の「感染症」欄に「HCVfile_5.jpg」と記載した。これらの書類のほとんどはAの入院診療録中に編綴されたが、同月二六日に依頼を行った細胞診検査報告書については、結果が報告されたのがAの退院後であったため、Aの外来診療録中に編綴されることとなった。
(オ) 被告センターでは、Aに対し上記の細胞診検査のほかに骨シンチグラフィや胸部CT撮影等を実施したが、いずれの検査においても前記の肺野の影のほかには肺がんの存在を疑わせる所見はみられなかった。また、Aの肩部の痛みも次第に軽快し、A自身も退院を希望するようになった。そこで、被告センター医師らは、Aの希望も考慮して同月二七日に被告センターを一時退院させ、同月二六日に実施した肺生検の結果を待つことにした。
エ 被告センターにおける外来診療経過
(ア) Aの退院後、被告センター看護師は、Aの外来受診に備え、外来への引継ぎのため入院時の診療経過について「看護概要」を作成し、同書の「感染症」欄に「HCV(+)」と記載して、Aの外来診療録に編綴した。
(イ) Aの外来受診に当たっては、B医師が再び主治医として診療を担当することとなったため、B医師は、Aの入院診療録を受け取り、Aの外来受診に先立ってその内容を確認することにした。B医師は細胞診検査報告などサマリーを中心に入院診療録を見たが、入院診療録中に編綴されたウイルス肝炎検査報告書中のHCV抗体陽性の記載や、診療録中の複数箇所にわたる「HCV(+)」及び「HCVfile_6.jpg)の記載には気が付かず、既往歴として「アルコール性肝炎」と記載されているのを見て、Aはアルコールを原因とする肝障害の状態であるという認識を持った。
(ウ) 平成七年五月八日、Aは、原告X1及び原告X2を伴って被告センター外来を受診し、B医師は、Aらに対し、同年四月二六日に実施した生検の結果上も悪性の所見はなかったが確定診断ができていないことなどを説明した。
(エ) 翌九日にも、Aは原告X1を伴って被告センター外来を受診した。B医師は、胸部レントゲン撮影等を行った上で、炎症の影が小さくなっていること、肺がんの可能性が一〇〇%ないとは言えないが確率的には低いので、このまま様子をみるという方法もあることなどについて説明し、翌一〇日のCT撮影を予約した。また、同日、臨床化学検査及び尿検査を実施し、尿中に糖が検出されたので、Aが糖尿病に罹患しているものと判断し、診療録の「外来主病名」欄に「糖尿病」と記載し、治療薬であるダオニールを処方した。
(オ) 翌一〇日、Aに対して胸部CT写真の撮影が行われた。同月一一日、上記のCT写真と同年四月一四日及び二六日の撮影のCT写真との比較診断報告がされ、同報告書中で、Aの胸部影については器質化肺炎、肩部痛については化膿性関節炎が疑われること、いずれも著明に縮小していること、血糖値のコントロールが必要であり、コントロール不良なら上記疾患が再発するおそれがあることなどが指摘された。そこでB医師は、Aにつき、今後、糖尿病のコントロールを行いながら肺の経過観察を行っていこうと考えた。
(カ) 同年五月一八日、B医師は、Aに対し上記の比較診断報告の結果を話し、次回以降糖尿病のコントロールを行う予定であることを説明し、生化学検査、血液検査及び尿検査を実施した。同日の検査結果(抜粋)は別紙検査データ一覧表(循環器呼吸器病センター・抜粋)同日欄記載のとおりであった。
(キ) 同月二五日、B医師は、前回受診時の検査結果において、AのGOT、GPT、γ―GTP、Ch―E、TTT、ZTT等の値がいずれも基準値外の数値を示しているのを見て、初診時にAが二〇歳ころから大量の飲酒を継続していると述べていたことや、Aに「太鼓のばち指」がみられたこと、Aの入院診療録に「アルコール性肝炎」との記載があったことなども考慮し、大量のアルコール摂取が原因でAの肝機能が悪化した状態にあるものと考えた。そこで、B医師は、アルコールが原因で肝機能が悪化している以上、Aに対し肝庇護薬を投与し、アルコールを控えさせれば肝機能は回復するであろうと考え、Aの外来診療録の「外来主病名」欄に「肝障害」と記載して、肝庇護薬としてグリチロン錠(グリチルリチンを含有する肝臓疾患・アレルギー用剤で、慢性肝疾患における肝機能異常の改善に適応がある。)及びパントシン(ビタミンB剤)を処方することとした。また、Aに対し、アルコールが原因で肝機能が悪化しているから飲酒は控えるようにと話した。なお、B医師は、AのC型肝炎ウイルス感染を認識していなかったため、発がんの危険がある状態であることや、飲酒により上記の発がん率が著明に高まること、その結果死亡に至る可能性が非常に高いことなどについては全く説明しなかった。
(ク) Aは、同年六月に三回、七月に二回被告センター外来を受診し、血液検査、生化学検査及び尿検査を受け、糖尿病治療薬や降圧剤、肝庇護薬であるグリチロン錠及びパントシンのほか、タチオン錠(グルタチオンの製品名。生体酸化環元平衡剤で、薬物中毒やアセトン血性嘔吐症に適応があるほか、慢性肝疾患における肝機能の改善にも適応がある。)などの処方を受けた。
Aは、同年八月にも三回被告センター外来を受診してB医師の診察を受けたところ、同月二四日、B医師はAに対して糖尿病の治療のため栄養食事指導を受けるよう指示し、Aは、同月二九日に原告X1とともに被告センターを訪れて栄養士から指導を受けた。Aは、栄養士から一日摂取カロリーを一七〇〇kcalとすること及び塩分の制限について指導され、「食事量は現在食べている量と大きく変わらない。問題は酒と塩分。減酒は言われているが禁酒ではない。いざとやれば酒はいつでもやめられる。」旨述べ、栄養士は、栄養食事指導記録に上記のAの発言を記載した上で「食事量や栄養素のバランスも酒が多くなればくずれると思います。ごはん一単位との交換の話はしました。妻が、次回診察時に酒量について伺いたいと言っておりました。」と記載した。
(ケ) その後も、Aは平成七年一〇月まではおおむね半月に一回、同年一一月以降はおおむね一か月に一回の割合で被告センター外来を受診し、B医師は、Aが外来を受診する都度、Aに対し血液検査、臨床化学検査及び尿検査を行った。また、B医師はAからたびたび飲酒量について聞き、Aのカルテに「飲酒かなりやっているらしい」(平成七年九月七日)、「飲酒は減量している由(中止はできないようだ)」(同月二一日)などと記載した。また、同年一〇月六日、原告X1がAの代わりに薬剤を受け取りに来た際に、原告X1からAがアルコールを薄めて飲酒していることを聞き、原告X1に対し、「(Aの)肝臓が悪いのはアルコールのせいで、今度みえたときに少し脅かしておこうね。」などと話した。
Aは、B医師から酒を控えるよう指示されて以来、従前の量(一日当たり日本酒に換算して四合程度)よりは飲酒量を減らしていたが飲酒自体は継続しており、ときには飲酒量が増えることもあった。B医師は、Aから飲酒量が多いことを聞いた際には、カルテに「水割七~八杯?飲酒毎日」(平成七年一二月一五日)、「飲酒多いらしい」(平成八年八月三〇日)などと記載した。他方で、Aは、被告センターでの検査の結果肝機能を示すデータが悪かったときなどには一か月半ほど一時的に禁酒することもあり、B医師はその旨聞いて「このところ飲酒していない」(平成八年四月一二日)とカルテに記載するなどした。
(コ) 被告センターにおける各検査結果は別紙検査データ一覧表(循環器呼吸器病センター・抜粋)のとおりであり、コリンエステラーゼ値やアルブミン値は平成七年半ばから平成八年初めにかけてやや上昇して基準値内の値又はこれに近い値になったが、その他の検査項目は、上下しながらも次第に悪化していった。また、平成七年九月七日には、Aの両腕にバスキュラリースパイダー(クモ状血管腫。慢性肝障害患者にみられる毛細血管拡張所見)が顕著にみられた。B医師は、上記のとおりAの肝機能が次第に悪化していることについて、Aが飲酒を継続していることが原因であると考え、Aに対したびたび酒はやめた方がよい旨話したものの、大酒家は飲酒をなかなかやめられないものだと認識していたため、絶対的な禁酒を指示することはなかった。
(サ) なお、平成八年五月ころには、Aの肺がんの可能性はほぼ否定的となっていたが、B医師の診療内容は変わらず、ほぼ毎回従前どおりの検査を行い、従前どおりの薬剤を処方し続けた。
また、B医師は、Aについて発がんの可能性はほとんどないものと考えていたため、Aに対し、腫瘍マーカー検査や肝臓の画像検査などを行うことはなかった。
(シ) 平成一〇年に入り、Aの検査データは、別紙検査データ一覧表(循環器呼吸器病センター・抜粋)記載のとおり、急激に著しく悪化し始めた。さらに同年五月七日の受診時、Aは、最近一か月半禁酒してきたとのことであったが、下肢浮腫、腹部膨隆、乏尿及び肝臓硬化等の症状がみられ、診察所見により腹水の貯留もあることが判明した。B医師は、同日、カルテの「外来主病名」欄に「肝硬変」と記載し、Aの肝硬変は進行しているものと考えて利尿剤を投与したが、同月一五日の来院時には症状が一層増悪していた。B医師は、Aが同月一九日に来院した際にAの肝臓が硬度を増していることに気付き、同日、カルテの「外来一時性病名」欄に「肝不全(軽度脳症を伴う)」と記載し、腫瘍マーカー検査であるアルファフェトプロテイン検査(AFP検査)を依頼し、腹部CT撮影を予約した。また、同月二七日には、腫瘍マーカー検査であるAFP―L3分画検査を実施し、腹部CT写真を撮影した。上記の二種類の腫瘍マーカー検査の結果はいずれも陽性であり、腹部CT撮影の診断報告には、「肝表面は凹凸不整であり、右葉が著明に腫大し、左葉は萎縮している。実質濃度は非常に不均一であり、血管が同定できない。右葉の一部に石灰化と思われる高吸収値が認められる。造影後の画像では、左葉外側区を除いたほぼ全域に不均一な増強効果が出現している。びまん性に広がった肝細胞がんが疑われる。門脈本幹から左・右枝内に低吸収値が認められ、増強効果が全くみられず、腫瘍塞栓と考えられる。」「胃小弯側や食道周囲に静脈瘤の存在が疑われる。」「右腎上方に不均一な増強効果を示す腫瘤様構造が認められ、右副腎は同定できない。副腎の腫瘤、あるいは肝外性に発育した肝細胞がんと考える。」と記載され、「肝細胞がん(びまん型)」等と診断されていた。
(ス) B医師は、上記の診断結果等を見て、同年六月一日にAを県立がんセンターに紹介し、同月二日にAは県立がんセンターに入院した。
オ 県立がんセンターでの診療経過
(ア) 同日、県立がんセンターのC医師は、Aはびまん型肝細胞がんが進行した状態(臨床病期クリニカルステージⅠないしⅢのうち、進行した肝不全状態にあることを表すⅢの段階)であり予後不良(余命一か月ないし六か月)であって、積極的な治療が全く行えない状態であると診断し、その旨原告X1に説明した。
同日以降の県立がんセンターにおけるAの血液検査及び臨床化学検査結果(抜粋)は別紙検査データ一覧表(県立がんセンター・抜粋)記載のとおりであった。
(イ) 同月四日、県立がんセンターE医師(以下「E医師」という。)はAに超音波検査を実施し、「超音波検査報告書」に「印象 肝硬変、右葉肝細胞がん、びまん型(塊状型)、右門脈腫瘍塞栓(一部左へ)」と記載した。
また、同月五日にE医師はAに内視鏡検査を実施し、Aに食道静脈瘤が形成されているのを確認して、「消化器内視鏡所見用紙」の所見欄に「切歯三〇cmより四本の静脈瘤。レッドカラーサイン(発赤所見)file_7.jpg。胃噴門部直下に静脈瘤。レッドカラーサインfile_8.jpg。全体的に発赤、表層性胃炎」と記載した。
同月八日、Aに対しCT検査(単純撮影及び造影撮影)が実施され、「門脈塞栓を伴う巨大肝細胞がん、脾腫及び腹水あり」との診断がされた。また、同月九日にはMRI検査が実施され、「肝右葉ほぼ全体が腫瘍で置換されています。」「被膜は見られません。」「門脈閉塞と思われます。」との報告がされた。
(ウ) Aは、同月一一日から肝動注によりリピオドール、ファルモルビシン、マイトマイシンの投与を受けた。上記治療は、Aの肝細胞がんに対する積極的な効果を企図して選択されたものではなく、社会的適応(治療効果はほとんど期待できず、患者が治療を受けたという事実を主目的とする治療)として実施されたものであった。
(エ) 同月一八日午前一一時三〇分、Aはトイレで大量に吐血し、直ちにAの食道及び胃にチューブが留置されたが出血は止まらず、食道静脈瘤破裂と診断された。C医師はAに食道静脈瘤結紮術及び輸血を行ったが、Aのバイタルサインは次第に低下し、翌一九日午前一時一〇分に死亡が確認された。
(2)ア 上記認定に関し、被告は、平成七年五月二五日以降、①B医師は、Aが被告センター外来を受診する都度強く禁酒を指示していたにもかかわらず、②Aは上記指示に反して大量の飲酒を継続したものであると主張し、証人Bの証言中には上記①に沿う証言部分があり、かつ、県立がんセンター所長であるF(以下「F医師」という。)の意見書(乙第四四)には上記②に沿う意見が述べられている。
イ しかし、上認のうち、B医師の証言については、(ア)前記(1)エ(ク)のとおり、Aが「禁酒ではなく減酒」を指示されたと認識していたことが栄養食事指導記録に記載されていること、(イ)原告X1も、AがB医師から「お酒を飲み過ぎないように」と指示されていたと認識していること、(ウ)B医師は、Aの肝障害について、専らアルコールが原因であるものと認識しており、その場合発がん率は低いため、絶対的禁酒を指示する動機に欠けていたものと考えられること、(エ)B医師は、その証言中で、Aの飲酒について「やっぱり大酒家の方はやめれないんだな、同じだなというふうに思っておりました。」と述べ、Aが禁酒できなかったにもかかわらず、毎回「あなた自身の体なんだから、幾ら僕が言ったって、あなた自身がやめてくれなければ改善が図れないじゃないか。」と繰り返して言うだけであったと自認しているのであって、Aについて必ず禁酒させなければならないとの認識のもとに診療に当たっていたものではないと認められることから、強く禁酒が指示されていたものとは考えられず、これを信用することはできない。
また、F医師の意見書において、C型肝炎患者で肝生検によってチャイルドAの肝硬変であると診断された場合で、GPT値が八〇IU/lを超えていても、アルコールを一切飲まなければ五年後もチャイルドAのままであるケースがほとんどであるところ、Aは平成七年当時にはチャイルドAの肝硬変であったと考えられるにもかかわらず、平成一〇年六月にはチャイルドC段階に達しており、非常に早いスピードで肝硬変が進展していることから、相当量の飲酒を継続したものと推察されるとの意見を述べた部分がある。しかし、チャイルド・ピュー(Child-Pugh)分類は、脳症及び腹水の有無、腹水がある場合の量並びにビリルビン値、アルブミン値及びプロトロンビン時間などのデータに応じて病態を点数化して、肝硬変をチャイルドAからチャイルドCまでの三段階に分類するものであり、Aは、平成一〇年六月においてアルブミン値が二・八、総ビリルビン値が五・六であり、かつ腹水が生じていたことからチャイルドC段階に達していると判断されているものであるところ、Aのビリルビン値及びアルブミン値のデータの悪化並びに腹水の出現は平成一〇年五月ころに急激に生じたものであって、Aがびまん型肝細胞がんに罹患し、同年初めころにがん細胞が門脈に浸潤したことによって上記のデータの悪化が生じ、チャイルドC段階と判断される状態に急激に至ったものと考えられ、チャイルド・ピュースコアの上昇には肝細胞がんの合併が大きく寄与しているものと認められるから、Aが平成一〇年六月にチャイルドC段階にあったことから、必ずしもAが大量に飲酒し、そのために肝硬変が急激に進行したと推認できるものではない。
ウ よって、証人Bの証言及びF医師の意見書によっても被告主張のとおり認めることはできず、Aの病態及び診療経過等については前記認定のとおり認められるものである。
二 争点(1)(転医勧告義務違反の有無)について
(1) C型肝炎及びアルコール性肝障害に関する医学的知見等(認定に供した証拠については、以下の各認定事実の末尾に摘示する。)は下記のとおりである。
ア C型肝炎ウイルス(HCV)は、昭和六三年(一九八八年)に発見され、平成元年(一九八九年)に診断が可能となった肝炎ウイルスである。C型肝炎ウイルスは血液等を介して感染してC型急性肝炎を発症させ、初感染者の約半数以上についてウイルスが体内から排除されず慢性化するが、急性肝炎を発症しても自覚症状に乏しい場合(不顕性感染)がほとんどであり、かつ慢性化しても特有の症状がないことから、所見により感染を判断することは困難であって、HCV抗体検査又はHCV―RNAの測定により感染の有無が診断される。C型肝炎ウイルス感染による肝機能異常が六か月以上持続する病態をC型慢性肝炎といい、軽度から中等度の炎症が持続することによって肝細胞壊死及び脱落と再生が繰り返され、肝臓の線維化が進行する。C型慢性肝炎の病期は、線維化の程度により軽度慢性肝炎(F1)、中度慢性肝炎(F2)、重度慢性肝炎(F3)及び肝硬変(F4)に区分されるところ、病期が一段階進行するのに約一〇年を要すると推定されるなど、一般的には急性悪化を来すことはなく、その進行は極めて緩徐である。しかし、自然寛解例は極めてまれであり、肝炎の持続により確実に線維化が進行する。C型慢性肝炎の状態にあっても、人によって倦怠感や食欲不振等の心因反応がみられることがあるほかは特段の自覚症状がないことがほとんどであるが、進行して肝硬変(F4)段階に至った場合には、腹水、浮腫、黄疸、肝性脳症等の肝不全症状を呈して肝不全により死亡したり、門脈圧亢進に伴って生じる側副血行路である消化管(胃や食道)の静脈に静脈瘤が発達し、破裂出血して死亡したりする場合があるほか、年約七ないし八%の割合で肝細胞がんを合併する。
イ 上記のとおり、C型肝炎は年月の経過とともに確実に進行し、肝硬変(F4)段階に至ると肝不全死、消化管出血死又は肝がん死の危険性(中でも肝がん死の危険性が高い。)がある疾患であるため、C型肝炎患者に対しては、肝生検、内視鏡検査、画像検査、血液検査、インドシアニングリーン(ICG)負荷検査や線維化マーカー検査等により肝臓の線維化の段階を調べ、上記検査により判明した当該患者の肝障害の進行段階に当該患者の年齢などを考え合わせ、発がんを抑制する必要性に応じて、C型肝炎ウイルスを体内から除去するためのインターフェロン療法や、炎症を抑え線維化の進行を遅らせるための種々の薬剤投与などを実施する必要があるとされている。また、当該患者が肝硬変(F4)段階に至っていれば、肝細胞がんを高率に合併するので、三か月に一回程度の頻度で定期的に腹部超音波検査を実施し、かつ二か月に一回程度の頻度でアルファフェトプロテイン(AFP)検査、AFP―L3分画検査及びPIVKA―Ⅱなどの腫瘍マーカー検査を実施し、疑わしい所見があればCT撮影、血管造影検査等の精密検査を行うべきであるとされている。
ウ 他方、アルコール性肝障害とは、長期間、過剰の飲酒(男性では清酒に換算して一日三合以上を五年以上)を続けることにより肝障害を来した状態をいい、禁酒できなければ肝硬変に進展するが、禁酒できた場合、肝腫大が著明に縮小し、かつGOT、GPT値及びγ―GTP値も明らかに低下し、四週間程度でほとんど肝腫大を認めなくなる上、GOT値、GPT値は正常値近くまで低下するなど、容易に症状が改善するとされている。そのため、アルコール性肝障害に対して特に有効な薬物療法はなく、治療の基本は禁酒並びに過剰飲酒に伴う栄養障害及び電解質の補正に尽きる。なお、大酒家での肝障害が必ずしもアルコールに起因しているとは限らず、わが国の大酒家肝障害患者には肝炎ウイルスの感染が高率に認められる。ウイルス感染を伴わないアルコール性肝障害の場合、発がん率は極めて低いが、C型肝炎ウイルス感染者がアルコールを多飲した場合、発がん率は著明に上昇する。
(2) なお、本訴において提出された書証のうち、平成七年以前に出版されたものとして甲B第六、第一三、第四一、第五七、第五八、第七三が挙げられることや、書証中で引用されている文献及び論文等に平成七年以前のものが相当数見受けられることなどから、平成七年当時、C型肝炎を含む肝疾患に関しては既に相当量の論文や文献が出版され、一般に普及していたことがうかがわれ、上記(1)アないしウの医学的知見は、通常の医療機関であればその専門科目にかかわらず当然有しているべきものであったと認められる。
(3) 前記の診療経過及び医学的知見等に照らして被告の転医勧告義務違反の存否につき検討する。
ア 前記認定事実のとおり、Aは平成七年三月二八日に被告センターを受診し、同月三〇日には横浜中央病院から被告センターに転医することとなったのであるから、遅くとも同日までには、被告とAとの間で、Aの疾患に対する診断及び治療等をすることを内容とする診療契約が成立したと認められ、被告センター医師らは、上記診療契約に基づき、人の生命及び健康を管理する業務に従事する者として、診療当時の臨床医学の実践における医療水準を基準として危険防止のために経験上必要とされる最善の注意を尽くしてAの診療に当たる義務を負担したものというべきである(最高裁平成七年六月九日第二小法廷判決・民集四九巻六号一四九九頁参照)。そして、被告センターがAの疾患に対し自ら適切な診療をすることができない場合には、上記診療契約上の義務を自ら履行することができないため、被告センター医師らは、代わって、必要に応じてAに対して適切な治療ができる他の医療機関に転医をするよう勧告するべき義務を診療契約上負担するものである。
この点に関し、被告は、被告センターが呼吸器科及び循環器科を標榜する医療機関であり、Aは専ら肺がんの否定確定診断目的で被告センターを受診しているから、被告はAのC型肝炎について診療を行う義務を診療契約上およそ負担しないと主張する。しかし、上記のとおり、医師には、患者の疾患が専門領域外のものであるなど自ら適切な治療が行えないときは必要に応じて転医勧告を行うべき診療契約上の義務が一般的に生じ得るのであって、専門領域外の疾患であるとか、受診の目的が他にあることが明確であるなどの理由によって上記義務がおよそ生じ得なくなるとは考えられない上、前記一(1)エ(キ)(ク)認定のとおり被告センターは平成七年五月ころからAに肝庇護薬を処方しており、Aの肝疾患に対しても上記のような適切かつ最善の診療を行う旨の契約があったことは明白であるから、被告の主張は到底採用できない。
イ そこで、被告センター医師らが上記診療契約に基づき自ら適切な治療を行うことができないものとしてAに対し転医を勧告すべき義務を負担していたか否かを検討するに、以下の事実等が認められる。まず、①前記の医学的知見のとおり、進行したC型肝炎(C型肝硬変)は死亡の可能性がある危険な疾患であり、C型肝炎は放置すると時間の経過により段階的に悪化していずれはC型肝硬変段階に達するものであるから、C型肝炎患者にとっては自己のC型肝炎がどの進行ステージにあるかを知ること自体が重要な意味を持つものであって、C型肝炎患者に対しては、その希望に応じてC型肝炎の進行度を調べる検査を受けさせる必要がある。また、②前記の医学的知見のとおり、C型肝炎には、インターフェロン療法や肝庇護療法等、C型肝炎を治癒させ、又はその進行を遅らせるとされる種々の治療法が存在するから、当該患者の肝炎の進行度と当該患者の年齢に応じ、これらの治療法が必要な範囲で実施されるべきであるとともに、C型肝炎が進行して肝硬変(F4)段階又はそれに近い段階にあれば、肝細胞がん発症の危険性があるから、当該患者に定期的な腫瘍マーカー検査及び画像検査を受けさせ、肝細胞がんの発見に努めるべきであり、さらに、もし肝細胞がんが発見された場合には、これを治療すべく種々の治療法を受けさせるべきである。そして、③前記したとおり、Aについては平成七年三月二八日時点で、臨床化学検査の結果、GOT、GPT、γ―GTP、AL―P、TTT、Ch―E及び総コレステロールがいずれも基準値外の数値を示し、「太鼓のばら指」がみられるなど、肝機能が悪化していることを強くうかがわせる所見が得られていたのであるから、Aは、上記の種々の検査及び治療を受けさせる必要性及び緊急性が特に高い患者であった。他方、④上記①及び②の検査及び治療を行うに当たっては、専門的な医療技術及び医療知識等を要するが、被告センターは循環器科及び呼吸器科を標榜科目とする医療機関であり、上記検査及び治療のための人的物的設備が十分ではなかった。
これらの事実等に照らすと、被告センター医師らは、AのC型肝炎について自ら適切な診療を行うことができないものとして、Aに対し、肝臓疾患を専門としC型肝炎、肝硬変及び肝臓がんの検査及び治療を十分に行うことができる設備を有する専門医療機関へ転医するよう勧告することが必要であったと認められ、被告センターは、AについてC型肝炎ウイルス抗体反応検査結果が陽性であることが判明した平成七年四月七日以降、AについてC型肝炎に感染していること及び転医しなかった場合に予想される予後等を説明し、上記のような医療機関への転医を勧告すべき診療契約上の義務を負担していたと認められる。
ウ そこで被告センター医師らが上記の転医勧告義務の履行を遅滞したか否かを検討すると、Aは、平成七年四月五日に肺がんの有無の精査目的で被告センターに入院したものであり、C型肝炎ウイルス抗体反応検査も、肺がんの有無の精査目的で実施を予定していた気管支鏡検査を行うための一連の手順の一環として行われたものに過ぎず、上記時点ではAに肺がんが強く疑われており早急に確定診断を行うことが必要とされていたのであるから、同年四月七日にC型肝炎ウイルス抗体反応が陽性であることが判明した時点で、直ちにD医師らがAに対し転医を勧告しなかったとしても、D医師らが上記債務の履行を遅滞したものとはいい難い。しかし、同年五月二五日ころには、Aが肺がんに罹患している可能性は低いものとされ、B医師は肺の経過観察に併せて肝障害の治療にも当たることとして肝庇護薬を投与し始めたのであって、前記の医学的知見のとおりアルコールのみを原因とする肝障害とC型肝炎感染を伴う肝障害とでは行うべき検査及び治療法並びに予後が著しく異なるのであるから、B医師はC型肝炎ウイルス感染の有無を当然確認すべき状況にあり、かつ、AのC型肝炎感染の事実についての診療録記載状況にかんがみてAのC型肝炎感染の事実を当然認識してしかるべき状況にあったものと認められる。したがって、B医師は、遅くとも上記の時点でAがC型肝炎に感染していることを認識し、Aに対してこれを説明して肝疾患専門医への転医を勧告すべきであったと認められる。にもかかわらず、B医師はAのC型肝炎感染の事実に気付かず、Aに対しC型肝炎に感染していることを説明して転医を勧告しなかったのであるから、これが上記債務の履行遅滞に当たることは明らかである。
エ よって、被告センターのB医師には転医勧告義務を怠った過失があり、これは被告の債務不履行に当たる。
三 争点(2)(相当因果関係の有無)について
(1) Aの死因
ア 前記一(1)の認定事実に<証拠省略>を総合すれば以下の事実が認められる。
(ア) Aは、平成七年五月当時、C型重度慢性肝炎(F3)段階からC型肝硬変(F4)段階に移行しつつある段階にあったが、C型肝炎ウイルスの活動が継続したこと及び飲酒により肝臓の炎症状態が続き、ほどなく肝硬変(F4)段階へ確定的に移行した。その後もAの炎症は持続し、肝硬変が増悪するとともに、次第に肝機能も低下していった。
(イ) その後、Aは肝細胞がんを発症し、平成一〇年初めころには上記肝細胞がんが増悪して、がん細胞が門脈に浸潤し、門脈の腫瘍塞栓を来し、Aの臨床化学検査結果は著しく増悪した。また、門脈の腫瘍塞栓により、かねてより肝硬変に起因して亢進傾向のあったAの門脈圧は急激かつ著しく上昇し、食道静脈瘤が形成又は増悪された(なお、上記の食道静脈瘤が、肝硬変のため門脈圧が亢進して当初形成されたものか、上記のがん細胞の門脈塞栓により初めて形成されたものかは明らかではないが、Aの食道静脈瘤は門脈塞栓を契機として急激に危険な状態に達したものと認められるから、食道静脈瘤の形成原因及び形成時期がAの死因に影響するものではない。)。
(ウ) 平成一〇年五月ころには、肝細胞がんは肝臓の右葉全体にびまん型に広がり、このためAの肝機能はさらに悪化して、腹水や黄疸、浮腫がみられるようになり、臨床化学検査結果もさらに増悪して、肝不全状態が進行した。これによりAの血液の凝固能力は著しく低下し、同年六月一八日、上記(イ)の食道静脈瘤が破裂するに至り、大量出血して、同月一九日、死亡するに至った。
(エ) 上記の肝細胞がんについては、①平成一〇年初めころに門脈塞栓が生じていること、②C医師が、がんの発生から腫瘍塞栓まで最低数か月を要すると証言していること、③F医師が、Aについて、Aの死亡日(平成一〇年六月一九日)からさかのぼって一年から一年半以内に発がんしていたのではないかと推測されるとの意見を述べていることから、遅くとも平成九年夏ころ(死亡時である平成一〇年六月の約一年前であり、かつ腫瘍塞栓発生時期である平成一〇年初めころの数か月前)には発生していたものと推定される。なお、Aについて超音波検査やCT検査等の画像検査は平成一〇年五月まで実施されていないので、Aに発生した肝細胞がんの当初の形状(発生当初からびまん型を示していたか否か)については明らかではない。
イ 上記認定に関し、被告は、Aは平成七年五月当時既に肝硬変(F4)段階に確定的に移行していたと主張するので、この点について検討する。
(ア) <証拠省略>によれば、①肝硬変とは、肝細胞の高度の線維化、肝小葉構造の破壊、びまん性の再生結節(偽小葉)形成などの形態学的所見に基づく病態であること、②上記①のとおり肝硬変が形態学的所見に基づく病態であるため、肝硬変を確定診断するには腹腔鏡検査、肝生検又は開腹手術時の所見など形態学的所見の得られる検査等によるほかないこと、③上記②の検査等によらない場合、(ア)GOT優位(GPTよりGOTの方が高値を示していること)のトランスアミナーゼ異常があるかどうか、(イ)膠質反応(ZTT、TTT)の数値が上昇しているかどうか、(ウ)コリンエステラーゼ、アルブミン、総コレステロール、プロトロンビン時間の数値が低下しているかどうか、(エ)肝線維化マーカーである血中ヒアルロン酸等の数値が上昇しているかどうか、(オ)血小板数が減少しているかどうか、(カ)ICG(インドシアニングリーン)排泄率の異常があるかどうかなどの検査データに、(キ)画像検査(エコー、CT)から得られる情報を加えて総合的に判断することで、当該患者の肝線維化の程度をある程度推定することが可能であること、④上記③の(ア)ないし(キ)のうち、特に血小板数により肝線維化の程度を推定することが可能であり、血小板数一五万~一八万でF1段階、一三~一五万でF2段階、一〇万~一三万でF3段階、一〇万以下でF4(肝硬変)段階にあると推定でき、かつF4(肝硬変)段階に至った場合、血小板数は他の検査成績が改善しても改善しにくいこと、⑤上記③及び④はあくまで推定に過ぎず、末期肝硬変を診断することは容易であるが、慢性肝炎と肝硬変の境界段階にある場合の診断は難しいこと、⑥各検査項目のデータ中には、飲酒状況等によって一時的に検査数値が変動し得るものも含まれていることがそれぞれ医学的知見として認められる。
(イ) これをAについてみるに、被告センターはAに腹腔鏡検査や肝生検など肝臓の形態学的所見を得ることのできる検査をしていないから、Aの平成七年五月当時の病態を確定することはできず、Aの病態については、血液検査等の結果から推定するほかない。そこで前記の別紙検査結果一覧表(循環器呼吸器病センター・抜粋)をみると、確かにAについて(ア)同年四月五日以降GOT値がGPT値より高値となっている(ただし、平成八年三月八日を除く。)こと、(イ)ZTT値及びTTT値が一貫して基準値より高値であること、(ウ)同年四月時点でコリンエステラーゼ値、アルブミン値、総コレステロール値及びプロトロンビン時間がいずれも期準値外の数値を示していること、(エ)同年五月及び六月時点で血小板数が一〇万μlを下回っていることなどが認められるが、他方で、(ア)同年三月二八日にはGPT値がGOP値より高値となっていること、(イ)コリンエステラーゼ値、アルブミン値及び総コレステロール値は同年五月以降やや回復し、基準値内の数値を示すこともたびたびあったこと、(ウ)同年三月及び四月に、肝硬変段階に確定的に移行した場合容易に回復しないとされている血小板数が基準値内の数値を示していることも認められるのであって、検査結果上、必ずしもAがF4(肝硬変)段階に移行していたことは確定し難い。これに加えて、前記したとおり被告センターにおいて同年五月当時血中ヒアルロン酸測定を含む肝線維化マーカー検査、ICG検査及び肝臓の画像検査がいずれも実施されておらず、Aの病態を推定するための資料が相当不足していることも考え併せると、Aが同年五月にF4(肝硬変)の状態に確定的に移行していたと断定することはできないものである。
(ウ) なお、証人Cの証言及びF医師の意見書(乙第四四)には被告の主張に沿う部分があるが、上記証言及び意見書は、上記のAの血液検査結果上Aが肝硬変に至っていたとしても矛盾しないとの内容にとどまるものであるから、Aが平成七年五月当時に肝硬変段階に確定的に移行していたと断定するに足りるものではない。
(エ) よってAが平成七年五月当時確定的に肝硬変段階に移行していたと認めることはできない。他方で、Aについて上記のとおり肝硬変(F4)段階にあったとしても矛盾しない検査結果が得られていたことが認められるので、AのC型肝炎が相当増悪していたことが推定され、結局、上記のとおり、Aは平成七年五月当時C型重度慢性肝炎(F3)からC型肝硬変(F4)へ移行しつつある段階にあったと認められるものである。
(2) 転医勧告に従った肝疾患専門医への転医
ア 本件において、前記二の転医勧告義務を怠った過失がなく、B医師が平成七年五月にAに対し適切な転医勧告を行っていた場合、Aは、前記一(1)のとおり平成一〇年六月一日にB医師に県立がんセンターを紹介されると同月二日には同センターを受診していることに照らし、平成七年五月の時点においても、勧告に従い肝疾患専門医を受診し、転医していたものと認められる。
イ なお、Aの転医先は、①被告センターと県立がんセンターがともに被告の設置運営する医療機関であること、②C型肝炎の治療に関し、県立がんセンターが全国的にも先進的な専門医療機関であったことがうかがわれること、③AはC型肝炎が高度に進行し、C型慢性肝炎とC型肝硬変の境界段階にまで至っており、専門的な検査及び治療を早急に実施することを要する状態にあったものと認められること、④Aが平成一〇年六月には実際に県立がんセンターへ転医をしていることに照らし、県立がんセンターであった可能性が高いが、そうでなかったとしても、上記③のとおりAの病態が進行していたことにかんがみて、県立がんセンターと同等レベルの医療行為を行い得る専門医療機関であったものと認められる。
(3) 転医先における検査、治療及び療養指導等
AがC型肝炎治療の専門医療機関に転医していた場合、C型肝炎が増悪して肝機能が低下し、かつ肝臓の線維化が進んで肝細胞がんや食道静脈瘤を合併することを予防し、又はこれらの合併を遅らせ、もしこれらが発症した場合には早期に発見して治療するべく、下記の検査、治療及び療養指導等がされていたものと認められる。
ア インターフェロン療法
(ア) C型肝炎患者についてC型肝炎ウイルスを除去しないまま放置すれば、肝炎が増悪して肝機能が低下し、かつ肝臓の線維化が進んで肝細胞がんを発症するリスクが高まるところ、C型肝炎の原因療法(ウイルスを除去しC型肝炎を完治させ得る治療法)はインターフェロン療法(免疫に干渉して肝細胞からウイルスを除去し得る作用を有する「インターフェロン」の製剤を、α型については筋肉内注射、β型については静脈注射の方法により投与する治療法)のみであるから、C型肝炎については、当該患者の肝障害の段階及び年齢から生涯発がん率が特に低いと考えられる場合を除き、まずインターフェロン療法の実施が検討されるべきであるとされている。Aは平成七年当時五三歳であり、かつC型肝炎ウイルス感染による肝障害が進行して発がんのリスクの高い病態にあったから、Aが肝臓専門医に転医していた場合、当該医療機関において、まずはAに対しインターフェロン療法の実施が検討され、これが実施された可能性が高い。
(イ) この点に関し、被告は、肝硬変患者に対するインターフェロン療法には保険適応がなく、Aは平成七年五月当時既に肝硬変段階に達していたから、Aが転医したとしてもインターフェロン療法が実施されたとは考えられないと主張する。しかし、前記したとおり、Aは平成七年五月当時C型肝炎が高度に進行した状態にあったものの、肝硬変(F4)段階にあると断定できる状態に至っていたものではなかったから、Aが平成七年五月当時肝硬変段階に達していたことを前提に、当然にAに対しインターフェロン療法が実施されなかったものとすることはできない。むしろ、インターフェロン療法の保険適応の前提として肝生検の実施は要求されておらず、肝硬変の除外診断は不要であることからすれば、Aの病態がC型肝炎とC型肝硬変の境界段階にとどまっていたものと認められる以上、インターフェロン療法を実施することは可能であったと認められるものである。また、もしAがC型肝硬変であると確定診断された場合であっても、保険適応外の治療として、研究費等によりインターフェロンを投与する医療機関や、自費診療を受け付ける医療機関もあり、Aがインターフェロン療法の実施を希望してこれらの医療機関を受診した可能性もあるところである。
よって、転医先の医療機関においては、Aに対しインターフェロン療法が実施された可能性が高いと認められるものである。
また、被告は、インターフェロン療法について、日本人C型肝炎患者の約七割のウイルス型(ジェノタイプ、セロタイプ)が著効率の低い型であり、かつウイルス量が多いと著効率が下がるところ、Aは日本人であり、かつC型肝炎が進行しておりウイルス量が多かった可能性が高いから、Aについてインターフェロン療法に適応がなく、これが実施されなかった可能性が非常に高いと主張する。
確かに、被告主張のとおり、ウイルスのジェノタイプ別の著効率は、1b型につき一二・六%、2a型につき五〇%、2b型につき四〇%であり、日本人におけるジェノタイプの出現頻度は1b対2a対2bが七対二対一であるとされているところである。しかし、Aについて、ウイルスのタイプを調べる検査(ジェノタイプ検査又はセロタイプ検査。なお、ジェノタイプ検査は保険診療上認められていないため、通常はセロタイプ検査が行われる。)及びウイルス量を具体的に調べる検査はされておらず、Aのウイルスタイプ及びウイルス量がインターフェロン療法の著効しないものであったと断定することはできないのであって、Aが治療に積極的であったとうかがわれることにも照らし、インターフェロン療法が実施された可能性は高いものと認められるものである。
イ 肝庇護療法(多剤併用療法)
(ア) Aについて上記のとおりインターフェロン療法が実施されたとしても、これが著効せずC型肝炎ウイルスを除去するに至らない可能性があり得る。また、まれではあるが副作用によりインターフェロン療法を中止せざるを得ない場合も考えられる。このような場合には、C型肝炎ウイルスが活動して肝臓の炎症が持続することにより、肝炎が増悪して肝硬変段階に至る上、さらに肝硬変が増悪して肝臓の線維化が進むことにより、肝細胞がん発症のリスクが高くなるのであるから、肝臓の炎症を抑え肝炎の進行又は肝硬変増悪を抑えること、すなわち肝臓の炎症の程度を測るデータであるGPT値及びGOT値をできる限り低値(八〇IU/l以下)に抑えることが次善の治療法として最も重要となり、これを目標として治療が行われたものと考えられる。
そこで、上記の治療として、Aには、まず、下記①ないし④のような薬剤を単独又は複数投与することにより、障害された肝細胞の代謝を改善させ、肝細胞の変性、壊死を防御するとともに、肝細胞の再生を促進して肝炎を鎮静化する治療法(「肝庇護療法」)が実施されたであろうと認められる。
① 強力ネオミノファーゲンシー(SNMC)
甘草から抽出されたグリチルリチンを主成分とし、アミノ酸を加えた製剤であり、通常は一日当たり四〇mlないし一〇〇mlを週二ないし七回(投与量及び投与頻度はGPT値及びGOT値の推移をみながら調節する。)、静脈注射により投与する。副作用として偽アルドステロン症が現れることがある。
② ウルソデオキシコール酸(UDCA)
熊胆の主成分であり、通常は一日六〇〇mgを三回に分けて経口により投与する。腸の蠕動亢進、下痢、胸焼けなどがときに副作用としてみられるが、服薬時間を調整したり胃腸薬を投与したりすることでほとんどの副作用が消失する。
③ 小柴胡湯
柴胡、半夏、大棗、人参、甘草、生姜などの七種の生薬を含む製剤(漢方薬)であり、ときに副作用として間質性肺炎を起こすことがあるほかは副作用が少なく、長期投与が可能であるとされている。経口により投与する。
④ その他の薬剤
グリチロン錠(グリチルリチンを含有する錠剤で、成分は①の強力ネオミノファーゲンシーとほぼ同一である。一日九錠を三回に分けて経口投与する。)など。ただし、グリチルリチンを経口投与した場合、胃内で不活性化されやすく、上記①ないし③の薬剤に比べて肝炎の進行を抑えるためには効果が不十分であるため、グリチロン錠を投与するのはGOT、GPTの軽度異常(三〇~四〇KU)を示す慢性肝炎例や、上記①ないし③の薬剤投与が副作用など種々の要因によって行うことができない例に限られる。
(イ) 上記の肝庇護療法として、県立がんセンターでは、平成元年以降、上記①ないし③の薬剤の中から、まず初めに単剤を選択して投与し、単剤でGPT値が八〇IU/l未満にならない場合には二剤を併用して投与し(SNMCとUDCAの併用、SNMCと小柴胡湯の併用、小柴胡湯とUDCAの併用の順に実施例が多い。)、さらに二剤併用でも不十分な場合には三剤(SNMC、小柴胡湯及びUDCAの併用が圧倒的に多い。)を併用して投与する「多剤併用療法」を実施していた。
よって、Aが県立がんセンターに転医していたとすれば、上記の多剤併用療法を実施されていたであろうと認められる。
ウ 瀉血療法
(ア) また、Aについて、上記の肝庇護療法を実施してもなお十分な効果が得られない可能性もあるところ、そのような場合には、上記の肝庇護療法と併せて、肝臓の炎症を抑え肝炎の進行又は肝硬変増悪を抑える(GPT値及びGOT値を持続的に低値に抑える)ため、数週間に一回二〇〇gないし四〇〇gの血液を採取して軽い貧血状態を作り、肝臓の鉄濃度を低下させて肝炎の増悪を抑える瀉血療法が実施された可能性も高い。
(イ) この点に関し、被告は、瀉血療法は平成七年ないし平成一〇年当時、ごく一部の病院で採用されていたもののまれな治療法であったから、これがAの転医先の医療機関で当然に実施されたとは考えられないと主張する。
確かに、瀉血療法は、一九九四年(平成六年)に、HayashiらがC型肝炎患者の血清トランスアミナーゼ値を有意に低下させる治療法であることを世界に先駆けて報告して以来、日本を含め世界中で追試が行われ、近年に至ってようやくC型肝炎に対する治療法の一つとして認知されるに至った治療法であり、平成七年ないし平成一〇年当時、いまだ研究途上にあり、広く一般的に普及していたものではなかったことが認められる。しかし、①前記したとおり、Aは、県立がんセンター又はこれと同等レベルの医療行為を行い得る専門医療機関に転医したものと認められるところ、県立がんセンターはC型肝炎の治療に関し全国的にも先進的な立場にあったと認められるのであるから、瀉血療法が当時研究途上の治療法であったとしても、当然にこれについての医学的知見は有していたものと考えられること、②C型肝炎及びC型肝硬変の患者については、肝臓の炎症が持続することが肝硬変の増悪及び肝臓がん発症のリスクの上昇に直接に結びついているのであり、インターフェロン療法が著効せず、かつ肝庇護療法によってもGPT値及びGOT値が十分に低下しなかったような場合には、医療機関としては、可能な限りの手段を用いてGPT値及びGOT値の低下に努めたものと考えられ、上記の手段の一つとして、研究途上にはあるが、有効であるとの報告が多くみられた瀉血療法が実施された可能性は十分にあること、③瀉血療法は数週間に一回献血と同様の手技で血液を抜き取る方法によって行われるものであり、通院の負担や副作用が少ない上、自費診療で行ったとしても抜き取った血液を入れるパック代と手技料を自己負担するだけでよいため、これを実施するについては障害は少ないものと考えられること、④C医師も、瀉血療法について「サプレアイとか、全国広く普及してる、それから泉並木先生の武蔵野日赤、あそこでかなりの数の患者さんにやってて、やっぱりGOT、GPTを下げる効果があるという報告があります。うちでも少し何人か患者さんやってます。」と証言しており、県立がんセンターが特に瀉血療法を実施しない方針を採っているものではないとうかがわれることからすれば、Aが県立がんセンター又はこれと同等レベルの専門医療機関に転医していた場合で、かつ、インターフェロン療法及び肝庇護療法によって十分な効果が得られなかった場合に、瀉血療法を実施されていた可能性は高いものと認められるものである。
エ 適切な禁酒指導(絶対的禁酒指示)
(ア) また、C型肝炎ウイルス感染者が飲酒した場合、肝臓の炎症が助長されて肝細胞が破壊され、肝臓の線維化が進み、肝硬変の増悪及び肝細胞がん発症のリスクの上昇につながるのであって、アルコール多飲者はアルコール歴のない症例に比べて肝障害の進展が早いとの報告や、C型肝硬変患者が飲酒を継続した場合、飲酒歴のないC型肝硬変患者と比べて肝細胞がん発生率が二倍以上となるとの報告もみられるところであるから、Aが肝疾患専門医に転医していた場合、転医先では、前記アないしウの治療法を実施するのに併せて、A及び原告X1らに対し、Aの病態が進行していることや、発がんの危険性がある状態にあること、飲酒により肝障害の進行が早まり、発がん率がさらに上昇することなどを説明し、絶対的な禁酒指示をしていたものと認められる。
(イ) この場合、Aが禁酒することができた可能性は相当高いものと認められる。
なお、この点に関し、被告は、Aはアルコールの依存性が高かったものであって、上記のような指示がされていたとしても禁酒を達成できたとは考えられないと主張する。確かにAはアルコールが原因で肝機能が悪化していると告げられていながら飲酒を継続したものであり、禁酒指示によって必ず禁酒に至ったものと断定することはできないところである。しかし、前記一(1)認定のとおり、Aは被告センターで節酒を指示されてからはやや飲酒量を減らし、血液検査結果上GOTやGPT等肝機能を表すデータの数値が悪かったときは一時的に禁酒することもあったもので、飲酒量を自分自身で全くコントロールすることができない状態ではなかったと考えられることや、Aは、平成七年に被告センターで肺がんの疑いがある旨告げられ、肺がんの危険性について具体的に認識したことをきっかけに約三〇年間にわたって一日当たり二ないし三箱を吸い続けていたタバコをやめることができたものであり、依存性のある嗜好品である点において同様であるアルコールについても、肝細胞がんの危険性について具体的に説明を受ければやめることができた可能性は高いものと考えられること、B医師はAに対して飲酒の具体的危険性を何ら説明していなかったところ、C型肝炎は末期状態に至るまでは特段の自覚症状を伴わないものであって、具体的危険性の説明なくしては飲酒の悪影響を実感するきっかけ(飲酒による体調の悪化)などに乏しく、禁酒への動機付けが弱いものと考えられるのに対し、発がん率を具体的に示して強く禁酒指示がされた場合には、禁酒に至る動機付けが強いと考えられることなどからすれば、禁酒に至った可能性は相当に高いと認められるものである。
オ 転医先における肝細胞がん発見のための検査等
また、Aが平成七年五月当時C型重度慢性肝炎(F3)と肝硬変(F4)の境界段階にあり、肝硬変(F4)段階に至った場合は肝細胞がんを発症する可能性が一年当たり七ないし八%と著しく高いことから、Aが転医していた場合、転医先では、Aに対し、上記アないしウの治療を行い、かつエのとおり絶対的な禁酒指示を行うのに併せて、肝細胞がんが発生した場合にこれを早期に発見できるよう、二ないし三か月に一回程度の頻度で定期的に腫瘍マーカー検査(アルファフェトプロテイン検査、AFP―L3分画検査、PIVKA―Ⅱ)及び超音波検査を実施し、腫瘍マーカー検査で基準値外の数値が出たり、超音波検査で「鮮明かつ平滑な境界」、「薄い辺縁低エコー帯」、「低エコーパターン」、「外側陰影」又は「後方エコー増強」など多少なりとも肝細胞がんが疑われる所見が得られた場合には、CT検査(特に造影CT検査)やMRI検査等を実施していたものと認められる。
カ 転医先において肝細胞がんが発見された場合の治療等
(ア) 上記オの検査により、Aの転医先でAについて門脈の塞栓及び肝不全が生じていない段階(早期段階)で肝細胞がんが発見されていた場合、上記がんがびまん型を示していた場合には、肝動脈塞栓法(「TAE」。肝がん細胞は腫瘍血管が豊富であり、そのほとんどの血液を肝動脈から受けているため、肝動脈をゼラチンスポンジパウダー等を用いて塞栓することにより肝動脈からの血流を遮断し、腫瘍を死滅させようとするもの。)や肝動注化学療法(カテーテルを挿入して肝動脈中に抗がん剤を注入するもの。リザーバーを皮下に埋め込み、抗がん剤を持続動注する方法などがある」などの治療が行われ、上記がんが結節型を示していた場合には、がんの進行度(大きさ及び個数)や全身状態に合わせて、上記の肝動脈塞栓法や肝動注化学療法のほかに、局所凝固療法(腫瘍を針で穿刺し、アルコールを注入するなどして、腫瘍部を周囲肝を含めて凝固壊死させるもの。特に三センチメートル以下、三個以下の小型肝細胞がんの治療に用いられる。)や肝切除術(腫瘍部分を周囲肝を含めて切除するもの。三センチメートルを超える肝細胞がんで、手術の侵襲に耐えうる状態にある症例に用いられる。)などが行われた可能性が高い。
(イ) 上記に関し、被告は、Aはびまん型肝細胞がんを発症していたものであるから、結節型のがんを発症した場合の治療法である局所凝固療法や肝切除術がAに実施された可能性はおよそ存しないと主張する。確かに、Aは平成一〇年五月の時点でびまん型の肝細胞がんを発症していたものと認められるところである。しかし、Aの発がん時期や、発がんに至る肝臓の炎症の経過等が本件の具体的経過と異なっていた場合、Aに発症したがんの形態が本件におけると異なっていた可能性もないものとはいえないと考えられる上、Aが本件と同様の形態のがんを発症していたものであったとしても、早期に発見されていれば結節型を示していた可能性もあるところである。よって、Aに対し上記のような治療が行われた可能性はあるものであって、Aにこれらの治療がおよそ行われなかったものと断定することはできない。
キ 転医先における食道静脈瘤の検査及び治療等
さらに、肝硬変(F4)段階に至ると、門脈圧が亢進して食道静脈瘤が形成される可能性があるから、Aが転医していた場合、転医先では、Aが肝硬変(F4)段階に移行したと判断した時点から、Aに対し、年一ないし二回程度内視鏡検査等を行って食道静脈瘤の発見に努め、食道静脈瘤(肝細胞がんに起因して形成された場合を含む。)を発見した場合、内視鏡的食道静脈瘤硬化療法(「EIS」。食道に内視鏡を入れ、食道静脈瘤又は静脈周囲に凝固剤を注射し、血管を固めて血液が通らないようにする治療。)や内視鏡的食道静脈瘤結紮術(「EVL」。食道に内視鏡を入れ、静脈瘤を結紮して血液の流れを止める治療法。)など、破裂を予防するための治療を実施していたものと認められる。ただし、上記の各治療法自体にも合併症の危険性があることから、食道静脈瘤が発見された段階で、肝細胞がんが進行しており予後が期待できない状態であったり、肝機能が低下して治療に耐えられない可能性があれば、治療が実施されなかった可能性もある。
ク 上記のほか、原告らは、AがC型肝硬変(F4)段階に移行した場合、これを治療するために生体肝移植が実施された可能性もあると主張する。しかし、①日本でのC型肝硬変患者に対する生体肝移植は、平成一一年ころから本格的に開始されたに過ぎず、その後も実施例は多くないと認められるのであって、Aが平成一〇年六月以降も生存したとしても、生体肝移植を受ける機会があったとは容易に認め難いこと、②生体肝移植の提供者(ドナー)となり得るのは、(ア)自己判断が的確にできる成人であり、かつ(イ)二親等以内の親族であって、(ウ)血液型が一致するか輸血の適合があり、(エ)肝臓病がなく、(オ)十分な肝臓の大きさがある人間に限られており、Aについて上記の条件を充たす提供者が存したか否かは不明であること、③ウイルス性肝炎(肝硬変)患者に対する生体肝移植には保険適応がなく、一〇〇〇万円以上の費用を自己負担する必要があるとされていること、④肝細胞がんを合併した場合の生体肝移植の適応については平成一五年時点でもなお見解が分かれており、「C型肝硬変は必ずしも生体肝移植の良い適応とは言えない」とする文献もみられることに照らせば、Aに対し生体肝移植が実施された可能性は非常に少ないと認められる。
(4) 前記の検査、治療及び療養指導の有効性
前記アないしキの検査、治療及び療養指導の有効性に関する医学的知見等はそれぞれ下記のとおりである。
ア インターフェロン療法について
(ア) インターフェロン療法の治療効果は、血中HCV―RNAの陰性化と、トランスアミナーゼ(GPT)の正常化という二つの基準によって判定され、投与終了後六か月以内にGPTが正常化し、その後、六か月以上正常値が持続した例を「著効」とし、著効のうちで、①投与終了後一二か月でHCV―RNAが陰性と判定された例が「完全著効」、②HCV―RNAが陽性と判定された例が「臨床性著効」(「不完全著効」)と判定される。また、③インターフェロン投与中はGPTが正常範囲内に低下する例(ただし、その後再度悪化する例も存する。)が「有効」(再度悪化するものが「一過性有効」)、④いずれの効果も得られない場合が「無効」とされる。多くの文献において、C型慢性肝炎に対するインターフェロン療法(平成七年ないし平成一〇年当時の薬剤及び投薬方法による療法を指し、コンセンサスインターフェロンやペグインターフェロンなど、近年開発された薬剤を使用する療法や、リバビリンとインターフェロンを併用する療法を含まない。)の①著効(完全著効)率は、治療例中三〇ないし四〇%の範囲内であると報告されている。また、②臨床的著効(不完全著効)率は治療例中約一〇%であるとする報告や、一一・六%であるとする報告、一四・四%であるとする報告があり、③有効は治療例中一九・五%であるとする報告や三一・〇%であるとする報告、二五%であるとする報告がある。
なお、C型肝炎のステージが進行するにつれて上記の有効性が次第に悪化するとの統計が多くみられ、特に肝硬変(F4)段階に関しては、著効率が二一・二%、有効又は一過性有効率が二一・二%であるとする報告や、著効率が二一%、不完全著効又は有効率が一五%であるとする報告があるほか、著効率がさらに低いとする報告もみられるところである。
(イ) 上記のとおりインターフェロン療法が著効した場合、発がん率は極めて低く抑えられるとされている。なお、著効例については肝硬変(F4)段階に至っていても年間発がん率は抑えられるとされ、年間発がん率が〇・四九%まで低下するとの報告や、発がん率が一〇分の一に低下するとの報告もみられる。
また、著効例以外の症例に関しても、無効例を除いては、発がん率が抑えられ、特にインターフェロン療法実施後三年までの発がん率は低く抑えられるとする文献が多い。なお、著効例以外の症例で、かつ、肝硬変段階にある場合については、発がん抑制効果はわずかなものであるとする報告もみられるところである。しかし他方で、年間発がん率が抑えられるとする報告や、インターフェロン療法実施例では発がん率が低くなる傾向があるとする文献、インターフェロン治療例と非治療例の年間発がん率が、前者につき四・一六%(ただし著効例も含む。)、後者につき七・八八%であるとする報告などもみられ、C型肝硬変患者に対しインターフェロン療法を実施した場合の発がん抑制効果(著効例を除く。)については医学的知見として統一したものはいまだ存在しないものの、発がんが抑制される可能性があることがうかがわれる。
(ウ) この点に関し、被告は、Aが飲酒を継続したことを前提に、インターフェロン療法は飲酒により無効となるものであるから、上記(ア)及び(イ)の医学的知見はAには適用されないと主張する。しかし、そもそも前記(3)エ認定のとおりAが適切な説明及び指導を受けていた場合に禁酒に至った可能性は高いものと考えられる上、インターフェロン療法は苦痛の大きい副作用を高率に伴い、かつ半年間で数十万円の自己負担を要するなど金銭的負担も大きいものであるから、飲酒により上記負担及び苦痛が無に帰すものである旨転医先でAが説明を受けた場合にAが禁酒することができた可能性はより高いものといえ、Aが飲酒を継続したことを前提に、当然にインターフェロン療法がAに効果のないものであったと断定することはできない。
イ 肝庇護療法(多剤併用療法)について
(ア) 肝庇護療法の治療効果については、GPT(ALT)値が低下するか否かによって判定されるところ、県立がんセンターのF医師及びC医師らは、平成一〇年八月に発表した「C型肝硬変症の血清ALT(GPT)降下におよぼす多剤併用療法の有用性に関する検討」において、強力ネオミノファーゲンシー(SNMC)、ウルソデオキシコール酸(UDCA)又は小柴胡湯のうち一剤を投与した場合、症例中九・五%でGPT値が八〇IU/l未満に低下し、一剤単独投与でGPTが十分に低下しなかった症例につき、上記薬剤のうち二剤を併用投与した場合、残症例中六六・七%で有意にGPT値が低下し、さらに、二剤でGPTが十分に低下しない症例につき、上記の三薬剤を併用投与すると、残症例中六六・七%で有意にGPT値が低下したと報告している。また、ほかにも、症例の六〇ないし七〇%についてGPT値及びGOT値を五〇IU/l以下に抑えることができ、どの薬剤も効かないという症例は一〇パーセント程度にすぎないとする文献や、症例中五七・一%についてGPT値を八〇IU/l未満に抑えることができ、一二・九%についてGPT値を八〇IU/l未満に抑えることはできなかったものの前値の二割以上の改善がみられたとの報告がみられる。
(イ) 上記のとおりGPT値の低下が得られた場合、GPT値が低下しなかった場合に比べて相対的に肝臓の炎症が抑えられたことを意味するところ、C型肝炎は、肝臓の炎症により肝臓が線維化し、肝機能の悪化及び肝細胞がん発症率の高まりにつながるものであるから、GPT値が低下した場合は、そうでない場合に比べて相対的に肝機能の悪化が遅れる上、発がん率が低下して発がんの時期が遅れる結果が生じ得る。これについては、C医師が、多剤併用療法によりGPT値を持続的に八〇IU/l未満に抑えた場合につき、年間発がん率が一・二%に低下したと報告しているほか、文献中にも、肝硬変患者につきGPT値を年平均八〇IU/l未満に抑えた場合、GPT値の年平均が八〇IU/l単位以上の症例に比べて年発がん率が約三分の一に低下するとの報告や、年発がん率が一・四%(非治療例七ないし八%)にまで低下するとの報告、五年間における肝発がん率が八・〇%(非治療例四四・四%)にとどまったとする報告などがみられるところである。
(ウ) 上記に関し、被告は、インターフェロン療法におけると同様に肝庇護療法も飲酒により無効となるものであるから上記の医学的知見をAに適用することはできないと主張する。しかし、上記ア(ウ)と同様にAが専門医療機関に転医した場合適切な説明及び指導により禁酒を達成できた可能性が高いことに加え、肝庇護療法に用いる薬剤として強力ネオミノファーゲンシーが選択された場合には、頻回(連日又は数日おき)に注射のため通院しなければならず煩瑣であるなどの負担があることからすれば、Aが禁酒に至った可能性はより高いものといえ、Aが飲酒を継続したことを当然の前提として、Aについて上記の医学的知見の適用がないものとすることはできない。
ウ 瀉血療法について
(ア) 瀉血療法の治療効果については、肝庇護療法と同じくGPT(ALT)値が低下するか否かによって判定されるところ、「総合臨牀」(平成一七年発行)では、全世界における瀉血療法の治療成績を検討し、「瀉血療法を施行し、その後の経過観察が一年未満の報告例は多数みられ、全報告例で血清ALT値は瀉血治療前後で低下している。治療前後の肝組織における炎症、線維化を検討した報告では、組織の炎症は改善するが、線維化の改善は認められていない。この結果から短期的な効果として、瀉血療法が血清トランスアミナーゼ値を低下させ、組織中の炎症所見を改善しうる治療法であることがわかる。」と結論付けている。また、「二~四週ごとに二〇〇~四〇〇mlの瀉血を行うとALT値は低下傾向を示す。」とする文献や、「SNMCとウルソデオキシコール酸の併用を行っても、GPTを五〇IU/l以下に保つことができない症例が二〇%くらいにみられる。そのような例に対しては瀉血療法を行うことによってGPTのコントロールが可能である。」とする文献などがあり、瀉血療法を行った多数の症例でGPT値を低下させる効果があったことが認められる。
(イ) 瀉血療法の実施によりGPT値が低下した場合、GPT値が低下しなかった場合に比べて相対的に肝機能の悪化が遅れる効果があることは肝庇護療法におけると同様である。
瀉血療法の発がん抑制効果については現在(平成一七年)も研究途上にあることがうかがわれるが、GPT値が低下した場合、GPT値が低下しなかった場合と比べて相対的に肝線維化の速度が遅れ、発がん率の低下につながり得る可能性は考えられるところである。
エ 禁酒が達成された場合について
C型肝炎ウイルス感染者が飲酒を継続した場合、肝臓の炎症が助長され、これにより肝細胞が壊れ、GPT値が上昇し、肝臓の線維化が進行して肝発がんの危険性が高まるとされている。文献中にも、禁酒が達成されず、アルコールを摂取し続けた場合、アルコール歴のない患者に比べて肝障害の進展が早くなるとの報告や、ウイルス量が増加するとの報告があるほか、飲酒自体によっても肝病変の壊死、炎症反応は強くなり、肝臓の線維化が進んで病変が進展する可能性があるとの報告がみられるところである。また、C型肝硬変患者が飲酒を継続した場合の肝発がん率比を、飲酒をしていないC型肝硬変患者との間で比較したところ、前者が五・二八であるのに対し後者が二・三九であり、前者が後者の二倍を優に超える結果となったとの報告や、C型慢性肝炎患者が飲酒した場合、飲酒量が少量でも肝発がんリスクは二六・一倍に増加するとの文献がある。すなわち、C型慢性肝炎又は肝硬変患者が適切な療養指導により禁酒した場合、禁酒に至らなかった場合に比べて相対的に肝臓の線維化が抑制され、かつ肝発がん率が著しく抑制されるものである。
オ 肝細胞がん発見のための検査について
(ア) 腫瘍マーカー検査のうち、アルファフェトプロテイン(AFP)検査については、肝細胞がん患者の約七割で陽性となるが、小型の肝細胞がんを発症している場合には陰性であることが多く、また他方で慢性肝炎や肝硬変でも高値(陽性)となることもあり、特異度(当該検査が検出すべき疾病を有していない人間に対する陰性検査結果の比)はやや低い。AFP―L3分画検査については、カットオフ値を一五%と設定した場合、肝細胞がん患者の六六%で陽性となり、かつ特異性は九三%、正診率は七五%であって、肝細胞がんに特異性が高いとする報告がある。PIVKA―Ⅱ(一九九七年(平成七年)に測定が開始された高感度PIVKA―Ⅱを指す。)については、感度が六二%、特異性が九五%であるとする文献や、カットオフ値を四〇mAU/mlとした場合に陽性率が六〇%、特異性が九二・三%、正診率が八一・四%であるとする文献などがある。
これらの検査は併せて行われるものであるところ、これらの検査を併用した場合、肝がん症例の三分の二を見付けることが可能であるとする文献や、肝がん例全体の八六・七%でAFP検査と高感度PIVKA―Ⅱのいずれかが陽性になるとする文献がある。
(イ) また、複数の画像検査を行うことにより、多くの肝細胞がんを発見することが可能であるとされている。
(ウ) なお、肝細胞がんは、「原発性肝癌取扱い規約」(日本肝癌研究会編)により、肉眼分類として①結節型(がん部、非がん部の境界が明瞭な結節。)、②塊状型(がん部、非がん部の境界が不明瞭かつ不規則な大型の結節。)及び③びまん型(肝臓全体が無数の小さいがん結節により置換され、肉眼的に肝硬変と鑑別することが困難なもの。)に分類され、各型の出現率は①結節型について約九〇%、②塊状型について約三%、③びまん型について約〇・五%とされているところ(「第一四回全国原発性肝癌追跡調査報告」、日本肝癌研究会)、びまん型肝細胞がんは上記の肉眼的形態の特徴からCTでの早期診断が困難であり、発見時には発症後六か月程度が経過していることが一般的であるとされている。
(エ) 上記(ウ)のことから、被告は、Aがびまん型肝細胞がんを発症していた以上、種々の検査によっても早期段階での発見の可能性はほとんどないと主張する。しかし、そもそもAについて種々の治療が施されていた場合、がんの発生に至る経緯やがんの発生時期が異なり、その結果Aに発生したがんの形態が本件における形態と異なっていた可能性もないものとはいえない上、Aに発生したがんが当初は結節型であったが、がんの進行によりびまん型に移行した可能性もあるところであって、これらの場合、上記(イ)にみたとおり、画像検査によりがんを早期に発見できた可能性は高いものである。また、本件において、平成一〇年五月以降Aに実施された腫瘍マーカー検査の結果がいずれも基準値と比べて極めて高値となっていることが認められるところ、上記数値はがんの進行に合わせて徐々に上昇していくものであることから、Aについて定期的に腫瘍マーカー検査を実施していた場合に早期段階でこれらの結果が陽性となり、これをきっかけに肝細胞がんを発見することができた可能性もあるところである。加えて、びまん型肝細胞がんであっても門脈塞栓段階に至れば画像検査によって容易に肝細胞がんを発見できるのであって、少なくとも本件よりは早期にがんを発見できたものと考えられることについては、C医師も証人尋問において認めている。
よって、本件についておよそがんの早期発見が不可能であったと断定することはできないものである。
カ 肝細胞がんが発見された場合の治療等について
肝細胞がんの治療成績は、がんの進行度、肝予備能、腫瘍の局在、合併症及び年齢など多くの因子により異なり、各治療法自体の局所根治能などについて客観的かつ統一的な医学的知見を得ることは難しい。なお、がんの進行ステージがI、肝硬変のステージがチャイルドAの症例に限って治療成績を比較した場合、肝切除を行った場合の治療成績が比較的良く、施設によっては一〇年生存率が六〇%を超えることが認められるが、他方で五年生存率が〇%の施設も存在するなど、施設ごとのばらつきが大きいことがうかがわれる。なお、肝切除以外の治療法によった場合の治療成績は肝切除によった場合よりも悪い。
また、びまん型肝細胞がんについては、治療が奏功し難く、発見後三か月の生存率が四六・六%、六か月の生存率が二〇%、一年の生存率が七・二%であるとする文献や、発見後の生存平均日数が一〇三日であるとする報告がみられる。
キ 食道静脈瘤の検査及び治療について
内視鏡検査により食道静脈瘤は容易に発見される。また、治療の適応さえあれば、前記各治療は出血の予防に有効である。
(5) 以上を前提に、Aが転医していた場合に平成一〇年六月一九日における死亡の結果を避け得た高度の蓋然性の存否について検討する。
ア まず、Aにつき、インターフェロン療法の実施によって肝炎の増悪及び肝細胞がんの発症が抑えられ、平成九年夏ころに至ってもAにがんが発生せず、かつ肝機能が本件におけるより良好な状態に保たれた可能性があると認められる。すなわち、まず、①Aについてのインターフェロン療法の著効率は、Aの病態に照らし、C型肝炎患者全体における著効率である三割ないし四割よりも低く、かつC型肝硬変患者における著効率である約二割よりは高かったと考えられるところ、インターフェロン療法が著効した場合は、ウイルス自体が除去され、当該時点以後はウイルスの活動に起因する肝線維化が進まないのであるから、本件よりも肝機能が良好に保たれ、かつ前記の知見のとおり発がん率が著明に抑えられたことが明らかであって、Aが終生発がんしなかったか、発がん時期が遅れたであろう可能性が十分にあったと優に認めることができる。また、②インターフェロン療法が著効するまでに至らなかったとしても、一過性著効又は臨床性著効により肝臓の炎症が抑えられた可能性(なお、これについては、Aの肝炎が進行していたことに照らし、上記医学的知見で示した統計数値たる三割程度よりやや低い数値であろうと思われる。)があり、この場合にも、炎症の抑制によって肝機能が本件におけるより良好な状態に保たれ、かつ発がん時期が遅れた可能性がある。なお、C型肝硬変患者にインターフェロン療法を実施し、これが著効しなかった場合の発がん率抑制効果につき医学的知見として統一されたものがないことは前記したとおりであるが、発がん率が低下したとの報告が実際に存することや、Aが平成七年五月当時肝硬変に確定的に移行していたものではないことに照らし、上記のような可能性自体はあると認められるものである。
イ また、Aについて、インターフェロン療法が著効しなかった場合については、前記の肝庇護療法が実施されることにより肝臓の炎症が抑えられて肝機能の悪化が遅れ、又は平成九年夏ころに至ってもAにがんが発生しなかった可能性が相当あるものと認められる。すなわち、前記の肝庇護療法(特に多剤併用療法)が実施された場合、六割ないし九割程度の確率でAのGPT値が八〇IU/l未満まで低下したと認められるところ、これらの場合においては、本件(GPT値が上下しながら推移し、八〇IU/lを超えることがしばしばあった。)に比べて炎症が抑制されて肝機能の悪化が遅れたものといえる。また、本件におけるAの発がん時期は遅くとも平成九年夏ころ(転医時期の約二年後)にすぎないところ、肝庇護療法によってAのGPT値が八〇IU/l未満に低下した場合、前記のとおり年間発がん率は著明に低下するのであるから、平成九年夏ころに発がんしなかった可能性は相当高いものである。
ウ さらに、インターフェロン療法及び肝庇護療法のいずれにおいても十分な結果が得られなかった場合に瀉血療法が実施され、これにより肝臓の炎症が抑えられて肝機能の悪化が遅れた可能性があり、かつ、年間発がん率が低下して平成九年夏ころに至ってもAにがんが発生しなかった可能性もあるものと認められる。
エ 加えて、前記のとおり、Aが適切な禁酒指導を受けていた場合に禁酒に至った可能性は高いものであるところ、この場合、本件における飲酒状況にかんがみ、本件における具体的経過に比べて肝機能が良好に保たれ、かつ年間発がん率が半分以下に低下したものと認められる。そして、この場合、本件における発がん時期が転医時期の二年後にすぎないことから、上記時期に発がんしなかった可能性が相当あるものと認められる。
オ また、本件において、Aが最終的には発がんした可能性(ただし、上記のとおり発がん時期は平成九年夏ころよりも遅れた可能性が高い。)は少なくないところではあるが、その場合、前記の各検査によってがんが発見され、これが①発症に至る経過及び発症時期が異なることにより本件と異なる形態であった可能性や、②本件と同様に最終的にはびまん型を示すがんであったが、当初は結節型を示しており、これがいまだ結節型を示した状態で発見された可能性もないものとはいえないと認められるものである。そして、その場合、前記の各治療法により死期を遅らせることができた可能性が存する。
また、Aに当初からびまん型を示すがんが発生していた場合でも、前記の各検査により、治療の適応がある段階で発見することができた可能性もあるところであり、その場合、びまん型肝細胞がんの予後は不良ではあるものの、本件におけるより死期を延ばせた可能性は皆無ではないものと認められるものである。
カ 以上によれば、Aが転医して種々の検査、治療及び療養指導等を受けたにもかかわらず、Aにいずれの治療及び療養指導等も全く奏功せず、本件におけると全く同様の時期に発がんして、平成一〇年六月一九日における死亡への経過をたどった可能性はほとんどないものと認められ、Aの死期が遅れた可能性は高いものであって、被告の債務不履行がなかった場合に同日におけるAの死亡の結果を避け得た高度の蓋然性があるものと認められる。
四 争点(3)(損害額)について
(1) 逸失利益 二二九五万二二二五円
ア <証拠省略>によれば、Aは平成九年に社団法人aから給与及び賞与として九〇四万三四三〇円を受給したことが認められる。
イ また、前記のとおりAは平成一〇年六月に五六歳で死亡したものであるところ、平成一〇年簡易生命表によれば五六歳男子の平均余命は二四・二九年である。
しかし、①平成七年五月当時、Aは既に肝障害が相当進行し、C型慢性肝炎(F3)から肝硬変(F4)段階へ移行しつつある状態にあり、②C型肝炎が完全に治癒し得るのはインターフェロン療法が著効した場合のみであって、その可能性は前記したとおり二割ないし三割程度と低く、Aにこれが確実に著効したであろうことの立証はないこと、③上記以外の場合においては、種々の治療によっても肝炎の進行をいくぶん遅らせることができたと認められるに過ぎず、AのC型肝炎は経時的に進行して肝硬変に移行したものと考えられること、④肝炎が進行して肝硬変段階に移行した場合、種々の治療法を実施した場合でも年三ないし八%の確率で肝細胞がんを発症すると認められること、⑤C型肝炎及び肝細胞がんに対する検査及び治療の技術は、Aの死亡した平成一〇年以降現在(平成一七年)にかけて大きく進歩しており、Aが延命し得た場合はこれらの検査及び治療法を受けられた可能性があるが、Aの病態は上記時点までに相当に悪化し、最新の治療をもってしても治療が困難な状態になったものと考えられる上、肝細胞がんを発症した場合の延命は種々の治療を実施した場合であっても難しいこと、⑥肝細胞がんを発症したり、肝硬変が進行して非代償性肝硬変に移行したりした場合には稼働が困難になると予想されることにかんがみれば、Aが平均余命まで延命し通常と同程度まで稼働し得たと認めるに足りる立証はないものといわざるを得ない。他方で、前記の医学的知見にみた、予想される肝炎の進行速度や各治療法等の有効性及びC型肝硬変患者の発がん率などに照らすと、Aはその死亡時からなお数年間は就労することができたと認められるところ、上記就労可能期間は、前記した医学的知見等を総合し、六年程度と認めるのが相当である。なお、生活費控除率は五〇%とするのが相当であり、就労可能期間である六年に対応するライプニッツ係数は五・〇七六である。
よって、Aの逸失利益は下記計算式のとおり二二九五万二二二五円となる。
九〇四万三四三〇円×五・〇七六×〇・五=二二九五万二二二五円(円未満切り捨て。以下同じ。)
(2) 慰謝料 二六〇〇万円
前記認定に係る諸事実、とりわけ被告の債務不履行がB医師によるC型肝炎感染の事実の見落としという初歩的な過誤に起因するものであることや、Aは肝障害の治療を受けているものと信じて被告センターに毎月欠かさず通院していたにもかかわらず、C型肝炎及び肝細胞がんに対する専門的な治療を何ら受けられずに死亡したものであり、その精神的苦痛は大きいと考えられること、他方で進行したC型肝炎の治療は難しく、がんや肝硬変による死亡の結果自体は避け難いものと考えられること、そのほか本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、Aの慰謝料額は二六〇〇万円とするのが相当である。
(3) 過失相殺
本件において、①Aは被告センターに来院した当時、既にC型肝炎が高度に進行し、慢性肝炎(F3)と肝硬変(F4)の境界段階までに至っていたのであって、通常は上記状態に至るまでにC型肝炎ウイルス感染から三〇年程度を要するとされていること、②これに対しAの被告センターへの通院期間は約三年にとどまっていること、③Aの病態の進行及び発がんには、被告センター来所前の約三〇年間にわたる累積飲酒量も影響しているものと考えられる上、絶対的禁酒指示ではなかったとはいえ一応の禁酒指示がされながらAがなお飲酒を継続したことが本件死亡時期におけるAの死亡に相当寄与していることは否めないこと、④AについてC型肝炎を完全に治癒させることができた可能性は低く、被告の債務不履行がなかったとしてもC型肝炎に起因する死亡の結果自体は避け難いものであって、種々の検査及び治療によっても死期を遅らせることができた高度の蓋然性が認められるにとどまることに照らすと、医療行為が高度の専門性を有することを考慮しても、なお、Aの死亡の結果及びこれにより発生した損害をすべて被告に帰することは衡平の見地から相当ではなく、過失相殺の法理を適用又は類推適用し、損害額算定に当たり上記①ないし④の事情をA側の事情として斟酌するべきものと認められる。
その場合のAの過失割合についてみるに、上記の①ないし④の事情のほか、前記の被告センター医師の過失の態様、程度、その他本件にあらわれた一切の事情を勘案して、四割と認めるのが相当である。
(4) よって、本件における損害額は、下記計算式のとおり二九三七万一三三五円となり、Aは同額の損害賠償請求権を有したこととなる。
(二二九五万二二二五円+二六〇〇万円)×(一-〇・四)=二九三七万一三三五円
(5) 前記したとおり、原告らはAの妻及び子であって、原告らが法定相続分(各二分の一)に従ってAの上記(4)の損害賠償請求権を相続したことが認められるから、原告らの損害賠償請求権の金額は、上記(4)の損害賠償請求権の金額の二分の一に相当する各一四六八万五六六七円となる。
第四結論
したがって、原告らの請求は、被告に対し各自一四六八万五六六七円及び内金五〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成一三年七月一二日から、内金九六八万五六六七円に対する請求の拡張申出書送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成一六年一〇月二八日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、仮執行宣言について民訴法二五九条一項を適用し、さらに同条三項を適用して被告が各原告に対しそれぞれ一〇〇〇万円の担保を供するときは仮執行を免れることができることとし、訴訟費用の負担について、民訴法六一条、六四条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三木勇次 裁判官 本多知成 杉﨑さつき)
<以下省略>