横浜地方裁判所 平成13年(行ウ)8号 判決 2002年5月22日
原告
甲
同訴訟代理人弁護士
北村晋治
被告
川崎西税務署長
佐々木喜一
同指定代理人
武笠圭志
同
磯野宏
同
石口健
同
穂坂浩一
同
髙木優
同
板垣浩
主文
1 本件訴えのうち、原告の平成8年分所得税に係る平成11年4月19日付け更正の請求に対し被告が同年7月30日付けでした更正の請求が理由がないとの通知の取消しを求める部分を却下する。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の申立て
1 請求の趣旨
原告が平成8年分及び平成10年分所得税に係る平成11年4月19日付け更正の請求に対し被告が同年7月30日付けでした同請求が理由がないとの通知を取消す。
2 被告の答弁
主文同旨
第2事案の概要
原告は、平成8年に居住用資産の譲渡及び新たな居住用資産を購入し、租税特別措置法36条の6第1項に規定する特例の適用を求める旨を記載して平成8年分の確定申告をした後、平成10年に上記買換資産を譲渡し、分離短期譲渡に当たるとして平成10年分の確定申告をし、その後、上記特例の適用を求める意思表示を撤回する趣旨の更正の請求を行ったところ、被告から更正すべき理由がないとの通知処分を受けたので、その取消しを求めた。以上が本件事案の概要である。
第3前提事実(証拠等により、直接認められる事実は、適宜、事実の前後の証拠等を記載する。証拠等の記載のないものは、争いがない事実である。なお、書証の成立は、弁論の全趣旨により認められる。)
1 居住用資産の買換え
原告は、平成8年3月7日、東京都八王子市下柚木字所在の別紙物件目録2記載の土地・建物を5700万円で譲渡し(以下この譲渡を「平成8年譲渡」という。)、同年7月26日、東京都調布市国領町所在の別紙物件目録1記載の土地・建物(以下「本件資産」という。)を5354万8800円(登記費用を含む。)で取得した。
2 平成8年分確定申告
原告は、平成9年3月12日、被告に対し、平成8年分所得税の確定申告をし、平成8年譲渡に係る譲渡所得に関し、租税特別措置法(平成10年法律第23号による改正前のもの。以下「法」という。)36条の6第1項に規定する特例(以下「本件特例」という。)の適用を求める旨記載し、分離長期期譲渡所得の金額は283万6434円、これに対する税額は56万7200円と申告した。
3 本件資産の譲渡
原告は、平成10年3月15日、本件資産を4800万円で譲渡(以下「平成10年譲渡」という。)した(甲3の2、甲12、13)。
4 平成10年分確定申告
原告は、別表1「本件課税処分等の経緯」記載のとおり、平成11年3月5日、被告に対し、平成10年分所得税の譲渡所得に関し、分離短期譲渡所得の金額3652万8164円、納付すべき税額1538万8120円とする確定申告をした。
5 更正の請求及びその理由がない旨の通知処分
原告は、別表1記載のとおり、平成11年4月19日、被告に対し、上記2・4の確定申告に関し更正の請求(平成10年譲渡に関する分離短期期譲渡所得の金額をマイナス748万1930円、納付すべき税額をマイナス74万8800円)をしたところ、被告は、平成11年7月30日、4の確定申告に関する更正の請求について、更正すべき理由がないとする通知処分(以下「本件通知処分」という。)をした(甲2の1、2、甲3の1、2、甲4、弁論の全趣旨)。
6 異議申立て及び棄却決定
原告は、別表1記載のとおり、本件通知処分を不服として、平成11年9月1日付けで、被告に対し、異議の申立てをしたが、被告は、同年12月8日、異議は理由がないとして棄却する決定をした(甲5、6、弁論の全趣旨)。
7 審査請求及び裁決
原告は、別表1記載のとおり、平成11年12月27日付けで、国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は、平成12年10月30日、これを棄却する旨の裁決をした(甲7、9、弁論の全趣旨)。
8 本件特例の適用の撤回を認めた場合の税額
仮に、平成8年譲渡について、本件特例の適用の撤回を認めると、それぞれの譲渡に関する税額は、以下のとおりとなる。
(1) 平成8年譲渡の分離譲渡所得金額
譲渡代金 5700万円
取得費 827万0372円
譲渡費用 188万3100円
特別控除額 100万円
譲渡所得金額 4584万6528円
分離長期譲渡所得税額 946万1500円
(2) 平成10年譲渡の分離譲渡所得金額
譲渡代金 4800万円
取得費 5354万8800円
譲渡費用 193万3130円
譲渡所得金額 -748万1930円
分離短期譲渡所得税額 0円
(3) 合計の税額 946万1500円
第4争点及び争点に関する双方の主張
1 本案前の争点(平成8年分に係る通知処分の存否)
<被告の主張>
原告の請求中、原告の平成8年分所得税の更正の請求に対する理由がない旨の通知処分の取消しを求める部分は、以下の理由により不適法であるから、却下されるべきである。
原告は、平成11年4月19日、被告に対し、「平成8年分所得税の更正の請求書」を提出したが、同書面において同年分の所得税額の増額を求めるものであった。しかし、所得税を増額する請求は、国税通則法23条1項に規定する更正の請求には該当しない。そこで、被告は、原告の上記更正の請求に対し、なんらの処分を行わなかった。以上のように、取消請求の対象となる行政処分が存在しないから、原告の同請求は不適法である。
<原告の主張>
争う。
2 本案の争点
(1) 本件特例の撤回の可否
<原告の主張>
原告は、前記のとおり、平成11年4月19日、被告に対し、上記確定申告に関し更正の請求を行い、これにより、平成9年3月12日になした平成8年分所得税の確定申告について平成8年譲渡に関し本件特例の適用を求める意思表示を撤回した。
本件特例撤回の可否については法律上の明文規定はないが、撤回は肯定されるべきである。理由は以下のとおりである。
ア 法36条の6第2項において準用する法36条の3第1・2項など、納税者のその後の行為により本件特例の適用がなされなくなる場合があることは、法が当初から予定していたことである。したがって、本件特例の撤回を肯定することは租税法律関係の安定を著しく害するという指摘は当たらず、かえって、そのような考え方は法の趣旨に反し、誤りである。
イ 国税通則法23条1項1号は、通常想定される申告書上の誤りについて、誤りが生じた原因を問わず、網羅的に更正の請求を認めている。したがって、原告が敢えて選択したから後に撤回できないとするのは、同法23条1項1号の趣旨に反する。
ウ 確定申告書の記載内容の過誤の是正について、その錯誤が客観的に明白かつ重大であって、その是正を許さないのならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合であれば、その記載内容の錯誤を主張することができる(最高裁昭和39年10月22日第一小法廷判決・民集18巻8号1762頁参照)。本件において、原告が本件特例の適用を選択した結果、その適用を受けなかった場合に比較して、649万3800円の税額の増加という結果がもたらされた。これは、原告にとって重大なことで、本件特例を選択した際、税額が増加することがあると考えていなかったことは客観的に明白である。よって、その是正を許さないのならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情があるといえる。
<被告の主張>
原告は、平成8年分所得税の確定申告に際し、本件資産を買換資産として本件特例の適用を求める旨記載し、分離長期譲渡所得の金額を計算し、必要書類を添付して適法に申告した以上、後日それを撤回することは許されない。理由は以下のとおりである。
ア 所得税法は申告納税方式を採用しているが、納税者の行う確定申告は、租税債務を確定する効果を有する私人の公法行為に該当するから、一旦なされた以上、その後の申告者の都合により、これを自由に取消し、撤回することは許されない。
イ 原告が根拠とする上記ア、イ、ウはいずれも理由にならない。原告は、せいぜい買換資産の譲渡に際して法律の錯誤があったにすぎず、本件特例の適用について錯誤があったと認めることができない。また、仮に原告に思い違いがあったとしても、客観的に明白かつ重大な錯誤に当たると解することもできない。法36条の6第2項で準用される同法36条の4は、買換資産の取得価格の繰り延べのみを認め、譲渡資産の取得時期を買換資産の取得の時期とする規定をもうけていないから、原告は、本件特例の適用を選択した場合、買換資産を取得後5年以内に譲渡すれば、短期譲渡所得による課税がなされることを当然に予期すべきであって、原告には重大な過失があるというべきである。以上から、その是正を許さないのならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情があるとはいえない。
(2) 平成10年譲渡の錯誤無効の有無及び本件通知処分の適否
<原告の主張>
仮に、本件特例の撤回が認められないならば、原告は、予備的に、以下のとおり、平成10年譲渡が錯誤による無効であり、それを更正の請求が理由がないとした本件通知処分の適否において判断されるべきである旨を主張する。
原告は、平成10年8月(同月14日が代金の支払期限)、乙に対し、本件資産を4800万円で売却した。その際、原告は、媒介者である株式会社A(以下「A」という。)の担当者である丙との間で、譲渡所得税は150万円ないし200万円程度しかかからないであろうとの話をし、同税額は150万円程度であると信じていた。ところが、実際には、譲渡所得税は1538万8100円に及び、予想額との間において、1400万円、代金額の約29パーセントもの相違が生じた。このような事実がわかっていれば、原告は、平成10年譲渡を行わなかったし、また、一般通常人も同様である。
以上から、平成10年譲渡は錯誤に該当し、そのような税法の適用結果になることは、一般通常人では到底知り得ないから、原告に重過失はない。そして、平成10年譲渡が錯誤無効である以上、譲渡所得税を課す根拠がない。
<被告の主張>
事実は否認し、主張は争う。原告の主張する錯誤は単なる動機の錯誤にすぎず、原告が売買に当たりこれを表示した事実はなんら立証されていない。
しかも、納税義務者は、納税義務の原因となった私法上の法律行為をした場合、予定していなかった納税義務が生じたり、法律行為の際に予定していたものより重い納税義務が生じることが判明した結果、この納税負担の錯誤が動機の錯誤であるとして、又はこの錯誤のため合意解除したとして、法律行為が無効であることを、租税行政庁に対し、法定申告期期限を経過した時点で主張することは許されない。したがって、原告が被告に対し、平成10年譲渡が錯誤により無効である旨を主張することは、それ自体失当というべきである。
さらに、仮に、平成10年譲渡が無効であるとしても、譲渡所得課税の対象は、私法上の行為そのものではなく、私法上の行為によって生じた経済的成果である所得であるから、現に経済的成果が生じている限り、原因である私法行為に瑕疵があっても、課税要件は充足され、課税は妨げられない。本件において、原告は、売買により生じた利得を返還した事実は認められないから、これについて課税することは妨げられない。
(3) 平成10年譲渡の長期譲渡所得該当性の有無
<原告の主張>
平成10年譲渡について、被告は、分離短期譲渡所得に該当するとして課税計算が行ったが、それは誤りで、正しくは分離長期譲渡所得の課税計算が行われなければならない。その根拠は以下のとおりである。
ア 法31条1ないし3項にいう期間は、当該土地もしくは土地の上に存する権利又は建物等の取得時の翌日から、その譲渡時までの期間である(租税特別措置法施行令〔平成10年法律第108号による改正前のもの。以下「施行令」という。〕20条第1項)。ところで、法36条の6第1項の規定は、当該買換資産の取得価格に相当する資産については、譲渡がなかったものとする旨が規定されているのである。とすれば、法36条の6第2項において準用する同法36条の4の適用がある場合においても、当該買換資産の取得価格に相当する資産については、譲渡がなかったものとして取り扱われる結果、法31条1ないし3項の期間は、買換前の譲渡資産の取得時からの期間計算をすることになる。したがって、平成10年譲渡については、分離長期譲渡所得に該当するので、その旨の課税計算がなされるべきである。
イ 被告が主張するように、本件特例は課税を繰り延べる趣旨であるから、当然に税率も従前どおり引き継ぐものと解釈すべきであり、より税率の高い短期譲渡ではなく、従前どおりの長期譲渡としての税率を適用すべきである。
ウ 被告の主張どおりだとすると、譲渡資産の譲渡をした日の属する年の翌年12月31日の経過後から買換後5年以内に買換資産を譲渡した場合に限って、短期譲渡所得として高い税率による重い課税がなされるということとなり、解釈・適用上の不整合が生じる。
<被告の主張>
争う。
原告は、本件資産を平成8年7月に売買により取得し、平成10年8月に譲渡しているところ、その所有期間は約2年間であり、5年以下であるから、平成10年譲渡は、法32条1項に規定する短期譲渡所得に該当する。
法31条に規定する所有期間は、同条2項の委任を受けた施行令20条1・2項が規定しているとおりであり、原告の本件資産の所有期期間が5年以下であることは明らかであるから、原告の上記根拠のうちアは理由がない。原告は、法31条1ないし3項の所有期間は買換前の譲渡資産の取得時からの期間計算をすると主張するが、その旨の規定は現行法上存在しない。法36条の4の規定は、買換資産を譲渡等した場合の取得価格について規定したものであるから、買換資産の所有期間を譲渡資産の取得の時から計算するという根拠にはならない。
本件特例は、資産の値上がりによる収益自体を否定するものでもなければ、その収益に対する課税を減免するものでもなく、本来その譲渡の時点で課税されるべき譲渡資産の値上がり利益を買換取得した居住用資産に引き継ぐことにより、将来この居住用資産がさらに譲渡されるときまで課税を繰り延べる趣旨であるから、本件特例を適用した後、短期間で買換資産を譲渡すれば、税負担が重くなる可能性があることは、予想された結果なのであり、原告は、将来、短期間で譲渡する可能性があるかどうかを予想して本件特例を適用するかどうかを選択すべきであったものである。結果的に、原告の税負担が本件特例を適用しない場合に比べて過重になったとしても、なんら本件特例の規定の趣旨に反しない。
以上から、原告の上記根拠はいずれも理由がない。
第5争点に対する判断
1 争点1(平成8年分の本件通知処分の存否)について
(1) 被告は、平成8年分の本件通知処分が存在しないので、それがあることを前提とするその取消請求に係る訴えは不適法である旨を主張する。
(2) そこで、検討するに、原告は、平成11年4月19日、被告に対し、前提事実5記載のとおり、平成8年分及び平成10年分の所得税の確定申告に関し「更正の請求書」を提出した(甲2の1、甲3の1)ところ、被告は、平成11年7月30日、原告の平成10年分の所得税の更正の請求に対し、更正すべき理由がないとの本件通知処分(甲4)をしたが、同通知書には、同日(平成11年4月19日)付けでされた平成8年分所得税の更正の請求については、なんら記載されていない。
その理由は、平成8年分の更正の請求書が、申告額より多額の税を支払うように更正する旨を請求するとの内容が記載されているところ、更正の請求は申告額より少ない税額にするように請求するものであり、申告額より多額の税額を納入する旨の更正をするように請求するものは、更正の請求としては、制度上予定されていないため、被告は、意味のないものとして、応答しなかったということである(本訴における被告の主張)。
ちなみに、その後原告によりなされた異議申立て(甲5)、被告によりなされたこれについての棄却決定(甲6)、原告によりなされた審査請求(甲7)、国税不服審判所長によりなされた裁決(甲9)においても、平成10年分所得税の更正の請求及びそれに対する被告の本件通知処分だけが取り上げられており、平成8年分所得税の更正の請求はその対象になっていない。
(3) 以上の事実に基づくと、原告が平成8年分所得税に関し平成11年4月19日付けでした更正の請求については、被告による応答はなんら存在しない。このように更正の請求に対する応答としての処分がない以上、その応答の要否にかかわらず、処分の取消訴訟を観念することができない。したがって、原告の平成8年分所得税に係る更正の請求が理由がないとの通知処分についての取消訴訟は不適法である。
なお、平成8年分の更正の請求書の記載内容は、(2)のとおりおよそ更正の請求とはいえないものである。原告としては、後記のとおり、本件特例の適用をした平成8年分の申告を改め、それを前提として平成10年分の申告内容も改めたいということに更正の請求の目的があるところ、平成10年分の更正の請求については判断がされるので、その意味で、平成8年分の更正の請求が理由がないとの通知処分が存在しないとしてその取消訴訟が不適法とされても、実害はないと思われる。
2 争点2(1)(本件特例適用の撤回の可否)について
(1) 本件特例適用とその撤回の有無
原告は、平成9年3月12日、被告に対し、本件特例の適用を求める旨記載して、平成8年分所得税の確定申告をした。
その後、原告は、被告に対し、平成11年3月5日に平成10年分所得税の確定申告をしたが、同年4月19日付けで、平成8年分所得税の更正の請求書(甲2の1、2)及び平成10年分所得税の更正の請求書(甲3の1、2)を提出した。これら2通の更正の請求書によると、平成8年分の申告において本件特例の適用を求めず、これを前提として、平成10年分の申告をしたいということであった(甲2の1、2、甲3の1、2、甲12)。
以上のような事実経過を前提とし、原告は、平成8年分所得税の確定申告においてした本件特例の適用を求める旨の意思表示を更正の請求時に撤回した旨、そしてそのような撤回は明文の規定はないが許されるべきである旨を主張する。
(2) 本件特例適用の撤回の意思表示の可否
ア そこで、検討するに、所得税法上の確定申告は、租税債務を確定する効果を有するいわゆる私人の公法行為に該当し、一旦なされた以上、申告者がこれを自由に取消し、撤回することは許されないものと解すべきである。
したがって、確定申告の内容をなす本件特例の適用を確定申告と共に一体的に撤回することはできないというべきである。また、本件特例だけを取り出して撤回するという制度は設けられていない。
イ 原告は、法36条の6第2項において準用する法36条の3第1・2項など、納税者のその後の行為により本件特例の適用がなされなくなる場合があることは法が当初から予定していたとし、そのことを根拠として本件特例の撤回が可能である旨を主張する。しかし、法36条の3第1・2項は、法36条の2第1・2項の特例の適用を受けて確定申告をした場合に、譲渡資産の譲渡をした日の属する年の翌年中に買換資産を居住の用に供しなくなったとき(法36条の3第1項)及び買換資産の取得価格が税務署長の承認を受けた見積取得価格に対して過不足があったとき(法36条の3第2項)について、当初の申告に対する修正申告又は更正の請求の制度を定めたもので、上記特例の適用要件を満たさなくなった場合についての規定であるから、本件特例の適用要件を満たした場合に、その後撤回することを認めた趣旨の規定ではない。
ウ 次に、原告は、「国税通則法23条1項1号は、通常想定される申告書上の誤りについて、誤りが生じた原因を問わず、網羅的に更正の請求を認めている。したがって、原告が敢えて選択したから後に撤回できないとするのは、同法23条1項1号の趣旨に反する。」旨を主張する。
しかし、同法23条1項1号は、納税申告書を提出した者が、計算に誤りがあったことなどによりその申告に係る税額が過大であること等を知った場合には、税務署長に対し、その税額等について更正すべきことを請求することができることを定めたもので、この規定があるからといって、確定申告においてなした本件特例の適用に計算の誤りがあるわけではない以上、その適用を求める旨の意思表示を撤回できることにはならない。
エ 以上から、原告の主張は採用できない(なお、原告は、確定申告書の記載内容の過誤の是正について錯誤無効の主張ができる場合があるとの最高裁の判決を引用するが、その判例が存在することにより、上記撤回が認められるとはいえず、それについては、さらに後記3において判断することとする。)。
3 争点2(2)(平成10年譲渡の錯誤無効の有無等)について
(1) 前提事実、前記認定事実及び証拠等(甲2の1、2、甲3の1、2、甲5ないし7、9、11の1、2、甲12ないし14、乙1、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
ア 原告は昭和14年10月16日生まれの男性であり、職業は会社員である。
イ 原告は、平成8年3月7日、その所有する東京都八王子市下柚木字所在の別紙物件目録2記載の土地・建物を5700万円で譲渡し、同年7月同土地・建物を買主に引き渡し、同月26日、本件資産を5354万8800円(登記費用を含む)で取得し、そのころ同所に転居した。原告が譲渡した八王子市の物件のうち土地部分は原告が昭和45年3月に代金約439万円で購入したもので、建物部分は原告が昭和48年ないし49年に計約870万円で建築したものであった。
原告が上記買換を行ったのは、勤務先への通勤の便を図ることにあった。
ウ 原告は、平成9年3月12日、被告に対し、平成8年分所得税の確定申告書を提出し、平成8年譲渡に係る譲渡所得に関し、本件特例の適用を求める旨記載し、分離長期譲渡所得の金額を283万6434円、これに対する税額を56万7200円と申告し、納付した。
エ 原告は、平成8年分の確定申告前の平成9年2月ころ、丁税理士に確定申告について相談し、同税理士から、平成8年譲渡について、長期譲渡として税金を支払う方法と本件特例を利用する方法があるということを聞き、その結果、本件特例を適用した方が有利であるということでその方法を選択することとした。なお、その時点においては、原告において、前年に取得した本件資産を近々譲渡する意思・予定はなかった。
オ 原告は、平成9年秋ころ、現在の妻である女性と知り合い、その後同女との結婚を考えるようになった。ところが、同女の勤務先が神奈川県藤沢市であり、本件資産の所在地からの通勤が困難であったことから、原告は、平成10年1月ころ、Aに本件資産の処分について仲介を依頼した。その結果、原告は、Aの仲介により、平成10年3月15日、本件資産を乙に対し4800万円で譲渡し、他方、同月18日、神奈川県川崎市麻生区王禅寺西所在のBハイム(現在の原告の住所地)を5880万円(消費税込み)で第三者から購入し、その後同所に転居した。
カ 上記オ記載の買換えに当たり、原告は、本件資産を譲渡すると、納付すべき譲渡所得税の税額が1538万8120円もの金額にのぼるという認識はなかった。しかし、平成10年譲渡に当たり、そのような譲渡所得税に関する原告の認識が、原告又は原告側から買主である乙側に対し、明示又は黙示に示された事実はない。
キ 原告は、譲渡所得税の点について、Aの担当者であった丙に尋ねると、同人が原告から事情を聞き、約150万円程度であろうと答えたとし、これに関連して、平成11年10月ころ、東京地方裁判所にAを被告として、丙が上記のような誤った説明をしたため原告は予想外の譲渡所得税・地方税を支払わざるを得なくなり、これは同社の媒介契約上の義務違反に該当し、不法行為にあたると主張して、損害賠償請求訴訟を提起した。しかし、原告は、請求棄却の判決を受け、同判決はその後確定した。同訴訟において、Aは、その点について、原告が丙に対し譲渡所得税の税額について質問したが、同女は原告に対し、税理士に相談するように申し述べ、その後原告から、「200万円くらいということだった」との話を税理士から聞いたとの答弁をした。
ク 原告は、乙に対する本件資産に関する平成10年譲渡について、現在に至るまで、同人に対し錯誤無効等を理由とする訴訟等の法的手続をとったことはない。
(2) 以上の事実に基づき判断する。原告は、平成10年の買換えに当たり、本件資産を譲渡すると、納付すべき譲渡所得税の税額が1538万8120円もの金額にのぼるという認識はなかったものである。しかし、平成10年譲渡に当たり、そのような譲渡所得税に関する原告の認識が、原告又は原告側から買主である乙側に対し、明示又は黙示に示された事実はなく(現に、原告は乙側に対し、錯誤無効等を理由とする訴訟等の法的手続をとったこともない。)、さらに、後記のとおり本件特例の適用を受けた後、買換資産(本件資産)をその取得後5年以内に譲渡した場合には、短期譲渡所得として課税されることは現行法上客観的に明確な事実であるから、仮に原告において誤認があったり、又はそれらに思いが至らなかったとしても、それは法の不知又は単なる動機の錯誤にすぎない。以上から、平成10年譲渡に関しては、原告にその所得税額につき予想外の誤認があったものの、平成10年譲渡が私法上錯誤に基づくもので無効であるとまで解することはできない。
所得税確定申告については、申告書の記載内容に錯誤があり、その錯誤が客観的に明白かつ重大であって、所得税法の定めた過誤是正以外の方法による是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合には、錯誤無効の主張をすることは可能であると解される(最高裁昭和39年10月22日第一小法廷判決・民集18巻8号1762頁参照)が、本件は、上記のとおりまず錯誤が客観的に明白な事案ではない。
以上から、原告の上記主張は採用できない。
4 争点2(3)(平成10年譲渡の長期譲渡所得該当性の有無)について
(1) 原告は、平成10年譲渡について、被告が分離短期譲渡所得に該当するとしたが、それは誤りで、正しくは分離長期譲渡所得の課税計算が行われなければならないと主張する。
(2)ア そこで、検討するに、法31条1項は、個人が、その有する土地等又は建物等で、その年の1月1日において所有期間が5年を超えるものの譲渡をした場合には、当該譲渡による譲渡所得について長期譲渡所得として課税する旨を規定し、法32条1項は、それが5年以下であるものの譲渡をした場合には、短期譲渡所得として課税する旨を規定する。両者は、このように所有期間により譲渡所得の種類を区別し、異なる税率により課税する旨を規定している。
また、本件特例は、資産の値上がりによる収益自体を否定するものでもなければ、その収益に対する課税を減免するものでもなく、本来その譲渡の時点で課税されるべき譲渡資産の値上がり利益を買換取得した居住用資産に引き継ぐことにより、将来この居住用資産がさらに譲渡されるときまで課税を繰り延べる趣旨である。
したがって、居住用の保有資産甲をa時点で譲渡して、新たに居住用資産乙を取得し、甲資産の譲渡につき本件特例を適用した後、b時点で乙資産を譲渡して、買換資産丙を取得した場合には、乙資産の取得時期a時点からその譲渡時期b時点までが乙資産の所有期間であり、それが5年超かどうかにより、乙資産の譲渡が長期譲渡所得か短期譲渡所得かに区分されることは性質上当然のことである。
イ なお、法31条3項及びその委任を受けた施行令20条1・2項は、所有期間は、当該個人がその譲渡をした土地等又は建物等をその取得(その資産が売買、交換、競売、公売等によって取得した場合の取得の日は、その資産を相手方から引渡しを受けた日をもってその資産の取得の日とされる。ただし、納税者が売買契約等の効力発生の日をもってその資産の取得の日として確定申告書を提出したときは、その売買等が効力を生じた日がその資産の取得の日とされる。所得税基本通達33-9、36-12参照)をした日の翌日から引き続き所有していた期間をいうとされる。
(3) これを本件についてみると、原告は、本件資産を平成8年7月26日売買により取得し、そのころ同所に転居したが、平成10年3月15日、本件資産を売買により譲渡したことは前記のとおりである。
そうすると、平成10年譲渡は法32条1項の短期譲渡に当たることは明らかである。
(4) 原告の主張について
ア 原告は、第4、2(3)アにおいて、法36条の4の規定を引用して、平成10年譲渡が長期譲渡所得に該当する旨を主張する。
しかし、同条の規定は、居住用資産甲の譲渡について本件特例制度を適用し、次いでその際の買換資産乙を将来譲渡等した場合における乙資産に係る譲渡所得の金額を計算するときの乙資産の取得価格については譲渡資産甲の取得価格を引き継ぐことを規定したものであり、それ以上に、乙資産の取得時期について、特則を規定したものではない。したがって、本件資産の譲渡が長期譲渡所得に該当するとの原告の上記の主張は採用できない。
イ また、原告の第4、2(3)イにおける主張も、上記(2)に照らし、採用することができない。
ウ(ア) さらに、原告は、第4、2(3)ウのとおり、被告の主張どおりだとすると、譲渡資産の譲渡をした日の属する年の翌年12月31日の経過後から買換後5年以内に買換資産を譲渡した場合に限って、短期譲渡所得として高い税率による重い課税がなされることとなり、解釈・適用上の不整合が生じる旨を主張する。
しかし、原告が指摘する点はもともと法自体が予定した結果であり、解釈論としては採用することができない。
(イ) ちなみに、居住用の甲資産を譲渡したa時点で同譲渡に本件特例を適用しても、買換えのための乙資産をその後程ないb時点で譲渡する可能性があるときには、その将来のb時点での乙資産の譲渡は短期譲渡所得になり、そこにおいて本件特例の適用はないし、長期譲渡所得として低い税率の譲渡所得税を課税されることもない。したがって、居住用の甲資産を譲渡して、新たに居住用の乙資産を購入するときには、甲資産の譲渡につき、本件特例を適用するのが常に総合的に見て課税上優遇される結果となるわけではなく、乙資産を直ちに譲渡しないと見込まれるときに初めて従前からの甲資産の譲渡につき、本件特例を適用するのが得策ということになる。
その結果、一般に居住用資産の譲渡に際しては、本件特例を適用するかどうかを検討する必要があることになる。
(ウ) 原告が人王子市所在の別紙物件目録2記載の資産に係る平成8年譲渡をするに際し、税理士から長期譲渡所得として納税する方法と本件特例を適用する方法とがある旨の説明を受けた(前記3(1)エ)のも、(イ)のような背景事情があるからである。原告の主張するようなことであれば、選択についての検討は不要で、常に本件特例を適用すればよいことになるはずであるが、税理士がそのように選択可能と述べたところからすれば、原告としてもこの点に少なくとも気付く可能性はあったというべきである。このように、原告は、将来、短期間で譲渡する可能性があるかどうかを予想して本件特例を適用するかどうかを選択すべきであったものである。
結果的に、原告の税負担が本件特例を適用しない場合に比べて過重になったとしても、なんら本件特例の規定の趣旨に反しない。
エ 以上から、原告の主張する根拠はいずれも理由がない。
第6結論
そうすると、本件訴えのうち、原告の平成8年分所得税の更正の請求に対する理由がない旨の通知処分の取消しを求める部分は不適法であるから却下し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用について行政事件訴訟法7条、民訴法61条により原告の負担とし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 窪木稔 裁判官 村上誠子)
(別紙)
物件目録1
(一棟の建物の表示)
所在
東京都調布市国領町
建物の番号
(専有部分の建物の表示)
家屋番号
国領町
建物の番号
種類
居宅
構造
鉄骨鉄筋コンクリート造1階建
床面積
2階部分 68.68平方メートル
(敷地権の表示)
所在及び地番
東京都調布市国領町
地目
宅地
地積
7953.64平方メートル
敷地権の種類
所有権
敷地権の割合
150万4192分の7245
物件目録2
1 所在
八王子市下柚木字
地番
地目
宅地
地積
273.76平方メートル
2 所在
八王子市下柚木字
家屋番号
種類
居宅
構造
軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺2階建
床面積
1階 81.15平方メートル
2階 42.58平方メートル
別表1
本件課税処分等の経緯 (単位:円)
区分
年月日
総所得金額
分離短期譲渡所得の金額
納付すべき税額
確定申告
平成11年3月5日
6,927,900
36,528,164
15,388,120
更正の請求
平成11年4月19日
6,927,900
△ 7,481,930
△ 748,800
更正をすべき理由がない旨の通知処分
平成11年7月30日
棄却
異議申立て
平成11年9月1日
6,927,900
△ 7,481,930
△ 748,800
異議決定
平成11年12月8日
棄却
審査請求
平成11年12月27日
6,927,900
△ 7,481,930
△ 748,800
審査裁決
平成12年10月30日
棄却
別表2
分離課税の短期譲渡所得の金額の計算書 (単位:円)
区分
符号
金額
譲渡収入金額
①
48,000,000
必要経費
取得費
②
9,538,706
譲渡費用
③
1,933,130
合計(②+③)
④
11,471,836
短期譲渡所得の金額(①-④)
⑤
36,528,164