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横浜地方裁判所 平成14年(わ)1262号 判決 2002年9月05日

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判が確定した日から五年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、虚偽の犯罪事実を通報して海上保安庁職員の行政事務、パトロール業務、出動待機業務等を妨害しようと企て、平成一四年一月六日午後八時五二分ころから同日午後九時四分ころまでの間、神奈川県伊勢原市八幡台<番地略>被告人方の架設電話から横浜市中区新港<番地略>所在の横浜海上保安部に電話を掛け、同海上保安部警備救難当直に勤務中の甲野太郎(当時四一歳)に対し、そのような事実がないにもかかわらず、「今日一九時ちょっと前、江の島の南側で妻と二人で天体観測をしようと、坂道を下がっていたところ、正面の海面に筒のような物が浮き上がってきてふたが開き、中からアクアラングの格好をした五〜六人の男が出てきた。その者たちは、がけをよじ登ってその場を去って行った。この者たちは、日本語ではない言葉を交わしていた。」などと、国籍不明の外国人が、本邦内である神奈川県藤沢市江の島二丁目付近海域に不法入国した旨虚偽の犯罪事実を通報し、そのころ、上記甲野ら横浜海上保安部警備救難当直勤務職員をして、同海上保安部所属の巡視船艇及び湘南マリンパトロールステーション職員の出動を指示させるとともに、第三管区海上保安本部警備救難当直に勤務中の職員に対してその旨伝達させた上、同日午後一〇時ころから同月七日午後七時ころまでの間、同伝達を受理した同海上保安本部の警備救難当直勤務職員及び警備救難部警備課勤務職員らをして、上記内容虚偽の通報に応じて、いずれも不必要な上記海域周辺における巡視船艇又は航空機等の出動を指示させ、各種指令、連絡等の徒労の業務を行わせ、出動の指示を受けた横浜海上保安部、下田海上保安部、清水海上保安部及び同海上保安部御前崎海上保安署所属の巡視船艇の職員、羽田航空基地所属の航空機の職員並びに羽田特殊救難基地所属の職員を、上記海域周辺及び江の島に出動せしめて捜索等の徒労の業務を行わせるとともに、いずれもその間、上記横浜海上保安部、下田海上保安部、清水海上保安部、同海上保安部御前崎海上保安署、羽田航空基地、羽田特殊救難基地及び第三管区海上保安本部の職員をして、被告人の通報させ存しなければ遂行されたはずの本来の行政事務、パトロール業務、出動待機業務等の業務の遂行を困難ならしめ、もって偽計を用いて人の業務を妨害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

・罰条 刑法二三三条(所定刑中懲役刑選択)

・刑の執行猶予 同法二五条一項

・訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の事情)

被告人の本件犯行動機は、職に就いても長続きせず、両親から生活費の援助を受けて生活している自己の不甲斐なさや妻が入院し一人で生活している寂しさ等から気持ちが荒み、自衛隊に入隊していた時の体験や戦争関連の書物等から潜水艦や武器等に関する知識を持っていたことから、平成一三年一二年二二日東シナ海で起きた不審船事件にヒントを得て考えついた判示のような嘘の通報をすることにより、世間をアッと言わせ、かつ、海上保安庁職員が苦労する様を見て日頃の鬱憤を晴らそうとしたことにある。そのような動機は、海上保安庁職員が東シナ海で命の危険を冒して不測の事態に対処し、多くの国民が不安な気持ちでその報道に接したその事件からそれほど日にちが経たない内に、その事件による緊張感、不安感に乗じて行われた全く自己中心的で卑劣なものである。被告人は、あくまで嘘をつき通そうとしたが、警察官から捜査により明らかとなった通報内容の矛盾を突かれ、嘘の通報であることを認めるに至ったものの、それまでの約一日近い間、判示各海上保安部等の諸機関は、その通報内容から非常に大規模な捜索活動等を余儀なくされるとともに、東京湾ないし浦賀水道等を航行する非常に多数の船舶の安全航行や海上の治安を守り、さらには、原子力発電所の海上警戒等の非常に重要な任務を担う関係諸機関の本来の業務が妨害された。また、被告人は、本件虚偽通報の報道を介して、多くの国民に更なる多大の不安感を与えた。本件犯行がもたらした影響は極めて大きい。全く常軌を逸した悪質な犯行である。本件のような犯行には模倣性もあり、一般予防の見地からも被告人に対する刑事責任を軽視することはできない。これらの諸点からすると、犯情は悪く、被告人の刑事責任は重い。被告人に対し、実刑をもって処断することも十分考慮しうる事案である。

しかし、幸いにも、関係諸機関が本件虚偽通報により緊急出動等している間に海上航行、原子力発電所の警備及び治安上等の不測の事態が生じなかったこと、被告人は、現在では本件犯行の重大性を悟り、判示海上保安部等関係諸機関や国民に対し深く謝罪し、二度と本件のような犯行を行わないことを誓い、関係諸機関が徒労の業務を行ったことによる費用相当損害額だけは弁償していること、被告人には前科がないこと、被告人の父親が今後できる限りの被告人の指導監督をし、被告人の妻も二度と本件のようなことのないように被告人を支えていく気持ちを述べていること等の被告人のために斟酌すべき事情があるので、今直ちに実刑に処するのはやや酷に過ぎると考えられる。そこで、以上の諸事情を総合考慮した上、被告人に対しその刑の執行を猶予することとし、主文のとおり量刑する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官・松野勉)

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