横浜地方裁判所 平成14年(わ)1543号 判決 2004年1月22日
主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中300日をその刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯等)
被告人は、長男として出生し、貧困の中で妹弟と父母の下で生育したが、10歳ころ父母が離婚し、以後祖母に育てられ、県立高校を卒業後、保険会社、ゴルフ場等の事務員、保険会社の営業マンとして稼働した。しかし、昭和62年7月、運転手を粘着テープで縛るなどして前記ゴルフ場の売上金などを強取した強盗罪等で懲役5年6月の刑に服して平成3年7月仮出獄し、叔父経営の建設会社で土木作業員として働いたが、事故で左手中指を切断したことなどから辞め、ガソリンスタンド店員を経て、平成4年5月、A株式会社に入社した。当時同社専務の甲野一郎(本件被害者)に気に入られ、その私用などもまめにこなしたことから、早めに係長に昇進したが、平成8年12月ころ、同社経営のパチンコ店の売上金1265万円余等を盗んだうえ、その従業員を縛るなどして解雇され、平成9年5月、その窃盗、逮捕・監禁罪で懲役5年に処せられて服役し、以降職に就いていない。これまで、被告人は6回婚姻したが、いずれも離婚しており、本件当時、戸籍上5人目の妻と婚姻中であったが、音信はなく、合計3人の子とも交渉はなかった。
被告人は、平成13年10月3日前記窃盗罪等の服役から仮出獄を許され、静岡県御殿場市内の実家に戻り、就労の努力はしたものの再就職先が見付からないまま、同年11月下旬ころ、実妹から20万円を借りて中古の普通乗用自動車(軽)を購入し、同年12月ころからは同県沼津市内のスナックに頻繁に通い始めた。また、平成14年1月ころ、前記Aの同僚乙川次朗から紹介された山本花子と肉体関係をもち、以後御殿場から平塚まで被告人が通う形でモーテル等で頻繁に山本と密会し、その交際費等もかさむようになった。さらに、被告人は、妹から、平成13年12月末以降、月9万円を前記貸金の返済及び生活費等として家計に入れるよう強く求められ、平成14年1月から同年4月まで毎月末日ころ10万円を妹に渡していた。被告人は、無職で収入がなかったため、前記仮出獄時の所持金約80万円のほか、知人らから無心するなどした二十数万円をこれらの支払に充てたが賄えず、平成14年2月ころからは、消費者金融からの借金を繰り返し、その返済等に追われるようになった。加えて、被告人は、山本とアパートを借りる資金が約20万円必要と思ったが、同年3月18日ころ、消費者金融にも借金を断られてしまい金策に悩んだ際、乙川から甲野がAを退職しその妻に先立たれ一人暮らしをしている旨聞いたことを思い出し、同日及び翌日、電話帳で調べて甲野方に電話したが、素っ気ない態度をとられ、前記事件の負い目もあって結局借金の話を言い出すこともできなかった。以後、被告人は、漠然と空き巣、置き引き、強盗等を思い浮かべたが、経験もなく捕まりやすいだろうなどと考え、思い止まっていた。
被告人は、平成14年3月25日夕刻ころ、神奈川県平塚市内の駐車場で山本と別れ、一人、所持金の約13万円では、同月末の消費者金融への約3万円、妹への10万円、山本とアパートを借りる費用約20万円などの支出を賄うには足りないなどと思い悩むうち、持ち家で一人暮らしの元重役で金もあり、高齢で体力的にも自分より劣る甲野を襲って金品を強取しようと決意するに至り、自己の車内にあった黒色布製粘着テープ2巻及び軍手1双を書類鞄に入れるなどして準備し、同日午後7時過ぎころ、コンビニエンスストア備え付けの電話帳で番号を調べそこの公衆電話から甲野方に電話してその在宅を確認したうえ、同日午後7時30分ころ、後記甲野方近くの公園脇に同車で赴き、身元を隠すため帽子をかぶりサングラスをかけ、黒色のジャンパーを着るなどし、同車内にあった古いスニーカー(平成15年押第47号符号1と同種のもの)を履いて徒歩で甲野方に向かい、門扉から庭に入って様子を窺うなどして来客等がいないことを確認したうえ、郵便物に見せかける書類鞄を抱え、インターホンを鳴らした。
(認定犯罪事実)
被告人は、かつての勤務先の上司であった甲野一朗(当時84歳)から現金等を強取しようと企て、平成14年3月25日午後7時40分ころ、神奈川県平塚市老松町<番地略>甲野方居宅玄関ドア前において、インターホンに応じてドアのチェーン越しに応対する久松に対し、郵便配達員を装い、郵便物に見せかけた書類鞄を見せながら受領印が必要である旨伝え、これを信用した甲野がそのチェーンをはずしてドアを開けるや、玄関から同居宅内に侵入し、玄関内で、印鑑を取るため背中を向けた甲野に対し、背後から突然、その鼻の下をつかむように口付近に自己の左掌を強く押し当てて塞ぐと共に、自己の右腕を、同人の右腕の上から左脇までその身体を抱きかかえるように回して押さえ付け、身をよじり頭を振って振りほどこうとする甲野と揉み合い、被告人が上がり框に尻餅を付く形で甲野と共に仰向けで倒れ込みながら、更にその口付近を左手に力を込めて数分間押さえ続け、甲野が吐瀉するとともにその力が抜けてぐったりすると、その顔を横に向けて吐しゃ物を取り除き、その口に同人方洗面台にあったタオルを詰め込み、軍手を両手にはめて玄関ドア内鍵を施錠し、その両足首及び両手首に前記布製粘着テープを巻き付けて緊縛し、その両目の上に同テープを貼るなどの暴行を加えてその反抗を抑圧したうえ、同人方を物色し、その2階南東側洋室のベッド枕元付近から、同人が所有又は管理する現金10万円及びキャッシユカード1枚、診察券1枚在中の財布1個並びに腕時計1個(時価合計約6000円相当)を強取し、同日午後8時ころ、前記緊縛状態のまま同人を放置して立ち去ったが、その際、上記暴行による鼻口部閉塞により、その後暫くして、その場で、甲野を遷延性窒息により死亡するに至らせた。
(証 拠)<省略>
(事実認定の補足説明)
1 弁護人は、本件公訴事実につき、被告人は犯人ではない旨主張し、被告人も第6回公判による結審後である平成15年3月12日ころ以後、これに沿う供述等をしている。
以下、関係証拠に基づき検討する(平成14年の表記は原則として省略する。)。
2 被害者の死因、死亡時刻等
被害者の死因は、死体の解剖結果等によれば、鼻口部閉塞による窒息死であり、約5分間以上にわたって完全に鼻口部を閉塞すれば通常は窒息死するが、鼻口部閉塞が不完全であった場合や途中で閉塞が解かれた場合等は遷延性窒息に至るところ、鼻口部を約5分間閉塞して開放し、その約15分後ころに被害者が継続していびきをかいていたのであれば遷延性窒息と認められ、死亡時刻は3月25日午後10時ころの前後約2時間と推定されているが(甲17、22。丙山証言)、同日午後5時前の長女との電話での会話、被害者の生活サイクル(甲44等)等の事実に照らしても、この推認は合理的ということができる。
3 被告人が犯人であることを窺わせる事情
(1) 被告人は、本件当時無職無収入であるのに、前記犯行に至る経緯等で指摘したとおり3月下旬の支払などの金策に窮しており強盗等を行う動機があった。被告人は、この点について、乙川の火災保険金請求の代理交渉の成功報酬があったなどとも弁解するが、保険金の支払日が本件以降の3月28日であって支払われたのはその後と窺われるうえ、その入金事実を同人は他人には秘匿していたというのであるから(甲78、81、114)、本件当時被告人が具体的に当てにできるものとはいえない。
(2) 被告人は、前記の逮捕・監禁等事件まで、被害者とは勤務先の上司・部下の関係でその私用等もこなして居宅にも出入りしていたうえ、最終刑仮出獄後も、同社の元同僚と接触し、被害者が一人暮らしであること等を聞き知っていた。
(3) 被告人は、その携帯電話から、被害者方に、3月18日午後1時24分ころから約19秒間、同月19日午後6時36分ころから約1分21秒間、それぞれ架電している(甲71)。被告人は、これを否定し、乙川に頼まれて携帯電話を貸し、乙川が被害者に電話を架け、古銭の話等をしたのであって、自分が架けたのではない旨弁解しているが、乙川が被告人から携帯電話を借りてまで二日続けて電話で古銭等の話をしたという内容自体、不自然な感を禁じ得ない。加えて、乙川は、そのころ、被告人と会っていた可能性はあると思うが、被告人から携帯電話を借りた覚えもなければ、被害者方(架設・携帯)に電話をしたことも絶対にない、そもそも電話番号すら把握していなかった旨電話番号の控えメモ(被害者方番号の記載なし)まで示して断言しているのであって(甲81)、被告人の弁解は信用できない。なお、古紙幣等の収集(甲6写真番号563、985等)から、被害者の古銭等への興味は窺えるが、被告人は被害者方に出入りしていたのであるからその趣味等を知っていることは十分あり得るのであって、この点もその弁解を裏付けるものとはいえない。
(4) 山本花子の携帯電話から、被告人の携帯電話に、本件当日①午後4時35分ころ(約1.5秒間)、②午後7時36分ころ(約1.5秒間)、③午後10時10分ころ(約25.0秒間)、④午後10時24分ころ(約13.5秒間)、⑤午後10時47分ころ(約12.5秒間)の架電があったが(甲72)、①②については被告人が応答せず、被告人の携帯電話も午後6時47分以降午後8時47分まで発信されておらず(甲71、72、113)、本件犯行時刻と整合するこの時間帯に、被告人には自己の携帯電話での発受信を行うことに支障を来す事情があったものと窺える。
(5) 被告人は、本件の翌日である3月26日午後5時17分ころ、静岡県御殿場市内の郵便局の現金自動支払機で、被告人名義郵便貯金口座にカードで、本件強取金10万円の範囲内の7万円を預入し、その約1分後に同額を引き出しており(甲75、76、78)、その現金を取り替える強い必要があったものと窺える。この点について被告人は紙幣がしわになったためと弁解する(第8回公判被告人質問(1)19頁)が到底納得できる説明とはいえない。
(6) 本件犯行直後、3月28日、①株式会社Bから同月2日借りた20万円について同社御殿場支店で9000円を入金、②株式会社C三島支店から2月25日、同月26日及び3月9日に借りた合計50万円について、同社三島支店で1万9000円を入金(以上甲78、79、92)、③4月2日、密会費用節約のため、伊勢原市に山本とアパートを借り、敷金・礼金等約13万円支払(山本名義。甲67、77)、④4月1日夜、馴染みの女性がいる静岡県沼津市内のスナックで1万3000円余支払(甲82)、⑤3月末日ころ、妹に生活費等として11万円を交付(甲85)、以上、合計28万1000円余を支出しているが、本件犯行前の所持金約13万円では、その差額について入手先不明というほかない。乙川からの火災保険金交渉の報酬10万円の入手時期は必ずしも明らかではないが(甲78、81、114、115、119)、この時期だったとしてもなお、数万円の不足がある。なお、被告人は、この点について、第8回公判において卒然と3月26日ころ25万円位もっていた旨言い出しているが、供述変遷の何らの説明もなく信用することは困難である。
(7) 被告人の最も履きやすい靴のサイズは革靴では26センチ前後と認められる(甲96)ところ、被害者方敷地内から採取された足こん跡のうち東側敷地内のもの1個、玄関たたき上のもの1個、脱衣場床上のもの3個、台所床上のもの8個の靴底模様が同一でこの足こん跡に該当するものは、ルクライブ(LECRIBE)と称する布製運動靴の25.0センチメートルのサイズのもの(平成15年押第47号符号1と同種同サイズ)で、東京靴流通センターの平塚市内の2店舗でも取り扱われており(甲11ないし15、93、94)、被告人が使用することは可能であった。
(8) 被告人は、本件当時、普通乗用自動車を所有し、自由に使用し得る立場にあった(甲34)。
4 被告人の自白の信用性について
以上の各事実に加え、被告人は、捜査段階から第6回公判期日に至るまで一貫して、前記認定犯罪事実記載のとおり、本件当日午後7時40分ころ、被害者方に侵入したうえ、被害者の口を塞ぎ、その両足首・両手首を携帯していた粘着テープで巻き、その両目に同テープを貼り付けるなどの暴行を加えた後、2階寝室にあった現金10万円等在中の財布1個と腕時計1個を持ち出し同日午後8時ころ現場を立ち去った旨自白しているが、その供述は、逮捕前から一貫しているうえ、前記犯行に至る経緯等、認定犯罪事実に沿うものであり、その内容は、犯行を決意するに至るまでの戸惑いや、犯行現場における行動、その心理の動き等に関し具体的かつ詳細で迫真性に富んだものであり、前記死亡推定時刻や残された遺体や現場の状況等関係証拠から認められる事実とほぼ矛盾がないことから、その供述は十分に信用することができる。加えて、以下の点がその信用性を高めていると思われる。
(1) 移動経路とその間の行動等
被告人は、本件犯行を決意し、準備した場所は神奈川県平塚市田村<番地略>金子駐車場(こまちの駐車場)であり、そこから自車で出発し、途中、被害者の在宅を確認するため、同市宮の前<番地略>コンビニエンスストア「ファミリーマート平塚宮の前店」及び同市八千代町<番地略>コンビニエンスストア「サークルK平塚八千代店」各設置の公衆電話から被害者宅に電話し、本件犯行場所のすぐ近くの同市老松町<番地略>老松町公園西側路上に同車を停めて本件犯行に及び、前記駐車場に戻った旨供述しているが、捜査機関による自動車走行実験結果(甲126)によれば、金子駐車場から老松町公園まで約6.4キロメートル、所要時間約18分間であり、被告人の自白を前提に午後7時ころ出発し、午後7時40分ころから本件のような犯行を実行して午後8時ころ現場を立ち去り、終了後同駐車場に戻ることは十分に可能である。また、被告人が、前記ファミリーマート平塚宮の前店設置の公衆電話で備付けの電話帳で被害者方の電話番号を調べた旨供述(乙16)している点についても、同公衆電話に電話帳2冊が備付けられ、その1冊に被害者の氏名・電話番号が掲載されており(甲36、37)、自白は裏付けられているものといえる。
(2) 緊縛に使用した布製粘着テープについて
被告人は、本件犯行に使用し、現場に遺留した粘着テープ2本を平塚市内の百円ショップで購入した旨供述しその店舗を特定しているところ、その該当店舗では、本件犯行前、本件犯行で用いられあるいは遺留された粘着テープと同種の粘着テープを販売していたことが確認され(甲38、100ないし107)、山本花子も、同店舗に被告人と二人でよく買い物をしに行き、被告人が粘着テープを購入したこともあり、被告人がその使用する自動車内にガムテープを置いていた旨供述(甲66、67)しており、この点について裏付けられている。なお、現場に遺留されていた粘着テープには被告人の指紋は検出されず、巻芯部から被告人のものではない3個の指紋が検出されている。被告人は、これをもって真犯人が別にいる証左だと主張するようであるが、被告人は指紋が残らないように軍手をはめてから粘着テープで被害者を緊縛した旨供述しているのであるから、被告人の指紋が検出されないことは当然であるうえ、軍手痕様の痕跡が発見されており(甲108)、この点においても自白は裏付けられているとさえいえ、巻芯部の指紋についても製造工程等で付着し得る(甲111、112)のであるから、何ら自白と矛盾するものとはいえない。
(3) 犯行時の靴について
被告人は、本件犯行時に履いていた靴は、平成8年ころ、平塚市内の東京靴流通センター平塚金目店で購入したスニーカー(サイズ25センチメートル、表面・靴底等に「LECRIBE」との記載があるもの)で、前刑の事件で捕まって以後、弟が実家に運び、仮出獄後、車に積んでいたものである旨供述したうえ、これに該当するスニーカーを実際に履いてみて感触が一致する旨供述している(乙11、12)。この靴は、現場に遺留されていた足こん跡に一致し、購入場所も裏付けられているうえ、被告人が被害者方に到着してからインターホンを鳴らす前に敷地裏等を歩きまわって家の中の様子を窺うなどしたという被告人の行動に関する供述と足こん跡の採取場所も符合している(前記3(7))。
(4) 強取品について
被告人は、被害者方2階南東側6畳洋間ベッド枕元付近から、財布(現金10万円・キャッシュカード1枚・診察券1枚在中)及び腕時計を強取した旨供述しているところ、現金10万円については、被告人による翌日の7万円入出金の事実(前記3(5))に加え、本件直前の被害者の貯金引き出し状況、現金の支出・保管状況等から逆算した金額とほぼ整合すること(甲45、48)、キャッシュカードについては、被害者がよく使用していた東京三菱銀行平塚支店発行のものが発見されていないこと(甲45、48)、財布については、被告人の述べるところが被害者が平素使用していた財布の形状に符合し、それが被害者方で発見されていないこと(甲48)、被害者が3月27日に入院する予定であったことから被害者の性格からみても財布内に10万円程度の現金を入れていることが自然であること(甲48等)などによって裏付けられており、革製腕時計・診察券についても、逮捕された5月23日の2日後である同月25日作成の被告人の上申書(乙3)で述べた特徴のある時計等を被害者が所持していたことが確認されている。とりわけ、腕時計については、当初の被害申告にもなく、被告人の供述に基づいて裏付け捜査が行われた結果、被害品として特定されるに至ったことが窺われ、自白の信用性を裏付けるものといえる(甲55、57等)。
(5) 被害者方に近接する公園にいた浮浪者の存在
被告人は、本件当日、被害者方付近に自動車で赴き、近くの公園前路上に駐車したところ、その公園にいわゆる浮浪者がベンチに一人で座っていた旨供述している(乙16)が、それに該当する者が当時存在していた事実が認められ(甲65)、裏付けられている。
(6) 被害者の服装等
被告人が供述する犯行時刻(午後7時40分ころ)とそのときの被害者の服装(パジャマ)は、その通常の生活サイクルが、来客の予定等がない限り、午後6時ころ、夕食を済ませ、その後は1階のリビングでテレビを見ながら過ごしたり、風呂に入ったりするなどし、午後7時ころにはパジャマに着替えていることが多かった(甲44)ということと整合しており、その生活サイクルによっても裏付けられているといえる。
(7) 自白の変遷について
なお、①被害者手首の粘着テープの巻き方、②死体の足の向き、③犯行時の履き物等の点では自白に変遷等がみられるが、いずれもその信用性を左右するものとはいえない。すなわち、①②についての犯行再現時及び自白(甲42、乙16)と死体の状況(甲17等)には差異がみられるが、①については、犯行当時の被告人の興奮した精神状況等からすれば、テープの巻き方を正確に知覚・記憶できなかったとしても不自然ではない。②についても、被告人は、再現時、被害者役の警察官の姿を見て、被害者を惨い姿のままにして逃げたことが辛く、少しでも自分をよく見せようと実際にはやっていない再現をした旨合理的な説明をしている(乙8)。また、③についても、当初のブーツからスニーカーにしているが、その理由について、本件犯行直後ブーツもスニーカーと一緒に捨てたのでその印象が強く残っていたため、誤って説明した旨述べており(乙17)、その変遷理由は首肯できないものではない。いずれも、前記自白の信用性を左右するものとはいえない。
5 弁護人の主張・被告人の弁解等について
(1) 本件犯行時間の被告人の所在
被告人は、本件当日、こまち駐車場で山本と別れて以降、同日午後11時20分ころに山本が来るまで自車内で寝て待っていたなどと弁解している。しかしながら、前記4(1)のとおり、同所から犯行現場までは約6.4キロメートルであるところ、山本が、同日午後11時ころ、同駐車場に行った際に、被告人が自動車内で寝ていてドアガラスを叩いて起こした旨供述している以外に裏付けはなく(甲69)、被告人はその間に容易に本件犯行を実行して戻ることが可能であるから、不在証明の主張としては成り立たない。この点について、被告人は、「こまち」の常連客と思われる灰色等のワンボックスカーが当時駐車していたと主張しているが、裏付け捜査の結果及び被告人の依頼を受けた「こまち」経営者の調査結果(甲123)等によれば、整合する自動車の常連客は当日来店しておらず、その常連客も被告人の自動車を見たことは一度もない旨述べており(甲124)、これを裏付ける証拠は見出せない。かえって、被告人の主張を前提とすれば、前記3(4)のとおり、本件犯行時刻ころ、小野から被告人の携帯電話への電話に、被告人が応答していない点の説明は困難といわざるを得ず、この点からも弁解は採用し難い。
(2) 自白の経緯について
被告人は、捜査段階及び第6回公判に至るまで、自らが犯人であることを認めていたものであるが、その経緯について、逮捕前、山本と二人で警察署に連れて行かれ、それぞれ別室で取調べを受けていたが、警察官から「二人とも帰さない。」とはっきり言われ、山本を帰すことを条件に自白した、以後の取調べにおいても、警察官から机をたたかれたり、怒鳴られるなどの方法で強要され続けたことにより自白を撤回できなかった、公判段階に至っても、国選弁護人から「何も否認するようなことはない。」と言われ、争うのは無理だとあきらめて撤回できなかったなどと弁解している。
しかしながら、前記のように捜査、公判を経て服役した前科が2回あり、身柄関係の手続も熟知していておかしくない被告人が、山本を帰すことを条件に重罪、それも死刑、無期が法定刑である強盗殺人の犯行を、強盗致死の限度とはいえ自白したという内容自体不自然といわざるを得ず、その供述内容も捜査段階において殺意を否定するなど主張すべきことは貫いていること、当公判廷に至っても、訴因が強盗致死とされているにもかかわらず、罪状認否においてあえて殺意がなかったことを主張していること、否認に転じて以後、自己の主張を自筆で詳細に記載した裁判所宛上申書を多数回送付し、同書面に記載された内容を公判廷で読み上げることにこだわったことなどから窺える被告人の性格等を併せ考えると、前記被告人の弁解は、たやすく信用し難い。
かえって、第5回公判において、被害者遺族の証言直後、涙ながらに発言を求め、死刑にして欲しいなどと訴えていたことなどに照らすと、被告人の自白は自らの行いを恥じ、反省する気持ちからなされたものであることが十分窺えるというべきである。
(3) 靴について
被告人は、自らの足のサイズが26ないし26.5センチメートルで、前記25センチメートルのスニーカーは巻爪がひどいため履けない旨弁解していた(弁7、第8回公判被告人質問(1)18頁等)にもかかわらず、その弁解を当公判廷で検証した後には履くことができる旨(第10回公判被告人質問(2)1頁)合理的理由なく供述を変遷させ、結局履くことは可能であることを自認するに至っていることに加え、検証の結果から認められる被告人の巻爪の状況等をみても、前記弁解によって本件スニーカーを履いて犯行に及んだとする被告人の自白の信用性が何ら左右されないことは明らかである。このような場当たり的な供述態度は、否認に転じて以後の被告人の供述の信用性の乏しさの証左というべきである。
6 結論
以上検討のとおり、被告人の自白は十分な証拠によって裏付けられ、これを信用することができ、被告人が犯人であることを窺わせる事情と相俟って、被告人が本件の犯人であることは優に認定できる。弁護人の主張は理由がない。
(法令の適用)
被告人の行為のうち、住居侵入の点は刑法130条前段に、強盗致死の点は同法240条後段にそれぞれ該当するが、この住居侵入と強盗致死との間には手段結果の関係があるので、同法54条1項後段、10条により1罪として重い強盗致死罪の刑で処断することとし、所定刑中無期懲役刑を選択して被告人を無期懲役に処し、同法21条を適用して未決勾留日数中300日をその刑に算入することとし、訴訟費用は、刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件は、元勤務先の上司であった被害者方に郵便配達員を装って侵入し、暴行を加えてその反抗を抑圧したうえ現金等を強取し、被害者を死亡するに至らしめた住居侵入、強盗致死という重大凶悪事犯である。
その動機、経緯は、前示のとおりであるが、要するに、被告人は、仮出獄中の身でありながら職に就く真剣な努力もしないまま内妻との交際費用やスナック等での遊興費などを身内のみならず消費者金融等から借りて賄うという無計画、無責任な生活を送り、金に困るや、一人暮らしで高齢の被害者を襲って現金等を強取してこれを解決しようとして本件犯行に及んだというのである。その動機は、自己の利欲目的実現のためには、他人の生活の平穏はもちろん、その生命への危険も顧みない卑劣かつ凶悪なものである。とりわけ、被害者は被告人を採用し、重用してくれた恩人であって、本件は文字通り、恩を仇で返した著しく人倫に悖る犯行というべきであり、そこには自己中心的で冷酷かつ危険な被告人の人格が反映されているものというほかない。
犯行の態様は、無防備で体力的にも圧倒的に劣る84歳の被害者が郵便配達員であると信じて疑わずに背中を向けた際に、突然襲いかかり、その必死の抵抗を意に介さず口を数分間も強く押さえ続けるなどし、さらに粘着テープでその足首・手首を縛り、その目にも粘着テープを貼って被害者が身動きできないことが確実となってから、玄関の内鍵を締めて、物色行為を開始し、現場を立ち去る際にさらに両手首をベルトで縛るなどし、そのまま放置したというのであって、実に冷酷かつ残忍なものといわなければならない。とりわけ、被害者は、高齢で、心臓病まで患っていたのであるから、殺意までは認定できないものの、被告人の行った暴行は甚だ危険かつ悪質なものというほかない。また、事前に間違い電話を装ったり、屋敷の周囲を回って被害者が一人でいることを確認し、サングラスや帽子で変装し、粘着テープや軍手、書類鞄などを用意し、犯行後捨てて構わないものに着替えるなど用意周到でもある。
被害者は、幼少時に両親を亡くし、苦学の末早稲田大学(第2部)を卒業し、大手映画会社に就職し営業職で活躍して退職後、前記会社に事業部長として入り昭和61年には同社取締役専務となってその発展に寄与し、同社取締役会長を経て平成9年退社したが、仕事一筋で家族及び会社のために休みなく精一杯努力し続け、その間二人の娘を独立させたが、妻に平成12年に先立たれた後、本件現場で一人暮らしをしていた。平成8年、心臓バイパス手術を受けたが成功し、近時右目に眼底出血があり入院治療予定であったものの、その他は健康で、その孫、曾孫にも恵まれ、曾孫らとの交流を楽しみにし、趣味等にいそしんで余生を楽しんでいた。ところが、最も安全であるべき自宅内で、あろう事か、かつて職場・私生活を含め重用した被告人に一度ならずも裏切られ、その手で尊い生命まで奪われるに至ったのである。娘・孫・曾孫らを残したまま、激しい肉体的苦痛や精神的恐怖に曝されたうえ苦悶しながら絶命したと推察される被害者の苦痛や無念さは察するに余りあり、本件の結果は真に重大というほかない。被害者の長女は、遺族を代表し、当公判廷で、生前の被害者の人柄について愛情を込めて語り、突然、このような肉親を奪われた精神的衝撃、悲哀はもとより、長女自身も面識ある被告人の手によって本件が敢行されたということへの遣り場のない気持ちを述べており、当然のことながら、遺族らの処罰感情には極刑を求めるほど厳しいものがある。
また、本件は夜間の住宅街における強盗致死事件として、近隣住民はもとより多くの一般市民にも大きな衝撃と不安を及ぼしたものと窺え、その社会的な影響にも軽視し得ないものがある。
被告人は、強取した一万円札を別の紙幣に交換するなどしたうえ全て費消し、強取した物品については犯行時の着衣等とともに直ちに廃棄するなど犯跡隠蔽工作をしているほか、判決直前になって自白を翻し以降不自然不合理な弁解に終始しているのであって、事後の情状も良くない。本件犯行による財産的損害は合計10万円余に及んでいるところ、被告人においては何らの慰藉の措置もとっていないうえ、今後の被害弁償等の見込みも乏しい。
加えて、被告人には、前記のとおり強盗、窃盗等の服役前科2犯によって合計8年余も服役したほか、罰金前科1犯があるが、いずれの服役前科も利欲目的から勤務先あるいは元勤務先の信頼を裏切り、関係者を粘着テープ等で縛るなどしたというものであるのに、自らを戒めることなく漫然と前記のような無計画な生活を続けた挙げ句、仮出獄期間中であるにもかかわらず、またもや利欲目的から前科内容と類似した手口で本件凶行に及んだのであるから、被告人の規範意識及び改善更生意欲の乏しさは顕著といわざるを得ない。
他方、本件には、殺意までは認定できないこと、被告人の妹と内妻が、当公判廷において、その更生に協力する旨述べていること、被告人は、その生育歴に恵まれなかったものの、真面目に稼働していた時期もあったこと、逮捕されて以後、概ね本件犯行を認めて捜査にも協力してきたうえ、反省悔悟の情を披瀝していたこともあったことなどの被告人のために酌むことのできる事情も認められる。
そこで、これらの事情を総合考慮すると、被告人に対しては、死刑選択が相当とまでは認め難く、無期懲役刑を選択すべきであるが、本件犯行に関する前記各情状、とりわけ、その経緯、態様、犯行後の状況、遺族を愚弄するような法廷での言動などの犯情に鑑みると、酌量減軽を相当とする事情があるとは到底認められない。そうすると、被告人に対しては、検察官の求刑どおり無期懲役に処するのが相当と思われる。
(裁判長裁判官・廣瀬健二、裁判官・片山隆夫、裁判官・西村真人)