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横浜地方裁判所 平成14年(わ)2639号 判決 2005年3月31日

主文

被告人を懲役4年6月に処する。

未決勾留日数中800日をその刑に算入する。

理由

(認定犯罪事実)

被告人は、平成13年11月3日午前10時30分ころ、神奈川県座間市<以下略>○○101号乙川春男方居間において、乙川秋男(平成10年9月4日生)が便意を催していることを被告人に知らせずにおむつの中に大便を漏らしてしまったことに怒り、秋男に対し、その腹部を1回足蹴りする暴行を加え、よって、同人に腹部打撲による門脈・肝動脈枝損傷の傷害を負わせ、同日午後零時55分、同県相模原市北里<番地略>北里大学病院において、同人を上記傷害に基づく出血性ショックにより死亡するに至らせた。

(証拠)<省略>

(事実認定の補足説明)

1  弁護人は、目撃者である乙川夏男の証言は幼児のもので信用性がなく、本件当時の客観的状況から見ても被告人の暴行によるものと断定することはできないとして、被告人は無罪である旨主張し、被告人も、公判において、乙川秋男に対し腹部を足蹴りするなどの暴行は加えていないとして傷害致死の事実を否定している。以下、被告人の有罪を認め得る理由につき補足して説明する。

2  認定できる事実

前掲各証拠に、甲山花子に対する受命裁判官の尋問調書等を総合すると、以下の事実が認められる(証拠の主要なものを、前記甲・乙の番号のほか、公判供述、尋問調書等についてはその供述者、公判回数、ページ数等を摘記する。)。

(1) 本件犯行に至る経緯等

ア 被告人は、兵庫県内の高校を卒業後職を転々としていたが、平成5年ころ、先物取引を扱う会社に入社し、そこで営業係長をしていた11歳年上のAと知り合い、平成7年6月、退職してAと入籍し、同年9月11日、長男Bを出産した。Bは、未熟児で約7か月病院で過ごしたうえ水痘症を患い平成9年1月手術をしたが両足に障害が残った。被告人は、Aが育児を手伝わず少額の生活費しか被告人に渡さないことなどに不満を募らせ、平成10年4月ころから、Aの部下Cと親密な交際をするようになり、同年8月にはBを実家に残してCと神奈川県海老名市にアパートを借りて同棲を始めた。しかし、CからもBを引き取れないと言われたので同年10月ころCと別れ、平成11年3月、Aとも正式に離婚した(乙4、甲山花子3〜11頁等)。

イ 被告人は、平成10年12月、当時アルバイトをしていたスナックで客としてきた乙川春男と知り合い、春男には妻桜子と子がいることを知りながら交際を始め、春男の子を妊娠したこともあって、平成11年3月から同県座間市立野台のアパートで同棲するようになった。被告人は、春男には、Bのことを母親が実家で育てていると言えず、Aが引き取って育てていることにしていた。被告人は、同年5、6月ころ、春男及び被告人の両親、桜子らから子供を堕ろすよう説得され、また、桜子に同情的で同女と春男の子乙川夏男(平成8年10月21日生)及び乙川秋男(平成10年9月4日生)を可愛がっていた春男の母乙川梅子に被告人の荷物を実家に送られてしまったりもしたが、春男と話し合って産むことを決め、平成11年8月30日甲山冬男を出産した。春男と桜子は、同年10月に夏男と秋男を桜子が引き取って離婚した。被告人は、平成12年12月、春男及び桜子から夏男と秋男を引き取って欲しいと頼まれ、迷ったものの春男との生活を続けたいとの思いもあり、春男に育児を手伝うことを、桜子に秋男らの動揺を案じ、秋男らが義務教育を終えるまで会わないことをそれぞれ約束させたうえ、引き取ることを承諾し、平成13年2月から秋男らと同居を始め、同年3月、春男及び三人の子供とともに本件当時居住していたアパートに引越した(甲30、乙4、20、梅子18〜21、41〜43頁、被告人第9回2〜26頁等)。

ウ 春男は、前記立野台のアパートにいるころはほとんど収入もなく、被告人に頻繁に殴る蹴るの暴力をふるい被告人の肋骨や背骨にひびが入ったこともあったが、秋男らを引き取る直前ころから仕事を増やし、秋男らを引き取った当初は子供らを風呂に入れるなどして育児の手伝いをしていた。しかし、春男は、元来女は家事、男は仕事といった考えが強く、週末も休みなく働くようになったこともあって次第に育児に関わらなくなり、飲みに出かけたり職場の仲間などを家に招いては飲食を振る舞ったりすることが頻繁にあった(春男33〜37頁、被告人第9回16〜18、32〜35頁等)。

エ 被告人は、同年4月から夏男及び秋男が通っていた保育園に冬男を入園させ、三人の子供の保育園の送り迎えをし、保育園との連絡ノートをまめに記帳し、子供らに持たせる物をきちんと用意するなど一生懸命育児をこなしていたが、春男からの手助けをほとんど得られなくなったうえ、春男が招く客らの食事等の用意もしなければならず多忙な日々を送っていた。梅子が同年5月の連休ころ、夏男、秋男と会ったところ、夏男には変化は見られなかったが、秋男が被告人の言うことを聞かず、被告人とあまり話さないようになっていた。被告人は、同年8月ころから秋男にトイレの訓練をしていたが、秋男がなかなか便意を教えず、大便を漏らしてしまうため、被告人は不快感を募らせるようになった。被告人は、秋男がなかなか懐かないことやトイレの訓練がうまくいかないことなどを悩み、春男に相談したが、「嫌だったらお前が出て行け。」などと突き放されてしまい、同年8月1日保育士に相談した。一方、秋男は、同月18日、夏男と共に梅子に連れられて同女方で桜子と会い、それ以降、以前にも増して被告人と口をきかなくなってしまった(D、E、F、被告人第9回26〜41頁)。

オ 秋男には、同月21日唇の周りに腫れ、同月27日額の左右にこぶ、翌28日両足裏に火傷様の痕、同年9月3日には首の付け根に皮下出血などが見られたため、保育士がこれらの怪我について被告人に尋ねたところ、被告人は、「辛口のピザを食べたため」「スーパーで転倒した」「気付かなかった。砂利の上を裸足で歩いて傷がついたのではないか。」「遊びに来た友達の子供にやられた」などとそれぞれ答えた。しかし、夏男は、秋男の足裏の怪我について保育士に尋ねられると、「花ママが鉄砲で撃ったんだ。」などと答えた。このような状況から、保育園園長は、座間市の福祉部児童課と相談のうえ、翌4日、児童相談所に虐待の疑いありと通報した。被告人は、翌5日には保育士と、同月7日には保育士も交えて児童相談所の担当員3名と面接をし、その際、秋男との関係で悩んでいることや、そのことで春男に相談しても春男は育児を手伝ってくれないことなどを打ち明け、担当員らから秋男と被告人とで1対1の関係をしっかり作るようアドバイスを受け、また、児童相談所のカウンセリングを受けることを決めた。同月18日、保育士が家庭訪問をした際、夏男と秋男は、表情に乏しく、口数も少なく、被告人の顔色を窺っているようであったが、父親の友人が訪問してくると同人に近寄り、無邪気に遊び始めた(甲19、35〜38、41、D、E、F、被告人第9回41〜65頁等)。

カ 被告人は、同年10月ころから生命保険会社に就職し、研修に行くようになったうえ、春男が同月7日に傷害事件等を起こして逮捕され、同月17日に釈放されるまでの間、春男のところへほぼ毎日面会に出かけたり、被害者と示談をしたりするなどして、以前にも増して多忙な日々を送っていた(被告人第9回65〜69頁等)。

キ 秋男は、同年10月ころから被告人が保育園に迎えに行っても一緒に帰りたがらず、泣いて保育士にしがみつくことが多くなり、同月1日には額にこぶを、翌2日には右腕や背中にあざを、同月9日にも背中や額にあざをつくり、同月18日には左目が腫れ上がるとともに左耳たぶにも傷を負って登園した。保育士が左目の怪我の理由につき尋ねたところ、被告人は、「冬男と戦いごっこをしていてなった。」と答えたが、夏男は、「秋がうんち出るって言わなかったからママが怒ったの」と答え、また、秋男は、保育士から、「どうしたの。パパしたの。」と尋ねられると、「ううん。」と答え、「夏ちゃん。」と尋ねられると、「ううん。」と答え、「花ママ。」と尋ねられると、「うん。」と答えた。同年11月2日、被告人が保育園に子供らを迎えに行くと、秋男は、顔色を変えて一緒に帰るのを嫌がり、これを見た保育士は、秋男に対し、「頑張って歩いて帰るんだよ。」と言って秋男を抱きしめ帰宅させた(甲19、35〜38、41、D、E、F、被告人第9回41〜65頁等)。

(2) 事件当日の状況等

ア 春男は、平成13年11月3日午前8時ころに仕事に出かけ、犯行現場である春男宅には被告人、夏男、秋男及び冬男がいた。同日午前9時30分ころから午前10時30分ころまでの間に、秋男がおむつの中に大便を漏らしており、被告人は、怒りを感じた(乙2、5、6、被告人第9回70〜80頁)。

イ 被告人は、同日午前11時10分、「子供が食卓テーブルから飛び下りて遊んでいたら落ちて、泣いていたが意識が薄れていった」旨述べて119番通報をした。救急隊員が現場に駆けつけると、秋男は居間に置かれているソファーの上に横たわっており、意識はなく自主呼吸も困難な状況にあった。被告人は、救急隊員らに「椅子から落ちたかテーブルから落ちたか分からない、泣き声で気付き、見に行ったら泣いていたが、その後、寝るような感じで意識がなくなった」などと説明し、秋男を北里大学病院救命救急センターに搬送している間、涙目で興奮した様子で、何度も名前を呼びかけながら、秋男に「御免ね、御免ね。」と声を掛けていた。秋男は、同日午後零時55分、北里大学病院救命救急センターにおいて死亡した(甲1〜3)。

ウ 事件当時、被告人宅の台所兼食堂には高さ68センチメートルのテーブル及び床から腰掛け部までの高さが40センチメートルの食卓椅子が4脚置かれており、これらは後ろに引き出された状態であった。居間の北側にはソファーが、その前(南側)には木製の座卓が置かれていた。また、台所兼食堂及び居間の床面には、先の丸みがかった小さな物は置かれていなかった。なお、被告人は、同日午後4時15分ころから春男宅で行われた実況見分に立会い、被害者は、食堂の床で、居間との境の近くに、頭を居間との敷居から約22センチメートル、南側壁から約60センチメートルの辺りにして、仰向けに倒れていた旨指示している(甲7、9)。

(3) 遺体の損傷状況等(甲4、46、Z第6回、同尋問調書)

ア 肝十二指腸間膜に存する損傷

総肝動脈の枝(胃十二指腸動脈)の付け根の近位部が完全に離断、門脈が一部糸状に繋がるのみでほぼ離断、さらに総胆管が離断している。これらは、縦約6センチメートル×横約4センチメートルの範囲内に近接して存在する。

イ 頭部に存する損傷

右後頭部に、いずれも大きさ4.2センチメートル×3.5センチメートル(この損傷については、受傷後二、三日経過したものと推測される。)及び3センチメートル×1.1センチメートルの淡紫色を呈する皮下出血が認められるほか、頭皮下全体、後頭部においてより多く、小豆大から最大4センチメートル×(1.7+1.3)センチメートル(この損傷については、受傷後2〜5日経過したものと推測される。)の皮下出血が十数個散在しているのが認められる。

ウ 顔面に存する損傷

右眼窩部にいずれも大きさ0.5センチメートルと0.6センチメートルの表皮剥脱及び同部と左眼窩部に点状表皮剥脱が各1個ずつ認められる。これらについては、死亡前日から死亡時までの間に受傷したものと推測される。

エ 背部に存する損傷

右側背部に、受傷後2ないし4日経過したものと推測される大きさ4.3センチメートル、その下方に点状の痂皮化した表皮剥脱が認められる。

オ 膝に存する損傷

左膝に、受傷後三、四日経過したものと推測される大きさ3センチメートル×1.4センチメートルの外上方から内下方に向かうハ線状の表皮剥脱が認められる。

カ 肝臓、脾臓及び腹部の外表について損傷は認められない。また、大網に破裂が認められるものの、それ以外の腸間膜及び消化管自体に損傷は認められない。

(4) 秋男の死因等(甲4、46、Z第6回、同尋問調書)

ア 秋男の死因は、門脈・肝動脈枝損傷に基づく出血性ショックであり、これらの損傷は、腹部打撲により心窩部を強打したことにより生じたと認められる。

イ 前記2(3)ア及びカで認められるとおり、秋男の肝臓、脾臓及び腹部の外表に損傷がなく、また、大網に破裂が認められることの外、それ以外の腸間膜には損傷が認められない状態で、肝臓の底面下に位置し、非常に近接して存在する総肝動脈の枝、門脈及び総胆管(以下、これらを総称して「本件部位」という。)が離断していることからすると、①成傷器は、「先の丸みがかった小さな物」、すなわち鈍体であり、②その成傷機序は、背面にある胸椎と何らかの鈍体とで強く挟まれる形の外力、及び肝臓が上方に向かうような動きによって、肝門部の組織にかかった張力の二つが合わさって生じたものである。また、③その外力が加えられた位置は、肝臓の下縁辺りか、それよりやや少し下辺りであり、④外力の作用方向は、前面から被害者の身体に向けられた、下方からやや上方に向かう前後方向のものであり、⑤本件部位に連続して外力が加われば格別、外力が加わった回数は1回である可能性が高いことが認められる。

(5) 被告人・夏男の足の大きさ

被告人が素足の状態の場合、右足のサイズは、縦20.7センチメートル、横幅最大8.2センチメートル、指の付け根付近の厚さは、親指側では2.4センチメートル、小指側では1.7センチメートルであり、左足のサイズは、縦20.5センチメートル、横幅最大8.6センチメートル、指の付け根付近の厚さは、親指側では2.3センチメートル、小指側では1.7センチメートルであり、靴下を着用した状態では、右足縦21.0センチメートル、左足縦21.5センチメートルであること、平成15年2月25日当時における夏男の足型は、右足縦約15.1センチメートル、左足縦約15.0センチメートルであることが認められる(検証調書(第15回)、甲48等)。

3  成傷機序等についての検討

(1) 後記のとおり、夏男は、事件当時は秋男が台所のテーブルから落ちた旨、証人尋問時においては被告人が床に座っている秋男の腹部を足蹴りした旨供述していること、被告人は、その後、夏男から秋男はソファーから飛び降りていたときに、座卓に突っ込んだ旨聞いたと供述していること、梅子は事件直後、夏男が秋男の腹部に乗ったのではないかと疑っていたうえ、弁護人もその可能性が高いとみていることから、以下、秋男がテーブルから落ちて床面に腹部を打ちつけた場合、秋男が座卓の角に腹部を打ちつけた場合、被告人が床に座っている秋男の腹部を足蹴りした場合及び夏男が仰向けに寝ている状態の秋男の腹部に乗った場合に分け、本件における成傷機序等について検討する。

(2) 秋男がテーブルから落ちて床面に腹部を打ちつけた場合

前記のとおり、秋男は肝臓に損傷のない状態でその底面下に位置する本件部位のみを損傷しているところ、秋男がテーブルから落ちて、先の丸みがかった小さな物も落ちていない平坦な床面に腹部を打ちつけたという場合、打ちつけた際加わった外力の程度が弱ければ、そもそも本件部位を損傷すること自体生じ得ず、また、その外力が門脈等を離断させうる程度のものであれば、本件部位を損傷すること自体について矛盾はないが、床面のように広面積を有するものに衝突した場合には、肝臓の下縁辺りか、それよりやや少し下辺りの部分のみならず、肝臓自体にも外力が加わり、肝臓に相当程度の損傷が見られるはずであるから、本件における損傷状況と矛盾する。したがって、秋男がテーブルから落ちて床面に腹部を打ちつけ、本件部位を損傷したという機序は肯認し難い(Z第6回)。

(3) 秋男が座卓の角に腹部を打ちつけた場合

交通事故で自動車内の人間が肝門部分のみを損傷して死亡するには、慣性が働く程度の時速30ないし40キロメートル程度の速度を出している必要があるところ、秋男がこのような速度で座卓の角に腹部を衝突させたという場合には、肝臓が上方に向かう慣性が働いて肝門部が開き、本件における損傷状況を生じさせたとしても矛盾しない。しかし、本件現場の台所兼食堂及び居間の広さからみると、そのような場所で時速30ないし40キロメートル程度加速するというのは不可能に近く、想定し難い。また、秋男が転倒するなどしてその際に座卓の角に腹部を衝突させたというような場合には、外力が上方から下方に向けて加わることになり、肝臓に損傷が見られるはずであるから、本件における損傷状況と矛盾する。したがって、秋男が座卓の角に腹部を打ちつけ、本件部位を損傷したということも考え難い(Z尋問調書)。

(4) 被告人が床に座っている秋男の腹部を足蹴りした場合

ア 秋男の腹部の厚みは約12センチメートルであり、背骨部分の厚さが約3センチメートルとすると、秋男の腹部の外表から肝門部までの距離は約9センチメートル程度であったと考えられる。足のサイズが縦23.5センチメートルの成人女性(以下「モデル女性」という。)の足の厚みと幅を測定し断面図に類したものを作成すると、爪先から3センチメートルの部分の断面積は、右足が2センチメートル(厚さ)×7.8センチメートル(横幅)程度、左足は1.9センチメートル(厚さ)×7.4センチメートル(横幅)程度、爪先から9センチメートルの部分の断面積は右足が3.9センチメートル(厚さ)×8センチメートル(横幅)程度、左足は4.3センチメートル(厚さ)×8.2センチメートル(横幅)程度であった(Z尋問調書)。

イ 被告人が床に座っている秋男の腹部(肝臓の下縁辺りか、それよりやや少し下辺りの部分)を足蹴りしたという場合、まず、下方から上方に向かって外力が加わることから、本件における外力の作用方向と良く符合する。また、足が腹部に入り込むという場合には、類三角状の形に細い爪先側から入っていき、太い踵側は本来の腹部の表面程度の部位に止まるような入り方をするので、足が約9センチメートル程度腹部に入り込んだとしても、実際に秋男にかかる力は、爪先から約3センチメートル若しくは3センチメートル強程度の部分と考えられるところ、モデル女性の場合、爪先から3センチメートルの部分の断面積は相当狭いことから、肝臓や腸間膜(大網を除く。)等を損傷させることなく本件部位のみに力を集中させて損傷させることが十分可能であり、本件における損傷状況と整合している。そして、前記2(5)のとおり、モデル女性の足のサイズよりも被告人のそれの方が全体的に小さいから、被告人の場合はモデル女性の場合と同様、あるいはそれに増して、本件部位にのみ力を集中させることができ、本件における損傷状況を生じさせることが可能である。もっとも、秋男が前屈みの姿勢であった場合には、肝臓が腹部を覆う面積が広くなるので肝臓を損傷させないまま本件部位のみを損傷させる可能性は低くなるが、足蹴りの場合には、短時間に集中して力を加えることができるので、秋男が上半身を垂直にしていた場合や後方に手をつくなどして後ろに反り返るような姿勢であった場合には、秋男が後方に飛ばされることなく本件部位のみに力を集中させることが可能であり、本件のような損傷状況が生じ得る(Z尋問調書)。

(5) 夏男が仰向けに寝ている状態の秋男の腹部に乗った場合

ア 前記のとおり、平成15年2月当時の夏男の足型が、右足縦15.1センチメートル、左足縦15.0センチメートルであることからすれば、それより約1年3か月前の事件当時における夏男の足のサイズは、それぞれ縦14センチメートル前後から15センチメートル弱程度であったと考えられる(Z尋問調書)。

イ 夏男が上から飛び降り、両足に同程度の体重をかけた状態で、両足又は片足を秋男の腹部に着地させたという場合、寝ている姿勢と座っている姿勢とでは、前者の方が肝門部が開きやすいことから、本件のような損傷状況を作出しやすいと考えられる一方、この場合、肝臓が上方に向かうような動きを想定しにくく、さらに、この場合には夏男の足の裏全体が秋男の腹部に作用する可能性が高い(安定した状態で秋男の腹部に着地しようとすると、最初爪先側で着地しても最終的には踵側まで、逆に、最初踵側で着地しても最終的には爪先側まで腹部に乗る形になってしまう。)と考えられるところ、前記夏男の事件当時の足のサイズから考えられるその当時の夏男の足の裏全体の面積は、モデル女性の爪先から3センチメートル部分の断面積と比べても格段に大きく、したがって、肝臓の下縁辺りかそれよりやや少し下辺りの部分にとどまらず、さらに広範囲に外力が加わってしまい、肝臓又は腸間膜(大網を除く。)等に損傷が生じる可能性が高く、本件における損傷状況とは整合し難い。夏男が、片足に体重をかけた状態で、その体重のかかった方の足を秋男の腹部に着地させたという場合も、上記の場合と同様、肝臓が上方に向かうような動きを想定しにくく、また、足の裏全体が腹部に作用する可能性が高く、肝臓等を損傷させないまま本件部位のみを損傷させる可能性は相当低い。逆に、体重をかけていない方の足を秋男の腹部に着地させたという場合には、秋男の腹部にはほとんど力が加わらないと考えられることから、本件部位を損傷すること自体が起こりにくい。

なお、夏男が、真下に飛び降りるのではなく床面から約60度くらいの角度で、かつ、足の裏全体ではなく、片足の一部のみを秋男の腹部に乗せたというような場合、本件のような損傷状況も生じ得るとも思われるが、夏男は事件当時まだ5歳であって運動能力も低いと思われることからすれば、かかる特殊な方法で着地することは困難であり、したがって、床面から約60度くらいの角度で、かつ、片足の一部のみを秋男の腹部に乗せたという前提事実を想定し難い。結局、夏男が秋男の腹部に乗って本件部位を損傷した可能性は低いと認められる(Z尋問調書)。

(6) 以上の検討結果によれば、被告人が秋男の腹部(肝臓の下縁辺りか、それよりやや少し下くらいの部分)を足蹴りした場合には本件のような損傷状況が生じ得るのであり、かつ、他の3つの場合と比べて最も本件のような損傷状況を矛盾なく説明し得るものといえる。

4  本件犯行前、被告人による秋男への虐待の事実

(1) 前記2(1)エないしキ及び2(3)のとおり、梅子は前妻桜子に同情を寄せ、被告人に対し悪感情を抱いていたが、秋男はその梅子に懐いて被告人にはなかなか懐かず、平成13年8月中旬ころからは、被告人とほとんど話しをしなくなってしまったこと、被告人は、同月ころから秋男にトイレの訓練をしていたものの、秋男は何度言っても大便を漏らしてしまうことから被告人は不快感を募らせていたこと、被告人は秋男との関係について悩み、また、相談しても育児の手伝いをしてくれない春男に対しストレスを溜めていたこと、ちょうど同時期ころから、秋男が顔面等に怪我をして保育園に登園することが非常に多くなっていること、被告人及び春男は喫煙者であるところ、秋男の両足裏には、煙草を押し付けたようなやけどの痕が見られ、夏男は、保育士に対し、秋男の両足裏の怪我につき、「はなママが鉄砲で撃ったんだ。」と話していたこと、夏男及び秋男は、保育士に対し、秋男の左目付近の怪我の原因は被告人にある旨話していたこと、同年9月上旬ころ、保育園園長は、虐待の疑いありとして児童相談所に通報していること、秋男は、同年10月ころより被告人と一緒に保育園から家に帰るのを極端に嫌がって春男が迎えに来るのを待つようになり、被告人が迎えに来ると、泣いて保育士にしがみつくようになっていること、秋男の遺体には死亡時点から遡って5日以内に受傷したと思われる傷が多数あったことなどの事実が認められ、これらの諸事実に照らすと、被告人が本件犯行前、秋男に対し虐待を加えていた事実が窺われる。

この点、弁護人は、被告人には、実子ではない夏男と秋男のうち秋男だけに暴行を加える動機は存在しない、虐待の事実があるとすれば、春男がそのことに全く気付いていないのは不自然である、被告人は外傷等につき保育園に対し積極的に報告しており、これは虐待を加えている者の行動として不自然であるなど主張して虐待の事実を否定する。しかしながら、前記のとおり、夏男は被告人に懐いていたのに対し、秋男は被告人に好意を抱いていない梅子に懐いて被告人にはなかなか懐いてくれないうえ、被告人の言うことを守れず大便を漏らすのは秋男のみであったことからすれば、梅子に対する不満や育児のストレスのはけ口として秋男のみに暴行が向けられるということは十分考えられるところである。また、春男は毎日仕事でほとんど家におらず、育児にほとんど関与していなかったことからすれば、春男が虐待の事実に気付かなくとも直ちに不自然とまではいえない。さらに、被告人は保育士から怪我の理由につき問われて初めて説明しているものも多数あるうえ、虐待の事実を隠そうと自ら進んで虐待の結果ではない旨説明することも、虐待を加えている者の行動として不自然なものとは思われない。

(2) 被告人は、公判廷において、秋男に対し虐待して怪我をさせたことはない旨弁解をしているが、被告人は、平成14年9月21日付検察官調書(乙16)では、左目付近の怪我につき被告人が殴ったこと及び秋男が大便を漏らした時に蹴ったことにつき否定していたものの、同月23日付司法警察員調書(乙18)では、「うんちを教えず漏らしてしまうことにカーッとなり、立っている状態の秋男の左目に近い頬を感情的になっていたので強い力で1回右手で殴った」旨、さらに翌24日付検察官調書(乙19)では、「うんちを漏らしたときに、着替えなどを取りに行って来る際、足で秋男の体を脇に押しやるようにしてどいて、どいてなどと言うことがあり、これも蹴ったと言われればそうかもしれません。」「秋男の肩の辺りを蹴飛ばしてしまったことがありました」などと供述し、その変遷理由について、取調官から厳しい追及を受けて耐えられなくなり、迎合的供述をした旨の説明をしているが、乙18及び乙19の調書をみると、被告人は他の怪我については従前通り自分の関与を否定し、また読み聞けの後に訂正を加えさせているのであって、取調官の言うままに供述したというような状況は見受けられず、その供述変遷の合理的説明がなされているとはいい難い。また、公判の供述は、内容的にも被告人は両足裏のやけど様の痕について、保育士に言われるまで気付かなかった、痛そうな様子はなかったなどという不自然なもので、前記本件前における秋男の行動などとも整合しないことから、信用することはできない。

結局、本件犯行前、被告人が秋男に対し虐待を加えていた事実を認めることができる。

5  秋男に事件当日暴行を加える動機

被告人は、前記のとおり、平成13年8月ころから、秋男に対しトイレの訓練をしていたところ、秋男は何度言っても大便を漏らしてしまうことから不快感を募らせていたこと、事件当日も秋男は大便を漏らしていることについては被告人も認めているうえ、本件前にも被告人が大便を漏らしたことが原因で秋男に暴行を加えたことがあったことも考え併せると、事件当日、大便を漏らした秋男に対し、怒りを感じてとっさに単発的な暴行を加えることは十分考えられ、被告人には、本件犯行当時、秋男に暴行を加える動機を認めることができる。

6  目撃者の供述の信用性

本件犯行の状況を直接目撃した夏男の供述(同人の証人尋問調書)について、弁護人は、専門的な観点からのものも含め、問題点を種々指摘しその信用性を争っているので、順次検討を加える。

(1)  証言録取過程について

確かに、夏男は事件当時5歳1か月、証人尋問当時6歳4か月の幼児であり、他からの暗示を受け易いなどの問題点が窺えるところ、夏男は事件発生から3か月以上経過後の梅子からの質問に対して初めて本件公訴事実に沿う内容の目撃供述をしていること、その当時、梅子は、秋男の死因について疑問を抱いていたうえ被告人とは良好な関係にはなかったこと、また、事件発生から夏男に対する証人尋問が行われるまでに1年4か月以上経過していること、その間には梅子、春男及び取調官らから繰り返し質問を受けていることなど夏男の記憶保持や供述の信用性維持について問題点が窺えることは弁護人指摘のとおりである。また、その証言内容をみても、証言冒頭において、夏男は「殺した」などという評価的な表現を用いており、夏男の記憶が外部からの影響を受けていることが窺われること、夏男が示した事件当時の被告人と秋男との位置はやや離れすぎていたり、黙して答えないなどその供述にはやや曖昧な部分があること、誘導尋問がなされ、問いに対し、ただ「うん。」と答えたり頷いたりしている場面があることなどが認められ、その供述評価を慎重に行うべきであることは弁護人指摘のとおりといえる。

しかしながら、夏男に対する尋問は、法廷ではなく犯行現場で行われるとともに、夏男の通う保育園の保育士を付添人とし、尋問中の梅子、春男らからの暗示による影響を排除するとともに夏男の緊張・萎縮を緩和することに配慮した中で実施されていること、その証言事項は、犯人識別供述のような観察に特別な能力を要するものではなく、義母である被告人が目の前で弟の秋男を蹴ったか否かという単純な事実であるうえ、強い印象に残り得るものであること、子供に慣れていると窺われる検察官の平易かつ簡潔な質問に対し、夏男は分からない時は、「えっ。」と聞き返したり、覚えていないことについては、「忘れちゃった。」と答えたり首を横に振ったりしている一方、検察官による「あきくんさあ、救急車で病院に行って死んじゃったけど、どうして具合が悪くなっちゃったの。どうして死んじゃったのかな。」との問いに対し、「はなママやったから。」と答え、その後、「はなママが、どんなことをしたの。」と尋ねられると、「蹴ったの。」と明確に答え、また、「おじちゃんを見てごらん。これ頭でしょ、お顔でしょ、胸でしょ、お腹でしょ。これ腰でしょ、あんよでしょ。はなママは、あきくんのどこを蹴ったの。」との問いに、「ここ。」と供述しながら左の手の平で自身の腹部を1回叩き、さらに、検察官が、「はなママは、どうして、あきくんのお腹を蹴っちゃったの。」との問いに、「うんこしちゃった。」と答え、蹴った回数につき、「1回だけ。それとも2回や3回も蹴ったの。」と尋ねられると、即座に「1回だけ。」と答えていること、その供述態度も、尋問が終了に近づくにつれ眠そうな様子は垣間見られるものの、緊張・萎縮している様子や梅子らから教え込まれるなどして虚偽の供述をしていると窺われるような不自然な点は見受けられないことなどが認められる(夏男の証人尋問調書及び平成15年3月31日付け検証調書)。これらの諸点に鑑みると、夏男は検察官らの質問の趣旨を正確に理解し、事件当時目撃した事実を自己の記憶に基づいてそのまま述べているものと認めることができる。

(2)  供述経過

ア  夏男は、事件当日である平成13年11月3日の夜、被告人及び春男に対し、「被害者は台所にあるテーブルから落ちた」旨の話しをした(問いに「うん」と答えた)ものの、翌4日、春男が、被告人から「夏男が秋男は低い方のテーブル(居間にある座卓)に突っ込んでお腹を打った旨の話しをしている」との電話をもらったため、夏男に対し、秋男は台所のテーブルから落ちたのではないかと確認したところ、夏男は、「こっち。」と居間の方を指さし、春男がどこに突っ込んだのか尋ねたところ、夏男は、「子供部屋の方にいたから分からない。」旨述べ(春男12〜16頁)、同年12月21日祖母に尋ねられた際、「秋男は一人でおっこっちゃって死んじゃった」自分は「フユと隣の部屋で遊んでいた」などと述べ、その後曖昧な供述を繰り返した後、平成14年2月13日、祖母に対し、「はなママと秋男はソファーのある部屋にいた。秋男がうんちを漏らしたので、はなママが怒って秋男の腹部を蹴った。」旨供述し(甲52)、その後は概ね同内容の供述をしている(甲60〜63。もっとも蹴られる際の被害者の姿勢については、右横向きに横臥(甲61)、寝転がっていた(甲62)、座っていた(甲63)と変遷している。)。

イ  上記の変遷について、夏男は、被告人から、「あきくんはテーブルから落ちて死んだことにしてね。」「パパには内緒にしてね。」などと口止めされていたため話せなかった、被告人は怖かった旨供述している(夏男尋問調書)。この点、前記のとおり、夏男は、被告人に懐いてはいたものの、家の中では、被告人のしつけをちゃんと守り、被告人の顔色を窺いながら生活していたことなどに照らすと、夏男の述べるとおり、夏男にとって被告人は怖い存在であったことが窺われることに加え、夏男の年齢や上記供述当時夏男は被告人の保護下にあったことなども考え併せると、事件直後は、被告人から口止めされていたため被告人に言われるままに供述していたものの、被告人の口止めによる束縛が次第に緩和され、事件から3か月余り経過した後、日頃より慕っている祖母からパパにも内緒にすると言われて安心して自分の記憶に基づく供述をしたことが十分考えられるのであって、時間の経過に伴う忘却・記憶の変容等も含め、その変遷理由は不自然とまではいえないというべきである。

ウ  この点、弁護人は、夏男供述の変遷理由につき、夏男は、テーブルから落ちて死ぬはずはないとの大人の会話を聞いて、事件翌日供述を変遷させたものの、なぜ秋男が死亡したのか説明できなかったことから、その後曖昧な供述を繰り返した可能性や、秋男の死亡は被告人が原因という結論を聞き出そうとしていると感じ取った夏男が、梅子の心情に沿う供述をした可能性を指摘する。しかしながら、梅子の供述(14〜22頁)によれば、平成14年2月13日、梅子の方から被告人が秋男の腹部を蹴ったのかというような趣旨の質問をしたことはなく、夏男の方から被告人が秋男の腹部を蹴ったという話しをしてきたことが認められることからすれば、秋男の死亡原因につき曖昧な供述を繰り返していた夏男が約3か月ほど経過した後、突然、後述のように本件部位の損傷状況・成傷機序と符合するような説明や合理的な供述変遷理由を考えつくとは到底思えず、弁護人の指摘するような可能性があるとは思われない。

(3)  他の証拠との整合性

夏男は、証人尋問において、本件当時の被告人、秋男及び夏男の位置関係を指で指示して説明しているところ、夏男がいたと指示する位置からは被告人及び秋男の様子を観察することが十分にでき、そこに矛盾はないうえ、前記のとおり、死体解剖結果によれば、秋男がその腹部を1回足蹴りされたことにより本件部位を損傷したとしても矛盾はないと認められるところ、夏男の供述内容は、その損傷部位、蹴った回数、成傷器・成傷機序の点において良く符合している。また、事件当日秋男が大便を漏らして被告人が怒ったことについては被告人も認めているところ、「うんこ漏らしたらママ怒って蹴った。」との夏男の供述は、この事実とも符合している。さらに、夏男の供述は、後述のように信用性の認められる梅子の供述のほか、春男の供述とも概ね整合し、これらの供述によって裏付けられている。

(4)  以上のとおり、夏男の目撃供述は、その証言録取過程、供述経過、他の証拠との整合性等に照らすと、十分信用することができる。

7  梅子の供述の信用性

(1) 梅子は、平成14年2月13日、夏男から被告人が秋男の腹部を蹴った旨聞いたと証言しており、この証言が信用できれば、夏男の証言の信用性を裏付けるものといえる。

(2) 確かに、梅子は、被告人に好意を抱いてはいないものの、事件直後の平成13年11月5日付司法警察員調書(甲51)においては、夏男が秋男の上に乗って秋男を死亡させたことを疑っているにすぎず、むしろ被告人が秋男に対し虐待を加えているとは思えない旨述べており、同年12月25日付司法警察員調書(甲52)においても、秋男の死亡を被告人の暴行と結びつけるような供述はしておらず、梅子が被告人の不利益にことさら虚偽供述をするほどの利害関係にあるとまではいえない。

加えて、梅子の供述は、夏男が梅子に対し被告人が秋男の腹部を蹴った旨打ち明けたとされる平成14年2月13日以降、捜査段階(甲53、54、56、58、59)、公判段階を通じて一貫しており、その供述内容をみても、前記のとおり信用性の認められる夏男供述のほか、春男の供述とも概ね符合しているうえ、梅子は、事件当初は夏男が秋男の腹部の上に乗ったのではないかと疑っていたため、夏男を傷つけないよう、夏男に対してなるべく事件の話しをしないよう避けていたものの、同月6日に警察官が被告人を自宅まで迎えに来て長時間取調べをしたことが非常に気に掛かり、被告人に対し、警察に呼ばれた理由を直接聞き出そうとしたが、なかなか聞く機会がないため、同月13日に夏男を連れ出して事件当日の話しを聞いた旨の供述をしているところ、その経緯は自然といえるうえ、夏男が事件当時のことについて話した際の状況についても非常に具体的な供述がなされている。このような利害関係、供述経過、他の証拠との整合性、供述内容の合理性等に照らすと、梅子供述は、その信用性を肯認することができる。

8  被告人の弁解

(1) 被告人は、捜査及び公判段階において一貫して秋男に対し意図的に腹部を足蹴りした事実はない旨供述しているので、その被告人供述の信用性について検討する。

(2) まず、既に述べたとおり、本件犯行前における秋男への暴行に関する被告人供述には不合理な変遷がみられるほか、被告人は、事件当日、子供3人を足蹴りしたことについても、平成14年2月6日付司法警察員調書(乙2)では、足蹴りしたことは認めるものの蹴った部位については覚えていない旨、同年9月3日付司法警察員調書(乙3)では、子供らのお尻の辺りを右足の内側で蹴り、子供らは前のめりに倒れたが、秋男のお腹を蹴ったことはない旨、さらに翌4日付司法警察員調書(乙5)になると、確実にお尻を蹴ったかはっきりしないし、秋男が被告人の方を振り向き、このときに秋男の腹の辺りを蹴ったかもしれないなどと供述し、その後も何ら合理的理由を述べることなく供述の変遷を繰り返している。供述内容をみても、前記信用性の認められる夏男供述と整合しないうえ、本件前の秋男の怪我に関する被告人の供述には曖昧かつ不自然な点が少なくない。

また、被告人は、事件直後、秋男がテーブルから落ちた旨夏男が述べたと供述するが、既に検討したとおり、秋男がテーブルから落ち腹部を床面に打ちつけて死亡することは起こり得ず、そのようなあり得ない供述を夏男がすること自体不自然である。さらに、被告人は、夏男から秋男が座卓に頭を突っ込むように倒れた(乙14。公判では「どーんとなった」旨)と言ったのを聞いたという趣旨の供述もしているが、その日の夜に春男が夏男に確認しても、夏男は居間の方を指さしはしたものの、詳細について尋ねると、子供部屋にいたからわからない旨答え(春男12〜16頁)、その後も曖昧な供述を繰り返していたのであって、夏男が、被告人にだけ秋男が座卓に腹部を打ちつけた旨明確に述べるというのも不自然である。加えて、前記のように、そのような態様は本件の成傷機序と整合しないのであって、この点も不合理である。

(3) むしろ、秋男が病院に搬送される救急車内において、被告人が秋男に対し、目に涙を浮かべて興奮した様子で「御免ね。御免ね。」と何度も繰り返し声をかけたという事実(甲2)からは、単に母親が子どもの受傷に気付かなかったことを詫びる意思を超え、自らの行き過ぎた暴行の結果に対する悔悟の意思の表れとも思われる。

(4) 以上のとおり、被告人の供述には、不合理な変遷や不自然な供述が多く見られ、これを信用することはできない。

9  結論

以上のとおり、被告人は事件当時春男宅にいて犯行の機会があったこと、被告人が秋男の腹部を足蹴りしたとすれば、本件における秋男の負傷・損傷状況を良く説明し得ること、本件犯行前から被告人は秋男に対し虐待を加えていたこと、事件当日も秋男に暴行を加える動機があったことなど、被告人が秋男を足蹴りしたと窺われる客観的事情が存在することに加え、これらの諸事情と符合する夏男の目撃供述があり、これらの事情から本件足蹴りの事実が推認されるところ、これを否定する被告人の供述には信用性が認められないので、結局、前記認定犯罪事実のとおり、被告人が秋男を足蹴りしたという事実を認定することができる。

(法令の適用)

被告人の行為は、行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法205条に、裁判時においてはその改正後の刑法205条に該当するが、これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条、10条により軽い行為時法の刑によることとし、その所定刑期(その長期は、前同様に前記改正前の刑法12条1項による。)の範囲内で被告人を懲役4年6月に処し、刑法21条を適用して未決勾留日数中800日をその刑に算入することとし、訴訟費用は、刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は、被告人が、内縁の夫の連れ子である3歳の幼児を足蹴りして死亡させたという痛ましい傷害致死の事案である。

まず、その動機、経緯をみるに、被害児はわずか3歳であり、従前一緒に暮らしていた母親や祖母を恋しがったり、被告人の言いつけを守れなかったりすることも無理からぬところがあるのに、懐かない被害児に不快感を募らせ、言いつけを守らず大便を漏らしたことへの苛立ちや怒りに任せて足蹴りにしたというのであって、本件犯行は短絡的かつ理不尽なものとして厳しい非難を免れない。被害児は、約2か月以上の間、抵抗することもできないまま断続的に暴行を加えられたうえ、わずか3歳という幼さでその尊い命を奪われたのであって、真に哀れというほかない。また、被害児に対し多大な愛情を注いでいた被害児の祖母や被告人に暴行を加えられ被害児が苦しむ姿を目の当たりにした被害児の兄の精神的衝撃は計り知れず、祖母が当公判廷において厳しい処罰感情を述べているのも当然であって、本件犯行の結果は重大というべきである。さらに、被告人は、被害児に対する本件足蹴りの事実やそれまでの暴行の一部を否定し、不自然な弁解に終始しているのであって真摯に反省しているとはいい難い。以上の諸事情に照らすと、被告人の刑事責任は相当重いというほかない。

しかしながら、他方、被告人は、前記認定のように、最初の結婚に失敗し、内夫の母親に嫌われ、また、近くに親戚などもおらず、周囲には親身に相談に乗ってくれる人がいない孤立無援の状況の中で内夫の優しさや約束・誠意を信じて、2歳に満たない自分の子どもを抱えながら、未だ2歳の被害児及び4歳のその兄を引き取り、以後8か月余、自分の子と区別することなく、幼児3人の育児を懸命にこなしていたこと、被害児との関係を思い悩んで内夫に相談したのに、内夫は引き取る時の約束を反故にし、育児の大変さに理解を示さず、ほとんど育児に無関心であるのみならず、知人を招いて飲食してその世話を被告人にさせたり、果ては傷害事件で逮捕され、面会や示談等で被告人に負担をかけるといった対応をしていたこと、これらの事情が被告人の心身を疲弊させ、精神的に追い詰めることになったという側面は否定し難いこと、被害児を死に至らせた暴行自体は足蹴り1回のみであること、当たった部位が多少なりともずれていれば死亡にまでは至らなかったことも窺え、その受傷の部位、角度等がたまたま肝臓の裏側に集中的に力が作用する状況であったという偶然が被害児の死亡という最悪の結果を惹起させてしまったこと、被害児に対する本件以前の暴行については、それ程ひどいものとまではいえず、現に無関心であったとはいえ同居していた内夫が全く気付かない程度のものであったこと、本件については、前述のとおり多分に偶発的な要素がみられる不幸な事件という側面も窺え、虐待を繰り返し起こるべくして起こした虐待死のような悪質な事案とは様相を異にするといえること、被告人には、まだ養育すべき幼い子供が二人おり、そのうち一人は介護も要すること、被告人には前科前歴はないこと、なお、本件においては、捜査機関が、早期に目撃者であった被害児の兄から事情聴取するなどして供述を保全しておくことを怠ったため、審理の遅延を招いたことが窺え、この点については捜査機関の対応にも問題があったと指摘せざるを得ないことなど、酌むべき事情も認められる。

そこで、これらの事情を考え併せると、被告人に対しては、主文の刑が相当と判断した。

(裁判長裁判官・廣瀬健二、裁判官・熊谷直穂 裁判官・片山隆夫は転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官・廣瀬健二)

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