横浜地方裁判所 平成14年(わ)3802号 判決 2005年3月25日
主文
被告人を懲役3年に処する。
この裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(認定犯罪事実)
被告人は、平成6年5月から川崎市<以下略>○○病院の呼吸器内科部長に就任し、医師として同病院の患者の診療等に従事していた者であるが、昭和60年ころから主治医として担当していた乙山太郎(昭和15年1月18日生)が、平成10年11月2日から気管支喘息重積発作に伴う低酸素性脳損傷で意識が回復しないまま入院し、治療中の太郎について、延命を続けることでその肉体が細菌に冒されるなどして汚れていく前に、太郎にとって異物である気道確保のため鼻から気管内に挿入されているチューブを取り去って出来る限り自然なかたちで息を引き取らせて看取りたいとの気持ちをいだき、同月16日午後6時ころ、同病院南2階病棟228号室において、太郎(当時58歳)に対し、前記気管内チューブを抜き取り呼吸確保の措置を取らなければ太郎が死亡することを認識しながら、あえてそのチューブを抜き取り、呼吸を確保する処置を取らずに死亡するのを待ったが、予期に反して、太郎が「ぜいぜい」などと音を出しながら身体を海老のように反り返らせるなどして苦しそうに見える呼吸を繰り返し、鎮静剤を多量に投与してもその呼吸を鎮めることが出来なかったことから、そのような状態を在室していた幼児を含むその家族らに見せ続けることは好ましくないと考え、このうえは、筋弛緩剤で呼吸筋を弛緩させて窒息死させようと決意し、同日午後7時ころ、事情を知らないA准看護婦(当時24歳)に命じて、注射器に詰められた非脱分極性筋弛緩薬である臭化パンクロニウム注射液(商品名「ミオブロック注射液」)3アンプル(1アンプル2ミリリットル・4ミリグラム含有)を、太郎の中心静脈に挿入されたカテーテルの点滴管の途中にある三方活栓から同静脈に注入させて、まもなくその呼吸を停止させ、同日午後7時11分ころ、同室において、太郎を呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害した。
(証拠)<省略>
(事実認定に関する補足説明)
弁護人らは、本件殺人の外形的事実のうち、太郎の鼻に挿入されていた気管内チューブを被告人が抜管したこと、判示時刻に太郎が死亡したことは認めながら、①ミオブロックは太郎の苦悶様呼吸(努力様呼吸)を沈静化させる目的で被告人が自らその注射液1アンプルを生理食塩水ボトル(100ミリリットル)に注入して希釈したうえでこれを中心静脈カテーテル(以下「CV」という。)に接続して点滴による投与をしたが数分(約4分ないし6分)後、その呼吸が落ち着いた時点で点滴を中止しているから投与量は同ボトルの4分の1から3分の1程度にとどまる、②太郎の死因はミオブロックによる呼吸筋弛緩によるものではない、③被告人は太郎の家族の要請を受けて治療行為を中断して自然な死を迎えさせようとしたのみで殺意はなかった旨主張し、被告人も公判廷において概ねこれに沿う供述をしている。
そこで、以下、当裁判所の判断を示す。
第1 認定できる事実
前掲各証拠のほか、証人Bの公判供述、被告人の司法警察員調書(乙1)、外来診療録写し(弁19)、調剤報酬明細書写し(弁20)、戸籍謄本(乙26)、全部事項証明書(弁2、3)、閉鎖登記簿謄本(弁6)、レントゲンフィルム5枚(甲66ないし68。同押号符号8、9―1、9―2、10―1、10―2)などの関係証拠によれば、以下の事実が認定することができる(なお、書証については、前同様にその番号を、証言等については供述者の姓と公判回数等を示す)。
1 被告人の経歴等
被告人は、昭和54年3月××大学医学部を卒業し、国家試験に合格して同年5月31日医師免許を受け、同大学医学部付属病院小児科で約1年、同病院第2内科で約半年、○○病院(以下「本件病院」という。)で約半年の臨床研修を経て、昭和56年5月同病院内科に就職し、昭和61年5月同病院呼吸器内科医長、平成6年5月同病院呼吸器内科部長に就任して平成14年2月28日まで同病院で勤務していた。
2 被害者の身上、経歴等(以下被害者及びその家族の姓は原則として省略する。)
乙山太郎(昭和15年1月18日生)は、川崎市内の大工の親方に弟子入りし(甲2、52等)、丙川花子(昭和16年12月17日生)と婚姻し、2男1女をもうけた(甲2、3、52等)。太郎は、型枠大工として稼働し、昭和59年ころ、川崎市<以下略>内に土地付居宅(敷地約84平方メートル、木造瓦葺2階建、総床面積約88平方メートル)を購入して家族で暮らしていた(甲3、52、弁2、3)。長男一郎が昭和60年、次男二郎が平成5年、長女秋子が平成9年それぞれ婚姻して独立したが、一郎も二郎も実家の太郎宅から徒歩約一、二分ないし約七、八分程度の所にそれぞれ居住していた(甲2、3)。一郎は、昭和55年ころから、その後二郎も、太郎の下で同じ型枠大工として働いていた(甲53等)。太郎は、平成2年型枠大工工事業等を目的とする有限会社乙山工務店を設立し自ら代表取締役に就任した(資本金150万円。平成8年3月に同300万円に増資。なお、平成13年10月に株式会社乙山建設に組織変更し一郎が代表取締役就任。弁6等)。
3 被害者の通院歴等
太郎は、昭和59年9月8日本件病院で気管支喘息と診断され、同年12月7日、川崎公害病に認定され、以後、気管支喘息の医療費等全額が川崎市負担となり、本件病院に定期的に通院するようになった(甲5、9、27、52、乙4、6等)。被告人は、同年10月9日太郎を初めて診察し、春・秋に喘息発作が悪化するアトピー性気管支喘息のため、喘息及び鼻炎の薬を処方し(甲9、乙4)、それ以降太郎を診察していたが、昭和60年ころその主治医となった(乙4)。太郎は、以降、本件病院に通院していたが、喘息を患っているという自覚に乏しく、通院時期や薬の使用についての被告人の指示に従わないことが多く、喫煙も継続し、薬がなくなったころに仕事の合間に薬をもらいに通院したり、悪化して通院したりする状況であった(乙4、6等)。なお、花子は平成10年10月10日から胃痛等で本件病院に通院し同月12日被告人の診察を受けていた(弁19)。
4 被害者入院から本件犯行前日までの病状経過等(以下、医師、看護婦等は当時の姓のみ表示し、その資格・肩書き等もすべて当時のものにより、平成10年11月、曜日の表記も適宜省略する。病状・治療措置等については、基本的に甲80、81による。)
(1) 11月2日(月) 太郎は、前日微熱があったものの、仕事が非常に忙しい時期であったことから、一郎らとともに神奈川県綾瀬市内の資材置場でマンション建設用の型枠作業をしていたが、体調が悪化して自動車内で休み、夕方には落ち着いたので午後5時30分ころ、一郎らとともに自動車2台に分乗して自宅に向け出発した(甲50、53、56、花子、二郎等)。その道中、気管支喘息の重積発作を起こし危険な状態になったが、既に首都高速道路の横浜市鶴見区生麦付近を走行しており、救急車を呼ぶより本件病院に搬送した方が早いとの一郎の判断で午後7時ころ、心肺停止状態で本件病院に搬送された(甲53等)。本件病院においてC医師らが直ちに救急治療室において、心臓マッサージなどの救命措置を行って心臓の鼓動を復活させ(甲80、53、C等)、鼻及び口から管を挿入して人工呼吸を施すなどし、左鼠径部からCVを入れ、各種薬剤を投与し、翌朝まで鎮静させることにした。一郎は、涙ながらに医師に救命を懇願して土下座するなどし、駆け付けた花子もずっと泣いて取り乱し、長女秋子も激しく泣き続けていた(甲56、58等)。太郎の蘇生を担当した医師が一郎らに「電気ショックにより心臓は動き出しました。」「それ以上のことは何とも言えません。」「お父さんは、今、必死に闘っています。」などと説明し、さらに、D医師が、太郎の状態は不安定で急変して死に至る可能性が高い、仮に今の不安定な状態を乗り切っても意識が戻る可能性は低い、意識が戻っても後遺症は必発と考えられる、出来る限りの治療は続けていくなどと説明して、カルテにその旨記入し、集中治療室(以下「ICU」という。)のF看護婦は、その記載を看護記録に書き写した(甲53、80、81、G等)。太郎は、心肺が蘇生し瞳孔も正常位に戻ったことから、意識のないまま救急治療室から南3階にあるICUに搬送された(甲59、80等)。これを見届けた一郎、一郎の妻春子、二郎、二郎の妻夏子、秋子らは、太郎方に赴き、急変時に備え待機するほか、精神的な衝撃から情緒的にも混乱している花子を気遣い、一郎及び二郎の各家族が同日夜から太郎方に寝泊まりし、昼間も春子及び夏子が花子を一人にしないようにすることとした(甲50、花子等)。
(2) 3日(火) 太郎は、2日午後10時ころから、弱い自発呼吸が戻り、3日午前3時ころには、しっかりと自発呼吸するようになり、右手を口元にもっていこうとする動作もするようになったが、苦痛様の表情で咳があり、痙攣も時々あった。太郎は、午前6時ころから、痙攣がひどくなり、血圧も上昇したことから、昇圧剤投与を減らされて鎮静剤投与を増やされるなどの処置を受けた。太郎は、午前7時ころ、その眼球が上転していたが、午前11時ころ及び午後3時ころ、名前を呼ばれて開眼したとの印象を与える動きをした。太郎の体温は、約37.5度から約38.6度に上昇したが、解熱処置を受け、午後11時ころには約37.8度になった。太郎は、午後7時ころ、痙攣もおさまったが自発呼吸がなくなり、声をかけられても反応しなくなり、看護婦がその痰を吸引したところ自発呼吸が出てきたが、しばらくすると再び自発呼吸しなくなり、午後10時ころには当直医の指示で鎮静剤の点滴投与をやめ、午後11時ころには、弱い自発呼吸をしても人工呼吸器と同調した状態になり声をかけられても反応しなかった。太郎からは、午前11時ころ、淡黄色の粘痰が引けた。太郎を診察した医師は、気管支喘息はかなり改善したものの脳の被害が大きいと認め、高濃度の酸素を供給し続けて脳の回復を図ることを考えた。一郎、花子、春子らは、ICUにいた太郎の見舞いに本件病院へ赴いたが、太郎は身体各部に管が付されて意識もなく、手を握っても握り返されることなく、声に対する反応も認めることができなかった(甲53、一郎)。医師は、見舞いに訪れた花子らに「脳障害が多く、改善するかどうかは不明です。」「喘息は良くなっております。」「状況の変化は二、三日見て下さい。」などと説明し、その内容をカルテに記入し、H看護婦は、同記載を看護記録に書き写した(甲80、81、H等)。なお、当日被告人は休日であった(甲33)。
(3) 4日(水) 太郎の体温は、約37.0度から約37.7度の間にあり、午前1時ころ、瞳孔の大きさが約4.0ミリメートルで対光反射も認められ、痰を吸引するときに咳も出て(咳嗽反射)、午前5時ころ、人工呼吸器と同調する弱い自発呼吸があり、午前11時ころ、弱い自発呼吸が認められたが開眼・上転して乳頭の刺激の反応もなく、午後3時ころ、目を開けており、午後7時ころ目を半分開いて眼球を上下させており、午後9時ころ、声をかけられて目を開こうとし、弱い自発呼吸も認められ、午後11時ころ、名前を呼ばれると目をわずかに開いた。太郎の痰は、午前1時ころ、さらさらした白色痰が増え、午前11時ころ、淡黄色粘痰があり、午後3時ころ、淡黄色の痰が増え、午後7時ころ、咯痰は少量のみとなり、午後11時ころには、痰が吸引困難な粘稠性で硬いものとなった。被告人は、平常勤務及び夜間診療担当日で、朝、内科当直日誌を見て太郎の入院を知り、2日及び3日の治療状況についてカルテを見て血圧管理、輸液管理、呼吸管理、脳浮腫対策、痙攣止めなどを確認したうえ、太郎を診察したところ、血圧等は安定して気管支喘息も落ち着いて前日より良くなっていたが、高体温であったことから脳障害を強く疑い、また、血液検査結果を見ると白血球数及び炎症反応の指標となるC反応タンパク(以下「CRP」という。)の数値がいずれも高いことから感染症の可能性も推測した(甲80、乙5)。被告人は、入院診療計画書に、病名は「気管支喘息重積発作、低酸素性脳症」、治療についてはやれる限り努力する、推定入院期間は一、二か月、今週を乗り切れば安定する可能性が高いが植物状態となる確率が大きいなどと記入し、午後3時ころ、見舞いに訪れた花子、春子、一郎らに会い(被告人の前記診療を受けていた花子以外は初対面)、太郎を十数年間診てきたと自己紹介したうえ、入院診療計画書を渡して太郎の病状等を説明するとともに一郎らから太郎が倒れて本件病院に搬送されるまでの経緯について説明を受け、さらに、このとき、9割9分は植物状態になる、この数日はまだ急激な血圧低下の可能性がある、今は祈るしかない、意識を回復させるためにできるだけ声をかけて欲しい、ある程度安定期になれば状態が変わらなくても寝たきりのまま自宅でみてもらうことになるかもしれない旨説明し、これら説明内容と家族から聞いた内容に「大変残念だが仕事一途なことが災いした、救急車を呼ぶことも拒否していたとのことで仕方ない」などと自分の心情を交えた要旨をカルテに記入し、I看護婦がその記載を看護記録のムンテラ内容欄に記入した(甲36、80、81、G、花子、春子、一郎、乙5、7、被告人19回、同21回等)。一郎らは、9割9分植物状態になるとの説明に激しい精神的衝撃を受け、特に花子はショックで頭が真っ白になったが、被告人が十数年間太郎を診てきたと聞き、被告人に任せておけば大丈夫という気持ちになった(花子、春子、一郎等)。被告人は、花子らと話しをして自ら積極的に話をしてくるタイプではないと感じた(乙7)。被告人は、太郎に供給する酸素濃度を午後3時30分ころから約60パーセントから約50パーセントに減らした。
(4) 5日(木) 太郎の体温は、約37.5度から39.7度の範囲であった。太郎は、午前3時ころ、痰吸引時に咳嗽反射があり、瞬きをしており、弱い睫毛反射(睫に触れると目がぴくぴくする反応)も認められ、午前7時ころ、口腔ケア時に首をわずかに振る動作が認められたが、血圧が170ないし180台と高めであり、午前11時ころ、目を開けて正面を向いており、血圧が190/80に上がり、体温も高めで、午後3時ころ、被告人の指示で緊急解熱剤を投与され、その家族の面会中・面会後もずっと目を開けたままで促されても閉じず、握手を求められると僅かに手の動きがあり、口を少しもごもごさせた。午後5時ころ、体温が少し下がり、午後8時ころ、体温が再び上昇し、痰吸引時に咳嗽反射があり顔をしかめる動きが認められ自発呼吸もしっかりできていて人工呼吸器と同調していたが、午後10時ころ、自発呼吸が強くなって人工呼吸器とファイティングが生じて心拍も140に上昇し、痰も十分に引けなかったことから、D医師の指示により、肺理学療法、痰吸引及びステロイド剤静脈注射が行われた後に鎮静剤が静脈注射され、午後10時30分ころから鎮静剤の点滴が再開された。午後11時ころ、体温が上昇したため医師の指示で緊急解熱剤が用いられた。太郎の痰は、午前1時ころ、多量吸引され、午前11時ころ、強い粘痰で吸引困難なことから生理食塩水を用いて吸引され、午後1時ころ、体位交換時に鼻・口腔から粘稠でどろどろしたものが多量に出た。花子及び春子は、午後3時ころ、ICUにいる太郎を約10分間見舞った(甲80、花子、春子等)。J看護婦は、日勤であったが、花子が、太郎の病状について医師の説明で納得している、不明なことは今のところない、金銭面で少し心配であると言ったのを、自ら直接聞いたか、被告人を含む他の者を経て知り、その旨看護記録に記入し、さらに同じく日勤のF看護婦は、J看護婦あるいは被告人から説明を受け、その下部に、今のままの状態では家族で介護する余裕がない旨記入した(甲36、81、G、K等)。被告人は、平常勤務及び夜間診療担当日で午前中太郎を診察し、自発呼吸が少し出て来たので人工呼吸器から離脱する準備として1回換気量をそれまでより減らし、ある程度生命的には乗り切れそうであると考えたもののその先の回復については厳しいなどと思い、その旨カルテに記入し、午後2時ころから午後7時ころまで外来を担当し、花子らと直接話をする機会はなかった(甲80、被告人19回等)。
(5) 6日(金) 太郎の体温は、約39.2度から約36.8度の間を上下した。太郎は、午前7時ころ、目を開いているが反応はなく、白色の痰はあったが喘鳴はなく、午前11時ころ、唾液の流出が多く、白色粘痰を吸引したときに一時的に心拍が150台まで上昇したがすぐに100台に戻り、午後2時ころ、気管内チューブを挿管したまま人工呼吸器を離脱してインスピロン(酸素濃度の設定ができ加湿器具を備えている装置)につないで空気を送り込む治療に変更され、午後3時ころ、体温が上昇したため解熱剤を投与され、午後4時ころ、体温がやや下がり発汗があり、午後5時ころ、気管内チューブが痰によって閉塞気味でSPO2(動脈血ヘモグロビン酸素飽和度の測定数値)が89%に低下したが、痰を多く吸引されて同96%に回復し、午後7時ころ、痰が絡み白色ないし白黄色の痰が多量に出、口腔内からは唾液も出て、尿に潜血が認められ、自発呼吸はあるが、刺激に反応はなく、午後9時ころ、痰が絡むのは減少したが、痰の量は多く、午後11時ころ、痰が多量に出た。被告人は、平常勤務日で太郎の自発呼吸が良好と認められたので、午前中外来を担当した後、午後1時30分ころから、その呼吸回数を少しずつ減らして様子を見たうえ、午後2時ころ、人工呼吸器を外して前記インスピロンに変更し、四肢硬直を防ぐため手足を引き伸ばすようなリハビリテーションを理学療法士に指示した(甲33、80、乙5、被告人19回等)。被告人は、太郎の血液検査の結果を見て、肝障害等の指標の数値がいずれも上昇しているのは筋肉注射が原因と思い、CRPの数値が高めで白色痰もあったので抗生剤投与を考えた。花子及び春子は、午後3時ころ、ICUにいる太郎を約10分間見舞った(花子、春子等)。
(6) 7日(土) 太郎の体温は、約38.2度から約36.8度の間であった。太郎は、午前1時ころ、体位交換された後に痰が増え、午前3時ころ、淡黄色の粘痰が出て、午前5時ころ、痰が多く出て、午前11時ころ、浅めの自発呼吸が規則正しくあり、痰吸引時に咳嗽反射があったが苦痛様表情はみられず、黄色粘痰が鼻腔から吸引され、吸引を多く実施したところ肺雑音は低下し、午後4時30分ころ、軟膏を塗り、痰はかたく黄色ないし黄緑色のものが少量ずつあり、痰吸引時に咳嗽反射があったが午前より弱めで、午後7時ころ、黄色痰を多量に吸引し、午後11時ころ、体位交換されることで痰を上昇させることに成功した。なお、被告人は休みであり(甲33)、花子及び春子は、午後3時ころ、ICUにいる太郎を約10分間見舞った(甲80、花子、春子等)。
(7) 8日(日) 太郎の体温は、約37.1度から約38.1度の間であった。太郎は、午前1時ころ、白色の痰が出て、午前3時ころ、吸引したが痰をほとんど吸引できず、午前5時ころ、痰を吸引するためのチューブを気管内に挿入したとき咳嗽反射があり、多量の白色痰が吸引され、痛覚・冷感の反応がなく、体温が上昇しているため氷枕を交換し、午前8時ころ、体に触れると目を開け、口腔ケア時も少し抵抗するような動作がみられたが、眼球の動き、睫毛反射等はみられなかった。被告人は、日直勤務日で太郎を診察し、高熱も出なくなってきたと認めたが、その瞼を開閉させても反応はなく、四肢の硬直も強かったことから、脳の回復を期待することはできないと考え、その旨カルテに記入した。被告人は、日曜日の日直勤務で詳しく説明可能である旨事前に伝えておいたことから、午後3時ころ、太郎の見舞いに来た花子、春子、一郎及び二郎と話をした(甲33、花子、春子、乙5等)。被告人は、このとき、太郎の脳障害が現代の医療で手の施しようのない状態であり、色々な合併症を乗り越えて一番良い形になったとしても栄養を入れるだけで人間的反応のない寝たきり状態になって退院し自宅介護になる可能性が高いと考え、このような場合には、その家族の自宅介護に対する意欲があるか否かを重視して治療方針を決定すべきであると考えるとともに、患者には挿管された気管内チューブを異物として取り去りたいという本能がある、点滴量を自然に減らしていくことが患者の体にあっている、意識がなくなった患者に点滴だけしていれば生きられるという状態でつながれて生き続けることはその患者にとって被害であるなどと思っていた(乙8、9、被告人27回、同28回等)。そこで被告人は、花子らに、太郎の病状について、「9割9分9厘は脳死状態でしょう。」「自発呼吸は安定しており人工呼吸器もはずれました。」「生命的には落ち着いてきました。」「挿管チューブもはずしたいですが、まだ痰があり、舌根沈下もあり得るのでもう二、三日は入れておきます。」「今挿入している管は人間にとって異物です。徐々に医療機器を外していくことが人間にとって良いことです。そういう方向で治療を進めていきたいと思います。」「抜管した後で呼吸が悪化した場合に再挿管は行わない方向ですが…。」「9日月曜日から高気圧酸素療法を予定していますがあまり期待はできません。」「最悪の植物状態となって安定すれば一旦退院方向もあり得ます。」「昔は、ずっと最後まで診てあげることもできたのに、今の医療制度では、それは難しくなりました。」「置いてあげたい人は、いっぱいいるけど、乙山さん一人を特別扱いするわけにはいきません。」「病状が安定すれば、意識障害というだけで、いつまでも病院に置いてあげるわけにはいかないんですよ。」などと説明した(甲80、二郎、乙5、8等)。しかし、花子は、被告人から太郎について9分9厘脳死状態と言われて頭が真っ白になって、以後の被告人の説明は頭に入らなかった(花子等)。二郎らは、太郎が厳しい状態の中で頑張っているので時間をかけてでも諦めずに面倒を見て欲しい旨口々に言った(二郎等)。被告人は、「肉体的に残っていて欲しいという皆さんの気持ちは大変よくわかりますが、今の状態での乙山さんを見ていて、乙山さんの立場にも立って考えてあげて欲しいと思います。」などと言った(被告人19回、同27回等)。被告人は、このとき、花子らに対し、抜管した場合にどうなるか、人工呼吸器を付けない場合にどうなるかなどの説明は花子らが分かっていると思ったのでしなかった(乙5、8等)。被告人は、花子の動作がてきぱきしておらず花子一人で太郎を自宅介護するのは難しいだろう、花子ら家族は皆太郎を介護したいという強い意欲を持っていないと感じていた(乙7、9等)。
この被告人の説明について、8日のことと特定可能な供述をしているのは花子及び二郎のみであり、花子は99パーセント回復が難しい旨被告人から言われてパニック状態に陥り、被告人の説明を記憶していないというので、二郎の供述内容を以下検討する。二郎は、被告人から9分9厘脳死状態と言われたことに対し、1パーセントの望みに懸けて欲しい旨頼んだことが印象に残っている、被告人から、挿入されている管は人間にとって異物であり徐々に医療機器を外していくことが人間にとって良いことであるから、そういう方向で治療を進めていきたいなどと聞いた、このとき状態が悪くなっても再挿管しないとか延命措置をしないなどの検討を促されたことはない、この時、皆諦めずに面倒をみていきたいなどとそれぞれ口にしており諦めた者は誰もいなかったなどと供述している。二郎は、被告人と会ったのが脳死状態と言われた日及び16日の2回のみであるとも供述しており、他の時との混同等のおそれは比較的少ないと窺えること、その供述内容自体、6日前に突然倒れた父親を思う家族の心境として自然であることなどに照らすと、その信用性は肯認できる。これに対し、被告人は、呼吸状態悪化時に人工呼吸器を付けなくてよいかなど尋ねて「それでいいです。」と言われて了承を得たなどと供述している。しかし、被告人はその了承の範囲について、警察官には、人工呼吸器に限定して供述しながら(乙5)、検察官には、人工呼吸器を接続するような延命措置とやや範囲を拡大させて供述していること(乙8)、人工呼吸器を付けないと太郎が死亡することを家族が当然知っているだろうと決め付けて、この点を説明しないまま家族の了承を得たと理解した旨の供述はそれ自体不自然であること、人工呼吸器を再度付けないなどという重要な方針について家族の了承を得たというのであれば、その旨カルテに記入すべきであるのにそのような記載が認められず、看護記録にも8日の出来事として記載がないこと、その不記入の理由について、警察官に、書かなくてもICUの看護婦は暗黙の了解でわかっていた旨供述したが(乙5)、検察官には、「再挿管を行わない方向」との記入から人工呼吸器を付けない了承があることが当然の前提である旨供述を変遷させ(乙8)、その変遷の合理的理由も述べていないこと、ムンテラ内容という項目内で「抜管したあと呼吸悪化したときに再挿管は行わない方向であるが…」と記入している意味について、被告人は、これを一つの方法と例示して検討を促した意味である旨検察官に供述していること(乙8)、被告人は、第19回公判において、植物状態の意味を脳幹部と脳皮質に分けて説明した旨供述しているが、捜査段階では8日について、そのような供述はしておらず(ただし、乙7で4日に気管支喘息の重積発作の恐ろしさや脳障害が起こる機序を説明したはずと供述し、公判(被告人21回)でも4日に脳死の意味を説明した旨供述している。)、その細部に供述の変遷も認められることなどから、その信用性は乏しい。したがって、客観的な関係証拠に、概ね符合すると認められる二郎の供述によって認定するのが相当である。
(8) 9日(月) 太郎の体温は、約39.3度から約36.8度の間であった。被告人は、集中治療経過表への記入を通じ太郎の血圧等の検査1日4回を1日3回に減らすよう看護師に指示した。太郎は、午前3時ころ、サラサラ淡黄色の痰を吸引され、午前7時ころ、呼吸が安定し、意識レベルはJCS(日本式昏睡尺度)200ないし300(200は手足を少し動かしたり顔をしかめる、300は痛み刺激に全く反応しない。)と認められ、午前11時ころ、規則的な呼吸リズムだが時折深呼吸様の呼吸があり、咳嗽が時折あり、午後3時ころ、呼吸が1分間に二、三回で1回10ないし15秒間で、チェーン・ストークス型呼吸(浅い呼吸から次第に深い呼吸となり再び浅くなって15〜40秒の無呼吸期に移行するという周期を比較的規則的に繰り返すもの)であり、気管内チューブが挿管された鼻腔に生じた痰を処置し、午後6時ころ、刺激による反射からか口腔ケア時に左上肢運動がみられ、午後7時ころ、呼吸リズムは整っているが、時々10ないし20秒間の無呼吸が認められ、白黄色でサラサラの痰の上昇があり、咳嗽で心拍が140台になったが痰吸引されると落ち着き、午後11時ころ、白黄色で汚い色のサラサラした多量の痰が吸引された。被告人は、平常勤務日で、太郎を診察したが、特に変化はなく、呼吸は安定して反射様の動きが時々あったが尿が出過ぎと考え、これらについてカルテに記入した。また、被告人は、高気圧酸素療法を翌10日から4回の予定で実施することにした。花子及び春子は、午後3時ころ、ICUにいる太郎を約10分間見舞った(甲80、花子、春子等)。花子は、もともと精神的に線が細く、2日以後、見舞いに訪れて太郎の顔を見る度に死んでしまうのではないかなどとの不安から毎回涙を流しているような状態にあったが、前日被告人から「9分9厘脳死状態」と言われたショックで一層精神的衝撃を受けて不安症状が増悪しており、その様子に気付いたICUの看護婦から斡旋を受け、内科外来室で被告人の診察を受け、太郎の急変による不眠のため、抗うつ剤及び睡眠導入薬2週間分の処方を受けた(弁19、20、花子、B、被告人27回、同28回等)。
(9) 10日(火) 太郎の体温は、約37.6度から約38.8度であった。太郎は、午前1時ころ、痰吸引時の咳嗽反射がなく、午前3時ころ、痰をあまり吸引されなかったが、吸入療法後、多くの痰を吸引され、咳嗽反射があり、午前7時ころ、意識レベルは変わらず、痙攣はなく、呼吸は規則的で無呼吸はなく、午前11時ころ、しゃっくりのような呼吸があり、意識レベルに変化はなく、午後2時29分ころから午後4時ころまで高気圧酸素療法を受け、午後4時ころ、瞳孔散大気味、呼吸も不規則で約10ないし12秒間の無呼吸があり、痙攣発作はなく、午後7時ころ、瞳孔散大気味でチェーン・ストークス様の呼吸が認められ、無呼吸が約10ないし12秒間あり、午後8時ころ、しゃっくりのような呼吸があり、意識レベルに変化はなく、午後9時ころ、呼吸が不規則で無呼吸も時々あったがしゃっくりのようなものはなく、午後11時ころ、呼吸が不規則で無呼吸も約10秒間あったがしゃっくりのようなものはなく、自力での咳嗽があり、痰を吸引された。被告人は、午前中は**総合病院、午後は※※診療所勤務で上記高気圧酸素療法には立ち会わなかった(甲33、乙10等)。花子及び春子は、午後3時ころ、ICUにいる太郎を約10分間見舞った(甲80、花子、春子等)。
(10) 11日(水) 太郎の体温は、約38.3度から約36.5度の間であった。太郎は、午前1時ころ、痰を吸引された後にしゃっくりのような呼吸があり、痰が多く、午前3時ころ、痰を少量ずつ頻回吸引され、午前6時ころ、無呼吸が約5秒ないし10秒間あったが、痙攣・喘鳴はなく、午前8時30分ころからインスピロンの酸素設定量を15リットルから10リットルに減らされ、午前9時57分ころから午前10時26分ころまで高気圧酸素療法を受けたがしゃっくりか痙攣のような症状が出て治まらないため中止となり、午前10時45分ころ、しゃっくりのような呼吸があり、対光・睫毛反射はなかったが、枕をはずしたり痰吸引時に時折頭を動かすなどがあり、午後3時ころ、気管内チューブを交換され、チューブ交換後のSPO2は99%であり、午後5時ころ、1分間に二、三回のしゃっくりのような呼吸があり、SPO2の低下はなく、左肺の拡張が弱めであり、午後7時ころ、しゃっくりのような呼吸は続いており、呼吸は規則的であり、午後11時ころ、痰上昇が多く、黄色の痰を多量に吸引された。被告人は、平常勤務・夜間診療日で、太郎の高気圧酸素療法には立ち会わなかったが中止になったことを知り、万に一つの可能性を期待したもので、実施中に痰詰まりなどで致命的になる例もあり、そのような危険を冒してまで続ける意味はないと考えて同療法を打ち切ることに決め、太郎を診察し、やや失調性の不安定な呼吸になっていると認め、前日の血液検査の結果でCRPが18.8まで上昇していることから、それが原因ではないかと疑い、レントゲン写真を見てその左側下葉に無気肺を認め、痰も白いのを確認した(甲33、80、乙5、10ないし12、被告人19回)。被告人は、午後3時ころ、太郎の気管内チューブが交換時期であったことに加え、状況から難しいと予想されるとはいえ抜管して呼吸が安定するなら抜管したままの状態にしたいという期待をいだき、同チューブを抜き取ったが、すぐに呼吸が低下したので新しい同チューブを再挿管した(乙5、11、被告人19回等)。被告人は、再挿管せざるを得なかったことを残念に思い、その旨カルテに記入した(甲80等)。花子及び春子は、午後3時ころ、ICUにいる太郎を約10分間見舞い、上記抜管から再挿管までの処置(その後の作業等を含む。)の全部又は一部に同席し、被告人から気管内チューブに関する話を聞かされたが、春子は気管内チューブを抜管後、太郎が苦しくなって再挿管したという説明は理解できたものの、その余については、花子らは話を聞き取れず、あるいは意味内容を理解できなかった(甲80、花子、春子等)。被告人は、このとき、花子が太郎の姿を見て涙を流しながら「可哀想で見ていられない。」などと口にしたのを聞き、その言葉及び花子らの雰囲気等から、花子らが太郎の死を迎える覚悟を決めつつあり太郎の延命について消極的な方向で考えていると受け取り、このまま太郎を延命させ続けて細菌に冒されて痰の色が変わるなどする前に、自然な死を迎えさせたいとの思いを強め、延命治療を控えていく方向でそのような死を迎える方針を決め、カルテに「あまり汚れないうちに終わりにしてあげたい」などと記入した(花子、乙5、被告人19回等)。H看護婦は、同カルテの記載を看護記録に書き写した(甲81、H等)。
この日の被告人の家族に対する説明について、花子は、そもそも被告人の抜管・再挿管の場面に立ち会ったことはなく、抜管したという説明を受けたか否かも記憶にない旨供述しているが、花子が見舞う度に涙を流して細部の記憶に曖昧な部分があることは明らかであり、花子が立ち会ったか否かはその供述のみでは明確ではない。春子は、時期不詳ながら被告人から気管内チューブを抜管して被害者が苦しくなり再挿管した旨聞いたことがあるが、その説明は簡単なものにすぎなかったと供述している。これに対し、被告人は、抜管・再挿管時に花子が見ていたと一貫して供述している(乙5、11、被告人19回)。花子らの立会については、抜管の時間と花子及び春子が見舞いに来る時間は概ね一致しており、気管内チューブに関する話題が出ても不自然ではないから、被告人が気管内チューブについて説明したことが窺えるが(春子の供述も直後に同席したと考えれば矛盾がない。)、他方、抜管から再挿管までの前後立ち会ってそのチューブの意味について十分に説明を受けていれば、「管を入れたままにしておくと手足が曲がる」などという誤解が生じるはずはなく(春子、花子等参照)、被告人の検察官に対する供述(乙11)にあるとおり、被告人が抜管して再挿管する間の全部又は一部同席した可能性はあるものの、花子及び春子に意味内容が十分に伝わるようなやりとりがあったとまでは認め難い。そうすると、その抜管から再挿管までの間(その一部)に花子及び春子が同席し、被告人自身は気管内チューブの意味について説明したつもりであったが、花子らには十分に理解されていなかったところ、カルテに記載されているとおり被告人が、その意味を花子及び春子が理解した旨認識していたものと認めるのが相当である。
また、カルテの「あまり汚れないうちに終わりにしてあげたい」という記載の意味について、被告人は、警察官には、花子から「苦しそうな姿を見ているのが辛い」と言われたことから延命治療の中止を決め、カルテに「あまり汚れないうちに…」と記入した旨供述していたが(乙5)、検察官には、カルテの「覚悟を決められつつある」との記載の意味は記憶していないがそのような趣旨のことを聞いたと思う、「あまり汚れないうちに…」は自分の心情を記入した旨供述して延命治療中止に明確に言及しておらず(乙12)、公判では、花子の消極的な雰囲気を感じ取り「覚悟を決められつつある」と記入したとするのみで延命治療中止について明確に供述していない(被告人19回)。わざわざカルテに「残念ながら」と記入していることからも、被告人が抜管したいという希望を持っていたことが窺え、前述のように、延命治療中止を決定した旨警察官に明確に供述していること(乙5)、気持ちとして「…終わりにしてあげたい」と記入したことまでは自認しており、12日に一般病棟の「お看取り部屋」としていた本件病室に移動させていることなどと併せ考えれば、この時点で被告人が主体的に延命治療中止の方向を考えるとともに、それが花子の意向に合致していると片面的に認識していたものと窺うことができる。
(11) 12日(木) 太郎の体温は、約37.1度から約38.8度の間であった。太郎は、午前1時ころ、多量の痰を吸引され、午前3時ころ、しゃっくり様の呼吸で心拍数の上下があり、午前5時ころ、吸引を何度も実施され多量の白色痰を吸引され、対光反射及び睫毛反射はなく、午前11時ころ、対光反射及び睫毛反射はなく、意識レベルはJCS200ないし300で、痰が多いが痙攣はなく、そのころ、ICUから南2階病棟228号室(以下「本件病室」という。)に移動され、午後3時ころ、体温の上昇が著しく、対光反射及び睫毛反射はなく、痰絡みはなく、両肺でグーグー音がしていて空気の入り具合はまあまあと認められ、腹部の動きは弱く、四肢に冷感がなく、白色痰があり、午後7時ころ、意識レベルは変わらず、瞳孔散大が悪化し、両肺でグーグー音がしており、痰絡みはなく、インスピロンの酸素設定量を減らされ、痙攣はなかった(甲80、L、K等)。被告人は、平常勤務・夜間診療日で、太郎を診察し、呼吸が不安定なのはしゃっくりのためかと推測し、鼻腔からの出血があり痰も多いと認めた(甲33、80)。被告人は、太郎の血圧等が安定して人工呼吸器がはずれたことなどに加え、前記のとおり花子らが太郎の延命について消極的な方向で考えていると受け止めていたため、延命治療を控え、前記自然な死を迎えさせる方針を決めたこと、ICUでは家族の面会に制限があることなどから、「お看取り部屋」として使用されていた南2階病棟の個室(同病棟は当時約50床中個室は2室しかなく癌患者が多いこともありその個室を差額なしで「お看取り部屋」として使用し患者死亡毎に次の患者を入れる運用をしていた。被告人19回28頁)に太郎を移すことを決め、本件病室(228号室)が空いたことから、午前11時ころ、前記のとおり太郎が移り、その旨報告を受けた(乙5、13、被告人19回等)。被告人は、さらに、13日から16日までの点滴・注射の輸液量を減らし、気管支拡張剤・抗生剤等を投与する、血圧等は1日3回検査を2回検査とする、「DNR」(Do Not Resuscitateの略。乙13)などと指示箋に記入して同病棟看護婦に交付し、インスピロンの酸素設定量を減らし、カルテにも輸液を減らしていく旨記入した。花子及び春子は、午後3時ころ、太郎を見舞おうとICUを訪れたところ、看護婦あるいは被告人から自分で呼吸できるようになったことなどから一般病棟に移った旨聞き、少しは良くなっているのだと喜びながら案内されて本件病室に赴き、約30分ないし60分間見舞ったが、その手をさするなどして「お父さん、目を覚まして」「仕事はどうするのよ」などと話しかけたが何の反応もなかった(花子、春子等)。一郎及び二郎は、太郎が倒れて以後も、当時受注していた工事の元請会社から工期(当時2週間刻みの工程で1日の中止でも信用問題となり得た。)を守ることができないなら業者を変更するなどと言われていたことから、太郎が一般病棟に移ったと聞いて快復に向かっていると思い、いつでも行くことができるという気持ち、有限会社乙山工務店の実質的責任者等として尽力する必要性、太郎が抜けたことによる仕事の疲労の蓄積などから、後記16日まで太郎を見舞わなかった(一郎、二郎等)。
なお、被告人が、12日作成の13日以後の指示箋に「DNR」と記入しDNRの方針を南2階病棟看護婦及び当直医等に周知させようとした事実が認められるが、花子らは、家族としてこのような了承の事実を否定する供述をしている。この点、被告人は、警察官には、8日に人工呼吸器を付けない方針を息子が了承したという前提でICUの看護婦は皆知っていたが、一般病棟の看護婦は知らないことから、悪化したときに心肺蘇生をしないという意味で「DNR」と指示箋に記入して方針を知らせようとした旨供述し(乙5)、検察官にも、急変時に心肺蘇生措置を行わず自然に死を迎えるのに任せるというナチュラルコースと同義の意味で「DNR」と記入したと述べ(乙13)、公判では(27回)、人工呼吸器を付けないこと及び家族が急変時に間に合わない場合に心臓マッサージ等を行わないとする了承を得たなどとしているが、これに沿う記載がなされているので、被告人の意図ないし認識がそのようなものであり、これが看護婦らにも伝えられていたことが認められる。被告人としては、花子らが太郎の死を迎える覚悟を決めつつあり太郎の延命について消極的な方向で考えていると受け取って、延命治療を控えていく方向でそのような死を迎える方針を決めたのであり、本件病室(お看取り部屋)に入ったのを機にその方針を「DNR」という表記で周知させることは自然なことといえる。被告人(19回)は、8日に人工呼吸器を付けない方針を決め、いつでも誰でも面会できる一般病棟に移す方針を病棟の婦長と話し合って決めたと言っているが、この点も延命治療の中止の方向性と矛盾するものではない。しかしながら、同時に、適切かつ十分な説明がなされていなかったため家族らがそのような方針をきちんと理解していなかったこともその後の家族らの対応等に照らし明らかであるから、この点の花子らの供述の信用性も肯認できる。
(12) 13日(金) 太郎の体温は、約37.9度から約38.5度の間であった。太郎は、午前1時ころ、意識レベルに変化はなく、痰がらみもなく、粘稠痰をずるずる吸引されたところ旧血性血液の混入が認められた。午前3時ころ、痰絡みはなく、白色粘稠痰は少なく、痙攣もなく、午前5時ころ、対光反射及び睫毛反射はなく、末梢温暖でチアノーゼはなく、SPO2が94パーセントあったが、肺への空気の入り具合はまずまずと認められ、午前11時15分ころ、意識レベルはJCS300で、睫毛反射はなく、瞳孔は散大しており、両肺がグーグー音を出していたが、痰絡みや痙攣はなく、SPO2は96パーセントであり、午後1時30分ころ、名前を呼ばれても反応はなく、睫毛反射もなく、体位交換したところ痰が上昇し、痰吸引時に苦痛様の表情があり涙を流し、緑色粘稠痰が多量に吸引され、JCS200ないし300であり、午後7時ころ、透明の水様の痰を多量に吸引され、名前を呼ばれても反応はなく痛覚もなく、午後11時ころ、当直医の指示で解熱剤座薬を挿入された。被告人は、平常勤務日で、太郎を診察し、その呼吸状態が安定しており、体温も37度ないし38度で痰も多くないことから、もう少しこのままの状態が続くと考え、その旨カルテに記入した(甲33、80)。花子及び春子は、午後3時ころ、太郎を見舞おうと本件病室を訪れ、このとき、一部M看護婦の立会いのもと、被告人の話を聞く機会があった(花子、春子、M)。被告人は、花子らに対し、点滴量を減らしていく方向であると告げたうえ、花子らが気管内チューブを抜管すれば太郎は生きていけないことを理解していると思い込んでいたことから、これを前提に花子らに対し、気管内チューブを挿管したまま延命させることの弊害として、手足の関節が硬縮する、ばい菌に冒されて痰が汚れるなどと説明して、太郎に挿入された気管内チューブを家族が集まったときに抜管したい旨提案し、集まることができる日を相談して決めて欲しい旨言った。花子らは、気管内チューブそれ自体も良く分からず、被告人の言う抜管をした場合に太郎が死に至ることも理解しておらず、その説明を、気管内チューブを挿入していること自体で手足が曲がり菌が入るなどと誤解して抜管を治療のための行為として理解し、一般病棟に移ったのを機に家族を集めて何か説明をするのか、他の治療法を検討するのかなどと推測しながら、被告人を主治医として信頼していたことなどから特に説明を求めることはせず、家族で相談して後に連絡する旨返答した(花子、春子、乙12等)。被告人は、花子らが特に異論を述べなかったこと及びこのときの花子らの雰囲気から、花子らが抜管して看取る方針を了承したものと理解するとともに、抜管の話を持ち帰って皆で相談のうえ家族全員が集まれば、その時点で家族の了承も得られたとして抜管して看取ることにした。M看護婦は、花子及び春子が、被告人の話を聞いていて、太郎の快復を諦めた様子だと感じ、立ち会っていない場面は被告人から花子らが「ナチュラルコース」の意向である旨聞き、その内容の詳細を確認しないまま看護記録に記入した(甲81、M等)。花子及び春子は、花子方に帰宅後、夏子、仕事から戻った一郎及び二郎に、抜管しないと菌が体内に入り手足が曲がるなどの弊害があるから抜管するので、家族が集まれる日を決めて欲しい旨被告人から言われたことを説明した。一郎から管を抜くだけで集まる理由はないなどと言われたものの、春子が、病状等を説明するのではないかと言い、花子が、主治医から言われた以上行くしかない旨言ったことから一郎も異論を唱えず、16日に一郎、二郎が通常より早めに仕事を終えて夕方ころ本件病院に赴くことに決めた(花子、春子、一郎、夏子、二郎等)。
以上の点につき、花子及び春子は、前記「ナチュラルコース」の了承等を否定する供述をする一方(春子、花子等)、病室前廊下付近で、被告人から、気管内チューブを長い間挿入したままにしておくとばい菌が入って手足が曲がるので一度抜管したいから家族が集まることができる日を相談して欲しいと言われ、家族で相談し、翌14日午後3時過ぎころ見舞いに赴いた際に看護師に16日夕方なら集まれる旨伝言を依頼したなどと供述している(春子、花子等)。春子の供述については、抜管の理由・検討時期等について家族らの供述が概ね符合していること、看護記録の14日午後3時欄に家族のムンテラ希望という形で整合的な記載がされていること(甲81)などから、花子及び春子の供述は、話のあった場所や抜管目的等の詳細の正確性は格別、一応の裏付けがあるといえる。これに対し、被告人は、警察官には、13日について輸液を少し減らしたほか治療方針に変更はない旨供述していたが(乙5)、検察官には、記憶にあるわけではないと前置きしながら、看護記録の記載から、急変時に自然に看取るナチュラルコースの了承を得て点滴を少しずつ減らす旨話したと供述し(乙13)、公判では(19回)、午後3時30分以後、南2階病棟ナースステーションのテーブルで急変時に心臓マッサージ等をした方がよいか尋ねると「もう覚悟はできているので、しなくて結構です。」と答えた旨、ナチュラルコースとは更なる延命処置をしないで自然にみていくことだが、太郎の場合は人工呼吸器等は使用せず点滴も少し減らして自然な死をお迎えできるようにみていく意味である旨(27回)それぞれ供述している。これら供述経過は、看護記録にある家族があきらめた様子でナチュラルコースであるという記載に沿うものであるところ、これを記入したMは、記載からの推測で「あきらめた様子で」との記載は医師からの伝聞ではなく自ら立ち会ったのだと思う、点滴を減らす「方向」との記載は医師が話したことを記入したのだと思う、意識不明の患者の点滴を暫時減らしていくことは「DNR」や「ナチュラルコース」の範囲に普段は入らず家族の了承を得て行うとしても特異であり死に直接つながる態様ではない、ICUの点滴量と13日ないし16日分、17日及び18日分の被告人の各指示箋に記載された量を対比すると被害者は元気がなくなっていき死亡することになると思うなどと供述しており、被告人の供述に整合するともいえる。11日の時点で、被告人が、このまま被害者を延命させ続けて細菌に冒されて痰の色が変わるなどに至る前に(前記「あまり汚れないうちに」とのカルテの記載参照)、延命治療を控えていく方向でそのような自然な死を迎える方針を決めていたうえ、抜管のために家族を集めることを提案し、現に抜管して被害者に死を迎えさせていることから、被告人はこの時点で家族が集まったときに抜管して被害者を看取る決意をしていたと推認できる。他方、花子らが聞いたという気管内チューブの弊害の点は、延命措置の継続により手足の関節が硬縮する、ばい菌に冒されて痰が汚れるなどしていくという弊害(乙15等)と符合すること、花子らがこの日の被告人の意図を理解せずに誤解していることなどから、11日の時点でも被告人とのやりとりの内容を十分理解できていなかったものと認められる。しかし、被告人は、気管内チューブがなければ生きられないということを当然花子らが理解していると思っていた(乙8)というのであるから、抜管したいという表現を用いれば看取ることと同義のものとして伝わったと考えることもまた不自然ではない。花子が被告人への信頼等からこのとき特に質問もせず(花子)、春子も特に質問したとも窺えないことから、前記自己の方針に花子らの黙示の賛同を得たと被告人が理解したとしても不自然ではない(なお、家族が皆で相談して日を決めて欲しいという発言も家族で看取る方針で意思統一する前提のものと窺える。)。
(13) 14日(土) 太郎の体温は、約39.1度から約36.7度の間で、SPO2は99パーセントであった。太郎は、午後0時20分ころ及び午後4時20分ころに解熱剤を投与された。太郎は、午前6時ころ、痰の上昇があり、挿管チューブ及び口腔内から粘稠痰を多量に吸引された後は肺への空気の入り具合はまずまずと認められ、睫毛反射及び痛感はなく、筋肉の緊張もなく、午前11時ころ、意識レベルに変化はなく、痰の上昇が多く、インスピロンにつながるチューブ内に緑色の粘痰があったので吸引され、肺雑音はなく肺への空気の入り具合もまあまあで、午後3時ころ、痰絡みがあり、口腔からも気管からも古血から新血が混ざった痰を吸引され、肺雑音はなく肺への空気の入り具合はやや弱いと認められ、反応がないことに変化がなく、午後6時30分ころ、穏やかな呼吸と認められ、肩をすくめる動作及び顔を動かす動作のみ認められ、睫毛反射及び対光反射はなく、瞳孔の大きさは約3.5ミリメートルであり、SPO2は99パーセントであり、午後11時ころ、ピンク色の痰の吹き出しが認められ、痰が絡んで吸引しても血痰はなかった。被告人は、△△診療所勤務等により、太郎の診察は行わなかった(甲33、乙5、被告人19回等)。花子及び春子は、三郎及び秋子とは別に午後3時ころ、太郎を見舞ったが、その際、看護婦に、「甲野先生に集まるように言われたが16日夕方なら集まれるのでお伝え下さい。」などと言った(春子等)。三郎及び秋子も花子方に寄って子どもを預けた後、午後3時ころ、太郎を見舞い、秋子は、翌日が誕生日であったことから「お父さん、誕生日プレゼント頂戴」「お父さん、目、覚めて」などと声をかけると、太郎の気管内チューブから痰と血液が混ざったものが出てきて苦しい様子に見えたことから、血が苦手で泣き叫び、三郎は直ちに看護婦を呼んで処置を依頼し、三郎らは処置を任せて退室した(三郎、秋子等)。O医師は太郎を診察し、被告人不在の14日及び15日分に限定して各日とも止血剤及び約0.2リットルの輸液を太郎にそれぞれ追加投与する旨の指示を行った。
(14) 15日(日) 太郎の体温は、約36.4度から約38.1度の間であった。太郎は、午前1時ころ、濃いピンク色の痰を多量に吸引されたが、口腔内からも痰が流れ出ており、午前6時ころ、意識レベルに変化はなく、呼吸状態は安定しており肺への空気の入り具合もまずまず(左肺の方が多い。)で肺雑音もなく、SPO2は98パーセントで、午前10時ころ、意識レベルに変化はなく、両肺への空気の入り具合は問題なく、肺雑音はなく、痰が絡み挿管チューブからピンク色の痰を吸引され、口腔から鮮血が混入した痰を吸引され、午後3時30分ころ、日直の医師の指示によりカフ圧を10ミリリットルに低下させ、午後7時ころ、痰が絡み黄色と血の混った粘稠痰を吸引され、両肺に雑音があり、咳嗽反射が認められた。被告人は、休みであった(甲33、乙5、被告人19回等)。花子及び春子は、午後3時ころ、太郎を見舞った(花子、春子等)。
5 本件当日16日(月)の経過
(1) 病状経過等
太郎の体温は、午前5時15分ころ約38.0度、午後零時ころ約37.4度であり、SPO2は99パーセントであった。午前1時ころ、血液が混じったピンク色の痰を多量に吸引され、心拍は90台で、午前5時15分ころ、意識レベルに変化はなく(JCS200ないし300)、吸引時に苦痛様の表情が認められ、呼吸状態は安定し、両肺への空気の入り具合はまずまず、痰は絡んでおらず、体温が上昇したため水枕を用意された。午前10時30分ころ、痰が絡んで吸引を何度実施しても改善されず、両肺でグーグー音がし肺への空気の入り具合はまあまあであったが、意識レベルに変化はなく、午前10時30分ころ、ピンク色痰の上昇があり、呼吸状態は安定し、午後3時ころ、経鼻気管チューブの抜管を試みられたが呼吸状態が悪く抜管できずにカフに空気を入れずに再挿管され、尿道カテーテルを交換された。
被告人は、平常勤務及び午後5時から午後7時まで読影の日で、太郎を診察し、その意識レベル及び呼吸状態に変化はなかったが、その胸部レントゲン写真及び血液検査結果を確認し、その左肺に含気不良(機能不良)が認められ、また、炎症反応の指標である前記CRPの数値(27.1)及び肝酵素の数値の上昇がそれぞれ認められたことから、敗血症による可能性と抗生剤ミノマイシン投与による薬剤性の肝障害の可能性を疑い、ミノマイシンの投与中止を決め、17日及び18日の点滴・注射内容について1日当たり輸液約0.7リットル(前日は合計1.1リットル)、気管支拡張剤及び塩化ナトリウムを投与するよう指示箋に記入して看護婦に交付した(甲33、73、80、乙5、被告人19回等)。被告人は、太郎の家族から午後に「ムンテラ」(説明等)希望がある旨知り、前記のとおり、花子らに抜管時に家族皆で集まれる日を決めるように言ったことに答えるもので、その家族が皆抜管してお看取りすることに賛成しているものと理解した(甲81等)。被告人は、午後3時ころ、気管内チューブの抜管を試み、呼吸状態が悪くなり再挿管したが、その際、これまでと異なりカフ(気管内チューブが抜けないように空気で膨らまされて気管と密着させるもの)を膨らませないままにした(甲81、乙5、16等)。
(2) 家族らの対応等
花子、春子、夏子は、いずれも夕刻に本件病院に行くため、これまで行っていた午後の見舞いを止め、家で体調の優れない花子は横になり、春子は家事をしていた(花子、春子、夏子等)。一郎及び二郎は、通常より仕事を約1時間前の午後4時ころ終えて現場を早退し、花子方に立ち寄って着替えた後、午後5時30分過ぎころ、子どもだけで残すのが心配であり、帰りに皆で外食しようと考え、花子、春子、夏子、その子らも一緒にワゴン車で本件病院に行き、太郎のいる本件病室に赴き(一郎は同室に入った後に喫煙所に一度行き呼び戻されている。)、秋子も、同ワゴン車に同乗したかタクシーを利用するなどして本件病院の同室に赴いた(花子、一郎、春子、二郎、夏子、秋子)。
(3) 被告人の行動等
被告人は、本件病院一般病棟2階読影室でレントゲン写真の読影をしていたが、南2階病棟から太郎の家族が集まった旨電話連絡を受け、同室で患者の退院総括を書いていたN医師に、これから気管内チューブを抜管する旨告げて退室し、同病棟ナースステーションに赴いた(甲91、N)。N医師は、人工呼吸器を付けて呼吸していた患者の呼吸状態が良くなって抜管するのだと理解するとともに、抜管時には状態が急変することもあり、その場合は再挿管して人工呼吸器を付ける必要があり、うまく対応しないと命に関わり、準夜勤で人の少ない時間帯でもあるので、必要な時に応援できるように、その後、読影室から約66メートル離れ、本件病室に約4メートルの廊下を挟んで向き合うナースステーションに赴き、待機しながら患者の退院総括を記入していた(N、甲30等)。P准看護婦は、当日、同病棟の準夜勤(夕方から午前零時まで)として本件病室を担当していたが、そのナースステーションにいたとき、被告人から「乙山さんのチューブを抜くから一緒に来てちょうだい。」と言われ、そのような話は聞いていなかったことから「えっどうして。」と尋ねると、太郎の妻ないし家族からの依頼である旨説明され、同家族が抜管を希望しているなどと聞いたことがなかったうえ、窒息を防ぐための気管内チューブを抜管することを何故その家族が希望しているのか理解できなかったが、被告人が赴いたので後に従った(P)。A准看護婦も、同病棟の準夜勤として「フリー番」(全ての病室について介護等を補佐)を担当していたが、Pから「これから乙山さんの抜管をするから」と声を掛けられたので、P一人では処置が大変になるかもしれないなどと考えて後から同室に赴いた(A)。被告人は、花子らが本件病室に入って10分ないし15分経ったころ、P准看護婦とともに入室し(その後Aも入室)、花子らに対し、「皆さん、おそろいですか。」と言って太郎の家族が皆集まっていることを確認し、「じゃあ、抜きますね。」と言い、前記誤解から花子ら家族には首を縦に振る者はいても異を唱える者はいなかったことから、集まった花子ら太郎の家族が皆抜管して看取ることについて異論がないものと受け止め、気管内チューブを抜管した後に再挿管等気道を確保する処置をとらないまま放置して死なせようと決意し、認定犯罪事実記載のとおり、午後6時ころ、気管内チューブを抜管(以下「本件抜管行為」という。)した(A、P、花子、春子、一郎、夏子、二郎、乙2、5、15、被告人19回、同27回)。太郎は、抜管された後、苦しそうな呼吸音を出し、海老のようにのけぞる姿勢をして「ぜいぜい」などという音を出しながら苦しそうに見える呼吸(苦悶様呼吸)をし続けた(春子、花子、一郎、夏子等)。一郎は、太郎に対し、その苦しそうな様子をみて、泣きながら「おやじどうした。」「しっかりしろ。」「頑張れよ。」などと語りかけ、花子は、これまで聞いたことのない音であったことから抜管の理由と理解していた菌が体内に入るなどした結果ではないかと考えて可哀想になり床に跪いて手足をさすりながら「お父さん、苦しい。」と話しかけるなどし、二郎も泣いていた(花子、一郎、春子等)。秋子は、太郎の姿を見て抜管前から泣いていたが、抜管後のその様子を見て座り込んで大泣きし、「お父さん、大丈夫。」などと声をかけるとともに、容体の急変を帰宅途中の三郎に電話で伝えて駆け付けるよう求めた(秋子、三郎等)。春子及び夏子は、子どもらが太郎の呼吸音に反応して泣き始めたため、必死になってあやした(春子、夏子)。
A准看護婦は、他の仕事をするため、本件病室を出た(A)。被告人は、花子らに「全然苦しみを感じていないから大丈夫です。」などと言ったものの、太郎の苦しそうに見える呼吸を見て本人にとってもその家族にとっても良くないと思い、痙攣様の体の動きと苦悶様呼吸を抑えて自然な死を迎えられるようにしたいと考え、太郎に「乙山さん、頑張らなくていいのよ。」「今楽にしてあげるから。」などと語りかけ、同室内にいたP准看護婦に鎮静剤で呼吸抑制作用もあるセルシン注射液(有効成分ジアゼパム。以下「セルシン」という。)2アンプル(10ミリグラム)を注射器からCVの点滴の管の途中にある三方活栓を経て静脈に注射(以下「静脈注射」という。)させたところ、太郎の体を持ち上げるような動作が抑制されたものの依然として苦しそうな呼吸が続いていたことから、さらにP准看護婦に指示してセルシン2アンプル(10ミリグラム)を同様に注射させ、太郎の首をへこませて呼吸する動きが改善されたものの苦悶様呼吸が治まらなかったため、P准看護婦、あるいは、自ら、鎮静剤でセルシンより薬効の強い「ドルミカム注射液」(有効成分ミダゾラム。以下「ドルミカム」という。)1アンプルを同様に注射し、その効果の発現が弱いことから、さらに同様にドルミカム合計7アンプルを同様に注射し、少し呼吸が落ちつくなどしたものの依然として苦悶様呼吸が続いていた(甲20、22、80、甲81、P、花子、夏子、乙5、16、17、被告人19回等)。
なお、被告人は、前記家族を前に抜管する際の言動について、「奥さんから管を抜いて欲しいという要望が出ました。」「管を抜けばだんだん呼吸が落ちて次第に自発呼吸が止まるでしょう。」「早ければ数分、長くて2時間、ただし一晩中もつのは難しいでしょう。」「皆さん、覚悟できていますか。」「それでよろしいでしょうか。」「看取ってあげて下さい。」と言ったところ、花子らの多くが無言でうなずき、異論は出なかった旨供述している(乙2、5、15、16、被告人19回、同27回等)。しかしながら、その場にいた家族らは全員被告人から抜管の結果について説明がなかった旨供述しているうえ、被告人の主張の前提となる16日夕刻の花子からの抜管依頼の事実はないと認められること(この点については後述する。)、その場に同席していたAも管を抜く旨二言三言あったのみである旨供述し、Pも記憶が曖昧ながら抜管の結果について具体的に説明された記憶はない旨供述していること、被告人は、検察官には「生きられません。」「死にます。」という言葉は使用していない旨供述していたが(乙15)、公判では、「生きていけません。」と述べた旨供述を変遷させており(被告人19回)、その変遷について合理的な説明もなされていないことなどから、家族らから異論が出なかったことは認められるものの、十分な説明をしたとの供述は信用し難い。また、本件抜管当時の被告人の認識については、15日までの経過のとおり、被告人が、花子及び春子が回復を諦めていると感じていたこと、抜管すれば死に至ることを理解したうえで抜管の方針に異論を唱えなかったと信じていたことを否定できる証拠はなく、被告人が花子らの意思に沿う行為と信じていたものと認めるのが相当である。
セルシン・ドルミカムの投与行為者・投与量・先後関係等について、セルシン及びドルミカムの各投与に関しては、その量・方法・順番について被告人が記入したカルテ及び看護師が記入した看護記録とで一致しないところがあるうえ、被告人の供述にも変遷がある。この点について、Q医師は、セルシンが先かドルミカムが先かは医師によって異なると思う旨供述している。しかしながら、投与の順番について被告人は一貫してセルシンが先である旨供述しており、P准看護婦は空のアンプル等をもとに記載したというので投与量については正確と窺える反面、後から一括記載していることから順序の誤記があっても不自然ではないこと、被告人自身、検察官に対し、カルテの記載に加えてさらに投与した可能性も認めていることから、セルシンの次にドルミカムを投与した点は被告人の供述の信用性を肯認し、投与量・投与方法については看護記録の信用性を認めることが相当である。
(4) N医師の対応等
N医師は、前記ナースステーションで患者の退院総括を書きながら太郎の心電図モニターを見ていたが、P准看護婦がセルシン、ドルミカムを取りに来たいずれかの時点で、Pから、呼吸状態が悪化して死に至る可能性を心配して「大丈夫ですかね。」などと問い掛けられて太郎を診ることを求められたことから、本件病室に入ったところ、被告人は不在で太郎が抜管された状態で寝ており、荒い頻呼吸があり状態が悪く再挿管して人工呼吸器を付ける必要があるかもしれないと認めたが、呼吸及び脈はあり直ちに処置する必要はなく、主治医の被告人がすぐ戻ると思われたことから、処置の判断は主治医に委ねるべきであると考えて退室し、Pに「再挿管が必要かもしれませんよ。」などと言い、引き続きナースステーションで待機していた(P、N)。P准看護婦は、自らの担当する他の病室を回らなければならないことと、太郎の苦しそうな様子を見ていられないという気持ちから、涙を流しながら本件病室を出ると、A准看護婦と会ったので「乙山さんを見ていられない。」と言い、Aが交代を申し出たため交代することにした(A、P)。被告人は、太郎の苦悶様呼吸を幼児を含む家族らに見せ続けることを好ましくないと考えていたが、その状態を改善できず悩み、本件病室を出てすぐ前のナースステーションで待機していたN医師に「ドルミカムを使ったんだけど呼吸が止まらないんだけど、他に何があるの。」「他に呼吸を止める薬はないの。」などと尋ねた(甲81、N、被告人19回)。N医師は、抜管して太郎に死を迎えさせようとしているとは気付かず、通常どおり、気管内チューブを再挿管して人工呼吸器を装着したところ、自発呼吸と器械があわないファイティング状態を抑えようとしていると理解し、「ミオブロックとかマスキュラックスみたいなものがありますよ。」と答えて呼吸筋弛緩により自発呼吸を抑えて器械との衝突を回避することを助言した(甲15、20、N等)。被告人は、Nの答えを聞き、鎮静剤を大量に投与しても太郎の苦悶様呼吸を抑えることができない以上、花子ら家族にそれを見せ続けることを避けるには、太郎に筋弛緩剤を静脈注射することで呼吸筋を弛緩させて窒息死させる以外に打つ手がないと思うに至り(甲15、20、N等)、同室内でA准看護婦に「ミオブロック3アン(アンプル)IV(静脈注射)して。」と指示した。A准看護婦は、ミオブロックが南3階病棟のICUに置いてあることを知っていたので本件病室から約85メートル離れた前記病棟ナースステーションに取りに行き、その場にいたR准看護婦に、「南2階の看護婦ですけれども、すいませんが、ミオブロックを下さい。」と言い、Rから「いくつ使うの。」「誰に使うの。」「先生は誰。」などと聞かれ、「3アンです。」「乙山さんです。」「甲野先生です。」と答え、Rからミオブロックを受け取り、これを南2階病棟のナースステーションでミオブロック3アンプルを注射器に詰めてから本件病室に戻った(甲18、30、A、R等)。被告人は、戻ったA准看護婦から「ミオブロック3アン持ってきました」と言われたことから、筋弛緩剤であるミオブロックを静脈注射して呼吸筋を弛緩させて苦悶様呼吸を止めようと決意し、認定犯罪事実記載のとおり、その薬効も含め事情を知らないAに対し、これを静脈注射するよう指示し、Aをして、午後7時ころ、太郎に対し、三方活栓からミオブロック3アンプルを静脈注射させた(A等)。被告人は、太郎の呼吸が間もなく停止した後もその心臓が動き続けていることについて、「呼吸が止まっても、心臓って動いているのよねえ。」「誰かを待っているのかな。」などと言った(夏子、三郎)。
このN医師の助言について、被告人は、抜管してお看取りすることを説明されて知っていたN医師から「ミオブロックがいいよ。」と言われ、点滴静注を思い付いたと供述する。しかしながら、N医師が薬品名を言うのみで投与方法に言及していないのは、通常の医療行為として日常的に行われている気管挿管(再挿管)して人工呼吸器を付けたときに自発呼吸とあわないファイティング状態に対する処置としての静脈注射を想定しての発言と考えるのが自然である一方、抜管して看取ることを知りながら通常の使用方法であれば呼吸停止を引き起こす筋弛緩剤の薬品名のみを告げたうえ、被告人において通常ではあり得ない使用方法の点滴静注を思い付いたとする内容自体不自然であること、場所が読影室であるとの供述については、N医師が南2階病棟のナースステーションで待機していたとするP供述と符合していることからも、被告人の供述は到底信用できない。
この点について、弁護人らは、N供述について、①前記のとおり被告人から呼吸を止める薬はないかと質問されて人工呼吸器と自発呼吸があわない状態であると理解して「ミオブロックとマスキュラックスみたいなものがありますよ。」と答えたとする点について、被告人の呼吸器内科医として人工呼吸器の着離脱をしている経験に照らせば、Nにあえて尋ねる必要のない事項で、一般病棟で人工呼吸器を使用することはないことからも不自然である、②その前にNは、被害者が抜管されていたことを確認しているという供述をしており、これと矛盾している、③人工呼吸器を本件病室に搬入するのであれば、その際にナースステーションで待機していたNが気付くはずであることから、そのような認識がないまま人工呼吸器の装着を前提にするはずはないとしてその信用性がない旨主張する。
しかしながら、N供述は前記P供述と符合するうえ、①については、当時の被告人は、鎮静剤、特にドルミカムを通常使用量の数十倍投与していることからも、苦悶様呼吸が治まらず幼児を含む太郎の家族らにこれを見せ続けることが忍びなく相当な焦りを感じていたと窺えるから、切羽詰まって近くで待機していた医師(それが後輩であれ)に尋ねることは不自然とはいえず、②③について、Nは、看護婦に呼ばれて抜管されていた被害者をみたが、その後暫くして被告人との前記やりとりがあった旨供述しているのであるから、Nがみた後に人工呼吸器を付けた(それが通常の療法である)と理解することは何ら不自然ではない。また、Nは、ナースステーションで待機しながら退院総括を記入していたのであり、読影室で退院総括を書いていた理由も「静かなので」としていることからも、集中して仕事をしたがっていたことが窺え、人工呼吸器搬入に気付かないことから、直ちに人工呼吸器を装着していないことを知っていたとすることにはかなり飛躍があるというべきであり、弁護人の主張は失当である。
6 被害者死亡後の経緯
(1) 花子らは、16日午後7時11分ころ、被告人から「ご臨終です」などと太郎の死亡を宣告されると、皆で大泣きし、二郎は本件病室の壁を手拳で何度も殴った(花子、春子、夏子、二郎等)。太郎死亡後、被告人は何の説明もしないまま退室したが、花子は、抜管の目的として前記のように理解していた、菌が体内に入って全身に回ったことなどにより死亡したと考え、春子も、急に具合が悪くなって死亡することはあり得ることだと思い、秋子の連絡を受けて駆け付けた三郎も容体の急変による死亡と理解するなどして、いずれも死亡経過について特段の不信感をいだかなかった(花子、春子、三郎等)。一郎は、太郎の死亡を告げられて頭が真っ白になり、廊下に座り込んでいたが、二郎から「こんなとき兄貴がしっかりしてくんなかったら俺らどうするんだよ。」と言われて我に返り、仕事関係者・親戚等に本件病院内から携帯電話で連絡したが、葬儀の準備を全くしておらず、太郎の遺体を引き取る準備ができていなかったうえ、家族内も混乱していたことから、太郎の遺体に「ちょっと寒いけど、今晩だけは勘弁してくれな」「明日迎えに来るから」などと語りかけて、本件病院に一晩預かってもらうことにした(花子、一郎、二郎等)。一郎は、翌17日、葬儀屋と打合わせるなどして太郎の葬儀を有限会社乙山工務店の社葬とすることとした(一郎)。一郎は、葬儀を終えて一段落した後、集まるように言われて皆で病院に行ったところすぐに太郎が死亡したという経過に疑問をいだき、花子・春子ら家族に対し、「おやじの死に方はおかしくないか。」「ちゃんと調べるとこ調べてもらった方がいいんじゃないか。」などと言ったが、花子及び春子がそっとしておいて欲しい旨言ったこと、家族皆、精神的に強い衝撃を受けていたこと、医学的に素人で疑問は思い違いかもしれないと思ったことなどから、何もしないこととなったが、なお納得できない気持ちから、そのころ競馬のレースでサイレントスズカという馬が骨折して安楽死させられた話をしたのを思い出し、同年12月ころ、インターネット上で「安楽死」を検索してみたが、安楽死させるときに「筋弛緩剤」を使用することしか分からず、太郎の死亡と「筋弛緩剤」を頭の中で結び付けることはできなかった(一郎、二郎等)。
(2) N医師は、前記のとおり、16日ナースステーションで待機していたところ、看護婦から、人工呼吸器を付けないで太郎に薬を使用した後、死亡したことを知り、前記被告人とのやりとりから筋弛緩剤が使用され、犯罪に近い行為だから関わりたくないと考え、同ナースステーションを出た(N)。
(3) R准看護婦は、これまで一般病棟の看護婦がICUに筋弛緩剤ミオブロックを取りにきたことはなく、ミオブロックの使用は人工呼吸器を付ける必要のある患者が一般病棟にいることを意味すると理解し、そのような患者は重症患者でありICUで管理しなければいけないのにそのような連絡もなく、一般病棟からのそのような患者の搬送もなかったことから、問題であると考え、同日午後9時ないし午後10時ころ、ICUのナースステーションにいたC医師に対し、被告人が主治医の患者に対して「一般病棟の看護婦がミオブロックを取りに来たということは問題じゃないですか。」「問題にして下さい。」と言った(R、C等)。
(4) C医師は、Rの指摘内容について、その時は格別の問題意識はいだかなかったが、被告人の医療姿勢に疑問をいだいた記憶が蘇り、南2階病棟のナースステーションに赴いて太郎の入院診療録及び看護記録内にミオブロック使用後に呼吸停止して死亡した旨記入されているのを発見し、法的にも道義的にも許されない大変な行為と考え、同日17日朝ころ、当時の本件病院長であるSに報告した(C等)。S院長は、同日ないし同月18日ころ、被告人らから事情聴取し、被告人を辞めさせるべきであるとの意見もあったが、医師不足の問題や被告人を評価する患者もいたことなどから、反省したうえで立派な医師になって欲しいと願い、処分をせず、本件病院の管理会議に報告しないことにした(C等)。
第2 当裁判所の判断
1 筋弛緩剤の投与について
(1) 静脈注射した旨のA准看護婦の供述の信用性
A准看護婦は、被告人の指示でミオブロック3アンプルを静脈注射した旨、前記認定犯罪事実に沿う以下の供述をしている(以下「A供述」という。)。すなわち、Aは、P准看護婦と交代して本件病室内に入り、入口付近に立っていると、同室内にいた被告人から「ミオブロック3アン(アンプル・筒)IV(静脈内注射)して。」と言われ、ミオブロックが置いてある南3階病棟(ICU)のナースステーションに走って赴き、同病棟のR准看護婦から、ミオブロックを受け取り、南2階病棟のナースステーションの処置台で注射器に3アンプル詰め、注射器の先端にキャップ付きの針を付けて本件病室に戻り、被告人から注射するよう指示され、約10秒間かけてミオブロック3アンプルを三方活栓から全て静脈注射した旨供述している。A供述については、看護記録の該当欄にミオブロックを3アンプル静脈注射した旨記入されていること(甲81)に符合しているところ、その記入の経過についても、A准看護婦は、本件当日午後9時30分ころ、南2階病棟ナースステーションで被害者の看護記録を記入していたP准看護婦に、ミオブロック3アンプルを静脈注射した旨伝えて記入してもらった旨供述しているところ、P准看護婦もこれと同旨の供述をしており、裏付けられていること、A准看護婦がミオブロックを受け取った場所、相手についても、ICUのR准看護婦が顔・名前は思い出せないが一般病棟の看護婦が、忙しい時間帯(午後5時30分ないし午後7時前後)にミオブロックを取りに来たので渡した旨供述しており、整合していること、加えてRは一般病棟で筋弛緩剤のミオブロックを使用したことを問題であると思い、その日の午後9時ないし午後10時ころ、ICUのナースステーションにいたC医師にその点を指摘し質問した旨供述しているところ、C医師は、本件当日の当直の際、ICUのベテラン看護婦(RかTのいずれか)から一般病棟でミオブロックを使用するのかという趣旨の質問を受けた旨供述しており、相互に整合していること、さらに、Cは、それが被告人が主治医の患者であった旨聞いて被告人の過去の他の患者に対する処置に疑問をいだいていた記憶が蘇り、南2階病棟に行って被害者の入院診療録及び看護記録の内容を見てミオブロック使用後に呼吸停止し死亡したという経過を確認し、道義的にも法的にも許されないと考えて翌朝一番にS院長に報告した旨供述しているところ、Sも被害者死亡の何日後か時期は明確ではないものの、C医師から直訴を受けて調査の必要を認め、被害者の入院診療録及び看護記録を確認するなどしたうえ、Q医師及びC医師を交えて被告人から事情聴取した旨供述しており、相互に整合する供述がなされている(なお、平成10年11月中に被告人がS院長から事情聴取を受けたこと自体は被告人も自認している。)。このようにA供述は証拠物の記載のほか重畳的に整合的な供述によって裏付けられていること、加えてA准看護婦は、本件当日のことを記憶している理由として、被害者が年齢的に若く、自分の父親位の年齢でありながら意識不明になりいたたまれない気持ちになっていたこと、抜管に初めて立ち会い、初めてミオブロックを使用し、家族が大勢いたことなど印象に残る点が多いことを挙げており、その内容はいずれも自然で、説得力があること、当時同病棟に勤務していたL看護婦は、本件が報道された(平成14年4月中旬ころ)直後ころ、A准看護婦と電話で話をしたとき、同女が被告人の指示で報道されている薬品を注射した、そのとき被害者の家族がたくさんいた、抜管時に被害者がすごく暴れたなどと述べた旨供述しており、A供述は、ミオブロックを自ら投与した点について一貫性を窺えること、A准看護婦及びP准看護婦はその証言時においても被告人を尊敬する態度は認められてもことさら陥れようとするような意図ないし関係等は認められないことなどの事情も認められるのであって、A供述の信用性は動かし難いものというべきである。
(2) 弁護人らが指摘する諸点について
弁護人らは、以下の諸点を指摘してA供述の信用性を争うがいずれも理由がない。
① 看護記録のミオブロック3アンプル静脈注射の記入は記入者PがAから伝え聞いたもので、知識・経験の乏しさもありAが薬品名・投与量を誤って伝えた可能性がある旨の指摘について、ミオブロック3アンプル静脈注射の点は薬効等を知るか否かに関係なく誤伝達を懸念させるほど複雑な情報とはいえないうえ、Aが自ら行った内容で、しかもその薬を自らICUまで取りに行ったというのであり、Pに対して注射して約2時間30分後に伝えたことも考え併せるとその信用性を疑わせる事情はない。なお、セルシン、ドルミカムについては、その薬効等を考えると投与の順が逆とも窺えるが、Pは、薬品名・数量等については空のアンプルをとっておくなどして確認したと思うなどと供述しているのであるから、この順序の誤記は投与薬品名・アンプル数自体の記載の信用性には直ちに影響を及ぼすとはいえない。
② 3アンプルという供述が看護記録の記載によって記憶喚起された旨の指摘について、前記のとおり看護記録の記載の信用性が認められる以上、これに依拠した記憶喚起が供述の信用性を疑わしめるとはいえない。
③ 輸液ルートの位置に関する供述の不正確性がミオブロックの投与状況の正確性に影響を及ぼす旨の指摘について、輸液ルートの位置は、5日に右鼠径部から中心静脈に挿入された管が一般病棟に移った後変更された旨カルテ及び看護記録に記入されていないというだけで変更されていないと断定できるか自体疑問もあり、その前提自体明らかといえないうえ、仮に変更されていないとしても、日常的な事象で必ずしも印象に強く残らなくても不自然とはいえない事項の記憶の程度によって、ミオブロックを自ら静脈注射しその患者が死亡したという強い印象に残ると思われる事項の記憶の正確性を論難するのは不適切というほかない。
④ P供述を前提にするとAがドルミカムの投与に関与したことになり、A供述はP供述と整合しない旨の指摘について、そもそもセルシン、ドルミカムの投与の態様等については証拠上明確とはいい難く、被告人の供述(第19回)はあるものの合計5回静脈注射したという前提自体明確とはいえないうえ(この点の被告人の供述も捜査段階から変遷している。)、セルシン、ドルミカムを静脈注射したうえドルミカムの点滴投与を開始した後にPとAが交代すれば矛盾は生じないばかりか、Pはドルミカムの点滴投与も自ら行ったと思う旨供述していることに整合的ともいえるのであるから(ドルミカムの点滴投与は静脈注射の後と窺える。)、この主張も前提を欠く。
⑤ ミオブロックの通常使用量が1アンプルであるのに、その後Rが量を問題にした形跡がないのは3アンプルという供述の不自然性につながる旨の指摘について、Rの供述によれば、RはAに渡したミオブロックは一般病棟で人工呼吸器使用のために用いると考えていたと認められるところ、その用法であれば、ミオブロック1アンプル静脈注射後、効果持続のため追加投与する可能性もあり得るのであるから、3アンプルであることをRが必ず問題視するという前提自体直ちには賛同できない。
⑥ Rからミオブロックを箱で受け取った際、必要量かそれ以上あったと思う旨の供述について理由もなく余分に渡すのは不自然である旨の指摘について、Aは、3アンプルであった可能性も否定していないうえ、箱の中のアンプル数自体不明であり、仮に3アンプルより多かったとしても追加投与の可能性等も考えれば直ちに不自然と決め付けることは相当ではない。
⑦ 本件病院関係者及び捜査機関による誘導の影響があった旨の指摘について、前記L供述で明らかな本件に関する報道直後のAの言動に照らせば、その影響を受けた可能性は極めて低いというべきである。
⑧ Aのミオブロック注射直後の被害者の状況に関する供述は、ミオブロックを3アンプル静脈注射した場合のX鑑定(弁22)及びX証言による薬効の発現と整合しない旨の指摘について、X医師は、ミオブロック3アンプル静脈注射すれば、少し落ちついてきたという状態は数十秒間でその後は止まっているはずであるとする一方、骨格筋収縮力が10パーセントでは良く分からないが、25パーセントないし50パーセントであれば咳も可能で体動も見られるとも証言しており、これに対応する静脈注射後の時間は50パーセントが1ないし1.1分、25パーセントが1.2ないし1.3分、10パーセントでは1.5ないし1.6分であるから(弁22表4参照)、ナースステーションと本件病室は4メートルの廊下を挟んで向き合っている至近距離にあること(甲30)に照らせば、Aが直ぐに戻れば、X鑑定を前提とした薬効と何ら矛盾するものではないところ、Aは、弁護人指摘の供述のほか、前記ナースステーションに行った後、直ちに本件病室に戻ったか、他の患者のところに行ってから戻ったか記憶にない旨や静脈注射後被害者の様子を注意深く見てから出て行ったわけではない旨述べるなど、ミオブロック注射後呼吸低下までの時間も曖昧であるうえ、呼吸停止しているところを見たか否かの記憶自体曖昧であるとしている(A)のであって、要するに注射後の状況について明確に記憶していないと認められるのであるから、前記供述部分のみを前提にAの注射行為に関する供述自体をミオブロックの薬効に反するとするのは失当である。しかも、後述のとおり信用性を肯認し得るY供述等では、3アンプルの静脈注射でも全ての事例で呼吸停止まで必ず1分以内と断定することはできないとされているのである。したがって、この点も、A供述の信用性を減殺するものとはいえない。
(3) 被告人の供述について
被告人は、この点について、被害者の苦悶様呼吸を沈静化させる目的で被告人自らミオブロックの注射液1アンプルをICUに取りに行き、南2階病棟のナースステーションにおいて自ら生理食塩水ボトル(100ミリリットル)にこれを注入して希釈したうえ、それまでCVに接続されていた点滴の輸液セットをはずしてミオブロックが注入された点滴ボトルをこれに接続させ、希釈したミオブロックを点滴により被害者に投与したが、数分(五、六分)後、その呼吸が落ち着いたのでその時点で点滴を中止しているから投与量は同ボトルの4分の1から3分の1程度にとどまる旨供述している。そして、カルテには、ミオブロックを点滴(div)した旨記入されている。
しかしながら、被告人も自認するとおり、ミオブロックを苦悶様呼吸の抑制のために点滴投与するという方法は、通常の用法とは到底いえず(X医師も挿管していない状態では経験はなく、報告例もない旨述べ、他の医師らも同旨の供述をしている(X等)。なお、点滴投与はその薬効の発現時間・程度からも本件の死亡時刻等と整合しない。弁22表1〜3)、被告人自身も人工呼吸器を付けていない患者に投与したことはなく(被告人27回)、理論上は可能であるとしても、必要な機器を用いるなどして注意深い監視が必要であるばかりか、過剰投与に至った場合は直ちに再挿管して人工呼吸器を付するなどの準備が必要と窺えるところそのような準備がなされた形跡もないこと、被告人は、N医師から「ミオブロックがいいよ。」と言われてミオブロックを点滴により投与する方法を思い付いた旨述べるが(被告人19回等)、挿管していない状態での投与は呼吸停止を想定させるはずであり、投与方法についてN医師からの説明がないのに、その助言から点滴による投与を思い付いたという内容自体不自然といわざるを得ない(この点、N医師は被告人から「ほかに呼吸を止める薬はないの。」と質問された旨述べている。)。被告人の述べるとおりとすれば、カルテにはミオブロックについて「1A」と記入(さらに、「NS(生理食塩水)100ml」との併記)されるべきであり、また、ミオブロック1アンプルが全量投与されていないのであれば、実際に投与された量が重要な事項となるのに、これらについて記入がなく、その事情について合理的説明がないこと(被告人は、1アンプルは通常使用量なので記載を省く習慣があったなどというが、そもそも通常の使用方法でないことは明らかであるから失当である。)などから、その内容自体不自然であること、A供述ほか関係各証拠にも整合しないこと、カルテにミオブロック3アンプル静脈注射した旨記入すれば道義的にも法的にも責任を問われて弁解できなくなることは明らかであるから、虚偽の記入をする動機も存すること、被告人の供述においても、セルシンを注射した点について「被告人が注射した」との捜査段階の供述(乙16)が公判(19回)では看護婦が注射したと、ドルミカムについては、警察官には「被告人が持参し被告人が注射した」(乙5)、検察官に対しては「被告人又は看護婦が持参し被告人が注射した」(乙17)と述べていたのに、公判(19回)では「看護婦が持参し、1アンプルを被告人、残りを看護婦がそれぞれ注射」したなどと変遷していること、本件抜管直後の苦悶様呼吸の発現時期が直後か二、三分後かについても記憶の混乱を自認している(被告人21回)など、その記憶の曖昧さが窺えることなどに照らし、被告人の供述を信用することは困難というべきである。その結果、被告人が、看護婦にミオブロック3アンプルを投与するように指示しておきながら、カルテ記入時に勘違いすることなどあり得ないというべきであるから、被告人はカルテ記入時においては罪障感をもって虚偽記入したものと認めざるを得ない。
(4) 本件直後の被告人の供述経過等
S院長は、本件後間もないころの事情聴取時、被告人に対し、ミオブロックの投与方法をC及びQとともに厳しく問い質した際、被告人から、自ら点滴内に入れた旨聞き、筋弛緩剤が直接の死因とは断定できないと考えた旨供述しているが、その事情聴取の詳細に関する供述には曖昧な部分もあるところ、本件当日夜に被害者の入院診療録及び看護記録を見てミオブロック使用後に呼吸停止し死亡したという経過を確認し、S院長による被告人の事情聴取時にも立ち会ったC医師は、注射方法や量について当時問題意識はなかった旨供述し、同事情聴取に立ち会ったQ医師も、当時静脈注射と認識していた旨供述しており、もし被告人が院長室に呼ばれた際に本件で述べているように苦悶様呼吸を除去するために点滴静注し全部入っているわけでもない旨弁解したのであれば、ミオブロックの通常とは異なる使用方法であることなどからその意味等について問題になるはずであるところ、そのような供述がないばかりか、Q医師は、被告人退席後もミオブロックにより呼吸停止させたとの認識に変化はなかった旨供述している。ミオブロック投与目的が苦悶様呼吸の抑制にあったことはカルテに記載がないうえ、投与目的・方法が重要なのであるから、被告人からそのような説明があればQらの記憶に残るはずである。加えて、事前にではあるが、N医師も、被告人から「ほかに呼吸を止める薬はないの。」と質問された旨供述していることにも照らすと、この当時、被告人が、苦悶様呼吸の抑制のためにミオブロックを点滴により投与したということを説明していなかったことが窺える。被告人の供述を前提とすれば、ミオブロック使用の責任を法的にも道義的にも追及され得る場面において、反論する重要な要素になるはずのその使用目的に触れていないのは不自然である。
2 被害者の死因について
(1) ミオブロックの薬効等
人工呼吸器を付けずにミオブロック等の筋弛緩剤を一定以上投与すれば、その薬効により、呼吸筋が弛緩して窒息死することは、関係証拠上明らかであるところ、信用性を肯認できるA供述等の関係証拠によれば、被害者は、被告人から命じられたAによって、本件当日午後7時ころ、筋弛緩剤であるミオブロック3アンプルを静脈注射され、その後まもなくその呼吸が停止し、午後7時11分ころ、その心臓が停止して死亡したこと、それまで鎮静剤を大量投与されてもなお苦悶様呼吸していた被害者が、ミオブロック投与後間もなく呼吸停止したのであるから、本件の死因は、このミオブロックの静脈内注入による呼吸筋弛緩による窒息と推認されるものというべきである。加えて、Y作成の鑑定書(甲13)及び供述内容(以下「Y鑑定等」という)によれば、被害者は、本件抜管がなければ短くて1週間、長くて数年の余命であったと推定されるところ、本件抜管により、昏睡状態の下において脳幹機能の低下により舌根の緊張が緩み、舌根沈下による呼吸障害が起きて苦悶様呼吸を呈する状態になっており、気道確保を必要とする状態を放置することで低酸素血症をきたし、これにより昏睡から脱却する可能性を奪うとともに細菌感染症を増悪させ、低酸素血症それ自体が致命的になり得るのであるから、余命は大幅に短縮されて、早くて二、三時間、長くて1週間程度(一番可能性が高いのは概ね二、三日程度)と推定され、ミオブロックの薬効がなく呼吸停止・心停止が生じるのであれば低酸素血症による心機能低下が起こると推定され、この心機能低下は血圧低下という形で表れ、このような機序で呼吸停止するのであれば呼吸停止と心停止との間にそれほどの時間差がないはずであると考えられるところ、呼吸停止午後7時3分、心停止午後7時11分を前提とすれば、呼吸停止時に低酸素血症がそれほど進行していなかった状態で強制的に呼吸停止されたと解することができるというのであり、このY鑑定等は、専門的知見から、具体的根拠を述べて説得的に説明しているものであるから、十分に信用することができる。そうすると、本件の直接の死因は、ミオブロックの投与による呼吸筋弛緩・窒息と認定することができる。
(2) カルテ等記載の時刻について
本件当日の被害者のカルテの記載については、その外形をみても乱雑な記載であり、抜管から死亡までの具体的経過を時間を確認するなどして正確に記録したものとは認め難いうえ、被告人自身、抜管時刻・呼吸停止時刻・心停止時刻の3つを腕時計で確認して記憶し、被害者死亡後、一人になる時間を経た後にまとめて記載したというのであるから(乙22)、被告人の記憶のみによるものであるうえ、「7時前」「7時過ぎ」「数分」などという大雑把な記載の仕方もあることから時刻の正確性については幅のある記載として扱うのが相当というべきである。個々の時刻についてみると、心停止・死亡確認時刻については、Pが立ち会っていた旨供述し(P)、看護記録にも午後7時11分との記入があるから(甲81)、「午後7時11分ころ」(秒単位の正確性がないことは明らかである。)と認めるのが相当である。次に、抜管時刻について、A准看護婦及びP准看護婦も明確に供述しているとはいい難いが、Pは午後5時30分ころ抜管の話を被告人から聞いて間もなく(言われてすぐくらいに)本件病室に赴いたと思う旨供述し、Aも申し送りが終わった午後5時15分の「その後」にPから同内容を聞いた旨供述していることから、両名の供述から、抜管時刻は、午後5時30分過ぎころから概ね午後6時ころの間ではないかと窺えること、被害者の家族らの供述も概ね午後6時と捉えれば矛盾がない範囲におさまっていること(三郎も午後5時30分から午後6時の間くらいに秋子から電話をもらった旨供述している。)から、被告人がカルテに記入した午後6時ころの記載の信用性は肯認することができるというべきである。しかしながら、本件で問題とされているミオブロックの投与時刻について、被告人は、時計を見て確認していなかったことから感覚で午後7時過ぎであった旨記入したが、午後7時3分に呼吸停止したことは時計で確認していたことから、投与から呼吸停止までの経過から逆算して午後7時過ぎということはあり得ないと考え、午後7時前に書き直した旨供述しているところ(乙22、被告人19回)、被告人の逆算根拠となるミオブロックの点滴投与の事実が前記のとおり認められないのであるから、午後7時3分の根拠も乏しく、幅のある午後7時ころにミオブロックを3アンプル静脈注射し、その後まもなく呼吸停止したという限度で時刻は特定すべきである。
被告人は、ミオブロック投与後の経過について、カルテに「数分で呼吸file_8.jpg」と記入した意味はミオブロック点滴投与開始後4ないし6分で呼吸が弱まって点滴を停止し、さらに呼吸停止まで二、三分あった旨供述する(被告人19回)が、被告人の供述どおりの時系列であればそのように記載するのが自然であるのに、そのような記載はないこと、そもそも前記のとおり点滴投与したという被告人の弁解は虚偽と認められることから、経過に関する供述もまた信用することは困難というべきである。
(3) Y鑑定等の信用性
ア 弁護人らは、ミオブロック3アンプルを静脈注射した場合の効果発現は「1分以内」(甲15)との記載から、「数分」で現れた点で薬効とも矛盾する旨主張する。なるほど医師Zの意見書(甲15。以下「Z意見」という。)には、急速に挿管が必要な場合に通常投与量(体重1キログラム当たり約0.1ミリグラム。被害者は体重50キログラム前後。甲9)の約3倍を投与し、その場合の作用発現までの時間は1分以内であるとしている。しかしながら、Z意見は平均という意味であり、全員1分以内というわけではない旨説明されており(Y証言)、X鑑定も、筋収縮力が75パーセント以上であれば正常呼吸が可能であるとしており、その前提でみるとミオブロック3アンプルを急速に静脈注射した場合の骨格筋の筋収縮力が75パーセントになるまで約0.8ないし約0.9分、同収縮力が25パーセントになるまで約1.2ないし約1.3分、1パーセントになるまで約2.5分ないし約2.6分かかるというのであり(弁22)、「数分」と矛盾するとは到底いえない。さらに、前記のとおり、ミオブロック投与時刻及び呼吸停止時刻について、秒単位の正確性は到底認め難く、いずれもおよそ午後7時ころとしか認められないのであるから、弁護人らの指摘はこの点においても的外れである。
イ 弁護人らは、Y鑑定(甲13)の「薬効が数分で現れたことを意味するものと解釈すれば、ミオブロックは静脈注射されたと推定することができる」との記載について、ミオブロックの薬効によるのか他の要因(痰詰まり・炭酸ガスナルコーシス・呼吸筋疲労等)によるのか不明であることなどを指摘している。しかしながら、弁護人らが指摘する箇所は、ミオブロックの投与がされた前提で静脈注射によるか点滴投与によるかという点に関して意見を述べたものであるから、鑑定書を正解しない揚げ足取りに過ぎない。また、他の要因があるかについては、ミオブロック投与時まで苦悶様呼吸が続き、それが投与後に呼吸が停止したという本件において、他の要因の可能性はそれを窺わせるだけの事情が必要というべきところ、痰詰まりによる窒息が否定されることは後述のとおりであり、炭酸ガスナルコーシスについても、前提となるべき発作時刻等が特定できないうえ、炭酸ガスナルコーシスは、閉塞性の状況が慢性的(日単位)な場合に炭酸ガスの蓄積が起こるような病態で、本件抜管後にその所見を窺わせるカルテの記載もなく(この点は死因を薬物以外にする被告人に有利なものであるから記入する動機はあっても省略する動機は認め難い。)、炭酸ガスが蓄積されたからといって直ちに呼吸停止に至るわけではなく、本件においては呼吸停止に至る条件を見出せない旨のY証言に照らし、採用できない。その他、被害者の当時の病態から、他の形での急変もミオブロック投与後から呼吸停止までの短時間で生じる可能性は低く、そのような他の病変の兆候等があれば筋弛緩剤を投与する必要はなかったことからも、ミオブロックの薬効を前提に検討したY鑑定等に誤りはないというべきである。
ウ 弁護人らは、中澤論文の喘息の発作開始から死亡に至るまで1時間以内の事例が13.6パーセントある旨の指摘(弁32)及び被害者が痰詰まりを起こす可能性がありその場合は1時間以内に死亡する可能性がある旨のQ医師の供述から、抜管のみによっても死亡し得たなどとして、この点に関するY鑑定等は誤りである旨主張する。しかしながら、中澤論文の指摘については、喘息発作から死亡までの時間についてであり、本件のように脳幹機能の低下により舌根の緊張が緩んで舌根沈下による呼吸障害が生じた場合とは前提が異なるのであるから、これを直ちに本件に援用することは相当ではない。また、痰詰まりを起こす可能性について、Y医師は、被害者が、痰がらみによる窒息を起こしたのであれば、カルテに窒息と書くはずであり(本件カルテには窒息した旨の記載がない。)、被害者が生理的な反応として苦悶様呼吸と書いたのであれば、窒息ではないと思う旨供述していること(Y証言)、痰がらみによる窒息を被告人が認めたのに筋弛緩剤の投与を命じるのは不自然というべきであるから、前記のとおり被告人が看護婦に命じて筋弛緩剤を投与させた事実は、投与直前まで痰がらみによる窒息はなかった事実を窺わせるものというべきである。そうすると、弁護人らの主張はいずれも前提を欠くものといわなければならない。
エ 弁護人らは、被告人が、その経験から抜管後何も投薬しないケースでも10分で呼吸停止するケースすらあり得る、老人が多く入院する神奈川県所在湘南長寿園病院における症例(弁35ないし63)等から呼吸不全の患者で呼吸停止から心停止まで8分以上間隔がある例が相当数あるなどと供述し(被告人27回)、X医師も、心停止は、呼吸停止までの状況、患者の心筋の強さなどによる影響を受けるから、呼吸停止から心停止まで8分間あることをもってミオブロック投与による呼吸筋弛緩を生じたと断定することはできないとし(弁22、X)、U医師も、呼吸停止から心停止まで15分間及び20分間かかった症例を経験している旨供述していることなどから、Y鑑定等は誤りである旨主張する。しかしながら、湘南長寿園病院における症例を含む上記各症例は、いずれも詳細な前提が明確でなく、そもそも呼吸停止及び心停止の認定方法等についてもまた曖昧なのであって、これを根拠にY鑑定等の正当性を論難することは相当ではないというべきである。仮に弁護人らの主張のとおり、低酸素血症が進行し呼吸停止した場合に心停止まで8分以上かかる症例があるとしても、それらの症例は筋弛緩剤の投与による呼吸停止ではないから前提を異にしている。前記推認を覆すような事情とは認められない。
3 本件当日における被害者家族の依頼・了承の有無
弁護人らは、被告人が、看護婦から被害者の家族が14日に本件当日午後ムンテラを希望する連絡があった旨聞いていたところ、本件当日午後3時から午後5時までの間に、看護婦の連絡を受けて本件病室に赴くと、花子が突然気管内チューブを指さして「この管を抜いて欲しい。」と言い、被告人が「管を抜けば呼吸状態が悪くなり、最期になりますよ。奥さん一人では決められることではないですよ。家族で来られる人は全員来て下さい。」と言い、花子が「夕方みんなが集まってからお願いします。」と答えたことから、被告人は、大変辛いことであるがやむを得ないと考えてその家族が集まってから抜管することを決意し、同日午後6時前に、看護婦から連絡を受けて本件病室に赴くと、花子のほか、その一郎、春子、二郎、夏子、秋子及び子ども4名が被害者のベッドを取り囲むようにして集まっており、被告人が「奥さんから管を抜いて欲しいと要望が出ました。管を抜けば呼吸が落ちてきて最期になります。早ければ数分ということもありますので、看取ってあげて下さい。皆さん、覚悟はできていますか。それでよろしいでしょうか。」と尋ね、家族らの多くが無言でうなずいて異論を言う者がいなかったことから、被告人は、同日午後6時3分、被害者に経鼻挿管された気管内チューブを抜管した旨主張し、被告人も概ねこれに沿う供述をしている。
(1) 本件当日に至るまでの経緯等
関係証拠によれば、本件当日に至るまでの経緯については、前記のとおりの事実が認定できる。とりわけ、花子は精神的に線が細く被害者が倒れたことにより甚大な精神的衝撃を受け、被害者の病床に赴く度に涙を流し、4日に被告人から寝たきりのまま自宅で介護する可能性を指摘されたことと関連してか5日に花子が金銭面で心配があり今のままの状態では家族で介護する余裕がない旨言ったこと、8日に、花子が被告人から9割9分9厘脳死状態である旨言われて頭が真っ白になるとともに、このとき、被告人から安定すれば退院方向もあり得る旨説明を受けたこと、被害者の病状及び予後に関する被告人の説明を聞くことで精神状態が悪化し9日には被告人の診察を受けて抗うつ剤等を処方され、11日にも「可哀想で見ていられない。」と口にしていたこと、13日に花子を見た看護婦があきらめた様子であると感じたこと、その他、被告人が記入したカルテ及び複数の看護婦が記入した看護記録の内容等は、花子ないし家族らが弁護人らの主張のとおり被告人に抜管して看取ることを依頼・了承することに整合的というべきである。
他方、花子を一人にしておけないとして、一郎及び二郎の各家族が連日花子方に泊まり込んで支え、昼間もなるべく春子らが花子のそばに付いているように心掛けていたこと、花子は自ら積極的に話をする性格とは窺えないこと、看護状況自体は、外見上、6日に人工呼吸器が離脱されるとともに鼻を経て胃に挿入されていた管も抜去されて左腕上部の静脈留置針も使用されなくなり、8日には、右腕動脈に挿入された管及び上記留置針がいずれも抜去され、12日にICUから一般病棟に移っていることなど、容体が安定に向かっていたと見ることができ、一郎及び二郎が病室に移ったことを回復方向と捉えて16日まで見舞っていないことなどの事情は、弁護人らの主張に整合的でないというべきである。
(2) 花子らの供述の信用性
花子は、16日の昼間に本件病院に赴いたことも被告人に抜管を依頼したことも明確に否定(体調が悪く横になるなどしていた。)したうえ、被害者が本件病室に移動後、被告人から、鼻から管を挿入したままにしておくと手足が曲がり菌により肺炎を起こすので抜管したいから都合の良い日に家族皆集まって欲しい旨言われ、このとき気管内チューブの意味や抜管の弊害等について説明されなかったことから治療行為の枠内と理解し、自宅帰宅後、一郎らに話して反対する一郎に被告人から言われた以上行くしかない旨説得し、一郎らの仕事の都合を考えて16日一郎らが仕事を早めに終えて帰宅した後に本件病院に皆で赴くことに決まったなどと供述している。この供述は、日時及び抜管理由等については曖昧であるものの、16日昼間に花子が自宅から出ていないことについては春子及び夏子の各供述に整合している。さらに、被告人から話があったことについては、春子も、13日、花子と一緒にいたとき、本件病室前廊下付近において、被告人から、被害者に経鼻挿管されているチューブを長い間入れておくと菌が入って手足が曲がるから一度抜管したいから家族が集まることができる日を相談して欲しい旨言われ、これまで同チューブの意味を説明されたこともなく、病室への移動を機に家族に病状等を説明して新しいチューブに変更するか他の治療法に変更するのかと思い、帰宅後、一郎、二郎及び夏子らに話して一郎が抜管のみで集まる理由はないなどと怒ったが、春子が病状を説明するのではないかと言って、16日夕方に一郎及び二郎が帰宅後に本件病院に赴くことを決め、翌14日午後3時過ぎころ、被害者を見舞った際、看護婦に対し、「甲野先生に集まるように言われたので、それが16日の夕方だったら集まれますので、お伝え下さい。」と依頼した旨供述しており(春子)、概ね花子の供述と符合している。また、春子が供述する看護婦への依頼は、看護記録本文の14日午後3時部分に、家族から11月16日午後に医師にムンテラ希望があり医師に聞いて下さいと記入されていることと符合し(甲81)、裏付けられているというべきである。また、被告人から言われたとする花子及び春子の供述内容及び一郎が不快感等を示した点を含め一郎、夏子及び二郎の各供述とも整合している。また、三郎も、13日ころ、秋子から管を入れたままだと内臓に障害が出て身体が曲がる抜管の話を聞いたが集まることは言われていない旨供述しており、現に16日の抜管時に三郎が不在であったのであるから、三郎を集まるメンバーから外していたと理解すれば、花子らの供述に整合するものといえ、秋子の供述は、抜管の話を聞いた点では整合的である反面、聞いた時期について混乱しており、記憶が曖昧になっていることが窺える。加えて、一郎及び二郎は、当時神奈川県綾瀬市付近の資材置場等で仕事をしていたと窺えるところ(二郎等)、16日も仕事の日で本来午後5時終了のところ午後4時ころで早退したとしており(二郎)、事前に早退する旨の段取りが出来ていたという点でも花子らの供述内容と整合的である。
以上に照らせば、花子らの供述は、これを信用することができるというべきである。なお、手足が曲がるなどという被告人の説明内容については、後記のとおり、気管内チューブを挿管しておくことそれ自体の弊害ではなく、延命を続ける弊害として、手足の関節が硬縮する、ばい菌に冒されて痰が汚れるなどの説明があったことを誤解したものと解される。
(3) 被告人の供述について
被告人の前記供述については、14日午後3時の前記看護記録の記載(ムンテラ希望)との関係で、花子が、被告人に抜管を依頼するために同日時に看護婦に依頼しておいたと読むことにより同記載と一応整合的であること、花子が「夕方みんなが集まってからお願いします。」と答えたという点について、前記のとおり16日午後6時ころ、家族が三郎以外皆集まっている事実が整合すること、カルテの16日欄には、家族から抜管希望が強く大変辛いが夕方家族が集まってから抜管することとする旨記入があり(甲80)、看護記録の同日欄にも、午後5時30分に妻から希望があり挿管チューブを抜管して欲しいとの事で被告人が確認して抜管した旨記入があり(甲81)、この点も被告人の供述を裏付けるものといえる(ただし、午後5時30分を依頼時刻とすると抜管時の午後6時ころとの間隔が短かすぎて不自然となるが、それ以前に依頼があったものと解する余地もある。)。被告人が、抜管前、「奥さんから管を抜いて欲しいと要望が出ました。管を抜けば呼吸が落ちてきて最期になります。早ければ数分ということもありますので、看取ってあげて下さい。皆さん、覚悟はできていますか。それでよろしいでしょうか。」と尋ね、家族らの多くが無言でうなずいて異論を言う者がいなかったという点について、立ち会ったPの抜管の結果について説明された記憶はないものの被告人が抜管することの説明をしてこのとき家族らが質問したり再挿管を求めたこともなく抜管について納得している旨の印象をもったとの供述(P)及び同じく立ち会ったAが、長く話をしていた記憶はないが被告人が抜管する旨二言三言、言ったときに家族らがうなずきながら聞いている様子であったとの供述(A)などは、被告人の供述と整合するものというべきである。
しかしながら、被告人の供述は、以下の点を総合すると、全面的には信用することはできない。
ア 被告人が、花子から前記依頼を受けた時刻については、平成14年12月10日には、時間は定かではないが午後6時より前で午後4時か午後5時ころである旨供述し(乙2)、同月15日には、午後3時から午後5時の間である旨供述し(乙5)、同月25日には、はっきり覚えていないが午後4時30分ころから午後5時30分ころまでの間だと思う旨供述し(乙15。家族は約30分から1時間以内に集まったことが印象に残っているとも供述している。)、公判では、リハビリを午後3時40分から午後4時まで実施した旨の記録(甲80)があることから午後4時以後だと思う旨供述しており(19回。1時間前後で家族が集まった旨供述している。)、家族が集まった時刻を午後5時30分から午後6時ころの間として逆算すると花子と別れたのは、変遷はあるものの、概ね午後4時30分ころから午後5時ころと述べている。
イ 被告人は、検察官に対し、花子から前記依頼を受けて別れた後すぐに、看護婦に対し、家族皆が集まったときに気管内チューブを抜管することになった旨伝えたはずであると供述し(乙15)、公判においても、同様に別れた後、抜管してよいのか悩んだ末、看護婦に、家族から抜管希望があって看取ることになった、大勢の家族が来るので来たら呼んで欲しい、読影室にいる旨伝え、抜管のため被害者の病室に入る直前にPに対し「抜管してお看取りをすることになるので一緒に来てください。」と言って一緒に入った旨供述している(被告人19回)。被告人の供述を前提にすれば、花子の依頼は事前(14日午後3時ころ)希望として看護記録に記入されていた「ムンテラ」であり、花子が抜管して看取って欲しい旨主治医に依頼して夕刻に家族が集まって看取るという内容の重大性に鑑みても、直ちに看護婦に伝えることが自然というべきであるし、抜管して看取るという緊張感ある重要な場面に立ち会う看護婦に対しては、直前にさらに目的を直接伝達することもまた自然というべきである。しかしながら、被告人の供述どおりであれば、花子の依頼直後に伝えられた看護婦は、抜管して看取るという内容の重大性から直ちに看護記録(本文あるいはムンテラに関し記載している欄)に記入するのが自然なはずであるうえ、準夜勤への引継ぎが終了する午後5時15分ころ(A)より前に伝達したのであれば日勤の看護婦から準夜勤の看護婦に引き継がれるか午後4時ころから出勤していた準夜勤の看護婦が被告人から直接聞いたはずであるが、看護記録には、前記午後5時30分の記入(甲81)しか認められないうえ、この記載は筆跡・ペンの色等からPが記入したと窺えるところ、Pは、前記看護記録の「fa(妻)より希望あり」「挿管チューブ抜管して欲しいとの事」との記入について、被告人から説明を受けたことを記入したもので、午後5時30分との記入はこのころチューブを抜く旨被告人から聞いただろうという趣旨で被害者の死後の処置までを含め同処置後にまとめて記入したものであり、被告人から同説明を受けるまで、被害者の家族が抜管を希望している旨直接にも間接にも聞いたことがなく、同説明内容も、「乙山さんのチューブを抜くから。」「一緒に来てちょうだい。」と言われ、被害者は窒息を防ぐためにチューブが入っていたので驚き、「えっどうして。」と尋ねたところ、被告人から、被害者の妻ないし家族からの依頼である旨説明されたが、何故家族がそのような希望をしているのか理解できず、上記のとおり言われて間もなく、本件病室に被告人と共に赴いたと証言しており、この経過については、Aも、準夜勤への申し送りが終わる午後5時15分ころの後にPから被害者の抜管について声を掛けられた旨供述していて概ね符合しているといえる。P供述からは、抜管直前まで看護記録に抜管依頼に関する記入が全くなかったことになるばかりか、申し送り事項にも含まれておらず、抜管直前にPが初めて聞いて知ったことになり、被告人の供述と整合的とはいえない。加えて、P供述には、抜管直前被告人から聞いた説明内容に、看取るという最も重要な事項が含まれておらず、Aも看取ることを聞いた旨供述していないところ、Pは、被害者が抜管後に体が揺れるくらいむせるような咳をして苦悶様の表情をしていたことから、その容体について心配になり、何度目かにナースステーションに薬を取りに行ったときに、そこにいた男性医師に「大丈夫ですかね。」と問いかけた旨供述しているところ、この点については、N医師が、同所にいたとき、看護婦から「ちょっとみに来てくれ。」と言われて本件病室に赴いたところ被害者が抜管された状態で寝ていたと供述していることと整合し信用することができる。この事実は、PがNに相談した時点で未だ看取ることを知らなかったと窺わせるものといえ、被告人が看取ることまでPに説明していたとの供述とも整合しない(被告人が、抜管直前に家族らを前に管を抜けば呼吸が落ちてきて早ければ数分で死に至る旨説明した旨述べている点にも同様に整合しない。)。もっとも、Pが、看取ることの説明を受けていたとしても、その後の容体の急変等から取り乱し思わずN医師に相談してしまった可能性も否定できない。しかし、そうだとすればN医師に看取る方針であることを伝えていない点が不自然ともいえ、Nも、前記のとおり看護婦からみてくれと言われて被害者の病室に入った後に被告人あるいは看護婦に「再挿管になるかもしれないね。」と言ったと供述しており、この供述は看取ることを予定していない内容といえること、N医師は、①読影室において被告人がこれから抜管すると言って退室した、②これを聞いて抜管して容体が急変した場合に手伝えるように南2階病棟ナースステーションで被害者が死亡したことを知るまでずっと待機していた、③同待機中に被告人から呼吸を止める薬について相談されて人工呼吸器が装着されているという前提でミオブロックなどがある旨答えた、④人工呼吸器を付けないで被害者が薬を使用して死亡したと聞いてミオブロックの使用による死亡だと思い関わりたくないと考えてナースステーションから退室したと大略供述しているところ、前述のとおり、Nが待機していたことは前記P供述と符合して信用性を認められるが、看取ることを知っていれば急変時の応援のため待機する理由はなく、Nは看取ることを知らなかったからこそ急変時に備えて待機していたものと認めることができる。ところが、被告人は、①について、花子の依頼後に家族が集まるまで読影室にいたが誰がいたか記憶がない(被告人19回)、②③④について、読影室にいたNに「今日になって御家族から抜管を希望されて、皆さんで集まってお看取りすることになってしまいました。」「抜管したのはいいんですが、予想と違って大変苦しむ呼吸になってしまって、鎮静剤…使ったにもかかわらず、効果が薄くて苦しんでいます。何かいい薬はないでしょうかね。」と言ったとしており(被告人19回)、鎮静を相談した場面を読影室とする点は前記のとおり信用できないうえ、急変時に備えて待機しているNに看取ることを説明したうえでミオブロックが良いとの助言を得たとの供述もN供述に整合しない。
ウ 被告人は、16日、花子から抜管を依頼されるまで延命治療の中止としての抜管は全く考えていなかった旨供述しており(乙15)、この点については、被告人が被害者に対する翌日以降の指示もしていることが整合的である(甲80)。これを前提にすると、同日午後4時30分ないし午後5時ころ、花子の依頼を了承することで初めて抜管を決定したことになる。しかし、抜管すれば確実に死に至るという極めて重大な事項であるにもかかわらず、突然花子から依頼されて了承し、他の医師等の意見も全く聞かず、依頼の遅くとも約1時間半後には、実行に移したというのであるから、その性急さ及び未だ被害者入院後約2週間しか経過していないことと併せ、内容自体不自然である。
エ 被告人の供述によれば、花子から依頼されて別れた後、約30分ないし1時間後までに家族が全員揃ったことになる。しかしながら、被告人の供述では、それまで延命治療中止の意味での抜管は考えてもいなかったのに、16日午後4時30分ないし午後5時ころ、花子の依頼で初めて抜管を決定したというのであるから、花子にとっても、被告人に依頼しても了承されるかどうか不明であるばかりか、了承されたとしても16日夕刻に直ちに抜管を実施してもらえるか不明であったはずである。ところが、約30分ないし1時間で家族のほとんどが集まることが可能であったということは、家族が当日抜管することを知って準備していなければ説明困難である。特に、一郎、二郎は、当時神奈川県綾瀬市付近の資材置場等で仕事をしていたと窺えるところ(二郎等)、16日も仕事の日で本来午後5時終了のところ午後4時ころで早退したとしており(二郎)、乙山工務店の主である被害者が倒れた状況で厳しい納期に間に合わせなければならない状況下にあったことも併せ考えれば(一郎)、事前に早退する旨の段取りが出来ていなければ午後6時ころに本件病室に一郎、二郎がくることはかなり困難を伴うはずであり、この点でも不自然である。さらに、被告人の供述(19回)によれば、花子が、前記依頼時、被告人に対し、家族「みんなで考えたことです。」「実は、今日、夜、みんなで集まることになっています。」と言ったというのであるから、一郎及び二郎を含め、被告人が了承して16日夕刻抜管に至るかどうか不明にかかわらず皆が集まることになっていたことになるが、被害者が抜けて一郎及び二郎の仕事は相当繁忙になっていたと窺えるのであるから、被告人が依頼を断れば空振りになり、被告人の都合等で17日以後に抜管になれば、さらにもう1回仕事の調整をしなければならなくなるという不自然さが拭えない。むしろ花子と被告人との間で抜管することを決めて実行する日時を決めた後で一郎・二郎が仕事を調整して時間を確保するのが事業を営む者として自然というべきであるばかりか、平日に仕事をしていて納期が厳しいなどの点に照らせば(一郎、二郎等)、看取る日を決める際には、21日(土)、22日(日)、23日(祭日)という暦からも、それと無関係に16日(月)を看取る日として選ぶことも、建設業に携わる者の発想として不自然さが窺える。
経済的な問題についても、本件病院の入院費用自体家族側の負担はなく、被告人が自宅介護になる可能性を花子らに示唆していたとはいえ、近日中に退院を予定されるなどという病状ではなく(被告人28回)、家業の関係から特に急いで看取るべき事情も見出せない(甲90)。家族らの精神的な面についても、被害者の関係で特に精神的影響が甚大であったのは花子であり、元気であった被害者が突然意識不明になり管を複数身体に挿入されている姿を日々見る辛さは明らかであるが、被害者は外見上は入院後に人工呼吸器が取れるなどし、12日にはICUから一般病棟に移っていること、花子は一郎及び二郎の各家族から日夜支援を受け続ける環境にあったこと、被告人から11月9日に抗うつ薬及び睡眠導入薬2週間分の処方を受けていたこと(弁19、20)が認められ、そのような中で、特に被告人不在の14日土曜日に予約までして16日に被告人に依頼して直ちに看取る前提で準備をすすめなければならない事情も見出し難い。一郎ら家族が花子の方針に同調していたのであれば、被告人との交渉をそのような花子に任せてまで急ぐ事情もまた見出し難い。なお、花子が他の家族に告げずに抜管して看取ることを被告人に依頼して了承を得、家族には別の理由を告げて事前に16日夕刻に集まるようにした可能性についても、花子が他の家族を騙してまで急いで被害者の気管内チューブを抜管して看取らなければならない動機も見出し難い。
オ 被害者の遺体を、16日に花子ら家族が引き取らなかったことは明らかであるが、被告人の供述を前提にすれば、事前に家族らが看取るために集まる準備をしていたことになり、その準備は、14日午後3時にムンテラ希望を看護婦に伝えていることから(甲81)、このときまでには一郎及び二郎を含め家族らが看取ることを決意しているのが自然であり、仮にその後の事情の変更で家族内で話し合って抜管して看取る依頼をすることに決まったのだとしても、看取ることを決めておきながら、看取った後の遺体の引き取りの準備等を全く行っていない点も不自然である。
カ 被告人は、抜管直後の花子ら家族の言動について、平成14年12月15日には、抜管すると被害者が苦悶状態になったが家族らは泣いたり話したりすることもなくただ黙って見ているだけであったなどと供述し(乙5)、同月24日には、抜管後の被害者の様子は概ね同様であるが家族らの言動については供述されておらず(乙16)、公判廷において、抜管して約3分後に苦悶様呼吸になり、子どもらが大声で泣き出し、家族らも驚きの表情で被害者を見つめ、泣き出した者もいたと供述し(19回)、被害者が抜管後すぐに苦悶様呼吸を開始したと思っていたが証人の供述を聞いて最初の二、三分間は静かであったのを思い出したと供述している(27回)。この供述経過にも不自然さが窺える。抜管時に立ち会っていた花子ら家族は、その多くが泣き出したなどとする点で概ね一致した供述をしている。A准看護婦は、抜管後しばらくして苦悶様呼吸を見せるようになったが、その前に家族が泣き始めて、一郎が「おやじ。」と連呼して号泣していたなどと供述する一方、Pは、抜管と苦悶様呼吸開始時との間隔について明確に供述していないものの、数分後には薬液を取って来るよう指示を受けた旨供述しているが、「家族の反応は特に覚えてないけど、そういう騒いだことはないと思います。」とも供述している。この点について、苦悶様呼吸をする被害者を前に家族らが泣き出すこと自体は自然な内容であり、抜管後に秋子が三郎に早く駆け付けるよう電話したこと(三郎、秋子等)とも整合的であり、家族らの供述は信用することができる。A、Pの供述はこの点については必ずしも整合的ではないが、泣き出した経過等についてはいずれも明確ではなく、家族らの抜管直後の言動に関する供述の信用性を左右するものではないというべきである。そうすると、花子ら家族の多くが、抜管直後ないし間もなく苦悶様呼吸を開始した被害者を見て泣き始め、「おやじどうした。」「しっかりしろ。」「がんばれよ。」「お父さん、苦しい。」「お父さん、大丈夫。」などと被害者に語りかけ始めたのであるから、被告人としては、特に花子の依頼により突如抜管を決定し約30分ないし1時間で実行に及んだという経過に照らし、何故苦悶様呼吸が生じているのかを説明したうえでこのまま気道確保しないまま看取るのか再挿管するのかを確認するのが主治医として自然な行動のはずであるが、そのような事実は認められない。この点について、被告人は、家族らが誰一人助けて欲しいなどと言わないことから、皆よく考えて看取る決断をしたのだと理解し、再挿管を口にすることができなかったと供述する(被告人27回)。しかしながら、立ち会った准看護婦ですら見ていられないといって退室して他の者と交代するような状況であったうえ(P等)、家族らの言動を目の当たりにすれば、被告人に直接的な文言で延命希望を訴えてはいないとはいえ、延命意思を強く窺わせるとも解し得る言動であるから、家族らの真意を改めて確認すべき状況にあったといえる。被告人がいうような理由は、抜管後の確認を行わなかったことを合理的に説明するものとはいい難い。
三郎は、16日午後5時30分ころ、勤務先の川崎市内の登戸駅付近にある区役所を退庁し、被害者の見舞いに行こうと思っていたところ、午後5時30分ないし午後6時ころ、JR南武線登戸駅から同線川崎駅に向かう電車に乗る前後、秋子から電話があり、今どこにいるんだ、もう最期かもしれないので早く来て欲しい旨言われ、被害者の容体が急変したものと理解し、通常ならバスを利用するところをタクシーで本件病院に駆け付けた旨供述している。この電話については秋子の供述と符合し、時間の経過を含め概ね関係証拠に整合しており信用できる。そうすると、被告人の供述を前提にすれば、前記のとおり事前に抜管して看取る方針を家族内で決めていたはずのところ、三郎はそれを知らなかったことになり、秋子においても、事前に知っていれば抜管後に慌てて三郎に電話せず事前に連絡するはずであるから不自然な経過というべきである。もっとも、三郎は、娘の夫という立場であることから外されていた可能性も否定できず、秋子が当時花子方で寝泊まりしておらず精神的にも問題を抱えていたことも窺えるので花子らが秋子に看取ることを告知していなかった可能性もあることを留意すべきであろう。
キ 一郎は、2日に被害者が病院に搬送されて救命措置を受けているとき、医師に土下座して「親父を何とか助けて下さい。」と泣訴している(甲53、56)。一般病棟に移った後、仕事を優先していたのも倒れた被害者に代って会社を守ろうとしていたものと窺えることなどにも照らすと、一郎が2週間で被害者を看取ることに納得できたか疑問である。また、一郎は、被害者の葬儀後、前記のとおり、被害者の死に至る経過に疑問を述べその解明を求めようと提案したが、他の家族らに反対され、医学的に素人であることから思い違いかもしれないなどと考え、何もしないことに決まったが、なお納得できない気持ちが残っていたことから、12月ころ、11月のレースでサイレントスズカという馬が骨折して安楽死させられて可哀想だという話をしたことを思い出し、「安楽死」という単語をインターネット上で検索し、安楽死させるときに筋弛緩剤を使用するということしか分からず、被害者の死亡と検索結果とを具体的に頭の中で結び付けるには至らなかった(一郎)。このような一郎の対応は、他の家族らの供述と整合しているほか、平成14年4月の報道前に本件病院事務長のVが、初めて一郎らと接触したときに、未だ趣旨を説明する前から、おかしいと思っていたなどと言われた旨供述していること(V)にも整合的であり、その信用性は肯認できる。
ク 未だ抜管して看取ることを全く考えていなかった被告人が、花子から抜管を要請されるよりも前16日午後3時の時点にも抜管を試み、看護記録にはその旨の記載があるのに、カルテに記入されていない(甲81、乙5等)。このように記入していない点が不自然であるうえ、それまでカフ(気管内チューブが抜けないように空気で膨らまされて気管と密着させるもの)が膨らんだ状態で挿管されていたのが、その際の再挿管後はカフに空気を入れておらず、午後3時以後は咳等でチューブが抜けてもおかしくない状況にされていたことは、被告人が、家族が16日夕刻集まった際に看取らせる旨決めていたという前提で考えると、これに整合するものともいえる。
(4) 弁護人らの主張するその余の諸点について
ア 弁護人らは、16日までの被告人と家族とのやりとりについて、入院診療録(甲80)内の入院診療計画書の記載、11月8日の記載、指示箋内の「DNR」との記載、11月16日の記載が、いずれも被害者の病状経過に照らし自然で不合理な点がなく、医師である被告人が病状説明について虚偽の事実を記載する理由が見出し難いなどとして信用性が高いとしたうえ、被告人の供述が、入院診療録の記載内容を基に記憶喚起して事実関係を詳細に述べたものであることから、信用性が高い旨主張する。
しかしながら、同入院診療録の被告人が記入した記載をみると、その記入は相当乱雑で、被害者の容体が1日の間でも変化しているはずであるのに、何時何分の出来事か不明な箇所が多く、家族とのやりとりについては、いつ、誰に、何を伝え、それに対しどういう返答があったかなどの詳細が明らかにされておらず、自らの主観的記載を随所に織り交ぜられており、記載内容の客観性・正確性について検討する必要がある。
イ 弁護人らは、16日までの被告人と家族とのやりとりについて、看護記録(甲81)内のムンテラ内容等を記載した書面、11月14日の本文の記載、同月16日の記載内容が被害者の病状経過に照らし自然であり不合理な点がないうえ、看護婦らが虚偽の記載をする理由は見出し難く、看護記録の記載内容に沿う被告人の供述も信用性が高い旨主張する。しかしながら、まず前記ムンテラ内容等の記載をみると、時刻を含めいつ、誰が、誰に、誰から、何を言ったか、何を聞いたかなどについて曖昧な箇所が多いばかりか、そもそもその記入者の記名すらなく責任の所在が明らかでない。さらに、記入されている内容を見ると、2日、3日、4日、8日及び11日の記入内容が、いずれもカルテの記載をほぼ一言一句書き写したと認められるばかりか、11日については、カルテに「…痰も白い」で改行して「あまり汚れないうちに…」とあるのを「…痰もあまり汚れないうちに…」と誤って転写している箇所まで認められ、カルテを写していないのは南2階病棟に移った旨の12日の記入を除けば5日及び13日のみである。加えて、5日は金銭面の心配及び家族で介護する余裕がない旨の記入でこれに直接対応する記載はカルテにないものの、カルテの入院診療計画書(甲80)には推定入院期間を一、二か月として今週を乗り切れば安定期になる可能性が高いなどと記入されていること、カルテの11月8日欄にも「一旦退院方向もありえる」などと記入されていることから金銭や介護の問題はカルテの延長線上の内容とみることができるが、具体的にどういう経緯でどういう言葉で言われた内容なのかなど記されていないうえ、13日の記入も、いつ、誰が、誰に何を説明したのか不明で、「あきらめた様子でナチュラルコースである」などの記載も曖昧である。全ての記載について、主治医である被告人の目線とは異なった看護婦の立場から被害者の家族とのやりとりの内容を記入し、あるいは被告人がカルテで指摘している事項を発展させてより詳細を明らかにするなどした形跡は皆無といわざるを得ない。また、前記ムンテラ内容等を記載した書面のうち、「DNR」との記入は被告人が記入した指示箋(甲80)を転写したのみであり(L)、ICU退室サマリ(甲81)も「Fa今のままの状態ではFaで介護する余裕がない」まで前記11月5日の記載に依拠していると外見上窺えるうえ、これを記入したK看護婦も、前記ムンテラ等を記載した書面に自分が記入した部分がないことからその書面を自分なりに解釈して記入したと思う旨供述しているのであって、内容を見ても「今のままの状態」の意味の詳細が前記11月5日の記載から何ら付加されていないことにも照らし、いずれも他の書面に依拠したものと窺える。そうすると、看護婦らが、記入する際、その内容が自らの認識と異なる場合にそのまま転写するとは考え難いから、看護記録の各記入内容についてその各記入者が当該内容と異なる認識を持たなかったという限度で証拠価値を認めることができるに止まるものというべきである。この点、弁護人らは、「看護記録の開示に関するガイドライン」(弁23)に「行ってはいけないこと」として「自分が実際に見ていない患者の記録をしない」とあることなどから、家族の意向を実際に確認せずに入院診療録を書き写したり、被告人から聞いた話をそのまま記載することは「絶対にあり得ないはずである」と主張するが、同ガイドラインには「全ての記載に日付と時刻を記入する」、「記載者は定められた形式で署名を行う」とあるが、前記ムンテラ内容等を記載した書面に時刻も聴取・記入者氏名もないことなどのみに照らしても、弁護人らの主張は前提を欠く。
とりわけ、被害者の病状経過と対照させると、入院3日目である5日に介護の心配をしていること自体甚だ不自然であり(仮に9日と読みかえても入院後1週間の時点でありなお不自然である。)、未だ回復を待つべき時期であるのに(C、W)、8日の時点で9分9厘脳死状態とするカルテの記載をそのまま転写していることなど回復をあきらめる被告人記入のカルテの方向にそのまま乗っているとみざるを得ないのであって、看護婦らが被告人の診断・主観に強く影響されていることを窺わせるというべきである。
ウ 弁護人らは、前記ムンテラ内容等を記載した書面(甲81)の右側情報欄最上部の記入について、「11/5」ではなく「11/9」と理解するのが正しい旨主張する。すなわち、F看護婦が、11月5日であると自ら読んでおり(G)、検察官からさらに5日と読んでよいか確認されて「はい。」と明確に答えている(G)ことについて、捜査段階において11月5日と読むことを前提に事情聴取してきたことの影響を受けて誤ったものであり、記載位置も「ムンテラ内容」欄(横書き左側)の記入を終えてから「情報」欄(横書き右側)に記入するのが通常の記載方法であり、内容も自宅介護に関するもので11月8日の被告人の説明(甲80。安定すれば一旦退院方向もありえることなど)を聞いた後の心境と捉えるのが自然かつ合理的であるなどと主張する。なるほど、11月11日については、「ムンテラ」との表題を付けて記入されているものの、情報欄に記入されており、その理由がムンテラ内容欄が埋まったからだと窺える。しかし、問題とされる記入部分の前半はJ看護婦が記入したと認められるところ(G、K)、Jの11月5日の勤務は日勤だが11月9日は午前勤務(午後会議)であり(甲36)、ICUの面会時間に関する花子らの供述に照らし11月9日午前に家族と会うことはなかったと窺えること、その後半を記入したFが前記のとおり5日であると断言していること、11月5日の時点ではムンテラ内容欄は未だ埋まっておらず、問題とされる部分の内容もムンテラというより花子から聞いたことという趣旨である点で情報欄に記入する方が自然であること、春子は、被害者が倒れて三、四日の段階で被告人から自宅で介護できるかを聞かれた旨供述しており、11月5日に整合的であることなどに照らし、問題とされる部分はその記載どおり11月5日と読むべきものと認めるのが相当である。この点、被告人は、第19回公判においては、11月5日を前提にした供述をしていたにもかかわらず、第21回公判に至って11月5日では時期が早すぎること、記載順等から考えて11月9日と読むのが正しい、F(G)が11月5日と読む前提で証言したことの影響を受けて弁護人(岡田)が勘違いして質問し答えてしまった旨供述して変遷している。しかしながら、被告人自身、第19回公判において、11月4日に家族に対しある程度安定期になれば状態が変わらなくても寝たきりのまま自宅でみてもらうことになるかもしれないという趣旨のことを話した旨明確に供述していたのであって、問題とされる記入部分が11月5日であればこの供述と整合するのであって、F供述と直接関わらない4日との関係で合理的説明がなされていないことなども併せ考えれば、前記変遷は合理的根拠があると認められない。
エ 弁護人らは、①当時南2階病棟のL看護婦が、12日に被害者をICUから引き継ぐ際ICUの看護婦から花子が当初助けて欲しいと懇願していたものの意識回復がいつになるかわからないという状態を見て経済的なことを話し積極的な治療から段々何もしない方向に変わったと聞いた、DNRということを12日に花子に話したかもしれない、花子がすごく疲れ切っていた印象があり決断すればいつお看取りになってもおかしくない状況であったと供述していること、②当時南2階病棟のM看護婦が、前記ムンテラ内容等を記載した書面の13日分について自分が立ち会っていたと思う旨供述していること、③Pが、本件抜管の際、被告人から抜管について家族が希望していると聞かされていた、抜管前に家族と被告人との間で何らかの会話があり、抜管したらどうなるかということについて何も説明しなかったという感じではなかった、抜管する際に家族は抜管に対し納得している感じであり、呼吸状態が悪化することは家族も分かっていると思った、被害者が苦悶様呼吸をはじめても慌てた様子もなく再挿管を求めず大騒ぎすることもなかったのでそのような経過について被告人と家族との間で分かっていることだと思った、被害者死亡後も異議を述べたり死亡の理由を問うこともなかった、家族は葬儀屋の手続きなどをしていて落ちついた感じであったなどと供述していること、④Aが、本件抜管の際に被告人が長くはないが家族に対し二言三言話をして家族らがうなずきながら聞いていた、被害者が苦悶様呼吸をはじめる前に家族が泣き出した、被告人と家族との間で説明・了解ができていないとは思っていなかったなどと供述していることは、いずれも看護記録の記載に沿うものである旨主張している。
① Lの上記供述のうち、ICUからの引継ぎに関するものは、引継ぎを担当したICUのK看護婦が記入したICU退室サマリ(甲81)に「Fa今のままの状態ではFaで介護する余裕がないとあきらめかけている状況。詳細はカーデックス参照」とあることに対応しており、Lはこの内容のことを供述していると窺えるところ、Kは、前記のとおり、前記ムンテラ内容を記載した書面を自分なりに解釈して記入したのであるから(K)、この点に関するL供述に特段の証拠価値を見出すことはできない。また、DNRの点は、DNRについて家族に確認したことはあるかとの質問に「はっきりとした記憶がないんですけども、その12日に関して言えば奥さんと話をした記憶は私の中にうっすら残っているので、このことを話したかは分からないですけど、もしかしたら話したかもしれないという記憶ぐらいしかないです。御家族に関して言えば。」と答えたものであり、要するに何か話をしたことがうっすらと記憶に残っているだけということであるから、これをもって、この点に関するL供述に特段の証拠価値を見出すことはできない。また、いつお看取りしてもおかしくない状況との点は、花子の状況が気になっていたというのは具体的にどういうことかとの質問に対し、「…何かいつも病院に来られているのは奥さんという、私の中でそういう先入観があったのかも分からないですけど、その南2に下りてきたという経過も、一つはやっぱりもうお見取りというところで、いつ家族が決断ではないですけど、家族が決断すればお見取りになるかもみたいな、何かそういうのが、いつそうなってもおかしくないような状況でというか、これは多分私の記憶がそうだから、何かいろんなあれと混じっちゃってそう思っちゃってたのかもしれないんですけど、それで、何かすごく気にはしてたから聞いたんだろうし、今も覚えてるのかなって思うんですけど。」と答えたというものであり、証拠上明らかな花子の精神状態に加え、お看取り部屋として使用されていた本件病室に搬入されたという事実の枠内の供述と理解することが可能である反面、それ以上の具体的事情は何ら供述していない。
② Mの上記供述について、Mは、記憶は全くなく記載からの推測であると留保したうえで、「あきらめた様子で」との記入の仕方をみると医師からの伝聞ではなく自ら立ち会ったのだと思う、点滴を減らす「方向」との記入の仕方から医師が話したことを記入したのだと思う旨供述しており、関係証拠と対照しても、Mが被告人と花子らとの会話を見ていて、家族があきらめた様子であったこと及び点滴を減らす方向であると被告人が話したことを窺わせるものである。他方、Mは、前述のとおり、意識不明の患者の点滴を暫時減らしていくことは「DNR」や「ナチュラルコース」の範囲に普段は入らず、家族の了承を得て行うとしても特異であり、死に直接つながる態様ではない、本件においてICUの点滴量と13日ないし18日分の被告人の各指示箋の記載量を対比すると被害者は元気がなくなっていき死亡することになると思うなどとも供述しているが、いずれにせよ前記の記載の経緯について明確にできる内容ではない。
③ 弁護人らが指摘するPの上記供述のうち、本件抜管の際、被告人から抜管について家族が希望している旨聞かされていたとの点は、被告人の供述経過としての証拠であり、また、集まった家族を前にした抜管直前の場面については、被告人がこれから抜管するという内容の話を家族にした旨供述した後、「抜いたらどうなるかということについて何も説明してないと、そういった記憶はありますか。」との質問に「そういう感じもないと思います。」と答えているものに過ぎず、この時点で被告人が抜管によって死に至ることを明確に家族に説明していたのを聞いていれば、前述のN医師とPとのやりとりと整合しない。いずれにせよ死に至ることまで言及されていた旨の供述はしていないことが明らかである。また、家族が納得している感じであったなどとする点については、Pは、「患者さんが亡くなったときに、家族は亡くなることを考えていたかどうかということは私は覚えていない」としながら、「患者さんの家族の方は、チューブを抜いても何も言わずに、慌てる様子もなく、もう本当に亡くなったときにだけ悲しそうな様子は見られました。本当に悲しそうでした。で、その亡くなった後で死後の処置をしたりする」ときに被害者を「おうちに連れて帰りますかとか確認をするんですけど、その際も、もう落ちついた感じというか、もう亡くなってすぐ葬儀屋さんの」「手配」「をできていたような気がする」、「一連の患者さんの様子から見て、それで、今となっては患者さんが亡くなることを分かっていた」などと供述している。しかしながら、抜管直後の場面については、前記のとおり、抜管後も何も言わずに慌てる様子もなかったとする点は、苦悶様呼吸等の発現前とも思われ、16日夕刻の家族らの言動等について特に注意深く意識しておらず、被害者の遺体について当日帰ったと記憶していたというのであり(P)、印象の前提となる事実の正確性に問題があるといわざるを得ない。Pについては、処置等自ら行動・発言したことについての供述の信用性は前述のとおり認められるが、それ以外の供述の信用性には以上のような問題点があるというべきである。
④ Aの供述について、Pから、家族の希望により抜管すると聞いたという点は、Pの供述経過としての証拠であり、抜管直前に被告人が二言三言家族と話をしていて家族がうなずいていたなどの点は、家族らの供述とも被告人の供述とも両立し得る内容である。また、抜管後、被害者が努力様呼吸を開始する前に泣いていたと供述する点は、事前にお看取りすることについて家族側が知っていたことと整合的ともいえるが、意識の回復しない被害者の前に集まった家族の行動として看取ることまで前提にしなくても理解し得ないものではない。さらに、説明と了解の点については、家族らの泣き方に驚いた印象が残っているが他は特に記憶していない旨の供述に対し、検察官が、「例えば、甲野先生と御家族の間で、あれっ、きちんと御説明と了解ができてないんじゃないだろうかとか、そんなことを思ったということはありますか。」と質問し、「いいえ、そのようなことは思っていなかったです。」と答えたものであり、直接的には家族らの泣いている場面の印象に関するものに過ぎず、説明・了解があると思ったとの供述ではないというべきである。
弁護人らが指摘する各供述の証拠価値には以上のような限界があり、これらの供述を根拠に「看護記録の記載内容の信用性が高いことを疑う余地はない」とまではいい難い。
オ 弁護人らは、6日に人工呼吸器を外されたが、11日以後、病状は悪化の一途をたどり、16日には回復が絶望的になっており、家族が治療をあきらめて被告人に抜管して看取ることを依頼することは病状経過に符合して自然であり、被告人の弁解の信用性は高いと主張する。
なるほど、血液検査や細菌検査の結果等から、体内の炎症ないし抗生剤の副作用等の観点からは病状悪化と評価できる。しかしながら、家族らの依頼との関係では、家族らが被害者を見たときの印象についても考慮すべきところ、前述のように、6日に人工呼吸器が離脱され、胃へのチューブや腕の留置針等も取れていき、12日にはICUから一般病棟に移動になっていることなどの事情は、外形的には回復方向との印象を与えるといえるのであるから、検査結果の数値等から単純に評価することはできないというべきである。
カ 弁護人らは、①家族が集まって抜管に立ち会っていること、②前記苦悶様呼吸開始前に家族らが一斉に泣き出したこと、③家族らは「おやじ」「お父さん」などと言って泣き叫ぶばかりで被告人に対し再挿管を求めるなどしていないこと、④家族らが被害者死亡後に被告人らに死亡原因を問い質したり文句を言ったりしていない事実から、予め抜管に同意していたと考えるのが自然であり、被告人の弁解の信用性は高い旨主張する。
しかしながら、①家族が集まったという事実それ自体は家族側の供述と被告人の供述のいずれとも両立し得るうえ、依頼時刻と集まった時刻との関係からはむしろ被告人の供述の不自然性につながるものであることは前記のとおりである。また、②苦悶様呼吸開始前に家族らが一斉に泣き出したとの根拠として弁護人らはA供述及び花子供述を引用している。A供述について既に触れたとおり、このような家族らが意識の戻らない夫、父を目の当たりにして涙を流すことは看取ることまでを前提としなくても十分あり得ることといえ、一人が泣き出せばもらい泣きすることも決して不自然とはいえない。花子については、毎日被害者の顔を見るたびに泣いていた、16日も本件病室に入ると被害者の顔がやせてきているようであったことから涙が出てきたというものであり、花子の精神状況という意味で看取るという方向と抽象的なレベルで整合的であるということはできても、具体的に看取るということとの関係で被告人の供述の裏付けと評価することはできないというべきである。③家族らが被告人に助けを求めなかったという点であるが、これは抜管を依頼されたという被告人側の見方としての評価であり、医師が立ち会っている場面なのであるから、被告人が治療してくれていると思っていたという家族らの供述も不自然とはいえない。さらに、被告人の供述を前提としても、家族らが被告人に直接再挿管等を求める明示の言動はないとはいえ、狭い個室内で被害者に向けて皆で「おやじどうした。」「お父さん、大丈夫。」などと被害者に語りかけ始めたなどの点から、家族らの真意を改めて確認すべき状況にあったにもかかわらず、確認していないこと自体問題があることは既に指摘したとおりである。④家族らが被害者死亡後に被告人らに死亡原因を問い質したり文句を言ったりしていない点については、被告人による抜管や薬物投与によって被害者が死亡したという経過及びその意味内容を家族らが認識していたという前提に立ったときに初めて弁護人らが主張するような評価が可能である。しかし、家族らは、一郎が葬儀後に疑問を呈しながらも結局おさめたという点で一致しており、花子は、抜管後の苦悶様呼吸を見て、被告人が言うとおり菌が体内に入って肺炎等の病気になり99パーセント回復しない状態になったのではないかと理解した旨供述し、春子も、その祖母の経験を交えて急に具合が悪くなって死亡することはあり得ることだと思っていた旨供述しているのであって、他の家族らも医学的知識はなく、しかも突然の予期せぬ死亡を目の当たりにすれば、情緒的にも混乱し茫然自失となるのも無理からぬものであって、弁護人らの主張は前提を欠くというほかない。
キ 弁護人らは、被告人が、17日及び18日分の指示箋(甲80)まで出していることから17日以後も治療を続ける予定であったといえ、16日午後3時にも抜管後に再挿管していることから、家族からの強い要望がない限り本件抜管を行う理由はない旨主張する。しかしながら、16日午後3時の抜管・再挿管については被告人の供述を前提にすればそもそも不可解であることは前記のとおりである。上記指示箋については、なるほど、16日午後3時に尿道カテーテルを交換していること、同日に同指示箋を出していること、同日に血液検査や理学療法を実施していることなどに照らすと被告人の供述に整合するものといえるが、この事実も、被告人が16日夕刻に確実に看取ることを事前に計画・予定まではしていなかったとすれば、看取る意思があることと矛盾するものとはいえない。また、輸液及び酸素供給量に着目すると、これらの減少を12日に行っていること、遅くとも一般病棟の個室に移動になった11月12日ころには、回復をあきらめて被害者に対する輸液・酸素を減らして徐々に死へと導く方針を決めて実行を開始していたと窺うことができる。
ク 弁護人らは、花子が、介護及びこれに伴う経済的問題等について通路で被告人から聞かれた1回のみで、花子から被告人に介護に関して悩みを言ったことはなく、看護婦ともそのような話をしたことがなく、被告人と話をしたいと看護婦に頼んだこともないなどと供述していること、被害者死亡後に本件病院に行ったのは子宮癌検診で1回行ったのみであると供述していることについて、前者は9日に被告人の診察を受けている点(弁19、20)及び前記ムンテラ等を記載した書面の5日欄(弁護人らは9日と読む旨主張)に、後者は12月4日に被告人の診察を受けていること(弁19、20)など客観的事実に反すると主張している。
確かに、9日の診察の事実が花子の供述と相反することは否定し難い。また、春子が本件病院内では花子と片時も離れず二人でいた旨供述している点はそもそも不自然さを免れないところ、この供述も事実に反することになる。その限度で両名の供述の信用性は減殺されるものというべきである。しかし、花子は、8日、被告人から冒頭で99パーセント回復が難しい旨聞いて「パニック」に陥り、同日の被告人の説明は覚えていないなどと供述しており、8日の被告人の説明内容が家族にとって極めて衝撃的で厳しいものであることと併せ考えれば、花子の「パニック」状態が翌9日にも回復していなかった可能性も認められるので、9日の詳細を記憶していないとしても、花子の供述の信用性全体が大きく揺るがされるとまではいえないというべきである。
また、前記ムンテラ等を記載した書面の5日欄については、前提として前記通路における介護の話をした日を、弁護人らは「8日ころ」としているが、花子は、「8日ころ…日にち、はっきり分からない」、入院から約三、四日後と供述していることから、5日ないし6日ころと理解した方がより正確とも思われる。また、弁護人らは、同5日欄の記入を、Jが直接花子から聞き取った前提で主張しているが、既に指摘したように、この記載が直ちに聴取経緯までを明らかにするものとはいえず、その経緯は不明といわざるを得ない。さらに、同欄の意味も花子が自発的に言った内容なのか質問者の予断が入っているのかこれも明らかとはいえない。そうすると、介護に関し被告人と1回話をしたことがあることは花子も述べており、その日を5日と仮定すれば前記5日欄の記載と符合し、内容について被告人の主観をも交えて看護婦に伝達されたと考えれば花子の供述にほぼ沿う理解も可能というべきである。後者については、花子の供述が12月4日に被告人の診察を受けているという事実に反することは明らかである。関係証拠から明らかな花子の性格等からすれば、被害者死亡後の精神的落胆は大きかったと窺え、現に同日に睡眠導入薬が処方されていることとも整合する。そうすると、当日の花子にとって12月4日の受診について、証言時に記憶に残っていないとしても直ちに不自然とまではいえない。この点から花子の抜管依頼の事実の有無等に関する供述の信用性にまで直接影響するとまではいえないというべきである。なお、弁護人らは、「花子の立場からすれば、被告人に勝手に抜管され、被害者を殺された」と「いうことになり」、一郎が葬儀後に死に方について問題提起していたのであるから、本件病院での診察は忌み嫌うはずである旨主張するが、この主張は花子が被害者死亡の原因が被告人の抜管、投薬によることを知っていることが前提となるところ、花子らはそのような認識はなかった旨供述しているうえ、一郎も医学的に素人ゆえ思い違いかもしれないなどとして調査等はしないことにしており(一郎)、その理由も家族らが被害者死亡により強い精神的衝撃を受けている際に騒ぎ立ててほしくないというものであること、家族らが被害者の容体についていつ急変してもおかしくないなどと何度も医師から聞かされ、被告人からは脳死状態とまで言われていたうえ、被告人自身、被害者死亡後、家族らが泣いているうちに静かに本件病室を退室して何も説明しなかったことを自認しているのであるから(被告人19回)、前記受診当時、未だ家族らが本件の死因や被告人の行為の意味を知らないことは十分あり得るのであって、弁護人らの主張は前提を欠く。
ケ 弁護人らは、家族らの供述が、家族が集まって抜管に立ち会っていること、前記苦悶様呼吸開始前に家族らが一斉に泣き出したこと、家族らは「おやじ」「お父さん」などと言って泣き叫ぶばかりで被告人に対し再挿管を求めるなどしていないこと、家族らが被害者死亡後に被告人らに死亡原因を問い質したり文句を言ったりしていないことにそれぞれ反する旨主張するが、いずれも採用できないことは既に検討説示のとおりである。
コ 弁護人らは、花子が、十数年にわたり被害者を診てきた被告人が主治医ということで安心しており、その説明を短いと感じたものの自ら質問しなかったなどと供述している点について、夫が生死をさまよっているのであるから、被告人の説明が不十分であると感じれば質問するはずであり、花子の供述は不自然・不合理であると主張する。しかしながら、十数年診てきたと聞いて任せておけば大丈夫だと思うというのは患者家族の心理として不自然ではなく、疑問点等を積極的に質問するか否かはその人の性格等による違いが大きいところ、花子の性格等については既に触れたとおりであるうえ、被告人自身も、4日の時点で、花子が自ら積極的に話をしてくるタイプでないと感じていたことを自認しているのであるから(乙7)、この点に関する主張も失当である。
サ 弁護人らは、花子が、16日の抜管の理由を、「手足が曲がるし、ばい菌も入って肺炎も起こす」などと被告人から聞いた旨供述していることについて、およそ理解不能で不合理な説明であるなどと主張する。しかしながら、その主張は、気管内チューブの機能・意義等を正確に理解していたことが前提となるところ、既に検討したとおり、花子らがそのような理解が当時できていたとは認めることができないうえ、被告人から聞いたとする内容は、挿管それ自体の弊害ではなく挿管したまま延命措置を続ける弊害と考えると、手足の関節が硬縮する、ばい菌に冒されて痰が汚れるなどしていくなどという弊害(乙15等)と符合し、花子が被告人の説明の断片を記憶して伝えたとすれば、理解できないものではないから、この点に関する主張も採用できない。
シ 弁護人らは、本件病院側が謝罪と賠償をすることを決めたうえ家族に接触したこと、世間体から真実を語ることを憚られたこと、被告人が起訴された以上その依頼をしたことを認めれば、家族らも刑事責任を追及される可能性があることから、花子ら家族には、事実に反する供述をする理由があると主張する。しかしながら、そもそも花子ら家族側から被告人及び本件病院に対し損害賠償を求める動きをしている気配は認められず(弁71)、世間体を気にして虚偽の供述をしているというのであれば、家族内で供述をすりあわせてより自己の供述を補強する内容になってもよいはずのところ、花子らの供述は、日時等の詳細について曖昧な部分や細部の出来事に関しては一致していない点も多く、むしろ各自が自己の記憶の範囲内で供述しようとしている態度が窺えるうえ、被告人への依頼を前提とした家族らの刑事責任の有無等について、経歴等から特段の法律知識があるとも窺えない花子らが、共犯処罰まで考えているという主張にもやや無理があるというべきである。したがって、弁護人らの主張する可能性は相当低いといわざるを得ない。
ス 弁護人らは、花子の供述が非公開で行われたのは報道機関や多数の傍聴人を前に虚偽の供述をすることができなかったからであり、花子らが本件公判を傍聴に来ていないことについて、不審な態度であるとし、これらの態度から家族らの供述の信用性は低い旨主張する。しかしながら、花子及び秋子が性格的・精神的に平均人ほど強くないことについては、関係証拠から明らかな平成10年当時の花子及び秋子の精神状態や診断・処方内容からもある程度窺うことができるうえ、花子は、その証言時である平成16年2月12日当時にも、本件が報道されてから不眠等に悩まされ、神経科に通うようになって毎日6種類の薬を飲んでいる旨供述し、秋子も、中学卒業後に引きこもりになり、その証言時である同年5月21日、本件の関係で偏頭痛及び不眠の症状があって花子から安定剤をもらって服用しているが、飲む頻度が増えてきているなどと供述しており、弁護人もそのような事情を了解して非公開での尋問手続に異議なく立ち会って供述がなされたのであるから、これらの供述について特に不審な態度というべき事情は認められない。また、本件公判の傍聴をしていないという点も、一郎及び二郎は前記のとおり家業の関係で締め切りに追われる日々ゆえ平日午前10時から午後5時まで行われている法廷に来ることは困難と窺えること、花子及び秋子は上記のような心身の不調もあるうえ、そもそも本件公判開始当初、法廷を終えた被告人の庁舎外への退出時の混乱の様子が一部報道機関によって報道されていることは当裁判所に顕著な事実であり、本件についての本件病院側発表当初のマスコミ報道等により普段の生活にも支障を来したという家族らが傍聴に来れば自分も巻き込まれるのではないかと考えて尻込みしても不自然とはいえず、そもそも犯罪被害者の遺族が必ず傍聴に来るわけでもないことも裁判所に顕著な事実であって、傍聴に来ないことを不審な態度であるということはできない。いずれの主張も失当である。
セ 自宅介護について、家族らは、格別の危機意識をいだいていなかった点で供述が概ね一致している。他方、被告人は、入院後初めて被害者を診察した4日の時点で、家族に対し、ある程度安定期になれば状態が変わらなくても寝たきりのまま自宅でみてもらうことになるかもしれないという趣旨のことを話した旨自認しており(被告人19回)、前記のとおり、家族の供述とも符合してこれを信用することができるというべきである。被告人は、一方で、介護の話を家族にしたとすれば8日以後であるなどと供述を変遷させて(被告人21回)、前記ムンテラ等を記載した書面の5日欄を9日欄と読む旨主張するに至ったものであるが、これが信用できないことは前記のとおりである。むしろ、被告人は捜査段階においては、治療方針を決定するうえで家族の気持ちを知ることが大事であるところ、介護に対する気持ちはそれをよくあらわしていると思うから、入院後1週間以内の時点で介護できるか否か話をすることは早くないと考える旨明確に供述していたこと(乙9。乙7では8日及びそれ以前の花子に対する印象から自宅介護を一人でするのは難しいと感じた旨供述している。)及び4日作成された入院診療計画書にも、今週を乗り切れば安定して植物状態になる可能性が高い旨の記載が認められること(甲80)とも矛盾がなく、本件における自宅介護の問題の検討の必要性及びその時期に関する点で変遷がある。ところで、関係証拠から認められる被害者の病状経過等に加え、見た目からも明らかであったと窺える花子の精神状態等にも照らすと、特に自宅介護の問題を持ち出す必要性も相当性も低かったと窺うことができるうえ、前記5日欄には、経済問題への言及がなされているが、前記乙山工務店の確定申告書等からも、被害者死亡後、売上げが若干減少しながらも順調に経営していたことは明らかで、資産関係等からも、一家の大黒柱が倒れたことによる不安があるものの、具体的に経済的問題で悩む段階になかったことは明らかであり、5日の記載内容はそれ自体相当不自然であり、前記のとおり聴取者の主観の影響を相当受けたものと窺うことができる。なお、被害者の子3人にいずれも幼い子がいることなどの事情は、介護の可否を検討する場合に心配要素となるが、5日欄には経済問題しか記入されていない。被告人が、8日の時点で、花子から、自分は体が弱いうえ小さい子が嫁・娘にいて介護まで手が回る状態でなく人手的にも介護できないと聞いた旨供述し(被告人21回)、9日の時点で、花子を診察した際、花子から、被害者の容体が安定すれば退院して自宅介護しなければならないかもしれないと考えると夜も眠れず食事も喉を通らないと言われたと思う旨供述している(被告人27回)。しかし、花子らが、具体的に介護について悩んでいたのであれば、前記5日欄の記入のほかに、これを具体化する記載等がカルテないし看護記録にあるのが自然なところ記載はなく、患者・その家族が将来の不安を訴えた場合に医療相談室において相談に乗る制度もあったというのであるが(W、G)、花子らがその紹介を受けた事実も窺えない。そうすると、花子らが自宅介護に関する不安を当時いだいていたことがあるとしても、具体的かつ切迫したものではないのに、被告人ないしは看護婦が片面的にその介護能力等に懸念を懐いていたものと認めることができる。
4 小結
以上検討のとおり、被告人は、被害者を診療していく中でその身体が細菌等に冒されるなど汚れていく前に看取りたいとの気持ちをいだき(前記のとおり、被告人は、患者は気管内チューブを異物と捉えて取り去りたいという本能がある、点滴量を自然に減らすことが体にあっている、意識がない状態で点滴のみで生きる状態は患者にとって被害であるなどの考えを持っていたこと、被害者に出来る限り自然なかたちの死を迎えさせたい、「ナチュラルコース」でいきたいという気持ちがあったことなどを自認している。乙8、9、被告人19回、27回、同28回等)、自己の考えによる方針を示唆し、不十分なやりとりをしただけで、それを家族らも了承したものと軽率にも速断し気管内チューブの抜管により穏やかに死亡させる意図でこれを実行したが、予想外の被害者の激しい苦悶様呼吸を目の当たりにして周章狼狽し、鎮静剤の大量投与も奏功しない中で、呼吸停止に直結することを知りながら苦悶様呼吸を止めるため筋弛緩剤であるミオブロックを静脈注射することを決意したと認めることができる。なお、既に検討したように、気道確保措置がとられなければ、本件の抜管のみでも被害者が死に至ることを認めることができ、また、人工呼吸器を付けずになされる本件のような筋弛緩剤投与も死に至らせる行為といえるところ、本件においては、前記のように予期せぬ展開から後者まで行われるに至ったという経過はあるものの、被害者を死亡させるという故意の連続性は維持されており、その下でこれらの行為が行われているのであるから、その全体を殺人の実行行為に当たるものと解することが相当であり、前記認定犯罪事実のとおり認定した次第である。
(法令の適用)
被告人の行為は、行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法199条に、裁判時においてはその改正後の刑法199条に該当するが、これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから、同法6条、10条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中有期懲役刑を選択し(有期懲役刑の長期は、同様に改正前の同法12条1項による。)、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し、後記情状により、刑法25条1項を適用してこの裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は、刑訴法181条1項本文により被告人に負担させることとする。
(違法性に関する主張について)
1 弁護人らの主張
弁護人らは、東海大学安楽死事件判決(横浜地判平成7年3月28日判例時報1530号28頁・判例タイムズ877号148頁)の説示を援用し、本件抜管行為が、治療不可能で回復の見込みがなく死が不可避な末期状態において、治療を中止すべく被害者の意思を推定するに足りる家族の強い意思表示を受けて、被害者に自然の死を迎えさせるために治療行為の中止としてなされたものであり、実質的違法性ないし可罰的違法性がない旨主張している。そして、本件抜管行為は、低酸素性脳損傷により意識が回復せず昏睡状態にある患者に対して、医師がその生命維持のための治療を中止したものであり、被害者の余命については、Y鑑定等によれば、約1週間から3か月程度の可能性が最も高いとされている。そこで、この点に関する当裁判所の判断を示しておく。
2 末期医療における治療中止について
このような事例、すなわち、末期医療において患者の死に直結し得る治療中止の許容性について検討してみると、このような治療中止は、患者の自己決定の尊重と医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠として認められるものと考えられる。
生命が尊貴であり、生命への権利・生命の最大限の保護がその担い手の生存期間の長短、健康、老若、社会的な評価等において段階付けられることなく保障されなければならないことはいうまでもない。とりわけ、医療において、生命が最大限尊重され、その救助・保護・維持が可能な限り追求されるべきであることは論を待たない。しかしながら、既に指摘されているように、近時の高度な延命医療技術発展の結果、過去の医療水準であれば人間の自然な寿命が尽きたと思われる後も、種々の医療機器等の活用によって生物学的には延命が可能な場合が生じ、過剰医療との批判も生じてきている。そのような状況が、患者に、自己の生の終わりをどのような形にするか、自己の生き方の最後の選択として、死の迎え方、死に方を選ぶという余地を与えるとともに、医師の側には、実行可能な医療行為のすべてを行うことが望ましいとは必ずしもいえないという問題を生ぜしめて来ているものと思われる。この前者が患者の終末期における自己決定の問題であり、後者が治療義務の限界の問題である。
したがって、末期、とりわけその終末期における患者の自己決定の尊重は、自殺や死ぬ権利を認めるというものではなく、あくまでも人間の尊厳、幸福追求権の発露として、各人が人間存在としての自己の生き方、生き様を自分で決め、それを実行していくことを貫徹し、全うする結果、最後の生き方、すなわち死の迎え方を自分で決めることができるということのいわば反射的なものとして位置付けられるべきである。そうすると、その自己決定には、回復の見込みがなく死が目前に迫っていること、それを患者が正確に理解し判断能力を保持しているということが、その不可欠の前提となるというべきである。回復不能でその死期が切迫していることについては、医学的に行うべき治療や検査等を尽くし、他の医師の意見等も徴して確定的な診断がなされるべきであって、あくまでも「疑わしきは生命の利益に」という原則の下に慎重な判断が下されなければならない。また、そのような死の迎え方を決定するのは、いうまでもなく患者本人でなければならず、その自己決定の前提として十分な情報(病状、考えられる治療・対処法、死期の見通し等)が提供され、それについての十分な説明がなされていること、患者の任意かつ真意に基づいた意思の表明がなされていることが必要である。もっとも、末期医療における治療中止においては、その決定時に、病状の進行、容体の悪化等から、患者本人の任意な自己決定及びその意思の表明や真意の直接の確認ができない場合も少なくないと思われる。このような場合には、前記自己決定の趣旨にできるだけ沿い、これを尊重できるように、患者の真意を探求していくほかない。この点について、直接、本人からの確認ができない限り治療中止を認めないという考え方によれば解決の基準は明確になる。しかし、その結果は、そのまま、患者の意に反するかもしれない治療が継続されるか、結局、医師の裁量に委ねられるという事態を招き、かえって患者の自己決定尊重とは背馳する結果すら招来しかねないと思われる。そこで、患者本人の自己決定の趣旨に、より沿う方向性を追求するため、その真意の探求を行う方が望ましいと思われる。その真意探求に当たっては、本人の事前の意思が記録化されているもの(リビング・ウイル等)や同居している家族等、患者の生き方・考え方等を良く知る者による患者の意思の推測等もその確認の有力な手がかりとなると思われる。そして、その探求にもかかわらず真意が不明であれば、「疑わしきは生命の利益に」医師は患者の生命保護を優先させ、医学的に最も適応した諸措置を継続すべきである。
治療義務の限界については、前述のように、医師が可能な限りの適切な治療を尽くし医学的に有効な治療が限界に達している状況に至れば、患者が望んでいる場合であっても、それが医学的にみて有害あるいは意味がないと判断される治療については、医師においてその治療を続ける義務、あるいは、それを行う義務は法的にはないというべきであり、この場合にもその限度での治療の中止が許容されることになる(実際には、医師が、患者や家族の納得などのためそのような治療を続ける場合もあり得るがそれは法的義務ではないというべきである。)。なお、この際の医師の判断はあくまでも医学的な治療の有効性等に限られるべきである。医師があるべき死の迎え方を患者に助言することはもちろん許されるが、それはあくまでも参考意見に止めるべきであって、本人の死に方に関する価値判断を医師が患者に代わって行うことは、相当ではないといわざるを得ない。もちろん、患者が医師を全面的に信頼し全てを任せるということも自己決定の一つとしてあり得る。さらに、医師と患者・家族の揺るぎない信頼関係が確立され、死に方の問題も医師の判断・英知に委ねるのが最も良い解決法であるとの確信が一般化しているような状況があれば(それは終末医療の一つの理想ともいえよう。)、医師の裁量に委ねることは望ましいことともいえよう。しかし、残念ながら、そのような状況にあるとはいえない現状であることは大方の異論のないところであろう。
3 本件における問題点
(1) 回復不可能性及び死期の切迫について
被告人は、被害者の脳波等の検査すら実施していないため、被害者の余命等について鑑定を嘱託されたY教授が、被害者の余命を事後的に推定するために必要な臨床的情報が揃っておらず発症から未だ2週間の時点であることからも幅をもたせた推定しかできないと指摘している(甲13・3頁)。したがって、本件においては、被害者の回復の可能性や死期切迫の程度を判断する十分な検査等が尽くされていないことが明らかである。また、本件病院は川崎市所在の病床数200を超える総合病院で、被告人は当時19年余の臨床経験を有し、その呼吸器内科の長であったこと、本件抜管行為を緊急に実施すべき事情も何ら認められないことから、被告人が脳神経外科医等他の医師の意見等を徴して被害者の病状について慎重に検討を加えることは容易に可能であったというべきである。また、治療中止の前提としての死期切迫等を検討する場合には、既に述べたように「疑わしきは生命の利益に」判断すべきであるところ、本件においては、この点も問題である。すなわち、Y鑑定等によれば、被害者の余命は、①昏睡が脱却できない場合(およそ50パーセント程度の確率)、短くて約1週間、長くて約3か月程度、②昏睡から脱却して植物状態(完全に自己と周囲についての認識を喪失すること)が持続する場合(同40パーセント)、最大数年、③昏睡・植物状態から脱却できた場合(同10パーセント程度)、介護の継続性及びその程度により生存年数は異なるとされていること、当時本件病院の同僚医師であったC及びWも、被害者については、入院2週間しか経過しておらず、未だ回復を待つべき段階にあった旨供述していること(C60頁、W31頁)などに照らせば、被害者に対しては、まずは昏睡から脱却することを目標に最善を尽くし、昏睡から脱却した場合にはさらに植物状態から脱却することを目標に最善を尽くして治療を続けるべきであったというべきであって、到底、前述の「回復不可能で死期が切迫している場合」に当たると解することはできない。
(2) 患者本人の意思の確認について
本件においては、患者の意識が回復していないので、前記のように他の資料からその意思を探求していくほかない場合といえるが、本件において、被告人は、患者を最も良く知ると思われる家族らに対しても、患者本人の意思について確認していないのみならず、その前提となる家族らに対する患者の病状・余命、本件抜管行為の意味等の説明すら十分にしていなかったことは、既に認定説示したとおりである。すなわち、被告人は、突然の被害者の入院、心肺停止、蘇生、昏睡等によって精神的に相当不安定となり医学的知識もない妻らに、9割9分植物状態になる、9割9分9厘脳死状態などという不正確で、家族らの理解能力、精神状態等への配慮を欠いた不十分かつ不適切な説明しかしておらず、結局、本件抜管の意味さえ正確には伝えられていなかったのである。家族らにおいても、患者本人の治療中止に関する意思を検討する前提となる情報を欠いていたことは明らかというほかない。なお、前記認定のように、被告人としては本件の家族らが治療中止を了解しているものと誤信していたが、この誤解も、被告人の説明等が不十分であること、患者本人の真意の探求を尽くしていないことの顕れというべきである。結局、本件においては、被告人が診療の際に受けた患者本人の印象と前記のような家族らの誤解に基づく了承以外には、患者本人に治療中止の意思があったことを窺わせるような事情はなく、前記要件をみたしていないことは明らかである。
(3) 治療義務の限界について
被害者が本件病院に搬送されてからの病状並びに医師及び看護婦による処置の内容等は既に認定したとおりであるが、2日に心肺停止状態で本件病院に搬送されて必死の救命措置により蘇生され、集中治療室に搬送されて以降適切な医療・看護が施され、自発呼吸が出てきたことから、気道確保のために気管内チューブを残したまま人工呼吸器を離脱させて酸素を供給する装置を接続し、10日及び11日には脳の機能回復を目標に高気圧酸素療法が試みられ、12日に一般病棟に移った後もナースステーションに向き合う個室において本件抜管行為の直前まで適切な医療措置が行われていたものと認めることができる(Y鑑定等)。しかし、本件抜管の時点においては、前述のように、被害者には未だ昏睡からの回復、さらには植物状態からの回復という可能性も前述のような確率で残されていたのであるから、医師としては、本件患者の昏睡等の脱却を目標に最善を尽くして治療を続けるべきであったというべきである。そうすると、被告人の本件抜管行為は、治療義務の限界を論じるほど治療を尽くしていない時点でなされたもので、早すぎる治療中止として非難を免れないというべきである。本件においては、この観点からの治療中止も許容されないことが明らかである。
4 結論
そうすると、本件抜管行為については、その違法性を減弱させるような事情すら窺えず、実質的違法性ないし可罰的違法性がないとの弁護人の主張は採用の限りではない。
(量刑の事情)
1 本件は、気管支喘息の重積発作で低酸素性脳損傷となり昏睡状態が続いていた被害者が、入院先病院の主治医によって、気道確保のために挿入されていた気管内チューブを抜管されたうえ、筋弛緩剤を静脈注射されて窒息死させられたという衝撃的な事案である。
既に触れたとおり、生命は、尊貴なものであり、その生存期間の長短、健康、老若、社会的な評価等において段階付けられることなく保障されなければならない。とりわけ、医療において、その生命の保護が最大限尊重され、可能な限り追求されるべきであることは論を待たない。そこには健常者であれ障害者であれ等しく尊重され最大限守られなければならないことはいうまでもない。また、生命の尊さについては、いかに死期が迫り、病状の回復が望めず、消えゆく命であっても、あるいは昏睡状態、植物状態に陥っていたとしても、それぞれに差異を設けることは許されない。
2 本件被害者は、昏睡状態に陥っていたとはいえ、気道確保されていれば自発呼吸可能な状態にあり、最悪の推定でもなお1週間から3か月程度の余命があった可能性が高かったうえ、発症から約4週間(本件当時からなお約2週間)前後までは昏睡から脱却できる可能性も40パーセント程度残されており、その場合には植物状態に移行して数年余命を保つ可能性があり、10パーセント程度ではあるが、重度の高次脳機能障害を伴うとはいえ大脳機能が回復する可能性もあったというのであるから、発症から14日しか経ていない本件当時、そのような回復を目標にした治療を求めるべき立場にあったといえるのである。その回復の可能性を絶たれ、昏睡状態で愛する妻、子及び孫等の顔を見ることもできないまま、58歳でこの世を去らざるを得なかった被害者は真に哀れというほかない。
被告人は、家業を率いる被害者が突然倒れ、精神的に大きな衝撃を受けたうえ、医療知識も乏しい妻らに、回復の見込みすら未だ不明な入院2日後に9割9分植物状態になる、入院6日後に9割9分9厘脳死状態などとの衝撃的で不正確な説明をするなど、配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた結果、家族らの誤解を招く一方、病状に関する診断の当否、回復可能性などについて、容易に実施可能な脳波検査等や複数の医師の意見聴取なども怠ったまま、治療中止に関する家族の真意を十分に確認もせずに、自己の看取る方針が了承されたものと軽信して、その方針で押し進め、家族らの意思に反して被害者の治療を中止するのみならず、筋弛緩剤まで投与して死亡させるに至ったのであるから、本件行為は医療行為として不適切であったというに止まらず、明らかに許される一線を逸脱しているものとして厳しい非難を免れない。
その行為の態様も、昏睡状態の被害者の生命維持に不可欠な気管内チューブを抜管し、生理的反応から苦悶様呼吸を続ける被害者の様子やその家族らの泣き叫ぶ声を聞くに至っても、家族の意向の再確認もせず、多量の鎮静薬を用いても十分奏効せず、結局、苦悶様呼吸を1時間近く継続させた挙げ句、筋弛緩剤を静脈注射して窒息により死に至らせたというものである。加えて、被告人は、本件犯行後、カルテに虚偽の記入までしており、事後の情状も良くない。さらに、被告人は、筋弛緩剤の投与方法などの点で不自然な弁解をするなど、素直な反省の態度がみられない点も甚だ遺憾というほかない。遺族らは、本件が発覚するまで被害者死亡の真の原因を知らず、平成14年4月、真相を知り、とりわけ当時の弁護人を通じ遺族らに責任転嫁するような報道がなされたことから、妻が神経科への通院を余儀なくされるなど再び強い精神的衝撃を受けているのであって、家族らの処罰感情が厳しいのもまことに無理からぬものというべきである。加えて、本件が大病院の要職にあるベテラン医師によって行われたことから、病院や医師に対する信頼失墜を加速し、患者・家族をはじめ一般国民の病院医療に対する不信感等を助長したものと窺え、その社会的影響も看過し難い。
以上の情状に徴すると、被告人の刑事責任には相当重いものがあるといわざるを得ず、被告人に対しては実刑をもって臨むことも十分考えられるというべきである。
3 他方、本件には以下のような諸事情があり、これらは被告人のために斟酌すべき情状というべきである。
まず、被告人が本件に及んだ遠因として、本件病院の体制に問題があったことを指摘せざるを得ない。すなわち、被告人は、当時、呼吸器内科部長であったうえ、本件病院内の外来診療、その系列病院等への出張診療に加え、多くの担当患者を受け持ち、往診まで担当し、看護の助力もしていたというのであるから、極めて繁忙な状況におかれていたことが窺え、自ずから一人の患者に割ける時間には限界を生じ、これが、結果的に患者家族との意思疎通を十分に図れないまま方針決定せざるを得ない場面をも生じさせ、本件家族の意思把握の誤りにつながったものということができ、病院の管理体制には相当な問題があったといわざるを得ない。家族との意思疎通の不足について被告人一人を責めることはいささか酷に失するきらいもあると思われる。加えて、深刻かつ重大な判断を日夜迫られる終末医療の現場において、いわゆるチーム医療充実の必要性が指摘されて久しいにもかかわらず、本件病院においては、例えば、昏睡状態の患者にどのような態度で医療に臨み、余命推定等の重要事項をどう診断するかなどについてすら、チーム医療、すなわち複数の医師及び看護婦等が連携して症例を検討し、対応を決めていくことのできる体制が確立されていなかったことを指摘せざるを得ない。この点も本件の背景となった事情というべきものと思われる。さらに、被告人は、このような繁忙な中で、私生活を犠牲にしてまで意欲的かつ献身的に医療に携わっていた。この点は当時の院長はじめ同僚医師や看護婦等関係者が概ね一致して供述するところであって、被告人の医療に対する姿勢や熱意・技量を評価する患者も多数いるものと窺える。加えて、本件治療中止の判断に影響を与えたと窺える昏睡状態、植物状態の患者を支える医療制度等は必ずしも十分とはいえない状況にあり、本件には、そのような患者の受け皿等に苦悩する医療現場において生じた問題という側面も窺えないではない。被害者が本件病院に搬送されてから本件行為直前まではその回復に向けた努力が相応になされていたこと、その予後が前述のように相当厳しかったこともまた否定し難い。さらに、被告人が、筋弛緩剤を投与したことについては、その直前に、本件病院において最も呼吸器医療や医薬品に通じていたとも窺える被告人が後輩の医師に助言を求めていることからも明らかなように、被害者の予想外の苦悶様呼吸を、幼児を含む家族らに見せ続けることを避けようと焦り、慌てる中で、同医師の言葉から筋弛緩剤投与をとっさに思い付いたもので偶発的な要素も窺える。前記のように、あるべき姿とはいい難く、その誤解自体、それを招いた責めは免れないものの、被告人の主観においては、被害者家族の了解の下に、被害者及びその家族のためになるものと信じて本件抜管等が行われたこともまた否定し難い。前述の職務熱心、責任感等によるものであろうが被告人には独善的な態度もみられ、それがそのような誤解等の一因となっていると窺え、この点は厳しく自戒を求めなければならないが、被告人は、今後家族の意向に反するような医療を行うことはない旨述べている。また、本件特有の問題点として、捜査開始が事件の数年後となりある程度の記憶の混乱等は無理からぬ点もある。
これらの事情に加え、本件病院が、損害保険を利用して遺族らに賠償する準備を進めていること、被告人には未成年の子がいること、20年余前に業務上過失傷害で罰金刑に処せられたほかは前科がないこと、本件の発覚を契機に平成14年2月末日付けで20年以上精勤し要職を務めていた本件病院からの退職を余儀なくされ、さらに、本件が新聞等で広く報道され、相当期間被告人としての立場に置かれるなどしてある程度の社会的制裁を受けていることなどの酌むべき諸事情が認められる。
4 以上の事情に加え、検察官の求刑からも明らかなようにこの種事犯に対する量刑については様々な考え方があり得ること、近時の生命犯に対する量刑の動向及び平成10年当時の量刑水準などの諸点も考え併せると、被告人に対しては、主文のとおり科刑してその罪責を明確にしたうえ、その刑の執行を猶予することが相当と思われる。
(裁判長裁判官・廣瀬健二 裁判官・片山隆夫、裁判官・西村真人は転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官・廣瀬健二)