大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成14年(ワ)1669号 判決 2003年9月19日

原告

A野花子

同訴訟代理人弁護士

菊地哲也

同訴訟復代理人弁護士

岡田尚

被告

医療法人社団 天道会

同代表者理事長

菅谷良男

同訴訟代理人弁護士

鈴木周

主文

一  原告が被告に対し平成一三年六月九日付け診療契約に基づく金八〇万円の債務を負担していないことを確認する。

二  被告は、原告に対し、金五六万〇三九五円及びこれに対する平成一四年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその他の損害賠償請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決の第二項は、仮に執行することができる。

事実

第一原告の請求

一  主文第一項と同旨

二  被告は、原告に対し、金五八万九三七五円及びこれに対する平成一四年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

(1)  当事者

ア 被告は、「菅谷クリニック」及び「横浜菅谷クリニック」を経営している医療法人である。

イ 原告は、平成一三年六月九日に、菅谷クリニック(以下「被告クリニック」という。)において診療契約に合意して、同日前額部の治療を受けた者である。

(2)  契約締結の経過

ア 原告は、平成一二年四月ころから、前額・頬部のシミが気になるようになって、山本内科タワーズ皮膚科で診療を受け、前額・頬部の「肝斑」と診断されて投薬を受けた。そして、平成一三年三月ころに出された薬がなくなるまで服薬を継続して、シミは薄くなってきていた。その後薬もなくなり、再びシミが少し濃くなり始めていたようであったため、土日も診療が可能な被告クリニックで平成一三年六月九日に診察を受けた。

イ 原告は、平成一三年六月九日、被告クリニックの形成外科において、菅谷良男院長(被告代表者。以下「菅谷院長」という。)の診察を受けた。

ウ (被告クリニックの説明内容)

(ア) その際、菅谷院長は原告にレーザー治療を勧め、同治療についての原告の質問に対し次のように回答した。

すなわち、菅谷院長は、レーザー治療は色素沈着の心配がほとんどない旨を明言し、他方、レーザー照射後の再発の可能性、肝斑にはレーザー照射が適しないこと、熱傷が起こることがあること、炎症性色素沈着、色素脱出を来すことがあること、色素沈着が発生した場合には別途治療を要し、レーザー治療とは別途の費用がかかるなどの重要な不利益事実を告げなかった。

それどころか、原告が「レーザー後何もないのか。」などと質問したのに対し、治療前よりシミが濃くなることはない、レーザー一回できれいになる、一〇歳若くなる、レーザーにはたいした痛みはない、翌日予定されていた温泉旅行も差し支えない、帰りには化粧して帰ることもできるなどと明言した。

(イ) 原告は、菅谷院長から「二〇%の方が色素沈着を起こす」との説明を受けたことはなく、当日の施術後に他の医師から、色素沈着の可能性について説明を受けたものである。

むしろ反対に、被告クリニックの待合室や診察室に貼ってあった写真(甲三裏側掲載写真部分)に「色素沈着」と書かれていたことから心配になって原告が尋ねたところ、原告は「二〇%というのは旧レーザーのことで、うちで使っている最新式のレーザーは色素沈着はほとんどない。」、「レーザー後何もない。」という説明を受けた。

エ そこで、原告は、同日、両頬及び前額部のシミをとるレーザー治療を内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を次の内容で締結した。

(ア) 代金 八〇万円(消費税込みで八四万円)

(イ) 代金支払時期 一週間後ころ

(ウ) 治療予定 契約当日に前額部の治療を行い、一週間後ころに頬の治療を行う。

(3)  施術

ア 契約当日の平成一三年六月九日に、前額部にレーザー治療が行われたが、あまりの痛さのため、原告が菅谷院長にその旨を訴えたところ、菅谷院長は原告に麻酔を施すとともに、レーザーの機種を変更して治療を継続した。

イ 施術後、原告は看護婦から「治療を受けた方へ」と題する書面(甲六)を受け取った。

(4)  施術後の経過

ア 施術後、原告は、痛みとショックのため半ばパニック状態で、会計で事務員に指示されたとおり「お支払約束書」と題する書面(甲七)の空欄箇所を作成し署名押印させられた。

原告は、同日被告クリニックに三八七〇円を支払ったが、第二回目は、六月一六日に八三万六一三〇円を支払うということであった。

イ (治療による熱傷、炎症性色素沈着、色素脱出)

(ア) 額の治療後、原告は額のぴりぴりする痛みが取れなかった。また、額の焦げたような跡から液体がしみ出て、かさぶたになっている部分もあり、腫れと痛みで触れない状態になっていた。

治療した額のシミは取れず、治療前よりもシミが濃くなったり、以前シミがなかった箇所にやけどの跡のような炎症、瘢痕が出たりした。

(イ) 甲一五(七月一二日付け山下医師の診断書)のとおり、被告によるレーザー照射後、前額部左側が「色素脱出」、右側が「炎症性色素沈着」の状態になった。

また、乙一の六月二八日の欄に、岡芹医師の筆跡で右前額部色素沈着、北田医師の筆跡で右前額部に「熱傷」、「瘢痕」の記載があり、左側に「色素脱出」の記載がある。

(ウ) このように、原告は本件レーザー照射によって、熱傷を負い、炎症性色素沈着、色素脱出を来したのである。

ウ 六月一五日、原告は菅谷院長に対し、説明がなかった事柄や心配なことについてコミュニケーションをとってもらいたいと考えて、いくつかの質問を文書にして渡した。六月一六日に菅谷院長から回答があった。

加えて菅谷院長は、三箇所で八〇万円である旨の記述を読んで、頬の治療について「cheek→一年以内」と記載した。

エ 原告は、六月一六日、不安はあったが、同日に処方された五二八〇円を加算し、既に支払済みの三八七〇円を差し引いた八四万一四一〇円について、七八万円をクレジットカードで(七月二八日引き落とし)、残金六万一四一〇円を現金で支払った。

オ 原告は、菅谷院長から六月一七日に「ピーリング治療」の説明を受けたが、六月一九日松村医師から「痛いうちは、止めた方がいいと思う。しみると思うし。」などと指示された。

カ 六月二四日に、原告は、不安ながらもすがるような思いで、八月一一日に額の治療と頬のレーザー治療の予約日を取った。

キ 六月二八日、原告は、被告クリニックの北田昭仁医師の診察を受けた際、同医師から、レーザー治療について、跡が薄く残る可能性があること、同日の原告の額の状況が色素沈着と瘢痕の間の状態であること、レーザーでも取れないシミがあること、何回もレーザー治療をしないと取れない場合もあること、そして濃くなる場合や瘢痕が残る場合があることなどの説明を受けた。そしてさらに、同医師から、「八月一一日に予約したレーザー治療は絶対だめ。頬はリスクを承知でどうしてもやりたければ仕方ないが、瘢痕を消すレーザーは絶対しないでください。」などと伝えられた。

(5)  被告の説明義務違反

ア 原告の患部(額前部及び両頬)のシミは「肝斑」であり、レーザー治療後の前額部左は「色素脱出」、右側は「炎症性色素沈着」の状態であった。被告クリニック皮膚科担当医師も原告の症状を「肝斑」と診断したものと認められる。

肝斑は、レーザーが効かないタイプのシミであり、強いレーザーは刺激になりやすく、炎症性色素沈着を増強することが多く、一般に禁忌とされている。また、色素脱出はレーザー照射が原因でもたらされる症状である。

イ 医師の注意義務、説明義務

(ア) 美容整形やシミの除去、瘢痕剥離などは、結果債務の側面を強く持っており、一定の意図した効果や結果が達成されない場合には、医師の債務不履行(不完全履行)が事実上推定されるというべきである。

また、美容医療については、施術の緊急性はなく、治療内容等を説明する時間的余裕が十分にあるし、患者の意識の重点は意図した効果が上がるかどうかにある。

(イ) したがって、患者が、当該治療を選択するかどうか、その必要性の程度はどのくらいかについて誤解や過度の期待をすることなく、的確な自己決定ができるよう、医師は、医療行為の内容・方法はもちろん、代替的診療方法がある場合にはその方法を説明し、当該治療行為によって副作用や後遺障害が発生する場合にはその内容・程度を十分に説明する義務を負っている。

また、治療方法を決するに当たっては、治療を受ける人の環境、たとえば接客業で化粧がすぐにできないと困るかどうかなどを考慮すべきである。

ウ 菅谷院長の治療行為の債務不履行ないし注意義務違反

(ア) 前記のとおり、原告の症状は肝斑であり、一般に肝斑に対しては禁忌とされ、レーザー照射は行わないのが原則であり、これを行うとすればリスクを覚悟で行うべきことになる。

しかるに菅谷院長は、原告に対し、色素沈着の心配はほとんどない旨を明言し、他方では副作用の内容・程度、色素沈着が発生した場合には別途の費用がかかる別途の治療を要するなどの不利益事実を全く告げなかった。かえって、原告が「レーザー後何もないのか」などと質問したことに対し、菅谷院長は、治療前よりシミが濃くなることはない、レーザーで一回できれいになる、一〇歳若くなる、レーザーにはたいした痛みもない、翌日の温泉旅行も差し支えない、帰りには化粧をして帰ることができるなどと明言して、医療行為の内容・効果などについて誤解を助長した。

(イ) ところが、施術後には原告は(4)のイのような状態になった。そして、原告は、体重が五kgも減少して、額を隠すために髪型まで変えて治療を継続した。説明とは全く異なる事態に、原告の精神的苦痛・不安、打撃は極めて大きかった。

(ウ) 現在では、湘南鎌倉総合病院形成外科等他病院での治療の成果もあり、炎症部分などはほとんど目立たない状態にまでなった。また、頬の方も、肝斑にはレーザー治療を行わないとのことで、塗り薬等を使用し、シミが薄くなっている。

(6)  本件診療契約の解除、取消し

ア 原告は、平成一三年七月三日に、被告に対し、被告との間の本件診療契約を解除するとの意思表示をした。

イ 翌七月四日には、原告は菅谷院長に対し治療の中止を再度伝えるとともに、治療費の返還を求めた。

ウ 原告は、同年七月二四日、クレジットカードについて支払停止の申し出を行った。同月二六日には、原告は、被告に対し内容証明郵便をもって、同月三日及び四日に解除の意思表示をした旨、治療代金を支払うことはできない旨を通知した。

エ 原告は、同年九月一七日に、原告代理人を通じて、被告に対し、本件診療契約が解除された旨を通知するとともに、消費者契約法上の取消事由に該当する旨を通知して取消権行使の意思表示を行って、残金七八万円の支払義務を負わないことの確認と既払金六万円の返還を求めた。

(7)  原告の被告に対する報酬債務の不存在

ア 錯誤無効

本件診療契約は、被告の説明によりその旨誤診して締結したものであるから、錯誤により無効である。そして、原告の動機は表示されていた。

イ 解除

仮に本件診療契約が錯誤無効でないとしても、同契約は、説明義務違反を理由として、前記の解除の意思表示によって解除された。

ウ 取消し

(ア) 菅谷院長は、原告に対し次の勧誘又は説明を行った。

菅谷院長は、「あなたのシミは、レーザーで一回で簡単にきれいにできるよ。一週間から一〇日後にはあなたは一〇歳は若くなる。」、「今後の人生の長い間、シミを薄くするために高い化粧品を使い続けることを考えれば安いものだ。」、「この二〇%というのは、旧レーザーので、うちで使っている最新式のロングパルスレーザーは、色素沈着はほとんどないし、元より濃くなることなんてないですよ。あったらやる意味ないじゃないですか。」などと勧誘し、説明した。

また、菅谷院長は、甲三真ん中下側の写真(治療~一〇日目)を示しながら、「何もないです。かさぶたもこれほどないし、一週間から一〇日くらいですっかりきれいになります。五~一〇分で終わりますよ。」、「明日からお風呂も入れるし、化粧も帰りにして帰れるよ。あてる前と後と大して変わりないから。」などと勧誘し、説明した。

(イ) 菅谷院長のこれらの勧誘ないし説明は、断定的判断の提供あるいは利益の告知に当たる(消費者契約法四条一項二号、四条二項)。

(ウ) よって、本件診療契約は、前記の取消しの意思表示によって取り消された。

エ よって、いずれにしても、原告は被告に対し、本件診療契約に基づく八〇万円の報酬債務を負担していない。

(8)  被告の損害賠償責任

ア 被告の説明義務違反

前記(5)に記載のとおりである。

イ 損害

(ア) 治療費(別の医療機関のもの) 六万〇三九五円

(イ) 交通費 二万八九八〇円

(ウ) 慰謝料 五〇万円

(エ) 合計 五八万九三七五円

(9)  よって、原告は、被告に対し、

ア 本件診療契約に基づく原告の被告に対する八〇万円の報酬債務が存在しないことの確認を求めるとともに、

イ 債務不履行又は不法行為(民法四四条)に基づき、損害金五八万九三七五円とそれに対する訴状送達の日である平成一四年五月一八日以降支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否、反論

(1)  請求原因(1)のア、イの各事実は認める。

(2)  同(2)について

ア 同(2)アの事実は知らない。

イ 同(2)イの事実は認める。

ウ 同(2)ウの事実は、全体として否認する。

原告の来院時に受付で渡して読んでもらったパンフレット(甲三)にも、「二〇%位の方に一時的な色素沈着が起こります。」と明記してあり(甲三、四は、すべての新患来院時に事務員が受付で渡している。)、診療時にも「治療直後にはかさぶたや赤みが残ることがあり、色の白い人、皮膚の薄い人、デリケートな肌の人など約二〇%の患者さんに色素沈着が起こり得る」ことを説明している。同時に被告クリニックでロングパルスレーザーを使用していることも記載されているものの、「色素沈着はほとんどない」として、いたずらに効用をうたうことはしていない。その上で、同様の記載のある「レーザー治療後の流れ」というペーパーを渡している。原告自身も、菅谷院長宛の手紙(甲九)の中で、色素沈着の点の説明を受けたことを認めている。

エ 同(2)エのうち、原告と被告との間で平成一三年六月九日に同日の治療行為が八〇万円で契約されたことは認めるが、その他の事実は否認する。

費用の説明については、被告クリニックの料金体系に沿って「前額分の一部瘢痕については健康保険が適用になり、残りの前額部と両頬部のシミは前額部直径四cmのものが八〇万円、両頬部各直径三cmのものが四五万円、合計一七〇万円になる」と説明した。しかしながら、原告はこれに難色を示し、その場で金額の交渉を始めたため、菅谷院長が「では一〇〇万円でよいですよ。」と言ったが原告がこれに納得しなかったため、最終的に、前額部直径四cmのシミの治療費用である八〇万円で、前額部のシミと瘢痕拘縮及び両頬部の瘢痕拘縮を治療することになった。両頬部のシミは費用無料とし、原告が夏休みの期間中に手術を受けることになった。

(3)  同(3)ア、イのうち、契約当日に行われた施術の途中で原告が痛みを訴えたこと、そのため麻酔を施したこと、原告が甲六を受け取ったことは認めるが、その他は否認する。

手術は当日行われたが、通常の患者では訴えない程度の痛みを原告が強く主張したため、菅谷院長は仕方なく麻酔を施したのである。また、当然、術後の経過は菅谷院長が口頭で説明した後、忘れないように文書でも説明内容を記載して手渡した(甲六。原告の名前と担当医以外の部分の筆跡は、菅谷院長のものである。)。菅谷院長は、甲六を示しつつ、運動、洗顔、化粧も翌日から可能であるが、消毒には一週間は経過観察のために通院するよう指示したものである。

(4)  同(4)について

ア 同(4)アのうち、原告が甲七の「お支払約束書」を作成したこと、原告が当日三八七〇円を支払い、残金八三万六一三〇円は六月一六日に支払う約束をしたことは認めるが、その他の事実は否認する。

治療後、甲五のように術後経過を説明し、原告の納得を得て、事務局において「お支払約束書」に署名・押印してもらった。この時には、受付事務員が当日である平成一三年六月九日分の診療代は八四万円であることを説明し、とりあえずその日は手元にあった三八七〇円を支払ってもらい、六月一六日に残金を支払うよう約束し、署名と拇印まで求めたものである。

被告クリニックは女性の外貌も治療する医療機関であり、自由診療のため費用も相当額に上り、まれに「このようなことは頼んでいない」とクレームをつけて支払を拒む患者もいるため、術後の説明をして納得を得られた時点で「お支払約束書」を意思確認のために作成してもらっている。

イ 同(4)イの事実は不知ないし否認する。

後記四(3)イのとおりである。

ウ 同(4)ウの事実はおおむね認める。

エ 同(4)エのうち、原告がその主張の治療費を支払った事実は認めるが、その他の事実は知らない。

オ 同(4)オの事実は否認する。

原告がケミカルピーリングの治療の説明を受けたのは、六月一七日ではなく、六月一六日である。そして、六月一九日には、その経過を松村桜子医師が診て「むけてきてgood」としていて、経過は良好であった。

カ 同(4)カのうち、原告が予約日を確認したことは認めるが、その他は知らない。

キ 同(4)キの事実は知らない。当日のカルテには「苦情処理をした。」と記載されている。

(5)  同(5)について

ア 同(5)アのうち、甲一五及び三三の診断書が作成されていること、甲三〇から三二のインターネット記事が存在することは認めるが、その他は争う。

診断及び治療法は医療機関によって異なることがあるが、いずれにしても、原告は被告クリニックでレーザー治療を受け、ほとんど分からないまでにシミは治っている。したがって、本件では原告は色素沈着の残存について損害賠償を請求していない。そもそも、治療及び治癒の経過は個人差があり、原告に説明したように二〇%程度の患者は一時的に色素が沈着することもあるし、また色素を含んだかさぶたができることもある。そのような経過を通じて、一定期間(長くて一年、通常は数か月)を経て治っていくものである。

原告は山本医師の治療を受けたが結果がいまひとつであったことから被告クリニックに来院したのである。これは、原告が自己の外貌に強い執着を持ちあちこちの医師を回っていたことを意味し、自己の主観によって強い信頼と不信が容易に入れ替わることを推認させるものである。

なお、被告クリニックで原告が初診時に受診した梅本医師は「シミ」と診断し、菅谷院長をそれを受けたのであり、「肝斑」と診断したことも説明したこともない。医師によって診断や治療法はそれぞれ異なるのである。

なお、後記四(3)イも参照。

イ 同(5)イについて

(ア) 同(5)イ(ア)の前段の主張は争うが、後段の主張は一般論としては認める。

(イ) 同(5)イ(イ)の主張は、一般論としては認める。

しかしながら、被告クリニックは前述のように原告に十分説明をしている。その上で、検討してもらい、治療を受けるかどうかの自己決定を原告に委ねているのであって、何らやましい点はない。その中でもことさら「治療にあたっては担当医から治療の目的、内容、費用等の説明を十分に受けていただき、疑問をお持ちにならずに治療に臨んでいただきたい」旨を述べ、もし疑問点があればそれを解消してから治療を受けるように注意を促している。

また、化粧については、治療の経過には個人差があり、一般的には翌日の化粧に支障はない。本件もきちんと説明は尽くしているし、逆にそこまで考慮せよということになれば、接客業の患者の治療はできないことになって、地域医療にとって大きなマイナスである。

ウ 同(5)ウについて

(ア) 同(5)ウ(ア)の主張は全体として否認し争う。

別途診療を受ければ医療費がかかることは当然のことである。手術のみで治癒した場合には、別途の診療・治療が必要ないためそれだけの費用負担で済むが、赤みが残った場合などにはその特性に合わせた治療を必要とするため、治療費が発生することになる。本件でも、そのようなトラブル回避のため、「お支払約束書」において、「平成一三年六月九日の菅谷クリニックにおける診療代」として、八四万が当該手術日の費用であることを明示し、確認のために説明をした上で、署名・拇印までしてもらっている。

このように、被告クリニックでは、後に気が変わって「言った言わない」というトラブルを避けるため、細心の注意を払って説明をし、意思確認をしているのであって、原告の主張は当たらない。

(イ) 同(5)ウ(イ)の事実は否認する。

(ウ) 同(5)ウ(ウ)の事実は否認する。

原告の額のシミが目立たない状態にまでなったのは、被告クリニックのレーザー治療によるものである。塗り薬で治るのであれば、そもそも被告クリニックに「治りがよくない。」と言って来院する理由もなく、原告の主張は矛盾を含んでいる。一方被告クリニックで治療をしていない頬の方は、シミが薄くなった程度なのであるから、額のシミは被告クリニックの施術で快癒したと解するほかはない。

(6)  同(6)について

ア 同(6)アの事実は不知ないし否認する。

イ 同(6)イの事実は認める。

前述のように、甲七の「お支払約束書」には、八四万円の治療費が平成一三年六月九日分の施術費用であることが明示されており、受付でも確認のため説明し、原告もその金額に納得して署名している。

ウ 同(6)ウのうち、原告が被告に対し内容証明郵便で原告主張の通知をしたことは認めるが、その他の事実は知らない。

エ 同(6)エの事実は認める。

(7)  同(7)について

ア 同(7)アの主張は、否認し争う。

本件診療契約締結に当たっては、治療及び術後の経過についての注意を与え、原告も納得の上「お支払約束書」(甲七)に署名・拇印しているのであって、何ら錯誤は介在していない。

前述のように、原告には来院時に受付で「シミをなくして明るい未来を」(甲三)のパンフレットを渡しており、「レーザー治療後の流れ」(甲五)でも、かさぶたができたり色素沈着が起こることもあり得ることを説明し、原告に直接手渡している。原告は、単に術後短期間に自己が満足する程度の成果が上がらなかったことに憤慨しているにすぎない。

イ 同(7)イの主張も否認し、争う。

後記三(3)のとおりである。

ウ 同(7)ウの主張も否認し、争う。

後記三(2)のとおりである。

エ 同(7)エの主張も争う。

なお、左右の頬のレーザー治療は、カルテに「両頬部のシミはサービスで夏休みに」と明記されており、さらに、甲一一でも費用〇になっていて、サービスであることが明らかである。したがって、原告が当該サービスを受けなくても、六月九日分の診療費用(甲七)には何の影響もない。

(8)  同(8)について

ア 同(8)アは争う。前記(5)及び後記三(3)に記載のとおりである。

イ 同(8)イの事実は否認し争う。

三  被告の主張

(1)  錯誤の主張について

本件で存在する客観的な書証には、すべて「二〇%の患者に色素沈着が起こる可能性がある。」と記載されている。原告主張事実は、一方的な主張のみで立証を伴っておらず、そのような認定はできない。

よって、原告の錯誤の主張は失当である。

(2)  消費者契約法に基づく取消しの主張について

ア 同法四条二項について

この点で契約の取消しをするためには、①利益となる事実を告げたこと、②併せて不利益事実の告知をしなかったこと、③不利益事実を告知しないことについて故意があったこと、という三つの要件すべての立証が必要である。

本件では、菅谷院長は、シミが取れる、若返って見えるなどの利益となる事実の告知をしているから、①の要件に該当する事実は存在する。しかし、②については、被告クリニックでは甲二、五などのレーザー治療のリスクと治療経過についてのパンフレット等を原告に渡し、原告もこれを読んでいるのであるから、被告は不利益事実を明確に告知しているということになる。原告は、菅谷院長は、これらのパンフレットとは異なる説明をしたと主張しているが、原告主張を支える証拠は供述類であって、客観性に乏しく立証として不十分である。しかも、本件では故意の立証も当然されていない。

イ 同法四条一項二号について

断定的判断の提供とは、確実でないものを確実であると誤解させるような決め付けを指す。

この点に関し、原告らは、菅谷院長が「あなたのシミは、レーザーで一回で簡単にきれいにできるよ。一週間から一〇日後にはあなたは一〇歳若くなる。」などと述べたと主張しているが、菅谷院長がそのような言動をしたことはない。菅谷院長の発言は、「実際に施術を行ってみないと分からないが、通常は一回で治るので、あなたも一回で治ると思う。」という趣旨のものである。

ウ よって、原告の消費者契約法に基づく取消しの主張も失当である。

(3)  債務不履行に基づく解除、不法行為による損害賠償の主張について

ア 本件で原告の主張が認められるためには、①被告の側に誤診、誤治療があったこと、②それにより治癒しなかったこと、③被告の過失という三点の立証が必要である。

イ 原告の傷病名を、原告は肝斑としているが、被告は、老人性色素沈着症(いわゆるシミ)又は上皮性母斑と判断している。

原告のシミがレーザー適用であった場合には、治療直後には、①赤くなる(薄いかさぶたができる)、②一週間通院又は自宅でケアをした後、かさぶたが取れる、③シミのない肌になる、あるいは、④約二〇%の患者に一時的な色素沈着が起こることがあり、⑤その場合一乃至五か月間定期的に通院して各種治療を受けることにより色素沈着が治り、シミのない肌になるという経過をたどることになる。

六月九日に菅谷院長は、原告の額にロングパルスレーザーとQスイッチレーザーの二種を当てている。六月一九日には松村医師に「むけてきてgood」と診察され、六月二二日には、左半分は「きれいに取れてきた」、右半分は「色素が残っている。まだ二週間なので様子を。」と診察されている。要するに、左半分はQスイッチレーザーの治療が奏功し、甲五のパンフレットのとおり一週間ほどでシミが抜けたが、右半分はレーザーの種類が違うことにより、一時的な色素沈着が残ったのである。原告も甲三四の陳述書(七月三日の部分)においてQスイッチレーザーについて治療効果が上がったことを自認している。この点、北田医師は六月二八日に左半分について色素脱出という診断を行っているが、仮にそうだとしても、原告主張によれば肝斑にレーザー治療をした場合にはほぼ一〇〇%悪化するというのであるから、この主張を前提にする限り色素が脱出することはあり得ず、原告主張の矛盾を明らかにする診断といってよい。

右半分については、これも甲五のパンフレットのとおり、一時的な色素沈着が発生したが、これもコウジ酸、ハイドロキノン、赤外線治療、ケミカルピーリングの各治療によって一定期間を経て軽快する性質のものである。レーザー治療では、肌が薄いなどの一部の患者には、術後しばらくの間かさぶたができたり、色素が残り赤みを帯びるのは避けられず、原告が「額のこげたような跡から液体がしみ出て、またかさぶたとなった部分もある」と主張しているのは、このような状態を指している。この状態は医学的には熱傷瘢痕とは言わない。

ウ 結果的に、被告クリニックで治療した額の方はほとんど目立たない状態になったのに対し、治療していない頬の方はシミが薄くなったというだけであるから、この事実は被告クリニックの治療が奏功したことを示している。原告は、他医院での治療によって治癒したというが、本件証拠によれば当該主張は虚偽である。

エ よって、他医院で治癒しなかった額のシミは、被告クリニックでレーザー治療を受けたことによって一定期間後に治癒したから、被告クリニック側に債務不履行もなければ過失もない。なお、債務不履行責任を追及するのであれば、原告の側に「治癒していない」ことの立証責任がある。本件では、額は治癒したのであるから、他医院での治療によって治癒したことを立証しなければならないが、そのような証拠はない。

理由

一  本件診療契約に関する事実経過

(1)  当事者間に争いのない事実に《証拠省略》を併せると、次の事実を認めることができる。《証拠判断省略》

ア  原告は、昭和三三年一〇月二九日生まれの女性であり、被告クリニックで診療を受けた平成一三年六月九日当時四二歳であった。

イ  被告は、《住所省略》において被告クリニックを経営する医療法人であり、代表者の菅谷院長が被告クリニックの院長を務めている。

ウ  原告は、四〇歳になったころに額や両頬にシミのようなものが現れ、平成一二年春ころにはそれが気になったので、平成一二年四月二五日横浜市戸塚区内の山本内科タワーズ皮膚科(以下「山本皮膚科」という。)の山本裕子医師の診察を受け、「肝斑」との診断の下に同日、五月一二日、五月三一日、六月三〇日、平成一三年三月一〇日にそれぞれ内服(シナール、トランサミン)療法を受けた。

エ  ところが、家庭の都合で山本皮膚科に定期的に通院することができず、平成一三年三月一〇日に同皮膚科で投薬を受けたものの、そのころには症状が改善していないと感じられたので、原告はそのシミを何とかできないものかと思っていた。

そのころのシミは、前額部と両頬にあり、両頬のシミは左右対称の位置にちょうど蝶が羽を広げたように感じられるものであり、色は淡褐色であった。そして、原告は両頬のシミの方を強く気にしていた。

オ  平成一三年六月九日、原告の夫も皮膚科に受診したい希望があったので、原告は、広告で被告クリニックが土日も診療しているとされており、当該広告に記載されていたレーザー治療にも興味を惹かれていたことから、夫とともに被告クリニックで診察を受けることにした。

カ  原告は、被告クリニックにおいて、予診表に次のように記載した。

(ア) 「他の病院、エステで診療、治療を受けたことがありますか?」の欄

病院名 「タワーズ」

最終治療時期 「三月頃」

治療内容 「のみ薬」

(イ) 「今回当院(被告クリニック)を受診した理由」の欄

「ますますひどくなってきたので」

(ウ) 「治療に対しての不安」の欄

「とにかくわからないので、相談したいです」

(エ) 「表面でお答えいただいた症状の部位印印をつけて下さい。」の欄

原告は、額と両頬の部分に丸印つけた。

キ(ア)  原告は、最初被告クリニックの皮膚科担当の梅本医師の診察を受けた。梅本医師は、原告に対する問診に基づき、診療録に次のa、bのように記載した。

a 「三年前より顔のしみ(額部)に気付く。高い化粧品を一年半使ったがよくならず。(ただし、上記(額部)との記載の下に「のみ」と記載されている。)」

b 「一年前 ○○ (注:判読できない)皮膚科受診し、内服薬(省略)を六Mつづけるも、結果がいまいちとのこと。三月でストップ。」

(イ) そして、梅本医師とのやりとりの中で、原告が被告クリニックの宣伝で見たレーザー治療のことを口にしたことをきっかけに、形成外科担当の菅谷院長の診察を受けることになった。

ク  原告が菅谷院長の診察を受けると、菅谷院長は、「あなたのシミはレーザー一回できれいになる、一週間か一〇日後には一〇歳若返る。」などと述べてレーザー治療を勧めた。そして、菅谷院長は、原告のシミの大きさを定規で計り、レーザー治療の費用として、額が八〇万円、両頬が各四五万円、合計で一七〇万円という数字を提示した。原告はこの数字に驚愕し、直ちに承諾することができなかったが、菅谷院長の勧めに心を動かされていたことから、いくらなら用意できるのかとの菅谷院長の質問に対し、自己の貯金の額である八〇万円なら用意できる旨を答えた。菅谷院長もこの金額を了承し、八〇万円の費用で額・両頬のレーザー治療が可能な状態になったが、原告は、甲三のパンフレット等の「副作用」の項目において「色素沈着」という記載があったことを心配して、元より濃くなることはないのかどうかを尋ねたところ、菅谷院長は、「ここに書いてあるのは旧レーザーのことで、新しいレーザーではこういったことは心配ない。」などと答えた。

原告は、大きく心を動かされたが、ひとまず診察を終えて夫に相談したところ、夫も賛成したので、被告クリニックに戻り、レーザー治療を受けたい旨を申し出た。当日菅谷院長の都合もついたので、直ちに額のレーザー治療を行うことになった。

ケ  当日の午後、菅谷院長が原告の額にレーザー照射を行った。レーザー照射は額の右側から行ったが、原告が熱さ・痛さを強く訴えたことから、菅谷院長は途中で麻酔を施した。菅谷院長は、額の右側と左側と種類の違うレーザーで照射を行った。

その後、レーザー治療の内容が事前の説明と異なるとして不満を持った原告の申し出で、原告夫婦と菅谷院長とが再度会って話しをしたが、原告が本日の額の代金だけ支払いたいと述べたのに対し、菅谷院長が額の分だけで八〇万円であると応答して若干の言い争いになり、頬のレーザー治療はもう少し先にすることになった。

コ  原告は、その後、会計で担当者から指示された内容で甲七の「お支払約束書」に記入して署名し拇印を押した。同書面では、「平成一三年六月九日の菅谷クリニックにおける診療代八四〇、〇〇〇円は以下のように分割してお支払致します。」とされ、支払期日は「第一回 平成一三年六月九日 三八七〇円」、「第二回 平成一三年六月一六日 八三六、一三〇円」とされていたが、その場では原告はその書面の意味内容を深く考えなかった。

サ  原告は、不満と不安を抱きながらも、指示されたように通院して治療を受けた。そして、原告は、六月一六日に、同日の診療費五二八〇円を加算し既に支払済みの三八七〇円を差し引いた八四万一四一〇円について、六万一四一〇円を被告クリニックに現金で支払い、七八万円をクレジットカード(七月二八日引き落とし)で支払った。

シ  六月二八日には、原告は、岡芹医師と北田昭仁医師の診察を受けた。その際の原告の額の状態は、右側が色素沈着、左側が色素脱出の状態であった。北田医師は、上記の診断のほかに、額右側の一部に熱傷瘢痕があると診断した上、レーザー治療は止めた方がよいなどと述べた。北田医師の話によって原告の被告クリニックに対する不信感は決定的となり、間もなく被告クリニックへの通院を止めた。

ス  原告は、七月一二日に、湘南鎌倉病院皮膚科において山下理絵医師の診察を受けた。山下医師は、原告のシミの病名を「肝斑」と診断した上で、「左右違うレーザー治療で、前額部の左側は色素脱出、右側は炎症性色素沈着が生じていて、経過を観察していく必要がある」との診断をした。なお、原告は、山下医師から、前額部右側は瘢痕と色素沈着の間にあり、治療に一年はみてほしい旨を聞かされた。

セ  原告は、このような経過から、被告クリニックに対しクレジットカードで支払った上記七八万円について、七月二四日に支払停止の措置をとった。

(2)  上記(1)の事実を認定することができるが、被告の主張に照らし、以下の点について認定説示を補足する。

ア  被告は、上記(1)クに認定した菅谷院長の発言内容について、これを争っており、菅谷院長も被告代表者尋問において同様の供述をしている。

しかし、上記(1)オ、カに認定したように、原告はレーザー治療に興味はあったが知識がなかったことから、当初は、分からないので相談したいという意思であったと認められる。それが、菅谷院長の診察を受けたことにより、八〇万円という自己の貯金をはたいた高額な治療であってもレーザー治療を受けたいという気持ちになったのであり、また、治療直後には原告は、大変な痛み等を味わって強い不満を持ったものであるから、菅谷院長の話がシミを強く気にしている原告に対し強い誘因になる魅力的なものであったのであろうと推測するのが合理的である。また、副作用の点についても、甲三等には確かに一部の患者に一時的な色素沈着の副作用が発生することが記載されている。しかし、全体的には、副作用はたいしたものではなく対処可能であるというニュアンスが強く、さらに、被告クリニックでは色素沈着が起こりにくい最新型のロングパルスレーザーを県内で初めて導入した旨が記載されているから、菅谷院長が後者の点をセールスポイントにしていたことも十分あり得ることである。したがって、これらの各事情を前提にすると、六月九日の診察時における菅谷院長の発言に関する甲三四及び原告の供述は基本的に信用することができ、他方、この点に関する乙五及び被告代表者の供述は採用できないというべきである。

なお、原告が作成して菅谷院長に提示した甲九の質問事項の一項には、「レーザー治療を受けて、二〇%の方が色素沈着を起こすと、覗いましたが元のシミよりも濃くなることがあるのでしょうか。」という記載がある。この点について、原告は、レーザー治療の後他の医師から聞いたことを記載したもので、言葉が足りなかったと供述している。甲九の質問事項二項は、記載内容からして、「術後の翌日から化粧ができるとおっしゃっていた」という主体は菅谷院長であろうと思われるので、その意味では、一項の副作用の説明者は菅谷院長を指していると解されないでもない。しかし、一項と二項の表現が異なることも事実であり、また、この文書自体は、レーザー治療後数日間診療等を受けた経過をも踏まえて作成されたものであるから、一項の記載はその後得た知識を前提にした質問事項と考えても不合理ではない。よって、原告の上記供述を排斥することはできず、甲九の記載が前記(1)クの認定を左右するものではない。

次に、被告は、来院時に受付で渡して読んでもらったパンフレット甲三には副作用の点を明記しているし、診療時にも菅谷院長がこのことを説明していると主張している。まず、上記の説示に照らし、診療時に菅谷院長が甲三記載のような副作用の点を、レーザー治療を受けるかどうかを判断する前提として考慮すべきリスク情報という趣旨できちんと説明したとは認められない。甲三は、原告自身当日これを読んだことを認めているところ、それとは別に菅谷院長から診察の上前記(1)クのような説明を直接受けたのであるから、原告がこれを第一に考えたのは当然であり、甲三の記載(甲五も同旨)をもってレーザー治療の副作用の点を説明したということはできない。

イ  前記(1)クの事実経過によれば、六月九日に原告が菅谷院長の診察を受けた際の両者の話合いによって、額及び両頬のシミ全部のレーザー治療を合計八〇万円の費用で行うとの合意が成立したものと認めるのが相当である。

この点について、被告は、額のレーザー治療のみが八〇万円で、両頬はサービスという合意であったと主張している。そして、乙一の二ページの右側部分には、被告主張に沿う記載がある。

しかし、当初菅谷院長は各箇所の代金額を積算して全体で一七〇万円という提案をしたのであって、一〇〇万円という数字も出た後に、八〇万円に収まったという経過であったと認められる。そして、原告は、両頬のシミの方をより強く気にしていたのであったから、これらの事情によれば、代金額は全体として話合いが行われ、全体として八〇万円とする旨の合意が成立したと理解するのが合理的である。現に、乙一では、一七〇万円及び一〇〇万円の各記載が抹消されて八〇万円になったように記載されており、一七〇万円、一〇〇万円は全体の代金額を指すと解するのが相当であるから、その下に書かれた八〇万円も全体の代金額と解するのが合理的である。ちなみに、その右側の「Totalは一七〇万であるが、頬部はまけてほしいとのこと」との記載や、「両頬類のシミは、サービスで夏休みにすることになった。」との記載は、合意内容をそのまま記載したものではなく、菅谷院長の主観的な考えを記載したものと理解するのが相当である。よって、これらの記載が上記認定を左右するものではない。

さらに、甲七の「お支払約束書」の記載は、被告主張に沿うものである。しかし、前記(1)ケのとおり、レーザー治療直後に八〇万円の趣旨について原告と菅谷院長との間で言い争いになったことからして、当初の合意がそこで変更されたとはいえず、原告に菅谷院長の認識に同意する気がなかったことも明らかであるから、会計手続上の書類として作成された甲七によって原告が菅谷院長の考えに同意したとは認められない。

二  原告の債務不存在確認請求について

(1)  まず、原告は、原告の額及び両頬のシミが「肝斑」であると主張しているのに対し、被告は、老人性色素沈着症(老人性色素斑)又は上皮性母斑であると主張しているので、この点について判断する。

ア  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(ア) 肝斑は、女性特有のシミで、中年女性の顔面(額、頬、口周)の左右対称性に見られる色素沈着であり、境界明瞭な淡褐色斑である。大きさや形は様々である。茶色のレバーを両方の頬に貼り付けたように見えることから、肝斑という病名がつけられた。

原因としては、黄体ホルモンの上昇、紫外線、ストレス、疲労などが挙げられている。紫外線との関係では、肝斑は紫外線に対する過敏反応と言われている。

肝斑については、レーザー治療は無効、あるいは禁忌というのが一般的な理解である。そのように考えられているのは、ホルモンのアンバランスや紫外線が関わっているとされていることによるものと思われ、レーザー治療をした場合には色素沈着が悪化するとしている文献が多い。

(イ) 老人性色素斑は、主として四〇歳台以降の人の顔面等の露光部に生じる境界明瞭な楕円形の淡褐色から黒褐色の色素斑である。小斑型(雀卵斑〔そばかす〕様に顔面に多発)、大斑型(指頭大くらいまでの大きな斑が少数出現)、白斑黒皮症型(白斑と色素斑が混在)の三型に分けられる。

老人性色素斑には、レーザー治療は有効で、一回の使用で色素斑はほぼ消滅するが、レーザー照射後には一過性の色素沈着が数か月続くことがあるとされている。

(ウ) 上皮性母斑は、出生直後から二、三歳までに、淡褐色から黒褐色の疣贅状小腫瘤を集簇性に生じる疾患である。表皮の乳頭状増殖、角質肥厚が主体で、加齢による変化はほとんどないとされる。

イ  そこで、上記アの事実に基づいて考えるに、被告代表者の供述によれば、上皮性母斑については、菅谷院長自身現在ではこの考え方を支持していないものと考えられる上に、原告のシミは四〇歳ころから生じた色素斑であることが明らかというべきであるから、上皮性母斑ではないと認められる。

原告のシミは、前記一(1)に認定したように、四〇歳ころに額及び両頬に生じた色素斑で、特に、両頬のシミは、菅谷院長の計測によれば三cm四方くらいの面積のもので、左右対称性のものであった。そうすると、原告のシミは、肝斑の典型的な部位、形態、色、大きさのものであるといえるのに対し、形態や大きさが老人性色素斑とは異なるものといわなければならない。さらに、平成一二年四月に原告を診察した山本裕子医師も、平成一三年七月に原告を診察した山下理絵医師も、いずれも原告のシミを肝斑と診断しているものであるから、これらの事情によれば、原告のシミは肝斑であったと認めるのが相当である。

そして、上記の説示によれば、皮膚科の専門医であれば原告のシミの診断は比較的容易にすることができたということができる。

(2)  そこで、原告の本件診療契約の錯誤無効の主張について検討する。

前記一(1)に認定したとおり、原告は、菅谷院長の説明により、自己のシミは一回のレーザー治療できれいに治り、副作用もほとんど心配する必要はないと信じて、自己の貯金をはたいて八〇万円の代金でレーザー治療を内容とする本件診療契約を締結したものであったと認められる。そして、原告が本件診療契約を締結するに至った内面の動機は、菅谷院長の説明を信じたことによるものであるから、当然この動機は表示されていたものということができる。

しかるに、上記(1)ア(ア)に認定したように、肝斑については一般にレーザー治療は増悪の危険性があって無効あるいは禁忌とされていたものであった。そして、証拠(被告代表者)によれば、被告クリニックにおいても、肝斑と診断した患者については一般の医学的知見に従いレーザー治療をしていなかったものと認められる。そこで、原告が肝斑とレーザー治療との関係を知ったならば当然本件診療契約を締結することはなかったと考えられるのみならず、一般人においても同様と考えられるものである。そうすると、本件診療契約においては、対象となる治療行為の持つ客観的な性格とそれに対する患者である原告の認識、すなわち契約締結の動機との間に食い違いがあったことになり、その食い違いは契約の要素の錯誤というべきであるから、結局、本件診療契約に係る原告の意思表示は要素の錯誤により無効というべきである。

(3)  したがって、本件診療契約は効力がなく、原告は同契約に基づく診療代金八〇万円の支払義務を負わないから、この点に関する原告の債務不存在確認請求は理由がある。

三  原告の損害賠償請求について

(1)  不法行為に基づく原告の損害賠償請求について検討する。

原告のシミに対する治療は、主として審美的な観点から行われたものと認められるから、いわゆる美容医療の範囲に入るものということができる。美容医療の場合には、緊急性と必要性が他の医療行為に比べて少なく、また患者は結果の実現を強く希望しているものであるから、医師は、当該治療行為の効果についての見通しはもとより、その治療行為によって生ずる危険性や副作用についても十分説明し、もって患者においてこれらの判断材料を前提に納得のいく決断ができるよう措置すべき注意義務を負っているというべきである。

本件においては、原告のシミは肝斑であって、肝斑に対しては一般にレーザー治療は増悪の危険性があって無効あるいは禁忌とされているものであったから、仮に原告が当該治療を希望した場合であっても、菅谷院長はこれらの点を十分に説明し、原告自らが納得のいく決断をすることができるよう措置すべき注意義務を負っていたというべきである。

しかるに、菅谷院長は、原告に対し、原告のシミはレーザー治療一回できれいになり、副作用などの危険性もほとんどないなどと説明して、レーザー治療を勧め、肝斑に対するレーザー治療の危険性については全くといってよいほど説明をしなかったというべきである。その結果、原告は菅谷院長の説明及び勧誘に従って代金八〇万円でレーザー治療を受ける決断をしたものであるから、菅谷院長には上記の説明義務違反があったというべきである。したがって、本件のレーザー治療によって原告に損害が発生した場合には、被告は民法四四条の規定に基づきその損害を賠償すべき義務を負うことになる。

なお、菅谷院長がそのような説明義務を果たさなかったのは、そもそも同院長が原告のシミを肝斑と判断していなかったことによるものと考えられる。その意味では、被告クリニックは原告のシミについての診断を誤ったということができる。したがって、そのこと自身を過失ととらえることもできるが、原告は説明義務違反を請求根拠として主張しており、説明義務の局面で考えても同院長に説明義務違反があることは明らかであるから、本件では、説明義務違反に基づき被告について不法行為に基づく賠償義務を認めることができる。

(2)  損害について検討する。

ア  治療費 六万〇三九五円

前記一(1)サの認定事実によれば、原告には被告クリニックにおけるレーザー治療によって色素脱出(前額部左側)及び炎症性色素沈着(又は炎症後色素沈着。前額部右側)が生じたものと認められる。しかるところ、この事実に《証拠省略》を併せると、原告の炎症後色素沈着は、適切なレーザー治療においても現れることがある一過性色素沈着の状態を超えて、禁忌とされる理由である副作用に該当する状態に至っているものと認められ、また色素脱出もレーザー治療の副作用に該当するものと認められる。

したがって、これらの副作用の治療のために要した費用は、本件のレーザー治療と相当因果関係のある損害と認めることができる。また、被告クリニックにおける治療費は、上記の説明義務違反がなければ発生しなかったものと認められるから、これによる損害に当たるということができる。

原告は、甲一〇の二の治療費(六万一四一〇円。被告クリニック関係)、甲三五の一から七の治療費(合計二万四二五五円。湘南鎌倉総合病院関係)、甲三六の一から五の治療費(合計一万〇六二〇円。横浜FCクリニック形成外科関係)及び甲三七の一から一八の治療費(合計二万四一一〇円。被告クリニック関係)を損害として主張するものと思われる。

このうち、被告クリニック関係の治療費(合計八万五五二〇円)は、前示のとおり、全額が本件の説明義務違反と相当因果関係のある損害と認められる。

しかし、湘南鎌倉総合病院関係の治療費及びFCクリニック形成外科関係の治療費は、副作用として現れた症状と従来から存在した肝斑自体の双方に対する治療費が含まれると認められるから、前者の費用に係る損害は、民法七二二条の規定を類推適用して、これらの費用合計三万四八七五円から五〇%を減額した一万七四三七円と認めるのが相当である。

そうすると、治療費関係の損害は一〇万二九五七円になるが、原告はこのうちの六万〇三九五円の支払を求めるものであるから、同金額を認容することとする。

イ  交通費 〇円

原告は交通費として合計二万八九八〇円を主張しているが、その具体的な内容は不明であり、これを認めるに足りる的確な証拠もない。したがって、この関係の損害を認めることはできない。

ウ  慰謝料 五〇万円

本件の事実経過等に照らし、原告の精神的苦痛に対する慰謝料は五〇万円とするのが相当である。

エ  損害合計 五六万〇三九五円

(3)  よって、原告の不法行為に基づく損害賠償請求は、五六万〇三九五円とこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一四年五月一八日以降の民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その他は理由がない。

四  結び

以上の次第で、原告の債務不存在確認請求を正当として認容し、損害賠償請求を、五六万〇三九五円とこれに対する平成一四年五月一八日以降の年五分の遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その他を失当として棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩田好二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例