横浜地方裁判所 平成14年(行ウ)39号 判決 2004年9月22日
原告 甲
訴訟代理人弁護士 三堀清
被告 神奈川税務署長
蛯名鐵司
指定代理人 植田浩行
同 中村芳一
同 佐藤昌永
同 藤井弘之
同 曽我高佳
同 成田兼二
同 小宮山隆
同 増渕実
同 笹﨑好一郎
同 小林健二
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 被告が、原告に対し、平成12年3月3日付けでした原告の平成8年分の所得税に係る更正処分のうち、総所得金額4895万4706円、納付すべき税額239万6000円を超える部分を取り消す。
(2) 被告が、原告に対し、平成12年3月3日付けでした原告の平成9年分の所得税に係る更正処分のうち、総所得金額4338万4848円、納付すべき税額10万9400円を超える部分及び当該超える部分の税額に係る過少申告加算税賦課決定処分を取り消す。
(3) 被告が、原告に対し、平成12年3月3日付けでした原告の平成10年分の所得税に係る更正処分のうち、総所得金額1億2926万2955円、株式等の譲渡所得の金額258万3974円、納付すべき税額4778万6400円を超える部分及び当該超える部分の税額に係る過少申告加算税賦課決定処分を取り消す。
(4) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2 事案の概要
本件は、原告が、平成8年分ないし平成10年分の所得税について、自己の勤務する会社の親会社から付与されたストック・オプションを行使して得た経済的利益(権利行使利益)をいずれも株式等譲渡所得として申告したのに対し、被告が、上記各権利行使利益は給与所得に当たるとして、上記各年分について各更正処分並びに平成9年分及び平成10年分についての過少申告加算税賦課決定処分をしたところ、原告が、上記権利行使利益は一時所得であるからこれらの課税処分は違法であるとして、各課税処分のうち、権利行使利益を一時所得として計算した金額を超える部分の取消しを求める事案である。
第3 基礎となる事実
(以下の事実は、当事者間に争いがない事実であるか、各段落等の末尾に記載した証拠ないし弁論の全趣旨により容易に認められる事実である。)
1 ストック・オプションについて
(1) ストック・オプションの内容
ストック・オプションとは、会社が自社又は子会社の役員、従業員等(以下「従業員等」という。)に対して付与する、自社株式を一定の期間内にあらかじめ定められた権利行使価格(通常は、付与時における株式の時価)で取得することができる権利である。
ストック・オプションの付与を受けた従業員等は、ストック・オプション付与契約の定める条件に従って権利を行使することにより、取得する株式の権利行使時における時価と権利行使価格との差額に相当する経済的利益すなわち権利行使利益を取得することができる。
このようなストック・オプションを会社が自社又は子会社の従業員等に付与する制度(ストック・オプション制度)は、米国において考案され、発展してきたものであり、長期インセンティブプランとしての奨励報酬制度の一類型と位置付けられるものである。
(2) ストック・オプション制度に関する我が国の法規制の推移
ア 会社がストック・オプション制度を実施するためには、その従業員等に対して付与する自社株式を手当てする必要があるところ、これについては、従前の商法の下においても、新株の有利発行又は自社株式の取得という方法により対応することが可能であったが、前者については新株の有利発行のための株主総会の特別決議の効力が6か月に制限され、後者についても自己株式の償却期間が6か月に制限されていたことから、ストック・オプションの付与から権利行使までの期間が6か月に制限されてしまい、長期インセンティブとしての機能を期待することができず、法制度上、我が国の会社がストック・オプション制度を導入することは実質的に困難な状況にあった〔乙2号証の1〕。
イ しかし、平成7年11月、特定新規事業実施円滑化臨時措置法(以下「新規事業法」という。)の改正(平成7年法律第128号)により、商法の特例措置として、特定の株式未公開企業に限り、自社の取締役又は使用人に対する新株の有利発行のための株主総会の特別決議の効力を10年に延長することなどが規定され、これらの企業については、新株の有利発行の方法によるストック・オプション制度の導入が可能となった〔乙2号証〕。
ウ さらに、平成9年5月、商法の改正(平成9年法律第56号)により、株式会社について、自社の取締役又は使用人に譲渡するための自己株式の取得に関し、取得可能な自己株式の数量が増やされ、償却期間も10年に延長されたこと(商法210条ノ2)などにより、自己株式を取得する方法によるストック・オプション制度の導入が可能となり、また、一定の要件の下に自社の取締役又は使用人に新株引受権を付与する方法のストック・オプション制度も新設された(同法280条ノ19)。
しかし、この時点では、我が国の株式会社がその株式を子会社の従業員等に付与する形式のストック・オプション制度の導入を可能にするための規定は設けられなかった。〔乙1号証〕
エ その後、平成13年11月の商法改正(平成13年法律第128号)による新株予約権制度の導入(商法280条ノ19)により、ストック・オプション制度は新株予約権の有利発行の一場面として位置付けられるとともに、自社の従業員等以外の者にもストック・オプションを付与することができるとされるなど、我が国の株式会社のストック・オプション制度の利用に関する法規制は大幅に緩和されるに至っている。
(3) ストック・オプションに関する課税上の取扱いの推移
ア 平成7年11月の新規事業法の改正以前においては、ストック・オプション一般に関する課税上の取扱いについて規定した法令及び通達は存在しなかった。
もっとも、当時の商法下でも、株主総会決議後6か月間に限って、従業員等に有利な発行価額により新株等を取得する権利を付与することは可能であったところ、これが付与された場合の課税について、所得税法施行令(平成10年政令第104号による改正前のもの)84条は、上記権利に係る所得税法36条の収入金額を、原則として、当該権利に基づく払込みに係る期日における新株等の価額から当該新株等の発行価額を控除した金額による旨を規定し、また、所得税基本通達23~35共-6(ただし、平成8年6月の改正前のもの。)は、発行法人から有利な発行価額による新株等を取得する権利を与えられた場合には、それを行使して新株等についての申込みをしたときに、その付与された権利に基づく発行価額と権利行使時の株価との差額に対し、一時所得として課税することを原則としつつ、当該権利がその発行法人の役員又は使用人に対し支給すべきであった給与等又は退職手当等に代えて与えたと認められる場合には、給与所得又は退職所得として課税することとしていた。
イ 平成7年11月の新規事業法の改正により、一定の範囲で新株の有利発行の方法によるストック・オプション制度の導入が可能となったことに伴い、平成8年3月、租税特別措置法29条の2が改正(平成8年法律第17号)され、新規事業法上のストック・オプションについて、一定の場合には、権利の行使による株式の取得に係る経済的利益については所得税を課さず、取得した株式の譲渡時に、払込価額を取得価額とした上で、譲渡所得として課税を行う旨が定められた。
他方、商法上の有利な発行価額による新株等を取得する権利を与えられた場合に関する所得税基本通達23~35共-6についても、平成8年6月、当該権利を与えられた場合の所得について、一時所得とする原則を維持しつつ、当該発行法人の役員又は使用人に対しその地位又は職務等に関して当該権利を与えたと認められる場合には給与所得とし、これらの者の退職に基因して当該権利を与えたと認められる場合には退職所得とすると改められた。〔乙7、8号証〕
ウ さらに、平成9年5月の商法の改正によって、自己株式方式及び新株引受権方式によるストック・オプション制度がすべての株式会社に認められるようになったことを踏まえて、平成10年3月、所得税法施行令84条が改正(平成10年政令第104号)され、商法上のストック・オプションに係る所得税法36条の収入金額を、権利行使により取得した株式のその行使の日における価額から権利行使価格を控除した額とする旨が定められるとともに、租税特別措置法29条の2が改正(平成10年法律第23号)され、一定の要件を満たす商法上のストック・オプションについては、権利の行使による株式の取得に係る経済的利益については所得税を課さず、取得した株式の譲渡時に、譲渡所得として課税する旨が定められた。
また、所得税基本通達23~35共-6についても、上記各法令の改正に対応し、平成10年10月、ストック・オプションに関する課税上の取扱いを明確にするための改正がされ、商法210条ノ2第2項の決議に基づいて与えられた同項3号に規定する権利(所得税法施行令84条1号)及び商法280条ノ19第2項の決議に基づいて与えられた同項に規定する新株の引受権(所得税法施行令84条2号)を取締役又は使用人が行使して株式を取得した場合の所得について、原則として給与所得とし、主として職務の遂行に関連を有しない利益の供与の場合には雑所得とすることとされた。
しかし、この時点でも、親会社から子会社の従業員等に対して付与される親会社の株式に係るストック・オプション等、上記以外のストック・オプションに関する課税上の取扱いについて、直接、明文をもって定めた法令の規定は存在せず、また、通達上も、特段の定めは設けられなかった。
〔乙9、10号証〕
エ その後、平成13年11月の商法改正を受けて、租税特別措置法29条の2が改正され(平成14年法律第15号)、株式の取得に係る経済的利益の非課税特例の適用対象となる権利として新株予約権が加えられ、また、同特例の適用対象者に、ストック・オプションの付与会社が直接又は間接に100分の50を超える数の株式等を保有する関係にある他の法人の従業員等が加えられた〔乙24号証〕。また、上記商法の改正を受けて、所得税法施行令84条についても所要の改正がされた(平成14年政令第103号)。
さらに、所得税基本通達23~25共-6についても、平成14年の改正により、有利発行による新株予約権(所得税法施行令84条3号)を与えられた者がこれを行使した場合に、雇用契約又はこれに類する関係に基因して当該権利を与えられたと認められるときは、所得税法施行令84条1号及び2号に掲げる権利を与えられた場合に準じた取扱いをすることとされ、さらに、発行法人が外国法人の場合についても、同様の取扱いとすることとされた。
2 本件ストック・オプションについて
(1) 米国A社と日本A社との関係
米国法人であるA(以下「米国A社」という。)は、日本法人であるA株式会社(平成11年4月に日本A株式会社から商号変更。以下「日本A社」という。)の全株式を保有する親会社である〔乙11号証〕。
(2) 原告の地位
原告は、平成10年10月31日まで、日本A社において、従業員又は役員として勤務していた者である。
(3) 米国A社のストック・オプションの内容
米国A社の1994年11月23日付け「1990年ロングターム・エクイティ・インセンティブ・プラン」(以下「本件A・プラン」という。)によれば、同社のストック・オプション等の報償制度の目的は、現在及び将来の貢献が同社の継続的な成功にとって重要な従業員等に追加的な誘因を提供し、それらの者に対し同社に係る財産的利益を得る機会を与え、同社が、事業経営で成功を収めるために活用できる最高の人材を採用しその雇用を維持できるようにすることであるとされている(本件A・プラン・4頁「目的」)。
この本件A・プランに基づくストック・オプション等の報償の付与の対象者は、米国A社の取締役会が同社の将来の成功に貢献する潜在性を持つとみなす、同社並びにその子会社及び関連会社(以下「Aグループ各社と総称する。)の役員、コンサルタント及びその他の従業員とされている(本件A・プラン・5頁「適格性」)。
そして、本件A・プランに基づく報償制度は、米国A社の取締役会又はその設置する委員会によって運営され、この取締役会又は委員会において、付与の対象者及び付与株式数のほか、ストック・オプションを行使することができる最初の日(「待機期間」)や行使可能期間等の条件を決定することとされている(本件A・プラン・5頁「適格性」、同「運営」、6頁「ストック・オプション(b)」)。
また、本件A・プランによれば、ストック・オプション保有者が待機期間が経過する前にAグループ各社の従業員でなくなった場合(死亡又は退職等)、そのオプションは終了し無効となり、待機期間経過後であっても、ストック・オプション保有者がAグループ各社の従業員でなくなった場合には、そのオプションは上記取締役会等が定める一定の期間内に失効することとされている(本件A・プラン・6頁「ストック・オプション(b)」、7頁「ストック・オプション(d)、(e)」)。
さらに、本件A・プランに基づくストック・オプション等の権利は、遺言又は相続法による場合を除き、譲渡又は移転することができないものとされ、また、被付与者の存命中は、当該被付与者のみが行使できるものとされている(本件A・プラン・11頁「賞与の譲渡不能性」)。
〔乙12号証〕
(4) 原告のストック・オプションの行使
原告は、日本A社に従業員等として勤務中の平成3年から平成6年にかけて、米国A社から、本件A・プランに基づき、同社の株式に係るストック・オプションを付与され、これを同じく日本A社に勤務中の平成8年から平成10年にかけて行使した(以下、原告が米国A社から付与され、平成8年ないし平成10年に行使したストック・オプションを「本件ストック・オプション」という。)。なお、本件ストック・オプションは、付与後、1年経過するごとに20パーセントずつ行使が可能となり、5年経過後に全株式について行使が可能となるという内容のものであった。
原告は、本件ストック・オプションの行使により、それぞれ権利行使利益を得た(後記第4のとおり、その額には争いがある。)。この権利行使利益は、ストック・オプションの行使によって取得した株式の権利行使時の時価から権利行使価格を控除した金額に相当する(以下、原告が本件ストック・オプションの行使により得た権利行使利益を「本件権利行使利益」という。)。
3 本件課税処分の経緯等
(1) 原告は、平成8年分ないし平成10年分(以下「本件係争各年分」という。)の所得税について、いずれも、上記各年に取得した本件権利行使利益が株式等の譲渡所得に該当するものとして、確定申告をした〔甲15ないし17号証〕。
(2) これに対し、被告は、本件権利行使利益は給与所得に該当するとして、平成12年3月3日付けで、原告に対し、本件係争各年分の所得税についてそれぞれ更正処分をするとともに(以下「本件各更正処分」という。)、平成9年分及び平成10年分の各更正処分に基づき新たに納付すべきこととなった税額に関し、それぞれ過少申告加算税賦課決定処分をした〔甲1号証〕。
なお、本件各更正処分の各更正通知書には、いずれも処分の理由は記載されていなかった。
(3) 原告は、上記各課税処分を不服として、平成12年4月27日、被告に対して異議申立てをしたが、被告は、同年7月25日付けで、異議申立てをいずれも棄却する旨の決定をした〔甲2、3号証〕。
これに対し、原告は、同年8月22日、国税不服審判所長に対し、上記各課税処分についての審査請求をしたが、国税不服審判所長は、平成14年4月16日付けで、審査請求をいずれも棄却する旨の裁決をした〔甲4、7号証〕。
(4) 被告は、平成13年9月12日付けで、原告に対し、平成9年分の所得税の過少申告加算税の額を5万8000円から5000円に、平成10年分の所得税の過少申告加算税の額を686万3000円から149万2000円に、それぞれ変更する決定をした(以下、この変更決定により変更された後の原告の平成9年分及び平成10年分の所得税に係る各過少申告加算税賦課決定処分を「本件各過少申告加算税賦課決定処分」といい、本件各更正処分と併せて「本件各課税処分」という。)〔甲5号証〕。
これを受けて、原告は、平成14年4月2日、平成9年分及び平成10年分の各過少申告加算税賦課決定処分についての審査請求(上記(3))のうち、上記の各変更決定により一部取り消された部分に係る審査請求を取り下げた〔甲6号証〕。
(5) 原告は、平成14年7月6日、本件各課税処分についての取消訴訟(本件訴訟)を提起した。
(6) なお、原告の本件係争各年分の所得税に係る確定申告、本件各課税処分及びこれらに対する不服申立て等の経緯は、それぞれ別表1ないし3に記載のとおりである。
第4 本件各課税処分の根拠に関する当事者の主張
《被告の主張》
1 主位的主張
本件権利行使利益は給与所得に該当するものであり、これに基づく原告の本件係争各年分の所得税に係る総所得金額、納付すべき税額及び過少申告加算税額並びにその根拠は、別紙課税根拠表に記載のとおりである。
2 予備的主張
仮に、本件権利行使利益が給与所得に該当するものでないとすれば、本件権利行使利益は雑所得に該当する。
本件権利行使利益が雑所得に該当する場合の原告の本件係争各年分の所得税に係る総所得金額及び納付すべき税額は、いずれも主位的主張におけるものよりも多額になる。
《原告の主張》
本件権利行使利益は、一時所得に該当するものである。
また、被告が本件権利行使利益の額の計算に用いた為替レートには誤りがあるから、被告が主張する本件権利行使利益の額は否認する。
被告が主張する本件各課税処分の課税根拠のうち、本件権利行使利益の額及び所得区分並びにこれに基づいて計算された金額以外の部分については、争わない。
第5 争点
本件の主たる争点は以下の各点であるが、①が中心的争点である。
① 本件ストック・オプションに係る権利行使利益(本件権利行使利益)の所得区分、すなわち、本件権利行使利益は、給与所得、雑所得、一時所得のいずれに該当するか。
② 本件各更正処分は、租税法律主義に反し、違法であるかどうか。
③ 本件各更正処分は、理由附記の不備により違法であるかどうか。
④ 本件各更正処分は、信義則に反し、違法であるかどうか。
⑤ 本件権利行使利益の額はいくらか。
⑥ 本件各過少申告加算税賦課決定処分が違法であるかどうか。
第6 争点に関する当事者の主張
1 争点①(本件権利行使利益の所得区分)について
《被告の主張》
本件権利行使利益は、所得税法上、給与所得に該当する。仮にそうでないとしても、雑所得に該当する。
(1) ストック・オプションの性格
ア ストック・オプションを付与された従業員等は、当該株式の時価が権利行使価格を上回った場合、この権利を行使して株式を取得し、当該株式の時価と権利行使価格の差額相当の経済的利益(権利行使利益)を享受することができる。
ストック・オプション制度は、ストック・オプションを従業員等に付与することにより、当該従業員等の精勤意欲の向上が期待され、付与会社も、優秀な人材を誘引、確保するとともに会社の業績向上を図ることを期待することができるという、長期インセンティブ報酬(業績連動型報酬)制度の一種である。この長期インセンティブ報酬の目的を達成するために、付与の対象となるのは従業員等のみであり、また、付与契約において一定期間の勤務、権利行使期間、権利行使価格等の条件が定められ、さらに、付与されたストック・オプションの譲渡が禁止され、退職等により雇用契約等(雇用契約又は取締役等の役員についての委任契約をいう。以下同じ。)が消滅した場合等には、権利が消滅したり権利行使期間が制限されたりするのが通常である。
このように、ストック・オプション制度は、「付与→一定期間の勤務→株価の上昇→権利行使による時価より低額での株式売買」という一連の過程を経て、初めて従業員等において権利行使利益を取得できるもので、インセンティブ報酬として勤務先会社における勤務と不可分に結びつけられた仕組みである。従業員等としての地位にあるからこそストック・オプションが付与され、かつ、現実に勤務を継続しなければ権利行使の機会を得られず、したがって権利行使利益も得られないのである。
イ ストック・オプション付与契約は、従業員等とその勤務先会社との雇用契約等に付された従たる契約(予約)というべきものであって、権利行使利益を従業員等に取得させるため、会社と従業員等との間の雇用契約等を不可欠の前提として締結される、売買(株式譲渡)の一方の予約に類似する契約であり、従業員等の地位にあるストック・オプションの被付与者(以下、単に「被付与者」ということがある。)のみが予約完結権を行使できるものとして、譲渡が禁止され、かつ、会社における一定期間の勤務等という停止条件が付されたものということができる。
そして、従業員等の地位にある被付与者が、労務を提供してストック・オプション(予約完結権)を行使することができるようになり、これを行使して初めて株式譲渡契約(本契約)が成立し、被付与者は、付与会社に対し、具体的な株式引渡請求権を取得する一方、付与会社は、被付与者に対し、権利行使価格相当額の金員支払請求権を取得することとなり、その結果、付与会社が当該株式を市場で売却(発行)すれば得られたはずのキャッシュフロー(当該株式の時価から権利行使価格相当額を差し引いた額)を、被付与者である従業員等にその労務の対価として移転するものである。
(2) ストック・オプションに係る課税の対象及び時期について
ア 所得税法は、「現実収入」があったときに「収入金額」(同法36条1項)が発生したとして課税することを原則としつつ、いまだ現実収入はないが「(現実)収入の原因となる権利」が確定したときはその時点で「収入金額」が発生したとして課税するという、権利確定主義を採用しているものと解される。
そして、所得税法36条の規定に照らせば、金銭以外の物、権利又は経済的利益も現実収入となり得るが、現実収入に対して所得税課税がされることから、「現実収入」に該当するためには、経済的・実質的観点から所得税課税にふさわしい内実のある利益等でなければならず、容易に現金に換価され得るものを受領した場合であることを要すると解される。また、「収入の原因となる権利」とは、現実収入としての金銭、物、権利又は経済的利益の交付ないし引渡しを請求する権利であると考えられる。
イ これをストック・オプションについてみると、本件ストック・オプションのように、譲渡が禁止され、被付与者以外は行使できず、これを取引の対象とする市場も存在しないものについては、これを付与されただけでは、換価可能性がないものを与えられたにすぎないから、付与されたストック・オプションそれ自体が現実収入に当たるとはいえない。市場性のないストック・オプションのように、将来権利行使利益を得ることに対する期待権にすぎないものについて、所得税を課税することはあり得ないのである。
そうすると、本件のようなストック・オプションにおいては、権利行使利益が「現実収入」であり、ストック・オプションを行使して発生する株式引渡請求権が「収入の原因となる権利」に該当するものというべきである。
ウ 以上のとおり、本件ストック・オプションにおける所得税課税の対象は、権利行使利益であり、その課税時期が権利行使時であることは明らかである。
そして、このように解することは、租税特別措置法29条の2及び所得税法施行令84条が、商法上のストック・オプションに関し、権利行使時における権利行使利益に対する課税を前提とした規定をしていることとも整合的である。
(3) 本件権利行使利益が給与所得に該当することについて
ア ストック・オプションに関する課税実定法規について
租税特別措置法29条の2は、第2章「所得税法の特例」、第3節「給与所得及び退職所得」の中に置かれていることからすれば、ストック・オプションの行使により生じる経済的利益が原則として給与所得として課税されることを前提とした上で、同条所定のいわゆる税制適格型のものについては、権利行使時において権利行使利益に所得税を課さずに、株式の譲渡時まで課税の繰延べを認める趣旨のものと解される。また、所得税法施行令84条は、商法上のストック・オプションについて権利行使利益に課税する旨を明示している。
そうすると、現行法上、租税特別措置法29条の2の要件を充たさない税制非適格型のストック・オプションについては、権利行使時に権利行使利益に対して給与所得として課税されるものであって、これと同様の性質を有する本件ストック・オプションについても、所得税法36条の解釈として、権利行使時に権利行使利益に対して給与所得として課税されると解するのが、上記各規定の趣旨に照らしても相当である。
イ 給与所得の意義について
給与所得とは、「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る所得」(所得税法28条1項)であり、勤労性所得(人的役務からの所得)のうち、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供された労務の対価を広く含むものである。
そして、その認定に際しては、支払者と受給者間の形式的法律関係のみではなく、支払の原因となった法律関係についての支払者と受給者の意思ないし認識、労務の提供や支払の具体的態様等を考察して、客観的、実質的に判断すべきである。また、この給与所得の本質は非独立的・従属的労働の対価という点にあるが、この場合の対価は、雇用契約等の反対給付(取締役委任契約に基づく報酬、雇用契約に基づく給料等)に限定されるものではなく、従業員等の地位に基づいて給付される限り、労務の対価としての性質を有し、給与所得に該当するというべきである。
ウ 勤務先会社からストック・オプションが付与される場合について
(ア) ストック・オプション付与契約は、前記(1)のとおり、従業員等とその勤務先会社との雇用契約等を不可欠の前提として締結される契約であって、権利行使利益を、従業員等に労務の対価として取得させるためのものである。したがって、従業員等の地位に基づいて付与されたストック・オプションの行使に係る経済的利益(権利行使利益)は、労務の対価としての性質を有するから、給与所得に該当することとなる。
(イ) これに対し、ストック・オプションの被付与者が権利行使利益を取得するかどうか及び取得する利益の額は、株価の変動という偶発的な要素や被付与者の権利行使の時期に関する判断に大きく基因するものであるから、権利行使利益は付与会社から被付与者に対して与えられた経済的利益と評価することはできないといった見解がある。
しかし、このような見解は、株価の変動を前提とする権利行使利益に一時的、偶発的な要素があることにとらわれすぎて、労務と不可分に結び付けられたストック・オプション制度の本質を見誤ったものである。もともと、株価の変動や被付与者に権利行使時期の選択を委ねているといった要素は、いずれもストック・オプション制度自体に内在するものであり、ストック・オプション自体が、いわば価格の変動等を織り込み済みのものとして、その制度の枠内で一定期間の勤務等の条件を満たした被付与者が権利を行使する限り、付与会社において、その従業員等に労務の対価として低額譲渡の利益を与えるものである。会社に勤務していたからこそストック・オプションが付与され、かつ、現実に勤務を継続したからこそ権利行使利益を取得できたという点で、権利行使利益は労務の対価としての性質を有するのであり、そうである以上、権利行使利益の額がいかに株価変動の偶然性や行使時期に関する判断といった要素に左右されようとも、権利行使利益が給与所得に該当することは明らかである。
(ウ) また、使用者から受ける給付が「労務の対価」であると評価できるためには従業員等が提供した労務の質ないし量と当該給付との間に経済的合理性に基づいた相関関係があることが必要であるとし、この観点からストック・オプションの権利行使利益の「労務の対価」性すなわち給与所得性を否定する見解もある。
しかし、このように給与所得該当性に関し、労務の質ないし量と給付との間に何らかの相関関係を要求する見解は、従来の判例・実務の一般的な理解とは異なる独自の見解である。「労務と給付額との相関関係」は給与所得の要件ではなく、当該従業員等が提供した具体的な労務の質ないし量と給付額との間に何ら相関関係がなくても、従業員等としての地位に基づいて受ける給付は、すべて労務の対価であり、給与所得に該当するというべきである。
なお、仮に、労務の質ないし量と給付との間に何らかの相関関係を要するとの立場に立ったとしても、ストック・オプションの付与会社は、従業員等の貢献度等に応じて、付与するストック・オプションの数量、権利行使価格、権利行使期間等、権利行使利益の多寡に影響する一定の条件を決めているのであるから、その点において、給付としての権利行使利益は労務の質ないし量と相関関係を有するものということができる。
(エ) 以上によれば、勤務先会社から付与されたストック・オプションに係る権利行使利益が給与所得に該当することは、明らかである。
エ 親会社からストック・オプションが付与される場合について
(ア) 付与会社が親会社の場合に異なるのは、付与会社が直接の雇用契約等の当事者でないという点のみであり、従業員等が勤務先会社に勤務していたからこそストック・オプションを付与され、かつ、現実に勤務を継続していたからこそ権利行使利益を取得できたという点では何ら異なることはない。
(イ) 所得税法28条1項は、給与所得を雇用契約等の当事者である使用者からの給付に限定するとは規定しておらず、使用者以外の第三者からの給付であることのみをもって、当該給付を給与所得から除外しているとは解されない。
この点に関連して、最高裁判所昭和56年4月24日第二小法廷判決・民集35巻3号672頁(以下「最高裁昭和56年判決」という。)は、「使用者から受ける給付」であることを給与所得の要件としているようにもみえるが、同判決は、給与支給者と雇用契約等の当事者(使用者)とが一致する通常の場合について判断したものであり、同判決が雇用契約等の当事者以外の第三者からの給付を給与所得から除外する趣旨とは解されない。
また、租税特別措置法29条の2は、親会社から付与されたストック・オプションが、子会社に対する労務提供の対価であることを当然の前提としており、本件でも同条の趣旨を踏まえた解釈がされるべきである。
(ウ) 給与所得に該当するか否かの判断要素は、従業員等の立場からみて、それが従業員等としての地位に基づき、一定期間に空間的・時間的な支配を受けつつ労務を提供したことの対価と認められるか否かという実質的な点に求められるべきである。そして、この場合、空間的・時間的支配を受けた先が親会社であるか子会社であるかは従業員等の立場からは特段の意味を持つとはいえないから考慮する必要はないし、親会社においても、従業員等に対する子会社の空間的・時間的支配を前提に給付しているのであるから、それは従業員等の地位に基づく給付とみて支障はなく、本件権利行使利益についても、給与所得に該当することは明らかであり、このように解しても何ら所得税法28条1項及び判例に反するものではない。
被付与者である子会社の従業員等は、子会社の従業員等の地位にあって、子会社の指揮命令に服して一定期間勤務して初めて権利行使利益を取得することができるのであり、このような労務の提供なくしては権利行使利益を得られない関係にあるから、権利行使利益に労務の対価性があることは明らかである。
また、親会社が、被付与者である子会社の従業員等に対し、実質的には自らの負担において経済的利益(権利行使利益)を与える理由は、被付与者の子会社における労務の提供にある。これは、被付与者の子会社における勤務により子会社の業績が向上すれば、親会社も利益を受ける関係にあると認識されているからにほかならない。
さらに、使用者は、従業員等の勤労の成果が使用者に帰属するという関係にあるからこそ従業員等に給与を支給するものであるところ、使用者以外の第三者であっても、使用者を通じてその従業員等の労働力を利用し勤労の成果を得ることができる関係にある者が、当該従業員等に支給した金銭ないし経済的利益は、給与ということができる。この点、親会社は、株式や出資持分の保有を通じて、子会社を経営支配しており、子会社の従業員等の労働力を利用し、その勤労の成果を得ることができる関係にあるといえるのである。
加えて、親会社が子会社等のグループ企業の従業員等をも対象とするストック・オプション付与制度を有している場合には、その子会社等も、その従業員等の勤労意欲の向上等により会社の業績が向上することを期待できるから、自社における労務を前提として、その従業員等に対し、親会社が権利行使利益を与えることを容認しているものといえる。
(エ) このような事情に照らせば、被付与者である子会社の従業員等が取得するストック・オプションに係る権利行使利益は、直接の雇用契約関係にない親会社から受けるものであるが、使用者である子会社の指揮命令に服しての労務の提供に基因して得られるものであり、子会社における労務の対価として給与所得に該当するものというべきである。
オ 本件権利行使利益の給与所得該当性
原告の勤務していた日本A社が本件ストック・オプションの付与会社である米国A社の100パーセント子会社であることから、日本A社が原告の勤労の成果を得る結果、米国A社も利益を受ける関係にある。さらに、米国A社のストック・オプション制度に照らせば、本件ストック・オプションの付与は、原告が日本A社に勤務し、同社に対し労務を提供することを基礎として、米国A社が、当該労務提供の対価として、権利行使利益を原告に与える趣旨のものと認められる。
そうすると、本件権利行使利益が給与所得に該当することは明らかというべきである。
(4) 本件権利行使利益が一時所得に該当しないことについて
ア 偶発的、一時的な性格について
ストック・オプションの権利行使利益の取得自体が、行使時期の判断を委ねられている従業員等による選択の結果であり、従業員等は、確実に意図した利益を得ることができる状況の下で権利を行使しているのであるから、権利行使利益は偶然に取得したものとはいえない。
イ 一時所得の消極的要件としての対価性について
一時所得(所得税法34条1項)に該当するためには、その所得が「労務その他の役務・・・の対価としての性質」を有しないものでなければならない。この一時所得の消極的要件としての「役務の対価性」の点は、その所得が一時所得か、それとも雑所得かの区分の基準となるところ、ここでいう「対価」とは、給与所得に関して述べたとおり、双務契約における一方の履行に対する他方の給付という狭い意義にとどまらず、当該労務その他の役務を提供したことを評価し、これに対して金銭その他の経済的利益が給付された場合を含むものである。そして、ストック・オプションに係る権利行使利益は、子会社の従業員等としての地位及びその勤務に密接に関係する所得であることは明白であって、所得税法34条1項の「労務その他の役務・・・の対価としての性質」を有するから、一時所得には該当しないものである。
ウ 偶発的、一時的な要素を持つ所得についての所得区分についてそもそも、一般に所得は何らかの経済取引から生じるものであり、その発生過程の中に、物の価格等の偶発的な要素及び当該所得を稼得した者の経済状況についての判断が含まれることは、むしろ当然である。このような要素は、所得の有無や多寡を決定する要素にすぎないのであって、所得税法が所得の源泉ないし性質に応じて所得区分を定めた趣旨に照らせば、当該要素をそれらの経済活動によって発生した所得の所得区分を判定する基礎とするのは誤りであるから、株価の変動が偶発的であるからという理由で、株式を対象として生じた所得が一時所得になるということはできない。
エ まとめ
以上のように、仮に本件権利行使利益が給与所得に当たらないとしても、一時所得と解する余地はなく、同利益は、少なくとも雑所得には該当する、
(5) 本件各更正処分の適法性
本件権利行使利益が給与所得に該当する場合の、原告の本件係争各年分の所得税に係る納付すべき税額は、前記第4、1のとおりであり、いずれも本件各更正処分に係る納付すべき税額を上回る。また、本件権利行使利益が雑所得に該当する場合の納付すべき税額も、前記第4、2のとおり、本件各更正処分に係る納付すべき税額を上回る。
したがって、本件各更正処分は、いずれも適法である。
《原告の主張》
本件権利行使利益は、所得税法上、一時所得に該当する。
(1) ストック・オプションの行使による経済的利益について
ア 所得の発生時期
ストック・オプションを付与された者は、それだけでは将来有利な価格で株式等を取得できるという期待的な利益を有するにすぎず、経済的利益が得られるか否かも不明であるが、その行使時において、株式等の市場価格が上昇している場合に、初めて、現実に有利な価格で株式等を取得するという経済的利益(権利行使利益)を確保できる。
そうすると、ストック・オプションを付与されたことによる所得は、所得税法36条1項に定める権利確定主義ないし「管理支配基準」に照らし、付与時に帰属するものではなく、権利を行使した段階で初めて発生するものということができる。
イ 権利行使利益の性質
上記アに述べたところは、本件ストック・オプションが原告の日本A社の使用人たる地位に基づいて付与されたものであったとしても、その行使による経済的利益である本件権利行使利益はこの地位とは無関係に得られるものであることを示している。
ストック・オプションの行使による経済的利益は、権利を付与された日から権利行使日までの間に株式市場において形成された株式の値上がり益で構成されるものであって、市場の株価変動という一時的・偶発的に変動する要因により形成されるものであるから、一時性・偶発性を有する所得というべきである。
そして、このことは、権利行使利益がストック・オプションの付与会社からもたらされるものではないことを意味し、同時に、付与会社・被付与者間において、権利行使利益ついての対価性が成立し得ないことを意味しているのである。
ウ 権利行使利益の給付者について
被告は、ストック・オプションの付与会社の負担において被付与者に権利行使利益を与えるものであると主張する。
しかしながら、権利行使利益は、株式市場で形成されたものであり、ストック・オプションの付与会社が被付与者に与えた利益ではない。
ストック・オプションの行使に対し、付与会社が金庫株を交付する場合でも、新株を発行して交付する場合でも、付与会社の社内から社外に何らかの現実的な経済的価値が流出するものではなく、ストック・オプションの行使者は、株式市場において行使価格より高い価格が付いている株式を取得し、また、これを売却することにより株式市場の他の参加者との間で価値の交換をするにすぎない。そして、ストック・オプションの付与会社が被付与者に与えるものは、あくまで、ストック・オプションという金融派生商品にとどまるのである。
(2) 本件権利行使利益が給与所得に該当しないことについて
ア 最高裁昭和56年判決は、「給与所得とは雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として使用者から受ける給付をいう。なお、給与所得については、とりわけ、給与支給者との関係において何らかの空間的、時間的な拘束を受け、継続的ないし断続的に労務又は役務の提供があり、その対価として支給されるものであるかどうかが重視されなければならない。」と判示している。
上記最高裁判決からすれば、給与所得の要件は、①雇用契約等の給付原因事実の存在、②指揮命令による支配従属関係、及び、③労務との対価性であると解される。
イ これを本件についてみると、原告は、日本A社の使用人ではあったが、米国A社の役員又は使用人たる地位に就いたことはなく、同社との間に上記①の雇用契約等の給付原因事実は存在しない。
また、米国A社は、日本A社の株主として、株主権の行使を通じてのみ日本A社の経営に関与することができるにとどまり、日本A社の使用人に指揮命令を及ぼし得ないから、米国A社が原告に「時間的・空間的な拘束」を及ぼすものではないし、原告が米国A社に継続的ないし断続的に労務又は役務の提供をするものでもない。
したがって、原告と米国A社との間に、②の指揮命令による支配従属関係は存在しない。
さらに、本件権利行使利益は、前記(1)のとおり、米国A社から与えられたものではなく株式市場で形成された値上がり益から構成されるものであるから、③の労務との対価性が生じる余地はない。権利行使利益は、市場における米国A社の株価、為替相場及び被付与者の相場観によって形成されるものである。
ウ なお、本件ストック・オプションは、米国A社の本件A・プランに基づくものであり、その付与から行使の過程において、日本A社は一切関与していない。また、日本A社は、その賃金等に関する諸規定において、米国A社が付与するストック・オプションについて何ら規定しておらず、当該ストック・オプションによる利益を自社の従業員等に対する報酬・給与と位置付けていないことは明白である。
この点において、本件は、勤務先会社の報酬・給与体系の一部にストック・オプションが制度的に盛り込まれている他社の例とは事案を異にするのである。
エ 以上のとおり、本件権利行使利益は、給与所得には該当しないものである。
(3) 本件権利行使利益が一時所得に該当することについて
ストック・オプションの行使による経済的利益(権利行使利益)は、定型的な所得源泉を有しない不規則的、偶発的な所得で、かつ、役務又は資産譲渡の対価としての性質を有しないものであるから、「営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」(所得税法34条1項)として、一時所得に該当する。
(4) 租税特別措置法29条の2及び所得税法施行令84条の解釈について租税特別措置法29条の2は、日本の商法上のストック・オプションのうち一定の要件を満たす税制適格型ストック・オプションに限り、権利行使により所得した株式を譲渡するまでの課税の繰延べを規定するにとどまり、また、所得税法施行令84条は、日本の商法上のストック・オプションについて、権利行使利益に対して課税することを規定するにとどまる。
したがって、上記の各規定から、本件ストック・オプションのように、外国法人である親会社が付与する税制適格型ではないストック・オプションについての課税上の取扱いを読み取ることは、到底できない。
(5) 本件各更正処分の違法性
以上のとおり、本件権利行使利益は一時所得に該当するから、本件各更正処分のうち、本件権利行使利益を一時所得として計算した金額を上回る部分は、違法である。
2 争点②(租税法律主義違反の有無)について
《原告の主張》
被告は、前記1のとおり本件権利行使利益が給与所得には該当しないにもかかわらず、また、外国親会社から付与されたストック・オプションの行使による所得を一時所得とする国税当局の従前の取扱いに反し、突如として、恣意的な基準により、権利行使利益を給与所得とする課税を行ったものである。
このような恣意的な所得認定に基づく本件各更正処分は、課税要件を成文化した所得税法28条と、その解釈基準を定めた最高裁56年判決に違反し、その結果として、法令の基準なく課税行為をしたものとして、租税法律主義(憲法30条、84条)に違反するものというべきである。
《被告の主張》
前記1《被告の主張》のとおり、本件権利行使利益は、所得税法28条の解釈上、同条所定の「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与」に該当すると解されるのであって、被告は、同条の下で、これを給与所得と取り扱って本件各更正処分をしたものであり、何ら租税法律主義に違反するものではない。
3 争点③(理由附記の不備による違法の有無)について
《原告の主張》
被告は、本件各更正処分に当たり、原告に対し、本件権利行使利益を給与所得と認定した根拠を何ら示しておらず、このことは課税要件明確主義に違反し、この点からも租税法律主義に違反するというべきである。
《被告の主張》
所得税の更正処分は、極めて大量かつ回帰的に行われるものである上、その内容も、各事案に関する個々具体的な事実関係に多数の関係法令を適用して得られることから、すべての所得税の更正処分に理由を附記するとするときには、理由附記の事務負担が著しく増大し、その他の事務の円滑な遂行が損なわれ、その結果として公平な課税の実現も損なわれることになりかねない。他方、一般に行政処分に理由附記を要求する趣旨は、処分庁の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制する(処分適正化機能)とともに、処分理由を相手方に知らせることによって不服申立ての便宜を図る(争点明確化機能)ことにあると解されるところ、所得税の更正処分については、原則として、異議申立て及び審査請求の各段階において、処分庁である税務署長から更正処分の理由が明示されることが予定されており、これらの手続を通じて処分の適正化と争点の明確化が図られることが保障されている。
これらの事情を総合較量すると、所得税法が155条2項所定の更正処分以外の更正処分について理由附記を要求していないことが違法ということはできず、被告が同項所定の更正処分ではない本件各更正処分に理由を附記しなかったとしても、それが違法であるとはいえない。
4 争点④(信義則違反の有無)について
《原告の主張》
外国親会社から内国子会社の従業員等に付与されたストック・オプションに関する課税については、昭和60年及び昭和61年、国税庁審理室の職員が、「週間税務通信」誌上において一時所得との見解を示し、また、平成6年版の東京国税局所得税課長編「所得税質疑応答集」においても、一時所得との見解が示されていた。また、各税務署の窓口でも、同様の取扱い、指導がされてきた。
上記「週間税務通信」の記事は国税当局の担当者がその官職名を明らかにして見解を示したもので、また、同「所得税質疑応答集」は課税問題に関する国税当局の公権的解釈を公表する性質のものであるから、これらの記載内容は、いずれも国税当局の公式な見解というべきであり、各税務署の実務の取扱いもこれに準拠していたものである。
このような国税当局の公式見解及び実務の取扱いから、納税者たる国民は、一時所得とする取扱いで一貫されるものと信頼し、自己の所得税の納税額等を算定して生活設計をしていたのであり、このような信頼が保護されなければ、従前の基準を前提として納税をした国民は、不測の追徴や加算税の賦課をされ、予期せぬ多額の出費を強いられることとなる。
以上のところからすると、本件各更正処分は、課税行為における信義則に違反するものとして、違法というべきである。
《被告の主張》
被告は、信義則が、法の一般原則として、租税法の分野にも適用され得るものであることを否定するものではない。しかし、原告は、本件権利行使利益を株式等の譲渡所得に該当するものとして本件係争各年分の所得税の申告を行っているのであるから、そもそも本件において、原告が主張するような「信義則によって保護されるべき納税者の信頼」が存在しないことは明らかである。
したがって、この点に関する原告の主張は、その前提を欠くものであって、失当である。
5 争点⑤(本件権利行使利益の額)について
《被告の主張》
我が国の所得税法は、所得金額及び税額の計算を邦貨により行うことを前提としているため(同法28条3項、89条1項等)、各種所得の金額の計算上、収入金額等に外貨建取引によるものが含まれている場合には、これを邦貨換算する必要がある。そして、所得税法36条1、2項の規定に照らすと、同法は、経済的な利益をもってする収入については、それを享受する時に、その享受する価額で、収入金額として認識することを定めているものと解される。そうすると、経済的な利益をもってする収入が外貨建取引によるものである場合、その邦貨換算に係る為替レートは、当該経済的な利益が収入金額として認識される時点、すなわち、「当該利益を享受する時」における為替レートとすべきであると解される。
これを本件についてみると、原告は、本件ストック・オプションを行使することによって、その権利行使時に本件権利行使利益を取得し、その利益を享受するのであるから、その邦貨換算に用いる為替レートは、権利行使時のものとするのが相当である。
別紙課税根拠表に記載の本件権利行使利益の額は、いずれも、権利行使時の為替レートを用いて邦貨換算したものである。
《原告の主張》
権利行使利益の額は、権利行使時の為替レートではなく、実際に円に替えた時点又は権利行使日の属する年の末日の為替レートを用いて邦貨換算すべきである。
6 争点⑥(本件各過少申告加算税賦課決定処分に係る違法の有無)について《被告の主張》被告は、本件各更正処分により原告が新たに納付すべきこととなった税額を基礎として、国税通則法65条の規定に基づき、次のとおり過少申告加算税を賦課決定したものであり、本件各過少申告加算税賦課決定処分はいずれも適法である。
(1) 平成9年分の過少申告加算税について
原告の平成9年分の過少申告加算税の額は、平成9年分の所得税に係る更正処分により原告が新たに納付すべきこととなった税額58万8000円から国税通則法65条4項に該当する金額53万1300円(同法施行令27条により計算した金額。以下同じ。)を差し引いた後の税額5万円(ただし、同法118条3項の規定により1万円未満の端数を切り捨てた後のもの。以下同じ。)に同法65条1項の規定に基づき100分の10の割合を乗じて算出した5000円となる。
(2) 平成10年分の過少申告加算税について
原告の平成10年分の過少申告加算税の額は、平成10年分の所得税に係る更正処分により原告が新たに納付すべきこととなった税額5954万9000円から国税通則法65条4項に該当する金額4462万3000円を差し引いた後の税額1492万円に同条1項の規定に基づき100分の10の割合を乗じて算出した149万2000円となる。
《原告の主張》
本件各過少申告加算税賦課決定処分は、既に述べたとおり違法な本件各更正処分に基づいてされたものであるから、違法である。
第7 当裁判所の判断
1 争点①(本件権利行使利益の所得区分)について
(1) ストック・オプション及び権利行使利益について
ア ストック・オプションは、前記第3の基礎となる事実1(1)のとおり、会社が自社又は子会社の従業員等に対して付与する、自社株式を一定の期間内にあらかじめ定められた権利行使価格で取得することができる権利であり、このストック・オプションを付与された従業員等は、付与契約の定める条件に従って権利を行使することにより、取得する株式の権利行使時における時価と権利行使価格との差額に相当する経済的利益すなわち権利行使利益を取得することができる。そして、ストック・オプションを行使した従業員等は、権利の行使によって取得した株式を、権利行使後即時に又は時機を見て譲渡することによって換価し、その経済的利益を金銭的に把握することができる。
本件ストック・オプションもこのような性質を有するものであるところ、米国A社は、本件A・プランに基づいて、「現在及び将来の貢献が同社の継続的な成功にとって重要な従業員等に追加的な誘因を提供し、それらの者に対し同社に係る財産的利益を得る機会を与え、同社が、事業経営で成功を収めるために活用できる最高の人材を採用しその雇用を維持できるようにすること」を目的として、その100パーセント子会社である日本A社の従業員等である原告に対し、本件ストック・オプションを付与したものである。そして、この目的を達するため、本件ストック・オプションには、本件ストック・オプション付与契約において、権利行使には付与後一定期間の経過が必要であること、原則として、譲渡が禁じられ、被付与者である原告以外は行使できないこと、さらに、原告がAグループ各社の従業員でなくなった場合、すなわち原告とAグループ各社との雇用契約等が終了した場合には一定期間内に権利が消滅することなどの条件が付されていたものである。
イ 上記のように、本件ストック・オプションは、米国A社の株式を一定の期間内にあらかじめ定められた価格で取得することができる権利であるが、本件ストック・オプション付与契約により譲渡が制限されていることから、それ自体には換価可能性はなく、被付与者である原告としては、上記のような条件を満たすことにより権利行使をして初めて、本件ストック・オプションに係る経済的利益を取得することができるのであり、その経済的利益は、米国A社から取得した株式の時価と権利行使価格との差額に相当する権利行使利益である(したがって、本件ストック・オプションは、行使されない限り、原告に何ら現実的・具体的な経済的利益をもたらすものではない。)。そして、米国A社の株式の時価は日々変動するものであるから、原告が取得する権利行使利益の額は、権利行使の時期によりおのずと異なることになる。このように、本件ストック・オプションに係る経済的利益は、本件ストック・オプション付与契約に基づく権利行使がされて初めて、権利行使利益という形で発生し、また、その額が確定し、これが原告に帰属するものということができる。
また、上記のような本件ストック・オプションの内容を付与会社(米国A社)及び被付与者(原告)の両者の立場からみると、被付与者である原告は、本件ストック・オプション契約に係る上記のような条件を満たせば、時機を見て権利を行使することにより、権利行使利益という経済的利益を取得することができ、一方で、付与会社である米国A社も、被付与者である原告がこの条件に従いAグループ各社との雇用契約等を維持して労務の提供を継続することにより、有益な人材の雇用の維持、追加的な誘因の提供、同社の成功の促進といった本件ストック・オプション付与の目的を達することができる、という関係にあるということができるのである。
ウ なお、ストック・オプション自体の期待権としての経済的価値を強調し、付与会社は被付与者に対しこのような期待権を与えたにとどまるとして、権利行使利益をストック・オプション付与契約とは切り離して考えようとする見解もみられるが、上記のとおり、本件A・プランにおけるストック・オプションは、付与会社である米国A社において、権利行使利益という経済的利益を被付与者の権利行使により被付与者に取得させることに向けて制度設計されたものであり、権利行使利益の取得もあくまでストック・オプション付与契約上の合意に基づくものであって、当事者にとり経済的利益の発生ないし移転という意義を有しないストック・オプションの付与の段階における、ストック・オプション自体の期待権としての経済的価値をことさらに強調し、権利行使の意義を単に一般投資家による株式売買と同様にとらえることは、本件A・プランにおけるストック・オプションの制度設計及びストック・オプション付与契約の趣旨・目的を看過し、ひいては権利行使利益の法的性質を見誤ることになるものといわなければならない。
(2) 争点①に関わる論点の整理
ア ところで、原告が本件ストック・オプションを行使した平成8年ないし平成10年当時、ストック・オプションを付与された者が得る所得に対する所得税の課税については、前記第3、1(3)のとおり、新規事業法又は商法上認められたストック・オプションに関する課税上の取扱いを定める法令の規定が存在したものの、本件ストック・オプションのように親会社から子会社の従業員等に対して付与されたものの取扱いについて、直接、明文をもって定めた法令の規定は存在しなかった。
したがって、本件ストック・オプションに係る原告の所得についての課税関係は、所得税法その他租税関係法令の規定の解釈によって決せられることとなる。
イ そして、本件は、原告が本件ストック・オプションを行使することにより本件権利行使利益を取得した事実に関し、被告において本件権利行使利益をもって本件ストック・オプションに係る所得税法上の課税所得であると把握してした本件各課税処分の適法性が争われている事案であるところ、被告は、本件権利行使利益が所得税法の所得区分における給与所得に該当するものであり、仮にそうでないとしても雑所得に該当すると主張しているのに対し、原告は、本件権利行使利益が課税の対象になることについては争わず、本件権利行使利益は一時所得に該当すると主張し、本件各課税処分の適法性を争っているところである。
このように、本件における課税の根拠に関する争点は、本件権利行使利益が給与所得又は雑所得(被告の主張)あるいは一時所得(原告の主張)のいずれに該当するか、という所得区分の問題そのものである(なお、この関連で付言すると、ストック・オプションに関する課税関係については、ストック・オプションの付与時ないし権利行使が可能となった時点におけるストック・オプション自体に対する所得税課税の可否が論じられることがあるが、この論点についてどのような考え方をとるかが直ちに本件の争点の帰すうを決するものではない。)。
したがって、当裁判所は、上記の論点に立ち入ることなく、以下、端的に、本件の争点である本件権利行使利益の所得区分の問題について検討することとする(ちなみに、ストック・オプションの行使により被付与者が得る株式の時価と権利行使価格との差額に相当する権利行使利益は所得税法上の所得に該当すると認められるところ、被付与者は、権利を行使することにより、付与会社に対して当該権利行使に対応した株式の引渡請求権を取得し、これにより、権利行使利益を収入すべき権利が確定することになる(所得税法36条1項参照)から、この権利行使時において、権利行使利益を対象として課税をすることに合理的な根拠があることは明らかである。)。
(3) 所得税法における所得区分の意義と区分の仕方について
ア 所得税法の定める所得区分についてみると、同法は、居住者に対して課する所得税に関し、所得を、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得、雑所得の10種類の所得に区分し、これらの各種の所得ごとに、所得の金額の計算方法を規定している(同法23条ないし35条)。
イ そして、所得税法が、上記のように、所得を10種類に区分し、各種の所得ごとに所得の金額の計算方法を規定しているのは、所得はその源泉ないし性質に基因して担税力を異にしていると考えられることから、各種の所得ごとの担税力に応じた課税を実現し、居住者の租税負担の公平を図ろうとしたものと解されるところである。
したがって、本件権利行使利益の所得区分についての検討は、このような所得税法における所得区分の意義を踏まえたものでなければならないことはいうまでもない。
ウ ところで、所得税法は、給与所得とは、「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(給与等)に係る所得をいう」と規定し(同法28条1項)、また、一時所得とは、雑所得以外の、給与所得を含む他の8種類の所得以外の所得のうち、「営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないものをいう」と規定し(同法34条1項)、さらに、雑所得とは、他の所得区分のいずれにも該当しない所得をいうと規定している(同法35条1項)。
このような所得税法における所得区分の仕方からすれば、本件権利行使利益の所得区分については、まず給与所得に該当するかどうかを検討した上で、これに該当しない場合には、一時所得に該当するかどうか、さらには雑所得に該当するかどうかについて検討を進めていくのが相当というべきである。
そこで、以下、このような観点から本件権利行使利益の所得区分について検討することとする。
(4) 本件権利行使利益が給与所得に該当するかどうかについて
ア 給与所得の意義について
(ア) 所得税法28条1項に規定する給与所得、すなわち「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(給与等)に係る所得」とは、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として受ける給付をいうものと解される(最高裁昭和56年判決参照)。
このような給与所得の意義からすれば、一定の所得が給与所得に該当するといえるためには、①雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して労務を提供したこと(雇用契約類似原因関係の存在)、②当該労務の対価として受ける給付であること(労務の対価性の存在)、が必要であり、かつ、それで十分であるというべきである。
(イ) そして、被告が本件権利行使利益の給与所得該当性の基礎として主張する労務とは、原告が日本A社に対して提供した労務であるから、本件においては、①当該労務が雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者である日本A社の指揮命令に服して提供したものであるかどうか、②本件権利行使利益が当該労務の対価としての性質を有するものであるかどうか、を検討すべきであるということができる(なお、原告は、①の雇用契約類似原因関係の存否の点に関し、所得税法上の給与所得が使用者から支給される給付に限られることを前提に、原告と米国A社との間に雇用契約等の給付原因事実や指揮命令による支配従属関係は存在しない旨を主張する(前記第6、1《原告の主張》②イ)。しかし、当裁判所はそのような限定的な解釈をとるものではないので、労務の対価の支給者と使用者の同一性の要否の点については、別途、後記エにおいて、当裁判所の見解を示すこととする。)。
イ 雇用契約類似原因関係の存否について
そこで、労務の提供についての雇用類似原因関係の存否について検討する。
前記第3、2のとおり、原告は、本件ストック・オプションの付与時ないし行使時を含め、日本A社の従業員又は役員として勤務していた者である。そして、原告が、この間、日本A社との雇用契約等の契約関係に基づき、これによる義務の履行として同社の指揮命令に服して同社に労務を提供していたことについては、当事者間に争いがない。
したがって、原告は、雇用契約又はこれに類する原因に基づき、使用者である日本A社の指揮命令に服して労務を提供していたものと認めることができる。
ウ 労務の対価性の存否について
次に、本件権利行使利益が上記イの労務の対価といえるかどうかについて検討することとする。
(ア) (労務の対価性を検討する視点について)
所得税法は、上記(3)ア、イのように、租税負担の公平を図るために、所得をその源泉ないし性質に応じて区分し、それぞれの担税力に応じた課税を実現しようとしているところである。
そして、労務は、一般に、これにより利益を受ける者による当該労務に対する給付を期待することができるという点において、所得の源泉としての性質を有するものであるところ、所得税法は、その所得区分において、このような労務に基因する勤労性所得のうち、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供するという労務の性質と、これに対応する担税力に着目して、そのような非独立的・従属的労務の対価としての性質を有する所得を給与所得として規定したものと解される。
そうすると、本件において労務の対価性を問題とする意義は、本件権利行使利益が、上記のような労務の有する所得の源泉としての性質の現れとして、原告が日本A社との雇用契約又はこれに類する原因に基づきその指揮命令に服して提供した労務に基因する給付である、といえるかどうかを識別することにあるということができるのであり、したがって、このような視点から労務の対価性についての検討を行うべきである。
(イ) (本件権利行使利益の給付者について)
a ところで、原告は、本件権利行使利益は原告が株式市場から取得したもので、米国A社が給付したものではないとし、このことを論拠の1つとして、本件権利行使利益の労務の対価性ないし給与所得該当性は否定されるべきである旨を主張する(前記第6、1《原告の主張》(1)ウ、(2))ので、本件権利行使利益が労務の対価としての性質を有するものであるかどうかを検討する前提として、ここで、本件権利行使利益の給付者が誰であるかについて確認しておくこととする。
b ストック・オプションの被付与者は、付与会社との間で締結したストック・オプション付与契約の定めるところに従ってストック・オプションを行使し、付与会社から株式を取得することにより、当該株式の時価と権利行使価格との差額に相当する権利行使利益を得るところ、反対に、付与会社は、この権利行使により、市場において売却ないし発行すれば時価相当の経済的利益を得ることのできる自社株式を、被付与者に権利行使価格をもって取得させることにより、当該権利行使利益の額に相当する経済的利益を得る地位を失うという関係にあるのである。そうすると、ストック・オプションの権利行使利益は、権利行使に伴いストック・オプションの付与会社から被付与者に移転するものというべきであり、これは、ストック・オプション付与契約に基づいて付与会社が被付与者に対してした給付であるということができる。
c このことを、自社株式方式と新株発行方式のそれぞれの場合について具体的にみると、以下のとおりである。
まず、自社株式方式の場合、付与会社は、市場から調達した発行済みの自社株式を、権利行使により被付与者に譲渡するものである。付与会社は、ストック・オプション付与契約に従い、権利行使時に権利行使価格で自社株式を譲渡する義務を負うものの、権利行使がされるまでは、その保有する自社株式を任意に売却して、その時価に相当する経済的利益を得ることが可能である。一方で、被付与者は、権利行使により株式を取得することによって初めて、当該取得株式に化体された権利行使利益を得ることができる。このような関係からすれば、権利行使利益相当分を含めた当該株式の価値が当該株式の保有者である付与会社に帰属していたところ、権利行使により当該株式が被付与者に移転することによって、付与者から被付与者に当該権利行使利益が移転するものと把握することができることは明らかである。
次に、新株発行方式の場合、付与会社は、権利行使時に、被付与者に対し、権利行使価格によって新株を発行するものであるが、この場合、付与会社は、市場において発行すれば時価相当の経済的利益が得られるところを、権利行使価格に相当する資金しか得ることができないのであり、その差額相当の経済的利益(権利行使利益)を得る機会を失うこととなる。一方で、被付与者は、権利行使により株式を取得することによって初めて、当該取得株式に化体された権利行使利益を得ることができる。このような関係からすれば、付与会社に帰属すべき権利行使利益相当の経済的利益が、権利行使により株式を被付与者が取得することによって、被付与者に移転したものと把握することができるというべきである。確かに、付与会社には、何らかの支出をするという意味での「損失」は生じないが、ここでの問題は、被付与者が得た権利行使利益という所得に対する課税上、その所得の性質をいかに解するかであって、付与会社が権利行使利益相当の経済的利益を得る地位を失い、当該利益を被付与者が取得するという関係が認められ、かつ、それが両者間の契約に基因するものである以上、これを付与会社からの給付であると把握してその所得区分を検討することに何ら不合理はないのである(なお、この関係では、自社の従業員等に対する有利な発行価格による新株の付与により当該従業員等が得る経済的利益について、従来から、課税実務上も一定の場合には給与所得となるものとして取り扱われてきたこと(所得税基本通達23~25共-6参照)、すなわち、当該新株の発行会社からの給付に当たるものと認識されていたことも参考になるものということができる。)。
d 権利行使利益は株式市場から取得するものであって、付与会社からの給付ではないとする原告の主張は、ストック・オプション付与契約はストック・オプションという期待権を付与するものに尽き、その後の権利行使による権利行使利益は、被付与者が単に一般投資家としての立場で取得したものにすぎないとの理解を前提にするものと窺われる。
しかし、前記(1)のとおり、本件A・プランにおけるストック・オプションが、権利行使利益という経済的利益を、権利行使の方法により付与会社が被付与者に取得させることに向けて制度設計されたものであり、権利行使利益の取得もあくまでストック・オプション付与契約上の合意に基づくものであることに照らせば、上記のような理解は、契約当事者の意思に反するものといわなければならない。
e また、確かに、ストック・オプションに係る権利行使利益は、被付与者による権利行使によって初めて発生し、また、その額も権利行使時における株価に左右されるものであるから、権利行使利益の有無及びその額は、被付与者がいかなる時点でいかなる量のストック・オプションを行使するかによって具体的に決まるものであって、付与会社がこれを決定するものではない。
しかし、ストック・オプションの付与会社は、ストック・オプション付与契約に従い、まさに被付与者の権利行使によって具体的に確定した権利行使利益を被付与者に給付すべき地位にあり、その合意に基づいて、被付与者が権利行使利益を取得するのであるから、上記の点は、権利行使利益の給付者が誰であるかについての認定判断を何ら左右するものではない。
f 以上のところからすれば、本件権利行使利益は、本件ストック・オプションの付与会社である米国A社が、被付与者である原告に対して給付したものというべきである。
(ウ) (労務の対価性の存否についての具体的検討)
そこで、進んで、本件権利行使利益が、原告が日本A社に対して提供した労務の対価としての性質を有するものといえるかどうかについて具体的に検討する。
本件権利行使利益が、上記(ア)のように、労務の有する所得の源泉としての性質の現れとして、原告が日本A社との雇用契約又はこれに類する原因に基づきその指揮命令に服して提供した労務に基因する給付であるといえるかどうかを判断するについては、本件権利行使利益の給付の原因となった本件ストック・オプション付与契約の趣旨・目的、性質、内容についての検討が基本であることはいうまでもない。また、本件においては、上記のように、本件権利行使利益を原告に給付した者が、原告の使用者ではない米国A社であるという特質が認められるところ、このような本件における給付の特質に照らすと、本件権利行使利益が、労務の有する所得の源泉としての性質の現れとして、原告が日本A社との雇用契約又はこれに類する原因に基づきその指揮命令に服して提供した労務に基因する給付であるといえるためには、給付者である米国A社において、原告の当該労務により自らが得る利益を認識し、当該労務に対応するものとしてした給付であり、かつ、そのような認識が取引社会の通念に照らして合理性を有するものと認められるものであるかどうかを検討する必要があるということができる。
そこで、以下、上記のような観点から検討する。
a 前記第3、2(3)及び前記(1)アのとおり、本件A・プランによれば、米国A社のストック・オプションは、現在及び将来の貢献が同社の継続的な成功にとって重要な従業員等に追加的な誘因を提供し、それらの者に対し同社に係る財産的利益を得る機会を与え、同社が、事業経営で成功を収めるために活用できる最高の人材を採用しその雇用を維持できるようにすることを目的としている。そして、このストック・オプションは、原則として譲渡できず、被付与者のみが行使でき、Aグループ各社との雇用契約等が終了すれば一定期間内に権利が消滅するなどの条件が付されている。
b このように、本件A・プランが、原則として、ストック・オプションの譲渡を禁止して権利行使を被付与者に限定し、かつ、雇用契約等が終了すれば権利が消滅することとして権利行使時において被付与者がAグループ各社と雇用関係等にあることを要求しているのは、米国A社が、被付与者において、権利行使利益を得るために、付与時から権利行使までの間、Aグループ各社との雇用契約等を継続し、労務を提供することを企図しているからであるということができる。すなわち、被付与者は、ストック・オプションの付与による経済的利益を取得するためには、自ら権利を行使する必要があり、しかも、この権利を行使するためには、付与時から権利行使までの間、Aグループ各社との雇用契約等を継続し、労務を提供する必要があるから、米国A社としては、このような内容のストック・オプションを有能な人材に付与することにより、有能な人材が権利行使利益を取得するためにAグループ各社との雇用契約等を継続し、労務を提供することを合理的に期待することができるのである。本件ストック・オプションについて、付与後毎年20パーセントずつ行使が可能となるものとされているのも、米国A社において、雇用契約等の期間に応じて権利行使の可能な範囲が増加するものとすることにより、被付与者が、権利行使利益を取得する目的で、特に、本件ストック・オプションの全部についての権利行使が可能になる期間が経過するまで、雇用契約等を継続して労務を提供することになることを意図しているからであるというべきである。
c また、ストック・オプションに係る権利行使利益の発生の有無及びその額は、付与会社の株価の変動に応じて変化するところ、米国A社としては、その従業員等にストック・オプションを付与することにより、被付与者が、より多額の権利行使利益を取得しようとしてより有益な労務を提供することを期待しているものといえるが、このことは、本件のように、被付与者が米国A社がその全株式を保有している子会社の従業員等である場合にも、同様にいえることである。
すなわち、会社の業績が当該会社の株価の基本的な形成要素であることはいうまでもないが、その全株式を保有する子会社の業績自体も、当該親会社の株価の形成要素となるものであることから、子会社である勤務先会社の親会社の米国A社からストック・オプションを付与された者は、勤務先会社の業績向上のために、勤務先会社に対しより有益な労務を提供することが動機付けられる関係にあるのである。米国A社が、長期インセンティブ報酬の一種として発達したストック・オプションを、子会社の従業員等にも付与しているのは、このような効果を企図したものと解するのが合理的である。
そして、本件A・プランにおいて、米国A社のストック・オプション制度の目的として、米国A社が事業経営で成功を収めるために活用できる最高の人材を採用し、その雇用を維持することや、従業員等に追加的な誘因を提供することを掲げているのは、本件A・プランに基づくストック・オプションが上記のような性質を有しているからにほかならないのである。
d このように、本件A・プランに基づく本件ストック・オプションについても、米国A社において、原告が、日本A社との雇用契約等を継続し、労務の提供をすること、また、日本A社に対しより有益な労務を提供することの動機付けとなることを期待して、これを付与したものと認めることができる。
そして、米国A社が原告に対し本件ストック・オプションを付与したのは、原告の日本A社に対する労務の提供が、自社の利益になると認識していたからであることは明らかである。すなわち、米国A社は、日本A社の全株式を保有する親会社であり、実質的に日本A社の経営を支配しているものであるから、日本A社の業績の向上は米国A社の業績の向上につながる性質を有しており、このような両社の関係からすれば、原告が日本A社に対して提供する労務について、米国A社の利益をもたらす性質のものと認識することに合理性を肯定することができるのであり、米国A社が原告に対し本件ストック・オプションを付与したのは、このような自社の利益に着目したものと認められるのである。
本件A・プランが、米国A社の事業の成功を目的に掲げつつ、同社のみならずAグループ各社の従業員等にもストック・オプションを付与することとしているのは、このような趣旨と解される。
また、既に述べたとおり、本件A・プランに基づく本件ストック・オプションの内容として、原告が権利行使利益を取得するためには、原則として、権利行使時まで日本A社との雇用契約等を継続し、労務を提供することが条件とされており、原告は、日本A社に対して権利行使時まで労務の提供を継続することによって、権利行使利益を取得することができるという関係にある。そして、上記のように、このような原告の労務の提供及びその継続に対する期待が、米国A社が原告に対し本件ストック・オプションを付与した理由であることからすれば、本件ストック・オプションの付与は、米国A社において、その権利行使利益を、原告の日本A社に対する労務の提供及びその継続に対応するものとして給付しようとする趣旨のものということができる。
e 上記のところからすれば、本件ストック・オプションは、米国A社において、原告が日本A社に対し継続して提供する労務(具体的には、本件ストック・オプションの付与時から権利行使時までのもの。)により自らが得る利益を認識し、原告に対し、当該労務に対応するものとしての権利行使利益を給付しようとする趣旨で、本件ストック・オプション付与契約に基づき付与したものと認めることができ、かつ、米国A社の上記の認識は、取引社会の通念に照らして合理性を有するものと認めることができるというべきである。
したがって、このような本件ストック・オプションの行使により原告が取得した本件権利行使利益は、原告が日本A社との雇用契約又はこれに類する原因に基づきその指揮命令に服して提供した労務に基因する給付であると認めることができる。すなわち、本件権利行使利益は、原告が日本A社に対して提供した労務の対価としての性質を有するものというべきである。
f この点に関連して、権利行使利益の発生の有無及びその額は、様々な要因による株価の変動と被付与者の権利行使の時期によって決まるものであることから、被付与者の労務の提供の質及び量との定量的な相関関係を欠くものともいえ、このような権利行使利益をもって被付与者の労務の対価といえるのかという問題があり得るところである。
しかし、ストック・オプションに係る権利行使利益の発生の有無及びその額が株価の変動や被付与者の権利行使の時期により異なってくるという不確定要素があることは、もともとストック・オプション制度自体が予定しているところであり、ストック・オプション付与契約の内容として取り込まれているものであるうえ、ストック・オプションは、むしろ、このように権利行使利益の額が株価の変動に対応して変化することから、被付与者が有利な時期を自ら選択して権利を行使することができるという魅力を有するということができるのであり、そうであるからこそ、米国A社は、同社のストック・オプションについて、原則として、譲渡を禁じるとともに権利行使時までの雇用契約等の継続を要求して、権利行使利益をもって、被付与者が権利行使時まで勤務先会社との雇用契約等を継続し、より有益な労務を提供する誘因としようとしているのである。
また、ストック・オプション制度がインセンティブ報酬制度として機能しているのは、被付与者の労務の提供が権利行使利益の額の形成要因の一つであるということが関係者間の共通認識となっており、それゆえ、被付与者が勤務先会社に対するより有益な労務の提供を動機付けられるからである。そして、本件のような子会社の従業員等の労務の提供が親会社の株価の変動要因として寄与する程度は相対的に低いということを否定できないが、このことは、当該ストック・オプションの精勤のインセンティブとしての機能の程度の問題にすぎないのである。
このように、権利行使利益の発生の有無及びその額が株価の変動等に対応して変化するということは、むしろ、権利行使時まで、原告が日本A社との雇用契約等を継続し、労務を提供する誘因として機能するものということができるのであって、米国A社は、まさにそのような性質の権利行使利益を原告の労務の対価として給付したものというべきであり、このことをもって労務の対価性を否定する論拠とすることはできない。
そして、これまで述べてきたことからすれば、ストック・オプションの権利行使利益が、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務に基因する給付として、当該労務の対価としての性質を有するものといえるために、権利行使利益の額と被付与者が提供した労務の質ないし量との定量的な相関関係を必要と解すべき合理的な理由がないことは明らかである。
エ 労務の対価の支給者と使用者の同一性の要否について
(ア) 上記イ、ウのとおり、原告は、雇用契約又はこれに類する原因に基づき、使用者である日本A社の指揮命令に服して労務を提供し、当該労務の対価として、米国A社から本件権利行使利益の給付を受けたものであるから、上記アの説示からすれば、本件権利行使利益は給与所得に該当することになる。
しかし、原告は、所得税法上の給与所得が使用者から支給される給付に限られることを前提に、原告と米国A社との間に雇用契約等の給付原因事実や指揮命令による支配従属関係は存在しないとして、本件権利行使利益は給与所得に該当しない旨の主張をする(前記第6、1《原告の主張》(2)イ)ので、労務の対価の支給者と使用者が同一であることが、当該対価が給与所得に該当するための要件であると解すべきかどうかについての当裁判所の見解を示しておくこととする。
(イ) 既に繰り返し述べてきたとおり、所得税法は、租税負担の実質的公平を図るため、所得をその源泉ないし性質に応じて分類し、それぞれの担税力に応じた課税を実現しようとしているところ、所得区分上、給与所得は、労務に基因する勤労性所得について、その所得の源泉である労務の性質に着目し、勤労性所得のうち、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して労務を提供したことに基因する所得について規定したものと解するのが相当である。そして、従業員等が雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として受ける給付は、それが使用者以外の者によるものであったとしても、そのような労務の性質と、これに対応する担税力に着目して給与所得という区分を設けた法の趣旨に照らせば、これを、使用者からの給付とは別異の所得区分に属する性質の経済的利益であると解すべき合理的な理由がないことは明らかである。
もともと、所得税法28条1項は、文言上、給与等の支給者を使用者に限定しているものではないのであって、同条2、3項の規定する給与所得控除制度も、給与所得が雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価であるという性質に着目した課税方法の定めと解されるのであり、これが使用者からの給付のみを前提とした規定であると解すべき根拠を見いだすことはできない。また、最高裁昭和56年判決も、業務の遂行ないし労務の提供から生ずる所得が事業所得と給与所得のいずれに該当するかを判断するに際し、使用者と給付者が一致する通常の事案において、当該所得の所得区分の判断の基準とすべき労務の提供の態様について判示したものであって、使用者以外の者からの給付が給与所得の範囲から当然に除外されることを前提とした判断であるということはできないものと解されるところである。
確かに、使用者と給与の支給者とは、通常の場合、一致するものであるが、それは、一般の取引社会において、使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価を使用者以外の者が支給することが経済的合理性に適合するという利益状況が存在することが少ないからにすぎないのである。そして、労務の提供を直接受ける者以外の者であっても、当該労務により利益を受ける立場にある者が、その利益を認識し、当該労務の提供をさせるためにあるいは提供された労務に対して一定の給付をすることは、取引社会の通念に照らしても何ら不合理な経済活動とはいえないところであり、このような給付が、当該給付の原因となった労務の性質いかんによっては、所得税課税の観点から、給与所得における労務の対価としての性質を有するものと評価される場合があり得ることは当然である。仮に、給与所得に該当するための要件として「使用者から支給される給付」であることが必要であるとすれば、本件のように、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して労務を提供したことにより、当該労務の対価としての性質を有する給付を受けた場合であっても、その給付者と使用者との同一性が肯定されない場合には、給付の給与所得該当性が否定され、その結果、その余の所得として(それは、労務の対価性が否定されない以上、一時所得に該当することはなく、結局、雑所得として取り扱われることになろう。)課税されることになるが、給付者が使用者ではないという理由のみによってこのような区別をする合理的理由は見いだし難いといわなければならない。
オ 小括
以上のとおり、本件権利行使利益は、給与所得に該当するものというべきである。
(5) 現行の租税関係法令の規定との整合性について
なお、付言すると、所得税法施行令84条は、商法上のストック・オプションについて、これを与えられた場合における当該権利に係る所得税法36条の収入金額は権利行使利益によることとして、権利行使利益をもって所得税の課税の対象とすることを明らかにしている。
そして、租税特別措置法29条の2は、商法上のストック・オプションのうち、同条が定めるいわゆる税制適格型のものについて、権利行使による株式の取得に係る経済的利益(権利行使利益)については所得税を課さないこととして、課税の繰延べを認めているが、同条が租税特別措置法第2章「所得税法の特例」、第3節「給与所得及び退職所得」の中に置かれていることからすれば、同条は、権利行使利益が給与所得として課税される性質のものであることを前提にして、その課税上の特例を設けたものと解することが自然である。また、同条が付与会社がその発行済株式の総数の100分の50を超える数の株式を直接又は間接に保有する関係にある法人の取締役又は使用人等に付与されたストック・オプションについても、上記非課税特例の対象としていることからすれば、同条は、付与会社と被付与者との間に直接の雇用契約等がある場合に限らず、このような子会社の従業員等に付与されたストック・オプションに係る権利行使利益についても、給与所得に該当することを前提にしているものと理解されるところである。
これに対し、本件ストック・オプションは、外国法人から我が国の子会社の従業員等に付与されたものであるが、その権利行使利益について、上記のような商法上のストック・オプションの場合と比較して、所得税課税における所得区分上、有意な性質の差異を見いだすことはできない。
そうであるとすると、当裁判所は、既に説示してきたように、本件ストック・オプションに係る本件権利行使利益の所得区分の問題について、主として、本件ストック・オプション付与契約の性質や所得税法28条が規定する給与所得の意義についての検討に基づいて、本件権利行使利益が給与所得に該当するとの判断に至ったものであるが、この判断は、上記のような現行の租税関係法令の規定から導き出される所得税課税におけるストック・オプションに係る権利行使利益の位置付けとの関係においても、整合性を有しているものということができるのである。
2 争点②(租税法律主義違反の有無)について
前記1のとおり、本件権利行使利益は、所得税法その他租税関係法令の規定の解釈上、所得税法28条1項の規定する給与所得に該当するものであるから、本件権利行使利益が給与所得に該当するものとしてした本件各更正処分は、租税法律主義に違反するものではない。また、所得税法28条1項の課税要件が不明確であって、この観点から本件各更正処分が租税法律主義に反するということもできない。
3 争点③(理由附記の不備による違法の有無)について
原告の前記第6、3《原告の主張》に記載した主張は、本件各更正処分に係る各更正通知書に理由の附記がないことが違法であると主張する趣旨とも解されるので、以下、この点についての判断を示しておくこととする。
所得税法は、居住者の提出した青色申告書に係る年分の総所得金額等の更正処分については、原則として更正通知書にその更正の理由を附記すべきものとを定めている(同法155条2項)が、それ以外の更正処分については、理由の附記を要求する規定を置いていない。
ところで、一般に行政処分に理由附記を要求する趣旨は、処分庁の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、処分理由を相手方に知らせることによって不服申立ての便宜を図ることにあると解されるのであるが、所得税更正処分については、更正通知書にその更正に係る年分の総所得金額等の所得別の内訳が附記される(所得税法154条2項)ほか、不服申立手続において処分庁から処分の理由が明らかにされることが予定されており(国税通則法84条4項、5項、93条2項)、処分庁の恣意的課税の抑制と納税者に対する処分理由の開示が一定の範囲で制度的に担保されているのであり、これに、所得税課税事務の円滑な遂行の要請を考慮すれば、所得税法が上記のように青色申告書に係る一定の更正処分以外の更正処分については更正通知書に理由を附記することを要求していないことに、一応の合理性を認めることができるのである。
したがって、所得税法155条2項が規定する更正処分以外の更正処分に係る更正通知書に理由の附記がされていないことが、当該更正処分の違法事由となるものではないというべきである。
そして、本件各更正処分は、いずれも所得税法155条2項の適用のある更正処分ではないから、その通知書に理由の附記がないことをもって、本件各更正処分が違法となるものではない。
4 争点④(信義則違反の有無)について
(1) 租税法律主義の下に適正かつ公平な課税を実現することが要請される租税法の分野において、租税法規に適合する課税処分につき、法の一般原理である信義則の法理の適用により当該課税処分を違法なものとして取り消すことができるのは、租税法規の適用における適正・公平という要請を犠牲にしてもなお、当該課税処分に係る課税を免れさせて納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情が存在する場合に限られるというべきである。そして、この特別の事情が存在するか否かの判断に当たっては、少なくとも、税務官庁が納税者に対し信頼の対象となる公的見解を表示したことにより、納税者がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したところ、後にその表示に反する課税処分が行われ、そのために納税者が経済的不利益を受けることになったものであるかどうか、また、納税者が同表示を信頼しその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がないかどうかという点を考慮しなければならない(最高裁判所昭和62年10月30日第三小法廷判決・裁判集民事152号93頁参照)。
(2) これを本件についてみると、原告は、国税当局の公式見解及び実務の取扱いから、納税者たる国民に、一時所得とする取扱いで一貫されるとの信頼が生じていた旨を主張するところであるが(前記第6、4《原告の主張》)、原告は、本件係争各年分のいずれにおいても、本件権利行使利益を株式等の譲渡所得として確定申告をしたものである。
そうすると、本件においては、原告がその主張する課税庁の表示を信頼したということさえ認められないから、本件各更正処分について、上記のような特別の事情が存在すると認める余地がないことは明らかである(なお、原告は、平成8年分の所得税に係る確定申告に関し、平成8年の暮れに日本A社の経理部の責任者を通じて世田谷税務署に権利行使利益の所得区分を確認してもらったところ、株式等の譲渡所得でよい旨の返答を得たと知らされたので、この指導が正しいものと信頼して譲渡所得として申告をしたものである旨を陳述する〔甲14号証〕ところ、仮にそのとおりであったとしても、原告は、基本的には、権利行使利益が給与所得に該当するとしてされた本件各更正処分により、正当な税額を納付すべき義務を負担することになったにとどまるものであって、それ以上に、原告が、本件権利行使利益についき譲渡所得として課税されるとの信頼に基づいて行動した結果、特別の経済的不利益を被ったことについての主張立証はない。)。
したがって、信義則違反を理由として、本件各更正処分が違法であるということはできない。
5 争点⑤(本件権利行使利益の額)について
(1) 本件権利行使利益は、外貨建取引によって生じたものであるところ、所得税法は、所得金額及び税額の計算を邦貨によって行うことを前提としているから(同法28条3項、89条1項等)、本件権利行使利益の外貨額を邦貨に換算する必要がある。
ところで、所得税法36条2項が、「(同条1項の)金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額は、当該物若しくは権利を取得し、又は当該利益を享受する時における価額とする」と規定していることからすれば、経済的利益をもってする収入については、その享受する時における価額をもって収入金額とすべきである。そして、経済的利益をもってする収入が外貨建取引によるものである場合には、当該利益を享受する時における当該利益の価額を、当該時点における為替レートを用いて算定すべきである。
(2) これを本件についてみると、原告は、本件ストック・オプションを行使して米国A社の株式を取得することによって、その権利行使時に権利行使利益を享受したものであるから、邦貨換算に用いる為替レートを権利行使時のものとすべきことは明らかである。
なお、原告は、権利行使利益を実際に円に替えた時点の為替レートを用いるべきであると主張するが、本件の課税対象は権利行使利益という経済的利益それ自体であり、原告が得た金銭を対象とするものではないから、このような主張に理由がないことは明らかである。また、権利行使日の属する年の末日の為替レートを用いるなどということに何ら合理的な根拠がないことも明らかである。
(3) そして、別紙課税根拠表記載の被告が主張する本件権利行使利益の額は、いずれも、権利行使時の為替レートを用いて計算されたものであるところ、本件権利行使利益の外貨額や権利行使時の為替レートについては当事者間に争いがないから、本件権利行使利益の額は、別紙課税根拠表にそれぞれ記載の額と認めることができる。
6 本件各更正処分の適法性について
前記第4のとおり、原告の本件係争各年分の所得税の課税根拠について、本件権利行使利益の額及び所得区分を除けば当事者間に争いはないところ、前記1のとおり本件権利行使利益は給与所得に該当し、また、本件権利行使利益の額は上記5のとおりであり、これを前提とした原告の本件係争各年分の所得税に係る総所得金額、株式等に係る譲渡所得等の金額(平成10年分)及び納付すべき税額は、別紙課税根拠表の各年分の総所得金額、株式等に係る譲渡所得等の金額及び納付すべき税額欄にそれぞれ記載のとおりの額と認められる。
そして、これらの額は、いずれも本件各更正処分に係る額を上回るから、本件各更正処分は、いずれも適法である。
7 争点⑥(本件各過少申告加算税賦課決定処分に係る違法の有無)について
(1) 上記6のとおり、原告には、平成9年分及び平成10年分の各更正処分により新たに納付すべき税額が生じているところであるが、その計算の基礎となった事実のうちに各更正処分前の税額である各確定申告に係る税額の計算の基礎とされていなかったことについて「正当な理由」があると認められるものがある場合には、当該部分については過少申告加算税は課せられない(国税通則法65条4項)。
(2) これを本件について検討すると、以下のとおりである。
ア 平成9年分の過少申告加算税賦課決定処分について
原告は、平成9年分の所得税に係る確定申告において、雑所得の金額を35万9365円としていたところ、同年分の更正処分により納付すべき税額の計算の基礎となった雑所得の金額は51万6999円であり〔甲1号証の2〕、その差額部分については、これが確定申告における税額の計算の基礎とされていなかったことについて正当な理由があるとは認められない。
ここで、平成9年分の確定申告において本件権利行使利益が給与所得として税額の計算の基礎とされていなかったことについて正当な理由があるとした場合の過少申告加算税の額を計算すると、この場合の国税通則法65条4項に規定する「正当な理由があると認められる事実に基づく税額」は同法施行令27条の規定に基づいて53万1300円と算出されるところ〔甲5号証の1参照〕、これを同年分の更正処分により原告が新たに納付すべきこととなった税額58万8000円から控除し、その後の税額5万円(ただし、同法118条3項の規定により1万円未満の端数を切り捨てた後のもの。以下同じ。)に同法65条1項の規定に基づき100分の10の割合を乗じて、5000円と算出される。
そうすると、原告の平成9年分の確定申告において本件権利行便利益が給与所得として税額の計算の基礎とされていなかったことについて、国税通則法65条4項に規定する「正当な理由」があると認められるかどうかにかかわらず、同年分の過少申告加算税の額を5000円としている同年分の過少申告加算税賦課決定処分は、適法である。
イ 平成10年分の過少申告加算税賦課決定処分について
原告は、平成10年分の所得税に係る確定申告において、株式等の譲渡所得の金額として本件権利行使利益1億6226万5200円のみを申告し、雑所得の金額を14万8990円としていた。これに対し、同年分の更正処分により納付すべき税額の計算の基礎となっているのは、本件権利行使利益(給与所得)が約1億9200万円、雑所得の金額が22万7930円であり、さらに、本件権利行使利益以外の株式等の譲渡所得の金額として258万3974円が算入されている〔甲1号証の3〕。これらの、本件権利行使利益及び雑所得の差額並びに不申告であった株式等の譲渡所得の金額が、確定申告における税額の計算の基礎とされていなかったことについて、正当な理由があるとは認められない。
ここで、平成10年分の確定申告において本件権利行使利益(ただし、株式等の譲渡所得の金額として申告された部分。)が給与所得として税額の計算の基礎とされていなかったことについて正当な理由があるとした場合の過少申告加算税の額を計算すると、この場合の国税通則法65条4項に規定する「正当な理由があると認められる事実に基づく税額」は同法施行令27条の規定に基づいて4462万3000円と算出されるところ〔甲5号証の2参照〕、これを同年分の更正処分により原告が新たに納付すべきこととなった税額5954万9000円から控除し、その後の税額1492万円に同法65条1項の規定に基づき100分の10の割合を乗じて、149万2000円と算出される。
そうすると、原告の平成10年分の確定申告において本件権利行使利益が給与所得として税額の計算の基礎とされていなかったことについて、国税通則法65条4項に規定する「正当な理由」が認められるかどうかにかかわらず、同年分の過少申告加算税の額を149万2000円としている同年分の過少申告加算税賦課決定処分は、適法である。
(3) 以上のとおり、本件各過少申告加算税賦課決定処分は、いずれも適法である。
第8 結論
以上のとおりであって、原告の本件各請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川勝隆之 裁判官 菊池絵理 裁判官 貝阿彌亮)
(別表1)
課税処分等の経緯(平成8年分)
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(別表2)
課税処分等の経緯(平成9年分)
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(別表3)
課税処分等の経緯(平成10年分)
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別紙
課税根拠表
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