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横浜地方裁判所 平成14年(行ウ)4号 判決 2002年8月07日

原告

甲野太郎(仮名)

被告

横浜市中区長 大浜悦子

横浜市

同代表者市長

中田宏

被告ら訴訟代理人弁護士

北田幸三

島崎友樹

主文

1  原告の平成13年7月31日付け転入届について、被告横浜市中区長が何らの処分もしないことが違法であることを確認する。

2  被告横浜市は、原告に対し、8000円及びこれについての別紙記載のとおりの各内金に対する起算日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告のその余の請求を棄却する。

4  訴訟費用はこれを5分し、その3を被告らの、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1)  原告の平成13年7月31日付け転入届について、被告横浜市中区長が何らの処分もしないことが違法であることを確認する。

(2)  被告横浜市は、原告に対し、100万円及びこれに対する平成13年7月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は被告らの負担とする。

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告の請求をいずれも棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第2  事案の概要等

1  概要

本件は、宗教団体・アレフの信者である原告が、被告横浜市中区長に対し、横浜市中区内の所在地を住所として転入届を提出したところ、同被告が、その受理・不受理の判断を保留し、何らの処分もしないので、原告が、上記の不作為は違法であり、これにより損害を被ったとして、同被告に対し不作為の違法確認、被告横浜市に対し国家賠償法1条に基づき損害賠償の請求をした事案である。

2  前提事実

(証拠の記載のない事実は争いがない。末尾に証拠の記載のある事実は主に当該証拠により直接認められる。認定に用いた書証の成立は弁論の全趣旨により認められる。)

(1)  当事者

原告は、宗教団体・アレフ(以下「本件教団」という。)の信者である。

(2)  転入届の提出と保留

原告は、平成13年7月31日、被告横浜市中区長(以下「被告区長」という。)に対し、横浜市中区日ノ出町〔番地略〕(以下「本件所在地」という。)を転入地とする転入届(以下「本件転入届」という。)を提出した(以下「本件届出」という。)。同区の職員は、本件転入届を直ちに受理せず、保留する旨述べ、居住実態等を調査の上検討させていただく旨が記載された「住民異動届の取扱について」と題する書面(〔証拠略〕)を交付した。

(3)  異議申立て

原告は、平成13年12月26日被告区長に対して本件不作為に対する異議申立てをしたところ、被告区長は、平成14年1月15日、転入届は行政不服審査法2条2項に規定されている「法令に基づく申請」には当たらず、上記の異議申立ては不適法であるとして却下した。

(4)  判断の保留

被告区長は、本件口頭弁論終結日(平成14年6月19日)の時点において、本件転入届を受理も不受理もしておらず、住民票に記載する等のなんらの措置をしていない(以下「本件不作為」という。)。

3  主な争点及び争点に関する当事者の主張

(1)  法令に基づく申請の有無(争点1)

ア 原告の主張

転入をした者は、住民基本台帳法(以下「住基法」という。)22条に基づき、所定の事項を届出しなければならないとされている。

ところで、一般に「届出」の文言が使用されても、その「届出」に対する不受理等が拒否処分として規定されている場合は、届出者が行政庁に対して受理処分を求めているものと考えることができるので、行政庁にはこれについての諾否の応答をすべき義務があり、「届出」は、行政手続法2条3号の法令に基づく「申請」あるいは行政不服審査法2条2項の「法令に基づく申請」に該当する。

そうすると、市町村長が審査の結果、転入届を不受理とするのは拒否処分に該当するので、転入届は、「法令に基づく申請」に該当する。

イ 被告らの主張

行政手続法の立法過程において、住基法に基づく転入届は行政手続法2条7号の「届出」に該当するものとして整理されている。住基法8条によれば、住民基本台帳への記載、削除等は、職権でも認められており、戸籍法上の婚姻届等と異なり、住民の「申請」に対する応答処分ではない。なお、行政手続法にいう「届出」に該当するものであっても、外国人登録法3条において「申請」の用語が用いられている例もある。

(2)  相当期間を経過後の不作為の違法の有無(争点2)

ア 原告の主張

(ア) 届出に対する審査事項

住民票は、選挙、国民健康保険、国民年金、就学、予防接種その他重要な国民の権利義務に関わるものであるから、転入届の直後に速やかに作成されるべきであり、他の市町村から転入してきた人については、既に住んでいるかどうかを確認する等して、届出の内容が形式的要件を具備し、真実であることの確認をすればよい。

なお、住基法34条2項の居住実態調査は、例外的措置であり、届出書の記載の内容その他の事情を総合的に判断し、届出をし又は付記した事項が、事実に反する疑いがあるときに限って行われるべきであり、かつその調査後速やかに転入届の受理、住民票の作成がされなければならない。

(イ) 相当の期間

そうすると、居住実態調査に要する相当期間は最長でも1から2週間と考えるべきであり、本件のように届出人である原告の積極的協力が得られる状況であれば、より短期間での実態調査が可能である。

(ウ) 不作為の違法の有無

したがって、本件届出から既に約1年が経過しているのに、被告が受理も不受理も行わないのは、相当の期間内に処分がないことに該当する。

(エ) 被告らの主張に対する反論

被告らは、原告の居住の実態について疑問視するが、原告のような出家信者は、ごく少数の私物を持って本件教団施設を移り住むことがままある。本件教団の道場を住居とすることは出家信者としては不自然ではない。家賃・光熱費の経理処理については、本件教団の経理担当が行っている。居住スペースが狭いことや寝袋の使用は、必要最小限のスペースで修行をしているからである。

イ 被告らの主張

(ア) 実態調査

横浜市中区の杉田戸籍課長等(以下「本件区職員」という。)は、住基法34条2項に基づき、平成13年8月23日、同年11月8日、同月13日、同年12月11日の4回にわたり実態調査のために本件所在地を訪れた。このうち同年8月23日及び同年12月11日は原告に会って直接話を聞くことができたが、それ以外の日は原告は不在であった。

また、本件区職員は、同年8月20日、同年9月14日、同年10月11日、同月31日、同年11月15日、同年12月7日、同月25日に外観調査のため本件所在地を訪れた。

しかし、現段階において原告が本件所在地を住所としていると認定できない。

(イ) 本件教団信者の住所の特色

原告のような本件教団の出家信者は、過去に住居を転々としたり、狭いスペースに大勢の人数の転入届がされたり、いわゆる道場とされる場所が住所とされる等、通常と異なる事例が散見され、現に調査の結果居住の実態がなかったこともあったため、被告区長としても、単に本件転入届のままに住民票の記載を行うのではなく、居住実態を十分に調査したうえで慎重に判断せざるをえない。

(ウ) 原告の特殊事情

特に、原告の場合は、平成5年7月から平成13年1月までの間に合計17回、住所を移転しており、短い場合は10日程度で移転していることもあった。このような極めて短期間の住所の移転は通常考え難いものである。

また、原告が平成10年3月17日に転入した住居(横浜市中区若葉町)はオウム真理教横浜支部の住所とされている場所で、10数名が同一住所に居住する形となっており、原告が、平成12年2月25日に2度目に同場所を住所として転入届を提出したときは、同僚信者の供述からは原告が同所を住所としていたことは否定せざるを得なかった。

なお、原告は、平成13年1月19日横浜市南区南太田一丁目に転入し住民登録されたが、同年2月19日に同所退去により住民登録を職権消除され、同年6月22日に横浜市南区前里町を住所とする転入届を提出したが、同区において住民票記載がされないまま、同年7月31日に本件所在地への転入届(本件転入届)をした。

さらに、原告は、本件所在地の家賃、光熱費等を誰がどのように負担しているか明らかにすることができず、家財道具の多くを横浜市南区に置いている旨述べる。加えて、原告の居住スペースのある建物の一部は本件教団の道場を兼ねたもので、その居住スペースは狭く、原告は就寝時も布団ではなく寝袋を使用している。

(エ) まとめ

このような事情から、原告の住民登録には慎重にならざるを得ない。

(3)  被告横浜市の責任の有無(原告の損害の発生の有無及びその数額)(争点3)

ア 原告の主張

(ア) 被告横浜市の責任

被告区長が処分を怠った結果、原告には下記(イ)の損害が生じているところ、これらの損害は、被告区長がその職務を行うにつき、公権力の行使を誤った結果生じたものであるから、被告横浜市(以下「被告市」という。)は、国家賠償法1条により同損害を賠償すべき義務を負う。

(イ) 損害の発生

原告は、被告区長の不作為により、次のような損害を被った。

<1> 本件教団の信者であることのみを理由に差別的待遇を被っている精神的苦痛

<2> 転入届が受理されず、国民健康保険証が交付されないため、歯科治療を受けることができず、痛みに耐えざるを得ない精神的及び肉体的苦痛

<3> 事前の予告なしに被告区長による居住実態調査を繰り返し受けなければならず、事実上本件所在地に常に在宅することを余儀なくされ、行動の自由を束縛されていることによる精神的苦痛

<4> 住民票がなく、印鑑登録証明書の交付を受けることができないため、廃車手続をすることができず、実際には自動車を廃車したにもかかわらず自動車税を納付しなければならないという経済的損失とこれに伴う精神的苦痛

<5> 住民票がなく、印鑑登録証明書の交付を受けることができないため、自動車登録の手続を行うことができず、新たな自動車購入を断念せざるを得ないことによる精神的苦痛

<6> 住民票がなく選挙人名簿に氏名が登載されず、選挙権を行使できない(具体的には平成14年3月31日に横浜市長選挙が実施され、同選挙において選挙権を行使できなかった。)ことによる精神的苦痛

<7> 不作為の状況がいつまで継続するか判然としないために生じている不安による精神的苦痛

(ウ) 損害額

これらの肉体的・精神的苦痛及び経済的損失は、100万円を下らない。

イ 被告市の主張

いずれも争う。

第3  当裁判所の判断

(証拠により直接認められる事実を認定する場合には、原則として、認定事実を先に記載し、当該証拠を後に略記する。一度説示した事実は、原則としてその旨を断らない。認定に用いた書証の成立は弁論の全趣旨により認められる。)

1  法令に基づく申請の有無(争点1)について

(1)  住民基本台帳制度と転入届

ア 住民基本台帳制度

市町村において、住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とし、住民の住所に関する届出などの簡素化を図り、併せて住民に関する記録の適正な管理を図るため、住民に関する記録を正確かつ統一的に行うための制度として住民基本台帳制度を定め、もって住民の利便の増進、国及び地方公共団体の行政の合理化に資することを目的として、住基法が設けられている(住基法1条)。

そして、市町村長は、個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して住民基本台帳を作成しなければならず、常に、住民基本台帳を整備し、住民に関する正確な記録が行われるように努めるとともに、住民に関する記録の管理が適正に行われるように必要な措置を講ずるよう努めなければならない(住基法3条1項、6条1項)。

また、住民は、常に住民としての地位の変更に関する届出を正確に行うように努めなければならず、虚偽の届出その他住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならない(住基法3条3項)。

イ 住民基本台帳に基づく行政事務処理等

地方公共団体は、住民基本台帳に基づいて、住民の居住関係の公証(住基法12条。なお、同条は、平成11年8月18日法律133号により改正され、かつ、同改正法の公布の日から3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行されるとされた部分である。以下においては、同様の改正規定については、改正前後の新旧両規定を便宜上共に基礎として記述する。)、選挙人名簿の登録(住基法15条、公職選挙法21条)、国民健康保険・国民年金の被保険者の資格(住基法7条10号、11号)、児童手当の受給資格(住基法7条11号の2)、学齢簿の編成・作成(学校教育法施行令1、2条)、生活保護及び予防接種に関する事務(生活保護法19条、予防接種法3条各参照)、印鑑登録証明に関する事務等を行っている。

これらに限らず、住民の居住の事実について住民基本台帳の記載(住民票)による証明を要求されることは、社会生活上極めて多い。

ウ 転入届の受理及び住民票の記載の必要性

イのように、住民の行政事務処理や社会生活における多くの場面で住民基本台帳の記載が利用されているので、住民としての地位に変更があった場合に、市町村長が変更内容を把握し、新たな情報を記載した住民票を作成・調整しなければ、当該住民は、事実上、居住関係の公証、選挙人名簿への登録、国民健康保険・国民年金の被保険者の資格の取得、児童手当の受給資格の取得、学齢簿の編成・作成による学校教育、生活保護及び予防接種、印鑑登録証明に関する証明書の交付等といった住民基本台帳に基づく行政事務処理上のサービスを事実上受けることができなくなる。すなわち、転入届の受理及び新たな住民票の記載は、選挙権(憲法15条)、生存権(同法25条)、教育を受ける権利(同法26条)等の憲法上の重要な権利の行使の可否を左右するものである。

エ 住民基本台帳の正確性の確保と転入手続

住民基本台帳は、前記イのとおり、これに基づいて住民のための様々な行政事務処理が行われていることから、その正確性を確保することは極めて重要である。そのため、アのとおり市町村長には住民基本台帳の整備、管理が、住民には地位の変更に関する届出が要求されている。

これを転入の場合についてみる。転入とは、出生による場合を除いて、新たに市町村の区域内に住所を定めることをいう。転入をした者は、転入をした日から14日以内に、氏名、住所、転入をした年月日、従前の住所等を市町村長(地方自治法252条の19第1項の指定都市〔以下「指定都市」という。〕の場合は区長。住基法38条、住民基本台帳法施行令〔昭和42年9月11日政令第292号。以下「施行令」という。〕31条。以下同じ。)に新旧住所等の住基法22条各号の事項を届け出なければならない(住基法22条)。これを受けた市町村長は、当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して、その者の住民票を作成しなければならない(施行令11条、7条。指定都市の場合につき、施行令32条。以下、同じ。)。

なお、住民が正当な理由がないのに届出を怠った場合は、5万円以下の過料に処せられることがある(住基法51条2項)。

(2)  「法令に基づく申請」の意義

行政事件訴訟法3条5項の「法令に基づく申請」であるといえるためには、法令上私人が行政庁に対し一定の事項について処分又は裁決をすべき旨を要求する具体的申請権が認められていることが必要であり、法令が行政庁に私人の申請について何らかの応答をすべき義務を課していることが必要であると解される。そして、上記の申請権及び義務は、必ずしも法令の明文をもって規定されていることを要せず、法令の解釈上、当該申請につき、申請をした者が行政庁から何らかの応答を受け得る利益を法律上保障されているものであれば足りると解するのが相当である。(最高裁昭和47年11月16日第一小法廷判決・民集26巻9号1573頁参照)

(3)  転入届についての申請権の有無(転入届に対する応答義務の有無)

転入をした住民は、前記(1)エで述べたとおり、転入をした日から14日以内に転入届をしなければならず、正当な理由がなく届出を怠った場合は5万円以下の過料に処せられる場合がある(住基法3条3項、22条、51条2項)。

転入届が受理されて住民票が作成されない場合は、前記(1)ウのとおり、住民の居住関係の公証、選挙人名簿への登録、国民健康保険・国民年金の被保険者の資格の取得、印鑑登録証明に関する証明書の交付等の、住民という地位により地方公共団体から受けることのできる住民基本台帳に基づく行政事務処理に基づくサービスを事実上受けることができなくなる。

そして、市町村長(指定都市の場合は区長)は、住基法の規定により届出があった場合は、当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して、審査の結果、当該届出の内容に誤りがなければ、転入届の場合は住民票を作成しなければならないものとされている(施行令11、7条)。

以上からすれば、転入届は、その内容に応じた住民登録を求める申立てであって、住基法は転入者にその申立権を付与していると解するべきであり、市町村長としては、転入届があった場合は、これを受理して、これに沿った住民票を作成するか、これを受理しないか、いずれにしろ、これに応答すべき法的義務があり、転入届の受理・不受理は行政処分に該当し、市町村長は、転入届の提出があった場合は、これに対する応答を義務づけられていると解するべきである。

(4)  被告らの主張について

被告らは、住基法に基づく転入届は行政手続法2条7号の「届出」に該当するものとして整理されているので「申請」ではないし、住民基本台帳への記載、削除等は、職権でも認められているので、住民の「申請」に対する応答処分ではないと主張する。

しかし、申請行為の名称が「届出」であったとしても、文言によるのではなく、実質的に当該申請行為が届出か申請かを判断してその性質を決定すべきところ、前記のとおり原告は被告区長に回答を要求する権利を有し、被告区長はこれに応答すべき義務があるとされているので、実質的には応答を要する申請と解するべきである。被告らの主張は採用することができない。

2  相当期間を経過後の不作為の違法の有無(争点2)について

(1)  「相当の期間」の意義

不作為の違法確認の訴えは、法令に基づく申請に対し、行政庁が相当の期間内に何らかの処分をすべきであるにもかかわらず、これをしないことについての違法の確認を求める訴訟であり(行政事件訴訟法3条5項)、行政庁に処分をすることを促し、申請者の意思に反する処分がされた場合には処分に対する取消訴訟を可能とすることにより、申請者の利益を保護するためのものである。

したがって、「相当の期間」とは、行為の種類、内容、性質等から、行政庁がその処分をするのに通常要する手続、調査、人員、予算を勘案して、必要とされる期間を基準として判断し、通常必要な期間を経過した場合には、そのことを正当とするような特段の事情がない限り、その不作為は違法となると解するべきである。

(2)  転入届があった場合に行政庁が応答すべき「相当の期間」

ア 転入届を受理するための審査事項

施行令11条は、市町村長は住基法の規定による届出があった場合は、当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して、住民票の記載などを行わなければならないとしている。そして、転入届の記載事項が氏名、住所、転入した年月日、従前の住所、世帯主との関係、国外から転入した場合は政令で定められた事項等である(住基法22条1項)から、ここでいう審査事項とはこれらの事項であり、審査はこれらが事実と相違しないか否かについてのものであると考えられる。それらの主要な事項の確認方法について検討すると、次のとおりである。

イ 氏名・本人の確認方法

氏名及び本入の確認については本人と面会し、運転免許証等の提示を受ければ容易に確認できるし、従前の住所については、従前の住所地における国民健康保険証や転入届に添付を義務づけられている転出証明書(住基法22条2項)があれば容易に確認できる。

ウ 「住所」の意義と確認方法

(ア) 「住所」の意義

住基法4条は、住民の住所に関する法令の規定は地方自治法10条1項に規定する住民の住所と異なる意義の住所を定めるものと解してはならない旨規定し、地方自治法10条1項は、市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする旨規定している。そして、「住所」概念自体については、住基法には格別の規定はない。このことからすれば、住所に関する一般的規定である民法の定めるところに従って住所の意義を決するのが相当であり、自然人の場合の「住所」は各人の生活の本拠地をいうものと解される(民法21条)。

(イ) 「住所」の確認方法

転入をした者は、転入届をすることになるが、一定の場所を生活の本拠地とするのが通常であり、転入届についてみると、特段の事情がない限り、内容が虚偽ではなく、真実の届出をしているものと推認される。

したがって、申請に係る居住実態に疑義がある場合における調査は、届出住所が生活の本拠地であるかどうかの確認作業であり、申請人が生活に必要な荷物や家財道具等を届出住所に置いているか、申請人が主として届出住所で寝泊まりしているか、申請人が届出住所を占有するための権限を有しているか、光熱費等を自ら負担するか、第三者に負担してもらっているか、といった事情を把握できればよく、そのためには申請人からの事情聴取で足りる場合も多く、それでも確認できない場合には届出住所を訪問して居住実態を見分したり、同居人や近隣の住民に事情聴取をする等の調査を行うことが必要となることもあると解される。

エ 本件届出の場合における相当の期間

以上からすれば、転入届の申請の場合、事案にもよるが、通常は、審査事項のうちでは、転入先の住所が転入者の生活の本拠かどうかの確認に最も時間を要するものと考えられる。転入届をする者にもいろいろな事情があろうが、後記のとおりの事情のある原告の場合のように、定住性の有無あるいは生活の本拠といえるかの観点から、居所にとどまるか住所とまでいえるかにつき、生活実態を調査し、法的な判断をしなければならない案件もある。さらに、後記のとおりの原告の場合のように、連絡がそれほど取りにくいわけではなく、申請人が調査に非協力的ではないが、留守がちであり、事情聴取の機会を得るのが多少困難であるというときには、その者からの転入届の受理不受理の決定は遅くとも4か月あれば可能であると考えるのが相当である。

したがって、この期間をもって本件転入届に係る「相当の期間」というべきである。

(3)  相当期間経過の有無

ア 処分の留保

本件においては、原告が本件届出をしたのは平成13年7月31日であり、本件口頭弁論終結時(平成14年6月19日)において既に1年弱が経過しているが、前記第2の2の前提事実のとおり本件口頭弁論終結時において本件届出の受理・不受理、住民票の記載といった処分は行われていない。

イ 調査不能の有無等(被告らの主張)について

(ア) 被告らは、本件教団及びその信者である原告の特殊性等から、原告に対する居住実態の調査には期間を要するから、未だ本件不作為については相当期間を経過していない旨を主張する。

(イ) この点についてみると、本件区職員は、平成13年8月23日、同年11月8日、同月13日、同年12月11日の4回にわたり実態調査のために本件所在地を訪れた。これらの訪問のうち原告が在宅し、同所で実態調査ができたのは同年8月23日及び同年12月11日のときであったが、その後、原告は同居人から本件区職員の訪問を聞いて、平成13年11月14日、同月22日、同年12月26日に、自ら中区役所を訪れ、同職員と面会した。原告は、同職員との面談を通じて、原告が本件所在地に寝泊まりしていること、日常必要な荷物は本件所在地に置いているが、置ききれないものは横浜市南区のマンションに置いていること、原告の占有スペースは狭いものの、カーテンで仕切って固有の空間を作って寝ていること等を説明した。同時に、原告は、歯の治療のため国民健康保険証の交付と廃車手続のための印鑑登録証明書の交付が必要であるため、住民票の記載を急いでほしい旨伝えた。(〔証拠略〕)

なお、本件区職員は、同年8月20日、同年9月14日、同年10月11日、同月31日、同年11月15日、同年12月7日、同月25日に外観調査のため本件所在地を訪れた(弁論の全趣旨)。

本件区職員は、前記の平成13年11月22日の面会時において、原告に対し、本件教団の道場でもあるから住むことのできる施設と認定できるか、家賃や光熱費の負担はどうなるか、生活に必要な荷物等を横浜市南区にも一部置いてあるというが、どうなっているか、これらにつき、話を聞かせてもらい、住居として認定できるかどうかを検討していると述べている(〔証拠略〕)。しかし、本件区職員による調査は同年12月までで事実上中断し、その後同職員が何を行っているか、何がなお問題であるか、そのためのどんな調査が必要か等は不明であり、被告らは法廷においても受理、不受理の判断時期の見通しを開陳することはできない(弁論の全趣旨)。

ウ まとめ

(ア) 以上のとおり、本件区職員には、本件転入届があった後に実態調査が可能な期間があり、同職員は現にその期間中に調査を実施しているのであり、原告も調査に決して非協力的ではなく、むしろ協力的である。そして、慎重に判断する必要があるとしても、審査の対象はあくまで本件所在地に原告の生活の本拠地があるかどうかであり、原告の生活の場が本件教団の道場のうちの狭いスペースであったり、原告が寝袋で就寝していたり、これまでにも転居を頻繁に反復している者であるとしても、それをもって生活の本拠といえるかどうかの判断ができないとはいえない。

本件届出については上記のような状況にあるところ、前記の検討のとおり、本件転入届に係る「相当の期間」は遅くとも4か月(平成13年11月末まで)というべきであるから、実態調査を行う必要があるという見解ならばこの4か月以内に調査をして結論を出す必要があり、調査が必要でなくなればそれまでに把握した実態を基礎にして、この期間内に判断をしなければならないといわざるを得ない。もちろん、法文に遅くとも4か月という数値は規定されていないし、そのような有権解釈があるわけでもないので、本件区職員は本件転入届に対応する過程では具体的な期限を念頭に調査判断をすることが要求されるわけではなく、抽象的な「相当の期間」内に判断をする予定で対処するしかないが、結果的に上記の期間を過ぎ、かつそのことを正当とするような特段の事情もない場合には、相当期間を経過したことに違法があるといわなければならない。

そうすると、イ(イ)のとおり、本件転入届の受理、不受理の判断をするための考慮期間として4か月以上要するというような調査不能等の特別の事情もなく、とりわけ5か月後の平成14年1月以降は、本訴が係属したにもかかわらず、なんらの調査も進めず、また判断もしてはいないことを踏まえると、遅くとも本件届出後4か月を経過した以降は、本件転入届に係る相当期間を経過しているといわざるを得ず、かつそのことを正当とするような特段の事情もない。

(イ) ちなみに、前記の諸事実と証拠に照らすと、本件所在地の建物の所有者は乙山二郎で、本件教団信者である丙川三郎が平成12年12月に同人からその2、3階部分を賃借し、本件教団信者である丁村春夫が「A」の屋号で食品販売やヨーガ指導等を営む個人事業の事務所・教室・住居等のための物件として使用し、原告はAの従業員として住み込みで働き、上記の賃借部分の一部を居住スペースとしている模様である。また、同賃借部分には、原告の他に7、8人位の本件教団の信者がいる模様である。(〔証拠略〕)

(4)  不作為の違法の有無について

以上によれば、本件不作為は違法である。

3  被告市の責任の有無(原告についての損害の発生の有無及びその数額)(争点3)について

(1)  不作為の違法を理由とする不法行為成立の可否

ア 原告の損害賠償請求のうち、<1>転入届が受理されず、国民健康保険証が交付されないため、歯科治療を受けることができず、痛みに耐えざるを得ない精神的及び肉体的苦痛、<2>住民票がなく、印鑑登録証明書の交付を受けることができないため、廃車手続をすることができず、実際には自動車を廃車したにもかかわらず自動車税を納付しなければならないという経済的損失とこれに伴う精神的苦痛、<3>住民票がなく、印鑑登録証明書の交付を受けることができないため、自動車登録の手続を行うことができず、新たな自動車購入を断念せざるを得ないことによる精神的苦痛、<4>住民票がなく選挙人名簿に氏名が登載されず、選挙権を行使できない(具体的には平成14年3月31日実施の横浜市長選挙における選挙権の行使の不能)ことによる精神的苦痛についての損害賠償請求は、本件転入届が本来受理されて住民票が新たに作成されるべきところ、それがされずに不作為状態にされていることが違法な加害行為であるというものである。

ところで、これらの請求に係る不法行為は、現実の受理・不受理の処分がある前でもおよそ不可能というわけではないが、単に本件転入届に対する応答がないというだけで完成するものではなく、本来受理されるはずであるにもかかわらず受理されないということがあって初めて完成するものであり、仮に本来受理されないものであるとすると、原告の請求は理由がないことになる。というのは、原告が本件所在地に生活の本拠を持たないとして本件転入届が不受理となることが客観的に正しいと想定すると、上記の損害賠償請求は前提を欠き、あるいは結果(損害)との因果関係を欠いて、理由がないこととなるからである。

イ ところが、原告は、本件では、不作為の違法確認請求を主として訴えを提起しており、損害賠償請求において、裁判所に本件転入届につき受理相当である旨の判断をせよとまで請求する趣旨かどうか定かではなく、少なくとも、同請求の原因として、本件転入届が本来受理されるべきであるかどうかについては、原告は、本件において主張立証を尽くしてはいないきらいがある。また、本件転入届が本来受理されるべきであるかどうかについて未だ行政庁が判断していないので、裁判所が損害賠償請求事件についての判断とはいえ、行政機関の判断の前にこの点を判断するのは現時点ではなお適切ではないという面もある。

結局のところ、本件転入届が本来受理されるべきであることが認められないので、本件転入届が受理されるべきであることを前提とする上記の請求は理由がないことに帰する。

ウ 次に、原告の損害賠償請求のうち、<1>信者であることのみを理由に差別的待遇を被っている精神的苦痛、<2>事前の予告なしに被告区長による居住実態調査を繰り返し受けなければならず、事実上本件所在地に常に在宅することを余儀なくされ、行動の自由を束縛されていることによる精神的苦痛、<3>不作為の状況がいつまで継続するか判然としないために生じている不安による精神的苦痛についての損害賠償請求は、本件転入届に対する応答がないこと、あるいは遅れていることそれ自体を理由とするものとして、捉えることができる。

確かに、不作為の状態が継続することにより、処分がされるかどうか、されるとしてもいつ処分がされるのかという不安定な状態が継続した場合に、それが内心の静穏な感情を害し、一定の精神的苦痛をもたらすことはあり得る。そして、内心の静穏な感情を害されたということが当然に法的に保護された利益であるということはできないが、静穏を害されて被る精神的苦痛の程度が小さくなく、すなわち申請に対する応答がないという申請者一般に通常伴う程度のものではなく、異種独特の深刻なものである場合において、その苦痛が社会通念上受忍の限度を超えるものについては、人格的な利益として法的に保護すべき場合があるというのが相当である。(最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決・民集45巻4号653頁参照)

(2)  静穏な感情を害されない利益に対する損害賠償請求の有無

ア 本件における静穏な感情を害されない利益と法的保護の有無

(ア) 静穏な感情を害されない利益の侵害の有無・程度

前記のとおり、原告が転居が多く、本件所在地が本件教団の道場といわれるような場所で、原告の固有の生活のためのスペースが極めて狭く、寝袋で寝るような生活をするということであるから、これをもって生活の本拠といえるかの判定にある程度の期間の実態調査は必要であろう。そして、そのような調査をある程度経た平成13年11月22日の面会時において、本件区職員は、原告に対し、本件教団の道場でもあるから住むことのできる施設と認定できるか等を検討していると述べている。しかし、本件区職員による調査は同年12月までで事実上中断し、その後は問題点の有無も内容、追加調査の必要の有無、判断時期の見通し等が不明のままである。

原告が転居を反復していた者である(〔証拠略〕によれば、平成2年7月以来、20回以上住民票を移している。)とか、生活の本拠として本件所在地を使用しているかどうかの確認に被告区長が時間を要しているという面もあるものの、そのような観点からの居住実態に関する通常必要な調査期間を経過した後にもなお、原告は受理・不受理の判断をしてもらえない状態にあるといわざるを得ない。このような経緯で、原告は、結果的に通常の住民が転入届をした場合に比べて、簡単には受理・不受理の判断をしてもらえない状態にある。しかも、原告が本件区職員に対し必要な協力をむしろするという対応をしているにもかかわらず、原告は、どのような調査がなお必要か明確でないまま、判断をしてもらえない状態に置かれている。

そうすると、原告は、転入届の受理あるいは不受理という住民としてのいわば出発点の権利関係取得の有無の場面で、結果的に他の住民と著しく異なる扱いを受けているといわざるを得ない。新たな住民票が作成されないというのは、健全な社会生活を拒否されることに等しい面があるので、上記の事態は深刻な面がある。しかも、その原因に関し、上記の本件区職員の説明とは異なり、被告区長が本件教団の信者からの転入届については、受理を保留として事実上不受理にするとの方針を採用しているとの新聞報道(〔証拠略〕)があるため、原告は、その報道どおりのことがあるからではないかとの不安を抱くことになっている(〔証拠略〕)。そうなると、原告の静穏な感情を害されることで被る精神的苦痛の程度は小さくなく、すなわち申請に対する応答がないという申請者一般に通常伴う程度のものではなく、異種独特の深刻なものであるということができる。

(イ) 苦痛が社会通念上受忍の限度を超えるかどうか。

次に、原告の被る苦痛が社会通念上受忍の限度を超えるものかについては、微妙な問題がある。国民の多くがどのように考えるかが社会通念を判断する上での大きな指標であるところ、本件教団の前身のオゥム真理教が過去に関与した一連の事件とその後の対応等に照らし、本件教団の信者である原告が上記のような静穏な感情を害されることはやむを得ないもので、受忍すべきことであるという意見もあろうし、オウム真理教が過去に関与した一連の事件と少なくとも本件原告の転入届の受理不受理とは別問題であり、原告が本件転入届について受理不受理の応答がないために害された静穏な感情は受忍限度を超え、保護に値するという意見もあろう。当裁判所としては、過去における同教団の関与事件と本件との関連性の程度に照らし、この点については、前者のように受忍限度内であるとのみ捉えることには躊躇を覚えるものである。

イ 不作為による不法行為成立の要件

次に、上記の静穏な感情に害されないという利益が法的保護に値するとしても、処分庁の不作為あるいは処分遅延が不法行為になるためには、早期の処分を期待していた申請者が不安感、焦燥感を抱かされ、内心の静穏な感情を害されるに至るであろうことは容易に予測できることが必要であり、処分庁には、こうした結果を回避すべき条理上の作為義務があることが必要であると解するべきである。

そして、処分庁が、上記の意味における作為義務に違反したといえるためには、客観的に処分庁がその処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できなかったことだけでは足りず、その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続き、かつ、その間、処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに、これを回避するための努力を尽くさなかったことが必要であると解するべきである。(前掲最高裁判決参照)

ウ 本件における不作為による不法行為の成否

本件においては、前記2のとおり、遅くとも4か月もあれば、届出者本入に事情を聴取し、居所となっている建物を外形的に観察するなどして、当該届出住所が生活の本拠地となっているかどうかについて確認できたというべきである。そして、被告区長が更に長期間にわたり不作為の状態を継続し、通常期待される努力により遅延を解消できたのにそれを回避するための努力を尽くさなかったのであるから、遅くとも前記期間の2倍の8か月を超える時期に至ったときには、条理上の作為義務違反があったと認めるのが相当であり、被告市は、国家賠償法1条により、前記被告区長の作為義務違反により生じた損害について賠償責任を負うものと解するのが相当である。

(3)  具体的な損害額

以上より、被告市は、被告区長の条理上の作為義務違反により、原告に生じた前記3(1)ウの損害についての賠償責任を負っているところ、原告に生じた損害は、受理・不受理の判断を待たされることにより静穏な感情が害されること自体であり、時期的には、本件転入届があった平成13年7月31日から8か月を経過した平成14年4月以降本件口頭弁論終結時までのことであるから、月当たり3000円(平成14年6月分は、1日から19日までであるから、2000円)をもって相当と判断する。そして、これに伴う遅延損害金請求については、損害算定に対応させ、月当たりで計算することとし、別紙のとおりの内金とこれに対する起算日から支払済みまで年5分の割合によるとするのが相当である。

4  結論

以上のとおり、本件請求は、主文の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61、64、65条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 窪木稔 村上誠子)

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