横浜地方裁判所 平成15年(行ウ)4号 判決 2004年5月12日
原告 甲
被告 国
代表者法務大臣 野沢太三
指定代理人 西村圭一
同 信本努
同 曽我高佳
同 成田兼二
同 岩﨑廣海
同 花田孝幸
同 松島一重
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、481万8000円及びこれに対する平成15年1月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 事案の骨子
本件は、原告が、平成10年3月13日に厚木税務署長に対してした平成9年分の所得税の確定申告について、内容に誤りがあり、錯誤により無効であるなどと主張して、納付済みの原告の平成9年分の所得税額481万8000円(ただし、平成13年2月9日付けで厚木税務署長が減額更正した後のもの)相当額につき、被告に対し、不当利得としてその返還を求める事案である。
2 基礎となる事実
(以下は、当事者間に争いがないか、記載の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実である。)
(1) 乙からの金銭の受領
原告は、平成9年10月から同年12月にかけて、乙から合計約1億4000万円を受領した〔甲1号証、弁論の全趣旨〕。
(2) 原告の平成9年分の所得税確定申告
原告は、平成10年3月13日、厚木税務署長に対し、上記金銭について、雑所得の金額を1億4000万円、納付すべき税額を6378万円とする平成9年分の所得税の確定申告書を提出し(以下「本件確定申告」という。)、同年4月16日、口座振替の方法により所得税を納付した〔甲3、乙1、2〕。
(3) 乙の原告に対する損害賠償請求訴訟
ア 乙は、平成11年、横浜地方裁判所小田原支部に対し、原告を相手方とする訴訟を提起し、乙が原告に上記(1)の1億4000万円を預託したのは、乙の所得税に係る修正申告の際の納税資金としてであったが、原告が委託の趣旨に反してこれを着服し、横領したと主張して、同額についての損害賠償の支払を求めた。
イ 横浜地方裁判所小田原支部は、平成12年8月21日、上記事件について一部認容の判決(以下「別件判決」という。)を言い渡した。すなわち、同裁判所は、乙が原告に対し交付した1億4000万円のうち、修正申告の際の納税資金として預託したのは1億2000万円であるが、原告は委託の趣旨に反してこれを着服して、横領したこと、残りの2000万円については原告に対する謝礼ないし報酬として交付されたものであること、を認定して、1億2000万円及び遅延損害金の支払を求める限度で乙の請求を認容した。
〔甲1号証〕
(4) 厚木税務署長による減額更正処分
厚木税務署長は、上記判決に基づき、平成9年分における原告の雑所得の金額を2000万円、納付すべき税額を481万8000円と認定して、平成13年2月9日付けで原告の平成9年分所得税の減額更正処分を行い(以下「本件減額更正処分」という。)、上記納付すべき税額を超えて納付されていた金額5896万2000円を原告に還付した〔甲4、弁論の全趣旨〕。
(5) 本件訴訟の提起
原告は、平成15年1月24日、別件判決が原告において受領したと認定した2000万円については、受領した事実がないから、本件減額更正処分において認定された雑所得の金額及び納付すべき税額は誤っており、本件確定申告は錯誤により無効であるなどと主張して、本件減額更正処分後の納付すべき税額481万8000円相当額につき、これを不当利得としてその返還を求める本件訴訟を提起した。
第3 争点及び争点に関する当事者の主張
1 争点
本件確定申告が、錯誤により無効か否か。
2 原告の主張
(1) 原告は、もともと乙から総額で1億3600万円しか受領していなかったが、同人の脱税等を捜査していた検察官及び札幌国税局の担当者から、乙の供述どおり1億4000万円を受領したものとして確定申告をしておくように助言を受けたため、捜査に協力するという程度の意思で本件確定申告をしたものであるが、上記金銭は乙に係る刑事事件のもみ消しに関する工作資金として受領したものであって、原告の収入となるものではなく、これを受領したことが課税の対象になるとの認識はなかったのであるから、本件確定申告は、錯誤により無効である。
(2) そして、原告は、別件判決により2000万円を報酬として受領したと認定されたが、原告は、当該金銭を受領しておらず、収入にはならないから、これに対応する所得税額相当額は、国の不当利得であり、返還されるべきである。
3 被告の主張
(1) 原告の平成9年分の所得税の額は、原告の確定申告及び厚木税務署長の減額更正によって確定しており、国税通則法に定められた更正の請求の手続によらずに、不当利得としてその返還を求めることは許されない。そして、原告は、法定の期限内に更正の請求をした事実もない。
(2) 所得税確定申告書の記載内容についての錯誤の主張は、その錯誤が客観的に明白かつ重大であって、所得税法の定めた過誤是正以外の方法による是正を許さなければ納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でなければ許されないところ(最高裁判所昭和39年10月22日第一小法廷判決・民集18巻8号1762頁)、本件において、原告のした本件確定申告には、客観的に明白かつ重大で、法定の方法以外にその是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情があると認められるような何らかの錯誤ないし誤りがあったと窺われるような事情は一切存在しない。
第4 当裁判所の判断
1 原告は、本件確定申告は錯誤により無効であると主張するのであるが、本件において、 原告の平成9年分の所得税の額は、本件確定申告及び本件減額更正処分によって確定しており、かつ、原告は、法定の期限内に更正の請求等という所得税確定申告書の記載内容の過誤の是正に関する法定の手続を経ていないところ、確定申告書の記載内容についての錯誤の主張は、その錯誤が客観的に明白かつ重大であって、法の定めた過誤是正以外の方法による是正を許さないとすれば納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でなければ、許されないものと解すべきである(最高裁判所昭和39年10月22日第一小法廷判決・民集18巻8号1762頁)。
2 そこで、以下、本件においてこのような客観的に明白かつ重大な錯誤が認められるか否かを検討する。
(1) 原告は、本件確定申告の際、乙から受領した1億3600万円については、所得税課税の対象になるとの認識はなかった旨を主張し、原告本人尋問においても同趣旨の供述をしている。
しかし、証拠〔乙1ないし4号証、原告本人の供述)及び弁論の全趣旨によると、次の各事実が認められる。
① 原告は、平成10年3月12日及び同月13日の両日、厚木税務署を訪れ、確定申告の相談をしたが、その際、同税務署では、総務課長丙(以下「丙課長」という。)及び総務課長補佐丁(以下「丁補佐」という。)が対応した。
② 原告は、平成10年3月12日に厚木税務署を訪れた際は、具体的な氏名や受領額を言わずに、「ある者から相当額の金銭を受領しており、預り金であると認識しているが、札幌の方で原告が確定申告をしなければならないと聞いたので相談に来た。」旨を述べた。
丙課長及び丁補佐は、一般論として、所得金額の計算は、収入金額から必要経費を控除して計算するが、受領した金員の内、他の者に支払った分で金額が分かるものや、旅費、宿泊費等は、必要経費として収入金額から控除することができること、必要経費は、具体的な支払先や金額が明らかにされなければ収入から控除することができないことなどを説明した。
③ 原告は、翌13日に厚木税務署を訪れた際には、「乙から1億4000万円を受領しており、原告の所得として申告したい。」と述べた上、確定申告書の代筆を依頼した。原告は、受領した金員の内、他の者に支払った分や、旅費、宿泊費等の支払額について、具体的な支払先や金額は言えないと述べたため、丁補佐は、具体的に明らかにしなければ、必要経費として控除できないことを再度説明したが、結局、原告はこれらを明らかにしなかった。
④ そこで、丁補佐は、原告の説明に基づいて、平成9年分の所得税の確定申告書の「所得金額」の「雑(その他)」欄に1億4000万円と、「所得から差し引かれる金額」の「合計」欄に基礎控除額と同額の38万円と、「課税される所得金額」欄に1億3962万円と、「申告納税額」等の各欄に6378万円と、それぞれ代筆で記入し、原告は、確定申告書の「住所」、「平成10年1月1日の住所」、「生年月日」、「世帯主との続柄」、「電話番号」の各欄にそれぞれ記入した上、「氏名」欄に署名押印した。
また、原告は、振替納税制度を利用することを希望したため、丁補佐は、原告から提示された預金通帳に基づき、「納付書送付依頼書、預貯金口座振替依頼書」の銀行名、支店名、口座番号等を代筆で記入し、原告がこれに署名押印して、上記確定申告書と併せて、厚木税務署の窓口に提出した。
⑤ 原告は、その後、平成10年4月16日、同年7月上旬及び同年8月下旬に厚木税務署を訪れ、地方税を納付する金銭がない等の相談をしたが、対応した丙課長又は丁補佐は、国税の所管事項ではないため、厚木市役所の市民税課に赴いて相談したらどうかなどと述べるにとどめた。
(2) 以上の認定事実によると、原告は、本件確定申告において、厚木税務署の担当者に相談するなどした上、乙から受領した金銭について、原告自身の所得として、また、その金額を1億4000万円として、確定申告することとしたものであり、原告は、このような納税申告の意味と内容について認識した上で確定申告の手続を行ったというべきであるから、本件確定申告が、客観的に明白かつ重大な錯誤に基づいてされたものと認めることはできないといわざるを得ない。そして、その他、本件において上記錯誤に該当する事情を認めるに足りる証拠はない。
3 したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の本件請求は、理由がない。
第5 結論
そこで、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川勝隆之 裁判官 菊池絵理 裁判官 貝阿彌亮)