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横浜地方裁判所 平成16年(ワ)1892号 判決 2006年6月15日

原告

甲野花子

同訴訟代理人弁護士

高井佳江子

被告

有限会社A動物病院

同代表者代表取締役

乙原太郎

被告

丙山次郎

上記両名訴訟代理人弁護士

杉山博亮

同訴訟復代理人弁護士

橋積京子

南淵聡

主文

1  被告らは,原告に対し,連帯して42万3163円及びこれに対する平成14年5月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告によるその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを10分し,その9を原告の負担とし,その余を被告らの負担とする。

事実及び理由

第1  請求

被告らは,原告に対し,連帯して431万1299円及びこれに対する平成14年5月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,原告が所有し,「葉子」と名付けて愛玩していた犬(以下「葉子」という。)が,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎に罹患し,被告有限会社A動物病院(当時の商号は有限会社乙原犬猫病院。以下「被告病院」という。)を受診(以下「本件治療」という。)した際,被告丙山次郎(以下「被告丙山」という。)を含む同病院の獣医師らが,① 諸検査により葉子が免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎に罹患していることを診断し,葉子に対し,初診時以降,1日当たり少なくとも8.6ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)すべきであったのに,これを怠り,② 葉子を,平成14年4月21日以降,日本大学生物資源科学部動物病院(以下「日大病院」という。)等の高次医療機関に転送すべきであったのに,これを怠り,③ 葉子は,平成14年4月29日以降,間質性肺炎を発症し,同年5月1日にはその診断が可能な状況になっていたのであるから,経過観察をきちんとして葉子の症状を把握し,葉子に対し,副腎皮質ステロイド剤の投与等をすべきであったのに,これを怠り,④ 葉子は,平成14年4月29日以降,DICを発症し,同年5月1日にはその診断が可能な状況になっていたのであるから,経過観察をきちんとして葉子の症状を把握し,葉子に対し,ヘパリンの投与等をすべきであったのに,これを怠り,⑤ 原告に対し,初診時以降,葉子の疾患として「皮下脂肪織炎」の「疑い」があり,その原因として「免疫異常」が「考えられる」ことを説明すべきであったのに,これを怠り,⑥ 原告に対し,平成14年4月29日以降,葉子が「ショック状態に陥ったこと」,「白血球数が異常値を示したこと」及び「肺炎を発症したこと」を説明すべきであったのに,これを怠り,⑦ 原告に対し,初診時,被告丙山が処方したプレドニゾロンが「ステロイド剤」であり,かつ,「副作用が強い」ことを説明すべきであったのに,これを怠った各過失により,葉子の入院を長引かせ,間質性肺炎及びDICを発症させ,日大病院においてプレドニゾロンの大量投与を余儀なくさせるなどした結果,葉子に右前足を引きずる等の後遺障害を負わせる等し,原告に精神的苦痛を与えるとともに,不要な治療費,ガソリン代,ホテル代等を支出させて経済的損害を与えたと主張して,原告が,被告丙山に対し,不法行為に基づき,被告病院に対し,不法行為の使用者責任又は診療契約の債務不履行に基づき,連帯して,損害金431万1299円及びこれに対する上記各過失行為後の日である平成14年5月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  争いのない事実等(証拠によって認定した事実については,当該認定事実の末尾に証拠を摘示する。)

(1)  当事者等

ア 葉子

葉子は,平成2年*月*日生まれの雌のミニチュアダックスフント犬(国際公認血統登録番号DHM―***/91)である。

なお,葉子は,被告病院において,平成9年に,乳腺腫瘍の全摘出手術を受けている。(甲12号証の1)

イ 原告

原告は,平成3年7月ころ,葉子を譲り受けてその所有権を取得した葉子の所有者であり,そのころから現在まで,葉子を,自宅において飼育し,愛玩している(甲1,11)。

ウ 被告病院

被告病院は,昭和61年6月3日に設立された,犬猫の病院の経営等を目的とする有限会社である。

被告病院の設立当時の商号は,有限会社乙原犬猫病院であったが,平成15年1月10日,現在の商号に変更登記されている。

エ 被告丙山

被告丙山は,本件治療の当時,被告病院に副院長として勤務する獣医師であった。

(2)  被告病院を受診するまでの経過(甲11号証,甲12号証の3,乙2号証の1)

平成14年1月ころ,葉子の右腋窩部に水ぶくれのような出来物が一つでき,さらに,同年3月ころ,葉子の右肩に,出来物ができた。

原告は,出来物の治療のため,葉子を連れて,近くの動物病院を受診したが,菌が検出されず,病名も分からず,抗生物質を投与しても,出来物が治癒しなかった。

そのうち,葉子の内股にも,同様の出来物ができた(以下,葉子に生じた一連の出来物を指して「本件出来物」という。)。

(3)  被告病院における診療経過(甲12号証の1及び3,乙2号証の1ないし9,被告丙山本人尋問の結果)

ア 平成14年4月14日

(ア) 診察等

a 原告は,葉子を連れて,被告病院を受診し,被告病院との間で,葉子の治療に関する診療契約を締結した。

b 被告病院における葉子の診察は,被告丙山が担当した。

c 本件出来物は,筋間より発生していると思われる右肩及び内股付近の皮下膿瘍であり,そこから,じゅくじゅくとした液が出てきていた。

d 原告は,被告丙山に対し,本件出来物につき,「近所の動物病院に何軒かかかったが,良くならなかった」旨訴えた。

e 葉子に元気はあったが,左目の瞳孔が拡大しており,眼圧が上昇していた。

f 被告丙山は,葉子に対し,レントゲン検査,血液検査,血液生化学検査及び超音波検査を行った。

(イ) 薬剤の処方

被告丙山は,原告に対し,葉子の治療のため,少なくとも,次の①ないし④の薬剤を処方した(なお,副腎皮質ステロイド剤であるプレドニゾロンが処方されたか否かについては,争いがあるので,後記「第3 争点に関する判断」において検討する。)。

① タリビッド(抗生物質) 1日1回1/2錠×14日分

② ユベラ(ビタミンE製剤) 1日1回1/4錠×14日分

③ ビクタスクリーム(外用剤,抗生物質とステロイド剤の合剤)×1

④ イソジン(外用消毒剤) 60ml×1

イ 平成14年4月18日

(ア) 診察等

a 原告が,葉子を連れて,再度,被告病院を受診した。

b 葉子の診察は,被告丙山が担当した。原告は,被告丙山に対し,「葉子に熱がある。ぐったりしている。」旨訴えた。

c 葉子には,発熱があり,元気がなく,少しぐったりとした様子であった。本件出来物からは,依然としてじゅくじゅくとした液が出ており,症状は悪化していた。

d 被告丙山は,葉子の状態につき,腹水貯留を疑った。被告丙山は,本件出来物の原因については,葉子が,以前,乳腺腫瘍を切除していること等から,これとの関連が大きいかもしれないと考えると共に,細菌による感染症を疑った。

e 被告丙山は,葉子を,被告病院に入院させることとし,3日間,抗生物質の点滴注射及び静脈注射を行うこととした。

また,被告丙山は,葉子に翌日も発熱があれば,葉子に対する抗生剤を変更していくこととした。

f 被告丙山は,原告に対し,葉子の入院中,少なくとも「できるだけ付き添っていてほしい」旨指示した。

(イ) 薬剤の投与

被告丙山は,葉子に対し,以下の①ないし⑥の薬剤を投与した。

① セファゾリン (抗生物質) 静脈注射及び点滴注射

② アデラビン (肝疾患治療薬) 皮下注射

③ グリファーゲンC (肝疾患治療薬) 点滴注射

④ 複合ビタミンB剤 点滴注射

⑤ ビタミンC剤 点滴注射

⑥ ボルタレン (非ステロイド系消炎,鎮痛剤)1/2本

(①ないし⑥の薬剤の投与方法は,以下の記載においても同じである。)

ウ 平成14年4月19日

(ア) 午前

丁川獣医師が担当した。

(イ) 午後

戊谷獣医師が担当した。

a 葉子の体温は39.6℃であり,発熱は続いていた。

b 葉子に対し,ボルタレン1/4本が投与された。

c 原告が,葉子との面会に訪れた。

面会中,葉子の右肩の出来物が自壊した。内股のしこりも大きくなっていたため,イソジン等によって消毒が行われ,ビクタスクリームが塗布された。また,葉子にチューブ状の包帯が着せられた。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(イ)の外,セファゾリン,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

エ 平成14年4月20日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 午前

a 葉子に,嘔吐が頻回にみられたため,丁川獣医師は,葉子に,プリンペラン(制吐剤)を皮下注射した。

b 葉子の体温は,39.6℃であった。

c 投与薬剤に,バイトリル(抗生物質)の皮下注射が追加された(プリンペラン及びバイトリルの投与方法は,以下の記載においても同じである。)。

(イ) 午後

a 葉子の体温は,39.6℃であった。

b 葉子に対し,ボルタレン1/2本が注腸投与された。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)及び(イ)の外,セファゾリン,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

オ 平成14年4月21日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 午前

a 葉子に下痢がみられたため,検便が行われた。

しかし,検便の結果に異常がみられなかったことや,葉子に食欲があったことから,丁川獣医師は,葉子の下痢の原因が,抗生剤によるものであると考えた。

b 葉子につき,血液検査が行われたが,腎臓及び膵臓に異常は認められなかった。

(イ) 午後

a 葉子の体温は39.7℃であった。

b 葉子に対し,ボルタレン1/2本が経腸投与された。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(イ)の外,セファゾリン,バイトリル,プリンペラン,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

カ 平成14年4月22日

己岡獣医師が担当した。

(ア) 午前

a 葉子の体温は38.6℃。

b 葉子に食欲はあったが,やや軟便であった。

(イ) 午後

a 葉子には,食欲がなく,やや熱がでてきた。

b 葉子に対し,ボルタレン1/4本が投与された。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(イ)の外,セファゾリン,バイトリル,プリンペラン,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

キ 平成14年4月23日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 診療等

a 本日から,セファゾリンの静脈注射及び点滴注射を,ペントシリン(抗生物質)の静脈注射及び点滴注射に変更した(ペントシリンの投与方法は,以下の記載においても同じである。)。

b 葉子の午前の体温は,37.8℃であった。

午後の体温は,39.2℃であった。

c 丁川獣医師は,本件出来物から出てくるものを採取し,外部検査機関に細菌培養検査を依頼した。

(イ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)の外,バイトリル,プリンペラン,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

ク 平成14年4月24日

庚町獣医師が担当した。

(ア) 午前

葉子には,熱感はなかったが,食欲がなかった。

(イ) 午後

葉子には,相変わらず食欲がなかったため,犬乾燥血漿輸血製剤が点滴注射された。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(イ)の外,セファゾリン(ペントシリンから変更),バイトリル,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

ケ 平成14年4月25日

(ア) 午前

丁川獣医師が担当した。

(イ) 午後

辛本獣医師が担当した。

葉子には,食欲がなかった。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,ペントシリン(セファゾリンから変更),バイトリル,アデラビン,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

コ 平成14年4月26日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 診察等

a 葉子に対して,血液検査が行われたが,肝臓及び腎臓に異常は認められなかった。また,白血球の数値は10900(正常値は6000から16900,甲4号証)に下がっていた。

b 葉子に,食欲はあった。

c 丁川獣医師は,葉子に対する抗生物質の投与を継続することとした。

(イ) 薬剤の投与

葉子に対し,ペントシリン,バイトリル,グリファーゲンC,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

サ 平成14年4月27日

壬島獣医師が担当した。

(ア) 診察等

a 葉子に,食欲はあった。

b 外部検査機関から,細菌培養検査によれば,ビブラマイシン(薬品名Doxycycline。抗生物質)のみが効果を有するという結果が報告された(なお,細菌名については詳細が明らかでないが,多剤耐性の大腸菌が検出されたと推認することができる。)。

c 葉子に,ビブラマイシン1/2錠を経口投与し,また,ラクトリンゲル(電解質補液)を点滴注射した(ビブラマイシン及びラクトリンゲルの投与方法は,以下の記載においても同じである。)。

(イ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)の外,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

シ 平成14年4月28日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 診察等

a 葉子に元気はあり,食欲もあった。

b 葉子の内股の排液が多かったため,イソジン等による消毒が行われた。

(イ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)の外,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,複合ビタミンB剤及びビタミンC剤が投与された。

ス 平成14年4月29日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 診察等

a 本件出来物からの排液は続いていたが,やや減少していた。

b 本件出来物につき,イソジン等による消毒が行われた。

c この日の朝の点滴は中止された。

d 原告が,葉子との面会に訪れた。

原告との面会中,葉子に瞳孔散大,震戦が生じたため,被告病院の獣医師は,葉子に対し,フェノバルビタール(商品名フェノバール。抗てんかん薬)を注射した。

e 葉子には,午後,食欲があった。

f 葉子には,夕方,発熱があった(40.8℃)。

g 葉子に対し,ボルタレン1/2本が投与された。

h 葉子に対して全血血液検査及び血液生化学検査を行ったところ,神経,筋肉組織系統にダメージがあることを示す数値が上昇し,異常値にあった。

また,白血球数も,正常値(6000から16900,甲4号証)を超え,異常値(19400)にあった。

(イ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)の外,ビブラマイシン,ペントシリン,グリファーゲンC及びビタミンC剤が投与された。

セ 平成14年4月30日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 午前

a 葉子に高熱(40.1℃)があった。

b 葉子に対し,ボルタレン1/2本が経腸投与された。また,葉子の包帯が交換された。

(イ) 午後

a 葉子の体温は40.4℃であった。

b 葉子に対し,ボルタレン1/2本が経腸投与された。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)及び(イ)の外,ビブラマイシン,ペントシリン,グリファーゲンC及びビタミンC剤が投与された。

ソ 平成14年5月1日

(ア) 午前

丁川獣医師が担当した。

a 葉子の体温は39.2℃であった。

b 葉子の内股の出来物の開孔部が閉鎖したが,腫脹していた。また,葉子の右側脇腹に開孔部が形成された。

(イ) 午後

己岡獣医師が担当した。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)の外,ビブラマイシン,ペントシリン,グリファーゲンC及びビタミンC剤が投与された。

(エ) その他

病状連絡が行われた。

タ 平成14年5月2日

丁川獣医師が担当した。

(ア) 午前

a 葉子の熱は下がっていた。

b 葉子に対し,乾燥血漿輸血製剤が輸血された。

c 葉子の下腹部(陰部の右側)に血腫がみられ,その開放創から排液があった。

(イ) 午後

a 葉子の熱が再発し(40.0℃),食欲がなくなった。

b 葉子に,氷枕が用いられ,ケトフェン(消炎,鎮痛剤)が皮下注射された(ケトフェンの投与方法は,以下の記載においても同じである。)。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)及び(イ)の外,ビブラマイシン,ペントシリン,グリファーゲンC及びビタミンC剤が投与された。

チ 平成14年5月3日

(ア) 午前

丁川獣医師が担当した。

a 葉子の体温は,38.4℃であった。

b ペントシリンの投与が中止された。

(イ) 午後

癸村獣医師が担当した。

葉子の体温は,40.8℃であった。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,ケトフェン,グリファーゲンC及びビタミンC剤が投与された。

ツ 平成14年5月4日

(ア) 午前

戊谷獣医師が担当した。

a 葉子の体温は,40.0℃であった。

b 氷で葉子を部屋ごと冷却した。

c 葉子の包帯をやめ,エリザベスカラーに変更した。

d 内股の本件出来物について,イソジンで消毒された後,薄くゲンタシン軟膏(抗生物質)が塗布された。

(イ) 午後

子野獣医師が担当した。

a 血液検査が行われた。

b ユベラが経口投与された。

c 乾燥血漿輸血製剤が投与された。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,上記(ア)及び(イ)の外,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,ケトフェン,グリファーゲンC及びビタミンC剤が投与された。

テ 平成14年5月5日

(ア) 午前

被告丙山が担当した。

葉子の体温は,40.8℃であった。

(イ) 午後

丁川獣医師が担当した。

a 葉子の体温は,39.2℃であった。

b 葉子は,食欲があり,元気もあった。

c 葉子につき,全血血液検査及び血液生化学検査が行われた。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,グリファーゲンC,ビタミンC剤及びユベラが投与された(ケトフェンの投与は中止された。)。

また,リマダイル(消炎,鎮痛剤)1/2錠が経口投与された(リマダイルの投与方法は,以下の記載においても同じである。)。

ト 平成14年5月6日

庚町獣医師が担当した。

(ア) 診察等

a 葉子の午前中の体温は,39.6℃であった。

b 葉子には,食欲があった。

(イ) 薬剤の投与

葉子に対し,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,リマダイル,グリファーゲンC,ビタミンC剤及びユベラが投与された。

ナ 平成14年5月7日

(ア) 午前

丁川獣医師が担当した。

葉子の体温は,39.6℃であった。

(イ) 午後

庚町獣医師が担当した。

a 葉子には,食欲があり,熱感はなかった。

b 葉子につき,血液検査が行われた。

(ウ) 薬剤の投与

葉子に対し,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,リマダイル,グリファーゲンC,ビタミンC剤及びユベラが投与された。

ニ 平成14年5月8日

(ア) 午前

壬島獣医師が担当した。

a 葉子に熱感はなかった。

b 壬島獣医師は,リマダイルの使用を中止した。

c 葉子に対し,ビブラマイシン,ラクトリンゲル,グリファーゲンC,ビタミンC剤及びユベラが投与された。

(イ) 午後

被告丙山が担当した。

a 葉子が,胸水及び肺水腫により,呼吸困難となった。

b 被告丙山は,この時点では,葉子に胸水及び肺水腫が生じた原因が分からなかった。

c 2回目の細菌培養検査の結果が報告された。結果は陰性であった。

d 午後9時,葉子に対し,ラシックス(利尿薬)及びセファゾリンが静脈注射され,ネオフィリン(気管支拡張薬)が皮下注射され,葉子は,酸素テントへ入れられた。

e 葉子に対し,バイトリルが皮下注射された。

f 点滴が,ラクトリンゲルから,セファゾリン,塩化カリウム剤及びメイロン(重炭酸塩)を生理食塩水に混合したものに変更された。

ヌ 平成14年5月9日

(ア) 午前

丁川獣医師が担当した。

a 葉子の呼吸は安定してきていたが,まだ速かった。

b 葉子に対し,ラシックス及びセファゾリンの静脈注射並びにネオフィリン及びバイトリルの皮下注射が行われた。

c バソレーター軟膏(ニトログリセリン)が腹部に塗布された。

d セファゾリン,塩化カリウム剤及びメイロン(重炭酸塩)を生理食塩水に混合したものの点滴が行われた。

e 被告病院の獣医師は,原告の希望を受けて,同人が,翌日の午前9時30分に日大病院の亘敏広獣医師(以下「亘獣医師」という。)の診察を受けることができるよう,亘獣医師に連絡をした。

f 原告が,葉子を連れて帰った。

ネ その他

(ア) 被告病院の獣医師らは,葉子に対し,少なくとも,平成14年4月18日から同年5月8日まで,プレドニゾロンを処方していない。

(イ) 被告病院の獣医師らは,葉子に対し,クームス試験及び抗核抗体検査を行っていない。

(ウ) 被告病院は,原告に対し,同病院における葉子の入院治療費の支払を免除した。

(4)  カルテの平成14年4月14日の記載(乙2号証の1,2)

被告病院のカルテの平成14年4月14日の欄には,上記(3)の事実の他,以下の記載がある。

ア (右肩部及び内股部の本件出来物につき)皮下脂肪織炎?

イ プレドニゾロン1/4(錠)×3 1日1回3日間

ウ プレドニゾロン1/4(錠)×5 1日おき1回

エ 上記イ及びウにつき,14日分

オ ダメならオペ(外科手術)

(5)  被告丙山から亘獣医師に宛てた紹介状(甲12号証の1)

被告丙山が,葉子の治療につき,亘獣医師宛てに作成した紹介状には,次のような記載がある。

ア 主要症状又は傷病名

治療抵抗性の腫瘍形成と全身の発熱(弛張熱)

イ 現在までの経過

右腋下と内股部に筋間より発生していると思われる皮下膿瘍が他獣医師の加療にも関わらず治らないとの主訴で来院。食欲は有るが何となく元気もない。当院でも培養や細胞診,他検査しましたが原因を特定できませんでした。

抗生物質の2剤併用点滴静注と血漿輸血を中心として加療しましたが改善せず,5/8夜から頻呼吸となり肺炎と胸水貯留を呈して,病状が悪化したため,亘先生の御高診を賜りたく今回御紹介させて頂きました。いつもお忙しい中御無理を聞いて頂き有り難うございます。何卒宜しくお願い申し上げます。

(6)  被告病院の獣医師らの認識

被告丙山を含む被告病院の獣医師らは,少なくとも,葉子が平成14年4月18日に被告病院に入院して以降は,本件出来物の原因が,感染症によるものであると判断して,治療を進めていた。

(7)  夜間動物救急医療センターへの入院(甲4号証,甲12号証の2)

原告は,平成14年5月9日,葉子の呼吸が,被告病院から退院して帰宅する途中から苦しそうであったので,葉子を,夜間救急動物医療センター(NEAMeC)に入院させた。

同センターでは,葉子を,酸素テントに入れ,ネオフィリン及びラシックスを投与した。

同センターの獣医師は,葉子に対し,血液検査を行ったところ,白血球数は,54300と高く,血小板数は,65000(正常値は175000から500000)と減少していた。

(8)  日大病院における治療経過(甲3号証,甲12号証の3ないし15)

ア 平成14年5月10日

(ア) 診療等

原告は,平成14年5月10日,葉子を連れて,日大病院を受診した。日大病院では,葉子に対し,以下の検査が行われた。

a 体重3.6キログラム(ベスト体重4.2キログラム),体温39.2℃,心拍数1分間120回,呼吸数1分間84回

b 呼吸は努力性呼吸(安静時には使われない呼吸筋を動員して行う呼吸)であった。膿性鼻汁及び咳はなかった。

c 心雑音及び不整脈はなかった。肺音は粗ぞうであり,湿性ラ音が聴取され,蠕動音が亢進していた。

d 右腋窩部に3つ,鼠経部に1つの出来物(mass)があり,皮下にしこりが存在していた。

e 血液検査

以下の各数値が,異常値であった。

(a) 白血球数 83200(高い)

(b) 血小板数 32000(低い)

(c) FDP(フィブリン/フィブリノゲン分解産物,DICの診断に重要な検査) 20μグラム/ml(高い)

(d) クームス試験 250倍(陽性)

f X線撮影

(a) 胸部

肺野全域にわたっての斑状陰影(特に前葉)。肺野の透過度著しく低下しているため,心陰影は明らかでない。胸水はなかった。

(b) 腹部

特に異常なし。

(イ) 獣医師の判断

日大病院の獣医師は,本件出来物の原因につき,犬種,発生部位,経過等から,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎を疑った。

また,葉子を肺炎と診断し,その原因については,膿性鼻汁及び咳がないこと,クームス試験の結果が陽性であることから,免疫介在性の間質性肺炎の可能性が高いと考えた。

さらに,血小板数が少なく,FDPの数値が高いことから,葉子は,間質性肺炎に伴うDIC(播種性血管内凝固)を併発していると判断した。

(ウ) 治療

日大病院の獣医師は,葉子を入院させ,酸素室に入れるとともに,葉子に対し,DICの治療のため,FOY(DICの治療薬)の点滴注射及びヘパリンの皮下注射を行った。

また,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎及び間質性肺炎の治療のため,プレドニゾロン(7.2ミリグラム,葉子の体重1キログラム当たり2ミリグラム)の皮下注射及びセファゾリンの静脈注射を行った。

イ 平成14年5月11日ないし平成14年5月17日

a 本件出来物は,平成14年5月11日に,右腋窩部にあったうちの一つがなくなり,その後,他の出来物も,次第に治癒していった。

b 葉子には,平成14年5月11日以降,食欲が出て,元気も増していった。

c ヘパリン,セファゾリン及びプレドニゾロン(1日につき,体重1キログラム当たり2ミリグラム)の投与は継続された。

ウ 平成14年5月17日

a 葉子は,日大病院を退院した。

b プレドニゾロンの投与については,退院後,徐々に量を減らしてゆく(1日につき,体重1キログラム当たり1ミリグラム)こととなった。

エ 日大病院への通院

原告は,葉子を連れて,平成14年6月3日,同月14日,同月28日,平成14年7月19日,同年8月9日,同月30日,平成14年9月27日,同年10月11日,同年11月8日,同年12月6日,平成15年1月10日,同年2月7日,同年3月7日,同年4月25日,同年5月16日,同月23日,平成15年6月4日及び同月20日,日大病院を受診した。

オ 日大病院への入院

原告は,平成15年6月23日から同月30日まで,葉子を日大病院に入院させた。

カ 日大病院への通院

原告は,葉子を連れて,平成15年7月7日,同月18日,平成15年8月8日及び同年9月5日,日大病院を受診した。

キ 現在

葉子には,現在も,プレドニゾロンが処方されている。

その量は,1日当たり1.25ミリグラムである。

(9)  本件出来物の原因等

ア 本件出来物の原因は,結果的には免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎であった。

イ 葉子は,遅くとも平成14年5月8日には,間質性肺炎に罹患していた。

ウ 葉子は,遅くとも平成14年5月10日の日大病院入院当時,DICの状態であった。

(10)  無菌性結節性皮下脂肪織炎について(乙3号証)

ア 総論

無菌性結節性皮下脂肪織炎とは,皮下脂肪織の非感染性の炎症疾患であり,さまざまな病因により発症するといわれている。肥満,物理的刺激,化学的刺激,脂質代謝障害,免疫異常等の関与が推測されている。

治療は,プレドニゾロン(合成糖質副腎皮質ホルモンであり,抗炎症作用,抗アレルギー作用,免疫抑制作用等を有する。)を投与することにより行われる。同疾患には,プレドニゾロンが奏功するが,休薬により再発することが多い。

無菌性結節性皮下脂肪織炎は,診断するに当たり,膿皮症(細菌による皮膚の感染症),真菌症(真菌による皮膚への感染症)等の感染性疾患,異物による疾患(異物性肉芽腫),腫瘍等と鑑別することが必要であり,その診断は,臨床像,滲出液の細胞診,菌培養検査,皮膚生検等によって行われる。

イ 無菌性結節性皮下脂肪織炎の臨床像

(ア) 無菌性結節性皮下脂肪織炎は,ダックスフント,シェットランド・シープドックに好発する。

(イ) 単発性又は多発性の,常色又は暗紫色を呈した,弾性軟の,真皮から皮下脂肪織に至る結節を特徴とする。

(ウ) ろう管から,やや光沢のある血液の混じった油性滲出物を認める。

(エ) 発熱などの全身症状がみられる。

ウ 無菌性結節性皮下脂肪織炎の細胞診断

(ア) 多数の過分葉好中球

(イ) 多数の脂肪を貪食した泡沫状マクロファージ

(ウ) 菌要素は認められない。

エ 無菌性結節性皮下脂肪織炎の組織像

(ア) 皮下脂肪織を中心とした結節状の化膿性肉芽腫

(イ) 脂肪を被包するように好中球浸潤がみられ,この周囲に組織球系細胞が浸潤する。

(ウ) 特殊染色で菌要素を認めない。

(11)  クームス試験及び抗核抗体検査について(甲14号証,乙5号証)

クームス試験及び抗核抗体検査は,免疫異常をスクリーニングするための検査である。

2  主たる争点

(1)  被告病院の獣医師らには,諸検査により葉子が免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎に罹患していることを診断し,葉子に対し,初診時以降,少なくとも1日当たり8.6ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)すべき義務があったか。

(2)  被告病院の獣医師らには,葉子を,平成14年4月21日以降,日大病院等の高次医療機関に転送すべき義務があったか。

(3)  被告病院の獣医師らには,葉子に対し,平成14年5月1日以降,副腎皮質ステロイド剤の投与等をすべき義務があったか。

(4)  被告病院の獣医師らには,葉子に対し,平成14年5月1日以降,ヘパリンの投与等をすべき義務があったか。

(5)  被告病院の獣医師らには,原告に対し,初診時以降,葉子の疾患として「皮下脂肪織炎」の「疑い」があり,その原因として「免疫異常」が「考えられる」ことを説明すべき義務があったか。

(6)  被告病院の獣医師らには,原告に対し,平成14年4月29日以降,葉子が「ショック状態に陥ったこと」,「白血球数が異常値を示したこと」及び「肺炎を発症したこと」を説明すべき義務があったか。

(7)  被告丙山には,原告に対し,初診時,被告丙山が処方したプレドニゾロンが「ステロイド剤」であり,かつ,「副作用が強い」ことを説明すべき義務があったか。

(8)  葉子の後遺障害は,上記(1)ないし(7)の過失によって生じたものか。

(9)  原告の損害は幾らか。

3  争点に関する当事者の主張

(1)  被告病院の獣医師らには,葉子に対し,初診時以降,少なくとも1日当たり8.6ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)すべき義務があったか。

ア 原告の主張

被告病院の獣医師らは,葉子に対し,初診時以降,葉子が既に他の獣医師による治療を受けているにもかかわらず,本件出来物が治癒していないことや,ダックスフントに無菌性結節性皮下脂肪織炎が好発すること,本件出来物の発生部位等から,本件出来物の原因が,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎であると強く疑い,クームス試験,抗核抗体検査等を行って,葉子を免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎であると診断した上,少なくとも1日当たり8.6ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)すべきであった。

(ア) 被告丙山が免疫異常を疑わなかったこと

被告丙山は,初診時から,本件出来物の原因を,免疫異常によるものではなく,外傷性のものであると判断していた。

原告も,被告丙山から,初診時及び平成14年5月7日,本件出来物の原因について,「外傷性の出来物である」旨説明されており,免疫異常及び皮下脂肪織炎であるという説明は,全く受けていなかった。

なお,被告病院のカルテの初診時の欄には,「皮下脂肪織炎」という記載が存在するが,この文字は,後から書き加えられたものである。

葉子が日大病院を退院した後,原告が,被告丙山に対し,電話で葉子の病名を伝えた際にも,同人は,「そうでしたか,ダックスに多いんですよね。」と答えたにすぎず,免疫異常を疑っていた様子はなかった。

(イ) プレドニゾロンの処方について

被告丙山は,「本件出来物の原因について,初診時には,免疫異常による無菌性結節性皮下脂肪織炎の可能性と,感染症の可能性の双方が存在した。仮に,原因が感染症であった場合には,プレドニゾロンを処方してしまうと,葉子の免疫力が抑制され,感染症がさらに悪化する可能性があった。そのため,プレドニゾロンを少量(1日当たり1.25ミリグラム)処方し,皮下脂肪織炎をルールアウトすることにした。免疫異常に対するプレドニゾロンの処方は,通常より少なめでも,比例的な効果が期待できる。」旨主張し,供述している。

しかし,そもそも,被告丙山が,初診時に,プレドニゾロンを処方したような事実はない。

また,仮に,同人が,プレドニゾロンを処方していたとしても,それは,感染症に対する消炎目的で処方されたものにすぎない。

免疫抑制目的でプレドニゾロンを処方する場合には,犬の体重1キログラム当たり2ないし4ミリグラムを処方することが基準となるが,葉子の平成14年3月27日当時の体重は,4.3キログラムであったのであるから,葉子に対しては,最低でも,1日当たり8.6ミリグラムのプレドニゾロンの処方が必要であった。しかし,被告丙山が処方したと主張するプレドニゾロンの量は,葉子の体重1キログラム当たり0.3ミリグラム弱にすぎず,この程度の量では,到底,免疫異常には効果がない。

被告病院のカルテの初診時の欄に,「ダメならope」と記載されていることからしても,被告丙山は,本件出来物の原因を感染症と診断していたといえる。

(ウ) 入院時以降の判断について

葉子が被告病院に入院した後については,被告丙山自身も,本件出来物の原因について,免疫異常の疑いを切り捨て,感染によるものであると判断して治療をすすめていたことを認めている。

しかし,被告丙山が,初診時に処方したと供述するプレドニゾロンの量では,本件出来物の原因が免疫異常ではないと判断することは到底できなかったのであるから,被告丙山らが,入院時に,免疫異常の疑いを切り捨てたことは,それ自体,不適切な判断であった。

また,本件出来物の原因として感染症が疑われた場合でも,被告丙山ら被告病院の獣医師が,葉子の入院時に,速やかに菌の培養検査を行っていれば,早期に,本件出来物の原因が感染症である疑いが否定され,免疫異常に対して適切な治療が行われていたはずである。

イ 被告らの主張

被告病院の獣医師らが,葉子に対し,初診時以降,1日当たり8.6ミリグラムのプレドニゾロンを投与しなかったことは,過失とはいえない。

被告病院の獣医師らが,本件出来物の原因を,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎であると特定することは,極めて困難であり,不可能に近かった。

(ア) 初診時の判断について

本件出来物の原因として,初診時に疑われたのは,① 感染症,② 異物によるもの,③ 免疫異常によるもの,の3つであった。

本件と同種の症状を呈している症例のほとんどは,感染症によるものであったから,本件のような場合には,感染症による疾患を疑うことが,獣医師として,最も一般的な判断である。

また,葉子には,乳腺腫瘍を患って手術をした病歴があったため,その際に残された縫合糸等の異物が原因である可能性もあった。

一方,免疫異常は,極めてまれな病気であり,被告丙山が,獣医師として,15年間,1日平均100件ほどの診察をしていても,これまでに4,5件ほどしか遭遇していない。

しかし,被告丙山自身は,同症例に何度か遭遇した経験があったため,初診時,本件出来物の原因につき,上記①ないし③の3つの可能性のうち,免疫異常による無菌性結節性皮下脂肪織炎の可能性を,最も強く疑ったのである。

そして,被告丙山は,葉子につき,同疾患の治療薬であるプレドニゾロンを1日当たり1.25ミリグラム(最初の3日間は毎日,その後5日間は隔日)処方すると同時に,本件出来物の原因が感染症であった場合も考えて,タリビット等の抗生物質を併せて処方した。

(イ) プレドニゾロンの処方量について

被告丙山が初診時に処方したプレドニゾロンの量は,一般的に説明されている量の半分程度であった。

しかし,ステロイド剤であるプレドニゾロンは,副作用が激しい上,免疫抑制効果を有しているため,本件出来物の原因が感染症であった場合には,逆に,感染症を悪化させ,死に至らせてしまう危険がある。

そこで,被告丙山は,初診時,少量のプレドニゾロンを処方し,症状が改善していれば「免疫異常」と判断し,症状が悪化していれば「感染症」又は「異物」が原因であろうと判断することとしたのである(治療的診断)。

なお,プレドニゾロンは,少量を投与しても,比例的な効果を発生させる薬剤である。

(ウ) 入院後の治療について

原告が,葉子を連れて,再度(平成14年4月18日),被告病院を受診した際,葉子の症状はプレドニゾロンを処方されているにもかかわらず悪化していたことから,被告丙山は,本件出来物の原因が,感染症である可能性が高いと判断した。これは,獣医師として,一般的な判断である。

その後,被告病院の獣医師らは,葉子に抗生物質を投与し,それが効果を表さなければ抗生物質を変えるなどしながら,有効な抗生物質を探り出してゆく作業を行った。

なお,細菌培養検査を用いることもあるが,試験管内の作用と体内における作用は,必ずしも一致するとは限らないのであるから,同検査は決定的なものではない。

結局,本件出来物の原因は,入院時に選択肢の中から切り落とした「免疫異常」による疾患であったため,原因菌の特定はできなかった。

しかし,葉子の入院時に,免疫異常の可能性を切り落とした被告丙山の判断に落ち度はなかったのであるから,被告病院の獣医師らが,本件出来物の原因を特定できなかったとしても,それが,被告病院の獣医師らの落ち度であるとはいえない。

(エ) クームス試験等について

被告病院の獣医師は,葉子に対し,クームス試験及び抗核抗体検査を行っていない。

しかし,クームス試験は,一般的には,免疫異常を原因とする皮下脂肪織炎の診断に用いられる検査ではなく,自己免疫性溶血性貧血の確定診断のために用いられる検査である。

また,抗核抗体検査も,一般的には,リウマチ及び膠原病の診断に用いられる検査である。

さらに,これらの検査は,被告丙山が処方したプレドニゾロンによる治療的診断によっても,代替することが可能な検査である。

なお,日大病院には,独自の血液検査施設があるため,これらの検査を行ったものと考えられるが,被告病院が,外部検査機関に依頼してまでこれらの検査を行わなかったとしても,獣医師としての平均的な医療を下回るものではない。

(2)  被告病院の獣医師らには,葉子を,平成14年4月21日以降,日大病院等の高次医療機関に転送すべき義務があったか。

ア 原告の主張

被告病院の獣医師らは,葉子の入院中,本件出来物の原因を特定することができず,葉子の病状は悪化の一途をたどっていたのであるから,同獣医師らは,平成14年4月21日以降,葉子を日大病院等の高次医療機関へ転送するべきであった。

イ 被告らの主張

被告病院の獣医師らに,葉子を,初診時から1週間,入院時から4日目程度で,他院へ転送すべき義務はない。

(3)  被告病院の獣医師らには,葉子に対し,平成14年5月1日以降,副腎皮質ステロイド剤の投与等をすべき義務があったか。

ア 原告の主張

被告病院の獣医師らは,葉子に対し,平成14年5月1日以降,葉子に間質性肺炎が発症していると診断し,使用中の薬剤が原因と考えられるときには直ちに投与を中止し,唯一の有効な治療薬である副腎皮質ステロイド剤を投与し,急性の場合には,同剤を大量に投与するステロイドパルス療法をとるべきであった。

(ア) 間質性肺炎について

間質性肺炎とは,各種薬剤,ウイルス感染,細菌感染等を原因とする肺炎である。

肺炎では,咳,痰,呼吸困難,胸痛等の呼吸器症状や,発熱,全身倦怠感,食欲不振等の全身症状が現れる。また,間質性肺炎では,聴診上,粗い湿性ラ音が聴取され,血液検査では,白血球数が増加し,胸部X線写真上では,小結節状,網状陰影等を呈する。

(イ) 葉子の状態について

葉子は,入院時から発熱しており,平成14年4月19日には39.6度の発熱があり,食欲もなくぐったりとしており,同月28日には,内股の本件出来物が悪化し,同月29日には,40.8度の高熱を発し,瞳孔が散大して震戦を伴うショック状態に陥り,白血球数も正常値を超えていたのであるから,葉子は,平成14年4月29日には間質性肺炎が発症しており,同年5月1日には間質性肺炎と診断することが可能な状態であったといえる。

イ 被告らの主張

葉子の間質性肺炎は,5月8日に発症したものである。被告病院の獣医師らは,初診時から,葉子に対し,診察の際に必ず聴診器を当て,呼吸音を聴取していたが,5月8日に初めて,葉子に,呼吸様式の異常が認められた。

被告病院の獣医師は,同日,これを診断し,葉子を酸素テントに入れている。また,基礎疾患の除去のための治療も行っている。

なお,葉子が罹患した間質性肺炎の原因は,被告病院で投与された薬剤によるものではない。また,副腎皮質ステロイド剤の投与も,間質性肺炎に対する唯一の有効な手段ではない。

(4)  被告病院の獣医師らには,葉子に対し,平成14年5月1日以降,ヘパリンの投与等をすべき義務があったか。

ア 原告の主張

葉子は,平成14年4月29日ころ,DICを発症し,同年5月1日ころにはその診断が可能になっていたというべきである。したがって,被告病院の獣医師らは,葉子に対し,同日以降,葉子がDICを発症していると診断し,基礎疾患である免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎に対する治療を行うとともに,適切な薬剤を適切な量投与し,輸液,輸血及びヘパリンの投与をおこなうべきであった。

(ア) DICについて

DICは,基礎疾患が引き金となり,全身のいたるところの微細血管にフィブリン血栓が作られ,血中のフィブリノゲンその他の血液凝固因子が減少するため,一方では血栓形成による症状がみられ,他方では出血性素因(出血)が出現する病態をいう。

血管内皮の損傷を伴う病気であれば,どのような病気でもDICの誘因となるが,一般的な誘因としては,感染症,ショック等がある。

(イ) 葉子の状態について

上記(3),ア,(イ)の葉子の状態からすれば,葉子は,遅くとも平成14年5月1日には,DICと診断することが可能な状態であったといえる。

イ 被告らの主張

葉子にDICが発症したのは,平成14年5月9日以降である。同日以前には,葉子に,出血性素因や急激な貧血症状などは認められていなかった。

したがって,葉子に対し,DICの治療であるヘパリンの投与は行っていない。

なお,動物にDICが発症した場合には,これを見逃せば,数日で重篤な状態に陥り,死亡するのが一般的であるから,同年4月29日ころにDICが発症していたはずはない。

また,「輸液」は,葉子に対して,点滴注射により,継続して行われており,「輸血」は,血液バンクの存在しない動物医療においては,一般的ではなかった。

(5)  被告病院の獣医師らには,原告に対し,初診時以降,葉子の疾患として「皮下脂肪織炎」の「疑い」があり,その原因として「免疫異常」が「考えられる」ことを説明すべき義務があったか。

ア 原告の主張

被告病院の獣医師らは,原告に対し,初診時以降,葉子の疾患として「皮下脂肪織炎」の「疑い」があり,その原因として「免疫異常」が「考えられる」ことを説明すべきであった。

イ 被告らの主張

原告の主張は,争う。被告病院の獣医師らには,飼い主に対し,初診の段階で,可能性のあるすべての原因について説明しなければならない義務はない。

(6)  被告病院の獣医師らには,原告に対し,平成14年4月29日以降,葉子が「ショック状態に陥ったこと」,「白血球数が異常値を示したこと」及び「肺炎を発症したこと」を説明すべき義務があったか。

ア 原告の主張

被告病院の獣医師らは,原告に対し,平成14年4月29日以降,葉子が「ショック状態に陥ったこと」,「白血球数が異常値を示したこと」及び「肺炎を発症したこと」を説明すべきであった。

イ 被告らの主張

葉子は,平成14年4月29日には,ショック状態には陥っていない。

なお,葉子に,同日,瞳孔散大がみられたことについては,葉子にてんかんの気があることとの関連が疑われる。また,震戦は,動物病院を訪れる多くの個体にみられる症状である。

さらに,葉子が肺炎を発症したのは,同年5月8日であり,被告病院の獣医師は,同日,原告に対し,その旨の説明をしている。

白血球数の点についても,説明義務違反はない。

(7)  被告丙山には,原告に対し,初診時,被告丙山が処方したプレドニゾロンが「ステロイド剤」であり,かつ,「副作用が強い」ことを説明すべき義務があったか。

ア 原告の主張

被告丙山は,原告に対し,初診時,被告丙山が処方したプレドニゾロンが「ステロイド剤」であり,かつ,「副作用が強い」ことを説明すべきであった。

イ 被告らの主張

被告丙山は,初診時に処方した薬剤につき,「消炎剤と抗生剤」であることの説明をしており,これ以上の説明義務が存在するとは考えられない。

(8)  葉子の後遺障害は,上記(1)ないし(7)の過失によって生じたものか。

ア 原告の主張

被告病院の獣医師らが,3週間にわたって,本件出来物の原因を特定できず,不適切な診療を行ったことにより,葉子は,右前足を引きずるようになった。これは,被告病院に入院中,ずっと葉子の右前足に点滴の針が刺されていたためである。

また,葉子は,神経質な性格であったから,被告病院に長期間入院させられ,被告病院の獣医師らから,様々な侵害を受けたために,現在,声がかれるまで吠え続けるようになった。

さらに,現在,葉子には,プレドニゾロンの副作用で,異常に水分を摂取する,異常な食欲がある,多量の尿を排出する,常に体温が高い,肝臓機能に問題がある,度々体調を崩す,皮膚が乾燥する,毛が抜ける,フケが出る,及び,白内障が早く進むという各障害が現れている。しかし,被告病院の獣医師らが,適切な治療を行っていれば,葉子に必要であったプレドニゾロンの量は,より少量であったから,上記障害は現れていなかった可能性が高い。

原告及び原告代理人は,日大病院の獣医師から,被告病院の初診時にプレドニゾロンが投与されていれば,プレドニゾロンの量はより少量で済み,通院によって治療することもできたと言われている。

イ 被告らの主張

葉子が,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎であれば,葉子は,ステロイド剤を使用し続けなければならない。

したがって,葉子に,原告が主張するような後遺障害が残っていたとしても,それは,ステロイド剤を使用した結果であり,本件出来物の原因の特定が早かったか遅かったかにはかかわらないものであるといえる。

その他の後遺障害の主張についても,理由がない。

(9)  原告の損害は幾らか。

ア 原告の主張

原告は,被告病院の獣医師らの上記各過失により,以下のとおり,合計431万1299円の損害を被った。

(ア)

葉子が被告病院に入院していた間の

見舞いのためのガソリン代及び高速料金

8万5374円

a 高速料金 往復2600円×18日分

b ガソリン代 55.1キロメートル,2143円×18日分

c 合計 8万5374円

(イ)

葉子が被告病院に入院していた間の

見舞いのために宿泊したホテル代

8万0498円

(ウ)

夜間救急医療センターの入院費

4万7523円

(エ)

葉子の日大病院における治療費

63万8910円

(オ)

葉子が日大病院に入院していた間の見舞い及び

その後の通院のためのガソリン代,高速料金

6万6994円

a 高速料金 往復800円×38日分

b ガソリン代 24.8キロメートル,963円×38日分

c 合計 6万6994円

(カ)

慰謝料

300万0000円

(キ)

弁護士費用

39万2000円

イ 被告らの主張

損害については争う。

第3  争点に関する判断

1  前提となる事実経過

上記争いのない事実等,下記の各項中に掲記した各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)  葉子の体重

葉子の初診時における体重は,約4.2キログラムであった。(甲12号証の3,原告本人尋問の結果)

(2)  初診時の問診

被告丙山は,原告から,初診時である平成14年4月14日,葉子に,同年3月ころから本件出来物ができ,近くの動物病院を受診したものの,菌が検出されず,病名も分からず,抗生物質を投与しても本件出来物が治癒しなかったという経過を聴いていた。(甲12号証の1,原告本人尋問の結果,被告丙山本人尋問の結果)

(3)  プレドニゾロンの処方

被告丙山は,平成14年4月14日の初診時,本件出来物の原因について,無菌性結節性皮下脂肪織炎を疑い,原告に対し,葉子の治療につき,プレドニゾロン1.25ミリグラムを1日1回3日分,1日おき1回5日分,合計14日分処方した。(乙2号証の2)

(4)  プレドニゾロンの服用

原告は,葉子に対し,上記(3)のプレドニゾロンを,被告丙山の処方どおり服用させた。(原告本人尋問の結果)

(5)  プレドニゾロンの適正量

無菌性結節性皮下脂肪織炎の治療において処方(投与)されるプレドニゾロンの標準的な量は,体重1キログラム当たり1日1ないし4ミリグラム程度であるから,約4.2キログラムの葉子の場合,1日約4.2ミリグラムないし約16.8ミリグラム(ただし,長期投与の場合は体重1キログラム当たり1日0.5ミリグラムないし2ミリグラム,すなわち,葉子の場合には1日約2.1ミリグラムないし約8.4ミリグラム)が標準的な量になる。(甲8号証,乙3号証)

(6)  原告の支出した費用

原告は,以下の費用を支出した。

葉子の日大病院における治療費(甲5号証の1ないし26)

(ア) 入院期間中の治療費1(平成14年5月10日ないし同月17日)

15万8460円

(イ) 入院期間中の治療費2(平成15年6月23日ないし同月30日)

10万7900円

(ウ) 通院期間中の治療費(平成14年6月3日ないし平成15年9月5日)

37万2550円

横浜プリンスホテルの宿泊代

(甲6号証,平成14年4月23日から同月27日まで4泊5日,ルームサービス代等含む)

8万0498円

夜間救急動物医療センターの治療費(甲7号証,平成14年5月9日及び10日)

4万7523円

2  争点(1)及び(2)(無菌性結節性皮下脂肪織炎にかかる過失〔プレドニゾロンの投与,高次医療機関への転送義務〕)について

原告は,被告病院の獣医師らが,葉子に対し,初診時以降,少なくとも1日当たり8.6ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)すべきであったと主張し,また,平成14年4月21日以降,葉子を,日大病院等の高次医療機関に転送すべきであったと主張している。

そこで,以下,これらの点について検討する。

(1)  本件出来物の原因に関する初診時の情報について

前記第2,1,(10)のとおり,本件出来物の原因であった無菌性結節性皮下脂肪織炎は,ダックスフントに好発する皮下脂肪の非感染性炎症疾患であり,真皮から皮下脂肪織に至る結節(常色又は暗紫色,弾性軟,ろう管からやや光沢のある血液の混じった油性滲出物が見られる)を特徴としているほか,発熱等の全身症状を呈することもある疾患である。

そこで,このような無菌性結節性皮下脂肪織炎の特徴等を前提に,葉子の初診時の所見について検討するに,前記第2,1,(3)のとおり,本件出来物は,葉子の右肩及び内股に筋間より発生していると思われる皮下膿瘍であり,その初診時における客観的な状態は,本件出来物からじゅくじゅくとした液が出てきたという状態であって,上記のような無菌性結節性皮下脂肪織炎の臨床症状と一致していること,葉子の犬種は,無菌性結節性皮下脂肪織炎が好発するといわれているダックスフントであること,以上に加え,被告丙山が,初診時に,原告から,「葉子は,既に,何人かの獣医師による診療を受けたが,菌は検出されず,抗生物質の投与も奏功しなかった。」旨聴いていたこと等を総合すれば,被告丙山は,初診時に,本件出来物の原因として,無菌性結節性皮下脂肪織炎である可能性が有力であることを,十分認識し得たといえる。

なお,仮に,本件出来物の原因が,無菌性結節性皮下脂肪織炎であった場合には,その原因としては,免疫異常が疑われる状況であったといえる(被告丙山本人尋問の結果)。

しかし,被告丙山が,「初診時には,本件出来物の原因として,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎が疑われたが,本件出来物の原因が,細菌による感染症である可能性や,異物である可能性もあった。」旨供述しているとおり,本件出来物の原因が,無菌性結節性皮下脂肪織炎であると診断するためには,前記第2,1,(10)のとおり,膿皮症,真菌症等の感染性疾患,異物による疾患,腫瘍等と鑑別することが必要であるため,被告病院において,細菌培養検査等によって本件出来物が無菌であることを確認する等の作業が必要であったと考えられるから,本件では,初診時の情報だけで,本件出来物の原因が本件免疫疾患であると診断することができたとは認められない。

したがって,葉子の初診時における所見では,本件出来物については,免疫異常を原因とする無菌性結節性皮下脂肪織炎である可能性が疑われたものの,感染性疾患等との鑑別がされていない状況であったことを考慮すると,膿皮症等の細菌感染症である可能性や異物による疾患である可能性も,それぞれ一定程度存在していると判断される状況にあったと認められる。

(2)  初診時におけるプレドニゾロンの処方(投与)の必要性について

原告は,被告丙山が,早ければ初診時にも,葉子に対し,適正量のプレドニゾロンを処方(投与)すべきであったと主張する。

しかし,本件初診時においては,葉子が膿皮症等の細菌感染症に罹患していた可能性も一定程度認められており,かつ,無菌性結節性皮下脂肪織炎の治療薬であるプレドニゾロンは,それ自体,免疫抑制作用を持っており,仮に感染症に罹患している動物に投与されれば,感染症を悪化させてしまう可能性を有していたのであるから,被告丙山が,初診時の段階で,葉子に対し,1日当たり適正量である約4.2ないし約16.8ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)しなかったとしても,そのこと自体が,直ちに過失にあたるとは認められない。

(3)  初診時におけるクームス試験等の必要性について

原告は,被告丙山が,早ければ初診時にも,葉子に対し,クームス試験,抗核抗体検査等のスクリーニング検査を行うべきであったと主張する。

しかし,本件においては,クームス試験及び抗核抗体検査が,無菌性結節性皮下脂肪織炎を診断するために,一般的に用いられている検査である旨記載されている医学的,獣医学的文献は,何ら提出されておらず,日大病院における葉子の無菌性結節性皮下脂肪織炎に関する診断も,基本的には,犬種,日大病院に入院するまでの病状や治療の経過,発生部位等によって行われていると考えられるのであるから,少なくとも,クームス試験及び抗核抗体検査が,無菌性結節性皮下脂肪織炎の鑑別のために,一般的に用いられている検査であるとは認められない。

したがって,被告丙山が,初診の時点で,これらの検査を行わなかったとしても,それが,直ちに,過失に当たるとは認められない。

(4)  細菌培養検査の実施時期について

上記(2)及び(3)のとおり,少なくとも初診の時点では,被告丙山に,直ちにクームス試験,抗核抗体検査等を行うべき義務や,適正量のプレドニゾロンを投与すべき義務があったと認めることはできない。

しかし,被告丙山は,原告から,初診時に,葉子が,既に,何人かの獣医師の診療を受けているにもかかわらず,本件出来物の原因が解明できず,菌の検出もされず,抗生物質の投与による効果も現れず,そのために,わざわざ自宅から離れた被告病院を受診したという経緯を聴いていたのであるから,被告丙山には,本件出来物の治療に関して,できるだけ早期に原因を解明するように努力すべき注意義務があったというべきである。

なお,被告丙山は,本件出来物の原因解明のための手順について,「初診時に,葉子に対し,少量のプレドニゾロンを処方し,葉子の症状が改善していれば「免疫異常」と判断し,症状が悪化していれば「感染症」又は「異物」が原因であろうと判断することとした(診断的治療)。プレドニゾロンは,少量を投与しても,比例的な効果を発生させる薬剤である。」旨供述している。

しかし,本件では,1日1.25ミリグラムという適正量の下限の30パーセント程度のプレドニゾロンを処方しているところ,このような量を処方することが,無菌性結節性皮下脂肪織炎の治療において比例的な効果をもたらす旨記載されている医学的,獣医学的な文献は何ら提出されておらず(乙9号証の記載は,上記意味の記載とは認められず,かえって,投与量により薬効が異なり,自己抗体に対する産生抑制作用や抗炎症作用は,一定量以上の投与があって始めて発揮されることを示唆している。),一般には免疫抑制を目的としてプレドニゾロンが投与される場合には,長期間の投与の場合であっても1日1キログラム当たり0.5ミリグラムないし2ミリグラム,葉子に引き直すと1日2.1ミリグラムないし8.4ミリグラムの投与が必要とされていること,また,被告が主張する,いわゆる「診断的治療」という検査方法についても,このような検査方法が記載されている文献等は,本件において何ら提出されていないことを考慮すると,被告丙山が,若干量のプレドニゾロンを処方することによって行ったいわゆる「診断的治療」は,無菌性結節性皮下脂肪織炎のスクリーニング検査として十分な精度を持った検査法であったとは認められず,同検査は,検査方法としては不十分なものであったと考えざるを得ない。

そして,本件においては,本件出来物の原因が,細菌による感染症によるものであったにせよ,無菌性結節性皮下脂肪織炎によるものであったにせよ,できるだけ早期に細菌培養検査を行って細菌の有無を確認し,仮に細菌が検出されたのであれば,薬剤感受性検査等を行って有効な抗生物質を探り出す等の作業を行う必要があったのであるから,被告丙山は,初診時,葉子に対し,プレドニゾロンや抗生物質等の処方と併行して,細菌による感染症及び無菌性結節性皮下脂肪織炎の診断又は否定のために,細菌培養検査を実施することが望ましかったといえ,遅くとも,葉子に対するプレドニゾロンの少量処方が効果を示さず,かつ,葉子に発熱がみられ,被告病院に再入院した平成14年4月18日ころには,本件出来物につき,細菌培養検査を行うべき注意義務を負っていたといえる。

(5)  細菌培養検査の費用について

被告丙山は,本件において,平成14年4月23日まで細菌培養検査を行わなかった理由につき,「細菌培養検査にも,一つ一つ費用がかかり,それをそのまま患者に請求することはできないので,抗生物質をいくつか投与してみて,効果がなければ次にはこうするという方法をとった」旨供述している。

ところで,獣医師が,飼育動物の診療に当たる際には,少なくとも飼い主(所有者)が望んでいる範囲内において,最善の治療を行うべき注意義務を負っているというべきである。

確かに,獣医師が,飼い主が望まないような高額な検査や治療を多数行ったとすれば,そのような行為が望ましくないことはいうまでもない。

しかし,原告は,葉子の治療のために,何軒もの獣医師にかかったあげく,わざわざ,自宅から離れた被告病院を受診し,被告病院の近くのホテルに宿泊してまで,入院中の葉子を見舞っていたくらいであるから,被告丙山が,仮に,原告に対し,費用が高額になるが葉子に対して細菌培養検査を行った方が望ましい旨を十分説明していたのであれば,原告は,葉子について細菌培養検査を実施することを希望する旨回答していた高度の蓋然性があったというべきである。

以上のとおりであるから,被告丙山が供述するような上記理由は,細菌培養検査の実施が遅れたことを正当化する理由にはなり得ないというべきである。

(6)  被告病院における治療について

以上のとおり,被告丙山には,遅くとも,平成14年4月18日ころまでに,葉子に対し,細菌培養検査を行うべき注意義務があったといえる。

そして,そのようにして行われた細菌培養検査の結果(被告病院が同検査を外部機関に依頼した場合には,約4日程度で検査結果が帰ってくるものと考えられる。),本件出来物が無菌であること,すなわち細菌感染に由来するものではないことが確認された場合には,被告病院の獣医師らは,本件出来物の客観的状態,葉子の犬種,他の動物病院では細菌が検出されておらず,抗生物質の投与も効果を現していなかったこと,被告丙山が初診時に行ったプレドニゾロンの少量処方による,いわゆる「診断的治療」では,無菌性結節性皮下脂肪織炎を十分にスクリーニングすることはできなかったこと等の諸事情を考慮して,本件出来物の原因が無菌性結節性皮下脂肪織炎であると疑うべきであり,その時点で無菌性結節性皮下脂肪織炎と診断することが可能であれば,葉子に対し,1日当たり少なくとも4.2ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)すべきであったといえるし,また,その診断ができない状況であれば,クームス試験や抗核抗体検査等によって免疫異常の確定診断を行うことができる日大病院等の高次医療機関に,葉子を直ちに転医させるべきであったといえる。

また,仮に,細菌培養検査が行われた結果,何らかの細菌が検出されたとしても,薬剤感受性検査によって同細菌に有効であるとされた抗生物質が一定期間投与されたにもかかわらず,その効果が現れないような場合には,被告病院の獣医師らは,その時点で,上記のような諸事情を勘案して,再度,無菌性結節性皮下脂肪織炎の可能性を強く疑い,上記のような処置をとるべき義務があったといえる。

したがって,結局のところ,被告丙山ら被告病院の獣医師は,平成14年4月27日に多剤耐性の大腸菌と推認される菌が検出されてから相当期間が経過し,本件出来物の治療につき,遅くとも,葉子が40℃を超える高熱を発し,白血球数が異常数値を示した平成14年5月1日ころまでには,葉子に対し,1日当たり少なくとも4.2ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)するか,又は,葉子を日大病院等の高次医療機関へ転院させるべき注意義務を負っていたというべきである。

しかるに,被告病院の獣医師らには,これらの義務を怠り,同年5月9日の退院時まで,葉子に対し,漫然と感染症に対する治療のみを行い,適正量のプレドニゾロンを投与せず,かつ,日大病院等の高次医療機関へ転医させなかった過失がある(以下「本件過失」という。)。

(7)  肺炎及びDICとの因果関係について

葉子は,上記(6)のとおり,平成14年5月1日ころからプレドニゾロンを適正量投与されていれば,同月9日の時点で病状が軽快して被告病院を退院しえたと推認できるところ,被告病院の獣医師らの本件過失により,結局,日大病院に同月10日から同月17日まで8日間入院せざるを得なかったものであり,その期間葉子の入院が長引いたものと認められる。

また,葉子は,遅くとも平成14年5月8日には間質性肺炎を,また,同月10日にはDICを発症しているところ,上記のような治療の遅れや,入院期間の長期化が起こった場合に,葉子の全身状態が悪化し,その結果,間質性肺炎に罹患し,同肺炎が原因でDICの発症に至ることも,一般的には起こり得ることであると考えられるのであるから,被告病院の獣医師らの本件過失と,間質性肺炎及びDICの発症との間には,相当因果関係が存在すると認められる。

(8)  まとめ

以上のとおり,被告丙山ら被告病院の獣医師には,遅くとも平成14年5月1日ころまでに,葉子に対し,1日当たり少なくとも4.2ミリグラムのプレドニゾロンを処方(投与)するか,又は,日大病院等の高次医療機関に転医させるべき注意義務があったにもかかわらず,これらの注意義務を怠り,葉子の入院を,約1週間長引かせるとともに,葉子に間質性肺炎及びDICを発症させたといえる。

3  争点(3)及び(4)(間質性肺炎及びDICに対する治療義務)について

葉子が,被告病院の獣医師らの過失により,間質性肺炎及びDICを発症したことは,上記2,(7)で判断したとおりである。

被告病院の獣医師らは,葉子が被告病院に入院している期間中,間質性肺炎及びDICについて,一応の治療をしており,この点で過失があるとまでは言い難いが,間質性肺炎及びDICの発症自体の責任は負わざるを得ないものである。

4  争点(5)ないし(7)(説明義務)について

原告は,被告病院の獣医師らによる説明義務違反が,診療契約における債務不履行であり,又は,人格権侵害による不法行為(説明義務違反と,葉子の入院の長期化等との間に因果関係がある旨の主張はないため,このように解される。)である旨主張する。

しかし,被告病院の獣医師らが,原告に対し,葉子の疾患として「皮下脂肪織炎」の「疑い」があり,その原因として「免疫異常」が「考えられる」ことを説明すべきであったとする点は,被告病院の獣医師らが,本件出来物の原因として考えられるいくつもの可能性のうち,そのうちの一つについて,殊更に説明しなければならない診療契約上の義務を負っていることを前提とするところ,被告病院の獣医師がそのような義務まで負っていたと認めることはできず,また,同説明を行わなかったことが,原告に対する人格権侵害に当たるとも認められない。

また,被告病院の獣医師らが,原告に対し,平成14年4月29日以降,葉子が「ショック状態に陥ったこと」,「白血球数が異常値を示したこと」及び「肺炎を発症したこと」を説明すべきであったとする点についても,葉子が,同日,「ショック状態に陥っていた」という事実が,獣医学文献等の証拠に基づいて証明されたとはいえず,また,葉子が,同年5月8日以前に肺炎を発症したと認めることもできない(原告は,同年4月29日ころには,葉子が間質性肺炎を発症していたと主張するが,本件で提出されている医学的,獣医学的文献を精査しても,原告が主張する発熱等の各症状があったからといって,必ずしも肺炎と診断できるのかどうかは判然とせず,しかも,被告丙山は,同年5月8日まで,葉子に対する聴診の際,肺炎に特有の湿性ラ音を聴取していないと供述しているのであるから,原告が主張するような事情のみをもって,同年4月29日ころに間質性肺炎が発症したと認めることはできない。)のであるから,これらの点について説明義務違反を認めることはできない。

また,白血球の数値についても,そのような点まで細かく説明する義務があるとは認め難い。

さらに,原告が,初診時,被告丙山が処方したプレドニゾロンが「ステロイド剤」であり,かつ,「副作用が強い」ことを説明すべきであったとする点についても,本件では,被告丙山によって処方されたプレドニゾロンは,適正量の30パーセント以下であり,そもそも免疫抑制機能を発揮できるほどの量が投与されたのかについては疑問が存したから,原告が主張するような説明義務があったとまでは認め難い。

したがって,原告が主張する説明義務違反は,いずれも理由がない。

5  争点(8)及び(9)(葉子の後遺障害との因果関係及び損害)について

(1)  夜間救急動物医療センターの入院費

被告病院の獣医師らによる本件過失がなかったとすれば,葉子は,平成14年5月9日及び10日の時点で,間質性肺炎及びDICになることはなかったと考えられる。

したがって,夜間救急動物医療センターの入院費4万7523円は,本件過失と相当因果関係のある損害であると認められる。

(2)  日大病院における治療費

ア 葉子は,初診時に,既に,無菌性結節性皮下脂肪織炎に罹患していたのであるから,原告は,もともと,同疾患の治療に伴い,一定の治療費を支出することは避けられなかったといえる。

したがって,本件過失によって生じたといえる治療費(損害)は,もともと無菌性結節性皮下脂肪織炎を治療するために必要であった治療費以上に,本件過失によって必要となった治療費であるというべきである。

これを,まず,被告病院における治療費についてみると,同病院における治療の多くは,細菌による感染症に対するものであったから,それらの大部分は,無菌性結節性皮下脂肪織炎の治療に必要な費用ではなかったと認められる。しかし,これらの治療費については,既に,被告病院によって支払を免除されているため,損害は発生していない。

一方,日大病院の治療費の中には,クームス試験や抗核抗体検査の費用,プレドニゾロン投与の費用等,無菌性結節性皮下脂肪織炎の治療のために不可欠であった治療費が含まれているのであるから,日大病院における治療費については,その全額が,本件過失と相当因果関係を有する損害とは認め難い。

本件過失と相当因果関係のある損害は,平成14年5月10日ないし同月17日における日大病院の入院治療費については,クームス試験や抗核抗体検査の費用を考慮し,そのうちの3分の2である10万5640円と認めるべきである。

平成14年6月3日以降の通院治療費については,プレドニゾロンの処方自体が,葉子が無菌性結節性皮下脂肪織炎である以上,もともと継続して行わなければならなかった治療であること等からして,本件過失と相当因果関係のある損害とは認められない。

また,平成15年6月23日ないし同月30日の入院治療費についても,本件過失との間の因果関係について,十分な証明があったとはいえない。

イ 以上のとおりであるから,日大病院の治療費については,10万5640円を損害と認めるべきである。

(3)  被告病院入院中の見舞いのための交通費

本件過失により,葉子の入院期間は,約1週間長引いているが,原告は,被告丙山から,平成14年4月18日,少なくとも「葉子の入院中,できるだけ付き添っていてほしい」旨指示されているところ,本件では,必ずしも,毎日被告病院を訪れるよう指示されたとは認められないものの,入院中の葉子を見舞うために支出された交通費のうち,2万円については,本件過失と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。(甲11号証,甲22号証)

(4)  被告病院入院中の見舞いのために宿泊したホテル代

一般的に,犬の飼い主が,入院している飼い犬を見舞うため,ホテルに4泊もするとは考えがたいのであるから,原告が,被告病院入院中の葉子を見舞うために宿泊したホテルの代金については,本件過失から一般的に生じ得る損害であるとは認めがたく,同ホテル代は,本件過失と相当因果関係を有する損害であるとは認められない。

(5)  日大病院入院中の見舞いのための交通費及び同病院通院のための交通費

上記(2)で示したとおり,本件では,日大病院において受けた治療に関する治療費のすべてが,本件過失と相当因果関係を有する損害とはいえない以上,交通費についても,本件過失と相当因果関係を有する損害としては,平成14年5月10日ないし17日の入院中の見舞い交通費のうち,1万円と認めるのが相当である。(甲11号証,甲22号証)

(6)  慰謝料

被告病院の獣医師らは,本件過失により,葉子の入院期間を約1週間長引かせるとともに,葉子に間質性肺炎及びDICを発症させ,それに伴い,葉子を,一時期,生死が危ぶまれるような状態にしている。

また,原告は,本件出来物に関する葉子の治療に関して,何軒もの動物病院を回ったあげく,わざわざ自宅から離れた被告病院を受診し,さらに,被告病院に入院中の葉子を見舞うため,被告病院の近くのホテルにまで宿泊しているのであり,原告が,本件以前にも,葉子に乳腺腫瘍の摘出手術を受けさせていること等の事実を考え合わせれば,原告は,葉子に対して,相当に強い愛着を持っていたものと認められる。

したがって,原告は,被告病院の獣医師らによる本件過失により,精神的損害を被っているものと認められる。

しかし,飼育動物の死傷に関する慰謝料については,一般に,人間の死傷と同等の金額を認めることはできない。

また,本件の場合には,一時期,葉子が,生死も危ぶまれるような状態になったとはいえ,基本的な過失の内容は,葉子の入院を約1週間長引かせたというものにすぎない。

さらに,被告丙山も,原告方を訪れた上,十分に謝罪を行っていることが認められる。(甲9号証の1,2)

加えて,本件出来物の原因が無菌性結節性皮下脂肪織炎であることについては,被告病院以前の動物病院でも原因が分からなかったように,これを解明することは,決して簡単なことではなかったというべきであるから,この点では被告らに宥恕すべき事由があると評価することができる。

なお,原告は,被告病院において葉子の右前足に長期間点滴がされていたために,葉子が右前足を引きずるようになってしまったと主張し,また,被告病院への入院後,ストレスにより,葉子が絶え間なく吠えるようになってしまったと主張しているが,本件では,これらの点に関して,獣医学的な根拠に基づいた立証が行われたとはいえない。

これらの諸事情を考慮すれば,本件過失によって原告が被った精神的損害に対する慰謝料としては,20万円が相当である。

(7)  弁護士費用

本件の事案その他の諸般の事情を考慮すると,弁護士費用相当の損害としては,4万円と認めるのが相当である。

(8)  被告らの責任について

上記(1)ないし(7)の各損害は,葉子を診察した被告病院の獣医師らによる本件過失によって生じたものであるところ,被告丙山は,初診時及び入院時に葉子を診察しており,同人の診察とその後の他獣医師による診察とは,共同行為にあたるというべきであるから,被告丙山は,上記(1)ないし(7)の各損害について,共同不法行為責任を負うといえる。

また,被告病院は,被告丙山ら被告病院の獣医師による本件過失により生じた上記(1)ないし(7)の各損害につき,不法行為の使用者責任を負うといえる。

第4  結論

よって,原告らの請求は,主文の限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないから棄却することとして,主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 小林正 裁判官 髙倉文彦 裁判官庄司芳男は,転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 小林正)

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