横浜地方裁判所 平成16年(ワ)404号 判決 2006年1月26日
原告
X
同訴訟代理人弁護士
大川隆司
同
勝山勝弘
被告
Y
同訴訟代理人弁護士
白石光征
被告補助参加人
Z1
被告補助参加人
Z2
被告補助参加人
Z3
主文
1 被告は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成15年1月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とし,補助参加によって生じた費用は補助参加人らの負担とする。
3 この判決は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
主文と同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,被告その他の労働者とともに使用者である株式会社日立製作所(以下「日立製作所」という。)に対し差別による賃金減額分の支払,差別の是正等を求めて日立神奈川争議団を結成し,その後日立製作所との間で和解が成立して,日立神奈川争議団の団長である被告が日立製作所から解決金を受領したので,被告に対し,その一部の支払を求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実又は<証拠略>により認められる事実)
(1) 原告は,昭和43年,日立製作所と雇用契約を締結し,旧小田原工場勤務となった。被告は,昭和36年,日立製作所と雇用契約を締結し,旧横浜工場勤務等を経て,平成15年3月に定年退職した。
(2)ア 日立製作所の神奈川県内にある事業所に勤務する原告,被告補助参加人Z2,E及びFの4名(以下「原告ら4名」という。)は,平成4年3月3日,東京都内の事業所に勤務する5名の女性とともに,日立製作所に対し,賃金,等級格付等で男女差別を受けていると主張して,差額賃金の支払等を求める訴えを東京地方裁判所に提起した。
イ 日立製作所の神奈川県内にある事業所に勤務する被告,G,H,被告補助参加人Z3及び被告補助参加人Z1の5名(以下「被告ら5名」という。)は,同年10月19日,日立製作所を相手方として,不当労働行為(組合活動を理由とする賃金,等級格付等の差別)に対する救済命令を神奈川県地方労働委員会に申し立てた。
(3)ア 原告ら4名及び被告ら5名の合計9名は,平成6年8月,日立神奈川争議団として行動することを確認し,平成8年1月24日,Gがその団長に就任した。
イ Gは,平成11年1月に日立神奈川争議団の団長を辞任し,被告が団長に就任した。
ウ Iは,平成12年4月25日,日立製作所を相手方として,被告ら5名と同様の救済命令を神奈川県地方労働委員会に申し立てて,日立神奈川争議団に加入した。
エ Gは,平成13年11月に日立神奈川争議団を脱退した。その結果,日立神奈川争議団の構成員は,原告ら4名,被告ら5名のうちGを除く4名及びIの合計9名(以下「原告及び被告ら9名」という。)となった。
(4)ア 原告及び被告ら9名並びにその余の9名の労働者(以下「当事者以外の9名」という。)の合計18名は,平成14年2月,日立製作所との争議につき中央労働委員会において和解協議を開始した。
イ 日立製作所は,同年7月29日,中央労働委員会において,申立人ら代表としての被告との間で,解決金1億4000万円の支払等を合意した。日立製作所は,同年8月19日までに,申立人ら代理人のJ弁護士(以下「J弁護士」という。)に解決金1億4000万円(以下「本件解決金」という。)を支払った。
(5) 原告は,平成14年11月24日付けで,被告に対し,日立神奈川争議団からの脱退届を提出した。
(6) J弁護士は,平成15年1月29日,被告に対し,日立製作所から受領した1億4000万円から弁護士費用1820万円及び立替金30万円を控除した1億2150万円を支払った。被告は,この1億2150万円を保管している。
2 原告の主張
(1) 本件解決金は,賃金差別に関する紛争の当事者である原告及び被告ら9名に対する差額賃金の支払であってその個々人に帰属し,原告及び被告ら9名による準共有である。そして,原告及び被告ら9名のうち被告を除く8名の被告に対する本件解決金に係る保管金引渡請求権は,分割債権である。したがって,原告は,被告に対し,本件解決金の9分の1に相当する金額の請求権がある。
(2) 本件の争議解決に要した経費は,J弁護士の弁護士費用1820万円及び立替金30万円のほか,借入金及び当事者の立替金420万円,総括費用280万円,報告集会費用700万円並びに当事者以外の9名に対する金一封620万円の合計2020万円(以上の総計3870万円)を超えることはない。
(3) よって,原告は,被告に対し,本件解決金に係る被告の保管金1億2150万円から上記(2)の経費2020万円を控除した1億0130万円の9分の1に相当する1125万円余の一部1100万円及びこれに対する被告が受領した日の翌日である平成15年1月30日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張に対する反論)
(4) 被告の主張(2)ウの配分決定について
被告は,平成17年4月8日に本件解決金の配分を決定したと主張する。
しかし,原告は,被告主張の配分決定に参加していないし,同意もしていないから,上記配分決定は,原告に対する拘束力はない。なお,原告が日立神奈川争議団の団会議に参加しなかったのは,被告らが,原告に対し,諸経費の支出につき具体的な内容を何ら報告せずに包括的な同意を求めるとの理不尽な要求をしたからであり,原告が本件解決金の配分に関する同意権を放棄したわけではない。
そして,原告とその余の8名の間で本件解決金の配分につき合意が成立する余地はないから,原告は,本件解決金から経費を控除した金額の9分の1に相当する金額を請求することができる。
(5) 日立神奈川争議団の法的性格について
ア 被告は,日立神奈川争議団が権利能力なき社団であると主張する。
しかし,日立神奈川争議団は,賃金の男女差別事件等の各当事者が勝利を目的として相互協力の趣旨で一時的に集合したものであり,当初は規約(団則)すらなかった。平成11年以降に団則が作成されたが,これは,構成員間に意見の対立があったので団結強化のための精神条項を定めたにすぎず,代表の選出方法,総会の運営方法,財産の管理についての定めはない。したがって,日立神奈川争議団は,権利能力なき社団に当たらない。
なお,被告は,本件の争議解決後,団則の改正を提案したが,これは本件の争議解決という当初の目的を「諸課題の達成」に改めようとしたものであり,日立神奈川争議団の目的は一定性がない。
イ また,被告は,日立神奈川争議団が民法上の組合であると主張する。
しかし,日立神奈川争議団は,各当事者が出資をして共同の事業を営むことを約したものではないから,民法上の組合ではない。仮に民法上の組合に準ずるとしても,組合員の脱退は自由であり脱退組合員の持分は払い戻されなければならないし,また,日立神奈川争議団は本件の争議が解決した平成14年7月29日に目的を達成して解散したはずである。
(6) 権利濫用について
被告は,原告の本訴請求は権利の濫用であると主張する。
原告は,解決金の配分及び処理を全員一致で決定すること等を条件に,本件の争議を被告その他の者と統一的に解決することに同意した。しかし,被告は,本件解決金受領後,原告の同意を得ずに,これを報告集会,報告書作成,借入金返済等の名目で支出し,その明細を明らかにしていない。原告に不誠実な対応はなく,本訴請求は,権利濫用に当たらない。
3 被告の主張
(1) 本案前の主張
日立神奈川争議団は,後記(3)のとおり,権利能力なき社団又は民法上の組合であり,本件解決金は,日立神奈川争議団に帰属するものである。したがって,被告に対する本件訴えは,被告適格を欠く者に対する訴えであるから,不適法である。
(2) 原告の主張(1)及び(2)は,否認する。
ア 原告は,当初,本訴請求は本件解決金の準共有持分に基づくものと主張していたが,最終準備書面において分割債権に基づく請求であると主張した。審理の最終段階におけるこの主張は,時機に後れた攻撃方法であるから,却下されるべきである。
また,原告の準共有持分に基づく当初請求は,共有物分割請求であるから,準共有者全員を被告としなければならず,そのうちの1人だけを被告とした本件訴えは,不適法である。
イ 日立神奈川争議団は,平成13年3月21日,日立製作所に対し,差額賃金,利息,弁護士費用,運動費用及び慰謝料を一括して解決金4億5749万7200円を要求した。本件解決金は,この要求に対し,日立神奈川争議団に一括して支払われたものであり,同争議団の構成員である個々人に帰属するものではない。また,本件解決金は,差額賃金の後払いの性格を有するものではなく,各人ごとに計算した差額賃金を配分すべきものではない。日立神奈川争議団に帰属した本件解決金の使途は,同争議団自身で決定されるべきものである。
ウ 原告及び被告ら9名は,平成14年2月24日,本件解決金の配分及び処理は全員一致で決定すると合意した。したがって,原告の本件解決金に関する権利は,原告及び被告ら9名の間に別段の意思表示があるから,分割債権ではなく,原告の権利の割合も均等ではない。
そして,日立神奈川争議団は,平成17年4月8日,団会議を開催して,上記合意に基づき,本件解決金につき原告及び被告ら9名に対し各600万円を配分する旨決定した。したがって,原告もこの決定に拘束されている。なお,原告はこの決定に参加しなかったが,日立神奈川争議団は,原告に対し脱退届提出後も再三団会議への出席を呼びかけたものの,原告は,これを無視して一度も出席しなかったから,決定に参加する権利を放棄したものである。
エ 中央労働委員会での日立製作所との合意には,原告及び被告ら9名のほか,裁判所への提訴や労働委員会への申立てをしていない,当事者以外の9名も利害関係人として参加し,格付の是正が図られた。当事者以外の9名は,解決金は要求しないとの了解の下で参加し,日立製作所に解決金を要求しなかったが,本件解決金の配分に当たっては,当事者以外の9名にも一定額を配分しなければならず,原告及び被告ら9名だけで配分することはできない。
オ 本件の争議解決に際しては,報告集会の開催,総括集の作成,借入金の返済,支援者・支援団体への御礼等の費用が掛かっており,弁護士費用以外の費用が2020万円にすぎないとの原告の主張は,根拠がない。
また,本件の争議解決に当たっては,延べ1万9000人余の人々が無償で延べ923回にわたり裁判傍聴,要請行動等の支援活動をしてくれた。仮にこれらに対し費用を支払うとすれば9000万円を超えることになる。本件解決金は,これらの者の献身的な支援によるものであるから,日立神奈川争議団が本件解決金を今後の労働運動資金に充てて他の争議等を支援することにより恩返しすることは当然である。
(3) 日立神奈川争議団の法的性格
ア 日立神奈川争議団は,次のとおり,権利能力なき社団である。そして,本件解決金は日立神奈川争議団に帰属するものであるから,被告個人に支払義務はない。
日立神奈川争議団は,被告が平成2年8月に申し立てた救済命令申立事件(サービス残業申告報復事件)並びに上記1(2)ア及びイの3件の争議を全面解決し労働者の諸要求を実現するとの共同の目的で結成されたが,同時に職場の労働運動及び自由と民主主義を前進させるとの永続的な目的も有しており,団則を設けて意思決定方法,財政等を定め,団体としての組織を備えて,民主的自主的討議によって代表者,会計等を定めて,上記共同目的達成のために組織的一体性を有する団体として活動してきた。代表の選出方法等は,団則に定めがないが,構成員の合意により一定の決まりに従い決定・運営されてきたものであり(不文律),このことは日立神奈川争議団が権利能力なき社団であることを否定するものではない。日立神奈川争議団は,ユニオンショップ協定の存在により少数派活動家は労働組合を結成することができないため,労働組合に代わる組織として結成され,その組織・運営は労働組合に限りなく近いものである。
イ 仮に日立神奈川争議団が権利能力なき社団でないとしても,日立神奈川争議団は,上記アの組織,活動によれば民法上の組合の性格を有しており,共同の目的で活動を継続している。したがって,日立神奈川争議団の清算前にその財産である本件解決金の配分を請求することはできない。
(4) 権利濫用
原告は,平成14年2月24日,被告に対し,解決金の配分及び処理については,解決後当事者全員の民主的討議により全員一致で決定することに同意した。それにもかかわらず,原告は,その後,正当な理由もなく日立神奈川争議団から脱退し,原告の本件解決金の配分要求に対し被告が日立神奈川争議団を代表して誠実に対応したのに何ら応えず,その他本件の争議が解決に至った経緯,その過程で原告が利敵行為,分裂行動をしたこと等を考えると,原告の本訴請求は,理不尽で信義誠実の原則に反し,権利の濫用に当たるから,許されない。
第3当裁判所の判断
1 前提事実と証拠(<証拠・人証略>)によれば,次の事実が認められる。
(1) 本件の各争議
ア 被告は,平成2年8月30日,日立製作所を相手方として,不当労働行為(時間外労働に対する割増賃金不払を労働基準監督署に申告したことを理由とする不利益取扱い)に対する救済命令を神奈川県地方労働委員会に申し立てた。
イ 原告ら4名は,平成4年3月3日,東京都内の事業所に勤務する5名の女性とともに,日立製作所に対し,賃金,等級格付等で男女差別を受けていると主張して,差額賃金の支払等を求める訴えを東京地方裁判所に提起した。
ウ 被告ら5名は,同年10月19日,日立製作所を相手方として,不当労働行為(組合活動を理由とする賃金,等級格付等の差別)に対する救済命令を神奈川県地方労働委員会に申し立てた。
(2) 日立神奈川争議団の結成
ア 神奈川県内の事業所に勤務する原告ら4名及び被告ら5名は,平成5年5月ころから共同行動を取るようになり,平成6年8月12日,日立神奈川争議団として共に行動することを確認し,平成8年1月24日,Gが団長,被告が事務局長に就任した。日立神奈川争議団は,代表者の選出方法,総会その他の意思決定機関,財産の管理等団体としての基本的な事項を定めた規約は定めなかった。
なお,被告は,平成7年6月27日,神奈川県地方労働委員会から上記(1)アにつき申立ての趣旨に沿う救済命令を得た。
イ 東京都,茨城県及び愛知県の各地方労働委員会でも,日立製作所を相手方として本件と同様の不当労働行為救済申立事件が係属していた。平成9年ころから,神奈川県の本件を含む1都3県の労働者が協力してこれらの紛争の全面一括解決を図ろうとの動きが発生した。この動きに対し,日立神奈川争議団では,原告及びGが同調したが,その余の被告ら7名は同調せず独自に解決を図る方針を採った。そこで,Gは,平成11年1月,日立神奈川争議団の団長を辞任し,被告が団長に就任した。
これを契機に,日立神奈川争議団は,平成12年1月,団則を作成し,団会議に出席すること,決定は全員一致が望ましいが困難な場合には多数決によることがあること,団の決定に不服がある場合には内部で議論し外部に出さないこと,個人行動をしないこと,団結し争議解決に向けて奮闘すること,団の借入金は団全体の責任で償還すること,争議解決のために争議行動,他争議支援行動に積極的に参加すること等を定めたが,代表者の選出方法等団体としての基本的な事項に関する定めはなかった。なお,日立神奈川争議団は,平成11年1月から,運営経費を賄うため,団費月額1万円を徴収するようになっていた。
(3) 日立製作所との自主交渉等
ア 東京都,茨城県及び愛知県における日立製作所との紛争(上記(2)イ)は,平成12年9月12日,中央労働委員会において,日立製作所が解決金を支払うこと等を内容とする和解が成立した。
イ 日立神奈川争議団は,平成13年3月21日,日立製作所に対し,原告ら4名,被告ら5名及びI(平成12年4月25日,日立製作所を相手方として,被告ら5名と同様の救済命令を神奈川県地方労働委員会に申し立てて,日立神奈川争議団に加入した。)の合計10名につき,等級格付の是正並びに差別による賃金の減額分2億9937万5700円,その利息1496万9200円,弁護士費用4715万2300円,運動費用4600万円及び慰謝料5000万円の合計4億5749万7200円の支払を要求した(いわゆる自主交渉)。この要求は,運動費用以外の費目については,10名各人ごとに金額が明記されており,原告の要求額(弁護士費用及び運動費用を除く。)は賃金の減額分4105万3900円,利息205万2700円及び慰謝料500万円の合計4810万6600円であり,全体の要求額(弁護士費用及び運動費用を除く。)の約13.2パーセントであった。
なお,この際,日立神奈川争議団は,日立製作所の従業員であるが訴訟及び労働委員会の手続を取っていない当事者以外の9名についても,等級格付の是正を要求したが,これら当事者以外の9名の同意を得た上で賃金の減額分等に対する金銭の支払は要求しなかった。
ウ 原告は,日立神奈川争議団の経費,借入金等の経理につき具体的な説明がなかったため,平成13年3月分から団費の支払を停止した。日立神奈川争議団は,繰り返し原告に団費の支払を求めたが、原告は応じなかった。
エ 日立製作所は,同年5月29日,日立神奈川争議団の要求(上記イ)に回答した。しかし,原告は,執務職2級であったところ,総合職の格付を得ることを重視していたが,日立製作所の回答では執務職のままであったため,納得することができず,その旨被告に伝え,また,同年11月2日には,日立製作所及び被告に対し,現時点での回答には同意できないと伝えた。このころには,原告は,被告や日立神奈川争議団に不信感を持つようになっていた。
オ 原告及び被告ら9名らから委任を受けて日立製作所と交渉に当たっていたJ弁護士は,この間の同年10月5日,「被告は,日立製作所から解決金を受領したら,原告及びGに対し,その各9.5分の1を支払い,原告及びGは運動費用(団費を含む。)及び弁護士費用を被告に支払う」旨の調整案を示したが,原告及びGは,自己の等級格付問題の取扱いに納得することができず,承諾しなかった。
カ Gは,同年11月,日立神奈川争議団から脱退し,その結果,日立神奈川争議団の構成員は,原告及び被告ら9名となった。
(4) 中央労働委員会での和解交渉
ア 日立神奈川争議団(原告及び被告ら9名)と当事者以外の9名は,平成14年1月,日立製作所との自主交渉では全員につき解決を図ることは困難と判断して,中央労働委員会の場で交渉することとし,上記18名の申立てにより,同年2月26日,中央労働委員会において,和解協議が開始された。
イ 被告は,これに先立つ同月24日,原告に対し,<1>中央労働委員会での交渉内容につき団の過半数による意思決定に従う,<2>原告は,総合職8級の格付が得られた場合には,中央労働委員会での和解で解決することに同意する,<3>その場合,解決金の配分及び処理は,解決後当事者全員の民主的討議により決定することに同意する,との団長である被告あて同意書に署名を求めた。原告は,<3>の「民主的討議により決定する」との部分につき「民主的討議により『全員一致で』決定する」と書き加えた上で同意書に署名した。これは,原告が他の8名との考え方の相違等から本件解決金の配分につき原告の意向が反映されずに他の8名で決定されることを懸念したからであった。
日立神奈川争議団の原告以外の他の構成員8名も,上記修正後の同意書に署名した。
(5) 日立製作所との和解成立
ア 日立製作所と申立人ら代表としての被告(申立人らの代理人であるJ弁護士同席)は,平成14年7月29日,中央労働委員会において,合意に至り,次のとおり記載した和解協定書を取り交わした。
「1 本協定は,会社と申立人らとの紛争全てを円満に一括全面解決したものである。
2 会社は,2002年7月1日付をもって,申立人らの賃金および職群等級等の改定を実施する。
3 会社は,当事者間の紛争にかかる一切の解決金として金一封を支払う。
4 会社および申立人らは,今後,本件和解の趣旨に反することを行わない。
5 各当事者は,別紙2記載の係争事件を取り下げる。
6 会社および申立人らは,本件和解の趣旨を尊重し,今後互いに紛争を生じさせないものとする。」
なお,この和解協定書における「申立人ら」とは,原告及び被告ら9名と当事者以外の9名(格差是正を要求していたが,金銭の支払は要求しなかった者)の合計18名を意味しており,第5項で引用されている別紙2には,原告及び被告ら9名を当事者とする労働委員会又は東京地方裁判所における係争事件が記載されている。
イ 上記アの和解と同時に,日立製作所と申立人ら代表としての被告は,解決金は1億4000万円とし,平成14年8月19日までにJ弁護士の預金口座に振り込むことを合意した。また,この和解により,原告の等級は総合職8級に改定された。
ウ 日立製作所は,同日までに,J弁護士に本件解決金1億4000万円を支払った。
(6) 和解成立後の経過
ア 日立神奈川争議団は,平成14年8月20日以降,本件解決金の使途等につき,協議を重ねた。その中で,被告らは,弁護士費用,総括集の発行,報告集会の開催,支援者に対する謝礼,今後の闘争資金等が必要である旨提案したが,原告は,本件の争議が解決したので日立神奈川争議団は解消されるべきであると考えており,本件解決金から今後の闘争資金を留保することに反対した。また,原告は,これまでの借入金が1270万円あるとの報告に対し,借入先や使途を明らかにするように求めたが,具体的な説明はなかった。
イ 被告は,同年11月10日,団則の改正を提案した。当初の団則は本件の争議解決を念頭に置いたものであったが,改正案は,これを「団結し諸課題の達成に向けて奮闘する」「諸課題達成のための諸行動,他争議支援行動などに積極的に参加する」ことに改め,また,規律違反に対する処分に関する定めを整備したものであった。原告は,この改正案に賛成することはできなかった。
ウ 原告は,同月24日付け書面で,被告に対し,日立神奈川争議団から脱退することを通告し,本件解決金の9分の1の支払を請求するとともに,裏付けのある経費は支払う意思がある旨付言した。被告は,同年12月17日付け書面で,原告に対し,弁護士費用の支払,報告集会,総括集の発行,支援者への御礼等をしなければならず,これらの諸経費を決めた後に,各人への配分額は全員一致で決めなければならないので,団会議に出席してほしいと回答した。しかし,日立神奈川争議団に脱退通告をした原告は,この団会議に出席せず,その後の団会議にも出席しなかった。
なお,日立神奈川争議団は,同年11月30日に報告集会を開催し(原告は参加しなかった。),平成15年12月23日に日立神奈川争議総括集を発行した。
エ J弁護士は,同年1月29日,被告に対し,本件解決金から弁護士費用等1850万円を控除した1億2150万円を支払った。
オ 原告と被告は,同年3月10日から同年8月27日にかけて,原告に対する本件解決金の配分に関し協議を重ねた。その過程において,被告は諸経費や今後の闘争資金も必要である旨説明の上500万円を提案したが,原告は700万円は支払えるはずであると主張し,折り合いは付かなかった。
カ 原告は,同年12月4日,被告に対し,9分の1に相当する1100万円の支払を請求し,被告は,同月17日,原告に対し,日立神奈川争議団で本件解決金の使途を討議しているが,原告が出席しないので,面談の上金額を回答したいと応じた。その後,原告と被告は,面談したが,原告に対する配分額につき合意に達することはできなかった。
キ 原告は,平成16年2月4日,本訴を提起した。
ク 日立神奈川争議団は,平成17年4月8日,原告を除く8名で,本件解決金につき原告を含む9名に各600万円を配分すると決定した。そして,日立神奈川争議団は,同年6月14日付け書面で,原告に対し,その旨伝えるとともに,原告が本訴を提起した平成16年2月4日に退団したものとみなすので,平成13年3月以降の団費滞納分が36万円となるから,原告に対する支払額は564万円となると通知した。しかし,原告は,上記配分決定に参加しておらず,また,本件解決金から控除される経費等につき納得していないので上記配分額に同意もしていない。
2 被告は,本件訴えは被告適格のない者に対するものであるから不適法であると主張するが,原告は,被告に本訴請求に係る金銭の支払義務があると主張しているから,被告適格に欠けるところはない。
そこで,以下,上記1の認定事実に基づき,原告の本訴請求の当否につき判断する。
(1) 本件解決金の帰属者
ア 原告及び被告ら9名は,日立製作所に対し,賃金差別による減額分の支払等を求めて,東京地方裁判所に訴えを提起し,又は神奈川県地方労働委員会に救済命令を申し立てた後,日立神奈川争議団として共同で日立製作所に対し賃金減額分等の支払等を要求し,その後,中央労働委員会において日立製作所と和解が成立して,日立神奈川争議団の団長である被告が日立製作所からJ弁護士を介して本件解決金1億2150万円(弁護士費用等を控除した後のもの)を受領したものである。
そして,中央労働委員会における日立製作所との和解の当事者は,原告及び被告ら9名と訴訟提起・救済命令申立てをしていない当事者以外の9名の合計18名の「申立人ら」であるが,合意文書である和解協定書(<証拠略>)においては,「申立人ら」と「当事者」とを使い分けていること,本件解決金については「当事者間の紛争にかかる一切の解決金として」支払うと記載して「当事者」に支払う趣旨と読み取れること,和解協定書における「当事者」は労働委員会又は東京地方裁判所における係争事件の当事者,すなわち原告及び被告ら9名を意味していること,「申立人ら」のうち原告及び被告ら9名を除く当事者以外の9名は日立製作所に解決金の支払を要求していなかったことから考えて,日立製作所は,和解協定書において,原告及び被告ら9名に対し本件解決金を支払うことを合意し,原告及び被告ら9名に対して本件解決金を支払ったものと認められる。
したがって,本件解決金は,その支払相手である原告及び被告ら9名に帰属したものである。
イ 被告は,本件解決金は権利能力なき社団又は民法上の組合である日立神奈川争議団に帰属していると主張し,被告の供述中には本件解決金は日立神奈川争議団に支払われたものであるとの部分がある。
しかし,日立神奈川争議団は中央労働委員会における日立製作所との和解の当事者ではなく,本件解決金は原告及び被告ら9名に日立製作所から支払われたものであることは上記ア認定のとおりである。そうすると,本件解決金は,原告及び被告ら9名に帰属したものであり,その後本件解決金が原告及び被告ら9名から日立神奈川争議団に移転する原因となる事実があったとの主張立証はない。
したがって,被告の上記主張は,採用することはできない。なお,上記1の認定事実によれば,日立神奈川争議団は,団体としての基本的な事項についての規約の定めがないから,権利能力なき社団とは認められず,また,構成員である原告及び被告ら9名それぞれの日立製作所との各紛争を解決するとの目的を超えて全員に共通の共同の事業を営むことを合意して結成されたとの事実を認めるに足りる証拠はないから,民法上の組合とも認められないところである。
(2) 原告の被告に対する請求権
ア 本件解決金は,被告がJ弁護士を介して日立製作所から受領したものであるところ,原告及び被告ら9名は日立製作所との和解前に中央労働委員会での和解で解決することに同意する旨の同意書を日立神奈川争議団の団長である被告に差し入れたこと,被告が申立人ら代表として日立製作所と合意したこと,J弁護士が日立神奈川争議団の団長である被告に本件解決金を支払ったことから考えて,原告及び被告ら9名のうち被告を除く8名は,被告に対し、日立製作所との交渉及び解決後の解決金の受領を委任したものと認められる。
したがって,被告は,本件解決金のうち自己に帰属する部分以外の部分は原告を含む8名の受任者として委任事務を処理するに当たって受領したものであるから,原告を含む8名に対し,その各人に帰属する金額を引き渡す義務がある。
イ そして,原告を含む8名の被告に対する本件解決金の一部の請求権は,金銭を目的とするものであるから,分割債権である。原告及び被告ら9名は,平成14年2月24日,本件解決金の配分及び処理は全員一致で決定すると合意したが,これはあくまでも本件解決金を原告及び被告ら9名の間で配分することを前提としたものであり,不分割の旨の別段の意思表示ではない。
なお,被告は,原告の分割債権の主張は時機に後れた攻撃方法であると主張するが,原告のこの主張は、攻撃方法に関するものではなく、一定の事実関係を前提とした法的評価を述べたものに過ぎないから、被告の主張は、採用することができない。
(3) 原告の帰属割合
ア 原告及び被告ら9名は,あらかじめ本件解決金の配分及び処理は全員一致で決定すると合意しており,また,原告及び被告ら9名と日立製作所との合意においては,原告及び被告ら9名の各人に対する個別の支払額は合意されず,総額として解決金を1億4000万円とする旨合意されたにとどまり,本件解決金が原告及び被告ら9名の代表である被告に一括して支払われたから,原告及び被告ら9名各人の取得額は事前には決まっておらず,この点は原告及び被告ら9名の内部問題として本件解決金受領後にこれら9名による協議で定める趣旨であったと認められる。
イ しかし,原告及び被告ら9名は,本件解決金受領後協議を重ねたが,本件解決金の配分及び処理につき全員一致による合意には至らなかった。これは,原告が諸経費の額に納得しなかったこと,原告を除く8名が本件解決金の一部を今後の闘争資金として留保することを提案したのに対し,原告が反対したこと,返済予定の借入金の借入先及びその使途につき,被告らが具体的な説明をしなかったこともあって,原告が納得しなかったこと等によるものであった。
ウ ところで,原告及び被告ら9名は各人の要求額を個別に明記して日立製作所に賃金の減額分,その利息,慰謝料等の支払を要求し,本件解決金はこの要求に対して原告及び被告ら9名に支払われたものであるから,本件解決金は,基本的には原告及び被告らの賃金の減額分等の補填としての性格を有するものである。そうすると,賃金の減額分等に対し使用者の支払うこのような趣旨の本件解決金は,本来,賃金の減額があった当該労働者にそれぞれ帰属すべき性格のものであるから,原告及び被告ら9名の各人ごとに一定額が帰属すべきものである。
なお,原告及び被告ら9名と日立製作所との合意内容によれば,本件解決金は,原告及び被告ら9名それぞれの訴訟事件又は救済命令申立事件を解決して終了させることも目的としたものであるが,これらの訴訟事件等は,法的には,それぞれが別個独立のものであるから,本件解決金が原告及び被告ら9名の各人に個別に帰属するとの上記判断の妨げとなるものではない。
エ 以上によれば,原告及び被告ら9名は,事前に本件解決金の配分を全員一致で決定すると合意していたところ,全員一致による合意は成立しなかったが,本件解決金は,原告ら及び被告ら9名の間で後日各人に配分することが予定されていたものであり,また,その本来の性格は原告及び被告ら9名に対する各解決金の集合であって各人それぞれに帰属すべきものであるから,原告及び被告ら9名の上記合意は,全員一致による合意が成立しない限り本件解決金を配分しないとの趣旨まで含むものであったとは認め難い。
オ そうすると,原告及び被告ら9名の間で配分額の合意が成立しなかった場合には,民法427条の趣旨と当事者間の衡平にかんがみ,特段の事情がない限り,原告及び被告ら9名の帰属額は平等と解するのが相当である。
カ 被告は,平成17年4月8日に各人の配分額を600万円とする旨決定したので原告もこの決定に拘束されると主張するが,原告はこの決定に参加しておらずこの配分額に同意していないから,原告はこの決定に拘束されない。なお,原告が日立神奈川争議団脱退通告後も被告と交渉を繰り返して本件解決金の配分を要求し続けていたことから考えて,原告が本件解決金の配分をめぐる決定に参加する権利を放棄し,原告を除く8名の決定に従う意思であったと認めることはできない。
(4) 本件解決金からの控除額
被告は,本件解決金の配分に当たって控除すべき経費等は原告自認の3870万円よりも多いと主張し,その陳述書(<証拠略>)には,本件解決金の配分割合は<1>弁護士費用13パーセント,<2>借入金及び立替金の返済10パーセント,<3>総括集発行等の総括費用3パーセント,<4>報告集会費用6パーセント,<5>支援団体等への謝礼5パーセント,<6>団員への配分及び訴外者への金一封43パーセント,<7>今後の闘争資金20パーセントとの記載がある。
本件解決金は1億4000万円であるから,上記<1>は1820万円,<2>は1400万円,<3>は420万円,<4>は840万円,<5>は700万円,<6>は6020万円,<7>は2800万円となる。
しかし,本件解決金を配分するに当たって控除すべき経費等として,被告又はその他の者が原告自認の3870万円を超える債務を負っており,又は支払済みであることを示す契約書,領収書等の客観的な裏付けはなく,また,被告主張の上記各経費等の全額が本件解決金を取得するに当たって必要なものであったとの証拠もない。なお,今後の闘争資金は本件解決金取得のための経費とは認められず,被告その他の者が本来原告に帰属する本件解決金の部分を原告の同意を得ずに使用することができるとの法律上の根拠はない。
したがって,被告の主張は,採用することができない。
(5) 権利濫用について
被告は,原告の本訴請求は権利濫用であると主張する。
しかし,原告及び被告ら9名が本件解決金の配分を全員一致で決定すると合意したのに全員一致による合意が成立しなかったのは,日立神奈川争議団の運営・活動に関する考え方の相違を背景として,経費の支出とこれに伴う活動内容につき意見が一致せず,また,被告らが本件解決金の相当額を今後の闘争資金として留保する方針であったのに対し,原告がこれに反対したこと等によるものであり(これは,本件解決金の処理も全員一致で決定することとされていたが,経費支出及び一部留保との本件解決金の処理についても全員一致による合意が成立しなかったことを意味する。),どのような者と協力関係を持つかとの点を含めた活動の在り方(今後のことも含む。)については各人がそれぞれ自己の考えに基づき自由に判断することができる性質のものであるから,原告が被告やその他の者の方針に同調しなかったことをもって信義に反するとか不誠実であると評価することはできない。また,原告が日立神奈川争議団から脱退することも原告の自由である。これらの点と,本件解決金は本来原告及び被告ら9名に各別に帰属すべき解決金の集合であることも考え合わせると,原告が自己に帰属する部分の支払を請求することが権利の濫用であると認めることはできない。
3 以上によれば,被告は,原告に対し,受任者として,日立製作所から受領した本件解決金1億2150万円(弁護士費用等を控除した後のもの)から原告自認の経費等2020万円を控除した1億0130万円の9分の1に相当する金額の範囲内である1100万円(原告の請求額)の支払義務がある。なお,本件の事実経過からみて,遅くとも原告が被告に日立神奈川争議団からの脱退通告をした後の平成15年1月29日には原告及び被告ら9名の間で全員一致の決定が極めて困難な状況にあったと認められ,その時点では原告の本件解決金に対する帰属割合が平等になっていたと認めるのが相当であるから,遅延損害金の起算日は,同月30日である。
したがって,原告の請求は,理由があるから,認容する。
(裁判長裁判官 菊池洋一 裁判官 貝原信之 裁判官 中野智昭)