横浜地方裁判所 平成17年(ワ)678号 判決 2006年9月15日
原告
乙山二美
原告
甲野二郎
上記両名訴訟代理人弁護士
間部俊明
被告
甲野一郎
被告
丙川一美
上記両名訴訟代理人弁護士
角藤和久
主文
1 横浜地方法務局所属公証人谷川克作成に係る平成11年第659号遺言公正証書による亡甲野花子の遺言が無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文1項と同じ。
第2 事案の概要
本件は,亡甲野花子(以下「花子」という。)の相続人である原告らが,同じく花子の相続人で原告らの姉兄である被告らに対し,請求の趣旨記載の花子を遺言者とする遺言公正証書作成時に花子には遺言能力がなかったと主張し,同遺言公正証書が無効であることの確認を求める事案である。
1 前提となる事実
(1) 被告丙川一美(昭和14年*月*日生。以下「被告一美」という。)は花子(大正3年*月*日生)の長女,被告甲野一郎(昭和16年*月*日生。以下「被告一郎」という。)は花子の長男,原告乙山二美(昭和19年*月*日生。以下「原告二美」という。)は花子の二女,原告甲野二郎(昭和22年*月*日生。以下「原告二郎」という。)は花子の二男であり,花子の相続人はこの4名である(甲1〜5)。
(2) 花子は,平成16年*月*日,死亡した(甲1)。
(3) 平成11年11月11日,花子方において,以下の概要のとおりの花子を遺言者とする横浜地方法務局所属公証人谷川克(以下「谷川公証人」という。)作成に係る平成11年第659号遺言公正証書(以下「本件遺言」という。)が作成された(甲6)。
① 本件遺言は,本件遺言までの遺言をすべて取り消す(1条)。
② 被告一美に,file_5.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地175.84m2,file_6.jpg同所<番地略>の宅地243.64m2を相続させる(2条弐1)。
③ 被告一郎に,file_7.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地70.21m2,file_8.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地106.15m2,file_9.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地417.82m2,file_10.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地268.51m2,file_11.jpg同所<番地略>の宅地26.67m2,file_12.jpg同所<番地略>の宅地378.63m2,file_13.jpg同所<番地略>の宅地100.59m2,file_14.jpg同所<番地略>の宅地131.65m2,file_15.jpg同所<番地略>の宅地7.92m2,file_16.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地117.87m2を相続させる(2条弐2)。
④ 原告二郎に,file_17.jpg横浜市神奈川区六角橋<番地略>,家屋番号<略>の木造瓦葺2階建居宅,床面積1階102.17m2,2階42.14m2の花子の共有持分2分の1,file_18.jpg同所<番地略>,未登記の木造平家建物置,床面積11.96m2の花子の共有持分2分の1を相続させる(2条弐3)。
⑤ 被告一郎,原告二郎及び原告二美に,横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地406.64m2を均分に相続させる。
⑥ 以下の金融機関に預託中の預貯金,信託,有価証券,その他の花子名義の一切の預託財産を金銭に換価し,遺言執行費用を控除した残余金を,原被告ら4名に均分して遺贈する(3条)。
記
(金融機関の表示)
file_19.jpg東洋信託銀行(以下「東洋信託銀行」という。)株式会社横浜支店,file_20.jpg株式会社三和銀行六角橋支店,file_21.jpg株式会社第一勧業銀行横浜西口支店,file_22.jpg神大寺郵便局,file_23.jpg城南信用金庫六角橋支店,file_24.jpgその他遺言者の取引する一切の金融機関
⑦ 2条,3条に記載の財産以外の一切の財産(債務を含む。)を包括して被告一郎に遺贈する。この件の遺言執行者として被告一郎を指定する。(4条)
⑧ 4条を除く本件遺言の執行者として東洋信託銀行を指定する(5条)。
⑨ 5条記載の遺言執行者の報酬は,積極財産の価額の合計額のうち,5000万円までの部分に対して1000分の20,5000万円を超え1億円までの部分に対して1000分の15,1億円を超え3億円までの部分に対して1000分の10,3億円を超える部分に対して1000分の5(この合計額が50万円を下回るときは50万円)と消費税とし(6条),これを3条記載の財産から随時支出することを認める(7条)。
2 主たる争点
本件遺言作成時の花子の遺言能力の有無
(被告らの主張)
本件遺言作成に至る経緯は,以下のとおりであった。
ア 平成11年10月4日ころ
(ア) 花子は,東洋信託銀行の行員であった林泰信(以下「林」という。)に電話し,自分の遺産について改めて遺言書を作成したいので自宅に来てほしいと申し入れた。林は,急ぎ花子宅を訪問し,花子から以下のとおりの遺言内容を聴取した。
file_25.jpg亡き夫の相続のときに二男の原告二郎と二女の原告二美には十分財産を与えているので,花子の相続については,長男の被告一郎と長女の被告一美にきちんと与えたい。file_26.jpg被告一美には,被告一美の自宅の土地と隣のAさんに貸している土地をやりたい。file_27.jpgBさん,Cさん,Dさんに貸している土地は,被告一郎,原告二郎,原告二美の3人に同じ割合で持たせたい。file_28.jpg自宅の建物は,原告二郎に与えたい。file_29.jpgその他の私の土地は,長男の被告一郎にすべてやりたい。file_30.jpgハイツの土地やコートの土地も,すべて被告一郎に与えたい。file_31.jpgEさん,Fさんに貸している土地,お稲荷さんの土地,分家のGのとこの土地も,みな被告一郎にやりたい。
(イ) 林は,以上のことを花子から聞き,その要望をメモした上,横浜駅西口公証センターの谷川公証人に依頼して,花子の遺言公正証書の作成を進めるため,準備に入り,花子所有の各物件の登記簿謄本や評価証明書などを用意していった。
イ 平成11年11月4日午前ころ
林は,花子宅で,再度花子と会い,公証人に渡す花子の遺言内容を記載した原稿を見せ,遺言内容の確認をした。林は,谷川公証人に電話し,花子の遺言公正証書の作成を依頼した。具体的には,谷川公証人が花子宅に来ることができる日を調整し,結局,同月11日に花子宅で遺言公正証書を作成することになった。
ウ 平成11年11月11日
同日午前11時ころ,谷川公証人並びに証人となる予定の林及び東洋信託銀行の行員であった佐藤倖三(以下「佐藤」という。)が花子宅に集合した。
証人となった林及び佐藤の立会いの下で,遺言者花子と谷川公証人の遺言公正証書作成の作業が始まった。
まず,谷川公証人が花子に名を確認したところ,花子は「甲野花子です。」とはっきり答えた。花子は,先に林に述べたと同じ口調で自分の遺産をどのように相続させたいかを述べ,谷川公証人もその内容を既に作成している遺言公正証書の原稿を見ながら確認した。その後,谷川公証人は遺言内容の読み聞かせに入り,花子もそれを気が散ることなく聞いていた。その後,花子はその遺言公正証書の遺言者署名欄に自分で「甲野花子」と自署し,実印を押した。林及び佐藤も証人欄に各自署名押印し,最後に谷川公証人も署名押印して公正証書作成は予定どおり実行された。この間,谷川公証人は,花子の遺言能力に欠けるところはないと確信し,医師からの意見聴取などは行っていない。
所要時間は約1時間であった。
(原告らの主張)
以下の花子の状況等に照らすと,本件遺言作成時において,花子が多数の不動産を4人の子に区別して分け,遺言執行者の指定についても項目ごとに2名を分けて指定し,うち1人についての報酬が細かく分かれており,極めて複雑多岐にわたる内容である本件遺言の趣旨を公証人に口授したとは考えられず,また,遺言者の口述を筆記した公証人の読み聞かせ又は閲覧を受けた花子が,筆記の正確なことを承認するだけの能力があったとは考えられない。
ア 花子は,平成9年1月,病院の検査で大きな胃かいようが見つかり,その治療のために入院したが,既に認知症状態が進行していて徘徊などの行動があり,病院側から責任が持てないといわれて退院させられた。
そこで,花子は,同年11月,横浜市鶴見区内の古川病院古川陽太郎医師(以下「古川医師」という。)などの訪問在宅診療を受けていた。
平成10年3月,花子は,夫である甲野太郎(以下「太郎」という。)と共に千葉県君津市にある老人保健施設「サニーライフ君津」に入所したが,同入所後も,認知症の状態が進行した。
同年8月10日,太郎が死亡し,その直後である同年8月ころ,花子は,自宅に戻り,自宅にヘルパーを同居させて介護を受ける傍ら,再び,古川医師らの訪問在宅医療を受けることになった。
平成11年5月ころ,花子は,横浜市港北区内にある横浜市総合保健医療センターの関連施設でデイサービスを受けた際,同センターで「老年痴呆」との診断を受けた。
イ 古川医師は,本件遺言が作成された日の翌日である平成11年11月12日に花子を診察した。古川医師の同月22日付け健康診断書(老人ホーム入所・ショートステイ用。甲7)によると,花子は,その当時,老人性痴呆により「常時家人もしくは第三者の看視が必要(過食・興奮・外出等がみられる)」と記載されている。また,平成16年6月17日付け診断書によると,花子の平成11年後半の病状については,「一般全身状態はほぼ小康状態を維持していたものの,痴呆状態がかなり進行し,不安・幻覚・他虐行為等が見られ,常時第三者の見守り・看視が必要であった」と記載されている。
平成16年12月16日付け古川医師作成の鑑定診断書(甲8)によると,平成11年11月12日時点における花子の理解力・判断力は,「集中して人の話を聞き,その内容を理解し,それについて判断する能力は甚だ障害され,話しかければ応答はあるが簡単な会話のみに応答する程度である」,「失見当識あり(日時・年齢・場所等),医師・看護婦の識別はある程度出来るが,家人・ヘルパーの見分けが出来ない」という状態であった。
横浜市総合保健医療センター斎藤惇医師(以下「斎藤医師」という。)の診断書によれば,花子につき,本件遺言作成の日から約5か月前である平成11年6月14日の受診時,「記憶障害,時間場所の見当識障害,計算障害など痴呆症状が見られた。知能検査では,MMS(E)15点,長谷川式9点で,高度の痴呆が見られた」と記載され,アルツハイマー型老年痴呆と診断されている(甲9)。
第3 争点に対する判断
1 花子の症状等について
(1) 証拠(甲1,7〜11,12の1〜4,甲20,21,乙2〜6)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
ア 花子(大正3年*月*日生)は,65歳ころから70歳ころまで胃かいようにより入退院を繰り返しており,平成8年12月には脊椎圧迫骨折により自宅療養を行い約1か月間ほぼ寝たきり状態となり,ときどき言動がおかしくなるとともに,便秘と腹痛(左下腹部周辺),食欲不振などの症状が出るようになった。
花子は,平成9年1月には便秘と衰弱がひどくなり,横浜逓信病院に約1か月間入院したが,同病院において夜間徘徊等の症状が現れるようになった。
イ 花子は,平成9年2月27日ころ,着替えようとし転倒して左大腿骨頸部を骨折し,同年3月5日から同年4月19日(ただし,4月21日まで外泊扱いで,同日に正式に退院)まで,骨折部分の手術のため済生会神奈川県病院に入院し,外科治療を受けるほか,胃かいようの症状についても治療を受けた(甲10)。
花子は,同入院中,「まだら痴呆」があると診断され,看護師からの痛みについての問いには答え,訪問した家族と通常の会話をしているように見えるときがある一方で,家族等の付添いがいれば安心して落ち着いているが,1人でいるときに不穏行動をとり,夜になると自宅に帰ると訴える,骨折したことを忘れて歩こうとする,病院に入院しているとの認識がない,安静の指示を守れない,痛みを訴えて暴れ出して両上肢の抑制を受ける,点滴チューブを抜去するなどの行動があった(甲10)。
ウ 花子は,自宅に戻った後,多発性胃かいようの治療等のため,平成9年11月20日から横浜市神奈川区所在の古川病院の外来及び訪問在宅診療を受けていた(乙3,4)。
同年12月ころの花子の自宅における状況は,昼間は紙パンツと尿パットで過ごし,下着を汚してしまってもそのままにする,紙おむつを洗濯しようとする,金銭に対する執着があるが,現金を財布から出していろいろな場所に移してしまい,結果的にどこにしまったか忘れてしまう,食事の外に間食を頻繁に要求する,大腿部骨折で入院手術をしたことや胃かいようであることを忘れている,テレビドラマなどのストーリーは理解できないのでつまらないといって見たがらない,人の認識はだいたいできるが,ヘルパーと嫁を間違えたり,孫を娘だと言ったりするなどの状態が見られた(甲21)。
平成10年1月に花子について行われた日常生活動作能力調査によれば,名前,年齢,生年月日,出生地の記憶はあり,今日の日付,同居人を答えることができたが,現住所,世話をしてくれる人を答えることはできず,話をすると了解するが,すぐに忘れ,会話はできるが話が合わないことが多く,物をしまい忘れてなくなったとか盗まれたと言って騒ぐ,若干徘徊があり,失禁等で不潔になっても無関心であるなどで,特別養護老人ホーム入所対象と診断された(甲12の3)。
花子は,平成10年3月,夫である太郎と共に千葉県君津市にある老人保健施設「サニーライフ君津」に入所したが,同年8月10日に太郎が死亡し,その後に自宅に戻り,自宅にヘルパーを同居させて介護を受け,再び,古川病院の訪問在宅診療を受けるようになった(乙3,4)。
花子は,「サニーライフ君津」に入所している間に認知症が進み,平成10年11月ころ以降,花子には,過食傾向,不安感が強く1人になると家族などを大声を上げて呼ぶ,人を捜しに外出してしまう,気に入らないと他人をたたくなどの状況が見られた(乙2,4)。
エ 平成11年2月ころ以降,花子は,横浜市総合保健医療センターの関連施設でデイサービスを受けるようになった。同所において,花子は会話好きで,誘導すると受け答えもし,話にも加わるが,会話は長続きせず,家族会に出席した息子を自分のつれあいであると施設の係員に紹介したことがあり,また,来所しても帰宅欲求が強く,同年3月30日から同年4月2日まで(同月5日までの予定を短縮)の体験利用において宿泊を伴った際には,家に帰ると言って出口を捜して徘徊し,「お泊まり会」に来ていると説明すると納得するが,またすぐに忘れてしまうという状態であり,帰宅欲求が満たされないと,時には暴力に及ぶこともあった(乙6)。
同年6月14日から同月27日までの同施設における短期入所においても,花子の帰宅欲求は強く,帰宅を求めて徘徊し,宿泊することを説明すると一時的に納得するが,また,帰宅を求めて徘徊するという状況が続き,便失禁,尿失禁で衣類が汚れたままである,ベッドサイドに靴を脱いだことを忘れて靴がないと何度も訴えるということがあった(乙6)。
同施設における同年6月15日実施の花子の知的機能検査では,年齢(65歳と答える。),年月日が答えられない,子は3名と答え(実際は4名),病歴も若いころの肋膜炎しか思い出せないなど,見当識及び記銘力のいずれの項目についても成績が芳しくなく,ミニ・メンタル・ステート法(MMS法)が30点中15点(なお,20点以下で認知症の可能性が高いとされている。),改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS―R)が30点中9点(20点以下の場合に認知症の疑いが残るとされている。)であり,同月17日,同センター斎藤医師により,高度の痴呆が認められたとして「アルツハイマー型老年痴呆」との診断がされた(甲9,乙6)。
花子は,同施設に来所しても,午後になって帰宅欲求が強くなると,帰宅することを何度でも訴え,プログラムに参加できず,施設の係員が個別対応せざるを得ないという状態が,証拠上提出されている同施設の平成12年1月の時点までの記録において継続的に存在した(乙6)。
オ 古川病院において,平成11年8月に花子の頭部CT検査を実施したところ,軽度の大脳萎縮が認められたが,粗大病変はなかった(乙2)。平成11年11月ころ,花子には,食事をしたことを忘れてまた食べたがる,同じ話を繰り返すなどの症状が見られた(乙2)。
また,同年11月ころ,花子については,簡単な会話は可能であるが,話のつじつまが合わないことが多く,日時・年齢・場所等について失見当識があり,医師・看護師の識別はある程度できるが,家人とヘルパーの区別ができず,感情的にも不安定で易興奮性があり,自分の病態についての認識がなく,何の目的で医師が週に約2ないし3回訪問しているか理解できない状態であった(甲8,乙2)。古川医師は,同年11月22日時点で,花子につき,短期記憶は問題あり,日常の意思決定を行うための認知能力及び自分の意思の伝達能力は幾らか困難,食事は自立ないし何とか自分で食べられる,暴言,介護への抵抗及び徘徊の問題行動があるとし,老人性痴呆との診断をした(甲12の4)。
平成12年3月ころ以降,花子は,1日に数回は興奮状態や不穏状態となるようになった。同年4月に古川病院において花子の頭部CT検査を実施したところ,従前と変化はなく,また,同月において,花子は,1人になると異常に不安となり人を捜し回り,この不安が強まると人を捜しに外出することがあり,気に入らないと他人をたたくことがあったが,不潔行為はなかった(乙5)。
カ 平成12年4月時点での花子の状況は,意思を他者に伝達することができ,介護側の指示が通じ,生年月日,年齢,自分の名前,季節の理解,自分のいる場所を答えることができたが,毎日の日課を理解することができず,面接調査の直前に何をしていたかを思い出すことができず,暴言・暴行,介助への抵抗がときどきあり,目的もなく動き回ることがあるなどというものであり,花子は,同年5月7日から特別養護老人ホームに入所した(甲12の1〜3)。
キ 花子の介護認定審査のために平成13年6月に行われた認定調査においては,花子は毎日の日課を理解することができず,短期記憶障害があり,幻視・幻聴,妄想,暴言,暴行,介護への抵抗,徘徊があるという状態であった(甲11)。
(2) 精神科医である仲村禎夫医師の意見書(甲22)は,花子についての診療録等を検討した結果,花子については,アルツハイマー型の認知症にり患していたことが明らかであり,その程度は,中等度から高度に相当し,発症時期は平成9年3月に大腿骨骨折で済生会神奈川県病院に入院したころから顕在化したものと考えられるとする。
(3) 以上の事実等によれば,平成11年11月時点の前後において,花子については,記憶障害,見当識障害,人物誤認,病識欠如,意欲関心の減退等が常態化し,中等度から高度に相当するアルツハイマー型認知症に陥っており,話しかければ応答し,簡単な会話をすることは可能であったが,複雑な会話の内容を理解することができない状況にあったものと認めることができる。
2 本件遺言作成の経緯について
証拠(甲1,6,14〜19,証人谷川克,証人林泰信)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
(1) 当時の東洋信託銀行横浜支店がかかわって,平成8年8月8日,花子を遺言者とし,東洋信託銀行(横浜支店)を遺言執行者とする遺言公正証書(以下「平成8年遺言」という。)が作成されたが(甲15),その後,土田建二税理士(以下「土田税理士」という。)がかかわって,平成9年11月27日,花子を遺言者とし,土田税理士を遺言執行者とする新たな遺言公正証書が作成された(甲17)。
なお,東洋信託銀行横浜支店の担当者は,花子を遺言者とする上記平成9年作成の遺言公正証書の存在を知らなかった。
(2) 花子の夫であった太郎は,平成10年8月10日に死亡した(甲1)。太郎については,東洋信託銀行がかかわって,平成8年8月8日,太郎を遺言者とし,東洋信託銀行(横浜支店)を遺言執行者とする遺言公正証書が作成されていたが(甲14),太郎死亡後,土田税理士から,東洋信託銀行に対し,土田税理士が遺言執行者となった遺言者太郎の平成9年11月25日作成の遺言公正証書(甲16)がある旨の申し入れがあった。さらに,被告一郎は,預かっている太郎の自筆証書遺言があると申し出たことから(なお,その後,同書面の検認手続が行われている(甲18)。),東洋信託銀行としては,もはや平成8年8月8日付けの太郎を遺言者とする遺言公正証書(甲14)に基づいて太郎の遺言執行を行うことができないとの見解を採り,太郎の相続については,相続人間での調整が必要となった。
このような事情から,太郎の遺産については,太郎の遺言によらず,平成11年6月10日,相続人である花子及び原被告らの遺産分割協議によって相続がされた(甲19)。
(3) 東洋信託銀行がかかわって作成された太郎を遺言者とする遺言公正証書(甲14)においては,太郎から花子に対して相続される財産は多くなく,不動産の相続もないことになっていたが,上記遺産分割協議の結果,花子は,太郎から不動産や現金等の財産を相続することになった。
そこで,東洋信託銀行横浜支店の行員で花子の担当者であった林は,平成11年8月ころ,花子に対し,花子が太郎から不動産等の相続を受けたことから,花子の財産の内容が,同銀行がかかわって作成された平成8年遺言(甲15)の作成時とは異なってきたことから,遺言書を作成し直すことを勧めたところ,花子は,これを同銀行に依頼したい旨を述べた。
(4) そこで,林は,花子の相続人の代表であると考えていた被告一郎に対し,花子が有している財産関係を確認するなどした上で,花子から意向を聞くこととし,不動産の相続については,林及び同銀行の別の行員(以下,この両名を併せて「林ら」という。)とで花子に会い,花子に対し,住宅地図を見せ,また,花子から見せてもらった平成8年遺言(甲15)をも参考とした上で,その各不動産ごとにどのような物件であるかを説明しながら,その不動産を相続させる者を尋ねるなどしていった。
林は,花子から,甲野家の財産は基本的には長男である被告一郎に渡したいと聞いていた。林らは,花子に尋ねた上で,不動産については,①被告一美には同被告の自宅敷地及び隣接する土地(横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地,同所<番地略>の宅地)を取得させること(被告一美が相続するこれらの不動産については,従前の平成8年遺言(甲15)と同一の内容である。),②花子の自宅(横浜市神奈川区六角橋<番地略>所在の家屋番号<略>の木造瓦葺2階建居宅)及び物置(同所<番地略>所在の未登記の木造平家建物置)(花子の各持分2分の1)については原告二郎に取得させること(これらの建物については,太郎の遺産分割協議で原告二郎が既にその各持分2分の1を取得していた。),③横浜市神奈川区六角橋<番地略>の宅地については,被告一郎,原告二郎及び原告二美に均等に相続させること,④その他の不動産はすべて被告一郎に相続させることなどを内容とする本件遺言の基になる原案(その内容は,本件遺言書と同一)を作成し,これを東洋信託銀行から花子の遺言公正証書の作成を依頼した谷川公証人に交付した。
(5) 谷川公証人は,東洋信託銀行から花子を遺言者とする遺言公正証書作成の依頼を受け,同銀行で作成した原案を事前に確認した上で,平成11年11月11日,花子の自宅を訪問した。谷川公証人は,証人である同銀行の行員の林及び佐藤の立会いの下,まず,花子に対し,遺言状を作るために訪問したことを伝え,生年月日を尋ねてその回答を得た上で,上記原案に基づいて条項ごとに順次読み上げ,特に不動産については,個別不動産ごとに,原案に記載されている者に相続させることでよいかを尋ね,それについて花子から「はい」,「そのとおりで結構です。」などの簡単な肯定の返事を順次もらうという形で確認し,その後,林が,不動産ごとにどこのどのような土地等であるかを説明し,それに対しても花子がそれで結構である旨を述べた上で,花子の自署及び押印を得るという方法で,約30分の所要時間をかけて本件遺言作成の手続を行った。
3 以上によれば,平成11年11月の時点で,花子は中等度から高度に相当するアルツハイマー型の認知症にり患しており,そのため恒常的な記憶障害,見当識障害等があり,しかも,記憶障害については,それまでに短期的な記憶障害だけでなく,子の数や病歴などの長期的な記憶についての障害も発生しており,また,会話についても,話しかければ応答はあるが簡単な会話のみに応答する程度であったこと,平成11年6月15日実施の花子の知的機能検査では,見当識及び記銘力のいずれの項目についても成績が芳しくなく,ミニ・メンタル・ステート法(MMS法)が30点中15点,改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS―R)が30点中9点であって,横浜市総合保健医療センターの医師によって高度の痴呆が認められるとの診断がされていたこと,本件遺言の内容は,多数の不動産やその他の財産について複数の者に相続させ,しかもその一部の財産は共同して相続させ,遺言執行者の指定についても項目ごとに2名を分けて指定し,1人についての報酬は細かく料率を分けるなどという比較的複雑なものであったこと,谷川公証人は,東洋信託銀行において作成された本件遺言の原案を条項ごとに読み上げて花子にその確認をしたが,花子の答えは「はい」,「そのとおりで結構です。」などの簡単な肯定の返事をするにとどまったというものであったことなどに照らし,中等度から高度の認知症に陥っていた花子において,その遺言内容を理解し,判断した上での返事であったか疑問があるといわざるを得ず,本件遺言作成時点において,花子が本件遺言の内容を理解し,判断することができていたとはいまだ認め難い。
4(1) もっとも,証人である谷川公証人及び林は,いずれも,花子に遺言能力がないとは思われず,本件遺言の内容については花子の意思に基づくものであった旨の証言をする。
しかし,前記2のとおり,林らが花子に尋ねて作成したという本件遺言の内容について見るに,被告一美に対する不動産の相続内容については,東洋信託銀行が以前にかかわって作成されており,林も確認していた花子を遺言者とする平成8年遺言(甲15)と同一であって,被告一美の自宅の敷地及びその隣地を同被告に相続させるというもの,また,原告二郎に対する不動産の相続内容については,太郎の遺産分割協議(甲19)の結果,原告二郎が各2分の1の持分を取得していた建物を同原告に相続させるというもの,そして,その外のほとんどの不動産を被告一郎に相続させるというものであるところ,これらは,林らが,花子から聞いていた長男である被告一郎に各不動産を相続させたいということを基本とし,ただし,平成8年遺言の内容,遺産に被告一美の自宅の敷地となっている土地があること,及び太郎の遺産分割によって原告二郎が花子の自宅建物の2分の1を相続していることなどを考慮し,花子に対し,その不動産ごとの特色を説明した結果,各不動産について相続人としてふさわしい者を少なくとも示唆する結果となってしまったことにより,中等度から高度の認知症に陥っており意思能力が十分ではなかった花子が,これをそのまま受け入れる旨の応答をしたにすぎないものと考える余地があり,当時の花子の認知症の症状に照らし,本件遺言の内容が花子の意思に基づくものであったと認めるにいまだ十分とはいい難い。
また,谷川公証人は,本件遺言作成当日,花子宅に赴き,花子の生年月日を確認してその答えを得ているが,遺言内容の確認については,東洋信託銀行において作成された本件遺言の原案を条項ごとに順次読み上げ,遺産である個別不動産ごとに,原案に記載されている者に相続させることでよいかを尋ね,それについて花子から「はい」,「そのとおりで結構です。」などの簡単な肯定の返事を順次もらったというものであるところ,前記1のとおり,当時,認知症に陥っていた花子も,話しかければ応答し,簡単な会話をする程度は可能であったが,複雑な会話の内容を理解することができなかったものであって,谷川公証人の証言によっても,本件遺言作成時において,花子に本件遺言の内容を理解して判断する遺言能力があったと認めるにいまだ十分とはいえない。
(2) さらに,乙第1号証(脳神経外科医である金彪医師の鑑定意見書)において,同医師は,花子の平成9年の入院時に見られる痴呆状態,徘徊あるいは感情不安定,易興奮性などは,環境の変化に伴って見られる短期的な失見当識の症候に典型的なものであり,平成11年11月時点においても,花子につき,長期記憶に依拠するところの永らく所有してきた土地建物に関する遺産分配に関して,自らの意志で決断する能力がなかったと断定することは不可能であると考えるとする。しかし,前記1の事実によれば,花子には,入院時だけではなく,平成9年以降平成11年11月時点の後まで,日常生活も含めて継続的に記憶障害,失見当識等が認められたもので,しかも,記憶障害については,子の数,過去の病識などの記憶障害もあり必ずしも短期の記憶障害に限られるものではなかったものであって,その他,当時継続的に花子の診療に当たっていた古川病院の古川医師等が当時既に花子の認知症の症状が重篤なものである旨の診断をしていたことなどの上記1の事実を併せ考慮すると,平成11年11月時点においても,花子には遺言能力があったものと認めるに十分とはいえない。
5 以上によれば,本件遺言作成当時において花子には本件遺言の内容を理解し,判断する遺言能力があったとは認められないから,本件遺言については無効であるといわざるを得ず,原告らの請求は理由があることになる。
(裁判官・本多知成)