横浜地方裁判所 平成18年(行ウ)55号 判決 2009年7月15日
主文
1 甲事件原告X4、同X6、乙事件原告X5、同X7、同X8、同X9、同X11、同X14の、川崎市長が平成18年10月5日付けでした社会福祉法人川崎市社会福祉事業団を川崎市a保育園及び川崎市b保育園の指定管理者に指定する処分の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
2 甲事件原告ら及び乙事件原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は甲事件原告ら及び乙事件原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 川崎市長が、平成18年10月5日付けでした、社会福祉法人川崎市社会福祉事業団を川崎市a保育園及び川崎市b保育園の指定管理者に指定する処分を取り消す。
2 被告は、甲事件原告ら及び乙事件原告らに対し、それぞれ10万円及び平成19年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 事案の要旨
本件は、川崎市長が、地方自治法244条の2第3項に基づき平成18年10月5日付けで、社会福祉法人川崎市社会福祉事業団(以下「本件法人」という。)を川崎市a保育園及び川崎市b保育園(以下「本件各保育園」という。)の指定管理者に指定したところ(以下「本件指定」という。)、本件各保育園に入所した児童及びその保護者である甲事件原告ら及び乙事件原告ら(以下、併せて「原告ら」という。)が、本件指定は原告らの保育所選択権を侵害するなどして違法であるとして、本件指定の取消しを求めるとともに、本件指定等により精神的損害を被ったとして、国家賠償法1条1項に基づきそれぞれ10万円、及び、本件法人が本件各保育園における保育の実施等を開始した平成19年4月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 条例等の定め(〔証拠省略〕)
(1) 川崎市保育園条例
被告は、地方自治法244条の2第1項に基づき、児童福祉法(以下、たんに「法」ということがある。)39条にいう保育所の設置及び管理について、川崎市保育園条例(昭和28年川崎市条例第32号。以下「本件条例」という。)を定めており、平成16年3月24日、「川崎市保育園条例の一部を改正する条例」を制定した。
改正後の本件条例においては、市長は保育園の管理を行わせるため、①保育園の管理を行うに当たり利用者の平等な利用が確保でき、②事業計画書の内容が保育園の効用を最大限に発揮するとともに管理経費の縮減が図られ、③事業計画書の内容に沿った保育園の管理を安定して行う能力を有する法人その他の団体を地方自治法244条の2第3項にいう指定管理者として指定することができるものとされ(5条1項)、この指定は保育園の管理を行おうとする者からの事業計画書等の書類を添付した申請を受けて行うものとされた(同条2項、3項)。
また、同条例は、指定管理者は、同条例及び同施行規則の規定に従い、保育園の管理を行わなければならず(6条)、保育園の管理のために必要な業務を行わなければならない旨(7条)を定める。
なお、附則において同条例は平成17年4月1日から施行するものとされたが、5条に係る部分等は公布の日から施行するものとされた。
(2) 川崎市保育園条例施行規則
川崎市長は、本件条例8条に基づき、同条例の施行に関し、川崎市保育園条例施行規則(昭和62年川崎市規則第43号)を定める。
同施行規則5条1項は、本件条例5条2項の申請をした法人等が2以上あるときは、本件条例5条1項に規定する要件(以下「指定要件」という。)を満たし、かつ、児童の福祉を図る上で最も適切と認められるものを指定管理者の予定者(以下「指定管理予定者」という。)とする旨定める。
また、同施行規則7条は、指定管理者は、市長と事業計画に関する事項等の保育園の管理に関する協定を締結するものとし、同8条は指定管理者が行う保育に関する業務の範囲について規定する。本件各保育園については、①児童福祉法24条1項の規定による保育の実施、②同法48条の3第1項の規定による情報の提供、相談及び助言の実施、③延長保育の実施を行うものとされている(本件各保育園に係る部分は平成19年4月1日から施行された。)。
(3) 本件各保育園指定管理予定者の選定基準
被告は、「本件各保育園指定管理予定者の選定基準」(以下「本件選定基準」という。)を定めており、その基準は以下のとおりである。
ア 団体の概要
① 保育園の管理を行うのにふさわしい理念及び組織を有していること。
② 安定した財政基盤を有していること。
③ 保育園の管理を行なうのに十分な実績を有していること。
④ 諸規定が適正に整備されていること。
⑤ 現在実施している事業を積極的に外部に情報提供していること。
イ 事業計画
(ア) 保育園の運営
① 保育園の運営方針・保育目標が的確であること。
② 職員の資質の向上に向けた取り組みを具体的に示していること。
③ 児童の健康管理について、適正な配慮がなされていること。
④ 児童の状態に合わせた給食の対応について認識していること。
⑤ 障害児保育についての理解があり、実績があること。
⑥ 虐待の防止、早期発見について具体的に提案していること。
⑦ 危機管理に対する体制を具体的に示していること。
⑧ 保護者との交流及び連携を具体的に示していること。
⑨ 要望・苦情に対応する体制を具体的に示していること。
(イ) 職員の確保
① 施設長予定者は十分な経験を有していること。
② 主任保育士は十分な経験を有していること。
③ その他の職員について、経験者の確保に努めていること。
④ 職員確保の方法を具体的に示していること。
(ウ) 事業経費・人件費
① 経費見積りの各項目について、無理・無駄がなく適正であること。
② 保育の実施(延長保育を含む。)に際し、必要な職種の職員を適正に配置していること。
③ 職種・経験年数・雇用形態に基づき、適正な人件費が算出されていること。
④ 経費の縮減について効果的な手法の提案がされていること。
(エ) 地域の子育て支援
① 地域の子育て支援に対する考え方を具体的に示していること。
② 関係機関との連携についての認識を有していること。
(オ) 引継ぎ
① 新年度から円滑な運営ができる効果的な引継ぎ方法を具体的に示していること。
② 引継ぎにおいて保護者に対する適正な配慮がなされていること。
(カ) 上乗せの提案
① 仕様書に示した以外の上乗せした提案の内容が効果的であること。
② 上乗せの事業に対し、適正な保護者負担が求められていること。
3 基礎となる事実(掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 本件各保育園
本件各保育園は、被告が本件条例に基づき設置したものである(b保育園は昭和29年開設、a保育園は昭和43年開設。〔証拠省略〕)。
川崎市a保育園は満3歳に達するまでの児童を対象とし(定員35名)、川崎市b保育園は小学校就学の始期に達するまでの児童を対象とした保育所であり(定員90名)、両保育所とも川崎市<以下省略>に所在する(〔証拠省略〕)。
川崎市a保育園と川崎市b保育園では、別々に児童の入所が決定され、保育期間もそれぞれ別途に定められるが、被告によって、川崎市a保育園での保育期間が満了した児童は原則的に川崎市b保育園に入所できるとする扱いがされている。
(2) 原告ら
甲事件原告X3及び同X6は、本件指定時、川崎市b保育園において保育の実施を受けていた児童(以下「児童原告ら」という。)であり、その余の原告らは、本件指定時、本件各保育園において保育の実施を受けていた別表「入所児童」欄の各児童の保護者(以下「保護者原告ら」という。)である。
川崎市中原福祉事務所長は、別表のとおり、上記各児童らについて各保育の実施期間に係る保育所入所承諾通知書をそれぞれ交付している(〔証拠省略〕)。
(3) 本件指定
ア 川崎市長は、平成18年5月、本件各保育園を平成19年4月から指定管理者により管理させるため指定管理者の募集をした上(〔証拠省略〕)、これに応募(本件条例5条2項、3項が規定する申請を兼ねている。)した3団体から本件法人を指定管理予定者として選定し、平成18年8月2日付けで本件法人にその旨通知した(〔証拠省略〕)。
イ そして、川崎市長は、川崎市議会の議決(地方自治法244条の2第6項。〔証拠省略〕)を経て、同年10月5日付けで本件法人を本件各保育園の指定管理者に指定した(本件指定)。本件指定においては、期間(同条5項)は平成19年4月1日から平成24年3月31日までとされた(〔証拠省略〕)。
ウ 本件法人は、平成19年4月1日、本件各保育園の管理及び本件各保育園における保育の実施を開始した(このことを以下、「本件民営化」又はたんに「民営化」という。)。
第3争点及びこれに関する当事者の主張
本件の争点は以下のとおりである。
(1) 原告らが本件指定の取消訴訟における原告適格を有するかどうか。
(2) 本件指定が違法かどうか。
① 本件指定が原告らの保育所選択権を侵害するものとして違法かどうか。
② 本件指定が地方自治法244条の2第3項等の定める要件を欠き、あるいは川崎市長に認められた裁量権を逸脱、濫用したものとして違法かどうか。
③ 本件指定に手続上の違法があるかどうか。
(3) 国家賠償請求の成否
1 争点(1)(原告適格の有無)について
【原告らの主張】
(1) 児童福祉法24条は、保護者に対してその監護する乳幼児にどの保育所で保育の実施を受けさせるかを選択する機会を与え、市町村はその選択を可能な限り尊重すべきものとしており、保護者には保育所を選択し得るという法的利益が保障され、また、児童には特定の保育所で保育の実施を受け、将来保育期間中にわたって保育の実施を受け得るという法的利益が保障されている。
また、保育所の利用の仕組みは、平成9年の児童福祉法改正前の市町村の措置による入所の仕組みから、同改正により、保育所に関する情報の提供に基づき保護者が保育所を選択し、市町村と保護者との間で、保護者が選択した保育所における保育を実施することを内容とする利用契約(公法上の保育所利用契約)を締結する仕組みに変更された。
原告らは、被告による保育所に関する情報提供、事前見学の結果、あるいは自ら児童の兄姉等を保育してもらった経験等に基づき、本件各保育園の特性に着目して本件各保育園を選択し、本件各保育園への入所を申し込み、被告はこれを承諾した。これにより、原告らと被告との間には、保育所の利用に係る公法上の契約が成立した。
同契約に基づき、保護者原告らは、保育実施期間の満了に至るまで、選択した保育所で継続して児童に保育を受けさせる権利を有する。また、児童原告らは、保育実施期間の満了に至るまで、選択した保育所で継続して保育を受ける権利を有する。
(2) 本件指定は、川崎市長が本件法人を本件各保育園の指定管理者として指定した行政処分であり、その根拠法規は本件条例5条、同施行規則5条ないし8条及び本件選定基準であるが、その解釈に当たっては、本件条例及び同施行規則の根拠法令である児童福祉法の趣旨が参照されるべきである。
そして、指定管理者の指定に関する地方自治法244条の2第3項、本件条例5条、同施行規則、本件選定基準の規定は、これに関係する同条例の他の規定のほか、それらの上位規範たる児童福祉法の趣旨及び目的をも参酌すれば、川崎市長がある特定の川崎市立保育園を民営化するに際して、当該民営化によって引き起こされる保育の質の低下ないし変化により、当該保育園に通う児童に対して生命・身体・心理状態に係る被害が発生するおそれがあることを当然の前提として、かかる被害の発生を防止し、また、当該児童の保護者に対して保育所選択権の侵害が生じることを防止し、もって同児童が安全かつ健康で文化的な環境のもとで心身ともに健やかに発達・成長することを確保し、良好な保育環境を保全することをも、その趣旨及び目的とするものである。
したがって、当該民営化園に通う児童及びその保護者のうち、民営化が実施されることにより、保育の質の低下ないし変化による生命・身体・心理状態の安全又は保育環境に係る著しい被害を直接的に受けるおそれのある者は、指定管理者の指定の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として、その取消訴訟における原告適格を有する。
(3) 原告らは、本件各保育園が長年にわたって築き上げてきた具体的な保育内容に着目して、数ある保育所の中から本件各保育園を選択し、同園への入所を申し込み、これに対する被告からの承諾を得て、同園に入所した児童及びその保護者である。本件民営化は、十分な引継ぎがなされることなく保育士の総入替えを伴うものであるから、実質的には本件各保育園を従来とは全く別の新しい保育所に様変わりさせるものにほかならない。
したがって、原告らは、本件民営化が実施されることにより、保育の質の低下ないし変化による生命・身体・心理状態の安全又は保育環境に係る著しい被害を直接的に受けるおそれのある者に該当するから、本件指定の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として、本件における原告適格を有する。
【被告の主張】
(1) 原告らが認可保育所で保育の実施を受けることは、原告らの法的権利ないし法的利益であると考えられるとしても、当該保育所が公営保育所であるか民営保育所であるか、公立保育所における保育士を公務員とするか否かという点まで原告らの法的権利ないし法的利益と考えることはできない。
(2) 本件指定は本件各保育園に指定管理者制度を導入すべく、本件法人を指定管理者として指定したものであり、本件各保育園は、本件指定後においても被告の指揮・監督のもと、被告の定める基本的な枠組みにしたがって運営され、公立保育所ないし児童福祉法39条に定める認可保育所であることに変わりはなく、引き続き児童福祉法及び児童福祉施設最低基準の諸規定に従って運営される。したがって、原告らの認可保育所において保育を受けるという利益は確保されている。
本件指定により本件各保育園の保育時間の延長が実現する等、本件各保育園の利用者に対するサービスの向上がもたらされるものであることからすれば、本件指定は原告らに対する利益処分とさえいい得る。原告らの主張は、本件指定により、本件各保育園において、保育士の大部分の入替えが起きることについて、保護者として不安があるというにすぎず、原告らの主観にすぎない。
以上のとおり、本件指定は、公立保育所である本件各保育園で保育の実施を受けるとの原告らの利益を侵害するものではなく、原告らの法的権利ないし法的利益を侵害するものではない。
(3) 本件指定の根拠となったのは地方自治法244条の2であるところ、同条は公立保育所について指定管理者制度を導入するに当たり、議会の議決を要件とするものの、保護者らとの関係において何らかのプロセスを経て導入しなければならないとは規定していないし、本件指定の関係法令である児童福祉法も保護者らとの関係について特段の規定を設けていないことにも照らせば、本件指定の取消しに関し原告らに原告適格はない。
2 争点(2)(本件指定の違法性の有無)について
【原告らの主張】
(1) 保育所選択権の侵害
上記1【原告らの主張】のとおり、保護者原告らは、公法上の保育所利用契約に基づき、保育実施期間の満了に至るまで、選択した保育所で継続して児童に保育を受けさせる権利を有する。また、児童原告らは、保育実施期間の満了に至るまで、選択した保育所で継続して保育を受ける権利を有する。ここにいう「継続した保育を受け(させ)る」とは、たんに従前の施設で何らかの保育を受けられればよいというような皮相なものでなく、従前と同様の質を伴った保育を継続して受け(させ)ることを意味し、原告らの同意が得られない限り、川崎市長が本件各保育園の管理運営主体を一方的に変更し、保育の質を劣化させることは許されない。
本件指定は、原告らの同意なく、一方的に指定管理者制度を利用して本件保育所の管理運営主体を変更し、本件各保育園の保育の質を劣化させたものであるから、原告らの保育所選択権を侵害し、違法である。
(2) 地方自治法244条の2第3項違反
ア(ア) 地方自治法244条の2第3項が要求する「公の施設の設置の目的を効果的に達成」する場合(以下、この要件を「効果性要件」という。)とは、地方公共団体が自ら管理するよりも、一層向上したサービスを住民が享受することとなり、ひいては住民の福祉が更に増進されることとなる場合をいい、また、本件の施設(保育所)の設置目的は「児童が心身ともに健やかに育成されること」にある(児童福祉法1ないし3条)。
したがって、本件における「サービスの質の一層の向上」の存否は、本件指定がされることにより、本件指定がされなかった場合に比して、本件各保育園に通う児童がより一層心身ともに健やかに育成されることとなるか否かによって判断されることとなる。そして、保育所において、児童がどの程度、心身ともに健やかに育成されるのかは、当該保育所の「保育の質」によって定まるから、本件におけるサービスの一層の向上の存否は、保育の質の一層の向上の存否と同義である。
(イ) 地方自治法244条の2第3項は、効果性要件の充足の判断に当たって検討されるべき対象が「施設の設置の目的」であることを具体的に明示しているから、コスト節減によって自治体財政の負担が節減し納税者の利益になるというような、単なる公益上の効果をもって同項のいう「効果」に代えることは許されない。
(ウ) 本件条例5条1項は、指定管理者指定の要件として、「事業計画書の内容が、保育園の効用を最大限に発揮するとともに管理経費の縮減が図られるものであること」を挙げており(同項2号)、同項は、本件各保育園の保育の質が一層向上することに加えて、本件指定により本件各保育園の効用が最大限に発揮されること、また、管理コストの縮減も図られなければならないことを、効果性要件に加重(上乗せ)して定めたものである。
したがって、本件指定が適法であるためには、本件指定がされることにより、本件指定がされなかった場合に比べて、本件各保育園の保育の質が一層向上し、それにより保育園の効用が最大限に発揮され、かつ、管理経費が縮減されることが必要である。
イ 保育の質の低下について
(ア) 一般に、保育の質は主として「プロセスの質」(子どもの日々の生活経験の質)、「条件の質」(子どもを取り巻く環境的側面)という2つの構成要素に分解される。加えて「大人の労働環境」は、保育士の賃金、保育に関する決定への参加、安定した雇用などを把握しようとするものである。保育士の労働環境は、保育士の行動や経験の積み重ねに密接に結びついているため、保育所での子どもの発達に間接的に影響し、したがって、保育士らの労働環境の悪化は保育の質の低下を招く。
被告は、本件民営化の根拠としてコスト(人件費)の違いを挙げるが、公立、私立の保育士の人件費の格差は勤続年数の差によるものである。公立で保育士の年齢構成が高くなるのは、女性が働き続けられる条件、制度が整っている職場であるからであり、私立保育所の保育士の勤続年数、平均年齢が低いのは、働き続けられる条件、制度が整っていないからである。すなわち、私立保育所の場合、労働条件が悪く離職率が高くなり、そのため保育士の平均年齢が低くなり、その結果低い人件費で済むのである。
(イ) 平均勤続年数を引き下げるということは、保育所の持つ専門性を損なうことになる。本件指定は、保育士の経験年数を一挙に16年も低下させるものであり、平均経験年数20年の園の保育の質を平均経験年数5年の保育士らで維持することは不可能である。保育士らの労働条件の厳しさが、保育士らの余裕のなさを生み、威圧的な保育態度をとる、目配りが欠ける等の保育の質の低下という結果につながる。
本件各保育園には固有の文化があったのであり、その文化が本件各保育園の保育の質であった。原告らは、保育所の選択に際し、園の雰囲気を安心できる快適なものと感じたからこそ、本件各保育園を選んだ。そして固有の文化としての保育の質を支えるのは個々の保育士の個々的な資質や技量の単なる集積ではなく、保育士集団としての資質・技量である。本件民営化により、保育士その他すべてが総入替えされ、固有の文化を支え継承していた保育士集団は喪失された。本件各保育園の保育の文化は断絶させられ、現在の園は、同じ場所にあるからといって、もはや原告らが選んだ保育所ではない。
(ウ) 本件では、実際に、民営化とそれに伴う保育士の総入替えと保育士らの労働条件の悪化によって、深刻な影響が生じた。民営化の結果、保育の安全性は低下し、子どもたちに重大な事故が発生した。保育の質も低下し、保育士と子どもたちとの人間関係及び子どもたち同士の人間関係も悪化した。
ウ 多様な保育ニーズへの反論
被告は、本件民営化の理由として「多様な保育ニーズに対応すること」を挙げ、その具体的内容は、延長保育の実施と、完全給食により3歳児以上の児童へ主食を提供することである。
しかし、公立保育所の保育士らは、被告に対して、保護者と子ども達の生活を守るために公立保育所での延長保育を早期に実施することを求めてきたのであって、その実施を阻んでいるのは被告である。また、幼児に対する主食提供が公立園でなされないのは、公立保育所であるが故ではなく、被告が、公立公営の保育所においては、直営での幼児に対する主食提供をしないとの方針を固持し、実施する意思すらないからである。公立保育所で延長保育及び完全給食を実施した場合の増加経費は、年間388万8240円と試算されるが、被告は、この2つの施策を実施するためとして、1億8768万3881円をかけて本件民営化を行った。したがって、延長保育、主食の提供が民営化と必然的に結びつくわけではなく、これらのサービスは公立保育所でも可能である。
加えて、延長保育など民営化の内容が明らかになった段階である保護者会の平成18年6月のアンケートでも、本件民営化に反対する意見が9割を占めたのであり、保護者らは延長保育、主食の提供を前提としても本件民営化に反対している。延長保育等は保護者の真のニーズではなく、行政側からのお仕着せのニーズにすぎない。
エ コスト節減論に対する反論
(ア) 被告は、指定管理者制度を採用すれば、保育園一園当たりにかかるコスト(人件費)が節減されるというが、公私の人件費の格差は保育士の年齢差にあるところ、民間であっても10年経過すれば平均年齢が10歳上がり、人件費も上がってくる。特に民間は20代が圧倒的に多い年齢構成になっているので、彼らがそのまま保育士を続けるという前提に立てば、次第に公立の年齢構成に近づいていく。他方、公立は40代以上が60%近く、うち50代が30%近くを占めており、10年経てば彼らは徐々に定年退職していき、その定員は20代の若い保育士が埋めるから、平均年齢が下がってくるはずである。原告らの試算によれば、20年すれば、公立と私立で年齢構成が逆転する。したがって、20年後まで、私立の方がコストが安いという根拠はない。
(イ) 被告は、本件各保育園等を民営化して浮かせたコストを新設・増設の7園に回すとしているが、本件指定のあと、従前の保育士は解雇されたわけではなく、被告が支払う人件費に変わりはなく、市財政全体に対する負担は変わりない。したがって、本件民営化で浮いたコストを他園に回すという主張はなりたたない。
(ウ) 被告は、本件指定によって本件各保育園の保育士を免職することなく、保育士の人数を削減することができたと主張するところ、本件指定で減らすことができた職員の定員は25名であり、この分を新規で採用しなくて済んだというのが本件指定の経済的効果である。
しかし、公務員保育士25名を雇用するに必要な経費はわずか9250万円であり、他方、本件指定における委託料の基本額は1億8768万3881円であって、民営化した場合は民営化しない場合よりコストがかかる。民営化にかかる固有のコストとして、引継ぎ手数料1076万7330円、巡回保育士や職員の土日出勤などの費用も考慮すると、民営化した方が、公立のまま続けるより1億円は費用がかかる。
(エ) したがって、本件民営化はコスト削減にはつながらず、民営化されればコストが削減されるとか、浮いた経費を他園の運営に回すことによって待機児童問題を解消するという被告の主張は誤りである。
オ 以上のとおり、本件指定は保育の質の低下をもたらし、延長保育や完全給食は本件指定を正当化しないし、コストの削減にもつながっていない。したがって、本件指定は、地方自治法244条の2第3項、本件条例5条、同施行規則及び本件選定基準の要件を満たさず、違法である。
(3) 手続違反
本件指定は、保護者の保育所選択権、児童の健やかに発達・成長する権利・利益を侵害するものであるから、児童福祉法33条の4を類推して、又は行政手続法の趣旨からして、保護者らは、当該保育所が民営化の対象として選定された経緯・根拠、民営化の具体的方法、民営化後の保育のあり方等について十分に説明を受け、意見を述べる機会が与えられなければならない。
しかし、本件指定は、あらかじめの説明もなく、保護者らの意見を聴くこともないまま突如決定され、保護者らの多数の反対を押し切って強行された。
したがって、本件指定は、児童福祉法33条の4(類推)に違反し違法である。
(4) 裁量権逸脱濫用論
ア 公立保育所の民営化につき川崎市長に裁量が認められるとしても、原告らが現に本件各保育園で保育を受け(させ)ており、今後も受け(させ)続ける権利ないし法的利益を有し、その民営化につき重大な利害関係を有していることに照らせば、川崎市長が本件各保育園を民営化するに当たり許される裁量は相当程度に限定される。したがって、重視すべきでない考慮事情を重視するなど、考慮した事項に対する評価が明らかに合理性を欠いており、他方、当然考慮すべき事項を十分考慮しておらず、その結果、社会通念に照らして著しく妥当性を欠いた場合や、基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合には、本件指定は違法となる。
イ 民営化対象園として本件各保育園を選定したことの違法
(ア) 保育所は、施設職員(保育士等)と利用者(児童及び保護者)との間で継続的かつ密接な信頼関係が構築されているのが通常であり、利用者には保育所選択権が保障され、保育所の管理運営につき法的に保護されるべき利益ないし重大な利害関係を有するから、複数ある施設の中から民営化の対象施設を選定するに際しては、かかる利用者の権利ないし利益に十分配慮することが必要である。
したがって、民営化対象園の選定は、利用者の権利ないし利益の保障という観点から強く合理性が求められ、合理的な内容の選定基準に基づき、事実に対する正しい認識と評価を前提とした合理的な判断がされなければならない。
(イ) 選定過程が明らかでなく公正性に欠けること
被告は、考慮されるべき要素を点数化する等、選定の公平性、公正性を担保するための選定基準を一切設けておらず、選定の公平性、公正性は極めて疑わしい。
また、保育は、自らは自身の生育する環境を選ぶことのできない児童の成長発達を左右するものであるから、そのような児童の健全に発達育成する利益は取り返しのつかないものであって、本件条例の規定と保護者の保育所民営化に対する懸念とを併せ考えれば、複数ある中からどの公立保育所が民営化対象園として選定されるかにつき利用者が多大な関心を寄せ、その選定過程に関する情報の提供を求めるのは自然なことであり、法的にも保護されるべきものである。その表裏として、被告には選定過程に関する情報を利用者らに提供すべき法的義務がある。
ところが、被告は、いかなる議論の過程を経て本件各保育園を民営化対象園に選定したのかについて、保護者らに対して、全く説明しなかった。すなわち、被告は、選定の過程を明らかにする資料の開示を求められても、当初は非公開として開示を拒み、後には前言を翻して「メモは作るが議事録は作成していない」あるいは「開示はできない」などと回答し、結局、その議論の過程を明らかにしなかった。
(ウ) 選定の判断が事実の基礎を欠くこと
被告は、当初、本件民営化の目的は、①待機児童の解消、②多様なサービスの提供、③経費削減の3点にあること、本件各保育園を選定することにより、上記①に関して園舎の増築により定員増となること、上記②に関して子育て支援センター等を設置すること、上記③に関して7000万円の経費削減になることなどが実現し、上記目的に沿うことなどを説明した。
ところが、実際には、計画発表から1年も経たないうちに、①園舎の増築は不可能であり定員増が実現しないこと、②子育て支援センターも設置されないことが明らかにされ、その後、③経費削減効果も3000万円まで大幅に下方修正された。また、そもそも経費削減効果は、民営化自体に伴うものであるから、本件各保育園に固有の問題ではなく、上記③は本件各保育園を選定する理由にはなり得ない。
さらに後になって被告は、保護者らに対し、本件各保育園を選定した理由は、①比較的駅に近いこと、②地域性から民営化園は各区に1か所と考えていること、③現行は給食室が2つあるので、これを1つにすることでコストを削減できること、の3点であると説明を変えた。
しかし、川崎市中原区内には比較的駅に近い保育所が本件各保育園以外にも複数存在し、上記①は本件各保育園を選定した理由とならない。
また、上記②は、そもそも何ゆえ各区に1か所必要なのかということ自体説明し得ないし、本件各保育園の所在する中原区以外の区において1園を民営化することも可能であるから、やはり中原区を選んだ理由の説明にはならない。当然、中原区内で特に本件各保育園を選定したことの理由にもならない。さらに、2つある給食室を1つにすることのできないことも後に判明しており、上記③も選定理由とならない。
したがって、上記の各理由は、88か所ある市立保育所の中からあえて本件各保育園を選定した理由とはなり得ず、被告が本件各保育園を選定したことについては、その理由となるべき事実の基礎を欠いており合理性はない。
(エ) 選定に当たり保護者の意向が考慮されていないこと
保育所の民営化が必然的に児童及び保護者の権利ないし法的利益を侵害するという性質を有するものである以上、保育所の民営化を実施するに当たっては、すべての保護者の同意を得ることが必要であり、保護者の同意を得ることができない場合には、他に同意を得ることのできる園が存しないか検討するなど、できる限り保育所選択権の侵害ないし制約が生じないよう適正な配慮をすべきである。保護者の同意が民営化の要件でないとしても、同意の少ない保育所よりも同意の多い保育所を優先的に民営化対象とすることを検討すべきである。
ところが本件では、民営化対象園の選定に先立って保護者の意向を調査するというようなことは全くされていない。また、本件各保育園の保護者の大多数は、一貫して本件民営化に反対の意思を表明し、繰り返し、計画の白紙撤回又は延期を求めていたのであるから、被告は、これを無視して民営化を強行すべきではなかった。
(オ) 民営化対象園の見直しを一切行っていないこと
本件各保育園が最終的に民営化対象園に確定するのは、川崎市議会の議決の時(平成18年10月4日)であり、これより遥か以前の時点で、定員増にせよ、子育て支援センター設置にせよ、当初民営化の目的とされた事項がいずれも実現不可能になった上、本件各保育園利用者の90%が民営化に反対していたのであるから、被告としては、民営化によってその目的をより効果的に達成することのできる公立保育所が他に存在する場合や、利用者の反対のない公立保育所が他に存在する場合には、民営化対象園を見直す必要があり、またそれが可能であった。ところが、被告は、そのような対象園の見直しを行わなかった。
ウ 本件民営化の枠組みの定め方の違法
(ア) 公立保育所を民営化する内容及び方法が必要かつ合理的なものでない場合、裁量を逸脱濫用したものとして違法である。
(イ) 保育士の総入替え
保育士の総入替えは、子どもが長年慣れ親しんだ保育士から突然切り離されることによって子どもに心理的な混乱をもたらす。また、保育内容の継続性が失われ、保育の文化的質も変容することになるなど、保育の質を著しく劣化させる。本件では、保育士の総入替えが生じないよう一定人数の保育士を民営化後も引き続き勤務させることを指定管理の仕様書に盛り込むことが可能であった。とりわけ、本件では本件法人が指定管理者に指定されたから、民営化前の保育士を民営化後も本件各保育園に出向させる形で継続して保育に当たらせることは容易であった。しかし、被告は、そのような努力を怠り、その結果、保育における人的継続性は失われた。
(ウ) 保育士の経験年数の切り下げ
保育士の経験は、保育の質を決定付ける重要な要素であり、民営化に当たっても、できる限り保育士の経験水準が維持される必要がある。しかし、被告は、本件各保育園の指定管理者を募集する際作成した指定管理の仕様書において、保育士につき、民営化前と同程度の経験水準を指定管理の仕様として定めることが可能であったのに、あえてそれよりも低い水準を設定した。
(エ) 引継期間
民営化によって保育士が総入替えになるなら、保育の継続性の要請という観点から、できる限り長期間の引継ぎを行うことが望ましい。最低でも引継期間は1年以上とする必要があり、人的継続性が切断された本件では、それ以上の引継期間が必要であった。しかし、被告は引継ぎの重要性を看過し、引継期間は6か月弱とした。
(オ) 指定管理の手法の採用
民営化の手法は、指定管理の方法のほか、公立保育所を廃止して民間に敷地・施設等を譲渡若しくは貸与する方法、運営業務を委託する方法等が存在する。指定管理者制度は、指定期間が経過するごとに指定管理者の選定が繰り返されることが予定されており、その都度指定管理者が変更になり保育士が総入替えになる可能性がある。また、指定管理への応募がない場合や、指定後に経営上の都合などによって指定が辞退されたような場合には、急遽公営に戻す必要が生じる場合もあり得る。本件でも、将来指定管理者が変更になったり、公営に戻される場合が考えられるが、そのときに生じる混乱が児童に与える影響は甚大である。
(カ) 在園児童の卒園を待たずに民営化したこと
児童及び保護者の保育所選択権を保障する観点から、少なくとも民営化が保護者に実質的に告知された時点で在園していた児童及び保護者の中に民営化に同意しない者がいる場合には、在園児童の卒園を待ってから民営化することが必要というべきである。指定管理では、どの時点で指定管理者を公募するかは自治体が自由に決めることができるから、被告は、保護者の意向を尊重して在園児童の卒園を待つことが可能であった。しかし、被告は、在園児童の卒園を待たずに本件指定に踏み切った。
エ まとめ
以上より、本件指定は、民営化対象園の選定及び民営化の枠組みの定め方につき、考慮すべき事項を考慮せず、また、重要な事実の基礎を欠いており、必要性も合理性もなく、児童及び保護者の権利ないし利益を侵害している。また、本件指定を決定するについても、考慮すべきでない多様なニーズ及びコスト削減という点を考慮し、保護者の意向を無視するなど、考慮すべき事項を考慮せず、また、重要な事実の基礎を欠いている。したがって、本件指定は裁量権を逸脱濫用したものであり、違法である。
【被告の主張】
(1) 本件民営化の目的について
ア 川崎市児童福祉審議会の意見具申
平成12年10月、川崎市児童福祉審議会から「少子化の進行とこれからの保育施策」と題した意見具申が川崎市長あてに提出された(〔証拠省略〕)。
この意見具申では、「子どもを預けやすく、受け取りやすい、通勤途上にあり交通の利便性のよい保育所の設置が望まれている。」、「公立の場合、その性格上、運営や保育内容が画一的になり易く、柔軟な施策を展開するためには、民間活力の導入も検討する必要がある。運営などにも幅ができ、多様な保育ニーズにも応えやすくなる。」との意見とともに、「職員配置、人件費の増大等の面から保育行政に係わる運営総費用の再配分の検討も必要に迫られている。」ことから、「弾力的な運営の手法として、公立保育所の民営化の推進を検討する。」ことが提言された。
特に、川崎市の公立保育所の課題として、「保育所運営費の公私比較をすると、120名定員の保育所で年間約7千万円、公立保育所の総運営費が多くかかるという試算がある。理由としては、公立保育所の保育士の年齢が、私立保育所と比較して高いため、人件費に係る経費が多くなっている。」と指摘されていた。すなわち、「平均年齢は公私で10歳の差があり、このような実態から、公立保育所の人件費は増大する一方で、今後の保育施策に多大な影響を及ぼすことも考えられる。現行体制では、人件費を負担することに追われ、待機児童解消に向けた保育所の増設をはじめ、子育て支援センター、一時保育、夜間保育など多様な保育ニーズへの柔軟な対応が困難となる。」と指摘された。
イ 川崎市保育基本計画
川崎市の保育所の運営費は、保育所の規模や児童の年齢区分等によって算定される国の基準額をはるかに上回り、平成13年度予算では、法定外市負担額は、運営費総額の54.6%を占めており、従来どおりの保育行政システムのまま今後も保育所の整備を図っていくことは極めて困難なものとなっていた。
川崎市児童福祉審議会からの上記意見具申を受け、川崎市では、平成14年2月に「川崎市保育基本計画」を策定した(〔証拠省略〕)。同計画では、平成14年度を初年度とし、平成23年度までの10か年の計画で、待機児童の解消を図るために受入れ枠の拡大を図るほか、午後7時以降の延長保育や休日保育、一時保育や地域子育て支援センターなど多様な保育サービスを実施することにより、仕事と子育ての両立支援と在宅児を含めた子育て支援を公・民協力のもと、総合的かつ計画的に推進することとし、公立保育所については、保育需要が高く、駅周辺に立地する条件に適った保育所を駅周辺型保育所と位置付け、これを民営化し、多様な保育サービスを提供するとともに、保育所運営の効率化を図ることとした。
ウ 川崎市行財政改革プランの策定
(ア) 川崎市は、上記川崎市保育基本計画を策定した当時、深刻な財政逼迫状況に直面していた。平成14年度予算においても、多額の収支不足が見込まれ、そのまま推移すると、平成17年度には財政赤字団体となり、平成19年度には財政再建団体となる可能性もあったのであり、このままでは近い将来、現行の市民負担で現行のサービス水準を維持することすら不可能であると考えられた。
(イ) こうしたことから、川崎市では、平成14年9月、「行政体制の再整備」「公共公益施設・都市基盤整備の見直し」「市民サービスの再構築」を骨子とする「川崎市行財政改革プラン」を策定した(〔証拠省略〕)。これにおける行財政改革は、「民間活力を引き出す」ということと「受益者負担以外の市民負担の増加を回避する」ことを前提として、市民が求める質の高いサービスを、効率的かつ多様に享受できる環境をつくり上げることを目的に、市場原理が的確に働く領域においては、サービス提供を民間部門にゆだねることとし、これまで市が行ってきた諸々の市民サービスの再構築を図ることとし、公立保育所についても民営化を進めることとした。
(ウ) 市民サービスの一つである保育所における保育サービスについては、公立・私立にかかわらず、ほぼ同一なサービスが求められるが、平成12年度決算における被告の保育所運営経費は、国が定める運営経費に対し、私立保育所の運営費は1.4倍であるところ、公立保育所の運営経費は2.3倍に及んでいた。一方、保育内容においては、延長保育・乳児保育・障害児保育等の実施状況では基本的に公立・私立で大きな格差はなく、むしろ民間によって多様なサービスが提供されている状況があった。
エ 上記事情を背景として、被告は、保育所における指定管理者制度の導入を進めた。
(2) 本件各保育園を民営化対象園として選定した経緯
ア 被告が平成14年2月に策定した「川崎市保育基本計画」では、駅周辺に立地する条件に適った保育所を駅周辺型保育所と位置付け、これを民営化し、多様な保育サービスを提供するとともに、保育所運営の効率化を図ることとした。
平成15年5月、被告は、上記「川崎市保育基本計画」の平成19年度までの具体的な実施計画として「川崎市保育基本計画事業推進計画」を策定し、平成19年度までに民営化する保育所を公表した(〔証拠省略〕)が、本件各保育園についても平成19年4月をもって民営化することとした。
イ 上記事業推進計画の策定に当たっては、「保育事業基礎調査報告書」(〔証拠省略〕)において、本件各保育園が立地するJR南武線武蔵中原駅の利用者数は50駅中7番目と利用者が多いこと及び全市的なバランスも考慮して、武蔵中原駅も民営化対象園の最寄り駅として選定した。駅の利用者が多い駅を選定する理由は、公共交通機関の便がよいことから、より広い地域の住民が利用できること、午後7時以降の延長保育や一時保育など多様な保育サービスの実施による利益をより多くの住民が受けることができることにある。
ウ 武蔵中原駅を中心に500mの円を地図上に描くと、c保育園、d保育園、本件各保育園がほぼ等距離にあるところ、まず、武蔵中原駅の北側にあるc保育園については、多摩川までの距離が短く等々力緑地もあるため、住民自体が少ない以上保育需要も少ないと考えられるのに対し、d保育園及び本件各保育園のある武蔵中原駅の南側は、中原街道という幹線道路もあり、高津区の利用者にも対応できるため、保育需要が多いと考えられた。そこで、c保育園が民営化対象園の候補から外された。
次に、d保育園及び本件各保育園を比べると、本件各保育園の定員が125名であるのに対し、d保育園の定員は95名と30%近くも本件各保育園の定員は多く、園庭や園舎も大きく、より多くの利用者に延長保育等のサービスを受けてもらえることから、駅周辺型保育所として、d保育園ではなく本件各保育園が選定された。
当時は、園舎を増築することによって定員増が可能となり、この地域の待機児童解消に寄与するものであること、また本件各保育園は同一の敷地内に保育園と乳児保育園の2つの園舎が存在する乳幼児併設園であるため厨房が2つあり、これを1つにすることにより効率的な運用が図れることも考慮し、本件各保育園が駅周辺型保育所として最終的に決定された。
エ その後、増築工事の具体的検討を行った結果、従来の保育環境を確保しながら安全に工事を進めていくことが困難と判断されたため、増築工事については実施しないこととし、定員増や一時保育事業等については計画を変更したものの、他方、民間事業者の柔軟な運営により、朝7時からの児童の受入れや午後8時までの長時間延長保育が可能となることに加え、公営保育所では実施していない完全給食の実施により、3歳児以上の児童に対しても主食の提供がされ、主食持参という保護者の負担が軽減されるなど、サービスの向上がはかられることから、民営化の価値はあると判断し、平成17年3月に策定した「川崎市保育基本計画 事業推進計画(改訂版)」(〔証拠省略〕)においても、引き続き本件各保育園を民営化対象園として位置付けた。
(3) 児童及び保護者に対する配慮
ア 被告は、平成15年5月に「川崎市保育基本計画 事業推進計画」を策定し、本件各保育園の民営化を公表した後、同年9月6日に本件各保育園協議会の役員に対し説明を行ってから本件指定までに12回に及ぶ説明会を行った。
川崎市では、保育所に申込みを希望する保護者に対する手引きとして「保育所入所案内」を作成・配布しているが、平成15年度に作成された保育所入所案内から、本件各保育園については平成19年4月から民営化することを記載し、周知してきた。また、入所申込みを受理する各福祉事務所においても、申込み時に本件各保育園の民営化について説明しており、現在の本件各保育園の保護者らのほとんどは、入園前より本件各保育園が民営化されることを認識している。
イ 被告は、指定管理者公募の際に申請者に提示する指定管理仕様書について、公募の前の平成18年3月19日の説明会において保護者らに案を示し、その後保護者らからの要望を受け、可能な限り保護者らからの要望を取り入れて指定管理仕様書を作成した。取り入れられないものについては、その一つ一つについて取り入れられない理由を文書にて回答し、説明会においても説明を行った。
ウ 被告は、本件各保育園の運営者や保育士等が変わることによって本件各保育園に入所している児童に影響が及ぶことのないよう、本件各保育園の保護者らからの要望を踏まえて6か月の引継ぎ共同保育を行うこととし、看護師、栄養士の配置も必須とした。
また、本件民営化前後において、保護者、指定管理者及び被告による三者会議を開催し、保護者の意見や要望を聴取した。
のみならず、民営化前の本件各保育園の園長に、ほぼ毎日、本件各保育園の巡回を行わせ、民営化後においても本件各保育園が安定的に運営されていることを確認した。
(4) 民営化後の本件各保育園について
ア 本件条例6条は、「指定管理者は、この条例及びこれに基づく規則の規定に従い、保育園の管理を行わなければならない。」と規定しており、本件各保育園は、本件指定後においても引き続き公立保育所として、地方自治法、本件条例、同施行規則、児童福祉法及び児童福祉施設最低基準の諸規定に従って、被告の監督のもと被告の定めた枠組みに基づいて管理運営がされており、本件指定は、本件各保育園の入所児童及びその保護者の権利・義務に何ら影響を及ぼすものではない。
イ 本件指定後の本件各保育園の具体的な運営は、指定管理者の事業計画書に基づいてされるが、被告は、あらかじめ指定管理仕様書を定め、指定管理者が事業計画書を作成するに当たって留意すべき事項を具体的に定め、本件指定後においても本件各保育園の保育内容はこれまでと変わらないような措置を講じた。実際にも民営化後の本件各保育園の保育内容やカリキュラムについては、公営保育園当時と変わることはなく、同じような運営がされるよう配慮している。
ウ 保育所については、児童福祉施設最低基準において、保育士をはじめとする職員の配置基準が定められている(同基準33条)が、被告は、保育所運営が適正にされるよう指定管理仕様書を定め、国の基準を上回る川崎市の民間保育所認可基準に基づく職員配置を義務付け、本件指定後の本件各保育園においては、民営化前と同水準の人員配置がされている。
また、被告は、指定管理者に対し「施設長は、社会福祉事業の経験を15年以上有すること。」「主任保育士は、児童福祉施設での経験を10年以上有すること。」「看護師は、5年以上の実務経験を有すること。」また、「その他の職員についても、保育所での経験を有する者の確保に努めること。」と指定管理仕様書において具体的に規定して経験者の確保を義務付け、実際にも施設長(園長)は40年、2人の主任保育士は22年と16年、看護師は27年の経験年数を有し、その他の保育士も16名中10名が保育所での経験を有しており、公営保育園当時と変わることがないよう配慮している。
(5) 原告らの主張する保育所選択権について
ア 原告らは、本件指定が原告らの保育所選択権を侵害し違法である旨主張するが、もともと入所時に定める保育の実施期間は、その時点における見込みという性質を有するものであるし、保育所の利用は長ければ6年間にも及び、保育所を取り巻く諸情勢に変化が生じることも避け難い。市町村の限られた財産の有効利用という視点からすれば、保護者が入所申込時に行う入所希望保育所の申出や、当該保育所において保育の実施を受ける利益の保護を、当該保育所の運営までをも制約する絶対的なものと解することはできない。
そもそも、市町村の設置運営する公の施設である保育所の運営に関する事項については、設置者である被告による政策的な裁量判断にゆだねられているものであり、保護者全員の同意が得られない限り保育所に指定管理者制度を導入してはならないというものではない。
本件指定は本件各保育園に指定管理者制度を導入するにすぎず、本件各保育園が公立保育所であることについては変わりはないし、児童が本件各保育園で保育を受けられる以上、原告らの利益を侵害するものではない。
イ 本件指定は、運営主体を変更するものである以上、保育士の入替えを必然的に伴うものであるが、被告はこの問題を解決するべく、①平成18年10月から6か月間、引継共同保育を実施し、②保護者、指定管理者及び被告による三者会議を開催し、③本件各保育園の前園長に、ほぼ毎日、本件各保育園の巡回を行わせ、④平成18年10月ころまでに、当時の保育士らがファイル3冊にも及ぶ「保育・行事マニュアル」(〔証拠省略〕)を作成し、保護者にも公開し保護者の意見が反映するよう配慮し、⑤被告が採用し本件各保育園で保育に従事していた14名の臨時職員(保育士2名を含む)については、本件指定に伴い本件法人が平成19年4月に雇用し、継続して本件各保育園での保育に従事することとし、保育の継続性が保たれるよう配慮した。
(6) まとめ
ア 本件指定は、待機児童対策としての保育受入れ枠の拡大のほか、午後7時以降の延長保育など多様な保育サービスの実施を進めるとともに、厳しい財政状況の中で保育所運営の効率化を図るためのものであって、その目的は正当なものである。
イ 被告は、保護者らに対して十分な説明を尽くすとともに、本件指定が保育士の入替えを伴うものであることから、本件各保育園に入所している児童への影響にも配慮して6か月にわたる引継共同保育を実施する等、児童への影響等も考慮し、適正に事務処理を進めた。
ウ 本件各保育園に指定管理者制度を導入したことにより、以下のとおり、被告が自ら管理するよりも一層向上したサービスが提供され、ひいては住民の福祉がさらに増進された。
(ア) 民営化前の本件各保育園では、3歳以上の児童らに対する主食の提供はされておらず、当該児童らは自宅から主食を持参していたものであるが、民営化後においては、すべての年齢の児童らに対し主食の提供がされるようになった。また、開所時間についても、民営化前は午前7時30分から午後7時までであったものが、民営化後は午前7時から午後8時までとなり、朝は30分、夜は1時間、保育時間の延長がなされ、保育サービスの拡大が図られた。
(イ) 本件各保育園に指定管理者制度を導入した結果、本件各保育園については約3600万円の運営経費が節減された。このような効率化によって生じた財源を保育所整備の事業に再投入するととが可能となり、待機児童対策としての保育受入れ枠の拡大が実現した。
エ 以上のとおり、本件指定は適法である。
3 争点(3)(国家賠償請求の成否)について
【原告らの主張】
(1) 違法性
ア 前記2【原告らの主張】のとおり、本件指定はそれ自体違法である。
イ 付随義務違反
被告が保育所を民営化するに当たっては、これに付随して、原告らの利益を最大限保障すべく、原告らへの説明責任を尽くす一方、保育の質や安全性、継続性の維持に配慮し、児童への影響を最小限とすべき義務を負っていた。
本件民営化は、人件費削減による保育の質と安全性の低下、短期間の職員総入替えによる児童への影響、不十分な引継ぎによる保育の継続性の切断をもたらすものであり、事前に保護者に対する説明と納得を得る手だても十分講じられてこなかった。担当職員らは、本件民営化に付随する義務を怠った。
(2) 故意・過失
本件各保育園の保護者らは、拙速な本件民営化が児童にもたらす悪影響を懸念し、被告による説明会の席で、被告職員らに対し、繰り返し児童の利益を最優先課題として慎重に取り組むよう要請してきたほか、川崎市長に対しても書簡を提出した。また、議会においても、本件民営化の問題点が繰り返し指摘された。
にもかかわらず、被告は原告らの意向を無視し、自ら計画した本件民営化をスケジュール通り進めることに固執し、本件民営化を強行したのであって、担当職員ら及び川崎市長に故意又は過失があった。
(3) 原告らの被った損害
原告らは、以下のような精神的損害を被った。
ア 民営化を強行される過程で、保護者原告らは、最愛の子どもを被告に人質に取られながら、この問題を放り出すわけに行かず、必死の思いで少しでもよい保育環境を子どもたちに与えようと奔走した。情報収集をし、他の園と連絡を取り、仕事と育児・家事の合間から時間を作り出して、会議に参加し、このことだけに数年間を棒に振った。
イ 原告らは、本件民営化により、自ら選択した保育園の運営が変更され、保育方針・保育内容・保育環境が全く異なる他園に移されるという多大な損害を被った。子どもたちは、幼児帰りをする、保育園を脱走する、大怪我をする、病気になる、将来の精神的よりどころを失う等の多大な損害を被った。保護者らは、そのことに不安を募らせ大きな精神的苦痛を受けた。
ウ 本件民営化とそれに伴う保育士の総入替え、そして保育士らの労働条件の悪化により深刻な影響が生じた。民営化の結果、保育の安全性は低下し、子どもたちに重大な事故が発生した。保育の質も低下し、保育士は子どもに威圧的な保育を行うようになり、保育士と子どもたちを取り巻く人間関係も悪化した。
このことにより、子どもたちは、小さな心を痛め日々つらい思いで過ごさなければならなくなった。また、子どもたちは、慣れ親しんだ保育士と突然の別離を強制され、理由も分からず新しい環境へと投げ出され、その過程で心に大きな傷を負った。保護者原告らは、保育の質と安全性の低下により、子どもを保育園に預けるについて不安にさいなまれ、大きな精神的苦痛を被った。
【被告の主張】
前記2【被告の主張】のとおり、本件指定は地方自治法244条の2第3項に適合するものであり適法である。被告としては、引継共同保育の期間を6か月間とする等、本件指定による児童・保護者の不安を解消すべく、最大限の配慮をしており、被告の対応は国家賠償法上違法と評価されるものではない。
損害等、原告らのその余の主張についても争う。
第4当裁判所の判断
1 争点(1)(原告適格の有無)について
(1) 行政事件訴訟法9条は、処分取消しの訴えは当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」に限り提起することができるとし(同条1項)、処分の相手方以外の者について上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては、当該処分の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮し、この場合において、当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては、当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌し、当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては、当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案すべきもの(同条2項)と規定している。
そして、上記「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され、又は必然的に侵害されるおそれのある者をいい、当該処分の根拠となる法令が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、このような利益も上記の法律上保護された利益に当たるものと解される。
そこで、上記のことを踏まえて、原告らが本件指定の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」といえるかどうかについて検討する。
(2)ア まず、地方自治法の規定等をみてみると、同法は、普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設(公の施設)を設け(244条1項)、公の施設の設置及び管理に関する事項は、条例で定めるものとした上(244条の2第1項)、公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があると認めるときは、条例の定めるところにより、指定管理者に当該公の施設の管理を行わせることができるとし(244条の2第3項)、同条例には、指定管理者の指定の手続、指定管理者が行う管理の基準及び業務の範囲その他必要な事項を定めるものと規定する(同条4項)。
イ 被告は、地方自治法244条の2第1項の規定に基づき、児童福祉法39条にいう保育所について川崎市保育園条例(本件条例)を制定しているところ、同条例5条は、地方自治法244条の2第3項の規定を受けて、①保育園の管理を行うに当たり利用者の平等な利用が確保でき、②事業計画書の内容が保育園の効用を最大限に発揮するとともに管理経費の縮減が図られ、③事業計画書の内容に沿った保育園の管理を安定して行う能力を有する法人その他の団体を指定管理者として指定することができるものとし(1項)、川崎市保育園条例施行規則5条1項は、本件条例5条2項の申請をした法人等が2以上あるときは、指定要件を満たし、かつ、児童の福祉を図る上で最も適切と認められるものを指定管理予定者とする旨定める。そして、被告が定めた本件選定基準(〔証拠省略〕)の内容は前記第2の2(3)のとおりである。
また、本件条例は、地方自治法244条の2第4項の規定を受けて、指定管理者は、同条例及び同施行規則の規定に従い、保育園の管理を行わなければならず(6条)、保育園の管理のために必要な業務を行わなければならない旨(7条)定める。本件条例施行規則7条は、指定管理者は、市長と事業計画に関する事項等の保育園の管理に関する協定を締結するものとし、8条は指定管理者が行う保育に関する業務の範囲について規定し、本件各保育園については、①児童福祉法24条1項の規定による保育の実施、②同法48条の3第1項の規定による情報の提供、相談及び助言の実施、③延長保育の実施を行うものとされている。
ウ 以上のとおり、地方自治法は、公の施設一般について規定するのみで、指定管理者の指定要件等の具体的な規定については条例の定めるところにゆだねているが、これを受けた本件条例の指定要件等は、利用者の平等な利用の確保、保育所の安定した管理、児童の福祉等についても規定し、指定管理者の指定に際して、利用者である児童及びその保護者について適正な配慮がされることも、その趣旨及び目的としているといえる。なお、本件選定基準は、被告内部の基準にすぎないものとはいうものの、前記第2の2(3)のとおり、保育の実施態勢や、指定管理者による保育の実施開始に当たっての川崎市職員からの引継ぎ等についても規定している。
(3)ア 前記のとおり、指定管理者に公の施設の管理を行わせることができるのは、「公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があると認めるとき」(地方自治法244条の2第3項)であって、これを保育所についてみれば、その設置の目的は、日々保護者(児童福祉法6条)の委託を受けて、保育に欠ける乳幼児(同法4条1項)を保育することである(同法39条1項)。そこで、児童福祉法が、本件指定の直接の根拠法令である地方自治法の関連法令として、現に保育所において保育の実施を受けている児童及びその保護者の利益についてどのような配慮をしているかをみてみると、以下のとおりである。
イ 児童福祉法によれば、市町村は、保護者の労働等の事由により、その監護すべき乳幼児等の保育に欠けるところがある場合において、保護者から保育の申込みがあったときは、それらの児童を保育所において保育しなければならず(24条1項)、上記保護者は、入所を希望する保育所その他厚生労働省令の定める事項を記載した申込書を市町村に提出しなければならず(同条2項)、市町村は、1の保育所について、申込みに係る児童のすべてが入所する場合には当該保育所における適切な保育の実施が困難となることその他のやむを得ない事由がある場合においては、当該保育所に入所する児童を公正な方法で選考することができ(同条3項)、市町村は、1項に規定する保護者の保育所選択等に資するため、厚生労働省令の定めるところにより、保育所の設置者、設備及び運営の状況等に関する情報の提供を行わなければならない(同条5項)とされている。
ウ(ア) 上記の点については、同法24条2項に規定する申込書の記載内容及び5項に定める提供すべき情報については児童福祉法施行規則24条、25条に定めがあるが、平成9年児童福祉法改正時に発せられた厚生省児童家庭局長通知「児童福祉法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備に関する政令等の施行について」(平成9年9月25日児発596号。〔証拠省略〕)では、この点を以下のように説明している。上記通知では、「入所者の選考は基本的には保育所に対する申込者が当該保育所の定員を超える場合に行うこととし、入所を希望する保育所への受入れが可能である場合には当該保育所に入所させること」、「市町村は保育の実施を決定した児童ごとに……、保護者に対して「保育所入所承諾書」を交付」することといったことのほか、保育所入所申込書及び保育所入所承諾書等の書式が示されており、上記保育所入所申込書の書式には、入所を希望する保育所名とともに「保育の実施を希望する期間」欄が設けられ、「小学校就学始期に達するまでの保育の実施を必要とする理由に該当すると見込まれる期間の範囲内で記入して下さい」と注記されており、保育所入所承諾書には、「申込みのありました保育所への入所について次のとおり承諾いたします。」とあって、入所する保育所名とともに保育の実施期間が記載されることになっている。
(イ) そして、川崎市児童福祉法施行細則(昭和47年川崎市規則第62号。〔証拠省略〕)においても、保育所への入所申込みは、保育所入所(変更)申込書に就労・所得証明(申告)書を添えて行わなければならず(8条3項)、福祉事務所長は、保育の実施を承諾するときは保育所入所(承諾・変更・解除)決定通知書により保育所の長及び保護者に通知しなければならない(9条5項)とされ、上記各書類の様式についても規定され、上記保育所入所申込書の書式には入所を希望する保育所名とともに「保育の実施を希望する期間」欄が設けられ(〔証拠省略〕)、上記保育所入所承諾決定通知書の書式にも入所する保育所名とともに保育の実施期間が記載されることになっている(〔証拠省略〕)。なお、被告が乳幼児を持つ保護者向けに作成した「保育所入所案内」(〔証拠省略〕)にも、保育所の「入所期間は保育所入所承諾決定通知書に記載されている保育の実施期間となります」と説明されており、川崎市のホームページでも同様の説明がされている(〔証拠省略〕)。
エ 以上の各規定等からすると、乳幼児は保護者が申し込んだ保育所において保育の実施を受けることになり、選考が行われる場合でも、当該申込みに係る保育所ごとに行われる。そして、申込みを受けた市町村の作成する保育所入所承諾書には、具体的な保育所名とともに、保育の実施期間が記載され、これを承諾するとされるのである。
このような仕組みからすると、法24条は、保護者に対して、その監護する乳幼児にどの保育所で保育の実施を受けさせるかを選択する機会を与え、市町村はその選択を可能な限り尊重すべきものとしていると解される。
オ また、児童福祉法24条1項は、上記のとおり、市町村の保育所における保育義務を定めており、児童は、保育の対象であるとともに、その利益を享受する主体であるところ、保護者による保育所の選択も児童が心身ともに健やかに育成されることを旨として行われるべきものである(法1ないし3条)。
そして、保育所における保育は、一定の保育方針の下における物的設備や人的態勢等を前提として実施されるものであり、諸条件がその保育の質を決定づけるものと考えられるところであり、法が保護者に対して保育所の選択を認めているのも保育所により保育の質、内容が異なり得るものであり、その違いに一定の意味があることを前提としているものと解される。
以上によれば、児童福祉法は、保育所を選択し得るという地位を保護者における法的な利益として保障しているものと解するのが相当である。
そして、入所時における保育所の選択は、入所時だけの問題ではなく、その後の一定期間にわたる継続的な保育の実施を当然の前提としたものであるし、入所後に転園や退園を求めるのは自由であるというのでは入所時の選択は空疎なものとなるから、法が入所時における保育所の選択を認めていることは、必然的に入所後における継続的な保育の実施を要請するものということができる。
したがって、現に児童が保護者の選択した特定の保育所で保育の実施を受け、また、将来保育期間中にわたって受け得るという利益は、法的に保護された利益と解することができる。
カ(ア) 上記の点について、被告は、原告らが本件各保育園に関して有している法的権利ないし法的利益は、あくまで認可保育所において、その児童に保育の実施を受ける権利ないし法的利益であり、当該保育所が公営保育所であるか民営保育所であるかはもちろん、公立保育所における保育士を公務員とするか否かまで原告らの法的権利ないし法的利益と考えることはできない旨主張する。
しかしながら、法24条の趣旨等は上記のとおりであって、法は、児童の保育を実施する保育所を定めるについて、保護者の選択というものを事実上の参考ということではなく、可能な限り尊重すべきものとして市町村に応諾義務を課したものであり、保護者に保育所選択に関する一定の主体的な地位を認めたものというべきである。選択された特定の保育所において保育の実施を受け、また、将来受け得るという利益を、たんなる事実上の利益というのは当を得ない。
(イ) なお、原告らは、保護者と被告との間には保育所利用契約が成立していると主張する。
確かに、上記のとおり、法24条の2項、3項において保護者からの保育の実施の希望につき「申込書」といった表現が用いられ、これに応じる場合には市町村において「保育所入所承諾書」を交付する等とされ、これに沿った運用がされている。また、平成9年の法改正時には立法関係者により「保護者(からの)申し込みに基づき市町村と保護者が利用契約を締結する仕組みに見直したものである」などと説明されており(〔証拠省略〕)、「行政事件訴訟法の一部改正等に伴う保育所入所不承諾通知書及び保育実施解除通知書の様式の変更について」と題する厚生労働省雇用均等・児童家庭局保育課長通知(平成17年6月3日雇児保発第0603003号〔証拠省略〕)でも、「保育所の入所については、保護者の意思表示を前提とした申込みを受け、市町村が保育サービスを提供し、当該サービスの提供を受けた利用者が市町村の定める保育料を支払うという双務関係に基づく利用契約と位置付けられている。」とされている。
しかしその一方で、保護者からの入所申込みに応じない場合の決定や保育の実施を解除する措置は、いずれも行政処分として運用されている。上記雇用均等・児童家庭局保育課長通知においても、「保育所入所の不承諾又は保育の実施の解除は、行政事件訴訟法上の取消訴訟の対象となる。」とされ、保育所入所不承諾通知書及び保育実施解除通知書には行政不服審査法に基づく不服申立て及び行政事件訴訟法に基づく取消訴訟の提起ができる旨が記載されるべきものとされ、これに沿った運用がされている(〔証拠省略〕)。また、保護者からの申込みに対しては、市町村において、当該児童に保育に欠けるところがあるかどうかの認定や、場合によれば選考も実施し、1年に2回は保育の実施の要件を認定して、その要件が消滅した児童については保育の実施を解除するともされている(〔証拠省略〕)。このようなことからすれば、保育所入所後の利用関係を純然たる契約関係とは解し難いというべきである。
なお、児童福祉法59条の2で規定されている無認可保育所については、同法59条の2の3及び59条の2の4において、その設置者と利用者の関係を契約関係としているが、上記無認可保育所と、本件各保育所のような市町村が設置する保育所とを同一に論じなければならないものではない。
(4)ア 以上を前提に、保育所についての指定管理者の指定について検討すると、これは、当該指定管理者が児童福祉法24条1項の規定による保育の実施等を行う主体となる(本件条例施行規則8条)ことになるから、このことは現に当該保育所で実施されている保育の内容やその実施態勢に影響を与えることが予定されているといえる。そして、当該保育所において現に保育の実施を受けている児童及び保護者にとっては、上記のように法的に保護された保育所の利用関係に影響を与えるものといえ、本件で原告らも、民営化に伴い、保育士が大幅に入れ替わり、保育の質や安全性等が低下するということを問題としている。
イ 保育所について規定する児童福祉法は、児童の福祉保障のため(1条ないし3条)、市町村に保育義務を定める(24条1項)とともに、厚生労働大臣は、児童福祉施設(保育所を含む。7条1項)の設備及び運営等について、最低基準を定めなければならず、その最低基準は児童の身体的、精神的及び社会的な発達のために必要な生活水準を確保するものでなければならず、児童福祉施設の設置者はこれを遵守しなければならないとしている(45条)。これを受けて定められた児童福祉施設最低基準(昭和23年12月29日厚生省令第63号)には、保育所の設備、保育士の数を含む職員の配置、保育時間、保育の内容等についての基準が定められている(第5章。〔証拠省略〕)のであって、法は、児童の福祉を図るために、保育所における保育内容等に一定の配慮をしているものといえる。
保育所としての性質上、現に保育の実施を受けている児童及びその保護者と当該保育所との関係は、保護者の選択に基づく、長ければ6年間にも及ぶ継続的関係であって、時として保育サービスないし保育内容に対する信頼関係が構成されるものである。指定管理者の指定に伴う保育内容等の変化は、このような児童及びその保護者との継続的関係に相応の影響を与え得るものであって、上記の法及び児童福祉施設最低基準の規定を踏まえると、法もそのような変化に無関心であるとは解することができない。
ウ そうすると、前記のとおり、地方自治法244条の2第3項及び本件条例の指定要件等の規定は、保育所の利用者の利益についても配慮するところ、その要件の判断は、児童福祉法24条が、現に児童が保護者の選択した特定の保育所で保育の実施を受け、また、将来保育期間中にわたって受け得るという利益を保護している趣旨をも踏まえて行われることが求められるというべきである。したがって、指定管理者の指定は、当該保育所に現に入所している児童及びその保護者の利益との関係で、指定権限者にゆだねられた裁量の逸脱があると判断され、当該指定が違法となる場合があり得るものと解される。
以上によれば、指定管理者の指定に関する地方自治法及び本件条例等の規定は、公の施設を利用する住民の利益を一般的公益として保護しようとするにとどまらず、現に当該保育所において保育の実施を受けている児童及びその保護者に対して、その保育環境に対する利益を個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むものであって、上記児童及び保護者は、当該保育所についての指定管理者の指定の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するものとして、その取消訴訟における原告適格を有すると解するのが相当である。
被告は、原告らの主張は、本件指定により保育士の大幅な入替えがされることに対する保護者としての不安を論じるにすぎないものというが、上記の理解を前提とすれば、原告らの利益をたんなる不安にすぎないというのは相当ではない。
(5) したがって、本件指定時に、本件各保育園において保育の実施を受けていた児童及びその保護者である原告らは、同指定の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するものとして、原告適格を有するものである。
(6) 訴えの利益について
ア 児童原告らは、本件指定により自らが保育の実施を受けていた保育所における保育の実施を受ける利益を害された旨を主張するものであるから、未だ保育期間が満了していない甲事件原告X3は本件指定の取消しを求めるについて、訴えの利益を有するといえる。他方、既に保育期間が満了した甲事件原告X6は、本件指定を取り消しても、民営化前の本件各保育園において保育の実施を受ける地位を回復することにはならないし、その他、本件指定の取消しを求める法的利益があるとも認められないから、その訴えの利益は既に失われたものといわなければならない。
イ 保護者原告らのうち、本件口頭弁論終結時において未だその監護する児童の保育期間が満了していない者は、本件指定の取消しを求めるについて、訴えの利益を有するといえる(これらの保護者原告らの中には配偶者の名義により入所の申込みし、被告からの承諾があった者が含まれているが、この場合には夫婦協議の上で保育所を選択したものと推認すべきであるから、これに該当する保護者原告らについても原告適格及び訴えの利益があると認めるのが相当である。)。
そして、保護者原告らのうち、本件口頭弁論終結時において既にその監護する児童の保育期間が経過した者については、本件指定を取り消しても、当該児童が民営化前の本件各保育園において保育の実施を受ける地位を回復することにはならないし、その他、本件指定の取消しを求める法的利益があるとも認められないから、その訴えの利益は既に失われたものというべきである。
ウ 以上の次第であるから、本件指定の取消しを求める訴えは、甲事件原告X1、同X3、乙事件原告X2、同X10、同X12、同X15が提起した訴えとしては適法であり、その余の原告らの訴えとしては不適法である。
2 本件の事実関係
前記第2の3の基礎となる事実に加え、〔証拠省略〕によると、以下の事実を認めることができる。
(1) 本件各保育園の民営化計画
ア 背景事情
川崎市においては、昭和40年代以降に公営保育所の整備が急速に進められ、昭和40年度には公営保育所が21か所・定員1237人、民営保育所が10か所・654人、昭和50年度には公営保育所が62か所・定員5082人、民営保育所が15か所・定員1287人、昭和55年度には公営保育所が86か所・定員7813人、民営保育所が18か所・定員1630人と推移してきたが、その後は公営保育所の整備はさほど進まず、平成11年度には公営保育所が88か所・定員8175人、民営保育所が21か所・定員1980人、平成18年度には公営保育所が84か所・定員7960人、民営保育所が33か所・定員3630人と推移している(〔証拠省略〕)。
他方で、保育所入所申込書が提出され、入所要件に該当しているにもかかわらず、保育所に入所していない児童(以下「待機児童」という。)は、川崎市では平成14年4月1日現在で705人、平成15年4月1日現在で699人、平成16年4月1日現在で755人であった(〔証拠省略〕)。
ところで、被告が平成14年9月に策定した「川崎市行財政改革プラン」(〔証拠省略〕)においては、「平成14年度予算においても、既に実質的には多額の収支不足が発生しており、このままで推移すると、現在考えられるあらゆる財源対策を講じても、平成17年度には赤字団体となり、平成18年度以降には、……財政再建団体に転落してしまう危機的事態となって」おり、「市税収入を含む歳入総額は、今後も伸び悩む情勢にあ」るとされた。
イ 児童福祉審議会の意見具申
児童福祉法8条3項に基づき設置された川崎市児童福祉審議会は、平成12年10月23日付けで川崎市長に対し「少子化の進行とこれからの保育施策」と題する意見を具申した(〔証拠省略〕)。
この中で同審議会は、「子どもを預けやすく、受け取りやすい、通勤途上にあり交通の利便性のよい保育所の設置が望まれている。」、「公立の場合、その性格上、運営や保育内容が画一的になり易く、柔軟な施策を展開するためには、民間活力の導入も検討する必票がある。」、「職員配置、人件費の増大等の面から保育行政に係わる運営総費用の再配分の検討も必要に迫られている。」、「今後は、保育需要に対応した適正な保育所の再配置を図るとともに、少子化社会における多様な保育需要に対応するため、①新たに保育所を設置する場合は、民間運営によるものとする。②弾力的な運営の手法として、公立保育所の民営化の推進を検討する。③公立保育所の職員を活用して、地域保育園をはじめ、民営化した園の助言・指導を行うシステムを構築する。」等の意見を具申した。
ウ 川崎市保育基本計画及びその事業推進計画
(ア) これを受けて、被告は、平成14年2月、「川崎市保育基本計画」(以下「本件保育基本計画」という。〔証拠省略〕)を策定した。
ここでは、「保育所の整備については、居住地に近接したところに設置することを基本としながら、利便性を求める市民ニーズに対応するため、駅周辺での整備を進め」るものとして、「新たに設置する保育所については、民間運営を基本」とし、「保育所の運営については、効率的な運営の確立を目指すとともに、一時保育や長時間延長保育等、多様な保育サービスを実施する駅周辺型保育所の整備を進め」、「保育需要が高く、駅周辺に立地する条件に適った公立保育所を、駅周辺型保育所と位置づけ、19時(午後7時)以降の延長保育や休日保育、一時保育などの多様な保育サービスを提供する多機能型の保育所として整備し、保育の質を維持しながら、規制緩和の推進や待機児童ゼロ作戦における国の考え方を踏まえ、民営化を図り」、「運営主体の選定に際しては、児童の処遇向上のため、一定水準の評価を得た熱意のある社会福祉法人等を基本」とするものとされた。そして、公立保育所の民営化計画として、平成14年度からの5年間に3園、平成19年度からの5年間に5園を整備することが目標とされた。
(イ) 上記の平成14年9月に策定された「川崎市行財政改革プラン」(〔証拠省略〕)においても、「現在の施策体系・サービス提供体制は、多くの課題を抱えており、部分的な改良を積み重ねただけでは、極めて近い将来において、現行の市民負担で現行のサービス水準を確保することすら不可能な事態となって」おり、「川崎市は、民間活力を引き出すことと、受益者負担以外の市民負担を回避することを前提として、」「これまでの施策体系・サービス提供体制を例外なく見直すことと」するものとされた。
そして、「川崎市のサービス供給体制の特徴は、サービス提供の多くを市職員が直接担ってきたところにあ」り、このような体制は「公共部門にとって代わる民間部門が少なかったことや、川崎市職員の平均年齢が若く、給与水準も相対的に低かったことを考えれば、高度成長の時代においては、一定の経済合理性があ」ったものの、「時代の変遷とともに、成熟した民間部門が存在するようになり、他方で職員の高年齢化が進み、そのなかでも年功序列型の賃金体系を基本的に維持していかなければならないといった現行の公務員制度下においては、むしろ、市職員によるサービスの直接提供は、画一的・硬直的でかつ非効率になりがちな傾向にあ」るとした上で、「公立・民間にかかわらず、ほぼ同一なサービスが求められる認可保育所の運営に関し、平成12年度決算における川崎市の保育所運営経費は、国が定める運営経費に対して、公立保育所のそれは2.3倍に及んでいるものの、民間保育所では1.4倍にとどまってい」るとして、公立保育所については、「保育基本計画に従い、改築時等に民営化を推進」するとされた。
(ウ) 次いで、被告は、平成15年5月、本件保育基本計画の実施計画として「川崎市保育基本計画 事業推進計画」(以下「本件事業推進計画」という。〔証拠省略〕)を策定した。
ここでは、「駅周辺型保育所の整備」として、平成19年度に本件各保育園を民営化し、定員を25名増やして150名とし、特別保育事業として、長時間延長保育、一時保育、子育て支援センター事業(在宅で子育てをしている家庭に対する支援等を行う。)を行う旨の計画が立てられた。
なお、駅周辺型保育所とは、利便性を求める市民ニーズに対応するため、午後7時以降の長時間延長保育や、一時保育、休日保育など多様な形態のサービスについては、拠点的にサービスを提供することが効果的であるという考え方に基づき、公共交通機関の結節点であることにより利便性がよく、保育事業基礎調査(平成12年3月。〔証拠省略〕)における利用者の多い駅近隣(駅から約500m、徒歩で10分程度)に整備する多機能型保育所とされている。
その後、被告は、平成17年3月に「川崎市保育基本計画 事業推進計画(改訂版)」(〔証拠省略〕)を策定したが、これでは本件各保育園は平成19年度に民営化されるものの、定員の増加はなく、特別保育事業としては長時間延長保育のみが挙げられ、一時保育、子育て支援センター事業は挙げられなかった。
エ 本件各保育園が民営化対象園として選定された経緯
本件事業推進計画において本件各保育園が民営化対象園として選定された経緯は以下のとおりであった。
すなわち、川崎市内には7区があるが、7区それぞれについて駅周辺型保育所の整備が計画され、中原区については、武蔵小杉駅と元住吉駅の中間にあるe小学校の敷地を利用した保育所の整備(平成16年4月から私立のf保育園が新設された。)と、武蔵中原駅周辺に立地する保育所の整備が計画された。
武蔵中原駅が選定されたのは、川崎市保育計画検討プロジェクト会議による川崎市保育事業基礎調査報告書(平成12年3月。〔証拠省略〕)において、アンケート調査の結果、川崎市内の50駅中7番目に利用者の多い駅とされていたこと等が参考にされた。
武蔵中原駅周辺の公立保育所としては、本件各保育園、c保育園及びd保育園があったところ、c保育園については、多摩川に近く(多摩川を越えると東京都である。)、等々力緑地にも近いため、住民自体が少なく保育需要も少ないが、d保育園、本件各保育園のある武蔵中原駅の南側は、中原街道という幹線道路もあり、高津区の利用者にも対応できるため、保育需要が多いと考えられた。また、本件各保育園の定員は125名、d保育園の定員は95名であり、本件各保育園の方が園庭や園舎も大きいため、より多くの利用者に延長保育等のサービスを提供できると考えられた。
以上のような考慮の下、中原区内の駅周辺型保育所の整備として、本件各保育園の民営化が計画された。
オ 他の民営化計画
本件各保育園に先立って、平成17年4月にはg保育園(高津区所在)について指定管理者制度が導入された(指定管理者は財団法人神奈川県民間保育園協会。〔証拠省略〕)。
平成18年4月にはh保育園(多摩区所在)及びi保育園(川崎区所在)が公立保育所としては廃止され、本件法人が運営する保育所(j保育園及びk保育園)にそれぞれ移管され、l保育園(川崎区所在)も公立保育所としては廃止され、社会福祉法人ふたば愛児会が運営する保育所(m保育園)に移管された。
平成19年4月には本件各保育園とともにn保育園(幸区所在)について指定管理者制度が導入された(指定管理者は株式会社サクセスアカデミー)。
なお、被告が、平成17年9月ころに上記g保育園の保護者らを対象に行ったアンケート結果(111件配布、88件回収)によると、総合満足度としては、満足が15件、どちらかといえば満足が31件、普通が25件、どちらかといえば不満が13件、不満が2件となっている(〔証拠省略〕)。
(2) 保護者らに対する説明会等(〔証拠省略〕)
ア 被告は、保育所に児童を入所させることを希望する保護者に対して、「保育所入所案内」(〔証拠省略〕)を毎年作成、配布しているところ、平成15年10月に発行された同案内から、認可保育所一覧表中に、本件各保育園の運営が平成19年度より民間に移行する旨を記載するようになり、保護者の入所申込みを受け付ける福祉事務所においても、その際に本件各保育園の民営化計画を説明する扱いになった。
イ 本件各保育園に入所している児童の保護者で組織されている本件各保育園協議会(〔証拠省略〕)は、本件事業推進計画において本件各保育園の民営化が計画されていることを知り、被告に対してこれに関する説明を求めたところ、平成15年9月6日、被告により上記協議会役員に対する説明会が開催された(〔証拠省略〕)。ここでは、平成19年度に本件各保育園の民営化を実施する予定であること、本件各保育園の園舎を増改築して、定員を25名増やして150名とする予定であること、長時間延長保育、一時保育、子育て支援センター事業を行う予定であること等が説明された。なお、長時間延長保育に関しては、本件条例3条は、川崎市の設置する保育所の保育時間は、午前7時30分から午後6時までとしており、本件各保育園では午後7時までの延長保育を実施していたところ、民営化後は午後8時までの延長保育を実施する予定である旨説明された。
ウ 被告は、本件各保育園に入所する児童の保護者ら(以下、たんに「保護者ら」ということがある。)に向けて、平成16年2月21日に説明会を開催した(〔証拠省略〕)。ここでは、本件各保育園については指定管理者制度の導入を検討していること、本件各保育園園舎の増改築を検討したが、保育環境を確保しながら増改築を行うことは難しいとして、園舎の増改築及び定員増員は行わないとしたこと、子育て支援センター事業も行わないこと、午後7時以降の延長保育及び一時保育は行う予定であること等が説明された。
エ 本件各保育園に入所する児童の保護者らは、平成16年4月、本件各保育園協議会内の委員会として、民営化対策実行委員会を設置した(同委員会は、その後、民営化対策委員会、民営化検証実行委員会などと名称を変更したが、総称して、以下「民対委員会」という。)。民対委員会の委員9名は、同年7月ころ、それぞれ川崎市長宛てに「市長への手紙」を送付し、本件各保育園の民営化計画について説明を求めるなどした(〔証拠省略〕)。民対委員会は、川崎市長及び川崎市健康福祉局保育企画課に宛てて、同年9月14日付けで「川崎市立b保育園民営化、断固反対!!」と題する書面を送付し(〔証拠省略〕)、同年12月5日付けで「川崎市b保育園民営化、やはり受け入れられません!!」と題する書面を送付した(〔証拠省略〕)。
保育企画課長は、上記各申入れに対して、「公立保育園の民営化計画に基づき、b保育園についても民営化を進めてまいりますので白紙撤回はできません」などと書面で回答した(〔証拠省略〕)。
また、民対委員会は、川崎市財政改革推進本部に宛てても平成17年2月20日付けで「川崎市b保育園の民営化についての意見書」を送付した(〔証拠省略〕)。
オ 保護者らは、1万名以上の署名を添えて、同年6月1日付けで、川崎市市議会に対し、本件各保育園を川崎市直営のまま存続させるよう求める請願をし(〔証拠省略〕)、同年7月27日及び平成18年5月24日の市議会健康福祉委員会において同請願についての審議がされ、継続審議とされた(〔証拠省略〕)。
カ 被告は、本件各保育園において、保護者らに向けて、平成17年10月16日、同年12月17日、平成18年3月19日、同年5月6日、同月14日、同月21日、同年6月17日ないし19日、同年9月9日に説明会を開催した。また、被告は、上記の保護者説明会と並行して、保護者らに対し、その求めに応じるなどして、説明文書を作成、配布した。
上記説明会においては、保護者らから、民営化の理由や本件各保育園が選定された理由、あるいは民営化の実施により保育内容に具体的にどのような影響が生じるのか等について説明が求められた。被告の担当者は、上記説明会や各文書において、おおむね以下のように説明していた。
(ア) 本件各保育園を民営化対象園として選定した理由については、当初は、①園舎の増築により定員増ができ、待機児童の解消が図れる、②延長保育のニーズの高い園である、③比較的駅に近いため、長時間延長保育、一時保育を実施する上で高い利用率が見込める、④乳児幼児併設園のため厨房が2つあるので、これを1つにして効率的な運営ができる、というものだったが、園児への影響等により大規模な工事ができないことが判明し、平成17年3月の「川崎市保育基本計画 事業推進計画(改訂版)」(〔証拠省略〕)において定員の増加がない等に修正した。もっとも、本件各保育園は比較的駅に近く延長保育のニーズが高い園であり、現に延長保育申請が多いこと(約6割)、民営化の意義は定員増、一時保育、調理の効率化だけではないこと、川崎市は他都市と比べても公立の比率が約8割と高いため、公立・民間のバランスを是正し、削減した経費を新たな保育所整備・保育サービスの拡充に充当することにより、待機児童の解消につながることから、本件各保育園の民営化の方針は変更しない(なお、上記のように、本件各保育園の増改築により定員を増加することができなくなり、本件民営化の根拠に変更が生じた点については、被告の担当者も、説明会の席で謝罪している。)。
(イ) 本件民営化を見直すべきであるとか、延期すべきであるとの保護者らの意見については、待機児童の解消は急務であり、民営化園の整備計画を遅らせることはできず、また、他園に変更することは混乱を招くことになるので、当初の計画どおり本件民営化を進めていく。
(ウ) 本件民営化によって年間約5000万円の経費削減効果があり、そのほとんどが人件費の格差によるものである(平成18年3月17日付けの「b・a保育園民営化問題質問事項への回答」(〔証拠省略〕)では、本件各保育園を公立で運営した場合は年間2億2420万9000円(うち人件費が1億8948万2000円)、民間で運営した場合は年間1億7373万3000円(うち人件費が1億3898万6000円)と試算されている。)。
本件民営化により、保育内容の向上が図られることとしては、午後7時以降の延長保育が可能となること、早朝7時からの児童の受入れが可能となること、完全給食が実施できることなどがある。
(エ) 民営化により本件各保育園における保育の質が低下するとの保護者らの指摘については、民営化により保育士の平均経験年数が下がっても保育の質が低下するとは考えておらず、保育士個人の資質や保育への情熱、若手からベテランまでバランスのとれた年齢構成をとること等が肝要である。
民営化に伴う指定管理者への保育内容等の引継ぎを6年間かけて行うべきであるとか、少なくとも1年間かけて行うべきであるといった保護者らの要望については、公務員と民間職員との関係(雇用条件、本人同意の問題、市の職員定数の問題)から職員の入替えを毎年数名ずつ行うということはできず、本件民営化前に引継ぎを行うことになる。従前の川崎市における民営化事例では引継期間を3か月とし、民営化後も円滑に運営されている。もっとも、期間が短いとの指摘を受け、本件各保育園については6か月の引継期間とする。また、指定管理者の選定に当たって、児童らへの影響がないようにすることを最大限考慮する。
キ 民対委員会が保護者らを対象に実施したアンケートによれば、平成17年8月ころの結果(回答数65)は、50%が本件民営化について絶対に反対、39%が問題点が解消されるまで民営化を延期してほしいと回答し、平成18年6月の結果(回答数90)は、本件民営化について53%が反対、34%がどちらかといえば反対と回答し、このうちの72%がその理由を保育の質が低下することが心配であると回答している(〔証拠省略〕)。
(3) 本件指定の経緯
ア 本件各保育園指定管理仕様書の作成経緯
被告は、本件指定に先立って、本件各保育園指定管理仕様書(〔証拠省略〕)を作成したところ、保護者説明会において同仕様書案を配布してその説明をするなどした。平成18年5月14日の保護者説明会においては、民対委員会からの修正の提案(〔証拠省略〕)を踏まえた議論がされ、被告担当者は、同月18日付けの回答書(〔証拠省略〕)を作成の上、同月21日の保護者説明会において保護者らに配布し、同説明会ではこれについての説明、質疑応答等がされ、同月24日付けで上記仕様書案3(〔証拠省略〕)を作成、配布した。なお、民対委員会は、民営化後の保育士の経験年数についてのより具体的な定め、1年以上の引継期間を設けること等を求めていたが、これらの点は反映されなかった。
イ 本件各保育園指定管理仕様書(〔証拠省略〕)には以下の記載がある。
(ア) 常勤職員を以下のとおり配置すること。
施設長 1名
主任保育士 2名
保育士、看護師 17名
栄養士 1名
調理員 2名
(イ) 職員の経験年数
① 施設長は、社会福祉事業の経験を15年以上有すること。
② 主任保育士は、児童福祉施設での経験を10年以上有すること。
③ 看護師は、5年以上の実務経験を有すること。
④ その他の職員についても、保育所での経験を有する者の確保に努めること。
(ウ) 指定管理者が管理を開始するまでの準備
① 指定管理者の指定を受け次第、平成18年10月から引継ぎ・共同保育の準備に入ること。
② 運営責任者及び施設長予定者は、引継ぎ開始以降、現在の園の運営方針や運営状況を把握したうえで指定管理による運営について随時保護者に説明し、十分な理解を得ること。また、保護者からの疑問や要望に対して、誠意をもって対応・回答すること。
③ 施設長予定者又は主任保育士予定者は、引継ぎ開始以降、現在の園の保護者会役員会・懇談会等に出席し、保護者会の状況や保護者一人一人のニーズを把握し、指定管理による運営開始後の円滑な保護者との関係を構築すること。
④ 施設長予定者又は主任保育士予定者は、引継ぎ開始以降、現在の園の行事に出席し、行事の内容や準備・進行状況を詳細に把握し、指定管理による運営開始後の行事をスムーズに行うこと。
⑤ クラス担任予定保育士を各クラスに配置し、現行保育士と共にクラスローテーションに入り、共同して保育する中で引継ぎを受け、できるだけ早く子どもたちにとけ込むとともに、子どもたち一人一人の健康状態や発達状況、性格などの特徴を詳細かつ確実に把握し、指定管理による運営開始後も子どもたちが変わらず安心して健やかな園生活を送れるようにすること。
⑥ 人的配置に当たっては、施設長予定者、主任保育士、クラス担任予定保育士計9名を引継ぎ開始以降10月中に配置し、引継ぎに当たること。また、必要に応じて配置数を増やす等の対応を検討すること。
ウ 本件法人の選定
川崎市長は、平成18年5月、本件各保育園の指定管理者を募集し(〔証拠省略〕)、その旨のお知らせ(〔証拠省略〕)が保護者らに配布された。3団体が応募し、同年7月14日、健康福祉局に設置された指定管理予定者選定等委員会(〔証拠省略〕)において、本件法人が指定管理予定者として選定され、川崎市長は、同年8月2日付けで本件法人にその旨通知した(〔証拠省略〕)。
保護者らは、上記委員会に保護者らが出席することを求めていたところ、守秘義務等の関係を理由としてこれは認められなかったが、同年7月7日に指定管理者応募申請書類の閲覧、保護者2名、保育士2名による意見陳述の機会が設けられた(〔証拠省略〕)。
本件法人が選定された理由としては、「本市認可保育所を2園運営しており、順調に運営がなされている。」、「運営方針、目標が明確で、子どもの発達に応じた保育内容となっており、現在の本市公立園に近いものとなっている。」「川崎市の保育を理解した上での事業提案内容となっている。」「経費見積及び職員配置が適正であり、経験者の確保に努めている。」「園長予定者が本市公立園の園長経験豊富なため、現在行われている保育を理解し引継ぐことができる。」「当該法人が現在運営中の保育所は、いずれも公立園からの引継園であり、経験を生かした確実な引継ぎが可能である。」といったことが挙げられた(〔証拠省略〕)。
エ 本件指定
川崎市長は、川崎市議会の議決を経て、同年10月5日付けで本件法人を本件各保育園の指定管理者に指定した(〔証拠省略〕)。
(4) 本件法人への引継ぎ
ア 被告は、平成18年10月6日付けで、以下のとおり本件法人との間で本件各保育園に関する引継業務を委託する旨の契約を締結した(〔証拠省略〕)。
(ア) 業務内容 在園児の状況、運営方針、運営状況、保育内容、各種行事関係等、本件各保育園に関する引継業務保護者会・懇談会等への出席、保護者からの疑問や要望に対する対応等
(イ) 契約期間 同月7日から平成19年3月31日まで
(ウ) 委託料 1076万7330円
イ 本件法人は、以下のとおり、被告が策定した「公立保育園引継ぎマニュアル」(〔証拠省略〕)に基づいて本件各保育園の業務引継ぎを計画し、平成18年10月8日付けの「引継ぎについてのお知らせ」(〔証拠省略〕)を保護者らに配布するとともに、上記計画を順次実施した。また、民営化前の本件各保育園の保育士らは、年間50件以上の行事等の準備や運営方法等について「保育・行事マニュアル」(〔証拠省略〕)を作成し、本件法人の保育士らはこれを参考にしながら以下の引継ぎや民営化後の保育の実施を行った。
(ア) 第1期(平成18年10月10日から同年11月4日)
・保育引継ぎに伴うオリエンテーション(園の概要・保育目標・保育内容・安全対策・地域との連携)
・引継保育士9名による全クラスでの保育実習
・各行事への参加(運動会・遠足・誕生会・親子で遊ぼう会・芋掘り)
・現担当保育士から引継保育士への年間行事の説明と行事把握
(イ) 第2期(同月6日から同年12月28日)
・指定管理開始後の予定クラス担任の保育補助開始
・現クラス担当保育士から、年間計画・デイリープログラム・個人連絡表・生活記録等の引継ぎ
・クラス別懇談会や各種会議への参加
(ウ) 第3期(平成19年1月から同年3月末)
・変則勤務ローテーションによる実務経験
・三者面談(市職員・本件法人職員・保護者)の実施
・引継保育士によるクラス懇談会
・新入園児、在園児に対する保育説明会の開催
ウ 被告、本件法人及び保護者らは、平成18年10月8日、同月21日、同年12月2日、平成19年1月27日に三者会議を行い、引継計画や引継状況の説明、質疑応答等がされた(〔証拠省略〕)。
被告及び本件法人からは、引継ぎはおおむね順調に行われている旨が説明された。保護者らからは、本件民営化に伴い保育士が一斉に入れ替わることによる児童らへの影響を軽減する措置をとってほしい、民営化時に本件法人に新規採用され、本件各保育園において保育の実施に当たる保育士について、経験者の採用を多くし、未経験者の採用は1、2名程度にしてほしい、保育内容等をきちんと引き継いでほしい、現に本件各保育園において勤務している保育士等の職員を、派遣等の形で民営化後も本件各保育園において勤務させる措置を講じてほしい、などの要望があった。
エ 民対委員会が平成19年1月ころに保護者らを対象に実施したアンケートの結果(回答数89。〔証拠省略〕)は、本件法人による引継ぎの実施により、「ケガの報告を保育士から聞かず、子供から聞いて知った。または翌日以降の報告になった」が9名、「赤ちゃん返りするようになった。(と思うときがある。)」が9名、「お漏らし、おねしょが増えた。(増えたような気がする。)」が7名、「甘えることが多くなった。(なったと思う。)」が18名、「朝、登園したがらないことがある。」が13名、「特に変わった様子はない。(ないと思う。)」が36名、などとなっている。
(5) 本件民営化の実施
ア 被告と本件法人は、平成19年4月1日、以下のとおり、本件各保育園の指定管理に関する基本協定(〔証拠省略〕)を締結した。
(ア) 協定期間 平成19年4月1日から平成24年3月31日
(イ) 管理業務 児童福祉法24条1項の規定による保育の実施
同法48条の3第1項の規定による情報の提供、相談及び助言の実施延長保育の実施
その他、保育園の管理業務遂行に必要なこと
被告と本件法人は、平成19年4月1日、上記基本協定に基づき、同日から平成20年3月31日までの委託料を基本額の1億8768万3881円及び追加委託料とする旨の年度協定(〔証拠省略〕)を締結した。
イ 本件法人では、平成19年4月1日、以下の職員により本件各保育園の管理及び保育の実施を開始した。
(ア) 園長 A(保育士として約40年間、うち園長として約28年間の経験を有する。)
(イ) 保育士 19名(平均年齢は約31.7歳、保育経験の平均年数は約5年4か月。うち2名は主任保育士。)
うち8名は上記引継保育を行った者で、平均年齢は約42歳、保育経験の平均年数は約11年である。
その余の11名は本件法人が採用試験を実施して新規に採用した者である(うち6名は未経験者)。
(ウ) 臨時職員 19名(上記(イ)の保育士のうち2名を含む。)
うち14名は民営化前の本件各保育園で臨時職員として勤務していた者で、本件法人に継続して雇用された。
(エ) 看護師等 17年の経験を有する看護師1名、4年の経験を有する栄養士1名を配置。
(オ) 事務員 1名
ウ 午後7時までの延長保育は、a保育園では20名、b保育園では46名、午後8時までの延長保育は、a保育園では6名、b保育園では15名であった。午前7時からの早朝保育は約35名が利用している。
本件法人は完全給食(給食調理は外部業者に委託)を提供するようになり、3歳児以上の児童にも希望制で主食の提供をするようになったところ(民営化以前は3歳児以上の児童については主食を弁当等で持参することになっていた。)、76名中71名が主食提供を申し込んだ。
エ 本件民営化の実施以降、本件法人は、保護者らとの間では、保護者役員会、クラス別懇談会(〔証拠省略〕)が行われ、また、被告担当者も加えての三者会議(1年間で10回。〔証拠省略〕)も行われた。
オ 平成16年4月から平成19年3月まで本件各保育園の園長を務めたB元園長(以下「B元園長」という。)は、同年4月1日から1年間、健康福祉局こども事業本部こども施策推進部こども計画課主幹として、本件各保育園の巡回をほぼ毎日行った(〔証拠省略〕)。
B元園長が作成した「巡回報告(3ヵ月を経て)」と題する報告書(〔証拠省略〕)では、「昨年10月からの引き継ぎ職員と、今年度4月からの採用職員との子供との関係作りは3ヵ月を経過して、ほぼ安定して日常の保育活動が行われ、軌道に乗っています。また、年間計画に基づいた保育が実施されています。」「クラス保育は年齢に応じて行われており、子供たちも担任保育者に慣れ、安定した気持ちで園生活が送れるようになっています。」と報告されており、「巡回報告(6ヶ月を経て)」と題する報告書(〔証拠省略〕)でも同様の報告とともに「保護者の方に対しては、日ごろの保育園生活を身近に見ていただき(保育参観、保育参加)その後、個人面談を行っています。それぞれ感想をいただいたりお子さんの様子を話し合ったりして日常の保育に生かされています。」「保育園の運営に当たっては、保護者の皆さんの協力が得られています。」と報告されている。
カ 本件各保育園によると、園内で児童が怪我をした件数は、平成19年度においては11件(うち医療機関に受診したものが5件(帰宅後受診した1件を含む。))、平成20年度(11月まで)においては8件(うち医療機関に受診したものが3件)とされており(〔証拠省略〕)、本件民営化前(〔証拠省略〕)と比較しても特に増加したわけではない。
キ 民対委員会が平成19年7月ころに保護者らを対象に実施したアンケートの結果(回答数104。〔証拠省略〕)は、本件民営化前と比較して、「ケガが増えた(増えたような気がする)」が14名、「噛み付かれたり、ひっかかれたりすることが増えた(増えたような気がする)」が12名、「その他、こども同士のトラブルが増えた(増えたような気がする)」が12名、「甘えることが多くなった(多くなったような気がする)」が21名、「朝、登園したがらないことがある」が11名、「特に変わった様子はない(ないと思う)」が31名、「保育のなされ方(保育士の子どもへの接し方)について、違いがあると思う」が38名、「変わらないと思う」が25名、などとなっている。
3 争点(2)(本件指定の違法性の有無)について
次いで、前記1でその訴えが適法と判断された原告らの主張に基づいて、本件指定の違法性について検討する(本項で「原告ら」とあるのは上記原告らの趣旨である。)。
(1) 保育所選択権との関係について
ア 前述のとおり、保育所における指定管理者の指定は、当該指定管理者が児童福祉法24条1項の規定による保育の実施等を行う主体となるというもので、これにより、現に当該保育所で実施されている保育の内容やその実施態勢に影響を与えることが予定されたものと解される。そして、現に本件指定においても、前記認定によれば、保育士が大幅に入れ替わること等により、本件各保育園における保育の内容や実施態勢に少なからぬ変更が生じたことが認められる。
イ 前記のとおり、児童福祉法24条により、現に児童が保護者の選択した特定の保育所で保育の実施を受け、また、将来保育期間中にわたって受け得るという利益は、法的に保護された利益と解され、また、一定の利益を保障する以上は、それができ得る限り尊重されるべきは当然である。しかし、保育所の利用は長ければ6年間にも及び、その間には選択された当該保育所を取り巻く諸情勢に変化が生じることも避け難いし、もともと入所時に定める保育期間も当該時点における見込みという性質を有するものである(なお、入所後の利用関係が純然たる契約関係とは解し難いことは前述のとおりである。)。
公の施設の中には継続的な利用関係が形成される施設も少なくないが、公の施設である以上、もともと多数の住民の利用が予定され、基本的には住民全体の利益に沿う利用がされるべきものであるし、地方自治法は、指定管理者制度を導入することができる公の施設について特に制限を加える規定を置いていない。なお、「社会福祉施設における指定管理者制度の活用について」と題する厚生労働省担当課長連名の通知(平成15年8月29日雇児総発第0829001号外。〔証拠省略〕)も、社会福祉施設について指定管理者制度を導入できることを当然の前提としている。
そうすると、市町村の有する限られた資産等の有効利用ということを考えると、保育所について指定管理者制度の導入がおよそ許されないと解することはできないし、入所児童の保護者全員の同意が得られない限りは同制度を導入できないと解することもやはりできないというべきである。また、原告らは、児童及び保護者の保育所選択権を保障する観点から、在園児童及び保護者の中に民営化に同意しない者がいる場合には、当該在園児童の卒園を待ってから民営化することが必要である旨主張するが、このように解することもできない。
ウ したがって、本件で、原告らが本件指定に同意していないこと等を理由として、本件指定が違法であるということはできない。
(2) 本件指定の違法性の有無について判断枠組み
ア 本件指定は、地方自治法244条の2第3項に基づく処分であり、同項は「公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があると認めるとき」に指定管理者の指定ができるとし、同条4項は、その指定の手続等を条例の定めるところにゆだね、本件条例5条1項は、指定要件を定めている。
イ そもそも、公の施設は、住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設であって(地方自治法244条1項)、保育所は日々保護者の委託を受けて、保育に欠ける乳幼児を保育することを目的とする施設である(児童福祉法39条1項)から、前記1(2)ないし(4)で説示したことも踏まえると、指定管理者の指定に当たっては、現に当該保育所において保育の実施を受けている児童及びその保護者の利益に配慮しなければならないものといえる。
もっとも、上記(1)のとおり、保育所も、公の施設として、基本的には住民全体の利益に沿う利用がされるべきであり、保育所の利用は長ければ6年間にも及び、その間には選択された当該保育所を取り巻く諸情勢に変化が生じることも避け難いし、もともと入所時に定める保育期間も当該時点における見込みという性質を有するものである。
後に詳しく検討するように、本件では、被告は、利便性等の保育ニーズが多様化する状況を踏まえて、その要請に応えるために公立保育所の民営化を検討したというのであって、市町村は、保育に欠ける児童を保育所において保育しなければならず(児童福祉法24条1項)、保育の実施に要する保育費用は市町村の支弁とされる(同法51条3号)以上は、保育所の管理・運営経費が市町村の財政に与える影響をも勘案して、保育行政を計画する必要がある。
地方自治法244条の2第3項にいう「公の施設の設置の目的」は、保育所についていえば、日々保護者の委託を受けて、その乳幼児を保育すること(児童福祉法39条1項、本件条例2条)であるが、ここでいう乳幼児には現に保育の実施を受けている児童だけではなく、将来において当該保育所において保育の実施を受けることになる児童も含まれるものであって、市町村が多様な保育ニーズに応えるために、将来に渡って持続可能な制度設計という見地から、指定管理者制度を導入するというのであれば、このような事情をもって「公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要がある」ということを妨げないというべきである。
ウ 原告らは、本件指定により本件各保育園における保育の質や安全性が低下したと主張する。ところで、保育所における保育の実施は、利用者の日々の生活と密接に結びついており、長期間にわたる継続的な利用関係が想定されているのであって、指定管理者制度の導入は、保育所の運営主体が変更され、保育士の大幅な入替えを伴うものであるから、指定前の保育所との継続性を確保するための十分な方策を前提としても、実質的には別の保育所に変容したものとみるのが相当である。そうすると、その導入が利用者に与える影響は、児童及び保護者のいずれに対しても、一般的には大きなものがあると考えられる。また、保護者の保育所を選択する利益という観点からみた場合、当該保育所を選択した理由は様々であろうが、指定前の当該保育所における保育に価値を認めて選択したのであるから、これに相当な変更をもたらすことは、入所児童及びその保護者にとって必ずしも歓迎されるものではない。以上によれば、指定管理者制度の導入に当たっては、入所児童及びその保護者に対して相応の配慮がされる必要があるということができる。
もっとも、上記イで述べたところによれば、入所児童に対する保育環境に変更をもたらすことが一切許されないとまで考えるのは相当ではない。したがって、指定管理者制度の導入に当たっては、現に保育の実施を受けている児童及び保護者に対して相応の配慮がされる必要があって、適切な配慮を欠き、上記児童及び保護者に看過し難い不利益ないし負担を課すものであるような場合には、当該処分が違法となる余地があるとしても、原告らが主張する保育の質や安全性の低下ということは、上記のような観点から、あるいは上記のような限度で、検討されるべきものというべきである。
原告らは、本件条例5条1項が定める指定要件との関係においても、指定管理者の指定により保育の質や安全性を低下させる場合には、同項2号に違反する旨主張するが、これについても上記と同様のことがいえる。
また、原告らは、本件選定基準は、複数の法人から1の指定管理者を選考する場合の基準だけではなく、指定管理者となるべきものの最低基準を画する基準であるとして、保育の質や安全性が低下すること等により、本件選定基準の各要件を充足しない旨主張する。しかしながら、本件選定基準の内容は、前記第2の2(3)のとおりであり、その内容からして、複数の法人その他の団体から申請があった場合に、どのような点に着目して指定管理予定者の選考を行うべきであるかについて定められたものであって、指定管理予定者の最低基準を画するものであるとは解することができない。
以上のとおりであって、本件民営化により保育の質や安全性を低下するとして、このことから直ちに本件指定が違法である旨の原告らの主張は採用することができない。
エ 上記で説示したことを踏まえると、指定管理者の指定に当たり、地方自治法244条の2第3項及び本件条例5条1項等の要件を満たしているかどうかの判断は、保育所を取り巻く諸事情を総合的に考慮した上での政策的判断を要し、その判断は指定権限者の裁量にゆだねられるが、もとより無制約に許容されるわけではなく、施設の性質や入所中の児童や保護者の前記利益が尊重されるべきことを踏まえた上で、その目的、必要性、これによって利用者の被る不利益の内容、性質、程度等の諸事情を総合的に考慮した合理的なものでなければならないと解される。
そこで、以下においては、本件指定が川崎市長の有する裁量権の範囲を逸脱、濫用したものであるかどうかについて検討する。
なお、原告らは、本件指定や本件民営化の後の事情についても主張しているが、本件指定の違法性の有無は、本件指定時を基準とし、その時点での事実関係及びその時点で予測し得た諸事情を前提として検討する。
(3) 本件指定の目的について
ア 前記認定によれば、川崎市長は、被告の逼迫した財政状況を踏まえ、公立保育所の民営化により経費の削減を図り、ひいては待機児童の解消を目指すとともに、駅周辺の公立保育所において多様な保育サービスを実施するという目的をもって、本件指定を行ったものと認められる。
イ 多様な保育サービスの実施について
(ア) 前記認定のとおり、本件民営化には、保育ニーズが多様化したという状況を踏まえて、駅周辺の公立保育所において多様な保育サービスを実施するという目的があったが、結局、本件民営化により実現されたのは、午後7時以降の延長保育、早朝7時からの早朝保育、完全給食の実施である。
(イ) この点について、原告らは、これらのサービスは公立保育所でも可能であると主張し、確かに、公立保育所のままでも、制度的には上記のような保育ニーズに応えることは不可能ではないと思われる。その意味では、多様な保育ニーズに応えるということと、保育園を民営化するということは論理必然の関係にはない。被告の計画においても、本件保育基本計画(〔証拠省略〕)では、多様な保育サービスを実施するために駅周辺型保育所の整備を進めるものとしたが、その後定めた本件事業推進計画(〔証拠省略〕)において整備が計画されていた駅周辺型保育所(平成15年度から平成18年度に7か所整備するとされている。)には、既設の公立保育所を用いた場合のほか、新たに保育所を設置し、これを民営にする等のものもあり、多様な保育サービスの実施ということに公立保育所の民営化が必然的に伴うものとはされていない。
(ウ) しかし、本件各保育園は、武蔵中原駅に近接しており駅周辺型保育所と位置付け得るものであるし、本件指定前から延長保育申請が多かった(約6割)というのである。また、均一な行政サービスが要請されることや、被告の財政事情を前提とするとこのための予算化を図ることも困難であったと考えられることをも踏まえると、被告において公立保育所のままで午後7時以降の延長保育等を実施するということは困難であったというべきである。
そして、前記認定のとおり、現に本件民営化後、午後7時までの延長保育は、a保育園では20名、b保育園では46名、午後8時までの延長保育は、a保育園では6名、b保育園では15名、午前7時からの早朝保育は約35名が利用し、3歳児以上の児童76名中71名が主食提供を申し込んだというのであるから、原告らが主張するように、延長保育等が行政側からのお仕着せのニーズにすぎないというのも当を得ない。
ウ 経費削減効果について
(ア) 前記認定のとおり、平成14年9月の「川崎市行財政改革プラン」(〔証拠省略〕)においては、「川崎市のサービス供給体制の特徴は、サービス提供の多くを市職員が直接担ってきたところにあ」るが、「時代の変遷とともに、成熟した民間部門が存在するようになり、他方で職員の高年齢化が進み、そのなかでも年功序列型の賃金体系を基本的に維持していかなければならないといった現行の公務員制度下においては、むしろ、市職員によるサービスの直接提供は、画一的・硬直的でかつ非効率になりがちな傾向にあ」るとされている(特に、川崎市においては、他の政令指定都市と比べて、保健、福祉、医療、生活環境といった分野の職員数が多い(保育士・寮母等は1345人で、人口1000人当たりの職員数は政令指定都市中1位である。)とされている。)。
上記のような問題意識の下、「今後は、市場原理の活用を大原則に考え」、「市場原理が的確に働く領域においては、必要性の低い公共サービスや関与を廃止し、市場原理が的確に働かない領域においては、公共部門が民間部門によって提供されるサービスの価格と品質が妥当であるかどうか、監視・指導し、必要な支援をする」ものとして、「現在、川崎市が直接行っているサービスのうち、この行財政改革の基本的な考え方に従って可能性のあるものすべてが民間部門に移行した場合には、該当する部門の職員数は4500~5000人とも見込まれ」るが、「短期的に実現できるものでは」なく、「また、あくまでも現在の事務事業・人事給与・職員配置等を前提とした試算であって、今後、サービス供給の効率化を進める自己改革努力のなかで、民間に優るとも劣らない公共直営サービスが確立されるケースも考えられ」、「今後3年間の当面の目標」として「職員数の削減」等を掲げ、具体的な計画として「保育所保育士配置基準の見直し」も挙げられている。
そして、平成17年3月に策定された「第2次川崎市行財政改革プラン」(〔証拠省略〕)においては、平成14年度から平成16年度に合計で1123人の職員数の削減が実現され、これには「保育所職員配置の見直し」や「指定管理者制度の活用」もその一助となったとされている(また、今後も、「職員数の削減に向けた具体的な見直し手法」の一つとして保育所における「指定管理者制度の活用等による管理運営手法の転換」も推進するものとされている。)。
(イ) 以上によれば、被告における公立保育所の民営化は経費削減というものをも意図したものであるとは解されるが、上記被告の計画は、保育所の管理運営方法を含めた川崎市全体の行財政計画であるから、本件民営化により具体的にどの程度の経費削減が図られるのかという点は必ずしも判然としないし、また、事柄の性質上、これを具体的に算出するというのは困難であると思われる。
被告の担当者は、保護者説明会等において、本件民営化によって年間約5000万円の経費削減効果があり、そのほとんどが人件費の格差によるものであると説明しており、平成18年3月17日付けの「b・a保育園民営化問題質問事項への回答」(〔証拠省略〕)では、本件各保育園を公立で運営した場合は年間2億2420万9000円(うち人件費が1億8948万2000円)、民間で運営した場合は年間1億7373万3000円(うち人件費が1億3898万6000円)と試算されている。
しかし、上記の試算は、平成17年度の公立・民間それぞれの保育所全体の経費を、保育所定員のうちの本件各保育園の定員125名が占める割合で按分した結果、得られた額にすぎず、原告らが主張するように、本件民営化により、従前の保育士は解雇されたというわけではないから、上記の試算をもって本件民営化の経費削減効果というのは必ずしも的確なものではない。
なお、被告は、実際には約3600万円の経費削減効果があったと主張しているが、これも本件法人に対する平成19年度の基本委託料1億8768万3881円と上記試算結果を比較したものにすぎないようであり、上記と同様のことがいえる。
また、上記(ア)のとおり、被告としては、長期的な行財政計画として職員数の削減等を計画しているのであるから、原告らのいうように、本件民営化の経済的効果が、25名の保育士を新規採用しないで済んだということに尽きるとみても、これが長期的にどの程度の効果となるのかは原告らが主張するような試算では的確に算出できるものではない。
原告らは、10年、20年経てば公立と私立で年齢構成が逆転するはずであるから、本件民営化に経費削減効果はないとも主張するが、将来、そのような事態が生じるかどうかは不明であるというほかなく、本件指定の時点で指定管理者への委託料が年々増加するであろうことが具体的に想定されたわけではない。
(ウ) 以上によると、本件民営化の経費削減効果を具体的に認定することはできないが、被告としては、「公立・民間にかかわらず、ほぼ同一なサービスが求められる認可保育所の運営に関し、平成12年度決算における川崎市の保育所運営経費は、国が定める運営経費に対して、公立保育所のそれは2.3倍に及んでいるものの、民間保育所では1.4倍にとどまってい」るという認識を前提として、公立保育所の民営化を進めることにより被告において雇用する保育士の総数が抑制され、将来に渡って経費削減の効果が期待できると考えたものといえる。
(エ) 被告は、上記のように本件民営化により削減された経費をもって保育所整備事業に再投入することができたのであり、本件指定は待機児童解消をも目的としたものである旨主張する。
この点は、被告として、保育事業全体の方針として、待機児童解消という課題に取り組む必要が認識されていたとは認められるものの、上記のように本件民営化の具体的な経費削減効果を認定することができないという以上は、被告が主張するような本件民営化と待機児童解消との具体的な関連を認めることはできない。
エ 以上の検討によると、本件民営化との関係では、経費削減効果や待機児童解消ということを具体的な目的として位置付けるのは適切ではなく、背景事情としてみるのが正当と解される。
そして、被告としては、多様な保育ニーズに応えるために駅周辺型保育所の整備を図るという行政課題に対して、待機児童解消のための施策も講じなければならず、被告の財政状況を踏まえると予算の増額は望めないという状況の中、将来に渡る経費削減効果を期待することができ得る公立保育所の民営化という手法を採用したとみることができるところ、これについては必要な行政課題に対して、一つの合理的な選択肢で対処したということができる。
(4) 民営化対象園の選定について
ア 本件各保育園が民営化対象園として選定された経緯は、前記2(1)エのとおりであるところ、この点について、原告らは、①選定の公平性、公正性を担保するための選定基準が設けられていないこと、②選定過程に関する情報を利用者らに提供していないこと、③被告が説明する選定の理由はいずれも根拠がなく、選定の判断が事実の基礎を欠くこと、④選定に当たり保護者の意向が考慮されていないこと、⑤民営化対象園の見直しを行っていないことを主張する。
イ しかし、上記①については、被告としては駅周辺型保育所の整備という目的に最も沿った保育所を選定するというのであるから、そのためには様々な要因を考慮する必要があって、原告らが主張するように、考慮されるべき要素を点数化するというのも一つの方法ではあるが、必ずしもこれによらなければならないとは解することができない。上記②については、前記認定によれば、被告の担当者らは保護者説明会等を通じて選定の理由を説明しているといえる。
ウ 上記③及び⑤については、前記2(2)のとおり、被告の担当者らは、当初、本件民営化の理由として、園舎の増築により定員増が図られることや、一時保育や子育て支援センター事業を行うこと等を挙げていたにもかかわらず、結局、これらが実施されないこととなったというのであるから、原告らの立場からすれば、被告の計画立案が杜撰であるとして反発を招く事態となったのは無理からぬところがある。
本件各保育園が民営化対象園として選定された経緯をみると、複数の公立保育所それぞれについて、民営化により定員増を図ることができるかどうか、多様な保育サービスとして何を実施することができるのか等を具体的に検討した上で、本件各保育園が選定されたとはうかがわれず・選定当時の担当課長であった証人Cもそのように証言していない。そして、待機児童の解消ということを念頭に置くならば、民営化対象園の選定に当たっても、民営化により定員増が図られるかどうかが検討されることが望ましいし、多様な保育ニーズに応えるというなら、民営化により延長保育だけではなく一時保育等も実施された方が望ましいと一応いうことができる。
しかし、他の保育所の中に本件各保育園よりも民営化による効果が期待できる保育所があったかどうかは本件証拠中からは定かではない。また、定員増や子育て支援センター事業を行うことができなくなったというのも、児童の保育に影響のないように園舎の増改築をすることが困難という事情が判明したことによるもので、やむを得ない面がある。そして、このようなことを受けて、選定を見直したり本件各保育園の民営化を中止するというのも、川崎市の行政や他の保育所に与える影響を考えると、困難なものであったことが推認される。
エ 上記④については、民営化に同意する保護者の多い保育所を優先して民営化対象園として選定するというのは、保育所選定時の入所児童のうち実際に民営化による影響を受けるのはその一部にすぎないし、駅周辺型保育所の整備という目的、ひいては、将来、保育所を利用する児童及び保護者の利益をも考慮すると、必ずしも必要不可欠な考慮要素とは解することができない。また、本件各保育園では、初期の段階から、入所児童の保護者らが民営化に反対する意見を表明しているが、これは、むしろ、被告担当者らの民営化の理由についての説明が変遷したことが主たる原因ではないかと推察されるところであり、もともと本件各保育園の保護者に民営化に反対する者が特に多かったというわけではないように解される。
オ 以上によれば、民営化対象園の選定については、上記ウのとおり、その合理性に疑問を入れる余地が全くないというわけではないものの、被告としては、駅周辺型保育所の整備という目的に沿って、利用者の多い駅を選定し、その周辺にある公立保育所のうち、より多様な保育ニーズに応えることの可能な保育所として本件各保育園を選定したというのであるから、一応、合理的な判断といって差し支えないものと解される。
(5) 指定管理者制度の活用及び本件法人の選定について
ア 原告らは、公立保育所の民営化を行うにしても指定管理者制度を利用すべきではなかった旨主張する。本件指定の期間は、平成19年4月1日から平成24年3月31日までの5年間とされているが、5年後に必ず指定管理者を変更するとか、公立公営の保育所に戻すというわけではないし、むしろ、5年後に本件法人の指定管理者としての適格を改めて判断するというのであれば、その方が保育所の管理運営にとって適切であるとも考えられる(なお、本件条例施行規則7条では、指定管理者は市長と保育園の管理に関する協定を締結し、これには管理の業務の報告に関する事項等についても定めるものとされ、実際に本件指定においても本件法人は毎年度の管理業務終了後5月末日までに管理業務の実施状況等を記載した事業報告書を被告に提出しなければならない等の内容を含んだ協定が締結されている。〔証拠省略〕)。この点についての原告らの主張は当を得ない。
イ また、本件法人が指定管理(予定)者として選定された経緯は、前記2(3)ウのとおりであり、この点に不合理な点は見当たらない。
(6) 入所児童及びその保護者への影響について
ア 原告らは、本件指定により本件各保育園における保育の質や安全性が低下したと主張するが、このようなことにより直ちに本件指定が違法であるということができないのは前記(2)で説示したとおりである。児童の保育環境の変化ということについては、このことが入所児童及びその保護者に看過し難い不利益ないし負担を課すものであるかどうか、また、入所児童及びその保護者への影響を低減するために必要な方策が相応に講じられていたかどうかという観点から検討されるべきものと解される。
イ まず、保育所選択権との関係でみると、保育所を選択する時点で当該保育所に民営化計画があることを知らされていることが望ましいといえる。この点については、前記認定のとおり、被告は、平成15年5月に策定した本件事業推進計画(〔証拠省略〕)において、平成19年度に本件各保育園を民営化する予定であることを公表しており、平成15年10月以降に発行された入所案内にもその旨を記載し、保護者の入所申込みを受け付ける福祉事務所においても、その際に本件各保育園の民営化計画を説明する扱いになった。また、被告は、同年9月6日には、本件各保育園協議会の求めに応じてではあるものの、同協議会役員に向けた説明会を開催し、平成16年2月21日には入所児童の保護者に向けた説明会を開催した。
そうすると、平成19年4月の本件民営化開始時に在所していた児童の保護者のうち、その相当多くの者は民営化計画を知った上で本件各保育園を選択したはずであって、保護者の保育所を選択する機会の保障という見地からは、本件民営化が保護者に与えた影響はそれほど大きなものではないといえる。なお、本件で訴えの利益が認められる原告らの関係では、甲事件原告X1は、平成15年秋に民営化計画を知り、同年12月に入所を申し込んだと陳述し(〔証拠省略〕)、乙事件原告X10は、平成16年12月中旬ころ、入所申込み時に民営化計画を知ったと、同X12は、平成15年秋、行政からの発表で民営化計画を知ったと、また、同X15は、平成16年1月、入所申込み時に民営化計画を知ったと、それぞれ本件訴訟代理人に回答している(〔証拠省略〕)。
ウ 原告らは、保育の質ということについて、本件民営化前後の保育士の経験年数の差を指摘する。
この点、保育の質というものが保育士の労働環境や経験によって左右されることは、少なくとも一般論としては首肯できると思われるし(〔証拠省略〕)、本件民営化により保育士等が入れ替わるとともに若年化し、基本的には平成19年4月から新たな保育態勢を築いていこうとする以上は、児童の保育環境に影響が生じることは避け難い。
しかし、上記のこと自体から本件民営化前の保育と本件法人による保育に、その内容、質の点で重大な違いがあるとは必ずしもいえない。
前記認定のとおり、被告は、本件指定に先立って、保護者の意見も聴きつつ、本件各保育園指定管理仕様書を作成し、これには職員の配置、経験年数についての定めもあり、施設長、主任保育士、看護師について具体的な経験年数を定め、他の職員についても保育所での経験を有する者の確保に努めるものとされており、また、本件法人が児童福祉施設最低基準の定める内容を遵守することは当然の前提となっている。
指定管理予定者の選定においても、「運営方針、目標が明確で、子どもの発達に応じた保育内容となっており、現在の本市公立園に近いものとなっている。」「川崎市の保育を理解した上での事業提案内容となっている。」「経費見積及び職員配置が適正であり、経験者の確保に努めている。」「園長予定者が本市公立園の園長経験豊富」といったことを考慮して、本件法人が選定されている。
そうすると、本件指定時においても、本件法人はおおむね前記2(5)イのとおりの態勢で保育の実施に当たることが予定されていたと考えられることも併せると、本件指定において予定された本件法人による保育は、保育環境として相応の水準にあると認めることができ、この点を格別に憂慮しなければならない状況であったとか、これが劣悪であり、子どもの発育に何らかの悪影響があると危惧される状況にあったとは認めることができない。
原告らは、本件民営化後の様々な出来事等を指摘して、威圧的な保育がされるようになった、未熟な保育士が児童を傷つける言動をするようになった、児童に対する目が行き届かなくなった、保護者らが子育てについて保育士に相談できなくなった等と主張する。しかし、本件法人による保育の実施が、保護者らの期待する水準に達しない部分があるとはいえても、原告らの主張する事情をもって、本件民営化が、入所児童及びその保護者に看過し難い不利益ないし負担を課すものとまでいうことはできない。
原告らは、保育士の注意不足等により保育の安全性が低下した旨主張するが、保育所内での事故はある程度は避け難いものであるし、本件法人の保育態勢が児童の安全性という点からして不十分であるともいえない。原告らは、保育士の大幅な入替えに伴って保育の安全性が低下した旨主張するが、下記のとおりの6か月に渡る引継保育が予定されていたこと等からすると、本件民営化後に保育の安全面が具体的に危惧される状況にあったとは認めることができない。
エ 本件指定は、保育士の大幅な入替えを伴うものであるが、前記認定のとおり、本件各保育園指定管理仕様書には、指定管理者において6か月間の引継期間を設けること、クラス担任予定保育士が現行保育士との共同保育を行うこと等が具体的に定められた。実際、本件指定後、本件法人は、上記仕様書に沿って、被告と業務委託契約を締結の上、民営化前の保育士らが作成した「保育・行事マニュアル」をも参考に引継ぎを行い、平成18年10月から引継保育士9名がすべてのクラスにおいて現保育士との共同保育を開始した上、被告及び保護者らとの間で三者会議も数回開催している。また、民営化後も臨時職員14名を引き続き本件法人において雇用し、B元園長が1年間ほぼ毎日本件各保育園を巡回した。
このような本件指定において予定されていた引継ぎの内容(あるいは実際の本件法人による引継ぎ等の状況)によれば、被告及び本件法人は指定管理開始に伴う保育士の入替え等により児童に大きな混乱が生じないように配慮し、また、保育環境の変化が児童に悪影響を与えないように相応の対策をとったということができる。
原告らは、上記のような措置では不十分で、民営化前の保育士を民営化後も引き続き勤務させるとか、引継期間を最低1年以上は設ける必要があったなどと主張する。しかし、被告の人事や予算等の都合を考えると、これらの措置は容易に実現できるものではないと思われるし、これらの措置がなければ、児童に看過し難い不利益が生じるとまでいうことはできない。
原告らが保育環境の変化による影響として主張する諸々の事実についても、それが本件法人の保育士が保育に関与したこと(環境の変化等)により生じたものかどうかは必ずしも明らかではないし、そのような現象が一時的なものでなく、児童の発育にとって何らかの影響をもたらすものかどうかも定かではない。そうすると、本件で、児童の発育にとって深刻な影響を与えるほどの保育環境の急激な変化が生じたとは認め難い。
オ 次に、被告は、平成15年5月に本件各保育園の民営化計画を公表した後、前記2(2)のとおり、平成16年2月以降、保護者説明会を10回程度開催し、被告担当者らは、保護者らの質問や疑問に対して比較的丁寧に対応したものといえる。
保護者説明会では、当初は民営化の目的やメリット等の説明及び質疑を中心としていたが、平成18年ころからは、本件各保育園指定管理仕様書のあり方や指定管理者の引継ぎのあり方等についても説明及び質疑がされるようになっている。このような点は、保護者の立場からすると、本件民営化については計画が変更される余地がないという以上、民営化後の保育態勢等についても要望等を伝えざるを得なかったという面があるとしても、被告としては、保護者らの一定の理解のもとに本件民営化の具体的な進め方を検討したものということができる。
そして、前記認定のとおり、被告は、本件各保育園に先立って平成17年4月にgに指定管理者制度を導入したが、本件各保育園については、引継期間を3か月から6か月に伸長し、B元園長に1年間の巡回をさせる等、保護者説明会等における保護者らの意見を一部採用したのである。
以上のように、被告は、本件民営化による影響を受ける入所児童及び保護者の意見も聴きつつ本件指定を行ったことが認められる。原告らは、本件指定は保護者らの手続上の権利を侵害する旨主張するが、採用することはできない。
(7) まとめ
以上検討してきたことをまとめると、以下のようにいうことができる。
ア 本件民営化は、多様な保育ニーズに応えるために駅周辺型保育所の整備を図るという行政課題に対して、待機児童解消のための施策も講じなければならず、被告の財政状況を踏まえると予算の増額は望めないという状況の中、将来に渡る経費削減効果を期待することができ得る公立保育所の民営化という一つの合理的な手法を採用したものということができる。
イ 民営化対象園の選定については、前記(4)のとおり、その合理性に疑問を入れる余地が全くないというわけではないものの、被告としては、駅周辺型保育所の整備という目的に沿って、利用者の多い駅を選定し、その周辺にある公立保育所のうち、より多様な保育ニーズに応えることの可能な保育所として本件各保育園を選定したというのであるから、一応、合理的な判断といって差し支えない。
ウ 本件民営化は児童の保育環境に変化をもたらすものであるが、被告は相当早期に本件各保育園の民営化計画を公表し、保護者説明会の開催を行っており、保護者の保育所を選択する機会の保障という観点からは、本件民営化が保護者らに与えた影響はそれほど大きなものではない。
エ 本件法人による保育の内容は、保育環境として相応の水準にあり、この点を格別に憂慮しなければならない状況であったとか、これが劣悪であり、子どもの発育に何らかの悪影響があると危惧される状況であったとは認めることができない。
また、本件法人の引継態勢等(特に、本件法人の保育士9名が平成18年10月から共同保育に当たること。)からすれば、入所児童及びその保護者への影響を低減するために必要な方策が相応に講じられていたといえる。さらに、保護者らの手続保障という観点からも特に必要な配慮を欠いたものとはいうことができない。
オ 以上のことからすれば、本件指定に川崎市長に与えられた裁量権の範囲を逸脱、濫用した違法があるとは認めることができないというべきである。
4 争点(3)(国家賠償請求の成否)について
上記3で判断したところによれば、本件指定は、国家賠償法上違法であるということはできないし、原告らの主張する付随義務違反も認めることができない。したがって、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
5 結論
以上の次第であって、①甲事件原告X4、同X6、乙事件原告X5、同X7、同X8、同X9、同X11、同X14による本件指定の取消しを求める訴えは、いずれも不適法であるから却下し、②甲事件原告X1、同X3、乙事件原告X2、同X10、同X12、同X15による本件指定の取消しを求める請求、③原告らの国家賠償請求は、いずれも理由がないから棄却することとすることとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 北澤章功 裁判官 土谷裕子 高橋心平)
別表 省略