横浜地方裁判所 平成18年(行ク)18号 決定 2007年3月09日
(本案 当庁 平成18年(行ウ)第55号,同68号 指定管理者指定処分取消請求事件)
主文
1 本件申立てをいずれも却下する。
2 申立費用は申立人らの負担とする。
理由
第1申立て
川崎市長が平成18年10月5日付けでした社会福祉法人Aを川崎市B保育園及び川崎市C保育園の指定管理者に指定する処分の効力を本案事件(当庁平成18年(行ウ)第55号,同68号事件)の判決確定まで停止する。
第2事案の概要
1 事案の要旨
本件は,川崎市長が地方自治法244条の2第3項に基づき平成18年10月5日付けで社会福祉法人A(以下「本件法人」という。)を川崎市B保育園及び川崎市C保育園(以下「本件各保育園」という。)の指定管理者に指定したところ(以下「本件指定」という。),本件各保育園に入所している児童及びその保護者である申立人らが,本件指定は申立人らの保育所選択権等を侵害し違法であるとして,本件指定の取消しを求めて本案訴訟(当庁平成18年(行ウ)第55号,同68号事件)を提起するとともに,本案判決の確定まで本件指定の効力を停止することを求めた事案である。
2 基礎となる事実
(1) 本件各保育園
本件各保育園は,相手方が昭和28年に川崎市保育園条例(以下「本件条例」という。甲疎3の1)に基づき設置したものである。
川崎市B保育園は満3歳に達するまでの児童を対象とし(定員35名),川崎市C保育園は小学校就学の始期に達するまでの児童を対象とした保育所であり(定員90名),両保育所とも川崎市α11番1号に所在する(甲疎3の1・2)。
川崎市B保育園と川崎市C保育園では,別々に児童の入所が決定され,保育期間もそれぞれ別途に定められるが,相手方によって,川崎市B保育園での保育期間が満了した児童は原則的に川崎市C保育園に入所できるとする扱いがされている。
(2) 申立人ら
甲事件申立人D,同E,同F及び同Gは,本件各保育園(川崎市C保育園)において保育の実施を受けている児童(以下「児童申立人ら」という。)であり,その余の申立人らは,本件各保育園において保育の実施を受けている別表「入所児童」欄の各児童の保護者(以下「保護者申立人ら」という。)である。
川崎市中原福祉事務所長は,別表のとおり,上記各児童らについて各保育の実施期間に係る保育所入所承諾通知書をそれぞれ交付している(甲疎109ないし111,乙疎44)。
(3) 本件条例
平成16年3月24日,「川崎市保育園条例の一部を改正する条例」が制定された。
同条例においては,市長は保育所の管理を行わせるため,① 保育所の管理を行うに当たり利用者の平等な利用が確保でき,② 事業計画書の内容が保育所の効用を最大限に発揮するとともに管理経費の縮減が図られ,③ 事業計画書の内容に沿った保育所の管理を安定して行う能力を有する法人その他の団体を地方自治法244条の2第3項にいう指定管理者として指定することができるものとされ(5条1項),この指定は保育所の管理を行おうとする者からの事業計画書等の書類を添付した申請を受けて行うものとされた(5条2項,3項)。また,附則において同条例は平成17年4月1日から施行するものとされた(甲疎3の1・3)。
(4) 本件指定
ア 川崎市長は,平成18年5月,本件各保育園を平成19年4月から指定管理者により管理させるため指定管理者の募集した上(甲疎47,乙疎11),これに応募(本件条例5条2項,3項が規定する申請を兼ねている。)した3団体から本件法人を指定管理予定者として選定し,平成18年8月2日付けで本件法人にその旨通知した(甲疎58,乙疎12,13)。
イ そして,川崎市長は,川崎市議会の議決(地方自治法244条の2第6項。甲疎2,乙疎14)を経て,同年10月5日付けで本件法人を本件各保育園の指定管理者に指定した(本件指定)。本件指定においては,期間(同条5項)は平成19年4月1日から平成24年3月31日までとされた(甲疎1)。
(5) 本案訴訟の提起
甲事件申立人H,同D,同I及び同Gは,平成18年10月10日,本件指定の取消しを求めて当庁平成18年(行ウ)第55号事件を提起し,その余の申立人らは,同年12月26日,同様に本件指定の取消しを求めて当庁平成18年(行ウ)第68号事件を提起した。
3 当事者の主張(骨子)
【申立人らの主張】
(1) 保育所選択権及び保育所で保育を受ける権利の保障
ア 児童福祉法(以下「法」という。)24条は,保護者に対してその監護する乳幼児にどの保育所で保育の実施を受けさせるかを選択する機会を与え,市町村はその選択を可能な限り尊重すべきものとしており,保護者には保育所を選択し得るという法的利益が保障され,また,児童には特定の保育所で保育の実施を受け,将来保育期間中にわたって保育の実施を受け得るという法的利益が保障されている。
イ 保護者申立人らは,経験豊富な保育士が多数在籍し,保育の均質さや公平さが担保され,子どもたちにとって安定した日々の保育が保障されているという公立保育所ならではの良さを求めて本件各保育園を選択した。特に,本件各保育園は50年を超える伝統を持ち,経験豊富な多数の保育士等がおり,子どもの発達に沿う地域にも開かれた行事が行われる等の良さで有名であり,このような点にかんがみて,保護者申立人らは多くの保育所を見て回った上で最終的に本件各保育園を選択したのである。
ウ 本件各保育園を民営化することが最初に公表されたのは平成15年5月のことである。したがって,それ以前に児童を本件各保育園に入所させていた保護者らは,この民営化については全く知らされることなく本件各保育園を選択したのである。また,平成16年4月以降に児童を本件各保育園に入所させた保護者も,形式的に平成19年に民営化される予定であることは聞かされていたが,「民営化されても何も変わらない」という説明であったので,そのように信じて本件各保育園を選択したのである。
(2) 本件指定による影響
ア 保育の継続性の断絶
本件指定では,わずか6か月間の不十分な引継ぎしかされないまま,平成19年4月1日には本件各保育園の職員全員の入替えが予定されているが,これは保育の継続性が断絶され,別の保育所に子どもを移されたのと実質的に同じことである。
慣れ親しんだ保育士が一斉にいなくなることは子どもにとって衝撃であり,環境の急激な変化は子どもたちを不安に陥れ,また,短期間の引継ぎでは安全で豊かな保育に不可欠な経験を引き継ぐことができず保育の安全性が低下し,子どもの事故や怪我が増加する。
イ 保育の質の低下
保育士の労働環境が整っていないと保育士の離職率が高くなり,勤続年数も短くなってくるから,保育士の労働環境は保育の質を維持向上させる制度的な保障である。本件指定は,人件費を切り下げるために行われるものであり,キャリア豊富な保育士の異動と,新卒,若年層,パート,非常勤保育士の多数採用を伴う。このように保育士の労働環境を引き下げることは保育の質を低下させるものであり,これは子どもの発達に大きな影響を与える。
ウ 保護者の反対
本件指定は保護者の9割が反対し,信頼関係が破壊された中で強行されたものであり,保護者申立人らの手続上の権利を侵害している。
(3) 本件指定は,保護者申立人らの保育所選択権,児童申立人らの保育所において保育を受ける権利等を不当に侵害する違法な処分であり,申立人らは上記(2)ア及びイのような「重大な損害」(行政事件訴訟法25条2項)を被る。
【相手方の主張】
(1) 重大な損害の有無
本件指定は,指定管理者制度を利用するものであり,本件各保育園が依然として公立保育所であることに変わりはない。相手方としては,平成19年4月1日から本件法人に本件各保育園の管理をさせるに当たり,6か月にわたる引継期間を設け,保護者,本件法人及び相手方からなる三者会議を開催する等,円滑な引継ぎを行うための準備に努め,保育の質や安全性が低下しないシステムを構築しているから,本件指定により申立人らに「重大な損害」が生じることはない。
(2) 本案について理由がないこと
相手方は,本件指定に当たりこれを3年以上も前に公表し保護者に対する説明会を繰り返し行い,引継期間を3か月から6か月に延長する等保護者の要望も可能な限り取り入れる等して適正に事務処理を進めてきたのであって,本件指定は適法である。
したがって,本件申立ては「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法25条4項)に当たる。
(3) 公共の福祉への重大な影響
本件指定に伴い本件各保育園では開所時間を延長することが予定されているところ,本件において執行停止の決定がされれば,この延長が行われず子ども及び保護者に重大な影響が生じるし,本件指定を前提に職員採用等の準備を進めている本件法人や,相手方の公立保育所全体の職員配置にも混乱が生じる。
したがって,本件指定の効力を停止することには「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」(同項)がある。
第3当裁判所の判断
1 本件の事実関係
前記第2,2の基礎となる事実に加え,疎明資料(甲疎1,2,4ないし12,16ないし19,21ないし49,58,65の1,66,79ないし82,99,100,108,112,124,乙疎2ないし4,8,9,11ないし19,29,36ないし42)及び審尋の全趣旨によると,以下の事実を一応認めることができる。
(1) 本件各保育園の民営化計画
ア 川崎市児童福祉審議会(法8条3項)は,平成12年10月23日付けで川崎市長に対し「少子化の進行とこれからの保育施策」と題する意見を具申した(乙疎8)。
この中で同審議会は,「子どもを預けやすく,受け取りやすい,通勤途上にあり交通の利便性のよい保育所の設置が望まれている。」,「公立の場合,その性格上,運営や保育内容が画一的になり易く,柔軟な施策を展開するためには,民間活力の導入も検討する必要がある。」,「職員配置,人件費の増大等の面から保育行政に係わる運営総費用の再配分の検討も必要に迫られている。」,「今後は,保育需要に対応した適正な保育所の再配置を図るとともに,少子化における多様な保育需要に対応するため,① 新たに保育所を設置する場合は,民間運営によるものとする。② 弾力的な運営の手法として,公立保育所の民営化の推進を検討する。③ 公立保育所の職員を活用して,地域保育園をはじめ,民営化した園の助言・指導を行うシステムを構築する。」等の意見を具申した。
イ これを受けて,相手方は,平成14年2月,「川崎市保育基本計画」(乙疎9)を策定した。
ここでは,「保育所の整備については,居住地に近接したところに設置することを基本としながら,利便性を求める市民ニーズに対応するため,駅周辺での整備を進め」るものとして,「新たに設置する保育所については,民間運営を基本」とし,「保育所の運営については,効率的な運営の確立を目指すとともに,一時保育や長時間延長保育等,多様な保育サービスを実施する駅周辺型保育所の整備を進め」,「既存の公立保育所のうち,駅周辺型保育所の条件に適った保育所については,規制緩和の推進や待機児ゼロ作戦における国の考え方を踏まえ,民営化を図り」,「運営主体の選定に際しては,児童の処遇向上のため,一定水準の評価を得た熱意のある社会福祉法人等を基本」とするものとされた。
ウ 次いで,相手方は,平成15年5月,上記川崎市保育基本計画の実施計画として「川崎市保育基本計画 事業推進計画」(甲疎5)を策定した。
ここでは,「駅周辺型保育所の整備」として,平成19年度に本件各保育園を民営化し,定員を25名増やして150名とし,特別保育事業として,長時間延長保育,一時保育,子育て支援センター事業(在宅で子育てをしている家庭に対する支援等を行う。)を行う旨の計画が立てられた。
なお,相手方は,平成17年3月に「川崎市保育基本計画 事業推進計画(改訂版)」(甲疎18)を策定したが,これでは本件各保育園は平成19年度に民営化されるものの,定員の増加はなく,特別保育事業としては長時間延長保育のみが挙げられ,一時保育,子育て支援センター事業は挙げられなかった。
(2) 保護者に対する説明会等
ア 相手方は,保育所に児童を入所させることを希望する保護者に対して,「保育所入所案内」(甲疎119,乙疎18)を作成,配布しているところ,平成15年10月に発行された同案内から,認可保育所一覧表中に,本件各保育園の運営が平成19年度より民間に移行する旨を記載するようになった。
イ 本件各保育園に入所している児童の保護者で組織されている本件各保育園協議会は,上記(1)ウの事業推進計画において本件各保育園の民営化が計画されていることを知り,相手方に対してこれに関する説明を求めたところ,平成15年9月6日,相手方により上記協議会役員に対する説明会が開催された。
その後,相手方は,本件各保育園に入所する児童の保護者に向けて,平成16年2月21日,平成17年10月16日,同年12月17日,平成18年3月19日,同年5月6日,同月14日,同月21日,同年6月17日ないし19日,同年9月9日に説明会を開催した。
上記説明会においては,保護者らから,民営化の理由や本件各保育園が選定された理由,あるいは民営化の実施により保育内容に具体的にどのような影響が生じるのか等について説明が求められた。
ウ また,上記協議会は,平成16年9月ころから相手方に対して本件各保育園の民営化を中止するよう求めている。なお,同協議会内に設けられた民営化対策実行委員会が平成18年6月に保護者を対象に実施したアンケート(回答数90。甲疎48)によれば,本件各保育園の民営化について53%が反対,34%がどちらかといえば反対と回答し,このうちの72%がその理由を保育の質が低下することが心配であると回答している。
(3) 本件指定
ア 本件各保育園指定管理仕様書
相手方は,本件指定に先立って,本件各保育園指定管理仕様書(甲疎100)を作成した。なお,相手方は上記(2)イの説明会において同仕様書案を配布してその説明をする等しており,当初は本件各保育園の引継期間を3か月とする計画であったが,保護者らから1年以上の引継期間を設ける等の要望を受けて,その期間を6か月とすることとした。
上記仕様書には以下の記載がある。
(ア) 常勤職員を以下のとおり配置すること。
施設長 1名
主任保育士 2名
保育士,看護師 17名
栄養士 1名
調理員 2名
(イ) 職員の経験年数
① 施設長は,社会福祉事業の経験を15年以上有すること。
② 主任保育士は,児童福祉施設での経験を10年以上有すること。
③ 看護師は,5年以上の実務経験を有すること。
④ その他の職員についても,保育所での経験を有する者の確保に努めること。
(ウ) 指定管理者が管理を開始するまでの準備
① 指定管理者の指定を受け次第,平成18年10月から引継ぎ・共同保育の準備に入ること。
② 運営責任者及び施設長予定者は,引継ぎ開始以降,現在の園の運営方針や運営状況を把握したうえで指定管理による運営について随時保護者に説明し,十分な理解を得ること。また,保護者からの疑問や要望に対して,誠意をもって対応・回答すること。
③ 施設長予定者又は主任保育士予定者は,引継ぎ開始以降,現在の園の保護者会役員会・懇談会等に出席し,保護者会の状況や保護者一人一人のニーズを把握し,指定管理による運営開始後の円滑な保護者との関係を構築すること。
④ 施設長予定者又は主任保育士予定者は,引継ぎ開始以降,現在の園の行事に出席し,行事の内容や準備・進行状況を詳細に把握し,指定管理による運営開始後の行事をスムーズに行うこと。
⑤ クラス担任予定保育士を各クラスに配置し,現行保育士と共にクラスローテーションに入り,共同して保育する中で引継ぎを受け,できるだけ早く子どもたちにとけ込むとともに,子どもたち一人一人の健康状態や発達状況,性格などの特徴を詳細かつ確実に把握し,指定管理による運営開始後も子どもたちが変わらず安心して健やかな園生活を送れるようにすること。
⑥ 人的配置に当たっては,施設長予定者,主任保育士,クラス担任予定保育士計9名を引継ぎ開始以降10月中に配置し,引継ぎに当たること。また,必要に応じて配置数を増やす等の対応を検討すること。
イ 本件法人の選定
川崎市長は,平成18年5月,本件各保育園の指定管理者を募集した上,応募した3団体から本件法人を指定管理予定者として選定し,同年8月2日付けで本件法人にその旨通知した。
その選定理由としては,「本市認可保育所を2園運営しており,順調に運営がなされている。」,「運営方針,目標が明確で,子どもの発達に応じた保育内容となっており,現在の本市公立園に近いものとなっている。」「川崎市の保育を理解した上での事業提案内容となっている。」「経費見積及び職員配置が適正であり,経験者の確保に努めている。」「園長予定者が本市公立園の園長経験豊富なため,現在行われている保育を理解し引き継ぐことができる。」「当該法人が現在運営中の保育所は,いずれも公立園からの引継園であり,経験を生かした確実な引継ぎが可能である。」といったことが挙げられた(乙疎13)。
ウ 本件指定
川崎市長は,川崎市議会の議決を経て,同年10月5日付けで本件法人を本件各保育園の指定管理者に指定した。
(4) 本件法人への引継ぎ等
ア 相手方は,平成18年10月6日付けで,以下のとおり本件法人との間で本件各保育園に関する引継業務を委託する旨の契約を締結した(乙疎39)。
(ア) 業務内容 在園児の状況,運営方針,運営状況,保育内容,各種行事関係等,本件各保育園に関する引継業務
保護者会・懇談会等への出席,保護者からの疑問や要望に対する対応等
(イ) 契約期間 同月7日から平成19年3月31日まで
(ウ) 委託料 1076万7330円
イ 本件法人は,以下のとおり本件各保育園の業務引継ぎを計画して順次実施している。なお,これは相手方が策定した「公立保育園引継ぎマニュアル」(乙疎42)及び「C保育園引継ぎマニュアル」に基づいて計画されたものである。
(ア) 第1期(平成18年10月10日から同年11月4日)
・保育引継ぎに伴うオリエンテーション(園の概要・保育目標・保育内容・安全対策・地域との連携)
・引継保育士による全クラスでの保育実習
・各行事への参加(運動会・遠足・誕生会・親子で遊ぼう会・芋掘り)
・現担当保育士から引継保育士への年間行事の説明と行事把握
(イ) 第2期(同月6日から同年12月28日)
・指定管理開始後の予定クラス担任の保育補助開始
・現クラス担当保育士から,年間計画・デイリープログラム・個人連絡表・生活記録等の引継ぎ
・クラス別懇談会や各種会議への参加
(ウ) 第3期(平成19年1月から同年3月末)
・変則勤務ローテーションによる実務経験
・三者面談(市職員・本件法人職員・保護者)の実施
・引継保育士によるクラス懇談会
・新入園児,在園児に対する保育説明会の開催
ウ 相手方,本件法人及び保護者らは,平成18年10月8日,同月21日,同年12月2日,平成19年1月27日に三者会議を行い,引継計画や引継状況の説明,質疑応答等がされた。
エ 本件法人では,指定管理開始後,以下の職員により本件各保育園の管理を行う予定である。
(ア) 園長 J(保育士として約40年間,うち園長として約28年間の経験を有する。)
(イ) 保育士 うち8名は上記引継保育を行っている者で,平均年齢は42歳,保育経験の平均年数は約11年である。
その余の10名は採用試験を実施して新規に採用する。
(ウ) 臨時職員 7名配置予定。現在の本件各保育園で臨時職員として勤務している保育士については,指定管理開始後も本件各保育園で継続して勤務するよう働きかける。
(エ) 看護師等 5年以上の経験を有する看護師1名,3年以上の経験を有する栄養士1名を配置予定。
オ 相手方は,平成19年4月1日から,健康福祉局こども事業本部こども施策推進部こども計画課に2名の保育士を職員として1年間配置し,本件各保育園及び本件各保育園と同時に指定管理者の指定がされる川崎市K保育園の巡回を,ほぼ毎日それぞれ行わせる予定である。本件各保育園を巡回する職員は,現在本件各保育園の保育士として勤務している者を予定している。
2 申立人らに行政事件訴訟法25条2項が規定する「重大な損害」が生じるかどうかについて
以上の事実関係を前提として,本件指定により申立人らに行政事件訴訟法25条2項が規定する「重大な損害」が生じるかどうかについて検討する。
(1) 保育所選択権及び保育所で保育を受ける権利について
申立人らは,法24条は保護者に保育所を選択し得るという法的利益を保障し,また,児童には特定の保育所で保育の実施を受け,将来保育期間中にわたって当該保育所で保育の実施を受け得るという法的利益を保障しているところ,本件法人による管理開始に伴って本件各保育園の職員全員が交替するのであるから,本件指定は上記各法的利益を侵害する旨主張する。
確かに,法24条は,その1項において「市町村は児童の保育に欠けるところがある場合において,保護者から申込みがあつたときは,それらの児童を保育所において保育しなければならない」旨を規定して,市町村の保育義務を定めた上で,2項において,上記申込みは入所を希望する保育所その他厚生労働省令の定める事項を記載した申込書を市町村に提出して行うものとし,3項において,市町村は一の保育所について,申込書に係る児童のすべてが入所する場合には当該保育所における適切な保育の実施が困難となることその他のやむを得ない事由がある場合においては,当該保育所に入所する児童を公正な方法で選考することができるとしている。そして,上記3項は,逆にいえば,同項に定める事由以外での選考は行わないとの趣旨に理解されるところであり,また,同条5項では,市町村は1項に規定する保護者の保育所選択等に資するため,厚生労働省令の定めるところにより,保育所の設置者,設備及び運営の状況等に関する情報の提供を行わなければならないとしている。
このような法24条の規定及び平成9年の法改正時の経緯や関連通達等にかんがみるならば,法24条は保護者に対し,その監護する乳幼児にどの保育所で保育の実施を受けさせるかを選択する機会を与え,市町村はその選択を可能な限り尊重すべきものとして,この保育所を選択し得るという地位(保育所選択権)を保障するものと解される。そして,上記の「保育所選択権」は,当然のことながら,入所時に定められる保育期間にわたってその監護する乳幼児に対して保育の実施を行う保育所を選択するということであるから,入所後における当該期間にわたる保育の実施を求め得る地位,利益を含んだものということができる。
また,上記のようにして選択された保育所で保育の実施を受けている乳幼児は,保育の実施対象であるとともに,その利益を享受する主体であり,その健やかな育成を旨として保育所の選択が行われたものとみるべきものであるから,当該乳幼児が入所時に定められる保育期間にわたって当該保育所で保育の実施を受けられるという利益は,保護者が当該保育所を選択したことによる反射的な利益と把握すべきものではなく,固有の法的利益と解するのが相当である。
(2) 重大な損害について
ア(ア) 以上の前提に立つならば,保護者申立人らは保育所の存在する場所や経営主体等の客観的な状況を含め,そこで実施されている保育の内容等に基づいて本件各保育園を選択したのであり,また児童申立人らは当該保育所で現に保育の実施を受けているのであるから,そのような本件各保育園の管理を本件法人にゆだねるということ(本件指定)は,申立人らの上記権利ないし利益に一定の影響を与えることは避け難い。
(イ) 申立人らは,本件指定により上記(1)で検討した権利,利益が侵害され,これにより行政事件訴訟法25条2項所定の「重大な損害」が発生すると主張する。
しかしながら,本件各保育園も相手方の公の施設であり,その管理,運営は一定の限度で相手方の判断にゆだねられているものと解されるところであり,上記申立人らの権利,利益もいささかの変更も許されない絶対的なものとも解されないところであり,保育内容の変更といっても様々なものが考えられることからすれば,申立人らの前記権利,利益に一定の影響が及ぶこと,すなわち本件各保育園における保育内容に変更が生じるという,そのこと自体をもって上記「重大な損害」と認めることは困難というべきである。
申立人らが主張するところも,本件各保育園における保育と本件法人による保育との質,内容等における乖離,あるいは保育の質の低下をもって上記重大な損害というものと解されるから,この点については,本件指定に基づいて本件法人による本件各保育園の管理が開始されることによって,保護者申立人らが選択の際に前提とし,また児童申立人らが現に受けている保育の内容がどのように変わり,それが本件各保育園における保育をどの程度変容し,低下させるものといえるのか,さらには,これにより保護者申立人らが監護する児童らの発育等にどのような影響が生じるのかといったことを具体的に検討する必要があるものと解される。
(ウ) なお,相手方は,本件指定は指定管理者制度に基づくものであり,本件各保育園が平成19年4月以降も相手方の「公の施設」であり,公立の保育所であることに変わりはない旨主張するが,ここで問題となっていることは本件各保育園の運営が本件法人にゆだねられ,保育の質,内容が変容,低下するのではないかということであるから,指定管理者制度の活用ということが,公立の保育所を廃止して完全に民間の社会福祉法人等に運営をゆだねるという,いわゆる民営化とは多少異なる面があるとしても,その保育所の運営をゆだねるという実質においてそれほど顕著な違いがあるとも認められない以上は,このような主張はあまり当を得たものではない。
イ 保育の質の変容,低下について
以上を前提として,本件指定により申立人らに「重大な損害」が生じるかどうかを具体的にみてみると,申立人らは,本件指定は人件費を引き下げるために行われるものであり,キャリア豊富な保育士の異動と,新卒,若年層,パート,非常勤保育士の多数採用を伴うから,保育の質が低下するなどと主張する。
しかし,指定管理開始後,本件法人は前記1(4)エのとおりの職員で保育の実施に当たることになるが,この態勢が児童の保育環境として特に劣悪であるとはいえないし,その保育環境で児童らの成長に悪影響が生じるとか,その点が危惧されるとまで認め得る疎明はない。申立人らは,質の高い保育を受けた子どもは,質の低い保育を受けた子どもに比べて発達が良好で,保育の質がその後の子どもの人生を大きく左右すると主張するが,本件法人が実施する予定の保育がそれほど質の低いものであると認めるべき疎明はないし,本件法人は既に平成18年4月からL保育園及びM保育園を運営している(乙疎30ないし32)が,両保育園における保育がそのように質の低いものであるとも認められない。
申立人らは,公営保育所と民営保育所の保育士の労働環境や勤続年数の違いを指摘して,本件各保育園における保育の質が優れている旨を主張する。この点,保育の質というものが保育士の労働環境や経験によって左右されることは一般論としては首肯できるにしても,ただそれだけのことから本件各保育園における保育と本件法人による保育に,その内容,質の点で重大な違いがあると具体的に認め得るだけの疎明はないし,現に民営の保育所が多数存在し,川崎市にも平成18年4月現在で33か所の民営保育所(定員3630人。乙疎1)が存在するが,これらの保育所における保育がおよそ劣悪であって,子どもの発育に何らかの悪影響があるとは認め難いし,少なくともそのような事実を認めるに足りる疎明はない。
以上のことからすれば,保育士が入れ替わり,相対的に若年化する等の事情はあるにしても,指定管理開始後の本件法人による保育はなお相応の水準が維持されるものと推測されるところであり,仮に,保護者申立人らが選択の前提とした本件各保育園の保育内容及び保育水準と多少の差異が生じるとしても,それが本件各保育園での保育と大きく乖離し,あるいは児童らに何らかの悪影響を与え,又はその点が危惧されるような重大なものであると認め得るだけの疎明はないというべきである。
ウ 保育士の交替に伴う混乱等について
(ア) 申立人らは,不十分な引継ぎにより本件各保育園の職員全員の入替えがされることで,保育の安全性が低下するとか,環境の急激な変化により子どもたちが不安に陥るなどと主張する。
(イ) そこで検討するに,前記1(3)及び(4)の事実関係等によれば,① 相手方が本件指定に当たって作成した本件各保育園指定管理仕様書には,指定管理者において6か月間の引継期間を設け,保育士予定者が現保育士と共同で保育に当たるなどして引継ぎを受けることが定められていること,② 本件法人は,公立保育所からの引継園2園を現に運営しており,過去に保育所を引継ぎした経験があり,この際に格別の問題があったと認めるに足りる疎明はないこと,③ 本件法人が予定している本件各保育園の職員配置等の保育態勢に特に問題があるともいえないこと,④ 本件法人は,相手方と引継契約を締結の上,相手方が策定した「C保育園引継ぎマニュアル」等を基礎に,前記1(4)イのとおりの引継計画を定め,これを順次実施しており,三者会議等において保護者らの意見を聴くなどしていること,⑤ 相手方において指定管理開始後も現在本件各保育園の保育士として勤務する者を,本件各保育園に1年間ほぼ毎日巡回させる予定であることを指摘できる。
このような本件法人による管理開始に向けた準備状況や引継状況によれば,相手方及び本件法人は指定管理開始に伴う保育士の入替え等により児童に大きな混乱が生じないように配慮し,また,保育環境の変化が児童に悪影響を与えないように相応の対策をとっているということができる。
(ウ) 一方,既に上記引継期間においても,児童が噛みつかれたり,ひっかかれたりする等の児童同士のトラブルが増えた,赤ちゃん返りするようになった,お漏らし,おねしょが増えた,甘えることが多くなった,朝に登園したがらないことがある等の報告(甲疎112ないし115,乙疎40)があり,また,甲疎121ないし123号証には,急激な保育環境の変化は児童の発達や人格形成に悪影響を及ぼすという心理学・認知科学専攻の大学助教授等の意見が示されている。
しかしながら,引継期間において既に上記のような状況がみられるとしても,それが本件法人の保育士予定者が保育に関与したこと(環境の変化等)により生じたものかどうかは明らかではないし,そのような現象が一時的なものでなく,児童の発育にとって何らかの影響をもたらすものかどうかも定かではない。上記のとおりの相手方及び本件法人の引継計画及びこれに対する準備態勢(特に,本件法人の保育士予定者8名が平成18年10月から保育の実施に当たっていること。)からするならば,上記のような報告があるというだけでは,今後,本件法人による管理が開始されることにより,児童の発育にとって深刻な影響を与えるほどの保育環境の急激な変化が生じるとは認め難いというべきである。
(エ) なお,保育の安全性が低下するという点についても,引継期間において上記のように,児童が噛みつかれたり,ひっかかれたりする児童同士のトラブルが増えたと報告されているが,それだけでは児童の安全性が危惧されるような状況にあるとは認め難いし,これまで述べてきたことに照らせば,本件法人の管理開始後に安全面が危惧される具体的な状況があるとも認め難い。
(オ) 以上によれば,保育士の交替に伴い多少の混乱等は想定されないでもないが,その際又はその後の保育環境の変化により,申立人らの監護する児童らに悪影響が生じることが危惧されると認めるべき疎明はないものというべきである。
(3) まとめ
以上検討したところによれば,本件指定により,これらの保護者らが監護する児童らに行政事件訴訟法25条2項が規定する重大な損害が生じると認めることはできない。
なお,本件各保育園の民営化については,相手方が指摘するように,既に3年以上も前の平成15年5月に公表されていたことである。この点は,保育内容の変更,乖離を損害とみる場合には,保護者申立人らが本件各保育園を選択する際にその保育内容や民営化による変化をどのように認識していたのかという意味で上記損害の内容,程度を検討する上で重要な事情ではあるが,上記のように,この点を検討するまでもなく申立人らには本件指定により重大な損害が生じるとは認め難いというべきであるから,これ以上の検討はしない。
3 結論
以上のとおり,本件申立ては,その余の点について判断するまでもなく理由がない。
そこで,本件申立てをいずれも却下することとし,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 河村吉晃 裁判官 植村京子 裁判官 高橋心平)