大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成2年(行ウ)2号 判決 1991年9月19日

原告

甲野一郎

被告

横須賀労働基準監督署長

名塚文夫

右指定代理人

浅野晴美

外六名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、原告に対し、昭和六一年二月二八日付でした、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付及び障害補償給付を支給しない旨の決定は、これを取り消す。

第二事案の概要

本件は、新入社員として合宿訓練を受けた原告が、その合宿訓練により神経症になったと主張して、労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付と障害補償給付を請求したところ、同署長から右各給付を支給しない旨の決定(以下「本件不支給決定」という。)を受けたため、右決定の取消しを求めた事案である。

一事実の経過

1  原告は、関西大学大学院修士課程を終了後、昭和五七年四月一日に日産自動車株式会社(以下「訴外会社」という。)に入社し、同年五月末日まで工場実習として組立ラインにおいてエンジン部品の取付け作業に従事した後、同年六月に中央研究所に配属された。

中央研究所では、自動車用エンジンの騒音振動関係の実験の補助、実験データーの解析、実験結果の所内発表、特許文献の調査等の業務を担当していた。

2  訴外会社は、昭和五一年から、毎年、株式会社ビジネスコンサルタント(以下「ビジネスコンサルタント社」という。)の指導のもとに、大学卒及び高専卒の新入社員を対象に合宿訓練を行っており、原告は、昭和五七年九月二七日から同年一〇月一日まで訴外会社が箱根のホテルで実施した合宿訓練(以下「本件合宿訓練」という。)に参加した。

3  本件合宿訓練の受講者は一五九人で、一〇人ずつ(ただし、一つの班は九人)一六班(AからDまでの各ブロックの各1ないし4班)に分けられ、各班に一人のトレーナーが付いて全日程の進行、管理に当たり、さらに、前年度トレーナーを経験した二人の訴外会社の職員が、コーディネーターとして、トレーナーの取りまとめを行い、ビジネスコンサルタント社の職員二人が、トレーナーの相談を引き受けていた。

トレーナーは、大学卒または高専卒で、訴外会社に入社後一二年ないし一三年経過した職員であり、本件合宿訓練開始前に、ビジネスコンサルタント社の職員を講師としたトレーナー養成研修を受けていた。

4  本件合宿訓練は、各班単位でゲームや討論を行わせるもので、班員に班内での役割を自発的に決めさせることによって、集団の中での自分の役割を認識させること、いくつかのゲームや討論を行った後に班員に相互批評させることによって、自分の客観的な姿を認識させて人格的な成長を図ること、さらに、忌憚のない意見を交換させることによって、集団への帰属意識を高めることを目的としていた。

5  本件合宿訓練のカリキュラムは、別紙のとおりである。これは、マンチェスター大学教授ケアリー・クパーのソーシャルスキルの理論を基本としてビジネスコンサルタント社が開発したものを、トレーナーが、若干修正して作成したものである。

(以上1ないし5の事実は当事者間に争いがない。)

6  原告は、本件合宿訓練終了後の昭和五七年一〇月四日、「食欲がない」「心臓が弱っているようだ」「胃の具合が良くない」との症状を訴えて、社会福祉法人湘南福祉協会湘南病院で診察を受け、神経症の疑いがあると診断されて、抗不安剤の投与を受け、次いで、昭和五八年一月六日、「感情が無くなった」との症状を訴えて再び同病院で診察を受け、抗不安剤の投与を受けた(以下原告のこれらの症状を「本件疾病」という。)。原告が本件疾病により医療機関の診療を受けたのはこれだけである(<書証番号略>)。

7  原告は、昭和五七年一〇月六日ころ、上司に退職を申し出たが、翻意を促されて従前どおり中央研究所で勤務を続けた後、昭和五八年一月末日限りで退職した(<書証番号略>)。

8  原告は、退職後の昭和六〇年二月、被告に対し、本件疾病が業務上の疾病、障害に当たるとして、労働者災害補償保険法に基づき、右二回の診察の費用についての療養補償給付と本件疾病についての障害補償給付の請求をしたが、昭和六一年二月二八日付で、被告から、右請求にかかる各給付を支給しない旨の本件不支給決定を受け、右決定に対する審査請求は同年一二月二六日棄却され、さらに、再審査請求も平成元年一一月七日棄却された(この事実は当事者間に争いがない。)。

二争点

原告の本件疾病が労働者災害補償保険法七条一項一号にいう業務上の疾病に当たるかどうかが本件の争点である。

第三争点に対する裁判所の判断

一原告は、本件合宿訓練により本件疾病にかかったと主張するので、まず、原告が本件合宿訓練をどのように受け止めていたかをみてみる。

1  原告は、本件合宿訓練終了直後の昭和五七年一〇月七日付の松原良知トレーナーあての研修報告書で、「研修の内容については始終反発を感じており、研修の意図するものが非人間的で押しつけがましいものであったと判断している。発病のきっかけとなったのは、『印象フィードバック』で原告について『残念ですがあなたはリーダーシップはとれません……』といった内容のものがあったことである。当時、あることに悩んでいる状態にあったのでこれを受け流すほどの心の余裕がなかったことや、それが無記名であったことにより、グループの者全員に対して強い不信感を持つに至ったものである。」といった趣旨を報告している(<書証番号略>)。

2  昭和六〇年二月一二日付の本件療養補償給付及び障害補償給付の請求書には、「合宿訓練の二日目の『印象フィードバック』において、原告を中傷する内容の文書を多人数の前で読み上げられたことに起因して神経症になった。」との趣旨を記載している(<書証番号略>)。

3  昭和六〇年九月二〇日の労働基準監督署労働事務官の事情聴取に対しては、「第一日目からトレーナーと受講者が敵対感情に置かれるような雰囲気で様子がおかしいと感じていたが、第二日目の『印象フィードバック』で『残念ですがあなたはリーダーシップはとれません……』と無記名で書かれたことがきっかけで精神的に落ち込んだ。」「研修報告書中の『当時、あることに悩んでいる状態にあった』とは、当時は入社以降の環境の変化から軽い鬱状態になっていたということである」といった趣旨の供述をしている(<書証番号略>)。

4  昭和六一年九月一一日の労働者災害補償保険審査官の事情聴取に対しては、「第二日目の『印象フィードバック』の批評の中に原告の人格を攻撃、中傷する内容のものがあり、その後トレーナーからその批評に対する感想を求められたが、これによって原告は、異常な不快感を持つと同時に合宿訓練に対して強い失望感を覚え、この日から寝室では同室の四名とはあまり話をしなくなり、不眠状態に陥り、合宿訓練が終わるまでこの状態が続いた。この間徐々に食欲不振が進み、抑鬱状態になった」といった趣旨の供述をしている(<書証番号略>)。

5  平成三年五月一六日の当裁判所における原告本人尋問においては、「第一日目は、実際にやることが指示されておらず自由放任の状態であったので、何をやっていいのかわからないというのがちょっと負担であったが、つらいということはなかった。」「第二日目では『印象フィードバック』で一名の班員から原告のリーダーシップを否定する批評があったのがつらかった。他の人の批評は別に否定的なものではなく、気にさわるものではなかった。」「第三日目は、松原トレーナーが泣いていたのが印象的であった。」「第四日目は、『フィードバックサークル』での批評は意外であり、苦痛でもあった。」「第五日目の『コースヒストリーの作成』では、班員が原告をからかうような漫画を書き、これをもとにしてコースヒストリーの発表をしたが、これが五日間の合宿訓練を通して最も精神的にこたえた。」「五日間の合宿訓練は、人間をモルモットのように扱う感じで、おかしなもののように思った。」との趣旨を供述している。

以上の事実によれば、本件疾病は、本件合宿訓練中の出来事を誘因とする心因性の疾病ということができる。

二しかしながら、労働者災害補償保険法七条一項一号にいう業務上の疾病というためには、その業務と疾病との間に条件的な因果関係があるだけでは足りず、相当因果関係があることを要するところ、心因性の疾病は、本人の性格特性と周囲の様々な要因が競合して発症するものとみられるので、本件合宿訓練がおよそ本件疾病の発症の有力な原因となるようなものであった否かを、原告が、精神的苦痛を受けたとする第二日目の「印象フィードバック」、第四日目の「フィードバックサークル」と第五日目の「コースヒストリーの作成」についてみてみる。

1  「印象フィードバック」は、各班員に、短冊を配付し、その短冊に自分以外の班員全部の氏名とネガティブな印象(フィードバック)を、「面白くない」、「不快である」、「やめてもらいたい」、「がないとよい」という形式で三つ書かせた上、トレーナーに提出させ、トレーナーが各班員毎にこれを読み上げ、批評を受けた当該班員の感想を聞き、終了後その短冊を破り捨てるというものであった。これは、普段気づかない自分の性格を認識させることを目的としており、その実施に当たっては、あらかじめトレーナーから班員に対して、人格攻撃とならないこと等の注意がなされていた。原告の属したC1班においては、松原良知トレーナーが「印象フィードバック」を実施し、各班員について、他の班員の書いたフィードバックを読み上げた。原告についてのフィードバックも他の班員とそれほど異ならないものであったが、一人だけ原告はリーダーに向かないといった趣旨のフィードバックを書いた者があった(<書証番号略>、原告本人の供述)。

2  「フィードバックサークル」は、あらかじめ「簡潔にはっきり手ぎわよく表現する」「必要な場合要領よく話をまとめる」といった一四項目のポジティブな批評と「他の人たちをなやませたりいらいらさせたりする」「自分の主張や意見に固執する」といった一三項目のネガティブな批評の記載してあるシートに自分以外の各班員全員について該当箇所を記入させ、トレーナーが以上の二七項目と班員名を順に読み上げ、あてはまると思われる項目について挙手させてその数を集計し、その集計をもとに各班員に対し、他の班員からの批評に対する反省と感想を述べさせるというものであった。原告については、「グループの圧力に左右される」「ぐずぐずしている」「自分のポイントをはっきり表現できない」「真の問題に直面・対決させられることを避ける」「様子をうかがっていてさまよいがち」「無関心でいたり、グループの外にはずれている」といったネガティブな項目に比較的多数の班員の挙手があったが、ポジティブな項目にも挙手がなかったわけではなく、また、他の班員にも、多少の差はあるもののネガティブな項目に挙手があり、原告だけが特にネガティブな項目への挙手が際立っていたわけではなかった(<書証番号略>、原告本人の供述)。

3  「コースヒストリーの作成」は、各班が、合宿訓練の始めはどのような状態にあったか、その後どのように変化したか、そのきっかけは何か、その過程で何を学んだかを討議し、その各過程をコースヒストリーとして、創造的に、パントマイム、寸劇等自由な方法で表現するというものである。原告の所属したC1班は、班の成長過程を漫画風のイラストに描き、これをCブロック全員の前で発表した。そのイラストの中に、合宿の初期の段階で、自分がリーダーになろうとしたにもかかわらず、他の班員から無視されて挫折した原告を描いたものがあった(<書証番号略>、原告本人の供述)。

三本件合宿訓練は、第二の一の2ないし5と第三の二の1ないし3に認定したとおりであり、これは、班員の人格、行動についての相互批評を内容とするから、自己の欠点を指摘された者を不愉快にさせるものであることは否めないが、その程度の精神的な負担は、職場で集団生活をするうえでしばしばあり得るものであり、特に過大なものであるとは思われない。

本件合宿訓練に参加した同一班の者も、本件合宿訓練を否定的に受け取った者はなく、むしろ大多数は最終的にはこの訓練を肯定的に受け入れており、これが精神的に大きな苦痛であるとは感じていなかったこと(<書証番号略>)、本件合宿訓練の指導に当たったビジネスコンサルタント社は、昭和六一年四月から平成二年三月までの四年間だけでも延べ五九〇社から依頼され延べ約一万七六〇〇人に対して本件合宿訓練と同様の合宿訓練を行っているが、これが原因で神経症になった者はないこと(<書証番号略>)、北里大学病院医師三浦貞則の被告に対する鑑定意見、神奈川県予防医学研究協会中央診療所医師戸田弘一の神奈川労働災害補償保険審査官あての鑑定意見、関東労災病院医師佐々木時雄の神奈川労働基準局長あての鑑定意見とも、本件合宿訓練は神経症を発症させるほどの精神的負担を伴うものではなく、本件疾病は原告の性格特性が主因と考えられるというものであること(<書証番号略>)も、当裁判所の右判断を裏付けるものである。

このように、本件合宿訓練は、職場で集団生活をするうえで通常受けるであろう精神的な負担以上に特に過大な精神的苦痛を生じさせるものではなかったから、原告が本件合宿訓練中の出来事を誘因として本件疾病になったとしても、その発症の原因の大部分は、本件合宿訓練とは別の出来事(前記のとおり、原告自身、入社以降の環境の変化のために本件合宿訓練前から既に軽い鬱状態になっていた旨を述べている。)か、原告の性格特性(敏感で繊細、対人関係で傷つきやすい、他人の思惑を気にする、冗談でも真に受ける、自己不全感が強い、真面目で道徳感が強い(<書証番号略>)によるものとみるべきであり、本件合宿訓練との間には相当因果関係はないというべきである。

四よって、被告が、原告の本件疾病と本件合宿訓練との間に相当因果関係があるとは認められないとして、本件疾病による療養補償給付と障害補償給付の各請求につき本件不支給決定をしたのは正当であって、その取消しを求める本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林亘 裁判官櫻井登美雄 裁判官中平健)

別紙<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例