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横浜地方裁判所 平成20年(行ウ)17号 判決 2009年7月30日

原告

同訴訟代理人弁護士

堤浩一郎

上野晃

同復代理人弁護士

小花和史

被告

同代表者法務大臣

森英介

処分行政庁

相模原労働基準監督署長

同指定代理人

A 他7名

主文

1  相模原労働基準監督署長が平成18年2月2日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による休業補償給付支給に関する処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

建物の電気配線工事に従事してきた原告は,原発性肺がん(扁平上皮がん。以下「本件疾病」という。)に罹患したことが業務に起因するものであると主張して,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,川崎北労働基準監督署長(以下「川崎北監督署長」という。)に対し,休業補償給付支給請求書(以下「本件請求書」という。)を提出し,休業補償給付支給の請求(以下「本件請求」という。)をしたところ,川崎北監督署長が,原告が本件疾病発症当時所属していた事業場の労働者とは認められないとして,原告が中小事業主等の特別加入をしていた事業場を管轄する相模原労働基準監督署長(以下「処分行政庁」という。)に,本件請求書を調査結果とともに回送した。

本件は,処分行政庁が,平成18年2月2日,原告が特別加入していた当時の給付基礎日額である5000円を基に支給決定(以下「本件処分」という。)をしたところ,原告が,労災保険法上の労働者性を備え,かつ,原告が最も石綿ばく露を受けていた昭和30年から昭和62年4月ころまでに着目して本件疾病の発症を認めた上,休業補償給付を支給すべきであるとして,本件処分の取消を求めた事案である。

1  前提となる事実(証拠によって認定した事実は各項末尾の括弧内に認定に供した証拠を摘示し,その記載のない事実は当事者間に争いがない。)

(1)  原告の職歴について

原告は,昭和○年○月○日生まれの男性であるが,昭和30年3月,a電気大学専門学校を卒業し,同年4月,東京都千代田区に所在した扶桑電設(以下「扶桑電設」という。)に住込みの見習い工としてCVビニール電線,配線工事業などの新築・改修工事作業に従事した。

次いで,原告は,昭和39年3月,扶桑電設を退職し,同年4月から昭和45年3月までの間,同区内に所在した誠電社株式会社(以下「誠電社」という。)において扶桑電設におけるのと同様の作業に従事した。

その後,原告は,昭和46年4月から昭和52年3月までの間,横浜市に所在した熊倉電気(以下「熊倉電気」という。)で就労した。

原告は,昭和52年4月から昭和62年2月まで,株式会社関電工(以下「関電工」という。)の協力会社であり,東京都八王子市に所在した八信電気工事株式会社(以下「八信電気工事」という。)及び神奈川県相模原市に所在した合同電気工事株式会社(以下「合同電気工事」という。)において電気工事に従事していた(八信電気工事及び合同電気工事において電気工事に従事していた終期が昭和62年2月までであることについては,(証拠省略)。以上の原告の職歴のうち,労災保険法にいう労働者性を備えることについては,遅くとも昭和46年4月ころまでの限度で当事者間に争いがない。)。

原告は,昭和62年3月9日,株式会社光和電工(以下「光和電工」という。)を設立して,取締役に就任し,平成13年5月15日までの間は代表取締役であった。

(2)  原告の石綿ばく露作業について

原告は,昭和30年4月以降,ビル,学校,事務所,工場等の電気配線工として,ラックを取り付けるため,配線支持金具であるアンカーピン(以下「アンカーピン」という。)を壁や天井に打ち込むためにドリルで穴を開ける作業に従事していた。

原告は,昭和45年ころから,建物の壁又は天井に設けられている電線を通すための貫通穴から火炎が侵入することを防止するため,貫通穴の隙間に石綿を詰め,石綿の板で固定する作業に従事するようになった。

原告は,平成元年ころからは,上記作業を専門業者に請け負わせるようになったが,工事検査終了後などに電気配線等の追加工事等が発生した場合は,原告が上記作業を行うこともあった。

以上のとおり,原告は,昭和30年以降電気工事に従事していたが,その作業内容は,石綿製品の切断であるとか,石綿を直接手でつかむことであったため,原告は長期間に及び継続的に石綿にばく露していた。

(3)  原告の労災保険特別加入期間について

光和電工は,平成6年11月10日,当時の神奈川労働基準局長に対し,労災保険法34条に基づき,原告を中小事業主とする労災保険の特別加入申請をしたところ,神奈川労働基準局長は,同月11日,同申請を承認した。光和電工は,平成13年5月18日,神奈川労働基準局長に対し,原告が労災保険の特別加入者でなくなった者とする特別加入に関する変更届を提出した。したがって,原告が労災保険に特別加入していたのは,前記特別加入申請の承認の日から平成13年3月31日までである。

(4)  原告の労災保険特別加入期間の給付基礎日額について

光和電工は,原告の労災保険特別加入に当たり,希望する給付基礎日額を5000円として申請し,同金額により神奈川労働基準局長の承認を受け,その後希望する給付基礎日額を変更していない。

(5)  本件疾病

原告は,平成16年8月18日,国立b病院において,肺がん(扁平上皮がん)と診断され,同年11月1日,c大学病院において左上葉切除術の手術を受けた。その後,原告は,「d診療所」を受診したところ,胸部レントゲン検査では,じん肺所見はじん肺の陰影が認められないことを意味する0/0型であったが,胸部CT検査では,左肺に全周性の胸膜肥厚斑(胸膜プラーク)が認められた。原告は,現在も通院中である。

原告の肺組織内に石綿小体又は石綿繊維が存在したことは確認されていないが,胸部レントゲン写真,CT画像所見及び開胸所見により胸膜肥厚斑(胸膜プラーク)の存在が確認されていること及び石綿ばく露作業への従事期間が10年以上認められることから,本件疾病は石綿との関連が肯定される。

(6)  本件処分及び本訴の提起

原告は,本件疾病が,石綿によるもので,かつ業務上の事由に基づくものとして,平成17年7月1日,川崎北監督署長に対し,本件請求書を提出し,労災保険法による休業補償給付の請求をした(本件請求。なお,療養補償給付については,所定給付済みである。)。

川崎北監督署長は,原告の本件請求について,原告が本件疾病発症当時所属していた事業場の労働者とは認められないとして,原告が中小事業主等の特別加入をしていた事業場を管轄する処分行政庁に対し,調査結果とともに本件請求書を回送した。

川崎北監督署長から本件請求書の回送を受けた処分行政庁は,平成18年2月2日,本件疾病が業務に起因したものであると認め,原告が労災保険に特別加入していた当時の給付基礎日額である5000円を基に支給決定し,原告に対して所定の給付を行った。

原告は,本件処分を不服として,同年3月15日,神奈川労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に対して審査請求したが,審査官は,同年5月31日,これを棄却決定し,同年6月1日,原告及び原告の審査請求代理人であるIにその旨通知した。

さらに,原告は,審査官の前記決定を不服として,同月5日,労働保険審査会(以下「審査会」という。)に対して再審査請求したが,審査会は,平成19年10月31日,これを棄却し,同年11月2日,原告の再審査請求代理人であるIにその旨通知した。

原告は,上記決定を不服として,平成20年3月21日,本訴を提起した(原告が同日本訴を提起したことは,当裁判所に顕著である)。

(7)  労災保険制度の趣旨及び労働者性について

ア 労災保険は,業務上の事由又は通勤による労働者の負傷,疾病,障害,死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため,必要な保険給付を行い,あわせて,業務上の事由又は通勤により負傷し,又は疾病にかかった労働者の社会復帰の促進,当該労働者及びその遺族の援護,労働者の安全及び衛生の確保等を図り,もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする(労災保険法1条)。

イ 労災保険法は労働者を使用する事業に適用されるところ(労災保険法3条1項),労働者とは,労働基準法(以下「労基法」という。)9条にいう労働者と同義であり,労基法の適用される事業において使用される者で,賃金を支払われる者をいう。

この「使用される」とは,使用者の使用従属下において労務を提供する関係にあることを意味し,「賃金」とは,使用者が労働者に支払う「労働の対償」を意味する(労基法11条)。

したがって,労災保険法上,労働者性が認められるためには,使用者との使用従属関係が存在すること,報酬の支払が労働の対償としての性格を有することの2つの要件が必要である。

(8)  石綿による疾病の業務起因性について

ア 労災保険法上の保険給付は,労働者の業務上の傷病等について給付されるところ(労災保険法7条1項1号),当該傷病等が業務上のものであると認められるには,業務と傷病等との間に相当因果関係,つまり,業務と傷病等との間に条件関係があることを前提としつつ,両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係があることが必要であると解される。

この点,石綿による疾病については,当該業務に伴う有害因子によって発症し得ることが医学的知見において一般的に認められているものであることから,一定の要件の下に類型的に業務上のものであると認められる(労基法75条,労基法施行規則35条,同規則別表第1の2第7号7参照)。

イ 労働者の業務上疾病に係る各種の労災保険給付は,算定事由発生日における労災保険関係により行われることになるが(労災保険法8条参照),石綿による疾病は,潜伏期間が特に長いという特徴があり,労働者が石綿ばく露作業に係る事業場を転々としている場合や労働者の所属していた事業場が廃止されている場合等の事情があることから,労働基準監督署長は,石綿による疾病の労災保険給付を行うときには,事務処理の迅速化等のため,最終石綿ばく露事業場に係る労災保険関係により行うこととしている。

2  争点

本件の争点は,原告の本件疾病に関する労災保険による休業補償給付を特別加入期間に係る労災保険関係に基づき行うことの適否であり,その前提として,原告が労災保険法上の労働者であった期間も争われている。以上の争点に関する当事者の主張は,以下のとおりである。<以下,「争点に関する当事者の主張」部分につき省略>

第3当裁判所の判断

1  本件の争点の判断に先立ち,原告の就労状況,石綿ばく露状況等について判断するに,第2・1記載の事実に,証拠(<証拠・人証省略>)を総合すれば,以下の事実を認めることができ,この認定事実を覆すに足りる証拠はない。

(1)  原告の職歴及び就労状況

ア 原告は,昭和○年○月○日生まれの男性であり,昭和30年3月,a電気大学専門学校を卒業した。

原告は,昭和30年4月から昭和45年3月まで扶桑電設及び誠電社において,CVビニール電線,配線工事業などを行い,労働者として就労した。

原告は,昭和46年4月から昭和52年3月まで熊倉電気で就労した。熊倉電気における原告の稼働状況は,扶桑電設及び誠電社におけるのと同様で,原告は報酬を受領して稼働していた。

イ 原告は,昭和52年4月から昭和62年2月ころまで,e電気,八信電気工事及び合同電気工事において稼働していた。

e電気は原告の実兄が代表取締役を務めており,その事業内容は電気配線工事であった。原告がe電気で働いていたときは,e電気が仕事を受けて原告がその職人として仕事をしていた。原告はe電気から日給月給制で報酬を支給され,その他,通勤交通費と作業衣が支給されていたが,報酬支給時に源泉徴収はされておらず,社会保険も未加入であった。

八信電気工事において,原告は日給月給制で報酬を支給され,残業手当も支給されていた。報酬支給時,源泉徴収はされておらず,社会保険も未加入であった。八信電気工事からは,原告に対し,報酬請求時には,請求書を提出してほしいと言われたため,原告は,「e電気工事」の名称で請求書を作成し,提出していた。

合同電気工事における原告の勤務条件は,八信電気工事とほぼ同様であった。

e電気,八信電気工事及び合同電気工事において,原告は,いわゆる日雇の常用という立場で稼働し,残業代を1時間単位で支払われ,残業の際は前記各会社が食事を用意した。原告が電車で通勤する場合は通勤交通費が支払われ,自動車で通勤する場合は,距離にかかわらず,ガソリン代として一定の金額が支払われた。工具類,道具類は,会社が支給したものを使用しており,自前のものは腰道具や電線をつぶすときに使用する圧着道具やドリル程度であった。

なお,この期間中,原告は,オイルショックの2,3年前から関電工の仕事をするようになり,関電工の仕事には八信電気工事と合同電気工事からの仕事が多数あったが,その際は,自分の屋号である「e電気工事」として仕事をし,他の職人の分も含めて日当が支払われたときには,原告自身が受け取った日当から他の職人に対してそれぞれの日当を支払っていた。

ウ 原告は,昭和62年3月9日,光和電工を設立して取締役に就任し,それまでと同様,電気配線工事を行っていた。光和電工においては,常時,3ないし4人の職人を抱えていた。原告は平成13年5月,光和電工の代表取締役を辞任し,その後は同社で職人として稼働していた。原告は,第2・1(3)のとおり,平成6年11月11日から平成13年3月31日までの間,労災保険の特別加入者となっていた。

(2)  原告の石綿ばく露状況

ア 原告は,昭和30年4月から,ビル,学校,工場,事務所ビル等の大型建物の電気配線工事に従事していたが,原告が行うのは,屋内外の電気配線工事全般であり,主として,イ,ウ記載のとおりの天井裏の電気配線工事と,階から階への電気配線工事の2種類であった。原告の前記作業においては,石綿製品を切断したり,石綿を直接手でつかんだりしたため,原告は長期間に及び継続的に石綿にばく露していた。

イ 天井裏の配線工事

建物の躯体のコンクリートにはデッキプレートという鉄板が貼られていて,その躯体を支えるためH型鋼などが取り付けられており,デッキプレート及びH型鋼には耐火被覆のため石綿が吹き付けられていた。

原告は,床に脚立を立て,それに乗って天井裏の配線工事を行い,天井裏にはわせた配線を支えるため,デッキプレートにドリルで穴を開け,アンカーピンを取り付けていた。また,原告は,H型鋼の下に配線をはわせる際,H型鋼に吹き付けられている石綿をドライバー等で削り,そこにアンカーピンを取り付けて配線を支えた。天井の照明器具の設置場所が決まると,原告は,その箇所のデッキプレートにドリルで穴を開けて,吊りボルトを降ろし,照明器具を支えるという作業もしていた。原告は,照明器具の設置場所が変更された場合,点検孔から縦約70ないし80cmの狭い天井裏に潜り込み,再び別の箇所のデッキプレートにドリルで穴を開け,吊りボルトを付け替える作業も行った。

原告は,これらの作業の際,前記のとおり石綿が吹き付けられているデッキプレートに穴を開けたり,H型鋼に吹き付けられている石綿を削ったりしたので,その度に石綿が落下していた。原告は,前記各作業の際,マスクを付けたりタオルで口をふさいだりしていたが,その防護には十分でなく,石綿が鼻や口から侵入した。前記各作業は,各現場で20日ないし1か月程度の間行われていた。

光和電工を設立した昭和62年3月9日以降,原告は,配線工事は行っても,天井裏に入っての作業は行わなくなった。

ウ 階から階への配線工事

原告は,中高層の建物について,建物に設けられている貫通穴に金属製のはしご状のラックをはわせていくという作業を行っていたが,火の侵入を防ぐために貫通穴を密閉する作業を行うようになった昭和45年ころまでは,前記作業で石綿にばく露することは特段なかった。昭和45年ころから行われた貫通穴を密閉する作業は,袋に入っている石綿を軍手でつかんで取り出し,石綿を貫通穴に詰めて密閉した後,石綿板をコンクリートカッターで所定の寸法に切断し,その石綿板を貫通穴の上部及び下部に取り付け,石綿板に穴を開けてボルトで固定し,さらに石綿板と貫通穴の隙間を閉じるため,石綿が含有されている柔らかい石綿板を粘土状にしてはり付け,目張りをするというものであった。こうした作業,特に石綿板を切断する際には,石綿の白い粉が飛び散り,石綿が原告の鼻や口から侵入していた。

以上にいう石綿板とは,クリソタイル5~7クラスを主原料として,充填材に白土,クレー,タルクなどを混合し,結合材としては一般に糊材を使用して,製紙用の丸網抄紙機によって抄造したものである。

以上の防火区画工事については昭和56年ころからは専門業者が行うようになり,さらに平成元年以降には有資格の専門業者が行わなければならなくなったため,原告はかかる作業には従事していない。ただし,工事検査終了後などに電気配線等の追加工事等が発生した場合は,原告がかかる作業を行うこともあった。

(3)  わが国における石綿の使用状況及び施策の推移

ア 石綿とは,昔から産業界で使用してきた幾つかの繊維状鉱物の総称であり,石綿障害予防規則の施行通達の定義によれば,石綿とは,繊維状を呈しているアクチノライト,アモサイト(茶石綿),アンソフィライト,クリソタイル(白石綿),クロシドライト(青石綿)及びトレモライトをいう。

我が国で使用されてきた石綿は,クロシドライト,アモサイト及びクリソタイルであったが,平成7年にクロシドライト及びアモサイトの製造等が禁止され,現在産業界で使用されているのは,クリソタイルを含有する製品の一部である。

石綿のうち特に有害性が高いのはクロシドライトである。吹付け石綿には,クロシドライトが多く用いられ,アモサイトとクリソタイルは下吹きや吹付けクロシドライトの表面に化粧のためにクリソタイルを吹き付けた場合などがあった。学校や保育園,ホールや体育館など公共の建物にはクロシドライトが吹付けられる場合が特に多かった。

イ 石綿に関する施策の推移は次のとおりであり,わが国においては,石綿に関する規制が年々強化されてきた。

(ア) 戦前から,石綿を取り扱う事業場においては,石綿を原因とする労働災害として,じん肺の一種である石綿肺が発生しており,石綿による健康障害としての石綿肺は,戦前からその危険性が認識されていた。一方,昭和46年1月21日に労働基準局長に提出された労働環境技術基準委員会の報告書において,石綿はがん原性のある物質に含められていないなど,かつてわが国においては石綿のがん原性について知見は確定していなかった。

(イ) 昭和46年,特化則が制定され,粉じん対策として石綿に係る規制がなされ,石綿粉じんが発散する屋内作業場では,原則,一定の除じん装置を有する局所排気装置を設置すること,石綿を製造し,又は取り扱う作業場に呼吸用保護具(マスク等)を備え付けることなどが定められた。特化則は,局所排気装置の性能要件について,フードの外側における石綿粉じんの濃度が2mg/m3(33本/cm3相当)を超えないものとすることとされた。

(ウ) 昭和47年,国際労働機関及び世界保健機関の国際がん研究機構が石綿のがん原性を認めたことにより国際的な知見が確立した。

(エ) 昭和48年,「特定化学物質等障害予防規則に係る有害物質の作業環境中濃度の測定について」(昭和48年7月11日付け基発第407号)が都道府県労働基準局長に対して発出され,当面,石綿粉じんの抑制濃度を5本/cm3とするよう指導することが指示された。

(オ) 昭和50年,石綿のがん原性に着目して特化則が改正・施行され,石綿のがん原性に着目し,そのばく露対策を強化するため,石綿の吹付けが原則禁止された。また,昭和50年9月30日付けで告示が改正され,石綿に係る抑制濃度を,従来の2mg/m3(33本/cm3相当)から5本/cm3とし,通達による指導が法令(告示)による規制へと強化された。

(カ) 労働省は,昭和51年度を初年度とする5か年の特別監督指導計画を策定し,同年5月22日,都道府県労働基準局長に対し,「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」(同日付け基発第408号)を発し,局所排気装置の性能を示す抑制濃度を2本/cm3(クロシドライトにあっては0.2本/cm3)とした上で石綿に係る環気中粉じん濃度をこの値以下を目途として指導するよう指示された。

(キ) 平成7年,労安衛法施行令,労働安全衛生規則及び特化則が改正されて同年4月1日から施行され,アモサイト及びクロシドライトについて,製造,輸入,譲渡,提供又は使用が禁止された。

(ク) 平成15年,労安衛法施行令が改正されて平成16年10月1日から施行され,改正前の石綿の約98%が製造等の禁止の対象となるとともに,最大で約35万トンを記録していた石綿輸入量も,平成16年には約8千トンとなるなど激減した。

ウ 平成18年度臨時全国労災補償課長会議の資料である本件質疑応答集(<証拠省略>)8頁の※2―2には「ア 昭和50年に特定化学物質等障害予防規則が改正され,石綿等の吹付け作業を原則禁止とするなどの規制がなされ,その後も石綿に関連する規制は強化されてきている。このため,昭和50年頃を境に,石綿の使用状況は大きく異なっており,仮に,同じ内容の作業であっても,この頃より前の作業は,その後の作業に比べ高濃度のばく露があったと考えられる。」と記載されている。

(4)  石綿ばく露と肺がんとの関係

ア 石綿を吸入することによって生じる疾患としては,中皮腫,肺がん,石綿肺,良性石綿胸水,びまん性胸膜肥厚が知られている。

肺がんは,肺胞内に取り込まれた石綿繊維の主に物理的刺激により発生するとされている。発がん性の強さは,石綿の種類により異なるほか,石綿繊維の太さ,長さにも関係する。

肺がん(原発性)は,石綿に特異的な疾患である中皮腫とは異なり,喫煙を始め,石綿以外に発症原因が多く存在する疾患であり,喫煙は肺がんの最大の危険因子であるが,石綿と喫煙は相乗的に作用して肺がんの発生率を高める。

イ(ア) 石綿ばく露と肺がんに関する疫学研究から,石綿のばく露量と肺がんの発症率との間には,累積ばく露量が増えれば発症リスクが上がるという直線的な量―反応関係(石綿のばく露濃度(本/ml)とばく露年数(年)を掛けた値(本/ml×年)と肺がんの発症率の間には比例関係があるとするモデル)があると判明している。

(イ) 以上のとおり,石綿による肺がんの発症には量―反応関係があるが,肺がんの発症リスクがどの程度あれば石綿が原因であると考えてよいかという問題がある。ある要因と健康障害との因果関係の程度を表現する疫学指標として,寄与危険度割合が一般的に用いられる。寄与危険度割合は,{(相対リスク-1/相対リスク)}×100で計算される。

(ウ) この点について,石綿による健康被害に係る医学的判断に関する検討会作成の平成18年2月付け「石綿による健康被害に係る医学的判断に関する考え方」報告書(<証拠省略>。以下「本件報告書」という。)には,「肺がんの原因は石綿以外にも多くあるが,石綿以外の原因による肺がんを医学的に区別できない以上,肺がんの発症リスクを2倍以上に高める石綿ばく露があった場合をもって,石綿に起因するものとみなすことが妥当である。」との記載がある。

肺がんの寄与危険度割合が50%,すなわち相対リスクが2倍となる石綿ばく露量がどの程度かについては,ヘルシンキ国際会議のコンセンサスレポート(1997)では,石綿繊維25本/ml×年の石綿ばく露によって肺がんの発症リスクが2倍になるとしている。また,Hendersonら(2005)によれば,リスクを2倍にするばく露量として,石綿セメント製造業では,21~303本/ml×年,石綿紡織業では,24~132本/ml×年,アスベスト断熱作業では,22~50本/ml×年であるとし,幅があるが,リスクを2倍にするためのばく露量として最低レベルのばく露量で判断すれば,各業種とも概ね25本/ml×年に一致するものであるとする。

25本/ml×年に相当する指標としては,胸膜プラーク画像所見等,肺内石綿繊維数,石綿肺所見,石綿ばく露作業従事期間がある。

ウ 石綿ばく露作業従事期間を指標とする考え方において,本/ml×年を単位とする石綿累積ばく露量を算定するには,ばく露濃度とそのばく露期間の情報が重要である。わが国においては,昭和50年の特化則の改正により作業環境濃度の測定結果の保存義務が30年に延長される以前のデータはないものと思われることから,職業別等のばく露濃度の程度を数値化することはできない。ヘルシンキ国際会議のコンセンサスレポート(1997)では,25本/ml×年程度の累積ばく露となるためには,高濃度ばく露(石綿製品製造作業,断熱工事作業,石綿吹付作業)1年,中濃度ばく露(造船作業,建設作業)5~10年であるとしている。

エ 従来より,石綿による肺がんは高濃度の石綿ばく露によって発生し,20年以上の潜伏期間を経て発症すると報告されてきた。最近の我が国での報告では,Kishimotoら(2003)は造船業や建設業を中心とした70例の石綿肺がんの潜伏期間は15ないし60年(中央値43年),濱田ら(1996)の石綿肺がん22例のそれは平均31.8年で,石綿ばく露開始から40年以上経過して発生する事例もあると報告している。以上のように,石綿による肺がんは,その多くがばく露開始から発症までが30年から40年程度といった,潜伏期間の長い疾患であるといえる。

オ 本件報告書は,肺がんについて石綿が原因であることを判断する際の考え方について,肺がんの発症リスクを2倍以上に高める石綿ばく露があった場合に起因性を認める前記判断に立脚した上で「ばく露期間に関しては,ヘルシンキ国際会議のコンセンサスレポート(1997)では,25本/ml×年に相当するものとして,石綿製品製造業,断熱工事業,石綿吹付作業などの高濃度ばく露では1年,造船作業,建設作業などの中濃度ばく露では5~10年としているが,我が国では,業種別・職種別にばく露の程度は明らかではなく,また,同じ業種・職種でも作業内容やその頻度によってばく露の程度に差があることから,わが国では業種・職種をもって高濃度ばく露あるいは中濃度ばく露と評価することはできないと考える。これらのことから,ヘルシンキ国際会議のコンセンサスレポートに示された業種別・作業別のばく露期間をそのまま採用することは困難であり,職業ばく露とみなすために必要なばく露期間に関しては,諸外国での取扱いを踏まえ,胸膜プラーク等の石綿ばく露所見が認められ,原則として石綿ばく露作業に概ね10年以上従事したことをもって肺がんリスクを2倍に高める指標とみなすことは妥当である。」としており,本件報告書によれば,石綿ばく露作業に10年以上従事したことをもって,石綿ばく露所見が認められ,かつ石綿ばく露作業に概ね10年以上従事した場合には,肺がんが石綿に起因すると判断されることになる。

2  以上の認定事実を踏まえて,原告の本件疾病に関する労災保険による休業補償給付を特別加入期間に係る労災保険関係に基づき行うことの適否について検討する。

(1)  原告が労災保険法上の労働者であった期間について

ア まず,本件では,原告が労災保険法上の労働者であった期間について争いがあることから,この点について検討するに,第2・1(7)イのとおり,労災保険法上の労働者とは,労基法9条と同じ意義であり,労働者性が認められるためには,使用者との使用従属関係が存在すること,報酬の支払が労働の対償としての性格を有することの2つの要件が必要である。したがって,労基法9条にいう「労働者」に該当するか否かについては,報酬の労務対償性を検討した上で当該労働者の労務の提供形態,業務に関する指示等に対する諾否の自由,拘束性の有無,機械・器具の負担等の諸事情を総合考慮し,当該対象者が労務の提供を受ける者の指揮命令に服して当該業務に従事しているか否かを検討することになる。

イ 以上の観点から,原告の労働者性について検討するに,まず,原告が扶桑電設,誠電社に勤務していた期間を含む昭和30年4月から遅くとも昭和46年4月ころまでの限度で,原告が労災保険法にいう労働者性を備えていたことは,第2・1(1)のとおり,当事者間に争いがない。

ウ 次に,原告が熊倉電気で稼働していた昭和46年4月から昭和52年3月までの期間について,その間の原告の稼働状況は扶桑電設及び誠電社におけるのと同様であり,原告は熊倉電気から報酬を受領して労働していた。そうすると,かかる稼働期間中も,原告は,扶桑電設及び誠電社と同様に労災保険法上の労働者性を具備していたと認められ,かかる認定を覆すに足りる証拠はない。

エ(ア) 先に認定したとおり,原告が,e電気,八信電気工事及び合同電気工事において稼働していた昭和52年4月から昭和62年2月ころまでの期間について,原告は,社会保険には未加入であったが,日給月給制で報酬を支給され,残業代,通勤交通費などが支給されており,作業に用いる工具類も簡単なものを除いて支給されていた。

まず,原告が日給月給制で報酬を支給されていた点につき,報酬が時間給,月給等,時間を単位として計算される場合には,当該報酬は,使用者の指揮監督の下に一定時間労務を提供したことに対する対価であると見ることができるから,かかる事情は原告の使用従属性を補強する重要な要素といえる。残業代が支払われていた点もこれと同様である。

次に,工具類が支給されていた点及び通勤交通費が支給されていた点は,原告が使用者の事業遂行のためにその指揮監督下で作業していたことを推認させる事情といえる。

こうした原告の稼働状況を総合的に見ると,社会保険に加入していなかったという事情を考慮しても,原告は,e電気,八信電気工事及び合同電気工事の指揮監督の下に,労働者として賃金を支給されて稼働していたというべきであり,原告は労働者であったと認定できる。したがって,原告が,かかる期間について労災保険法上の労働者性を備えていたものと認められる。

(イ) ただ,先に認定したとおり,八信電気工事において報酬を支給されるに当たって請求書を提出していたこと,オイルショックの2,3年前から原告が関電工の仕事をするようになり,関電工の仕事には八信電気工事と合同電気工事からの仕事が多数あったが,その際,原告は,自分の屋号である「e電気工事」として仕事をし,日当が入ったときには,原告自身が受け取った報酬を他の職人に対して支払っていたことから,この期間中は原告自身が損益の帰属主体となっていたとも考えられる。

しかしながら,日給月給制で報酬の支払いを受けていた原告が,使用者の求めに応じて請求書を出していたとしても,原告が使用者との間で使用従属関係にあることと矛盾するものではなく,また報酬の受領形態についても,原告は自ら声をかけ工事に関与させた職人の報酬を併せて八信電気工事等から受領しその中から原告以外の職人に対して報酬を支払っていたものであって,単に原告が他の職人の分も含め,まとめて賃金を受け取っていたに過ぎないものと考えられ,原告が他の職人を使用して自らが受領すべき報酬の分を超えて利益を受けたといった事情まではうかがわれない。その他,原告自信が八信電気工事から受けた作業を自らの事業として遂行したことをうかがわせる事情は認められないから,原告の労災保険法上の労働者性は否定されないというべきである。

(ウ) また,八信電気工事における稼働期間について,八信電気工事の代表取締役であったJは,原告の稼働状況について,川崎北労働基準監督署の厚生労働事務官に対し,「おたずねのXさんが会社を起こす前のことだが,e電気工事のことだろう。覚えているよ。やはり下請として使っていたもので,従業員ではない。」と供述している。また,原告は,川崎北労働基準監督署厚生労働事務官に対して,「昭和61年3月八信電気工事退職ではありません。すでにe電気工事として個人営業していました。」と供述しており(<証拠省略>),こうした供述は,八信電気工事における稼働について原告が労働者であったことに関し,消極的評価を導くものである。

しかしながら,労災保険法上の労働者性の有無は,前記アのとおり,使用者との使用従属関係の有無,及び報酬の支払が労働の対償としての性格を有するか否かといった稼働状況の実態により判断すべきであって,先に認定した原告の八信電気工事における稼働状況を踏まえると,Jらの前記供述等によっては原告の労働者性についての先の判断は左右されない。

(エ) 以上検討したところにより,原告は,昭和52年4月から昭和62年2月までの期間,労災保険法上の労働者性を備えていたと認められる。

オ その後,原告は,昭和62年3月9日,光和電工を設立して取締役に就任している。光和電工では常時3ないし4人の職人を抱えているなどしており,原告は光和電工の経営者として自らの事業として作業を行っていたと認められ,また,原告は平成6年11月11日から平成13年3月31日まで労災保険に特別加入していたから,昭和62年3月以降,早くとも原告が光和電工の代表取締役を退任する平成13年5月15日までの間については,原告に労災保険法上の労働者性は認められない。

カ 以上検討した結果を総合すると,原告は,昭和30年4月から昭和62年2月までの間,労災保険法上の労働者性を備えていたことが認められる。

(2)  原告の本件疾病に関する労災保険による休業補償給付を特別加入期間に係る労災保険関係に基づき行うことの適否について

ア 次に,第3・2(1)のとおり,原告が昭和30年4月から昭和62年2月までの間,労災保険法上の労働者性を備えていたことを前提として,原告の労災保険による休業補償給付を特別加入期間に係る労災保険関係に基づき行った本件処分の適否について検討する。

イ(ア) 第3・1(2)認定のとおり,原告は,昭和30年4月から平成14年又は平成15年まで,屋内外の電気配線工事全般を行っており,そのうち,主として,天井裏の電気配線工事と,階から階への貫通穴に関する電気配線工事を行っていた。

(イ) 原告が天井裏の電気配線工事をしていた当初,大型建物のデッキプレート,H型鋼には,耐火被覆のために,石綿が吹き付けられており,原告がそうした工事を行う上で,これにドリルで穴を開ける等していたことから,原告はその作業中に飛散した石綿を吸うなどして相当量の石綿にばく露していたものと認められる。もっとも,原告は,昭和62年3月に原告が光和電工を設立して以降にも配線工事は行っていたものの,石綿ばく露の可能性の高い天井裏での作業を行うことはなくなったと認められるから,仮に作業時間当たりの石綿ばく露量が従前と変わらなかったとしても,原告の石綿ばく露量は昭和62年3月を境に大幅に減少したものと認められる。

(ウ) 次に,第3・1(2)ウのとおり,貫通穴に係る電気配線工事において,当初原告は石綿にばく露することはなかったが,原告が石綿を用いて貫通穴を塞ぐ作業を行うようになった昭和45年から,専門業者が貫通穴を塞ぐ作業を行うようになったことで原告がこうした作業をしなくなった平成元年ころまでの間は,作業中に飛散した石綿を吸うなどして相当量の石綿にばく露していたと認められる。ただ,原告は,平成元年ころ以降も,工事検査終了後などに電気配線等の追加工事等が発生した場合はかかる作業を行うこともあったことから,その際に石綿にばく露していた可能性は否定できないが,原告の石綿ばく露量は,仮に作業時間当たりの石綿ばく露量が従前と変わらなかったとしても,平成元年ころを境にさらに大幅に減少したものと認められる。

ウ また,上記第3・1(3)で認定した石綿に関する施策の推移をみると,昭和46年に特化則が制定されて石綿に対する規制が行われ,さらに昭和50年の特化則改正により石綿の吹付けが禁止され,平成7年からは石綿の中でも毒性の強いクロシドライトやアモサイトの使用等が禁止されるなど,石綿の使用や作業の際の石綿ばく露回避のための規制は,法令の制定,行政指導等により年を追うごとに強化され,平成16年には石綿の製造のほとんどが禁止されるに至ったから,原告が石綿にばく露する量は,後になるほど減少していることは明らかである。

このことについては,平成18年度臨時全国労災補償課長会議の資料である「石綿による疾病事案の事務処理に関する質疑応答集」においても,「昭和50年に特定化学物質等障害予防規則が改正され,石綿等の吹付け作業を原則禁止とするなどの規制がなされ,その後も石綿に関連する規制は強化されてきている。このため,昭和50年頃を境に,石綿の使用状況は大きく異なっており,仮に,同じ内容の作業であっても,この頃より前の作業は,その後の作業に比べ高濃度のばく露があったと考えられる。」と記載されており,国の労災補償担当官の取扱い基準においても,昭和50年以降,作業中の石綿ばく露量が一般的に大きく減少したとされている。

エ 以上で検討した原告が行ってきた工事の内容及び石綿に関する施策の推移等を踏まえ,本件疾病の業務起因性について検討する。

前記認定事実によれば,原告は,昭和30年4月から電気配線作業を行っており,当初,石綿に関する作業について特段の規制がなく,かつ,原告も石綿ばく露に対する特段の防備をしていなかったことから,原告は大量の石綿にばく露しており,特に,石綿で貫通穴を塞ぐ作業を行うようになった昭和45年から,石綿吹付けが禁止された昭和50年までの間は,高濃度の石綿にばく露していたと認められる。その後,先に認定したとおり,石綿に関する規制が強化されたことで,原告の石綿ばく露量は減少していき,原告が光和電工を設立した昭和62年3月以降さらに石綿ばく露量は低下し,原告が貫通穴を塞ぐ作業を行わなくなった平成元年ころから後は,原告はほとんど石綿にばく露しておらず,仮にばく露していてもそのばく露量は相当に限定されていたと認めるのが相当である。

したがって,原告の石綿へのばく露状況を,第3・2(1)アで認定したとおり,原告が労災保険法上の労働者性を具備していた昭和30年4月から昭和62年2月までの期間(以下「労働者期間」という。)と,昭和62年3月以降の期間(以下「非労働者期間」という。)とに分けて見ると,原告は,労働者期間中,相当量の石綿にばく露していたが,非労働者期間中はほとんどばく露しておらず,仮にばく露していたとしても,そのばく露量は顕著に少なかったと認めるのが相当である。

オ 先に認定したとおり,石綿ばく露と本件疾病の発症との間に直線的な量―反応関係があり,かつ,第3・1(4)オ記載のように,本件報告書によれば,石綿ばく露作業に概ね10年以上従事した場合には,肺がんが石綿に起因すると判断されることが相当である。そして,先に認定,判断したとおり,原告は,昭和30年4月から昭和62年2月までの間,労災保険法上の労働者性を備えていたと認められるところ,原告は石綿ばく露量のほとんどを労働者期間中に受け,そのうち昭和30年から昭和50年にかけての約20年間に相当高濃度の石綿ばく露を受けていること,その一方で,原告は非労働者期間中は,電気配線工事に従事するも,先に認定した仕事の状況からほとんど石綿にばく露しておらず,仮にばく露していたとしてもばく露量は顕著に少なかったこと,一般的にも,昭和50年に特化則が改正され,石綿等の吹付け作業を原則禁止するなどの規制がなされ,その後も石綿に関連する規制が強化されたことから,昭和50年ころを境に石綿の使用状況は大きく異なり,仮に同じ内容の作業であっても,それ以前の作業は,その後の作業に比べ高濃度のばく露があったと考えられていることなどに照らし考えると,原告は,労働者期間中に該当する期間における石綿ばく露により本件疾病を発症したと認めるのが相当であり,非労働者期間中については,仮に石綿にばく露していたとしても本件疾病の発症とそのばく露との間には相当因果関係を認めることはできないというべきである。

以上の事実によれば,原告の労働者期間中の石綿ばく露と本件疾病との因果関係が認められるから,労災保険給付の算定事由発生日が特別加入期間中であると認定し,特別加入期間に係る労災保険関係に基づく支給決定を行った本件処分は,その判断を誤ったものというべきである。

カ 石綿による疾病に対する労災補償については,行政実務上,本件基準のとおり,最終石綿ばく露事業場に関する労災保険関係により行うこととされ,本件処分も本件基準に基づいてなされたものと認められる。

しかしながら,証拠(<証拠省略>)によれば,本件基準は,担当行政庁が石綿ばく露作業に従事した事業場を特定したり,同僚労働者等に確認したりする等の必要な調査に努めることを前提とした上で,石綿ばく露歴の事実認定が困難な場合における特例的な事実認定の方法を示したものと認められ,本件基準は,先に認定したような石綿による疾病の特殊性に鑑みた特例を定めたものと認められる。

したがって,本件基準は,「当該労働者の石綿ばく露状況…が不明な場合に限って,転々労働者等の事実認定」(<証拠省略>)に供するのが相当であって,先に認定したとおり,原告に対する石綿ばく露状況及びそれに基づく労災保険の適用の有無等を判断し得る本件に本件基準を適用するのは相当でない。

キ 以上検討したところによれば,原告の本件疾病に関する労災保険による休業補償給付を特別加入期間に係る労災保険関係に基づき行った原処分は相当ではなく,取消しを免れない。

第4結論

よって,原告の請求は理由があるからこれを認容し,本件処分を取り消すこととし,訴訟費用の負担につき民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 深見敏正 裁判官 立野みすず 裁判官 稲田康史)

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