横浜地方裁判所 平成20年(行ウ)34号 判決 2010年1月27日
主文
1 本件訴えを却下する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
神奈川県知事が平成18年12月18日付けで株式会社aに対してなした、神奈川県生活環境の保全等に関する条例3条1項に基づく指定事業所の設置許可を取り消す。
第2事案の概要
1 事案の骨子
本件は、神奈川県知事が、株式会社a(以下「a社」という。)に対し神奈川県生活環境の保全等に関する条例(平成9年神奈川県条例第35号。以下「生活環境保全条例」という。〔証拠省略〕)3条1項に基づいて指定事業所(乙研究所。後に、a社研究所に名称変更。以下、名称変更の前後を問わず「本件研究所」という。)の設置を許可した(以下「本件処分」という。)ことに対し、同研究所の周辺等に居住する原告らが、同処分が違法であるとしてその取消しを求めた事案である。
2 基礎となる事実(括弧内掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) a社は、平成17年11月30日設立の乳酸菌及び酵母菌を主原料として混合培養した加工食品、酵母菌の発酵液を主原料とする加工食品の製造販売等を業とする会社である。同社は、平成18年12月13日付けで、神奈川県知事に対し、水質汚濁防止法5条1項又は2項の規定により、特定施設の届けを行った(〔証拠省略〕)。また、同日、神奈川県に対し、生活環境保全条例3条1項の規定により、指定事業所について設置許可の申請を行った(〔証拠省略〕)。このときの指定事業所の概要は、業種を科学技術に関する研究、試験とし、具体的には、乳酸菌生産物質の研究、DNAの解析及びワクチンの研究、ES細胞の研究を内容とするものであった(〔証拠省略〕)。
(2) 神奈川県知事は、同年12月18日付けで、生活環境保全条例3条1項の規定に従い、指定事業所の名称を乙研究所、指定事業所の所在地を足柄下郡湯河原町<以下省略>とするa社の申請を許可した(本件処分、〔証拠省略〕)。
(3) 平成19年8月15日、温泉場区、安全な研究所を求める住民の会共催で、主催者側住民と本件研究所との間で話合いがもたれた。この席で、最終的に、主催者側住民は、a社代表者Aから、当地に研究所を進出する熱意がなくなったとの回答を得たことから、同人に対し、1週間以内に、本件研究所を湯河原に開設しないとの確認文書を提出するよう要請し、同人の承諾を得たとされている(〔証拠省略〕)。なお、この席には、原告らのうち、原告X1、同X2、同X3、同X4、同X5及び同X6が参加した(原告ら準備書面(2))。
(4) a社は、平成20年4月10日付けで、神奈川県知事に対し、水質汚濁防止法7条の規定により、特定施設の変更届を提出した(〔証拠省略〕)。
また、a社は、同月16日付けで、神奈川県知事に対し、生活環境保全条例10条の規定による変更届を行った(〔証拠省略〕)。変更事項は、指定事業所の名称を乙研究所からa社研究所に変更するというものであった。
(5) 原告らは、平成20年5月28日、本訴を提起した。
(6) a社は、同年9月24日付けで、神奈川県知事に対し、生活環境保全条例8条1項の規定による指定事業所に係る変更許可申請書を提出し、同年12月19日付けで、許可を受けた(〔証拠省略〕)。変更事項は、公害の防止のための装置の変更(使用の廃止)であった。〔中略〕
第3当裁判所の判断
1 前記認定した事実に、括弧内掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) a社は、平成18年12月13日付けで、神奈川県知事に対し、本件研究所を神奈川県足柄下郡湯河原<以下省略>の土地上に設置するとして、水質汚濁法5条1項及び2項に基づいて、特定施設の届出を行うとともに(〔証拠省略〕)、指定事業所設置許可の申請を行った(〔証拠省略〕)。
(2) 本件研究所の設置場所は、神奈川県風致地区条例4条1項4号の第4種風致地区に当たる(争いがない。〔証拠省略〕)。風致地区とは、都市の中の風致を維持するため、樹林地や丘陵地、水辺地等の良好な自然環境を保持している区域や史跡、神社仏閣等がある区域、良好な住環境を維持している区域等を対象に、都市計画によって定められた地区をいう(〔証拠省略〕)。そのうち、第4種風致地区は、緑豊かなまちづくりを進める地区を対象として、建築物等が敷地内の生垣や周辺の緑・オープンスペースと調和し、地区全体で緑に配慮した景観を維持することを目指すこととされている(〔証拠省略〕)。また、湯河原土地利用構想図では、本件研究所設置場所は、市街地環境ゾーン(温泉場)に位置しており、同ゾーンにおいては、主として商業・観光などの産業活動及び一定の密度の居住と生活活動が行われる区域を形成するとされている(〔証拠省略〕)。本件研究所の付近には住宅や幼稚園なども見られる(〔証拠省略〕)。他方、都市計画法上では、用途地域が指定されておらず、生活環境保全条例2条8号で定める住居系地域には該当しない(〔証拠省略〕)。
(3) 指定事業所設置許可申請書によれば、本件研究所の業種は「科学技術に関する研究、試験」で、主要な生産品は「乳酸菌生産物質の研究」、「DNAの解析及びワクチンの研究」、「ES細胞の研究」であった(〔証拠省略〕)。指定施設として、用途を洗浄施設とするドラフトチャンバー、中央実験台、流し台が設置され、使用薬品として、EDTAをはじめとする33種の薬品が掲げられていた。総排水量は0.21m3/日(うち、工程排水0.06、生活系排水0.15)、排出先は藤木川、洗浄施設から発生する主な公害の種類とされるフェノール類及びホウ酸については、2回洗浄した上、洗浄水を貯留し、処理業者へ委託するとされている。排水の汚染状態及び量等の明細書をみると、BODが最大20mg/l、CODが最大25mg/l、SS(浮遊物質量)が最大50mg/l、フェノール類が最大0.01mg/lとされている。なお、CODについては、最大30mg/lの記載が25mg/lに訂正されている。
ア 本件研究所は「科学技術に関する研究、試験」を行う事業所であるから、日本標準産業分類に定める学術・開発研究機関に該当する(大分類Qサービス業中の中分類81、〔証拠省略〕)。本件研究所の1日当たりの排水量が0.21m3であることからすると、生活環境保全条例28条1項及び同条例施行規則33条1項で定める、水質の汚濁の防止に関する規制基準としては、同規則別表第10第1項(2)が適用されることになり、原告らが指摘する同項(1)ではない。これによればBOD130mg/l、COD130mg/l、SS160mg/lとされている(〔証拠省略〕)。
そうすると、本件研究所の排水のBOD、COD、SSについては、水質規制基準が満たされていることになる(なお、CODについては、最大30mg/lであるとの記載(〔証拠省略〕)が、25mg/lに訂正されているが、いずれにしても結論は異ならない。)。
イ 本件研究所の排水の排出先は、千歳川水域のうちアゲジ沢との合流点から下流の区域であること(〔証拠省略〕)から、生活環境保全条例28条1項及び同条例施行規則33条1項に定める、排水指定物質の許容限度としては、同規則別表第9の乙水域及び海域の新設の場合が適用されることになる(同条例施行規則36条2項、同別表第9備考2)。これによれば、フェノール類の許容限度は0.5mg/lとされている。
そうすると、本件研究所の排水の排水指定物質に当たるフェノール類についても、水質規制基準を満たしていることになる。
(4) 〔証拠省略〕によれば、「培地は臭く、細菌感染の危険性がある」との指摘、「乳酸菌に分類されているものの中に、Streptococcus属や、Enterococcus属の菌など病原菌として分類されているものもある」との趣旨を指摘する研究者の文書等があることが認められる。
前述のとおり、本件処分の申請に際し作成された指定事業所概要書(〔証拠省略〕)、には、本件研究所の主要な生産品として「乳酸菌生産物質の研究」が記載されているのであるから、上記各指摘と全く無関係とはいえない。しかし、研究に使用した培地については、廃棄物として適正に処理される限り、それ自体悪臭を発するとは認められない。上掲の証拠も、一般論を述べたものにすぎず、本件研究所における具体的な危険と直ちに結びつくものではない。
(5) 本件研究所の排水の経路は、〔証拠省略〕にあるとおりである。
原告らのうち、原告X1、同X7、同X4、同X6、同X8は本件研究所から100m以内、原告X9、同X10、同X11、同X12、同X13は本件研究所から200m以内の距離において居住するとされている。被告からは、本件研究所からの排水の具体的経路に照らして、これら原告らの居住地に排水が流入する可能性はないとの指摘がなされているが、この指摘に対する原告らからの具体的な反論はなされていない。
原告X14、同X15及び同X16は、それぞれ、藤木川や千歳川で川魚などを捕獲し、これを住居地で経営している店舗などで客に提供しているとされているが、その住居地は本件研究所から直線距離で、原告X14が概算2900m、原告X15が概算2700m、原告X16が概算1300m離れている(〔証拠省略〕)。その余の原告らの居住地も、本件研究所から遠く離れており、本件研究所所在地とは生活区域を異にする者と考えられる(〔証拠省略〕)。原告らからも固有の原告適格の主張は見られない。
(6) 神奈川県知事は、平成18年12月18日付けで、a社に対し、本件処分を行った(〔証拠省略〕)。
本件研究所設置の情報は、原告らを含む周辺住民の関心を呼ぶところとなり、周辺住民の中で「安全な研究所を求める住民の会」などが結成された。そして、平成19年8月15日、(湯河原町)温泉場区と安全な研究所を求める住民の会との共催で、本件研究所関係者との間で話合いがもたれた。この席には、湯河原環境を守る連絡協議会、湯河原自然を守る会、千歳川漁協、福浦漁協、伊豆山漁協、大熱海漁協など関係者も多数傍聴した。この話合いの席で、最終的に、a社代表者Aから、当地に研究所を進出する熱意がなくなったとの回答を得、1週間以内に、本件研究所を湯河原に開設しないとの確認文書を提出するよう要請し、承諾を得たとされている(〔証拠省略〕)。この席には、原告らのうち、原告X1、同X2、同X3、同X4、同X5及び同X6が参加した。しかし、約束の一週間を経過しても、a社代表者から、原告らに対し、確認文書が提出されることはなかった。
a社は、本件研究所の建築工事を始め、平成19年10月31日、これを竣工させた(〔証拠省略〕)。
原告らが、本訴を提起したのは平成20年5月28日である。
(7) a社は、平成20年4月10日付けで、神奈川県知事に対し、水質汚濁防止法7条の規定により、特定施設変更届を行い、同月21日付けで、神奈川県知事に対し、生活環境保全条例10条の規定による変更届を行った(〔証拠省略〕)。この届出に基づく変更により、使用薬品が33種から12種に減少し、生活環境保全条例施行規則33条2項で定める排水指定物質であるフェノール類、ホウ素及びその化合物に該当するホウ酸は使用しないことになった(〔証拠省略〕)。
a社は、同年6月22日、湯河原町温泉場区会区長との間で、本件研究所の運用、環境への対応につき、覚書を締結した(〔証拠省略〕)。この覚書によれば、a社は、本件研究所でDNA研究を行わず、乳酸菌の開発研究に特化し、この研究事業において生じる廃棄物については、産業廃棄物・医療用廃棄物に準じ、委託業者においてこれを回収、処理し、雑排水は浄化槽で浄化した上、排水すること、研究に使用した機材の洗浄に使用した排水は単独槽に貯留した上、産業廃棄物に準じて処理することとされた。
これを受けて、a社は、覚書で定めた、研究に使用した機材の洗浄に使用した排水を単独槽に貯留した上、産業廃棄物に準じて処理するとの約束事項を履行するため、同年7月26日、湯河原町温泉場区会区長立会いのもと、本件研究所の単独槽の改良工事を行った。これにより、一般の雑排水以外の研究に使用した機材の洗浄排水を含め、研究事業に関する排水は、単独槽に貯留した上、産業廃棄物として処理することとなった(〔証拠省略〕)。
以上を踏まえ、a社は、同年9月24日付けで、神奈川県知事に対し、生活環境保全条例8条1項に基づく変更許可の申請を行った(〔証拠省略〕)。同知事は、同年12月19日、変更申請を許可した(〔証拠省略〕)。この変更許可により、pH調整槽が排水貯留タンクに転用され、実験排水の全量につき廃棄物処理業者へ処理を委託し、公共用水域への排出を中止することとされた。
(8) a社は、平成21年4月10日付け書面で、神奈川県知事、湯河原町長、湯河原町温泉場区会区長らに対し、同年5月8日から本件研究所の整備・清掃等を行い、同月14日から運用を開始する旨通知した(〔証拠省略〕)。
これを受けて、被告担当者は、同年5月12日、本件研究所の立入検査を行い、実験排水が排水貯留タンク(もとpH調整槽)に貯留され、そこから公共用水域に排出される配管がないことの確認を行った(〔証拠省略〕)。被告担当者は、同年9月1日にも本件研究所に立ち入り、平成19年5月13日ころ、pH調整槽(中和槽)を設置したが、平成20年7月26日、pH調整槽の配水管に蓋をし、廃液貯留タンクに転用したとの事情を聴取し、同タンクからの出口、地上配管への入口がふさがっていることを確認した(〔証拠省略〕)。
2 争点(1)について
取消訴訟は、処分又は裁決があったことを知った日から6か月を経過したときは、提起することができない(行政事件訴訟法14条1項)。「ただし、正当な理由があるときは」その例外とされる(同項ただし書)。ここにいう、正当な理由とは、処分又は裁決があったことを知った日から6か月の出訴期間内に取消訴訟を提起できなかったことについての正当な理由をいう。
前記基礎となる事実及び1(6)で認定したところからすると、本件研究所の設置は原告ら周辺住民の関心事になっていたこと、そのような状況下、平成19年8月15日に住民と本件研究所の関係者との話合いが開かれたこと、これによって、直接には同話合いに出席しなかった者も含め、原告らが遅くとも同日には本件処分の存在を認識したことは、明らかである。この日開かれた話合いで、a社から、1週間以内に、本件研究所を湯河原に開設しないとの確認文書を提出するよう要諸し、承諾を得たとされているが、約束の期間内にa社から確認文書が提出されることはなかった。この事態を受けて、約束が果たされなかったものとして、原告らが、速やかに本件処分の取消しを求めるということはなく、本訴が提起されたのは、それから9か月近く経過した平成20年5月28日である。
このように提訴が遅れた事情については、原告らの主張、説明からは明らかではないが、およそ法が定める正当理由があるとは認めることができない。
そうすると、その余の争点について判断するまでもなく、本件訴えは不適法であって却下を免れない。
3 よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 北澤章功 裁判官 西森政一 西岡慶記)