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横浜地方裁判所 平成21年(ワ)2121号 判決 2011年5月13日

原告

X1<他3名>

上記四名訴訟代理人弁護士

髙﨑仁

井上彰

被告

横浜市

同代表者市長

同訴訟代理人弁護士

村瀬統一

大和田治樹

田鍋智之

主文

一  被告は、原告各自に対し、それぞれ四一〇万六九二七円及びこれに対する平成一八年五月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告各自に対し、それぞれ二三七七万八六四四円及びこれに対する平成一八年五月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、被告が設置する高等学校の生徒二名が、修学旅行中に水難事故に遭い、死亡したことにつき、生徒らの両親である原告らが、引率教員には生徒に危険箇所を告知するなどの注意義務の違反があったと主張して、国家賠償法一条一項に基づき、被告に対し、死亡した生徒の逸失利益等各二三七七万八六四四円の損害賠償及びこれに対する上記事故が起きた日である平成一八年五月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  争いのない事実等

(1)  被告は、地方公共団体であり、平成一八年当時、横浜市立a高等学校(以下「本件高校」という。)を設置していた。

亡B(昭和六三年○月○日生まれ。以下「B」という。)及び亡C(同年○月○日生まれ。以下「C」といい、Bと併せて「両生徒」という。)は、平成一八年五月当時、本件高校の三年○○科クラス(以下「本件クラス」という。)に在籍する生徒であった。

原告X1(以下「原告X1」という。)はBの父であり、原告X2(以下「原告X2」という。)はBの母である。

また、原告X3(以下「原告X3」という。)はCの父であり、原告X4(以下「原告X4」という。)はCの母である。

(2)  D教諭(以下「D教諭」という。)及びE教諭(以下「E教諭」といい、D教諭と併せて「両教諭」という。)は、被告の職員であり、平成一八年五月当時、D教諭は本件クラスの担任を、E教諭は○○科長をそれぞれ務めていた。

(3)  本件高校は、平成一八年五月一六日から同月一九日まで三泊四日の予定で、三年次を対象とする修学旅行を実施した(以下「本件修学旅行」という。)。

両教諭は、本件修学旅行における本件クラスの引率教員であった。

本件修学旅行は、目的地を沖縄方面と定めるほか、具体的な行程はクラス単位で決定し、実施することとされており、本件クラスの行程では、二日目の同月一七日、波照間島(沖縄県八重山郡<以下省略>)において島内サイクリングを行い、その途中、北浜(沖縄の方言で、「北」は「ニシ」と読むことから、以下「ニシ浜」という。)において海に入ることなどが予定されていた。

また、本件修学旅行に際しては、本件クラスの生徒を五つに分けた班が構成され、班単位で行動することとされていたが、両生徒は、外五名の生徒とともに一班に所属していた。

(4)  本件クラスの生徒は、本件修学旅行の二日目である平成一八年五月一七日、波照間島の波照間港で昼食を取った。その際、D教諭は、生徒に対し、波照間港からニシ浜までの移動について、「食事が終わったグループから順次ニシ浜に移動する。E先生のところに行くこと。坂を上りメインの道路にぶつかったら右に行き、海が見えたら右に行くこと。」と指示した。

一班の生徒のうち、昼食時以降、体調不良のためD教諭と行動を共にした一名を除く六名は、昼食後、波照間港からニシ浜に移動するに際し、道を間違え、E教諭がいたニシ浜の東屋前の浜辺ではなく、そこから約二〇〇m東方となる、波照間港の西側防波堤(以下「西側防波堤」という。)付近の浜辺に着いた。

一班の生徒は、ニシ浜の西側防波堤付近の浜辺から海(以下「本件事故現場」という。)に入っていたところ、午後一時二〇分ころ、両生徒及び生徒Fが、沖向きの強い流れによって沖側に流された。

生徒Fは、陸に向かって泳ぎ、その途中、岩にしがみついて助けを求め、これに気付いた地元住民により救助された。しかし、両生徒は、パニックに陥り、おぼれてしまい、Bは、午後二時三〇分ころ、心肺停止の状態で引き上げられ、午後五時ころ、搬送先の診療所において死亡が確認された。Cについては、同月二八日まで捜索活動が続けられたが、発見に至らず、戸籍上、同月一七日に死亡したものとして除籍された(以下、両生徒が沖向きの強い流れに流されて死亡した水難事故を「本件事故」という。)。

三  争点及び争点に対する当事者の主張

(1)  事前調査・告知義務違反の有無

(原告ら)

ア 公立学校の教員は、その職務上、教育活動において生徒を保護監督する義務を負うから、教育活動の一環である修学旅行に当たり、これを引率する教員は、生徒を保護監督する職務上の義務を負う。したがって、修学旅行の引率教員は、生徒に対する安全保持義務の一内容として、修学旅行で訪れる場所及びその周辺に危険箇所がないかを事前に調査し、危険箇所があるときはこれを生徒に告知し、そこへ近づかないよう指導する義務を負う。上記の事前調査としては、実地調査、関係官公署への問い合わせ、地元住民からの聴き取り等が含まれる。

本件修学旅行は、都会で暮らす高校生が、沖縄の最南端の離島である波照間島を訪れるというものである。波照間島には、本土から来た者には察知しにくい特有の危険がある一方で、生徒は開放感から放縦に流れやすいことに照らすと、上記事前調査及び告知の必要性は特に高いものである。

本件修学旅行が高校三年生を対象としており、一定程度、生徒の自主性に期待できる部分があったとしても、引率教員は、生徒に責任ある行動を期待できる程度に危険箇所に関する情報を収集し、告知する義務があった。

イ 本件修学旅行では、ニシ浜を訪れ、そこで海に入ることが予定されていたのであるから、両教諭は、ニシ浜周辺の危険箇所の有無等を事前に調査し、それによって得られた危険箇所に関する具体的な情報を生徒に告知する義務を負っていた。

すなわち、本件事故は、離岸流(海岸に沿って岸から沖の方へ流れる強い流れ)及びリーフカレント(リーフ(さんご礁の環礁)内に打ち込む波がリーフの切れ目等から外洋へ流れ出す際に生ずる強い流れ)が共にその原因となった可能性が高いところ、ニシ浜の一角である本件事故現場は、西側防波堤の存在により地形的に離岸流が発生しやすく、かつ、リーフの切れ目の存在によりリーフカレントが発生しやすい場所であり、遊泳区域外であった(その上、本件事故当時、波浪注意報が発表されていた。)。

したがって、両教諭は、生徒に対し、ニシ浜にそのような危険箇所が存在すること及びその具体的な危険性を説明し、注意喚起する義務を負っていた。

ウ しかるに、両教諭は、本件事故現場の危険性を十分に調査せず、生徒に対し、海に入る場合の一般的な注意事項を告げたのみで、本件事故現場の危険性を告知していなかった。

エ 防波堤付近で離岸流が発生しやすいことは、本件事故当時から一般的に知られており、D教諭もかかる知識を有していた。本件事故現場は、海岸沿いに海岸と垂直方向に西側防波堤が存在し、離岸流が発生しやすい地形に正に当てはまる。したがって、両教諭が、ニシ浜の東屋前の浜辺周辺について実地調査等を尽くしていれば、本件事故現場における離岸流の危険性を容易に知ることができた。「離岸流等の危険な流れが発生しやすいこと」を予見することができれば、本件事故発生の予見可能性も十分あったということができる。

さらに、リーフカレントが原因で発生した水難事故については、本件事故以前から地元紙等で多数報道されていたから、インターネットを利用して調査することで、これらの情報を得ることができ、また、沖縄県を管轄する第一一管区海上保安本部は、本件事故以前の平成一七年七月から、リーフカレントの危険性等について周知するDVDやパンフレットを作成、配布しており、石垣海上保安部や竹富町役場への問い合わせをすることで、これらの資料を入手することができた。上記資料では、リーフカレントが発生しやすいのはリーフが海岸側に深く入り込んでいる地形であることなどが説明されており、本件事故現場は、正にそのような地形に当てはまる。したがって、両教諭が、ニシ浜の東屋前の浜辺周辺について実地調査等を尽くしていれば、リーフカレントについても、本件事故現場における発生の危険性を容易に知ることができた。

そのほか、本件事故当日、台風一号が沖縄に接近し、波浪注意報が発表されていたこと、ニシ浜のリーフの外側は波が高く、白波が立っていたことを考慮すると、両教諭には、本件事故の発生に対する予見可能性があったというべきである。

オ 両教諭が調査・告知の義務を果たしていれば、両生徒は、本件事故現場で海に入ることはなく、同所で離岸流等に流されて死亡することもなかった。

(被告)

ア 修学旅行の引率教員が危険箇所等の事前調査義務を負う範囲は、危険箇所等の予見可能性、過去の修学旅行における訪問の有無及びその際の現地の状況、当該修学旅行の目的、計画及び行動予定、生徒の年齢、精神発達度及び日ごろの行動の状況、事故現場と集合地点との位置関係といった具体的事情に照らして判断されるべきである。

本件修学旅行は、高校三年生を対象とするものであって、高校三年生ともなれば、心身発達の程度は、一般に成人のそれにほぼ匹敵し、このような生徒に対しては、自己の行為について自主的な判断で責任ある行動を取ることを期待することができる。

イ 本件事故は、さんご礁地帯に特有の現象であるリーフカレントが原因で起きた可能性が高い。しかしながら、本件事故当時、リーフカレントの存在及びその危険性についての周知度は、極めて低い状況にあった。すなわち、海上保安庁がホームページ上で波照間島のニシ浜を含むリーフカレントの発生しやすい海域を紹介するようになったのは、本件事故後の平成一八年八月一日からであり、第一一管区海上保安本部のリーフカレントに関するDVD等も広く配布されているものではなかった。公刊されていた沖縄方面の旅行ガイドブックにリーフカレントの危険性を指摘するものはなく、本件修学旅行の企画等を委託した旅行業者からも、その説明はなかった。

また、本件事故当時、ニシ浜には、遊泳区域の範囲を知らせる看板すらなく、離岸流に関する注意を喚起する立札等も設置されていなかった。町の観光案内図にも、ニシ浜に遊泳区域外の海域があることは明示されていないなど、本件事故現場付近の危険性に関する現地の周知、広報が極めて不十分な状況にあった。このため、本土から来た者が本件事故現場の危険性を認識することは、極めて困難であった。

したがって、両教諭に、本件事故の発生に対する予見可能性はなかった。

ウ 本件高校では、平成一五年度及び平成一七年度にも、修学旅行で波照間島を訪れ、ニシ浜で海に入っている。いずれの修学旅行においても、生徒が危険な目に遭ったことはなく、ニシ浜に危険箇所があるとの情報も得られなかった。

それ以外にも、D教諭は、個人的に波照間島を旅行したが、上記の情報を得ることはなかった。

本件修学旅行の行程において、ニシ浜では、シャツを着て靴を履いて海に入るという水遊び程度が予定されており、海水浴や水泳が予定されていたわけではない。

エ ニシ浜では、東屋前の浜辺で海に入ることが予定されていたが、本件事故現場は、集合場所であった東屋前の浜辺から約二〇〇mも離れていた。

オ 本件クラスの生徒の中には、日ごろから教諭の指示等に反して行動するような者はおらず、問題行動はなかった。本件修学旅行中においても、一班の生徒が東屋前の浜辺に集まらなかったこと以外には、特に問題行動は見られなかった。

本件高校は、「頑張りの精神」をモットーに、工業教育を通じて将来のスペシャリスト、地域産業を担う人材を育成してきており、生徒の自主性やその判断を十分に尊重する教育を行っていた。

カ 以上のとおり、本件事故発生の予見可能性はなかったこと、過去の修学旅行等で特段危険を察知し得るような状況になかったこと、ニシ浜では水遊び程度のことが予定されていたこと、本件事故現場は東屋前の浜辺から約二〇〇mも離れていたこと、高校三年生の修学旅行であり、成人に匹敵する判断能力を有する高校三年生であってもその自主性に任せていてはなお生命・身体に危険が生ずるような事故の発生が客観的に予測可能な特段の事情もなかったことからすれば、両教諭は、本件事故現場付近の危険箇所の調査をする義務までは負わない。

したがって、両教諭に調査義務違反はなく、この点に関する告知義務違反もない。

(2)  指示義務違反の有無

(原告ら)

ア 修学旅行の引率教員は、生徒が道に迷うなどして不測の事故に巻き込まれることがないよう、集合場所や移動経路等について明確な指示をする義務を負う。

波照間島のサイクリングでは、生徒らは引率教諭の先導なしにニシ浜に移動したのであるから、両教諭は、集合場所や異動経路等につき明確な指示をする義務を負っていた。

イ しかるに、D教諭は、生徒に対し、波照間港からニシ浜の東屋前までの移動経路を指示するに当たり、「坂を上りメインの道路にぶつかったら右に行き、海が見えたら右に行くこと。」とのあいまいな指示しかせず、明確な指示をする義務を怠った。上記指示に従えば、むしろ、東屋前ではなく、本件事故現場の浜辺に到着する。

集合場所についても、「浜にいるE先生のところに行くこと」という指示はしたものの、この指示を聞き漏らした生徒もおり、緊張感のないあいまいな指示内容であった。

ウ D教諭が東屋前までの移動経路及び集合場所を明確に指示していれば、両生徒は、迷うことなく東屋前に到着し、本件事故現場で海に入ることもなかった。

(被告)

ア D教諭の指示の内容は、移動経路についてこそ、やや具体性に欠けるところがあったものの、集合場所については、「E先生のところに行くこと」と明確に指示している。たとえ道を間違えて東屋前ではない場所に着いたとしても、E教諭がいなければ、そこが指示された目的地でないことは、高校三年生の判断能力をもってすれば容易に理解できたはずである。

本件事故現場付近から東屋前の浜辺までは、砂浜との間に高さ二m近い防潮堤(護岸堤防)が設けられており、浜辺への進入ルートはないから、道順を誤ったことは容易に知り得る。

現に、D教諭の指示を受けた、一班の生徒以外の生徒は、東屋前の浜辺に正しく到着している。

したがって、D教諭の指示があいまいであったということはできず、D教諭に指示義務違反はない。

イ 両生徒は、本件事故現場が指示された目的地ではないことや、共に道を間違えた他の班の生徒は「E先生のところに行くこと」というD教諭の指示に従った行動をしていることを認識しながら、あえて指示に従わず、本件事故現場で海に入った。

したがって、D教諭の指示と本件事故発生との間には因果関係がない。

(3)  監視義務違反の有無

(原告ら)

ア 修学旅行中に生徒を海に入らせる場合、引率教員は、水難事故を防止し、危険な場所に近づくなどの生徒の危険な行動を制止するため、生徒を監視する義務を負う。

本件修学旅行では、ニシ浜の東屋前の海岸を指定して生徒を海に入らせたのであるから、両教諭は、生徒が海に入っている間、当該場所から離れて海に入る生徒がいないかを監視し、異なる場所で生徒が海に入っていることを発見した場合には、直ちに注意して、東屋前の海岸に呼び戻す義務を負っていた。とりわけ、ニシ浜は監視員のいないビーチである上、当日は台風の接近に伴い波浪注意報が発表されていた。

イ しかるに、東屋前の浜辺で午後一時ころから到着する生徒を見ていたE教諭は、生徒の人数すら把握しないまま、漫然と海に入っている生徒を見ていたのみであり、両生徒を含む一班の生徒が本件事故現場で海に入っていることを見落とした。

また、午後一時一〇分ころE教諭と監視を交代したD教諭は、極度の弱視であった上、「生徒が行くはずがない」との思い込みに基づいて、本件事故現場の方向を見ながら、一班の生徒が本件事故現場で海に入っていることを見落とした。

上記のとおり、両教諭は、生徒を監視すべき義務を怠った。

ウ 東屋前から本件事故現場までの距離はわずか二〇〇mであり、間に視界を遮るものなどもなかったから、両教諭が十分な監視をしていれば、本件事故現場で海に入り、又は入ろうとする両生徒に気付いて、呼び戻すことは可能であった。

(被告)

ア 両教諭が監視義務を負う範囲は、海に入ることが予定されていた東屋前の海岸に限られ、同所から約二〇〇mも離れた本件事故現場についてかかる義務を負うものではない。なお、東屋前から本件事故現場付近にいる人の顔や性別を見分けることは、弱視であろうとなかろうと困難であった。

本件修学旅行が高校三年生を対象とするものであり、本件クラスの生徒に日ごろから問題行動はなかったこと、本件修学旅行前にも生徒同士だけで海に入らないよう注意を与えたことからすれば、生徒が指示に反した行動をとることまでを視野に入れて監視の範囲を広げる義務はない。

イ E教諭は、順次到着する生徒を待つため、昼食間に訪れた「最南端の碑」から東屋前の浜辺に直行し、D教諭が到着するまで、監視範囲である東屋前の浜辺で生徒の行動を監視していた。D教諭も、東屋到着後、ビデオカメラやデジタルカメラを使用して同様の監視を行った。

両教諭は、必要な監視義務は尽くしていた。

(4)  点呼義務違反の有無

(原告ら)

ア 修学旅行の引率教員は、生徒の生命及び身体の安全を確保するため、点呼等により生徒全員の所在を確認する義務を負う。

本件修学旅行では、波照間島内のサイクリングにおいて、目的地を定め、班ごとの自由な行動を認めていたのであるから、両教諭は、ニシ浜において、全ての班の生徒が到着しているかを、点呼を取るなどして確認する義務を負っていた。

イ しかるに、東屋前で待機していたE教諭は、D教諭が到着したことをもって全ての班の生徒が到着したと思い込み、点呼を取るなどして生徒全員が到着しているかを確認しなかった。E教諭と監視を交代したD教諭も同様であった。

その結果、両教諭は、一班の生徒が東屋前の浜辺に到着していないことを見落としたのであり、点呼義務違反がある。

ウ 両教諭が、D教諭が東屋前に到着した時点で、すぐに点呼を取り、生徒全員が到着しているかを確認していれば、両生徒が到着していないことに気付き、その所在を捜索して、本件事故現場で海に入っている両生徒を発見し、呼び戻すことが可能であった。

(被告)

ア 修学旅行における点呼の方法には、様々なものがあり、一同に集合させて点呼を取る必要はなく、班ごとの確認や視認等による方法で足りる場合もある。

本件修学旅行が高校三年生を対象とするものであり、本件クラスの生徒に日ごろから問題行動はなかったこと、本件修学旅行前にも生徒同士だけで海に入らないよう注意を与えたこと等からすれば、両教諭は、視認等により必要な点呼義務を尽くしていた。

イ 仮に、両教諭が、D教諭が東屋前の浜辺に到着した午後一時一〇分ころの時点で、すぐに点呼を取り、両生徒がまだ到着していないことを確認したとしても、両生徒は、午後一時ころから本件事故現場で海に入ったのであるから、本件事故の発生を防ぐことはできなかった。

したがって、結果回避可能性を欠く。

(5)  原告らの損害額

(原告ら)

ア 原告X1及び原告X2の損害について

Bが死亡したことによる原告X1及び原告X2の損害は、(ア)から(オ)までのとおり、それぞれ三七二七万八六四四円を下らない。

上記両原告は、被告及び独立行政法人日本スポーツ振興センター(以下「スポーツ振興センター」という。)から合計三一〇〇万円の見舞金等を受領したので、これを控除すると、それぞれ二一七七万八六四四円となり、(カ)の弁護士費用を加えると、請求額は、二三七七万八六四四円となる。

(ア) 逸失利益 四八〇五万七二八八円

Bは、死亡当時、一七歳の高校三年生であったから、その基礎収入は、平成一八年度の賃金センサスの男子労働者学歴計全年齢平均年間給与額五五五万四六〇〇円とするのが相当である。生活費控除率は五〇%であり、一七歳に対応するライプニッツ係数は一七・三〇三六(六七歳までのライプニッツ係数一八・二五五九から一八歳までのライプニッツ係数〇・九五二三を差し引く。)である。

そうすると、Bの逸失利益は、四八〇五万七二八八円となる。

五五五万四六〇〇×〇・五×一七・三〇三六=四八〇五万七二八八

(イ) Bの死亡慰謝料 二〇〇〇万円

Bが、本件事故によりその輝かしい未来を奪われたこと、本件事故が両教諭の職務怠慢により起こるべくして起こったものであることを考慮すると、Bの死亡による精神的苦痛は、二〇〇〇万円をもって慰謝されるべきである。

(ウ) 原告X1及び原告X2は、Bの死亡により、同人の損害賠償請求権を二分の一ずつ(三四〇二万八六四四円ずつ)相続した。

(エ) 葬儀関係費用 各七五万円

原告X1及び原告X2は、Bの葬儀費用として少なくとも五〇五万六一九二円を、一周忌費用等として少なくとも八一万六一〇〇円を支出した。被告は、そのうちの一五〇万円を負担すべきである。

(オ) 近親者固有の慰謝料 各二五〇万円

本件事故によりBを失ったことによる原告X1及び原告X2の精神的苦痛は、それぞれ二五〇万円をもって慰謝されるべきである。

(カ) 弁護士費用 各二〇〇万円

イ 原告X3及び原告X4の損害について

Cが死亡したことによる原告X3及び原告X4の損害は、(ア)から(オ)までのとおり、それぞれ三七二七万八六四四円を下らない。

上記両原告は、被告及びスポーツ振興センターから合計三一〇〇万円の見舞金等を受領したので、これを控除すると、それぞれ二一七七万八六四四円となり、(カ)の弁護士費用を加えると、請求額は、二三七七万八六四四円となる。

(ア) 逸失利益 四八〇五万七二八八円

Cは、死亡当時、一七歳の高校三年生であったから、その基礎収入は、平成一八年度の賃金センサスの男子労働者学歴計全年齢平均年間給与額五五五万四六〇〇円とするのが相当である。生活費控除率は五〇%であり、一七歳に対応するライプニッツ係数は一七・三〇三六である。

そうすると、Cの逸失利益は、ア(ア)同様、四八〇五万七二八八円となる。

(イ) Cの死亡慰謝料 二〇〇〇万円

ア(イ)同様、Cの死亡による精神的苦痛は、二〇〇〇万円をもって慰謝されるべきである。

(ウ) 原告X3及び原告X4は、Cの死亡により、同人の損害賠償請求権を二分の一ずつ(三四〇二万八六四四円ずつ)相続した。

(エ) 葬儀関係費用 各七五万円

原告X3及び原告X4は、Cの葬儀費用として少なくとも一五六万円を、一周忌費用等として少なくとも九八万二三〇〇円を支出した。被告は、そのうちの一五〇万円を負担すべきである。

(オ) 近親者固有の慰謝料 各二五〇万円

本件事故によりCを失ったことによる原告X3及び原告X4の精神的苦痛は、それぞれ二五〇万円をもって慰謝されるべきである。

(カ) 弁護士費用 各二〇〇万円

(被告)

原告X1及び原告X2、原告X3及び原告X4が、それぞれ、被告及びスポーツ振興センターから合計三一〇〇万円の見舞金等を受領したことは認め、その余の原告らの主張は不知又は争う。

(6)  過失相殺

(被告)

ア 本件事故の発生については、両生徒にも相当程度の過失が認められるから、損害の算定に当たり十分に斟酌されるべきである。

すなわち、両生徒は、D教諭の「E先生のところに行くこと」という指示に従わず、途中で合流した他の生徒が東屋方面に向かったにもかかわらず、あえて防潮堤(護岸堤防)を乗り越えて西側防波堤付近の浜辺に至り、同所で海に入った。また、両生徒は、水泳が不得手であったにもかかわらず、D教諭の「沖には行かないこと」という指示に違反して、沖に向かって足が着かないような場所まで進み、本件事故に遭遇した。

イ 過失相殺を適用する前提としての被害者側の予見可能性としては、海一般の危険性に対する認識があれば足りる。

両生徒が、高校三年生として成人に匹敵する判断能力等を有していたことからすると、胸あたりまでの深さまで行けば水難事故に遭遇する危険性があるという海一般の危険性は十分認識可能であった。

ウ 両生徒は、教諭の指示に反し、積極的に危険に接近したという点でその過失は大きい一方、本件事故現場の危険性の予見が極めて困難な状況にあったこと、高校三年生の能力に応じた必要な調査、指導等を行っていたことなどから、本件事故の発生に対する両教諭の注意義務違反の程度は、極めて小さいというべきである。

したがって、本件事故の発生について、両生徒に少なくとも七五%の過失がある。

(原告ら)

ア 過失相殺は、発生した損害を加害者と被害者とで公平に分担させるという公平の理念に基づく制度であるところ、被害者が、損害の発生を回避するのに必要な情報を有していなければ、損害の発生を回避することはできない。被害者に必要な情報が与えられていないときは、過失相殺を認めるべきではない。

両生徒は、両教諭から本件事故現場の危険性について全く知らされていなかった。また、本件事故当日のニシ浜は、一見、晴天の穏やかな海で、水難事故が起こるような場所には見えなかった。本件で問題となっているのは、沖縄の最南端の離島である波照間島特有の危険であり、都会の高校生が、本件事故現場の危険性を自主的に予見し、回避することは不可能であった。

したがって、両生徒が本件事故現場で海に入ったことを過失ということはできない。

イ 両生徒がおぼれる直前にいた場所は、海岸から四〇m程度しか離れておらず、足が着かない場所までは進んでいない。

上記の点で両生徒に落ち度はない。

第三当裁判所の判断

一  第二の二の争いのない事実等、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  本件高校は、昭和一一年に設立された横浜市立a工業実習学校をその前身とする工業高等学校であり、平成一八年当時、機械科、電気科、電子科、工業化学科、建築科、土木科及び設備工業科を擁し、各学年とも、原則として、一学科が一クラスで構成されていた。なお、本件高校は、平成二三年三月をもって閉校した。

本件クラスの生徒は、本件高校に平成一六年度に入学し(以下、平成一六年度入学の学年を「本件学年」という。)、D教諭は、一年次以降、持ち上がりで本件クラスの担任を務めてきた。

(2)  本件高校の修学旅行では、自然体験を通して生徒の自主性をはぐくむとともに学習の発展を図ること及び集団行動・集団生活を体験する中で互いに協力し、それぞれの個性を理解し合うことを目的とし、通常の学校運営が学科単位であることを反映して、例年、行き先は同一であるものの、現地での行程、宿泊地等は、学科(クラス)単位で決定し、実施されてきた。また、行き先は、上記修学旅行の目的から、生徒の希望調査等の結果を踏まえて教諭による学年会で決定することが通例となっていた。

本件学年も、一年次の学年会において、修学旅行を例年どおりクラス単位の活動とすること、行き先は沖縄方面とすることがそれぞれ決定された。

D教諭は、本件修学旅行の旅行取扱業者であったJTB首都圏(以下「本件旅行業者」という。)の担当者と打ち合わせた上、一年次の三学期から二年次の一学期までの間に、本件クラスの生徒に対し、石垣島、波照間島及び西表島を回るコースを提案し、これに生徒も同意した。

本件クラスの最終的に決定された本件修学旅行の行程は、次のとおりである(以下「本件行程」という。)。

ア 平成一八年五月一六日

那覇空港から現地入りし、首里城見学、国際通り班別自主行動の後、航空機で石垣島に移動し、同島内のホテルに宿泊

イ 同月一七日

石垣港から波照間港までフェリーで移動し、レンタサイクルを借りて波照間島内をサイクリング、その途中、ニシ浜に寄り、東屋前の浜辺で海に入る、午後三時ころ波照間港を出発、フェリーで西表島に移動し、同島内のホテルに宿泊

ウ 同月一八日

西表島において、ピナイサーラの滝の見学、浦内川におけるカヌー体験等の後、同島内のホテルに宿泊

エ 同月一九日

西表島から石垣島までフェリーで移動し、石垣空港から那覇空港を経て羽田空港に帰着し、解散

(3)  波照間島は、沖縄県の八重山諸島に属する日本最南端の有人島(周囲一四・八km、面積一二・七七km2、平成一八年五月当時の人口約六〇〇人)である。

ニシ浜は、島内北西部に位置し、東西に約一kmにわたり広がる海岸であって、地元住民が利用していた自然の浜辺を、竹富町が平成六年七月に海水浴場として指定した。ニシ浜は、島内で唯一遊泳が可能な浜辺であるが、監視員など置かれていなかった。

本件高校は、平成一五年度及び平成一七年度の修学旅行でも波照間島を訪れ、ニシ浜で海に入っていた。

D教諭は、本件修学旅行までに、過去二回、個人旅行で波照間島を訪れたことがあった。本件修学旅行において、波照間島内サイクリングの途中、ニシ浜で海に入ることについては、本件高校の平成一五年度及び平成一七年度の修学旅行でも行われており、ニシ浜は、自然のままのビーチで透明度が高くきれいであったことから、本件行程に組み込んだ。

(4)  平成一八年三月二四日(以下、日付は特に断らない限り、平成一八年のものである。)、本件学年の職員会議において、本件修学旅行に係る修学旅行実施要項が決定された。

同月下旬、本件クラスの担任以外の引率教員が、E教諭に決まった。

本件高校の修学旅行では、担任と担任以外の引率教員との役割分担に関し、決定事項は担任が決め、必要があれば、担任の指示により担任以外の引率教員が動くということが通例となっていた。両教諭は、特に危険が予測された西表島でのピナイサーラの滝の見学及び浦内川におけるカヌー体験を除き、引率方法等について具体的な取決めはせず、その都度現場で話し合って対応することとした。ニシ浜で海に入ることについては、「島内サイクリングの途中の水遊び」を「前年度と同様に行う」程度にとらえていたことから、当該行程について格別の打合せは行わなかった。

(5)  三年次になった四月、本件クラスでは、ホームルームを利用した本件修学旅行の事前指導において、班分け、バスの座席、ホテルの部屋割り等を生徒が中心となって決定した。

(6)  本件修学旅行中の本件事故発生前の行動

ア 本件修学旅行には、本件クラスの全生徒三四名中、欠席者二名を除く三二名が参加した。

五月一六日(一日目)は、本件行程のとおり那覇市内の見学等を行い、石垣島のホテルに宿泊した。

イ 翌一七日(二日目)、本件クラスの生徒は、石垣島を出発し、午前九時四〇分ころ波照間港に到着した。その後、レンタサイクル店でレンタサイクルを借り、島内サイクリングの最初の目的地である「日本最南端の碑」に向けて出発した。D教諭は、出発前に、生徒に対し、「上半身裸で走らないこと」「砂利道を走らないこと」「地図はみのる荘にあるので持って行くこと」との指示をしたが、生徒の関心はどの自転車を借りるかなどに向いており、指示を聞いていない者もいた。

E教諭は生徒らの先頭を走り、D教諭は最後尾を走る予定であったものの、E教諭は生徒に追い抜かれ、「日本最南端の碑」に着いたころには、生徒らの真ん中かやや後ろ寄りに位置していた。

ウ 午前一〇時四〇分ころ、生徒全員が「日本最南端の碑」に到着し、集合写真を撮るなどした後、午前一一時ころ、昼食場所である波照間港に向けて出発した。

E教諭は、昼食後にニシ浜に来る生徒を先行して待つため、D教諭と別れてニシ浜に向かい、午前一一時四〇分ころから、同所で待機していた。E教諭は、その間、ニシ浜の東屋前の浜辺で海に入り、状況を確かめたところ、海水は濁っていたものの、波は危険を感じるほどではなく、五、六人の一般利用者も海に入っていたことから、生徒を海に入れて大丈夫であると判断した。

D教諭は、「日本最南端の碑」から波照間港に向かう途中、道路から海が見えるところから、ニシ浜の波の状況を目視して確認し、生徒を海に入れて大丈夫であると判断した。

両教諭は、生徒を海に入れることについて打合せはしなかったため、各判断を共通の認識とはしていなかった。

エ 昼食の弁当が到着するのが遅れたため、D教諭は、昼食を食べ終えてから生徒全員でニシ浜に向かうという当初の予定を、食べ終わった班から順次ニシ浜に移動するという方式に変更した。

波照間港での昼食時、D教諭は、生徒に対し、食事をしているグループを回りながら、ニシ浜への移動及び同所で海に入ることに関し、「食事が終わったグループから順次ニシ浜に移動する。E先生のところへ行くこと。坂を上りメインの道路にぶつかったら右に行き、海が見えたら右に行くこと。」「海にはTシャツを着て靴を履いて入ること」「深いところや、沖には行かないこと」等の指示をした。

オ 午後零時四五分ころから、食事を終えた生徒がニシ浜に向けて三々五々出発し、両生徒を含む一班の生徒も、自転車に乗ってニシ浜に向かった。一班の生徒のうち一名は、体調がすぐれなかったため、昼食以後、D教諭と行動を共にし、一番最後に波照間港を出発した(以下「一班の生徒」という場合は、この生徒を除く六名を指す。)。

一班の生徒は、波照間港から坂を上り、大通りと交わる交差点を右に曲がって西に進み、舗装道が二つに分かれているところで、道が分からなくなった。そこで他の班の生徒三名と合流して、九名で一団となって進むこととし、東屋前に通じる道路(D教諭が意図していた道)の一つ手前の交差点を右折して、海の方向へ進んだところ、道は途中から砂利道となった。上記九名は、「この道ガタガタでヤバイ。」「明らかに違う道じゃないか。」などと話しながらも、先に進み、雑木林を抜けて、午後一時前にニシ浜の東側に設置された護岸堤防に着いた。

カ そのころ、上記九名以外の生徒は、ニシ浜の東屋前の浜辺に着いていた。それを見て、上記九名のうち一班でない班の生徒三名は、一班の生徒に「俺たちあっちに行ってくる。」と告げて、東屋の方へ向かった。

一班の生徒は、東屋前の浜辺に本件クラスの他の生徒がいることは認識していたが、「他の人たちとごちゃごちゃして浜にいるのが嫌で、自分たちだけでいたい」「ここで泳げばプライベートビーチみたいだ」と考えたことから、東屋前には向かわず、一名の生徒が、「うちらはここで(海に)入ろう。」と言ったことに他の五名も同意した。

一班の生徒は、護岸堤防を越えてニシ浜の東側の浜辺に出た。護岸堤防から波打ち際までの距離は、約一五・八mであった。

(7)  本件事故現場の状況等

ア 本件事故現場の海に対応する浜辺は、ニシ浜の東端付近に当たり、東屋前の浜辺から約二〇〇m離れていた。

本件事故現場の海に対応する浜辺には、(6)オのとおり護岸堤防が設置され、これは、東屋の東方近くにあった海への突出部まで続いていた。護岸堤防は砂浜からは二mの高さがあったが、南側は一m程度であり、砂の吹きだまりがある場所からは、容易に乗り越えることができた。

本件事故現場の東側には、南北にのびる波照間港の西側防波堤があり、西側防波堤の西側には、多数の消波ブロックが設置されていた。

これらの位置関係は、別紙「波照間港・ニシ浜ビーチ付近詳細図」のとおりである。

東屋前と本件事故現場やそれに対応する浜辺との間に視界を遮る物はなく、互いに見渡すことができたが、人の顔や性別を判別して個人を見分けることは難しかった。

イ 本件事故現場の海中には、リーフが広がっており、ところどころリーフの間が深みになっている箇所があった。

リーフの間が深みになっている箇所があることは、砂浜からでも容易に視認することができた。

ウ 竹富町が海水浴場として指定したニシ浜の遊泳区域は、アの海への突出物の西側であり、本件事故現場は、遊泳区域の範囲外であった。しかし、ニシ浜には、遊泳区域の範囲を示す看板等は設置されていなかった。

エ 事故当日の波照間島の天候は晴れ(降水量〇mm)、午後一時に南東の風、風速六mであったが、台風一号が接近しており、波浪注意報が発表されていた。

オ 午後一時ころのニシ浜は、満潮(午前八時五六分、潮位一七〇cm)から干潮(午後四時一六分、潮位一四cm)に向かう引き潮の状態であった。

リーフ内の波は穏やかであったが、海水は濁っており、リーフの外側は波が高く、白波が立っていた。

(8)  本件事故の発生状況

ア 一班の生徒は、午後一時ころから、Tシャツ、海水パンツ、マリンシューズという格好で、本件事故現場の海に入った。

まず、生徒F、C及び生徒Gが沖の方へ進み、生徒Gの足が着かなくなったところで、砂浜に引き返した。生徒Gは、砂浜に戻る際に、流れがあって前に進みにくいと沖向きの流れを感じた。

B、生徒H及び生徒Iは、沖の方へ水面がふともものあたりにくる深さまで進み、そのあたりで、生徒H及び生徒Iは砂浜に引き返した。

イ Bは、生徒F及びCから「行こうよ」と誘われたので、三名で横に並び、沖の方へ向かった。そのとき、海水が濁っていて足下が見えなかったので、B、C及び生徒Fは、足で地面を探りながら進んだ。

午後一時二〇分ころ、B、C及び生徒Fは、砂浜から沖に向けて約四〇mほど進み(沖縄県八重山警察署警察官が作成した本件事故の発生場所の特定に係る捜査報告書(甲一三の二)によれば、沖縄県八重山郡竹富町《番地省略》所在の波照間製糖株式会社から北西方約三五〇mの地点である。以下「本件事故発生地点」という。)、そのあたりで、水面が胸より上にきており、Cが「足が着かない。ここで最後なんだ。」と言ったので、三名とも体の向きを変えて砂浜の方へ引き返そうとした。

ウ しかし、沖向きの流れが強く、三名は、砂浜の方へ進むことができず、もがいているうちに、沖側へ流された。

C及びBは、パニックに陥りおぼれてしまった。

生徒Fは、陸の方へ向かって必死に泳ぎ、岩にしがみついて助けを求めたところ、これに気付いた地元住民により救助された。

エ D教諭は、午後一時一〇分ころ、東屋に着いた。D教諭は、東屋前の浜辺でビデオカメラを撮影しながら、海に入っている生徒を監視していた。「防波堤の付近は潮がぶつかる危険な場所なので、生徒が行くはずはない。」と思っていたことから、本件事故現場には監視の目を向けていなかった。

E教諭は、D教諭が着いた後、監視を交代して昼食替わりの飲み物を買いにニシ浜を離れた。

D教諭は、午後一時四五分ころ、地元住民から「一人が救助され、二人が行方不明になっていることを先生に伝えるよう」に言われた生徒の連絡で、本件事故の発生を知った。

オ その後、地元住民の捜索で、Bは、心肺停止の状態で引き上げられて死亡が確認され、Cは、いまだ発見されていない。

(9)  リーフカレントについて

ア 離岸流とは、海岸で発生する、岸から沖の方へ流れる速い流れをいい、海岸線の凹部から発生したり、堤防に沿って発生する。

さんご礁海域において、さんご礁の外礁の切れ目(リーフギャップ)から海水が流出する際に沖向きの強い流れを生ずることがあり、このようなさんご礁海域特有の現象は、これを離岸流と区別するため、リーフカレントと呼ばれている。

イ 沖縄県を管轄する第一一管区海上保安本部は、平成一七年七月ころから、リーフカレントによる事故を未然に防止するため、「リーフカレント 美しい海の危険な落とし穴」と題するDVDを作成し、希望者に対し配布していた。上記DVDでは、「リーフの切れ目に沿って発生する沖に向かう潮の流れのことをリーフカレントといいます。」「リーフカレントの発生原因は二つあり、一つは、波がリーフ内に打ち込み、リーフ内の海の水かさが増すため、行き場を失った海水が沖に流れ出す場合、もう一つは、満潮から引き潮になるとき、リーフ内とリーフの外側で海面に差ができ、海水はリーフの切れ目から沖に流れ出すので、そこに沖に向かう流れが発生する場合です。」「リーフカレントの流れの速さは、二から三ノットに上ります。」「過去に、リーフカレントによって沖に流される死亡事故が起きています。」「リーフカレントに巻き込まれてしまったときは、流れに逆らわず、砂浜と平行に、流れを横切って泳ぎましょう。リーフカレントを抜けてから、一番近い陸地を目指します。」「一番の回避方法は、泳ぐ場所を選び、リーフカレントに巻き込まれないことです。」「リーフカレントは、リーフに切れ目がある海で発生します。」「リーフに切れ目があり、沖に波が立っているビーチは、リーフカレントが発生しやすい場所です。」「リーフに切れ目のある海かどうか知りたい場合は、第一一管区海上保安本部のホームベージに、沖縄県の海岸を空から撮影した写真があるので、これを見てください。」などとして、リーフカレントの存在、その危険性、発生条件、発生を予測する方法及び回避方法が説明されていた。

また、第一一管区海上保安本部は、「美ら海・美ら島のマリン情報」と題するパンフレットを作成し、平成一八年四月ころから、沖縄県内の市、町役場等において配布していた。上記パンフレットでは、「リーフカレントに注意!」と題し、「リーフカレントとは、リーフの切れ目からリーフの外へ流れ出す強い流れのことです。」「リーフカレントが発生するのは、特にリーフの切れ目が海岸側に深く入り込んでいる場所があるリーフ周辺で、① 波やうねりにより、リーフ際で白波が砕け、リーフ内に海水が打ち込んでいる状況、② 月齢が二六・〇から三・〇又は一二・〇から一八・〇に当たる大潮の日で、満潮から干潮に至る時刻のそれぞれの条件に該当する場合に、速い流れのリーフカレントの発生が予想されます。また、両方の条件を満たす場合は、さらに強いリーフカレントが発生する可能性があります。」などとして、リーフカレントの存在、その危険性、発生条件及び回避方法がイラスト付きで説明されていた。

ウ 平成一七年以前には、リーフカレントによって沖に流される死亡事故が起きていた。

(10)  両教諭の事前調査及び引率指導の状況

ア D教諭は、平成一七年六月三〇日から同年七月二日まで、本件修学旅行の下見のため沖縄県を訪れ、石垣島及び西表島の下見をしたが、波照間島については、「本件高校の平成一五年度及び平成一七年度の修学旅行でも訪れており、いずれも問題は生じなかった」ことから、下見をしなかった。

本件事故当時、竹富町は、本件事故現場を含むニシ浜の危険箇所に関する積極的な広報活動を行っていなかったが、利用客等から問い合わせがあった場合には、遊泳区域の範囲を説明し、海上保安部発行のパンフレットを提供するなどしていた。

D教諭は、竹富町役場に問い合わせるなどしてニシ浜の遊泳区域の範囲を調べたことはなく、ニシ浜に本件事故現場等の遊泳区域外の場所があることは知らなかった。

イ D教諭は、株式会社林檎プロモーション発行の旅行雑誌「沖縄・離島情報(平成一七年版)」やJTBパブリッシング発行の旅行雑誌「るるぶ沖縄(平成一六年版)」を読んで波照間島について調べたが、これらの雑誌には、ニシ浜の遊泳区域の範囲や、ニシ浜の危険箇所の有無に関する情報は掲載されていなかった。

平成一八年当時、公刊されていた沖縄方面の旅行雑誌に、沖縄の海におけるリーフカレントの危険性を指摘するものはなかった。

本件旅行業者の担当者からも、ニシ浜の遊泳区域の範囲や、ニシ浜に危険箇所があるとの情報提供はなかった。

ウ 波照間島及びニシ浜に関し、D教諭が行った調査とは別に、E教諭において独自に調べたことなどはなかった。

E教諭は、本件高校の平成一七年度の修学旅行の際にも、引率教員として波照間島を訪れているが、その下見には行っておらず、下見に行った教員からニシ浜の危険箇所等について報告を受けたこともなかった。

エ D教諭は、三年次のホームルームを利用した本件修学旅行の事前指導等において、生徒に対し、同教諭が平成一二年に波照間島を個人旅行で訪れた際に入手した島内地図を見せながら、波照間島の概観や、島内サイクリングの目的地を説明した。上記地図には、ニシ浜の危険箇所等に関する情報は載っていなかった。

オ 出発前日の五月一五日に行われた本件学年の学年集会において、学年全体の旅行係であったD教諭が、三年生全員に対し、「引率教員がいないところでの、生徒同士だけの海水浴はしないこと」「海水浴では、あまり沖に行かないようにすること」「危険な海洋生物に注意すること」等の指導をした。

D教諭は、本件クラスのホームルームにおいて、本件クラスの生徒に対し、「海に入るときははだしだとさんごで足を切ってしまうので、マリンシューズを履くこと」と指導した。

カ 五月一六日(一日目)の夕食後、D教諭は、本件クラスの生徒に対し、翌一七日にニシ浜で海に入ることに関し、「波が高いので沖には出ないこと」「マリンシューズ、海水パンツ、Tシャツ、タオルを持って行くこと」「海に入るときはマリンシューズを履くこと」等の指導をした。

もっとも、本件事故後に行われた聴取調査の結果によれば、「波が高いので沖には出ないこと」という注意は、ほとんど生徒の記憶に残っていなかった。

キ 五月一七日(二日目)の波照間港での昼食時、D教諭は、食事をしている生徒のグループを回りながら、ニシ浜で海に入ることに関し、「海にはTシャツを着て靴を履いて入ること」「深いところや、沖には行かないこと」「先生のいるところで海に入ること」等の指導をした。

D教諭は、ニシ浜に遊泳区域外の場所があることを知らなかったため、「先生のいるところで海に入ること」という以外に、海に入ることができる範囲について具体的な指定はしなかった。

ク 両教諭は、リーフカレントの存在及び危険性や、ニシ浜にリーフカレントが発生しやすい場所である本件事故現場があることを知らず、そのことや、海浜流一般の危険性について生徒に注意したことはなかった。

(11)  両教諭は、本件事故に関し、業務上過失致死傷の被疑事実で那覇地方検察庁に在宅送致されたが、平成二一年三月三〇日付けで不起訴処分となった。

(12)  本件事故の事故原因の調査、分析及び再発防止の提言を行うため、平成一八年六月、横浜市立a高等学校修学旅行水難事故調査委員会(以下「事故調査委員会」という。)が設置された。

事故調査委員会は、同年一一月、審議の結果を取りまとめ、事故が発生した事実経過及び原因を分析した「横浜市立a高等学校修学旅行水難事故調査報告書」(以下「本件事故調査報告書」という。)を公表した。本件事故調査報告書では、本件事故が起きた原因を、① 危険な場所の存在と② 生徒の引率や管理の状況と指摘し、後者について、開放感があったこと、ニシ浜への行き方の指示が不十分だったことなどを挙げている。

また、事故調査委員会は、平成一九年一月、本件事故調査報告書を踏まえて事故の再発防止策を検討した結果を取りまとめ、学校が自然体験活動等を実施する場合の再発防止策について提言した「横浜市立a高等学校修学旅行水難事故に係る再発防止報告書」を公表した。上記報告書では、再発防止策として、安全研修と安全教育の拡充、横浜市教育委員会が策定した「運動活動時等における安全の手引き」「横浜市立学校行事に関する諸届並びに承認申請取扱い要項」の周知徹底等を挙げている。

(13)  手引き及び取扱い要項について

ア 横浜市教育委員会は、平成一六年三月、小学校、中学校、高等学校に共通の「運動活動時等における安全の手引き」(以下「本件手引」という。)を策定し、集団宿泊的行為等を実施する場合の安全指導、安全管理等の基本的な考え方やその具体的な内容及び要点を整理し、被告が設置する各学校に周知を図っていた。

本件手引では、「学校行事において運動活動や身体活動を伴う活動には、健康安全・体育的行事と遠足・集団宿泊的行事があり、修学旅行等の遠足・集団宿泊的行事では、平素と異なる生活環境において、見聞を広め、自然や文化等に親しむとともに、集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行う。これらの活動は、集団の活動で、活発な身体活動を伴うことから、自然環境の影響を含め、活動中に事故が起こる可能性を多分に含んでいる。そこで、事故防止のためには、次の事項について十分配慮する必要がある。」とした上で、遠足・集団宿泊的行事の活動時における配慮事項として、「あらかじめ実地踏査を行い、現地の状況や危険箇所の確認、所要時間等を把握し、それに基づいて準備、指導する。」(第一章三(2)エ(イ))、安全管理上の留意点として、海、山での活動においては、「自然についての正しい知識を身に付けさせ、自然への理解を深めさせる。」(第二章三(3)ウ)、水泳(海、川での水遊びを含む)を行う場合の安全に関する確認事項として、「気温、水温、水深、流れ等の環境条件を、事前に把握している(海・川)」「危険箇所を把握し、周知している。」(第四章五)、遠足・集団的行事を行う場合の安全に関する確認事項として、「活動の場に危険箇所はないか実地踏査を十分に行う。」(第五章三(8))などの指針が示されていた。

イ 横浜市教育委員会は、平成一七年一二月二二日、「横浜市立学校行事に関する諸届並びに承認申請取扱い要項」(以下「本件要項」という。)を制定(改定)し、被告が設置する各学校に対し、修学旅行等の学校行事を実施するに当たっては、実施の二週間前に、学校長が「学校行事実施承認申請書」を所管課に提出して、横浜市教育委員会の承認を受けるべきことを定めるとともに、遠足・集団宿泊的行事(本件要項三(1)エによれば、遠足、修学旅行、社会見学、野外活動及び集団宿泊等をいう。)実施上の留意点を明らかにしていた。

本件要項には、「九 遠足・集団宿泊的行事実施上の留意点」として、計画段階の調査連絡に関し、「見学場所、交通機関、宿泊施設環境、休憩場所等の事前調査が適切な方法によってなされているか。」との留意点が、実施段階の安全に関し、「海岸、湖沼、河川、池等での危険に対する十分な配慮がなされているか。」との留意点がそれぞれ示されていた。

ウ 本件高校は、平成一八年四月二〇日、本件要項にのっとり、横浜市教育委員会に対し、本件修学旅行に係る「学校行事実施承認申請書」を提出し、同年五月八日、同委員会の承認を受けた。上記申請書には、「教育活動における安全の確保」欄(「有」「無」いずれかを記載する)の確認事項のうち、「二 事前調査と点検確認」「ア 目的地(現地)の実地調査」の「危険箇所の確認」及び「施設(営造物)の安全確認」のいずれについても、「有」と記載されていた。

二  争点(1)(事前調査・告知義務違反の有無)について

(1)  本件事故の原因について

一で認定したとおり、リーフカレントは、リーフ内の海水が、リーフの切れ目から外洋に流れ出す際に生ずる強い流れであり、さんご礁海域に特有の現象であって、リーフに切れ目がある海で発生するものである。沖に波が立っていたり、リーフ際に白波が立っている場合や、満潮から干潮に至る時刻は、リーフカレントが特に発生しやすい状況ということができ、リーフカレントの流速は一から二m毎秒に達し、一般に、人間の泳ぎでこれに逆らって進むことは難しいと考えられる。また、沖縄県内では、過去にリーフカレントを原因とする死亡事故を含む水難事故が発生していた。

上記のようなリーフカレントの特徴と、本件事故当時の本件事故現場の状況について一で認定した事実、すなわち、本件事故現場の海中には、リーフが広がっており、ところどころリーフの間が深み(切れ目)になっている箇所があったこと、両生徒が本件事故現場で海に入ったころのニシ浜は、リーフ内の波は穏やかであったが、リーフの外側は波が高く、白波が立っていたこと、満潮から干潮に向かう引き潮の状態であり、沖向きの流れが発生していたことを総合すると、本件事故当時、本件事故現場の海中は、リーフカレントが特に発生しやすい状況であったということができる。

鹿児島大学水産学部水産学科のJ准教授も、甲一四号証(平成二一年六月一八日付け鑑定意見書)において、本件事故調査報告書を検討し、本件事故現場を踏査した上で、リーフカレントの発生機構として、リーフ内にさんご礁地形の切れ目のような海水の出口の狭い場所があると、潮せきの変動により特に干潮時に、リーフ内の海水がその切れ目付近から集中的にリーフの外側に速い速度で流れ出す場合(潮せきを原因とするリーフカレント)と、波がリーフに当たって砕けると、海水がリーフ内に持ち込まれ、リーフ内側の海水面が一時的に持ち上がるが、リーフ内にさんご礁地形の切れ目があると、その切れ目部分では波が砕けないため、周辺の海面が持ち上がらず、その結果、海面の高低差を生じ、海面の高いところから低いところへ向けて海水が流れ込み、沖向きの速い流れができる場合(高波浪を原因とするリーフカレント)とがあるところ、本件事故現場のさんご礁地形、防波堤及び当時の天候に照らすと、外洋からの波の入射が原因で生じたリーフカレントと、潮せきにともない生じたリーフカレントが、① リーフの切れ目から流出する形で、② 防波堤に沿い流出する形で、それぞれ形成されていた可能性がある、この沖向きのリーフカレントにより、両生徒が沖向きに流された可能性が高いと推測されるとの意見を述べている(なお、両生徒が流された要因として、どちらのリーフカレントが主要な原因であったかについては、現地データがないことから、正確かつ定量的な意見を述べることはできないとしている。)。

以上によれば、本件事故の原因は、リーフカレントである可能性が高いというべきである。

両生徒は、リーフカレントが発生しやすい危険な場所であった本件事故現場の海に入り、本件事故発生地点において、リーフカレントによって沖へ流された可能性が高いと認めることができる。

(2)  両教諭の注意義務違反について

ア 公立学校の教員は、その職務上、教育活動を行うに際し生徒の生命及び身体の安全を保持する義務を負い、修学旅行等の学校行事も、教育活動の一環として行われるものである以上、教員が、その行事により生ずるおそれのある危険から生徒を保護し、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負うものであることはいうまでもない。したがって、修学旅行の引率教員は、このような安全保持義務の一内容として、生徒の集合場所、見学場所、活動場所等について十分な事前調査を行い、危険箇所の有無等を確認するとともに、その調査、確認に基づいて、生徒の学年、年齢や状況に応じた適切な安全指導を行う義務を負うものと解される。

そうであるところ、一で認定したとおり、被告が設置する学校が修学旅行等の学校行事を実施する場合の安全指導、安全管理等の指針を示した本件手引及び本件要項においては、修学旅行等を実施するに当たっては、あらかじめ十分な実地踏査を行い、現地の状況や危険箇所の有無等を確認し、それに基づき指導すること、水泳(海での水遊びを含む)を行う場合の安全に関する確認事項として、気温、水温、流れ等の環境条件及び危険箇所を把握し、周知すること、海岸等での危険に対し十分な配慮をすることなどが要請されていた。

しかも、本件修学旅行は、横浜市内の高校に通う生徒らが、暮らし慣れた環境を離れ、沖縄県の中でも最南端の有人島である波照間島を訪れるというものであり、波照間島においては、監視員もいない、自然のままの海水浴場であるニシ浜で海に入ることが予定されていた。沖縄の海はさんご礁海域にあるのであって、そのことだけで、神奈川県の海とは異なることは明らかであった。

上記の事情からすれば、両教諭には、本件行程において海に入ることが予定されていたニシ浜の東屋前の浜辺及びその周辺に関し、竹富町役場、石垣海上保安部等の関係官公署に問い合わせるなどして、危険箇所の有無及び沖縄で海に入る場合の注意点等の情報を収集した上、これを基に十分な実地踏査を行う義務があったというべきである。この調査を行えば、ニシ浜の一角に、地形的にリーフカレントが発生しやすい危険な場所である本件事故現場が存在することを把握することができたのであって、両教諭には、危険な場所が存在することを生徒に対し適切に注意喚起すべき義務があったと解すべきである。

イ 本件修学旅行は、高校三年生を対象としており、高校三年生ともなれば、一般に、心身発達の程度は、成人のそれに匹敵するということができる。

しかしながら、修学旅行があくまで教育活動の一環として行われるものであることからすると、危険な場所の探索まで全て生徒の自主的な行動に任せるというのは妥当ではない。

本件修学旅行が、横浜の高校に通う生徒にとっては未知の領域ともいえる沖縄県の最南端の有人島を訪れるものであることにも照らすと、両教諭が、旅行雑誌を調べ、本件旅行業者の担当者から報告を受けるなどしただけではリーフカレントの存在を知ることができなかったのと同様に、生徒らにおいても、リーフカレントによる危険を自ら察知し、回避することは困難であったと考えられる。

したがって、一般的な高校三年生に期待される判断能力等を前提としても、両教諭は、アの事前調査義務及び注意喚起義務を免れるものではない。

被告は、本件クラスの生徒の中には教諭の指示等に反して行動するような者はいなかったとか、本件高校では、生徒の自主性やその判断を十分に尊重する教育を行っていたなどと主張するが、そのようなことが、両教諭の義務を軽減させる方向に働くものではない。なお、甲二号証中の本件事故当日D教諭がニシ浜で撮影した写真を見る限り、「海にはTシャツを着て入ること」とのD教諭の指示は守られていないようであり、波照間島、少なくともニシ浜における生徒の開放感を表すものといわざるを得ない。

ウ 被告は、本件事故当時、リーフカレントの存在及びその危険性についての周知度は極めて低く、両教諭には、本件事故の発生に対する予見可能性がなかった旨主張する。

確かに、一で認定したとおり、本件事故当時、公刊されていた沖縄方面の旅行雑誌にリーフカレントの存在及び危険性を指摘するものはなく、本件旅行業者の担当者からもそのような情報の提供はされず、竹富町においても、ニシ浜の危険箇所に関する積極的な広報活動は行っていなかった。したがって、リーフカレントの存在及び危険性が周知されていたとはいい難い状況にあった。

しかしながら、両教諭が、修学旅行の引率教員として生徒の安全を預かる立場にあったことからすれば、周知されている危険についてのみ調査すれば足りるのではなく、目的地特有の危険はないかを調査すべきなのである。知らないから調べなくてよいということにはならない。

両教諭が、関係官公署に問い合わせをしていれば、海上保安庁のDVD又はパンフレットの交付を受けることができ、これらでは、リーフカレントは、リーフに切れ目がある海で発生することが説明されていたのであるから、かかる知識を基にニシ浜の実地踏査を行っていれば、本件事故現場の海中に、ところどころリーフの間が深み(切れ目)になっている箇所があることを砂浜からでも容易に確認することができた。それにより、本件事故現場でリーフカレントが発生することも予測することができたということができる。

エ 被告は、ニシ浜では、水遊び程度が予定されており、水泳が予定されていたわけではないと主張し、証人Eは、水遊びとは、沖の方へ行ったり、長い距離を泳いだりするのではなく、浜辺で遊んだり、魚を見たりする活動を想定していた旨供述する。

しかしながら、既にみたように、本件手引では、水遊びは水泳と同列に扱われている。また、生徒らは、「海で遊ぶ=海に入る=海で泳ぐ=海水浴をする」と理解していたのである(乙一)。

したがって、水遊びが予定されていたことが、両教諭の調査義務を軽減させるものではない。

オ 被告は、本件事故現場は、本来の活動場所であった東屋前の浜辺から約二〇〇mも離れており、両教諭は、本来の活動場所からかなり距離のある場所について事前調査義務を負うものではない旨主張する。

しかしながら、本件事故現場は、東屋前の浜辺とつながった同じニシ浜の一角であり、この場所が、堤防等の海岸構造物又はブイやロープ等の目印によって明確に区切られていたなどの事実はない。そして、互いを見渡すことは十分可能であった。このような位置関係において、二〇〇m程度の距離であったことからすると、生徒が本来の活動場所である東屋前の浜辺から外れて本件事故現場の海に入る可能性があったというべきである。

したがって、本件事故現場も、両教諭が事前調査を果たすべき範囲に含まれる。

カ 以上のとおりの調査等の義務があったにもかかわらず、一で認定したとおり、両教諭は、ニシ浜の東屋前の浜辺及びその周辺の危険箇所の有無や沖縄で海に入る場合の注意点について、関係官公署に問い合わせをすることはなく、波照間島の下見にも行かなかった。そのため、本件事故現場のリーフカレント発生の危険性や、本件事故現場が遊泳区域外であったことを把握せず、したがって、これらのことを本件クラスの生徒に対し伝えることもなかった。

両教諭には、事前調査義務及び注意喚起義務に違反した過失があるといわざるを得ない。

事前調査の方法として、市販の旅行雑誌を読み、旅行業者の担当者から情報提供を受けたというだけでは、調査を尽くしたということはできない。

そして、両生徒は、本件事故現場がリーフカレントが発生しやすい危険な場所であることを知らずに同所で海に入り、本件事故発生地点において、リーフカレントによって沖へ流された可能性が高いのであるから、両教諭の上記義務違反と両生徒の死亡との間には因果関係が認められる。

上記の意味において、争点(1)の原告らの主張は理由がある。

三  争点(5)(原告らの損害額)について

(1)  原告X1及び原告X2の損害について

ア Bの逸失利益

Bは、死亡当時、一七歳の高校三年生であったところ、Bが在籍していた本件高校の○○科は、卒業生の八割以上が建設業や製造業等の企業に就職するという進路状況であった(証人D)から、Bの逸失利益の算定に当たっては、平成一八年度の賃金センサスの男子労働者高卒全年齢平均年間給与額を基礎とするのが相当である。そうすると、その額は四九二万六五〇〇円である。

上記収入額を基に、生活費として収入の五〇%を控除し、Bは、本件事故に遭わなければ、就労の始期である一八歳から四九年にわたり就労することが可能であったと認められるから、これに対応するライプニッツ係数一七・三〇三六を乗ずると、同人の逸失利益は、四二六二万三〇九二円となる。

四九二万六五〇〇×〇・五×一七・三〇三六=四二六二万三〇九二

イ Bの慰謝料

Bが被った精神的苦痛に対する慰謝料は、一八〇〇万円とするのが相当である。

ウ 原告X1及び原告X2は、Bの死亡により、Bの損害賠償請求権を二分の一ずつ(三〇三一万一五四六円ずつ)相続した。

エ 葬儀関係費用

《証拠省略》によれば、原告X1及び原告X2は、Bの葬儀費用として五〇五万六一九二円を、一周忌費用等として八一万六一〇〇円をそれぞれ支出したことを認めることができ、このうち一五〇万円(各七五万円)を被告に負担させるのが相当である。

オ 原告X1及び原告X2固有の慰謝料

上記原告らが被った精神的苦痛に対する慰謝料は、各一〇〇万円とするのが相当である。

カ 以上の合計額は、各原告につき三二〇六万一五四六円となる。

(2)  原告X3及び原告X4の損害について

ア Cの逸失利益

(1)ア同様、本件事故がなければCが得られたであろう収入の額は、平成一八年度の賃金センサスの男子労働者高卒全年齢平均年間給与額四九二万六五〇〇円を基礎とするのが相当である。

そうすると、Cの逸失利益は、(1)ア同様、四二六二万三〇九二円となる。

イ Cの慰謝料 一八〇〇万円

ウ 原告X3及び原告X4は、Cの死亡により、Cの損害賠償請求権を二分の一ずつ(三〇三一万一五四六円ずつ)相続した。

エ 葬儀関係費用

《証拠省略》によれば、原告X3及び原告X4は、Cの葬儀費用として一五六万七三八一円を、一周忌費用等として九八万二三〇〇円をそれぞれ支出したことを認めることができ、このうち一五〇万円(各七五万円)を被告に負担させるのが相当である。

オ 原告X3及び原告X4固有の慰謝料 各一〇〇万円

カ 以上の合計額は、各原告につき三二〇六万一五四六円となる。

四  争点(6)(過失相殺)について

(1)  両生徒は、本件事故当時、満一七歳の高校三年生であったから、このような年齢及び学年に相応して、成人に匹敵する判断能力の下、危険箇所を発見し、これを回避する自主的な行動をとることが期待されていた。

しかるに、一で認定したとおり、両生徒は、D教諭の「E先生のところへ行くこと」「先生のいるところで海に入ること」「引率教員がいないところでの、生徒同士だけの海水浴はしないこと」との指示に反して、本件事故現場の海に対応する浜辺が、指示された目的地及び活動場所ではないことを十分認識しながら、本件事故現場で海に入ったものである。その上、D教諭の「深いところや、沖には行かないこと」との指示に反して、海中を、水面が胸より上に来るような地点(本件事故発生地点)まで沖に向かって進み、そこで本件事故に遭った。さらに、《証拠省略》によれば、Bは、泳ぐことが苦手で、海に行ったことは二回くらいしかなかったこと、Cも、泳ぐことが苦手で、海に行ったことはなかったことを認めることができる。

これらのことからすると、本件事故に至るまでの両生徒の行動には、両生徒の年齢及び学年に相応して備わっていることが期待される判断能力等に照らし、かなり軽率な面があったことは否定できない。そして、これが本件事故の一因となったことは明らかである。

原告らは、両生徒は、本件事故現場の危険性について全く知らされておらず、情報を与えられていなかったから、損害の発生を予見し、回避することが不可能であり、過失相殺をする前提を欠く旨主張する。

しかしながら、本件事故が、海に入るという本来的に生命及び身体に対する危険性をはらむ行動の中で起きたことからすれば、過失相殺の前提としての予見可能性及び回避可能性は、海一般の危険性に対するそれがあれば足りるというべきである。本件事故に至るまでの両生徒の行動は、海一般の危険性という観点からみても、軽率なものであったといわざるを得ない。本件事故当時のニシ浜は、リーフ内は一見穏やかな海であったとしても、リーフの外側には白波が立っていたこと、沖に向かう流れを感じていた生徒もいたことからすると、両生徒において、水難事故の発生を全く予見することができないという状況ではなかったというべきである。

したがって、原告らの上記主張は採用することができない。

(2)  そこで、両教諭と両生徒の過失を勘案するに、両教諭は、二で認定した関係官公署への問い合わせ及び実地踏査といった事前調査義務や、リーフカレントを含む海浜流の危険性に関する注意喚起義務を全くといっていいほど果たさなかったのであるから、その過失は、相当大きいものというほかない。

特に、ニシ浜の遊泳区域の範囲を竹富町役場に問い合わせるなどして調査しなかったことは、仮に両教諭が、かかる調査だけでも行っていれば、ニシ浜の東屋前の浜辺から東に外れた場所が遊泳区域外であることを把握し、そのことを生徒に対し適切に注意喚起することにより、本件事故の発生を防ぐことができた可能性があるという点において、両教諭の過失の程度を判断するに当たり重視すべき事情ということができる。

これまでみてきた本件事故の発生に対する両教諭及び両生徒の各過失の内容及び程度に照らすと、両教諭の過失の方が、両生徒の過失よりも大きいというべきであり、両生徒の過失割合は四割とするのが相当である。

五  損益相殺及び弁護士費用について

四のとおり、本件事故の発生に対する両生徒の過失割合は四割であるから、これに従い過失相殺をすると、各原告の損害額は、一九二三万六九二七円(三二〇六万一五四六円×〇・六)となる。

その上で、原告らは、本件事故による両生徒の死亡に関し、スポーツ振興センターから災害共済給付・死亡見舞金として一家族当たり二八〇〇万円を、被告から横浜市学校事故見舞金・死亡見舞金として一家族当たり三〇〇万円をそれぞれ受け取っており(当事者間に争いがない。)、これらは、被告の違法行為と同一の原因によって被害者の相続人が受けた利益として、損益相殺の対象となる。そこで、各原告につき、一五五〇万円を損害額から控除すると、各三七三万六九二七円となる。

上記認容額からすれば、被告に負担させるべき弁護士費用額は、各三七万円とするのが相当である。

以上によれば、被告が原告らに対し賠償すべき損害額は、各四一〇万六九二七円となる。

六  よって、原告らの請求は、原告各自についてそれぞれ四一〇万六九二七円の損害賠償及びこれに対する遅延損害金の限度で理由があり、その余はいずれも理由がないのでこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江口とし子 裁判官 武藤裕一 裁判官水倉義貴は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 江口とし子)

別紙 波照間港・ニシ浜ビーチ付近詳細図《省略》

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