横浜地方裁判所 平成21年(ワ)266号 判決 2010年5月20日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,別紙「地図」<略>の斜線部分の水域において,浚渫した土砂ないしそれに代わる良質な土砂を平成19年3月28日付け浚渫協議書にかかる浚渫工事開始前の水深となるよう埋め戻せ。
2 被告は,原子力空母○○に,別紙「地図」<略>の斜線部分の水域を使用させ,通行させてはならない。
第2事案の概要
横須賀港周辺海域で漁業等の活動をし,若しくはアメリカ合衆国海軍(以下「米海軍」という。)横須賀基地の12号バースから165キロメートル以内に居住する本訴原告らを含む者は,本訴被告に対し,[1]本訴被告とアメリカ合衆国(以下「米国」という。)との間で平成19年3月28日付け浚渫協議書に基づき施行される浚渫工事(以下「本件浚渫工事」という。)により水質汚染等が生じ,その生命及び身体の安全,平穏生活権並びに漁業権行使に対する被害または被害発生の危険性があり,また,[2]米海軍の原子力空母○○(以下「本件空母」という。)が別紙「地図」<略>の斜線部分の水域(以下「本件水域」という。)を通行することにより,放射線被曝等の生命及び身体の安全,平穏生活権並びに漁業権行使に対する被害または被害発生の危険性があるとして,人格権等に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求として,本件浚渫工事の差止めを求める訴訟を当庁横須賀支部に提起した(同支部平成19年(ワ)第202号浚渫工事差止請求事件,以下「差戻前訴訟」という。)。
当庁横須賀支部は,[1]本件浚渫工事自体から原告らの生命及び身体の安全,平穏生活権並びに漁業権行使に対して被害又は被害が発生する具体的危険があると認めるに足りる証拠はなく,[2]本件空母の危険性は抽象的なものであり,原告らの生命及び身体の安全,平穏生活権並びに漁業権行使に対して被害が発生する具体的危険を認めるに足りる証拠はないと判断して,本件浚渫工事の差止請求を棄却したため,原告らは,これに対し東京高等裁判所に控訴した(同庁平成20年(ネ)第3204号浚渫工事差止請求控訴事件)。
差戻前訴訟原告らの一部である本訴原告らは,本件浚渫工事が控訴提起後に完了したため,控訴審において,本件浚渫工事が完了したとしても,それによって完成した航路を本件空母が使用,通行することにより,本訴原告らの人格権に受認し難い被害が発生する具体的危険が生じるとして,人格権に基づく妨害排除,妨害予防請求として,本件浚渫工事の原状回復としての埋戻し工事を求める(以下「本件埋戻し請求」という。)とともに,本件空母に本件水域を使用させ,通行させることの差止めを求める訴え(以下「本件空母通行等禁止請求」といい,本件埋戻し請求と併せて「本件各請求」という。)を追加した。
「 東京高等裁判所は,平成20年12月24日,前記訴えの追加的変更は,民事訴訟法297条,143条1項の要件を欠くため許されず,訴えの追加的変更部分を管轄地方裁判所である当庁に移送し,本件各請求に係る本訴が当庁に係属した。なお,原告X1(以下「原告X1」という。)は,本訴が当庁に係属した後,その漁業権に基づく妨害排除請求権を差止め請求の根拠として追加した。
1 前提となる事実(証拠によって認定した事実は各項末尾の括弧内に認定に供した証拠を摘示し,その記載のない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 米海軍は,平成17年10月28日,平成20年に昭和36年から就役した当時の現役最古の空母であった△△が退役し,ニミッツ級原子力空母と交替することを発表し,次いで,平成17年12月,後継艦が本件空母であると発表した。
B外務大臣は,平成18年6月,C横須賀市長(以下「C市長」という。)と会談し,C市長は,同月14日,市議会全員協議会で「通常型空母の可能性がゼロになった今,現実を直視し,原子力空母の入港もやむを得ないことと受け止め,市民の安全を守り,市民に不安を与えないように必要な体制整備を日米政府に求めたい」として,原子力空母の横須賀基地配備を受け入れる旨の発表をした(外務大臣が平成18年6月に横須賀市長と会談し,同月,横須賀市長が原子力空母を受け入れる旨の発表をしたことは,当事者間に争いがなく,その余について,<証拠略>。)。
(2) 被告と米国は,平成18年6月,「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(昭和35年条約第7号,以下「日米地位協定」という。)25条1に基づいて設置され,アメリカ合衆国軍(以下「米軍」という。)が使用するため必要とされる日本国内の施設及び区域の決定などを行う日米合同委員会において,本件浚渫工事を被告が実施することを合意し,外務省及び防衛施設庁は,同月15日,その旨を発表した(外務省及び防衛施設庁が同月15日に前記発表をしたことについて,<証拠略>。)。
(3) D神奈川県知事は,平成18年8月16日,定例記者会見で,「原子力空母への交代はやむを得ない」と,通常型空母から原子力空母への交替を受け入れる旨発言した(神奈川県知事が平成18年8月16日に原子力空母への交替を受け入れる旨発言した限度で当事者間に争いがなく,その余について<証拠略>。)。
(4) A横浜防衛施設局長(以下「A施設局長」という。)は,本件水域の8カ所においてボーリング調査,3カ所での水質調査を実施し,平成18年11月,調査結果をC市長宛に提出した。A施設局長は,平成19年2月21日,同年6月1日から平成20年5月31日までの間,60万立方メートルの本件浚渫工事に伴う水底土砂を海洋に投入するため,E環境大臣(以下「E環境大臣」という。)に対し,海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律10条の6第1項に基づき,廃棄物海洋投入処分許可申請書を提出し,E環境大臣は,平成19年4月5日,これを許可した(横浜防衛施設局が本件水域のボーリング調査を実施し,平成18年11月に調査結果を横須賀市に提出したこと,横浜防衛施設局長が平成19年2月21日本件浚渫工事に伴う浚渫土砂を海洋に投棄するために環境大臣に対して海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律10条の6第1項に基づき,廃棄物海洋投入処分許可申請書を提出したこと,環境大臣が同年4月5日に許可したことの限度で当事者間に争いがなく,その余について,<証拠略>。)。
(5) 横浜防衛施設局は,平成19年3月,本件水域を含む海域に漁業権を有するa漁業協同組合に対し,本件浚渫工事の概要を説明し,同組合は,同月28日,横浜防衛施設局に対し,本件浚渫工事に同意する旨の回答をした。
(6) A施設局長は,平成19年3月29日,同月28日付けの書面で,横須賀市に対し,本件浚渫工事に必要な港湾法37条1項3号,同条3項の工事協議書を提出し,協議に応じるように求めたところ,横須賀市は,同年4月26日付け書面で,「1.港湾法及び横須賀港港湾管理条例の各規定を遵守すること。2.工事着手の際は工事着手届を,工事完了の際は工事完了届を,それぞれ提出すること。3.工事中は,事故等がないよう十分注意すること。万一,事故や水質汚濁等が発生した場合には,速やかに連絡の上,責任を持って対処すること。4.協議内容に疑義が生じた場合又は変更を行う場合には,速やかに相談すること」に留意することを求めた上で,これに応じる旨の回答をした(横浜防衛施設局が同年3月29日に本件浚渫工事に必要な港湾法37条1項3号,同条3項の工事協議書を提出し,協議に応じるように求めたところ,横須賀市が同年4月26日にこれに応じる旨の回答をした限度で当事者間に争いがなく,その余について,<証拠略>)。
(7) 横浜防衛施設局は,平成19年8月10日,本件水域において本件浚渫工事を開始し,平成20年8月29日,横須賀市に対し,本件浚渫工事の工事完了届けを提出して,一切の工事及び作業を終了した。
(8) 本件空母は,平成20年9月25日,米海軍横須賀基地(以下「横須賀基地」という。)に入港した。
2 争点及び争点に対する当事者の主張
本訴の争点は,(1)本件空母の原子炉事故等により原告らの生命・身体等が侵害される具体的危険性の有無,(2)本件埋戻し請求の当否,(3)本件空母通行等禁止請求の当否であり,これらの争点に対する当事者の主張は,以下のとおりである。
(1) 争点(1)について
ア 原告
(ア) 本件空母は,熱出力にして約60万キロワットの原子炉2基を搭載し,核分裂反応によって発生した熱により水蒸気を発生させ,それによりタービンを回して運航する航空母艦である(<証拠略>)。本件空母の原子炉は,加圧水型軽水炉というタイプのものであり,核分裂の行われる原子炉内を加圧した約300度の水(1次冷却水)を循環させ,蒸気発生器(熱交換器)という部分で,その熱で2次冷却水の回路を循環する水を水蒸気に変え,その水蒸気によって,スクリューや発電機を回すタービンを動かすシステムである。
米海軍の原子力空母の原子炉は,陸上の原子力発電所(以下「原発」という。)と異なり,[1]狭い船体内で炉心設計に余裕がない,[2]放射能防護のための格納容器が存在しない,[3]船の上で絶えず振動衝撃にさらされる,[4]海難事故による原子炉の破損の可能性,[5]軍事的に無理な出力調整を強いられる,[6]原子炉と高性能火薬との同居,[7]交戦による炉の破壊,故障の可能性,[8]90パーセント以上の高濃縮ウランを燃料としているために反応制御不能の可能性といった原子炉事故を起こしやすい要因を有している。
(イ) 原子力空母は,横須賀基地についても原子炉を運転したまま入出港し,入港後暫くしてから原子炉を停止し,また出航前に港内で原子炉を起動すること,さらに原子炉を停止しても一定時間は,核分裂生成物の崩壊熱によって燃料棒は依然として熱を発し続けることから,1次冷却水を補給したり,外部から高電圧の電力を供給して1次冷却水のポンプを循環させないと,燃料棒が崩壊熱によりメルトダウンを起こしてしまう危険性がある。
横須賀でも直下型地震の危険が問題になっているところ,本件空母の入港時,その直後に大地震が発生して海面が低下し,または海底が隆起すれば,稼働中の原子力空母の海水取入口に泥が侵入し,または海水取入口が海面上に露出して海水が取り入れられなくなって,原子炉の冷却ができなくなり,原子炉事故が起きる可能性がある。
入港後の原子炉停止後に原子炉が崩壊熱によってメルトダウンを起こさないよう,原子力空母には,高電圧の電力供給と純水の大量供給が必要とされるところ,電力供給等が大地震等で遮断されると,原子炉はメルトダウンのおそれがある。
(ウ) 原子炉事故のもう1つの類型は,機器の故障や外部からの衝撃,人為的ミス等により核分裂が制御不能になって暴走するというものがあるが,本件空母には,陸上の原発には存在しない海難事故,艦内の弾薬・燃料の爆発事故あるいは戦闘によって,原子炉が異常反応を起こし,または原子炉の格納容器が破壊されて原子炉内の大量の放射性物質が原子炉外に放出される危険性もある。
本件空母が横須賀港を母港化すれば,原発と同様約2年に1回,数か月かけて横須賀基地に本件空母を停泊させた状態でPIAと呼ばれる原子炉の定期的点検メインテナンス作業(1次冷却水,フィルター,原子炉の部品等の点検,交換作業等の実質的修理)が行われることとなり,このような作業が行われることが原子炉事故をもたらす危険を増大させる。
(エ) 原子力空母の原子炉が事故を起こして,原子炉内の放射性物質が原子炉外に放出される事態が発生すれば,それらは空中ないし海水中へ放出され,著しく大気,地面,海水等を放射能で汚染する。そうなれば,横須賀基地のすぐ周辺で操業,活動している原告らは著しい量の放射能を浴びて,著しい健康被害を受けて生命の危険にさらされる。
放射性物質に被曝すると,その一部は体内に入り,体内に止まって長期間放射線を出すため,急性放射能障害になるばかりでなく,白血病,甲状腺ガン,脳腫瘍等を長期的に発生させる。さらに遺伝子を傷つけるため遺伝障害を起こし,胎児や子ども等次世代まで被害は及ぶ。
(オ) 別紙当事者目録(1)<略>記載の原告X1は,本件空母が停泊する横須賀基地の12号バースから約2.5キロメートルの位置に居住し,横須賀港周辺の東京湾海域において漁業を営んでいる。同目録(1)<略>記載のX2及びX3は,同バースから約8キロメートルの位置に,同目録(1)<略>記載のX4は,同バースから約5キロメートルの位置に,同目録(1)<略>記載のX5は,同バースから約3.5キロメートルの位置に,同目録(1)<略>記載のX6は,同バースから約3キロメートルの位置に,それぞれ居住し,横須賀本港内及びこれに隣接する長浦港内の海域等において,ヨットやボートを使った海洋レクリエーション,教育,社会活動を長年にわたって定期的に行い続けている市民である。同目録(1)<略>記載のX7は,同バースから約8キロメートルの位置に,同目録(1)<略>記載のX8は,同バースから約9キロメートルの位置に,同目録(1)<略>記載のX9は,同バースから約18キロメートルの位置に,それぞれ居住し,横須賀本港に隣接する長浦港内の海域等において,釣り船に乗ってハゼ,イシモチ,メバル等の釣りを長年にわたって行い続けている市民である。同目録(1)<略>記載の原告らは,本件水域を本件空母に供用することにより多大な被害を被り,生命身体等の人格権や,その漁業を営む権利を侵害される具体的危険性がある。
別紙当事者目録(2)<略>記載の原告らは,同バースから3キロメートル以内に,別紙当事者目録(3)<略>記載の原告らは,同バースから3ないし8キロメートル以内に,それぞれ居住しているところ,原子炉事故想定(<証拠略>)によれば,本件空母の風下に位置した場合,7Sv以上の放射線量を被曝することになり,その結果,ほとんど全員が短期ないし長期的に死亡する確率が極めて高く,その生命,健康を侵害される具体的危険性がある。
別紙当事者目録(4)<略>記載の原告らは,同バースから8ないし13キロメートル以内に居住しているところ,原子炉事故想定(<証拠略>)によれば,本件空母の風下に位置した場合,3Sv以上の放射線量を被曝することになり,その結果,約半数が短期ないし長期的に死亡する確率が極めて高く,その残りも放射線被曝によって健康を侵害される具体的危険性がある。
別紙当事者目録(5)<略>記載の原告らは,同バースから13ないし26キロメートル以内に居住しているところ,原子炉事故想定(<証拠略>)によれば,本件空母の風下に位置した場合,1Sv以上の放射線量を被曝することになり,その結果,その一部が短期ないし長期的に死亡する確率が極めて高く,その残りも放射線による急性障害により健康を侵害される具体的危険性がある。
別紙当事者目録(6)<略>記載の原告らは,同バースから26ないし60キロメートル以内に居住しているところ,原子炉事故想定(<証拠略>)によれば,本件空母の風下に位置した場合,250mSv以上の放射線量を被曝することになり,その結果,放射線による急性障害により健康を侵害される具体的危険性がある。
別紙当事者目録(7)<略>記載の原告らは,同バースから60ないし165キロメートル以内に居住しているところ,原子炉事故想定(<証拠略>)によれば,本件空母の風下に位置した場合,50mSv以上の職業人の年線量限度を超える放射線量を被曝することになり,その結果,放射線による障害により健康を侵害される具体的危険性がある。
(カ) 原子炉事故が起こらなくても,横須賀基地に本件空母が配備され母港にするようになると,それは数十年にわたって継続する可能性が高い。そして,入出港時に放射能漏れ事故を起こしたり,また横須賀基地内で本件空母の原子炉のメインテナンス活動が行われ,それに伴って放射能を帯びた冷却水,フィルター,原子炉の部品等の交換作業が横須賀港内で行われ,その結果,日常的に放射能漏れが起こるようになる。しかも,米海軍の原子力軍艦及びその母港においては,<証拠略>等の事故年表のとおり,そうした放射能漏れ事故が多発している。そして,平成20年8月2日,7日に,かつて横須賀,佐世保,沖縄のホワイトビーチに寄港していた原子力潜水艦(以下「原潜」という。)ヒューストンが約2年間にわたって,放射能を含む冷却水漏れを起こしていたことが明らかになったことが被告により発表されている(<証拠略>)。
日本国内の原発の原子炉規制法等による立地審査の指針(<証拠略>)からしても,人口の密集する首都圏の入口にある横須賀基地を本件空母の母港とすることは許されない。
(キ) 神奈川県保険医協会が平成19年11月18日及び同年12月1日に本件浚渫工事が実施されていた横須賀本港で実施した魚類調査の結果,横須賀基地前で骨曲がり,魚体のくねりの著しいハゼが発見され,平成20年11月16日に行われた同様の調査でも,マハゼ36匹中23匹にX線異常が認められた。これは,被告が行った本件浚渫工事が横須賀基地から出た汚染物質を含む大量の土砂を攪拌した結果と考えられ,本件浚渫工事による被害が現実化しつつあることが認められる。
(ク) 本件空母は,日本時間の平成20年5月22日午後,太平洋上で空調,冷蔵室,補助ボイラー室付近から火災事故を起こし,消火まで12時間,負傷者37名,艦内3800区画のうち80区画に火災が拡がり,深刻な被害を受けた。本件空母には2基の原子炉,大量の航空燃料や弾薬が積まれており,一歩間違えれば深刻な大事故に発展しかねなかった。米海軍は,同年7月30日,火災原因について規則違反の喫煙と不適切に置かれた潤滑油が原因と発表した。これが真実であるとすると,あまりにひどい,低レベルのミスであって,唖然として戦慄を覚えざるを得ない。
また,同年8月16日にはサンディエゴに入港修理中の本件空母の乗組員が殺人事件に関与していたことが明らかになっており,乗組員による想定外の人為的ミスが繰り返されるおそれも極めて高い。
(ケ)a 上記のとおり,本件浚渫工事により,本件空母が横須賀に配備されて母港にするようになると,本件空母が頻繁に入出港を行い,それに伴って放射能漏れが起こるようになり,また,本件空母の原子炉のメインテナンス活動が港内で行われ,放射能を帯びた冷却水,フィルター,原子炉の部品等の交換作業が行われるようになり,その結果,放射能漏れが多発することになる。その結果,放射性汚染物質が周囲の大気や海水に放出されて,食物連鎖等で濃縮され,プランクトンを食べ,海底の砂の中で暮らしているミル貝,なまこ,タイラ貝等の魚貝類を放射能汚染するおそれが大きい。そして,一旦,横須賀基地周辺の海域で捕れた海産物から,微量でも放射能が検出されたら,原告X1らは,捕れた海産物が売れなくなって,風評被害による著しい損害を被ることになる。
b また,本件空母は,原子炉を稼働させたまま入出港するから,横須賀基地内及び原告X1らが操業するその周辺海域に大量の温排水を排出することになる。この温排水が原発周辺で海の生態系に著しい影響を与えて漁業被害を生んでいる例が多発している。原告X1らが操業する海域においても,この温排水によって,水温が著しく上昇し,この海域に定着している魚貝類がいなくなったりして,著しい漁業被害を生むおそれは極めて大きい(<証拠略>)。
c 以上の次第であるから,原告X1は,その漁業を営む権利に基づく妨害排除請求権に基づいて,被告に対し,本件各請求を求める。
イ 被告
(ア) 米海軍の原子力軍艦は,50年以上の歴史の中で,原子炉の事故が起きて人に放射線被害を与えたり,環境の放射線レベルに影響を与えたことはない上,昭和39年以来,1250回以上も我が国に寄港しているが,原子炉事故は一度も起きておらず,日米両国政府が毎回実施してきた放射能調査でも,米国原子力軍艦の寄港に伴い,人体及び環境に影響を与えるような放射性物質の異常値が観測されたことは一度もない。
米国政府は,本件空母に交替した後も,従来よりの安全性に関する保証を堅持することを確約しており,引き続き,米国原子力軍艦の原子炉の修理や燃料交換が我が国内で行われることはなく,また,我が国に停泊中の原子力空母は,通常原子炉を停止することとしている(<証拠略>)。
(イ) 原子力空母は,戦時の攻撃に耐え,乗組員を危険から防護しながら戦闘を継続できるように設計され,その原子炉にはより強固な防護壁が設けられていること,原子炉の燃料は,固体金属であり,重力の50倍の衝撃に耐えられる強度であること,1次系の構造は全体が完全に溶接された構造であることなどの特性がある。
米国原子力軍艦の原子炉の安全性については,米国の原子力規制委員会及び原子炉安全諮問委員会が原子炉装置の個々の設計について米海軍とは独立して厳しい検査を行った結果,米国原子力軍艦が軍事的な所要のため,商業炉に求められる基準よりも厳しい基準を満たす性能及び実行が実現されており,公衆の健康と安全に不当な危険を及ぼすことなく運航が可能であると結論付けている(<証拠略>)。
加えて,加圧水型原子炉の安全性については既に確立した実績があるから,商業用の原発等の危険性を根拠とする原告らの主張は,前提を欠く。
(ウ)a 原告らは,地震の際,津波の引き潮,座礁,海底隆起の影響による海水取入不能の危険性があると主張する。
しかしながら,原子力空母の場合は,陸上に設置されている原発と異なり,海上にあるものであるから,津波による水位低下によって海水の取水に同程度の支障が生じるとは考えにくい。
そもそも,米国の原子力空母についていえば,通常,原子炉は横須賀海軍施設に停泊後速やかに停止され,出港の直前になって初めて再稼働されるのであるから,停泊中に原子炉が稼働することは通常はない。
また,原子力空母は,崩壊熱除去システムを有しており,電力に依存することなく,原子炉の物理的構造と水自身の特性のみによって,炉心を冷却することができるから,仮に原告らが主張するように何らかの原因によって取水口から海水を取り入れられなくなったとしても,原子炉の冷却に支障を生じるとはいえない。
b 原告らは,地震の際,原子炉停止後,崩壊熱を冷ますための陸上補助施設や空母とのラインが破壊される可能性があるなどと主張する。
米国の原子力空母は,通常,原子炉は横須賀海軍施設に停泊後速やかに停止されているから,仮に陸上の電力供給施設に何らかの不具合が生じ,電力供給が滞ったとしても,原子炉の冷却等に支障を生じることはない。また,前記のとおり,原子力空母は,崩壊熱除去システムを有しており,電力に依存することなく,原子炉の物理的構造と水自身の特性のみによって,炉心を冷却することができるから,原告らの主張は前提を欠く。
(エ) 原子力空母の原子炉の平均的な出力レベルは,最大出力の15パーセント以下である上,港湾内においては,推進のために極めて低いレベルの出力しか必要でないとされている(<証拠略>)。したがって,少なくとも,本件空母が横須賀基地へ入港,停泊し,あるいは横須賀基地から出港するにおいて,出力急上昇中に出力制御に失敗するような事態は想定し得ない。
本件空母において,平成20年5月22日,火災が発生したことは事実であるが,同火災事故は,規則上認められない喫煙を原因として,隣接した区画に不適切に保管されていた可燃性液体及び他の可燃性物資に引火した結果,発生した可能性が高いとされ(<証拠略>),また,本件空母の下階から数階上の最外壁にある空調設備をつなぐ空調・給排気系統で発生したものであり,この発生による本件空母への損傷も主に電気系統の損傷であって,原子炉へは何らの影響もなかった(<証拠略>)。
また,我が国は,米国政府から,米海軍の原子力軍艦の安全性に関する方針を堅持し厳格に実施するとの米国政府の従来からの方針内で行われていると説明を受けており,燃料交換及び原子炉の修理は我が国国内で行われないと承知している。したがって,本件空母の原子炉メインテナンス作業に関する原告らの主張も前提を欠く。
その他,原告らの本件空母の危険性についての主張は,単なる危惧感や抽象的な危険性について指摘しているにすぎない。
(オ) 漁業を営む権利に基づく妨害排除請求又は妨害予防請求については,これを認める明文規定や最高裁判例はないから,そもそも本件各請求の被侵害利益にはなり得ず,原告X1の請求のうち,漁業を営む権利に基づく請求は失当である。
この点は措くとしても,原告X1の本件各請求も,生命・身体等を内容とする人格権に基づく他の原告らの請求同様,失当である。
また,原告X1は,本件空母の放射能漏れや温排水などによる漁業被害のおそれを主張するが,そもそも原告X1の漁業活動の実態を的確に認めるに足りる主張,立証はなく,かつ,本件空母による放射能漏れや温排水による漁業被害のおそれについても,単なる危惧感や抽象的な危険性を指摘しているにすぎず,具体的危険性は到底認められない。
(2) 争点(2)について
ア 原告
(ア) 港湾法56条の4第1項は,同法37条1項に違反して工事をした者に対して「工事その他の行為の中止,…障害を除去し,若しくは予防するため必要な施設の設置その他の措置をとること又は原状の回復を命ずることができ…」と規定しているところ,港湾法は港湾の環境保全を目的とし,また,港湾の開発と利用とを包括的に定める港湾計画との適合性を求めるから,同法37条1項の違反の内容も,除去すべき障害も,水域施設の建設によって,その水域施設を利用する船舶による影響,すなわち原子力空母による人格権侵害を含むものと解される。そして,同法37条1項の違反による原状回復措置を取る主体は工事施工者とされており,工事施工者である被告は,その妨害状態を除去し得べき主体であるというべきである。
このことから,民法上も同様に人格権に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求の内容として,本件浚渫工事による本件空母の入港が,原告らの人格権を侵害する具体的危険性を生じさせている場合には,それを除去するために,原告らは,被告に対し,危険を生じさせた本件浚渫工事の原状回復を請求することができると解すべきである。このことに関しては,鉱業法111条2項の原状回復請求権及び同条3項の原状回復命令等の規定も参考になるというべきである。
(イ) 本件浚渫工事以前の横須賀港の水深では本件空母が母港とすることができないため,本件空母の航路,泊地という水域施設を建設,開削し,本件空母の配備を可能にするために本件浚渫工事が行われた。すなわち,本件浚渫工事の目的,本体は,本件空母の航路の開発行為であり,ある種の船舶のための航路の開発とその船舶による港湾施設の使用とは,本件浚渫工事の許可の準拠法である港湾法上も,まさに表裏の関係にある。
被告は,本件空母のために本件浚渫工事を行う以上,本件浚渫工事のみでなく,それによる航路開発,港湾利用の対象である本件空母配備により環境を悪化させない対策を行う義務も有している(<証拠略>)。そして,本件浚渫工事により被害が現実化したことについては,前記(1)ア(キ)のとおりであり,本件空母による放射能漏れ等に基づく水質汚染被害については,前記(1)ア(ケ)のとおりである。
したがって,本件浚渫工事と横須賀海軍施設への本件空母配備は一体の関係にあり,本件埋戻し請求の根拠となる原告らへの被害についても,単に本件浚渫工事自体の影響だけではなく,その目的と不可分一体の関係にあり,その工事の結果,航路が開発されて,横須賀港を利用する本件空母の配備による影響についても,審査の対象にし,判断しなければならない。
(ウ) 被告は,港湾区域の管理権限は港湾管理者にあると主張するが,被告自身,別訴において「そもそも,海は古来より自然のままで一般公衆の共同使用に供されてきたところの公共用物であって,国の直接の公法的支配に服する…から,港湾の利用方法については本来国が決定すべきであって,港湾法は,単に港湾の管理について地方公共団体に委ねているにすぎないというべきである。」と述べ(<証拠略>),本件水域が国の直接の公法的支配に服することを認めている。
イ 被告
(ア) 原告らの請求のうち,本件埋戻し請求は,人格権に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求と思われるところ,妨害排除請求及び妨害予防請求の相手方は,「現に妨害を生じさせている事実をその支配内に収めている者」または「現在妨害状態を惹起している者もしくはその妨害状態を除去しうべき地位にある者」とされている。
港湾法37条等によれば,港湾区域の管理権限は港湾管理者にあるところ,本件水域を含む港湾区域の管理権限は被告にはなく,また,本件水域は,日米地位協定2条に基づき,施設及び区域として米国が使用を許された水域の中に位置しており,日米地位協定3条1により,米国は,使用を許された施設及び区域において,それらの設定,運営,警護及び管理のため必要なすべての措置をとることができる。
したがって,被告は,本件水域の管理権限を有しないから,被告に対し,その管理権限の及ばない本件水域の埋戻し工事を義務付ける本件埋戻し請求は,主張自体失当である。
なお,港湾法56条の4第1項は,港湾管理者が同法37条1項等に違反した者に対して障害の除去や原状回復等を命ずることができると定めているにすぎず,これらの違反者が自ら原状回復等を行う権限を付与されたものでないことは明らかである。また,同法56条の4第1項の監督処分は,その対象として,同法37条3項に違反した者をあげていないから,仮に被告が同法37条3項に違反して浚渫工事等を行った場合でも,同法56条の4第1項の監督処分の対象にはならない。
(イ) 本件埋戻し請求において問題とされるべき被侵害利益は,本件浚渫工事が終了した後の本件水域の状態それ自体から直接侵害される蓋然性のある権利ないし利益をさすというべきであり,本件水域に入港する複数の艦船のうち一部の艦船自体から侵害される蓋然性のある権利ないし利益を含まないというべきである。したがって,仮に原告らが本件空母が入港した際の本件空母の事故等により原告らの生命,身体等が侵害される危険性を主張したとしても,本件埋戻し請求を基礎付けるものではないから,この点は本件の審理の対象にならず,この意味においても原告らの主張は,それ自体失当である。
(ウ) 港湾法56条の4第1項及び同法37条1項,鉱業法111条2項及び3項を法的根拠とする原告らの主張については,本件各請求が民事上の請求であるから,前記各行政法規の規定が法的根拠となり得ないから,失当である。
水質に関する原告らの主張は,被侵害利益を人格権とするのかそれ以外の権利とするのかが不明であるし,本件水域を埋め立てたり,本件空母の本件水域における通行等を差し止めたりすることが,どのような理由で本件水域の水質を回復させることにつながるのか全く不明であるから,それ自体失当といわざるを得ない。また,科学的・実証的証拠によれば,本件浚渫工事により本件水域の水質が海洋環境に影響を与えるほど悪化したとは到底認められないから,原告らのこの点についての主張は,その前提を誤っている。
(3) 争点(3)について
ア 原告
(ア) 被告は,米国の本件空母のために本件水域施設を本件浚渫工事によって完成させたものであり,それを現在米国の原子力空母である本件空母のために供用している。
このことから原告らは民法上も同様に,人格権に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求の内容として,工事された本件水域施設の目的であり,それを利用することになった艦船が,周辺住民の人格権を侵害する具体的危険性を発生させているときには,鉄道,道路等の供用の禁止を請求できるのと同様に,本件水域を供用させている被告に対し,本件水域を使用させること,供用の禁止を求めることができると解すべきである。
(イ) 核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(以下「原子炉等規制法」という。)23条の2第1項は,外国原子力船の本邦水域立入り,保持について,国土交通大臣の許可を得ることとし,同法36条の2第2項において,立入りにつき,国土交通大臣に予め届け出をし,同条4項において国土交通大臣は原子炉災害を防止するために必要な措置を講ずべきことを命ずるとともに,港長に対し当該原子力船の航行に関し,必要な規制をすべきことを指示するものとすると規定している。そして,港則法37条の2第1項は,港長は原子炉等規制法36条の2第4項の規定による国土交通大臣の指示があったとき,若しくは原子炉による災害を防止するため必要があると認めるときは原子力船に対して,航路,停泊停留場所を指定し,航法を指示し,移動を制限し,退去を命ずることができると規定している。
このことからも,民法上も人格権に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求の内容として被告の本件水域施設の建設及び供用による本件空母の入港が,原子炉災害により原告らの人格権が侵害される具体的危険性を生じさせている場合には,それを除去するために,被告は,原告らに対し,港則法に基づく原子力船に対する航路,停泊停留場所を指定し,航法を指示し,移動を制限し,退去を命ずることと同様の行為を求める信義則上の義務を負うものと解される。
(ウ) 米軍には,日米地位協定16条により,日本国の法令尊重義務が課されているから,日本の領海内の米軍艦船にも,日本国の国内法の適用がある。また,本件水域は提供水域と言っても立入制限水域ではなく,漁業等一部の行為が制限されているに過ぎず,それ以外については日本国の国内法の適用があり,現実に海上保安部の権限が行使されている。さらに,港則法37条の2第2項は,入港の際,港の境界外で,港長の指揮を受けなければならないと規定しており,提供水域外における港長の指揮によっても,権限の行使が可能である。
日米地位協定についての合意議事録5条に関する規定4が「この条に特に定めのある場合を除くほか,日本国の法令が適用される」と定めているところ,ここにいう「日本国の法令」は,船舶・航空機の運行,車両,人員の通行行為自体を規制する法令と解され,具体的には,道路法・道路交通法の関係諸規定,自動車の保管場所の確保等に関する法律,航空法,港則法,海上衝突予防法等が該当すると考えられる。そして,現実にも米軍艦船に対しても,被告の海上保安部は,浦賀水道や横須賀港内において,航路,航法等の指示を,港湾法,海上衝突予防法に基づいて行い,その指示が及んでいるから,その航行を規制し,制限することのできる立場にある。
米イージス艦□□は,平成21年2月15日,横須賀港内でプレジャーボートと衝突事故を起こしたところ,これについて横須賀海上保安部は,同年3月23日,米艦長らを業務上過失往来妨害罪の嫌疑で書類送検した。このことは,米軍艦船に対して日本国法令が適用される前提で行われたにほかならない。
(エ) 昭和39年8月17日付け(<証拠略>)及び昭和42年10月20日付け(<証拠略>)の各エード・メモワールは,米国政府及び被告間の討議の結果,被告の質問に対する米国政府の回答として被告に提出されたものであるから,米国政府と被告との間の国際的合意内容を記した文書であり,米国の原子力潜水艦及び原子力空母に適用される国際法の内容を定めたものであるから,条約法に関するウィーン条約(以下「ウィーン条約」という。)にいう条約に該当し,その内容は米国及び被告を拘束する。そして,前記各エード・メモワールは,原子力軍艦に関しては,エード・メモワールに約束された条件を米国が厳守する限り被告が入港を認めるという内容であり,米国の原子力軍艦がエード・メモワールに約束された条件に違反すれば,被告には,その入港を認めない権利が生じる。
本件空母については,平成21年1月5日から4か月間横須賀基地において,原子炉関連の修理作業を行った。これは,エード・メモワールの,[1]「通常の原子力潜水艦の燃料交換及び動力装置の修理を日本国又はその領海内において行なうことは考えられていない。」,[2]「放射能にさらされた物質は,通常,外国の港にある間は,通常の原子力潜水艦から搬出されることはない。」,[3]「固形廃棄物は,承認された手続に従い,通常の原子力潜水艦によって合衆国の沿岸の施設又は専用の施設船に運ばれたのち,包装され,かつ,合衆国内に埋められる。」という条項に反する。
したがって,被告は,原告らの人格権等の侵害を防止するために,米国に対し,エード・メモワール違反を理由に本件空母の通行,入港等を制約ないし制限し得る立場にある。
(オ) 被告は,米軍艦船の通行等を制約ないし制限し得る条約ないしこれに基づく国内法令の定めはないとして,本件空母通行等禁止請求は許されないと主張するけれども,原告らは,米軍艦船の運航そのものの差止めを求めているのではなく,被告が建設した本件水域施設を,被告がその建設目的に沿って通行,供用させることの禁止を求めているにすぎない。すなわち,原告らは人格権に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求の内容として,工事された本件水域施設の目的であり,それを利用することとなった艦船が,周辺住民の人格権を侵害する具体的危険性を発生させているときには,鉄道,道路等の供用の禁止を請求できるのと同様に,本件水域施設を供用させている被告に対し,本件水域施設を使用させること,供用の禁止を求めているのであり,米軍艦船の運航そのものの差止めを求めているのではないから,被告の主張は失当である。
また,航空機の差止訴訟と異なり,前記のとおり,米軍艦船等の通行等を制約し得る国内法の定めとして,港則法37条の2第1項後段が存し,航空機の差止訴訟の判例は直ちに妥当しない。
(カ) 被告は,米軍の管理権に関して,基地,制限水域,それ以外の港湾区域をまったく混同する議論をしている。原告らが指摘しているのは,[1]港長が権限を行使している水域のうちの浚渫水域及びそれに隣接する浚渫水域への出入りのため通過が必要な水域,[2]制限水域に隣接し,制限水域及び浚渫水域への出入りのための通過が必要な水域における港長の権限行使は,日米地位協定5条の日本国の法令が適用される施設・区域間の移動の問題であって,何ら米軍の管理権と何ら矛盾することなく行使でき,また現に行使されているということなのであって,何ら本件空母通行等禁止請求の障害とはなり得ない。
イ 被告
(ア) 本件水域は,「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和35年条約第6号,以下「日米安保条約」という。)及び日米地位協定に基づき,被告が米軍の使用する施設及び区域として米国に提供した提供水域内にあるところ(<証拠略>),一般国際法上,駐留を認められた外国軍隊には特別の取決めがない限り接受国の法令は適用されず,被告が提供水域内における米軍艦船の通行等を制約ないし制限し得る条約ないしこれに基づく国内法令の定めはない。
そうすると,原告らの本件空母通行等禁止請求は,被告に対し,その支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものであり,主張自体失当として棄却を免れない(最高裁判所平成5年2月25日第一小法廷判決・民集47巻2号643頁等参照)。
(イ) 原告らは,日米地位協定16条が米軍の日本国法令尊重義務を定めており,また,本件水域が立入制限水域でないと主張する。
しかしながら,日米地位協定16条は,米軍の構成員等が我が国の国内法令を尊重すべき一般国際法上の義務を規定したものであるが,同条を直接の根拠として我が国の国内法令が米軍にも適用されると解することはできない。
また,本件水域が立入制限水域でないからといって,提供水域内における米軍艦船の通行等を被告が制約ないし制限し得る条約ないしこれに基づく国内法令の定めがないことに変わりはない。
(ウ) 原告らは,日米地位協定についての合意議事録5条に関する規定4が「この条に特に定めのある場合を除くほか,日本国の法令が適用される」と定め,港則法37条の2が海上保安官である港長に原子力船に対する航路等の指定・移動の制限・退去命令等の権限を定めていることを主張する。
しかしながら,一般国際法上,駐留を認められた外国軍隊には特別の取決めがない限り接受国の法令は適用されず,このことは我が国に駐留する米軍についても同様である。そして,日米地位協定についての合意議事録5条に関する規定4における「日本国の法令」とは,日米地位協定5条の趣旨からして,船舶,航空機等の通行主体の通行行為自体を通行秩序の維持という観点に立って規制する法令を指すと解すべきである。したがって,例えば,港則法や海上衝突予防法の規定のうち,船舶の通行秩序の維持に直接関わる条項が,これに該当するのであって,原告らの指摘する港則法37条の2の規定は米軍艦船には適用されない。そもそも,米軍艦船は,日米地位協定5条2に基づき,米国が使用を認められた施設及び区域への出入りが認められており,また,日米地位協定3条1に基づき,米国は,その使用を許された施設及び区域内において,それらの設定,運営,警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができるから,その施設及び区域内においては,海上保安官である港長においても,米国のこうした管理権を侵害するような活動は,たとえ港則法等に基づく活動であっても行うことはできない。
(エ) 原告らは,米国軍艦の艦長らに対して海上保安部の捜査権限が行使された例があることを理由に,被告が本件空母の航行を規制し,制限できると主張する。
しかしながら,横須賀海上保安部は,日米地位協定17条3及び「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」14条1項に基づき,捜査を行ったものであり,本件空母通行等禁止請求の当否とは何ら関係がない。
(オ) 原告らの,信義則に関する主張は,信義則についての具体的意味内容が不明であり,また,生命・身体等を内容とする人格権に基づく請求とどのような関係に立つかも不明である。よって,信義則を法的根拠とする主張は,この点だけからしても失当というほかない。
原子炉等規制法23条の2第1項,36条の2第2項及び同条4項並びに港則法37条の2第1項及び第2項を法的根拠とする原告らの主張については,本件各請求が民事上の請求であるから,前記各行政法規の規定が法的根拠となり得ないから,失当である。
(カ) 原告らはエード・メモワール(<証拠略>)がウィーン条約にいう条約に該当することを前提に,エード・メモワール違反を理由に本件空母の通行,入港等を制約ないし制限し得ると主張するが,前記エード・メモワールは,一方当事者国から他方当事者国に宛てて発せられた備忘的性格の文書であり,国際法によって規律される合意ではなく,法的拘束力を有しないから,原告らのこの点についての主張は前提を欠く。また,米海軍が「動力装置」ないし「原子炉」を修理した事実は認められないし,前記エード・メモワールにいう「放射能にさらされた物質は,通常,外国の港にある間は,通常の原子力潜水艦から搬出されることはない。」というのは,通常,放射能にさらされた物質が外国に陸揚げされることはないという意味であり,非常に低レベルの放射能にさらされた物を本件空母からコンテナに収めて別の米軍艦船に移送し,外国に陸揚げすることなく,そのまま米国に運ぶ行為はこれに該当しないから,この点でも,原告らの主張は失当である。
(キ) 原告らはア(オ)のとおり反論するが,本件水域の一部が立入禁止区域でないからといって,提供水域内であることに変わりはないから,提供水域内における米軍艦船の通行等を被告が制約ないし制限し得る条約ないしこれに基づく国内法令の定めがないことには変わりはない。また,そこでいう[2]の水域は,本訴における原告らの請求の範囲を超えているから,主張自体失当である。
第3争点に対する判断
1 本件各争点についての判断に先立ち,本件浚渫工事に至る経緯等について判断するに,第2・1記載の事実に,証拠(<略>)を総合すれば,以下の事実を認めることができ,他にこの認定事実を覆すに足りる証拠はない。
(ア) 米海軍は,平成17年10月28日,平成20年に△△が退役し,ニミッツ級原子力空母と交替することを発表し,次いで,平成17年12月,後継艦が原子力空母である本件空母であると発表した。これは,米海軍が保有している12隻のうち,軽油を燃料とする通常型空母は△△と◇◇の2隻であるところ,△△は,昭和36年に就役した当時の現役最古の空母であり,平成20年に退役することが決定されており,昭和43年に就役した◇◇も老朽化が激しく,艦載機の離発着もできないことから,早期に退役させる方針であったからであった。
本件空母は,全長332.85メートル,全幅40.84メートル,排水量約9万7000トン,速力約30ノット,搭載航空機約85機であり,推進機関として加圧水型原子炉2基,蒸気タービンを備えた原子力空母であって,平成4年7月に就役したニミッツ級空母である。
(イ) 米国が平成18年4月17日に公表した「合衆国原子力軍艦の安全性に関するファクトシート」と題する説明文書には,[1]1964年以降,米軍の原子力軍艦(潜水艦,空母等)が1200回以上日本の港(横須賀,佐世保及びホワイトビーチ)に寄港したが,日米両政府が実施してきた放射能調査によれば,その運航で周辺の環境中の一般的なバックグラウンド放射能の増加を引き起こしていないこと,[2]米国は,△△から本件空母に交替した後も,従来よりの安全性に関する保証を堅持することを確約し,引き続き日本で原子炉の修理や燃料交換は行わず,空母の停泊中は通常原子炉を停止することなどが記載されていた。
もっとも,上記ファクトシートの記載内容に関しては,米海軍の原子力軍艦が米国内で複数の事故が発生しているとして,その記載内容に疑問を呈する内容のリーフレット等も存在している。
(ウ) B外務大臣は,平成18年6月12日,C市長と会談し,C市長は,同月14日,市議会全員協議会で「通常型空母の可能性がゼロになった今,現実を直視し,原子力空母の入港もやむを得ないことと受け止め,市民の安全を守り,市民に不安を与えないように必要な体制整備を日米政府に求めたい」などとして,原子力空母の横須賀基地配備を受け容れる旨の発表をした。
(エ) 被告と米国は,平成18年6月,日米地位協定25条1に基づいて設置され,米軍が使用するため必要とされる日本国内の施設及び区域の決定などを行う日米合同委員会において,本件浚渫工事を被告が実施することを合意し,外務省及び防衛施設庁は,同月15日,その旨を発表した。
本件浚渫工事は,本件空母の配置のために横須賀港海域内で水深15.24メートルまで浚渫をする必要があったことから行われるものであって,平成19年3月28日から平成20年5月31日までを契約工期とし,横須賀港の米海軍への提供水域内(神奈川県横須賀市<略>)を浚渫するもので,その規模は,水域面積約30ヘクタール,総土量約60立方メートル,水深約50フィート(約15.24メートル)である。
(オ) ところで,横須賀市夏島町地先最北端(北緯35度19分49秒,東経139度38分26秒)の地点,同地点から63度50分2,470メートルの地点,同地点から46度30分1,450メートルの地点,観音埼燈台(北緯35度15分22秒,東経139度44分43秒)から90度1,000メートルの地点及び同地点から海瀬島燈標(北緯35度12分43秒,東経139度44分07秒)を見透し7,000メートルの地点を順次に結んだ線,同地点から290度に引いた線並びに陸岸により囲まれた海面は,港湾法33条1項により横須賀市が港湾管理者と定められている。
ところで,提供水域とは,日米安保条約6条及び日米地位協定2条1に基づき,施設及び区域として米国が使用を許された水域をいい,このうちの「常時立入禁止水域」とは,提供水域内の一部において設けられている特殊制限規則が設けられた水域をいう。
本件水域及び日米安保条約及び日米地位協定に基づき,被告が米軍の使用する施設及び区域として米国に提供した提供水域(以下「本件提供水域」という。)の位置関係は,別紙図面<略>のとおりであり,本件水域は,本件提供水域内にある。そして,日米地位協定3条1によれば,米国は,日米地位協定2条に基づき使用を許された施設及び区域において,それらの設定,運営,警護及び管理のために必要なすべての措置を執ることができるところ,このことは本件提供水域においても妥当する。
(カ) D神奈川県知事は,平成18年8月16日,定例記者会見で,「原子力空母への交代はやむを得ない」と,通常型空母から原子力空母への交替を受け入れる旨発言した。
横浜防衛施設局は,横須賀港の港湾管理者である横須賀市に対し,ボーリング調査のため,平成18年8月3日付け「水域(公共空地)占用協議書」を提出し,C市長は,同月31日,A施設局長に対し,本件浚渫工事のための事前調査の結果を取りまとめ後に速やかに横須賀市へ提出するように求めた。A施設局長は,本件水域の8カ所においてボーリング調査,3カ所での水質調査を実施し,同年11月30日,調査結果をC市長宛に提出した。
A施設局長は,平成19年2月21日,同年6月1日から平成20年5月31日までの間,60万立方メートルの本件浚渫工事に伴う水底土砂を海洋に投入するため,E環境大臣に対し,海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律10条の6第1項に基づき,廃棄物海洋投入処分許可申請書を提出し,E環境大臣は,平成19年4月5日,これを許可した。この廃棄物海洋投入処分許可申請書においては,廃棄物を海洋投入処分する期間を同年6月1日から平成20年5月31日までとし,廃棄物の数量を60万立方メートル,排出海域を北緯34度13分00秒,東経140度38分00秒とする半径7キロメートルの海域としていた。
(キ) 本件水域を含む海域に漁業権を有するa漁業協同組合は,平成18年9月21日付け「横須賀海軍施設水域内における浚渫工事について(照会)」と題する書面で,横浜防衛施設局長に対し,提供水域内における本件浚渫工事が周辺水域における漁業活動に重大な影響を与えるおそれが大きいことを懸念し,ヘドロの汚染状況等についての情報開示,補償等についての回答を求めた。横浜防衛施設局は,前記a漁業協同組合に対し,同年12月26日付け書面で,前記照会に対する回答をするとともに,平成19年3月,前記a漁業協同組合に対し,本件浚渫工事の概要を説明し,同組合は,同月28日,横浜防衛施設局に対し,本件浚渫工事に同意する旨の回答をした。
A施設局長は,平成19年3月28日付けの書面で,横須賀市に対し,本件浚渫工事に必要な港湾法37条1項3号,同条3項の工事協議書を提出し,協議に応じるように求めたところ,横須賀市は,同年4月26日付け書面で,「1.港湾法及び横須賀港港湾管理条例の各規定を遵守すること。2.工事着手の際は工事着手届を,工事完了の際は工事完了届を,それぞれ提出すること。3.工事中は,事故等がないよう十分注意すること。万一,事故や水質汚濁等が発生した場合には,速やかに連絡の上,責任を持って対処すること。4.協議内容に疑義が生じた場合又は変更を行う場合には,速やかに相談すること」に留意することを求めた上で,これに応じる旨の回答をした。
(ク) 横浜防衛施設局は,平成19年8月10日,b工業建設共同企業体に請け負わせて,本件水域において本件浚渫工事を開始したが,その費用は28億円であった。
前記共同企業体が作成した施工計画書によれば,本件浚渫工事の施工は,スパット式グラブ浚渫船2隻と土運船を用いて行われる。そして,シルト層の浚渫は23メートル3級グラブを使用し,浚渫土砂は土運船に積み込み,吾妻島沖提供水域内及び浚渫施工区域内に押船で曳航し,ガット船に積み替える。一方,軟岩層の浚渫は11.5メートル3級グラブを使用し,シルト層と同様に土運船に積み込み,押船で曳航し,ガット船に積み替える。浚渫の施工中は周辺水域の水質を保全するため,汚濁防止膜で囲まれた区域で,浚渫船に汚濁防止枠を装備し,汚濁拡散防止に努めるとされていた。
本件浚渫工事は,平成20年5月28日における横須賀市との変更協議を経て,同年8月15日に完成した。F南関東防衛局長は,同年8月28日付け書面で,前記共同企業体に対し,本件浚渫工事の完成検査を了した旨通知し,次いで,横須賀市に対し,同月29日付け書面で,本件浚渫工事の工事完了届けを提出して,一切の工事及び作業を終了した。
(ケ) 本件空母では,平成20年5月22日,南米沖の太平洋上において,艦上で消火に約12時間を要した火災が発生し,3800以上ある艦上の区画のうち,約80区画が被害を受けた。その火災の原因について,米海軍航空部隊司令官は,同年7月31日に行った記者発表で,規則上認められない喫煙を原因として,隣接した区画に不適切に保管されていた可燃性液体(冷媒圧縮油)及び他の可燃性物資に引火したことによる可能性が高いと発表した。
(コ) 本件空母は,平成20年8月22日前記火災のためにカリフォルニア州サンディエゴ市での修理を終え,同年9月25日,横須賀基地に入港した。
2(1) 以上の認定事実を踏まえて,争点(2),すなわち,原告らの請求のうち,本件埋戻し請求が許されるか否かについて検討する。
本件埋戻し請求は,本件水域を本件空母が使用,通行することにより放射線被曝等の生命身体等に対する危険を理由とする人格権等に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求若しくは原告X1の漁業を営む権利に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求として求められているところ,排他的権利である人格権,物権等に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求は,その性質上,人格権等に対して現在妨害状態を惹起している者もしくはその妨害状態を除去し得べき地位にある者に対してなされるものであることは明らかである。けだし,そうでなければ,妨害排除請求及び妨害予防請求は,実効性を有しないし,それ以外の者が妨害排除等を命じられても不可能を強いられることになるからである。
ところが,先に認定したとおり,本件水域は,日米安保条約及び日米地位協定に基づき,被告が米軍の使用する施設及び区域として米国に提供した提供水域内にあることが認められ,米国には,本件提供水域について,設定,運営,警護及び管理のために必要なすべての措置を執る管理権限が存する反面,港湾法上の港湾管理者とも認められない被告は,本件水域について管理権限を有していない。そして,先に認定したとおり,被告は,日米合同委員会における合意に基づき,港湾管理者の協議等を経て本件浚渫工事を実施したものであるが,以上のとおり,本件提供水域について管理権限を有していない以上,本件埋戻し請求に係る本件水域の埋戻しを実行できるものとは認められない。
そうであれば,原告らの本件埋戻し請求は,本件水域を本件空母が使用,通行することにより放射線被曝等の生命身体等に対する危険を理由とする人格権等に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求若しくは原告X1の漁業を営む権利に基づく妨害排除請求及び妨害予防請求として,本件水域に対して直接的な管理権を有しない被告に対し,浚渫土砂の埋戻し工事を求めることに帰着する。
したがって,原告らの本件埋戻し請求は,その余の点について判断するまでもなく,妨害排除請求及び妨害予防請求の相手方を誤ったものであり,理由がないことは明らかである。
(2) 原告らは,原状回復工事として被告に対して本件埋戻し請求をする旨主張するけれども,原告らが,法的根拠規定として主張する港湾法56条の4第1項において,同法37条1項に違反して工事等をした者に対する障害の除去又は現状の回復を命ずることができる者は,港湾管理者であるところ,先に認定したとおり,本件水域の港湾管理者は被告ではなく,横須賀市であるから,港湾法56条の4第1項を根拠として,原状回復工事として被告に対して本件埋戻し請求をすることはできないというべきである。
(3) 原告らは,本件浚渫工事と横須賀海軍施設への本件空母配備は一体の関係にあり,本件埋戻し請求の根拠となる原告らへの被害についても,単に本件浚渫工事自体の影響だけではなく,その目的と不可分一体の関係にあり,その工事の結果,航路が開発されて,横須賀港を利用する本件空母の配備による影響についても,審査の対象にし,判断しなければならないと主張する。
しかしながら,本件埋戻し請求は,本件浚渫工事により被害が発生することを前提に,その回復のために浚渫した土砂等の埋戻しを請求するものであるから,本件埋戻し請求において問題になる被侵害利益は,本件浚渫工事がなされた後の本件水域の状態から直接に生じる不利益をいうべきであって,本件水域を航行する艦船によりもたらされる不利益はこれに該当しないというべきである。したがって,この点に関する原告らの主張は,前記認定,判断を左右しない。
3(1) 1記載の認定事実を踏まえて,争点(3),すなわち,原告らの請求のうち,米国の本件空母通行等禁止請求が許されるか否かについて検討する。
先に認定したとおり,本件水域は,日米安保条約及び日米地位協定に基づき,被告が米軍の使用する施設及び区域として米国に提供した提供水域内にあることが認められる。
以上のように,本件水域に係る被告と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから,被告は,条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めがない限り,米軍の本件空母の管理運営の権限を制約し,その活動を制限し得るものではないところ(最高裁判所昭和62年(オ)第58号同裁判所平成5年2月25日第一小法廷判決・民集47巻2号643頁参照),被告が前記条約に基づいて米国に提供した提供水域内における米軍艦船の通行等を制約したり,制限し得る条約等の定めやこれに基づく国内法の定めは存在しない。
したがって,原告らの請求のうち,本件空母通行等禁止請求は,被告に対し,その支配に及ばない第三者の行為について差止めを請求することを求めるものに他ならず,その余の点について判断するまでもなく,主張自体失当として棄却を免れない。
(2) 原告らは,米軍には,日米地位協定16条により,日本国の法令尊重義務が課されているから,日本の領海内の米軍艦船にも,日本国の国内法の適用があると主張し,これを前提に本件空母通行等禁止請求を根拠付けようとする。
確かに日米地位協定16条は,「日本国において,日本国の法令を尊重し,及びこの協定の精神に反する活動,特に政治的活動を慎むことは,合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族の義務である。」と定めている。
しかしながら,この規定は,米国の軍隊の構成員らが我が国の法秩序を尊重擁護すべき一般的義務を定めたものにすぎないと解され,同条から米国の軍隊に対しても,我が国の国内法令が直ちに適用されるとまでは解することができない。
(3) 原告らは,本件水域は提供水域と言っても立入制限水域ではなく,漁業等一部の行為が制限されているに過ぎないと主張するけれども,本件水域が立入制限水域でないとしても,提供水域であることに変わりはなく,米国に対する提供水域内において米軍艦船等の通行等を制約したり,制限し得る条約等の定めやこれに基づく国内法の定めは存在しない以上,それが立入制限水域であるか否かは,本件空母通行等禁止請求の当否を左右しないことは明らかであって,この点についての原告らの主張も理由がない。
(4) 原告らは,日米地位協定についての合意議事録5条に関する規定4が「この条に特に定めのある場合を除くほか,日本国の法令が適用される」と定め,港則法37条の2が海上保安官である港長に原子力船に対する航路等の指定・移動の制限・退去命令等の権限を定めていることを主張するけれども,一般国際法上,駐留を認められた外国軍隊には特別の取決めがない限り接受国の法令は適用されず,このことは我が国に駐留する米軍についても同様である。また,先に判示したとおり,提供水域とは,日米安保条約6条及び日米地位協定2条1に基づき,施設及び区域として米国が使用を許された水域をいい,日米地位協定3条1によれば,米国は,日米地位協定2条に基づき使用を許された施設及び区域において,それらの設定,運営,警護及び管理のために必要なすべての措置を執ることができるから,本件空母通行等禁止請求で問題になるのは,日米地位協定2条及び3条1の解釈問題であって,日米地位協定についての合意議事録5条に関する規定4の解釈問題ではないことからも,この点についての原告らの主張は理由がない。
(5) 原告らは,横須賀海上保安部が平成21年3月23日に米イージス艦□□の艦長らを業務上過失往来妨害罪の嫌疑で書類送検したことを理由に,米軍艦船に対しても,その航行を規制し,制限することのできる立場にあると主張する。
しかしながら,日米地位協定17条3は,「裁判権を行使する権利が競合する場合には,次の規定が適用される。(a)合衆国の軍当局は,次の罪については,合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して裁判権を行使する第一次の権利を有する。(i)もっぱら合衆国の財産若しくは安全のみに対する罪又はもっぱら合衆国軍隊の他の構成員若しくは軍属若しくは合衆国軍隊の構成員若しくは軍属の家族の身体若しくは財産のみに対する罪(ii)公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪(b)その他の罪については,日本国の当局が,裁判権を行使する第一次の権利を有する。」等と定め,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法14条1項は,「協定により合衆国軍事裁判所が裁判権を行使する事件であっても,日本国の法令による罪に係る事件については,検察官,検察事務官又は司法警察職員は,捜査することができる。」と定めている。こうした規定に照らして考えれば,原告らの指摘する米イージス艦□□の艦長らを業務上過失往来妨害罪の嫌疑で書類送検した事案は,法令等に根拠を有する捜査権限の行使として行われたものと認められ,本件空母通行等禁止請求の当否を左右するものではないというべきである。
(6) 原告らは,原告らの人格権等の侵害を防止するために,米国に対し,エード・メモワール違反を理由に本件空母の通行等を制約ないし制限し得る立場にあると主張する。
条約法に関して定めるウィーン条約第2条1項(a)によれば,ウィーン条約の適用上,条約とは,「国の間において文書の形式により締結され,国際法によって規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず,また,名称のいかんを問わない。)をいう。」と定義され,こうした条約については,「『合意は守られなければならない』効力を有するすべての条約は,当事国を拘束し,当事国は,これらの条約を誠実に履行しなければならない」(ウィーン条約26条),「当事国は,条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない。この規則は,第四十六条の規定の適用を妨げるものではない。」(ウィーン条約27条)などの効力が発生する。
しかしながら,原告らの主張するエード・メモワール(<証拠略>)は,いずれも,その前文に,「合衆国政府は,日本国民の懸念を承知しているので,(中略)権利を行使するに先だって,日本国政府とこの問題を討議することとした。」とあり,続いて,「合衆国は,(中略)通常の原子力潜水艦の安全性,補償及び関連事項に関する質問に対して次に述べられているとおりの回答を行なった。」(<証拠略>),「大使館の代表者は,通常の原子力潜水艦の寄港に関する1964年8月17日付けのエード・メモワールにいう原子炉の安全性及び運航に関する諸点並びに責任及び補償に関する諸点(中略)は,合衆国の原子力水上軍艦にも等しく適用される旨言明した。」(<証拠略>)旨記載されていることからして,米国と被告との間の合意とは認められず,米国が被告に宛てた回答の文書と認められ,ウィーン条約第2条にいう米国と被告との間の条約とは認められない。したがって,国際法によって規律される国際的な合意ではなく,法的拘束力は有しないからその余の点について判断するまでもなく,エード・メモワールに関する原告らの主張も理由がない。
4 結論
以上,2及び3で判示した事実によれば,原告らの本訴請求は,争点(1)について判示するまでもなく,いずれも理由がないことが明らかである。
したがって,原告らの本訴請求をいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり,判決する。
(裁判官 深見敏正 裁判官 立野みすず 裁判官 林まなみ)