横浜地方裁判所 平成22年(わ)2164号 判決 2012年2月06日
主文
被告人を懲役12年に処する。
未決勾留日数中360日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成22年4月下旬頃から同年5月上旬頃までの間,横浜市神奈川区<以下略>所在の被告人方又はその周辺において,実母である甲野花子(当時82歳)に対し,その頭部を拳骨その他の鈍体で多数回殴打するなどし,よって,その頃,同所において,同人を頭部打撲による外傷性くも膜下出血により死亡させた。
第2 同年5月上旬頃,前記甲野の死体を,全裸にし,ランドリーバッグに入れた上,それにストックアンカー3本(重量合計43kg)を付けるなどして,同市鶴見区鶴見中央<番地略>先の鶴見川内に投棄し,もって死体を遺棄した。
第3 前記第1のとおり死亡した甲野名義のキャッシュカードを使用して現金を窃取しようと企て,別紙一覧表記載のとおり,同年6月15日から同年11月20日までの間,前後14回にわたり,同区豊岡町<番地略>所在の三井住友銀行鶴見支店等8か所において,各所に設置された現金自動預払機に同人名義のキャッシュカード2枚を挿入して同機を作動させ,株式会社三井住友銀行鶴見支店支店長Aら8名管理の現金合計65万5000円を引き出して窃取した。
(証拠の標目)<省略>
(事実認定の補足説明)
1 争点
弁護人は,第1の傷害致死及び第2の死体遺棄の各事実について,被告人は犯人ではないと主張し,第3の窃盗の各事実については,被告人が預金を引き出したことに間違いないが,被告人は,甲野花子(以下「甲野」という。)の唯一の相続人であり,また,甲野が死亡したことを知らなかったから,窃盗罪は成立しないと主張し,被告人も,これに沿う供述をするので,以下検討する。
2 前提となる事実
以下の事実は,検察官及び弁護人の間でおおむね争いがなく,証拠上も明らかに認められる。
(1)本件死体の発見状況
平成22年5月10日(以下,日付は,特に断らない限り,平成22年のものである。),横浜市鶴見区鶴見中央<番地略>先の鶴見川内でランドリーバッグに入れられた死体(以下「本件死体」という。)が発見された(甲5)。本件死体は,60歳から80歳代くらいの女性のもので,身長約140cm,体重約32kg,胃が全摘出された手術痕があり(甲12),全裸で,頭髪はバリカン様のもので丸刈りにされており,身元が分かるものはなかった(甲6,171)。本件死体が入れられていたランドリーバッグは,3本のストックアンカー
(金属製の船舶用のいかり)が付けられており,その重量は,それぞれ26kg,10kg,7kgであり,さらに,緑色ロープ(以下「本件ロープ」という。)でダンベルプレートも結び付けられていた(甲13,91,170)。
(2)死因及び死亡時期等
司法解剖の結果,本件死体には,頭部に5か所の傷があるほか,両腕及び両足等に,合計18か所の傷
(そのうち2つは,死後に生じたもの)があり,これらの傷は,拳骨その他の鈍体により,比較的軽い力で,多数回殴られるなどして出来たものである。本件死体の死因は,頭部打撲による外傷性くも膜下出血と認められ,死亡時期は,4月下旬から5月上旬頃で,水中に投棄されたのは,解剖時(死体発見の翌日)から二,三日ないし数日前であると認められた(以上,証人Bの供述,甲12)。
(3)ストックアンカーの所有者等
上記各ストックアンカーは,いずれも死体発見現場付近の桟橋や付近に係留されていた船舶に保管されていたものであり,26kgのストックアンカーは,C丸の船主であるC(以下「C」という。)が所有するものであった(証人Cの証言,甲18,22,160)。
(4)本件死体の特定
本件死体は,10月27日になって,DNA型の鑑定により,被告人の実母である甲野であることが判明した(甲172)。
3 死体遺棄の犯人性について
(1)ストックアンカーを持ち去ろうとした男と被告人との同一性について
ア Cの証言について
(ア)Cは,公判廷において,「5月4日午後5時25分頃,午後5時30分に出航する釣り船の準備をしていたところ,見知らぬ男が,3か所ある桟橋のうち一番下流側の桟橋に立て掛けてあったストックアンカー
(26kgのもの)を持ち去ろうとしているのに気付いた。私は,その男に駆け寄って,1ないし1.5mの所から声を掛けた。すると,その男は,『あっ,C丸さんのですね。』『じゃあ,戻しときます。』などと答えた。男は,年齢60歳代前半くらいで,上下紺色の作業服のようなものを着用し,緑色の線が入った白いヘルメットをかぶり,黒っぽい作業靴を履いており,身長は1m60cm台前半くらいで,がっちりした体格であった。」と証言する。
(イ)Cは,被告人とは面識がなく,あえて虚偽の供述をする理由がない。また,自分のストックアンカーを持ち去ろうとする男(以下「Cが目撃した男」という。)に注意をして,一,二分間会話をしたのであるから,その男のことが印象に残っていたはずであり,その特徴の観察及び記憶の正確性は高いといえる。加えて,Cは,日時についても,2日後の定休日が待ち遠しかったことや,出航時刻の間際であったことを根拠に供述しており,その証言は正確であると考えられる。したがって,Cの証言は,信用性が高いといえる。
イ Cが目撃した男と被告人との同一性について
(ア)鶴見川に設置された防犯カメラには,5月4日午後5時13分頃,鶴見川の下流方向から臨港鶴見川橋に向かって自転車で走行する男が映っており,この男は,同日午後5時17分頃臨港鶴見川橋の下付近に自転車を停めた後,同日午後5時31分頃再び同橋の下に現れるまで画像から姿を消し,その後,鶴見川沿いを歩き回るなどした上,同日午後6時18分頃自転車に乗り,午後6時27分頃走り去った。この男は,紺色っぽい衣服を着用し,白いヘルメットのようなものをかぶっており,ハンドルが水平になった前かご付きの自転車に乗っていた(甲100)。
また,臨港鶴見川橋西側の道路沿いにある同区鶴見中央<番地略>所在のマンション「マンション鶴見」に設置された防犯カメラには,同日午後6時30分頃,自転車に乗った男の姿が映っていた。この男は,上下紺色の作業服,緑色の線の入った白色ヘルメット,黒っぽい靴を着用し,ハンドルが水平になった前かご付きの自転車に乗っていた(甲102)。
(イ)これらの画像の鑑定(甲152)を行ったD(以下「D」という。)は,鶴見川付近の防犯カメラの画像の男と,上記マンションの防犯カメラの画像の男とは,時間的・場所的に近接した地点で撮影されており,自転車に乗る姿勢,自転車の形,衣服の色等が酷似していて,同一人物であり,さらに,被告人とも同一人物である可能性が極めて高いとの意見を述べている。Dの鑑定は,専門家としての科学的知見に基づくものであり,その手法等に照らしても十分信用することができる(なお,被告人も,公判廷において,これらの場所をよく通るので,これらの画像の男は自分のようだと自認している。)。
(ウ)そこで,Cが目撃した男と,これらの防犯カメラの画像の男との同一性についてみると,Cが目撃した男と防犯カメラの画像の男は,いずれも上下紺色の作業服のようなものを着用し,緑色の線が入っている白いヘルメットをかぶり,黒っぽい靴を履いているという点で,特徴が一致する。また,Cが男を目撃して声を掛けた時間帯は,防犯カメラの画像の男が臨港鶴見川橋の下で姿を消し,再び同橋の下に現れるまでの時間帯に含まれており,同じ時間帯に,これほど特徴の一致する人物が同じ場所にいたとも考えられない。そうすると,Cが目撃した男と,防犯カメラの画像の男とは,同一人物であり,被告人であると認められる。このことは,11月22日の捜索の際,被告人方から,紺色の上下作業服,黒の作業靴,緑色の線の入った白色ヘルメット及びハンドルが水平で前かご付きの自転車が発見されたこと(甲85ないし87,176)や,被告人がこれらを日常的に着用,使用していたことからも裏付けられる。
(2)被告人が箱を載せた台車を鶴見川方面に向けて押していたことについて
ア E(以下「E」という。)は,公判廷において,「私は,被告人とは,飲み屋で会って話をしたり,町中ですれ違って挨拶をしたりする程度の仲で,被告人のことを『甲ちゃん』と呼んでいた。4月か5月の夜8時以降に,国道15号線の大黒町入口交差点から生麦ランプ方向に進んだ1つ目の信号のある交差点で,台車を押している被告人とすれ違った。被告人は,新子安駅方向から鶴見川方向へ直進しており,私が『よう,甲ちゃん。』と声を掛けると,被告人は,『ああ,どうもどうも。』と言った。その時,どこに行くのか聞くと,被告人は,進行方向に向かって,『あっち。』と答えた。被告人は,紺色の作業着を着ていた。台車は,幅が四,五〇cm,長さが七,八〇cmで,台車の幅いっぱいの箱のようなものが載せられており,被告人は,片手で台車の取っ手を持ち,もう片方の手で荷物を押さえながら歩いていた。その後,私は,F
(以下「F」という。)の経営する飲食店『スナックF』へ行き,Fに,台車を押している被告人とすれ違ったことを話した。」と証言する。
イ Eは,目撃した人物と会話をしており,見間違えの可能性はないといえる。また,Eの証言は,この点に関するFの証言とも符合しており,Eが飲食代金を支払ったことを内容とする4月から5月にかけての「スナックF」の会計伝票によっても裏付けられている。そして,Eは,被告人とは飲み屋で話をする程度の間柄であり,あえて被告人に不利な虚偽の供述をする理由がないことからすると,台車を押す被告人と会った時期について曖昧な点があるとしても,Eの証言は十分信用できる。
ウ 他方,Eが台車を押す被告人を目撃した交差点は,約2.36km離れている被告人方と本件死体の発見現場(なお,本件死体が発見される前の数日間に鶴見川の水位に大きな変動がないこと(甲205ないし207)などからすれば,本件死体の遺棄現場は,本件死体の発見現場の付近であると認められる。)のおよそ中間の地点に位置していること(甲188),被告人の進行方向が被告人方から鶴見川へと向かう方向であったこと,Eが被告人を目撃した時期が,本件死体が遺棄されたと推定される時期と矛盾がないことからすれば,被告人がこの時台車を使って運んでいた物は,甲野の死体である可能性があると認められる。そして,G巡査部長(以下「G」という。)の証言によれば,台車に甲野よりも大柄な女性を入れた箱を載せて動かした実験(甲149)の結果等から,甲野の死体を箱に入れて被告人方から鶴見川河川敷まで台車で運ぶことが可能であったと認められる。
(3)本件ロープと同種の緑色ロープが被告人方にあったことについて
神奈川県警察科学捜査研究所の技術職員であるH
(以下「H」という。)は,被告人方の庭のじょうろに巻き付けられていた緑色ロープが,本件ロープと太さ,材質,構造,色からして同種のものであると鑑定する(Hの証言,甲138,141)。Hの鑑定は,同人が化学鑑定の専門家であり,その内容に特に信用性に疑いを生じさせるような事情がないことから,十分信用できる。また,本件ロープは,構造が特殊なもので,日本では1社でしか製造されていないものである(Gの証言)。そうすると,本件ロープが被告人方にあったものと同一である可能性があると認められる。
(4)被告人方からバリカンの箱等が発見されたことについて
Gの証言によれば,前記捜索の際,被告人方から,バリカン本体は発見されなかったものの,バリカンの空箱が発見され,その中にはアタッチメントがあり,それに短い毛髪が付着していたことが認められ,I作成の鑑定書(甲133)及び同人の証言によれば,この毛髪のミトコンドリアDNA型鑑定を行ったところ,鑑定可能であった6本の毛髪のうち4本のミトコンドリアDNA型が,甲野のものと一致したこと,ミトコンドリアDNA型は母親から子へと遺伝し,甲野の実子は同じミトコンドリアDNA型をもつことが認められる。また,美容師であるJは,「甲野は,平成18年7月21日から平成22年2月22日まで,2か月に1回ぐらいの頻度で来店していたが,甲野がバリカンを使ったような形跡はなかった。」と証言しており,甲野が自らバリカンを使用して丸刈りにしたことはないと認められる。
被告人が自己の頭髪をバリカンで刈っていなかったと供述していることなどからして,上記アタッチメントに付着していた毛髪は,甲野の毛髪である可能性が高く,同人は,その箱に付属していたバリカンによって,死後頭髪を丸刈りにされた可能性が高いと認められる。仮に,それが被告人の毛髪であるとすると,上記バリカンを被告人が使用したことがあることになり,いずれにせよ,被告人には,甲野の死体の頭髪をそのバリカンで刈る機会があったことに変わりはない。
弁護人は,仮に上記バリカンが甲野の死体の頭髪を刈るのに使用されたとすれば,死体の髪の毛の長さ
(2mm)に近い「3mm─6mm」のアタッチメントが装着されていたはずであるのに,このアタッチメントは箱の中に残されており,血痕も付着しておらず,不自然であると主張する。しかし,アタッチメントを装着しないでバリカンを使用することも可能であり,「3mm─6mm」のアタッチメントが装着されていたはずであるとはいえないから,弁護人の主張は,理由がない。
(5)本件死体が発見された後の被告人の言動について
ア Fの証言について
(ア)「スナックF」の経営者であるFは,公判廷において,「被告人は,平成20年12月頃から来店しており,甲野を連れて来たこともあった。平成22年5月10日に鶴見川から死体が揚がったことがテレビや新聞で報道された時,背格好,年齢や胃の手術をしていることなどから,甲野ではないかと思った。5月12日に被告人が来店した際に,その死体について,『お母さんじゃないの。』『鶴見警察に確認しに行った方がいいんじゃないの。』などと言ったところ,被告人は,『お袋は,人に殺されるようなやつじゃないよ。』などと言っていた。その後,被告人は,甲野と連絡が取れたと言ったり,取れなかったと言ったりし,6月か7月頃,被告人の方から,お母さんが入院手術をしたという病院に行って確認してみたが,入院も手術もしていなかったという話をしてきた。」と証言する。
(イ)Fの証言は,具体的なもので,不自然なところがなく,同人は,あえて被告人に不利な虚偽の供述をする理由がない。したがって,Fの証言は十分信用できる。
イ Kの証言について
(ア)被告人方の近くで酒屋を経営しているK(以下「K」という。)は,公判廷において,「9月頃,民生委員を務めている妻に代わって甲野方(被告人方と同じ。)を訪ねたところ,被告人がいた。私が被告人に『お母さん元気かい。』と尋ねると,被告人は,『元気だけど,今いないよ。』『川崎の方にいるんじゃないか。』などと言った。また,10月頃,被告人に対し,国勢調査の調査票を出したかと聞いたところ,被告人は,『俺のは東京で出した。』と言い,甲野のは『出しとくよ。』と答えた。」と証言する。
(イ)Kの証言は,具体的であり,不自然なところがなく,同人も,あえて被告人に不利な虚偽の供述をする理由はない。したがって,Kの証言も十分信用できる。
ウ 以上の各証言によれば,被告人のF及びKに対する一連の言動は,本件死体が甲野ではないとするものであるか,あるいは,同人の死後も,同人が生きていて,連絡が取れていたかのように装うものである。
(6)アリバイ工作について
ア 被告人が使用していたSuicaの利用履歴(甲195ないし201)及びL(以下「L」という。)の証言によれば,被告人は,5月4日夜にLに電話をかけた上,5月5日朝に盛岡市内でLと会い,5月6日午前6時49分までにJR新子安駅に戻り,同日午後1時55分までに再びJR新子安駅から出かけ,5月7日午前6時23分までにJR仙台駅へ行き,5月8日昼にはJR新子安駅に戻っている。このように,被告人は,5月6日に盛岡方面から自宅付近に戻ったわずか約7時間後に,再び仙台へと出かけているのであり,格別そのようにしてまで東北との間を往復する必要があったと認められないことからすれば,不自然な行動といえる。
イ また,被告人の手帳(平成24年押第1号の3)には,4月28日の欄に「盛岡 L」,5月6日の欄に「仙台 松島」と記載されているなど,4月下旬から5月上旬にかけて,東北に滞在していたかのような記載があり,これを基に,被告人は,本件死体遺棄の被疑事実で逮捕された3日後の11月25日には,4月20日頃から5月5日頃までの間,東北に滞在しており,家には一度も帰っていない旨の上申書(乙17)を作成している。しかし,Lの証言によれば,同人は4月28日に被告人に会っておらず,また,前記のSuicaの利用履歴によれば,被告人は,4月20日から5月5日までの大部分の期間,神奈川県内又は東京都内にいたと認められるから,手帳及び被告人の上申書の記載内容は虚偽である。
ウ これらを併せ考えると,被告人は,アリバイ工作のために東北へ行き,手帳に虚偽の記載をし,虚偽の上申書を作成したのではないかと強く疑われる。
(7)罪証隠滅行為について
本件死体の遺棄に用いられた可能性があるバリカンと台車は,バリカンの空箱やアタッチメントが被告人方にあり,被告人方の外壁に台車が立てかけられたとうかがわせる錆等の痕跡がある(甲147,217)にもかかわらず,いずれも発見されていない。このことは,これらの物が本件死体の遺棄に用いられた後,処分されたことをうかがわせる事情である。
(8)小括
以上のとおり,被告人が26kgのストックアンカーを持ち去ろうとしたことに加え,このストックアンカーが本件死体を入れたランドリーバッグに付けられていたことからすれば,被告人が,それを用いて,本件死体すなわち甲野の死体を鶴見川に沈めて遺棄したことが強く推認される。さらに,被告人が甲野の死体が入っている可能性がある箱を台車に積んで運んでいたことに加え,甲野の死体を台車に入れて運ぶことが可能であったことからすれば,被告人は,台車を使って甲野の死体を死体遺棄の現場付近まで運んだことが推認される。また,本件ロープが被告人方にあった可能性があり,被告人には,甲野の死体の頭髪をバリカンで刈る機会があったことからすれば,被告人が,身の回りにあった台車やロープ等を用いて甲野の死体を遺棄したと推認される。加えて,被告人が本件の犯人でなければ説明することが困難な不自然な言動をしていたほか,アリバイ工作や罪証隠滅と疑われる行為をしている。そして,甲野の死体は,全裸,丸刈りにされるなど身元が分からないようにされており,甲野の身近な人物が犯人でなければする必要のない工作まで施されている。
これらの事実を総合すれば,被告人が,甲野の死体を遺棄した犯人であると認められる。
4 傷害致死の犯人性について
(1)被告人が死体遺棄の犯人であること
前記のとおり,被告人は,甲野の死体を遺棄した犯人であると認められるところ,仮に,被告人以外の者が,甲野を死に至らせたのであれば,被告人が実母である甲野が死亡しているのを発見した場合,警察等に通報するのが通常であって,前記のとおり,死体の身元を分からなくした上,鶴見川に沈めて遺棄する必要性があったとは到底考えられない。したがって,被告人が甲野の死体を遺棄したこと自体,被告人が甲野を死に至らせた犯人であることを強く推認させる。
また,被告人は,前記のとおり,Fらに対して,甲野の生存を装う不自然な言動をしたり,アリバイ工作等をしたりしているところ,これらもまた,被告人自身が傷害致死の犯人でなければ,そのようなことをする必要性が全くないといえる。
(2)犯行の機会について
被告人は,平成17年頃から甲野が所有する判示の被告人方に居住していたところ,甲野は,平成22年3月末頃,川崎市所在のQ方を出て以降,被告人に4月下旬頃までQへの使いを頼むなどしており,被告人方で居住していたと認められる(被告人も,公判廷において,これらのことを自認している。)。そうすると,被告人には,甲野に対し傷害致死の犯行を行う機会があったと認められる。
(3)被告人と甲野との関係について
さらに,被告人と甲野との関係をみても,被告人は,3歳の時に父母が離婚した後は,父方の祖母方に預けられ,その後,中学校卒業時まで児童養護施設に入れられるなどして,殆ど実母である甲野に育てられておらず(被告人の公判供述),他方,甲野が,甲野太郎と死別した後,死亡時に至るまで,複数の男性と交際していたことなどから,甲野に対し,恨みの気持ちを含む複雑な感情を抱いていたと認められる。また,F,M及びNの各証言によれば,被告人が過去に甲野に対し暴力をふるったり,甲野が被告人に不動産を取られるのではないかと案じて,土地・建物の権利証を知人等に預けたりするなど,その関係はぎくしゃくしたものであり,本件の約1か月前に「スナックF」を訪れた際も,甲野が被告人に対して口うるさく注意をするなどしていたというのであって,同様の関係が続いていたと認められる。このような両者の関係に照らすと,何らかの突発的なトラブルから,被告人が甲野に対し暴行に及んだとしても,格別不自然なことではない。
(4)小括
以上の事実を総合すれば,被告人が,甲野に暴行を加えて死亡させた犯人であると認められる。
(5)弁護人の主張について
弁護人は,甲野の死体を鑑定したB医師(以下「B医師」という。)の証言を基に,甲野の頭部の挫裂創からは相当量の出血があった可能性が高いが,被告人方から血痕が発見されておらず,不自然であると主張する。
しかし,B医師の証言によれば,甲野の死体においては,血液が髪の毛のところで固まって,床等に付着しない可能性もあったと認められる。また,前記のとおり,被告人がバリカンや台車等について罪証隠滅とみられる工作をしたと認められるから,仮に,血液が被告人方の物に付着したとしても,捜索が行われるまでの間に,それを処分する時間的余裕は十分にあったといえる。本件傷害致死の犯行現場は,被告人方である可能性が極めて高いが,その周辺の他の場所であった可能性も否定できないところ,弁護人が指摘する点は,前記認定を左右するものとはいえない。
5 結論
以上によれば,被告人は,第1の傷害致死及び第2の死体遺棄の各犯行について,いずれも犯人であると認められる。
6 窃盗について
(1)O及びPの各証言によれば,三井住友銀行及び横浜銀行は,いずれも,預金者が死亡した場合に,相続人が所定の手続をとらずに預金を引き出すことを許容しておらず,このことは,銀行が預金者の死亡を把握していないために,取引停止の措置が採られていない場合であっても,同様であると認められる。
したがって,被告人が,所定の手続をとらずに甲野の各預金口座から現金を引き出した行為は,いずれも,三井住友銀行及び横浜銀行の意思に反するものである。
(2)また,被告人は,傷害致死及び死体遺棄の犯人であり,甲野が死亡していたことを知っていた上,甲野の口座に同人の死後も誤って振り込まれていた老齢基礎年金や遺族厚生年金を使い込む目的で預金の引き出しを行っており,自己にこれらの年金を受け取る権利がないことを知っていたと認められる。そうすると,被告人は,これらの年金が振り込まれた口座から預金を下ろすことが,たとえ唯一の相続人であっても,銀行の意思に反することを十分認識していたと考えられる。
したがって,被告人には窃盗の故意も認められる。
(3)結論
以上によれば,被告人には窃盗罪が成立する。
(累犯前科)
被告人は,平成15年12月15日古川簡易裁判所で窃盗,建造物侵入の罪により懲役1年8月に処せられ,平成17年7月15日その刑の執行を受け終わったものであって,この事実は,検察事務官作成の前科調書(乙4)によって認める。
(法令の適用)
罰条
第1の行為について 刑法205条
第2の行為について 刑法190条
第3の各行為について いずれも刑法235条
刑種の選択
第3の各罪について いずれも懲役刑
累犯加重
第1及び第2並びに第3の別紙一覧表番号1ないし3の各罪について いずれも刑法56条1項,57条(再犯)
併合罪の処理 刑法45条前段,47条本文,10条(最も重い第1の罪の刑に加重。ただし,同法14条2項の制限に従う。)
未決勾留日数の算入 刑法21条
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
本件傷害致死の犯行は,82歳という高齢の実母に対し,多数回にわたり頭部及び両腕両足を殴って死亡するに至らせたものであり,暴行が比較的軽い程度のものであったとはいえ,犯行態様は粗暴かつ執拗なもので,悪質である。さらに,死体遺棄の犯行は,被害者の死体を全裸にし頭髪を丸刈りにした上,ストックアンカー3本等を付けて川に沈めるという入念なもので,態様は悪質である。特に,被害者が暴行を受けて倒れた後,被告人は,救急車を呼ぶなどの救命措置を何らとっていないのであり,実子として強い非難に値する。我が子の手にかかって命を奪われた被害者の心情は,察するに余りあるものがあり,また,被害者は,葬儀が執り行われることもなく,死体を遺棄され,死体が揚がった際には,無惨な姿に変わり果てていたのであり,その尊厳は著しく傷付けられたといえる。犯行に至った経緯は,必ずしも明らかではないが,いずれにせよ突発的なトラブルに起因すると考えられ,その経緯に酌むべき事情があるとはいえない。
さらに,被告人は,前科13犯を有し,8回にわたり刑務所で服役しており,その中には,傷害や傷害致死等の暴力的な前科が6犯も含まれていて,本件傷害致死の犯行も,被告人のこのような粗暴な性格の現われとみることができる。
また,被告人は,不自然かつ不合理な弁解に終始し,被害者を嘘つきであると言ったり,弁護人や裁判官,裁判員の質問には答えるものの,検察官の質問には答えないなど,自己の犯した犯罪に向き合わず,反省の態度はうかがえない。
以上によれば,被告人の刑事責任は重く,被告人が実母である被害者に養育されずに育つなど,生い立ちに恵まれない点があったことなど,被告人のために酌むべき事情を考慮に入れても,検察官の求刑を下回る刑を科すべき理由はなく,被告人を主文の刑に処するのが相当であると判断した。
(裁判長裁判官 朝山芳史 裁判官 杉山正明 裁判官 松本美緒)
別紙一覧表<省略>