大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成22年(行ウ)70号 判決 2011年6月15日

主文

1  横浜市教育委員会が平成22年10月4日付けで原告に対してした平成22年度教科書調査員名簿を非開示とした決定を取り消す。

2  横浜市教育委員会は、原告に対し、平成22年度教科書調査員名簿について開示決定をせよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

1  事案の骨子

本件は、原告が、横浜市の保有する情報の公開に関する条例(以下「本件条例」という。)6条1項に基づき、平成22年9月15日付けで、横浜市教育委員会(以下「委員会」という。)に対し、横浜市教科書取扱審議会条例(昭和39年条例第71号。以下「審議会条例」という。)第6条に基づいて任命された調査員の名簿について開示請求(以下「本件開示請求」という。)を行ったところ、委員会が、平成22年10月4日付けで、平成22年度教科書調査員名簿(以下「本件名簿」という。)について、本件条例7条2項6号に該当するとして開示しない決定(以下「本件決定」という。)をし、その余は開示する決定をしたことから、原告が、本件決定の取消し(以下「本件取消請求」という。)及び行訴法37条の3第1項2号に基づく開示決定の義務付けを求めた(以下「本件義務付け請求」という。)事案である。

2  基礎となる事実(当事者間に争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実。なお、書証番号は特記しない限り枝番を含み、以下同様である。)

(1)  横浜市教科書取扱審議会(以下「審議会」という。)は、委員会の教科書採択事務に関して、審議会条例に基づき設置された委員会の附属機関であり、その所掌事務は、委員会の諮問に応じて、横浜市立学校において使用する教科書の取扱いに関し必要な事項を調査審議することである(同条例2条1項、乙2)。

(2)  教科書採択手続の一般的手順は以下のとおりである(乙1、乙2、弁論の全趣旨)。

ア 委員会は、当該年度における教科書採択の基本方針を定めるとともに、審議会の審議委員を任命し、審議会に対し、教科書採択に資するための調査、審議を諮問する。

イ 前記諮問を受けて、審議会は、専門的調査研究を行うため、委員会に対し、教科書調査員(以下「調査員」という。)等となるべき者を推薦し、これを受けて委員会は、調査員等を任命する。

ウ 調査員等の任命後、審議会は、調査員等に対して、調査、研究を依頼し、調査員等は、審議会に対し、調査、研究結果の報告をする。

エ 審議会は、前記報告を基に審議を行い、その結果を同報告とともに委員会に答申する。

オ 委員会は、前記答申のほか、見本本等の資料を基に審議を行い、横浜市内の市立学校で使用する教科書を採択する。

(3)  委員会は、前記手順に従い各手続を経た上で(乙3ないし乙10)、平成22年8月3日、平成23年度に使用する教科書を採択した(乙11)。

(4)  原告は、平成22年9月15日、本件条例6条1項に基づき、委員会に対し、開示請求の対象を「横浜市教科書取扱審議会条例第6条に基づいて任命された調査員の名簿(平成22年度を含む保存分すべて)」として本件開示請求を行った(甲1)。

(5)  委員会は、本件名簿は、公にすることにより、事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるとして、本件条例7条2項6号を根拠に、本件名簿を開示しないこととし、同年10月4日付けで本件決定を原告に通知した(甲3)。

他方で、以下の各文書については開示する決定を同日付けで原告に通知した(甲2)。

「横浜市教科書取扱審議会条例第6条に基づく調査員名簿

(1) 平成16~21年度教科書調査員名簿

(2) 平成16年度小学校各区学習実態調査員名簿

(3) 平成17年度中学校学習実態調査員名簿」

(6)  本件名簿は、本件条例6条に基づき委員会が任命する調査員の名簿であって、平成22年度の調査員について、教科ごとに人数と調査員の氏名及び所属校が記載され、学校長あるいは指導主事である場合についてはその旨の印が付けられているものである(甲4、弁論の全趣旨)。

開示された前記「平成16~21年度教科書調査員名簿」には同様の項目が記載されている(甲4)。

(7)  原告は、平成22年10月8日、本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。

3  争点及び当事者の主張

本件の争点は、本件条例7条2項6号該当性であり、これに関する当事者の主張は以下のとおりである。

(被告の主張)

本件名簿に記載されている調査員の氏名等が開示された場合、当該調査員が現に教科書調査を行っている時点であれば、そのことによって当該調査員に様々な働きかけがなされる危険性が増大することが容易に想定されるところ、当該年度における教科書採択が終了した後であっても、教科書発行者からの採択勧誘のための宣伝活動や、様々な立場の市民、団体、研究者等からの働きかけが行われることにより、調査員の業務に関しての静謐な環境が失われ、公正かつ適正な事務を阻害する危険性がある。現に、調査員を務めた者に対し、教科書採択後、特定の教科書調査等に対する個人的見解を求められるなどした事例があることは、これを裏付けるものである。

加えて、調査員の氏名等の開示により、インターネット等を利用した誹謗中傷等が発生する蓋然性も高い。

このような事態となれば、当該年度の調査員のみならず、次年度以降の調査員においても、採択終了後における調査員個人に対する働きかけや誹謗中傷等をおそれて、事なかれ主義に陥ったり、萎縮したりしてしまうことで、中立、公正に調査、報告を行うことが困難になる可能性が高い。

本件条例7条2項6号は、「市の機関<中略>が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある」情報が記録されている文書については、これを開示しないことができる旨規定しているところ、本件名簿に記載されている調査員の氏名等は、以上のとおり、開示されることにより、教科書調査が公正かつ適正になされなくなる危険性が高く、同号ウの「調査研究に係る事務に関し、その公正かつ能率的な遂行を不当に阻害するおそれ」があるから、本件名簿は、開示しないことができる文書である。

(原告の主張)

教科書採択手続に関与する者への正当な言論活動の範囲内の適切な方法による働きかけを排除するべきではないところ、被告が主張する働きかけの事例は、正当な言論活動の範囲を逸脱する方法でなされたものではない。

本件名簿に記載されている情報を開示することにより、調査員が中立、公正に調査、報告を行うことが困難になる可能性が生ずるという被告の主張は、主観的感情にすぎず、行政機関が負っている情報開示義務を免除する法的保護に値しない。

第3当裁判所の判断

1  本件条例が、横浜市が市政に関し市民に説明する責務を全うするようにし、市民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な市政の推進に資することを目的とし(1条)、実施機関に対し、原則として行政文書の開示を義務付けている(7条1項)ことからすれば、同条2項6号にいう「当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」とは、単にその抽象的な可能性があることでは足りず、法的保護に値する程度の具体的蓋然性が必要であるというべきである。

2(1)  被告は、本件名簿の非開示理由として、調査員の氏名等の開示により、教科書採択後に、教科書発行者からの宣伝活動や、採択結果等に関して個人的見解を求める記者の取材ほか様々な立場の市民、団体等からの働きかけがなされ、あるいはインターネット上などで、誹謗中傷等される蓋然性が高いから、業務にあたる調査員がこれらをおそれて事なかれ主義に陥り、萎縮するなどし、事務の公正、中立が困難になるなどと主張する。

(2)ア  たしかに、前記のとおり、調査員は、審議会の審議及び委員会の審議の資料となる調査、研究結果の報告を行うという点において、教科書の採択に関与する立場にあることに鑑みれば、調査員の氏名等が開示されることによって、教科書採択後に何らかの誹謗中傷等がなされる可能性があることは否定できない。

しかしながら、平成22年度横浜市教科書採択の基本方針によれば、採択は、採択権者である委員会が、審議会答申を受けて、その権限と責任において慎重に審議し、公正かつ適正に行われるものとされており(乙3)、教科書採択手続の手順からしても、調査員の調査、研究報告が直接採択結果に反映されるわけではなく、調査員個人は採択結果や採択手続等に対し直接評価あるいは批判を受ける立場にあるとまではいえないことや、委員会委員及び審議会委員の名簿は採択終了後には情報提供される扱いであると認められるところ(弁論の全趣旨)、これにより教科書採択に関する業務の適正な遂行に支障があったという事情も窺われないことからすると、採択終了後に、調査員個人に対して、誹謗中傷等がなされる可能性はいまだ抽象的なものにすぎないというべきである。

イ  また、教科書採択前においては、過当な宣伝活動がなされることによって当該年度の調査員の業務に関しての静謐な環境が失われ、調査、研究業務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあると認められる一方で、当該年度の調査員が、採択終了後においても、教科書発行者等に利害をもたらす何らかの業務を担っているといった事情を認めるに足りる証拠もないことからすれば、既に当該年度の教科書の採択が終了した段階で、教科書発行者等が当該年度の調査員に対しこのような宣伝活動を行うことは考え難く、この点においても、被告は抽象的な可能性を指摘するにすぎないといえる。

ウ  さらに、外部からの働きかけの可能性があるとしても、既に採択が終了した段階においては、当該採択結果ないし手続の公正を事後的に検証する目的でなされる働きかけ以外には具体的には想定し難く、他に違法不当な目的ないし方法をもって何らかの働きかけがなされる可能性は抽象的なものにすぎない。

また、採択結果等の公正を事後的に検証する目的で、相当な方法をもってなされる働きかけは、本件条例の目的に照らし、公正な教科書採択に関し市民に説明する責務の履行に資するものとして、調査員が受忍すべき範囲のものであるといえる。そして、かかる程度の働きかけがなされる可能性自体が、次年度以降の調査員の業務に際しタ萎縮等を生じさせるか否かは、個々の調査員の主観的な受け止め方によるところが大きいとはいえ、とりたてて法的に保護しなければならないような具体的蓋然性をもって予測されるものとはいえないというべきである。

この点に関し、被告は、現に、平成21年度における教科書採択に際して、調査員に任命された横浜市立中学校長が、採択終了後、開示された調査員名簿を見た記者により、特定の教科書調査等に関する個人的見解を求める取材をされ困惑し、不快感を持ったことを、業務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあることの裏付けとして挙げている。しかし、証拠(甲51、甲59、乙12)によれば、上記取材は、通常の取材交渉を経て、同校長が任意に応じたものであって、特定の教科書の採択に関心を持つ記者の質問内容にその意見が反映されている場面は見受けられるものの、同校長は自らの立場上可能な範囲で任意かつ適切に回答しているのであって、この程度の働きかけは、調査員として受忍すべき範囲のものであるというべきである。そして、これにより同校長が多少なりとも困惑や不快感を抱いたとしても、そのことによって次年度以降の調査員の業務に際して萎縮等を生じさせるものとはいえず、その適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあることについての具体的蓋然性を裏付けることはできない。

エ  加えて、以上の被告の主張は、平成16年度から21年度の教科書調査員名簿等については開示していることとの整合性を合理的に説明できるものでもない。

オ  以上のとおり、被告の主張は、いずれも業務の適正な遂行に支障を及ぼす具体的蓋然性を指摘するものではなく、採用できない。

(3)  そうすると、本件名簿に記載された調査員の氏名等は、本件条例7条2項6号ウの非開示情報には該当せず、かつ、同項所定の他の非開示情報に該当することの主張立証がないから、本件決定は違法というべきであり、本件取消請求には理由がある。

3  また、以上のとおり、本件取消請求には理由があると認められ、かつ、本件名簿を開示すべきことは、その根拠となる本件条例7条1項の規定から明らかであるから、本件義務付け請求は、行政事件訴訟法3条6項2号、37条の3第5項に照らして理由があるといわねばならない。

4  結論

以上によると、本件取消請求及び本件義務付け請求は、いずれも理由があるから、これらを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐村浩之 裁判官 日下部克通 小林麻子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例