横浜地方裁判所 平成24年(わ)387号 判決 2012年11月30日
主文
被告人に対し判示各罪につきその刑をいずれも免除する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,実母であるA(犯行当時70歳)から,長年にわたり,乱暴な言動をするなどして多額の金を無心し,総額数億円の金をもらっていたところ,同人から更に金を脅し取ろうと考え,
第1平成23年9月30日午後4時頃,同人を横浜市a区b町c番地dハイツBe号の被告人方に呼び出し,居間において,前記Aに対し,テーブルを叩きながら,「金できたのか。」「ぶっ殺してやる。」「頭かち割ってやる。」などと怒鳴るように言い,同人から色よい返事が得られないと知るや,台所から包丁を持ち出し,これを見て逃げ出した同人を捕まえ,その首の後ろをつかんで部屋の奥まで連れて行って頭を押さえつけるなどした上,「農協へ電話しろ。」などと言って強く金の工面を求め,同人がC農業協同組合D支店に電話して貯金の引出を求めたものの,営業時間外であるとして断られるなどしたことから,同日午後6時過ぎ頃,同人を車に乗せて同区f町g番地所在の同農協D支店まで妻Eを伴い連れて行き,前記Aが同支店でも同様の理由により貯金の引出ができずに終わると,同人を再び車に乗せて前記被告人方付近まで連れ帰り,その際,車中でも,前記Aに対し,「金出せばいいんだよ。」と言うなどして引き続き金の要求をし,同人をして,これに応じなければ自己の身体等にいかなる危害を加えられるかもしれないと困惑畏怖させ,同日午後7時31分頃,同区b町h番地の同人方と同じ敷地内にある同人の娘であり被告人の妹であるF方において,同行してきた前記Eに前記A所有に係る現金70万円を交付させ,もって,これを脅し取り,
第2同年10月23日午後8時頃,前記Aを前記被告人方に呼び出し,居間において,前記Aに対し,テーブルを叩きながら,「金用意できたか。」「どうせ乳ガンだから,早かれ遅かれ死ぬんだから,ぶっ殺してやる。」「頭かち割ってやる。」などと怒鳴るように言い,その際,同席していた同人の息子であり被告人の弟であるGの頭にライター用オイルをかけ,「焼き殺してやる。」と前記Aに聞こえるように怒鳴るなどして,強く金を要求し,翌24日午前10時頃まで同所にいた同人をして,これに応じなければ自己や前記Gらの身体等にいかなる危害を加えられるかもしれないと困惑畏怖させ,同日午後3時頃,前記被告人方において,前記Aが前記農協D支店で前記G及び前記F名義の定期貯金等を解約するなどして用立てた前記A所有に係る同支店振出の自己宛小切手(額面4000万円)1枚を交付させ,もって,これを脅し取ったものである。
(強盗致傷罪又は強盗罪とせず恐喝罪と認定した理由)
1 平成24年3月13日付け起訴状記載の公訴事実は,「被告人は,実母であるA(当時70歳)から現金を強奪しようと企て,平成23年9月30日午後4時頃,・・・・被告人方において,前記Aに対し,『金出来たのか。頭かち割ってやる。』などと言って,同人に包丁を示し,逃げる同人の首の後ろをつかんで押した上,『農協に電話しろ。金用意してもらえ。火をつけて皆殺しにしてやる。』などと言い,同所から軽自動車で・・・C農業協同組合D支店まで同人を連行し,同人に『金持ってこい。』などと言い,さらに,同所から前記車両で前記被告人方付近まで連行して,前記車両内で,『金はどうする。有り金用意しろ。』と怒鳴りつけるなどの暴行・脅迫を加え,その反抗を抑圧し,同日午後7時31分頃,・・・F方において,妻のEをして前記Aから同人所有の現金70万円を受け取らせて強取し,その際,前記暴行により,同人に全治約1週間を要する頸部打撲等の傷害を負わせた」というものであり,同年4月24日付け追起訴状記載の公訴事実は,「被告人は,実母であるA(当時70歳)が以前から被告人のことを著しく畏怖しているのに乗じて,同人から現金を強取しようと企て,平成23年10月23日午後8時頃から同月24日午前10時頃までの間,・・・被告人方において,前記Aに対し,『金は用意できたのか。金出せ。』『どうせガンなんだから,遅かれ早かれ死ぬんだ。ぶっ殺してやる。』『明日までに用意しろ。』などと怒号した上,同席していた被告人の実弟であるGにオイル様のものをかけて,『火だるまにするぞ。』などと怒号するなどの脅迫を加え,前記Aの反抗を抑圧し,同日午後3時頃,同所において,前記Aが管理する小切手1枚(額面4000万円)を強取した」というものである。
当裁判所は,これらの公訴事実については,判示のような限度で事実を認定できるにとどまり,いずれも恐喝罪が成立するにとどまると判断した。以下,この点につき説明する。
2 本件では,被告人がAから,判示第1の事件(以下「第1の事件」という。)では現金70万円,判示第2の事件(以下「第2の事件」という。)では額面4000万円の小切手1枚を受け取ったことは争いがないところ,このやり取りにつき,検察官は,被告人がAに対し公訴事実のとおりの暴行や脅迫を加えて反抗を抑圧したからであると主張するのに対し,弁護人は,被告人の供述を前提に,被告人はAに対し公訴事実のとおりの暴行,脅迫を加えておらず,あくまでもAの意思に基づくものである,仮に被告人に何らかの暴行,脅迫があったとしても,それは反抗を抑圧する程度のものではなく,せいぜい恐喝罪が成立するにとどまると主張する。
3 そこで,まず,それぞれの事件につき,どのような事実経過があったかをみると,関係証拠によれば,いずれも,判示のとおりであったことが認められる。なお,Aは,第1の事件で,被告人が「火だるまにする。」との脅し文句も言った,農協に向かう際にも包丁を新聞紙にくるんで持っていたなどと証言するが,この証言については,そのときの状況からして,被告人の行動としてはいかにも不自然であり,他にこれを裏付けるものもなく,Aの証言態度をも併せ考えると,にわかには信用することができない。また,被告人は,いずれの事件についても,判示のような脅し文句は使っていない,第1の事件では,包丁を持ち出したものの,Aはこれを示す前に逃げ出しているし,その後,Aの肩に手を置いて優しく連れ戻しただけである,第2の事件では,Gに対しライター用オイルをかけていないだけでなく,ライター用オイルの缶を持ったこともないなどと供述するが,この供述は,Aのその後の対応ぶり等からして余りにも不自然不合理であること,脅し文句やライター用オイルの点については,妻のEの証言とも食い違っていることなどに照らすと,到底信用することはできない。
この事実関係を前提にみると,第1の事件では,被告人は,Aに対し,「ぶっ殺してやる。」「頭かち割ってやる。」などと怒鳴るように言い,包丁を持ち出して,これをことさら示すまでには至っていないが,少なくともAに見える状態にしており,さらに,逃げるAの首の後ろをつかんで部屋の奥まで連れて行き,頭を押さえつけており,これらの行為がAに対する脅迫や暴行に当たることは明らかである。また,第2の事件では,被告人は,同じく,「ぶっ殺してやる。」「頭かち割ってやる。」などと怒鳴るように言ったほか,Aのそばで,Gにライター用オイルをかけて「焼き殺してやる。」とも言っており,これらの行為がAに対する脅迫に当たることは明らかである。
4 そこで,進んで,被告人の暴行や脅迫がAの反抗を抑圧するに足りる程度のものなのかについてみると,次のようなことが指摘できる。すなわち,
(1) 「ぶっ殺してやる。」「頭かち割ってやる。」などという言葉は,それ自体,かなり強烈な感じを受けるが,Aは被告人の実母であり,これまでも,被告人から同様な言葉を言われて金の無心をされていたということからすると,このような言葉を言われたからといって,その口調等を考えても,必ずしも脅迫の程度が強いものとは思われない。
(2) 第1の事件で,包丁を持ち出し,Aがこれを見た点については,確かにこのようなことは初めてのことであったということからして,Aにとって相当なインパクトがある出来事であったことは,直ちに逃げ出そうとしたAの反応を見るまでもなく,うなずけなくはない。しかし,Aに対し包丁を突きつけたわけでもなく,刺すぞなどと言ってことさら示したわけでもなく,Aが包丁を見たのはほんの一瞬であるということを考えると,脅迫の程度としては,それほど強いものとは思われない。
(3) その後のAに対する暴行についても,被告人から暴力を振るわれたのは初めてであったにせよ,それ自体,殴る蹴るなどの行為に比べれば,強度なものとはいえず,しかも,そのときの流れから出た一時的な行動に過ぎない。なお,被告人は,第1の事件で,暴行とは別の機会に,Aの携帯電話を二つに折って壊しているが,これも,外部との連絡の遮断という意味がないではないが,Aはその後も被告人の携帯電話を使うなどして農協等に変わりなく電話をしており,Aの恐怖心をさほどあおっているとも思われない。
(4) 第2の事件で,Gにライター用オイルをかけて「焼き殺してやる。」と言った点については,確かにその場に居合わせたAからすると,それなりにインパクトがある出来事ではあるが,Gにかけられたオイルの量は少なく,オイルの性状からしてすぐ揮発してしまうものであるところ,被告人がライター等でもって火をつけるような仕草をしたわけではなく,危害が現実化することはおよそ考えられない状況にあった(現に,Gはその後も酒を飲んだりたばこを吸ったりしている。)のであり,これも,脅迫の程度としては,それほど強いものとは思われない。
(5) 第1の事件では,Aは,被告人から金の工面を強く求められ,時間外であるにもかかわらず,農協に電話して,貯金の引出を何度も求めたり,Aらの持ちビルで部屋を借りて事務所を開いている不動産会社の社員らに対し,やはり電話で,1年分の賃料の前払をしてくれないかと再三頼んだりしたほか,実際に農協に出向いて,支店長らにあらためて貯金の引出を懇願したりするなど,普通に考えればいささか非常識と思われる行動に出ており,Aがかなり追い詰められた状況にあったかのようにうかがわれなくもない。しかしながら,これらの行動のほとんどは,被告人から具体的に言われ,無理やりさせられたものではなく,A自身が思いつくままに動いていたことは否定できず(Aにはこのような無茶なことをすることについて頓着しない性癖がうかがわれる。),むしろ,Aが被告人に対し金の工面で一生懸命努力していることを見せようとしていたのではないかと疑う余地さえある。
第2の事件でも,Aは,被告人の要求を受けて,有り金出すしかないと考え,被告人方を出て,金の工面に奔走し,最終的には,Fらが反対するのもかまわず,また,農協のアドバイスも聞こうとせず,賃貸不動産の将来の修繕費用等のために保管していたGら名義の定期貯金等を解約してまで,4000万円という莫大な金を用立てており,第1の事件同様,Aがかなり追い詰められた状況にあったことは,うかがい知ることができる。しかしながら,これも,被告人から無理やりさせられたわけではなく,A自身が思いつくままに動いていたことを否定できない。
Aのこれらの行動をとらえ,半狂乱の状態(言い換えれば反抗抑圧状態)になっていたなどとみる検察官の主張は,余りにも無理がある。
(6) なお,第1の事件でAはEに70万円を渡した後,被告人に言われるまま再び被告人方に赴き,被告人から鎖を手首に巻き付けられたりしているが,鎖の巻き付け方が緩くて容易に手首を抜くことができたにもかかわらず,被告人が外出や就寝している間も帰ろうとせず,翌朝まで被告人方にとどまっており,検察官は,これをもって,Aが著しく畏怖していた現れであるかのように主張する。しかし,AはEから食事を出してもらうなどしながら夜を過ごしており,Aに一定の余裕があったことは否めず,検察官の見方は一方的過ぎる。第2の事件でも,被告人が,午前2時頃,急病のため救急車で病院に搬送され,朝方,病院から戻ってくるまで,長時間留守にしていたにもかかわらず,Aが午前10時頃まで被告人方にとどまっていた事実はあるが,これも,その前後の事情をみれば,Aが著しく畏怖していた現れであるなどとはいえない。
(7) そもそも,被告人は,これまでも,「ぶっ殺してやる。」などと言ってAに金の無心を繰り返していたのであり,本件は,第1の事件では,包丁を持ち出すなどした点で,第2の事件では,Gにライター用オイルをかけるなどした点で,これまでとは違う面がないではないが,この点を除けば,従前のものとほとんど変わらず,いわばその延長線上のものとみることもできる。しかも,第2の事件ではAのことが心配でついてきたGが常に同席しており,第1の事件でも,当時Aとの関係が悪くなかったEが犬の散歩の時間を除いて在宅又は同行している。また,被告人の暴行や脅迫があってから実際に現金や小切手を渡すまでには,かなりの時間の経過があり,その間,被告人が終始Aにつきまとっていたわけではなく,連絡を受けた警察官が臨場しても,Aは警察官に何も訴えたりしていない。そこには,被告人をこわいと思うAの気持ちまで否定するわけではないが,Aが,自分の意思をなくすほど畏怖していたといえるだけの事情は見いだせない。
以上のようにみてくると,被告人のAに対する暴行や脅迫は,Aが高齢であること,被告人と1対1になっていた場面があったことなどを考えても,反抗を抑圧するに足りる程度のものであったなどとは,到底考えられず,恐喝の手段としてのものにとどまるとみるのが相当である。
5 なお,第1の事件で被告人がAにした暴行は前示のとおりであるところ,これによりAが公訴事実記載の傷害を負ったかについて検討すると,確かに,Aは,被告人から暴行を受けた後,首の後ろが痛かった,腰もひねって痛かったなどと証言し,翌日の午後,医師の診察を受け,全治約1週間を要する頸部打撲,臀部打撲との診断を得ていることが認められる。しかし,Aの証言によっても,腰をひねったことはあるが,臀部を打撲した形跡は一切うかがわれないこと,医師の診断も,Aの訴え等を基にしたものに過ぎず,首や臀部に赤みや腫れがあったなどの所見はまったくないこと,暴行の態様をみても,頸部に打撲を生じるほどの外力が加わったとまでいえるのか疑う余地があることなどに照らすと,この点を積極に解するには疑問が残る。したがって,傷害の事実は認定しないこととした。
(法令の適用)
被告人の判示各所為はいずれも刑法249条1項に該当するところ,被告人とAとは判示のとおり直系血族の関係にあるから,同法251条,244条1項により被告人に対し判示各罪につきいずれもその刑を免除することとする。
よって,刑事訴訟法334条により主文のとおり判決する。
(求刑・懲役10年,弁護人(私選)實藤英樹(主任),須田友之)
(裁判長裁判官 毛利晴光 裁判官 奥山豪 裁判官 松本美緒)