大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成24年(わ)646号 判決 2012年7月20日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中330日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,平成14年6月25日午前零時前後頃,神奈川県厚木市下依知<番地略>付近路上において,徒歩で帰宅途中のA(当時48歳)を強姦しようと考え,その際,自己の暴行により同人を死亡させることになってもかまわないとの意思のもと,同人に対し,手で口をふさぐ,仰向けに倒す,手で顔面を殴る,手で頸部を締めつけて圧迫する,胸腹部に身体を乗せて圧迫するなどの暴行を加え,その反抗を抑圧した上,同人と無理やり性交するとともに,同人を頸部圧迫による窒息及び胸腹部に加えられた外力による胸骨骨折,肋骨骨折,肝臓破裂,腎臓破裂等の多発損傷により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(争点に対する判断等)

1  本件犯行の内容等について

本件犯行については,被害者は死亡し,かつ,目撃者はおらず,犯人による供述もないことから,犯行の日時,場所,犯行の内容等については,直接証拠はない。しかし,関係各証拠により認められる本件当夜の被害者の足取り(勤め先である焼肉店を出て徒歩で自宅に向けて帰るところであった。),被害者の遺体が発見された時刻,場所,発見に至った経緯,その際の遺体の状況,被害者の損傷の状況及び死因等によれば,被害者は,判示の日時に,遺体が発見された場所付近の判示の場所において,判示の暴行を受けて,強姦されるとともに,殺害されたことが認められる(暴行の順序やより具体的な態様までは,証拠上不明というほかなく,判示の限度での認定にとどめた。)。また,殺意については,犯人と被害者との関係等が証拠上不明であり,殺害の動機となるような事情があったことが認められない上,いきなり殺害行為に及んだとも認められないので,判示の内容の殺意として認定した。

なお,弁護人は,被害者が姦淫されたことについては疑問がある旨主張する。この点は,2で検討する本件の争点とも関連するところであるので,ここで補足して説明する。被害者の死体を解剖した東海大学医学部法医学教室教授(当時)のB医師の証言及び同人作成の鑑定書によれば,被害者の膣内から精液の存在が確認されているところ,この精液が本件犯行とは関係ないものであるとみるのは,被害者の足取り等からしておよそ考えられず,これと被害者が着衣をすべて脱がされ全裸の状態で路上に放置されていたという事実を併せてみれば,被害者の膣内にあった精液は,本件犯人が被害者の膣内に射精したものとみるのが合理的であり,これ以外のことは考え難い。したがって,被害者が姦淫されたことは明らかである。B医師の検査結果は,要するに,解剖時に被害者の膣内に被害者の靴下(以下「本件靴下」という。)が挿入されていることが分かったので,これを取り出す前と後に,それぞれ綿球で膣内液を拭い,その綿球を試料とするとともに,取り出した本件靴下の湿潤部分をろ紙に転写したものも試料とし,精液の有無を確認する際に通常用いられるSM試薬で検査したところ,いずれからも陽性反応があり,さらに,上記綿球から作成した塗抹標本を光学顕微鏡で観察したところ,精子の存在が確認されたというものであり,試料の選択,収集も検査の手法も,いずれも合理的で問題はみられない。後に述べるとおり,平成23年1月に神奈川県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)で行われた鑑定においても,本件靴下について,B医師の行った検査での部位とほぼ同じと思われる部位を対象にして,同様の検査及び観察がなされているが,そこでも,微弱ながらも陽性反応が得られ,また,少量の精子の頭部と思われるものが確認されており,B医師の検査結果と符合している。弁護人は,平成14年8月に科捜研で行われた鑑定によると,B医師の検査で試料とされた綿球と同様な綿球2種類を試料として検査したところ,SM試薬に対してもキングアームストロング法によっても,いずれも陰性の反応を呈し,また,一方の綿球からは精子の存在が確認されなかったことを指摘して,B医師の検査結果について問題視しているが,膣内に精液が存在していたとしても,膣内液のどの部分からもSM試薬等で陽性反応が得られるとは限らないのであって,これをもって,B医師の検査結果が問題であるというのは相当ではない。また,上記鑑定では,精液の存在は確認できていないものの,少なくとも,片方の綿球からは精子頭部様のものが確認できているのであって,この点では,B医師の検査結果を補強するものとみることもできる。そうすると,B医師の検査結果は,十分信用するに足るものであり,疑う余地はない。

2  本件の争点(被告人の犯人性)について

(1)本件で被告人の犯人性を考えるに当たり実際上の争点になっているのは,本件靴下から被告人のDNA型と一致する型のDNAが抽出されている(このこと自体は,争いがない。)ところ,そのDNAが精子由来のものであるか否かという点である。

本件靴下から被告人のDNA型と一致する型のDNAが抽出されたのは,平成23年1月に科捜研技術職員Cが行った鑑定(以下「C鑑定」という。)と同年3月に神奈川歯科大学教授Dが行った鑑定(以下「D鑑定」という。)においてである。そこで,これらの鑑定について,順次,鑑定の経過等をみることとする。

まず,C鑑定は,Cの証言及び同人作成の鑑定書によれば,以下のようなものである。すなわち,本件靴下の精液付着が疑われる淡黄色の斑痕が見られる足底部分,足の甲部分から3か所を検査部位とし,その部位をろ紙に転写し,SM試薬で検査したところ,いずれからも微弱な陽性反応があり,次いで,上記各検査部位にセロファン粘着テープ片を圧着した上,そのテープ片を光学顕微鏡で観察したところ,いずれからも,少量の精子の頭部と思われるものが確認できた,そこで,上記各検査部位を切り取り,その靴下片からいわゆる二段階細胞融解法(精子以外の細胞を除去し,残った精子からDNAを抽出する方法とされている。)により抽出されたDNAについて,PCR増幅を行った上で,DNA型分析を行ったところ,STR型の16座位が判明した,その結果は,各検査部位について,2回ずつ試みたが,すべて一致したというものである。そして,このDNA型は,被告人のDNA型とすべての座位について一致している。また,D鑑定は,Dの証言及び同人作成の鑑定書によれば,以下のようなものである。すなわち,本件靴下の精液付着が疑われる足底部分,足の甲部分を切り取り,この靴下片について,C鑑定が行ったようなSM試薬による検査や光学顕微鏡による観察は省略し,いわゆる二段階細胞融解法により抽出されたDNAについて,PCR増幅を行った上で,DNA型分析を行ったところ,足底部分のものについて,STR型の16座位と男性にしかないY染色体のSTR型(Y─STR型)の16座位が判明した,その結果は,2回ずつ試みたが,すべて一致したというものである。そして,このDNA型は,STR型については,C鑑定の結果と同一であり,被告人のDNA型とすべての座位について一致しており,かつ,Y─STR型についても,被告人のDNA型とすべての座位について一致している。

いずれの鑑定も,精子由来のDNAを抽出するものとされている二段階細胞融解法を用いているところ,確かに,弁護人が指摘するように,この方法は,どのような場合にも例外なく精子のDNAのみが抽出できるというものではなく,それ自体には限界があることは否めないが,C鑑定にあっては,SM試薬による検査により精液の付着を確認し,かつ,光学顕微鏡により精子の存在も確認した上で,同じ部位を検査対象として,二段階細胞融解法でDNAを抽出していることからすると,ここで抽出されたDNAは,まさに精子由来のものとみるのが合理的であり,そうでないとみるのは,余りにもうがった見方というほかない。これに対し,D鑑定は,精液の付着や精子の存在を確認していないため,C鑑定と同列には論じられないが,C鑑定とほぼ同じ部位を検査対象にしていることに照らすと,これもまた,精子由来のDNAが抽出されたとみることができる。1で述べたB医師の行った検査の対象は,本件靴下についてはC鑑定やD鑑定とほぼ同じ箇所といえるのであって,同医師の検査結果(精液付着の確認)も,両鑑定において精子由来のDNAを抽出したとの結論を補強するものといえる。

なお,弁護人は,B医師の検査結果やC鑑定における同様の検査結果について,その結果が分かるような写真を撮っていないなどと指摘して,その結果について疑問を提起しているが,いずれも本質的なものとはほど遠く,検査結果の信用性を左右するものとは考えられない。

以上によれば,C鑑定及びD鑑定において,本件靴下から被告人のDNA型と一致する型のDNAが抽出されているところ,それが精子由来のものであることは,優に認められる。

(2)そうすると,STR型16座位のDNA型がすべて一致する人物は4兆7000億人に1人という出現頻度にかんがみれば,本件靴下から抽出された精子由来のDNAは被告人固有のものであると考えるのが合理的である。そして,この精子が本件靴下に付着していた精液,被害者の膣内に存在していた精液に由来することは自ずと明らかであり,1で述べたところによれば,その精液は本件犯行(強姦)によるものであるというのであるから,被告人が本件犯人と同一であることも,優に認定できる(なお,検察官は,本件当時被告人が犯行現場からそれほど離れていない場所に住んでいたことも,被告人の犯人性を根拠づける事実として挙げているが,被告人の犯行可能性をうかがわせる事情といった程度の意味しかなく,相当ではない。)。

(3)弁護人は,平成19年3月に東海大学の検査技師(当時)であったEが行った鑑定(以下「E鑑定」という。)によると,本件靴下の精液が付着していると思われる部位を試料として,DNAを抽出してDNA型分析を行い,その結果,Y─STR型16座位が判明しているが,そのDNA型は被告人のそれとは異なっており,被告人以外の者が犯人である可能性があると主張する。しかし,Eの証言によれば,Eは,鑑定試料について,SM試薬による検査等を行っていないばかりか,二段階細胞融解法によりDNAを抽出したわけでもないのであるから,このDNAが精子由来のものでない可能性が大であり,そうだとすると,靴下の使用の仕方からして,第三者の精子以外の細胞が付着することは十分に考えられるのであって,この鑑定結果が上記の判断を左右することにはならない。しかも,仮に,E鑑定において抽出されたDNAが精子由来のものであるとすれば,精子由来のDNAを抽出したD鑑定の結果と一致するか,D鑑定の結果が複数のDNA型を混在したものになるはずであるが,そのような結果にはなっておらず,E鑑定において抽出されたDNAが精子由来のものである可能性はむしろないといってよい。したがって,この点に関する弁護人の主張は採用できない。

また,弁護人は,C鑑定やD鑑定が行われるまでの本件靴下の保管は,非常にずさんなものであり,いわゆる汚染の可能性があるなどと主張する。確かに,本件靴下の保管状況にははっきりしない点があり,不適切と思われる扱いがなされていた可能性は否定できないが,汚染により被告人の精子が付着するというようなことは到底考え難く,これもまた,上記の判断を左右するものとはいえない。

その他弁護人がるる主張する点は,いずれも理由のあるようなものではなく,採用の限りでない。

(4)以上のとおりであり,被告人が本件犯人であることは明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち殺人の点は,行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法199条(有期懲役刑の長期についてはその改正前の刑法12条1項)に,裁判時においてはその改正後の刑法199条(有期懲役刑の長期についてはその改正後の刑法12条1項)に,強姦致死の点は,行為時においては同法律による改正前の刑法181条(177条前段)

(有期懲役刑の長期についてはその改正前の刑法12条1項)に,裁判時においてはその改正後の刑法181条2項(177条前段)(有期懲役刑の長期についてはその改正後の刑法12条1項)にそれぞれ該当するが,これらはいずれも犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,この殺人と強姦致死は1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,同法54条1項前段,10条により1罪として重い殺人罪の刑で処断することとし,所定刑中無期懲役刑を選択して被告人を無期懲役に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中330日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

1  殺意をもって人一人の生命を奪うとともに強姦したという本件が,重大な犯罪であり,かつ,卑劣な犯行であることはいうまでもなく,そのことを前提に量刑を考える。

2  本件において特徴的なことは,遺体の損傷状況から明らかなように,暴行の程度がすごく,情け容赦のないことと,被害者を強姦しただけでなく,被害者が履いていた靴下の片方を膣の中に奥深く押し込み,着用していたパンティを首に巻き付けてねじるようにして締め,着衣をすべて脱がせて全裸のまま路上に放置するなど,被害者の人格を無視し,冒とくするのも甚だしい手口であることである。単なる殺人や強姦とは異質な犯行と言っても過言ではない。もとより,被害者が受けた肉体的苦痛,恐怖感,屈辱感,絶望感には計り知れないものがある。自宅近くでこのような犯行に遭い,生命を落とした被害者の無念さは想像に難くない。また,被害者の子供らが被告人に対し極刑を希望すると述べ,極めて厳しい処罰感情を示しているのも,十二分に理解できる。近隣住民に与えた不安感も軽視できない。

しかも,被告人は,自分は犯人ではないと否認し,それ以上は何も語らずに終始しており,反省の態度は全くみられない。

3  そうすると,同種の前科がないなどの事情があるとはいえ,被告人の刑事責任はすこぶる重いといわなければならない。したがって,被告人に対しては,有期懲役の上限である20年では軽きに過ぎ,検察官の求刑どおり,無期懲役に処するのが相当である。

(裁判長裁判官 毛利晴光 裁判官 奥山豪 裁判官 松本美緒)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例