横浜地方裁判所 平成24年(行ウ)59号 判決 2013年3月06日
原告
X
原告訴訟代理人弁護士
関澤潤
同
廣江信行
同
澤田直彦
被告
藤沢市
同代表者市長
A
処分行政庁
藤沢市長 A
被告訴訟代理人弁護士
川端和治
被告補助参加人
Z
同訴訟代理人弁護士
大川隆司
同
中込泰子
主文
一 処分行政庁が平成二四年八月七日付けでした別紙文書目録記載の文書を公開するとの決定を取り消す。
二 訴訟費用は、補助参加により生じた費用を被告補助参加人の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
一 事案の骨子
本件は、原告が都市計画施設区域内にある別紙物件目録記載の土地部分(以下「本件土地部分」という。)を不動産業者に売り渡す前に、公有地の拡大の推進に関する法律(以下「公拡法」という。)四条に基づく有償譲渡届出書(以下「本件有償譲渡届出書」という。)を提出した上、同不動産業者に売り渡した後、本件土地部分が他の不動産業者に、次いで、藤沢市土地開発公社(以下「公社」という。)に、それぞれ転売されたところ、処分行政庁が、藤沢市住民である被告補助参加人から、藤沢市情報公開条例(平成一三年藤沢市条例第三号。以下「市条例」という。)五条、一〇条に基づき受けた本件有償譲渡届出書等の公開請求に対して「土地有償譲渡届出書のうち譲渡予定価額欄の土地及び合計の各項目」(以下「本件非公開部分」という。)等を非公開としその余を公開する旨の行政文書公開一部承諾決定(以下「原決定」という。)をし、かつ、行政不服審査法九条に基づき受けた原決定に対する異議申立てに対して市条例一八条に基づき本件非公開部分の公開の当否につき諮問した藤沢市情報公開審査会(以下「審査会」という。)の公開すべきである旨の答申に沿わずに異議申立棄却決定をしながら、藤沢市議会(以下「市議会」という。)によるその公開を求める請願(以下「本件請願」という。)の採択後、同決定を撤回して市条例八条(公益による裁量的開示)の規定に基づくものとして行った別紙文書目録記載の文書(以下「本件文書」という。)を公開する旨の決定(以下「本件決定」という。)は、行政行為の撤回にあたり、かつ、その適法要件を欠き、行政庁の裁量権の範囲を逸脱する違法なものであるとして、原告が被告に対し、その取消しを求める事案である。
二 基礎となる事実(当事者間に争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 原告は、平成二〇年七月一〇日付けで、処分行政庁を経由して、神奈川県知事に対し、公拡法四条一項一号に基づき、都市計画道路三・五・九鵠沼奥田線の区域内にある本件土地部分に係る本件有償譲渡届出書を提出した。
(2) 原告は、平成二〇年七月二五日、東京都練馬区内所在の訴外株式会社a(以下「a社」という。)に対し、本件土地部分及び隣接土地五筆(以下「隣接地」という。)を相当代金で売り渡し、a社は訴外b株式会社(以下「b社」という。)に対し上記各土地を高層マンション建築用地として売り渡し、公社は被告の依頼を受け、平成二一年六月ころ、b社から本件土地部分等を都市計画道路用地として先行取得し、b社はその後隣接地等を敷地として区分所有建物(以下「本件マンション」という。)を建築してその専有部分全部を売却した。
(3) 被告補助参加人は、平成二二年六月七日、処分行政庁に対し、市条例五条、一〇条に基づき、本件文書等の公開を請求した。
(4) 処分行政庁は、同月一八日、被告補助参加人に対し、本件有償譲渡届出書の記載のうち、譲り渡そうとする者の氏名欄の印影が個人に関する情報であって特定の個人が識別され、譲渡予定価額に関する事項のうち土地の譲渡予定価額及び合計の譲渡予定価額が当該個人の財産・収入状況に関する情報であり、これらを公開することにより個人の権利利益を害するおそれがあるからいずれも市条例六条一号に該当し、上記各価額が法人に関する情報であってこれを公開すると当該法人の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるから同条二号にも該当することを理由として、上記各部分を除くその余の部分を公開する旨の原決定をし、被告補助参加人に対し、その旨通知した。
(5) 被告補助参加人は、同年七月八日、処分行政庁に対し、行政不服審査法九条に基づき、原決定が本件非公開部分を公開しなかったことについて異議申立てをした。
(6) 処分行政庁は、同月二六日、審査会に対し、市条例一八条に基づき、原決定について諮問をした。
(7) 審査会は、平成二三年一一月八日、処分行政庁に対し、本件非公開部分を公開することにより、個人の権利利益を害するおそれ及び法人等の正当な利益を害するおそれがあるとまでは認められないとして、これを公開すべきである旨の答申(以下「審査会答申」という。)をした。
(8) 処分行政庁は、平成二四年一月四日、被告補助参加人に対し、公社がb社から先行取得した土地に係る横浜地方裁判所平成二二年(行ウ)第四九号藤沢市土地開発公社からの用地買取り差止請求事件(同事件の原告は本件の被告補助参加人であり、同事件の被告は本件の被告と同じである。以下「別件」という。)を基本事件とする平成二三年(行ク)第六号文書提出命令申立事件において、申立人(被告補助参加人)が神奈川県知事に対し提出を求めた有償譲渡届出書に記載された情報のうち、少なくとも譲渡予定価額及び譲り渡そうとする相手方に関する情報が、神奈川県情報公開条例五条一号又は二号の不開示事由(市条例六条一号、二号と同旨の規定)に当たると判断されたことを理由として異議申立棄却決定をした。
(9) 市議会は、平成二四年二月二八日付けで、審査会答申を尊重し本件非公開部分の公開を求める請願(本件請願)の提出を受け、同年三月一二日総務常任委員会において、同月一四日本会議において、これを採択した。
(10) 処分行政庁は、同年八月七日、本件文書は非公開とすべき情報であるが、市議会が本件請願を採択し、民意が示されたことを重く受け止め、公益上特に必要があるとして、異議申立棄却決定を撤回して市条例八条に基づく裁量的開示として本件文書を公開する決定(本件決定)をし、同月八日付けで、原告に対し、その旨及び本件非公開部分の公開予定日が同月二四日であることを通知した。
(11) 原告は、同月二一日、本件訴えを提起するとともに、本件決定の執行停止の申立て(横浜地方裁判所平成二四年(行ク)第二三号)をしたところ、同裁判所は、同月二三日、本件決定の効力を本案判決確定まで停止する旨の決定をした(当裁判所に顕著な事実)。
(12) 横浜地方裁判所は、平成二四年一〇月一七日、別件について判決を言い渡し、同判決理由中で、公社による本件土地部分に隣接する元藤沢市○○c丁目<以下省略>の土地の一部で平成二一年七月一日付け分筆により同番三八と表示されるに至った土地外の価格及び合理性の認められる移転補償費の合計額が適正価格の約一・七倍である旨認定した(当裁判所に顕著な事実)。
三 争点(本件決定は適法か否か)及びこれに関する当事者の主張
(被告の主張)
(1) 市条例八条は、「実施機関は、公開請求に係る行政文書に非公開情報が記録されている場合であっても、公益上特に必要があると認めるときは、当該行政文書を公開することができる。」と定めているところ、「公益上特に必要がある」か否かの判断は、「市民の知る権利を保障し市政を市民に説明する責務を全うされるようにすること」(市条例一条)と「個人に関する情報を最大限に保護すること」(市条例二条三号)を斟酌し、衡量して行われなければならない。
(2) ところで、藤沢市における事業用地取得経過についての透明性の確保という公益は、異議申立棄却決定後に、前市長に替わり現市長が当選して就任し、市議会が本件請願を採択したことにより飛躍的に高まったことが民意によって示され、他方、隣接地上のマンション建築工事は既に竣工し、各区分所有部分は完売となり、同マンション建築反対運動も終焉しているので、原告に対する建築反対運動派からの嫌がらせなどの心配はもはや存在しない。
そこで、処分行政庁は、上記透明性の確保が公益上特に必要であると判断して本件決定をしたものであるから、本件決定は、処分行政庁の裁量権の範囲を何ら逸脱するものではなく適法である。
(被告補助参加人の主張)
(1)ア 本件決定が行政行為の撤回であるとしても、法令上の根拠に基づくことを必要とせず(最高裁判所昭和六三年六月一七日第二小法廷判決・集民一五四号二〇一頁)、公益上の必要性が客観的に存在すれば足りる。ところで、別件判決は、公社が平成二一年六月に適正価格の約一・七倍で本件土地部分を先行取得したことを認定しており、神奈川県知事が平成二〇年七月に原告から本件有償譲渡届出書の提出を受けて照会したにもかかわらず、被告が先買権を行使して買取協議に入らなかったことが適切であったか否かということ、すなわち、被告の財産取得行政の当否について納税者たる市民に検証の機会を与え、処分行政庁がその説明責任を果たすという意味で、本件非公開部分を公開することこそが公益に適っているということは明白である。
また、処分行政庁は、元々、市条例一八条の「審査会に諮問し、その議に基づいて当該不服申立てについての決定をしなければならない。」との文言により審査会答申に沿うことを義務付けられ、その義務を果たすこと自体が重要な公益の実現であると解されるところ、本件請願を採択する市議会の議決が異議申立棄却決定後に重ねてされたのであるから、同議決は、異議申立棄却決定の撤回の根拠となる後発的事情であり、同議決に沿うこと自体が重要な公益の実現である。
他方、本件文書に記載されている譲渡予定価額は、終局的には、公拡法七条所定の「公示価格を基準として算定した価格」、すなわち、「一般人であればおおよその見当をつけることができる一定範囲の客観的な価格」を規準として形成されることとなるのであり、対象土地に関する主観的価値が考慮されることはないのであり、その開示によって譲渡の当事者たる個人又は法人が被る不利益は限定的である。
したがって、本件決定は、適法である。
イ 仮に、行政行為の撤回には法令上の根拠を要するとしても、市条例一八条は、講学上の取消しに当たるか撤回に当たるかを特に区別することなく、審査会の議に基づいて異議申立棄却決定の変更がありうることを予定しているから、同条に基づく撤回ができる。
(2) 市条例八条に基づく裁量的開示は、行政機関の保有する情報の公開に関する法律七条に基づく公益上の理由による裁量的開示と同様、個別具体的な場合において、開示によって実現される公益の方が不開示によって保護される利益よりも優先される場合において、実施機関に認められる権限である。そして、前記(1)アによると、前者が後者よりも優先されるべきであるということができる。
したがって、本件決定は、同条に基づく裁量的開示として適法である。
(原告の主張)
(1) 本件決定は、処分行政庁が有効に成立した異議申立棄却決定の効力を失わせて、一度保護された原告のプライバシーの権利を侵害する行政行為であり、行政行為の撤回に該当するから、国民の行政行為に対する信頼保護の観点から、原則として許されず、それが許されるのは、法律の根拠があるか、又は、異議申立棄却決定後に新たな事情が生じて当該行政行為を撤回する公益上の必要性があり、かつ、それが当該行政行為により国民が既に取得した利益を保護する必要性を超える場合であるところ、本件では、かかる公益上の必要性を裏付ける事情が同決定後に生じ、原告の権利ないし利益保護の必要性を超えるに至ったということはできない。
ア 本件有償譲渡届出書は、地方公共団体が先買権行使する契機となるものであるが、先買権行使時の取得価格である公拡法七条所定の「公示価格を基準として算定した価格」、すなわち、不動産鑑定士が鑑定評価に際して求める正常価格とは異なり、地方公共団体の先買権の行使又は不行使を決定する上で直接影響を与える情報が記載されているものではない。そして、本件有償譲渡届出書は、本件土地部分の前々所有者と前所有者との間の売買契約に係るものではなく、元所有者である原告と前々所有者であるa社との間の本件土地部分売買に係る譲渡予定価額が記載されているものにすぎない。そうすると、本件文書を公開しても、被告が平成二〇年七月に原告からの同届出を契機として原告との間で売買交渉に入らなかったことが適切であったかどうかを判断することはできないから、本件文書の公開には、元々、高い公益性があるとはいえない。かえって、本件文書が公開されれば、譲渡予定価額が公開されないものと信頼して土地有償譲渡届出書を提出した私人と都道府県首長との信頼関係を損ない、今後土地の有償譲渡をしようとする者が、自らの取引上の利害から、届出内容が公開される可能性のあることを前提として、届出書の提出について速やかな協力をしなくなる事態を容易に想定することができ、公拡法に基づく公務の円滑な遂行という公益が阻害される結果となる。
これに対し、被告は、本件非公開部分を公開し、市政を市民に説明し、その知る権利を保障する民意が本件請願の採択によって示されたことで、異議申立棄却決定を撤回する公益上の必要性が生じた旨主張する。しかしながら、本件請願の採択は、市議会が、同決定時に既に生じていた事情を基礎として、公社が鵠沼奥田線事業用地として本件土地部分を取得するまでの一連の土地の流れを公にすべき事情のあることを認めたものに過ぎず、同決定後に生じた新たな事情には当たらない。
イ 他方、本件土地部分の譲渡予定価額及び合計額が公開されれば、原告が第三者にその財産状態を推知されることとなる。これに対し、被告補助参加人は、公拡法四条に基づき届け出られた譲渡予定価額が開示されることによって生じる売買当事者の不利益は、極めて限定的であると主張する。しかしながら、私人間の売買では、売買価格が当事者間の自由な交渉によって決定されるのであり、場合によっては、それが一般事例から類推される標準的な価格とかけ離れた額に決定されることもあり、一般人がこれを予測することは困難であるから、譲渡予定価額が開示されれば、原告のプライバシーの権利等が著しく害されるおそれのあることは明らかである。
(2) また、市条例八条に基づく裁量的開示は、特に、個人の人格的利益その他憲法上保障されている利益を対象とする場合には、慎重な配慮が求められ、当該情報が市政の具体的決定について直接影響を与え、当該情報が公開されない限り、市政の具体的決定の妥当性が判断できないため、個人の権利ないし利益を害してでも当該情報を開示すべき例外的な場合に限られるというべきであるところ、本件文書がそのような情報に該当しないことは、前記(1)のとおりである。
(3) したがって、本件非公開部分を公開すべき公益上の必要性は、本件決定時においても生じておらず、かえって、その公開は、公拡法に基づく公務の円滑な遂行という公益を阻害し、かつ、原告のプライバシーの権利等を回復困難な程度に侵害するものというべきであるから、本件決定は、行政行為の撤回の要件を欠き、かつ、本件文書が裁量的開示の規定に基づき公開されるべきものではないから、処分行政庁がその裁量権の範囲を逸脱してしたものというべきであり、違法である。
第三当裁判所の判断
一 本件決定の適法要件
本件決定は、前記第二の二の(8)及び(10)のとおり、異議申立棄却決定を撤回するものであるところ、原告は、本件決定が行政行為の撤回についての適法要件を欠いている旨主張するので、まず、行政行為の撤回が許容される要件について検討することとする。
行政行為の撤回は、当該行政行為がその実行時の事情を基礎とすると何ら瑕疵がなく適法であったが、後発的な事情をも基礎とすると、その効果を存続させることが公益適合性を欠くに至った場合に、その効果を将来に向かって失わせる新たな行政行為であり、撤回された行政行為がその名宛人に対する不利益処分である場合には名宛人の利益となり、かつ、公益適合性を欠くに至ったにもかかわらずその名宛人を不利益な状態に置き続けるべきではないから、処分行政庁がその裁量権に基づきこれを行うことは原則として自由であり、法令上の明文の根拠を必ずしも必要としないと解される。
しかしながら、原処分の撤回は、原処分がその名宛人に対する不利益処分であると同時に、利害関係人の権利ないし利益を保護する複効的処分である場合には、原処分がその名宛人に対し権利ないし利益を与える行政行為である場合と同様、その責めに帰すべき事由がないにもかかわらず利害関係人の権利ないし利益を侵害することによりその行政行為に対する信頼を裏切り、しかも、法的安定性を害するものとなりうるから、後発的事情をも基礎とすると、利害関係人の権利ないし利益の保護の必要性が減少し、他方、原処分の効果を消滅させて公益適合性を確保する必要性が発生ないし増大するなどして、私的権利ないし利益よりも当該公益が優先されるべき状況となったと認められる場合でなければ、許されないと解される。そして、異議申立棄却決定が市条例六条一号に基づき原告に関する個人情報ないし個人識別情報、すなわち、プライバシーの権利及び平穏な生活を送る利益を、同条二号に基づき法人であるa社に関する情報に係るものでその競争上の地位その他正当な利益を、それぞれ保護することを目的とするものであることは、前記第二の二の(4)及び(8)のとおりである。そうすると、異議申立棄却決定の撤回は、後発的事情により、本件非公開部分を公開する何らかの公益上の必要性が発生又は増大し、他方、原告及びa社の前記権利ないし利益保護の必要性が減少するなどして、前者が後者を上回り、前者を優先させるべき状況となったという場合でなければ、処分行政庁の裁量権の範囲を逸脱する違法なものというべきである(なお、被告及び被告補助参加人は、本件決定が市条例八条に基づくものである旨主張するが、同条所定の裁量開示は、同条が処分行政庁において職権で異議申立棄却決定を撤回した上本件決定を行う場合に関する規定でないことは自明というべきである。)。
そこで、以下には、本件決定が適法要件を満たすか否かについて検討することとする。
二 適法要件の有無
(1) 後発的事情による公益上の必要性の発生ないし増大の有無
まず、被告は、現市長が異議申立棄却決定後に当選して就任し、本件請願が採択されたことにより、藤沢市における事業用地取得経過についての透明性の確保という公益が飛躍的に高まったことが民意によって示された旨主張するところ、現市長による本件文書公開当否の判断の変更は、首長の交替及び本件請願の採択に表明された民意に沿うものではある。しかしながら、その実質は、異議申立棄却決定時に既に生じていた事情を基礎とする公益性の強弱に関する評価を政治状況の変化に合わせて変更したに過ぎないものであり、それを理由に異議申立棄却決定の撤回を法的に許容し、利害関係人の権利ないし利益の侵害を看過するときには、行政行為に対する市民の信頼ないし法的安定性が損なわれることは明らかであって、それが行政行為撤回の適法要件としての後発的事情として考慮されるべきものでないことは、自明である。
次に、被告補助参加人は、前記第二の二(12)の事実を踏まえれば、神奈川県知事が原告から本件有償譲渡届出書の提出を受け、被告がそのことを知っていたにもかかわらず、被告が先買権を行使して買取協議に入らなかったことが適切であったか否かを審査するために、本件非公開部分を公開することが必要となり、かつ、公益に適うに至った旨主張する。しかしながら、同(12)の事実が別件判決言渡時に新たに生じた事実ではなく、別件判決が公社による先行取得時に生じていた事実を事後的に認定したものに過ぎないことは自明であって、異議申立棄却決定後に生じた後発的事情ではない。
以上によると、本件非公開部分を公開する公益上の必要性が後発的事情により発生ないし増大したとはいえない。
(2) 原告ないしa社の権利ないし利益の保護の必要性が減少したか否か
まず、被告は、本件マンション建築工事は既に竣工し、各専有部分は完売となり、本件マンション建築反対運動も終焉しているので、原告に対する建築反対運動派からの嫌がらせなどの心配はもはや存在しない旨主張する。
また、被告補助参加人は、本件文書に記載されている譲渡予定価額は、終局的には、公拡法七条所定の「公示価格を基準として算定した価格」、すなわち、「一般人であればおおよその見当をつけることができる一定範囲の客観的な価格」を規準として形成されることとなり、対象土地に関する主観的価値が考慮されることはないのであり、その開示によって譲渡の当事者たる個人又は法人が被る不利益は、元々限定的なものである旨主張する。
しかしながら、私人間の売買では、当事者間の自由な交渉によって目的物の価格が決定されるのであり、場合によっては、一般事例から類推される標準的な価格とはかけ離れた額で取引されることもあるから、一般人が、当該価格を具体的に推知することは困難であるというべきである。ところが、本件文書が公開されれば、第三者が原告とa社との間の本件土地部分及び隣接地の売買代金総額、ひいては、原告の資産状況を具体的に推知できることとなり、原告がその資産に関するプライバシーの権利を侵害され、a社がその競争上の地位その他正当な利益を損なうおそれのあることにいささかの変化もないことは明らかで、他に異議申立棄却決定後にかかる不利益が消失したことを認めるに足りる証拠はない。
また、証拠<省略>によれば、原告が平成二二年二月以降本件マンション建築反対運動に関連する電話を受けたこと、原告が階数を五階以下に制限する地区計画協定締結に関する同反対運動参加住民七名との会合に出席することを余儀なくされたこと、原告が同年三月二七日に同反対運動参加住民から電話番号を聞いた新聞記者からの電話を受けたこと、原告の配偶者がその後同反対運動参加住民からの電話に長時間応対することを余儀なくされたこと、原告が同年六月末ころ上記協定に協力しなかったため同協定が実現しなかった旨の暗に原告を非難する趣旨の文書を投函されたこと、○○地域の命と財産を守る会が平成二四年一一月二八日付けの「○○c丁目と△△町の皆様へ」と題する書面により、本件マンションの建築反対運動の不成功に言及しつつ、新たに発表された一四階建マンションの建築計画に対する反対運動への関係住民の協力を求めていること、以上の各事実が認められる。そうすると、本件マンション建築反対運動の経緯及び近隣住民による新たな高層マンション建築反対運動の存在に照らせば、原告の資産状況を具体的に知った近隣住民の中に原告に対するより一層の悪感情を抱く者が生じるおそれも否定することができず、原告の生活の平穏が本件非公開部分の公開により一層脅かされるおそれがないとはいえない。
(3) 以上によると、異議申立棄却決定後の後発的事情により、本件非公開部分を公開する公益上の必要性が発生ないし増大し、他方、原告及びa社の前記権利ないし利益の保護の必要性が減少するなどして、前者が後者を上回り、前者が優先されるべき状況となり、異議申立棄却決定を撤回することが許されるに至ったとは到底いうことができない。したがって、本件決定は、処分行政庁の裁量権の範囲を逸脱する違法なものといわざるを得ない。
加えて、本件決定は、行政不服審査法に基づく異議申立てに対する決定を撤回するものであるが、このような争訟に対する判断としての行政行為については、いわゆる不可変更力が認められ、行政庁自らこれを取り消し、変更することは原則として許されないとする解釈があり(最高裁判所昭和二九年一月二一日第一小法廷判決・民集八巻一号一〇二頁参照)、本件決定についても、市条例に異議申立手続に関して審査会への諮問及びその際の諸手続の規定(条例第三章)が置かれていることにかんがみても、上記不可変更力が認められると解されるところ、原告はこのような観点からの主張をしないものの、これによれば本件決定の撤回の要件はより厳格に解されることとなるから、この点からしても、本件決定の違法性は明らかである。
三 結論
以上によると、本件請求は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐村浩之 裁判官 日下部克通 志村由貴)
別紙 文書目録
平成二〇年七月一九日付け土地有償譲渡届出書(ただし、譲り渡そうとする者の氏名欄の印影部分を除く)
別紙 物件目録<省略>