横浜地方裁判所 平成25年(わ)1470号 判決 2015年3月31日
主文
被告人は無罪。
理由
第1本件各公訴事実の概要等
1 訴因変更後の主位的訴因と予備的訴因に係る各公訴事実の概要
(1) 主位的訴因
① 被告人は,神奈川県大和市内所在の学校法人A幼稚園の園長として,同幼稚園の園務をつかさどり,同園における園児の安全確保,園舎,プール等の施設の管理並びに教諭等の指導監督及び教育を実施し,文部科学省から通知されたプールの安全標準指針等に基づき,水難事故の発生を防止するための安全管理体制の整備及び教諭等に対する教育・訓練等の安全対策を講ずる業務に従事していた。
② Bは,幼稚園教諭であり,同園の年少クラスであるC4組の担任教諭として,園のプール活動を含む同組の園児の教育活動及び安全管理業務に従事していた。
③ 平成23年7月11日,同園内設置の楕円形屋内プール(直径約4.15ないし4.57メートル,深さ0.65ないし0.7メートル,当時の水深約0.21メートル)において,C4組のD(当時3歳)ら11名の園児に対するプール活動を実施するに当たり,プールの底は滑りやすく前記Dを含む園児らが転倒するなどして溺れる可能性があり,前記園児11名はいずれも3歳児ないし4歳児であって,プール活動で溺水する危険性を十分認識することができず,自ら危険を察知して回避することが困難であった。
④ 被告人は,前記Bが新任教諭であって,プール活動に関する知識・経験が十分でないため,プール活動における園児を監視するに当たっての具体的注意事項等につき前記Bに教育・訓練を行わないまま同人単独でプール活動を実施させれば,園児に対する監視が不十分となるおそれがあった上,当時,同園には,プール活動に従事可能な職員が,被告人以下数人いたのであるから,前記Bをして,プール活動を実施させるに当たっては,同人に対して遊具の片付け等の際にも園児の行動を注視できる方法などの具体的注意事項等を十分に教示し,あるいは,前記B以外に園児を監視する者を配置するなど複数の者によって園児の行動を監視する体制をとるなどして水難事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,前記Bに対して何らの教示をせず,漫然と同人をして,単独で前記プール活動を実施させた。
⑤ 前記Bは,前記プール活動を実施していたのであるから,プール活動実施中は常に園児一人一人の動静を注視してその監視を怠ることなく,園児が溺れるような事態が発生した場合には直ちにこれを発見して救助し,必要な救命措置を講じるなどして水難事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,遊具の片付け等に気を取られ,プール内にいた園児らに背を向けるなどして,園児の行動を十分注視せずその監視を怠った。
⑥ 前記④及び⑤の各過失の競合により,同日午前11時48分頃,前記プールにおいて,前記Dが溺れたことに気付かないまま同人に水を吸引させ,よって,同日午後2時2分頃,同市内所在のE病院において,同人を溺水吸引により溺死させた。
(2) 予備的訴因
① 主位的訴因①に同じ
② 主位的訴因③に同じ
③ 被告人は,前記C4組の担任教諭である前記Bが新任教諭であって,プール活動に関する知識・経験が十分でないなど,同人単独でプール活動を実施させれば,園児に対する監視が不十分となるおそれがあった上,当時,同園には,プール活動に従事可能な職員が,被告人以下数人いたのであるから,前記Bをして,プール活動を実施させるに当たっては,常に,同人以外に園児を監視する者を配置するなど複数の者によって園児の行動を監視する体制をとるなどして水難事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,漫然と,同人をして,単独で前記プール活動を実施させた過失がある。
④ これにより,前記Bが,同日午前11時35分頃から同日午前11時48分頃までの間,前記プールにおいて,前記Dが溺れたことに気付かないまま同人に水を吸引させ,よって,同日午後2時2分頃,同市内所在のE病院において,同人を溺水吸引により溺死させた。
2 検察官の主位的・予備的訴因に関する釈明等
(1) 主位的訴因④にいう「遊具の片付け等の際にも園児の行動を注視できる方法などの具体的注意事項等」とは,「プール活動終了時の遊具の片付けをする際には,プール内の園児が見渡せるように,プールの壁際に背を向けてプールの中央側に顔を向ける体勢で立った上,遊具を片付ける籠を体の前に持ってくる方法又はこれに類する方法」であり,これ以外に別の具体的注意事項を主張するものではない。
(2) 主位的訴因④及び予備的訴因③にいう「前記B以外に園児を監視する者を配置するなど複数の者によって園児の行動を監視する体制」における「監視する者」とは,プール活動の指導を行わず監視に専念するA幼稚園の職員であることを要するが,その資格は問わない。
(3) 主位的訴因④にいう「遊具の片付け等の際」とは,前記Bがプール内で遊具の片付け作業を開始してから後のことをいい,本件事故がその際に生じたことを前提とするものである。予備的訴因は,それ以前の段階で本件事故が生じたことを前提とする訴因であり,主位的訴因と予備的訴因は,前提となる事故発生時点が異なるものの,「前記B以外に園児を監視する者を配置するなど複数の者によって園児の行動を監視する体制をとるなど」すべき義務の発生根拠等が異なるものではなく,事故発生の時期によって場合分けをして,別々の訴因として構成したものにすぎない。
3 弁護人の主張の概要
本件事故が発生した時期は,前記Bがプール内で遊具の片付け作業を開始する前の自由遊び時であった。したがって,検察官主張の「遊具の片付け等の際にも園児の行動を注視できる方法などの具体的注意事項等を十分に教示」する義務の主張は失当である。また,そもそも被告人には遊具の片付け時に限定した上記教示義務はない。
さらに,被告人には,「前記B以外に園児を監視する者を配置するなど複数の者によって園児の行動を監視する体制をとるなど」すべき義務までは課されていなかった。
したがって,主位的訴因及び予備的訴因に係る過失はいずれも成立せず,被告人は無罪である。
第2主位的訴因における争点
主位的訴因における主要な争点は,本件事故当時の園長である被告人について,①前記Bに対し,検察官の主張する遊具の片付け作業等の際にも園児の行動を注視できる方法などの具体的注意事項等,すなわち,「プール活動終了時の遊具の片付けをする際には,プール内の園児が見渡せるように,プールの壁際に背を向けてプールの中央側に顔を向ける体勢で立った上,遊具を片付ける籠を体の前に持ってくる方法又はこれに類する方法」を十分に教示することを怠った過失(以下「教示懈怠の過失」という。)があるといえるか,②B教諭のプール活動に際し,同人以外に園児を監視する者,すなわちプール活動の指導を行わず園児の監視に専念する者(以下,このような者を「専ら監視を行う者」という。)を配置して複数の者によって園児の行動を監視する体制をとることを怠った過失(以下「複数監視体制構築懈怠の過失」という。)があるといえるかである。
そして,上記①の教示懈怠の過失主張の前提として,本件事故の発生時期に関し,B教諭による遊具の片付け作業の開始時より後に発生したのか(検察官主張),それより前の自由遊び時に発生したのか(弁護人主張)について,当事者間に争いがある。
なお,上記①の教示懈怠の過失に関し,被告人が自らあるいは他のA幼稚園の教諭等をして,B教諭に対し,検察官が主張するのと同一内容の教示をしていなかったこと,上記②の複数監視体制構築懈怠の過失に関し,本件事故発生当時,本件プール付近にいたB教諭以外の教諭らは,いずれも専ら監視を行う者に当たらず,被告人が,B教諭が担当するプール活動に際し,B教諭とは別に専ら監視を行う者を配置する体制をとっていなかったことは,証拠上明らかであり,当事者間にも特に争いはない。
第3前提となる事実関係等
関係証拠によれば,本件争点を判断するための前提となる事実関係等として,次のような各事実を認めることができる。
1 A幼稚園における被告人らの地位及び保育状況等
(1) 被告人は,平成15年7月31日,神奈川県大和市内所在の学校法人A幼稚園の園長に就任し,平成23年7月11日当時も園長の職にあった。被告人は,園長として,A幼稚園における園務をつかさどり,園児の安全確保を図る責務を担い,水難事故の発生を防止するための安全管理体制の整備及び教諭等に対する教育・訓練等の安全対策を講ずる職責を負っていた。B教諭は,同年3月に短期大学を卒業して幼稚園教諭二種免許を取得し,同年4月にA幼稚園に採用されたいわゆる新任教諭であった。
(2) A幼稚園は,平成23年7月11日当時,年少,年中及び年長組からなる3年保育を実施しており,総園児数は309人,そのうち,三,四歳児を対象とした年少組の園児数は合計86人で,C1組からC5組までの5クラスがあり,それぞれ担任の教諭が配置されていた。年少組のうちの2クラス(C4組及びC5組)は,B教諭ほか1名の新任教諭がそれぞれ担当し,その他の3クラス(C1組ないしC3組)は,いずれも幼稚園教諭となって4年目の各教諭が担当していた。B教諭が担当するC4組の園児数は新任教諭であることが考慮されて,先輩教諭が担当するクラスよりも少ない13人であった。
なお,学校教育法に基づき定められた幼稚園設置基準(3条)では,一学級の幼児数は35人以下を原則とするとされていた。
(3) D(平成20年2月7日生,以下「被害児童」という。)は,平成23年4月にA幼稚園に入園したC4組の園児であった。
(4) A幼稚園では,平成23年7月11日当時,各クラスの担任教諭のほかに,3名の補助教諭がいたが,これらの補助教諭は年少クラスの新任教諭以外の3クラスの補助として配置されており,必要がある場合にのみ,新任教諭の担当する2クラスの補助も行っていた。
2 A幼稚園におけるプールの設置状況等
(1) A幼稚園の園舎1階には,直径約4.15ないし4.57mのほぼ円形で,深さ約0.65ないし0.7mの水遊び用の屋内プール(以下「本件プール」という。)が設置されていた。本件プールの周囲には,幅約0.84ないし0.86m程度の同心円型のプールサイドが設置されていたが,本件プールの北側プールサイドは幅が少し広くなっており,その壁際にシャワーや蛇口が設置され,これらのプールサイドからも本件プール内をよく見通すことができた。また,本件プールの西側プールサイドには4枚折畳み式のガラスドアが設置されていて,そのドアを解放すると,デッキスペースであるランチガーデンに続いており,ここからもプール内を見ることができた。
(2) 本件プールは,平成16年にA幼稚園の園舎を新築した際に造ったものであり,設計に際しては,被告人が,教諭一人でもプール活動を担当しやすいようにするため,形を円形として視野を確保し,規模もそれ以前に設置されていたプールより小さくし,シャワーをプールサイドの壁面に設置するなどの配慮をした。
3 A幼稚園におけるプール活動の状況等
(1) A幼稚園では,年少組から年長組までのいずれの学年においても,水に親しむことを目的として,本件プールを利用したプール活動(水遊び)が行われていた。
A幼稚園のプール活動は,原則として各クラスの担任教諭がそれぞれ担当することとされており,補助教諭が配置されている場合でも,その職務内容は主として着替えの手伝いや保育室までの誘導などであり,担任教諭以外にプールを継続的に監視する職員は配置されていなかった。
したがって,担当クラスに補助教諭が配置されているかどうかにかかわらず,プール内の園児らに対する継続的な監視は,園児らへの指導を行う担任教諭に委ねられており,この点は,新任教諭が担任としてプール活動を行う場合にも異ならなかった。
(2) A幼稚園では,園児らに自分で遊んだ物を片付けさせるという方針があり,プール活動時にも,プール内の園児らに遊具等を持ってこさせてこれを片付けることがあった。ただし,すべてのクラスのプール活動が終了した後の片付けの担当は,園児が帰った後に別に定められた職員が担当することとなっていた。
4 B教諭に対するプール活動指導の内容と本件事故前のB教諭のプール活動等の状況
(1) A幼稚園では,平成23年度のプール活動を開始する前に,C2組の担任教諭であるF教諭らが,B教諭と年少組を担当するもう1名の新任教諭に対し,2回にわたり,プール活動に関する説明を行った。1回目は,F教諭らが,園児らの体温表等の確認の仕方や,着替えや準備体操の話などをして,プールに行くまでの説明をした。2回目は,F教諭ほか3名の年少組の先輩教諭が,「年少☆プール指導等について」「3・4・5歳児のあそび」というプリントを用いて,プールに入るまでの手順,プールでの遊び方等の説明をした。この際,プールの安全管理については,園児らにプールサイドを走らせないこと,教諭の話を聞かない園児はプールから出すこと,シャワーを使う場合,その温度に注意すること,プール活動中,プール内の園児全体が見渡せるよう,教諭は本件プール内に入り,円形の壁に体の背を向けて壁に沿って歩いて見るようにすること,事前に園児との間で,手をたたくとか笛を鳴らすなど,園児らが反応しやすい合図を決め,教諭がその合図をした場合には,教諭の話に集中するよう約束させておくことなどの指導がなされた。
(2) B教諭が行うC4組の1回目のプール活動(平成23年6月27日)に際しては,F教諭が一緒に入って,その指導を行ったが,B教諭の活動について特段問題となることはなかった。その後B教諭は,C4組について,2回目(同年7月4日)のプール活動を一人で担当したが,これも問題なく終了した。
なお,B教諭は,本件事故前,一般に,10㎝程度の低い水位のプールであっても,児童が溺れることがありうるという知識は身につけていた。
(3) B教諭に対しては,A幼稚園に正式採用される前に同幼稚園で行われた研修の際から,園児らから目を離さないようにするという注意は繰り返し行われており,プール活動に際しては,前記のとおり立ち位置等の指導がされていた。しかし,これ以上に,プール活動中の遊具の片付け方についての指導が行われたことはなかった。
5 本件事故の発生状況等
(1) 本件事故当日である平成23年7月11日には,年少組について当該年度で3回目のプール活動を行うことが予定されていた。当日の本件プールの水深は,約0.21mであった。
(2) 本件事故当日は,もともと各クラス毎にプール活動を行う予定であったが,開始が遅れたことから,年少組の担任教諭らが話し合って,2クラス一緒にプール活動をして時間を短縮することとし,まず,C1組とC5組の園児らと各担任教諭がプール活動をし,次にC3組の園児らと担任教諭がプール活動を行い,同日午前11時30分頃,C2組のF教諭と園児18人が本件プール内に入ってプール活動を開始し,同日午前11時35分頃,B教諭と被害児童を含むC4組の園児のうち11人が本件プール内に入り,C4組と合流してプール活動を始めた。
(3) F教諭は,その後,C2組のプール活動を止めさせ,C2組の園児らにプール内の遊具であるヘルパー(腕用の浮き輪)を持ってこさせる片付け作業を行った後,C2組の園児らをプールサイドに上がらせ,自らもプールサイドに上がり,北側壁面に設置されたシャワーでC2組の園児らの体を洗い始めた。そのため,本件プール内には,B教諭とC4組の園児11人が残り,B教諭は単独でプール活動を実施することとなった。
(4) B教諭は,自らも本件プール内に入った状態で,園児らに自由遊びをさせた後,B教諭がプール内にフープを立て,園児らがそのフープをくぐり抜けるという遊びを3回行った。その後,プール活動を終えるため,いったんC4組の園児らを静かな状態にさせ,本件プール内に特に異変のないことを確認してから,園児らに対し遊具を持ってくるよう声を掛け,片付け作業を開始した。その際,B教諭が誰が一番持ってこれるかな,などと声を掛けたこともあって,園児らは入り乱れ,競うようにしてヘルパーを持ってきていた。B教諭は,本件プール内で壁面を背にして立ち,ヘルパーやビート板の遊具をC4組の園児らが持ってくるのを受け取ったり,園児らがB教諭の前に置いていった遊具を拾ったりし,ヘルパーを1個ずつ,あるいは数個まとめてプールサイドに置かれた籠に入れる動作を3回程度繰り返した。B教諭がヘルパーを籠に入れた際,足先は本件プールの中央方向にほぼ向けたまま上半身をひねるようにし,後ろを向いた時間はそれぞれ一,二秒程度の短い時間であった。また,この時,ビート板を籠の横に置いたりもしたほか,プールサイドに置かれた籠の奥に散乱していた数枚のビート板をまとめるなどの整とんをし,その際には,完全に園児らに背を向けて身を乗り出すようにして行ったが,その時間も30秒に満たない程度の短い時間であった。その後,さらに,B教諭の前に園児らが置いたヘルパーを拾って籠に片付ける作業を行っていた。なお,片付け作業の間中,B教諭としては,本件プール内全体を見渡して園児らを見るという意識を持ち,片付ける遊具,遊具を渡しにくる園児だけでなく,そのほかの園児も見ているという意識で本件プール内を見ていたが,実際には,少なくとも被害児童の様子は見落としていた。
(5) 被害児童は,片付け作業の開始後,いずれかの時点で,その機序は不明であるものの,本件プール内で溺れて救助が必要な状態となった。それにもかかわらず,B教諭は溺れた被害児童を見落としたまま片付け作業を続け,その間に,被害児童は,本件プール内で水を吸引し,溺水状態に至った。プールサイドでC2組の園児らにシャワーを浴びせていたF教諭は,同日午前11時48分頃,被害児童が本件プール内の中央付近にうつぶせに浮かんでいるのを発見し,本件プール内でヘルパーの片付けをしていたB教諭に声を掛けた。
B教諭は,F教諭から声を掛けられて被害児童を注視するや,同児が溺れていることに気が付き,すぐに被害児童を水中からすくい上げ,抱きかかえてランチガーデンに出てから職員室に向かったが,このとき被害児童は,既に顔も唇も青ざめ,体の動きもなく呼び掛けに反応のない状態であった。
なお,本件事故発生時,プールに隣接するランチガーデン側出入口の4枚折畳み式のガラスドアは開放されており,ランチガーデンにはC2組担当の補助教諭であったG教諭が居て,シャワーを浴び終えたC2組の園児らをタオルで拭くなどしてC2組の教室へ誘導する補助をしていたが,F教諭が上記の異変に気付くまでの間,G教諭が本件プール内の異変に気付くことはなかった。
(6) その後,被害児童は,A幼稚園近くの医院に担ぎ込まれたが,その時点で心肺停止の状態にあり,医院から救急車でE病院に搬送されたものの,同日午後2時2分頃,溺水吸引による溺死と判定された。
(7) なお,弁護人は,被害児童が溺れたのは,B教諭による遊具の片付け作業開始前の自由遊びの時間帯であった可能性が極めて高いなどと主張する。
弁護人は,その根拠として,自由遊びの時間帯に被害児童がバタ足をして泳いでいるのを見たというB教諭の供述に関し,被害児童は本件事故当時泳げなかったのであるから,被害児童は泳いでいたのではなく,この時点で既に溺れ始めていたと考えられる旨主張する。しかしながら,B教諭は,被害児童がバタ足をしている様子を確認した後に,本件プール内の東側,中央付近,西側の3か所で3回にわたり,フープくぐり遊びを行っている上,その後に,手を2回たたいて園児らを静かにさせてから遊具の片付け作業を開始したが,そのときには何も異変はなかったというのである。そうすると,被害児童の様子を具体的に確認まではしていないものの,フープくぐり遊びの際と遊具の片付けを開始する直前に,本件プール内に異変はなかったというB教諭の供述の信用性を疑うべき理由はなく,自由遊びの時間帯から被害児童が溺れていたのがずっと見過ごされていたとは到底考え難い。したがって,被害児童が本件プール内で溺れた時期は,B教諭が片付け作業を開始した後のことであると認められる。
なお,溺水から溺死に至るまでの全過程を①前駆期(呼吸停止期),②呼吸困難(促進)期,③呼吸休止期(仮死の時期),④末期呼吸期の4段階に分けた場合,その全過程が経過するまでの所要時間は,成人の場合で約4分から5分程度であって,被害児童のような年少者の場合には,およそ3割から5割程度時間が早まると解されるので,全過程は約2分から3分30秒程度であると考えられる。そして,被害児童の場合,B教諭が水中から引き揚げた時点で,呼吸休止期であったのか末期呼吸期であったのかを判断することはできないものの,成人の場合であれば少なくとも約1分30秒から3分程度は水に浸かっていた状態であったと考えられるところ,年少者であることを考慮すれば,被害児童は計算上45秒から2分余り水に浸かった状態であったことになるが,このことに照らしてみても,遊具の片付け開始時以降に被害児童が溺れ,B教諭がこれを見落としたと考えて,所要時間の観点からも格別矛盾が生じるものではない。
したがって,弁護人のこの点の主張は採用することができない。
6 B教諭の過失内容
(1) C4組の園児らはいずれも3歳ないし4歳児であって,当時の水深程度であっても,プール活動中に溺れる危険性があり,また,溺れた場合には,自力で溺水を回避できない危険性があったのであるから,B教諭には,遊具の片付け作業の際には,本件プール内の園児が溺れていないか確認し,溺れた園児がいた場合には直ちに発見して救助できるように,常に本件プール内全体に目を配り,園児らの行動を注視すべき業務上の注意義務があった。それにもかかわらず,B教諭は,園児らから遊具を受け取ったり,プールサイドに置かれた遊具を入れる籠に受け取った遊具を入れたり,ビート板を整とんしたりすることなどに気を取られ,遊具の片付け作業の間,プール内全体に目を配らず,園児らの行動を十分注視せず,溺れた被害児童を見落としたまま放置した過失が認められる。
(2) なお,主位的訴因には,B教諭に,「遊具の片付け等に気を取られ,プール内にいた園児らに背を向けるなどして,園児の行動を十分注視」せず監視を怠った過失がある旨の記載があるが,B教諭が園児らに背を向けていた時間は,片付け作業中の一部であるところ,B教諭が園児の行動を十分注視しなかったのは園児らに背を向けていた間に限られるものではないので,上記(1)の過失を認定するのが正確である。
7 本件事故当時のプールの安全管理に関する規程等
(1) プールの安全管理に関する規程としては,プールの施設面,管理・運営面で配慮すべき基本的事項等について示した「プールの安全標準指針」(平成19年3月文部科学省・国土交通省。以下「安全標準指針」という。)が存在しており,平成23年6月に,神奈川県県民局くらし文化部学事振興課長からA幼稚園を含む神奈川県下の私立幼稚園宛てに送付された「水泳等の事故防止について(通知)」と題する書面でも引用,添付がなされていた。これは,「遊泳利用に供することを目的として新たに設置するプール施設及び既に設置されているプール施設のうち,第一義的には,学校施設及び社会体育施設としてのプール,都市公園内のプール」を対象とするものであって,監視員等の教育訓練についての内容をみると,安全管理に携わる全ての従事者に対し,プールの構造設備及び維持管理,事故防止対策,事故発生等緊急時の措置と救護等に関し,就業前に十分な教育及び訓練を行うこととされ,監視員については,一定の泳力を有する者等,監視員としての業務を遂行できる者とし,プール全体がくまなく監視できるよう施設の規模に見合う十分な数の監視員を配置することなどが示されていた。
(2) 安全標準指針は,「水遊び用プールなど遊泳利用に供することを目的としていないプールにおいても,本指針の主旨を適宜踏まえた安全管理等を実施することが望ましい」とされており,幼稚園,保育所等に設置された水遊び用プールにおいても,参考として活用されることが期待されていた。
第4争点に対する当裁判所の判断
1 過失犯成立の要件
刑事法上の過失が成立するというためには,特定された過失内容について結果回避可能性が肯定されること,すなわち,行為者がその注意義務を履行することによって,実際に結果の発生を回避できたと認められることが必要とされる。そして,そのような注意義務を課すためには,当該行為者に注意義務を肯定するに足りるだけの予見可能性が必要であり,その対象となるのは,本件の結果発生に至る因果経過の基本的部分であると解される。
以上の観点等を踏まえて,検察官の主張する教示懈怠の過失,複数監視体制構築懈怠の過失が成立するかを検討する。
2 教示懈怠の過失について
まず,検察官主張の教示による結果回避可能性について検討する。
検察官は,被告人には,B教諭に対し,「プール活動時の遊具の片付けをする際には,プール内の園児が見渡せるよう,プールの壁際に背を向けてプールの中央側に顔を向ける体勢で立った上,遊具を片付ける籠を体の前に持ってくる方法又はこれに類する方法」で片付けるよう具体的に教示すべき注意義務があったと主張する。
検察官のこのような主張は,B教諭による被害児童の見落としの過失が,遊具の片付け作業時に,籠を体の前に持ってくるといった方法をとらずに,B教諭の後方に位置するプールサイドに籠を置いたまま,その籠の中に遊具を入れるという方法をとったことに起因して生じたことを前提とするものと解される。
しかしながら,前記第3の6(1)のとおり,B教諭の過失内容は,園児らから遊具を受け取ったり,プールサイドに置かれた遊具を入れる籠に受け取った遊具を入れたり,ビート板を整とんしたりすることなどに気を取られ,遊具の片付け作業の間,プール内全体に目を配らず,園児らの行動を十分注視せず,溺れた被害児童を見落としたまま放置したというものである。すなわち,B教諭は,プールサイドに置かれた籠に遊具を入れる際に,籠を後方のプールサイドに置いたまま,その籠の中に遊具を入れたことのみを原因として,被害児童が溺れたことを見落としたものではない。B教諭が,遊具の片付け作業の開始後,籠の位置が後方であったために身体をひねるなどして後ろを向いたのはごく短時間であり,ビート板の整とんのために園児らに対して完全に背を向けたりもしたほか,園児らに背を向けることなく,本件プールの中心部方向に体を向けて園児から遊具を受け取ったり,B教諭の体の前方に置かれた遊具を拾ったりもしていたのであるが,それらの遊具の片付けの間中,本件プール全体の園児らを見るという意識を持って,実際になるべく園児ら全体に目を向けて見るよう努めていたつもりであったというにもかかわらず,被害児童が溺れていたことを見落としていたと認められるのである。
そうすると,検察官の主張は,その前提が欠けるというほかはなく,B教諭に対し,遊具を片付ける際には,籠を体の前に持ってくる方法又はこれに類する方法をとるといった籠の位置に関する注意を主要な内容とする教示をしたからといって,これによって本件事故発生という結果が回避できたと認定することはできない。
なお,この点,検察官は,前記第1の2(1)のとおり,「遊具を片付ける籠を体の前に持ってくる方法又はこれに類する方法」以外の別の具体的注意義務を主張するものではない旨釈明しながらも,論告においては,「園児をプールの外に出してから遊具の片付けを実施するといった方法などが想定される」などとした上で,「遊具の片付け等の際にも園児の行動を注視できる方法などの具体的注意事項等を十分に教示するという教示義務」を怠った旨などをも主張するかのようであるが,具体的にどのような内容の教示をすることによって本件事故を回避できたのかについて,的確な主張立証はなされていない。加えて,B教諭に対しては,F教諭らから,プール活動全般に関し,「プール内の園児全体が見渡せるよう,教諭は本件プール内に入り,円形の壁に体の背を向けて壁に沿って歩いて見るようにする」旨の指導は既になされていたこと(前記第3の4(1))を踏まえると,この指導に加えて,遊具の片付けの際にも,プールの壁際に背を向けてプールの中央側に顔を向ける体勢で立ち,プール内の園児を見渡すようにする旨などについて,改めてB教諭が教示を受けたからといって,これによってB教諭の過失が防げたかについても判然としない。
以上からすると,その余の点について判断するまでもなく,検察官が主張する教示義務については,結果回避可能性を肯定することができず,被告人に教示懈怠の過失は成立しない。
3 複数監視体制構築懈怠の過失について
(1) 検察官は,複数監視体制構築懈怠の過失について,主位的訴因及び予備的訴因とでその根拠は異ならない旨主張するので,片付け作業時に限らず,B教諭のプール活動に際し,被告人について,専ら監視を行う者を配置して複数の者によって園児の行動を監視する体制をとるべき刑事法上の注意義務があったかを検討する。
この点については,被告人が,本件事故の結果発生に至る因果経過についてどのような予見が可能であったのか,そして,その予見可能性の下で検察官主張の複数監視体制を構築しなかった被告人の当該行動が,当時の我が国の幼稚園等における安全管理体制等を踏まえた上で,安全管理の職責を負っていた幼稚園の園長に課された刑事法上の注意義務に違反するといえるか否かを考えるべきこととなる。
(2) そこで,検察官主張の複数監視体制構築義務を肯定できる予見可能性があるかについて検討する。
本件プール内で三,四歳の園児が溺れ,自力で溺水を回避できない危険性があることは予見可能であり(予見可能性①),そうであるからこそ,B教諭は,溺れた園児がいた場合には直ちに発見し救助できるように,常に本件プール内全体に目を配り,園児らの行動を注視しなければならず,被告人としても,このような継続的な監視を行う者なしにプール活動を行わせてはならない。さらに,本件プールの規模や形状等を前提とし,かつ,本件事故発生当日までに,B教諭が,2回のプール活動を問題なく終えていたとの事実関係を前提としても,B教諭の注意力等が完全無欠なものではなく,その監視が不十分なものとなり,園児が溺れたのを見落とし,その救助が遅れるという可能性があることについても,予見は可能であるといえる(予見可能性②)。
なお,検察官は,論告において,新任教諭であるB教諭の知識経験等の乏しさを強調するが,それは新任教諭一般としてのそれであって,B教諭の知識経験やその能力等が他の新任教諭と比べた場合に劣っていたといえる証拠はない(検察官も「少なくともB教諭の能力が一般的な新任教諭の能力を大きく上回っていたとは認められない」旨主張する。)。
(3) そこで,本件で検討しなければならないのは,前記予見可能性①②が認められることを前提として,被告人が専ら監視を行う者を配置することが,刑事法上の注意義務として被告人に課されていたといえるか否かである。
(4) 本件事故当時の幼稚園等での水遊び用プールでの監視の在り方がどのようなものであったか,特に,専ら監視を行う者の配置についての規程等があったかについて検討する。
ア まず,本件事故当時のプールの安全管理に関する規程等は,前記第3の7(1)及び(2)のとおりであって,安全標準指針には,遊泳利用に供することを目的としたプールについて「プール全体がくまなく監視できるよう施設の規模に見合う十分な数の監視員を配置すること」が必要である旨記載され,これは水遊び用プールについても参考として活用されることが期待されていた。
イ 本件プールの規模は前記第3の2(1)のとおり,直径4.15ないし4.57mのほぼ円形であって,水遊び用のプールとしても,さほど大きなものとはいえない。また,ほぼ円形であるため,四角い形状のプールに比べれば,壁を背にして立った者が正面を向いた際に,左右に死角が生じにくい形状ということができる。本件事故当時のプール活動中の園児の人数は11人であって,幼稚園設置基準の一学級の園児数の上限に照らしても少ない人数である。しかも,当時の水深は約0.21mであって,園児が水に潜ってしまうことによって,その姿が監視しにくくなるなどということも想定されない。
そうすると,このような具体的状況を前提にすると,本件プールにおけるプール活動を1名の教諭が担当することによっても,プール全体をくまなく監視することができるということができ,B教諭1名によるプール活動の実施が安全標準指針に照らして不十分であったということはできない。
ウ 加えて,安全標準指針には,「監視員」の説明として,「プール利用者の監視及び指導等を行うとともに,事故等の発生時における救助活動を行う」旨記載されていることからすれば,同指針が,プール活動の指導を行う教諭が監視員を兼ねることを問題視するものとは解されない。加えて,他に,水遊び用のプールにおいて,専ら監視を行う者を配置すべきことを具体的に示した指針・手引等が本件事故当時に存在したという立証はない。
エ さらに,一般的なプール活動のみならず,新任教諭によって三,四歳児のプール活動が行われる場合の体制に限定してみた場合でも,安全標準指針から担任教諭とは別に専ら監視を行う者を置くべきである旨の解釈が導かれるものと一般的に理解されていたとは認められず,他に,その旨の安全対策を定めた指針・手引等が存在したという立証も,ない。
(5) 次に,本件事故当時,幼稚園一般において,プール活動について専ら監視を行う者を配置する複数監視体制がとられる慣行等があったかについて検討する。
ア この点,本件事故前からプール活動に際し,担任が新任教諭であるか否かを問わず,担任教諭等とは別の監視者を常に置いていた幼稚園が存在した一方で(検察官立証に係る東京都内の幼稚園の例。ただし,1名の監視者が複数のプール等で同時に行われるプール活動全体を監視しており,監視対象の範囲が本件プールより格段に広い幼稚園を含む。),A幼稚園と同様,指導を行う担任教諭と別に専ら監視を行う者を置くことをせず,継続的な監視を担任教諭に委ねてプール活動をさせ,専ら監視を行う者を配置しない幼稚園も存在していた(弁護人立証に係る神奈川県内の幼稚園の例)。
これらからすれば,幼稚園等のプールといっても,プールの規模が様々である上,監視の在り方にもばらつきがあったことが認められる。
イ 検察官は,本件事故当時,水遊び用プールでの活動に際し,どの程度の幼稚園において専ら監視を行う者が配置されていたかについて具体的な立証をしておらず,したがって,プール活動に際し,指導を行う担任教諭とは別に専ら監視を行う者を置かなかったA幼稚園の監視体制が,当時の幼稚園の安全管理体制の実情に照らし,どのように位置付けられるかは判然としないといわざるを得ない。
そして,本件事故と同様の状況,すなわち,本件程度の規模のプールにおいて,新任教諭が三,四歳児のプール活動を行う場合に限ってみても,新任教諭とは別に専ら監視を行う者を置くのが,本件当時の我が国の幼稚園における標準的,平均的な安全管理体制であったといえるような証拠はなく,検察官もそのような主張はしない旨釈明している。
なお,検察官は,弁護人請求のH証人や被告人の各供述中に表れたアンケートの結果,すなわち,A幼稚園が所属するI協会(大和市を含む4市1町に所在する私立幼稚園のうち,約半数で組織された団体)において,A幼稚園側の働き掛けにより本件事故後に実施されたアンケートの結果を援用し,同協会では大半の幼稚園で監視者が配置されていたと主張する。しかし,検察官が数え上げているのは,監視を職務に含む補助担当者がいると回答した幼稚園の数であって,同アンケートで別に回答された監視のみを行う補助担当者がいると回答した幼稚園の数ではない。さらに,監視といっても様々な態様が考えられるところ,どのような監視の在り方を捉えてアンケートの回答がされたのかまでが明らかとなる立証はなされておらず,このアンケートにいう「監視を職務に含む補助担当者」による監視が,検察官が配置すべきと主張する専ら監視を行う者による監視であったといえる証拠はない。そうすると,検察官の上記指摘は,専ら監視を行う者がどの程度置かれていたかという点についての裏付けになるものとはいえず,上記結論を左右しない。
ウ 以上によれば,前記予見可能性①,②を前提とし,検察官の主張するように今回のB教諭のプール活動については専ら監視を行う者を配置する体制を構築することが容易であり,このような体制を構築すれば,本件事故の発生が避けられたという結果回避可能性を肯定できるとしても,新任教諭であるB教諭が本件事故前に2回のプール活動を問題なく終えており,本件プールの施設規模等に照らし,1名の担当者による視野が確保されているなどという本件事実関係の下では,被告人がB教諭とは別に専ら監視を行う者を配置しなかったことが,本件事故当時の状況として合理性を欠く安全管理体制であったとの立証はなされていないといわざるを得ず,被告人が複数監視体制を構築していなかったことが,刑事法上幼稚園の園長として要求される行動基準を逸脱するものであったとまでいうことはできない。
エ なお,検察官は,論告において,「採るべき体制について明確な法令の根拠が存在せず,全国幼稚園のプール活動における監視体制の在り方について明確な統計のデータ等も存在しない場合,当該業界で採られている体制の水準を一義的に主張立証しきれるものではない」としながらも,他方で,園児のプール活動を実施するに当たり,指導に当たる新任教諭以外に監視者を1名配置するという複数監視体制を採らないことは,「当時の一般平均的な幼稚園経営者を基準にして,その基準を著しく下回る」旨主張し,J証人及びK証人の各供述等を援用する。
オ そこで,同証人らの供述内容について検討すると,J証人は,東京都内の公立幼稚園の園長等を経て現在は大学の非常勤講師を務める者であるが,「39年の間に勤務した8つの公立幼稚園では,プールに入る園児の数に関わらず,教育活動を行う担任教諭とは別に入水中に監視に専念する補助者を配置していた。」「担任教諭が新任教諭であろうとベテランであろうと,プール活動の危険性を考えると,専ら監視を行う者を配置しないのは許されない。」「これまで何園かみた他の幼稚園でもこのような監視者を配置していないものはなかった。」旨などを供述する。また,K証人も,自ら園長を務める東京都内の幼稚園において,園庭に3個の仮設プール(直径6メートル2個及び直径2メートル1個)のほか水を張った桶等を設置し,同時に2クラスで40人前後の園児をプールに入らせ,一部園児にはプールに設けた滑り台も使わせるなど,A幼稚園よりかなりプールの規模が大きく,プール活動の内容も相当異なる状況を前提としてではあるが,「年少クラスの場合,2クラス合同で40人前後の園児のプール活動に際し,各クラスの担任合計2人,フリーの教諭1人,事務職員1人がプール活動に関わり,そのほかに園長である自分又は理事長のどちらかが全体を監視する。」「全体を監視する者がなければ,園児の近くにいる教諭の後ろで何かが起こるリスクがある。」「プール活動を新任教諭1人に任せるのは無理である。」「過去に他園のプール活動を数箇所みたことがあるが,教諭1人でプール活動を行っている園はなかった。」旨などを供述する。
しかしながら,これらの証人は,自らの経験などにより相当と考えるプールの監視の在り方を述べるものであって,他の幼稚園の実情等を具体的に調査検討した上でそのような監視の在り方を定めたものではないというのである。そうすると,同人らの述べる監視のあるべき姿が本件事故前の幼稚園の実情を踏まえた上でどのように位置付けられるのかについては,証拠上判明しないといわざるを得ない。A幼稚園でのプール活動の監視の在り方について厳しい意見を述べるJ証人も,幼稚園のプール活動について,自らの見解のように複数監視を行うべき旨の文献等を本件事故前に見たことがあるかは分からないともいう。
J証人らから見た場合,プール活動に際して専ら監視をする者を置かなかったA幼稚園の監視体制に足りない点があったことを指摘できることはそのとおりと思われる。しかしながら,水遊び用プールについて指導教諭とは別に専ら監視を行う者を置くべきとの安全管理の指針・手引等が存在しておらず,また,そのようにすることが当時の幼稚園におけるプール活動における平均的,標準的な安全管理体制であった旨の主張も立証もないことを踏まえると,J証人らの供述から,検察官が主張するように担当教諭とは別に専ら監視を行う者を置くことが,当時の一般的平均的な幼稚園経営者の基準であったとするのは,飛躍のある議論であるといわざるを得ない。
したがって,検察官の上記主張を採用することはできず,本件事故当時,被告人に対し,新任教諭が担当する三,四歳児のプール活動について,検察官が主張するような専ら監視をする者を置いた複数監視体制構築の義務が被告人に課せられていたとの立証は足りないというほかはない。
第5結 論
1 主位的訴因について
以上のとおりであるから,主位的訴因について検察官が主張する教示懈怠の過失及び複数監視体制構築懈怠の過失は,いずれも成立しない。
2 予備的訴因について
予備的訴因は,検察官の釈明(第1の2(3))によれば,本件事故がB教諭による遊具片付け作業の開始時前に発生していた場合に主位的訴因と同一内容の複数監視体制構築懈怠の過失を主張するものであるというのである。前記(第3の5(7))のとおり,本件事故は遊具片付け作業の開始時以降に発生したものと認められる上,そもそも複数監視体制構築懈怠の過失が成立すると認められないことは,先に述べたとおりであるから,主位的訴因のみならず,予備的訴因に係る複数監視体制構築懈怠の過失も成立しない。
3 結 語
したがって,検察官が主張するいずれの公訴事実についても,犯罪の証明がないことに帰するから,刑訴法336条により,被告人に対し,無罪の言渡しをする。
(求刑 罰金100万円)
(裁判長裁判官 近藤宏子 裁判官 三好治)
裁判官 奥山豪は,転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 近藤宏子