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横浜地方裁判所 平成26年(行ウ)14号 判決 2015年3月25日

主文

1  処分行政庁が平成25年4月3日付けで原告に対してした免許を取り消す処分と同日から3年間を免許を受けることができない期間として指定する処分(ただし、同年9月24日付けで変更された後のもの)をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第2事案の概要

2 前提事実((4)、(6)以外の事実は当事者間に争いがない)

(1)  原告の免許

原告は平成22年4月5日付けで処分行政庁から有効期間を平成26年8月16日までとして第1種運転免許のうちの中型自動車免許・大型自動二輪車免許・普通自動二輪車免許を受けた。

(2)  運転中の原告と歩行中のAの出会い

原告は平成24年2月15日午後1時30分頃、自家用普通乗用自動車(以下「原告車両」という)を運転し、東京都世田谷区<以下省略>先の交通整理の行われていない丁字路交差点(以下「本件交差点」という)を、多摩堤通り方面から目黒通り方面に向かい左折しようとして(「丁」の字でいうと、その下端から上に向かって直進し、横棒に達したところで左に曲がろうとして)、交差点の入口付近に設置された横断歩道にさしかかり、そのあたりを歩行していたAに遭遇した(ここで交通事故が発生したか否かが本件のおもな争点であり、詳細は後述する)。

本件交差点付近の状況は別紙現場見取図のとおりであり、「丁」の字の上側が北、下側が南に、また横棒が環状第8号線の側道にあたる。「丁」の字の縦棒にあたる道路(以下「本件道路」という)は、多摩堤通り方面と本件交差点を結んでおり、本件交差点から多摩堤通り方面へ(北から南へ)の一方通行の規制がされている。原告はここを逆走したことになる。

(3)  原告に対する刑事処分

警視庁玉川警察署長は平成24年10月4日、原告につき、本件交通事故に関する自動車運転過失傷害と本件救護義務違反に関する道交法違反の被疑事件を東京地方検察庁検察官に送致した。同検察官は同年12月28日、当該事件について嫌疑不十分を理由に不起訴処分をし、これを原告に告知した。

(4)  原告に対する行政処分(甲1、弁論の全趣旨)

処分行政庁は平成25年4月3日、原告について道交法104条1項所定の意見聴取の手続を行った。そして次の①、②の事実を認定し、原告は自動車の運転に関し道交法117条の違反行為をしたうえ、横断歩行者等妨害等違反の基礎点数2点、「傷害事故のうち、治療期間が15日未満であるもの(後遺障害が存するものを除く。)」で「交通事故が専ら当該違反行為をした者の不注意によって発生したものである場合」の付加点数3点、救護義務違反の基礎点数35点が付され、これに他の違反行為2件の点数2点を加えると累積点数が42点に達するとして、原告に対し、道交法103条2項4号、道交法施行令別表第3の2の表前歴がない者の項の第8欄、38条7項1号トの各規定に基づき、運転免許を取り消すとともに、同日から4年間を運転免許を受けることができない期間として指定する処分をした。

①  原告は平成24年2月15日午後1時30分頃、原告車両を運転し、本件交差点を多摩堤通り方面から目黒通り方面に向かい左折進行するにあたり、本件交差点の入口に設置された横断歩道上を原告から見て右方から左方へとAが横断していたのであるから、横断歩道の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならなかったにもかかわらず、カーナビゲーションに気を取られ漫然と約5km/hで進行したことにより、Aの右膝部に原告車両の右前部を衝突させ、よってAに初診時1週間の外来通院を要する右手打撲、腰部打撲、右膝打撲の傷害を負わせた(以下「本件交通事故」という)。

②  原告は、上記のとおりAに傷害を負わせる交通事故を起こし、もって、自己の運転に起因して人に傷害を負わせたのに、直ちに運転を停止してAを救護する等必要な措置を講じなかった(以下「本件救護義務違反」という)。

(5)  不服申立てと処分の変更

原告は上記(4)の各処分について平成25年5月28日付けで異議申立てをしたが、処分行政庁は同年8月21日付けでこれを棄却する決定をした。

処分行政庁は平成25年9月24日付けで、上記(4)の各処分のうち運転免許を受けることができない期間を指定する処分についてその期間を4年から3年へと変更する決定をした(以下、これにより変更された後の上記(4)の各処分をあわせて「本件各処分」という)。

(6)  訴えの提起(当裁判所に顕著な事実)

原告は平成26年2月18日、本件各処分の取消しを求める本件訴えを提起した。

3 争点

(1)  本件交通事故の存否

ア  被告の主張

事実は前記前提事実(4)①のとおりである。

被害者であるAの事故態様に関する供述は、自然で、かつ、実際に体験した者でなければ説明できない真に迫るものであり、十分に信用することができる。

またAが負傷した事実は、事故当日にAを診察した医師の診断書(乙7)や診察の経過に関するAの供述から明らかである。そして目撃者であるBは、Aが「一方通行だろ、何逆行してるんだ。痛いだろ。今から警察を呼ぶから少し待ってろ」と発言したのを聞いたと供述しており、これはAの供述と一致する。さらに原告は、Aと衝突したことを自認する上申書(乙8)や反省文(乙5)を提出し、実況見分や取調べにおいても本件交通事故が発生したことを自認し、Aの供述と合致する指示説明や供述をしているばかりでなく、Aが原告車両と衝突して負傷したことを前提にAと示談交渉を行っている。

原告はその後供述を変遷させて本件交通事故の存在を否定するに至っているが、その供述は不自然であり、信用できない。

イ  原告の主張

原告は本件交差点の手前の横断歩道にさしかかったところで、Aとは接触せずに止まっており、原告車両によりAが負傷した事実もない。そうである以上、本件交通事故が発生したとは認められない。

(2)  救護義務違反の故意の有無

ア  被告の主張

本件交通事故を起こしたことすなわち原告車両とAが衝突したことを原告が認識していること、事故後においてAが痛いという趣旨の発言をし、ぶつかったから警察を呼ぶと原告に伝えていること、原告自身もAに対し「大丈夫ですか」と聞いてその安否を確認していること、警察署から問い合わせを受けた勤務先の上司に対し本件交通事故当日は世田谷方面に行っていないと原告が虚偽の説明をしていることなどからすれば、本件交通事故によりAが負傷した事実を原告が認識していたことは明らかである。

イ  原告の主張

本件交通事故が発生した事実が認められない以上、本件救護義務違反について検討するまでもなく本件各処分は違法であるが、万一本件交通事故が発生していたとしても、原告にはAと接触した認識はなかった。したがって本件交通事故によりAが負傷した事実を原告が認識していたとはいえないから、原告に救護義務違反の故意は認められず、本件救護義務違反は成立しない。

第3争点に対する判断

1  認定事実

前記前提事実のほかカッコ内の証拠と弁論の全趣旨により以下の事実を認める。

(1)  当事者、関係者

原告は現在50歳の男性であり、平成24年2月当時は会社勤めをし、みずから自動車を運転して老人ホーム等を訪問してまわる営業を担当していた。(甲1、12、乙4)

Aは現在43歳の男性であり、平成12年頃a社(以下「a社」という)の設立に携わり、それ以降営業部長として輸入車の販売、修理、顧客対応等の業務を担当していた。(乙7、21)

Bは平成24年2月当時a社に勤務しており、Aが先輩、Bが後輩の関係にあった。(乙15)

a社の事務所は本件交差点の南東の角に位置しており、北側(環状第8号線の側道に面する側)に出入口が設けられている。(乙2、3、証人A)

(2)  本件道路、本件交差点の状況

本件道路は、住宅が立ち並ぶ地域から環状第8号線の側道まで南北方向に延びている交通量の少ない平坦な直線の道路である。本件交差点の南西角付近に北から南への一方通行の標識が設置されている。通行帯の幅は2.9mであり、両側に路側帯が設けられており、その幅は東側が1.7m、西側が1.5mである。本件交差点付近の平成24年2月15日の天候は晴天であり、本件道路の路面は乾燥していた。(甲4、乙2~4)

(3)  原告車両

原告車両は軽自動車であり、フロントバンパーの地上高は、下部が22cm、上部が70cmである。(甲5)

(4)  原告とAが出会った状況

原告とAが遭遇した経緯とその後の状況は次のとおりである(詳細は後に判断するとおりであり、ここには容易に認定することができる事実のみを掲げる)。

ア  平成24年2月15日午後1時30分頃、原告は原告車両を運転し、自分では知らずに一方通行の規制に違反して本件道路を多摩堤通りから本件交差点方面へと進行し、本件交差点手前の横断歩道にさしかかった。Aも本件道路を横断しようとして横断歩道付近にさしかかった。その時、本件交差点の南東角付近の路側帯から歩道にかけて、1台の自家用普通乗用自動車が停まっていた。(甲12、乙2、3)

原告は本件交差点手前付近に原告車両を停止させ、運転席に座った状態でAと口頭でやりとりをした。その後Aがその場を離れると、原告は原告車両を後退させ、自動車の方向を南向きに変えてさらに南(多摩堤通り方面)へと原告車両を進行させ、本件交差点から離れた。原告はその間、救急車を呼んでおらず、警察に通報もしていない。(甲7、12、乙1、15、21、証人A、原告本人)

イ  Aは同日午後1時33分頃、110番に電話し、交通事故が発生したことを通報した。これに応じて玉川署の警察官が午後1時40分頃本件交差点に到着し、BとAから事情聴取をした。(乙1、14、21)

玉川署の警察官は午後1時50分頃から2時15分頃まで、Aを立会人として実況見分を行った。この実況見分に基づいて作成された実況見分調書(乙2)には、Aは右手と右足を打撲し負傷程度は不明であるとの記載(2頁)、現場には事故による痕跡等を確認するものはなかったとの記載(10頁)があるほか、Aの身体を撮影した写真が2枚添付されている。これは、Aの下半身を着衣(ズボン)の上から撮影したものと右足のみを着衣の上から撮影したものであるが、その着衣に擦過痕が存在することは確認できない。負傷部位を直接撮影した写真は添付されていない。(乙2、21)

ウ  Aは同日、警察官が要請した救急車によりb病院に搬送され、同病院のC医師の診察を受けた。同医師が翌16日に作成した診断書には、病名として右手打撲、腰部打撲、右膝打撲とあり、「H24.2.15の交通事故にて受傷し、同日来院。上記にて1週間の外来通院を要す」との記載がある。(乙1、7、21)

(5)  原告の事後の言動

原告は平成24年2月16日、勤務先の上司から前日世田谷方面に行ったかと尋ねられ、警察が原告車両を捜査の対象にしているとも伝えられたが、前日世田谷方面に行ったことを申告しなかった。(甲12、乙20、原告本人)

その後原告はD弁護士に相談し、同月22日、同弁護士に付き添われて玉川署に出頭した。そして玉川警察署長に対し本件交通事故を起こしたことを自認する上申書を提出した。(甲12、乙8、16、原告本人)

(6)  Aの受傷に関係するその後の事実

Aはb病院に2日通院した後、平成24年2月22日、c整形外科医院に転医した。同病院の医師により右手関節・右膝関節挫傷、腰椎捻挫、末梢神経傷害と診断され、平成25年1月16日まで通院加療が行われた。同日付けで同病院が発行した後遺障害診断書には、傷病名として「腰椎捻挫、左下肢しびれ感」とあり、自覚症状欄に「L4―5レベルの鈍痛、左大腿後面のしびれ感」と記載され、他覚症状欄に神経学的検査の結果が記載されている。平成26年3月25日付けで同病院が発行した「腰椎捻挫の症状の推移について」と題する書面には、傷病の他覚的所見について、初診時と終診時のいずれにおいても「所見なし」と、腰痛の自覚症状について、終診時において「無」と、それぞれ記載されている。

Aは平成25年5月22日、e整形外科に転医し、同年12月3日まで通院加療が行われた。同月24日付けで同病院が発行した後遺障害診断書には、傷病名として「腰椎捻挫(平成25年5月22日診断)」「腰椎椎間板ヘルニア(平成25年6月11日施行MRIでの診断)」との記載がある。(甲13)

(7)  原告とAの交渉

原告は平成24年2月28日付けでAに対し「お詫び状」と題する手書きの文書を送付した。(乙22)

D弁護士に代わって原告から委任を受けたE弁護士は、同年3月7日付けで、Aに対し、その時点までの実損害につき7万4480円を支払うとともに、後遺障害や休業損害について損害賠償義務を認めるとの示談書の案を送付した。(乙23)

Aは同月17日、E弁護士に対し、支払いを求める賠償額や要望等を記載した文書をファクシミリで送信した。この文書には、Aが右手首、右膝、腰に怪我を負ったことに加えて、「加害者が逃走した為、今後の治療費等の立て替えや、怪我の為に日常的生活や仕事が困難な事など、さまざまな支障や弊害で不眠の状態もあり心身ともに疲弊しうつ病の症状が出てしまいました」との記載がある。(甲6)

原告は同年4月9日、Aに対し治療費の一部として39万9660円を送金した。(乙9)

(8)  Aのその後の行動

Aは平成24年10月頃、本件交通事故に関し東京地方検察庁から取調べのための出頭を求められたが、応じなかった。(証人A)

Aは平成25年1月、d保険株式会社に対し、本件交通事故による後遺障害として腰部痛と左臀部から左下肢にかけてのしびれが残ったとしてその認定の申請をしたが、同社は、自動車損害賠償責任保険における後遺障害には該当しないと判断した。Aはこれについて一般財団法人自賠責保険・共済紛争処理機構に対し紛争処理申請をしたが、同機構紛争処理委員会は平成26年12月10日、自動車損害賠償保障法施行令2条1項3号に規定する後遺障害には該当しないと判断した。(甲10、13)

Aは平成26年7月3日までに、本件交通事故に関する保険金として保険会社から治療費として28万8580円、休業損害として204万3393円を受領した。(甲10)

この間の平成25年2月にa社は破産した。Aはその頃同社を退職し、同年12月に別の会社を設立した。(乙21、証人A)

(9)  本件交通事故の捜査の状況と取調べにおける原告の供述

ア  本件交通事故について玉川署の警察官が行った捜査の経過をまとめて示すと、次のとおりである。(甲4、5、乙1~4、14~20)

(いずれも平成24年。amは午前、pmは午後である)

2/15

1:40pm頃

本件交差点に到着し、BとAから事情聴取

2/15

1:50pm~2:15pm

本件交差点付近とA着用ズボンの実況見分(立会人はA)

2/15

2:15pm~2:30pm

本件交差点付近の実況見分(立会人はB)

2/16

Bの目撃した車両の候補のうちの1台(原告車両)が原告の勤務先会社所有であることが判明。

同社総務課担当者から事情聴取

2/17

原告の勤務先会社総務課担当者から再度事情聴取

2/22

2:50pm頃

原告がD弁護士とともに世田谷警察署に出頭

2/22

5:00pm~5:25pm

本件交差点付近の実況見分(立会人は原告)

2/22

5:40pm~5:55pm

原告車両の実況見分(立会人は原告)

3/27

原告の取調べ

4/16

11:20am~0:15pm

本件交差点付近の実況見分(立会人は原告)

4/16

原告の取調べ

4/26

Bの取調べ

4/26

原告の取調べ(2回)

5/18

Aの取調べ

イ 原告を立会人とする実況見分の結果と取調べにおける原告の供述は次のとおりであった。

玉川署の警察官は平成24年2月22日午後5時頃から5時25分頃まで、原告を立会人として本件交差点付近の実況見分を実施した。実況見分調書によれば、原告はその際、Aは原告から見て右方向から左方向に移動しており、横断歩道上で原告車両とAが衝突したと説明した。(乙4)

玉川署の警察官は同日午後5時40分頃から午後5時55分頃まで、原告を立会人として原告車両の実況見分を行った。実況見分調書によれば、原告車両のフロントバンパーには衝突による痕跡は見られず、他の部位にも損傷は見られなかった。(甲5)

原告は同年3月27日の取調べにおいて、原告車両とAが衝突したことを自認するとともに、走行経路や位置関係について2月22日の実況見分における指示説明に沿う供述をした。(乙17)

玉川署の警察官は同年4月16日、原告を立会人として再度本件交差点付近の実況見分を実施した。この実況見分において原告は、説明を改め、Aは原告から見て左方向から右方向に向かって横断歩道よりも手前を歩いて本件道路を横断しており、その後、原告車両は横断歩道の手前で停止したと説明した。警察官が原告車両の停止した時点における原告車両の運転席付近とAがいた地点の距離を測定したところ、3.0mであった。(甲4)

その後行われた同日の取調べにおいて原告は、原告とAが衝突したことを否定するとともに、走行経路や位置関係については同日の実況見分の指示説明に沿う供述をした。(乙18)

同月26日の取調べは、Aと遭遇する前と後の原告の行動に関するものが主であったが、原告の供述の中には、歩行者とぶつかる交通事故を起こしたという供述も含まれている。(乙19、20)

2 事故態様について

(1)  Aの供述の信用性

Aは証人尋問において、横断歩道上で原告車両と衝突し負傷したと証言する。その事故態様に関する証言の概要は下記のとおりである。

a社の事務所を出て、大田区方面から目黒通り方面に向かって(東から西に向かって)本件道路を横断しようとしたところ、横断歩道上で、左から自動車(原告車両)が来て1mから1m50cmくらいの距離に近づいているのに気付いた。その時右足が前に出ており、左足はぶつからない位置にあった。そこでとっさに上半身を後ろに下げようとしたが、右膝の内側に原告車両のバンパーがぶつかり、これを避けようとすると右手が原告車両の窓ガラス(フロントガラス)にぶつかった。その際私は「いてえ」と言った。この声は運転手(原告)にも聞こえているはずである。原告車両は30km/hから40km/hの速度からブレーキを踏んで停まったように見えた。原告に対し、交通事故であり、今から警察に電話をするので原告車両を停めて待っているように伝え、また、その場にいたBに対し、原告車両のナンバーを確認するように伝えた。それから携帯電話機を取りにa社の事務所に戻り、再び現場に戻ってくると、原告車両はいなかった。ぶつかったため右膝の内側と右手首が赤く腫れ、その後青あざに変わった。また、原告車両を避けようとして上半身をのけぞりながらひねったときに腰に痛みが走った。事故後1週間から10日くらいしてから左下肢がしびれるようになった。

ア  まず、Aと原告車両との接触ないし衝突と受傷を証明する客観的証拠の有無についてみる。原告車両について実施された実況見分では、原告車両に衝突や接触をうかがわせる痕跡は見あたらない。Aは、自分を立会人とする実況見分調書に添付された写真(乙2・写真8)には着衣に擦過痕が写っていると指摘するが、その写真を見ても、擦過痕やこれに類するものが写っているとは認められない。またAは、右手首と右膝が赤く腫れ、その後青あざになったと証言するが、上記実況見分調書(その実況見分は本件交通事故があったとされる日に実施されている)には、負傷部位を撮影した写真は添付されていない。このように、原告車両とAが接触ないし衝突した事実についても、受傷の事実についても、これを直接証明する客観的証拠は存在しない。

イ  もっとも、受傷の事実についてはb病院のC医師が作成した診断書があるので、これについて検討する。

Aは本件交通事故があったとされる日に救急車でb病院に搬送され、診察を受けており、この診察に基づきC医師は、通院加療1週間を要する右手打撲、腰部打撲、右膝打撲と診断している。打撲という診断内容からして、AはC医師に対し、腰をどこかに打ち付けたなどと説明したと推認されるが、他方、Aは証人尋問において、原告車両とぶつかったのは右膝の内側と右手首であり、腰部はぶつかっておらず、C医師にも、腰はぶつけたのではなくひねったと説明したと証言している。そうすると、腰部の受傷の点に関する限り、Aの証言とC医師の診断は整合していないといわざるをえない。

その後Aは、b病院からc整形外科医院に転医し、同病院において、b病院での診断と異なり、腰椎捻挫との診断を受けている。これは原告車両と衝突した際に腰をひねったというAの供述に沿う診断ではあるが、同病院が発行した「腰椎捻挫の症状の推移について」と題する書面によれば、平成24年2月22日の初診時と平成25年1月16日の終診時のいずれにおいても他覚的所見はみられなかったというのであるから、この診断はAの主訴のみに基づいて行われたものとみられる。Aはさらにc整形外科医院からe整形外科に転医し、同病院においては、腰椎捻挫に加えて椎間板ヘルニアとの診断を受けている。後遺障害診断書の記載からして、後者の診断はMRI検査に基づくとみられるが、このMRI検査は本件交通事故があったとされる日から約1年4か月後に行われたものであるうえ、b病院でもc整形外科医院でも椎間板ヘルニアの診断がされていないことからすると、他の要因によって生じたものであるにもかかわらずAの主訴により本件交通事故と関連付けられている可能性がある。

Aの証言と診断書の内容が整合しないことに加え、以上のようなその後の診療経過を考慮し、さらに、上記のとおり受傷を直接証明する客観的証拠がないことに照らすと、腰部打撲とのC医師の診断も、腰部をぶつけたというAの主訴のみに基づいて行われた疑いをぬぐい去ることができない。このことは、C医師の診断書の信用性を揺るがすとともに、事故態様に関するAの証言の信用性を揺るがすものでもある。

他方、右手打撲と右膝打撲の点ではAの証言とC医師の診断は符合する。しかしこれらの傷害は通院加療1週間という軽微なものであって、日常生活において容易に生じうる程度のものであり、自動車との衝突事故との関連性が顕著とはいえないから、自動車事故とは異なる機会に生じた可能性がないとはいえない。上記のとおり少なくとも腰部打撲に関するC医師の診断がAの主訴のみに基づいて行われた疑いがあるという状況を考えあわせると、この可能性を一概に否定することは困難である。

これらの事情によれば、C医師が作成した診断書は、本件交通事故により負傷したというAの証言の信用性を裏付ける証拠としての価値が十分なものであるとはいいがたい。

ウ  次に、Aが供述する事故の具体的な態様についてみる。

Aは、原告車両の速度について、30km/hから40km/h程度の速度あるいはそのまま交差点に進入するような速度からブレーキを踏んで停まったように見えたと証言する(Aの証人調書8頁)。仮に30km/hから40km/h程度で走行する原告車両を視認したのであれば、停止までに制動距離、制動時間を要することからして、原告車両は相当離れた位置にいたことになるが、他方でAは、原告車両を発見したのは1mから1.5mという近接した距離であるとも証言しており(同7頁)、その整合性に疑問がある。またAは、原告車両を避けようとした際、「とっさに私の上半身を後ろに下げようとした」(同2頁)あるいは「のけぞった」が(同9頁)、避けられずにバンパーが右膝にぶつかり、右手がフロントガラスにぶつかったと証言する一方で、警察官による取調べにおいては、身体を左に捻りながらとっさに右手を出して避けようとしたと供述していた(乙14。陳述書〔乙21〕も同趣旨である)。身体を左に捻るという動作と上半身をのけぞらせるという動作の差異は、表現の仕方の違いにすぎないとして説明できるものではなく、重要な点で供述に変遷があるといわざるをえない。もっとも、Aは「のけぞりながらひねった」とも証言するが(Aの証人調書9頁、14頁)、これを前提に検討してみても、左足が下がり右足が前に出ている体勢で、上半身をのけぞらせたのであれば、それだけ体重が後ろにかかり、右手が左前方に出にくい体勢となると考えられるから、同時に身体を左に捻ったことにより原告車両のフロントガラスと接触することがありえないとまではいえないにしても、打撲が生じるほどの強さでフロントガラスにぶつかったというのは不自然である。

このように、Aの証言する事故態様には、複数の疑問点を指摘することができる。

エ  Bは、警察官による取調べにおいて、本件交通事故当時、本件交差点南東角に停まっていた車両の中を掃除していたところ、原告車両が一方通行の規制に反して本件道路を進行しているのを視認し、その後、Aが「一方通行だろ、何逆走してるんだ、痛いだろ」と発言するのを聞いたと供述しており(乙15)、これはAが痛いという趣旨の発言をしたという点でAの証言と一致する。しかしBは、原告車両とAが衝突したところは見ていないというのであるから、Bの供述は事故態様そのものに関するAの証言を裏付けるものではない。AとBはa社の先輩と後輩の関係にあること、発言内容については口裏合わせをすることも容易であること、Bの供述は反対尋問にさらされていないことをあわせ考慮すると、事故態様に関するAの証言の信用性を判断するにあたり、痛いという趣旨の発言をした点でBの供述と一致することを重視することはできない。

そうすると、Bの供述も、事故態様に関するAの証言を裏付ける証拠とはいえない。

オ  以上で指摘したところに加えて、Aが本件交通事故に関する検察官からの呼出しに応じなかったこと、当初の診断では1週間の外来通院を要するにとどまる傷害であったのに1年10か月近く治療を受け、保険会社に対して後遺障害の認定を求めたが結局認められなかったことを考慮すると、事故態様に関するAの証言の信用性には疑問が残り、これをそのまま採用することはできない。

(2)  衝突を自認する原告の供述について

原告は、警察官に対し、原告車両とAが衝突したことを自認する供述をし、また、これを自認する上申書等を提出しているので、この信用性について次に検討する。これらの供述の概要は次のとおりである(かぎカッコを付けたものは引用である)。

①  平成24年2月22日作成の上申書(乙8)

「平成24年2月15日午後1時30分等々力<以下省略>において運転中に走行中に歩行者に接触してしまいました。警察に届ずに行ってしまいました。相手様のケガの確認をしませんでした。」

②  平成24年3月27日付け供述調書(乙17)

平成24年2月15日午後1時30分頃、原告車両を運転し本件交差点を左折して行こうとしたところ、横断歩道上を右方向から左方向へと横断してきた歩行者と衝突する交通事故を起こし、歩行者に怪我を負わせてしまいました。横断歩道の右側の駐車車両の後ろから歩いてくるのを発見して、ブレーキペダルにのせていた左足でさらに強く踏んだのですが、間に合わず、歩行者と原告車両の右前付近が衝突したのです。相手の人の怪我の容態は膝と腰を痛めていると聞いています。

③  平成24年4月26日付け供述調書(乙19)

本件交差点を進んでいく時に歩行者とぶつかる交通事故を起こしました。「私が、歩行者との交通事故を起こして、事故を起こした時にぶつかった相手から『一方通行だ』と言われ、私は、交通違反をしたことから交通違反を指摘した人だと思い勝手に思い込み、事故を起こした事に気付かず、その場から一方通行路の標識を確認するのと違反を指摘した人が、道路を右方向へと行ってしまったので、私は、相手の人に謝るためその場から立ち去ったのです。」

④  平成25年4月3日付け反省文(乙5)

「今回の事故につきまして、被害者様を負傷させたという事実はもちろん深く反省しております。そして、当時の自分の運転を改めて考え直しました。」「私は、交通事故というものを本当に甘く考えていたのだと思います。」「被害者様は一方通向の反対側に向かって歩いて行かれたため、私は怪我はないかな?でももし怪我していたら?いろんな考えが頭を巡りました。」

これらのうち①の上申書と②の供述調書は、原告がD弁護士に付き添われて玉川署に出頭したことを受けて作成されたものであり、その内容に照らしてみても、原告が①を自発的に作成し、またその自発的な供述に基づいて②が作成されたことを疑う余地はない。③の供述調書も、原告の意思に反して作成されたとか、捜査機関の誘導により作成されたというような事情はうかがえない。④の反省文も、原告が自発的に提出したものであることが文面上明らかである。

しかしこれらの供述は、事故態様に関する限り、いずれも具体性に乏しい。①の上申書や④の反省文には、被害者に接触したあるいは被害者を負傷させたという以上の記載はないし、③の供述調書にも、歩行者とぶつかる交通事故を起こしたという程度の記載があるにすぎず、その内容も理解困難である。最も具体性のある②の供述調書でも、歩行者を視認してから衝突するまでの間の歩行者の動静、すなわちAを発見した時Aはどのような体勢であったのか、その後Aとどのように衝突したのかが何ら明らかにされていない。Aは前記のとおり原告車両のフロントガラスに右手をぶつけたと供述しているが、この点にもまったく触れられていない。

これらの供述について原告は、衝突していないのにあえて衝突したことを自認する供述をしたのであるとし、その理由について、D弁護士に相談したところ、嘘をついてはいけないができるだけ穏便に示談ですませた方が不起訴処分になる可能性が高いとか、ぶつかっていない場合でも証言や証拠がなければ(その主張が受け入れられるのは)難しいとか言われたため、できる限り早く解決したいという考えからそのとおりにすることを決め、警察官の言うことに逆らわなかったと説明する(原告の本人調書9頁以下)。この説明が、上記のような供述に至った経緯としておよそ不自然、不合理とまで評価することは困難である。被告は、依頼人の権利を擁護し、社会正義を実現することを使命とする弁護士が、交通事故の発生を否定し、被害者が負傷したことをまったく認識していなかったと主張する依頼人に対し、不起訴処分を目指すことを目的にその主張を否定し、依頼人に不利益を強いるような対応をとること考えられないと指摘するが、原告の供述によってもD弁護士は虚偽の供述をするよう示唆したわけではないから、上記のような対応が弁護士の対応としてありえないとはいえない。そしてこのような弁護士の対応を前提にすると、速やかに不起訴処分を得たいと考えて原告が衝突を自認する供述をしたということもありえないとはいえない。

そうすると、原告の上記①~④の供述を根拠に、本件交通事故があったと認めることはできない。

(3)  衝突を否定する原告の供述について

最後に、本人尋問における原告の供述の信用性について検討する。この供述の概要は下記のとおりである。

原告車両を運転し、本件道路の南方にある老人ホームを出て、10km/h程度の速度で本件交差点に向かって進行した。本件交差点に近づいた時、右側に駐車車両があり、左側の建物にブルーシートが掛けられているのが見えた。その後、本件交差点の10mくらい手前で、4km/hから5km/hくらいに減速し、カーナビゲーションを確認しようとした。すると、歩行者(A)がブルーシートの後ろから出てきて、横断歩道よりも多摩堤通り寄り(南寄り)の位置で本件道路を横断してくるのが見えた。この時点で原告車両とAの距離は目測で3mくらいであった。そこで、左足でブレーキペダルを踏んで原告車両を停止させた。原告車両が停止した時点で、原告車両とAの距離は1mから2mくらいであった。Aは、手を原告車両の方に出して払いのけるような仕草をした。そこで、驚かせてしまったと思い、「申し訳ございません、大丈夫ですか」と言った。Aは、「一方通行だぞ、わかっているのか」と言い、原告と少し会話をした後、最後に「警察に言うぞ」と言ってその場を去った。ぶつかったから警察を呼ぶとか、携帯電話機を取りに戻るから待ってろという趣旨の発言をAはしていない。

以上の供述に特段不自然な点はみられず、道路の形状等、客観的事実に反する点も見あたらない。しかし被告は、原告の供述は信用することができないと主張するので、以下被告の主張(上記供述内容以外の原告の言動に関するものも含む)に即して個別に検討する。

ア  被告は、停止した原告車両とAとの間の距離が3mであったという記述が原告の陳述書(甲12)にあることをとらえ、そうであればAが驚愕する理由などないし、原告が謝罪する必要もないはずであって、原告の供述は不自然であるという。しかし証拠(甲4)によれば、原告車両とAとの間の距離が3m程度であったというのは原告車両の運転席を基準にしたものであると認められる。上記のとおり原告は、本人尋問においては、停止した原告車両とAとの距離は1mから2mくらいであると供述しているのであり(原告本人調書4頁)、これは上記陳述書と矛盾するものではないし、この程度の近接した距離であれば、一方通行の規制に反して逆走してきた自動車にAが驚いたというのは不自然とはいえないし、驚いた仕草を見て原告が謝罪したとしても不自然とはいえない。

イ  被告は、原告の供述するAの動きが事実に反するという。たしかに、Aの進行方向についてのAと原告の供述内容は正反対である(Aは、原告から見て右方向から左方向に横断したといい、原告は、原告から見て左方向から右方向に横断したという)。しかし前記のとおり事故態様に関するAの証言の信用性には疑問があり、直ちに採用できるものではない以上、この食違いのみでは、原告の供述の信用性を減殺する事情にはなるとはいいがたい。この点について被告は、本件交差点の南西角の建物は工事中で外壁がビニールシートで覆われており、歩道上まで資材がせり出していたから、原告の供述を前提とすると、Aは工事中の建物から出てきて道路を横断したか、横断歩道をあえて避けながら道路を横断したことになり不自然であると指摘する。しかし被告の指摘する証拠(乙3)によっても、原告の供述するAの歩行経路上に障害物があったとまでは認められず、また、原告の供述を前提とする限り、Aがどこからどこへ向かうために本件道路を横断していたのかも明らかではないから、原告の供述するAの動きが不自然であると決めつけることはできない。

ウ  被告は、Aが警察を呼ぶ趣旨の発言をしたことについて、一方通行違反を警察に申告する意味であると原告がとらえたのは不自然であるという。しかし、一方通行違反も道交法の違反行為になるばかりでなく、罰則規定も存在するのであるから(道交法8条1項、119条1項1号の2、同条2項)、警察を呼ばれると原告が考えたとしても不自然とはいえない。

エ  被告は、原告の事後の行動、すなわちAが立ち去った後に現場から逃走していること、勤務先の上司からの問い合わせに対し、本件交通事故があったとされる日に本件交差点のある世田谷方面には行っていないと答えたことを指摘し、このような行動を原告がとったのは本件交通事故の発生を認識していたからこそであると主張する。

しかし上記のとおり、一方通行違反も道交法の違反行為になるのであり、原告はAと会話をした後、自分が一方通行道路を逆走したことを確実に認識したと認められる。その事実が警察に知られることになれば自己に不利益が及ぶことになると考えるのは自然なことであり、その場から逃走することも、また、勤務先に対してその事実を隠蔽しようとすることも、人間の行動として不自然なものとまではいえない。

オ  被告は、警察官に対して原告がAと衝突したことを自認する供述をし、上申書等を提出していることに加えて、Aと示談交渉を行っていることなどの事後の経緯からすると、Aと衝突したことを否認する原告の供述は不自然であるという。しかし、衝突を自認する供述に至った理由がおよそ不自然、不合理とまではいえないことは前記のとおりである。また原告は、保険会社を介さずに弁護士を通じてAと示談交渉をし、損害賠償の一部として送金をするなどしているが、これも刑事事件について不起訴処分を得たいという動機に基づいて行われたものとして説明をすることができ、このような対応をしたことが不自然、不合理ということはできない。

なお、上記エの点を含め、原告の事後の行動の中には、本件交通事故が発生していないことを確実に認識している者の行動としてはやや了解しがたいところがあるのはたしかである。原告自身、Aを発見する前にカーナビゲーションに目を向けていたと供述しており、そのため、Aを発見した後においても原告車両とAとの距離関係を正確に把握することができず、原告車両とAが接触していないと断定することまではできない状況にあったのではないかという疑問が生ずる。そのような状況にあったのであれば、現場から逃走したことも、勤務先の上司に虚偽の申告をしたことも、警察官の言うことに逆らわなかったことも、Aに損害賠償金を支払ったことも、本件交通事故は発生していないと自信を持って断言することができなかったためにとられた行動であるとして説明することがより容易となるからである。このように考えることが正しいとすれば、本人尋問における原告の供述の信用性はその限度で減殺されることになる。しかし仮にそうであるとしても、事故態様に関するAの証言の信用性がそれによって回復するという関係にあるわけではないから、Aの証言はやはり前記のとおり信用性を欠くものといわざるをえない。

カ  以上で検討したところによれば、被告の指摘する事情を踏まえても、本人尋問における原告の供述の信用性を否定することは困難であるし、仮にその信用性が一定程度減殺されるとしても、それによって事故態様に関するAの証言を信用することができることにはならない。

3 結論

以上のとおり、事故態様に関するAの証言の信用性には疑問があり、これを採用することはできないから、被告の主張する本件交通事故発生の事実を認めることはできない(争点(1))。そうである以上、原告車両の交通による人の死傷があったとはいえないから、争点(2)について判断するまでもなく、原告が自動車の運転に関し道交法117条の違反行為をしたとは認められない。

原告が自動車の運転に関し道交法117条の違反行為をしたことを根拠とする本件各処分は事実の基礎を欠くといわざるをえず、違法であるから、いずれも取消しを免れない。

(裁判長裁判官 倉地康弘 裁判官 穗苅学 石井奈沙)

別紙 現場見取図

<省略>

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