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横浜地方裁判所 平成27年(ヨ)154号 決定 2015年11月27日

債権者

同代理人弁護士

池上忍

債務者

コンチネンタル・オートモーティブ株式会社

同代表者代表取締役

同代理人弁護士

寺前隆

岡崎教行

宮島朝子

主文

1  本件申立てを却下する。

2  申立費用は、債権者の負担とする。

理由

第1  申立て

1  債権者が債務者に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、366万2260円及び平成26年12月以降毎月25日限り73万2452円を仮に支払え。

第2  事案の概要

1  本件は、労働者であった債権者が、使用者であった債務者に対し、債務者が債権者に対して行った解雇が無効であるとして、労働契約に基づき、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めるとともに、1か月当たり73万2452円の月例給与として、平成26年7月から同年11月までの支給分に当たる合計366万2260円及び同年12月以降の支給分として同月以降毎月25日限り73万2452円を仮に支払うことを求める事案である。

2  前提事実以下の各事実は、当事者間に争いがないか、又は証拠により容易に認めることができる。

(1)  当事者

ア 債権者は、昭和33年○月○日生の男性である(書証略)。

イ 債務者は、自動車部品の研究、開発、設計、製造、販売及び修理等を目的とする株式会社である(現在事項全部証明書)。

(2)  東広島事務所での勤務

ア 雇用契約債権者と債務者は、平成23年6月3日ころ、勤務開始日は同年8月1日、勤務地は広島、給与は基本給54万7059円及び住宅手当1万6100円との約定で、債務者が債権者を雇用する旨の期間の定めのない雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結した(書証略)。

イ 債権者は、債務者の東広島事務所に、マネージャー(課長に相当)として勤務していた(争いがない。書証略)。

ウ 改善計画の実施

債務者は、平成25年6月6日ころから3か月にわたり、債権者に対し、パフォーマンス・インプルーブメント・プログラム(以下「PIP」という。)を実施した。

その実施に先立って作成された合意書には、「私は現在のポジションにおける業績・成果・Behaviorが、会社の期待値に達していないという事実に基づき、それらを改善するために、上記改善計画を上司とともに作成し、その内容に合意します。なお期限終了時に両者同席の上結果のレビューを行い、要求水準に達していない場合には、現在のポジションに対して適性がないと判断され、降格、社内外への異動・転身を含む措置が行われる場合があることを理解したうえで、ここにサインします。」との記載がされており、債権者の署名がされている(書証略)。

(3)  横浜本社での勤務

ア 債務者は、(2)ウのPIPの終了後、債権者に対し、横浜本社に転勤するか、又は退職することを求めた。

その結果、債権者は、平成26年1月から横浜本社に転勤(以下「本件転勤」という。)をし、本件転勤後はCマネージャー(以下「C」という。)の下で一担当者として業務に従事するようになった(争いがない。書証略)。

イ 自宅待機

債務者は、平成26年5月8日、債権者に対し、自宅待機を命じた(争いがない。書証略)。

ウ 賃金の額

債務者は、債権者に対し、平成26年4月1日から同月30日までの賃金として69万1714円を、同年5月1日から同月31日までの賃金として69万1714円を、同年6月1日から同月30日までの賃金として81万3928円をそれぞれ支払った(書証略)。

(4)  解雇

ア 普通解雇事由

債務者の就業規則には、普通解雇事由として、「業務能力または勤務成績が不適当と認めたとき」、「職務に怠慢なとき」、「その他前各号に準ずる止むを得ない事由があるとき」等が定められている(書証略)。

イ 債務者は、平成26年6月30日、債権者に対し、同日付けで普通解雇する旨を告げた。この解雇(以下「本件解雇」という。)は、「業務能力また勤務成績が不適当と認めたとき」、「職務に怠慢なとき」及び「その他前各号に準ずる止むを得ない事由があるとき」に当たることを理由とするものであった(書証略)。

3  争点

(1)  被保全権利

ア 債権者の主張

債権者の業務能力や勤務成績には問題はなかった。

債権者が勤務していた東広島事務所は平成26年12月に閉鎖になったところ、本件解雇は、それと時期的に符合するものであり、人員削減の目的によるものである。

イ 債務者の主張

東広島事務所は、現在でも従前と同じ規模で存続している。

債権者は、マネージャーとして採用され、部下の管理を行うとともにプレイングマネージャーとして実務をこなすことが求められていたにもかかわらず、その業務を部下に丸投げして、自身では行わなかった。また、債権者は、コミュニケーション能力の欠如から部下を十分に管理することができず、部下からは批判が続出し、工場等の関連部署からも全く相手にされず、東広島事務所のトップとしての責務を果たせていなかった。そのため、債務者は、債権者に対しPIPを実施したが、債権者は上長の指導を受け入れず、勤務状況は改善しなかった。

また、債権者には、横浜本社に異動させて改善の機会を与えたものの、そこでも上長からの指導を受け入れず、反論ばかりして指示に従わず、反抗の態度をとり続け、基本的業務すら満足に行うことができなかった。そのため、債務者は、債権者には改善の余地はないと判断した。

したがって、本件解雇には合理性がある。

(2)  保全の必要性

ア 債権者の主張

債権者は、昭和37年生で無職の妻と同居しているほか、いずれも県外に居住している平成2年生で大学院生の長男、平成4年生で大学生の長女を扶養しており、債権者の収入が家族の生活を支えていた。債権者は、本案判決の確定を待っていては著しい窮状に陥ることが明らかである。

イ 債務者の主張

保全の必要性について、債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるために必要であることの疎明が必要であるところ、そのことについての疎明がない。

債権者は預貯金、株式のほか、自宅及び賃貸用の不動産を保有しており、不動産収入もある。債権者の妻はアルバイトにより月6万円の収入がある。

また、債権者の長男は24歳、長女は22歳であり、通常であれば平成27年3月に卒業して就職しているはずである。

なお、債権者は1か月73万2452円の仮払いを求めているが、平成26年4月の広島市の標準生計費は2人世帯で17万9789円である。

第3  当裁判所の判断

1  証拠及び審尋の結果によると、前提事実のほか、以下の各事実が一応認められる。

(1)  事務所閉鎖の有無

債務者の東広島事務所は、場所は移転したが、現在も債権者が勤務していた当時と同じ規模で存続している(書証略)。

(2)  本件労働契約

ア 債務者は、債権者が自動車業界における29年間の勤務経験を有することなどに着目し、即戦力としての手腕を期待して本件労働契約に至った(書証略)。

イ 業務範囲

債権者の業務範囲には「市場補償(無償修理)データの動向調査と分析」が含まれており、それには「市場補償データの毎月の指標の動向調査」や「市場補償データの分析と調査による改善点の明確化と提案」が含まれていた(書証略。なお甲19(書証(略))の債権者の陳述書には、乙6(書証(略))の職務記述書は債権者の業務を記載したものではなく、これらは債権者の業務に含まれない旨の記載があるが、債権者が審尋の際にワランティーデータの分析や改善点の提案の業務を行っていたと陳述していたことに照らすと、陳述書の前記記載は、採用できない。)。

(3)  本件転勤後の債権者の勤務状況

ア 本件転勤後の欠勤債権者は、平成26年1月6日午前9時に横浜本社に出勤したが、同日午後は無断で外出した。また、同月7日ないし同月9日は、引っ越し先を探すためであるとして、債務者の了解なく欠勤した(書証略)。

イ 三菱自動車のACUに係る報告書兼提案書の作成

(ア) Cは、平成26年1月6日、債権者に対し、三菱自動車に納入している部品の一つであるACU(アクチュエーションブレーキ部品)について、過去一年間のワランティーデータを分析し、不具合低減のための提案、具体的なアクションをプレゼンテーション形式の報告書兼提案書にまとめるように指示した(書証略)。

(イ) 債権者は、平成26年1月10日に報告書兼提案書を提出した。

これに対し、Cは、形式面から報告書兼提案書の形式になっていないこと、分析も不十分であり、論理も飛躍していて、一般論に終始し具体的な内容のある提案を行うものではないなどとの問題点を指摘し、修正の指導をした(書証略)。

(ウ) 債権者は、平成26年1月27日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。しかし、これは、(ア)の報告書兼提案書にグラフを追加したにすぎず、(イ)の指導に応えるものではなかった(書証略)。

(エ) 債権者は、平成26年1月31日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した(書証略)。

(オ)件債権者は、平成26年2月14日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した(書証略)。

(カ) 債権者は、平成26年2月21日、パワーポイント形式をワード形式に改めた報告書兼提案書を提出した(書証略)。

(キ) 債権者は、平成26年2月28日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

Cがこれを油圧式ブレーキシステム事業部の品質保証マネージャーであるFに見せたところ、無駄なセンテンスは除いてください、ポイントは箇条書きにするとか分かりやすくしてください、データを根拠として説明してください、グラフ・スケッチ等を使って分かりやすくしてください、報告書としてのレイアウトに気を使ってください、だらだらとした文章はNGです、項目が変わる場合は行を空けるなどしてください、結論が分からない、何が言いたいのか分からない等のコメントが寄せられた(書証略)。

(ク) 債権者は、平成26年3月7日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した(書証略)。

(ケ) 債権者は、平成26年3月12日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

その内容は、(ク)の報告書兼提案書の文章を原則1行ずつに改行し、左側に傍点を付して箇条書きにしただけのものであった。

なお、債権者には、手本として報告書の実例が示された(書証略)。

(コ) 債権者は、平成26年3月14日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

その内容は、伊の報告書兼提案書とほとんど同じである(書証略)。

(サ) 債権者は、平成26年3月24日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

その内容は、(コ)の報告書兼提案書とほとんど同じであり、末尾に「今後の取り組みの日程」の項に取り組み項目として「ピストン傷(2013年7月生産とそれ以降の発生)」、「外部漏れの利害調整」、「チェックバルブに起因する効き不良のモニター」、「リップシール捲れ」及び「リリースポジションでの負圧漏れ」が列挙されているが、具体的に何をどのように改善すべきであるとする提案であるかは一見では理解困難であった(書証略)。

(シ) 債務者は、平成26年3月28日、債権者に(ア)の業務を行わせることを打ち切った(書証略)。

ウ マツダのACUに係る報告書兼提案書の作成

(ア) Cは、平成26年1月10日、債権者に対し、マツダに納入している部品の一つであるACUについて、過去一年間のワランティーデータを分析し、不具合低減の提案を作成するように指示した(書証略)。

(イ) 債権者は、平成26年1月24日の期限までに報告書兼提案書を提出しなかった(書証略)。

(ウ) 債権者は、平成26年1月31日、報告書兼提案書を提出した。

これに対し、C及びD執行役員「以下「D」という。)は、何が言いたいのか分からないのでそれを明らかにした方がよいなどと指導をした(書証略)。

(エ) 債権者は、平成26年2月14日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した(書証略)。

(オ) 債権者は、平成26年2月28日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した(書証略)。

(カ) 債権者は、平成26年3月7日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

この時に、債権者は、Cに対し、ワランティーデータを分析しても意味がない旨の発言をした(書証略)。

(キ) 債権者は、平成26年3月12日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

その内容は、(カ)の報告書兼提案書の一部を箇条書きにしただけのものであった(書証略)。

(ク) 債権者は、平成26年3月14日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

その内容は、(キ)の報告書兼提案書とほとんど同じであった(書証略)。

(ケ) 債権者は、平成26年3月24日、修正を加えた報告書兼提案書を提出した。

その内容は、(ク)の報告書兼提案書とほとんど同じであり、末尾に「今後の取り組み日程」の項に取り組み項目として「Warranty分析データ提供」、「リザーバーキャップについてのフォロー」、「J36へのフォロー(コード76、36、82)」、「コーンクラッチのフォロー」、「ブレーキ鳴きのフォロー」及び「その他異音のフォロー」が列挙されているが、具体的に何をどのように改善すべきであるとする提案であるかは一見では理解困難であった(書証略)。

(コ) 債務者は、平成26年3月28日、債権者に(ア)の業務を行わせることを打ち切った(書証略)。

エ TMC外部漏れの課題ばらし

(ア) Cは、平成26年1月10日、債権者に対し、TMC外部漏れの「課題ばらし」を行うように指示した。

これは、TMC(タンデム・マスター・シリンダ。自動車の各車輪に装着されたブレーキ・キャリパーに運転者がブレーキペダルを踏むことによって発生した油圧を供給する装置)における内部のオイルが製品の外部に漏れるという問題の発生原因を明確にすることを目的として、外部漏れが発生すると考えられる要因を全て洗い出し、それぞれの要因ごとにどうやってそれを検証、実証していくかのストーリーを作り、実際の日程をベースに実行計画を作成することであった(書証略)。

(イ) 債権者は、平成26年1月27日、TMC外部漏れの課題ばらしを提出した。

これに対し、Cは、課題ばらしの意味を説明して、指導をした(書証略)。

(ウ) 債権者は、平成26年1月31日、修正を加えた課題ばらしを提出した。

これに対し、D及びCは、具体的にやるべき作業を明示するように指導した(書証略)。

(エ) 債権者は、平成26年2月14日、修正を加えた課題ばらしを提出した(書証略)。

(オ) 債権者は、平成26年3月7日、修正を加えた課題ばらしを提出した。

これに対し、Cは、FTA(フォルトツリー解析)をベースに考えるのが自然ではなどと指導をした(書証略)。

(カ) 債権者は、平成26年3月17日、「三菱向けACUのブースター外部への液漏れの現況の問題」と題するプレゼンテーション資料を提出した。

これに対し、Cは、債権者の考えが全く見えないことを指摘し、FTAについてはどうしたかを尋ねたところ、債権者は、忙しくてとてもできないと回答した。そこで、Cが、欧米での実績を調べたかを問うたところ、債権者は、まだそこまではやっていないとの回答をした(書証略)。

(キ) 債権者は、平成26年3月24日、修正を加えた「三菱向けACUのブースター外部への液漏れの現況の問題」と題するプレゼンテーション資料を提出した。

しかし、これは(カ)の指導を生かしたものではなかった(書証略)。

(ク) 債権者は、平成26年4月3日、「外部漏れレポートの添付資料」と題する書面を提出した(書証略)。

(ケ) Cは、平成26年4月5日、(ク)のレポートの問題点を指摘して同月10日までに出し直すように指示をしたが、債権者は、メールにより同日までに再提出する考えはない旨の回答をした(書証略)。

(コ) Cは、平成26年4月14日、債権者に対し、ブースター外部漏れに関するレポートを作成するように指示をしたが、債権者はこれを拒否した(書証略)。

(サ) Cは、平成26年4月18日、債権者に対し、レポート作成を打ち切り、東広島事務所のGに引き継がせる旨を告げた(書証略)。

(シ) Gは、1週間でレポートを作成した(書証略)。

オ CQTSへの入力の拒否

債務者においては、不具合部品についてはデータベースであるCQTS(コンチネンタル・クオリティ・トラッキング・システム)に必要事項を入力することとされていた。

平成26年4月、債権者は、東広島事務所のHからCQTSへの入力の不備について再入力を依頼されたが、これに応じず、また、Cからもその入力を指示されながら、これにも応じなかった(書証略)。

(4)  データ分析に対する考え方

ア 債権者の考え方

債権者は、部品の不具合の低減活動について、「低減の効果を生ずる低減活動を行うのに必要なことは、現車や現物で実際の現象を確認することであって、これがまさに業界の常識です。」、「私もマツダに勤務していたときに、ワランティーコストの削減活動チームの一員として削減活動に従事しましたが、このときも、まずチームが着手したのがワランティー(保証)修理の不具合部品の回収活動であってワランティー情報による実際の不具合現象の確認やその現象を生む要因系統図の策定やその要因の分析は、何らなし得ませんでした。」などとして、不具合の低減活動は部品の現物で実際の現象を確認することのみによってなし得るものであり、データを分析することには有用性はないと考えている。

そればかりではなく、債権者はそうした考え方に強く固執して、ワランティーデータを分析することにより不具合低減のための提案を求める債務者の指示は不合理なものであるとし、その意義を否定する姿勢に終始していた(書証略、債権者の平成27年10月22日付け主張書面、審尋の結果)。

イ 債務者の考え方

債務者は、部品の不具合の低減活動について、データを分析して不具合の原因について仮説を立て、その対策を検討する手法を有用なものと考えている。なお、こうした手法は、同業他社においても行われている(審尋の結果)。

(5)  懲戒事由

債務者の就業規則には、懲戒事由として「会社の業務上の指示、命令に背きそれに従わなかった者」、「執務に対し怠慢な者」、「その他前各号に準ずる行為のあった者」等が定められており、懲戒事由に該当するときは譴責、減給、降格、就業停止又は懲戒解雇の懲戒処分を行う旨の定めがある(書証略)。

(6)  復職の意向

債権者は、債務者への復職を希望している。しかし、債務者は、債権者の復職には応じられない意向を明確に示している(審尋の結果)。

(7)  保全の必要性について

ア 世帯の構成債権者は、従前は自身の収入により妻、大学院生の長男及び大学生の長女を扶養していたが、長男は平成27年4月に就職した(書証略、審尋の結果)。

イ 収入

(ア) 債権者は、現在は就労しておらず、平成27年6月22日までは雇用保険の給付を受けていた。その額は、同年4月27日に21万8540円、同年6月22日に21万

なお、債権者には、自宅の他に賃貸している土地建物からの賃料収入があり、その額は1か月12万6229円である(書証略、審尋の結果)。

(イ) 債権者の妻は、アルバイトをしており、1か月約6万円の収入がある(書証略、審尋の結果)。

ウ 財産

(ア) 債権者は、自宅を保有しているが、ローンが約800万円残っている。また、債権者は、他に賃貸している築約50年の一軒家及びその敷地を保有している(審尋の結果)。

(イ) 債権者は、株式会社三菱東京UFJ銀行広島支店に預金口座を有しており、平成26年5月14日の時点での残高は942万2766円であったが、毎月約50万円ずつ程度以上の出金があり、平成27年8月31日の時点での残高は70万0658円になっている。

また、債権者は、新生銀行広島支店に預金口座を有しており、同年6月末日の時点での残高は普通預金が31万9312円、定期預金が180万1971円である(書証略)。

(ウ) 債権者は、評価額約50万円のマツダ株及び評価額約19万円のドコモ株を保有している(審尋の結果)。

(エ) 債権者の妻は、もみじ銀行牛田支店に普通預金口座を有しており、平成27年8月31日の時点での残高は222万8123円である(書証略)。

エ 平成26年4月における広島市の標準生計費は、2人世帯で17万9789円、3人世帯で19万9339円である(書証略)。

2  争点に対する判断

(1)被保全権利について

ア 解雇事由該当性

(ア) 1(2)イで認定のとおり、債権者の業務の範囲には、市場補償データの分析と調査による改善点の明確化と提案という業務(以下「本件提案業務」という。)が含まれていたことが認められる。

(イ)1(4)イで認定のとおり、部品の不具合の低減活動について、データを分析して不具合の原因について仮説を立て、その対策を検討する手法は、同業他社においても行われていると認めることができ、その手法が有用なものではないと断じることはできない。

(ウ) しかるに、1(4)アで認定のとおり、債権者は、不具合の低減活動においてデータを分析することには有用性はないとの考えであるばかりでなく、そうした考え方に強く固執して、ワランティーデータを分析することにより不具合低減のための提案を求める債務者の指示が不合理なものであるとして、その意義を否定する姿勢に終始していたことが認められる。

そして、債権者がこのような姿勢に終始していたことについては、債権者がこれまでの職歴において債務者が求めるような本件提案業務を経験してこなかったことから、本件提案業務を遂行する能力を備えておらず、それゆえに債務者の指示に十分に応えることができなかったために、債務者の指示自体の正当性を否定することで自己が本件提案業務を行うべき旨の業務命令を果たしていないことを正当化、合理化しようと図っていたものであると認めることができる(なお、1(3)で認定の債権者作成の報告書兼提案書等の内容や、これについて債務者による指導が繰り返されていた経過等に照らすと、債権者が本件提案業務を行う能力を備えていながら敢えてこれを発揮することを控えていたものであるとはおよそ認められない。)。

(エ)1(3)で認定のとおり、債務者は、本件転勤後に債権者に対し本件提案業務を行わせようとしたが、債権者は債務者の指示に素直に従うことなく、むしろ反抗的というべき態度を示すようになっていたものであり、債務者による度重なる指導に対しても改善が見られなかったことから、債務者は債権者に本件提案業務を行わせることを打ち切っていたことが認められる。

(オ) 以上によると、債権者は本件提案業務についてこれを遂行するのに十分な能力を有していたということはできず、またその成果もほとんど上がっていなかった上に、債権者の勤務態度についてもむしろ反抗的というべき態度に終始していたものであり、その勤務成績は不良なものであったということができるから、債権者は就業規則71条3号の「業務能力また勤務成績が不適当と認めたとき」に当たるということができる。

イ 解雇権濫用の有無

(ア) 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とされる(労働契約法16条)。

(イ) 前提事実(2)ア及び1(2)アで認定のとおり、債権者は、高度の能力を評価されて高額の賃金により中途採用されたものであり、報告書の作成技術といった基礎的な教育や指導を行うことは本来予定されていなかったと認められることや、1(3)で認定のとおり、債務者は本件転勤後に債権者に対し個別的な指導を行って能力の向上を図ろうとしていたにもかかわらず、債権者は債務者の指示に素直に従わず、むしろ反抗的というべき態度に終始していたこと、前提事実(2)ウ及び同(3)アのとおり債権者はPIPの実施や本件転勤及びこれに伴う実質的な降格という経過を経ていたものであり、意識改革を図るための機会は十分に付与されていたということができることに照らすと、債務者が債権者の業務能力や勤務成績については今後も改善の余地がないと判断して本件解雇を行ったことについては合理性を欠くということはできず、本件解雇が解雇権の濫用に当たるということはできない。

ウ 以上によると、被保全権利について疎明があるということはできない。

(2)  保全の必要性について

なお、念のために、保全の必要性について判断する。

ア 労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める旨の仮処分や金員の仮払いの仮処分は仮の地位を定める仮処分命令に当たるところ、仮の地位を定める仮処分命令は債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる。

しかるところ、1(7)イで認定のとおり、債権者には1か月12万6229円の不動産収入があることや、債権者の妻はアルバイトをしており1か月約6万円の収入があること、同ウで認定のとおり、債権者世帯は合計505万0064円の預金及び評価額約69万円の株式を保有していること、同アで認定のとおり、債権者の長男は平成27年4月に就職しており、現在は債権者の被扶養者ではなくなっていると認められるところ、同エで認定のとおり、平成26年4月における広島市の標準生計費は3人世帯で19万9339円であることなどに照らすと、債権者の経済状況が、賃金の仮払いがなければ労働契約上の権利を有する地位にあることの確認や賃金の支払を求める旨の本案訴訟を提起することが著しく困難となる程度にまで、急迫の危険が差し迫った状態にあるとまではにわかに認めることができない。

イ また、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める仮処分はいわゆる任意の履行を求める仮処分に当たるところ、1(6)で認定のとおり債務者が債権者の復職には応じられないとの意向を明確に示しており、たとえ仮処分の発令があったとしても債務者が任意にこれを履行することはおよそ期待し難いことに照らすと、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める旨の仮処分を行うことは、実益に乏しいといわざるを得ない。

ウ 以上によると、保全の必要性について疎明があるということはできない。

3  したがって、本件申立ては、理由がないから、これを却下することとし、申立費用について民事保全法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり決定する。

横浜地方裁判所第7民事部

(裁判官 岩松浩之)

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