横浜地方裁判所 平成5年(ワ)3566号 判決 1999年10月20日
原告
河野禮通
被告
国
右代表者法務大臣
陣内孝雄
右指定代理人
木村武義
安井和彦
藤井弘之
佐野正美
宇山聡
住川洋英
渡邉正博
高野浦信昭
小山博実
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、三四二四万一八〇〇円及びこれに対する平成三年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要等
一 事案の要旨
本件は、保土ヶ谷税務署管内において個人事業を営む原告が、平成三年分の所得税に関する確定申告書、収支内訳書、領収書数枚及び買換え承認申請書等(以下「本件申告書類」という。)を提出して、確定申告手続を行ったにもかかわらず、保土ヶ谷税務署の税務職員により本件申告書類を毀損又は隠匿された上、保土ヶ谷税務署長により無申告加算税の賦課決定処分を下されたとして、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づいて、逸失利益と精神的損害の賠償を求めた事案である。
二 前提となる事実(当事者間に争いのない事実以外の認定事実については、当該認定事実の末尾にその認定証拠を摘示する。)
1 当事者
原告は、保土ヶ谷税務署管内で各種設計を行う自営業を営んでいる者であり、昭和四六年七月より保土ヶ谷税務署で確定申告手続を行っている。
2 確定申告手続
(一) 所得税の確定申告手続は、納税者が自らの手でその年の一年間の所得の金額とそれに対応する所得税の額又は損失の金額を計算し、その翌年の二月一六日から三月一五日までの間に納税地の所轄税務署長に対して確定申告書を提出して、予定納税額及び源泉徴収税額との過不足額を精算するための手続である(裁判所に顕著な事実)。
(二) 所得税の確定申告書の用紙は、「提出用甲」、「提出用乙」及び「控用」の三枚一組となっており、提出用乙は提出用甲を記載すると複写されるような仕組みになっている。一般に、確定申告書の提出に際して納税者は、「提出用」(甲乙の二枚)を「控用」とともに提出し、税務署の文書収受担当者より収受日付印(以下「収受印」という。)の押捺を受けた後、「控用」の返戻を受けることになる(乙六、富田証言、弁論の全趣旨)。
3 平成三年分所得税の確定申告
原告の昭和六一年分から平成二年分までの所得税についての調査を担当した保土ヶ谷税務署の税務署長所部係官富田一男(以下「富田係官」という。)は、原告が平成二年分に帰属する所得として申告した不動産の譲渡所得が平成三年分に帰属すると判断して、原告に対し、これを平成三年分の所得に含めて確定申告するように指導したところ、平成四年三月一〇日、原告から富田係官に対し「明日、平成三年分の所得税の確定申告書を提出しに行く。」との連絡があった(乙八、富田証言、弁論の全趣旨)。
4 課税処分
保土ヶ谷税務署署長は、平成四年七月二九日、原告に対し、平成二年分の所得税について、減額更生処分をするとともに、平成三年分の所得税について総所得金額を二一九八万一六八八円、分離長期譲渡所得金額を五一〇一万四七六六円及び納付すべき税額を一七一一万九五〇〇円とする決定処分並びに無申告加算税の額を二五六万六五〇〇円とする賦課決定処分をなし、右決定処分を原告に通知した(甲五の三、六、原告本人)。
5 不服申立てと審査請求
(一) 原告は、平成三年分の所得税に関する右処分を不服として、平成四年八月三日、保土ヶ谷税務署長に対して、異議を申し立てたが、同年一〇月三〇日付で棄却の決定を受けた(甲六)。
(二) 原告は、なお不服があるとして、同年一一月一〇日、国税不服審判所長に対して、右処分の取消しを求めて審査請求をしたところ、国税不服審判所長は、分離長期譲渡所得金額を零とし、無申告加算税を過少申告加算税とするなどの判断をした上、原処分の一部(税額九四九万三〇〇〇円の部分)を取り消す裁決を行った(甲六)。
三 争点とこれに対する当事者の主張
本件における争点は、<1>本件申告書類が保土ヶ谷税務署の税務職員により収受されたか、<2>保土ヶ谷税務署の税務職員は、原告から収受した本件申告書類を破棄又は隠匿したか、<3>原告の被った損害はどれほどかであるところ、これに対する当事者の主張は以下のとおりである。
(原告の主張)
1 原告は、平成四年三月一一日午前八時三〇分から九時までの間に自宅を出て、保土ヶ谷税務署に着き、案内係員の指示で三階に行った。三階に行くと、「帳面」を出されて、そこに名前を書き、番号札をもらって椅子に座って待っていたが、混雑していたのでイライラしていたところ、付近の人が提出だけなら二階でもよいと言って降りていったため、原告も二階に降り、そこで本件申告書類を提出した。保土ヶ谷税務署の税務職員は、平成三年分所得税に関する確定申告書及び収支内訳書を収受し、その控えに収受印を押印して、これを原告に返戻した。右当日、原告が本件申告書類を提出しているのを市川という統括官が見ていた。
2 保土ヶ谷税務署の署長及び税務職員は、原告に還付すべき平成二年分の過納付税を還付しないようにするため、通謀して、本件申告書類を破棄又は隠匿した上で、あたかも原告に責任があるかのごとく追徴課税の処分を行おうと企て、原告が、平成四年三月一一日に本件申告書類を提出し、確定申告手続を行ったにもかかわらず、保土ヶ谷税務署長は、原告が確定申告手続を行わなかったとして、同年七月二九日、原告に対し、平成三年分所得税について無申告加算税の賦課決定処分を下した。
3 原告は、右に述べた一連の違法行為によって以下の損害を被った。
(一) 無申告加算税を賦課した平成三年分所得税分 一八〇二万八四〇〇円
(二) 平成四年度分の市民税及び県民税分 五九七万九四〇〇円
(三) 原告の取引先に国税調査が入るなどして信頼を失い、減少してしまった平成四年以降の売上分 九二八万四〇〇〇円
(四) 慰謝料 九五万〇〇〇〇円
合計 三四二四万一八〇〇円
(被告の主張)
1 原告が保土ヶ谷税務署に平成三年分の確定申告手続を行ったという事実はないし、税務職員が本件申告書類を破棄又は隠匿したという事実もない。
2 原告が、保土ヶ谷税務署の収受印が押印されている確定申告書等の控えを所持していたとしても、それは、以下のような経緯で所持するに至ったと考えられる。
すなわち、所得税の確定申告書等は、提出期限が間近に迫った三月一〇日ころから三月一五日までの間にその大半が集中して提出されており、この時期の収受場所には確定申告書等を提出しようとする納税者の列ができ、申告会場は納税者であふれかえっている状態である。そのため、収受担当者は、確定申告書等の外見上の瑕疵の有無の確認を収受印の押印と同時に行うこととなり、収受印を押印後において、確定申告書等の外見上の瑕疵を発見することも発生する。そして、この場合、瑕疵のある確定申告書等の全てを収受担当者の面前で補正させると、当該納税者の後ろに並んでいる納税者を待たせることになるし、一方、軽微な瑕疵であるにもかかわらず、再度、納税者の列の最後尾に並び直し、収受担当者の審査を受けなければならないとすると、納税者に必要以上の手間をかけることになる。したがって、確定申告書等の提出期限が差し迫り、収受場所が混雑しているときには、軽微な瑕疵であって、容易かつ直ちに瑕疵の補正をすることが可能であり、瑕疵の補正が行われれば、外見上、提出可能な状態になるような瑕疵については、納税者の便宜を考慮し、納税者が右瑕疵を直ちに補正する意思を有することを確認した上で、納税者に収受場所前の長机で確定申告書等を補正し、あらためて納税者の列に並ぶことなく収受担当者に確定申告書等を提出するよう指示し、既に確定申告書等に収受印を押印している場合には、右収受印を抹消することなく、確定申告書等を一時的に納税者に返戻するという方法も用いているのである。この場合、収受場所に赴いて確定申告書等を提出しようとしている納税者は、いずれも確定申告の意思を有していることが通常であるから、納税者が特段の悪意を持っていない限り、収受印を押印した確定申告書等を一時的に返戻して瑕疵の補正を求めたとしても、当該納税者が瑕疵を補正した確定申告書等を提出しないということは通常考えられない。
原告が確定申告手続を行ったと主張する平成四年三月一一日は、確定申告期限が切迫している日であり、収受場所は確定申告を行おうとする多数の納税者で著しく混雑していたこと、原告の提出した確定申告書等には瑕疵が存するものの、当該瑕疵は、軽微な瑕疵であって、瑕疵の補正は容易かつ直ちに行うことが可能であり、右補正がなされれば、外見上、提出可能な状態になる瑕疵であることからすると、原告は、収受担当者から、既に確定申告書等に押印された収受印を抹消することなく、一時的な補正のために返戻された確定申告書等を、そのまま持ち帰った蓋然性が高い。
3 また、仮に、原告が本件申告書類を提出し、これが税務職員により収受されていたとしても、以下に主張するとおり、保土ヶ谷税務署長がなした本件決定等処分により、原告が損害を被った事実はない。すなわち、仮に、原告による本件申告書類の提出及び収受が真実であったとすると、保土ヶ谷税務署長は原告の平成三年分所得税について更生処分すべきところを決定処分したことになるが、更生処分及び決定処分は、ともに課税庁がその調査に基づき、課税標準及び所得税額を確定するための手続である点において何ら異なることはなく、本件の場合、本件申告書類に記載された原告の所得金額及び所得税額は零円であるから、仮に、更生処分をしたとしても、原告の納付すべき税額は、本件の決定処分における本税と同額になり、この限度において両処分に差異は生じない。また、本件申告書類が提出されたとしても、過少申告加算税は課せられるのであり、無申告加算税との間の税額の差は、金二万五〇〇〇円にすぎない。
第三争点に対する判断
一 当事者間に争いがない事実及び証拠(認定事実の末尾に認定証拠を摘示する。)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。
1 保土ヶ谷税務署における確定申告書類の受付状況
(一) 保土ヶ谷税務署では、平成三年分の所得税の確定申告期間(以下「本件申告期間」という。)の間、確定申告等の相談会場のほか、所得税の確定申告書の収受場所が設けられており、その確定申告書の収受場所は、保土ヶ谷税務署の駐車場にて建てたプレハブ建物一階事務室の申告相談会場、一階事務室内に設けた申告書収受納付相談会場、二階事務室内に設けた贈与税・譲渡所得の申告相談会場、二階総務課及び三階事務室内に設けた申告相談会場の計五箇所であった(乙五、乙七、乙九)。
(二) 保土ヶ谷税務署本館の三階事務室内に設置された相談所兼収受場所では、本件申告期間中、帳面のようなものは備え付けていなかったが、来署した相談者のために、番号札と相談受付票を交付していた(乙五)。
(三) 確定申告の受付担当者が押捺する収受印には、それぞれ違う番号が付されており、収受印を使用する担当者は、収受印使用事績簿に認印を押捺して、収受印の交付を受けることになっている。平成四年三月一一日当時、一四番の収受印は、一階事務室内に設けられた申告書収受納付相談会場において、森徳光統括国税徴収官(以下「森統括国税徴収官」という。)により、午前九時から午後四時半まで使用され、その後、当時の収受印保管責人者である古谷統括官に戻された。なお、保土ヶ谷税務署では、一四番の収受印は、一個しか存在しなかった(乙一、七、森証言)。
2 保土ヶ谷税務署の確定申告書類の処理状況
確定申告期間中は、多数の納税者が来署し、税務所内が非常に混雑しており、収受担当者は、非常に多数の納税者から多数の申告書を収受するため、申告書提出用、控用ともに収受印を押捺した後に、印鑑漏れや記載誤り等の間違いに気付き、その場で訂正させるために申告書提出用、控用ともに申告書に返戻することがあった(乙七ないし九、森証言)。
3 確定申告書の保管状況
保土ヶ谷税務署に提出された確定申告書は、申告収受場所でプラスチック製の箱に一時保管されるが、その日のうちに所得税部門の事務室に箱ごと集められ、収受枚数や内容を整理分析した後に、書庫に保管される。確定申告期間が終了した後は、申告書全てを納税者の町別・アイウエオ順に分類して、課税台帳に編綴して書庫に収蔵されている(乙五)。
4 本件申告書類の調査
(一) 原告から平成四年三月一一日に確定申告書を提出に行くとその前日に連絡を受けた富田係官は、馬場統括官から原告の確定申告書が提出されたかどうかを確認するように指示されたため、保土ヶ谷税務署の職員とともに、平成四年三月一一日から一六日までの間、確定申告書が集まる三階の申告書整理場所で、提出された確定申告書を一枚一枚確認したが、原告の確定申告書を発見することはできなかった。また、平成三年分の所得税の確定申告事務に従事していた市川武統括国税調査官(以下「市川統括官」という。)も、平成四年三月一一日、原告が保土ヶ谷税務署に来署するかどうか気にかけていたが、原告が確定申告書を提出しているところを確認できなかった(乙五、九、富田証言)。
(二) 渡邊勝男統括国税調査官は、平成四年三月一一日前後の申告相談受付簿を確認したが、来所した事績は記録されておらず(乙四)、また、高橋嘉尚上席国税調査官(以下「高橋上席調査官」という。)は、同年四月中旬に、同僚とともに、課税台帳の中から、「河野(コウノ・カワノ)」の姓の確定申告書を探したが、見付けることができなかった(乙八)。
(三) 市川統括官は、原告の確定申告書の提出の有無が問題になった平成四年五月中旬ころ、原告の相談受付票をその年の全部の中から探し出すように指示し、保土ヶ谷税務署の職員二名が相談受付票の全てを探したが、見付けることができなかった(乙五、九)。
(四) 高橋上席調査官は、原告が平成四年六月二五日ころ平成三年分所得税の納税証明書を求めて保土ヶ谷税務署に来署した際、原告に対し、確定申告書控えの提示を求めたが、原告は、二週間後くらいに持ってくると言ったまま、同年九月一〇日までこれを持参せず(乙八、九)、また、市川統括官は、同じころ、税務署職員に確定申告書をよく探すように指示し、平成四年七月上旬ころ、市川統括官を含めた個人課税の統括官全員で、原告が提出したと主張する領収書を探したが、いずれも発見することができなかった(乙五、九)。
(五) 佐藤安弘統括国税調査官は、平成四年九月中旬に、同年三月一一日付収受印番号一四の収受印が押捺された全申告書を捜索し、同年一〇月中旬にも書庫や書類キャビネットを確認させて、原告名義の確定申告書を探したが、見付けることができなかった(乙九)。
5 原告が所持する確定申告書(甲一)の記載状況等
(一) 平成四年三月一一日に保土ヶ谷税務署で平成三年分の所得税の確定申告を行った際に返戻された「控用」であると原告が主張する甲第一号証は、平成三年分の所得税の確定申告書の「提出用甲」と記載されているもののコピーに保土ヶ谷税務署の平成四年三月一一日付収受印が押捺されている書面(以下「本件確定申告書」という。)であり、その作成日付は平成四年三月一三日と記載されている。
(二) 本件確定申告書の記載には、以下のとおりの不備がある。
(1) 左欄上部の「所得から差し引かれる金額」として、雑損・医療費控除欄に三万五〇〇〇円、社会保険料・小規模企業共済等掛金控除欄に三万五〇〇〇円、生命保険料控除欄に二万五〇〇〇円、扶養控除欄に三五万円との記載(基礎控除として三五万円の額が固定文字として印字されている)がなされており、本来ならその合計額は七九万五〇〇〇円となるところ、<32>欄の合計欄には七〇万円と記載されている。
(2) 右欄の「納める税金の計算」欄には、営業所得金額(<1>欄)、申告納税額(<58>欄上)、還付される税金(<62>欄)及び「三月一六日までに納付する金額」(<64>欄)にそれぞれ「○」と記載されているのみで、他に収入金額の記載がなく、また、総合課税の所得金額の合計額(<8>欄)、所得から差し引かれる金額の合計(右側<32>欄)及び申告納税額(右側<58>欄下)の記載もない。
(3) 納税者氏名の横に押印がなく、また、確定申告書の上段と下段との割り印が押印されていない。
さらに、確定申告書下段の住所、氏名欄に記載がない。
(4) 分離課税の対象となる所得がないにもかかわらず、分離課税用の確定申告書を用いている。
6 原告が所持する収支内訳書(甲二)の記載状況等
(一) 本件確定申告書に添付されており、本件確定申告書とともに返戻された「控用」の収支内訳書であると原告が主張する甲第二号証は、平成三年分収支内訳書のコピーに保土ヶ谷税務署の平成四年三月一一日付収受印が押捺されている書面(以下「本件内訳書」という。)であり、その作成日付は平成四年三月一三日と記載されている。
(二) 本件内訳書の記載には、以下のとおりの不備がある。
本件内訳書には、原本の記載を黒く塗りつぶした箇所があるほか、コピーの記載を、傍線で訂正し、その上に訂正印を押捺している箇所が数々見られる。各欄の訂正後の数字が判然とせず、経費計(<18>欄)及び専従者控除前の所得金額(<19>欄)の記載が誤っており、さらに、所得金額(<21>欄)及び右側「売上(収入)金額の明細」の合計額(左側<1>欄)の訂正後の記載がない。また、左欄上部の「売上(収入)金額」(左側<1>欄)には、一五七七万二六二九円と記載されているのに対し、右側の「売上(収入)金額の明細」欄を合計すると、一五九二万六九〇五円となり、左側<1>欄の記載と一致しない。
二 争点1(本件申告書類が保土ヶ谷税務署の税務職員により収受されたか。)について
1 原告は、平成四年三月一一日、保土ヶ谷税務署の三階で、帳面に名前を書き、番号札をもらって椅子に座って待っていたが、混雑していたので二階に降り、そこで本件申告書類を提出して、収受印をもらい、控え(甲一、二)の返戻を受けたのであって、このことは市川統括官が見ていた旨主張し、原告は、その本人尋問において、これとほぼ同旨の供述をするが、前認定のとおり、本件申告期間中、保土ヶ谷税務署の三階では帳面のようなものを備え付けておらず、原告が帳面と呼んでいるものと思われる相談受付票を税務職員が捜索したが、結局、原告名義の相談受付票を見付けることができなかったこと、富田係官らの税務職員が、原告の相談受付票や確定申告書等を幾度となく探したが、これらを見付けることができなかったこと、本件確定申告書及び本件内訳書には一四の番号が付された収受印が押されているところ、右収受印は、平成四年三月一一日当日、収受事務を行っている間ずっと一階で使用されており、二階で使用されたことはなかったこと、原告が申告手続を見られていたと主張する市川統括官は、平成四年三月一一日当日、原告が確定申告書を提出するために保土ヶ谷税務署に来署するかどうかを気にかけていたにもかかわらず、原告が確定申告書を提出しているところを確認していないこと、本件確定申告書及び本件内訳書の提出の日付が、平成四年三月一三日となっており、真実、同年三月一一日に確定申告手続をしたかどうか疑わしいこと、保土ヶ谷税務署における確定申告書の管理及び保管状況に照らして、一度税務職員が収受した確定申告書が紛失するという可能性は極めて低いことから、これらの事実と矛盾している原告本人の供述は、にわかに信用することができない。
2 もっとも、鑑定の結果によれば、本件確定申告書及び本件内訳書の各収受印と保土ヶ谷税務署長作成の平成三年分確定申告期収受印使用事績簿(乙一)に押捺されている収受印とが同じである可能性が高いことが認められる。そうすると、原告から本件申告書類の提出を受けた税務職員は、これらを収受し、平成三年分の所得税の確定申告書及び平成三年分収支内訳書の控えとして、本件確定申告書及び本件内訳書に収受印を押捺した上、これらを原告に返戻したかのようにも考えられ、前記原告主張事実に沿うかのようであるので、以下この点について検討する。
(一) 本件確定申告書と本件内訳書には、不審な点や不備な記載部分があり、正式に確定申告書として収受されたとは考えにくい。
すなわち、前認定の事実によると、本件確定申告書は、「提出用甲」と記載されたものであるが、通常、申告者に返戻されるのは「控用」と記載された書面であり、「提出用」と記載された書面は、税務署により収受されるものである。そして、納税者が提出用と記載された確定申告書の写しを控えとして持参したときには、提出用と記載されている部分を控えと直させていた(乙七)から、これを訂正せず、提出用と記載されたままで原告に返戻されたとは考えにくい。また、本件内訳書についても、通常、文書の原本を提出し、そのコピーを控えとする場合において、提出前に何らかの訂正箇所を発見した時には、原本を訂正したうえで、そのコピーを取ることが通常であり、コピーを別途訂正するということは、あまり採られていない手法である。さらに、収受担当者は、確定申告書を収受するに際し、申告書の所定箇所に、住所・氏名・所得金額・税額等の必要事項の記入漏れはないか、納税者の押捺されているか、また、必要な添付書類は添付されているか等を確認する(乙七)ところ、本件確定申告書及び本件内訳書は、記載が不十分かつ不自然な箇所が所々見られるばかりか、記載内容にも齟齬があって、一見して、確定申告書等としての適式な要件を具備していないことが認められるから、収受担当者が、これらを適式な書類として収受したとは、到底考えられない。
(二) 本件確定申告書と本件内訳書は、収受印の押捺を受けた上で、記載の不備を補正するために、一旦返戻された可能性が高い。
前認定の事実によれば、原告が確定申告書を提出したと主張する平成四年三月一一日は、確定申告期限の切迫している時期であって、保土ヶ谷税務署は確定申告手続をする人でこみ合っていたことからすると、納税者が確定申告書を提出した後、撤回を申し出たため、収受印を抹消せずに返却してしまうことなどもあり得るし(乙九)、さらに、収受担当者は、混雑が激しいときには、確定申告書の軽微な瑕疵を補正させるため、確定申告書提出用、控用ともに収受印を押捺した後に、申告者に返戻するという処理もしていたことが認められるのであって、本件確定申告書に存する瑕疵は、いずれも、その場で押印したり、筆記用具で記入・訂正することによって補正することが可能な瑕疵であることが認められることに鑑みると、収受担当者から、既に確定申告書に押捺した収受印を抹消することなく、一時的な補正のために返戻された確定申告書を、原告が、そのまま持ち帰った可能性も十分考えられる。
(三) そうすると、本件確定申告書や本件内訳書に収受印が押捺されている事実は、前記原告の供述の信憑性の判断を左右するに足りない。
3 ほかに、本件申告書類が保土ヶ谷税務署の税務職員により収受されたことを認めるに足りる証拠はない。
三 以上のとおりであって、本件申告書類が保土ヶ谷税務署の税務職員により収受されたという事実は認められず、右事実を前提にした原告の主張は採用できない。したがって、その余の点について検討するまでもなく、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項本文、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 末永進 裁判官 高橋隆一 裁判官 平城文啓)