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横浜地方裁判所 平成6年(タ)124号 判決 1997年1月22日

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。

二  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金一〇〇〇万円を支払え。

三  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金三〇〇万円を支払え。

四  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、原告(反訴被告)が学校法人乙山学園からの退職金を受領したとき、その受領金額の二分の一を支払え。

五  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、本件離婚判決が確定した月から被告(反訴原告)の死亡するまでの間、毎月末日限り金一五万円宛を支払え。

六  原告(反訴被告)及び被告(反訴原告)のその余の請求をいずれも棄却する。

七  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  本訴請求(原告〔反訴被告〕。以下「原告」という。)

1 主文一項同旨

2 被告(反訴原告。以下「被告」という。)は、原告に対し、九一五二万六九一一円を支払え。

二  反訴請求(被告)

1 主文一項同旨

2 原告は、被告に対し、財産分与として五〇〇〇万円及び離婚成立の月から被告の死亡時まで一か月二〇万円宛を支払え。

3 原告は、被告に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年六月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要及び双方の主張

一  原告(明治四四年六月一二日生まれ)と被告(昭和二年三月一五日生まれ)(以下「二人」という。)は、昭和五三年一月九日婚姻の届出をした夫婦である。

原告は、甲田市教育委員会社会教育課長や公立中学校校長、更には仙台市の学校法人丙川学園が経営する中学と高校の校長を歴任したのち、昭和五八年には学校法人乙山学園の理事に就任し、同学園の常任理事を経た上、現在は再び理事の職にある。

二人は、原告が甲田市教育委員会社会教育課長の職にあって、被告が同市教育委員会の社会教育委員であった昭和三五年ころ顔見知りとなり、昭和三九年ころ、原告が同市立中学校の校長となったころ男女関係をもち、一旦交際を中断したが、原告が先妻と死別(昭和五二年八月二二日)したのちに婚姻した。なお、被告は、昭和四三年二月五日前夫と調停離婚している。

二  本件請求に関する原告の主張の要旨

1 離婚請求について(民法七七〇条一項五号を根拠とする。)

被告は、原告に対し、物心両面にわたって迫害を加えた。すなわち、<1>被告は、原告と前妻との間の子供達や原告の親族と一切付き合おうとしなかった上、原告の子供らを目の敵にしていた。<2>被告は、前夫との間の子供等と原告が交際することを極度に嫌がり、しばしば原告に悪態をついた。<3>被告は、原告の預金通帳や実印等を原告から取り上げ、原告が取得すべき給与等をすべて自己の手に入れてしまい、原告には僅かに小遣いを月三万円与えるだけであった。<4>被告は、問題が起こったときはすべて原告のせいにして、自ら謝罪することはなかった。

このため、原告は、ついに被告との離婚を決意し、平成五年四月被告のもとを離れて別居し、現在に至っている。

2 金員請求について

(一) 原告は、被告に対し、昭和五八年ころから原告名義の預金通帳や銀行届出印、実印等を預け、原告名義の預金口座に入金される原告の給与、年金、恩給等の金員について、そのうち原告の給与以外の原告固有の財産については、定期預金として預け入れるなどして利殖を図り、少なくとも元金は維持するように管理することを委託し、原告の給与については、生活費として一定額を支出することは許されることを前提としてその余を右同様の利殖等により少なくとも元金は維持するよう管理することを委託した。しかし、原告は、本件訴状送達の日である平成六年一月一九日、予備的に本件第一五回口頭弁論期日である平成八年六月二四日、右委託契約を解除した。

(二) 右委託契約期間中被告が管理していた原告の給与等は次のとおりである。

(1) 甲田市からの恩給(昭和五八年から平成四年までの分)

一一七七万〇〇三四円

(2) 公立学校共済組合からの年金(昭和五八年から平成五年二月までの分)

一七七四万六四二五円

(3) 私立学校教職員共済組合からの年金(平成二年から平成五年二月までの分)

三三九万三五一三円

(4) 学校法人丙川学園からの退職金

八一四万八〇〇〇円

(5) 甲田市の自宅の売却代金

一七三六万円

(6) 乙山学園からの給与(昭和五八年一〇月から平成五年三月までの分)

八九〇一万七八七八円

(7) (1)ないし(6)の合計は、一億四七四三万五八五〇円である。

(三) 被告は、右の解除により、右(二)のうち(1)ないし(5)は、原告の固有財産であるからその全額を当然原告に返還すべきであり、(6)は財産分与の対象となるものであるところ、このうち右給与受領期間である一一四か月間の一か月二〇万円の割合による生活費二二八〇万円を控除した残額の半額である三三一〇万八九三九円は原告に返還すべきである。したがって、原告が被告に対して返還を求めることのできる金額は合計九一五二万六九一一円となる。

(四) また、右委託契約の存否はともかくとしても、被告は原告に対し、財産分与として(三)記載の金員(九一五二万六九一一円)を支払うべきである。

三  反訴請求に関する被告の主張の要旨

1 離婚請求について(民法七七〇条一項五号を根拠とする)

二人は仲むつまじく暮らしてきたところ、原告は平成五年に至ってから態度を急変させ、被告をあたかも財産を盗んでいるかのごとく言い立て、それを理由に被告が原告との婚姻前から取得していた不動産を転売して取得した現在の住まいである不動産に仮差押えをするなどして離婚訴訟に踏み切った。これは根拠のない追い出し婚であり、離婚の原因は専ら原告にある。

2 慰謝料請求について

右1のような原告の態度は被告の名誉を著しく毀損するものであるから、これを慰謝するには少なくとも一〇〇〇万円が相当である。

3 財産分与請求について

二人が同居するにあたって合意した内容は、原告の収入の一切は夫婦の共通財産として結婚生活を維持してゆく、というものであって、これは一種の夫婦財産契約である。そして、右契約は本件訴訟で言い渡された離婚判決が確定するまで続く性質のものである。ところで、原告は間もなく乙山学園の常任理事を退職する予定であるが、その退職金の額は一億円を下らない筈である。また、原告は右退職後は合計月額五〇万円以上の恩給や共済年金を受領する予定である。

そこで、被告は、原告に対し、財産分与若しくは夫婦財産契約に基づき、五〇〇〇万円(の財産分与)及び離婚後の扶養料として離婚した月から被告の死亡時まで月額二〇万円の(財産分与の)支払をそれぞれを求める。

第三  判断

一  二人の婚姻の前後から別居に至るまでの経緯

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1 前記のとおり、二人は、原告が甲田市教育委員会社会教育課長の職にあって、被告が同市教育委員会の社会教育委員であった昭和三五年ころ顔見知りとなり、原告が同市立中学校の校長となった昭和三九年ころ、当時それぞれ婚姻して家庭を持っていたが、男女関係をもち、一か月に一回程度の割合で右の関係を継続させていた。被告は、昭和四二年ころ二男を自殺で失い、昭和四三年二月五日には前夫と協議離婚をし、前夫から受領した離婚慰謝料五〇〇万円で東京都目黒区内にマンションを購入して居住し、薬剤師として薬局に勤務する傍ら、高級調理器具の販売会社にも(当初はアルバイトとして)勤務するようになった。昭和四八年ころ被告は、右のマンションを一一五〇万円程で売却して東京都港区内に部屋を賃借したが、そのころ被告の三男も自殺したことなどから、二人の関係は一時途絶えることとなった。原告は、被告の二男が自殺したことを苦にし定年前の昭和四二年三月末日をもって中学校長を辞め、同年四月から学校法人丙川学園に副校長として勤務し、昭和五一年ころから被告との右同様の深い関係の交際を再開した。そのころ被告は、世田谷区深沢に一戸建住宅を約二三〇〇万円で購入し、長男とともに移り住んだ。

2 原告の前妻が肺癌で死亡した昭和五二年八月から間もない昭和五三年一月九日、二人は婚姻届出をした。原告は、長男から婚姻を反対され(このため、原告は間もなく長男を「勘当」したとして、昭和五八年七月二三日に催された原告の亡妻の七回忌法要にも出席させなかったし、このため、長男は原告のみならず被告とも不仲となるに至っている。)、それまで長男と同居していた甲田市内の自宅を出て、同市内に二人で購入したワンルームマンション(丁原コーポラス。建物部分の持分は、原告が八分の一、被告が八分の七であり、土地部分の持分は、原告が二〇〇〇分の二、被告が二〇〇〇分の八である。代金は七六五万円で、頭金一五三万円のうち一三〇万円は被告が負担した。残りのうち中間金一一二万円を除いた五〇〇万円の支払のため、右マンションの二人の持分を担保として被告名義で五〇〇万円のローンが組まれた。)で、被告は世田谷区深沢の被告所有の一戸建の建物にそれぞれ別居していた。昭和五六年四月、原告が丙川学園の校長に就任したのを機に、被告はそのころ、原告との婚姻ころから従事していた前記調理器具販売会社の販売代理店の経営(年収は代理店経営の数年程前から約六百ないし八百万円)を辞め、二人は甲田市内に新たに探した賃貸マンションで共同生活を始めた。

同居に際して原告は、原告が手にする金員としては被告から受け取る小遣いの月三万円だけとし、その余の原告の収入のすべてを、その性質が原告固有のものか二人の共有のものかによって区別することなく、被告の管理に任せることとした(もっとも、原告は、甲田市の自宅を増改築した際の費用の一八〇万円を昭和五八年四月までに完済しているし、昭和五七年一一月には満期保険金五四万円余を受領してもいるなど、自己の収入から自由に出来る分が右三万円以外には全くなかったというわけでは必ずしもなかった。)。これは、それまで原告に蓄えが殆どなかったことから被告が原告の財産管理の杜撰さを指摘し、今後は被告が原告の収入のすべての管理を行う旨主張したため、原告がこれに従ったことによる。被告は、右管理委託の趣旨に基づき、原告の収入の中から一か月三万円の割合による小遣いを原告に手渡すほか、その余の収入の全てを管理するとともに、支出についても、二人の交際費を含む生活費等の一切の支出をも管理することとなり、二人の家計の管理一切は被告が担当することになった(その具体的方法は、原告名義の通帳に振り込まれる給与や年金等を通帳等とともに被告において保管・管理するほか、右金員をもって証券取引等をして利殖を図ることも被告に任されていた。また、被告は、二人の家計の管理に当たっては、原告の収入と被告固有の預金等の財産とは一応区別していたが、被告固有の財産から二人の生活費に充てられたものも僅かながらあった。)。原告は、右委託に基づき被告によって行われた家計の管理の具体的内容については、被告と共に旅行したり買物等をし、或いは原告自身でカードを利用して買物をするなどしたこともあり、そのすべてを完全に把握していたというものではなかったものの、大半のことは認識していたし、認識できる状況にあった。そして、後記別居の直前ころまでの間に、右家計の管理について原告が被告に異議を述べたことはなかった。

3 昭和五八年三月(原告七〇歳)、原告は丙川学園中学高等学校の校長を任期満了で退職し、退職金として手取り約七七一万円を取得した。そのころから二人は、被告の世田谷区深沢の自宅で居住することとなったが、原告は、同年一〇月町田市内にある乙山学園高等学校に就職し、同年一二月理事となり、昭和六一年四月からは常任理事に昇格した。被告は、昭和六二年六月には深沢の自宅を一億四五〇〇万円で売却し、昭和六三年一月に八八〇〇万円で購入した横浜市《番地略》の自宅(被告の現住所地)に二人は転居した(右買換えにより、被告は税金等を控除した残額の約三千数百万円の譲渡益を得た。)。なお、右売却から転居までの間、二人は神奈川県秦野市鶴巻の賃貸マンションで暮らしていた。甲田市内の丁原コーポラスを、買値を割った約四八〇万円で売却したのもこのころであった。

4 二人の婚姻生活は、原告の地位・収入に恵まれた上、住環境も豊かであって、交遊関係も極めて広く、海外旅行やダンスパーティ等共に出歩く機会も数多くあり、また、原告は平成元年から戊田六丁目の老人会の会長を務め、大勢の会員の世話を熱心にやるなどしており、精神的にも経済的にもゆとりのあるものであった。このように二人が人生を共に楽しむことに積極的であったため、交遊費等を含む生活費の額は相当高額に達しており、そして、そのような共に生活を楽しみつつ多額の交遊費等を費消する状態は後記別居の直前ころまで続いていた。

しかし、原告としては、次第に年老いてゆく身を考えると、不仲となった子供との仲を回復してゆきたいと思うようになり、被告にその旨を提案することもあったが、被告からは容易に受け入れられなかった。そして、平成五年に入ったころから原告は、自分が得た金員の額やその費消状況が原告にとっては必ずしも明確ではないなどとして、被告に対し、原告の得た収入の管理を任して欲しいと要請するようになり、同年三月二二日、被告に対し、<1>平成元年に売却された原告の甲田市の自宅の売却代金の引渡し、<2>原告名義の預金通帳や証券類(もしあったとして)の引渡し、<3>原告の受ける給与や年金等の経理(管理)の平成五年四月以降の原告への移管、<4>原告の子供達等を含む原告の親族と被告との和解の機会を持つことをそれぞれ求め、また、<5>前記能見台の被告所有の自宅を処分して二人の名義の家を新たに購入する件について二人で話し合いをした。しかし、甲田市の原告の自宅を売却した代金の一部五〇〇万円が入金されている原告名義の預金通帳とそれに関する原告の実印が被告から原告に渡されたのみであって、原告の要求しているその余については、金員の管理状況を含め殆ど被告の認めるところとはならなかった。そこで、原告は、同月二六日、原告としては被告に反省と再考を求める意味で、右同様の要求等を内容とする手紙を被告及び被告の長男夫婦宛に書き残した上、被告のもとを離れ、家を出た。

5 原告は平成五年三月二九日に被告のもとに戻ったが、被告としては、従前の二人の生活状況等から考えると、家出をしたり原告の収入に関する経理の移管を求める原告の真意を十分掴むことができなかったこともあって、原告の右の要求を受け入れようとはしなかった。原告は、その後間もなく自己の実印は原告自身で管理する旨を宣言し、一時は被告の要請を受けて、二人の分かる場所にそれを保管することとしたが、被告に濫用されると危惧した原告が右実印等を原告のみが把握できる場所に移したため、これを知って立腹した被告との間で言い争いとなって対立が抜き差しならないものとなり、原告はついに被告との離婚を決意し、同年四月、被告のもとを離れて東京都世田谷区上北沢にマンションを借りて別居し、現在に至っている(なお、原告は、平成七年二月、同マンションを、代金二〇〇〇万円とし、これを同年三月から平成一五年六月までの間に毎月末日限り二〇万円宛分割して支払ったときその所有権の移転を受けるとの約定のもとに、購入する旨の売買契約を締結している。)。なお、別居後に原告が得るべき収入については、原告がそのすべてを受領している。

6 二人が同居を開始したとき(昭和五六年四月)から右別居までの間で、原告の得るべき収入について被告が管理していた金員の内容は、次のとおりである(ただし、いずれも税込み金額である。)。

(一) 甲田市からの恩給(昭和五八年から平成四年までの分)

一一七七万〇〇三四円

(二) 公立学校共済組合の年金(昭和五八年から平成五年二月までの分)

一七七四万六四二五円

(三) 私立学校教職員共済組合の年金(平成二年から平成五年二月までの分)

三三九万三五一三円

(四) 学校法人丙川学園の退職金

八一四万八〇〇〇円

(五) 甲田市の自宅の売却代金 二四〇〇万円(ただし、前記のとおり、このうち五〇〇万円は原告が既に被告から受け取っている。)

(六) 乙山学園からの給与(昭和五八年一〇月から平成五年三月までの分)

八九〇一万七八七八円

二  原告及び被告の離婚請求について

右一の認定事実によれば、二人は別居の直前ころまでは共に人生を楽しむことに積極的であって、少なくとも傍目には特段不仲であることを窺わせる事情も認められないところ、平成五年に至っての原告から被告に対する家計管理の移管申出は、少なくとも被告にとっては唐突なものであったことは推認に難くない。原告は、この点について、「傍目には仲睦まじい夫婦であったかも知れないが、実態はそのようなものでは決してなく、二人で家にいるときは修羅であった。」旨供述するが、右一で見た二人の人生を共に楽しむ積極的な生き方の中からは原告の右供述を真実であると窺わせる事情を見い出すことは困難であり、却って、人生を共に楽しんでいる右の生活状況の中からは原告の被告に対するいたわりの気持ちや夫としての情愛すら窺われる(傍目とは無関係な原告自身の心情を吐露したと思われる証拠として、例えば、原告の手帳上の記載〔昭和五八年三月六日欄の記載--「妻に母を見る」「面倒見のよさ」や「遠花火立ち添ひて妻と言もなくながめてありぬこの夏もゆく」という平成三年に作られた和歌などがある。)のであって、原告の右供述のすべてをたやすくそのまま真実とみることはできない。しかし、平成五年に至っての原告の被告に対する(少なくとも被告から見た場合の)態度の急変が、どのような原因によるものであるかについては、色々な憶測をすることも不可能ではないものの、これを断定できるに足りる証拠はない(なお、昭和五八年当時の原告の手帳には、子供への切々たる思いが歌に託して綴られている〔前記のとおり、当時原告の長男は原告から「勘当」されていた。〕ところ、別居の際には、長男は原告の荷物運搬作業の手伝いをしており、遅くとも別居の時点では原告と長男との仲は回復しているものと推認される。しかし、右の時点でも原告の長男と被告とが仲を回復していることを認めるに足りる証拠はない。)とは言え、いずれにしても、原告・被告の双方が離婚請求をしていること、並びに右に認定したとおり二人の別居(平成五年四月ころ)から既に三年半以上も経過していることなどに徴すると、二人の婚姻はもはや回復し難いほどに破綻していると認めるのほかはない。したがって、原告及び被告の各離婚請求はいずれも理由がある。

三  原告の金員請求について

1 原告は、被告に対し、原告の給与、年金、恩給等の金員について、そのうち原告の給与以外の原告固有の財産については、定期預金として預け入れるなどして利殖を図り、少なくとも元金は維持するように管理することを委託し、原告の給与については、生活費として一定額(月額二〇万円)を支出することは許されることを前提としてその余を右同様の利殖等により少なくとも元金は維持することを委託したところ、本件訴状送達の日である平成六年一月一九日、予備的に本件第一五回口頭弁論期日である平成八年六月二四日、右委託契約を解除したから、被告は、右二6のうち(一)ないし(五)については、それらが原告固有の財産であることから全額を、(六)については、それが二人の共有財産である給与であることから、そのうち右給与受領期間である一一四か月間の一か月二〇万円の割合による生活費二二八〇万円を控除した残額の半額である三三一〇万八九三九円は原告に返還すべきである旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、原告は、被告との同居にあたって、原告の得るべき収入の管理を(一か月三万円の小遣いを受領することを除いて)すべて被告に任せることとしたところ、その際の二人の合意内容の詳細は、必ずしも明らかとは言えないものの、前記のとおり、原告は、被告に対し、原告の収入の性質(原告固有の財産としての性質を有するものか、二人の共有財産としての性質を有するものか)を何ら区別しないで包括的にそのすべての管理を含む収支一切(経理)を任せ、その方法について特に指示を与えることもなく、また、管理や費消の内容について苦情を申し立てることも別居の直前ころまではなかった上、被告が行ってきた経理の実際も、原告の収入の性質を区別しなかった上(原告の収入と被告固有の財産とは一応区別はしていたが、僅かではあったが被告固有の財産から二人の生活費等に充てられたものもあった。)、二人の生活振りは贅沢の限りを尽くしてのものと言っても過言ではないほどのものであって、原告自身も、被告と共に買物をしたり海外旅行に出掛けるなどし、或いは原告自身でカードを利用して買物をするなどしたこともあって、被告が行っていた家計管理状況の大半について認識し或いは認識出来る状況にあったのであり、さらに、被告はおおよそ六百ないし八百万円というかなりの年収を得ていた仕事を辞めて原告との同居を始めたことなどをも併せ考慮すると、右管理委託の趣旨は、被告が婚姻前から所有していた固有の財産は別個として、原告の収入については、被告において、その収入の性質の如何を問わずすべてについて自由に収支(経理)を行うことを原告が予め包括的に容認する内容のものであったと推認することができる。したがって、右委託契約が継続する間、性質の如何を問わず原告の収入のすべてを二人の共有とする旨の黙示の合意があったと推認することもできる。

原告と被告との委託契約の趣旨は右のようなものであるから、これと異なる内容の委託契約のあることを前提として原告の収入の返還を求める原告の主張は採用することができない。

2 原告は、右委託契約とは別個に財産分与として1記載の金員の支払を求めている。そこで、財産分与の対象となる二人の共有財産の有無と額を検討することとする。

前記のとおり、原告は右の契約を本件訴状送達の日である平成六年一月一九日に解除しているが、清算的財産分与については、別居した時点を一応の基準とし、その後弁論終結時までの財産の変動等をも考慮した上で(ただし、別居後判決確定までの間の婚姻費用分担については、被告からの申立てにより別途家裁での調停等が予定されているから、原則として、右別居時点での共有財産の額を検討すれば足りるものと解される。)、共有財産の有無等を判断するのが相当と解される。そして、原告と被告との委託契約の趣旨が前記のようなものである以上、原告の収入のうち二人の別居時点において残存するもののみが一応清算的財産分与の対象となる共有財産と認められるが、さらに、被告が婚姻中に原告の収入から購入した貴金属類には相当高価なものも少なくなく(ただし、高価な貴金属類のうちには原告の収入からの購入とは断定できないものもある。)、それらは現在も被告の手元にあると推認されるから、原告の清算的財産分与の額を判断するに際しては、この点も考慮すべきである。

《証拠略》によれば、別居の時点において二人の共有財産として残存していることの明らかなもの(被告において保管している金員)は、次のとおり少なくとも約二一七一万円である。

(一) 原告名義の預貯金のうち現存するものの現在高は、既に原告が受領した五〇〇万円の定期預金を含めて約一八一一万円である。これはそのまま二人の共有財産と認めるのが相当である。

(二) 被告名義の預貯金として現存するものは、約七二〇万円であり、そのうち原告の収入から被告名義とされたものも一定程度含まれていることは前掲各証拠から推認されるところ、そのうち約半額(約三六〇万円)は二人の共有財産と推認するのが相当である。

そして、前記のとおり、原告は既に右一八一一万円から五〇〇万円を受領していること、並びに前記高価な貴金属類に関する点等本件に関する諸般の事情をも併せ考慮すると、結局、原告が被告から財産分与として支払を受けることのできる金額は一〇〇〇万円をもって相当と認める。

四  被告の金員請求について

1 慰謝料請求

本件各離婚請求はいずれも理由があるところ、その破綻の原因については、前記のとおり、色々の憶測をすること自体は不可能ではないものの、その詳細は明確ではない。しかしながら、原告が被告のもとを離れたことは、原告としてはそれなりに悩みを抱えての止むに止まれぬことであったとしても、少なくとも被告にとっては、それまでの二人の共同生活の状況に照らし、そのような原告の態度の変化の真意を十分把握することができない状況下での出来事であったことも明らかなことであり、また、前記のとおり、原告が別居までの間被告に財産管理を委託した趣旨は、原告の収入のすべてを、被告がその収入の性質の如何を問わず自由に収支(経理)を行うことを予め包括的に容認する内容のものであったのに、本件訴訟において原告は、被告が原告の収入のすべてを勝手に取り上げたなどと主張・供述しているのであって、これらの事情に徴すると、原告の本件に関する一連の言動の中に被告に対する不法行為を構成するものも含まれていると認めるのが相当である。そして、これによって受けた被告の精神的苦痛を慰謝するには三〇〇万円をもって相当と認める。

2 清算的財産分与請求について

原告は、昭和五八年一〇月町田市内にある乙山学園高等学校に就職し、同年一二月理事となり、昭和六一年四月からは常任理事に昇格し(前記のとおり)、平成六年一二月末日に常任理事を辞めて理事となっている。ところで、同学園においては、常任理事を退職した際に退職金が支給されるが、その具体的金額の計算と支給自体は、常任理事退職後理事に止まった場合には、理事を退職した時点で最終的に金額を計算した上、理事会の承認のもとに支給される扱いとされている。そして、原告の場合、特段の事情のない限り、右理事会の承認のあることを前提として、二一九一万七五〇〇円が支給される可能性が高い。退職金の持つ性質や右に見た同学園の常任理事在職期間と婚姻期間との関係等に徴すると、将来原告が取得する退職金は二人の共有財産であって、被告はその二分の一を原告から分与を受けるのが相当と認められる。

しかし、原告が同学園から退職金を確実に取得できるかは未確定なことであり、その金額も確定されてはいないから、現時点では原告から被告への確定金額の支払を命じることは相当でない。そこで、本件においては、「将来原告に乙山学園からの退職金が支給されたとき、原告は被告に対し、その二分の一を支払え。」と命ずるのが相当と認められる。

3 扶養的財産分与請求について

現在原告が受領している恩給及び年金の額は、ほぼいずれも年々僅かずつではあるが増額し、<1>甲田市からの恩給(平成七年分)が約一四二万円、<2>公立学校共済組合からの年金(平成五年分)が約一八三万円、<3>私立学校教職員共済組合からの年金(平成七年分)が約二六六万円であって、以上を合計すると約五九一万円となる。そして、(1)右の恩給等は、将来も概ね年々漸増してゆくことが予想され、本件離婚が確定する時までには一定程度増額する蓋然性があること、(2)原告が現在理事を務めている乙山学園を退職した場合にも年金等が支給される可能性のあることが考えられること、(3)被告は、原告との婚姻までは相当多額の収入を得ていた職に就いていたが、その後現在まで無職であり、この状態は今後も変わりがないと予想されること、(4)被告は婚姻前から有していた被告固有の財産を相当程度現在も保持していると推認されること、(5)被告は自宅を持っているが、原告は前記マンションについて売買契約を締結してはいるものの、売買代金の多くは未払いであること(前記のとおり)、などの諸事情を総合考慮すると、原告は、被告に対し、扶養的財産分与として、本件離婚が確定した月から被告が死亡するまでの間毎月末日限り一五万円宛(年額一八〇万円)を支払う義務があるというべきである。

第四  結論

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木敏之)

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