横浜地方裁判所 平成6年(行ウ)24号 判決 1998年4月28日
原告
椎名多美男
(ほか一六名)
右一七名訴訟代理人弁護士
畑山穣
同
堤浩一郎
(ほか七名)
被告
神奈川県地方労働委員会
右代表者会長
榎本勝則
右訴訟代理人弁護士
井上嘉久
右指定代理人
井村孝守
同
黒田博明
補助参加人
日本鋼管株式会社
右代表者代表取締役
三好俊吉
右訴訟代理人弁護士
中原正人
右当事者間の頭書事件について、当裁判所は、平成九年一〇月一四日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は、補助参加によって生じた費用も含め、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一本件請求
原告らは、いずれも、補助参加人(会社という。)の従業員であり、鉄鋼労連日本鋼管京浜製鉄所労働組合(組合という。)に所属しているが、組合の平成四年の第一二期役員選挙において会社の支配介入行為があったとして、平成五年五月二〇日、被告に対して不当労働行為救済命令の申立てをしたところ、被告が平成六年四月二七日に右の申立てを棄却する旨の命令(本件命令という。)をしたが、本件命令には事実の誤認があって違法であると主張して、その取消しを求めている。
第二事案の概要
一 前提となる事実(当事者が明らかに争わない事実)<略>
二 争点
1 本件訴えは不適法か、否か。
2 本件命令は違法か、否か(不当労働行為の成立が認められるか、否か。)。
三 争点に関する当事者の主張<略>
第三争点に対する判断
一 争点1(本件訴えの適法性)について
補助参加人は、本件訴えは不適法であると主張するので検討する。
使用者は、地方労働委員会の命令につき、再審査の申立てをしないときのみ取消しの訴えを提起することができるとされており(労働組合法二七条六項)、再審査の申立てをしたときは取消しの訴えを提起することができないこととされている。一方、労働者が地方労働委員会の処分を争う場合は、使用者が地方労働委員会の処分を争う場合と異なり、労働組合法二七条六項のような特別の定めがなく、準用もされていないから(同条一一項は、労働者が処分を争う場合について、五項及び七項の準用を規定しながら、六項の準用を排除している。)、右の反対解釈からして、労働者は取消訴訟の提起と再審査申立てとを並行して行うことができると解すべきである。
よって、この点に関する補助参加人の主張は理由がない。
二 争点2(本件命令の違法性)について
1 前示第二の一の事実に後掲各証拠を併せると、平成四年の組合の製銑支部における第一二期の支部役員の選挙に関し、以下の事実が認められる。
(一) 創友会は、第一二期の役員選挙の候補者を選出した。これは、創友会の部会長が中心となって、支部単位で候補者選考委員会(役員選考委員会ともいう。)を発足させ、候補者選考委員会が推薦候補の一次案を作成するが、作業長会又は工長会の役員と組合の役員を両立させることが事実上困難であるため、右一次案をもとに作業長会及び工長会の会長と相談し、意見交換をした上、その内容を踏まえて、再度候補者選考委員会で検討して最終的な候補者を決定するという仕組みであった。そして、候補者決定後、選考委員会のメンバー、作業長会及び工長会の各会長、支部長等で、決定を報告する会議が設定され、その後、創友会本部にこれが報告されるというものであった。製銑部会でも同様の仕組みで候補者が決定された。(<証拠略>)
松田は、組合の製銑支部長を五期一〇年にわたって務めていたが、平成四年の組合役員選挙では製銑支部長に立候補しないことを決心し、平成三年一二月の創友会製銑部会の五者会議(松田、安西(副支部長)、米村(副支部長)、原(労対部長)、大塚総務部長が出席。)において、自分は第一二期の支部長に立候補しない旨及び後任には米村が適任と考えていることを表明した(<証拠略>)。
平成四年一月中旬ころ、創友会製銑部会において役員選考委員会が発足し、製銑支部の支部長候補、副支部長候補を擁立するために委員会の会合を開くこととされた。右の選考委員会には松田も出席した。委員会に先立ち、松田は、製銑部会長である柏木から立候補の意思の有無を尋ねられ、立候補の意思がない旨柏木に伝え、更に同人に対して、支部長の候補者の選考を一任させてほしいと要請し、柏木は了承した。そこで、選考委員会の席で、松田に支部長の候補者の選考を一任することとされ、さらに、副支部長の候補者の選考についても松田に一任することとされた。選考委員会は、以後同年三月一三日まで五回開かれた。(<証拠略>)
同年一月二七日には、創友会内部で、対策委員会が発足した。松田及び柏木は、昭和六三年一〇月から平成二年九月まで創友会本部の副会長であり、かつ、昭和五七年九月から四期八年にわたって組合のコークス支部長でもあった酒井と個人的な面識もあったため、平成四年二月上旬、挨拶をするため同人を訪ねた。松田は、酒井に対し、第一二期の支部長に立候補しないと告げ、これまで製銑支部長として世話になったことについて謝辞を述べた。(<証拠略>)
平成四年二月三日、役員選挙の創友会候補者の選考委員会が開かれ、松田から支部長の候補者についての意向が示された。その数日後、柏木は、松田を連れて、酒井のもとを訪れた。松田は、酒井に対し、創友会は製銑支部役員選挙の支部長候補者を米村とする旨報告し、また、柏木は、コークス支部では自分が候補者になると報告した。(<証拠略>)
同月、作業長会と創友会との合同研修が開かれ、組合の役員選挙対策が話し合われた。また、同月末までに、支部三役の創友会候補者が決定された。同年三月三日、役員選挙の創友会候補者選考委員会が開かれ、副支部長の候補者について松田の意向が示された。(<証拠略>)
そして、創友会の製銑部会製銑班において、同月一三日午後五時から午後六時まで組合会館において、創友会製銑部会長である柏木の主催により、支部長候補及び副支部長候補の報告会(創友会、作業長会、工長会及び組合の製銑支部の各代表並びに酒井が出席)が開かれた。報告会では、支部長候補を米村、副支部長候補を安西及び原とする旨決定され、会議に引き続き午後六時から八時ころまで、製銑部会の主催で懇親会が開かれた。酒井は、右の懇親会に招かれて出席し、挨拶のほか、会社の収益状況、生産見通し及び一般的経済動向に触れる話をした。柏木も、右の懇親会の冒頭にのみ出席し、右会場から自動車で一〇分位の市内の飲食店で開かれたコークス班の報告会に向かった。(<証拠略>)
コークス班でも、同日の午後六時三〇分から午後八時三〇分まで、柏木(同部会長・コークス支部長)の主催により、支部長候補及び副支部長候補の報告会(創友会、作業長会、工長会及び組合のコークス支部の各代表並びに酒井が出席)が開かれた。報告会では、支部長の候補者として柏木、副支部長の候補者として佐溝及び堀江とする旨決定され、引き続き懇親会が開かれ、松田も遅れて参加した。(<証拠略>)
(二) 原告椎名は、平成四年四月中旬ころ、柏木の作成した(証拠略)(<証拠略>。前記第二の三の2の(一)の(2)のア及びイの文書。その内容は後記二の2の(一)のとおり。)を入手した。そして、権利闘争すすめる会に持ち込み、対応策を協議した。(<証拠略>)
原告椎名及び原告楠木は、平成四年五月八日、伊藤所長に対し、第一二期組合役員選挙における製銑支部及びコークス支部の支部長及び副支部長の立候補者の決定に労担班長が関与した事実があると指摘し、これは会社による組合役員選挙に対する不当な干渉、介入であって、労働組合法七条三項(ママ)に該当する不当労働行為であるから厳重に抗議するとした上、<1>組合に対し経過を明らかにし、謝罪すること、<2>製銑支部及びコークス支部の組合員に対し経過を明らかにし、謝罪すること、<3>謝罪文を製銑事務所、製銑工場、コークス工場内にある労働組合掲示板に掲示すること並びに<4>組合役員選挙に対する会社の干渉、介入を絶対に行わないよう会社職制機構に対ししかるべき徹底をすることの各点について速やかに実行するよう申し入れるとともに、文書による回答を求める旨の申入書を提出した。また、原告椎名、原告小沢、原告和田、原告斉藤、辻、原告大道寺及び原告楠木は、同日、同様の趣旨から、京浜製鉄所の製銑部長に対して右の<1>ないし<3>を、コークス工場の大島良博工場長及び製銑工場の木村康一工場長に対して右の<1>ないし<4>をそれぞれ申し入れ、文書による回答を求める旨の申入書を提出し、更に、組合の製銑支部及びコークス支部に対し、<1>今後、不当労働行為である会社からの不当な介入、干渉に対してこれを断固排除し、選挙の民主的な運営に努めること、<2>名前が挙げられた支部長以下三名の立候補予定者が、今回の役員選挙への立候補を自粛すること、<3>組合の支部そのものが役員選挙の立候補者決定に関与することが組合規約や役員選挙規定に照らして違反であると考えられるが、支部としてはどう判断するのかと申し入れる旨の文書を作成し、原告椎名がコークス支部に、また原告斉藤、原告楠木及び原告和田が製銑支部に右文書を持参した。更に、原告宮尾、原告栗山、原告椎名及び原告安食は、同日、組合の永田近執行委員長及び成田好夫本部選管委員長に対し、組合における選挙の方法について、<1>組合大会の代議員の立候補資格として支部委員であることを必要としていることが不当であること、<2>選挙運動の自由を拡大化すること、<3>会社職制の干渉を許さず、投票の秘密を守ること、<4>開票の管理を民主的に運営し、かつ公開すること、<5>会社の不当労働行為を排除すべきことを主張し、文書による回答を求める旨の文書を提出した。(<証拠略>)
酒井は、原告椎名らに対し、(証拠略)(<証拠略>)の文書は自分が書いたわけでもないし、初めて見るものである旨、支部長候補の決定に非組合員である職制が関与するわけがないし、自分も関与した覚えがなく、八年間の支部長在任中も支部長候補の決定に職制が関与した事実がなかった旨述べた。また、京浜製鉄所長は、不在であったため、大鐘及びその部下の沢田が原告椎名らの対応に当たった。大鐘は、柏木がこれを本当に書いたものであるのか、また内容が正しいものであるのかについて分からないため何ともいえないが、会社としても調査はすると答えた。(<証拠略>)
大鐘は、酒井を呼び、候補者選定に当たって同人が絡んだ経緯があるかどうかを尋ねた。これに対し、酒井は「一切そんなことはない。」と言って、これを強く否定した。大鐘は、次いで柏木を呼び、酒井同席の上、右の文書について確認した。柏木は、右文書が自分の書いたものであると認め、これは創友会本部に対する連絡文書であると答えた。大鐘がこの文書の記述内容によると労担班長が支部の候補選定に介入したように読めるが、そのようなことがあったのかと尋ねたのに対し、柏木は、これを否定した上、「・・・労担班長の四者により進めてきました」とある表現をした経緯として、二月上旬に酒井のところへ松田が柏木とともに挨拶に行ったが、その中で松田の後任者の話が出たことがあったところ、創友会本部への連絡文書を書く際にそのことが頭にあったことから、このような表現になってしまったと説明し、次に、「五者」の内容について、作業長会、工長会、創友会、製銑支部及びコークス支部であるとも説明した。大鐘は、翌一二日に松田を呼んで確認した。松田は、支部の候補選定に当たって労担班長が絡んだことはないと否定し、二月上旬に柏木とともに酒井のところへ行ったことは認めたものの、これは退任の意志を固めたので挨拶に行ったものと述べ、三月一三日の会合については、五者というのは作業長会、工長会、創友会、製銑支部及びコークス支部をいい、その五者で会議はしたけれども、コークス支部はオブザーバーとしての出席であったので、表現が正確でないと述べた。(<証拠略>)
会社からは、同月一五日をすぎても原告らのもとには回答がなかったため、原告椎名は、同月二五日、大鐘に電話で尋ねた。大鐘は、製銑部の該当する職制に問い合わせたが、職制は関与した事実はないと述べた旨及び柏木作成の右文書については調査をしていないと述べた。(<証拠略>)
また、原告椎名は、同月二五日、松田にも回答を求めた。松田は、「五者」とは、作業長会、工長会、創友会、組合役員OB、組合役員を指すと答えた。(<証拠略>)
更に、原告らは、右文書の問題について、同月二七日及び同年六月三日に門前チラシを配布して、宣伝活動を行った(<証拠略>)。
(三) 同年四月から五月にかけて、創友会による選挙区ごとの交流会が開かれた。製銑支部では、同年五月二日に創友会、コークス工長会、製銑工長会、作業長会、組合コークス支部、組合製銑支部及び職制の五チームによる「製銑部五者合同交流ソフトボール大会」が多摩川グランドで開かれた。なお、参加費は、各チームが支払った。同年五月には、作業長会と創友会との合同研修が開かれた。創友会は、同年五月及び六月の各上旬に、票読みを行った。(<証拠略>)
(四) 製銑支部の第一二期役員選挙においては、権利闘争すすめる会からは、次の者が立候補した(<証拠略>)。
原告楠木 製銑支部支部委員
原告斉藤 製銑支部支部長
原告大道寺 製銑支部副支部長
原告小沢 コークス支部副支部長
(五) 製銑支部の役員選挙は、平成四年六月一二日から一四日までが告示期間とされ、同月一五日から同月一八日まで投票が行われ、同月一九日に開票が行われた。また、コークス支部では、同月一五日から一八日までが告示期間とされ、同月一九日から同月二二日まで投票が行われ、同月二三日に開票が行われた。
右の立候補者及びその選挙結果は、以下のとおりであった(前記第二の一の5の(一)及び(二))。
支部長
製銑支部(投票総数二二五票、うち有効投票数二一八票)
米村 一七五票 当選
原告斉藤 四三票 落選
コークス支部
柏木 一八五票 信任
副支部長
製銑支部(投票総数二二五票、うち有効投票数二二一票)
原 一九三票 当選
安西 一七二票 当選
原告大道寺 四九票 落選
コークス支部(投票総数一九七票、うち有効投票数一九一票)
佐溝 一七九票 当選
堀江 一七四票 当選
原告小沢 二三票 落選
2(一) 原告らは、会社が製銑支部の役員選挙の候補者の選考に関与したことを示すものとして柏木作成の(証拠略)を提出するが、右書証には次の記載がある。
「 第一二期支部三役候補者
三月一六日
一月段階から創友会の指導により、第一二期の各支部長候補選出を各々の工場会、会、創友会及び労担班長の四者により進めてきましたが、両支部とも、三月一三日の五者合同会議に於いて、最終結論に至りましたので御報告し、今後の御協力をお願い致します。
〔製銑支部〕
支部長 米村建治
副支部長 安西武市
〃 原秋保
〔コークス支部〕
支部長 柏木剛
副支部長 佐溝矩久
〃 堀江裕吉
創友会製銑部会 柏木」
(二) まず、右にいう「五者」とは、作業長会、工長会、創友会、組合支部、職制(労担班長)であると解される。
補助参加人は、右にいう「五者」には、職制が含まれず、創友会の候補者選考委員会のメンバーである作業長会及び工長会の責任者、創友会の製銑部会の部会長並びに組合の製銑支部及びコークス支部の支部長を指すと主張し、柏木も地労委における証人尋問において右の主張にそう供述をする。
しかし、平成四年五月二日午前九時から開催された製銑部の「五者合同ソフト交流」には、<1>創友会、<2>コークス工場の作業長会、<3>製銑工場の作業長会、<4>組合のコークス支部、<5>組合の製銑支部、<6>製銑部の工長会及び<7>職制の七チームが参加しているところ、右七チームが「五者」を構成するというのであるから、これを合理的に考えると、<2>と<3>をまとめて一つの「作業長会」と数え、<4>と<5>をまとめて一つの「組合」と数え、これに<1>、<6>及び<7>を加えて「五者」となる。補助参加人の主張は、<2>と<3>及び<4>と<5>の二系列の類似組織のうちの<2>と<3>のみをまとめて一つと数え、<4>と<5>を別々に数え、これに<1>と<6>を加えて「五者」と数えるものであって、合理的とはいえず、製銑支部においてコークス支部の支部長が出席し、逆にコークス支部において製銑支部の支部長が出席するとして、異なる支部の支部長が「五者」の一つに数えられるものとするのも不合理である。更に、(証拠略)によると、「五者合同ソフトボール交流」は製銑部の「各組織」の交流と親睦を図るための企画であると認められるところ、職制もその「組織」の一つと数えられていることは明らかであり、職制のチームも他の参加チーム同様、参加人数に二〇〇〇円を乗じた額を会費として支払うものとされていることからすれば、職制のみを「五者」に含まれていないものとする解釈には無理があり、補助参加人の右主張は採用の限りではない。
そうすると、平成四年三月一三日に、創友会の主催により製銑支部、コークス支部ごとに、右にいう「五者」すなわち作業長会、工長会、創友会、組合支部の各代表者及び職制が支部長候補者の選考に関して集まったことが認められる。
そして、右の会合について、原告らは、右の五者により候補者が最終的に決定されたと主張し、会社が候補者の選考に介入したと主張するので検討する。
柏木は、地労委における証人尋問において、松田が五期一〇年にわたって支部長を務め、その期限りで支部長を退任する予定であったため、長年にわたって支部長を務めたり、創友会でも本部の副会長を務めており、職場労使会議で接触していた酒井に挨拶に行ったところ、その際、松田の後継者の育成状況に関連し、候補者の選考状況に触れられたため、松田が製銑支部では米村が、コークス支部では柏木がそれぞれ推薦されている旨報告したところ、酒井が「ああ、そうですか。」と述べたと供述し、右文書については、創友会の候補者選考委員会で推薦候補者の一次案を作成し、それをもとに工場の作業長会、工長会の人事構想について、作業長会と工長会の責任者と相談役の意見交換をしてきたとの意味で記載したものであること、右文書中の「創友会」とは、支部の候補者選考委員会を指すこと、「四者により進めてきました」と記載はしているが創友会が主体になって進めてきたものである旨述べている。また、地労委における証人尋問において、松田は、二月三日の第三回目の選考委員会において、候補者が決定されたと供述し、酒井も、二月上旬ころに松田及び柏木の訪問を受け、松田からは製銑支部で米村が、柏木からはコークス支部で自分がそれぞれ推薦されているという報告を受けた旨、及び三月一三日の製銑支部主催の懇親会に、松田に呼ばれて出席し、会社の収益状況、生産見通し、一般的経済動向に触れてあいさつをした旨供述する。(<証拠略>)
しかし、(証拠略)には支部長候補選出を労担班長を含む四者で進めてきたことが記載され、「五者合同会議に於いて、最終結論に至りました」と記載されているのであり、右記載内容に照らし、柏木、松田及び酒井の右供述をいずれもそのとおりには信用することはできない。
(三) そうすると、労担班長である酒井が組合のインフォーマル組織である創友会の組合支部役員候補選考の過程において、何らかの関与をしたものと認めるのが相当であり、少なくともその最終段階において、協議の場に同席していたことは否定することができない。そして、証拠上認められる右に関連する事実は、松田と柏木が平成四年二月上旬に酒井のもとを訪ね、松田が支部長退任の意志を固めた旨挨拶し、同月三日の数日後に右両名が再度酒井を訪ね、松田の後任製銑支部長候補を米村とすることを報告し、柏木がコークス支部長候補になることを報告したことの各事実である。しかしながら、製銑支部の支部長候補者の選考については、平成四年一月中旬ころ松田に一任されていたことは前記のとおりであるところ、松田はその前年一二月の時点で既に後任支部長は米村が適任であると表明しているのであるから、酒井がその選考に実質的に関与する余地があったとしても、極めて限られていたものであると考えられる。更に、コークス支部の支部長は、柏木が当初から続投の意向を固めていたのであるから、製銑支部以上に酒井が実質的に関与する余地はなかったものということができる。したがって、平成四年二月の二回にわたる松田及び柏木の酒井訪問の事実が両支部長候補者選考に関わるものと考えることはできない。そして、(証拠略)には「・・・労担班長の四者により進めてきました。」との記載はあるものの、これからは、酒井労担班長がいつ、どこで、いかなる行為によりこれに関与したかについては何も明らかではなく、候補者の選考に当たって、酒井が何らかの意向を示す等して何らかの影響力を行使したとの事実もこれを認めるに足りる証拠もないのである。したがって、右認定の事実から、直ちに酒井労担班長による組合運営に対する介入行為があったと認めることはできない。
3 そこで、更に進んで、創友会、作業長会、工長会と会社との関係について検討するに、前記第二の一の事実に後掲各証拠を併せると、次の事実が認められる。
(一) 創友会の活動
(1) 創友会は、組合の役員に代表者を送り込むことを最重要課題と位置づけ、会としての理念に基づいて組合の本部役員、支部役員の候補者を独自に選定していた。具体的には、本部役員、支部役員とも、それぞれ役員選考委員会を設け、本部役員選考委員会は、会長、副会長、幹事長、部会長で構成され、支部役員選考委員会は、部会長、幹事長、職場の会員の代表で構成されている。そして、その選考の過程で、作業長会、工長会に相談することもあり、創友会会員である組合支部長から意向が聴取されることもある。(<証拠略>)
創友会は、その主義、主張、理念を幅広く浸透させるため、理解活動を行っていた。すなわち、組合規約選挙規定の勉強会を開催し、その内容を十分理解した上、その範囲内で、選挙活動をし、また、工場の休務日に、部会ごと、選挙区ごとに四回に分けてソフトボール大会、ボウリング大会等のレクリエーション活動、スポーツ交流を実施し、引き続き行われる懇親会とあわせて、推薦する候補者に対する理解活動を行い、票読み活動を行っていた。(<証拠・人証略>)
しかし、創友会が右のような交流会を開催している事実は認められるものの、所属する従業員全員の出席が求められるわけではないし、業務とは全く関係がなく、単なる懇親の場であること以上の事実は認められない。
(2) 職制との関係
創友会の活動として、職制との意見交換の場が設けられたり、知識、経験を聞くため職制を個人的に研修会に呼んでいることや、ソフトボール大会等に職制を呼んでいたことも認められる(<証拠略>)。酒井も、地労委における証人尋問において、労担班長と創友会との間で、年に一、二回程度、懇親会やスポーツにより、接触交流の機会を持ち、職場の安全問題、環境問題等について相互に意見交換することがあり、工場長やライン班長も出席することを認める旨の供述をしている。(<証拠略>)
ところで、原告らは、右のような接触交流の際に職制から利益の供与がなされたと主張する。しかし、職制から実費以上の金員が支払われたことを認めるに足りる証拠はないから、利益の供与とみることはできない。また、「祝儀」名目で会社から創友会に対して金員が支払われていることも認められるが、参加費に代わる参加費相当の金員の拠出にすぎない(<証拠略>)から、これをもって、会社が創友会に対して利益の供与をしたと認めることはできない。
また、柏木が作成した昭和六〇年一二月一〇日付け「コークス班だより」によれば、第一三期のコークス班活動計画として「役選選考委員会」が掲げられ、「三役会会職制」が対象とされており、さらに「五者合同連絡会」が掲げられ、「全役員会支部」が対象とされている(<証拠略>)。しかし、右にいう「職制」は、右記載の仕方から、作業長会、工長会を指すものと解するのが相当であるから、右の記載をもって直ちに非組合員である職制が選考に関与したと認めることはできない。
(3) 作業長会との関係
創友会と作業長会が交流会議を開き、右の会議によっては組合の役員選挙についても話し合われ、両者が協力関係にあることが認められる。また、昭和五一年当時の創友会の会長秋吉正は、昭和五一年の役員選挙において創友会候補者が当選したことに関し、機関紙「創友」において「これも創友会の組織力と団結力の成果であると同時に、常に協力関係を維持してきた作業長会の絶大なるご支援ご協力に預るものがあったからで、ここに深く感謝を申し上げるところであります。」と述べ、昭和五七年当時の創友会の幹事長加藤征三は、昭和五七年の役員選挙において創友会候補者が当選したことに関し、機関紙「創友」において「常に協力関係をもっていただいた、作業長会の絶大なる御支援、御協力に深く感謝を申し上げるところです。」と述べている。しかし、これらの記載からは、作業長会がいかなる形で役員選挙において会としての活動を行っているのか抽象的にすぎ、両者が協力関係にあるということを超える具体的な事実を認定するに足りない。(<証拠略>)
なお、製銑支部においては、作業長の全員が創友会員ではあるが、全体では約八割であって、創友会員でない作業長も少なからず存在する(<証拠略>)。しかし、創友会と作業長会は全く別の組織であるから、人員構成の点のみに着目してこれらが一体化しているというのは妥当でない。
(二) 作業長、作業長会の性格
作業長、作業長会については、次の事実が認められる(<証拠・人証略>)。
(1) 作業長には、現場管理の合理的運営に資するため、現場の作業管理のほか、一年に一回部下の人事考課の一次査定をし、工長の任命、解任に関して労担班長に意見を具申し、職場管理、就業管理を行う権限があり、現場の労務管理の一端を担う立場にあることを否定することはできない。
そして、作業長が、工場長、労担班長等から呼ばれて打ち合わせをしていることや、コークス工場においても一月に一回、工場長主宰の下に、全班長及び全作業長が出席して作業打ち合わせの会議が開かれ、生産計画、安全に関する情報が伝達されていることも認められる。
しかし、それらは、作業長の基本職能に含まれる関連部署との打ち合わせないし連絡調整とみるのが相当であり、これらの事実から作業長会と会社との特殊な「結びつき」を窺うことはできない。
(2) 作業長会は、もともと作業長が監督者としての資質を高め、自己研鑚、相互の親睦を図るため、自主的に結成された組織である。作業長の作業長会への加入率は高いものの、作業長になると自動的に作業長会の会員とされるわけではなく、作業長の地位にある者が、作業長会に入るかどうかは、各自の判断に委ねられており、入会希望者は入会申込用紙に記入して本部に提出するという所定の手続を経て初めて会員となることができるのであって、作業長会は、任意加入団体にすぎず、会社の意志(ママ)を実現するための組織とみることはできない。
(3) 作業長会は、会員相互の親睦と管理技能の高揚を図り、職場間の連絡を密にして生産計画の遂行に寄与しかつ安全衛生意識の向上を図ることを目的としていることは前記のとおりである。したがって、会社の業務遂行と作業長会の活動とが多くの部分で関連することは不可避的であるから、作業長会が労務部などの職制と連絡を取りつつ、右の目的達成のための活動を行うことが認められるからといって、これを特に異とするに足りない。
そして、作業長会の自主管理活動(JK活動)に関し、作業長会の「JK推進対策部会」と人事第二室教育JKチーム(従業員の教育を企図、実施し、作業改善活動を奨励し、その活動の成果を評価する部署)とが「JK活動」を行っていること、作業長会の定例総会等の行事において上位の職制が参加し、厚志を寄付すること等の事実も認められる。また、作業長会が自己研鑽の一環として、所長、副所長、教育室長、労務部長、労務課長、製銑部長等を招いて懇談会、講演会、座談会等を開催している事実も認められる。さらに、労担班長と作業長会との間において、懇親会やスポーツの交流が行われたり、一年に三回程度工場長やライン班長も出席して生産や安全の関係について意見交流が行われたり、作業長会が発行する会報に労担班長が執筆したものが掲載されることもある。しかし、作業長会は、生産計画の遂行や安全意識の高揚という側面から、職制と連携しつつ、独自の活動をしているといえるのであって、職制が参加する行事についても、職場の安全管理や職場の将来展望を重点とするなど、自己研鑚の一環と考えられ、会社の業務命令によるものではなく、また職制による寄付は、通常会費を負担している作業長の出捐額に見合う参加費に相当する金員にすぎない。
そして、作業長会は、上位の職制から指示を受けるということはないから、生産活動を遂行し、その円滑化を図る行動をとっているからといって、会社と癒着しているということはできない。
なお、作業長会の会合が就業時間中に開かれていたことも認められるが、その時間が長かったとは認められない上、もともと作業長会の活動は自主的なものではあるが、一面では会社業務の遂行に資する点もあることからすれば、問擬すべき事情には当たらない。
(4) 個々の作業長が一個人、一作業長として組合活動を行い、組合役員選挙の運動をすることはあるものの、作業長会が、会として組合活動に取り組んだり、役員選挙において候補者を推薦したりすることはないから、作業長会の活動と組合の役員選挙の選挙運動との間に関係があるとは認められない。また、作業長会と創友会とが連繋していたとしても、すべての作業長が組合の組合員であるから、そのことのみをもって、会社による支配介入行為につながるものとみることはできない。
(5) よって、作業長会をもって会社の職制組織ないしはその利益を代表する組織ということはできないし、その活動を対組合との関係で、それらの組織としての行為ということもできない。
(三) 工長会の性格
工長会は、各工場にあるものの、各工場の工長会を横に連絡する組織はなく、工場毎の自主的な集まりにすぎない(<証拠略>)から、組織化が会社の意を受けたものとも認められないし、工長会が会社の意を受けて事に当たっていることを認めるに足りる証拠もない。
4 以上に見た創友会の活動及び職制との関係、作業長会との関係並びに作業長、作業長会及び工長会の性格に照らすと、原告らが平成四年度の第一二期役員選挙における創友会の選挙運動及び会社の介入行為として主張する、「同年一月ないし二月に創友会と作業長会で合同研修が行われて役員選挙に関する協議・連繋が取られたこと」、「同年二月に立候補者の選考と並行して、作業長会と創友会で、第一回の票読みを実施したこと」、「同年四月に創友会が選挙区単位別のスポーツ交流会選考(ママ)を選挙区別に実施し、票固めを実施したこと」、「創友会が同年五月及び六月に二回の票読みを実施し」「その間創友会後(ママ)作業長会の合同研修が行われて、一回目の票読みで固めきれない組合員について、確実な票とするための協議の場が設けられたこと」の各事実から、会社による組合選挙に対する介入の事実を読み取ることはできない。そして原告らが主張する事実のうち、同年五月のソフトボール大会の後の懇親会で、「部長、工場長、労担班長ら職制、作業長会、工長会、創友会、支部の五者が創友会系の候補者を当選させるべく票固めを徹底させた」との事実及び創友会及び会社は、「投票、開票の際にも作業長が主催する選挙管理委員会を通じて介入した」との事実はいずれもこれを認めることができず、更に酒井労担班長が関与したとの主張については、先に説示したとおり、酒井労担班長による組合運営に対する介入行為があったと認定することはできないのである。
原告らは、組合においては創友会と権利闘争すすめる会とが激しい対立選挙を行っている状況下において、会社がその一方当事者とともに候補者選考をするということは、創友会候補者に対する優遇措置となるのであって、対立勢力である権利闘争すすめる会との関係では反射的に組合内での影響力を減ずる行為といえると主張する。しかしながら、原告らが主張する「介入行為」については、酒井労担班長の関与をいう部分以外はこれを認めるに足りる証拠がないのであり、酒井の関与をいう部分についても、役員選挙に対する介入行為と評価することができない以上、原告らの右主張は採用することができない。
5 なお、原告らは、昭和五七年の第七期の組合役員選挙においても支配介入がなされたと主張するとともに、会社の支配介入行為は継続していると主張する。
(一) (証拠・人証略)によると、エネルギーセンターの昭和五七年の第七期の組合役員選挙における経過は以下のとおりであったと認められる。
(1) 創友会は、組合役員選挙における体制の維持を最重点課題として取り組み、各種の委員会(本部の役員選挙の対策として「本部役員改選対策連絡会」、「本部役員改選対策小委員会」及び「本部役員改選対策委員会」、支部の役員選挙の対策として「支部役員改選対策連絡会」及び「支部役員改選対策委員会」)を昭和五七年二月二三日に発足させ、創友会候補者の当選を目指していた。
(2) エネルギー部は、技術室、防災管理室及びエネルギーセンター室(室長塩谷克弥(塩谷という。))からなり、各室の室長のほかにエネルギー部長直属の労担班長(外池邦三(外池という。))がいた。そして、エネルギーセンターには、第一エネルギー班、第二エネルギー班、発電班及び電力班の四つの班が存在し、電力班(班長判治洋一)には、作業長の小林茂夫(小林という。)ら一七名の従業員が所属していた。
一方、エネルギー部の組合員は、いずれも組合のエネルギー支部に所属しており、組合の支部員数は四四七名であった。
会社の業務上の連絡事項の報告のための作業長と労担班長との連絡会が毎週一回、木曜日にエネルギーセンターの会議室で開かれ、この連絡会には、常昼勤務の作業長の全員及び交替勤務の作業長のうち当該時間に出勤している者が出席していた。また、作業長と外池とは、従業員の勤務表、通勤の状況、成績の査定等を行うに当たって、打ち合わせも行っていた。
昭和五七年五月一三日、作業長と労担班長との連絡会が開かれた。この席上、作業長の徳竹尚(徳竹という。)は、創友会のエネルギー部会長であり、かつ、支部役員改選対策委員会の委員長であったため、創友会幹事会の役員選挙に向けた取組みについて報告を行った。そして、出席していた労担班長の外池から各作業長に対し、それぞれの持ち場における組合員の動向について、票読みをし、その結果を報告するようにとの指示がされた。小林は、連絡会終了後、作業長室に戻り、創友会が推薦する候補を支持する組合員を○、不明な組合員を△、それ以外の組合員を×と記号化して記録することにした。小林は、同月二〇日、連絡会終了後、エネルギーセンターの廊下で、外池に対し、票読みの結果、部下の全員が創友会候補者を支持すると報告した。
同年七月一六日、同日が本部の三役の選挙の告示の最終日であり、翌日午前零時から投票が始ることを踏まえ、徳竹は、同日開催された連絡会において、作業長の小林らに、立候補者が間違いなく届出ているか確認するよう指示をした。また、外池から、役員選挙に関して作業長から工長に対して、業務のために投票を棄権することがないように作業計画を配慮するよう協力及び棄権しないよう指導するよう伝達された。
本部の三役の選挙に関しては、同月一七日から二一日まで投票がなされ、二二日に開票された。
また、同月一六日には、創友会候補者が支部三役の選挙において高い支持率で当選していたため、同月二二日の連絡会の冒頭において、創友会の部会長である徳竹から、作業工程、作業計画の調整が行われたことについて「ありがとうございました。」との礼が述べられた。また、連絡会の終わりには、塩谷からも、高率であったことについて「ご苦労様でした。」との礼が述べられた。
同月二八日の連絡会(小林が欠席し、工長の徳増が代理出席した。)において、外池から、同日から告示された本部執行委員選挙において創友会候補者が高率で信任されるよう、これからも協力してほしい旨述べられ、その結果が役付者(工長)に供閲された。この席上、作業長の浜田(創友会部会長)から、エネルギーセンターの選挙で創友会候補者の対立候補として原告高橋が、また保全の選挙で原告早坂が立候補することが伝えられた。
同年八月五日の連絡会(小林が欠席し、工長の徳増が代理出席した。)においても、外池から、同日開票の本部執行委員の一次選挙において、棄権も少なく、創友会候補者が高信任率で当選したことについて礼が述べられ、その後の信任投票に関し、あと少し頑張ってほしい旨述べられた。また、塩谷からも、役員選挙における協力について感謝の言葉が述べられた。
同月一九日の連絡会(小林が欠席し、工長の五十嵐が代理出席した。)において、外池から、本部の役員選挙が同日、また支部の役員選挙が同月二〇日で終了することに関し、感謝の言葉が述べられた。
同月二五日の連絡会(小林が欠席し、工長の五十嵐が代理出席した。)において、外池から、組合の役員選挙が全て終了したこと、高率で創友会候補者が勝ったことについて述べられ、作業長に感謝の言葉が述べられた。
同年九月二日の連絡会において、外池から、石原道央労務部長からの伝言として、役員選挙に関し、「職場の皆さんによろしく。」と伝えられた。
同月九日の連絡会で、外池の部下の事務職員岡野から、役員選挙で活躍した従業員に対し、安全面で貢献したとの名目による調整金(室調整金)を支給することが提案され、小林に対し、役員選挙で活躍した従業員を推薦して申請を出してほしいと述べた。そこで、小林は、連絡会後、保全室に行き、作業員が一七名所属していること、会社からは作業員一人当たり八円の計算で各部署に割り当てられていること及び昭和五七年度の前期(四月ないし九月)のものであることを考慮して財源の試算をした上、部下の青木茂がソフトボール大会を始め創友会の理解活動に貢献したとして、同人に関して調整金の支給の申請をした(もっとも、実際には調整金は支給されなかった。)。
作業長会の会合の中で、創友会の選挙対策について、労担班長から時間をもらい、連絡事項が伝えられるということがあったが、当時は、作業長会に在籍していた作業長は、全て創友会員であったから、格別に異なる場を設けることはせず、連絡会において、わずかな時間をとって行われていた。
(二) 原告らは、創友会技研班における昭和五七年度の役員選挙の取り組みとして、(証拠略)(「創友会技研班組合役選対策案」)を提出し、組合員でない職制が組合員に対して特定の候補への投票を働きかけたと主張する。右書証には、次の記載がある。
「二月 技研組合員全体の名簿作成(職制)」
「三月 会員全体の集計(第一回)会員一三八名
絶対的な員数の把握( ) 不安定的員数の把握( )
技研全体の集計(職制)組合員
〃( )〃( )
四月 職制アプローチ 作業長、工長会三役、交流会」
「五月 創友会活動
第一回に集計した結果に基づいて不安定的な員数を零に持って行くように活動する。(会)
作業長会、工長会として
〃(職制)
六月 第二回集計 会員全体の確認(反対者の零の確認)
組合員全体の確認
ダメな者、( )不安定な者( )作業長、工長三役交流会」
右の記載について検討すると、右の文書における「職制」とは、作業長及び工長を指すものと解され、これらは組合員であるから、作業長会及び工長会の各三役が出席していたとしても、作業長及び工長が組合員個人として活動していたこと以上の事実は認めることができない。
(三) 右認定の事実によると、昭和五七年のエネルギーセンターにおける第七期の組合役員選挙(支部役員選挙及び本部執行委員選挙)において、外池労担班長が作業長との連絡会等の場を積極的に利用し、創友会エネルギー部会長(支部役員改選対策委員長)の徳竹作業長と連携して、各作業長に対し、創友会候補者の票読みをするように指示するほか、創友会候補者の高率信任への協力呼びかけ、創友会候補者の届出漏れの点検の指示や棄権防止の措置をとることを指示する等して右選挙に介入したこと、会社の利益代表である塩谷エネルギーセンター室長及び石原労務部長は、外池労担班長による選挙介入の事実を知りながら、これを是正させようとしなかっただけでなく、連絡会の場において塩谷室長が選挙運動に対して「ご苦労様でした。」との発言をしたり、石原労務部長が「職場の皆さんによろしく。」との伝言を寄せたりしていたことが認められるのである。そして、外池労担班長側から、本来は大修繕工事、危険な作業、安全上の功労等に報いるために支給される調整金を、組合役員選挙における創友会候補者のための選挙運動に対する報奨として支給することも提案され、作業長の小林に対し、その推薦方が指示されていたというのである。これらの事実を総合すると、会社は、エネルギーセンターの第七期の組合役員選挙に介入していたことは明らかであり、これは、組合の運営に対する支配介入として、労働組合法七条三号所定の不当労働行為に該当するものというべきである。
(四) 原告らは、会社の役員選挙に対する介入は組織的、体系的、かつ、継続的であると主張し、本件の平成四年の第一二期役員選挙に至るまでその介入は継続して行われていた旨主張する。しかしながら、昭和五七年の第七期役員選挙における右認定のような不当労働行為がその後も継続的になされてきたとの事実を認めるに足りる証拠はないし、原告が第一二期役員選挙における介入行為として主張する事実がいずれも認定できないこと及び酒井労担班長が関与したとの主張についても、それが組合運営に対する介入行為があったと認めることができないことは、いずれも先に説示したとおりであるから、右主張は採用することができない。
(五) そうすると、原告らのその余の主張について判断するまでもなく、組合の平成四年の第一二期役員選挙において会社の支配介入行為があったと認めることはできないから、原告らの不当労働行為救済命令の申立てを棄却した被告の本件命令は、結論において相当であり、これに違法があるということはできない。
第四結論
以上のとおりであるから、原告の請求を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡邉等 裁判官 森髙重久 裁判官 島戸純)
(別紙) 請求する救済の内容
1 被申立人会社は、鉄鋼労連日本鋼管京浜製鉄所労働組合の役員選挙に際して、労務・庶務担当主任部員(略称労担班長)および作業長会・工長会等の職制機構を使って、候補者の選出過程に介入し、以って、同労働組合の運営につき介入してはならない。
2 被申立人会社は、労働委員会から救済命令の交付を受けた日から三日以内に、申立人各自に対して下記陳謝文を手交するとともに、縦一・五メートル以上、横二メートル以上の白色板に鮮明に墨書し、本社及び申立人らの所属する各工場の見易い場所に、三ヶ月間毀損することなく掲示しなければならない。
記
陳謝文
当社は、鉄鋼労連日本鋼管京浜製鉄所労働組合の第一二期組合役員選挙(一九九二年実施)に際して、同労働組合コークス支部及び同製銑支部の役員候補者の選出に関して、会社として労務・庶務担当主任部員(略称労担班長)等の職制機構を使って介入を行い、以って、同労働組合の運営に介入致しました。当社のこの行為は、今般神奈川地方労働委員会より、労働組合法第七条三号に該当する不当労働行為である旨の認定を受けました。
当社は、労働組合選挙に介入することにより、労働組合の正常な運営を妨げ、もって労働組合の運営に介入してきたことを深く反省し、今後かかる違法・不当な行為を一切行わないことを誓います。
年 月 日
日本鋼管株式会社
代表取締役 三好俊吉