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横浜地方裁判所 平成7年(ワ)1675号 判決 1998年3月27日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

間部俊明

小柳憲治郎

被告

横浜市

右代表者市長

高秀秀信

右訴訟代理人弁護士

塩田省吾

阿部泰典

主文

一  被告は、原告に対し、金一九四万七二八八円及び内金一一〇万円に対する平成五年六月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、五八四万七二八八円及びこれに対する平成五年六月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、小学校の教諭である原告が、校長が、担任受持ち児童の中で長期欠席の傾向にあった一人を校長室登校とした際、担任である原告に何らの相談もしなかった上、その後は一転して教室に児童を受け入れるよう原告に求めたのに応じなかったことを理由に原告を担任から外したことは、校長としての裁量権の限度を超えた違法な行為であり、このため原告は自律神経失調症に陥って休職するに至ったとして、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右校長の行為によって被ったとする損害の賠償(附帯請求は、右不法行為とされる担任外しが行われた日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金)の支払を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  当事者

(一) 原告(昭和三〇年<略>生まれ)は、昭和五三年三月に横浜国立大学教育学部教育学科を卒業し、同年四月横浜市の小学校教員に採用され、以来、横浜市立飯田小学校(同年四月から昭和五七年三月まで)、同大鳥小学校(同年四月から昭和六〇年三月まで)を経て、同年四月、横浜市立並木第一小学校(以下「本件小学校」という。)に赴任した。

本件小学校では、六年生の担任一回、五年生の担任二回、四年生の担任二回、三年生の担任二回を務めたのち、平成四年四月から一年四組(児童数三四人)の担任となり、平成五年四月からは、同じクラスの持ち上がりである二年四組の担任となった。

原告は、原告が不法行為を受けた日と主張する日の翌日である平成五年六月一八日から務めに出ていなかったが、平成六年七月二四日から本件小学校の教諭として復職し、平成七年四月から屏風浦小学校に勤務している。

(二) 清水幹郎(以下「清水校長」という。)は、平成五年四月に本件小学校に赴任し、平成八年四月横浜市立小菅ヶ谷小学校に転任した。

清水校長は、被告の公権力の行使に当たる公務員である。

2  担任解任処分に至る経緯等

(一) 原告が受け持った一年四組の児童の中に、Y・Tという女童(以下「本件児童」という。)がいた。本件児童は、多動性のてんかん症を有していて、朝晩抗てんかん剤を服用していた。学校でも、その薬を保健室に置いておき、学校でのてんかん発作に備えていた。

(二) 本件児童は、一年生の三学期に入ってから長期欠席をした。母親は、その間本件児童を横浜市立養護教育総合センター(以下「養総センター」という。)に連れていって相談をしていたが、三月になると、本件児童は好きな教科の授業の際には登校するようになり、二年生の四月には、授業日数二一日のうち一二日登校した(残りは、養総センターへの相談、風邪による病欠と家事都合による欠席であった。)。

(三) 清水校長は、赴任後一か月程経た平成五年五月(以下、特に断らない限り、全て同年の出来事である。)初めころ、朝の職員打合せの際、長期欠席児童がクラスにいたら報告するようにと言ったことがあった。

(四) 清水校長は、五月二四日(月曜日)、本件児童を校長室登校とすることを決定した。その朝、同校長は本件児童を校長室に連れて行ったが、その日の放課後、原告は、清水校長から、「先週、養総センターの指導主事から連絡が入り、『本件小学校で不登校状況になっている児童がいて、その親から学校を変えて欲しいとの申出があった』と言われたので、同センターに行って事情を聞いたところ、本件児童のことであった、本件児童の母親から事情を聞いた、暫くの間校長室登校扱いにすることとした」旨を言われた。

(五) 六月一六日(水曜日)、清水校長は、原告に対し、「六月一五日に教育委員会の指導主事がやってきた、その前日ころ、本件児童の母親が、同委員会にやって来て事情を訴えたのち、『担任の態度が変わらないので転校させたい』と言って帰った、どうするつもりかと主事に聞かれたので、校内で処理する旨伝えた」旨を話し、原告を叱責した。

(六) 六月一七日の朝一番で原告は、副校長に呼ばれ、「昨日、本件児童の家に行って私からよく謝ったら納得してくれた」と言われたが、朝の打合せののち再び副校長に呼ばれ、「本件児童が登校していないので自宅に電話したら、母親が前日とは打って変わった強い調子で『担任をやめさせろ、教師をやめさせろ、そうでないと訴える』と言って一方的に電話を切ってしまった」旨告げられた。なお、その時点では清水校長は出張中であった。

(七) 六月一七日午後、清水校長は、本件児童問題についての緊急職員会議を招集し、次のようなことを報告した。

(1) 五月の初め、清水校長がクラスに長欠児童がいたら申し出て欲しいと言ったのに、原告は申し出なかった。

(2) 本件児童の姉の担任が家庭訪問したとき、母親が、本件児童の不登校の事実を話した。

(3) その直後、養総センターからも同様の話が校長にあった。

(4) 緊急事態であったので、校長室登校にして子供が学校に来るようにさせ、教室登校にしてもらおうと思ったら、原告はこれを拒否し、自説を曲げなかった。

(5) そのため、親が教育委員会に訴えた。

(6) この問題は、学校内で解決したいと考えているが、以上のような経過があったことを承知しておいて欲しい。

右の会議は、質疑もないままに終わった。

右説明の行われた職員会議後、原告は、清水校長から、「担任を外す」と通告された(以下「本件処分」という。)。しかし、原告は、「納得できない。担任を続けたい」と言った。

(八) 六月二三日、清水校長は、二年四組の緊急保護者会を開き、本件児童の親を除く全員の保護者が出席した席上、原告が病気になったから担任を変えると説明した。

(九) 原告は、平成六年二月、教育委員会に対し、公正な調査と処置を求める申立てをし、また、その後二度にわたって代理人を介して清水校長との話合いの場をもった。

三  争点及びこれについての双方の主張

1  本件処分の違法性の有無

(一) 原告の主張

(1) 担任の任期は一年であるというべきであり、特に小学校の場合は、中学校や高等学校の場合と異なり、各教科を担任一人で受け持つのが通常であって、児童との密着度は強いのであるから、年度の途中で当該職員の意に反してクラス担任を外すことは、担任の帰責性が強いため既にクラス内に深刻な混乱が生じていて、学級の健全なる運営が不可能若しくは著しく困難である場合である等、余程の合理的な理由がない限り、権限の濫用として許されないというべきである。

(2) ところが、清水校長は、特段の合理的理由がないにもかかわらず、その意見を十分に聞くことなく、大多数の保護者にも信頼されている原告を、意に反して担任の地位から外した。本件児童は、主治医からも長期欠席が予見されると言われていたものであり、その長期欠席は原告に原因があるわけではない。したがって、母親が、担任を変えてくれなければ転校すると言い出したとしても、清水校長としては、まず教育現場で最も本件児童母子との接触の度合いの強い担任の考え方を十分聴取し、担任と今後の対処の仕方を協議した上で母親を説得し、慎重に処すべきであった。

(3) しかるに、清水校長は、母親の言動に引きずられ、担任である原告に事前の事実確認のための聴取をすることもなく、協議を持ち掛けることもせず、事前の了解を得ることもなく、一方的に本件児童を校長室登校とし、やがてこれまた一方的に同児童を教室に戻すよう言い、原告が三者面談を持ちたいと当然の申し入れをしているのに、これを無視し、原告があたかも自説を曲げなかったかのように全職員に報告し、原告から担任の地位を剥奪した。このような一連の行動は、校長としての裁量権限を著しく濫用した違法行為というべきである。

(二) 被告の主張

(1)イ 本件児童は、平成五年四月二〇日から養総センターによる指導に参加したが、その際、母親から、担任である原告に対する不満や転校の希望が伝えられた。

ロ 五月一二日、本件児童の姉の担任が家庭訪問した際、母親は本件児童が不登校であることを担任に告げ、その連絡を受けた副校長が出席状況を調べた結果、欠席の多いことが判明した。これについての報告を受けた清水校長は、全職員に不登校傾向にある児童の報告を求めたにもかかわらず、原告からは何らの報告もなかったので、原告を校長室に呼んで事実を確認したところ、原告は「本件児童は不登校ではない」と事実を否認した。

ハ 清水校長は、五月一九日、養総センターから、本件児童の親が、担任が原因で転校を望んでいるとの報告を受け、校長室で母親と会ったところ、同人は、「原告は、教師としての資質に欠ける。プリントの宿題量が多く、夜一二時までかかった時がある。大声で怒鳴りつけ、娘が家でその口まねをする。原告の恐ろしい顔が夢にまで出てくるという」、「娘は、一年生の二、三月ころから学校へ行く気力を失った。本当は行きたくて仕方がないのだが、原告が怖くて行けないといっている」等と言って転校希望を訴えた。

ニ 同日午後、清水校長は、養総センターを訪問し、指導主事から、校長らが担任を組織的にバックアップするなどして工夫して指導して欲しいとの助言を得た。同月二一日、副校長が本件児童宅を訪問すると、母親は、不登校の原因は原告にあること、原告は自分を変える人ではないので、転校しかない等と訴えた。副校長は、転校の前に、校長室登校等という方法もある旨伝えた。

ホ 五月二四日、母親から副校長に、校長室で預かって欲しい旨の電話があり、やがて本件児童が登校してきたため、清水校長は原告に「今日は校長室で預かる」と伝えた上、校長室登校扱いとした。

同日の放課後、清水校長は原告と校長室で話合いをしたが、原告は、「もう私のクラスの子ではないから、面倒を見ない」などと担任としての立場を放棄する発言をした上、その後も、六月四日に掃除をしたくて教室に出向いた本件児童を受け入れなかったなど、右同様の言動を採った。

ヘ 六月七日、副校長は、学年主任同席のもと、原告と話合いの場をもち、原告と十分話し合うことなく校長室登校を決めたことを詫びたのに対し、原告は、本件児童の親が変わらなければ同児童を受け入れることはできない、などと興奮した状態で述べるだけであった。

やがて本件児童の母親が教育委員会に原告を訴えたため、六月一六日、清水校長及び副校長は、原告と再度話合いの場をもった。清水校長は、担任として本件児童を温かく迎えいれよ、それができないなら担任を代える旨の話しをしたが、原告は真摯にこれを理解しようとしているとは思えない態度であった。右話合いの直後副校長は本件児童宅を訪問し、原告が謝罪したいといっているので会ってやって欲しいと伝え、一度は拒否されたものの、漸く了解させることができた。しかし、翌一七日、本件児童は登校しなかったので、副校長が家に電話したところ、母親は、原告と会う気はないと昨日とは打って変わって強硬な態度を採った。

ト 副校長から右の状況報告を受けた清水校長は、右同日教育センターに赴き、他校の校長らから指導を仰いだところ、担任を辞めさせざるを得ない、との指導を受け、これに基づいて同日午後、全職員に経緯を説明したのち、校長室で原告に対し、「校長の責任で担任を下りてもらう」と本件処分を通知したが、副校長が、一度だけ原告に立ち直る機会を与えて欲しい、と述べたところ、清水校長は、原告に対し、①本件児童の親の許しを得ること、②指導方法等児童への対応を一八〇度転換させること、③毎日校長、副校長が授業を見ること、を条件として原告にチャンスを与えた。しかし、副校長と共に児童宅を訪問しようとした原告は、近隣のKと名乗る人物の妨害等に遇って、結局、訪問は実現できなかった。

(2) 学級担任の決定やその解任については、個々の教師の経験や能力並びに学校全体の運営等を配慮して行われるべきものであり、その権限行使は、広範な校長の裁量に委ねられていると解される。したがって、校長の裁量権の行使に基づく措置が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱しこれを濫用したと認められる場合に限り、違法であると解される。

これを本件についてみるに、①原告は清水校長の長期欠席児童の報告の依頼を無視したこと(このことは、児童の不登校問題は学校全体で対応していく問題であるとの認識を欠くものである。)、②校長室登校となったのち、原告は本件児童を無視する態度を採ったこと(このことは、暖かい教師の心遣いと援助からは程遠いことである。)、③原告は、自分は変わらなければならない面は一つもない、変わるべきは本件児童の親であると言って、自らを省みる姿勢に欠けていたこと(このことは、その批判が能力や指導方針に関するものであっても、担任への中傷でない限り、受忍すべきものであるとの認識を著しく欠くものであり、原告の教師としての姿勢に極めて疑問があることを意味する。)、④転校を申し出た親から校長室登校の依頼が突然あり、その内容を担任が電話で受けて了知していた上、本件児童が登校してきた状況下においては、担任に十分説明することなく校長室登校の扱いをしたとしても止むを得ないものと解されること、⑤清水校長は、原告との間で何度となく話合いの場を設けているし、教育センターからの指導も受けた上で本件処分を行ったものであり、校長の独断による一方的なものではなかったこと、等の諸事情を考慮すると、本件処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、校長としての職務権限を逸脱・濫用しているものとはいえない。

2  本件処分により原告の被った損害の内容(病気との因果関係も含めて)

(一) 原告の主張

(1) 原告は、理不尽な本件処分によって甚大な精神的苦痛を受け、自信を失い、自殺を考えた程であった。清水校長は、前記話合いにおいても誠意ある態度を示さなかったため、原告は本訴を提起するに至った。

(2) 原告の右苦痛を慰謝するための慰謝料としては、五〇〇万円を下らない。

(3) 原告は、休職中の一年一か月の間、給与とボーナスを併せて少なくとも八四万七二八八円の損害を被った。

(給与分)

イ 原告は、平成五年二月から二級の旧二二号給(現一九号給、なお、右両者の内容は同一である。)を支給されていたが、休職がなければ本来平成六年一月一日には給二三号給(現二〇号給)に昇給していたはずであった。しかるに、休職に追い込まれた結果、実際に二三号給を支給されたのは、平成六年七月二四日からであり、少なくとも七か月間昇給が遅れた。これにより七万〇六六八円の損害を被った。

ロ 同様に、旧二四号給(現二一号給)への昇格が六か月遅れた(本来、同年一〇月一日に昇給したはずであったにもかかわらず、実際の昇給は平成七年四月一日であった。)ことにより、六万一〇五八円の損害を被った。

ハ 同様に、旧二五号給(現二二号給)への昇格が六か月遅れた(平成七年七月一日に昇給したはずのが、実際には平成八年一月一日に昇給した。)ことにより、五万六〇六四円の損害を被った。

ニ 同様に、旧二六号給(現二三号給)への昇格が六か月遅れた(平成八年四月一日になるはずの昇給が、実際には同年一〇月一日までなかった。)ことにより、五万四二一六円の損害を被った。

ホ 同様に、旧二七号給(現二四号給)への昇格が六か月遅れた(本来は、平成九年一月一日に昇給したはずのが、同年七月一日まで昇給しなかった。)ことにより、六万三五六八円の損害を被った。

ヘ 右イないしホの小計は二九万七五九二円となる。

(ボーナス分)

ト 本件処分による休職により、ボーナス中の勤勉手当分の支給を受けることができなくなり、少なくとも五二万一一一五円の損害を被った。

(毎月の調整手当分)

チ 前記昇給の遅れに伴い、給与月額の一〇パーセントに当たる毎月の調整手当分に相当する金員の損害を被った(小計二万八五八一円)。

(二) 被告の主張

原告は、本件処分前である平成五年五月中旬から自律神経失調症にかかっていたから、本件処分と原告の休職との間には因果関係がない。

第三  争点に対する判断

一  前提となる事実について

証拠<略>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  本件児童について

(一) 一年四組の児童の一人として本件児童を受け持った原告は、入学式の翌日学校に提出されていた家庭環境調査表を見て、本件児童が多動性のてんかん症を有していることをはじめて知った。原告はそれまで、不登校児童については数人を受け持ったことがあり、その中から幾分なりとも自信めいたものを抱くことができるようにはなっていたが、てんかんの児童を受け持つことははじめてであったので、てんかん児童を受け持った経験もある学年主任の吉岡ムツ子教諭に対応策等を相談したところ、親から詳しい話を聞くことを勧められた。そこで原告は、本件児童の入学後間もない平成四年五月の家庭訪問の際、母親から健康状況等を詳しく聞いた。それによると、本件児童は、①朝晩抗てんかん剤を服用しているが、非常に落ち着きがなく、気分にムラがあり、集中力や持続力もなく、集団行動がとれない、②就学以前に入学後のことを考え、読み書きの練習等を家庭で教えてきたが、落ち着いて文章を読み取ることが苦手である、③特殊学級に入れようかどうか迷い、親戚がいるアメリカの学校に入れようかとも考えたが、本件小学校は厳しくなくむしろいい加減なところもあるようなので、そのまま入学させた、④主治医から、いずれ学校生活に不適応を起こし、学校に行かなくなるだろうと言われている、などとのことであった。なお、横浜市南部地域療育センターから本件小学校長宛の平成四年五月二五日付けの紹介状にも、本件児童について右同様の趣旨の問題点が指摘されていたほか、⑤就学後咳払いのチックが頻発しているようである、⑥今までの自由な養育に少し問題があったかも知れない、⑦構音障害があり、特にラ行、ダ行がうまくゆかない、との点も指摘されていたし、同センター言語係の同年六月一五日付けの報告書にも、⑧新しい課題に対しては何回かやらないと何を求められているのか分からず、質問に対しても一度では答えられない、⑨誤りを指摘されることに対しての弱さ、修正することの固さが目立った、等の指摘がされていた。

原告は、母親から右のような話を参考にしながら、本件児童が学校生活を楽しいと思えるような授業展開を工夫するなどして、指導に気を遣っていた。

(二) 一、二学期は、特段の変化もなく、本件児童は元気に登校していた。九月初旬ころ、原告は、帰宅途中にたまたま出会った本件児童の母親から、元気で学校に通っていることを喜んでいることや通っている絵の教室の先生から「心が不安定な状態にある」ことを聞かされたことなどの話を聞いたことがあった。一一月の個人面談の際も、母親からは、その後も順調に登校していたことから特に要望はなかった。三学期に入ると、風邪のため毎日一〇人前後の多数が欠席するようになり、本件児童も一月(平成五年)末に一週間程風邪で欠席し、二月になって登校してからも元気はなかった。二月初めころ、母親が突然来校して原告に対し、「とうとう学校へ行きたくないと言い始めた。主治医からも長欠は母子関係に原因があると言われているので、私としても親子関係について考えていきたい」旨を話した上、養総センターに相談したい意向をも漏らした。原告は、母親の右の意向ももっともと考え、月田副校長(同副校長は、平成三年四月から本件小学校に勤務していた。)に、母親との右やりとりの大筋を報告した。

(三) その後も本件児童は登校しなかったが、原告は、本件児童の意向を考えて登校を無理強いはしなかった。しかし、学校との繋がりが切れないよう、友達に便りを届けさせたり、同児童の家で友達とあそばせる機会を持たせるなどの工夫をし、また、母親とは電話等を利用して連絡を取り合っていた。二月二二日の児童指導研修会では、他の教師の理解と協力を求める趣旨で、本件児童について、先に述べたような同児童の特性、すなわち、てんかん症をもっていて、多動傾向があって集団行動が苦手であること、風邪で一週間欠席して以来不登校状態になり、養総センターに相談に行っていることなどを報告した。三月になると、本件児童は好きな教科の授業の際には登校するようになった。そのころ母親は原告と面談し、友達が持ってきてくれるプリントをちっともやろうとしない、友達が遊びに来てくれても一緒に遊びに参加できない、などと悲観的なことを言っていた。三月二四日、二五日は登校し、修了式にも出席した。母親は、その間本件児童を養総センターに連れていって相談等をしていた。

(四) 原告は、一年四組の担任からそのまま、いわゆる持ち上がりの形で二年四組の担任となったが、本件児童は、始業式の日、何事もなかったかのように一人で登校してきたのをはじめとして、翌日からも登校を続けてきた。四月の全授業日数二一日のうち一二日登校し、残りは、養総センターの相談等、風邪による病欠と家事都合による欠席であった。五月に入って連休明けの六日は家の都合で欠席したが、七日には登校した。一〇日の家庭訪問の際、母親は、二年生になって登校日が増えたことを喜んでいたが、原告の指導についての不満を漏らすことはなかった。四月と同様、養総センターへの相談、風邪による病欠或いは家の都合での欠席はあった。

(五) ところで、本件児童の母親は、二月中旬ころ、養総センターへ電話をし、「二月のはじめに先生に叱られて、それから学校へ行けなくなった」と訴えたが、電話の内容から、児童の構音障害、集中力障害やてんかん等の訴えもあったため、同センターとしては、障害も危惧されるとして、相談範囲を障害にも広げて対処することとした。二月二四日の第一回目の相談の結果、不登校のみに絞って指導が行われることとなった。四月二〇日にグループ指導の第一回目が行われ、本件児童はグループ指導に参加し、母親は母親としての集団面接による指導を受けたが、その際、本件児童を転校させたいと訴えた。母親は、五月一一日の個人面談の際にも、右同様の希望を述べていた。同センターとしては、母親が持参していた原告作成に係る保護者向けの「学級だより」の内容に幾分厳しいものが含まれているのではないかとの印象を抱き、原告を怖がっているとの児童側の訴えも全く根拠のないものではないかも知れないと考えたが、これに関して具体的な指針を示したことはなく、むしろ保護者側は学校側と十分な相談をすべきであるとの指導を行った。その後も、本件児童はグループ指導、母親は集団面接に参加する機会を何度かもったが、同センターの対応はほぼ右同様のものであった。

2  校長室登校について

(一) 清水校長は、校長としては初めての勤務校である本件小学校への赴任後一か月程経た平成五年五月一三日、月田副校長から、本件児童の姉の担任が家庭訪問した際、母親から本件児童が不登校であることを知らされたので調査したらそのとおりであることが分かったとの報告を受けた。そこで、同校長は、翌一四日の朝の職員打合せの際、長期欠席児童がクラスにいたら申し出るようにとの話をした。原告としては、本件児童は登校に改善傾向が見られたことから右にいう長期欠席児童には当たらないと考えていたが、てんかんもちであることなどから校長への報告はするつもりであった。しかし、家庭訪問に出掛けたり、校長が出張であったりしたため、報告が遅れていた。

清水校長は、原告からの報告がなかったことから、五月一五日、原告を校長室に呼び、本件児童はどういう子であるかについて尋ねた。原告は、先に述べた、本件児童のてんかんなどを含む性状及び受け持って以来現在までの登校状況等を同校長に話した。

(二) 五月一七日、養総センターの水嶋指導主事が清水校長に電話したが、不在であったため、一九日の朝、同校長が同主事に電話をしたところ、本件児童の母親が原告のせいで転校を希望していることを知らされた。そこで、同校長は、同日午前中に本件児童の母親を校長室に呼び、母親から、原告の指導が厳し過ぎることなどから本件児童が登校できない状況であるので転校を希望したいとの話しを聞いた。そして、同日の午後、清水校長は、水嶋主事を同センターに訪ねたところ、早川指導主事も同席した席上で、同センター側から、本件児童母子に対する前記集団指導等の状況説明があったほか、学校の組織を挙げて担任(原告)をバックアップする内容の指導が必要である旨の指摘を受けた。さらに、二〇日、早川主事が清水校長に電話をし、たやすく母親の転校希望には応じないで、校長室登校や保健室登校等本件小学校内での解決方を含む他の諸方策をも検討するようにとの指導が行われ、同校長は、母親に転校を思い止まらせるため、月田副校長を右同日本件児童宅に赴かせたが、不在であった。翌二一日(金曜日)、月田副校長は再度同宅を訪問したところ、母親は、従前同様、原告が教師として厳し過ぎることなどから本件児童は登校できなくなったので転校させたいと話したが、同副校長は、原告の指導に行き過ぎがあれば学校側としても原告を指導してゆくつもりであり、(副)校長室や保健室への登校もあり得るし、何とか転校だけは思い止まって欲しいと訴えた上、帰り際に本件児童に対しても直接、原告が怖くないように話しておくから学校へ来て欲しいと伝えた。なお、清水校長も月田副校長も(以下、右両名を単に「校長ら」ともいう。)、以上のような同センターや本件児童の母親等との対応について原告には何らの連絡も確認もしなかった。

(三) 五月二四日(月曜日)の朝、本件児童の母親から本件小学校に電話が入り、電話を受けた事務職員から受話器を受け取った原告は、「本件児童が(副)校長室なら行くと言って出掛けたのでよろしく」との趣旨との話を聞き、事情を知らなかったためひどく驚き、直ちに月田副校長にその旨を伝え、事情を確かめようとした。しかし、同副校長は、原告に何らの説明もしないまま直ぐ校長室に赴き、清水校長に原告から聞いた趣旨を話した。そして、間もなく朝会の時刻が近づいていたころ本件児童が登校してきたので、校長らは、本件児童を校長室登校扱いとすることとし、同副校長が、同児童に朝会終了後に教室へ迎えに行くと伝えて朝会の列に並ばせた。朝会終了後、同副校長は、二年四組の教室に入っていた同児童をランドセルや道具箱等身の回りのものを持たせた上、校長室に連れて行ったが、その際、原告は教室に居なかったし、同副校長から教室内の他の児童には何も説明もされなかった。副校長に連れられて行く本件児童の姿を見た原告は、事情が良く掴めなかったこともあって、いたく戸惑い、動揺を隠せなかった。

(四) 同日の放課後校長室に呼ばれた原告は、清水校長から、「先週、養総センターの指導主事から連絡が入り、『本件小学校で不登校状況になっている児童がいて、その親から学校を変えて欲しいとの申出があった』と言われたので、同センターに行って事情を聞いたところ、本件児童のことであって、本件児童の母親から事情を聞いた」旨を言われた上、本件児童を暫くの間校長室登校とする、と初めて校長室登校について告げられた。原告は、非常に驚き、原告に無断で行った理由等を尋ねたところ、同校長は、緊急事態であったので原告には知らせないで母親と相談して決めた、との趣旨の発言を繰り返した上、原告の本件児童に対する指導はきついのではないか、と原告の指導方針に問題があるかのような指摘もしたが、それまで本件児童の母親が原告について主張していたとされる事実について原告に確認することは全くなかった。これに対して原告は、同校長の口調が強く、押し付けるような言い方に感じた上、緊急事態であるとしか述べない校長とのやり取りをそれ以上続ける気持ちにはならなかったため、「校長室登校と決定した以上校長として責任をもって対応して頂きたい」旨を述べて校長室を出た。

3  五月二五日から六月一七日の担任解任命令(本件処分)に至る経緯

(一) 原告に無断で校長室登校を決定したことを告げられた原告は、つよい衝撃を受けて不安定な精神状態に陥り、夜良く眠れなくなったため、五月二七日、横浜市金沢区所在の長倉医院を受診し、「不眠症」との診断を受けた。原告は、暫くの間は本件児童を校長に委ねるしかないと考え、事態を静観することとし、五月二七日ころの授業中、校長室の窓から顔を出して二年四組の教室の方を見ていた本件児童に手を振ったら手を振り返してきたという出来事や、六月四日の前後ころ本件児童が二年四組の教室に突然入って来たのち間もなく出て行った、という出来事があった時も、校長に掛け合って同児童を教室に取り戻そうとしたり、追い掛けて行って引き止めるなどのことをしようとはしなかった。

(二) 五月三一日の件について

授業中の教室内で、かねてから些細なことでへそを曲げ易い一人の児童が、授業が始まっても学習の準備を全くしない様子であったので、原告が口頭で何度か注意をしたが、一向に従おうとしなかった。そこで、真剣に注意をしていることを知らせようと考えた原告は、教師用机の上にあったプラスチック製の糊の容器を当たらないように気をつけて投げたところ、当該児童の右目下付近に当たったという事件が起こった。幸い児童に怪我はなかったが、原告は深く反省し、直ちに副校長に報告するとともに、児童宅を訪問して謝罪をした。なお、右の件に関して、原告が右児童の母親から責任を問われたことはなく、その母親は後記原告の病気療養中に原告を暖かく励ます葉書を差し出した程であった。

(三) 本件児童の母親が児童を転校させたい意向を有していることを知った校長らは、本件児童が教室に戻りたい様子であると感じていたこともあって、転校を回避するには二年四組の教室に戻すことが必要であると判断し、六月七日、月田副校長は、二年四組の教室に居た原告に、原告に無断で本件児童を校長室登校にしたことは申し訳なく十分謝る、同児童が教室に戻りたそうにしているので受け入れて欲しい旨を語り掛けてきた。原告は、この語り掛けを重要な事柄と考え、学年主任の吉岡教諭に同席して貰った上で話合いをすることとした。席上、同副校長は、原告に、本件児童母子が原告を怖がっているし、同児童に対する指導態度を改めて教室に迎え入れて欲しい旨を述べたが、原告は、担任である原告に何の了解も取らないで校長室登校としたことを強く抗議した上、校長室登校に至った経緯が全く分からないし、母親は転校を希望しているということでもあり、母親の意向を正確に把握するためにも母親との話合いの機会を得たいとの申出をし、同席した吉岡教諭も原告の右申出に賛意を示した。しかし、同副校長のみでは右の申出に十分対処することができなかったため、校長室で清水校長も含めての話合いが続行されたが、原告は同校長にも右同様の抗議や申出をし、さらに、右の事実確認のため本件児童の母親、原告及び清水校長の三者面談(以下、単に「三者面談」という。)の機会を設けて欲しい旨も述べ、同席した吉岡教諭も、原告の右申出に賛意を示して校長らに協力を求めた。これに対して同校長は、校長室登校は緊急事態として止むを得ないことであったと述べるだけで、それに至る経緯を明確に説明することもなく、右母子は原告を怖いと言っている、本件児童は教室に行きたそうにしているので指導態度を改めて受け入れて欲しい、校長が教室登校にして欲しいと言っているのに従えないのか、などと述べるだけで話合いは平行線のまま終了した。

(四) 六月一〇日、清水校長は、養総センターに水嶋指導主事を訪ね、原告との話合いの経過等を報告し、原告との話合いを円滑に進めることができないことについて指導を受けようとはしたが、三者面談の申出については、本件児童の母親へも同センター側にも何も話しはしなかった。本件児童は、同月四日を最後に同センターへ通うことはなくなったが、一一日、本件児童の母親は、本件児童が原告を怖がって学校に行けないので転校させたい、と言って原告を横浜市教育委員会に訴えた。そのため同センターの水嶋、早川の両指導主事は、一四日、事情を把握するため本件小学校に赴き、清水校長と面談した。その際、同校長は、従前同様、原告が本件児童に対して暖かい態度で接しないことなどから原告との関係を円滑に維持できないなどと述べたことに対し、右主事らは、あくまで同校長の話しが事実であることを前提として、原告が本件児童に優しい態度で接するよう指導することが先決であるなどと話した。

(五) 右本件児童の母親からの訴えを受けた同教育委員会の指導主事は、六月一五日、本件小学校を訪ね、清水校長に対し、右訴えの内容を伝えた上、軽率に転校を認めることなく、担任である原告の状況をよく把握し、担任と十分話合いをし、教室に児童が戻れるように粘り強い指導を行うよう指示した。六月一六日、原告は、校長室で月田副校長同席の場で、清水校長から、右教育委員会への母親の訴えの件や同委員会の指導主事からあった指示の内容等について説明を受けたが、その際、先に要請していた三者面談の点を問い質したところ、同校長は血相を変える程の様相で、「今まで子供をぶったことがないと言えるか、学級通信の内容が厳し過ぎる、あんたは親や子供のせいばかりにしている、自分の性格を一八〇度変えろ、全ての親や子供を受け入れるようにしろ。」などときつい口調で原告を叱責した。そして、これに異を唱える原告に同校長は更に追い打ちを掛けるように激しく怒鳴り罵ったため、原告はいたたまれず席を外そうとしたところ、同副校長が原告の腕を取って椅子に押し戻し、「今態度を改めて教室に迎え入れなければ、教師生命を絶たれることが必至だ。」とも言い、同校長共々原告の非難をし始めたため、原告は校長らからの右の要請等に対する明確な返答をすることなく、席を立って校長室を離れた。同夜の原告は、校長らの右言動に不安を募らせ、十分な睡眠を取ることは到底できない状態であった。

(六) 一六日の夕方、同副校長は、本件児童宅を訪問し、児童の件について父母に謝罪した上、原告が指導方法を改めて児童を教室に迎え入れると誓っている、原告を謝罪させるため明日同行するから、教室に登校させて欲しい旨を述べたところ、父母は右副校長の申出をほぼ了承した。しかし、六月一七日の朝、本件児童が登校しないので月田副校長が同宅に電話をしたところ、母親は、前日とは打って変わって強い調子で、「担任をやめさせろ、教師をやめさせろ、原告がどう変わろうと関係ない、どこでどう拗れたのか責任をはっきりさせたい、原告の精神鑑定を要求する、話合いの時期は過ぎている、原告個人を訴えたい。」等と言って一方的に電話を切ってしまった。その直後、同副校長は原告に右電話の件を話した。

(七) 六月一七日の午前中、同副校長から右電話の件の連絡を受けた清水校長は、本件児童に関する件について、前年に原告の研修指導を担当した指導主事や他校の校長らに相談して意見を徴し、さらに、教育センターに金子横浜市教育委員会指導一課長兼学校教育部次長らを訪ね、「原告の教育方法に子供が怯えているのでその指導方法の改善方を校長らが求めても聞く耳を持たない状態であるので、担任を外したいと考えているかどうか。」との相談をしたところ、同次長らは、右校長の話を前提とした上、「担任を外し権限も校長が持っているから、そのような事情であれば、担任を外すことも止むを得ないと思われる、しかし、それはあくまで最終的な手段であって、その前に、親と掛け合ったり、担任を十分説得するなどして教室に児童を戻すことに全力を尽くす必要がある。」旨の意見を述べた。なお、右相談の際、同校長は、校長室登校が担任に無断で行われたかどうかは話していなかった。

(八) 右相談の結果を踏まえて清水校長は、同日の午後、本件児童問題についての緊急職員会議を招集し、次のようなことを報告した。

(1) 五月初め、清水校長がクラスに長欠児童がいたら申し出て欲しいと言ったのに、原告は申し出なかった。

(2) 本件児童の姉の担任が家庭訪問したとき、母親が、本件児童の不登校の事実を話した。

(3) その直後、養総センターからも同様の話が校長にあった。

(4) 緊急事態であったので、校長室登校にして子供を学校に来るようにさせ、教室登校にしてもらおうと思ったら、原告はこれを拒否し、自説を曲げなかった。

(5) そのため、親が教育委員会に訴えた。

(6) この問題は、学校内で解決したいと考えているが、以上のような経過があったことを承知しておいて欲しい。

清水校長の右説明には、本件児童が長欠児であるかどうかについての原告の考え方は示されておらず、校長が担任である原告の意見を聞くことなく母親の主張だけで校長室登校にしたこと、原告が、親・担任・校長による三者面談を求めていたことは語られなかった。

原告としては、校長の右報告内容には言い分も相当あったが、その言い方に圧倒されて反論の気力も喪失し、当日予定されていた学年研究会が右緊急会議のために開催できなくなったことをも考え、一人立ち上がって、「ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした、私に非があるのなら責任をとりたい。」旨を述べた。その外には、誰からの質疑もないままに右の会議は終了した。

(九) 右説明の行われた職員会議後、原告は、校長室に呼ばれ、清水校長から、「校長の責任において担任を下りてもらいたい。」と告げられた。驚いた原告は、その理由を問い質したところ、「教師としての資質に欠けている、子供への接し方に暖かさが欠けている。」などとの返答があり、「ただし、①本件児童の親子の許しを得ること、②児童への指導方法等を一八〇度転換させること、③毎日の授業を校長らが見ること、の条件が整えば、担任を続けさせる。」と言われ、副校長も、「校長先生がラストチャンスだと言っているから、ともかく親子に何を言われても絶対に弁明しないで謝ってくること」と言われるまま、副校長と共に夕方本件児童宅に赴いた。母親と子は不在であったので、一旦学校に戻ったのち、夜九時半ころ再び副校長と共に児童宅に出掛けたところ、「くじらおか」と名乗る男性から、「本件児童母子は近くに居るが、あなた方の姿を見て家に入れないでいるので、帰って欲しい、そうでないと警察を呼ぶ。」と言われ、更に母子との面会を求めたが、受け入れられず、副校長から言われるまましたためた謝罪の趣旨の手紙を右の男性に手渡し、母子との面会を断念した。

4  本件処分後の状況

(一) 六月一七日の夜、原告は、担任を外されたことによる深い絶望感に襲われたまま帰宅した。翌一八日、夫は、原告の様子から尋常ならざる精神状態であると察知し、精神科を受診させるため原告を休ませることが必要と判断し、その旨を清水校長へ電話した上、横浜市中区所在の正岡医院に連れて行ったが、同医院で原告は不安定な精神状態のままであったため、連れ添った夫が原告に代わって医師に対し、五月中旬ころから、不眠、不安感、動悸、めまい、気分易変等の状況にあることを説明した。医師は原告を自律神経失調症と診断し、そのため取り敢えず一か月程の間は療養が必要であるとの診断書を夫に手渡し、これを夫は同日午後本件小学校に持参した。その際、清水校長は、夫に対しても、原告に対してと同様、原告を学級担任から外すこととする旨を伝えた。

(二) 六月二三日、清水校長は、二年四組の緊急保護者会を開き、本件児童の親を除く全員の保護者が出席した席上、同組の担任を原告から他の教師に交代させると話して保護者の了解を求めた。その際、同校長は、原告の夫から原告が病気(しかも精神的なもの)になったことを示す診断書の提示とともに暫く休ませて欲しいとの要求があったことや最近児童に糊のビンをぶつける出来事を起こしたこと及び本件児童の不登校の件での原告の対応に問題があったことを右担任交代の理由として強調したものの、原告が右のような症状を呈するに至った経緯についての詳しい説明はせず、病気が治って学校に来れるようになった後も同組の担任には復帰させない、今後は原告と連絡を取り合うことは止めてほしいとも話した。このような同校長の説明に保護者達が十分納得したわけでは到底なく、むしろ、交代させるまでの必要はなく病気が治るまでの間代理担任の方法を採るだけで十分ではないか、との意見の者や、原告の教師としての熱意や真摯に信頼を寄せていた保護者の中には突然の担任の交代に衝撃を受けている者もあり、右校長の説明の内容や態度等からも右保護者会全体の後味としては芳しくないと感じた者が少なくなかった。

(三) 原告は、本件処分を受けた直後ころは、絶望の余り二度と子供達の前に立つことはできないのではないかとさえ思う程であったが、その後原告の病気療養を知った保護者の一部や二年四組の教え子はもとより他のクラスの児童等からも、暖かく励ます内容の手紙等が相当数原告のもとに届けられるなどするうち、もう一度教室に戻りたいとの気持ちを取り戻すに至った。原告は、六月一八日から出勤せず(同日から七月一〇日までは年休処理として扱われ、一二日から一〇月九日までは療養休暇として扱われ、それ以後が休職扱いとされた。)、その状態は翌平成六年七月まで続き、その間、通院、服薬を続けた。同年七月二四日、症状が改善されたことから、本件小学校に復職し、平成七年四月より屏風浦小学校に勤務している。

なお、本件児童は七月八日に転校願いを提出したところ、清水校長は同月一二日、本件児童母子が再び原告と会うことを恐れているとの情報があったとして、並木第二小学校へ転校させた。

(四) 本件訴訟提起までの経緯

原告は、夫と共に平成五年七月中旬ころ、本件小学校に清水校長を訪ね、本件処分の理由説明を求めたところ、同校長は、「校長の言うことを聞かない者を処分して何が悪い。」と述べるだけであった。そこで、原告は、平成六年二月、教育委員会に対し、公正な調査と処置を求める申立てをした。また、同年六月、数回にわたって代理人を介して清水校長に対し、本件処分の理由説明を求めたが、「学校運営の必要上から行った」旨の回答があっただけであった。そこで、原告は、右の回答では理由は明らかでないなどとして、本件訴訟の提起に及んだ。

二  争点1(本件処分の違法性の有無について)

1  学校教育法二八条三項では、小学校の校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する権限を有する旨が規定されており、右権限の中に、校長が小学校における校務分掌に関する組織を定め、教師を含む所属職員にその分掌を命じ、校務を処理することも含まれていることは明らかであって、校長は個々の教師に学級担任等を命じ、或いは命じない権限(担任を外す権限を含む。)を有するものというべきである。

そして、校務分掌に関する校長の右決定については、職員全員の能力・適性並びに学校全体の適正な運営等の諸事情を総合考慮することが必要であるから、右の権限は校長の裁量に任されているものということができる。しかしながら、教師に学級担任を命じ或いはこれを担任から外す等の決定等教育内容に密接な関係をもつ事項については、校長は、個々の教師の特性を踏まえ、教育活動の特色が十分発揮され、普通教育の目的が達成される得るようできるだけの配慮をもって決定することが要請されているというべきであり、右の要請に反し、裁量とされた右の権限についての濫用や逸脱と認められる場合には、それが校長の裁量とされた趣旨に照らして違法というべきである。特に、個々の教師の特性や適正な学校運営のための諸事情をも考慮した上で一旦学級担任を命じたにもかかわらず年度の途中で当該担任をその意に反して解任することは、①担任を命じる際、当該担任が相応しいとの判断が既に権限者である校長によって行われていること、②学級の運営が一年単位で行われることが、教師はもとより児童及びその父母等関係者全員にとって極く自然な、言わば当然のことと認識されていて、右の認識に従って授業等が進められていること、③本件の場合のように小学校低学年児童の担任はほとんど全教科を一人で担当しているのであるから、年度途中での解任による児童及び保護者らへの影響は特に大きいと考えられること、を考慮すると、担任を命じる場合に比してより一層慎重に行われなければならないものであって、担任の帰責性が強いため既にクラス内に深刻な混乱が生じていて、学級の健全なる運営が不可能若しくは著しく困難である場合である等、解任を合理的に説明できるだけの理由がなければならないというべきであり、右の理由がない場合の年度途中での担任の意に反する解任は、校長の解任に関する裁量権を濫用し若しくは逸脱したものとして、違法なものというべきである。

2  これを本件についてみるに、先にみた事実経過によれば、まず、本件処分の直接の契機となった本件児童の校長室登校は、清水校長が、原告の指導が厳し過ぎて子供が登校しないので転校させたいとの本件児童の母親からの要請を受け、転校だけは何とか回避して校内での処理を図るようにとの養総センターの指導主事等から受けた指導に基づいて行われたものであるが、これについては、右母親の認識の正確さ等を確認するため本件児童の担任である原告から意見を聴取することも、了解を得ることも、いずれもないままに行われたものであって、担任の了解を得ない校長室登校というものが担任の立場をいたく蔑ろにする性質のものであることに徴すると、このことのみで右校長の措置が不適切であったとの誹りは免れないものというべきである。しかも、本件児童が欠席がちであったことは、先にみた同児童のてんかんもちなど本来の症状等に原因する可能性が高く(現に、医師からも、そのように予見されていたし、母子関係にも原因がなくはないとの指摘があったことも、前記のとおりである。)、原告にその原因があったことを的確に認めるに足りる証拠はないのであって、同校長は、これらの点について原告に十分確認することもなく、同校長自身が抱いている原告の教師としての姿勢についての認識にこだわって行動したとの推認も不可能ではない(同校長は、原告の教師としての姿勢について、厳し過ぎて児童に対する態度も柔軟性に欠けると見ていたように窺えられるが、そのような印象を抱いた根拠が必ずしも明らかではない。原告が作成した学級だより等を見ても、原告が極めて教育熱心で几帳面な教師であるとの印象は受けても、厳し過ぎるとの印象をたやすく抱くことは困難であるし、児童らの父母や同僚教師の原告に対する印象も右と大差ないものと推認される〔甲第1号証の1ないし38、第13、14号証、第17号証、第20号証、第28号証の1ないし7、第29号証、証人吉岡、同月田〕。)。

このように、校長室登校が原告の了解等を何ら得ることなく行われたことから、原告は同校長に対する信頼を失い、本件児童に対しても従前と同様な態度を採ることが困難となったであろうことは容易に想像できることであり、現に、校長室登校中の本件児童に対して些かぎこちない態度を採ったのもその現れと見れないことはない。

ところが、清水校長は、本件児童の母親が希望している転校を回避するには、教室に戻ってもらうことが必要であり、それには原告に本件児童に対する指導態度を変えてもらうことが不可欠と判断し、校長室登校から一転して、本件児童への指導方法を変えた上で同児童を教室に受け入れるよう原告に要請したが、原告は、それまでの本件児童母子との交流状況からすると校長らから伝えられた本件児童母子の意向はたやすく納得できるものではなかったため、原告にとっては、本件児童母子の真の意向を把握し校長室登校の事情を理解するためにも必要であるとして求めた三者面談の開催は、児童の教室への受入れには不可欠なものであったのに、同校長はこれに全く意を払おうとはしなかったところから、原告は同校長の右要請に素直に従わなかったものと推認される。もとより、児童が教室で授業を受ける姿が小学校教育本来の自然な形であるということはいうまでもなく、校長らが自然な姿に戻すために右のような説得を原告にしたこと自体は妥当なことではあるが、校長室登校という異常な姿を採ったことの事情を十分把握しないまま、児童らが希望しているから或いは転校回避に必要であるとの理由だけで一転して教室への受入れを求められても、無断で校長室登校を決定された原告としては、たやすく右要請に応じることはできなかったものと推認される。そして、先にみた本件処分の経緯によれば、それが行われた最大の理由は、原告が清水校長の教室受入れの要請に従わなかったことにあると認められるのであり、原告が同校長の右要請にたやすく従わなかったことに無理からぬ点があったと認められる以上、これを理由として行われた本件処分に合理性を見い出すことは容易ではない。もっとも、本件処分の直前には、本件児童母子が転校を希望して原告を教育委員会に訴えるなどしたため、同校長は、養総センターの指導主事を含む複数の者に対応策について事前に相談を持ち掛けてはいるが、同センターの主事らは同校長に、できるだけ転校を回避し、担任と十分相談して粘り強い態度でことに当たることが必要である旨の指導をしているのにもかかわらず、同校長は、原告の態度を変えることは不可能と判断し、転校を回避するには原告を担任から外す以外に方法はないと考えて本件処分を決定したものと推認できるのであって、原告の納得のゆく方法で教室受入れを実現させるための努力を十分行ったとは言い難い。

また、本件処分について、二年四組の保護者の中には十分納得しているとは言い難い者が相当数おり、原告が担任から外されることによる影響の大きさに衝撃を受けている者も決して少なくない。校長らは、原告の学級の中のただ一人の児童、それも入学当初から不登校が予見されていた上、家庭養育上にも問題点が指摘されていた児童とその母親の意向を尊重することと、児童の転校という、学校側にとっては決して名誉ではない出来事を回避することを当面の最大の課題とし、原告の教師像についてのある種の固定的観念に従って、本件児童を巡る諸問題に対応したのではないか、との推測も不可能ではないのであって、いずれにしても、初の校長として本件小学校に赴任後間もない時期に、しかも持ち上がりで二年四組の担任を命じられたばかりの教諭である原告を担任から外すに当たっての慎重な配慮が欠けていたことは否定できないものというべきである。

なお、被告は、①原告は清水校長の長期欠席児童の報告の依頼を無視した旨主張する。しかしながら、前記のとおり、原告は、本件児童の特性を考慮してその母親とも交流を密にするよう配慮しており、医師の予見どおり欠席が目立ち始めたこと、月田副校長には右の事情を概略報告しているのであって、敢えて校長からの求めに応じようとしなかったわけでないことは、先にみたとおりである。

また、被告は、②校長室登校となったのち、原告は本件児童を無視する態度を採った旨主張する。しかしながら、前記のとおり、原告が些かぎこちない態度を本件児童に対して採ったことは事実であるが、それは、原告に無断で校長室登校を決定された立場の者としてはそれなりに無理からぬ点があったとも言い得ることもまた、先にみたとおりである。

さらに、被告は、③原告は、自分は変わらなければならない面は一つもない、変わるべきは本件児童の親であると言って、自らを省みる姿勢に欠けていた旨主張する。しかしながら、右主張に沿った証拠(乙第9号証、証人清水)は、前掲各証拠に照らしてたやすく採用できず、そのような事実を認めることはできない。

被告は、また④担任に十分説明することなく校長室登校の扱いをしたとしても止むを得ない事情があった旨主張する。しかしながら、先にみた経緯に徴すると、原告に了解も得ず、説明もしないで決定したことに止むを得ない事情があったとは認め難いというべきである。

最後に被告は、⑤清水校長は、原告との間で何度となく話合いの場を設けているし、教育センターからの指導も受けた上で本件処分を行ったものであり、校長の独断による一方的なものではなかった旨主張する。しかしながら、確かに、同校長は本件処分の前に他の校長ら専門家の意見を徴してはいるが、同校長が相談するに当たって述べる原告の教師としての指導方法等に関する校長の把握自体にも問題があることは既に指摘したとおりである上、同校長がその指導意見に十分沿った方策を採った上で本件処分に及んだものでないことも、前記のとおりである。

以上の諸事情並びに先にみた本件処分前後の経緯を総合考慮すると、本件処分前後において、担任である原告の帰責性が強いため既にクラス内に深刻な混乱が生じていて、学級の健全なる運営が不可能若しくは著しく困難である状態が生じていたとは認められず、その他、本件処分(解任)を合理的に説明できるだけの理由を認めることもできないのであって、本件処分は校長に認められた裁量権限を濫用し若しくは逸脱しているというほかはない。したがって、清水校長のした本件処分は違法であると認めるのが相当であり、被告は本件処分によって原告の被った後記損害を賠償する責任がある。

三  争点2(原告の被った損害―本件処分との因果関係も含めて)

1  先にみた事実経過によれば、原告は、校長室登校時前後から精神的に不安定な状態となっていたところ、本件処分によって極めて強い衝撃を受けて自律神経失調症となり、原告主張の期間勤務に出ることが不可能となったものと認めるのが相当である。したがって、右のような疾病に罹患したこと及び勤務に出ることが出来なかったことによって原告の被った損害を被告は賠償する責任がある。

2  損害の内容

(一) 慰謝料

本件処分により原告はいたく衝撃を受けたことは前記のとおりであり、そのため前記のような疾病に罹患し長期にわたって勤務に出ることができなかったのであり、これによって被った精神的苦痛を慰謝するには、少なくとも一〇〇万円を下ることはないと認めるのが相当であり、後記(二)の損害額について附帯請求を認めなかったことをも考慮した上、右慰謝料としては一一〇万円をもって相当と認める。

(二) 昇給遅延らによる損害額

証拠(甲第24号証)並びに弁論の全趣旨によれば、原告主張のとおりの金額(八四万七二八八円)に相当する損害を原告は本件処分を受けたことにより被ったと認めるのが相当である。ただし、原告は附帯請求として、右の損害についても慰謝料と同じく不法行為の日からの遅延損害金を求めているが、昇給遅延らによる損害は、実際に給料らを受領すべき日に初めて損害として発生するのであるから、右のような原告の請求は当を得ていない上、それらの各金員の全てについて遅延損害金発生の日を特定するに足りる的確な証拠があるか必ずしも明らかではないことをも考慮し、便宜、(二)の附帯請求に関する原告の請求を棄却し、右棄却した経緯も(一)の慰謝料算定の事情の一つとして考慮することとした次第である(このような便宜の方法を採用したとしても、原告が本件訴訟において求めていた趣旨と必ずしも矛盾しているとは考えられない。)。

(三) 合計

(一)及び(二)の合計額である一九四万七二八八円が合計の損害となる。

四  結論

以上によれば、原告の被告に対する不法行為を理由とする損害賠償については、一部理由があるから認容し(附帯請求は、慰謝料について不法行為の日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金)、その余は理由がないので棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木敏之 裁判官北村史雄 裁判官飯野里朗)

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