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横浜地方裁判所 平成8年(行ウ)70号 判決 2001年2月08日

原告

甲野花子

同訴訟代理人弁護士

志村新

滝沢香

被告

厚木労働基準監督署長大角洋二

同指定代理人

小池充夫

榎本多喜男

長谷川良則

石口健

佐藤秀一

長谷川忠

後藤秀邦

上野耕一

主文

1  被告が平成6年5月11日付けで原告に対してした,労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとする処分は,これを取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1本件請求

主文同旨

第2事案の概要等

1  事案の概要

原告の夫であった甲野太郎(以下「太郎」という。)は,地形図及び地質図作製のための海洋調査等を担当し,現場代理人の立場にあったが,現場への出張中,滞在先の民宿で死亡した。本件は,原告が,太郎の死亡は同人の業務に起因するものであるとして,被告がした遺族補償給付等不支給決定の取消しを求めている事案である。

2  次の事実は,当事者間に争いがないか,後掲の証拠によって認められる。

(1)  太郎は,昭和24年10月30日に生まれ,昭和48年3月に東海大学海洋学部海洋資源学科を卒業し,昭和61年3月まではパシフィック航業株式会社(現在のパスコ株式会社),平成2年4月までは久心技建株式会社にていずれも海洋調査,測量にかかわる業務に従事した後,同年6月,アジア航測株式会社(以下「本件会社」という。)コンサルタント事業部海洋部(以下「海洋部」という。)に主任技師として採用され,以後,同社厚木事業所に勤務していた。

本件会社は,建設コンサルタント及び地質調査,測量等を目的とする会社であり,平成3年9月当時,従業員約830名,本社の他全国に16の支店,技術研究所等を有していた。海洋部は,海洋調査・解析,水路測量,水資源開発・保全等を行う部門であり,同年6月ころには,22名の従業員(部長1名,技師長2名,主任技師2名,一般従業員17名)が所属していた。

本件会社における所定労働時間は,午前9時から午後5時30分までであり,休日は,土曜日,日曜日及び祝祭日である。

太郎の職位であった主任技師とは,いわゆる中間管理職,スタッフ職に当たり,海洋部が行う調査・測量・解析等の諸業務を第一線において自ら担当して行うと同時に,部下である一般従業員ら及び共同作業を行う社外の技術者らをとりまとめて業務を日常的に滞りなく推進することが求められるものである。

(2)  「沿岸の海の基本図」とは,日本の領海基線を明確にするための基礎資料として,また,沿岸海域の利用・開発,環境保全,防災,海洋レクリエーション等に資するために作成されるもので,1万分の1及び5万分の1の縮尺で海底地形図及び海底地質構造図の2図を1組として作成される。同基本図の作成は,海上保安庁が国の事業として行っているが,データ収集及び資料作成は民間企業に委託されており,毎年5図ずつ発注されている。なお,本件会社も平成2年以前に複数回受注していた。

基本図の作成作業は,準備から現地測量が終了するまでに2ないし2か月半,現地測量後の社内整理で3ないし4か月を要する。作業は,海上保安庁が定める共通仕様書及び対象海域毎の特記仕様書に従って,同庁の担当者である監督官と受注会社側のプロジェクト担当者である主任技術者,現場代理人との間で綿密な連絡を交わしながら進められる。主任技術者及び現場代理人は,いずれも各プロジェクトにおける役職名であり,前者は技術的内容を総括する最終責任者であり,後者は全作業期間を通して,その作業に関して会社を代表する現場責任者である。

(3)  本件会社は,平成3年5月20日(以下の摘示において,平成3年の事項は月日のみにより日付を特定する。),海上保安庁水路部から沿岸の海の基本図のうち「恵曇(えとも)」の作成事業(以下「本件事業」という。)を納期を10月として受注した。同事業を遂行するため,海洋部ではプロジェクトを組み,主任技術者には技師長である久我正男(以下「久我」という。)が就き,現場代理人には太郎が就いた。

同プロジェクトは,5月21日から事前準備作業に入り,太郎は,本件事業を協力して遂行する同業他社,関連会社との連絡,打合せを1人で行い,その中で基本方針の説明,受注金額の配分,従業者の負担,機材の分担を協議する等した。そして,太郎は,同月25日から6月1日までの間,現地事前調査のため,1人で島根県に出張した。太郎は,同調査の中で,測量業務の拠点としての宿泊場所の確保,地図上で予め決めた従局設置予定地点の現場確認,従局設置予定場所についてのNTT,市役所,自衛隊,漁業協同組合(以下「漁協」という。)等に対する協力要請,作業許可書の提出等の業務に従事した。ここで,従局とは,その調査事業において海上の測量船の位置を計測するために地上に設けるアンテナ局のことをいい,測量船上のアンテナ局を主局という。さらに,太郎は,現地事前調査から戻ると,同調査に基づき,プロジェクトチームのメンバーと協力して,<1>作業計画の立案と海上保安庁への提出書面の作成,<2>大型測量船の手配,資機材の発送準備と輸送手段の確保,<3>調査区域に関する各種図面の入手,これをもとにした図面の作成といった業務に従事した。

太郎は,同月10日,現地測量調査のため,先発隊として,7月22日まで(予備日8月10日まで)の予定で再び島根県に出張した(以下「本件出張」という。)。太郎を含む本件事業従業者は,出張期間中,島根県八束郡美保関町七類所在の民宿赤山愛子(以下「民宿」という。)に滞在し,同所を作業基地とした。現地測量調査の目的は,本件事業のために深浅測量(音響測深),地質調査(音波探査)を実施することで,測量方法は,電波測位機及びトランシットといった測量機器による直線誘導法により船位を測定しながら精密音響測深機により深浅測量を実施するというものである。調査区域は,島根県の恵曇港,七類港,美保関港,境港の港界内である。現地測量調査に従事した者は15名で,本件会社からは太郎を含む6名,協力会社である芙蓉海洋開発から2名,他の同業会社2社から各2名のほか,外注先から3名が参加した。太郎は,太郎を除く14名を2つの基準点班と1つの大型船班の3班に分け,自らは現場代理人としてその統括にあたることとした。

(4)  太郎は,6月10日から同月15日までに以下の業務に従事した。(<証拠略>)

10日(月) 午前中,飛行機で米子空港まで移動し,午後1時30分ころに民宿に到着した。午後2時ころ,高尾山の自衛隊美保関第7航空基地に1人で出掛け,挨拶及び同敷地内の三角点(建設省国土地理院が三角測量をするに当たり,全国ネットで設けた基準点で,経緯度によって与えられているので,作業に当たっては,ポール,旗を立て,設標して使う。)の管制許可申請をした。午後4時ころには民宿に戻り,資料を整理し,午後5時30分ころから測量調査に従事する従業員と打ち合わせ,事前調査の結果及び作業工程を説明した。

11日(火) 午前中,験潮器(潮の干満差を測るために設定する基準地点で,防波堤等に設置するもの)の設置場所を民宿の近くに決め,必要な機材を揃えた。午後,三角点,従局点の位置確認のため,再度高尾山の自衛隊に出掛け,設標を行い,その後,吉田藤誉とともに津ノ和鼻,忠山の従局点予定地を踏査して視察し,設置場所を決定した。民宿に戻り,験潮器設置のための機材買出しのため境港に出掛け,午後5時ころ民宿に戻り,験潮器設置業務に立ち会い,午後7時30分ころこれを終えた。

12日(水) 主任技術者の久我が現地入りするため,午前中民宿に待機するかたわら,美保関漁協等関係機関への挨拶に出掛けた。午後1時ころ,久我から海上保安部の作業許可書を受け取り,午後5時ころ久我を米子空港まで車で送り,同所で富樫尚孝を迎えて,午後6時ころ民宿に戻った。

13日(木) 朝食後打合せをし,午前9時ころ富樫運転の車で恵曇漁協,島根原子力発電所ほか漁協7,8か所への挨拶廻りをした後,午後4時30分ころ民宿に戻った。

14日(金) 従局設置許可のため,松江のNTT島根及び米子市役所等へ出張したが,忠山の従局設置については責任者不在のためNTTから許可を得られず,17日に再訪問するとの約束をした。その後,15日のNTT鳥取への従局設置許可申請のため鳥取市内へ移動し,同所で宿泊した。同日夜,鳥取市内で,太郎が以前勤務していたパスコ株式会社の従業員と出会って,飲酒し,午前0時ころ,同市内のホテルに戻った。

15日(土) 正午ころ鳥取から戻り,夕方翌日の隠岐島での従局設置作業のための機材をチェックし,午後8時ころから午後10時ころまで同作業の打合せを行った。

(5)  太郎は,同月16日,隠岐島に最初の従局を設置するため,本件会社従業員畠周平(当時29歳),同業他社の坂本幸久(当時24歳),西村光治(当時56歳)の3名の作業員とともに,倉庫からフェリーに機材を運搬し,午前9時30分七類港発のフェリーで午前11時40分ころ隠岐群島知夫里(ちぶり)島の来居(くるい)港に到着した。航行中,太郎は,「昨夜は眠れなかった。」と同行者らに述べて終始居眠りをしていた。来居港で機材とともにタクシーに乗り込み,午後0時すぎころ,従局設置場所であるアカハゲ山中腹の山頂登り口に到着した。4人で従局設置に必要な1個20kgのバッテリー10個その他の機材を山頂まで運ぶことになり,太郎は,同所でタクシーを降り,登り口から山頂まで,背中にバッテリー2個(合計40kg相当)を背負い,両手にビニールシート,ロープを持ちながら,標高差約50m,距離約200mを他の作業員とともに約15分間かけて登った。その後,山頂で約1時間かけて従局の設置作業を行った。そして,同作業終了後,山頂からタクシーまでの帰路は,フェリーの出航時刻が迫っていたため駆け下り,午後2時7分来居港発境港行のフェリーに乗船した。太郎は,乗船中睡眠を取り,午後4時過ぎに境港に戻ると,自ら自動車を運転して午後4時30分ころ宿舎に戻り,午後5時30分ころ,北九州から七類港に到着した測量船が積んできた機材,資材を下ろして民宿近くの倉庫まで運搬する作業に関わり(その作業内容については争いがある。),午後8時すぎに民宿に戻った。民宿では,後発隊の作業員が合流したので,夕食をとりながら協力会社を含めた全体ミーティングを行った。太郎は,ミーティング後入浴し,午後10時過ぎころまで2階の部屋で本件会社従業員との打合せを行ってから,就寝した。

同月17日午前2時ころ,太郎は民宿の1階階段下で倒れているのを宿泊客により発見された。そのとき,太郎にはすでに呼吸がなく,身体が冷たい感じになっていた。直ちに救急車が呼ばれ,その間同僚の吉田が人工呼吸を施し,午前2時51分の救急隊到着後は隊員が人工呼吸を続けた。太郎は,午前3時14分鳥取県境港市米川町44番地所在の鳥取県済生会境港総合病院に救急車で搬送されたが,その時点で心肺停止,瞳孔散大の状態であり,午前3時20分,死亡した。(<証拠略>)

(6)  太郎の妻である原告は,同月19日に太郎の葬儀を行い,平成4年4月24日,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが,被告は,平成6年5月11日,不支給決定(以下「本件処分」という。)をした。本件処分には,太郎が発症した急性心不全は,発症前に日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことにより明らかな過重負荷を受け発症したものとは認められないため,労働基準法施行規則35条に該当する疾病とは認められない旨の理由が付されていた。

原告は,平成6年6月16日,神奈川労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求をしたが,平成7年12月5日付けで棄却された。原告は,さらに,平成8年1月24日,労働保険審査会に対する再審査請求をしたが,平成10年6月15日付けで棄却の裁決がされた。(<証拠略>)

3  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は,太郎の死亡が,同人の業務に起因するものかどうかである。

(原告の主張)

(1) 労災補償制度における相当因果関係は,損害賠償制度の場合のそれよりも救済対象を拡大したものであり,業務上の死亡とは,業務と労働者の死亡との間に合理的関連性があることをいう。そして,当該労働者の素因や基礎疾病が死亡原因となった場合であっても,業務の遂行が労働者にとって精神的・肉体的に過重負荷となり,基礎疾病を自然的経過を超えて悪化させて死亡の時期を早める等,基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を発生させたと認められる場合には,業務上の死亡と解すべきである。

(2)ア 太郎は,本件会社に約1年前に途中入社した新人でありながら,いわゆる中間管理職たる主任技師として,調査業務等を自ら行うとともに,部下及び社外技術者を取りまとめて業務を遂行しなければならなかったところ,入社歴が浅いため,部下に対して指示すれば済む業務についても,自ら行うことが多かった。

また,海洋部の部下17名のうち15名が労働組合に属していたため,春闘,年末闘争等の時期には,残った太郎の業務上の負担が増大した。しかも,海洋部は,平成元年10月以降,受注の急激な伸びの中で人手不足を来しており,年休を取れないだけでなく,長時間にわたる時間外労働,休日出勤が恒常化し,各人にかかる業務負担が多くなっていた。

イ 本件事業は,社内でプロジェクトチームを組み,複数他社と共同で行うという点で大規模な事業であり,太郎は現場代理人としてその取りまとめをする役割を担っていた。また,海洋部は,急激な受注増にもかかわらず,2年連続で赤字部門となっていたため,本件事業に際しては,予算の制約が非常に厳しく,太郎の負担となった。しかも,太郎にとって,沿岸の海の基本図作成事業の現場代理人は初めての経験であり,殊に本件事業の場合,太郎が過去に携わった海洋調査業務よりはるかに大規模なものである上,設置すべき従局が通常の場合より多数に上るため,設置協力を求めるべき関係諸機関が多方面にわたった。また,海洋部では,同業他社と異なり,渉外班と作業班を分けなかったため,太郎は,その両者を1人で担当した。

本件作業の事前準備作業のうち,客先との連絡・打合せ,現地事前調査が最も負担が大きいところ,太郎はこれをいずれも1人で担当した。その余の各種書類作成作業は,太郎の現地調査結果及び客先との協議に基づいて決定した内容について,他の者が文書化作業を分担したに過ぎない。また,現地事前調査は,短期間で本件出張のために必要な各種の事項を確認しなければならず,しかも,同調査期間中,本件会社の労働組合による受送電拒否闘争,残業拒否闘争が行われ,同社との連絡に困難を伴う等,一般の沿岸の海の基本図作成作業には見られない特有の困難があった。

太郎は,上記事前準備作業のため,長時間残業を連日のように行っており,午前2時以降の帰宅も数回あった。その上に,休日出勤も繰り返し行っており,本件出張前には既に過労の状態に陥っていた。

ウ 太郎は,本件出張中,民宿で夕食後も会議を行い,次の日の準備を行う等,労働時間と私的な時間との境がない日々を過ごし,毎日少なくとも3時間以上の時間外労働を行っていた。6月16日のアカハゲ山の山頂での従局設置作業は,帰りのフェリーの出航時刻に遅れないため終始大急ぎで進められたうえ,太郎は,他の若い2名の作業員と同様2個のバッテリーを背負って,顔面を青くしながら,登坂した。なお,山頂の気象状況は,観測所における気象データと異なり,気温が低く,風が強かった。しかも,太郎は,民宿に戻ってからも,午後5時30分ころから,七類港に到着した測量船が積んできた機材,資材の積み下ろし作業を自ら行った。

太郎の上記業務は著しく過重であり,民宿の主人に対し,「肩と首が痛い。」,「医者はいないか。」と訴え,同室者である吉田に対し,「頭が痛いから先に寝る。」と告げて電気をつけたまま寝るほど過労状態に陥っていた。

(3) 太郎は,普段から健康状態に気を遣い,食事に注意し,運動不足を解消していたし,喫煙はわずかであり,飲酒も同僚に比較して特別多くはなかった。

なお,太郎は,本件会社入社以後,急激に肥満度が進行したが,多忙な業務とこれによる疲労のため,スポーツクラブにも通えなくなったこと,太郎は疲れると体力をつけるためにしっかりと食事を摂るよう心がけていたこと,平成3年以後は外食が増えたことを考えれば,肥満度の進行の原因も業務にあったというべきである。

(4) 太郎の死亡原因は,心臓突然死であり,その中でも,同人には明らかな狭心症の前駆がなく,また,冠動脈硬化症が潜在していたということはないことから,器質的心臓病のない状態から発生した一次性致死的不整脈によるものと考えるのが医学的に妥当であり,その原因は,健康管理,作業管理の欠如による過重な業務に基づく肉体的,精神的負荷にある。

医学的に見ても,アカハゲ山での重量物運搬作業による運動負荷は,運動誘発性心筋虚血(冠攣縮)を引き起こし,この場合血漿フィブリノペプチドA値(血液凝固作用がある)が,顕著な日内変動を示し,夜間から早朝にかけて高い値を示すから,冠攣縮による粥腫の破綻が血栓を形成し,運動負荷から12時間後に冠動脈の閉塞を来して致死的不整脈を発症し,突然死に至ったとすることは何ら不自然ではない。

(5) したがって,太郎は,本件会社入社後,とりわけ平成3年春以降の長時間労働が続いてきた中で,肥満と疲労の度合いを増していき,本件事業の現場代理人となって以降の過密な労働状態を経て,本件出張中,出張先での疲労回復の機会がない生活の中での過重な負荷により,致死的不整脈を発症して突然死に至ったことが明らかである。また,仮に脳血管疾患による脳出血であったとしても,その原因は健康管理,作業管理の欠如と職業性ストレスによる高血圧症の悪化によってもたらされたのである。いずれにせよ太郎には,業務による負担を除き,他に致死的不整脈又は脳出血を招来する原因は,これといって存在しない。

よって,太郎の死亡は,業務上の死亡である。

(被告の主張)

(1) 労働者が疾病に罹患した場合,複数の原因が結果発生に対して競合しているのが通常であるが,労災補償制度は,業務と業務外の事由という複数原因が競合する場合に,業務が寄与した割合に応じて労災補償給付をすることを予定せず,業務外であるか否かを画一的に判断する制度を採用していること,及び当該疾病が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる必要があることからすれば,因果関係の相当性の判断において,業務が疾病に対して,他の業務外の事由と比較して相対的に有力な原因となっていると認められる場合についてのみ相当性があると解すべきである。そして,有力な原因であるか否かの評価に当たっては,業務に疾病を生じさせる具体的有害性ないし危険性が存在しているかどうかを判断の根拠とすべきである。

ところで,脳・心臓疾患(以下「脳心疾患」という。)の発症の原因となる特定の業務は,医学経験則上認められておらず,これらの疾患と業務との関連性は極めて希薄なものといわざるを得ないところ,個別的事案によっては,本来的には私病であるこれらの疾患が,業務上の諸種の要因により急激な血圧変動や血管収縮を引き起こし,血管病変等がその自然経過を超えて急激に著しく増悪させ,その結果,脳心疾患等を引き起こしたと医学的に認められる場合もあり得る。このような場合にあっては,その発症に当たっては,業務が相対的に有力な原因であると判断され,業務起因性を肯定することができる。そこで,脳心疾患が労基法施行規則35条別表1の2第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するかどうかを判断するためには,当該脳心疾患が業務によりその自然的経過を超えて発症したことが医学的に認められることが必要であり,そのためには,業務負荷が自然的経過を超えて血管病変等を急激に著しく増悪させ,当該脳心疾患が発症したという因果関係が個々の事案ごとに個別具体的に認められる必要がある。

(2)ア そこで,太郎の業務についてみると,6月16日のアカハゲ山での従局設置作業については,短時間の作業であり,身体的疲労はあっても軽度であった上,昼食は普段どおりに摂り,往復のフェリー乗船中は睡眠をとる等して休息でき,午後5時30分ころからの機材下ろし作業についても自ら機材下ろしに従事したわけではなく,立会のみであったことから,出張中であったことを考慮しても,その他の測量業務に比較して特別に業務が過重であったとはいえない。

イ 同月15日以前1週間の業務については,特に労働時間が長時間に及ぶ日もなく,特別問題もなく業務が遂行されており,民宿への帰着時刻,夕食時刻,就寝時刻等が業務の都合で伸(ママ)びることもなく,ほぼ一定時刻になされていた。また,同月14日には業務後パスコの職員と再会し,午前0時まで飲酒する等し,その間,特に健康状態の悪化はなかった。

ウ 同月9日以前の業務については,発症との関連は著しく希薄である上,太郎が事前調査のための出張等で多少忙しかったことは推測できるが,長時間にわたる時間外労働はなかった。

また,太郎は,大学卒業後一貫して海洋調査業務に従事し,以前にも沿岸の海の基本図の作成業務の他,多くの国内外の公共事業としての海洋調査に従事した経験があった上,本件事業についても,太郎任せになっていたわけではなく,最高責任者の久我に相談できていた。

(3) 太郎の死亡原因については,心臓突然死の可能性が最も高い。太郎は,本件疾病発症当時,明らかな肥満状態にあり,これに伴い高血圧となっていた可能性があり,ヘマトクリットが高値を示し,20年以上にわたり,少ない時でも1日10本の喫煙を続け,HDLコレステロールが低値を示す等冠動脈硬化を原因とする虚血性心疾患の危険因子を複数有していたことから,潜在的に進行していた冠動脈硬化症の基礎心疾患を有していたところ,何らかの心筋虚血症状の自覚があって,飲水あるいはトイレへ行くために階下に下りたところで,致死的不整脈(二次性致死的不整脈)を発症し,その結果,心臓突然死を起こしたと推定すべきである。

アカハゲ山の労働で無症候性に粥腫が破綻したとすれば,労働中の最もホルモン・神経系が活動的である時に,重症不整脈による失神等の症状あるいは不整脈による登坂中断等の自覚的異常が生じるはずであるのに,これが認められず,またその後も特に変化のない状態で過ごしており,約12時間後に突然致死的な重症不整脈が出現し,死に至った可能性は非常に低い。むしろ,医学的には,潜在的な冠動脈硬化症の進行に伴い,粥腫を覆っていた被膜が脆弱化し,ある時点で突然破綻し,破綻も高度であったため,大量の血栓形成から心筋梗塞を発症した可能性がより高く,自然な経過と考えられる。

(4) したがって,太郎は,虚血性心疾患を発症し得る血管病変による基礎疾患を有している状態から,自然経過の中で発症したもので,発症前に従事した業務に自然経過を超えて発症に至らしめるような,業務による過重負荷はなかった。仮に,太郎の死亡が脳血管障害によるものとしても,業務による過重負荷はなかった。

よって,太郎の死亡は,業務上の事由によるものとはいえない。

第3争点に対する判断

1  本件疾病発症に至るまでの太郎の勤務状況及び発症状況

前記第2の2に認定の各事実のほか,同事実に後掲の証拠を総合すると,次のとおり認められる。

(1)  太郎は,久心技建株式会社に勤務していた当時は歩いて通勤していたが,本件会社の厚木営業所に勤務するようになってからは,太郎の通勤時間は片道1時間半から2時間と長くなり,また,出勤時間が早いため通勤混雑に巻込まれていた。(原告本人)

太郎の本件会社における勤務は,平成2年当時は定時退庁が比較的多く,休日出勤もなかったが,平成3年1月に入ってからは,本件会社におけるコンサルタント事業部の受注が急激に増加したため,太郎も多忙となり,年度末の3月には,残業が多くなった。そして,4月中はさほどでもなかったが,本件会社が本件事業を受注した5月中旬からは,極めて多忙となった。これらのため,太郎は,具体的には,3月に,1日休日出勤し,休日を10日間取得し,4月に,1日休日出勤し,休日を9日間取得し,5月に,3日間休日出勤し,7日間の休日を取った。また,太郎は,3月から5月までの間の出勤日には残業することも多くなり,特に5月中旬以降は,本件事業の事前準備作業のため,多忙を極め,午前7時に出勤し,帰宅時間は早くて午後10時か11時ころ,遅いと午前2時を回ることもあった。太郎は管理職であって,タイムカードによる出退勤の記録もないが,3月当時本件会社の98人の従業員(コンサルタント事業部では76人)が月間100時間を超える超過勤務を行っていた。また,5月,6月ころは,本件作業に従事した従業員の中には,4時間前後,日によっては6時間程度の残業を行った者がおり,太郎もこれらの従業員と相応する程度の残業を行った。(<証拠・人証略>)

(2)ア  本件事業の測量海域は,鳥取県米子市東部の弓が浜沿岸から島根県八束郡鹿島町北部まで,島根半島沿岸全域を含み,海岸線がいずれも複雑に入り組んでいるため従局の設置個所も多くしなければならない地域である。「沿岸の海の基本図」作成事業に当たっては,従局点は通常2か所程度で足りるところ,本件事業では,本件出張当初から隠岐を含む4か所の設置が予定され,最終的には15か所の従局が設置された。しかも,これらの従局設置予定地のほとんどが,NTT,自衛隊,市役所等の管理下にあり,沿岸の漁業海域への立入りや測量に必要な小型船の手配等のために漁協の協力を要すること等から,現地での多数の関係機関への協力要請が必要であった。また,本件事業は,芙蓉海洋開発他の企業も参画して行うため,人のやりくり,資材の分担の決定,打合せ等が必要であった。(<証拠略>)

イ  太郎は,本件会社入社前の昭和57,8年ころ,パシフィック航業株式会社在職中,フィリピンにおける漂砂調査に従事し,同国に1年間及び10か月間の出張をし,その数年後チリにも長期出張をしたことがある。(原告本人)

また,太郎は,本件会社入社後,平成2年6月から同年9月までの間,沿岸の海の基本図「日御埼」に地形図作成の責任者たるアジア班班長として現地調査作業に従事した。なお,同作業における本件会社の立場は,協力会社であった。さらに,太郎は,同年10月から12月までの間,来島下田水潮流観測の現地調査作業においては主任技師と現場代理人を兼務した。しかし,同作業は,本件事業に比較するとかなり小規模であり,本件事業のような規模における現場代理人として責任者を務めるのは,今回が初めてであった。しかも,本件事業は,測量の区域が広範囲であり,期間も長く,地形も複雑であり,関係諸機関との折衝等の回数を考慮すると,共同責任者等を置いて負担が現場代理人1人に掛からないようにすることが望まれたが,結局太郎が1人でこれを担当した。(<証拠・人証略>)

(3)ア  5月25日から6月1日までの現地事前調査の間,本件会社における労使関係のもつれから,同社労働組合による受送電拒否闘争(所定労働時間内における電話の受継ぎを一切拒否する闘争方法),残業拒否闘争(毎週水曜日の残業を一切拒否する闘争方法)が行われ,太郎は,現地から同社の部下らと所定労働時間内に連絡を取るには困難を伴い,太郎の自宅を中継地点として連絡を取る手配をする等の配慮をしていた。また,同調査期間中,太郎は,隠岐島の従局点予定地を訪れた。その際,タクシー運転手から荷物運搬のための人夫提供の申入れを受けたが,予算の制約のため,断らざるを得なかった。太郎は,原告に対して仕事上のことで愚痴を漏らしたことはなかったが,この事前調査から帰宅後,「大変だった。疲れた。」と言い,原告に対して,疲労を訴えた。(<証拠・人証略>)

イ  太郎は,6月2日(日)においても,当初の予定を変更して,休日出勤し,早朝から午後11時ころまで事前準備作業に従事した。太郎は,同月3日,海上保安庁水路部に赴き,事前調査の結果に基づく報告及び打合せを行い,同月4日には午後10時ころまで芙蓉海洋開発の脇と本件出張の打合せを行った。その時,太郎が大変疲れた様子に見えたので,脇は,原告に対して本件会社を辞めるように勧告した。同月5日は他の従業員は残業拒否闘争で帰宅したが,太郎は,午後10時ころまで吉田と2人で本件作業における各会社の役割分担,作業手順等の打合せを行った。同月6日は,畠とともに午後10時ころまで残業した。太郎は,同月7日も,午後11時を過ぎてから帰宅した。同月8日(土)の朝,太郎は,普段は寝覚めがよいにもかかわらず,なかなか起きることができなかったが,休日出勤し,午後8時ころまで社内で本件出張の準備や資料整理を行い,その後脇と飲んで,翌日午前2時ころ帰宅した。このころ,太郎は,原告に対して,目の疲れや視力の衰えを訴えたり,本件事業の予算について寝言を言ったりしたことがあった。(<証拠・人証略>)

(4)  本件出張中の太郎の行動は,第2の2(4)に摘示したとおりであるが,なお太郎の健康状態を知る手掛りとなる事項は次のとおりである。

ア 6月11日には,太郎は,吉田とともに従局点予定地の基準点踏査をしたが,山や坂を登る際,疲れた様子で,以前より遙かに登るのが遅かった。13日は特段疲れた様子は見られなかったが,車に乗ると車酔いすると訴えた。同月14日には,鳥取に出張し,夜12時まで昔の同僚と酒を飲みながら互いの作業の進行具合等について話す等したが,その時の太郎は,随分とやつれ,目の下がくぼみ,相当疲れた様子であり,顔色も良くなかった。(<証拠略>)

イ 本件出張中,同月14日を除けば,太郎は,午後10時半ないし11時ころ就寝し,午前7時ころ起床するという規則正しい生活をし,食事も通常どおり摂っていた。民宿は2階建てであり,2階には大部屋とその奥隣に襖1枚隔てて6畳間がある。太郎は,本件出張中,吉田とともに同6畳間を使用していた。畠は,他の従業員とともに2階大部屋を使用していた。各部屋には,いろいろな荷物を置いていたので,くつろげるようなスペースはなかった。(<証拠略>)

なお,太郎は,就寝前に腹筋運動と柔軟体操を欠かさなかった。原告が同月15日,太郎に電話をしたところ,太郎は,疲れた,大変だと話した。(<証拠・人証略>)

(5)  同月16日における知夫里島の従局点設置作業等についても,第2の2(5)に摘示のとおりであるが,なお次の事実が認められる。

ア アカハゲ山中腹登り口から山頂までの荷物運搬作業の際,従業員が各自バッテリーを2個ずつ運ぶことになったところ,西村は最初はバッテリーを2個背負ったが,途中で重さに耐えきれず1個を下ろしてしまったので,同人が最後まで運搬したのは1個だけであった。太郎は,最後まで2個のバッテリーを背負って運んだが,たくさんの汗をかき,顔を青くして,1人だけ遅れて登り,また,疲れている様子であった。残りのバッテリーは,畠と坂本が運んだ。そして,太郎は,午後5時30分ころに七類港に大量の機材を載せた大型測量船が到着する予定があったので,従局点設置作業後来居港までの帰路は,測量船到着に間に合わせるためにタクシー停車場所までの坂を駆け下りる等急いだ。午後5時30分ころには民宿から歩いて七類港に赴いた。その際,同行した重原一博に「肩が凝る。頭が痛い。」等と言っていた。太郎は,同所で10人前後の作業員らとともに北九州から到着した測量船から電波測位器,流速計,金具,ロープ等の資材及び備品類を自ら積み下ろし,民宿近くの倉庫まで運搬する作業を午後8時ころまで手伝った。その際,太郎は,重原に対し,予算との関係上測量船の使用日数を減らすため,準備を急がなければならない旨述べた。(<証拠・人証略>)

イ その後,本件事業の測量調査に携わる15,6名が集まっての懇親会を兼ねた夕食となり,午後9時ころまで太郎の司会のもと,自己紹介を行ったり,懇談したりしたが,その際,太郎はビール大瓶1本を飲んだ。これは,普段の太郎の酒量に比べれば,少量であった。そして,入浴後,太郎を含む数人が残って2階の部屋で10時過ぎころまでミーティングを行った。その際,太郎は,重原から肩を揉んでもらい,ウィスキーの水割りを飲む等した。太郎は,その後自らの部屋に戻り,吉田に対し,隠岐島でバッテリーを2個担いで山を登ったから,肩が痛く,凝ったとか,船に間に合わないので駆け足をしたとか話し,「頭が痛いから先に寝る。」と述べて,それまで毎日就寝前に行っていた腹筋運動,柔軟体操をせずに,すぐに床に入り,電気をつけたまま眠りについた。(<証拠・人証略>)

(6)ア  太郎の口元には,本件出張中,風邪を引いた際にしばしばできるような,湿疹状の大きな腫物ができていた。(<証拠・人証略>)

太郎は,同月16日,民宿に戻ってから,民宿の主人に対し,「肩と首が痛い。」と訴え,医者がいないか尋ねたが,同日が日曜日であったこともあり,医者には行かなかった。(<証拠略>)

太郎は,本件出張中の夜間就寝中,大きないびきをかいていたが,本件発症当日である同月17日には,甲高い,動物が呻くような,それまでのいびきと違った苦しそうないびきをかいていた。(<証拠・人証略>)

イ  民宿は,2階から階段を下りると,右手に食堂兼大広間があり,左手には便所がある構造となっている。また,便所に行く手前で廊下を右手に曲がると左側に洗面所がある。(<証拠略>)

2  太郎の健康状態

(1)  太郎は,幼少時に腎臓を患ったことがあるほかは,特に大病をしたことはない。太郎の母と弟は,高血圧で医者に罹っていた。また,太郎には,くも膜下出血を発症した親戚がいるが,太郎とは血縁がない。太郎は,睡眠時にいびきをかき,30代半ばから,突然呼吸が止まったような状態になり,しばらくして,いびきとともに息を吹き返すような状態となったこともあった。(原告本人)

(2)  太郎は,平成元年11月11日に実施された,むらせ医院での1日人間ドックの際,主訴及び自覚症として,質問票中の当時の症状又は気になることの項目で,太りすぎ,喉が渇く,痰,肩こり,背中の痛み等を訴えたが,同医院村瀬省二医師は,「血液生化学検査で,GOT,GPT上昇より軽度肝障害あるも,経過観察で現在治療を要しない。胸部XPで胸椎の軽度側弯を見るが,治療を要しない。」との意見を示した。太郎は,心電図検査の結果は正常範囲であるとされたが,身長165cm,体重73kgで太り気味と指摘され,脊椎側弯の所見から栄養相談を勧められ,脊椎及び胸部の精密検査を指摘された。また,血圧は119mmHg/92mmHg,血液検査の結果,ヘモグロビン17.4g/dl,ヘマトクリット53.5%,尿酸7.1mg/dl,総コレステロール167mg/dl,HDLコレステロール34mg/dl,中性脂肪115mg/dl,GOT47IU/l,GPT76IU/lであった。(<証拠略>)

太郎は,その後,本件会社に入社する前までは,ジョギングやウォーキングを行っていたほか,スポーツセンターに通う等健康維持に努め,体重を約70kgまで減少させたが,3月ころから,運動不足が続き,外食の機会が増えたり,「体が疲れた時は,無理をしてでも食べるんだ。」と言って過食をしたため,肥満の傾向が急激に進行し,74ないし75kgになっていた。また,まむしドリンクを多飲するようになった。これらのため,太郎は,本件発症時ころには,体重80kg前後の肥満状態にあったと推認できる。(<証拠略>,原告本人)

なお,太郎と原告とは,普段から太郎の長期出張の前には夫婦の交わりを行うように配慮していたが,本件出張の前には,太郎の疲労から,行う状況になかった。(原告本人)

(3)  太郎は,3月ころから,原告に頭痛を訴えて鎮痛剤を携帯するようになった。(<証拠略>,原告本人)

太郎は,6月10日,現地への移動中,畠に対し,世間話の中で,「自分の身内に,同年代でくも膜下出血で亡くなった人がいる。」,「自分の年齢ではこうした病気が多いんだよな。」等と話した。(<証拠・人証略>)

(4)  太郎には,学生時代から喫煙の習慣があり,多いときで1日2箱(40本),少ない時でも10本以上は吸い,煙草を吸わないと口内炎ができるといって吸い続けていた。また,太郎には晩酌の習慣があり,本件会社での付合いがないときは,毎晩グラスに1,2杯のウィスキーあるいは焼酎,ビール等を飲んでいた。同僚からみても,酒は強い方であった。(<証拠略>,原告本人)

3  太郎の死因について

(1)  第2の2(5)に摘示の事実のほか,後掲の証拠によれば,次の事実が認められる。

ア 太郎は,6月17日午前2時ころ,目を覚まし,民宿2階奥の6畳間から廊下を通り,1階まで階段で下りた後,同階段下で,外傷なく,仰向けに倒れていたところを宿泊客に発見された。太郎が廊下,階段を移動したことは,吉田を含む他の宿泊客の誰も気づかなかった。(<証拠略>)

イ その後,太郎が救急車で搬送された先の鳥取県済生会境港総合病院の医師岩下香代子は,太郎の来院時の所見として,心肺停止,瞳孔散大,外傷なしと認めた上,同乗者から太郎が頭痛を訴えていたことと嘔吐物がなかったことを聞き,診療録の傷病名欄には脳出血の疑いがあると記載したが,死亡診断書(<証拠略>)には,太郎の直接死因を急性心不全と記載し,同発症から死亡までの時間を40分と診断し,その発症原因は記載しなかった。(<証拠略>)

ウ しかし,立川相互病院循環器内科部長医師須田民男(以下「須田医師」という。)は,太郎の死亡は発症後1時間以内の突然死,すなわち瞬間死の形を取っていることから,その原因としては致死的不整脈発症による心臓突然死の可能性が最も高いとの意見を有している。(<証拠・人証略>)

また,横浜労災病院循環器部長医師西村重敬(以下「西村医師」という。)は,太郎の死亡直前の行動と死亡までの時間的経過,さらに一般的臨床事実から考察すると,発症から1時間以内に死亡した突然死であり,その原因の第1は心臓突然死と考えるべきとの意見を有している。(<証拠・人証略>)

さらに,太郎には,本件発症前,脳心疾患以外の消化器疾患,呼吸器疾患等が発症していたことを示唆する症状はない。(<人証略>)

(2)  須田医師作成の意見書(<証拠略>),西村医師作成の意見書(<証拠略>),(証拠略),須田,西村両証人によれば,突然死につき,次の医学的知見が認められる。

突然死とは,急激な病気の発症から死亡までの経過時間が短時間に止まるものをいい,その時間については,学説上争いがあるが,発症後1時間以内の死を突然死と呼ぶことにはほぼ異論がない。そして,発症後24時間以内の死亡についての剖検例による検討報告によると,心血管系疾患が65%,脳血管障害が16%であるが,発症後1時間以内の死亡例の検討では,70ないし80%が心血管系疾患を原因とし,脳血管障害によるものが10ないし15%,それ以外の原因による可能性は約5%であるとされている。

心臓突然死の場合,致死的不整脈を原因とするときは,非常に短い時間,すなわち発症後数分ないし数時間以内で死亡に至ることが多く,心不全を原因とするときは,心臓が機械的なポンプとしての働きを果たさなくなり,血圧が低下して,苦しみながら数時間以上経過して死亡に至ることが多い。

脳血管障害による突然死は,重症くも膜下出血や脳幹部出血を発症した場合に起こり,くも膜下出血であれば,死後の脳脊髄液の検査から診断が可能であり,また,死亡確認時の瞳孔に左右差が存在する特徴がある。さらに,上記症状の場合,出血時に瞬間的に病像が完成することが多く,症状の自覚後自ら歩行して移動することは不可能である。

(3)  上記事実によれば,太郎の頭痛が嘔吐を伴うものではなかったこと,太郎の就寝後約3時間半を経過してから発症したこと,太郎が発症前に自ら階段下に下りたこと,その際,同室に就寝中の吉田を起こしていないこと,緊急通報の十数分後の救急隊到着時には既に瞳孔散大,呼吸心臓停止の状態であったこと,発症前にもがき苦しみ,周りに助けを呼ぶ等したことはなく,瞬間的に意識を喪失したことが窺えることといった死亡時の具体的な状況に加え,須田医師と西村医師の所見は心臓突然死で一致していること,発症後1時間以内の突然死の原因の圧倒的多数の場合が心臓を原因とすることを考え併せれば,太郎の死因は,発症から1時間以内の致死的不整脈による心臓突然死であったと考えるのが合理的である。

これに反し,死亡診断した医師は脳出血の疑いがあるとした(<証拠略>)が,太郎には,嘔吐を伴う頭痛がなく,くも膜下出血の前兆とは考え難いこと,死亡確認時の瞳孔の左右差が存在したとは認められないと,脳血管障害で瞬間的な死亡が起こることは稀であることといった,脳血管疾患によるものとすれば合理的に説明し難い事情があるから,同証拠は採用できない。また,太郎には脳心疾患以外の疾患を示唆する症状はない。

(4)  よって,太郎の死因は,致死的不整脈発症後1時間以内の心臓突然死であったと認めることができる。

4  医学的知見について

須田医師作成の意見書(<証拠略>),西村医師作成の意見書(<証拠略>)に各種医療文献(<証拠略>),須田証人,西村証人の各証拠を総合すると,次のとおり認められる。

(1)  基礎心疾患の有無と致死的不整脈との関係

ア 致死的不整脈について

致死的不整脈とは,有効な心拍出のない心停止を起こしうる不整脈をいい,その中には,心室細動,心室粗動,心室頻拍といった頻脈型不整脈と著しい徐脈や心静止といった徐脈性不整脈がある。心臓突然死発生の機序については,基礎心疾患がない状態から刺激伝導系の異常が生じて突然致死的な不整脈を発症するもの(以下「一次性致死的不整脈」という。)と,基礎心疾患あるいは心筋虚血等が発症し,それが原因となって致死的不整脈を発症するもの(以下「二次性致死的不整脈」という。)の2通りがある。

イ 虚血性心疾患について

(ア) 虚血性心疾患とは,心筋を流れる血液量が低下して,心臓の動きを維持させるための酸素供給が不足し,心筋が変性,壊死に至る疾患であり,その代表的疾患は,狭心症と心筋梗塞である。心筋梗塞とは,心臓壁冠循環の異常により生じた心筋の壊死をいい,狭心症とは,冠動脈の異常(器質的病変あるいは機能的異常)により生じた一過性の心筋虚血による胸痛発作をいう。狭心症には労作によって誘発される労作狭心症と安静時に起こる安静狭心症の2種類の型が代表的であり,ときに両型が合併することもある。労作狭心症は主として冠動脈の硬化による狭窄のために労作時に酸素の需要が増加するのに対して供給が間に合わず,その結果酸素の供給が不足して発症するものであり,安静狭心症は主として冠動脈の攣縮(通常よりも血管の収縮が強く起こる状態)による心筋への酸素の供給不足により発症するものである。

(イ) 虚血性心疾患の発生原因である冠動脈の血流障害は,冠動脈の狭窄又は閉塞によって惹起されるが,その冠動脈の内腔の狭窄又は閉塞の主な原因は,アテローム性動脈硬化である。アテローム性動脈硬化は,血管の三層のうち内膜から中膜にかけての動脈の血管壁にコレステロール等の脂質が溜まって,組織に脂肪変性が起こり,さらに内膜に線維の増殖が附加され(その脂肪,線維からなる塊をアテロームまたは粥腫という。),その結果,血管内腔が狭くなり,血液が流れなくなる病変で,血管内腔側に膨れ上がった変化をいう。

冠動脈硬化症は,心臓の表面を覆い,心筋に酸素や栄養を送る働きがある冠動脈に発症する動脈硬化症であり,心筋の壊死への直接的な影響が強い。そして,同疾病は,初期病変である脂肪斑から徐々に進行して心筋梗塞あるいは狭心症発症の責任病変となるまで,数年から10年以上の長期の年月を要すると考えられている。しかも,大部分は臨床症状を生じないもので,臨床像としては,終末に急性心筋梗塞と狭心症が生じるまで,明確な症状としては,現われにくい。

(ウ) 冠動脈の動脈硬化を促進,助長する要因としては,加齢(40歳以上であること),性別(男性であること)といった基礎因子に加え,高脂血症(低HDL血症を含む。),高血圧,喫煙習慣という3大危険因子,そして,肥満,糖尿病,ストレス,運動不足,A型(几帳面な)性格等多数の危険因子がある。これらは,疫学的調査に基づく研究結果により認められたものであるが,その中で特に米国のフラミンガム・スタディは,町ぐるみの長期観察の成績から得られた大規模な疫学的研究として信憑性が高い。そして,各危険因子については,1つの因子よりも複数,特に3つ以上の危険因子が集積することにより,冠動脈のアテローム性動脈硬化による虚血性心疾患の発症が著しく増大するとされている。

ウ 基礎疾患の有無と不整脈の発症との関係

冠動脈硬化症の基礎疾患があった者が急性心筋梗塞を発症する場合,そのうち約半数が,前駆症状のないまま,突然心筋梗塞を発症し,その他は胸部の強い狭扼感(締めつけ感)が30分以上続き,冷や汗,嘔吐等の前駆症状を伴う。そして,急性心筋梗塞を発症した者の大多数は,種々の不整脈を生じ,そのうち約2割は致死的不整脈を生じて発症後2時間以内に急死することがある。これに対し,何らの器質的心疾患を有しない者が不整脈を発症した場合,通常予後良好であるが,中には致死的不整脈を発症する場面が見られる。

一次性と二次性の致死的不整脈の発症比率は,1対99ないしそれ以上の大きな差があると考えられており,しかも従来一次性と考えられていたものの中にも,実はWPW症候群,ブルガーダ症候群等,先天的な心疾患を有していた者が多く,厳密な意味での一次性致死的不整脈というのはさらにもっと少ない。心臓に非常な負荷が掛かった場合,基礎心疾患又は心筋虚血がないときでも,ある程度の不整脈,心室性期外収縮等の不整脈が出ることはあるが,これらはいずれも致死的なものではない。なお,夜間の仕事と昼間の仕事を不規則な形態で勤務している運転手等の場合は,心室性期外収縮が出ることが多いが,同不整脈の出現が,致死的なものといえるかどうかは不明である。

エ 粥腫破綻の原因,予後

粥腫破綻の主たる原因は,粥腫の性状(コレステロールに富み,炎症反応の強い粥腫が破綻し易い。)にあり,粥腫の数が多くなると,より危険が増してくる。冠動脈硬化症が進行すると,多発性,瀰漫性に危険な粥腫が冠動脈内に形成され,いつでも破綻は起き得る。心筋梗塞発症時の身体状況を見ると,安静時・睡眠時や軽労作中が80%を占め,重労働中の頻度は低い。このような事実から,粥腫の破綻は,負荷を認めない状況でも起こると考えられている。また,粥腫の破綻直後は,血栓が形成され易い最も危険な時期であり,この時間帯には何らかの危険な自覚症状を伴うのが一般的である。そして,粥腫破綻後は,直ちに生体が反応し,血栓溶解,細胞による修復機序が働き,増悪の危険性は時間の経過とともに軽減する。中には,粥腫の破綻直後に無症候性のものもあるが,通常それらは無症候性破綻といって,良好な予後経過を取る確率が高い。

(2)  ストレス,過労の不整脈への影響について

ア ストレスとは,外部的要因(ストレッサー)が加わって個体における内部環境の恒常性が乱され,歪みが生じた状態であり,ストレッサーには,物理的なもの,化学的なもの,生物学的なもののほか心理的なもの(不安や緊張等の情動変化等)がある。

ストレスと虚血性心疾患,致死的不整脈との関連,すなわちその機序,診断及び治療については必ずしも医学的に解明されたとはいえない。それは,ストレスの認知,対処,反応の有無程度について個人差が大きいため,ストレスの定量的な評価方法が確立されておらず,また,ストレスと発作との因果関係が完全に解明されたとは言い難い等といった理由による。すなわち,ストレスが自律神経系の調節異常をもたらすこと,期外収縮を増加させ,発作性心房細動の要因になり得ること自体はほとんどの論者により承認されつつも,その寄与の程度については定説と言えるものがまだ現われていない状況である。

イ 過労とは,過労負荷による重篤な病的状態を招来させるような極度の疲労状態をいうものと考えられているが,過労の生体に対する影響は,ストレスのそれとほぼ同様であるとされている。疲労の限界は個人差が強いが,客観的就業時間や仕事量では一概に決められず,負荷を受ける人の耐容能,環境条件により規定される。疲労感を訴えるときに,明らかな運動能の低下や不整脈の出現を見ることがあるが,このような状況下で運動や仕事を行う場合,たとえ日頃と同じ量の負荷でも,相当に過重な負担が加わることになり,これが積み重なって次第に疲労は増していく。

ウ 虚血性心疾患の発症の原因となる特定の業務の存在は医学経験則上認められておらず,これらの疾患と業務との関連性は一般的に希薄なものといわざるを得ない。しかし,個別的事案によっては,本来的には私病である基礎心疾患が,業務上の諸種の要因により致死的不整脈を発症することも考えられないわけではない。

業務上の諸種の要因による精神的負荷,肉体的負荷が血圧変動,血管収縮の著しい増悪,発症に影響を与える場合,医学経験則上,一般的に発症から遡れば遡るほど,その負荷と発症との関連は希薄となる。

(3)  各医師の見解

ア 須田医師は,太郎には明らかな狭心症症状の前駆が見られないことから,器質的心臓病のない状態から致死的不整脈を発生し,突然死した可能性が最も高いとし,過労・ストレスが直接の引き金となったものと推論する。その根拠として,本件のような大規模作業の現場代理人となるのが初めてであり,また,準備作業が心理的ストレスの極めて重く,通常以上の負担がかかるものであって,太郎は,本件出張の直前には過労状態にあったと考えられること,民宿では1人でリラックスする時間が無く,眠っている時間以外は仕事そのものの時間とその延長であったこと,アカハゲ山の作業は,最大酸素摂取能力に近い著しい肉体的ストレスを含み,かつ,帰りを急ぐため,精神的負担も加わり,マグネシウム・カルシウム代謝をはじめとする全身的な異常反応を招き,又は運搬作業直後に無症状性の粥腫破綻が生じて,深夜に致死的不整脈を引き起こしたと考えられること,このような業務に起因したストレスによって高血圧の素因が顕在化して更に悪化したものと考えられること,喫煙・飲酒は太郎の年齢にとって責められる程度のものではなく,また,人間ドックの結果も異常がないと伝えられる程度のものであり,いずれも致死的不整脈発症の主因とはならないこと等を挙げる。

イ 西村医師は,冠動脈硬化症は複数の危険因子が加重されると発症の相対的危険度が増加するところ,太郎が,41歳,男性,肥満,ヘマトクリット高値,喫煙歴,HDLコレステロール低値,軽い高血圧,中間管理職で責任感が強い等の点で,複数の冠動脈危険因子を有していたと考えられることから,太郎は,無症状の冠動脈硬化症を発症していたところ,6月17日午前2時頃,胸痛,吐き気等何らかの心筋虚血症状の自覚があり,飲水又はトイレに行くために階下に降りたところで,二次性致死的不整脈が発症したと推論する。そして,冠動脈硬化症からの二次性致死的不整脈の発症は,当該者の行動とは無関係に就寝中でも起きるものであるところ,本件出張中の1週間にわたる作業は日常業務と考えられる範囲内のものであること,アカハゲ山の作業は,致死的心事故に至り得る程度の異常な負荷であったとは考えにくいことから,仕事上のストレスはあったとしても,過重なものではなかったと考えられ,業務起因性は否定されるとする。

5  太郎の業務と死亡との相当因果関係について

(1)  基礎心疾患,危険因子の有無

ア 太郎は,6月17日に致死的不整脈を発症した際(以下「本件発症」という。),41歳であり,学生時代から20年以上にわたり,多い時で1日2箱(40本),少ない時でも1日10本の喫煙習慣を有していた。また,太郎は,酒に強い方で毎晩飲酒し,母と弟は高血圧で薬の処方を受けている。

平成元年11月11日当時(以下「健診時」という。),太郎のHDLコレステロール(善玉コレステロール)は,34mg/dlと正常範囲をわずかに下回る程度ではあるが,危険な低値であり,血圧は,収縮期血圧は十分に正常範囲内であるが,拡張期血圧が92mmHgと90mmHg以上の境界域高血圧の範疇に属していた。そして,身長165cmに対し,健診時は体重73kgで,ブロッカの変法(《身長-100》×0.9=標準体重)によれば,標準体重が58.5kgゆえ+24.7%,BMI(体重/身長2)法によれば,26.8と境界値26.4を超え,肥満であった。さらに,その後,太郎の本件発症当時の体重は80kg前後であると推認され,これを前提とすると,肥満度はブロッカで+約30%,BMIで約29.3と危険な領域の肥満となっていた。肥満は,冠動脈硬化症の独立の危険因子としての意義は小さいが,高血圧,HDLコレステロール低下,LDLコレステロール上昇の素地となるから,健診時に比べ急激に肥満度が進行した発症時には,高血圧,HDLコレステロール低下,LDLコレステロール上昇もかなり進行していたと考え得る。

さらに,太郎は,本件会社入社後,特に3月以降,海洋部の受注増から仕事が忙しくなり,入社前までの習慣だったジョギング等も続けられないため運動不足が続いたまま,時間外労働に従事し,休日出勤をすることが多かった等,仕事上ストレスがあった。

イ 上記の点に注目すれば,太郎は,男性で,40歳を超えていたという基礎因子に加え,喫煙の習慣のみならず,遺伝的要素,急激な肥満傾向,相当量の飲酒といった要素から,健診時に比べ相当程度高血圧が進行し,同時にHDLコレステロール低下,LDLコレステロール増加という高脂血症が進行していたと考える余地がある。その上,運動不足,仕事によるストレスといった因子も有することから(なお,ストレスについては,その認知等に個人差はあるが,後記(3)オに説示のとおり,太郎は本件業務に従事した結果疲労困憊の状況にあったから,仕事によるストレスを相当程度に受けていたことは明らかである。),本件発症当時,太郎には,冠動脈のアテローム性動脈硬化に関する危険因子が計3つを超えていたこととなる。

ウ これに対し,前記のとおり,一次性致死的不整脈が発症する確率は,二次性致死的不整脈発症率に比較して極めて低く,何らの器質的疾患を有しないまま発症した一次性不整脈は,通常予後良好であることに照らせば,太郎に何らの器質的疾患(基礎心疾患)がなかったと認めることは考え難い。また,太郎は,生前自覚症状として,第三者に動悸,胸部不快感を訴えたことはなく,健診時の心電図検査所見欄には正常範囲とあることから,WPW症候群,ブルガーダ症候群あるいはQT延長症候群という先天的な基礎心疾患はなかったと認められる。

なお,ヘマトクリット(血液中の赤血球の容積比率)とヘモグロビン濃度(酸素の運搬体)は,いずれも高値となると,赤血球増多,血液濃縮を反映し,閉塞性病変発症に関連するが,太郎は,健診時,ヘマトクリット53.5%(正常値39ないし52,3%),ヘモグロビン濃度は17.4g/dl(正常値12.4ないし17.0g/dl)とわずかに正常値を超えていたに過ぎず,しかも,同各値が本件発症時に悪化したかどうかに関する証拠はないから,閉塞性病変発症を認めるには足りない。

(2)  太郎の直接の死因

太郎には,(1)アに説示の冠動脈硬化の危険因子が存在していたこと,及び同ウに説示のとおり,一次性致死的不整脈が発症する確率は極めて低いことからすれば,西村医師が指摘するとおり,太郎は無症状の冠動脈硬化症を発症していたことが考えられないわけではない。もっとも,平成元年の健診時のデータは異常がないと伝えられる程度のものであり,それ以降の太郎の血圧等のデータはないのである。しかも,太郎の体重が増え出したのは,平成3年以降であり,それより前は,ジョギング等の結果,上記健診時の値よりも良好か又はその値が維持されていたとも考えられ,上記危険因子とすれば,遺伝的な高血圧の素因,飲酒及び喫煙程度ということになる。したがって,太郎が平成3年よりも前に冠動脈硬化症を発症していた可能性は相当低いものというべきであり,太郎が冠動脈硬化症を発症していたとしても,その発症は,3月以降の残業等,特に本件事業が開始した5月中旬以降の残業,休日出勤による疲労,ストレス,運動不足,それを克服するための過食による急激な肥満,その肥満によるHDLコレステロールの低下及びLDLコレステロールの上昇に起因するものというべきである。

他方,須田医師は,過労かつ睡眠不足の状態にあった太郎がアカハゲ山での作業に従事したことにより,運搬作業直後に無症候性の粥腫破綻が生じ,その後回復されないまま12時間後に血栓が生じて致死的不整脈となって死亡したとも推論する。しかし,<1>前記のとおり,医学的に見れば,粥腫の破綻は,負荷を認めない状況でも起こると考えられており,粥腫の破綻直後は,血栓が形成され易い最も危険な時期であり,この時間帯には何らかの危険な自覚症状を伴うのが一般的であるところ,太郎は,重量物運搬自体により肩が痛い,首が痛いといった症状を訴えた以外,動悸がする,胸部不快感があるといった不整脈症状を訴えたことはないこと,<2>通常粥腫破綻後は,直ちに生体が反応し,血栓溶解,細胞による修復機序が働き,増悪の危険性は時間の経過とともに軽減するところ,本件発症は重量物運搬作業から約12時間経過した後であり,しかもそれまでの間何ら自覚症状がないこと,<3>粥腫破綻直後に無症候性の場合,通常良好な予後経過を取る確率が高いことからすれば,上記のように運搬作業直後に無症候性の粥腫破綻が生じ,その後回復されないまま12時間後に発症したと考えることは困難である。

しかしながら,いずれにしても致死的不整脈が前駆症状を伴わずに発症し,そのために死亡するには,冠動脈等に何らかの病的症状が生じていたものと考えられる。そうだとすると,太郎には,潜在的ながら冠動脈硬化症という基礎疾患があり,粥腫が脆弱化していたところ,これが何らの前駆症状を伴わずに同月17日午前2時前ころ破綻して,心筋虚血となり,そのため胸部不快感あるいは吐き気を生じたので,廊下を伝って階下へ下りたところ,致死的不整脈が合併して急性心筋梗塞となり,心臓突然死に至ったと推論するのが妥当である。

(3)  業務負荷による太郎の疲労の程度について

ア 第2の2,第3の1に認定した事実によれば,太郎は,本件会社に海洋部の中間管理職,スタッフ職として入社し,入社後すぐに15人以上の部下を指揮する主任技師として,各種海洋調査への立会いとともに,部下である一般従業員,共同作業を行う社外の技術者らを取りまとめて業務を日常的に滞りなく推進することが求められたのである。もっとも,太郎は,本件入社当時すでに17年以上の海洋調査実務の経験を有し,本件会社でもその経験を生かすことが求められたのであって,仕事自体に困難はなく,その部下との間,あるいは他の協力会社との間に具体的なトラブル,確執があったことを認めるに足りる証拠はなく,普段の業務に特別の身体的,心理的負荷があったとは認められない。また,海洋調査業務においては,同業他社,関連会社との連携は,しばしば行われることであり,太郎の経験を考慮すれば,そのこと自体が太郎の負担となるとは考え難い。さらに,通勤時間の長さ,混雑は日常的なことであり,これによる特別な身体的負荷があったと認めることはできない。その上,本件全証拠によっても,太郎が部下への仕事指示を遠慮していたとは認めることができない。このようなことから,3月までは,太郎に業務による著しい疲労があったとは認め難い。

しかしながら,平成2年に入ってからコンサルタント事業部の受注高が大幅な伸びを示し,従業員らの時間外労働は顕著に増加し,そのような中,労使間の決裂が起きると,非組合員である太郎はオフィスに残り,組合員たちの残務を引き受けた。また,太郎は,3月以降,残業が多くなり,週末の出張,休日出勤が増える等多忙となり,職場環境に変化があったのである。

イ 5月20日に本件会社が本件事業を受注してから6月10日の本件出張出発までの間,同業他社であれば渉外班と作業班として分業する社内準備を太郎が1人で兼務した。そのため,太郎は,関係諸機関への働きかけの他,協力会社との本件事業遂行の手順,分担の打合せ,発注者である海上保安庁との調整等を一手に引き受け,かつ,限られた予算の範囲内で本件事業を施行するためにも,これらの準備作業に神経を使ったのであり,これらの作業は,精神的,肉体的にストレスを来すに足りる質と量の業務であったというべきである。しかも,現地調査は,日程が密である上,関係諸機関への挨拶,従局設置候補地の視察等も1人で行い,さらに悪いことに,組合の闘争期間中と重なり,現地から部下に指示,連絡をすることが困難であった。そして,現地調査から戻ると,その結果の報告及びそれに基づき他の従業員に対する指示をした。同準備期間は短期間であり,その間の業務量は大変多かったことに照らせば,太郎が業務により相当程度の精神的,肉体的ストレスを受け,疲労していたことは明らかである。これは,普段目覚めの良い太郎が,同月8日の起床時に目覚めが悪く,また,同月9日には朝食中居眠りをしていたこと,妻である原告に対して疲労感を訴えていたこと,本件出張中口元に大きな腫物ができていたこと等によっても裏付けられる。

なお,(証拠略)(久我聴取書)によれば,太郎は,本件事業に関する全ての業務について,主任技術者である久我に相談し得たことが認められるものの,(証拠略)(吉田報告書)によれば,太郎は,吉田海洋測量有限会社の吉田に対し,「社内にわかる人がいないので,1人でやらなければならない。」と言っていたことが認められることや,上記のとおり現地から本件会社に連絡を取ることが困難であったことに鑑みれば,実際に太郎が久我に対してどの程度の相談をしたのかは疑わしいといわなければならない。また,前認定のとおり,現地調査から戻った後の業務については,太郎は指示,説明が中心で,具体的な書面や図面の作成,機材準備はプロジェクトチームで協力して行っていたが,書面の内容自体は太郎が全て決定しなければならなかったことから,肉体的な負担は緩和し得たとしても,精神的なストレスからの解放には至らなかったというべきである。

ウ 太郎は,本件発症の1週間前である同月10日に本件出張へ出発したが,太郎にとって,「沿岸の海の基本図」作成作業の現場代理人は初めてであり,出張中は,普段の家庭生活に比べれば気が休まらず,特に,6畳の部屋を2人で寝泊まりしていて,1人でリラックスできる時間もなかったことは明らかである。また,現地到着直後から太郎自ら関係諸機関への挨拶廻りで七類港,境港付近の施設へ行ったほか,同月14日には松江へ出張し,同日中に鳥取へ移動する等広域にわたり移動し,その合間に従局点,験潮所の各設置候補地を視察し,決定する等毎日積極的に行動していた。そして,同出張先のNTT松江では,責任者不在のため忠山の使用許可が即日下りなかったため,再度訪問しなければならず,作業日程が遅延する可能性があったから,遅延により作業費用がかさむ心配があり,様々な精神的負担を背負った。上記の各事実に,本件出張前の事前準備による疲労があったことを考え併せれば,本件出張中に太郎に生じた身体的,心理的負荷は,相当程度あったことは疑いない。

この点,太郎は,海洋調査業務に長年従事し,本件事業のような1か月程度の出張は,何度も経験しているから,出張自体が家庭での生活と異なるとのストレスを考慮する必要がないし,規模は異なるものの,現場代理人業務自体の経験もあったから,その精神的負荷は全く初めて現場代理人を担当する者に比して深刻ではなかったことを指摘することができる。また,関係諸機関への挨拶は,取引上のやりとり,駆引きとは異なるから,訪問箇所が多数である割には精神的なストレスがさほどでないと考える余地がある。さらに,本件出張中の太郎の睡眠時間,食事時間は規則的であり,夜間の打合せも酒を飲みながらの話合いで,肉体的,精神的な負荷を伴わないものとも考えられる。その上,本件出張中は,適宜睡眠等で休息を取ることができていたこと,肉体を駆使する業務はなかったことも指摘することができる。しかしながら,2人部屋での民宿生活の連続,時間に追われながらの関係諸機関への挨拶(施設使用の許可を早期に得られなければ,本件作業の全体の進行が遅れ,ひいては出張費用,船舶等のチャーター費用の増額につながる。),夜間の打合せ自体が肉体的,精神的負担を伴わないものであったとしても,昼間の疲れを癒す時間を切り詰めることとなること等を考慮すると,上記の諸点があるからといって,太郎の精神的,肉体的負担の軽減にはつながらないものというべきである。

なお,同月10日に,太郎が畠に対してくも膜下出血で亡くなった親戚のことを話しているが,通常は,そのような話しを世間話の中では発言しないものであり,自らに具体的な症状,危険があることを危惧して思わず吐露したものと評価し得る。

エ(ア) 最後に,アカハゲ山の山頂での従局点設置作業が太郎に及ぼした身体的負荷の程度を検討すると,普段は肉体を酷使する業務に従事しない太郎が,後続の予定から来る時間制限の中,計40kgのバッテリーの箱を背負い,さらに両手に荷物を携帯して約15分間登坂したこと,その際,太郎は,たくさんの汗をかき,かつ,顔を青くしていたこと,太郎より年上の西村は,途中で1つのバッテリーの箱の運び上げを断念したこと,出港時間を気にかけて,同作業終了後坂を駆け下りたこと等からすれば,太郎にとって,アカハゲ山での作業は,肉体的,精神的に著しい負担であったことは明らかである。現に,太郎は,同作業後,同僚に対し,肩が凝る,首が痛いと訴え,民宿の主人に対し,医者にかかることを希望した等,疲労症状を示す言動をしていた。しかも,午後10時30分過ぎころ,吉田に「頭が痛いから先に寝る。」と告げて,習慣であった寝る前の運動もせずに電気をつけたまま寝ており,その際,いつもと異なる甲高い,動物の呻き声のような大きないびきをかいていたのである。

(イ) 原告は,同月16日のアカハゲ山における労働が,健康(ママ)者にとっても危険な身体負荷であり,すでに業務による睡眠不足,過労状態にあった太郎にとっては,突然死の最後の引き金に十分なり得たと主張し,これを裏付けるために行った労働負荷再現実験の結果として,(証拠略)(実験の状況を撮したビデオテープ),(証拠略)(須田医師作成の実験報告書)を提出する。そして,同証拠によれば,12月末の東京都内の公園で,35歳・BMI指数21.5の被験者と42歳・BMI指数28.6の被験者のいずれも健康な男性に,1個20kgのバッテリー2個を背中に背負わせ,ロープ,シートを両手に持たせた上,距離約700m,標高差約100mの坂道を約15分かけて登らせてから,10分前後の作業と,5分前後の坂下りに従事させ,その間の心拍数,血圧等を測定したところ,いずれも登坂開始後10分前後で心拍数が最高潮に達し,最大心拍数(220-年齢)を超え,これに近い状態が5分前後続き,ボルグの指数(主観的運動強度)に基づき,「かなりきつい」状態が数分続き,年齢,体格が太郎に近い42歳の被験者は「非常にきつい」状態にまで達したことが認められる。

同実験は,実験場所がアカハゲ山ではなく,距離が約3.5倍,標高差が約2倍であり,しかもこれを太郎の従事した作業と同様約15分で登り切ったこと等の条件下での実験である等必ずしも太郎がアカハゲ山で従事した作業と比べて条件が同一又は類似しているということはできないが,太郎の作業は,より気温の高い6月に行われたこと,アカハゲ山の坂の方が急勾配であり,かつ道も整備されていないこと等を考え併せれば,同作業当時の太郎の身体への負荷としては,年齢,体格とも近似の42歳の被験者の心拍数,血圧の上昇の経緯は参考になるというべきである。すると,太郎のアカハゲ山での作業も,急激な心拍数の上昇を伴い,「非常にきつい」と自覚するほどの運動強度であったと推認できる。

この点,(証拠略)(西村医師意見書)によれば,ボルグの指数は自覚症状の指数であり,同指数の「非常にきつい」と認められる状態までの運動負荷検査は,虚血性心疾患を有する者に対する診断あるいはリハビリ用の運動処方のために日常的に用いられていると認められること,上記実験結果によっても,42歳の被験者には,実験中,顔面蒼白,冷汗,チアノーゼ等の危険な他覚症状は生じておらず,歩行ペースも落ちていないことから,最大心拍数に達する負荷はあったものの,健常者にとって労働を途中で中止しなければならないほどの過重な負荷ではなかったことが明らかである。他方,太郎は,前日の夜に十分な睡眠をとることができなかったこと,アカハゲ山への登山の際,大量の汗をかき,かつ,顔面も青くなったこと,同重量の物でも,より急な勾配の坂道を運び上げる方が身体への負荷が大きいことは当然であり,上記の客観的事情に照らせばアカハゲ山の方が身体に負担を掛けるものというべきであることからすれば,上記42歳の被験者よりもアカハゲ山登山の太郎の肉体に与えた影響の方が大きいと評価し得る。

(ウ) なお,太郎は,来居港から境港までの帰りの船の中では,約2時間睡眠を取れており,ある程度疲労回復の機会があり,また,大型測量船からの機材下ろしは,大勢での作業であり,太郎は指揮者的立場にあったから,これによる肉体的負荷はあまりなかったと考えられなくはない。しかし,当日の夕食は本件作業の測量調査に携わる15,6名が集まっての懇親会であり,かつ,太郎は酒好きであったことから通常よりも飲酒量が多くなるのが常識的であるのに,太郎の酒量は普段よりも少量であったことを鑑みれば,上記の事情にかかわらず,夕食時までに太郎の疲労が回復していたとまで推認することはできない。

オ 以上の検討によれば,<1>本件会社における急激な受注の増加の結果,太郎は,3月以降,残業,休日出勤が多くなり,特に本件事業の現場代理人を担当するようになってからは,協力会社との折衝等,精神的,肉体的にストレスが残る作業に従事したこと,<2>事前調査のための出張を終えてからは,特にその負担が多くなり,ジョギング等で健康維持に努めていた太郎も,本件出張の前日には,相当の疲労感を感じていたこと,しかも,<3>本件出張においても,民宿では1人でリラックスできる時間が無く,眠っている時間以外は仕事そのものの時間とその延長であったものと評価することができ,特に,アカハゲ山での作業は,時間が15分と短いとはいえ,太郎に対し,肉体的に著しい負担を与えたことが明らかであることが認められ,これらの事実に照らすと,太郎は,その課せられた業務のため,6月16日の就寝時には,疲労困憊の状況にあったものというべきである。

(4)  太郎の業務負荷の本件発症への寄与

(3)に摘示のとおり,太郎は,5月中旬からの加重の業務のため,精神的,肉体的に疲労していたところ,本件出張による疲労も重なって,死亡前日の6月16日の就寝時には疲労困憊の状況にあったのであり,就寝後数時間のうちに致死的不整脈を発症していることを参酌すると,本件業務における現場代理人の職務によるストレスが,致死的不整脈発症の原因となったことは容易に考えることができる。また,その他の要因について検討すると,太郎には高血圧の遺伝的素因,喫煙・飲酒があるものの,(2)説示のとおり,太郎の平成3年に入ってからの急激な肥満及びその肥満によるHDLコレステロールの低下及びLDLコレステロールの上昇が冠動脈硬化症の進行に寄与していると考えられる。そして,その肥満の原因となった過食は,太郎個人の「疲労は食により克服する」との見解が影響しているとしても,業務の加重との関連性が否定できないこと,太郎の平成3年に入ってからの肥満は業務加重による運動不足も原因となっており,それまで減量のための運動をしていたことのリバウンドによる急激な体重増加とも考えられること,太郎が本件業務を担当するに当たり,本件会社内に太郎の業務を精神的な面から支える者の存在に乏しく,ストレスを感じることが客観的に認められること,太郎の体重は半年の間に約10kg増加するという異常なものであり,かつ,その増加は業務量の増加傾向と一致するものであることを斟酌すると,上記肥満と業務との間に因果関係があるものと認められる。そうすると,本件業務は,直接太郎にストレスを与えることにより,及び間接的に太郎を肥満とさせることにより,冠動脈硬化症を発症せしめ,これが致死的不整脈発症となったのであるから,太郎の死亡と本件業務との間に相当因果関係の存在を肯定するのが相当である。

もっとも,このように業務加重と体重増加との間に因果関係を肯定することは,業務加重であっても食事の制限等を行って体重を制御する者が多く存在することに鑑みれば,正当ではないと考えられないわけではない。しかしながら,本件においては,上記のとおり,太郎は,疲労の克服のために食事を摂ったものであり,ただ単にストレスの解消のため過食をしたものではないこと,業務加重による運動不足や食事の不摂生も肥満の原因となっていると考えられることから,上記の点は,過失相殺をすべきときに,その事由となるに止まり,因果関係を中断すべき事由とはならないと解すべきである。

6  以上によれば,太郎の死亡は,労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たるというべきであり,業務起因性が認められないとしてした被告の本件処分は取消しを免れない。

第4結論

よって,本件請求は理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 南敏文 裁判官 矢澤敬幸 裁判官 藤澤裕介)

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