横浜地方裁判所 平成9年(ワ)2085号 判決 1999年6月23日
原告
甲野花子(仮名)
被告
平塚市
右代表者市長
吉野稜威雄
右訴訟代理人弁護士
石井幹夫
被告
神奈川県
右代表者知事
岡崎洋
右指定代理人
南山利久
同
金沢晴男
同
岩崎克彦
同
宮澤明彦
同
小泉洋
被告
国
右代表者法務大臣
陣内孝雄
右指定代理人
齋藤紀子
同
武内信義
同
森口英昭
同
宇山聡
同
大濱芳嗣
同
池田貴城
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
一 乙山の暴行を理由とする被告平塚市に対する請求について
1 被告平塚市に対する請求原因と事実の経緯
原告の被告平塚市に対する請求原因は、要するに、「原告が平成六年六月一七日夕刻、被告平塚市の管理する平塚市中央図書館(本件図書館)に、図書を返却するため赴いた際に、乙山から暴行を受けたところ、乙山は、被告平塚市が警備業務の委託をしたリンレイサービスの従業員として、本件図書館の警備に従事していた者であった。よって、被告平塚市に国家賠償法一条に基づき、賠償金の支払いを求める。」というものである。
そこで、当日の事件の経緯を検討する。
原告が平成六年六月一七日夕刻、本件図書館の玄関の横に自転車を停めようとしたところ、乙山が原告に対し自転車置き場に停めるよう注意したこと、被告平塚市が、同日前から、リンレイサービスに本件図書館の警備業務を委託していたこと、このころ、乙山が、同社の従業員として、本件図書館の警備に従事していたこと、原告が、平塚市民病院で診察を受け、病院から本件図書館に戻り、星崎館長と話合いをしたこと、以上の事実は原告と被告平塚市との間で争いがない。右争いのない事実、〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 当事者
リンレイサービスは、建物の清掃及び総合管理業務、施設の警備及び駐車場管理等を目的とする株式会社である。
乙山は、神奈川県厚木市所在の日産セキュリティサービス株式会社において日産自動車の警備業務を担当していたが、同社を平成五年六月に定年退職後、直ちにリンレイサービスに就職し、平成六年六月末ころ、後記のとおり本件を契機に同社を退職した。
被告平塚市は、平成六年四月一日、リンレイサービスに対し、本件図書館(教育研究所、市史編さん係を含む。)の常駐警備業務を委託していた。委託期間は、同日から平成七年三月三一日までとされていた。リンレイサービスは平成六年六月ころ右契約に従いその従業員であった乙山を警備員として本件図書館に派遣しており、乙山は、本件図書館の警備を行っていた。乙山のそのころの勤務時間は、午後五時三〇分から翌日の八時三〇分までであった。
(二) 本件図書館玄関前でのやり取り
乙山は、平成六年六月一七日午後五時四〇分ころ、別紙見取図1の警備室Aから外に出て、同見取図の<2>(以下、<1>ないし<5>の番号は、別紙見取図1の番号を指す。)の場所に立って警備に当たっていたところ、南の方から原告が自転車に乗って本件図書館に近付き、こども室の出入口に当たる<1>の場所に自転車を停めた。この場所には、既に数台の自転車が置かれていた。
本件図書館には、<1>の場所から約二五メートル離れた<4>の場所に自転車置き場が設置され、右自転車置き場以外の場所に自転車を停めることは禁止されており、原告が自転車を停めた右場所の付近には、その旨の立て看板も置かれていた。
そこで、乙山は、<3>の場所まで原告に近付き、原告に対し、子供室の出入口だから自転車は自転車置き場に停めるように注意した。原告は、これに対し、「何言っているの、停めたっていいじゃないの。」と言い、振り向きざまに乙山の首筋をつかまえ、ネクタイの真ん中のところをつかんで前後左右にゆすり、さらに自分の左足の革靴の先で、乙山の右足のすねのあたりを集中的に何回か蹴り上げた。乙山は、原告の手をなんとかして振りほどこうとし、原告にやめなさいと言った。原告は、乙山の胸倉から手を放し、渋々自転車を前記自転車置き場に運びに行った。
(三) 自転車を自転車置き場に置いた後の図書館玄関前でのやりとり
乙山は、その間<5>の場所に立って原告の様子を黙って見ていたところ、原告は、乙山のところに戻って来て、「あなたまだ何か言いたいの。」と言うなり、再び乙山の胸倉につかみかかり、乙山のネクタイの真ん中あたりを引っ張った。乙山は、やめなさいと制止し、もし話があるのなら、図書館の職員の前で話を聞かせてくださいと言った。
(四) 廊下を通っての移動
そこで、乙山は、原告を事務室に案内しようと原告の前を歩き始めたところ、原告は黙って乙山の後をついてきた。
本件図書館の玄関から事務室には、玄関ロビーを横切り、廊下を通って行くことになるが、乙山は原告の前を歩いて事務室に入り、原告は黙ってこれについてきた。
(五) 事務室でのやり取り
乙山と原告が事務室の入口に到着した。その際、原告は、乙山の二、三歩前に出て、別紙見取図2の<7>(以下、<6>ないし<11>の番号は、別紙見取図2の番号を指す。)の場所に立ち、乙山は、原告から一歩半ほど離れた<6>の場所に立った。事務室では、<8>の場所に猪俣が机に向かって座り、<9>及び<10>の場所に職員が二名座っていた。
ここで、乙山が、猪俣に対し、本件図書館の玄関前における経過を説明しようとしたところ、原告が突然振り返って乙山の胸倉につかみかかり、乙山の体を左右にゆすりながら、乙山のネクタイの真ん中あたりを引っ張り、さらに右手で乙山の頭部を殴り付けた。このとき乙山が下を向いたので、乙山の帽子が<10>ないし<11>の場所まで飛んで行くと共に、ワイシャツの一番上と二番目のボタンが外れた。乙山は原告の手を振りほどいたが、原告は、振り向きざまに、再度乙山に殴りかかり、さらにこれを継続しようとした。そこで、乙山は、これを防ぐため、右の平手で原告の左のほほのあたりを一度たたいた。
原告は、乙山の胸倉をつかんだ手をゆるめ、左手をほほのところに当て、職員に対し、どうして止めないのかなどと言った。
乙山は、右のような経緯を上司に報告するため、その場を去って、前記警備室Aに戻り、本部に電話をかけた。
その後、原告は、平塚市民病院で診察を受けた後、本件図書館に戻り、星崎館長と話合いを行った。乙山は、同日午後七時ころ、星綺館長に呼ばれ、応接間で事情を聞かれ、右のような経緯の概略を説明した。
(六) 乙山の負傷状況
乙山は、翌一八日、リンレイサービスに報告に赴いたが、原告に蹴られたすねが痛むので、同社の古木支店長に右足のすねの状況を写真に撮ってもらった。
乙山は、翌一九日、伊勢原協同病院で診察を受けたところ、四日の加療を要する右下腿挫傷との診断であった。乙山は、同病院で痛み止めと湿布薬をもらい、また、余り上手に歩けなかったので、松葉づえを約三日借りた。結局、乙山は、約三回同病院に通院した。その後、すねのはれが引くまで一月強、痛みがなくなるまで二〇日強かかった。
(七) 乙山の退職と就職
乙山は、理由はどうあれ、一般市民に実力を行使したことについては責任を取るべきと考えてその旨をリンレイサービスに申し出、同社を辞職した。この際、同社は、辞職の必要はないと乙山に告げたが、結局右辞職を認めた。その後、乙山は、横浜所在のアサヒ商事という警備会社に就職し、同社から平塚共済病院に派遣され、同病院の警備兼救急受付を担当している。
(八)その後の経緯
乙山は、平成六年六月ころ、横浜地方法務局平塚出張所に来るように言われ、原告の出席の下、人権擁護委員二名、星崎館長、本件図書館の職員及びリンレイサービスの役員の前で、本件の経緯について説明をし、本件では原告の方が先に手を出したと明確に述べたが、このとき原告は特に何も述べなかった。
原告は、平成六年九月ころ、平塚警察署長に対し、本件について乙山を告訴し、乙山は平塚警察署及び横浜地方検察庁小田原支部において、それぞれ一回取調べを受けた。乙山は、平塚警察署において取調べを受けた際、その場でやむを得ず原告を告訴した。その後、原告及び乙山は、共に不起訴処分となった。
以上のとおり認められる。乙山の原告とのやりとりに関する証言内容は、原告の行動に関する部分を除くと、自然であり、警備員として通常要求される指針に従った行動をしているということができるところ、この点は、前期認定のとおり、乙山が本件の前後とも警備員としての仕事に就いて特段の不都合もなくその業務を継続し、警備員としてのその仕事ぶりが社会的にそれなりの評価を受けていることとも符合するのであり、証言内容は採用することができるものである。原告は、これと異なり、乙山から先に暴行を受けた等と主張をするところ、自身では裁判所の重ねての原告本人尋問の実施に応じないし、特に原告の主張によれば、原告が乙山に対し実力を行使したのは、乙山と事務室に向かうために玄関のドアを通過する際、後ろから乙山の足を蹴ったときのみということになるが、〔証拠略〕によれば、乙山は左足の前面を負傷しており、その負傷の客観的な状況は、原告の右主張と整合しない点などに最も明確に表われているとおり、原告の主張には合理的な説得性がうかがわれない。そして、他に、原告の右主張を裏付ける証拠はなく、結局のところ、前記の認定事実を左右するに足りる的確な証拠はない。
2 乙山の公務員該当性
ところで、国家賠償法一条にいう「公務員」とは、同条にいう「公権力の行使」に当たる者として、国又は公共団体のために公権力を行使する権限を有する者であり、そのような権限を委託された者も含まれ、公務員の資格の有無は問わないものと解される。そして、ここにいう「公権力の行使」とは、国又は公共団体の作用のうち、純粋な私経済作用と同法二条によって救済される営造物の設置又は管理作用を除くすべての作用を意味するものと解するのが相当である。
本件についてこれを見ると、乙山は、株式会社であるリンレイサービスの従業員であって公務員の資格を有しないが、同社は、被告平塚市との間で、本件図書館の常駐警備業務を受託する旨の契約を締結しており、乙山は、右契約に従い、警備員として本件図書館に派遣された者であったことは前示のとおりである。そして、本件における乙山の原告に対する前期1(五)の実力の行使は、前期事実認定によれば、本件図書館の警備員として、本件図書館の警備をし、その秩序を守る過程において発生した乙山自身の危険に対処するために行われたものであって、これを「公権力の行使」と見ることに妨げはなく、また、右「公権力の行使」は、前記のとおりの契約上の根拠及び条理に基づき、被告平塚市から委託された権限の行使であるということができる。
よって、乙山は、国家賠償法一条にいう「公務員」に当たり、この点に関する被告平塚市の主張は、この限りで理由がない。
3 乙山の暴行の違法性の有無
前記1(五)認定のとおり、乙山の原告に対する平手による行為があったわけであるが、その態様は、原告の理不尽な攻撃に対して打たれるまま、やられるままでいた乙山が原告の重ねての攻撃をいさめるために右手で原告の左ほほを一度たたいたというものであること、それは、強くはないものであること(〔証拠略〕)、その結果は、原告が傷害を負ったと明白にいえる程のものではない(〔証拠略〕は、作成時期が本件事件のあった日から相当日数経過後のものであり、本件事件当日の原告の被害の程度を立証するための証拠としての信用性にはいささか疑問がある。)。以上の諸点に照らすと、乙山の原告に対する右の行為は、社会通念上違法視されるものではなく、民事上違法な行為とまでいうには至らないというべきである。
なお、仮に乙山の原告に対する右の行為をもって違法な行為と評価されるとしても、次のとおり、少なくともその違法性が阻却されるべきものということができる。すなわち、
(一) 前記1の認定事実によれば、本件図書館の玄関前で、乙山は、原告に首筋をつかまえられ、ネクタイの真ん中のところをつかまれ前後左右にゆすられ、さらに原告の左足の革靴の先で自身の右足のすねのあたりを集中的に何回か蹴り上げられる暴行を一方的に受け、四日の加療を要する右下腿挫傷の傷害を受けていること、原告が自転車を自転車置き場に置いて戻って来た後にも、乙山は、原告にネクタイの真ん中あたりを引っ張られる暴行を一方的に受けていること、その後、事務室でも、原告は、乙山の胸倉につかみかかり、乙山の体を左右にゆすりながら、乙山のネクタイの真ん中あたりを引っ張り、さらに、右手で乙山の頭部を殴り付け、このとき乙山の帽子が<10>ないし<11>の場所まで飛んで行くと共に、同人のワイシャツの一番上と二番目のボタンが外れたこと、その後も、原告は、再度乙山に殴りかかり、抵抗しようとしたこと、乙山は、そのときになって初めて、原告のそれ以上の暴行を防ぐため、右の平手で原告の左のほほをたたいたことが認められる。このように、乙山は、自ら負傷しながらも、一方的な原告の攻撃に耐えていたのであるが、原告がその攻撃をやめようとしないので、原告による暴行から自己を守るために、前記のとおりの実力の行使をしたものであり、この実力の行使は、右防衛のために社会通念上合理的な均衡の保たれたものであるということができる。
したがって、乙山の前記実力の行使は、少なくとも民法七二〇条一項本文によって、正当防衛として違法性が阻却されると解するべきである。
(二) 原告は、この点について、原告が乙山に対し先に暴行を行ったものではなく、乙山が、本件図書館の玄関前において、原告に対し先に暴行を行ったものであるなどとるる主張する。
しかしながら、原告の主張によれば、原告が乙山に対し実力を行使したのは、乙山と事務室に向かうために玄関のドアを通過する際、後ろから乙山の足を蹴ったときのみということになるところ、〔証拠略〕によれば、乙山は足の前面を負傷しており、その負傷の客観的な状況は、原告の右主張と整合せず、むしろ証人乙山の証言の内容、すなわち本件図書館の玄関から事務室に向かうため玄関ロビーを横切り廊下を通っていくときには、原告と乙山の間には、お互いに会話や暴行などはなかったという前記事実認定の内容に符合している。また、前記認定事実によれば、原告は、本件の発生後、責任を取るべきと考えてリンレイサービスに申し出、同社を辞職したが、この際、同社は、辞職の必要はないと乙山に告げたということであり、その後に、乙山が、特に問題なく現在の職に就いていることを見ると、本件図書館においての原告と乙山のやり取りを目撃していた職員等も、リンレイサービスや星崎館長に対し、おおむね乙山の証言に沿った報告をしていたものと推測される。
よって、原告の主張は理由がない。
二 被告らに対するその余の請求(原告の責任追及に対する被告らの対応懈怠を理由とする請求)について
1 原告は、被告らに関係する公務員のその後の対応に不満がある旨をるる主張し、これを理由として被告らに損害賠償を請求する。
2 しかしながら、原告の主張に係る事実がそのとおり認められるとしても、それが被告らの職務懈怠義務違反を構成するようなものであるかどうかには少なからぬ疑義がある上、そもそも被告らの担当公務員に原告主張の懈怠義務違反に該当する事実があったことを認めるに足りる的確な証拠はない。よって、原告の右の点に関する主張は、いずれにしても理由がない。
三 結論
以上の次第であるから、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 近藤壽邦 弘中聡浩)
別紙見取図1
<省略>
別紙見取図2
<省略>