横浜地方裁判所 平成9年(ワ)2646号 判決 1999年8月20日
主文
一 被告甲野一郎は、
1 原告乙川夏子に対し、別紙物件目録一、二記載の不動産につき、平成七年一一月一一日遺留分減殺を原因として、持分六六七九万分の四〇三万〇八一一の所有権移転登記手続をせよ。
2 原告丙山秋子に対し、別紙物件目録一、二記載の不動産につき、平成七年一一月一一日遺留分減殺を原因として、持分六六七九万分の四〇三万〇八一一の所有権移転登記手続をせよ。
二 被告甲野春子は、
1 原告乙川夏子に対し、別紙物件目録三記載の不動産につき、平成七年一一月一一日遺留分減殺を原因として、持分二三九五万分の一四四万五三九五の所有権移転登記手続をせよ。
2 原告丙山秋子に対し、別紙物件目録三記載の不動産につき、平成七年一一月一一日遺留分減殺を原因として、持分二三九五万分の一四四万五三九五の所有権移転登記手続をせよ。
三 原告らと被告甲野春子間において、別紙物件目録四記載の借地権の準共有持分が、原告乙川夏子につき二三九五万分の一四四万五三九五、原告丙山秋子につき二三九五万分の一四四万五三九五、被告甲野春子につき二三九五万分の二一〇五万九二一〇であることを確認する。
四 原告らの被告甲野一郎に対するその余の請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告甲野一郎は、
1 原告乙川夏子に対し、別紙物件目録一、二記載の不動産につき、平成七年一一月一一日遺留分減殺を原因として、持分六六七九万分の五四七万六二〇六の所有権移転登記手続をせよ。
2 原告丙山秋子に対し、別紙物件目録一、二記載の不動産につき、平成七年一一月一一日遺留分減殺を原因として、持分六六七九万分の五四七万六二〇六の所有権移転登記手続をせよ。
二 主文第二、第三項同旨
第二 事案の概要
本件は、甲野太郎(以下「太郎」という。)の相続人である原告らが、太郎の遺言により遺留分を侵害されたとして、右遺言に基づき不動産を取得した他の相続人である被告らに対し、侵害された持分に相当する所有権移転登記手続を求めたものである。
なお、略称として、以下、原告乙川夏子を「原告乙川」と、原告丙山秋子を「原告丙山」と、被告甲野一郎を「被告一郎」と、被告甲野春子を「被告春子」と、別紙物件目録一記載の不動産を「横浜土地」と、同目録二記載の不動産を「横浜建物」と、横浜土地、横浜建物とを合わせて「横浜物件」と、同目録三記載の不動産を「東京建物」と、同目録四記載の借地権及び土地をそれぞれ「本件借地権」、「東京土地」と、東京建物と本件借地権とを合わせて「東京物件」とそれぞれいう。
一 前提事実(末尾に証拠等の記載のないものは当事者間に争いがない。)
1(一) 太郎は、平成七年七月三一日死亡した。太郎は、死亡当時、少なくとも、不動産として、横浜物件、東京建物を所有していたほか、預貯金として、株式会社第一勧業銀行及び郵便局に対する預貯金合計八九九万四四八四円を所有していた。
(二) このほか、太郎は、生前、東京土地を借地していたが、これが太郎の遺産であり、原告らが準共有していることになるか、それとも、太郎が生前これを太郎の養子甲野二郎(以下「二郎」という。)に譲渡したかについて、原告らと被告春子及び被告一郎との間に争いがある。
2 太郎の相続人は、被告一郎(長男)、被告春子(長女)、原告乙川(二女)、原告丙山(三女)、二郎(平成二年九月二八日死亡)の子である甲野三郎及び丁谷冬子である。したがって、原告らは、太郎の遺産につき、いずれも一〇分の一の遺留分を有する。
3 太郎は、平成三年五月二八日付けの遺言を残している。その遺言書(以下「本件遺言」という。)には、次の記載がある。
「私の財産を左のとおり相続させる。
長男甲野一郎に横浜市旭区中沢町<番地略>の土地と家屋を、
長男甲野春子に東京都墨田区石原<番地略>の店舗住宅を、
二女乙川夏子と三女丙山秋子には第一勧業銀行二俣川支店の定期預金と普通預金、郵便局の定期預金と定額預金を等分すること」
4 太郎と被告春子間に、太郎が被告春子に宛て、東京建物及び本件借地権を死因贈与する旨記載された平成三年五月一九日付け死因贈与契約書が存在する(以下「本件死因贈与契約」という。)。
5 東京建物については、太郎の死亡を始期として、被告春子に対し、平成三年五月一九日贈与(死因贈与)を原因とする所有権移転登記がされた。
6 原告らは、被告らに対し、いずれも平成七年一一月一一日到達の書面で、遺留分減殺請求の意思表示をした。
7 甲野三郎及び丁谷冬子は、平成八年七月一二日、それぞれの代襲相続分を被告春子に贈与したとして、その旨の書面を原告らに送付し、右書面は同月一七日、原告らに送達された。
二 争点と当事者の主張
本件の争点は、本件遺産の範囲、具体的には、太郎は生前有していた本件借地権を、昭和四〇年六月ころ、二郎に有償で譲渡したか(争点1)、甲野三郎及び丁谷冬子は、被告春子に代襲相続分を贈与し、これが被告春子の相続分、遺留分に影響を与えるか(争点2)、本件死因贈与契約は遺贈と同時に遺留分減殺の対象となるか(争点3)、本件遺留分減殺による被告らの負担額はいくらか(争点4)、である。
これらについて当事者の主張は、以下のとおりである。
1 争点1(本件借地権譲渡の有無)について
(一) 被告らの主張
(被告ら全員)
太郎は、昭和四〇年六月ころ、二郎に対し、有償で本件借地権を譲渡した。その経緯は以下のとおりである。すなわち、二郎は、昭和二八年一二月二一日、被告春子と婚姻し、さらに太郎とも養子縁組をしていわゆる婿養子として甲野家に入り、甲野姓を名乗り、以来太郎のためS商店において労務を提供してきた。また、二郎は、S商店倒産の際の精算業務を行った。そして、二郎は、昭和三一年一一月八日、有限会社○○商店を設立し、太郎夫婦、その子である原告ら及び被告一郎の生計維持のため、経済的に援助してきた。太郎は、昭和四〇年高血圧による発作を起こし、右発作がきっかけとなって、そのころ完全に隠居し、横浜物件を購入し、ここに移転した。そして、そのころ本件借地権を二郎に譲渡した。なお、太郎の隠居の翌年である昭和四一年八月二〇日、二郎は名目上も有限会社丸富商店の代表取締役となり、被告春子も取締役となっている。
本件借地権譲渡の対価は、右のような二郎の太郎に対する寄与貢献について清算すること、太郎に対し月額五万円ないしその限度内で二郎において相当と考える範囲の金員を太郎の生活費の補助として支払うこと、太郎が契約している簡易保険及び生命保険の保険料並びに太郎が賃貸人に支払った二六万五〇〇〇円を太郎に支払うこと、東京建物について、固定資産税、火災保険料を支払い、かつその保存、維持、改良等のための費用を負担することを内容とするものであり、二郎は右負担及び支払をしてきた。東京建物の改修のために太郎が負担した金額は、昭和四三年に三五万円、昭和五七年に二五〇万円である。
仮に本件借地権の譲渡が無償又は対価不相当なものであったとしても、被告春子は本件借地権を二郎から取得したのであり、太郎から贈与を受けたものではないから、本件借地権は特別受益には該当せず、遺留分算定の基礎となる財産には含まれない。
(被告春子)
遺留分減殺の順序は、最初に遺言により被告一郎が取得した財産に対し行うものであり、かつこれにより目的を達する。東京建物(仮に敷地借地権が建物と同時に贈与されたものであればこれを含む)の贈与は死因贈与であるから、被告一郎が取得した財産に対する減殺が先行し、右減殺により目的を達するから、死因贈与は遺留分減殺の対象とはならない。甲野三郎及び丁谷冬子と被告春子は、平成八年七月一二日、同人らの被相続人に対する相続分を被告春子に贈与する旨の契約を締結した。このため、被告春子の法定相続分は五分の二であって、取得した財産は法定相続分を超えず、原告らの遺留分を侵害していない。仮に侵害しているとしても、五分の二を超えて取得した分に限られる。
また、仮に原告らの主張のごとく、東京建物には建物の敷地使用権が付着残存しているとしても、右借地使用権は、転使用借権以外の権利ではなく、しかも右転使用借権は太郎の死亡により消滅したものである。
(二) 原告らの主張
本件借地権は太郎の遺産である。このことは、以下の事実からも明らかである。すなわち、太郎は、昭和四〇年六月、借地の一部を地主承諾の下に譲渡し、残った借地について地主と再契約をした、これと近い時期に二郎に対し本件借地権の譲渡をしたならば、これと併せて行われているはずであり、右更新契約からみても、この時期二郎に本件借地権を譲渡したことはあり得ない。また、太郎、被告春子間の死因贈与契約書には、建物とともに借地権も記載されており、この契約が真正に成立したとすれば、太郎と被告春子は、死因贈与契約当時、本件借地権は太郎に帰属していたと認識していたといえる。なお、被告らは、縷々間接事実を主張して、本件借地権譲渡があったと主張するが、仮にそのような事実が存在していたとしても、これらはいずれも借地権譲渡の事実を直接裏付けるものではない。
仮に本件借地権の譲渡があったとしても無償であって、二郎は共同相続人であり、特別受益財産となるから、遺留分算定の基礎たる財産に含まれ、減殺の対象となる。また、被告春子は二郎の相続人であり、特別受益の承継人であるから、遺留分減殺の対象となる。また、仮に借地権の譲渡があったとしても、建物自体の所有権の移転はないのであるから、譲渡された借地権は建物の敷地使用権(借地権ないしは使用借権による転借権)の負担を負ったものであり、反対に遺産には建物の敷地使用権(前記転借権)が残存している。この場合、借地権相当分の価格から転借権価格を控除したものが移転したこととなるが、この移転分も前記のとおり無償であり、特別受益財産として遺留分算定の基礎となる財産に含まれる。さらに、仮に本件借地権について有償の譲渡があったとしても、前記同様譲渡したものは借地権から建物の敷地使用権を控除した財産であり、遺産にはなお建物の敷地使用権が残存している。
2 争点2(相続分贈与の効力)について
(一) 被告春子の主張
甲野三郎及び丁谷冬子は、平成八年七月一二日、それぞれの相続分(二郎の代襲相続人としての代襲相続分)を被告春子に贈与した。これにより、被告春子の相続分は五分の二となり、同時に、被告春子は、甲野三郎及び丁谷冬子の遺留分の権利を承継したので、その遺留分は五分の一となった。したがって、仮に東京建物及び本件借地権が、被告一郎が遺言によって取得した横浜物件と同順位で減殺の対象となるとしても、被告春子が有する五分の一の遺留分については減殺の効果を受けることはなく、遺贈又は贈与により取得した遺産の価額が被告らのそれぞれの遺留分を超える範囲でのみ減殺の効果を受けるにとどまる。すなわち、減殺請求を受けた被告らは、それぞれが得た利得、すなわち減殺の対象となる財産の価額から被告らの有する遺留分を控除した残額の割合に応じて減殺の効果を被ることになる。
(二) 原告らの主張
遺産を特定の者に相続させる遺言があったときは、抽象的な法定相続分は存在せず、具体的に遺言により指定された相続権を有することとなる。本件遺言によれば、甲野三郎及び丁谷冬子には、遺産を与える旨の記載が全くないのであるから、同人らの相続分は存在しない。したがって、相続分贈与の主張はその前提を欠くものであり、仮にその贈与契約があったとしても、被告春子の相続分が増加するものではない。
3 争点3(遺留分減殺の順序)について
(一) 被告春子の主張
仮に本件借地権が本件死因贈与契約により太郎から被告春子に贈与されていた場合、本件借地権は遺留分算定の基礎となる財産に含まれることになるが、死因贈与は民法一〇三三条にいう「贈与」に該当するから、遺贈を減殺した後でなければこれを減殺することができないと解すべきである。
(二) 被告一郎の主張
民法五五四条の規定によれば、死因贈与も遺贈と同様に扱われることになるから、遺贈と死因贈与の遺留分減殺の順序は、同順位と考えるのが相当である。
4 争点4(被告らの負担額)について
(一) 原告らの主張
太郎の遺産は、横浜物件、東京物件、預貯金であり、これらの相続開始時の価格は、横浜物件が六六七九万円、東京物件が二三九五万円、預貯金が八九九万四四八四円である。被告一郎は横浜物件を、被告春子は東京物件を取得しているが、その取得の比率は被告一郎が0.73606、被告春子が0.26394である。また、両被告が取得した遺産額がその法定相続分を超えた金額は、被告一郎が四六八四万三一〇三円、被告春子が四〇〇万三一〇三円であり、その比率は、被告一郎が0.92127、被告春子が0.07873である。被告らは、原告らに対し、原告らが侵害された遺留分相当額(各五四七万六二〇六円)を返還しなければならないところ、この負担の比率を、被告らが取得した資産の比率で算定すれば、被告一郎は0.73606、被告春子は0.26394となり、その返還すべき金額は、原告らそれぞれに対し、被告一郎は四〇三万八一一円、被告春子は一四四万五三九五円となる。
そうすると、横浜物件につき、被告一郎が返還すべき遺留分の割合は、被告一郎が単独で負担する場合には、原告らそれぞれに対し、六六七九万分の五四七万六二〇六の割合となり、また、東京物件につき、被告春子が返還すべき遺留分の割合は、原告らそれぞれに対し、二三九五万分の一四四万五三九五の割合となる。
よって、原告らは、被告らに対し、「請求」記載のとおりの判決を求める。
(二) 被告一郎の主張
横浜物件の価額は高くとも一平方メートル当たり一八万四〇〇〇円、合計四〇一四万五一二〇円程度である。東京建物については市場価格はほとんどない。したがって、遺留分算定の基礎となる財産の総額は、高くとも右四〇一四万五一二〇円に預貯金の総額八九九万四四八四円を加えた四九一三万九六〇四円にとどまる。したがって、原告らの遺留分の金額は各四九一万三九六〇円となり、原告らが請求できる遺留分減殺請求額は右遺留分金額から原告らがそれぞれ取得した四四九万七二四二円を控除した四一万六七一八円である。
第三 当裁判所の判断
一 争点1(本件借地権譲渡の有無)について
1 前記前提となる事実及び証拠(甲九、一〇、乙三の一・二、四の一ないし三、五、六、八の一ないし一一、一〇の一・二、一二の一ないし八、一三の一ないし一四、一四の一・二、一五の一・二、一六の一ないし三、一七の一ないし四、一八の一九、一九の一ないし六、二〇の一ないし二七、二一の一ないし一六、二二の一・二、二三、二四、二五の一ないし一三、二六の一ないし三、二七の一・二、二八、三三、丙四、原告乙川夏子、被告甲野春子各尋問の結果、鑑定の結果、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 花子の父Sは、戦前、広島県福山市を本拠に畳表製造卸売業を手広く営み、東京都本所区(現墨田区)石原町<番地略>の土地を借地して、そこに東京支店を設けていた。太郎は、右東京支店の建物に居住して、畳表製造卸売業を担当していたが、戦災に遇い、一時同所を離れ、戦後再び同所に戻り、畳表卸売業を再開したが、畳需要の低下等により、家業は衰退の傾向をたどった。
(二) 太郎は、昭和二七年Sの借地権を承継して、右石原町<番地略>の土地上に建物(東京建物)を新築し、同所において畳表卸売業を営むようになった。そして、太郎は、被告春子が昭和二八年一二月二一日二郎と婚姻し、二郎が太郎夫婦と養子縁組したのを機会に二郎夫婦と同居し、二郎に畳表卸売業を手伝ってもらうようになった。
(三) しかし、その後も太郎の畳表卸売業は衰退の一途をたどり、太郎は、昭和三〇年ころ、約六〇〇万円の負債を抱えて倒産し、間もなく廃業するに至った。一方、二郎は、昭和二九年ころ、東京建物において写真材料販売及びDPEの店舗を開設し、間もなく東京都北区田端新町にも店舗を構え、そこに被告春子と子供らとともに移り住み、昭和三一年には、このDPE店を会社組織(有限会社○○商店)にし、本店(東京建物の店舗)と支店(東京都北区田端新町の店舗)を行ったり来たりする毎日を送るようになった。太郎夫婦は、この有限会社○○商店を手伝い、給料をもらい、これを生計に充てるようになった。
(四) 太郎は、昭和四〇年六月、東京都墨田区<番地略>の借地の約半分を地主の承諾の下に他に譲渡し、地主との間で、残地52.06平方メートルの土地(東京建物の敷地)について、同月一〇日付けで改めて木造建物の所有を目的とする賃貸借契約を締結し、右の譲渡代金で横浜物件を取得し、同年八月ころ、そこに花子、被告一郎とともに転居した。そして、これと前後して、二郎は、田端の店舗を閉鎖し、被告春子、子供らとともに、東京建物に移り住み、専ら東京建物において有限会社○○商店の営業を行うようになった。
(五) 二郎は、東京建物に移り住む際、太郎に要求され、太郎が地主から支払うよう請求されていた二六万五〇〇〇円を太郎に代わり支払った。また、二郎は、昭和四〇年七月以降、地主に地代を支払い、本件建物の固定資産税を納付し、二度にわたり東京建物の改修工事を行い、火災保険料を継続して支払ってきた。そして、二郎は、昭和四〇年七月以降太郎が晩年に入院する直前まで、折りに触れ、五万円を支払ってきた。
(六) 太郎は、平成三年五月一九日、東京建物と本件借地権を被告春子に死因贈与することを内容とする契約を締結し、これを公正証書にした。この契約内容については、太郎が司法書士に指示して作成された。
以上のとおり認められ、甲九、一〇及び原告乙川夏子尋問の結果中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし、たやすく採用することができない。ところで、被告春子は、太郎が昭和四〇年六月ころ二郎に本件借地権を有償譲渡したと主張し、乙二八及び被告甲野春子尋問の結果中には、これに沿う部分がある。しかし、仮にそれが事実とすれば、太郎は借地権の譲渡について、地主の承諾を得ておくはずであるが、被告春子の供述によっても、太郎が地主のMから本件借地権譲渡の承諾を得たのかどうかが明らかではなく、他にこれを認めるに足りる証拠もない。また、太郎は、被告春子との間で、本件死因贈与契約を取り交わしているところ、そこには、贈与の対象として、東京建物と本件借地権とが明確に記載されているのであるから、その時点(平成三年五月一九日)で、太郎は、東京建物と本件借地権を所有しているものと認識していたというべきであり、昭和四〇年に本件借地権を二郎に譲渡したことと明らかに矛盾する事実であり、当時太郎が、東京建物と本件借地権とを所有しているとの認識でいたことを裏付けるものといわなければならない。さらに、証拠(乙三二)によれば、太郎は、昭和四二年八月三〇日付けで東京建物の所有名義をEから自分名義に移転していることが認められるところ、もし本件借地権譲渡が真実ならば、通常はこの時点で地上建物の所有名義も借地人と同じ名義にするはずであるのに、これを自分名義にしているのであるから、このことも、太郎が、東京建物と本件借地権を所有していると認識していたことを裏付けるものといわなければならない。さらに、太郎は、本件遺言(平成三年五月二八日付け)において、「長女甲野春子に東京都墨田区石原<番地略>の店舗住宅を」相続させると記載しているが、これも、太郎が、東京建物と本件借地権を所有していると認識していたことを示すものというべきである。けだし、借地権を譲渡しておきながら、借地上の建物の所有権を留保しておくというようなことは、権利関係を複雑にするばかりであるから、特段の事情のない限りそのような構成をとることはないと考えられるところ、本件において、太郎と二郎は養親子関係にあったのであるから、太郎があえてこのような複雑な権利形態をとったとは考えられず、借地権を二郎に譲渡したのであれば、地上建物の所有権も同人に譲渡したと考えられるからである。結局、太郎は、最後まで東京建物及び本件借地権が自己の所有であると認識していたものというべきであるから、昭和四〇年に本件借地権を二郎に譲渡したと認めるのは困難であり、前記被告春子の供述部分はたやすく採用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
なお、被告春子は、昭和四〇年以降、東京建物の地代や固定資産税、火災保険料等を支払ってきたとして、これが本件借地権譲渡を裏付けるものであるかのように主張するが、これらの事実は、被告春子夫婦が、東京建物に居住するようになったことに伴い、太郎に要求され、あるいは自発的に負担したものと考えられるものであるから、これらの事実が存在することと、本件借地権譲渡を否定することとは格別矛盾するものではない。
したがって、東京建物及び本件借地権は、いずれも本件遺産に含まれるものといわなければならない。
二 争点2(相続分贈与の効力)について
特定の遺産を特定の相続人に相続させるという趣旨の遺言は、遺言書の記載から、その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情のない限り、当該遺産を当該相続人として単独で相続させる遺産分割の方法が指定されたものと解すべきであり、また、このような趣旨の遺言があった場合には、当該遺言において相続による承継を当該相続人の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り、何らの行為を要せずして、当該遺産は、被相続人の死亡の時に直ちに相続により承継されるものと解するのが相当である(最高裁平成三年四月一九日第二小法廷判決・民集四五巻四号四七七頁)。
本件遺言は、特定の遺産を特定の相続人に相続させるという趣旨の遺言であり、また、本件においては、相続による承継を当該相続人の意思表示にかからしめるなどの特段の事情は窺われないから、本件遺言により、特定の遺産を相続させるとされた原告ら及び被告らは、指定された遺産について相続権を有することとなる反面、甲野太郎及び丁谷冬子は、特定の遺産を与える旨の記載がないのであるから、当初から相続分を有しないことになる。したがって、仮に被告春子の主張するような相続分贈与の契約が存在したとしても、被告春子の相続分が増加するものとはいえない。
したがって、この点の被告春子の主張は採用することができない。
三 争点3(遺留分減殺の順序)について
死因贈与は、贈与者の死亡によって効力を生ずるのであり、この点で遺贈と同じであり、また、民法五五四条は、死因贈与は「遺贈ニ関スル規定ニ従フ」と定めているのであるから、死因贈与も遺贈と同じ順序で減殺されるものと解するのが相当である。したがって、この点の被告春子の主張も採用することができない。
四 争点4(被告らの負担額)について
前記のとおり、東京建物及び本件借地権は太郎の遺産に含まれるから、本件において、遺留分算定の基礎となる財産は、横浜物件(横浜土地及び横浜建物)、東京物件(東京土地及び本件借地権)、預貯金ということになる。証拠(鑑定の結果、弁論の全趣旨)によれば、本件相続の開始時(平成七年七月三一日)における横浜物件の価格は六六七九万円であり、東京物件の価格は二三九五万円であると認められるから、これと預貯金八九九万四四八四円と合わせると、太郎の総遺産額は九九七三万四四八四円となる。
前記のとおり、被告春子への相続分の贈与はその効力がないから、原告、被告らの遺留分額はそれぞれ九九七万三四四八円であり、原告らが取得した遺産はそれぞれ四四九万七二四二円であるから、原告らは、それぞれ五四七万六二〇六円ずつ遺留分を侵害されていることになる。
しかして、前記のとおり、死因贈与は遺贈のと同順位で減殺の対象とすべきであり、また、遺留分減殺の計算の基本額は、対象財産の価額と解するのが相当であるから、この対象財産の価格割合を基に、被告らが原告らに対し返還すべき金額を算定すると、被告一郎については、原告らそれぞれに対し、四〇三万〇八一一円となり、被告春子については、原告らそれぞれに対し、一四四万五三九五円となる。
したがって、被告一郎は、原告らそれぞれに対し、横浜物件につき、本件遺留分減殺を原因として、持分六六七九万分の四〇三万〇八一一の所有権移転登記手続を、被告春子は、原告らそれぞれに対し、東京建物につき、本件遺留分減殺を原因として、持分二三九五万分の一四四万五三九五の所有権移転登記手続をそれぞれする義務があり、また、原告らと被告春子間において、本件借地権の準共有持分の割合は、原告らがそれぞれ二三九五万分の一四四万五三九五、被告春子が二三九五万分の二一〇五万九二一〇であることになる。
第四 結論
よって、原告らの本訴請求は、主文第一ないし第三項掲記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条ただし書を適用して、主文のとおり判決する。